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アラブ人名フルネーム中における出自表示「ニスバ」の定義と種類
用語の発音と意味
نِسْبَة
[ nisba(h) ] [ ニスバ ]
英語表記:Nisba、Nisbah
日本語表記:ニスバ
*文語アラビア語(フスハー)での厳密な発音は語末にふんわり軽い هْ [ h ] を添える [ nisbah ] [ ニスバフ と ニスバハ の中間のような発音 ] ですが、現代会話や口語(方言)では省略され [ nisba ] [ ニスバ ] になってしまうので日本における一般的なカタカナ表記もニスバとなっています。
品詞としては名詞に分類され、通常の文脈では
- 帰属
- 関係、関連、つながり;親戚関係
- 割合、比率
といった意味で使われていますが、アラブ人名フルネームに関しては自分の出自・由来に関する語を形容詞化するなどして名乗りのパーツ後方に加えた帰属先表示を指します。
*アラビア語には形容詞という品詞は無くアラブ式の文法学だと名詞なりが先行する名詞を修飾しているといったとらえ方をしますが、ここでは日本におけるアラビア語教育の標準に従い”形容詞”としています。
アラブ人フルネームにおけるニスバの種類
『岩波イスラーム辞典』ではニスバに関し以下のような説明がなされています。
- p.701「ナサブ」の項目において「同根のアラビア語ニスバは部族、出身地などを示すものとして人名に用いられる」
- p.714「名前」の [ 同名者の識別法 ] において「3)ニスバ(職業, 出身地や部族などによるもの)」
- p.714「3)ニスバ. 本人または祖先の誰かが従事し, それで著名となった職業からとる場合(例:ワッラーク=紙屋)や, 本人または祖先がその出身地である地名からとる場合(例:マッキー=マッカ出身の)」
これらのニスバですが、具体的には
- 出身部族の表示
- 自分も含めた親族の出身部族が「△△族」の場合。
- 大部族のから枝分かれした分家に当たる支族( فَخِذ [ fakhidh ] [ ファヒズ ] )のまた支族、といった場合には長いバージョンのフルネームで部族関係のニスバが2~3個並ぶことも。
- 出身部族名を名詞から形容詞に変形させた上で使用。直前に来る人名部分に後ろから形容詞修飾するので、限定名詞扱いされる固有名と合わせるために通常は定冠詞 اَلْ [ ’al- ] [ アル= ](al-)を伴い「al-△△ī」のような語形になります。
- 昔はその人物が女性名だった場合はニスバ部分の形容詞も女性形に変えることが行われていましたが、現代では皆ファミリーネーム相当のニスバ形容詞部分は男性形を使っています。
- 出身地の表示
- 本人の出身地もしくは父・祖父・もっと前の先祖の出身地が「◯◯」の場合。
- 歴史上の人物の人名録式な長いフルネームの場合「◯◯県の**村」出身であることを示すために出身地関係のニスバが2個以上並ぶことも。
- 出身地名を名詞から形容詞に変形させた上で使用。直前に来る人名部分に後ろから形容詞修飾するので、限定名詞扱いされる固有名と合わせるために通常は定冠詞 اَلْ [ ’al- ] [ アル= ](al-)を伴い「al-△△ī」のような語形になります。(ただし定冠詞無しでラストネームとして使われているケースも。)
- 昔はその人物が女性名だった場合はニスバ部分の形容詞も女性形に変えることが行われていましたが、現代では皆ファミリーネーム相当のニスバ形容詞部分は男性形を使っています。
- 職業の表示
本人もしくは父・祖父・それよりも前の先祖が~屋をやっていて周囲から一家・一族が「~屋」として知られていた場合- 名詞語形のまま職業名とする場合と形容詞語形で職業名とする場合が併存しているため、出身部族名や出身地名のように一律で形容詞語形に変えた上でフルネーム後方に追加するということは行われません。
- 現代では祖先の職業名由来であるラストネーム部分には定冠詞 اَلْ [ ’al- ] [ アル= ](al-)がついている場合と、ついていない場合に分かれておりまちまちです。
となっており、
- 古風な人物録的表記のフルネーム:
「本人の名前・イブン・父の名前・イブン・祖父の名前…」+「ニスバ」
*アラビア語文語(フスハー)では [ bnu ] [ ブヌ ] で親子の名前同士をつないでいきますが、英字表記では ibn、日本語表記ではイブンと変換することが一般的です。 - 現代で一般的なフルネーム:
本人の名前(・父の名前・祖父の名前…)+「ニスバ」
という風に本人ファーストネーム以降の名乗りの後につけ足す形となります。
ニスバと文法・語形
ニスバ形容詞に関する文法は別ページについて紹介しています。元の名詞を変形させてから形容詞化する必要のあるケース、抽象名詞の新造といった話題についてはそちらをご覧ください。
フルネームに加えるニスバ形容詞ができるまで
フルネーム後方に加える形容詞は文法書によって「ニスバ形容詞」「関係形容詞」「関連形容詞」「関連詞」などと名称がまちまちですが、関係形容詞といった用語は英語の what、which、whatever、whichever 類の名前とかぶってしまうということでここでは「ニスバ形容詞」を使いたいと思います。
*ニスバに用いるニスバ形容詞は英語における Japan(日本)→ Japanese(日本の、日本人の)、America(アメリカ)→ American(アメリカの、アメリカ人の)という対応関係や「◯◯ the American」(アメリカ人の◯◯)といった同格表現に似ています。
このニスバ形容詞は完成するまでにいくつかの手順をふむ必要があり、発音に関するルールも少々煩雑です。
当ページではゲームキャラクターのモデルになった農学者・植物学者のニスバ「Tighnari(ティグナリー)」を例に固有名詞からフルネームに加える形容詞形を作る過程を紹介していきたいと思います。
イベリア半島のイスラーム教徒支配地域(アル=)アンダルスで活躍した農学者・植物学者
اَلطِّغْنَرِيّ
[ ’aṭ-ṭighnarīy ] [ アッ=ティグナリー(ュ/ィ) ]
一般的英字表記:al-Tighnari、Al-Tighnari
標準的日本語カタカナ表記:アッ=ティグナリー、ティグナリー
のようなフルネームパーツのニスバ部分に用いるニスバ形容詞ができるまでの様子や発音バリエーションは以下の通りです。
人名録方式の長いフルネームとニスバの位置
أَبُو عَبْدِ اللهِ مُحَمَّدُ بْنُ مَالِكٍ الْمُرِّيُّ الطِّغْنَرِيُّ الْغَرْنَاطِيُّ
- 文語的な息継ぎ無し・語末母音省略無しの一気読み:
[ ’abū ‘abdi-llāhi muḥammadu bnu mālikini-l-murrīyu-ṭ-ṭighnarīyu-l-gharnāṭīyu ]
[ アブー・アブディッラーヒ・ムハンマドゥ・ブヌ・マーリキニ・ル=ムッリーユ・ッ=ティグナリーユ・ル=ガルナーティーユ ]
*各文字につけられた母音記号を一切省略しない、非常に書き言葉的・文語的な読み上げ方法です。 - 文語的な息継ぎ無し・語末母音省略無しの一気読み:
[ ’abū ‘abdi-llāhi muḥammadu bnu mālikini-l-murrīyu-ṭ-ṭighnarīyu-l-gharnāṭīy ]
[ アブー・アブディッラーヒ・ムハンマドゥ・ブヌ・マーリキニ・ル=ムッリーユ・ッ=ティグナリーユ・ル=ガルナーティーュ(*ガルナーティーィ寄りに聞こえる発音) ] - 口語的発音+ひとかたまりごとに区切る読み方:
[ ’abū ‘abdullā(h) muḥammad bnu mālik ’al-murrī ’aṭ-ṭighnarī ’al-gharnāṭī ]
[ アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・ブヌ・マーリク・アル=ムッリー・アッ=ティグナリーユ・アル=ガルナーティー ]
上のフルネームのパーツ種類分類については以下の通りとなります。
- أَبُو عَبْدِ اللهِ
文語発音+母音省略無し:[ ’abū ‘abdi-llāhi ] [ アブー・アブディッラーヒ ]
文語発音+母音省略あり:[ ’abū ‘abdi-llāh ] [ アブー・アブディッラー(フ/ハ) ]
口語発音:アブー・アブドゥッラー、アブー・アブドゥッラ、アブ・アブドゥッラ、アブー・アブダッラー、アブ・アブダッラ などなど(▶発音に関する詳細はこちら)
【クンヤ~主格名詞+属格複合名】「アブドゥッラーの父」
通常は長男の名前が「アブー・◯◯」の◯◯部分に入ります。アラブ世界におけるファーストネームに代わる伝統的な通称で、周囲から「ムハンマドさん」ではなく「アブドゥッラーの父」「アブドゥッラーのおやじさん」と呼ばれていたこととリンクしているパーツです。 - مُحَمَّدُ
文語発音+母音省略無し:[ muḥammadu ] [ ムハンマドゥ ]
文語発音+母音省略あり:[ muḥammad ] [ ムハンマド ]
【イスム~主格人名】ムハンマド
本人のファーストネームです。世間では「アッ=ティグナリー」と日本でいうところの名字で呼ばれている形となっていますが、彼自身の名前はムハンマドになります。単体では مُحَمَّدٌ [ muḥammadun ] [ ムハンマドゥン ] という発音で語末に「n」音*が付加されているのですが、直後にナサブとして بْنُ [ bnu ] [ ブヌ ]((~の)息子)という語が来ているので「n」音は脱落しています。
*タンウィーン。非限定名詞であることを示す添加子音で、ムハンマドという人名が元々受動分詞語形であることの名残り。 - بْنُ مَالِكٍ
文語発音+母音省略無し:[ bnu mālikin ] [ ブヌ・マーリキン ]
文語発音+補助母音(直後に定冠詞が来る時):[ bnu mālikini- ] [ ブヌ・マーリキニ・ ]
文語発音+母音省略あり:[ muḥammad ] [ ブヌ・マーリク ]
【ナサブ~主格名詞+属格人名】「マーリクの息子」
父子関係を示すパーツです。父親をすっ飛ばして祖父名が来ることもありますが、ここでは普通に父子関係として扱い「マーリクの息子」と和訳。アラビア語文語では اِبْن [ ’ibn ] [ イブン ] 語頭の「イ」部分を取って主格:[ bnu ] [ ブヌ ]、属格(≒所有格):[ bni ] [ ブニ ]、対格(≒目的格):[ bna ] [ ブナ ] と格変化させるのですが、英語表記ではそれを反映させず ibn、日本語でもイブンとするのが一般的です。ちなみにアラビア半島の王族フルネームに多い بِنْ [ bin ] [ ビン ] はこの口語語形になります。 - اَلْمُرِّيُّ
文語発音+母音省略無し:[ ’al-murrīyu ] [ アル=ムッリーユ ]
文語発音+母音省略あり:[ ’al-murrīy ] [ アル=ムッリー(ュ/ィ) ]
現代会話的発音:[ ’al-murrī ] [ アル=ムッリー ]
口語的語末短母音化発音:[ ’al-murri ] [ アル=ムッリ ]
*直前のパーツと息継ぎなしで一気読みする時には定冠詞先頭の [ ’a ] [ ア ] 音が落ちるので [ -l-murrīyu ] [ ・ル=ムッリーユ ] などに変わります。
【ニスバ~定冠詞+主格ニスバ形容詞】「ムッラ族出身の」
出身部族を示すパーツです。フルネームでは本人のファーストネームやナサブ部分のパーツに近いほど出自を示す範囲が狭くなっていきます。まずは(アッ=)ティグナリーの出身部族名 مُرَّة [ murra(h) ] [ ムッラ ] を語末 ة 脱落と ـيّ 付加によってニスバ形容詞化したものが定冠詞つきで前方を形容詞修飾する形で連なります。なお発音はその文語度・口語度の違いにより複数パターンが存在します。 - اَلطِّغْنَرِيُّ
文語発音+母音省略無し:[ ’aṭ-ṭighnarīyu ] [ アッ=ティグナリーユ ]
文語発音+母音省略あり:[ ’aṭ-ṭighnarīy ] [ アッ=ティグナリー(ュ/ィ) ]
現代会話的発音:[ ’aṭ-ṭighnarī ] [ アッ=ティグナリー ]
口語的語末短母音化発音:[ ’aṭ-ṭighnari ] [ アッ=ティグナリ ]
*直前のパーツと息継ぎなしで一気読みする時には定冠詞先頭の [ ’a ] [ ア ] 音が落ちるので [ -ṭ-ṭighnarīyu ] [ ・ッ=ティグナリーユ ] などに変わります。
【ニスバ~定冠詞+主格ニスバ形容詞】「ティグナル村出身の」
彼の名前として通常使われているのがこの部分で、出身地の村を示すパーツに相当。出身部族に続き出身村落の名前 طِغْنَرُ [ ṭighnar(u) ] [ ティグナル ](ティグナル)への ـيّ 付加によってニスバ形容詞化したものが定冠詞つきで前方を形容詞修飾する形で連なります。こちらも発音はその文語度・口語度の違いにより複数パターンが存在します。 - اَلْغَرْنَاطِيُّ
文語発音+母音省略無し:[ ’al-gharnāṭīyu ] [ アル=ガルナーティーユ ]
文語発音+母音省略あり:[ ’al-gharnāṭīy ] [ アル=ガルナーティー(ュ/ィ) ]
現代会話的発音:[ ’al-gharnāṭī ] [ アル=ガルナーティー ]
口語的語末短母音化発音:[ ’al-gharnāṭi ] [ アル=ガルナーティ ]
*直前のパーツと息継ぎなしで一気読みする時には定冠詞先頭の [ ’a ] [ ア ] 音が落ちるので [ -l-gharnāṭīyu ] [ ・ル=ガルナーティーユ ] などに変わります。
【ニスバ~定冠詞+主格ニスバ形容詞】「ガルナータ出身の」
出身地の村を包含する地域の名前示すパーツです。出身部族と出身村落の名前に続きもっと広い地域を示す غَرْنَاطَةُ [ gharnāṭa(h) ] [ ガルナータ ](グラナダのアラビア語名。(アル=)アンダルス現地語「ざくろ」由来の外来固有名詞。)を語末 ة 脱落と ـيّ 付加によってニスバ形容詞化したものが定冠詞つきで前方を形容詞修飾する形で連なります。こちらも発音はその文語度・口語度の違いにより複数パターンが存在します。
ニスバとして用いる出身地名を確認する
アッ=ティグナリー(ティグナリー)の出身地は通常アラビア語で
طِغْنَرُ
語末格母音を省略しない文語発音:[ ṭighnaru ] [ ティグナル ]
語末格母音を省略した通常の発音:[ ṭighnar ] [ ティグナル ]
となります。このティグナル村の名前を構成する子音は
*発音についてはアラビア語アルファベット部分にはってあるリンク先の各解説ページをご覧ください。
- ط
[ ṭā’ ] [ ター(ゥ/ッ) ]
普通の ت [ t ] 音を重くこもらせて発音する「ṭ」。 - ـغـ
[ ghayn / ghain ] [ ガイン ]
英語 get の「g」はアラビア語に存在せず、喉の摩擦を加えてこすれたような音で発音する「gh」。「g」と「h」の2文字が連続している訳ではありません。なお英語と違って黙字化して読まない「gh」音はアラビア語には存在しないので必ず「ガ・ギ・グ」のいずれかでカタカナ化します。 - ـنـ
[ nūn ] [ ヌーン ]
英語や日本語の「n」音と同じです。 - ـر
[ rā’ ] [ ラー(ゥ/ッ) ]
単独では日本語の「ラ」に似たはじき音、-rr-と連なって重子音化した時は現代文語・口語会話発音だと巻き舌になります。ここでは「r」1個なので日本語の「ル」に近く発音すれば良いのですが、アラブ人はこれも巻き舌で発音してしまう人が多いです。
で、母音はつづり上に現れません。辞書などでは文字の上下に発音記号をつけて厳密な読み方を示しているので、それに従って طِغْنَرُ [ ṭighnaru ] [ ティグナル ] という風につづりとして現れている子音の間に母音を入れる/入れないを決めつつ発音を行います。
しかしアラビア語には最後の「u」は主格を表す母音で、アラビア語では地名を単独で読む場合などでは発音せず省略してしまいます。そうした休止形(ワクフ)では「r」の後の母音「u」が省略され無母音化し طِغْنَرْ [ ṭighnar ] [ ティグナル ] に。アッ=ティグナリー(ティグナリー)の出身地が本来つけるべき母音を全部反映させた Tighnaru ではなく Tighnar と英字表記されているのもそのためです。
語末に ニスバ形容詞の يّ(yy)を付加する
出自を示すのに用いる地名・部族名などを名詞からニスバ形容詞特有の語尾をつけることで変形してからフルネームのパーツとして使います。
地名・部族名は語形によって変形が必要ですが、最終的には重子音化され同じ子音が2個連続しシャッダ(ـّ)という記号で1文字にまとめられた يّ(yy)を語末に加えます。
*アラビア語文法用語で يَاء النِّسْبَةِ [ yā’u-n-nisba(h) ] [ ヤーウ・ン=ニスバ ](ニスバのヤー)もしくは يَاء النَّسَبِ [ yā’u-n-nasab ] [ ヤーウ・ン=ナサブ ](ナサブのヤー)と呼ばれているものです。
ニスバ形容詞化する際には語末に格を示す母音をつけた形 طِغْنَرُ [ ṭighnaru ] [ ティグナル ] ではなく格母音「u」を落とした طِغْنَرْ [ ṭighnar ] [ ティグナル ] の方を使います。يّ(yy)を足す際、発音上の都合から語末の子音には母音「i」がつきニスバのヤーと結合。طِغْنَرِيّ [ ṭighnariyy ] というニスバ形容詞が出来上がります。
*アラビア語未習の方が自力でニスバ形容詞を作れるよう言い回しを変えていますが、厳密には普通に語末に格母音がついているところに يّ の字が接続します。アラビア語では y 音は非常に強く接続する相手の名詞の語末についていた母音を強制的に i 音にしてしまうという性質があります。
طِغْنَرِيّ
[ ṭighnariyy ] [ ティグナリィイ ]
意味:ティグナル村の;ティグナル村出身の
学術書などでティグナリーの発音表記語末が「-iyy」になっているのはこのような事情によります。日本語のカタカナ表記でニスバ形容詞の語末を「-ィイ」のようにしている場合があるのもここから来ています。
しかしアラビア語の「iy」は現代文語アラビア語(フスハー)では長母音の「ī」と同等なので、発音表記で置き換わって
طِغْنَرِيّ
[ ṭighnarīy ] [ ティグナリー(ユ/イ) ]
に。文語アラビア語(フスハー)の発音では最後の「y」をきちんと読むので「ティグナリーユ」というよりは「ティグナリーィ」に近い読み上げを行うことになります。
さらに現代では日常会話風・口語的な発音で最後の「y」音が落ちて
طِغْنَرِيّ
[ ṭighnarī ] [ ティグナリー ]
になってしまいます。アラブ人名の英字表記に添えられた発音表記や日本語におけるカタカナ表記はこのやや簡略化されたニスバ形容詞の読み方に沿ったものとなっています。
また口語・方言の会話ではこうした語末ののばす長母音「ī」は短母音の「i」になってしまい話し言葉的には [ tighnari ] [ ティグナリ ] という発音が珍しくないこと、英字表記では長母音を示す横棒をつけた Tighnarī ではなく Tighnari が多用されていることから、日本語表記で「ティグナリー」よりも「ティグナリ」のような書き方が広く用いられる一因となっています。
非限定形のニスバ形容詞と語末の格変化
上で挙げたものはいずれも休止形(ワクフ)と呼ばれる系統の発音で、実際のアラビア語の文中では語末に格を示す母音などが加わります。
アラビア語の名詞や形容詞は文中での働きに応じて主格、属格(≒所有格)、対格(≒目的格)の3種類に格変化します。ニスバ形容詞に関しては定冠詞がつかず他の語からの属格支配も何も受けていない状態では「格を示す母音+非限定形であることを示す子音 n」が語尾について回ります。
主格:
طِغْنَرِيٌّ
[ ṭighnariyyun / ṭighnarīyun ] [ ティグナリーユン ]
ティグナル村出身の(人が/は)
属格:
طِغْنَرِيٍّ
[ ṭighnariyyin / ṭighnarīyin ] [ ティグナリーイン ]
ティグナル村出身の(人の)
対格:
طِغْنَرِيًّا / طِغْنَرِيّاً
[ ṭighnariyyan / ṭighnarīyan ] [ ティグナリーヤン ]
ティグナル村出身の(人を)
*対格だけは語末に ا(アリフ)を書き足します。これは対格の時だけ休止形発音が [ ṭighnariyyā / ṭighnarīyā ] [ ティグナリーヤー ] となることに由来したものです。なおタンウィーン記号(ـً)を書く位置は上で示したように学説が分かれており2通り存在します。
定冠詞をつけ限定形に変える
フルネームに加える時は本人のファーストネームなどを形容詞修飾する形で後置するので、上の非限定形ニスバ形容詞から定冠詞を含んだ限定形に変えます。
アラビア語の定冠詞は اَلْ [ ’al- ] [ アル= ] ですが、ل [ l ] の直後に調音部位の近い子音が来ると同化を起こして発音が変化してしまいます。ティグナリーの場合は طِغْنَرِيّ [ ṭighnariyy / ṭighnarīy ] [ ティグナリー(ユ/イ) ] と1文字目の子音が定冠詞との発音同化を起こす ط「ṭ」(太陽文字)なので
اَلطِّغْنَرِيّ
◯ 正しい発音:[ ’aṭ-ṭighnariyy / ’aṭ-ṭighnarīy ] [ アッ=ティグナリー(ュ/ィ) ]
✕ 誤った発音:[ ’al-ṭighnariyy / ’al-ṭighnarīy ] [ アル=ティグナリー(ュ/ィ) ]
となります。
文中に置かれていない時の単独フルネームでは本人のファーストネームが主格なので、ニスバ形容詞をニスバの部分に置く場合は「定冠詞をつけて限定化する」「語末には主格を示す母音 u を足す」ことになります。
أَبُو عَبْدِ اللهِ مُحَمَّدُ بْنُ مَالِكٍ الْمُرِّيُّ الطِّغْنَرِيُّ الْغَرْنَاطِيُّ
学者名として単独でアッ=ティグナリーと言う時は休止形(ワクフ)発音の اَلطِّغْنَرِيّْ [ ’aṭ-ṭighnariyy / ’aṭ-ṭighnarīy ] [ アッ=ティグナリー(ュ/ィ) ] で構わないのですが、上のように前後に別のニスバがはさまっている状態で息継ぎ無しの一気読みをした場合、純文語的な発音では定冠詞先頭の [ ’a ] [ ア ] 音が落ちるので
الْمُرِّيُّ الطِّغْنَرِيُّ الْغَرْنَاطِيُّ
[ -ṭ-ṭighnarīyu- ] [ ・ッ=ティグナリーユ・ ]
に変わります。
限定形のニスバ形容詞と語末の格変化
非限定形の時と同様、定冠詞がついたニスバ形容詞は実際のアラビア語の文中では語末に格を示す母音が加わります。
アラビア語の名詞や形容詞は文中での働きに応じて主格、属格(≒所有格)、対格(≒目的格)の3種類に格変化します。アラビア語文を文語(フスハー)としてきっちり母音をつけながら読む場合はフルネームの前パーツに関してこの格変化部分を正しく読む必要があります。
ニスバ部分に関しては
主格:
اَلطِّغْنَرِيُّ
[ ’aṭ-ṭighnariyyu / ’aṭ-ṭighnarīyu ] [ ティグナリーユ ]
ティグナル村出身の(人が/は)
属格:
اَلطِّغْنَرِيِّ
[ ṭighnariyyi / ṭighnarīyi ] [ ティグナリーイ ]
ティグナル村出身の(人の)
対格:
اَلطِّغْنَرِيَّ
[ ṭighnariyya / ṭighnarīya ] [ ティグナリーヤ ]
ティグナル村出身の(人を)
*定冠詞がついて限定された時には対格でも語末に ا(アリフ)は書き足しません。
となります。また前後に別のニスバがはさまっている状態で息継ぎ無しの一気読みをした場合、純文語的な発音では定冠詞先頭の [ ’a ] [ ア ] 音を落として発音上の連結を行います。
フルネーム中での挙動をチェック
アラビア語文中に埋め込む場合はフルネーム全体の格が主格・属格・対格のどれになるかを確認し、各パーツが正しく格変化・語形変化できているかチェックを行います。
主格:
أَبُو عَبْدِ اللهِ مُحَمَّدُ بْنُ مَالِكٍ الْمُرِّيُّ الطِّغْنَرِيُّ الْغَرْنَاطِيُّ
[ ’abū ‘abdi-llāhi muḥammadu bnu mālikini-l-murrīyu-ṭ-ṭighnarīyu-l-gharnāṭīyu ]
[ アブー・アブディッラーヒ・ムハンマドゥ・ブヌ・マーリキニ・ル=ムッリーユ・ッ=ティグナリーユ・ル=ガルナーティーユ ]
属格:
أَبِي عَبْدِ اللهِ مُحَمَّدِ بْنِ مَالِكٍ الْمُرِّيِّ الطِّغْنَرِيِّ الْغَرْنَاطِيِّ
[ ’abī ‘abdi-llāhi muḥammadi bni mālikini-l-murrīyi-ṭ-ṭighnarīyi-l-gharnāṭīyi ]
[ アビー・アブディッラーヒ・ムハンマディ・ブニ・マーリキニ・ル=ムッリーイ・ッ=ティグナリーイ・ル=ガルナーティーイ ]
対格:
أَبِا عَبْدِ اللهِ مُحَمَّدَ بْنَ مَالِكٍ الْمُرِّيَّ الطِّغْنَرِيَّ الْغَرْنَاطِيَّ
[ ’abā ‘abdi-llāhi muḥammada bna mālikini-l-murrīya-ṭ-ṭighnarīya-l-gharnāṭīya ]
[ アバー・アブディッラーヒ・ムハンマダ・ブナ・マーリキニ・ル=ムッリーヤ・ッ=ティグナリーヤ・ル=ガルナーティーヤ ]
このような発音は日常会話では行いませんがTV・ラジオ番組も含めて文語度が高めな純フスハー的読み上げ方ではしばしば登場するので、必要な方は使い分け・読み分けができるようにしておく必要があるかと思います。
ニスバ形容詞の色々な発音
こうして定冠詞をつけたりしてできた形容詞語形のニスバですが、アラビア語に文語(フスハー)と口語(アーンミーヤ)があることから複数の発音が併存している状況となっています。
たとえば「アッ=ティグナリー」単独で農学者・植物学者の人名を言う場合は語末格母音「u」を落とした発音を行うのですが、
اَلطِّغْنَرِيّْ
純文語的休止形発音:[ ’aṭ-ṭighnariyy / ’aṭ-ṭighnarīy ] [ アッ=ティグナリー(ュ/ィ) ]
日常会話風休止形発音:[ ’aṭ-ṭighnarī ] [ アッ=ティグナリー ]
口語風語末短母音化発音:[ ’aṭ-ṭighnari ] [ アッ=ティグナリ ]
がそれぞれ使われているためどれが一つだけを正解として選ぶことはできませんが、一般的にはニスバのヤー(ナサブのヤー)である「yy」のうち最後の1字文を落とした「-iy」すなわち「-ī」音までを残した [ ’aṭ-ṭighnarī ] [ アッ=ティグナリー ] が標準として扱われています。
発音サンプル1:
発音サンプル2:
*音声ファイルとテキスト読み上げエンジンが違うだけで発音はどちらも [ ’aṭ-ṭighnarī ] [ アッ=ティグナリー ] です。
出身地由来のニスバ
地名由来ニスバの例
地名由来のニスバは上で紹介した手順によって作ります。「定冠詞+地名由来のニスバ形容詞」の限定形で前に置かれている人名を形容詞修飾しているニスバの例をもう少し挙げておきたいと思います。
*語末には基本となる主格の時の格母音「u」をつけてあります。
- فَارِسُ
[ fāris ] [ ファーリス ]
一般的英字表記:Faris
【固有名詞~国名・地名】ペルシア- فَارِسِيٌّ
[ fārisī(y) ] [ ファーリスィー(ュ/ィ) ]
【ニスバ形容詞~非限定】ペルシアの、ペルシア出身の
【名詞的として~男性・単数・非限定】ペルシア出身の人、ペルシア人- اَلْفَارِسِيُّ
[ ’al-fārisī(y) ] [ アル=ファーリスィー(ュ/ィ) ]
代表的英字表記:al-Farisi、Al-Farisi
標準的日本語表記:アル=ファーリスィー
【定冠詞+ニスバ形容詞】ペルシアの、(本人もしくは先祖が)ペルシア出身の
- اَلْفَارِسِيُّ
- فَارِسِيٌّ
- تُرْكٌ
[ turk ] [ トゥルク ]
【名詞(集合名詞)】(複数の)トルコ人、トルコ人たち
*さらにこの複数形 أَتْرَاكٌ [ ’atrāk ] [ アトラーク ](トルコ人たち、トルコ民族)も多用されている。- تُرْكِيٌّ
[ turkī(y) ] [ トゥルキー(ュ/ィ) ]
【ニスバ形容詞~非限定】トルコの、トルコ出身の
【名詞的として~男性・単数・非限定】(1人の)トルコ人、トルコの男
*集合名詞 تُرْكٌ [ turk ] [ トゥルク ](トルコ人たち)の1人分。集合名詞 رُوم [ rūm ] [ ルーム ](ローマ人)と رُومِيٌّ [ rūmī(y) ] [ ルーミー(ュ/ィ) ] ((1人の)ローマ人)と同じ対応関係。
【固有名詞~人名】トゥルキー
*アラビア半島の王族などに多い名前。昔トルコ人奴隷は美形で有名で少年少女時代から手元に置いていた時代の名残りで、美形・美男という意味でアラブ人の子供にも名付けるようになったという背景だとか。- اَلتُّرْكِيُّ
[ ’at-turkī(y) ] [ アッ=トゥルキー(ュ/ィ) ]
代表的英字表記:al-Turki、Al-Turki
標準的日本語表記:アッ=トゥルキー
*定冠詞の発音変化を反映させずアル=トゥルキーと書いてある日本語記事もあります。
【定冠詞+ニスバ形容詞】(本人もしくは先祖が)トルコ出身の
- اَلتُّرْكِيُّ
- تُرْكِيٌّ
- بُخَارَى
[ bukhārā ] [ ブハーラー ]
【固有名詞~地名】ブハラ *現ウズベキスタンの都市- بُخَارِيٌّ
[ bukhārī(y) ] [ ブハーリー(ュ/ィ) ]
【ニスバ形容詞~非限定】ブハラの、ブハラ出身の
【名詞的として~男性・単数・非限定】ブハラ出身の人、ブハラ人- اَلْبُخَارِيُّ
[ ’al-bukhārī(y) ] [ アル=ブハーリー(ュ/ィ) ]
代表的英字表記:al-Bukhari、Al-Bukhari
標準的日本語表記:アル=ブハーリー
【定冠詞+ニスバ形容詞】ブハラの、(本人もしくは先祖が)ブハラ出身の
- اَلْبُخَارِيُّ
- بُخَارِيٌّ
サウジアラビアのような国では、昔中央アジアや中東の他地域から移住してきて居着いた人達の末裔が元の出身地由来のニスバをフルネーム後半のファミリーネーム/ラストネーム相当パーツとしてに用いています。アル=ブハーリーもその典型例です。
定冠詞について
エジプトなど国によっては地名由来のニスバをラストネーム、ファミリーネーム代わりに使っているケースでは定冠詞抜きで名乗っていることもあります。
出身部族名由来のニスバ
部族社会の地域ではこの出身部族名由来のニスバを名乗っている人が非常に多いです。たとえばサウジアラビアやその周辺といったアラビア半島地域でポピュラーな出自の名乗りです。
部族名は族長・家長となった遠い祖先のファーストネームを冠していることが多いです。アラビア半島しかもイスラーム誕生以前のジャーヒリーヤ時代に生存した男性たちの名前だったりするので、現代のアラブ人の名前として有名なものとはまた違ったラインナップになっています。
部族名と部族名由来ニスバ形容詞の比較
アラビア半島周辺に多い部族の名前をいくつかピックアップしてみました。
*ニスバ形容詞のアラビア語表記語末には基本となる主格の時の格母音「u」をつけてあります。
- شَمَّر
[ shammar ] [ シャンマル ]
一般的英字表記:Shammar
標準的日本語カタカナ表記:シャンマル
【固有名詞~人名・部族名】シャンマル
*シャンマル族は父祖の名前シャンマルに由来する部族名。アラビア半島とその付近に子孫らが大勢居住する大部族。- شَمَّرِيٌّ
[ shammarī(y) ] [ シャンマリー(ュ/ィ) ]
【ニスバ形容詞~非限定】シャンマル族の、シャンマル族出身の
【名詞的として~男性・単数・非限定】シャンマル族の人、シャンマル族成員、シャンマル族の男- اَلشَّمَّرِيُّ
[ ’ash-shammarī(y) ] [ アッ=シャンマリー(ュ/ィ) ]
一般的英字表記:al-Shammari
標準的日本語カタカナ表記:アッ=シャンマリー
【定冠詞+ニスバ形容詞・限定】シャンマルの、シャンマル族出身の
- اَلشَّمَّرِيُّ
- شَمَّرِيٌّ
- مُطَيْر
[ muṭayr / muṭair ] [ ムタイル ]
一般的英字表記:Mutayr、Mutair
標準的日本語カタカナ表記:ムタイル
【固有名詞~人名・部族名】ムタイル
*ムタイルはサウジアラビア、クウェート、イラク近辺に居住する部族。男性名ムタイルが由来。- مُطَيْرِيٌّ
[ muṭayrī(y) / muṭairī(y) ] [ ムタイリー(ュ/ィ) ]
【ニスバ形容詞~非限定】ムタイル族の、ムタイル族出身の
【名詞的として~男性・単数・非限定】ムタイル族の人、ムタイル族成員、ムタイル族の男- اَلْمُطَيْرِيٌّ
[ ’al-muṭayrī(y) / ’al-muṭairī(y) ] [ アル=ムタイリー(ュ/ィ) ]
一般的英字表記:al-Mutayri、al-Mutairi
標準的日本語カタカナ表記:アル=ムタイリー
【定冠詞+ニスバ形容詞・限定】ムタイルの、ムタイル族出身の
- اَلْمُطَيْرِيٌّ
- مُطَيْرِيٌّ
- حَرْب
[ ḥarb ] [ ハルブ ]
一般的英字表記:Harb
標準的日本語カタカナ表記:ハルブ
【固有名詞~人名・部族名】ハルブ
*ハルブ族はアラビア半島内外に居住する大部族。父祖である男性の名前ハルブ(意味:戦、戦い、激しい戦いをする勇猛な男)が由来。- حَرْبِيٌّ
[ ḥarbī(y) ] [ ハルビー(ュ/ィ) ]
【ニスバ形容詞~非限定】ハルブ族の、ハルブ族出身の
【名詞的として~男性・単数・非限定】ハルブ族の人、ハルブ族成員、ハルブ族の男- اَلْحَرْبِيُّ
[ ’al-ḥarbī(y) ] [ アル=ハルビー(ュ/ィ) ]
一般的英字表記:al-Harbi
標準的日本語カタカナ表記:アル=ハルビー
【定冠詞+ニスバ形容詞・限定】ハルブの、ハルブ族出身の
- اَلْحَرْبِيُّ
- حَرْبِيٌّ
その他の出身部族由来ニスバの例
上の例で出てきた以外のニスバをいくつか挙げておきたいと思います。いずれもサウジアラビアなどのアラビア半島地域に居住する部族の名称です。
*ニスバ形容詞のアラビア語表記語末には基本となる主格の時の格母音「u」をつけてあります。
- اَلْقَحْطَانِيُّ
[ ’al-qaḥṭānī(y) ] [ アル=カフターニー(ュ/ィ)とアル=カハターニー(ュ/ィ)の中間のような発音 ](アル=カフターニー)
一般的英字表記:al-Qahtani、Al-Qahtani
標準的日本語カタカナ表記:アル=カフターニー
【定冠詞+ニスバ形容詞・限定】カフターン族(/カハターン族)の、カフターン族(/カハターン族)出身の - اَلزَّهْرَانِيُّ
[ ’az-zahrānī(y) ] [ アッ=ザフラーニー(ュ/ィ)とアッ=ザハラーニー(ュ/ィ)の中間のような発音 ]
一般的英字表記:al-Zahrani、 Al-Zahrani
標準的日本語カタカナ表記:アッ=ザフラーニー
【定冠詞+ニスバ形容詞・限定】ザフラーン族(ザハラーン族)族出身の - اَلْغَامِدِيُّ
[ ’al-ghamīdī(y) ] [ アル=ガーミディー(ュ/ィ) ]
一般的英字表記:al-Ghamidi、Al-Ghamidi
標準的日本語カタカナ表記:アル=ガーミディー
【定冠詞+ニスバ形容詞・限定】ガーミド族出身の - اَلدَّوْسَرِيُّ
[ ’ad-dawsarī(y) / ’ad-dausarī(y) ] [ アッ=ダウサリー(ュ/ィ) ]
文語発音時の一般的英字表記:al-Dawsari、Al-Dawsari、al-Dawsari、al-Dausari
文語発音時の標準的英字表記:アッ=ダウサリー
口語発音時の一般的英字表記:al-Dosari / Al-Dosari(アッ=ドーサリー)
*「aw」部分が表す二重母音 au が長母音 ō に転じた現地方言での口語的発音。
【定冠詞+ニスバ形容詞・限定】ダワースィル族出身の
*部族名とニスバ形容詞の語形が違うパターン。دَوْسَر [ dawsar / dausar ] [ ダウサル ] は「硬い石」「体が大きい・頑強な・激しく勇猛な獅子」「体の大きな(ラクダなどの)牡」「巨大な軍勢」といった意味合いの語で、こちらが部族成員1人当たりを示すニスバ形容詞の元になった名詞。دَوَاسِرُ [ dawāsir ] [ ダワースィル ] はその複数。ちなみに父祖となった家長の本名ではなく部族の元々の居住地域の慣習で通称が部族名化したものだとか。屈強・頑強な一族の男たちを形容した言葉が由来である模様。
部族系一家に生まれた兄弟姉妹のフルネーム~ファーストネームとニスバの組み合わせ例
昔と今では違うニスバ部分の男性形・女性形区別有無
アラブ諸国では昔のよう子と父の間を結ぶパーツとして働き父子関係を示す系譜表現ナサブ
- بْنُ
[ bnu ] [ ブヌ ]
主格の時の語形。意味は「~の息子◯◯」。英語では ibn、日本語ではイブンと言語の語形・発音とは違う形で表記する。
*主格は [ bnu ] [ ブヌ ]、属格は [ bni ] [ ブニ ]、対格は [ bna ] [ ブナ ]。 - بِنْتُ
[ bint(u) ] [ ビント(ゥ) ]
主格の時の語形。意味は「~の娘」。英語では bint、日本語ではビントが標準的な表記。
*主格は [ bintu ] [ ビントゥ ]、属格は [ binti ] [ ビンティ ]、対格は [ binta ] [ ビンタ ]。
はもはや廃れてしまい、一般人での名乗りでは使わなくなっています。古風なアラブ人のフルネーム・名乗りではニスバ部分が本人の名前を形容詞修飾しているとして性の一致を行うため、ニスバ部分が男性形と女性形に分かれるという違いがありました。
古い名乗り方式における部族名・地名由来ニスバの男性形・女性形使い分け
歴史上の人物についてはニスバ部分が男性形と女性形に分かれていることが一般的で、現代アラブ人のフルネームとは異なっています。
男性:
本人の名前・(イブン+父親の名前・)al-◯◯◯ī(y) [ アル=◯◯◯イー(ュ/ィ) ]
女性:
本人の名前・(ビント+父親の名前・)al-◯◯◯īya(h) [ アル=◯◯◯イーヤ(フ/ハ) ]
女性名では文法的にも女性扱いされる前方のファーストネームと後方に置かれる定冠詞つきニスバ形容詞との間で性の一致が行われ、男性形の女性化機能を持つ ة(ター・マルブータ)がついて語末の音が「◯◯イー」から「◯◯イーヤ」に変わります。
8世紀頃に現イラクのバスラで活躍したイスラーム神秘主義女性活動家のラービア・アル=アダウィーヤ(*日本では人名内の定冠詞を省略してラービア・アダウィーヤとする表記が多いです。)などもこのパターンです。
*発音やつづりの英字表記で「(h)」とかっこでくくってあるのは、ة(ター・マルブータ)がついている語末の読みが複数通りあり、文語発音では「h」に母音をつけずほんのり息を吐くようにして出す「◯◯イーヤフ」と「◯◯イーヤハ」の中間のように聞こえる読み方(休止法、ワクフ)があるためです。なお現代アラブ世界において通常はこの「h」は発音せず、手前の「a」音で終わりとし「◯◯イーヤ」が広く行われている読み方となっています。
本人の性別に関係無く男性形で統一する現代の部族名・地名由来ニスバ
アラブ世界ではファーストネームをラストネームを並べるだけの2パーツ型フルネーム اِسْم ثُنَائِيّ [ ’ism thunā’ī(y) ] [ イスム・スナーイー(ュ/ィ) ] が一般化しています。
こうした現代方式では「~の息子◯◯」「~の娘◯◯」のように父子の名前間を連結するナサブ形式もとらず、本人のファーストネームと家名相当のニスバを並べておしまいです。ニスバ形容詞部分は本人が男性であっても女性であっても全て男性形で統一されています。
男性:
本人の名前・al-◯◯◯ī(y) [ アル=◯◯◯イー(ュ/ィ) ]
女性:
本人の名前・al-◯◯◯ī(y) [ アル=◯◯◯イー(ュ/ィ) ]
公的書類に記入したりかしこまった席などで口にする時の3パーツ型フルネームでは「本人の名前・父の名前・祖父の名前」ではなく「本人の名前・父の名前・ニスバ」という風に席が埋まるので以下のようなフルネーム構成となります。
男性:
本人の名前・父の名前・al-◯◯◯ī(y) [ アル=◯◯◯イー(ュ/ィ) ]
女性:
本人の名前・父の名前・al-◯◯◯ī(y) [ アル=◯◯◯イー(ュ/ィ) ]
部族成員きょうだいの4パーツ型フルネーム例
アラブ世界で用いられている色々な長さのフルネームのうち اِسْم رُبَاعِيّ [ ’ism rubā‘ī(y) ] [ イスム・ルバーイー(ュ/ィ) ] は4パーツから構成される four-word names を指します。[ rubā‘ī(y) ] [ ルバーイー(ュ/ィ) ] は英語で quadrupleといった意味の語です。
普段の名乗りで使うことが少なく戸籍・ID登録といった公的な目的で主に使われており、日常的に用いられている現代アラブ人のフルネームとしては最も長い部類に属しています。
一家の男子:ムハンマド
مُحَمَّد سَالِم أَحْمَدُ الْحَرْبِيّ
現代風つなげ読み:[ muḥammad sālim ’aḥmadu-l-ḥarbī(y) ] [ ムハンマド・サーリム・アフマドゥ・ル=ハルビー(ュ/ィ) ]
区切り読み:[ muḥammad sālim ’aḥmad ’al-ḥarbī(y) ] [ ムハンマド・サーリム・アフマド・アル=ハルビー(ュ/ィ) ]
一般的英字表記:Muhammad Salim Ahmad al-Harbi
標準的日本語カタカナ表記:ムハンマド・サーリム・アフマド・アル=ハルビー
本人の名前(ファーストネーム、イスム)がムハンマド。父の名前がサーリム、祖父の名前がアフマド(/アハマド)。そして最後の4パーツ目に出身部族に由来するニスバを配置したものになります。
エジプトのように部族名も先祖の通称・職業名由来の家名も使わない国民が多い地域だと、最後の4パーツ目には曽祖父の名前が入ります。(しかし曽祖父の名前など暗記していない人も多く、4パーツ型フルネームを書けと言われても「何だっけ?」となることもあるとか。)
一家の女子:アーイシャ
عَائِشَة سَالِم أَحْمَد الْحَرْبِيّ
現代風つなげ読み:[ ‘ā’isha(h) sālim ’aḥmadu-l-ḥarbī(y) ] [ アーイシャ・サーリム・アフマドゥ・ル=ハルビー(ュ/ィ) ]
区切り読み:[ ‘ā’isha(h) sālim ’aḥmad ’al-ḥarbī(y) ] [ アーイシャ・サーリム・アフマド・アル=ハルビー(ュ/ィ) ]
一般的英字表記:Aishah Salim Ahmad al-Harbi、Aisha Salim Ahmad al-Harbi
標準的日本語カタカナ表記:アーイシャ・サーリム・アフマド・アル=ハルビー
歴史上有名なアラブ人女性の人名録方式フルネームとは違い、ニスバ部分は基本的に男性形となります。
また同じ父親の子供として生まれたきょうだいなので、ファーストネーム以降のパーツは全て共通となります。また、欧米スタイルを真似て通名的に改姓する例を除いて女性は結婚後もこのフルネームを保持します。
部族成員きょうだいの3パーツ型フルネーム例
アラブ世界で用いられている色々な長さのフルネームのうち اِسْم ثُلَاثِيّ [ ’ism thulāthī(y) ] [ イスム・スラースィー(ュ/ィ) ] は3パーツから構成される three-word names を指します。英訳として が挙げられていることも。スラースィー自体は英語で tripleといった意味合いの語になります。
先ほどの例で出てきた公的書類に記入したりかしこまった席などで口にする時の3パーツ型フルネームがこちらになります。
一家の男子:ムハンマド
مُحَمَّد سَالِم الْحَرْبِيّ
現代風つなげ読み:[ muḥammad sālimu-l-ḥarbī(y) ] [ ムハンマド・サーリム・ル=ハルビー(ュ/ィ) ]
区切り読み:[ muḥammad sālim ’al-ḥarbī(y) ] [ ムハンマド・サーリム・アル=ハルビー(ュ/ィ) ]
一般的英字表記:Muhammad Salim al-Harbi
標準的日本語カタカナ表記:ムハンマド・サーリム・アル=ハルビー
一家の女子:アーイシャ
عَائِشَة سَالِم الْحَرْبِيّ
現代風つなげ読み:[ ‘ā’isha(h) sālimu-l-ḥarbī(y) ] [ アーイシャ・サーリム・ル=ハルビー(ュ/ィ) ]
区切り読み:[ ‘ā’isha(h) sālim ’al-ḥarbī(y) ] [ アーイシャ・サーリム・アル=ハルビー(ュ/ィ) ]
一般的英字表記:Aishah Salim al-Harbi、Aisha Salim al-Harbi
標準的日本語カタカナ表記:アーイシャ・サーリム・アル=ハルビー
長い4パーツ型フルネームから祖父の名前を抜きます。
部族成員きょうだいの2パーツ型フルネーム例
アラブ世界で用いられている色々な長さのフルネームのうち اِسْم ثُلَاثِيّ [ ’ism thulāthī(y) ] [ イスム・スラースィー(ュ/ィ) ] と呼ばれる旧来の3パーツ型フルネーム(three-word names)の使用頻度は下がってきており、その代わりに اِسْم ثُنَائِيّ [ ’ism thunā’ī(y) ] [ イスム・スナーイー(ュ/ィ) ] という2個パーツ型フルネーム(two-word names)が台頭しています。
「イスム・スラースィーは?」と長い方のフルネームを聞かれない限り現代アラブ人が自分の名前を名乗る時に多用しているのがこちらになります。
欧米などにおけるファーストネーム+ラストネームの組み合わせに対応しているこちらの2パーツ型フルネームでは、最初にファーストネームとして自分の名前を出し、出身部族・ゆかりのある地名などを由来とするニスバを諸外国のラストネームもしくはファミリーネームと同等に置く形となっています。
一家の男子:ムハンマド
مُحَمَّد الْحَرْبِيّ
現代風つなげ読み:[ muḥammadu-l-ḥarbī(y) ] [ ムハンマドゥ・ル=ハルビー(ュ/ィ) ]
区切り読み:[ muḥammad ’al-ḥarbī(y) ] [ ムハンマド・アル=ハルビー(ュ/ィ) ]
一般的英字表記:Muhammad al-Harbi
標準的日本語カタカナ表記:ムハンマド・アル=ハルビー
一家の女子:アーイシャ
عَائِشَة الْحَرْبِيّ
現代風つなげ読み:[ ‘ā’isha-l-ḥarbī(y) ] [ アーイシャ・ル=ハルビー(ュ/ィ) ]
区切り読み:[ ‘ā’isha(h) ’al-ḥarbī(y) ] [ アーイシャ・アル=ハルビー(ュ/ィ) ]
一般的英字表記:Aishah al-Harbi、Aisha al-Harbi
標準的日本語カタカナ表記:アーイシャ・アル=ハルビー
女性形の女性名アーイシャ+定冠詞+ニスバ形容詞と並んでいますが、現代人の名乗りにおいては女性ファーストネームの直後にニスバが来ていても女性形容詞化して اَلْحَرْبِيَّة [ ’al-ḥarbīya(h) ]「アル=ハルビーヤ(フ/ハ) ] とすることはまず行われません。
ちなみにこのような2パーツ型フルネームを並べる場合、父親や祖父の名前が同じかどうか確認ができないので名前だけ並べても父母を同じくするきょうだいなのか、それとも千年以上前に枝分かれした同士の非常に遠くほぼ赤の他人に近い部族成員2人なのかわかりません。
フォーマルな長いフルネームで部族名由来ニスバが複数連なるケース
支族名由来のニスバ+大元の部族名由来のニスバ
サウジアラビアなどの現代アラブ人だと、2パーツ構成ではない丁寧バージョンなフルネームに出身部族由来の「al-◯◯ī(y)」(一般的英字表記:al-◯◯i)が2~3個ほど連なった
ファーストネーム + bnu/bin(ibn、イブン) + 父の名前+ al-△△ī + al-◇◇ī
◇部族△支族・分家出身であるところの、●●●の息子~
*文語における ibn(イブン)の主格時の正式な読みは بْنُ [ bnu ] [ ブヌ ] ですが英字表記ではibn、日本語表記ではイブンに置き換わっているのが普通です。なお [ bin ] [ ビン ] は方言における口語発音になります。
ファーストネーム + bnu/bin(ibn、イブン) + 父の名前+ al-△△ī + al-☆☆ī + al-◇◇ī
◇部族の☆支族のそのまた分家△家出身であるところの、●●●の息子~
などになっていることがあります。このような分家名・支族名・部族名ニスバを連続させるフルネームでは بْنُ [ bnu ] [ ブヌ ](ibn、イブン / bin、ビン)で父子の名前間をつないでいるナサブ形式になっている場合が多いですが無いケースも見かけます。
このような部族由来が複数並ぶ場合、
- 最初に来る al-△△ī が本人の所属している比較的小さく血縁関係が濃い同士の集団である分家枠由来のニスバ
- al-☆☆ī がその上流に位置する枝分経路となる支族の名前由来のニスバ
- 最後に来る al-◇◇ī がその元になった大部族枠由来のニスバ
となります。「al-◇◇ī」部分はイスラーム以前のジャーヒリーヤ時代、つまり今から千数百年前に共に過ごしていた祖先の一族を共有する子孫たちの集団が名乗るニスバとなっています。
◇部族 [ al-◇◇ī ]:イスラーム以前に共に過ごしていた遠い先祖一族
└☆支族 [ al-☆☆ī ]:中世~近代などに何度も枝分かれした支族名からピックアップ
└△家 [ al-△△ī ]:比較的最近に枝分かれした現在自分が直接属している支族・分家
またそうした大きな部族 قَبِيلَة [ qabīla(h) ] [ カビーラ(フ/ハ) ](部族)という単位の支族・分家が فَخِذ [ fakhidh ] [ ファヒズ ] と呼ばれており、公文書に関連した政府系ウェブサイトなどでは部族名称は اِسْمُ الْقَبِيلَةِ [ ’ismu-l-qabīla(h) ] [ イスム・ル=カビーラ(フ/ハ) ]、支族・部族分家名称は اِسْمُ الْفَخِذِ [ ’ismu-l-fakhidh ] [ イスム・ル=ファヒズ ] と記載されたりしています。
大部族という枠組みにもなると居住地域がアラビア半島内外に広がり数百万人規模のこともあるため、もっと枝分かれした先の支族が親しくない限りは成員同士に面識が無いこともしばしばです。
通常のニュース記事や本人が名乗るフルネームではまず見かけないタイプの部族名由来ニスバの複数同時表記ですが、部族イベントなどの看板やパンフレットがこの方式になっていることが多いという印象です。同じ部族でも分家が数多く存在するため支族同士の交流イベントでは枝分かれ過程を明示するような部族由来のニスバを連ねてどの系統の何支族・分家かわかるようにする、ということのようです。
こちらはサウジアラビアの هُذَيْل [ hudhayl/hudhail ] [ フザイル ] 族関係者が賓客を歓迎し自分たちが育てた馬をプレゼントしている場面です。アラブ諸国では高価なアラブ馬は賓客へのプレゼントや部族間調停・和解時の贈呈品として今でも活躍していますが、ここでも他支族出身のフザイル同胞である客人に純血アラブ馬を手渡しています。
背景の垂れ幕(看板)には中央付近に出迎えるホスト側・下に客人のフルネームが記載されているのですが、
- 迎える側:
本人のファーストネーム+支族名由来ニスバ+フザイル族名称由来ニスバ - 賓客側:
本人のファーストネーム+bnu / bin(ibn、イブンのこと)+父の名前+分家名由来ニスバ+支族名由来ニスバ+フザイル族名称由来ニスバ
といった具合に同じフザイル族でも支族・分家が違うようでフザイル族出身であることを示すニスバ اَلْهُذَلِيّ [ ’al-hudhalī(y) ] [ アル=フザリー(ュ/ィ) ] の前に別のニスバがついて識別できるようになっています。
- 迎える側:
السويهري الهذلي
文語風つなげ読み:[ アッ=スワイヒリーユ・ル=フザリー(ュ/ィ) ]
口語風つなげ読み:[ アッ=スワイヒリ・ル=フザリー ]
文語会話的区切り読み:[ アッ=スワイヒリー・アル=フザリー ]
【部族名由来ニスバ2個】フザイル族から枝分かれした السواهره/السواهرة 支族出身の - 賓客:
الفضلي الكبكبي الهذلي
文語風つなげ読み:[ アル=ファドリーユ・ル=カブカビーユ・ル=フザリー(ュ/ィ) ]
口語風つなげ読み:[ アル=ファドリ・ル=カブカビ・ル=フザリー ]
文語会話的区切り読み:[ アル=ファドリー・アル=カブカビー・アル=フザリー ]
【部族名由来ニスバ3個】フザイル族から枝分かれした كبكب 山居住の الكبكبيّ(もしくはالكباكبه/الكباكبة)支族・分家のさらに分家である فضل 家支族出身の
フザイル族はイスラーム以前のジャーヒリーヤ時代から名を知られた部族でしたが1400年以上前に既に支族・分家が複数あったとか。上の両名についてはフザイル族由来のニスバ「アル=フザリー」の手前までが違う通り分家同士としてはやや遠いようでフザイルの系統図を見るともう少し上流の時点で枝分かれしている模様です。
元となる大部族の枠組とその支族・分家に由来する各ニスバの問題
ハルブ族の例
Wikimedia Commonsのフリー画像に編集を加えたものです。ニスバ語尾部分の発音は日常会話・口語風読み上げ方法ベースとなっています。
こちらはアラビア半島最大級の大部族 حَرْب [ ḥarb ] [ ハルブ ] 族(ハルブ族については『アラブ家名辞典』を参照願います)の支族・分家系統図です。
作成者の名前は画像の左下に書かれているのですが、ラストネーム部分が
اَلْحَيْسُونِيّ الْحَرْبِيّ
文語風つなげ読み:[ アル=ハイスーニーユ・ル=ハルビー(ュ/ィ) ]
口語風つなげ読み:[ アル=ハイスーニ・ル=ハルビー ]
文語会話的区切り読み:[ ’al-ḥaysūnī(y)/-ḥaisūnī(y) ’al-ḥarbī(y) ] [ アル=ハイスーニー・アル=ハルビー ]
標準的日本語カタカナ表記:アル=ハイスーニー・アル=ハルビー
となっており部族名由来のニスバが2個連続しています。
部族の系統図に当方で書き込みをしてあるのですが、部族名由来のニスバを何個も並べる用法ではナサブの経路がわかるように枝分かれした地点の支族・分家名称をありったけ並べるという訳ではなく、必要な部分をピックアップして2~3個並べる形となっていることがわかります。
上のハルブ族関係表を作った人物も ハルブ>マスルーフ>バヌー・アッ=サファル>アル=ヒスナーンと枝分かれした先の分家出身なのですが途中経路であるマスルーフ、アッ=サファルの部分はフルネームには出てきておらず、ハルブの後の支族をいくつかスキップしアル=ヒスナーンの部分だけ拾ってニスバ形容詞化し定冠詞をつけた上でフルネームのニスバパーツ位置に入れています。
普段はこの長いフルネームのうちファーストネームに近い支族名や分家名由来のニスバ形容詞を使っていることも多い
こうした丁寧でフォーマルな感じのフルネームは普段使っている短く簡潔なものとは違って大元の部族名・枝分かれした支族名・自分が直接所属している分家名それぞれに由来するニスバがずらりと並べられている状態です。
◇部族 [ al-◇◇ī ]:イスラーム以前に共に過ごしていた遠い先祖一族
└☆支族 [ al-☆☆ī ]:中世~近代などに何度も枝分かれした支族名からピックアップ
└△家 [ al-△△ī ]:比較的最近に枝分かれした現在自分が直接属している支族・分家
一方現代アラブ人が多用しているのは2パーツしかない短いフルネームのため、部族名由来のニスバ「al-△△ī」「al-☆☆ī」「al-◇◇ī」なりからいずれか1つを選んで名乗る・表記することになります。
そのため部族・支族名に詳しくない外国人がラストネームを見ただけではその人が元をたどれば超有名大部族◇◇に連なる血筋なのだということはわからなかったりします。
上の分家・支族関係図を作った人物の名前を検索した時もそうだったのですが、
- 本人の名前+al-△△ī
- 本人の名前+al-◇◇ī
- 本人の名前+al-△△ī + al-◇◇ī
- 本人の名前+父の名前+ al-△△ī + al-◇◇ī
- 本人の名前+ibn/bin+父の名前+ al-△△ī + al-◇◇ī
といった何パターンもあるのに全部同じ人を指しているといった事態になります。
アラビア半島諸国チームのサッカー選手のフルネームなどがメディア報道によってまちまちとなる原因がまさにこれで、ある時には「ムハンマド・al-△△ī」またある時には「ムハンマド・al-◇◇ī」と書かれるなどその人の長いバージョンのフルネームを知らないとムハンマドという同名の別人だと勘違いしてしまう事態にもなりかねません。
アラブ人の人名で「どう考えても同一人物のことを言っているようなのにファーストネーム以降が全然違う。番号もポジションの同じはずなのにフルネームが違う。」という場合は同一人物だろうと思われる人のファーストネーム、違うそれぞれのラストネーム両方を含めて検索して一番長いフルネームを探し照合するのがおすすめです。
職業由来のニスバ
先祖の誰かがその仕事をしていて「~屋(の一家)」として有名になったり、もしくは一族の成員の何人かが家業として従事していて「~業をやっている一族」として有名になったりしてできた出自の名乗り方です。
レバノン周辺はこの「~屋」タイプのファミリーネームが多いです。
アラビア語の職業名
職業を表す語形
アラビア語では職業を表す語に特有の語形があります。
فَعَّالٌ [ ■a■■ā■ ]
普通の能動分詞よりも強調された意味を持ちます。大いに何かする人、いつも何かをしている人を指す語形で、職業・業者の名前もこの形をとることが多いです。
たとえば、فَعَّالٌ [ ■a■■ā■ ] の■部分に خُبْز [ khubz ][ フブズ ] (パン)と同じ語根を当てはめて خَبَّاز [ khabbāz ][ ハッバーズ ]とすると、「パン屋」という意味になります。
職業由来のニスバの色々
上で紹介した語形を持つ職業由来のニスバからまず見ていきたいと思います。
- بَوَّاب [ bawwāb ](バウワーブ)Bawwab、門番
- جَرَّاح [ jarrāḥ ](ジャッラーフ)Jarrah、外科医
- حَدَّاد [ ḥaddād ](ハッダード)Haddad、鍛冶屋
- زَيَّات [ zayyāt ](ザイヤート)Zayyat、油売り・油屋
- عَمَّار [ ‘ammār ](アンマール)Ammar、建築屋
- غَنّام [ ghannām ](ガンナーム)Ghannam、羊飼い
- نَجَّار [ najjār ](ナッジャール)Najjar、大工
その他の語形の職業名由来ニスバです。
- أَدِيب [ ’adīb ](アディーブ)Adib、文学者
- جُنْدِيّ [ jundī(y) ](ジュンディー)Jundi、兵士
- عَسْكَرِيّ [ ‘askarī(y) ](アスカリー)Askari、軍人
- فَاخُورِيّ [ fākhūrī(y) ](ファーフーリー)Fakhuri / Fakhouri / Fakhoury等、陶器職人・陶工
- قَبَّانَيّ [ qabbānī(y) ](カッバーニー)Qabbani、秤屋
表すトルコ語の-çiが由来の「ـجِيّ」[ -jī(y) ]
アラビア語にはオスマン朝時代に輸入された外来語が数多く残っています。一部の職業名についている「ـجِيّ」[ -jī(y) ](–ジー)がそれで、ジーがつく職業を祖先に持つ一族のファミリーネームとしても使われています。
厳密には ي [ y ] の部分には重子音記号のシャッダがついていて ـجِيّ [ -jī(y) ] [ -ジーュ/-ジーィ ] のような発音になると思うのですが、普段の発音や人名の英字表記では単なる「-jī」ですし発音も「-ジー」として覚えておくだけて構わないかと思います。
なお、jの音がgになるエジプト等ではjī(ジー)の部分がgī(ギー)と読まれます。ショルバギー、バルタギー/ベルタギーなどなど。
イラクは元のトルコ語と同じ「チ」の音で発音するため ـجي もしくは [ ch ] 音を示す文字を外国語から借りてきて ـچی とつづって [ chī ] [ チー ](厳密には口語で)と発音します。そのためイラク人の家名(ラストネーム)には「◯◯◯chi」の類が多めです。
- قَهْوَة [ qahwa(h) ](カフワ)コーヒー
- قَهْوَجِيّ [ qahwajī(y) ](カフワジー)
Qahwaji、コーヒー屋・カフェの主人
アラビア半島風発音に基づいたGahwaji、他にはjをgに差し替えたQahwagiといった英字表記も。
- قَهْوَجِيّ [ qahwajī(y) ](カフワジー)
- شُرْبَة [ shurba(h) ](シュルバ)スープ
- شُرْبَجِيّ [ shurbajī(y) ](シュルバジー)
Shurbaji → Shorbaji、スープ調理人
オスマン朝時代において軍の兵食調理責任者に与えられる階級の名前だったとか。ただのスープ調理人というよりは料理長的な立場だった模様。ちなみに口語での発音はuがoに変わってショルバジー。
口語風発音に基づいたal-Shorbajiや、エジプト風のel-Shorbagiといった英字表記も。
- شُرْبَجِيّ [ shurbajī(y) ](シュルバジー)
- شُورْبَة [ shūrba(h) ](シュールバ)スープ
- شُورْبَجِيّ [ shūrbajī(y) ](シュールバジー)
Shurbaji → Shorbaji、スープ調理人
上のつづり違い。口語での発音はショールバジー。
口語風発音に基づいたal-Shorbajiや、エジプト風のel-Shorbagiといった英字表記も。
- شُورْبَجِيّ [ shūrbajī(y) ](シュールバジー)
- بَلْطَة [ balṭa(h) ](バルタ)斧
- بَلْطَجِيّ [ balṭajī(y) ](バルタジー)
Baltaji、斧を使った仕事をする者;工兵;スルターン居城の警備人
他の兵士たちに先駆けて進軍し、斧を使って木々を切って道をひらいたり道中の邪魔な物を壊したりして回っていた職種。真っ先にやってきて破壊や乱暴を行っていたことから住民に怖がられていたのだとか。また粗暴でギャングのような者が多かったことから「バルタジー=ギャング・無法者」というもうひとつの意味が生まれたとのこと。
後にスルターンの居城を警備する職業(火災対応、女性らの移動中の警護等)を指す名称になったという。
口語風の発音だと [ beltajī ] になるので、英字表記もal-Beltajiもしくは エジプト風にel-Beltagiといったバージョンあり。
- بَلْطَجِيّ [ balṭajī(y) ](バルタジー)
- صَابُون [ ṣābūn ](サーブーン)石鹸
- صَابُونجِيّ [ ṣābūnjī(y) ](サーブーンジー)
Sabunji、石鹸屋
イラクのモースル近代化に尽力したファミリーの名前がal-Sabūnjī。
- صَابُونجِيّ [ ṣābūnjī(y) ](サーブーンジー)
職業由来のニスバと定冠詞「al-」
職業由来のニスバについては、語の先頭に定冠詞「al-」(アル)がついたりつかなかったりまちまちのようです。詳しいルールが判明次第追記したいと思います。
外国語圏におけるアラブ人名とニスバ表記
ニスバと英字表記
アラビア語の発音と一致しない部分を持つ英字表記
英語圏では al-Tighnari、Al-Tighnari という表記が多く使われています。
アラビア語通りの発音を示すための学術的な表記では下点や横棒などを使って al-Ṭighnarī、Al-Ṭighnarī などとなっていることもあるのですが、アラブ人名表記の標準的なルールの都合で定冠詞部分に発音同化が起こるケースも含め全て一律で「al-」「Al-」をつけてしまっているため、アラビア語文法を知らない方が英字表記を見ただけでアラビア語における本当の発音を言い当てることは困難となっています。
発音を示すためのラテン文字転写や発音記号を添えているケースでは実際には al-Tighnari、Al-Tighnari と書いて実は「アッ=ティグナリー」と読むことがわかるのですが、そうでない場合も多いためアラビア語でも「アル=ティグナリー」と読むものだと勘違いする方が続出する原因となっています。
また長母音を示す「ī」も通常の英字表記では「i」に置き換わってしまうので、本来の文語発音は語末が「イー」の音になっていることもアラビア語文法を知らないと見落としがちです。そのため英字表記 Tighnari を経由した日本語におけるカタカナ表記も「ティグナリー」ではなくアラビア語口語風の発音と重なる「ティグナリ」になりやすいです。
一般的英字表記:
al-Tighnari、Al-Tighnari
アラビア語での実際の発音:
◯ アッ=ティグナリー
△ アッ=ティグナリ
✕ アル=ティグナリー
✕ アル=ティグナリ
このようにアラブ人名の英字表記やラテン文字転写はアラビア語における実際の発音と一致しない場合があるので注意が必要です。
ニスバ形容詞語末の複数通りの英字表記
英字表記、ラテン文字表記は学術的なつづりに従っていないこともあり、語末の「ī」音もしくは「i」音を示すのにいくつかのパターンが使われています。
- ◯◯◯iyy(ニスバ形容詞の形成原理に則った非常に文語アラビア語的な英字表記。)
- ◯◯◯ī(通常の人名表記では使わないが専門書・百科事典類では多用されている。)
- ◯◯◯i(普通のアラブ系の名前表記で一番多いタイプ)
- ◯◯◯y(英語人名 Andy のように y で長母音「ī」を表現したもの)
- ◯◯◯ee(英単語 teeth のように ee で長母音「ī」を表現したもの)
定冠詞部分の色々な表記パターン
「定冠詞+ニスバ形容詞」の組み合わせでは定冠詞部分も複数通りのつづりが存在しています。ここではニスバ形容詞部分の語末はメジャーな「◯◯◯i」の場合を採用、定冠詞部分の違いのみ例示していきたいと思います。
定冠詞+Hで始まるニスバ形容詞英字表記「H◯◯i」の色々な英字表記パターン:
- 定冠詞語頭が小文字+「-」+大文字始まりのニスバ形容詞:al-H◯◯i
- 定冠詞語頭が大文字で「-」+大文字始まりのニスバ形容詞:Al-H◯◯i(ニスバ部分を単独で使う時などに多い形)
- 定冠詞語頭が小文字で「-」の代わりにスペース+大文字始まりのニスバ形容詞:al H◯◯i
- 定冠詞語頭が大文字で「-」の代わりにスペース+大文字始まりのニスバ形容詞:Al H◯◯i
- 定冠詞語頭が大文字+スペース無しで小文字始まりのニスバ形容詞:Alh◯◯i
- 定冠詞語頭が大文字+スペース無しで大文字始まりのニスバ形容詞:AlH◯◯i
といったつづりが混在していますがアラビア語でのつづりは全部同じです。
Al ◯◯◯表記だと解釈が2通りに分かれる
スペースありで「Al ◯◯◯」となっている場合、「◯◯◯」という意味のファミリーネーム表示と英字表記の上では全く同じになってしまい区別がつきません。
آل
[ ’āl ] [ アール ]
Al ◯◯◯
【名詞】(男性の)家族、子供たち;付き従う者たち、援助者たち
なのか定冠詞 اَلْ [ ’al- ] [ アル= ] なのかはフルネームとAlの直後に来る◯◯◯の品詞や語形から判断することになります。
基本的な目安はニスバ形容詞特有の「イー」音を示す部分が含まれているかどうかですが、ニスバ形容詞由来の家名だと語末に「イー」音を含むので◯◯◯部分がニスバとして前の人名を形容詞修飾しているのかそれともただの家名で(固有)名詞扱いなのか判断が難しいです。
Al Turki と英字表記されているアラブ人名パーツのカタカナ化パターン:
- اَلتُّرْكِيُّ
[ ’at-turkī(y) ] [ アッ=トゥルキー(ュ/ィ) ]
通常の英字表記:Al-Turki、Alturkiなど
アッ=トゥルキー
【定冠詞+ニスバ形容詞】トルコ系の、トルコ出身の - آلُ تُرْكِيٍّ
[ ’āl(u) turkī(y(in)) ] [ アール・トゥルキー(ィ) ]
通常の英字表記:Al Turki
アール・トゥルキー
【名詞+家長名】トゥルキー家
*男性名トゥルキーは「トルコ人」という意味のニスバ形容詞/名詞(*アラビア語では名詞と形容詞の区別はありません)です。昔トルコ人奴隷が美形揃いだったことからアラビア半島付近で好んでつけられていたもので、現代では王族メンバーに多い名前となっています。日本語カタカナ表記はトゥルキー、トゥルキ、トルキー、トルキ。
アラビア語発音に即したラテン文字転写と定冠詞語頭の声門閉鎖音/破裂音
当サイトでは定冠詞 اَلْ [ ’al- ] [ アル= ] の語頭がただの ا(アリフ)ではなくアリフを台座とした ء(ハムザ)であることを明示するために [ ’al- ] [ アル= ] という風に「’」(学術的な表記である「ʾ」の代用として使用)を表記しています。
しかし実際の発音を反映したアラブ人名のラテン文字転写・英字表記では定冠詞部分は単に「al-」とするのが普通です。
アラビア語において語中に来る短母音「a」はいわゆる /a/ ではきはきしゃきっと発音するのではないただの「ア」である一方、日本語などと同様文頭/語頭で「ア」と言う時には声門閉鎖→声門破裂を伴う元気いっぱいで勢いの良い「ア」つまりは /ʔa/ となり場合によっては「ッア」のように聞こえることがあります。
日本語ではどちらも「ア◯◯」「◯ア◯」と書いて終わりですが、アラビア語では語頭・語中・語末の全てにこの声門閉鎖音/声門破裂音が来るため /ʔa/(当サイトの表記は「’a」)と /a/(当サイトの表記は「a」)の違いを意識することがかなり重要になってきます。
学術的な表記や一般のアラブ人名表記では声門閉鎖音/声門破裂音の明示無しで「al-」となっていますが、携帯電話にアラビア語キーボードが無かった時代に普及したチャットアラビア語の影響からSNSのユーザーネーム等では語頭の声門閉鎖音/破裂音を数字の2に置き換えて定冠詞部分が「2al」という表記になっていることがしばしばあります。
SNSのID名などで「2al-harbi」「2al.harbi」「2alharbi」となっているのは全て اَلْحَرْبِيّ [ ’al-ḥarbī(y) ] [ アル=ハルビー(ュ/ィ) ] のことで、「2al」部分が一般的なニスバ表記の「al-」に相当します。
日本語におけるニスバのカタカナ表記
定冠詞部分のカタカナ表記のばらつき
日本の学術書・論文におけるアラブ人名表記では日常会話風休止形発音 [ ’aṭ-ṭighnarī ] [ アッ=ティグナリー ] に基づき「アッ=ティグナリー」とするのが普通です。
なお非学術的・一般的なカタカナ表記はもっとバリエーションがあり、
- 定冠詞と本体を「=」「=」で結ばないアッ・ティグナリー、アッティグナリー
- 定冠詞の発音同化を反映させず基本発音のままくっつけたアル=ティグナリー、アル・ティグナリー、アルティグナリー
- 語末長母音を短母音化したアッ=ティグナリ、アッ・ティグナリ、アッティグナリ、アル=ティグナリ、アル・ティグナリ、アルティグナリ
のように同じニスバ名であっても複数通りのつづりが混在する形となっています。
アラブ人名・地名から定冠詞を外してカタカナ化する慣習
しかし「アッ=」部分は定冠詞だということで専門的な文書でも省略して「アッ=ティグナリー」ではなく「ティグナリー」とのみすることが慣習化しています。英字表記では Al-Tighnari なのに日本語の記事でただのティグナリーに代わっているのもそのためです。
アラビア語では定冠詞は省略せず「アッ=ティグナリー」と読むのですが、日本のアラビア語・中東研究界隈で定着している慣習なので「ティグナリー」になる理由を把握しておく必要があるかと思います。
ニスバに関する様々な注意点
女性名とニスバの性
上の部族名由来ニスバに関する部分で一度紹介した女性ファーストネーム部分とニスバ形容詞部分との性の一致問題についてもう少し詳しく書いていきたいと思います。
女性の性に合わせる例
歴史上の人物だと普通に女性名部分に合わせてニスバに ة(ター・マルブータ)をつけて性を合わせていることがしばしばあります。いわゆる人名録方式のフルネームで見られるタイプです。
ニスバの部分を女性化すると英字表記のでの語末が -īyah(-iyyah)もしくは現代発音で「h」の落ちた -īya(-iyya)になります。
ُرَابِعَةُ بِنْتُ إِسْمَاعِيلَ الْعَدَوِيَّةُ الْبَصْرِيَّة
- 通常の息継ぎ無し一気読み:
[ rābi‘atu bintu ’ismā‘īla-l-‘adawīyatu-l-baṣrīya(h) ]
[ ラービアトゥ・ビントゥ・イスマーイーラ・ル=アダウィーヤトゥ・ル=バスリーヤ(フ/ハ) ] - 区切り読み:
[ rābi‘a(h) bint ’ismā‘īl ’al-‘adawīya(h) ’al-baṣrīya(h) ]
[ ラービア・ビント・イスマーイール・アル=アダウィーヤ・アル=バスリーヤ(フ/ハ) ]
Rābi‘a bint Ismā‘īl al-‘Adawīya al-Baṣrīya
ラービア・ビント・イスマーイール・アル=アダウィーヤ・アル=バスリーヤ
(バスラ出身アディー族出身であるところのイスマーイールの娘ラービア)
- اَلْعَدَوِيَّة
[ ’al-‘adawīya(h) ] [ アル=アダウィーヤ ] ♀
al-‘Adawīya
【定冠詞+形容詞女性形】بَنُو عَدِيٍّ [ banū ‘adī(y) ] [ バヌー・アディー(ィ) ](Banu Adi、バヌー・アディー(アディー族)出身の
*男性名 عَدِيّ [ ‘adī(y) ] [ アディー(ュ/ィ) ](敵に向かって真っ先に駆けていく戦士)はその部族の名前の由来になった父祖・家長の名前。 - اَلْبَصْرِيَّة
[ ’al-baṣrīya(h) ] [ アル=バスリーヤ ] ♀
al-Baṣrīya
【定冠詞+形容詞女性形】اَلْبَصْرَة [ ’al-baṣra(h) ] [ アル=バスラ ](バスラ)出身の
ニスバ部分は男性形のままな例(現代式)
しかし現代の女性名とニスバを見ると、性の一致でター・マルブータをつけることはしていません。今のアラブ人名では上のラービア・ビント・イスマーイール・アル=アダウィーヤ・アル=バスリーヤのようにせず、ニスバ部分は男性形のままとなります。
عَائِشَة سَالِم الْحَرْبِيّ
現代風一気読み:[ ‘ā’isha(h) sālimu-l-ḥarbī(y) ] [ アーイシャ・サーリム・ル=ハルビー ]
区切り読み:[ ‘ā’isha(h) sālim ’al-ḥarbī(y) ] [ アーイシャ・サーリム・アル=ハルビー ]
Aishah Salim al-Harbi / Aisha Salim al-Harbi
アーイシャ・サーリム・アル=ハルビー
(ハルブ族出身サーリムの娘アーイシャ)
عَائِشَةُ بِنْتُ سَالِمٍ الْحَرْبِيّ
口語風一気読み:[ ‘ā’isha(h) bint sālimi-l-ḥarbī(y) ] [ アーイシャ・ビント・サーリミ・ル=ハルビー ]
区切り読み:[ ‘ā’isha(h) bint sālim al-ḥarbī(y) ] [ アーイシャ・ビント・サーリム・アル=ハルビー ]
Aisha(h) bint Salim al-Harbi
アーイシャ・ビント・サーリム・アル=ハルビー
(ハルブ族出身サーリムの娘アーイシャ)
*王族ではありませんが娘本人と父の名前の間に bint をはさむかしこまった感じのフルネーム表記方法です。通常のアラブ人のフルネームではないものの、使われている事例は時々見かけることがあります。
عَائِشَة الْحَرْبِيّ
口語風一気読み:[ ‘ā’isha-l-ḥarbī(y) ] [ アーイシャ・ル=ハルビー ]
文語風一気読み:[ ‘ā’ishatu-l-ḥarbī(y) ] [ アーイシャトゥ・ル=ハルビー ]
区切り読み:[ ‘ā’isha(h) ’al-ḥarbī(y) ] [ アーイシャ・アル=ハルビー ]
Aisha(h) al-Harbi
アーイシャ・アル=ハルビー
*上のアーイシャは全部同じ人のフルネームです。最後のこの例では父親の名前を抜かして部族名由来の形容詞であるニスバ部分を置くだけのファーストネーム+ラストネーム方式です。
ニスバ形容詞部分が女性形と男性形との両パターンがある理由
この件に関するアラビア語専門フォーラム等におけるアラブ人同士の雑談・議論で確認してみたのですが、ネイティブ的には
- ニスバ形容詞部分が ة(ター・マルブータ)つきで女性形になっているケースでは女性のファーストネームに性を合わせている。
- ニスバ形容詞が男性形のままであるケースでは女性のファーストネームではなくフルネームに現れる父の名前・祖父の名前などに性を合わせている。
- 女性名の直後にニスバ形容詞が来る場合は ة(ター・マルブータ)つきの女性形にしても差し支えないが、フルネームの中で女性本人のファーストネームとニスバの間に男性である父の名前などがはさまった場合は男性形のままとするのが自然。
- 現代の2パーツのみタイプフルネームでは「女性ファーストネーム+al-ニスバ形容詞」だけを並べて名乗るが、伝統的な長いフルネームに含まれていた父や祖父の名前を省略しただけなので部族名由来のニスバ形容詞はその性に合わせて男性形のままとする。なので女性のファーストネーム直後に「定冠詞+ニスバ形容詞」が来ていても女性化の ة(ター・マルブータ)はつけない。
という認識があることがわかりました。アラブ人名のシステムの時代の経過とともに変化していくので、現代アラブ人名に関してはそうした認識で扱うのが良い模様です。
部族名由来のニスバが主流であるアラビア半島における特殊事例
ニスバが部族・分家名の変形ではなく居住地由来のケース
サウジアラビア最大部族ハルブ族の分家名を調べていた時に見かけたのですが、ハルブの系統に属する分家部族名とニスバの間に直接の関連性が無いパターンもあるようです。
- اَلْحِسْنَان
[ ’al-ḥisnān ] [ アル=ヒスナーン ]
アル=ヒスナーン族
*ハルブ族の支族・分家のひとつ。支族一覧表を見る限り正確にはハルブ→マスルーフ→バヌー・アッ=サファル→アル=ヒスナーンというつながりで分家の分家のまた分家といった位置づけのようです。支族の祖は حَسُّون [ ḥassūn ] [ ハッスーン ] という男性だとのことで、家長名と部族名とが一致していないパターンかと思います。 - اَلْحَيْسُونِيَّة
[ ’al-ḥaysūnīya(h)/’al-ḥaisūnīya(h) ] [ アル=ハイスーニーヤ ]
アル=ハイスーニーヤ(アル=ハサナーン族の居住地として知られた場所)-
- اَلْحَيْسُونِيّ
[ ’al-ḥaysūnī(y)/’al-ḥaisūnī(y) ] [ アル=ハイスーニー ]
al-Haysuni/Haisuniなど
アル=ハイスーニーヤの、アル=ハイスーニーヤ出身の
アル=ヒスナーン族の、アル=ヒスナーン族出身の
- اَلْحَيْسُونِيّ
-
通常はその人の出身部族を形容詞化して普段のフルネームでラストネーム的に名乗る訳ですが、このケースでは「アル=ヒスナーニー」ではなく「アル=ハイスーニー」という部族の拠点地域がニスバとして採用されています。
このように本人の帰属先部族名を見ただけではニスバ(ラストネーム部分)を必ず言い当てられるとは限らず、「アル=ハイスーニー」さんと呼ばれる人が”ハイスーン族”出身だと早合点してはいけないケースも少ないながら存在します。
同名部族でも血縁関係の違う部族だとニスバ部分が違うことも
ちなみにサウジアラビアには اَلْحِسْنَانِيّ [ ’al-ḥisnānī(y) ] [ アル=ヒスナーニー ] というニスバもあるのですが、ハルブ族の系統のアル=ヒスナーン族のニスバではなく اَلْجَحْدَلِيّ [ ’al-jaḥdalī(y) ] [ アル=ジャフダリー(発音としてはアル=ジャハダリー寄り)] という上のヒスナーン族とは系統の方の違う同名部族である اَلْحِسْنَان [ ’al-ḥisnān ] [ アル=ヒスナーン ](アル=ヒスナーン)族のニスバネームだとのこと。
自分や先祖の出自ではないニスバで知られているケース
歴史上の人物だと、自分自身や一族の出身地や出身部族ではないニスバで知られているケースがあります。
たとえばアッバース朝時代に活躍したアラビア語文法学者 أَبُو الْقَاسِمِ الزَّجَّاجِيّ [ ’abu-l-qāsimu-z-zajjājī(y) ] [ アブ・ル=カースィム・ッ=ザッジャージー ](アブー・アル=カースィム・アッ=ザッジャージー)はニハーヴァンド出身でしたが師事した人物のラストネーム اَلزَّجَّاج [ ’az-zajjāj ] [ アッ=ザッジャージュ ] にちなんでアッ=ザッジャージー(直訳は「アッ=ザッジャージュの」)と呼ばれるようになったのだとか。
歴史上の偉人として知られているアラブ人に関してはこのように師匠からニスバ部分をもらったケースが多いので、その人の本来の出自に関して詳しいプロフィールで確認する必要があります。
ナサブという父子関係を表す「◯◯・イブン・△△」(△△の息子◯◯)という表現でも△△部分に父親の名前ではなくそれをスキップして祖父の名前が来ることもあるなど、基本ルールとは異なる例外事例に注意が必要です。
現代ではラストネーム、ファミリーネーム相当として扱われることが多いニスバ
現代アラブ人はフルネームが非常に短く、本人の名前の後に父の名前や祖父の名前を一切並べず直せず出自表示を置いて西欧や日本のような「ファーストネーム+ラストネーム/ファミリーネーム」に対応した形式になっています。
現代においてもなお画一的な姓の制度が無いことから西欧における last name(ラストネーム)や family name(ファミリーネーム)、日本における姓・名字/苗字・家名と同等の扱いをされています。
昨今のアラブ諸国ではラストネームに相当する部分はニスバも含め「ラカブ」と呼ばれていることが多く、「ラカブ」という語が歴史的な人物のフルネームで用いる通称や称号という意味で使われていないこともあるので注意が必要です。
(2022年9月大幅修正)
pronunciation of al-Tighnari and Tighnari in Arabic
how to pronounce al-Tighnari and Tighnari in Arabic