- 『3日でおぼえるアラビア語』について
- 小池氏のアラビア語能力に関する議論に関して
- 小池氏の著書・動画から推察できるアラビア語能力の実像
- 小池氏が話すアラビア語の種類と過去動画
- カイロ大学に通うために必要なアラビア語能力とは?
- アラビア語を忘れるということについて
- 現在のカイロ大学カリキュラムと成績・卒業のシステム
- 検証記事・コンテンツに謎解説やアラビア語誤用が多い理由とは?
- 政治問題にからんで作られた解説という特殊な事情
- 正しい用例が誤用と判定されている部分が多いという問題
- “美味しい面会”は「良い会談」「歓談」というフスハー表現を間違いだと誤判定してしまったケース
- 形容詞ラズィーズにおけるフスハー発音とエジプト方言発音の違い
- 文語として正しい用法が”美味しい面会”として誤判定された原因とは?
- アラビア語諸学そのものが専門でない方だと、本人が間違いだと気付かないままリリースされる誤解説が多くなりがちという難しさ
- 検証者が手元に置いているアラビア語辞典の冊数や検証に用いる専門資料の数の問題
- 非ネイティブと文語アラビア語(フスハー)・口語アラビア語(アーンミーヤ)両立の問題
- ネイティブチェックの落とし穴
- 一般向け検証記事・動画をアラビア語学習教材代わりにすることのデメリット
- 最後に
- 過去の検証記事に関するメモ
『3日でおぼえるアラビア語』について
★★☆☆☆~★★★☆☆
つづりと連結の習得が大変で挫折の原因になるアラビア文字抜きで
実用会話をなるべく早く覚えたい駐在帯同予定者・渡航者向けの口語学習書
誤りがちょこちょこ混じっていることもあり語学参考書としては要注意
著者:小池 百合子
出版社:学生社
著者の方について
国会議員を経て東京都知事に就任された小池百合子氏の経歴はWikipedia等に詳しく書かれているのでそちらをご覧下さい。
小池氏は親御さんがエジプトのカイロで日本料理店(20年ほど営業)店長を務めておりかつてはエジプトに渡航する日本人によく知られた店舗でしたが、開業は小池氏の帰国後とのことで小池氏自身は1970年台前半に単身で留学し1976年末に帰国。アラビア語の通訳・翻訳業以外にも日本アラブ協会アラビア語教室の講師を務められていたそうで『3日でおぼえるアラビア語』にも講師時代のことが書かれています。
なお、現在のプロフィールではカイロ・アメリカン大学*でアラビア語の研修を受けた後でカイロ大学の文学部社会学科へ入学・卒業されたことになっている模様です。(いずれも大学公式サイトで修了生・卒業生と記載されたページが公開されるなどしています。)
*英語で授業が行われるアメリカ式の大学で、エジプトの富裕層子女が通うことで私立校として知られています。外国人のためのアラビア語教育に力を入れていることでも有名で、フスハーやエジプト方言の教科書・学習書を多数刊行。同大学が開催するアラビア語学習コースにも定評があります。
本の概要
版ごとの違い
学生社という東京都足立区にある出版社から出ている語学学習書『3日でおぼえる◯◯』シリーズのアラビア語バージョンです。第1版の初刷は1983年で、テレビ局のキャスターになってから書かれた本のようです。
アラビア語学習書としては2冊目で、1981年に語研から日本語訳+ラテン文字表記(英字表記)+一部アラビア語表記という形式の旅行会話集『ミニ通訳 海外旅行会話 アラビア語』が発売されています。
『3日でおぼえるアラビア語』は初版以降表紙の色・デザイン・プロフィールの掲載位置が異なっています。また経歴部分も定期的に変更になっているようで、大学卒業に関する箇所が修正されたり、議員就任後は現職としてその件が追記されたり、数バージョンがあるようです。
ただ本文自体は修正を入れた形跡は特に無いようです。私が買ったのは版を重ねてからのものでしたが、誤字などはそのままでした。
アラビア文字を使わないエジプト方言の学習書
かつて自身がアラブ協会でアラビア語講師をされていた時、難しい上に時間もかかるアラビア文字とフスハー文法の学習が原因で脱落者続出だったのに口語会話での簡単なレッスンに変えてから現地生活を控えた受講者達に喜ばれ途中で来なくなる人も減った、という実体験があったのだとか。
また『3日でおぼえるアラビア語』という出版社が設定した無茶な書名に少しでも近付ける必要があったことから、アラビア文字は使わず発音にもあまりこだわらず、気楽に誰もがアラブ世界で通じやすいエジプト方言を学べるように配慮するという趣旨の本にしたようです。
そのためアラビア文字の簡単な説明と文字表が巻末にありますが、書き順とかは載っていません。アラビア文字を使わずラテン文字(≒英字、ローマ字)のみの表記にするというのは昔から世界各国のアラビア語口語(現地方言)教育で採用されてきたスタイルで、本書もこれを踏襲しています。
この本がアラビア語方言学習書の基本スタイルである英字表記であることから「小池氏はアラビア文字が書けない」と誤解する方がいらっしゃるようなのですが、これはアラビア文字が覚えにくすぎて初学者の障害になるためと、口語方言には文語アラビア語に無い短母音e、oや長母音ē、ōが現れるせいで英字表記/ローマ字表記にしないとアラビア文字表記では厳密な発音が表せないためです。
ただこの本に先立って1981年に語研から発売された前著『ミニ通訳 海外旅行会話 アラビア語』は語彙集部分がアラビア語表記併記で、タイプライター打ちしたフスハーでの言い回しが添えられています。なので、小池氏はアラビア語が書かれた本と書かれていない本の両種類を刊行した経験があるということになります。
学習範囲
冒頭でアラビア語とはどのような言語なのかを紹介。その後、アラビア語にてにをはが無い話、名詞の性、定冠詞、挨拶、所有、数、動詞完了形・未完了形、كان(kāna, カーナ)、現地生活で使う会話集、と続きます。
内容的には普通のアラビア語初級学習書と似たようなカバー範囲です。
本当に3日で覚えられるのか?
『3日でおぼえるアラビア語』は小池氏が自分で決めたタイトルだと誤解されている方も結構いらっしゃると思うのですが、これは担当者から指示されたもので事前に決まっていた題名だったとか。
学生社が出したこのシリーズの会話学習書は全部同様の書名で『3日でおぼえるフランス語』、『3日でおぼえるドイツ語』、『3日でおぼえるイタリア語』、『3日でおぼえるスペイン語』、『3日でおぼえるトルコ語』、『3日でおぼえる中国語』などがあり基礎会話を学ぶコースとなっていますが、他の言語のバージョンに関しても「3日で覚えられる訳が無い」といったコメントが書かれていたりするので、単に出版社の発案の問題だったのでは…と思います。
小池氏も出版社から『3日でおぼえるアラビア語』というタイトルで売り出すことが決まっている本を書いてくれと頼まれた時にはネーミングに驚かれたようで、冒頭文ででは
本書のおそるべきタイトル |
と形容。この非現実的な題名を少しでも現実味を帯びたものにできるようアラビア文字は排除することにした、と説明されています。
実際の内容としては、エジプト方言既習者なら平日に少しずつ分けて読めば2~3日、週末に集中して読めばひょっとしたら1日で読み終えることができるかも…といった感じです。全く初めて勉強する場合はさすがに3日では無理で、1ヶ月かそれ以上かかっても不思議ではないです。
エジプト方言教本が希少だった頃のアラビア語学習書として
解説が話し言葉で書かれているのと、「君はもうアラビア語を使っているのダ」といった当時流行っていたであろうカタカナを多用した表現が多いのとで、昭和を感じさせる懐かしい感じの文章になっています。
大学専攻生向けの難しい学習書が多かった時代に「これからちょっとアラビア語でも初めてみようかな」という人のやる気をそがないようにと考慮されたとっつきやすい内容ということもあり、エジプト方言の参考書が十分流通していなかった時代にこの本で勉強された方も少なくないのではないでしょうか。
1980年頃というとエジプト方言の会話学習書は他にもあったのですが、田中四郎先生の『実用アラビア語会話』は初級には難しい既習者向け内容で泰流社の『アラビア語入門』は文法書のような体裁だったことから、『3日でおぼえるアラビア語』は当時珍しい存在だったと言えるかもしれません。
表記や誤字脱字について
発音が似ているものの異なる子音の区別はしていないタイプの表記方法
会話部分は英字でその上にカタカナでの読みガナがついています。LC方式のローマ字転写やIPA記号による表記ではありません。
س と ص は s、ح と ه は h、ز と ظ は z、ت と ط は t という風に似ているようで違う発音をするアラビア文字を同一の英字で書いてしまっているので、元のアラビア文字つづりやローマ字転写での本来の表記を知っていないと間違った音で発音してしまう原因になります。
通常アラビア語の教材は発音がまぎらわしい字を区別するために س はただの s として ص は下点を足して ṣ としたり大文字で S と書いたりして分けるのですが、本書はそれを珍しくしていません。
この点が、語学学習教科書としておすすめしづらい理由の一つとなっています。
耳で聞いて覚えたアラビア語によく起こる発音違いや l / r 混同などがある
アラビア文字の代わりにラテン文字(≒英字表記)が採用されているものの、アラビア語や口語アラビア語エジプト方言における発音を忠実に表現したものではなく、覚え間違いに起因する不正確な表記が複数含まれていました。
例としては
- クウェートの口語発音として el-kuwēt(エル=クウェート)とすべきところが w の抜けた al-kuēt となっている
- カイロ方言で発音の置き換わりとして声門閉鎖音化(ハムザ化)が起こり実際には「ア」「イ」「ウ」のような発音となる ق(q)に文語アラビア語発音である「カ」「キ」「ク」が当ててある
- 声門閉鎖音/声門破裂音である ء(ハムザ)部分が喉を引き締めて出す別の子音 ع(アイン)と混同され、قدّ إيه(アッド・エー, どのくらい)のハムザ化する q 部分がアインとして英字表記されている
- 母音が入らず子音のみの箇所(アラビア文字表記ならスクーン記号付きになっている部分)に挿入不要な母音がはさまっている
- テーブルが talabēza(実際は tarabēza)、「トルコの」が torqī(実際は torkī)、音楽が musīkā(実際は mūsīqā)、仕事が shoghor(実際は shoghl)と表記されるなどしており、r と l、k と q のように似ているものの区別すべき子音のペアが複数箇所で取り違えられている
- 重子音(アラビア文字表記でシャッダ記号がつく)していない部分が重子音として表記されており、魚 سمك が samakk(通常は samak)、نهارك が nahārakk(通常は nahārak)、「サッカー」という複合語の1語目の كرة が kurrat(通常は kurat)といった表記になっている
- 語形の都合で文語アラビア語準拠のアラビア文字表記としては長母音で読む部分が実際にはつまって短母音として発音される部分のラテン文字表記(≒英字表記)が長母音のままになっている
など語学学習目的で細かい部分を正確に覚えたい人には気になってしまうような誤りが多いように思います。
*なお سمك を samakk(通常は samak)、نهارك を nahārakk(通常は nahārak)と発音する件ですが、アラビア語は語末を子音で止める場合語形によっては1文字だけの k が重子音化して kk になるという読み方が実在するので、全くの間違いとは言い切れないかもしれません。
定冠詞に関する誤読・誤記
太陽文字と月文字の取り違え
定冠詞2文字目の l と発音同化を起こす定冠詞直後の子音(太陽文字)かどうかの判別が間違っていて、太陽文字が月文字扱いされて発音同化をしている、またその逆に月文字が太陽文字扱いされて発音同化しているという例が複数見られました。
例:
- الحمد لله の2語目がリッラーではなくリルラーになっている
- للإسكندرية がリルイスカンダリイヤやリルイスカンダレイヤではなくリッスカンダリーヤになっている
この発音同化をする/しないの取り違えは小池氏が有名政治家になられてから外交の場面で話されている時にも起こっているので、同氏の昔からのアラビア語の苦手分野だったものと思われます。
アラブ人はリッラーの ل(l)を月文字扱いしてリルラーと発音することはしないものの、フスハーとアーンミーヤでは ج(j)のように文語では月文字なのに太陽文字としての発音になっていたり、太陽文字の直前なはずなのに定冠詞をアッではなくアルで読んでいたりということが起こります。
そのため定冠詞直後の子音を同化させる/させないに関する間違いは、その人が常用している方言の影響なのかそれとも単に覚え間違いなのか区別しないといけないので、正確に検証するのは意外と難しかったりします。(誤用の検証者にフスハーとアーンミーヤそれぞれでの子音発音に関する言語学的な情報が必要となるため。)
不要な場所への定冠詞付加
また属格構文(≒所有格構文)の1語目で定冠詞が不要な部分への定冠詞付加もありました。
例:
- アラビア語を読んだり、書いたりすることはむずかしい
エル キラーア ウィ キターバ ル アラビー サアブ
el-qiráa wi kitāba el-‘árabī sá‘ab
*冒頭のel-は文法上削除する必要あり。
*サアブは文法上女性形のサアバにする必要があるかと。
それとは逆に、通常定冠詞がつく単語が無冠詞になっている例も見られました。
なお、この構文で定冠詞がつくかどうかというのは文語と口語で違いは特に無いです。文法書を使って学んだ日本人だと通常この部分は間違えないのですが、ネイティブだと要らない場所に定冠詞を書いてしまうというのはしばしばあることで、アラブメディアで見られる誤字脱字の典型例の一つとなっています。
特殊な語形の動詞活用違い
重子音動詞「حبّ」 [ ḥabb ] [ ハッブ ](愛する)の完了形の活用が間違っていました。
- 「私は愛した」hebbet(ヘッベットゥ)→ 実際は [ ḥabbēt ] [ ハッベート ]
- 「私たちは愛した」hebbnā(ヘッブナー)→ 実際は [ ḥabbēna ] [ ハッベーナ ]
- 「あなた(男)は愛した」hebbet(ヘッベットゥ)→ 実際は [ ḥabbēt ] [ ハッベート ]
- 「あなた(女は愛した)」hebbit(ヘッビットゥ)→ 実際は 実際は [ ḥabbēti ] [ ハッベーティ ]
- 「あなたがたは愛した」hebbū(ヘッブー)→ 実際は [ ḥabbēto ] [ ハッベートォ ]
となっているのですが、同じページの真横にある非重子音タイプの他の動詞については大きな活用間違いが無いことから、特殊な語形の動詞のみどのように活用するかというのを違う風に記憶されていた可能性が高かったものと思われます。
この語形の動詞はフスハーとアーンミーヤとで完了形の活用が異なり、「私は愛した」という場合フスハーでは حَبَبْتُ [ ḥababtu ] [ ハバブトゥ ] になる一方、エジプト方言やその他複数方言共通の現象として ي を足した حَبّيتْ [ ḥabbēt ] [ ハッベート ] になるという風に違いがあります。
これについては、小池氏はこの文語と口語の違いをはっきり把握されていなかったか、エジプト方言の日常会話で頻用されるこの動詞を耳で聞いて文語文法式の活用をあてはめてご自分なりに解釈されていた、といった可能性が考えられるかもしれません。
フスハー語彙とアーンミーヤ語彙の混在
『3日でおぼえるアラビア語 』自体は純エジプト方言の会話本ということになっていますが、定冠詞はアーンミーヤ発音の el- や il- にフスハーの al- が多数混じってしまっています。
また、エジプト方言として文語アラビア語(フスハー)とは違う発音や語形になっている語彙がフスハー語彙と入れ替わってしまっている例もあり、エジプト方言での قراية(イラーヤ, 読むこと)が قراءة (qiraa, キラーア)、私の妻 مراتي(ミラーティ)が文語語形を口語風発音した امراتي(imrātī, イムラーティー)、家族 عيلة(エイラ)が文語語形かつ読み間違いの عائلة(a‘aíla, アアーイラ, *正しくはアーイラ)になっているなど、文語アラビア語と口語アラビア語を十分に区別しきれていないことが原因と思われる箇所も見られました。
小池氏に関する検証記事では「文語アラビア語フスハーと口語アラビア語アーンミーヤを混ぜるなどあり得ず、汚いアラビア語だとされる*」といったアラビア語に関する実情とは全く異なる言説が流布している状況で、実際にはアラブ人はその場に応じてフスハーとアーンミーヤをミックスして使うということが広く行われています。
*フスハーとアーンミーヤを混ぜることなど決してないといった情報も日本人学習者たちの間でかなり昔に流通していた不正確な解説で、文語口語混合体の使用が盛んな現状を一切反映していない言説となっています。20、30年前よりも以前にアラビア語を学ばれた方に特に多い認識で、当時はフスハーとアーンミーヤを混ぜる混合体(中間体)の存在や意義なども教本や大学講義では教えられていませんでした。
ただフスハーとアーンミーヤとが混ざる現象については「どちらの技能もある程度あるがわざと混ぜているケース」と「両方の語彙や文法知識が十分揃っていないために混ざってしまうケース」とに分かれます。
『3日でおぼえるアラビア語 』については上記の特徴からするとおそらく後者のパターンに該当しており、外国人学習者向けのアラビア語教材が少なかった50年前に現地で生活をしながら耳でのリスニングと現地人との会話を通して覚える割合が高かった学習状況を反映しているように感じました。
『3日でおぼえるアラビア語』ゴーストライター執筆説について
この本について「小池氏はアラビア語が全くできないはずなので会話本が書けるはずはない」「ゴーストライターが書いたもので本人は一切執筆していない」と推測されている方もいらっしゃるようです。
しかし本に出てくる間違いとキャスター時代のアラビア語会話や政治家になられてからの外交スピーチ・現地TVインタビューでの誤用の特徴が複数の点において一致していること、『3日でおぼえるアラビア語』におけるアラビア語会話へのラテン文字に対する当て字(転写、翻字)方式が日本や欧米の大学でアラビア語教育を受けた人のそれではないことなどからすると、日本のアラビア語関係者ではなく本人が作られた可能性が高いように感じられます。
何かの本を勝手に和訳した丸写しといったことも特に無さそうで、Googleブックス等で会話フレーズを検索しても同じ表記の事例が全くヒットしないことからラテン文字表記(英字表記)も『3日でおぼえるアラビア語』オリジナル的なものなのでは、と思います。
ネイティブのエジプト人やエジプト方言に通じたアラビア語専攻出身者がしないタイプの誤字・誤読があることから第三者のゴーストライターが全て代行して書いたという可能性は極めて低く、むしろ小池氏が全体もしくは他の方の手伝いを受けながら大半を担当しご自身の記憶や教本を参考にしつつ執筆されたと推測させるような箇所が多いとの印象です。
もし仮に手伝ってくれた人がいたとしても、その人が本文を書いたのではなく口頭で内容を伝え小池氏が聞き取ってテキスト化したといった方法が取られた可能性を考える必要がある気がします。そのぐらい『3日でおぼえるアラビア語』には書いた人の誤用や癖が出ているので、全くの人任せにしたと断定するのは難しいです。
小池氏は語研からも似たような本『ミニ通訳 海外旅行会話 アラビア語』を出版されそちらはエジプト人が校閲したことになっているのですが、ラテン文字表記(英字表記)部分に『3日でおぼえるアラビア語』と全く同じような系統の誤用・特徴が散見され文字での筆記ではなく耳で聞いて覚える会話中心で学んだ外国人学習者に起きやすいタイプの誤字*があることから、『ミニ通訳 海外旅行会話 アラビア語』の方もエジプト人による修正は完全には入っておらず、両方とも当時の小池氏のアラビア語表記の癖のようなものが校訂から漏れそのまま刊行されたと考えるのが自然かもしれません。
*アラビア語専攻でアラビア語の文語(正則アラビア語、フスハー)から始めた人というのはアラビア文字でのつづりや発音記号がついた状態で本来の語形を正確に覚えさせられるため、似た音の混同、「s」1文字だけの場所を「ss」と重子音化するといった耳から覚えた時に起こる誤用というのをあまりしません。アラビア語というのは文語と口語に二分されていてどちらを中心にやるかは学習者次第なので、会話中心でやっている方が普段やらない作文をするとなるとその影響が出て過去の学習経験を反映したものになりやすいです。
昔からこの本はアラビア語使用者から間違いが多い本と評されることが多く、ゴーストライター説も特に出回っていなかったように記憶しています。ところが過去数年間にわたる落選運動を通じ小池氏のアラビア語が「元々あまり得意ではなかった」を通り越して「全然勉強していなかったので字も書けないし話せないまま、他人にカタカナの原稿を作ってもらって通訳をしていた」といった極端な評価に変化したことで、『3日でおぼえるアラビア語』代筆説が広まりだしたのかもしれません。
しかし管理人としては、アラビア語教育で有名なカイロ・アメリカン大学や欧米の大学出版が刊行した専門書でエジプト方言をやり込んだアラビア語専攻出身者やエジプトで方言コースを長期間履修したような人が書くのとは違う『3日でおぼえるアラビア語』に、小池氏の関与が実際にあったという可能性をかなり感じました。
感想
他の読者レビューを色々と読んだ上での個人的感想
小池氏は現地滞在中「120%エジプト人だね」と言われるほどにアーンミーヤ中心の生活を送っておられたのだとか。アラブメディアの取材でもフスハーではなくアーンミーヤにどっぷり浸かって過ごしたことをネタにされるなどしています。
通常外国人学習者が標準アラビア語(正則アラビア語、フスハー)とエジプト方言(口語、アーンミーヤ)の両方をマスターしたと称することができるレベルまで持っていくのは難しく、出版当時はエジプト方言の教科書も充実していなかったことから耳から覚えられた部分も多かったのではないかと思います。
誤字脱字や文字の取り違えなどが散見された本ですが、ネットで他の方が投稿された「1ページにつき1つずつ間違いがある」「間違いだらけ」といったレビューを書かれていたのを先に読んでいたこともあって、実際に目を通してみると巷で酷評されているほどではなかったかも…という感想を持ちました。
この本の初版は1983年とのことなので、留学終了・日本帰国から7年ほど経っている計算になるかと思います。管理人自身が実際に体験したのでよくわかるのですが、アラビア語も他の言語と同じくある程度仕事に使えるぐらいのレベルまで頑張って引き上げても全く使わず5年、10年と放置しておくと技能がすっかり衰え細かい文法事項なども思い出せなくなっていくものです。
そのため本書に散見される間違いも、ピーク時に当たる1976年頃に書かれていればある程度は少なかったのかもしれません。
ちょうどGoogleの書籍プレビューに出ていたので読んでみたのですが、『挑戦 小池百合子伝』によるとカイロ・アメリカン大学のアラビア語コースでは参加直後から新聞記事の読解といった課題を与えられ引く訓練をまだ受けていなかったアラビア語-英語辞典を片手に何とかするというハードなコースを進まれたとのこと。
『3日でおぼえるアラビア語』に子音字の区別や文法といった細かい部分での訂正箇所があるのも、初歩を駆け足でざっと確認してから後の段階にスキップするという習得過程だったことがある程度関係している可能性はあるかと思います。
アラビア語学習教材として
配偶者の現地駐在に帯同しなければならない日本人女性たちに合わせて行っていた突貫工事系メソッドだけあって、「アラビア文字の読み書きをやっている暇は無いものの会話は短期間で覚えないといけない」という層には好評だったようです。ネット上でも昔この本で学んだと書かれている方の投稿を複数回見かけました。
総合的に見ると、内容の正確性からして方言をきっちり学びたい人の教科書・文法書としては向いていないとは思います。小池氏のアラビア語会話本に興味のある方が参考程度に開かれるのが良いかもしれません。
今はエジプト方言アラビア語教育・翻訳専門の先生方が書かれた教本が複数あるので、他にも比較対象や選択肢が多数存在する現時点では★2.5(学習教材としての正確性+とっつきやすいエジプト方言学習書が希少だった時代に果たした一定の役割)相当の評価とさせていただきました。
間違いがあったり、駐在国の方言とは違ったりであまり役に立たないこともあったかもしれませんが、この本と通じる地域の範囲が広いエジプト方言にある程度助けられた方の数は決して少なくなかったと思います。アラビア語学習経験が全く無いのにどこかからか勝手に書き写して何も知らない読者たちからお金だけ取ろうとしたといった本にあるような悪意も特に見られず、アラビア語やアラブ文化について大きな嘘が書いてある訳でもないので、そうした部分は正当に評価されるべきだと思われます。
小池氏のアラビア語能力に関する議論に関して
ここからは管理人が考察という名を借りて語りたいことを延々と書き続けている部分になります。ひたすら長いので必要に応じてページ内検索か目次をご利用ください。
なお検証者の方々や小池氏ご本人を告発・批判しようという意図はありません。名誉毀損・誹謗中傷・上から目線でのマウンティング目的であるといった誤解や非難・晒し目的での拡散の無きようよろしくお願い申し上げます。
書籍レビューに当考察を加えた理由と検証記事の問題点
個人的には書籍レビュー以外の目的で他者の語学力や発音を細かく品定めするような行為は好きではないのですが、本件については誤情報があまりに多くアラビア語学習界への影響も決して小さくはないと判断。ネット上での吊し上げやサイト荒らしの恐怖に怯えつつも、色々と書かせていただくことにしました。
検証記事・コンテンツに多数含まれる誤った情報やアラビア語間違いについて
これまで選挙に合わせる形で小池氏のアラビア語能力を検証する記事・動画が度々リリースされてきました。特に2024年夏の都知事選では様々な新情報が登場しこれまで以上にフスハーといった用語がネットで飛び交ったように思います。
ところがそうした記事・コンテンツは専門家による徹底検証という名を借りたゴシップ記事に近いのが実情で、そのアラビア語間違いや脚色のせいで多数の誤情報が流布。検証者が自分のアラビア語間違いを小池氏のものだと勘違いして喧伝し、それを検証者本人と読者たちが小池氏のアラビア語間違いだと信じてバッシングするという奇妙な構図も生じてしまっています。
世間で多数引用されている小池氏アラビア語検証・告発については
- 小池氏のアラビア語能力が極めて低いという主張に合わせてアラビア語の基本情報が改変。専門用語を取り入れた二次創作に近く、アラビア語学や非ネイティブによるアラビア語習得という観点から正しいことはほぼ語られていない。
- 「文語と口語を混ぜたアラビア語など本来あり得ない」という独自設定のもと小池氏を批判していながらフスハーとアーンミーヤ区別ができておらず、検証者自身が両者を混交。フスハー表現をアーンミーヤ判定し、”正しいフスハーでの言い方”もアーンミーヤ混じりで訂正になっていない。
- 専門書・アラビア語ソースで確認した形跡が無く出所・根拠不明な憶測・断定が大半を占めている。専門家からの指摘を「信用できない」として排除しており訂正が行われないまま新たな類似記事が出されている。
- 検証者側で初級文法(定冠詞、男性/女性区別、格変化、関係代名詞、動詞活用、類似語形の区別)誤りや語彙・聴解・発音・和訳間違いが新規に多数発生。構文をとれていないことから誤訳や「何を言っているのかわからない」判定が出やすく書類や動画の不正確な解釈の原因になっている。専門家による徹底検証という体をなしておらず、「小池氏は本来こう言うべきだった」と示されている表現・文も間違っていたりする。
- 修正不要の箇所や検証者の誤解・誤用までもが小池氏の間違いと判定されている、動画や資料から読み取れない状況説明・考察・断定が多いなど、客観性・正確性・信頼性が確保されていない。
- 都知事選前の告発内容では、手書き文字や数字を読めていないといった検証者が依頼した”アラビア語専門家”の初歩的な誤りが詐称の重大証拠として置き換わっている。
という問題点があり、受け手はアラビア語に通じていないことを悪用されフィクション同然の解説を与えられた形になってしまっている、というのが正直な印象です。
悪評を求めていた層には「聞きたかった言葉を言ってくれた」「本当のことを教えてくれるのは検証・告発者だけ」と受けるであろう一方、専門家による詳しい解説と客観的評価を知りたい人々の期待と信頼には応えられておらず、フスハーやアーンミーヤというアラビア語学用語や前置詞といった文法用語を使っているために全くの誤った説明ながらアラビア語初学者までもが専門家の解説だと誤認して学んでしまう危険性も含んでいると感じました。
当考察作成の動機と趣旨
こうした記事やコンテンツがあることを初めて知った時には、専門家が勇気をもって明かした真情報として多くの方が信じてしまわれたことに驚くとともに、アラビア語を学ばれた方々がその学習歴を利用し徹底解説という形を取りながらも破茶滅茶なアラビア語情報を流布しておられること、アラビア語が目的のための道具に堕している様子にショックも受けました😢
それらがなぜ作られたのか、誤情報・誤用は意図的なのかそれともそうでないのか…謎が多いことから経緯と背景が気になってしまい、「本当のところはどうなのか?」を考察してみたのが以下の記事になります。
悪口や告発を書き散らしたい訳ではないのですが、アラビア語学専門家が決してしないような解説や間違いが検証記事・コンテンツの大半を占めているのは事実で、今回小池氏著書レビューへの書き足しを機に内容を確認した当方も困惑しています。普段このブログでは書かないようなきつい言葉や上から目線とも受け取られかねない感想はそのやるせない気持ちの暴発だということで大目に見ていただければ幸いです…
なお執筆にあたっては著書や動画を確認。語義は文語・口語各種辞書串刺し検索や実際の書籍・記事閲覧、カイロ大学の現行単位取得・卒業システムは公式サイト・学部規則や学生同士の情報交換投稿などを複数参照することで確認しました。
検証記事・コンテンツの誤った解説部分についてはその原因となった誤解・誤用を確認し意図的な改変と区別するため、作成者の方々の過去アラビア語関連記事・コンテンツを参照させていただきました。
「小池氏ができている部分を挙げる=悪者をかばっている」「小池氏ができていない部分を挙げる=真っ当な批判・正義・勇気をもって真実を明かしている」という図式を排除した上で、アラビア語文語・口語の性質と文法そしてネイティブや外国人学習者のアラビア語習得・誤用について学生時代から継続的に関心を持ってきた一個人として感想や「動画や著書などから判断できること/判断できないことの見分け方」を書かせていただいたつもりですが、長文考察が揚げ足取りに感じられるようであればここで閲覧を中止願います。
小池氏のアラビア語に関する評価が「全くできない」「極めて堪能」の両極端に分かれている理由
政治的な論争であるがゆえに不支持・支持意見ともにアラビア語に関してありのままが語られていないという問題
小池氏のアラビア語能力については、落選運動や反対派による政治的意図を含んだ評価が行われてきたことから「本当は全然話せない」「カタカナで書いた原稿を丸暗記していて意味を全く理解していない」「アラブ人には一切聞き取れない」のような都市伝説的な評価が独り歩きしてしまっているように見受けられます。
それらに反応して出されたのが「ネイティブ並み」「全く問題無し」「素晴らしい」といった反論ですが、これも無難な評価からは離れていることから酷評と絶賛との間の開きがありすぎてアラビア語のことを知らない受け手に「両極端に分かれていてさすがにおかしいのでは?」と思わせる原因になっています。
日本国内で小池氏のアラビア語能力に関する評価が大きく割れているのもそのためなのですが、選挙運動や政治家としての支持とは全く関係の無い立場からすると、「日本にアラビア語ができる方が少ないせいで、アラビア語がどういうものなのかという事実説明を変えてでも印象操作されていることに皆気付いていない」「フスハー文法に打ち込んだ感じがあまりしないにせよ、小池氏は明らかに学習経験者で外交スピーチは聞いて意味が理解できる範囲内」だというのが正直なところです。
以前から日本国内では小池氏のアラビア語能力がゼロに近いという反対派とその真逆でネイティブ並みだと太鼓判を押す支持者層とで中東関係者の一部が政治的に割れて半ば対立状態になっており、「どちらが正しい情報なのかわらかない」と多くの方が戸惑ってしまわれる原因になっているように感じます。
小池氏擁護記事は「昔も今もカイロ大学には卒業式が無い」といった具合に擁護をするために事実と違う反論を書いてしまっていることもあるのですが、アラビア語検証という名前を借りた中傷とは形が違うにせよ、事実を十分に調べずに書いているという点では同様に問題があると思われます。
これらは政治的な理由のためにありのままのアラビア語評価・カイロ大学事情解説から離れてしまっているために生じている混乱で、実際は支持活動とも落選活動とも無関係な層の率直な声「何を言っているかは普通にわかる」「自分で話せなくても音読補助用の発音記号がついたアラビア語原稿読み上げぐらいはできるのではないか」「エジプトやカイロ大学の事務なんてそんなもんだから日本人感覚のおかしい・怪しいは当てにならない」が比較的中立で妥当な評価だと言えるかもしれません。
「全くできない」「意味が通じない」「発音・文法・語彙も全部めちゃくちゃ」という評価について
小池氏が「その場でしゃべってくれ」と言われて応じないのもまた事実ですが、アラビア語能力が極めて乏しく本当は全く話せないし発音記号を全部つけたアラビア語の文章を一切読めないというのとも違うように思われます。
ただアラビア語をご存知ない方にとってはそういう微妙な判定ラインというのは極めてわかりにくいため、同氏のアラビア語能力に関する極めて厳しい判定が流布を続けることで「そういう意見が聞きたかった」「やっぱり全部嘘だったんだ」となってしまい、世間の評価が「アラビア語を全く覚えないでエジプトでバイトや遊びに興じていたらしい」で定まってしまいやすいのかもしれません。
「全くできない」「意味が通じない」「発音・文法・語彙も全部めちゃくちゃ」といった評価はアラビア語が一人の政治家に対する批判の道具になってしまっていることが原因で生み出されており、「アラビア語をたくさん勉強したそうだから検証者は正しいことを言っているだろう」という信頼や、小池氏の対応や政治家としての姿勢に対する疑問から生じる「アラビア語の件も全部嘘なのではないか」「若い頃にちょっとでもアラビア語ができたことすら作り話に違いない」という考えが過小評価の安易な受容に結びついてしまっている可能性が考えられます。
そもそも「アラビア語を勉強し仕事に使ったことがある人≠アラビア語の専門的解説ができる人」であり小池氏のアラビア語能力検証には相当な専門知識と労力が要るはずなのですが、現状ではアラビア語の文語-口語問題にあまり詳しくなく普段誤訳・誤読・誤聴をしている非アラビア語専攻の方が解説を実施されており、中級以上のアラビア語使用者であれば気付くような嘘松的なものや本来すべき評価とはかけ離れた揶揄・創作が多数盛り込まれたアラビア語能力検証結果が流布してしまっている状況です。
アラビア語経験者という肩書きを利用して事実ではないことを的確な指摘だと誤認させることは禁じ手に当たると思うのですが、小池氏告発においてはそうした禁じ手が多用されてしまっており、実際に過去6年分ほどの検証記事・動画を精査したところ誤った解説が正しい指摘の数を大幅に上回っていると感じました。
こうしたコンテンツが作られ続けまた訴えられず放置されていること自体にもガス抜きといった理由があり得るなど政治的な駆け引きが関係していて仕方が無いのだろうとは思うのですが、これでは「小池氏のアラビア語能力について本当のことを知りたい」という層の期待には応えられていないような気がします。
小池氏のアラビア語能力検証記事・コンテンツに専門家らが反論・批判する理由
小池氏のアラビア語を鑑定する記事やコンテンツに対してはこれまでにアラビア語の研究者、アラビア語の通訳、言語学の専門家、留学経験者、アラビア語専攻出身者、アラブ人と日本人を両親に持ちアラビア語を話す方たちから「ひどい」「嘘が書いてある」「どうしてそんな記事を書くのか訳がわからない」「批判ありきの解説」といったリアクションが寄せられてきました。
具体的な根拠を挙げて投稿した方たちには「小池氏をかばうのか」「大事なのはそんなアラビア語云々よりも卒業を詐称したかどうかだ」「小池陣営からお金をもらったのではないか」といった意見が向けられたりもしたようですが、管理人が見た限りでは反論・指摘の理由ほとんどが検証記事・コンテンツそのものの問題点に対する憤慨であったように見受けられました。
反論をしている中には小池氏の支持者やカイロ大学の関係者もおり「ちょっと擁護が過ぎるのでは」という意見も混ざっているなどそれらの意見が100%正しいとは言えませんが、過去数年にわたり公開されてきた検証・鑑定というのはアラビア語をある程度理解する人物として越えてはならない一線を越えてしまった感が強い記事・コンテンツであることから、指摘する人が現れない方がむしろおかしいのでは…という気もします🤔
ともあれ、「小池氏のアラビア語はカイロ大学を良好な成績で卒業したには明らかに足りなかったのではないか」と疑問を提示しつつも学術的にも十分納得させられる綿密な考察で追求していたのであれば、皆こんな反論はしなかったのではないでしょうか。
一般の読者・視聴者さんたちはアラビア語をご存じないのでアラビア語関係者たちがなぜ揃って怒っているのかはわかりにくく、「検証記事のアラビア語学的ないしは言語学全般にかかわるような間違い・不備を認める=小池氏を擁護し学歴問題・人柄・失政を容認する」になってしまう気がして検証記事・コンテンツや検証者を信頼・支持するという選択肢を選んでしまいやすいのかもしれません…
専門家やアラビア語話者が「こりゃひどい」と驚くような記事・コンテンツがこれまで無事にリリースを続けてこられたのも「アラビア語の知識を活かして正しい情報を詳細に伝えてくれている」という人々の信頼があったからこそだと思うのですが、そうした信用が悪用されてしまっているようにも感じられ、見ている側としては心を痛めている次第です😔
この件は多くの人が抱いているであろう「政治家・個人としての小池氏を信じられない」という気持ちが大きく影響しているため、アラビア語を理解する側も人々の中にある不信・嫌悪というものに配慮した上で検証記事・コンテンツの誤りや問題点を指摘することが求められると言えそうです。
小池氏動画を見たアラビア語話者やアラブ人が「結構しゃべれている」「なかなか上手」という評価をする理由
本当は言っていることが普通に聞き取れ意味も理解できる小池氏のアラビア語
有名な検証記事・コンテンツが小池氏のアラビア語間違いを誇張したり間違っていない部分まで間違いだとしてその下手さを極限まで強調したせいで「小池氏のアラビア語が上手だとか聞き取れるだとか絶対に嘘だ」と思われがちなだけで、リスニングがすごく苦手な方でない限り小池氏が何を言っているのか・伝えているのかはアラビア語を長年やっている人であれば普通に理解可能だというのは否定のしようがない事実だと思います。
YouTube動画のコメント欄でネイティブが「上手なアラビア語だ」と書き込んだり「SNSなどで「アラブ人の知り合いに動画を見せたら、よく話せてるし聞き取りやすいと言った」といった報告があったりするのは、本気でそう思ったから・本当にネイティブがそう感じたからだと解釈された方がいいかもしれません。
特に壇上で行われた小池氏の過去スピーチはアラブ人が原稿チェックをしているかもしれないこともあってか、意味が通るアラビア語になっており文法知識がある程度ある人でないと言えないようなフレーズも使われています。そのためアラビア語を日常的に使っているネイティブやアラビア語を長年学んできた方に「言い回しがこなれている」と思わせる要素がところどろこに見られます。
また動画では相手側のアラブ人の言っていることをどれぐらい聞き取り理解できているのかは判断できず、原稿が無い時は事前の丸暗記したかどうかはわからず何も見ずに自分で考えて話しているように見えることから、短いYouTube動画を見せた場合にはネイティブたちから「アラビア語をわかっている人」「上手く話せている」という感想が出やすいのだと思います。
アラブ人が日本人に「アラビア語が上手いね」と言ってくれるのはどんな理由から?
「ネイティブは多少下手でも頑張っている外国人学習者に「上手い」と言ってよくおだててくれる。小池氏アラビア語動画も、本当に上手い訳じゃないのにアラブ人はおべっかでほめているだけ。」と考える方も多くいらっしゃると思います。
ただここで注意しなければいけないのは、アラビア語は英語と違って「ネイティブの大半もフスハー会話が苦手」という点です。小池氏の外交スピーチは純フスハーか方言を混ぜてはいるもののかしこまったややフスハー寄りのミックスアラビア語が話されていますが、フスハーはアラブ人も日常生活で使っていないことから外国人学習者>ネイティブというスキルの高さの逆転現象が起きやすいです。
そのため単に日本人だから単に甘い評価をしてくれているだけというのとは違い、「ネイティブの自分よりも上手くフスハーを話せている」と感心しているというリアクションもあり得るのがアラビア語圏ならではの事情となっています。
さすがに「ネイティブ並み」「何ら問題は無い」というのは明らかに過度の称賛で擁護と見た方が良いとは思いますが、小池氏については原稿音読シーンだと言い間違いが少ない上に純フスハーないしはフスハー度合いが高めなので、動画を見たアラブ人から「なかなか上手い」といった好評価をされやすいと言えるかもしれません。
評価についてはネイティブに見せる動画がどれなのかにもよって変わってきます。ネットから削除されたキャスター時代の録画は小池氏歴代動画の中で際立ってスムーズな音読だったので「上手い」と評価されやすい一方、言い淀みや言い直しが多い原稿無しでの談話については「言っていることは意味が十分通じる」「話せていはいるが文法とかが間違っている」だったりと、アラブ人側からの「話せている」認定にも幅が出るものと思われます。
アラビア語能力評価をする側はネイティブからもらいたい評価に合わせて視聴させる動画を選び意図的に言い淀んでいるシーンばかり見せるとか逆にスラスラ原稿を読んでいるシーンばかり見せるとかすることも可能なので、検証の際にはスムーズに原稿を読んでいる動画から言い直しが多い動画まで何種類ものビデオを用いることが正確性確保の観点から求められるのではないでしょうか。
また、SNSなどに上がっている「アラブ人に見せたら小池氏のアラビア語はすごく上手いと言われた」といった投稿については動画を見せたアラブ人自身がフスハーをあまり得意としておらず正確な評価をできていない可能性もあるため、ネイティブからの好評価は「小池氏はアラビア語を全くできない」の否定にはなるものの「実はペラペラでカイロ大学卒業を疑う余地が無いぐらいに堪能だった」の証拠にまではならないので、注意が必要かもしれません。
検証記事ではネイティブたちの意見が揃って低評価である理由
これについては検証記事を書く際に小池氏のどんな動画を見せたのか、実際にはアラブ人がどのような返事をしたのかを録音音声ファイルなどで直接確認しないと何とも言えない気がします。
検証記事ではアラビア語に関する説明や正誤判定などが恣意的に操作されておりほぼ脚色で占められていて「フスハーとアーンミーヤが混ざるということは本来絶対に有り得ず、アラビア語を話しているだけで運用能力が極めて低いとばればれ。ネイティブも聞いて呆れている。」という架空設定が採用されていることから、ネイティブたちのコメントもそれに合わせて多少変えられている可能性が否めません。
そもそも、ストリートアラビックというのは市井で人々が話す全くの口語アラビア語(方言)でフスハーの要素が一切混じらないものを指します。
ところが下の『小池氏のアラビア語はこてこてなエジプト方言全開の純ストリートアラビックではない』などでも詳しく述べている通り、小池氏はエジプト方言特有のアクセントを文語アクセントに矯正してスピーチをしていたり、検証記事が指摘している通り文語と口語を混ぜたりしているため、ネイティブが聞いて「全くの口語アラビア語でエジプト方言丸出し」だと判定するほどの要素がそこまで無いというのが実情です。
「これではとてもカイロ大学の授業にはついていけなかったのではないか」と感想を述べる人が複数現れること自体はおかしくないのですが、検証記事はカイロ大学内規・カイロ大学告知・エジプト国内ニュースから個々の卒論執筆が課されているのではないと確認できるにもかかわらず「カイロ大学関係者が昔も今も(個々の)卒論執筆は義務だと言っている」としていたりと作為が加わっている感じがだいぶするのも事実です。
エジプト人同士は路上で小池氏のようなフスハーとエジプト方言のミックスアラビア語を使っている訳ではないのに全くのストリートアラビック判定が出されたという記述については、判定者にどの動画を見せたのか・どういう質問の仕方をしたのか・本当は英語なりアラビア語なりでどのように言ったのかを確かめない限りは「検証記事のネイティブたちの評価が本物かつプロの的確な意見で、ネット上で日本人たちが動画を見せてコメントをもらったアラブ人たちの評価がおかしい」という風には断定しない方が良いような気がします。
小池氏アラビア語検証記事・コンテンツがアラビア語学習者に与える影響
正しいかどうかとは関係無く人気を得て席巻するという現状
アラビア語の正しい解説を行っていない「惨憺たるアラビア語能力」「文法も語彙も全ておかしい」というイメージを盛りに盛った記事や動画に疑問を呈するアラビア語関係者の声は過去にネット上で複数投稿されたりもしたようですが、落選運動という大きなうねりの中で注目されることはなかったようです。
小池氏酷評記事・コンテンツは表現は悪いのですがアラビア語関連用語・設定を流用して作られたバッシング専用叩き棒のようななもので、中身自体はアラビア語学習者が絶対に真似したらいけないタイプの検証・考察だと言わざるを得ません。
アラビア語をある程度やり込んだ人間であれば複数の初歩的アラビア語誤り含まれており小池氏の動画も正確にリスニングできておらず誤訳もあることはすぐわかるのですが、一般の方やアラビア語学習年数が少ない方だと情報の正誤の判断はできないこともありネット上で信頼を得て次々に引用・転載されている状況です。
そういうこともあって「本当にそうなのか」が「小池氏を支持するか・支持しないか」「解説を信じたいか・信じたくないか」「その記述が小池氏擁護になるか・告発の役に立つか」といった問題に置き換わり、時には「堂々と断言すれば大衆は信じるし、反論があっても押し切って目的が達せられればよしとする」的になってしまったりもしているので、一連の議論からはアラビア語の本当の事情を知ることはほぼできないというのが正直なところです。
アラビア語経験はあるものの既に初級文法の忘却が起こり動詞活用や派生形などの基礎部分を間違えてしまわれている状態で専門家ではない方が不正確な考察をされ政治的理由で脚色が大半となっている記事・動画から事実部分を引き出してくるのはもはや困難なので、「アラビア語に詳しいらしい人たちの言葉なのでアラビア語の勉強にもなる」と教材にしてしまわないようくれぐれもご注意願います。
ネット・SNS全盛時代で入手が容易になった中東・アラビア語情報とその問題点
昨今出回っているアラビア語解説的な記事・コンテンツは販売部数や収益システムの関係もあってか正確性よりも注目度が重視され、速報性を優先することで綿密な下調べを経ずに作成者の誤認・アラビア語間違いをそのまま乗せて気軽に語ってしまっている誤情報満載系も多く、アラビア語学習者の方々に無料もしくは安価な正しい学びの機会を提供しているように見えてその学びの質を下げる障害になってしまっていることもあります。
アラビア語や中東研究の経験がある方だと攻撃材料にできるポイントを心得ており正しい情報に改変した情報を混ぜることもより巧みに行うことができてしまいます。本人が無意識に間違えている部分と意識的に改変した部分とが混ざって、アラビア語解説としては全く正確な情報提供になっていないにもかかわらず外見上は非常に真っ当に見える記事・コンテンツなども実際に出回っているように思います。
そうなってくるとアラビア語や中東研究の経験が浅い方たちは見抜くことができません。アラブ世界やアラビア語についてより正確な理解をすることで上達への近道を進まないといけない人にとっては非常に毒になるものであっても知らないうちに影響を受けてしまうという事態を引き起こす点については、コンテンツ作成者側のモラルが昔よりも問われる時代になってきているのかもしれません。
小池氏の著書・動画から推察できるアラビア語能力の実像
小池氏批判コンテンツや擁護コンテンツが流布しているせいで等身大の姿が語られてない小池氏のアラビア語運用能力について、アラビア語学や非ネイティブによるアラビア語習得という観点から一つずつ点検していってみたいと思います。
著書や動画から感じられるアラビア語学習経験の痕跡
過去にアラビア語を多少は学んだことは否定が難しい
有名な検証記事・動画は「小池氏が少しでもアラビア語ができたという要素は認めない」という方針なのか正しい部分も検証者氏自身の間違いも全部小池氏の間違いにしてしまっており、辻褄が合う部分も「怪しい」判定されたりと誇張が激しいだけで、小池氏が外交の場で使っているアラビア語は実際にはそこまでおかしくありません。
正直なところ、何の利害関係も先入観も無い管理人からすれば「昔アラビア語を学んだけれどもフスハー文法はあまり得意ではなかったらしい人物が、留学から40~50年経って忘れたこともあって苦労しながらも短いセンテンスを言ったり用意された原稿を読んだり暗記したりしてアラビア語スピーチをしている。」という風にしか見えないです。
フスハーとアーンミーヤを中級以上のレベルまで習得した方であれば、小池氏がフスハー文法の初歩部分にざっと目を通したことぐらいはあること、エジプトで多少のアラビア語を話しネイティブの会話を耳にしていたことが否定できない要素が一部動画に含まれていると感じるのでは、と管理人は思っています。
アラビア語を知らない人が絶対にやりそうなことを小池氏はしていないのにアラビア語未習者の方々に「小池氏は生涯にわたってアラビア語会話ができたことが一度も無い」「カタカナ原稿をただ読んでいるだけ」と思わせるためには、わざと誤ったアラビア語解説をしたり状況説明を自作して加えたりするしか手立てが無いというのが実情です。
「カイロ大学卒業を詐称をしているに違いないから、アラビア語ができるように見えるのも全部演技と嘘で、実力はゼロだ」と考える方もおられるかもしれませんが、それだと私情が入ってしまい客観的なアラビア語能力評価になっていないような気がします。
アクセントやイントネーションが合っている
アラビア語には専門家たちによって厳格に規定されたアクセントやイントネーションの文法はありませんが、ネイティブたちの間で共有された暗黙のルールというものがあります。
アラビア語では正則アラビア語とかフスハーと呼ばれる文語のアクセントとエジプト方言のアクセントがかなり違うのですが、小池氏は子音 ج を j ではなく g にするエジプト式フスハー発音と、エジプト式アクセントとは違う汎アラブフスハーアクセントという組み合わせを一貫して使っておりアクセントやイントネーションを間違えるということをしないので、自身で理解できているかネイティブとの事前練習で修正して頭に全部叩き込んでいるかのどちらかだと判断できます。
ただ丸暗記するにも限度というものがあり、色々な動画を見た限りでは「アラビア語経験がある」としか言えないです。
また言い間違った時に文法を思い出しながら修正を試みているシーンや間違えやすい語形を確認するため横にいる司会役に「この活用形で大丈夫?」的に聞いてる場面もあり、アラビア語フスハー文法には50年前に触れた事実がありある程度の基礎的誤用は「今変なことを言った気がする」「間違えたかもしれない」と自分で自覚して直そうとする能力も完全には失っていないらしいことがうかがえます。
語彙や内容の理解
外交スピーチの際にアラビア語で言えない部分を対応する英語で言い換えていることもあるので、話している内容の意味についても元々意味を知っているか事前のリハーサル時に英訳何かを併記した原稿で確認・把握しているのかのどちらかだという判断もできます。
話している様子からするとアラビア語通訳・翻訳者にカタカナで書いた原稿を渡されて意味もわからずに読み上げているだけで自力で考えて言っているシーンがゼロだとは到底見えず、本番前に原稿の意味を英語か日本語で確認して備えている可能性が高いものと思われます。これについてはアラビア語を忘れた時に同じ意味の英単語でその単語に代えて言う部分から推察可能です。
小池氏は壇上における間違いの無いアラビア語スピーチ音読と違い、何も見ずに話している時は複数形を間違えたりされているので、全くの丸暗記・完全コピーや人任せとは多少違っているような気がします。
著書や各種動画を一通り見て感じる印象
ネット動画には用意された原稿を音読したり暗記したりするのではない普通の会話をされている場面がほぼ含まれていないのでなんとも言えませんが、さすがに「全くできない」「アラビア語を勉強したことがない」と判定するのはアラビア語に関する情報を改変して話を作ったりしない限りは厳しいです。
小池氏の誤用や使うアラビア語の感じからすると、文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)文法については中級~上級になるまで長期間続けたということはおそらく無く、初級の基礎をざっとカバーした経験がありその後はすぐに本・記事を読むとか日常会話をするといった実用に移行し、文語文法を繰り返しやり直すということはされていなかったタイプのアラビア語既習者の傾向に近いと感じました。
小池氏はアラビア文字を書けるのか?
『3日でおぼえるアラビア語』はアラブ人との会話においてフスハーよりも親近感を与えやすいアーンミーヤの中でも特に汎用性が高いエジプト方言を学ぶコースですが、アラビア語講師としての経験からわざとアラビア文字学習部分を排除し英字表記(ローマ字表記)が採用されています。
そのため『3日でおぼえるアラビア語』という出版社が選んだ無理のあるタイトルと相まって「小池氏はアラビア文字を書くことすら覚束ない」と誤解されることも少なくないようなのですが、小池百合子氏の自筆アラビア文字は『3日でおぼえるアラビア語』をプレゼントされた舛添要一氏の回顧記事や同じく著書をもらった方のSNS投稿等で確認可能で、管理人も何種類かを目にしました。
舛添氏記事内では忍耐の重要性を説いた格言「الصبر جميل」(アッ=サブル・ジャミール)とプレゼントされた日の年月日が添えられており、SNSで個人の方が投稿されている写真では氏名がアラビア語で書かれているのですが、日本国内で学んだ方の特徴である英語のブロック体的な運筆とは異なり、アラブ人が字をつづる時の手書き書体に似ています。
*リンク先記事では「1983年7月1日」となっていますが、正しくは1983年6月1日です。アラビア語インド数字の6はアラビア数字の7にそっくりなので舛添要一氏の記事が書かれた際に取り違えられた模様です。
また津田塾大学同窓会のアラブ詩イベントでは「平和」を意味する السَّلام(アッ=サラーム、ـسـ の上のみ発音記号あり)と書いた色紙を贈呈。衆議院議員時代には「愛」を意味する الحب(アル=フッブ)を広島県名士書道墨行展に出展。
アラビア語既習者だと感じさせるような書き順・アラビア書道と同様の筆運び・文字の形状であることから、覚え違いをしていない限りはある程度アラビア語の単語を書くことはできるものと推察されます。(アラビア書道の基礎を知っている人特有の書き方なのは、日本帰国後キャスターや政治家になったことでアラビア語フレーズを入れた色紙を書く機会が増えて習ったためだとのこと。)
「繰り返し書く名前ぐらいは丸暗記すれば誰でも書ける」と考える方もいらっしゃるとは思うのですが、アラビア語をある程度学びネイティブの書くアラビア文字を普段から見ている人の目には「現地でアラビア語をやった人の字」「ある程度書き慣れている」と感じさせる筆跡なので「アラビア文字もろくに書けなかった」という判断は正直難しく、「アラビア文字を書くという基本部分はさすがにやったことがある」という判断になると思います。
ただ「文字が書ける、筆跡がかなりきれい=アラビア語の長い文章が書ける」ではないので、その部分は混同しないよう要注意かもしれません。
アラビア語は母音をつづりに含めない言語なのでネイティブでも筆記を苦手視しており、口で話しているアラビア語の文章を正しく表記できるようになるにはかなりのスキルが必要です。非ネイティブでも口語会話は得意なのに筆記になると誤字がかなり出るという方が時々います。
小池氏はアラビア語を読めるのか?
小池氏動画を見る限り、最も可能性が高いのは発音記号つきアラビア語原稿の使用
「小池氏は昔も今もアラビア語が全然できない」という話が発展して「カタカナ原稿を意味もわからず読んでいる」「もろにカタカナ発音でアラビア語の発音は一切できていない」という評価に結びついてしまいネットでもその意見が大勢的であるようです。
管理人は今回小池氏がアラビア語原稿を見ながらスピーチしている動画を探し回って全部リスニングしてみたのですが、その結果むしろカタカナ原稿を読んでいる可能性は低いと感じました。
おそらく「カタカナ発音だからアラビア語ができない証拠」「カタカナ原稿を暗記している」などは日本人発音やカタカナ発音が他人の語学力をディスる時の定番なので小池氏にもやっているだけで、実際の小池氏動画で見え隠れするアラビア語表記原稿音読時特有の読み違いを考慮に入れていないものだと言えるように思います。
「小池氏のスピーチ原稿はアラビア語である可能性が高い」の根拠ですが
- カタカナでは表せない文字を出せていることがある。
- アラビア語が全然できない人がカタカナ原稿をただ棒読みしているのと違い、アクセント位置やイントネーションが合っている。そういう芸当はアラビア語の経験があるか、吹き込んでもらった音声を繰り返し真似して丸暗記したかでないと困難。
- カタカナ原稿や英字表記(ラテン文字表記、ローマ字表記)の当て字なら間違えることが無いような、母音が文字に表れないアラビア語原稿を音読する時特有の母音付加間違い・言い間違いがある。
- 原稿音読ではなく暗記して臨んでいると思われる場面では、アラビア語が得意な他人が書いたカタカナ原稿や英字表記(ラテン文字表記、ローマ字表記)を丸暗記しているのなら起こらない文法間違いがあり、小池氏自身の文語アラビア語文法知識に引っ張られて複数形や男性形/女性形部分といった似たような箇所で発生している。
が挙げられ、以下のような具体例からそのような結論に至った次第です。
アラビア語原稿を音読している時に起きやすい母音違いの発生とは?
こちらは2019年4月16日に開催されアラブ諸国の大使らが勢揃いしたセレモニーでのアラビア語スピーチです。小池氏は原稿を見ながら話しているのですが、その原稿をアラブ人かプロに全部書いてもらったと仮定した場合カタカナや英字(ラテン文字、ローマ字)ではなくアラビア語の原稿なのではと感じさせる箇所がいくつか含まれていました。
意味:~にもかかわらず
カタカナ表記:(文語発音)ラグマ、(口語風発音)ラグム、ラガム等
英字表記:(文語発音)raghma、(口語風発音)raghm、ragham等
発音記号無しのアラビア語表記:رغم(r◯gh△m◇)*◯/△/◇には自分で考えて母音a/i/uを補う
発音記号ありのアラビア語表記:(文語発音)رَغْمَ(口語風発音)رَغْمْ / رَغَمْ 等
小池氏の実際の発音:ラガム
小池氏は「ラガム」と発音している部分はもしアラビア語専門家が書いてくれたカタカナや英字表記原稿だったのならば通常「ラグマ」や「ラグム」で読まれる語です。ラガムという母音違いパターンはネイティブが口語風発音をする時にしばしば聞かれる読み方で、ニュース番組などで耳にすることも多いです。
「全くの誤読でアラビア語もできない人の読み間違い」かというとそうでもなく、本や辞書による学習よりもネイティブの発音を聞く割合が高い人に起きやすい読み方だと言えます。
意味:関係
カタカナ表記:(文語発音)アラーカート(口語風発音)イラーカート
英字表記:(文語発音)‘alāqāt、(口語風発音)‘ilāqāt
発音記号無しのアラビア語表記:علاقات(‘◯lāqāt)*◯には自分で考えて母音a/i/uを補う
発音記号ありのアラビア語表記:(文語発音)عَلَاقَات、(口語風発音)عِلَاقَات
小池氏の実際の発音(1):アラーカート(文語発音)
小池氏の実際の発音(2):イラーカート(口語発音)
「日本とアラブ諸国との関係」といった表現として登場する名詞「関係」の複数形については、原稿の中でフスハー発音で通せばアラーカートになるのですが、小池氏はフスハー発音のアラーカートとエジプト人がフスハー会話をする時に混ぜ込みやすい口語発音のイラーカートの2通りの発音を行っています。
*フスハーとして会話・音読する時もアラーカートをイラーカートと読むエジプト人などは実際にかなりいて、日本で過去に発売されたアラビア語教本の音声教材でも聞いたことがあったように記憶しています。なので小池氏がネイティブでもやらないような読み違いをした訳ではないです。よくも悪くもエジプト人が話しているアラビア語をそのまま聞いて覚えてしまわれたのだと思います。アラブの若者とかでこういう部分を全部矯正して正しくほぼ完璧に音読できるのはフスハーの知識がかなりあるタイプで、数としては少数派です。
こうした発音の揺れはアラビア文字表記や原稿をあまり見ずに話者が頭の中で考えながら話す時に起きやすく、アラビア語で原稿を作った人が間違えて全部 عَلَاقَات(アラーカート)で統一するところを一部自分が普段やっているアーンミーヤ発音の عِلَاقَات(イラーカート)と読める発音記号(母音記号)を書き込んでしまったか、原稿では عَلَاقَات(アラーカート)なのにエジプト方言発音の عِلَاقَات(イラーカート)に慣れている小池氏が発音記号通りにせずに普段の癖でイラーカートと1箇所読んだかのどちらかだと推察できます。
アラビア語を職業にしているネイティブでもアラビア語専攻でなければ発音記号を間違えてアラーカートとイラーカートの2通りつけてしまうということをする可能性はありますが、フスハー経験が長く文法に強い日本人だとネイティブとは違い口語発音イラーカートを混ぜ込むような原稿を作ることはあまりしません。
アラビア語専攻出身で文法的な読み間違いをしないフスハーマスターのような日本人が正確なカタカナ表記や英字表記を併記してくれていたら上の動画のような「アラビア語表記としては間違っていないけれども微妙に母音が違っている」という読み方にはならないため、小池氏が少し違う音読をしたり読み直したりしている様子を見る限り「アラビア文字表記の原稿を読んでいる」「おそらく原稿はアラブ人が監修している」という判断が最も妥当であるように思います。
ただしアラブ人名についてはアラビア語表記ではなく英字表記っぽい発音をされていることが多いので、名刺なり資料なりに書かれている該当人物フルネームの英字表記で確認されているのかもしれません。
アラビア語原稿と発音記号の話、ネイティブ的なアラビア語の要素
2022年3月19日に東京都知事として新型コロナウイルスに注意喚起を行った時のアラビア語動画です。
字幕ではアラブ人向けの文章ではなく、アラビア語を読めない外国人学習者向けの体裁である「全部の文字に発音記号を書き込んで読み間違いをしないようにする」という発音記号(母音記号)つき表記となっています。
عَلَيْنَا إِيقَافُ تَفَشِّي فَيْرُوسْ كُورُونَا وَلَيْسَ اَلْأَنْشِطَةَ الْاِجْتِمَاعِيَّةْ. خُذُوا اَللِّقَاحْ وَ اِرْتَدُوا اَلْكَمَّامَاتْ. أَرْجُوا مِنْكُمْ اَلْاِسْتِمْرَارَ فِي اِتِّخَاذِ إِجْرَاءَاتِ اَلْوِقَايَة وَحِمَايَةِ أَنْفُسِكُمْ وَالْأَشْخَاصْ مِنْ حَوْلِكُمْ مِنَ الْإِصَابَةِ بِالْفَيْرُوسْ. |
管理人はこの文章を見た時に、発音記号(母音記号)の付加方法にネイティブのアラブ人っぽさが出ているように感じました。その根拠としては
- الْأَشْخَاصْ のように格変化を表す語末母音などを省く簡略化日常会話風フスハーの時の語末にスクーン記号(ــْـ)を書くという行為はフスハーだけを学んだ日本人はやらず、ネイティブのアラブ人が常用するスタイル。
- خُذُوا اَللِّقَاحْ [ フズー・アッ=リカーフ ] のように本来のフスハー文法での発音 خُذُوا اللِّقَاحْ [ フズ・ッ=リカーフ ] にせず、短母音化するはずの長母音をそのまま「フズー」と伸ばし、発音されずに読み飛ばす定冠詞「アッ=」部分の「ア」を読んで「アッ=リカーフ」のままとする、というスタイルは昨今のネイティブのアラブ人がよくやるメディアアラビア語的な読み方で、フスハー文法を専攻した日本人はあまりやらない。
- كَمَّامَاتْ [ カンマーマート ] は本来文語発音は كِمَامَاتْ [ キマーマート ] で、ネイティブのアラブ人はフスハーのニュースなどでもアーンミーヤ発音のカンマーマートを使う人がかなり多い。
が挙げられるのですが、日本人が話したり書いたりするアラビア語とアラブ人のそれの違いや、ネイティブがよくやるフスハー文法違反的な要素が字幕に多数含まれていることで「これはアラブ人が書いた原稿では」と強く感じさせるように思います。
新型コロナ動画ではアラビア語のかすれた音 خ(kh)を出したり、喉のところを狭くして出す擦れた音 ح(ḥ)をカタカナの「フ」や「ハ」のように余計な母音を足さずに子音だけ読んで止めたりということをやっているのが聞き取れます。
これはカタカナ原稿などでは表現できない部分なので、やはり小池氏アラビア語スピーチの原稿自体はアラビア語で書かれておりアラビア語のプロが関わっているとしたら本文を書くのと発音記号(母音記号)をつけるところまでで、小池氏はその原稿をそのまま音読している、という可能性が一番高いのではないかという気がします。
カタカナや英字(ラテン文字、ローマ字)メインの原稿だったらこんな風に読み間違えたり言い直したりしないのですが、もし仮にふりガナ的なものがあるとすれば、アラビア語のプロがアラビア語原稿を作ってくれた後に小池氏が自分でメモのように書き入れるといったタイミングで入っていると考えるような感じの音読だとの印象です。そうでないと些細な読み違いの説明がつかないです。
「発音記号がついたアラビア語原稿を読める=新聞や学術書も理解・音読できる」ではない
アラビア語の発音記号(母音記号)というのはイスラーム(イスラム教)の聖典クルアーン(コーラン)を読み間違えないようにと開発されたもので、非アラブの信徒たちはアラビア文字の発音と発音記号(母音記号)をつけた時の読み上げ方法を学ぶことにより、アラビア語の文章の意味を理解していなくても自分の宗教の聖典を音読できるようになります。
東京都の新型コロナウイルス警戒呼びかけビデオの字幕ではほぼ全部の文字に発音記号(母音記号)が書いてありましたが、こうすることで極力読み間違いをせずより正確なアラビア語音読に近付けることが可能となっています。
そのため外交スピーチやこうした原稿ありの音読からは、記号が何も書いていない普通の本を読んで意味を理解できるとかスラスラ音読できるといった技能を推し量ることはできません。ただ、母音記号がついたアラビア語の文章を読み間違えずに音読していくというのはある程度練習が要るので、もしできていたとしたら全くの初心者よりも技能は上だと判断することになるかと思います。
ちなみに普通の本の音読ですが、本の全部の文章が ggrks みたいな書き方になっており自分で全部考えながら補って gugurekasu(ググレカス)と音読しなければいけないため、フスハー能力が決して完璧ではない人が多いアラブ諸国のネイティブたちも苦手意識を持っていたりします。
アラビア語能力検証として小池氏に普通の専門書を渡して黙読ではなく音読させるというのはカイロ大学での卒業実態確認には直接関係無い上に、ネイティブや多くの中東・アラブ研究者たちですら得意ではないことなので、アラビア語能力証明方法としては過大要求に当たると言えるかもしれません。
発音記号(母音記号)ゼロのアラビア語文の読み上げについては小池氏アラビア語検証記事・コンテンツを作られた方々もかなり誤読をされていて、卒業証明書の解説の部分で格変化や語形をかなり違う風にカタカナ表記したり読まれたりしている箇所がかなり多いことから、フスハーばかりをやっていたのとは違うタイプのアラビア語既習者で、学生時代に文法学習をしてからは繰り返しの頻繁な復習はされずに実生活・実務や研究活動の手段としてアラビア語を使ってきた方の特徴が出ているとの印象を持ちました。
アラブ人たちはニュースのフスハーですら格変化の母音を除去して楽をするという読み方をしてしまっているため、格変化を間違わずに記事を書いたり音読したりといったことはアラビア語を第二外国語などとして勉強した後に資料購読や日常会話をしたりテレビ番組を聞いたりするだけでは身に付かないスキルとなっています。検証記事・コンテンツ作成者の方たちは基礎文法に加えこの部分をよく間違えておられることから、格変化ありの音読などを長い間されていない可能性が高いです。
日本人で補助記号無しのアラビア語文を語末母音を省かずしかも文法的に正しく完璧に音読できる方は数えるぐらいしかおられないと思うのですが、おそらく堅めのフスハーとの付き合いが欠かせない現地宗教大学出身のイスラーム活動家や文語詩など特定ジャンルのアラブ文学専攻で大学でもアラビア語を教えている方などに限られるのではないでしょうか…
「小池氏にアラビア語の本を渡して音読させよう。完璧にフスハーとして全ての母音記号を間違わずに音読できなければカイロ大学を卒業できなかったと証明できる。」といった言説がもし出てきたら社会学科を卒業したようなネイティブでも間違えることがあるような要求に当たるため、アラビア語能力検定や卒業事実の確認手段としては不適切である点に注意が必要だと思われます。
小池氏はアラビア語を話せるのか?
言っていること自体は聞き取れる・理解できる小池氏の外交・公務時アラビア語スピーチ
小池氏のYouTubeとFacebook上にアップされているアラビア語会話シーン入り動画ビデオを一通り見たのですが「何を言っているのかわからない」という動画はありませんでした。
検証記事・コンテンツは小池氏批判を展開するために「意味不明なアラビア語」「言っていることがわからない」を過度に強調したせいで「検証者側がリスニングできていない、文法・語彙間違えているだけなのでは?」と受け取られるいう弊害が逆に出てしまっているぐらいで、実際にはどの動画も言いたいことが理解でき、アラブ人側とのやり取りも形式上ではあれ成立しているような仕上がりになっています。
というのも小池氏の場合外交・公務場面ではその多くがネイティブ作成原稿を元に談話している可能性を感じさせる語彙を多数用いたアラビア語会話をされているので構文・語順といった土台そのものは合っており、カタカナ風発音だったり単数/複数や男性/女性が多少違ったりしていても言いたいことは全部理解できる仕組みになっているためです。
なお単語を言っているだけのシーンはリビアのカダフィ(アル=カッザーフィー/アル=ガッダーフィー)大佐に任天堂ゲーム機Wiiをプレゼントした際のフリートークぐらいでした。(その後にアラビア語スピーチをしている様子が映っているので、単語を連呼して会談が終わった訳ではないです。)
各国で撮影された動画では、小池氏が要人ということもあってどの相手も小池氏の外交スピーチが終わるまで聞いて待っているので小池氏も用意されていた原稿の中身は言い切っているように見受けられるため、検証記事における印象操作が原因で「アラビア語で何も言えていない」「中身がほぼゼロ」とされている談話もちゃんと全訳するとそれなりの文字数にはなり、要点は一応伝達されている形となっています。
小池氏は簡単な基礎会話はできるのか?
小池氏に関してはワールドビジネスサテライト(WBS)をリアルタイムで見ていた方たちが「イラク大使を呼んでアラビア語で話していた様子からはとてもアラビア語が全くできない人には見えなかった」「フスハーメインで話していたのを覚えている」といった回顧をしていたり、アラブ関係イベントに参加した人たちが「通訳無しでアラブ人たちとやり取りしていた」といった報告をしたりしていることから、外交で求められるようなフスハー演説は苦手でも、5年近くエジプトに住んでいただけあってある程度の基礎会話自体は元々できていた可能性があるものと思われます。
AP通信がYouTubeで配信しているシリア人難民キャンプ視察動画(撮影は約10年前)では欧米通信社による取材ということもあり主な会話もインタビューも英語で行っているのですが、アラビア語で「あなたたちはシリアのどこ地域出身なんですか?」「あなたはどこ出身?」と聞いているシーンについては言い淀みも無く楽そうに話しているのがわかります。
フスハーを話せない人たちでも理解できるアーンミーヤを使った語りかけで、普段の外交スピーチと違いいわゆる日常会話に分類される内容です。必要なアラビア語表現を随行員に聞いて事前に確認したという可能性もあり得るとはいえ、女の子にエジプト方言風に「あなたはどこ出身なの?(エンティ・ミン・エーン?)」と言ってからシリア方言風の「どこ出身(ミン・ウェーン)?」と言い直すなど、フスハーの時よりもスムーズに余裕をもって言えているように見受けられます。(ものすごく簡単なフレーズだからということもあるとは思いますが…)
*この時男性が「あなたはアラビア語を話せるんですか?彼らのうちの誰かと話してはいかがですか?」と持ちかけていますが、動画にはその後どういうやり取りになったのかまでは収録されていまません。
エジプトの放送局が海外で活躍するエジプト出身者として小池氏のロングインタビューを行った際には主に日本語で対応していたのですが、途中カイロ大学社会学科卒業生としてエジプトについての感想を聞かれアラビア語で答えるシーン(36:18頃~)があります。
ここでは相手のややかしこまったエジプト方言会話に合わせ普段の外交シーンに比べるとエジプト方言の比率が高くなっており、仮に事前に用意されたフレーズで練習済みだったとしても、外遊の時のフスハー寄りの発話よりも話すのが多少楽そうに見えます。
途中で一度斜め先に目線が向いておりその際にカンペを確認した可能性は否定しきれませんが、取材者のエジプト方言に対しエジプト方言で返事をするのは外交アラビア語スピーチよりも小池氏にとってはハードルが低いこと、「自分はナイルの水を飲んだのだから、将来またカイロに戻ることでしょう。」というエジプト人相手に何度か使ったことがあったであろう定番フレーズであることから、多少考えながらであっても締めの決めぜりふとして言えていた、といった感じだったのかもしれません。
これらの情報を総合すると
- 番組や外交では誰かが手伝ってくれている可能性があるものの、全然アラビア語ができない人のしゃべり方ではない
- 自著でも書かれていた通り、昔からフスハーよりも方言の方がだいぶ楽そうに見える
- 日常生活でも使いそうなごく簡単な基礎会話なら卒後だいぶ経っている今でも言うことはできそうに見受けられる
- 「昔も今もアラビア語をしゃべれたことが全く無い」「アラビア語能力はゼロなのにあたかも多少話せるかのように皆を完璧に騙してきた」というのは現地在住歴が長かったこと考えるとさすがに違うのでは(そもそも告発記事も当初はショッピングなどの日常会話はできるという設定で、全く話せたことが無いという極端なものではなかったかと)
といった判断が妥当なのではと思います。
小池氏はフスハー文法は得意なのか?
『3日でおぼえるアラビア語』のレビューのところで書きましたが、文法の言い間違いからするとフスハーの文法をみっちり1~2年やった方とは違っており、口頭での会話メインで覚えた方の特徴がだいぶ出ているとの印象です。
『挑戦 小池百合子伝』には日本にいる時にアラビア語の参考書を買って勉強し始めたもののエジプトに行って勉強せざるを得なくなってから取り組むのがいいと考え直し中断した、と書かれています。
通常日本人学習者は日本語の参考書で基礎文法を一通り学ぶのが最も効率が良く、英語で学ぶ場合は文法用語などを別途覚えないといけないので遠回りになることが多く、アラビア語で学ぶ場合は先生が言っていることの意味がわからない状況に陥りやすいです。
どの言語でもそうですが、アラビア語の上手い文章を作りかつある程度の長さに仕上げて連ねるためには机上の勉強経由であれ実践による自然な習得経由であれ文法力が必要で、それが足りないと短文を並べるだけになってしまいます。
壇上でこなれたアラビア語原稿を読み上げておられる時と、フリースピーチに近い時とで言い淀みや言い間違いの分量に大きな差があるのは、実在する可能性が高いと思われる原稿作成従事アラブ人/日本人アラビア語専門家のフスハー文法力とエジプト方言による会話の比重が大きかった小池氏ご本人のフスハー運用能力との差に起因するのかもしれません。
そもそもフスハー文法というのは外交・商務といった業務や日常会話ではあまり使わない事項も多く、習ってから次第に忘れやすいです。日本人で留学後フスハー文法能力があまり落ちていないのはイスラーム教徒だったりアラビア語を教える立場だったりする方が少なくなく、日本で「◯◯さんはフスハーが堪能」と有名なアラビア語関係者のかなりの割合の方がイスラーム教徒でアラビア語学をかなりやり込んだ経験を持っているという共通点があります。
小池氏の場合はそれと違い一度勉強した後はフスハー文法を繰り返し復習しなくなったきり忘れていくパターンが多いコースを進まれているので、日本帰国後40~50年経って基礎部分がだいぶ抜けてしまっていても不思議ではないかもしれません。実際に小池氏検証記事・コンテンツを作られている方たちや学習書を自費出版されている比較的年配のアラビア語既習者の方たちだと、経年による忘却と思われる文法間違いの割合がやや高めとなっており、小池氏と多少似た傾向を示されているとの印象です。
自分も長いブランクがあった時にはあまり使わない文法事項は記憶の奥底に眠ったりすっかり忘れたりしたので、文語で日常会話をする人がほぼおらずフスハー会話でも多くの文法事項を省略して簡素化させて話すというのが広く行われているアラビア語特有の「文語文法の細かい部分は使わないから忘れる」という特質と関係しているように思います。
小池氏外交スピーチと単語力・語彙力
小池氏がアラビア語を間違えている・語彙がおかしいという指摘はほとんどが検証者側の間違い
今回管理人が小池氏のアラビア語スピーチ動画を見て回った結果、意味不明レベルでアラビア語には聞こえない何かを言っているシーンは全く無く、聞き手の側で補えば言いたいことは一応わかるものでした。
検証記事・コンテンツで小池氏が語彙を間違えていると指摘されている部分のほぼ全部が検証者側の誤りによるもので、実は小池氏の言い方で正しい・OKだという箇所がかなりの数になります。
検証者側の間違いが小池氏の間違いに置き換わっている部分(一例)
小池氏アラビア語能力検証で「アラビア語に存在しない」「聞き取れない」と判定されているものは、検証者側が動画をリスニングできなかった・実在する表現だと辞書などで調べることができず存在しないと断定してしまった、といった部分に当たります。
「学生」という意味の単語すら使えない。
▶検証者側の聞き間違え・別の単語との取り違え・誤訳による誤判定
小池氏は動画で「学生」という名詞ターリブの複数形の一つタラバ(学生たち)を正しく使っており間違っていないが、検証した側が聞き取りできず似た響きの名詞と誤解し誤用と判定してしまった箇所。
「ヌサーイド・シャフス・ワ・シャアブ」という発言は「人と国民を助ける」という意味で言っているようだが、この「人」というのが誰のことを言っているのか分からない。
▶検証した側が実在する熟語を知らなかった/調べて見つけられなかった
おそらく欧米言語「the individual and the people」や「the individual and the group」からの輸入表現として「個人と集団」「個人と人民」という意味で実際にアラビア語記事や書籍で使用されていることが確認可能。検証者氏が実際にアラブ人たちが使っている表現だと確認せず語義を突き止める作業を完了せず、かつ単語を「個人」ではなく「人」と訳してしまったために「意味がわからない」「そんな表現は実在しない」と断定した箇所。
アッラジーナ・ヤドルスーナ
▶検証した側の文法間違い
小池氏は関係代名詞アッラズィーナ(アッラジーナは日本語慣用表記特有のズィ→ジ置き換えで厳密には発音間違い的当て字)を使わない非限定形で言っているので、関係代名詞を足すべきだと書いている検証者氏の文法間違いに該当。小池氏はリビア人学生たちをアッラズィーナを非限定形で言っているので限定形と組み合わせる関係代名詞を入れるのはむしろ文法違反。
「ズィヤーラ(訪問)」の後、「(場所)へ」を意味する前置詞の「リ」を使うのもエジプト口語で、正しい前置詞は「イラー」
▶検証した側の文法間違い、文語用法と口語用法の混同
前置詞リを使うほうがフスハー的であるにもかかわらず検証者氏が誤用であるイラーの使用を正しいとして解説している箇所。ズィヤーラは他動詞由来の動名詞なので訪問先の場所に前置詞を置かないのが正則用法で、前置詞イラーを使うのがメディア関係者に流布しており文法家らによって問題視されている有名な誤用。検証記事の解説内容はアラビア語辞典や文法書を調べても載っておらず誤用辞典に収録されていることから、検証者氏が専門書で調べずにフスハーの苦手な人が非常に多いことで知られる学科出身・業界所属のエジプト人を動画検証補助役に起用したことが原因となったとも考えられる。
「面会は、とっても、とってもよいものでした」と言うのに形容詞の「ラズィーズ」を使っていること。辞書によっては「甘美な」という意味も出ているが、実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語で、「面会は、とっても、とっても美味しいものでした」と話している
▶小池氏は「良い会談、歓談」という実在の文語口語共通表現を使ったが「辞書にも載っているが実在しないので小池氏が間違っている」と独自解釈し誤用認定した結果「美味しい面会」と誤訳
古典的検証者氏の誤解とアラビア語辞書からの語義の読み取り間違いで、小池氏は間違っていない。ラズィーズを面会や会談に使って「良い会談、楽しい会談」と表現するのはイスラーム以前からある古典的な文語用法で、詳しい辞書には普通に用例として同様の使い方が載っており見落とすことはまず考えられず、アラビア語辞典が実在しない語義を掲載しているということも辻褄が合わないので、色々と承知の上で「食べ物にしか使わない」と話を変えて記事化した可能性も否めず。
「タルビーヤ」を使っているが、これは「子供を躾ける」という意味
▶小池氏の使い方で大丈夫だが辞書にも載っている「教育」という頻出語義を無視した上で誤用認定
検証者氏が動名詞タルビヤをタルビーヤという口語語形ないしはネイティブがよくやる文語語彙の誤読としてカタカナ化した上で「子供のしつけ」しか意味しないと誤解していることによる誤判定。タルビヤは幼児教育・初等教育の「教育」の意味で使いアラビア語辞典にも「教育(タアリーム)」の同義語として掲載あり。日本はエジプトに日本式小学校を作る援助をしていることから談話の内容としては辻褄が合っておりタルビヤの使用でもセーフ。
ヤアニイ(「つまりぃ」という意味の、言葉に詰まったときに使う口語)
▶フスハー表現を検証者の独自判断で口語表現扱いして小池氏の不適切使用と判定
厳密にはヤアニイではなくヤアニー。アラビア語では声門閉鎖音/声門破裂音+母音イのヤアニイと語末が長母音īになるヤアニーは別物になってしまうため、検証者氏のカタカナ表記が不正確だとの印象。また、言い換えや言い淀みの表現で文語由来の文語・口語共通表現でありフスハー会話をするネイティブのアラブ人がフスハー表現として多用する言葉なので、小池氏が口語エジプト方言を使っている箇所として挙げるのは不適切。
これ以外の記事・コンテンツにおける指摘も同様で、当方が確認した結果アラビア語に実在しない語彙を使っている部分はありませんでした。あるのは単数形を複数形で言ってしまったといった言い間違えで、辞書にも載っておらずアラブ人も使ったことが無いような珍表現を口にしているシーンはありませんでした。
そのため「小池氏がアラビア語に無い語彙を使っており、アラビア語の基本的な知識も持ち合わせていない人が話していることがばればれ」という解説は脚色・創作と判断せざるを得ません。上記のような指摘についてはむしろ検証を行った方たちのアラビア語運用能力に不足があることを露呈してしまっている箇所に当たり、小池氏のアラビア語スピーチの語彙力の方がむしろ上回っていることを示唆しています。
この逆転現象とも言える状態ですが、小池氏のスピーチの原稿をネイティブのアラブ人が作成補助している可能性があり、談話のベースとなったアラビア語のレベル自体が非ネイティブである検証者の人々よりも高かったためだとも考えられます。
文脈から意味は理解できるレベルの部分(一例)
アラブ人であれば文脈から判断して普通に理解できるような事例であるにもかかわらず、「言い間違えたせいで意味不明になっている」「複数形にしたせいで相手のアラブ人は理解できない」と事実誤認とも言える過小評価が行われている部分も見受けられました。
「マンパワー」を「アル・クウワティル・バシャリーヤ」と言うべきところを「アル・クウワーティル・バシャリーヤ」と言っている(日本人には同じように聞こえるかもしれないが、アラビア語では大きな違いがある)。「クウワート」(複数形)だと「軍隊」という意味になるので「人の軍隊を推進したい」というわけの分からない発言になっている
▶アラブ人は文脈から意図を理解できることを示さず「わけの分からない発言」と不適切解説
脚色により小池氏のアラビア語を現実以上につたなくアラブ人に通じないものとして演出している部分に該当。アラブ人は文脈でわかるため「人の軍隊」とは解釈せず、単に単数形にするところを複数形にしてしまったとしか思わず「マンパワー」と理解するのが普通。ちなみに「アル=クウワートゥ・ル=バシャリーヤ」(上記表現の主格語形)自体は実在しない表現ではなく軍隊の兵力のうち機材・ロボットや軍用犬などを除いた人間の兵士を指す「軍人員、兵員、兵士たち」という語義で使われており、小池氏の使った言い回しは軍関係の文脈で使った場合は「軍人らの激励」「軍人らの応援」といった意味になり得る。
▶ただし小池氏がこのように複数形を間違える回数が各動画の中で何度かあり元々苦手だった分野だと推察できるのもまた事実。アラビア語は男性規則複数形、女性規則複数形、非常に多くの種類の不規則複数形がありほとんどは語末にsをつけてあとはfoot-feetやmouse-miceなどを覚えていけば良い英語に比べると非常に煩雑で、小池氏動画で複数形の言い間違いが多めなのはアラビア語学習者にとっての難関の一つでいちいち暗記しないといけない事項だからかと。
こうした箇所を全部除外していくと、小池氏が宇宙語のようなアラビア語を話している動画・音声はゼロになります。
卒業証明書や卒業証書の不審・偽造判定や脚色
卒業証書の不審な点についても同様で、
卒業証明書の収入印紙が逆向きに貼ってあるから小池氏の証書は偽物だ。
▶探すと本当に逆さま印紙がついているエジプト人の卒業証明書は実在
エジプト人が求職サイトやSNS卒業報告投稿としてネットにアップしているカイロ大学などの卒業証明書の中には収入印紙が逆に貼ってあるものが実在する。エジプト人事務員たちの適当な仕事ぶりを日本人的な観点から「ありえない。だから小池氏の証書は偽物だ。」と断定してしまったケース。
卒業証書で「ミスター・ユリコ・コイケ」になっている。いくらアラブ人やエジプト人でもそんなことをするはずがない。偽造証書である証拠。
▶アラブ人やエジプト人は本当に「ミスター・日本人女性名」「ミセス・日本人男性名」をやらかす
アラブのメディアで「ミスター・ユリコ・コイケ」アラブ人は日本人名を見ても性別がわからないため「ミスター・日本人女性名」や「ミス・日本人男性名」という誤記をしがちで、アラブメディアの記事や国連文書などでも確認可能。またカイロ大学は法学部などが複数エジプト人女性に「ミスター・アラビア語女性名」と記載した卒業証明書を発行しており、エジプトのニュースに出てくる苦学生の記事内にそのような卒業証明書が出てくることを確認可能。アラブ人が日本人名の読みなどを非常に苦手としているというアラビア語界隈では有名な事項を無視してしまったのと、エジプト人事務員たちの適当な仕事ぶりを日本人的な観点から「ありえない。だから小池氏の証書は偽物だ。」と断定してしまったケース。
▶カイロ大学の事務は過去に法学部卒業女性たちに「ミスター・アラビア語女性名」となっている卒業証明書を発行したことがある
エジプトのメディアで紹介されたカイロ大学卒業生女性に小池百合子氏の卒業証書同様に「ミスター(Mr.)+女性名」となっているものがあることが確認可能。「カイロ大学だってさすがにそんなことをする訳が無い」というのは日本人的な観点から「ありえない。だから小池氏の証書は偽物だ。」と断定してしまったケースで、本来ならば小池氏と同じ時期に文学部を卒業した女性たちを探し回って卒業証明書を見せてもらい男性型の書式で作られていたかどうかを確認する必要がある。
卒業証書に書かれている西暦の年号とヒジュラ暦(イスラーム暦)の年号とが合わない。ヒジュラ暦の月名も書かれていない。偽造証書の重大証拠。
▶アラビア語の専門家として雇った人物がアラビア語の字と数字を読めなかったことを、証書偽造の重大証拠に置き換え
告発側が頼った”アラビア語専門家”が手書きの卒業証書を判読できず、記載されている月名が書かれていないとし、アラビア語の数字を読み違えて年号が食い違っていると主張してしまったケース。
カイロ大学が小池百合子氏の名前がデータベースでヒットせず在学した形跡が見つからないと回答した。
▶カイロ大学の事務員がコイケ(كويكي、Koyke/Koike)を誤字のコリケ(كوليكي、Kolike)で検索していた
小池百合子氏フルネームのアラビア語表記は يوريكو كويكي でエジプト式表記は يوريكو كويكى が公式。母音のエとオ、長母音のエーとオーを表すつづりが文語に存在しない都合上 [ yūrīkū kūykī ] [ ユーリークー・クーイキー ] と読める当て字をして [ yūrīkō kōikē ] [ ユーリーコー・コーイケー ] と発音してもらうようにできている。ところがカイロ大学が「そんな人はデータベースにいなかった」として作成した文書では يوريكو كوليكي [ yūrīkō kōlīkē ] [ ユーリーコー・コーリーケー ] つまりはユリコ・コリケとなっており、検索した人名が間違っていて小池百合子氏の名前で探していなかった。
*なおネット記事で紹介されているような Koike と Koyke の違いの問題ではないので要注意。Koike(コイケ)とだいたい発音が同じでかつより発音しやすくナチュラルつづりの Koyke(コイケ)を公式表記で使っていたのに大学事務が Kolike(コリケ)さんはいません、と返事をしたというカイロ大学の適当さのせいで小池氏の在籍記録が本当にあったか無かったかの確認できずに終わったという一件。日本人調査者とカイロ大学との間に入った日本語もできるエジプト人がいたとしたら、人名を間違えたのは似ている同士の「こいけ」を「こりけ」と間違えたことに起因するとの推測もできるかと。
などが現地ソースなどの確認によりチェック可能です。
「動画から小池氏の語彙力が皆無とわかる」と「小池氏は人に作ってもらった原稿を意味もわからず読んでいるだけ」の矛盾
小池氏アラビア語能力検証記事・コンテンツでは「小池氏は基礎的な語彙力すら無く全然違う単語を使っている」という評価と「実はアラビア語は全然わからず、人に書いてもらったカタカナ書きの原稿を丸暗記して言っているだけ」という評価が同時で示されているのですが、これらはお互いに矛盾する内容となっています。
もし仮に語彙力すら無い人がアラビア語会話を真似ようとしても外交メッセージをかろうじて伝えられるようなスピーチにすらなりません。しかし小池氏の外交スピーチについてはフスハーを知らずフランス語や英語混じりの方言しか話せない人にアラビア語のみでのスピーチを強要した時よりもずっとはっきりしたアラビア語なので、色々な種類のアラビア語に触れたことがある人だと「意外と話せている」と感じやすいです。
一方「人に書いてもらった原稿をただ読んでるだけ」はアラビア語能力が低いとされている人にしては構文・語彙ともに文章ができすぎていて、初歩の初歩しかできない人が知らないはずの単語や文法を使っていることを示しています。
おそらく検証を提供している側の方々が小池氏批判の材料を揃えるために色々と指摘事項を考えて盛り込んでしまい、お互いが同時に成立しない「語彙力が無い」と「プロが書いた原稿を丸暗記している」を一緒に入れてしまったのだと思うのですが、これらを両立させるには「プロが書いた原稿を使っているように見受けられるが、本人のアラビア語スキルとの間にギャップがあるため、丸暗記して言っているシーンではところどころ忘れて言い間違いにつながっている」という風に評価する必要があるように思います。
どちらにせよ、「聞き取れない」「ちんぷんかんぷん」「意味不明」「アラビア語じゃない」は明らかに誇張で、「大学で習うような型にはまったフスハー以外の、色々な種類のアラビア語をリスニングするのに慣れていない」「本当は聞き取れているのに小池氏のアラビア語がダメダメだという脚色の都合上わかっていない演技をしているだけ」といった聞き手側の事情によるものなので真に受けない方が良い気がします。
小池氏は自力で外交スピーチを全部考えて話しているか?~ネイティブ的でアラビア語慣れした人が書く感じの原稿について
実際のところ、小池氏は言い淀んだり文法を間違えたりしていても日本語と大きく違うはずのアラビア語的な語順を守ったトークとなっていて、時事アラビア語に触れていないと言えないような名詞や動詞も使っています。
そのため同氏のアラビア語を聞いた限りでは「小池氏がもしアラビア語が本当に苦手でエジプトに何年も住んだのにほぼ身に付かなかったとしたら、実力では言えないはずのレベルのアラビア語を外交シーンでは話している。特に壇上で原稿を読み上げている時のフスハーは文法を知っている人の書ける文章らしさを備えている。だとしたらアラビア語補助としてネイティブかアラビア語のプロが小池氏個人についているかその都度委託されているのでは。」と推測させる余地があるとの印象です。
もし仮に原稿を読んでいない時の外交スピーチが丸暗記ではなく全部自力で言っているものだということになると「アラビア語通訳の仕事から遠ざかった卒後40~50年の時点であれだけ言えていれば、学生時代はむしろアラビア語の基礎ができていたはず。下手をするとアラビア語が苦手なアラビア語専攻学生よりも上だったかもしれない。」と推測すべきなぐらいです。
しかしながら『3日でおぼえるアラビア語』の中に似た字の混同や基礎文法の間違いなどがあることからするとそうした上手さを感じさせる部分はアラビア語話者由来で、やはり議員・大臣・都知事という公人としてネイティブチェックやアラビア語要員の補助・支援のようなものをちゃんと受けられてきたのでは…という気もします。
小池氏がアラビア語に堪能だとしても本人に任せて他の要員を随行させなければ、周りの日本人が理解できないアラビア語で密談を交わして色々な約束を無断でしてしまう、下手にアラビア語を話して相手の土俵に乗り不利な立場になるというリスクも出てきてしまいます。なのでアラビア語能力に関係無く、アラビア語ができる人物を外交の際につけるというのは必要なことなのではないかと思われます。
小池氏が話すアラビア語の種類と過去動画
小池氏が公務で使ってきたアラビア語の種類は純フスハー、フスハー+エジプト方言、エジプト方言
自著によると小池氏はフスハーの影が薄いエジプトでエジプト方言を使って暮らしていたため普段フスハーで会話はされていなかったようなのですが、エジプト人しかわからないような極めて濃いエジプト方言語彙というものが聞かれることは無く、口語フレーズであっても他の方言地域と重なっている通じやすい言い回ししか使っていないとの印象です。
小池氏がフスハーとアーンミーヤを混ぜて話していることは雑誌記事などを通じ日本でも広く知られていますが、実際には
1)壇上などで原稿を読み上げている時はほぼ混じり気が無いフスハーを話している。各種文法事項や適切な熟語も使い、アラビア語文語文法を忘れていない人特有のこなれた文章になっている。ただし文語作文をする時にネイティブがよくやる癖のようなものが加わっていることが稀にあり、アラブ人が監修し原稿作成を後方支援している可能性も考えられる。
└ 在京アラブ外交団レセプション:東京で行われたアラブ・ジャパン・デーのアラブ各国関係者向けのイベントで大使らが出席。「ムシュ・ケダ?」(そうではないですか?)のみウケ狙いで意図的にエジプト方言で言っているものと思われるが、原稿は完全にフスハーでアラビア語がかなりでき文語文法の基礎や外交スピーチの素養もある人(多分ネイティブ)が書いたと感じさせる文章。小池氏の言い直しや一部読み違いの種類からすると、原稿は発音記号を全部つけて読みやすくしたアラビア語文だった可能性が考えられる。
└ アラブ イスラーム学院卒業式でのスピーチ:サウジアラビアが運営していたフスハー語学学校での挨拶ということもあり、録画部分については純フスハー。定型の尊敬表現を使い出席者らに呼びかけているシーンが写っている。
└ エジプトで留学時代の現地生活を回顧:フスハーで書かれた原稿を音読。母音つけ違いなどの様子から発音記号つきアラビア語原稿か何かを読んでいたのではと感じさせる部分も。読むスピードは比較的なめらかで意味も通る文章で、エジプト人たちにも内容が受けている。
└ 日本式教育を取り入れたエジプトの学校を視察:原稿を読んでおらずフスハーでゆっくり話している。文法的に言い間違えたと感じた箇所で何度か言い直しているが、手短ながらアラビア語挨拶は完了。若い頃に比べ話すスピードや単語が口から出てくるスムーズさはだいぶ低下しているように見受けられるが、公務で言うべき所定のアラビア語ショートスピーチ自体はまだ最近でも行っていることがわかる。
└ 新型コロナウイルス流行に際してのアラビア語メッセージ:キャスター時代のような速度やナチュラルさでの音読ではなくなっているが、ネイティブが書いたらしきフスハー原稿の音読を行っている模様。原稿にはアラビア語初級者でも音読できるようにする時の補助記号がついているので、字幕と同じアラビア語文を渡されてそれを見て読んでいる可能性が高いとの印象。フスハーのニュースやスピーチでマスクを文語発音のキマーマではなくカンマーマと言うのはネイティブがよくやる口語発音混入、語末の子音字に休止形発音を表すスクーン記号(ـْ)を打ったり接続ハムザを切断ハムザとして母音記号を書くのもネイティブ作文の典型例なので、字幕に出た全文字発音記号つきスクリプトはアラブ人が作文・監修したのではと感じさせやすい。
2)外交の場面でのスピーチはフスハーを中心に、小池氏が現地生活で使っていたであろうアーンミーヤエジプト方言表現が混ざる。ミックス具合はネイティブの雑談で用いる文語-口語混合体(中間体)でもやるような範囲内なので「アラビア語が全然できなくてごちゃ混ぜになっている」感はさほど強くなく、口語寄りに緩める時にエジプト方言に置き換わる箇所としてはネイティブがそうするのと結構似ている。ただし、こなれた文章の体裁にまではなっておらず「ギッダン(جدا、とても)」を多用してしまっている会話などもある。
└ キャスター時代にヨルダンのアンマンに電話をかけた時のアラビア語トーク:原稿を見ながら話している様子はあるが、スピードが早く現地生活経験があることがわかる話し方をしており、この時点ではまだだいぶアラビア語文を口にしていたであろうことがうかがえる。
└ 2006年エジプトTV出演:本人はエジプト方言会話と説明しているものの、実際には純度の高いエジプト方言ではなくややかしこまった感じの話し方。敢えて分類するとなると口語よりの文語-口語混合体(中間体)との印象。複数形や動名詞語形といった文法的な言い間違いはあるが、現在に比べてこの頃はまだ話すスピードがだいぶ速め。なお相手のエジプト人女性はややエジプト方言要素・発音混じりのほぼフスハーを使用。
3)言い淀んでいる箇所では意味がはっきり通る文章にややなっていないことも時々あるが、元々何らかの原稿があってそれを暗記していたり視線の先にカンペ類が置かれているからなのか、言いたいことは理解できる範囲内。フスハーが苦手かほぼ学習経験が無くアラブ世界東側の方言にも普段触れていない地域のアラブ連盟加盟国出身者が無理にフスハー会話を試みているケースよりは明瞭。文法間違いに気付いて自分で考えて直しているシーンなどもある。
└ リビア訪問:日本リビア友好協会会長としてリビアを訪問し二国間協力についてコメント、日本側がリビア国民を個人であれ集団であれ支援する用意があることを表明。途中忘れた熟語「できるだけ早くに」を補助役に教えてもらいつつも、コメント全体をアラビア語で言い切っている。
└ エジプト訪問と大統領との会談:会談の感想について簡単なコメントをアラビア語で伝達。談話時間が長くなった時点で日本人男性通訳官に交代。なおエジプト人ジャーナリスト、小池氏、通訳官男性全員がフスハーとエジプト方言のミックス会話。
└ クウェート女性閣僚と会談:エジプト方言が多めだったり上手く構文を組めず考えている様子も見られるが、元々原稿はあったのか外交スピーチとして伝えるような内容は一通り言っている。クウェートの女性大臣は女性閣僚として苦労が多いという部分で同意の相槌を打ったりしている。
4)アドリブで話しているシーンでは単語のみもしくはごく簡単な文章のみ言えているように見えるが、全くアラビア語ができない人であればそれを言うことすらできないので、過去にアラビア語学習経験があったらしい痕跡はある。
└ シリア人の難民キャンプを視察:AP通信による取材ということもあり主な会話もインタビューも英語だが、男性たちが集まり飲料水確保や衛生状態の改善を陳情しているであろう場面では「多大なる関心を持っています」などとスピーチ。女性たちに「あなたたちはシリアのどこ地域出身なんですか?」と聞いているシーンでは自然な感じのしゃべり方なので、そうした基本会話は今でもできるとの印象。女の子に「あなたはどこ出身なの?」を最初エジプト方言風に言った後で上手く伝わるようにとシリア方言風に言い直したシーンでは男性が驚いた様子で「あなたアラビア語がしゃべれるんですか!」とコメントするなどアラブ人受けする対応はある程度しているように見受けられる。(なお避難民はフスハーを話せないこともあり女性たち少女にはアーンミーヤで話しかけている。)
└ カダフィ大佐へWiiをプレゼント:前半はアラビア語単語を言うだけ+英語で伝達しているが、土産を渡した後かしこまったアラビア語スピーチをしており、前半が原稿無しの下準備無しの時の状態で、後半が事前練習ありの状態だと思われる。小池氏の場合使用頻度がアラビア語よりも多く現在より得意な方の英語でアラビア語の不足をカバーしているシーンが度々見られる。
5)ロングインタビューや長い対談はアラビア語は少し話すか使わないかで、英語か日本語で話している。
└ 2018年エジプトTV局ロングインタビュー:世界各国で活躍するエジプト人に話を聞くシリーズ。小池氏は途中で少しアラビア語を話している。文法間違いはあるものの外交スピーチに比べると多少楽そうに話しているとの印象。
*『東京都知事小池百合子がアラブニュース日本の立ち上げで講演』という動画では英語のスピーチにアラビア語を混ぜて話していますが、小池氏がアラビア語を話せない証拠として安易に挙げないよう注意が必要です。というのもArab Newsはサウジアラビア系のメディアではあるものの英語にて非アラビア語話者をターゲットに英語ニュースを配信してきたため、アラビア語がわからない臨席者もおそらく非常に多くアラビア語だけで話すことは不適切であったと考えられるためです。小池氏はこれと似たシチュエーションでも、アラブ人ばかりが集まっている場ではアラビア語原稿を読み上げるのが常で、だいぶ事情が違っています。
といった具合に、場合により何パターンかに分かれる感じです。
「小池氏はアラビア語ができない」といった記事で実例として出てくるのは通常3・4・5ですが、1と2はアラブ人が聞いても「十分上手いと思う」「アラビア語を話せている」と言われる可能性が結構高い文章になっています。
小池氏のアラビア語自体が色々なタイプに分かれることからアラビア語能力に関する評価もまちまちとなっており、言い淀んでいる動画に過小評価的な脚色も加えつつ「全くできない」としている評価と「ネイティブは十分聞き取れる」「アラブ人も上手いと言っている」という評価の両極端に二分されてしまっている状態です。
文語-口語ミックスアラビア語の評価に関わる検証記事での重大な情報改変
大学や大学院を卒業してもフスハー能力が完璧にならないことはアラブ世界の社会問題にすらなっている
検証記事では
4年間アラビア語で勉強し、教科書を読み、毎年論文式の試験も突破して卒業したのなら、フスハーで話せないことはあり得ない。英語でも同様だが、普段その外国語で話す環境になくても、その言語で文献を読んだり、文章を書いたりしていれば、それとほぼ同じ水準で話すことができる。
という点が強調されていますが、これはアラビア語世界が抱えている文語教育の現状や有名な社会問題が実在することに反し、検証者氏側の重大な事実誤認か脚色・創作のどちらかに当たります。
小池氏がカイロ大学を卒業した割にはアラビア語会話が得意ではない可能性があることは確かですが、それらを告発するために用意されたアラビア語解説が大幅な改変を加えられており、アラビア語に詳しい方が決して書くことのないような内容に変わってしまっている状況です。
現実のアラブ世界では各国アラビア語専門家らによって大卒者たちのフスハー運用能力が乏しいことが取り沙汰され、学部カリキュラムの改革を求める声やアラビア語テストを課してフスハーができない人物の特定業種就職を防止すべきだといった議論まで出るなどしています。
「博士号を持っていても、まったくフスハーではしゃべれない、という方は普通にいます」という記述に至っては完全に信用できない。
も同様で、大学・大学院の教授たちですらフスハーが得意ではない、高等教育の現場がフスハー運用能力を向上する場にならないといった問題もアラブ世界ではしばしば聞かれる課題として有名です。
「フスハーの中に方言が少し交じっただけでも下品になる」という虚構
アラビア語が専攻分野の人や現地在住で高等教育現場や院卒の政治家たちの話すアラビア語の問題を知っている人の間では比較的有名な
アラビア語を学んだ人なら分かるはずだが、正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる。
に至ってはアラビア語を学んだ人が「それはおかしいだろう」と全く同意できないような言説であるにもかかわらず「アラビア語を学んだ人なら分かるはずだが」という前置きを添えることで信憑性を持たせ、「正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる」というネイティブではフスハー原理主義的な人しかしないような独自の主張を通説であるかのように誤認させる形で混ぜ込んでいる部分に当たります。
教養のあるアラブ人が話すフスハー割合が非常に高い文語-口語混合体(中間体)会話は「知識人たちのアーンミーヤ(عامية المثقفين)」― Educated Spoken Arabic(ESA) ないしは Formal Spoken Arabic (FSA)ー と呼ばれ、一般庶民が話す方言オンリーの会話に比べると非常にかしこまった知的階層特有のアラビア語として各国学界でも認知されています。
こちらは1963年にエジプトで放送された対談番組です。文学者ターハー・フセイン(文語アラビア語発音:ターハー・フサイン)を囲み当時の知の巨人たちが大集合するという非常に豪華な回となっています。ここではフスハーにこだわる人はフスハー、それ以外の人はフスハーとエジプト方言を混ぜた典型的な「知識人たちのアーンミーヤ(عامية المثقفين)」である文語-口語混合体(中間体)を使っています。
いずれの人物も知性と教養に富んだ会話をしており、コメント欄は称賛の声とエジプトが真の知性を兼ね備えた逸材を多数抱えていた黄金期を懐かしむ声ばかりで、「ターハー先生の前で汚いちゃんぽんアラビア語を使うなどけしからん。知識人を名乗る資格が無い。大学でちゃんとアラビア語を勉強しなかったに違いない。大卒かも怪しい。」などという突飛な投稿は見当たりません。
エジプトに住み学のあるネイティブたちのアラビア語を何年も聞いていれば政治家も知識人もニュースのアナウンサーもフスハーとエジプト方言を混ぜて話していることに嫌でも気付くと思うのですが、小池氏アラビア語検証記事では検証者氏の独自主張「文語に口語が混ざったアラビア語はどれも下品」が強調されていることから、意図的な設定改変・脚色の可能性も出てきます。
本来こうした知識人の文語-口語ミックス会話と小池氏のアラビア語とが同じなのか、違うとしたら相違点は何なのかについて触れたうえで批判を展開すべきなのですが、検証記事は色々なパターンがある混合体(中間体)を無差別に「下品」だとして一括りにし、混ざること自体が異常だというストーリーに書き換えてしまっています。
こうした動機不明な謎アラビア語解説の背景ですが、検証記事全体を読んでみても
- アラビア語既習者ではあるもののアラビア語事情には明るくなく、本当に誤解をしている。
- 教育機関で学んだのがフスハーだけであることから、エジプト方言が混ざった混合体(中間体)にも色々なグレードがあることを知らず、また聞き分けられない。
- 小池氏に有利な情報を排除し有利になりそうな事項は深く調べずに「怪しい」「間違っている」と憶測を元に話を膨らませてストーリーを組み立ててしまっているため、文語-口語混合体(中間体)の位置付けについても無意識の改変が起こっている。
- 本当は全てを知りながら、小池氏告発のために用意された架空設定「フスハーに方言を混ぜることはあり得ない。アラブの大学で学べばみんなフスハーが上手くなる。純フスハーを話せない小池氏がカイロ大学を卒業していない重大証拠。」を貫いて、「こういうのを書いてほしい」「こういう評価を聞きたい」というメディアや受け手の求めに応じてしまっている。
ぐらいしか理由が思いつかなかったりします…😥
フスハーとアーンミーヤ(小池氏の場合はエジプト方言)が混ざったアラビア語とその分類・役割
エジプトで多用されているフスハーとエジプト方言を混ぜたアラビア語
現代アラブ諸国において文語と口語を混ぜたアラビア語自体は知識人から一般人まで広く行っており、検証記事の「文語アラビア語と口語アラビア語を混ぜて話すなどあり得ない」「アラブ人では政治やニュースといった公的な場でフスハーしか使わない」という架空設定と現実とは全く違っています。
エジプトはフスハーが苦手な人が多いこともあり動画サンプルのようにフスハーとエジプト方言のミックスやエジプト方言が公的な場にあふれ返っていて、検証記事が語るような「公的な場所ではフスハーが使われて当然。方言を混ぜるなどあり得ない。」とは大きく乖離しています。
エジプト大統領は軍部出身ということもあり原稿がある壇上での演説などを除いてはエジプト方言でスピーチすることで知られています。動画のように国家行事で閣僚や人々に向かって話しかける時はフスハー寄りでややかしこまっているとはいえエジプト方言を使っています。政治家がフスハーとアーンミーヤを混ぜたアラビア語を使うことは、国民に親しみを感じさせる手段としても知られています。
報道番組もニュース原稿の読み上げでなければ司会もゲスト出演者もエジプト方言を話すことが広く行われています。
フスハー演説が得意なはずの宗教家が民衆に寄り添うために敢えてエジプト方言でわかりやすくイスラーム(イスラム教)について説くというのも、ここ数十年におけるエジプトのトレンドとなっています。
ネイティブが話すミックスアラビア語と留学生だった小池氏が話すミックスアラビア語の共通点・違い
小池氏に関しては文語と口語の双方が極めて堪能で自在に使い分けてどちらも流暢に話せるからそうなっているというよりは、エジプト渡航後にアラビア語をにわか仕込みで基礎文法を学びフスハーとアーンミーヤの両方が必要な大学生活に間に合わせようとしたために、フスハーの専門書とアーンミーヤの専門書で文法を学び両者を区別して覚えるアラビア語専攻学生とは違ってエジプト人が使うアラビア語に直接触れて手当たり次第に取り組んだ結果、文語と口語がまだら模様に入り組んだ状態で定着したタイプのミックス会話である可能性が高いように見受けられます。
日本でアラビア語を学ぶとフスハーの授業とアーンミーヤの授業が分かれているので知らないうちに混同するということはさほど起きないのですが、エジプト人はフスハーとアーンミーヤを混ぜたものを話すので、現地で暮らして現地の大学に通い現地のテレビ放送を見て学んだ人だと小池氏のような混合体(中間体)アラビア語になりやすいです。
なので「フスハーとエジプト方言が混ざるなどあり得ない」という解説の方が不正確で、実際には「フスハーコースとアーンミーヤコースをそれぞれ長期間ずつ履修せず、文語と口語の混合が多いエジプト社会にすぐに入っていって耳で聞いたままに学んだからこうなった」というのが実情を表した言葉であるように思います。
カイロ大学はアラビア語教習所部門を持つカイロ・アメリカン大学と違い入学しても留学生向けにフスハー講座とアーンミーヤ講座を開いてくれる訳でもなく、フスハーとアーンミーヤを組み合わせたミックスアラビア語が飛び交っている環境でフスハーだけに囲まれて過ごすことなど決してかなわないので、小池氏が編入前に何年もかけて語学学校に通っていなかったということであれば混ざったアラビア語にならない方が珍しいとすら言えるかもしれません。
*日本だけでアラビア語を勉強した方は基本的にフスハーしか学習しないので「両方が混ざったアラビア語はフスハーもエジプト方言も勉強した証拠でレベルが高い」「自分にはできないので十分すごい」と感じがちなのですが、これは学習環境の違いによるものです。小池氏のアラビア語はそういう日本で教わった人とは違う現地留学時がアラビア語学習スタート地点だった人に多いパターンなので、区別が必要だと思われます。
小池氏は以前公開し権利問題から削除した動画に収められていたキャスター時代のアラビア語トークを「これはフスハーです」と説明されていましたが、実際にはエジプト方言が混ざった混合体(中間体)でした。
元々エジプト方言漬けで生活していたことを公言している人物なので、フスハーとアーンミーヤの区別を常に意識して混合比率を意識しながら使い分けているということはおそらく無いのでは、という気がします。いずれにせよ、ネイティブが話す文語-口語混合体(中間体)と小池氏のそれとでは共通部分もあればそうでない部分もあるので、全くの同一視はすべきでないように思います。
小池氏のアラビア語はこてこてなエジプト方言全開の純ストリートアラビックではない
「小池氏のアラビア語は全くのストリートアラビック」といった評ですが、これは「文語の要素が一切無い」「フスハーとのちゃんぽんすらしていない」を意味することから同じ検証者の記事に含まれる「小池氏は正則アラビア語とエジプト方言を混ぜている」と矛盾している部分になります。
小池氏アラビア語会話シーン動画を見る限り、アラビア語や大学の勉強のため文語アラビア語を完全に切り捨てエジプト方言だけを選ぶのが無理だったこと、エジプト人と長期間同居・婚姻していたのではないこともあってか、エジプト人しか理解できないようなこてこてのエジプト方言を丸出しで使うことはしておらず、小池氏の文語口語混じりのトークは比較的マイルドでエジプト人女性に多い独特なコロコロっとした話し方も行っていません。
エジプト方言しかできない人たち(集合住宅の門番、タクシー運転手、店員等)との接触のみで習得した「エジプト人の日常会話丸出し」で極めて濃厚な100%ストリートアラビックとはだいぶ違っており、むしろエジプト方言どっぷりだったと自身が回顧している割にはエジプト式のアクセント位置になったりしておらず、エジプトっぽさを感じるのは口語表現・語彙の使用と子音 ج(j)のg発音ぐらいに留まっています。
そのため検証記事で小池氏のアラビア語を全くのストリートアラビック(完全にエジプト方言)だと評したネイティブは一体どの動画を見てそのようなことを言ったのかが気になるところです。
同氏のアラビア語はエジプトの非識字階層が使うような荒っぽさとは違っておりネイティブ丸写しの100%エジプト方言全開やエジプト人女性的な強気な口調で話している動画も無く、エジプト方言だけで話している録画箇所も少なくストリートアラビックとは違う文語のみや文語-口語混合体(中間体)の比率の方が高いです。
そのためネイティブに「完全にストリートアラビック(エジプト人同士でしゃべる時の方言)になっちゃってる」と言わせるためには、小池氏が文語語彙を混ぜていない箇所を選んで切り抜いてから動画を見せたりしないと難しいように思います。
小池氏はエジプト方言学習書であるはずの『3日でおぼえるアラビア語』を書いた時点でもエジプト方言語彙・語形とフスハー語彙・語形の混同などがあり、語学学校にも大学にも一切行かずただエジプト人と交流していては決して身に付かない文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)の要素が混入し文語と口語を区別しきれていない感じのアラビア語を使っていたらしくストリートアラビックで起きないはずの文語語彙の複数使用もあり、悪く言えば「完全なフスハーでもないし、完全なエジプト方言でもない」との形容をされるようなタイプのアラビア語だったりします。
そもそも「フスハーとアーンミーヤを混ぜて話している」と批判している検証記事の中でそれと矛盾する「全くのストリートアラビックだ(=口語エジプト方言しか言えていない、フスハーとアーンミーヤを混ぜることもしていない、文語語彙を全然使っていない)」と評価が出てくること自体がちょっと変な感じがするのですが、そういう微妙な違和感からするとひょっとしたら他の箇所同様にこの部分にも検証者の方の脚色が入っているのでは…と思わないでもないです。
小池氏のアラビア語がアラブ人に通じない・ちゃんぽん会話だから下品でアラブ人が赤面するという評価について
ネイティブが話すフスハー・エジプト方言・両者の混合体(中間体)を聞き取れる人なら小池氏のアラビア語は普通に理解が可能
小池氏がキャスター時代に話していた時の短い動画や外交の時に行ってきたスピーチは、フスハーとエジプト方言の聞き取りができる方なら理解が可能で、最初聞き取れない部分があってもイヤホンをして何度かリスニングすれば文字に起こせるぐらいの比較的平易な内容を言っています。
アラブ人は無理強いしてフスハーで会話をさせても文法を間違える人の方が多いぐらいで、通常はフスハーとアーンミーヤの各国方言が混ざっています。ネイティブで方言要素を一切抜いて長時間話せるのは文学者や宗教家、フスハーを好む学者や彼らに育てられてた子女といった一握りの層だけです。
なので文法が多少間違っているとか方言の文法や語彙が混じっているといっただけで聞き取れなくなると、アル=ジャズィーラ(慣用カタカナ表記:アル・ジャジーラ、アルジャジーラ)のような汎アラブ放送局の生放送を部分的にしか理解できず、各国の放送や政治家・知識人のスピーチともなればもっと難しく感じてしまうことになります。
自分自身の経験からすると、色々なアラブ人の話すアラビア語を理解する鍵はフスハーの十分な理解と各国方言の癖を知ることだと考えています。
「フスハーとアーンミーヤを混ぜたアラビア語などあり得ないし無教養で下品*」といった小池氏批判のためににだけ考え出されたかもしれない作り話を本気で信じてしまったり「方言を混ぜて言い淀んでるせいで何を言っているのか意味が不明」といった姿勢に同調して文語と口語の混合体(中間体)を拒絶したりしてしまうと、様々な種類のアラビア語動画・音声をできる限り最大限に理解するというスキルが伸びなくなってしまいます。
*こういうことを言うアラブ人は「アーンミーヤはフスハーの劣化バージョン」「アラビア語が汚れるからアーンミーヤをフスハーに混ぜるな」「純フスハーを守るためにメディアや広告にアーンミーヤを使えないよう法規制すべき」といった主張をするフスハー至上主義者ぐらいです。美麗で清廉な文語アラビア語が危機に瀕し各国で方言偏重社会に遷移している重大局面だとはいえ、口語多用や誤用を見張って罰しようといった強硬派は一般大衆には嫌われがちでアラブ世界のメジャーな考え方ではありません。
自分もエジプト方言を本格的に学ぶ前の学部2~3年生ぐらいの時はネイティブが多用するフスハーとエジプト方言のミックスアラビア語を聞き取るのはそこまで得意ではなかったので、特に小池氏キャスター時代の早口トークについては第三のアラビア語とも呼ばれているラフジャ・バイダー(اللهجة البيضاء)、ルガ・バイダー(اللغة البيضاء)こと文語-口語混合体(中間体)に慣れているかどうかで「聞き取れる」「聞き取れない」に分かれるのだと思います。
検証記事・コンテンツを作成している方々は解説内容の誤りからするとフスハーとアーンミーヤの専門教育や文語-口語混合体(中間体)聴解の長期訓練を受けておられない可能性が高く、聞き取り間違いなどもそれらに起因していることが考えられます。
その一方で小池氏批判のために大げさに語っているだけ、普段は聞き取れるし理解もできるのに小池氏のアラビア語だけちんぷんかんぷんだと評価しているだけという可能性も高いため、検証記事・コンテンツのみを判断材料として「彼らはアラビア語が苦手なのに解説をしている」「あんなに簡単な小池氏のアラビア語も聞き取れないらしい」と安易に断言しないよう要注意かもしれません。
小池氏は本当に相手のアラブ人が困ってどん引きするような意味不明の宇宙語のようなアラビア語を話してきたのか?
実際には相手のアラブ人たちは要人である小池氏の話をじっと聞いているだけに見える
検証記事・コンテンツが小池氏のアラビア語を基本的な語彙も間違えるちんぷんかんぷんな宇宙語的に酷評している理由ですが
- 検証者の方たちに初級~中級文法の誤りがかなりある
- 基本的な語彙や熟語を間違えることが多く、中級~上級語彙については「そんな表現は存在しない」として処理され「小池氏が意味不明な言葉を使っている」に置き換わっている
- 動画のリスニング間違いがかなりある
などを総合すると、そんなに癖が強くなく中級~上級アラビア語話者であれば容易に意味を理解できる小池氏のスピーチを十分に聞き取れていないこと、そしてそこに「全然聞き取れない」「でたらめ」というディスり芸を加味したことが原因だと思われます。
検証記事では「小池氏はアラビア語の文語と口語を混ぜるという下品な言葉を使っている」「相手が赤面するようなひどいアラビア語」などと状況説明を加えていますが、正直なところそれらはどれも「小池氏は恥を晒しているはずだ」「学歴詐称をしているはずの小池氏がアラビア語を少しでも話せるなんてあり得ない」という先入観から増幅されたものである可能性が残念ながら高いです。
アラビア語使用者が動画を見る限り相手のアラブ人たちは日本の重要人物に敬意を払いじっと聞いたり愛想良く相槌を打ったりしているだけで、小池氏のアラビア語は昔勉強したものの使わなくなって忘れかけている人物が苦心しながらも話しているという光景にしか見えません。
「小池氏のアラビア語はちんぷんかんぷんで聞き取れない」という評価が検証者側に与えるマイナスの弊害
小池氏のアラビア語スピーチが本当に聞き取れないとなると、色々なアラブ人の会話見もリスニングできずフスハーや各国方言の混じったアラビア語が飛び交う研究会や座談会の高度かつ多様性に富んだトークはもっと聞き取れないことになってしまいます。
そうなると「アラビア語に堪能な専門家が小池氏のアラビア語を検証した」という触れ込みとも矛盾することになります。実在する語彙を知らない・間違いだとし小池氏の誤り扱いしてしまっている件は、アラビア語使用者に「本当はフスハーが得意ではないのに検証をやっているのではないか」「文法・語彙力が足りないのではないか」「これすら聞き取れないというのはどういうことか?」という印象を与えかねません。
小池氏が嫌いだとか告発し辞職させたいという意思が強いあまりに客観的に見て取れる実像からあまりに大きく飛躍してしまった評価は「アラビア語の誤解・誤用が多数あるだけでなく、相手の人格・立場に影響されない厳正な検証・考察・解説ができない」という印象を与えてしまうので、検証者の方たちにとってはむしろかなりのマイナス要因になっているのでは…という気もします😥
エジプト方言の威力
小池氏アラビア語検証記事では「アラビア語の方言は地域がちょっとでも離れると理解できない」とありますがこれは近代ぐらいまでの話で、誰から教えられたのかという謎が残る解説となっています。
これはアラビア語を多少やって現地に住んでアラビア語を使っている人ならたいてい知っている「メディアの世界で強い方言は各国の人が理解できる」の真逆に当たるのですが、アラビア語に詳しい人物として記事を書かれているはずの検証者氏がそういう基本事項を知らないというのは考えにくいです。
そのためこうした記述については検証者氏が本当に知らなかったとかそういうことを吹き込んだアラブ人が実在したとかではなく「小池氏のアラビア語がアラブ世界にあり得ない文語-方言ちゃんぽんなので決して通じない」ということを強調するためのフィクションだという風にアラビア語使用者には受け取られやすいように思います。
実際のアラブ世界では映画・ラジオ・テレビ・インターネット動画を通じて日々多種の方言に触れる環境が整っているため、その中でも特に娯楽産業大国として名高くアニメ制作にもいち早く着手したエジプトの方言の通じ具合はすごいです。
イエメンのYouTuber(現在はアナウンサー業にも従事)が「アラブのどこの方言が好き?」と聞いて回る企画です。イエメンはアラビア半島の南端にありますが地上波や衛星放送で各国のテレビ番組や映画に親しんでいるため、インタビュー回答も「レバノン。どの言葉もかわいらしいから。」「イラク方言がいいと思う。イラク人っていい人たちだし。」「シリア方言。テレビドラマで見てるから。」「リビア方言。リビア人って人が良いしね。」「エジプト方言。イエメンでは学校や大学の先生にエジプト人が多かったので身近だしよく理解できるから。」などと様々で、人によってはモロッコ方言やアルジェリア方言を挙げたりとかなり遠くの国の方言にも親しんでおりある程度聞き分けられることがうかがえます。
しかもアラビア半島からアフリカ大陸北部であっても元が同じ部族だった人たちのアラビア語は似通っているなど、単なる距離の遠さとはまた違う方言同士の近縁性が通じやすさの決め手になるため「地域がちょっとでも離れると通じなくなる」などという話は日本のアラビア語教育界でも出回っていません。
「文語フスハーにエジプト方言が混じるアラビア語などあってはならないし、品も全く無い」「通じないから相手も赤面してしまい、ちゃんぽんアラビア語話者の小池氏を慰め励まそうとしている」にに至っては「小池氏がアラブ各国で恥を晒す姿を見たい」というニーズに応える娯楽コンテンツとして脚色が加えられたフィクションに近くなってしまっており、先入観無しに動画をチェックする限りではそういうやり取りをしているようにはとても見えないです…
エジプト方言の知名度が上がったのは白黒映画やラジオ放送が普及した頃からで年数としてはかなり経っており、昨今ではネット動画の浸透によりエジプトの方言はアラブ世界全域で聞き取ってもらえるようにすらなっています。
そのような優位性があることから元々フスハーが得意でない人が多いお国柄であるエジプト人たちの多くは国外でもエジプト方言で話すなどしており、クウェートやリビアで小池氏がエジプト方言表現を多用してフスハーを使っていないから相手に伝わらないとか、エジプト国外で外遊する際にエジプト方言を話しているのは小池氏だけ、ということもあり得ないです。
これは小池氏が留学国がエジプトだったことを大いに活用している部分で、もし留学先がイラクとかだったら事情は大きく違っていた可能性が高いです。
実際「ベドウィン(遊牧民)の調査を行い部族方言を覚えた日本人研究者の方のアラビア語がこてこての方言すぎて他の地域の同国人にあまり通じなかった」というエピソードもあるほどで、習った方言が広い地域で通じるほど意思疎通ができるアラブ人の数が増えるということを物語っているかと思います。そういう点において、エジプト方言は最強レベルの方言の筆頭格となっています。
外交時は意味不明なアラビア語を話さないように配慮されているので動画を見ても「通じない」という評価は困難
小池氏外遊動画のアドリブシーンと思われる部分で単語を並べただけの会話をされている場面もあり「ひょっとしたら現在は短い会話も苦手になられてきているのでは?」とちょっと感じたりもしましたが、普段の公務ではアラブ人の支援も得つつ原稿の音読や短時間のスピーチ披露を行われている可能性がかなり考えられ、相手国側に与える印象がそこまで悪くならないよう配慮されているように見受けられます。
なので「いつも各国要人相手に常に意味が通じない片言のアラビア語で話している」「アラブの要人と本当はアラビア語で意思疎通できていない」などに関しては、誤解・誇張もしくは「外交動画からはそこまではっきりしたことは読み取れない」と言えるように思います。
言い淀みが多い会見では相手も「もうアラビア語会話は忘れてしまったのだろうか」などと考えていることもあるかもしれませんが、アラブ人は立場の上下関係をかなり考えて行動する人たちで重要な国賓に失礼な態度を取るようなことはまずせず丁寧にへりくだるということをするので、小池氏外交動画を見ても困惑しているとかあまりのひどさに赤面しているといったことが読み取れるシーンもありません。なので「相手が唖然としている」といった状況説明は書き手の側の願望の投影という域を出ていないと言わざるを得ません。
小池氏は現時点では各国出身者との会話で使え公務でも多用してきたであろう英語での会話の方を得意とされており、英語のように普段使いはしていないアラビア語は多用していません。アラブ諸国のメディア・要人相手の時も事前リハーサル無しで自分で考えて長時間話さなければいけないケースでは英語を使用。そのためアラビア語ではないにせよ外交において全く通じない会話をして回っている訳ではないので、各国で通じないスピーチをして迷惑をかけているといった憶測を加えてしまわないよう注意が必要かもしれません。
キャスター時代のアラビア語はどうだったのか?
権利侵害のおそれがあるため動画は載せていません。ネット上に残っているのでGoogle検索されてみてください。
一時ネットにアップされていたアラビア語トーク動画が文語・口語アラビア語併用者に与える印象
2024年6月、それまでネット上に出回っていなかった小池氏キャスター時代のアラビア語発話ビデオがアップされました。その後権利問題の都合から削除されてしまったものの、留学修了からあまり経っていない時期のアラビア語発話が見られる貴重な映像でした。
日本ではアラビア語を解さない方も多いため、国内テレビ局映像の転用という権利問題からすぐに削除されたことで「カタカナ原稿を意味も分からず棒読みしていたのがばれたから慌てて消した」「実はできる人が見たらすぐにわかるような下手なアラビア語だった」という噂を補強する形となり、アラビア語学習経験の無い方・長くない方たちが「アラビア文字を読めない人のひどい読み方」と信じてしまわれる結果となったように見受けられました。
ところがアラビア語経験がありフスハーとエジプト方言を語学として履修し両方の特徴を知っていて聞き取りもできる人たちにとっては、むしろその逆でエジプト帰りならではのしゃべりだとアピールできるようなお宝映像でした。
もし映像も名前も隠して小池氏不支持派のどなたかの若い頃のトークだと偽って音声のみ公開したら、おそらく評価は真逆となり「さすが留学しただけのことはある」といった称賛すら寄せられるのでは、という気もします。
政治的な利害関係と一切無縁な管理人からすれば、ワールドビジネスサテライトでアラビア語を使う度に何分もこの高速トークをして相手との言葉のキャッチボールまでできていたのだとしたらかなりすごいので追加で色々な録画を見てみたいとすら感じるのですが、アラビア語経験のある小池氏不支持派の方たちが「超下手くそ」「意味すら通じないゴミみたいなゼロレベルのアラビア語」などと評価をしてしまうとアラビア語学習経験が無い方は「専門家なら本当のことを言ってくれているだろう」とつい信じてしまわれるのだと思われます。
標準的な日本人アラビア語既習者と違うキャスター時代小池氏のアラビア語発音
通常日本人でアラビア語やアラブの仕事をする方たちは日本で最初にフスハーの勉強を始めます。昔から発音教育は徹底していないためいったんカタカナ風の発音が定着すると生涯そのままとなり語彙力や文法力だけがアップしていくことが多く、単語間の自然なリンキングやネイティブに似た抑揚で発話できるようにはなりにくいです。
それに対して小池氏のキャスター時代のアラビア語発話は、エジプトにに住んだりエジプト人からじかに学び取ったような種類で、日本でアラビア語教育を受けてきた層とは違うバックグラウンドが反映されたものでした。
卒後何十年も経過した時点で撮影された他の小池氏アラビア語動画に比べるとかなり流暢に聞こえる話し方で、文法的な言い間違い・言い直しも少なく、格変化部分といった単語間の連結箇所などをネイティブ日常会話の口語風に崩してあることから「アラビア語を知っている人の話し方」「現地でエジプト人が話すのを聞いていた人の読み方」と感じさせる要素がかなりあったように思います。
十数年にわたりアラビア語専門家や文学者たちの純度が高いフスハーからエジプト・シリア・レバノン・ヨルダン・パレスチナ・イラク・サウジアラビア・クウェート・オマーン・イエメンなどの方言話者が話す文語-口語ミックスアラビア語まで、多種多様なアラビア語を学問や趣味として聞いてきた管理人には
- 当時は本当に話せていた
- そうでなければエジプト人スタッフなりの補助を受けたりしてネイティブ的抑揚も込みで丸暗記しており、キャスター時代はそれに慣れてニュース原稿の音読という特定の技能が得意になっていて、暗記できる時間数も今よりずっと長かった
のどちらかだと推測すべき案件だと感じられました。
キャスター時代のアラビア語はフスハー寄りで公務・報道番組向けのかしこまった文語-エジプト方言ミックス
2024年6月に一時アップされていた若かりし頃のワールドビジネスサテライト キャスター時代動画に関しては上の分類の(2)に該当し、フスハー色が強いものの言い回しや母音・長母音部分の発音変化などにエジプト方言の要素が複数混ざった混合体(中間体)が使われていました。
このタイプの文語-口語ミックスは大統領や政治家の公務や報道番組の原稿読み上げ以外部分そして知識人の会話などで多用されることからアラブ世界ではフォーマルなイメージを与え、アラビア語の文語と口語を自在に使い分けるのが苦手なアラブ人だと「これは完全にフスハー。方言は使っていない。」と評価することもあると思います。
アラビア語の文語と口語を十分にマスターしていないせいで混ざってしまうちゃんぽん会話と違い、報道番組に耐えうるミックスアラビア語というのはそれなりの能力が必要です。キャスター時代の短いビデオは後年の外交スピーチと違いある程度わかって混ぜている人らしさがだいぶ強く、原稿を読みながら話していることもあって、アラビア語苦手説が色濃い小池氏が実はもっと話せていたのか、当時どのようなアラビア語をどのぐらい話せたかが推測しづらいです。
そもそもアラビア語が全然できない人はあのレベルの発音すらできず、文語・口語アラビア語併用者であればわかるこなれた感もあり、もしアラビア語が大の苦手なのにあのようなニュース原稿読み上げをしていたのだとしたら、日本に二人といないような「アラビア語をほぼ知らないのにネイティブ風のアクセントやイントネーションができる」という稀有な才能の持ち主だったということになってしまう気がします。
キャスター時代のアラビア語トーク動画とその発音・意味について
ピンク色のジャケットを着た若かりし頃の小池氏が原稿を見ながらヨルダンにいるアラブ人にアラビア語で話しかけていたシーンについてまとめてみました。
ネットやメディアで出回っている評価と実像は全然違っていること、アラビア語学習経験があってもアーンミーヤ(エジプト方言)は守備範囲外なので動画を見てもよくわからなかったという方もいらっしゃると思うので、少し細かく見ていくことにしたいと思います。
厳密にはフスハーではなくかしこまった文語-エジプト方言ミックス
動画ではフスハー(文語アラビア語、正則アラビア語)を話しているシーンと説明されていますが、実際にはフスハーをもう少し口語エジプト方言寄りに寄せた文語-口語混合体(中間体)と呼ばれるアラビア語の種類に該当します。
エジプト報道番組の司会女性が国会議員に電話越しにコメントを求めているシーンです。女性司会も男性議員もフスハー寄りのややかしこまったエジプト方言で会話。キャスター時代の小池氏のアラビア語はこれに酷似しており相手男性につける敬称なども共通しています。
エジプトのようにフスハーが苦手な人が多い国ではこうした混合体(中間体)の使用率は極めて高いため報道番組で司会が完全なフスハーを使っていないことも珍しくなく、フスハーとエジプト方言のミックスを小池氏が使っていたこと自体はネイティブがやっているのと同じです。
そのため単に文語と口語が混ざっているだけで「アラビア語として間違っている」「完全なフスハーじゃないからひどいアラビア語で報道番組にふさわしくない」「ネイティブが聞いたら赤面する」「でたらめアラビア語」と判断することは不適切となり、混ざり具合の状態や使用シーンとして適切かどうかなどを吟味する必要があります。
小池氏がフスハー寄りのエジプト方言ミックスを報道番組で使っていたことの是非ですが、文語-口語ミックス会話には少し崩したアラビア語によりアラブ人が萎縮せずほっとした気持ちで返事を言い出せるきっかけを作るという非常に重要な心理的効果があります。ワールドビジネスサテライトの取材相手によってはフスハーを苦手としているかもしれないため、「ニュース番組なんだからとにかく全部フスハーを使わないとおかしい」というアラブのテレビ番組でも遵守していないことを小池氏に求めるのではなく、番組進行の上でも有用だったというメリットを加味して考えることになるかと思います。
ヨルダンにいたアラビア石油側の男性については電話での返答からするとものすごくフスハーが得意という感じではなかったため、小池氏の使っていたフォーマル風味なミックスアラビア語でちょうど良かったのかもしれません。
ヨルダンのアンマン(アンマーン)につないだ時の挨拶
أهلا، السيد حسن سليمان ؟
アハラン、アッ=サイイド・ハ(ッ)サン・スレ(ー)マーン?
字幕:こんにちは、ハッサン・スレーマンさん
実際の意味:こんにちは、ハサン・スレ(ー)マーンさんでしょうか?
軽く挨拶した後で、つないだ相手が予定通りのハサン氏かどうか確認を取っている部分です。尻上がりに読むことで、疑問詞を伴っていない「こんにちは、ハサン・スレーマーンさん」が質問・確認口調となり「こんにちは、ハサン・スレーマーンさんでしょうか?」と電話口に出た男性が本人かを確認するニュアンスが加わっています。
アハラン
直訳は「ようこそ」ですが、アラブ人が「こんにちは」「やあ」「どうも」といった意味で使う挨拶です。イスラーム教徒同士なら信者同士の合言葉的な存在である「アッ=サラーム・アライクム」(あなた方の上に平安がありますように)を言えばよいものの、小池氏は信者ではないのでこのアハランが使いやすいのかもしれません。
エジプトにはイスラーム教徒もキリスト教コプト教会信徒も住んでいるため、イスラーム教徒以外には言わないアッ=サラーム・アライクムよりもアハランの方が気軽で便利だと学ばれた可能性も考えられます。
アッ=サイイド
英語のMr.(ミスター)に対応したアラビア語の敬称で「~氏、~殿」といった意味で使われています。小池氏は早口で言っているので「アッサイド」に近く聞こえますが、『3日でおぼえるアラビア語』では「アッサィエドゥ」というアッ=サイイドのエジプト方言風発音が載っているので、この語の発音について小池氏自身はアッ=サイドとかアッ=サイードでないと認識していたことがわかります。
ハッサン
アラブ人男性名はよくあるハサン(حسن)と似た響きのハッサーン(حسان)があります。小池氏は長母音の「ー」を伸ばして発音していないこと、字幕ではカタカナ表記でハッサンとなっているのでおそらくHASSANと当て字をするのに実はアラビア語でハサンと読むというハサン(حسن)のつもりで原稿を読んでいた可能性が高いです。
HASSANという英字表記自体はSが濁点化するフランス語文化圏でハザンと読まれないようにするための当て字なのでハッサンではなくハサンと読むのが正解なのですが、アラブ人名に詳しくない方だとアラビア語解説をする際に「ハッサンなんて名前は存在しません」と説明しがちで、その手の投稿はSNSでもしばしば見かけます。
ところがHASSANについてはハサンとハッサーン共通の当て字であることから、相手側がわざわざアラビア文字表記でのフルネームを小池氏に教えてこない限りハサンなのかハッサーンなのか区別できないという結構ややこしい人名となっています。番組では日本語字幕がハッサンとなっていましたが、ひょっとすると相手男性はハサンではなくハッサーンだったことも考えられるため「小池氏がハサンをハッサンとかハッサーンと聞こえる発音をしていた。ハッサンとかハッサーンなんて名前は実在しないから、小池氏はアラブ人名すら知らない素人だ。」は安易な断定に当たります。
テレビの字幕ではハッサン・スレーマンとなっていますが、小池氏の発音自体はハッサンだと思っていそうではありますがおそらくアラブ人であれば「ハサンと言っている」で認識にしてスルーするレベルで、実は「ハッサーン氏なのでむしろハッサンで良かった」ということもあり得るため、「ハッサンと読んだ」と安易に間違い認定するのは保留にすべき部分であるようにも感じます。
なお『3日でおぼえるアラビア語』を見てみると、このハサンという男性名がハッサンとカタカナ表記されhássanという当て字が添えられています。このことから、小池氏がハサンという男性名をハッサンと覚えていたらしいことが読み取れます。小池氏は耳でアラビア語を覚えた割合が高めらしく『3日でおぼえるアラビア語』にはその影響だと思われる誤読・誤字が出てくるのですが、この”ハッサン”もその一つとなっています。
ちなみに画面の日本語字幕では「ハッサン」となっていますが、「テレビの字幕で採用されているカタカナ表記=アラビア石油側が採用しているカタカナ表記でテレビ局は書面なりで受け取った通りに字幕にした≠番組字幕でもアラブ人名カタカナ表記は小池氏が自分で考えていた」かもしれないので、字幕でハッサンとなっている件は小池氏一人の間違い・責任だとしない方が良いかもしれません。
なお、この件についてはネット上で検索しても該当人物を探し当てることができませんでした。アラビア石油なりに問い合わせたりして彼が حسن(ハサン)なのか حسان(ハッサーン)なのか確認しない限り、「ハサンなのに小池氏が間違えた」とは確言できないです。
スレーマーン / スレマーン
字幕では「ハッサン・スレーマン」となっています。これは番組側が決めたカタカナ表記なのか、アラビア石油が渡してきた情報の時点で長い3パーツ形式フルネームがハッサン・ハゼル・スレーマン、短い2パーツ形式フルネームがハッサン・スレーマンというカタカナ表記だったのか、動画からは判断できない部分となっています。
字幕ではスレーマンとなっていますが小池氏自身はアラブ人の口語寄り発音によくあるスレーマーンに近い発音をしているように聞こえます。スレーマーンは文語(正則アラビア語、フスハー)だと二重母音「ay」(=ai)を含むスライマーンなのですが、口語(アーンミーヤ)ではこの二重母音が保持されないのが普通であるためスレイマーン(英字表記例:Suleiman、Sleiman)やスレーマーン(英字表記例:Sleman)となり、早口に話すと伸ばす音である長母音部分が詰まって「スレマーン」「スレーマン」さらには「スレマン」、地域によっては二重母音部分が「ie」っぽくなるせいでスリェマーンなどと聞こえやすくなり英字表記もSuliemanが使われるなどします。
完全な純度100%のフスハーを使うアラビア語テストとか文語詩の朗読などであればスライマーンと読むべきなのですが、それ以外のスレイマーン、スレーマーン、スレマーン、スリィエマーンなどは全部口語発音です。出身地の方言によって違うのでどれが正しいということはなく、「その人が覚えた方言と住んでいた土地でそう発音していたから」と判断する事項となっています。
ワールドビジネスサテライトでのアラビア語使用はあくまでアラブ人とのスムーズな意思疎通が目的だったはずなので、アラブ人がTV放送でやっているのと全く同じように口語発音のスレイマーン、スレーマーン類に置き換えたからといって間違い判定に含める理由は特に無いと思います。それらまで間違い判定するとアラブ世界の大半のニュース番組は100%フスハーとは異なる場合が多いため「名前や地名、動詞、人称代名詞、指示代名詞などを口語発音しているから間違いだらけ」ということになってしまいきりがありません。
なお『3日でおぼえるアラビア語』を見てみると、スリマーンというカタカナ表記にslimān(かつāの上にáの記号あり)となっていました。これは口語(アーンミーヤ)での発音で文語フスハーでスライマーンだったものの二重母音部分が口語で発音変化したり音が詰まったりした方言発音に相当します。
ただ実際の動画では本に書かれているスリマーンではなくスレマーンないしはスレーマーンに聞こえ字幕のスレーマンとも違っているので、当方としては第1候補としてスレーマーン、第2候補としてスレマーンと言っているという風に結論づけた次第です。
ハッサン・スレ(ー)マーン
字幕では「ハッサン・スレーマン」になっており、著書での表記からして小池氏も「ハッサン・スレマーン」といった発音のつもりで原稿を読んでいた可能性が極めて高いのですが、この部分は上でも書いた通り「ハサン・スレーマーン」というアラブ人が日常会話でするのとほぼ同じ発音に聞こえるため、違和感は特に与えず「フスハー発音のハサン・スライマーンじゃないから間違い」との判定も見送る案件だと思われます。
アラビア語圏では文語フスハーと口語アーンミーヤがあることは検証記事でも紹介されていますが、実際にはそれを混ぜたアラビア語(混合体、中間体)というものがあります。ニュース番組・報道番組は必ずフスハーだけで行うという間違った説明をされているため誤解されてしまった方も多いようなのですが、報道番組ではフスハーに口語要素が混じることが結構あり、人のフルネームはその一つとなっています。特に本音トークや心からのコメントを求める時に方言に切り替わることが多く、中継でつなぐ時に相手に話しかける時もニュース原稿の読み上げに比べて口語度合いが強くなりがちです。
なお、小池氏は後年の外交動画でもアラブ人名をアラブ人本人の渡してきた名刺に書かれた英字表記を見てアラビア語会話の中で使っているのではと感じさせる動画があります。それは本人のアラビア語表記と小池氏の発音がずれており小池氏は英字表記をそのまま読んだ時に聞かれる発音と一致しているためです。
アラブ人は自分の名前の英字表記に関して「普段こう発音しているからそのように読んでくれ」的な感じでフスハーではなく現地方言の口語的な読みに依拠した当て字を使うことが多いです。そのためこの番組内電話中継でもHassan SulemanやHassan Suleimanなどと書いてあった名詞なり文書なりに記載された相手男性名英字表記をそのままニュース原稿に組み入れ、人名部分が英語で書かれた原稿を読んだことによってテレビ字幕の「ハッサン・スレーマン」に近い発音をした可能性もゼロではないと思います。
イラクが軍を撤退させると発表した件についての意見を求める
ممكن نعرف رأي سيادتك عن (ال)بيان العراقي لإنسحاب قواتها ؟
ムンキン・ナアラフ・ラァィ・スィヤッタク・アン・バヤーニ・ル=イラーキー・リ・インスィハービ・クウワーティハー(/クーワーティハー)?
にも聞こえますが、繰り返しのリスニングと文法からするとおそらくは
ممكن نعرف رأي سيادتك عن بيان العراق لإنسحاب قواتها ؟
ムンキン・ナアラフ・ラァィ・スィヤッタク・アン・バヤーニ・ル=イラーク・リ・インスィハービ・クウワーティハー(/クーワーティハー)?
字幕:イラク軍の撤退案についてあなたの考えはいかがですか
実際の意味:イラクの自軍撤退声明について貴殿の意見をお教え願えますか?(≒イラクが軍の撤退を表明したことについてどうお考えですか?)
字幕では撤退案という訳になっていますが、実際にはイラクが撤退を発表したこと、自軍撤退の声明を出したことをどう思うか聞いているシーンです。意味としては質問文ですが、フスハーの疑問詞 هَلْ [ hal ] [ ハル ] を使わずに、尻上がり口調と質問に用いる定型表現で疑問文だとわかる形で相手に尋ねています。
人に質問して何かを教えてもらいたい時の口語的な決まり文句+エジプト方言で多用される敬称+基礎的な軍事・時事用語を組み合わせた短文なので、アラビア語経験がある程度ある方なら直訳「イラクがその軍の撤退を発表したことに関する貴殿の意見を我々が知ることは可能ですか?」として聞き取るのは容易だと思います。
この箇所については複数回リスニングしたところ「イラクの声明」という部分が「アン・バヤーニ・ル=イラーキー」にも「アン・バヤーニ・ル=イラーク」にも聞こえたので一応2通り併記しましたが、文法的には下の段に挙げた方がベターかと。
ムンキン・ナアラフ
エジプト方言での会話など口語(アーンミーヤ)的な言い回しで「我々が~を知ることはできます(か)?」という直訳で「~を教えてもらえますか?」と聞いています。英語でいうところの Can we know ~? とか May we know ~? に似た言い回しです。
フスハーだと動詞未完了形の نعرف の前に動名詞と同等にするための أَنْ [ ’an ] [ アン ](英語のto不定詞などに似た感じの構文)を伴うのですが、口語表現ではこれをはさまずムンキンの直後にそのまま動詞未完了形を置きます。
口語的だとはいえ英語の May we know ~? のように少し遠回しにワンクッション置いて丁寧さを出しているフレーズなので、フスハーでの正しい言い方を提示する場合は疑問詞を使ったストレートな聞き方でフスハーによるニュース番組でも多用されている مَا رَأْيُكَ فِي [ mā ra’yuk(a) fī ] [ 文語発音:マー・ラァユカ/ラッユカ、口語寄り発音:マー・ラァユク/ラッユク・フィー ](~についてのあなたの意見は何ですか?)を出すと、後述の尊敬表現スィヤッタク(スィヤーダティカ/スィヤーダタク)まで除去してしまうため、厳密には同等表現への置き換えには該当しないと言えます。
ムンキン
動詞派生形第4形の能動分詞語形で「~できる」「~が可能な」という意味で使われています。ここでは「ナアラフ・ラァイ・スィヤッタク・アン・バヤーニ・ル=イラーキー・リ・インスィハービ・クウワーティハー(/クーワーティハー)」することができるか相手に尋ねています。英語の「Is it possible to know ~」のpossibleがムンキンで、to know以下がナアラフ以降に当たり、toに相当するパーツが抜けている感じです。
ナアラフ
「私たちは~を知る」という意味の動詞で、フスハー的発音かつ語末母音を省くニュース的な読み方では نَعْرِف [ na‘rif ] [ ナアリフ ] となるのですが、小池氏はエジプト人がフスハートークでもよくやる「動詞の活用を口語式で言う」に相当する نَعْرَف [ na‘raf ] [ ナアラフ ] としています。
がちがちの純100%フスハーからエジプト方言寄りに少し崩すミックス会話にする際にネイティブもやっている方法、ないしはフスハーを話しているつもりなのに口語式の発音をついしてしまう人が使う語形がこのナアラフとなっています。
アラビア語は語形(語頭に「私たちは」を意味するn-がつく)と語根(単語に埋め込まれ語彙を生成する際の骨組みとなる3文字の並び順「‘ – r – f」)さえ同じなら途中の母音が少し違っただけでは間違えないようにできており、アラブ人にはナアリフでもナアラフでも「私たちは~を知る」として認識されます。
ラァィ
「意見、考え」という意味の名詞です。ここは普通にフスハー発音です。日本の学界標準カタカナ表記だとラアイになるのですが、実際の発音はラァィとラッィが混ざったような感じなので、ここではひとまず実際の発音に近いラァィとしてあります。
これに「あなたの~」という人称代名詞の接続形をつけて語末母音を省いた会話字発音にすると رَأْيَكْ [ ra’yak ] [ ラァヤクとラッヤクを混ぜたような発音 ] となるのですが、これだけだと電話に出てくれるアラブ人男性に敬意を表することができずへりくだって頼み事をするには少し失礼なので、小池氏はエジプト人がよく使うスィヤッタク(貴殿)という敬称に置き換えています。
スィヤッタク
純フスハー発音だと格変化部分も込みで سِيَادَتِكَ [ siyādatika ] [ スィヤーダティカ ] となりますが、口語寄りにするとまず [ siyādatak ] [ スィヤーダタク ] に変化、さらにエジプト方言では長く伸ばす長母音「ー」部分が詰まったり発音場所の近い d と t が同化してしまったりで [ siyattak ] [ スィヤッタク ] のようになります。
このスィヤッタクはフスハーの時の語形と違うため初めて聞いた方は「?」となるかもしれませんが、エジプト人が男性相手によく使う敬称・呼びかけなのでエジプト方言の学習経験があったりエジプトのメディアの動画・音声を聞いたことがある方なら初期に覚える類の語彙となっています。
小池氏はエジプト人が普段使いしているのと同じスィヤッタクを使用。これは敬語表現で「貴殿」という意味を持ち、ここでは属格(所有格)になっていることから「貴殿の」という風に訳すことになります。
上でも書いた通り、これを رأيك [ ラァヤク ](あなたの意見、あなたの考え)に置き換えてしまうと相手への尊敬を示すパーツが消えることになります。そのためもしこのニュース原稿のアラビア語部分が小池氏自作の文章だったということであれば、小池氏が「スィヤッタク」を使っている件から目上の人物に話しかけるアラブ式の方法をある程度知っていたと判断し得る感じです。
アン・バヤーニ・ル=イラーキー と言っている場合
文法的にはバヤーン(声明、発表*)とイラーキー(イラクの)両方に定冠詞アルがついて عن البيان العراقي [ アニ・ル=バヤーニ・ル=イラーキー ] とすべき箇所なのですが、繰り返し聞いた結果小池氏はバヤーンには定冠詞をつけずて عن بيان العراقي [ アン・バヤーニ・ル=イラーキー ] と言っている可能性があるように感じました。
*字幕では「案」となっていますが、実際には「声明、発表、明かすこと」という意味の名詞です。
『3日でおぼえるアラビア語』でも定冠詞が要る場所に定冠詞が無かったり、定冠詞が要らない場所に定冠詞がついているといった事例が複数あったので、ここは小池氏側の定冠詞つけ忘れだと思われます。
この定冠詞が本来ある場所に定冠詞をつけないというのはアラブ人でもしばしばやることで、アラブ人向けの誤用集にも登場します。特に前置詞の直後に来る定冠詞は口語発音だとはっきり聞き取れないことも多いため、アラブ人が話しているの聞こえた通りに覚えるという会話メインでアラビア語を勉強した方に起きやすい定冠詞脱落だと言えるかもしれません。
文法的に見れば下に挙げた候補「アン・バヤーニ・ル=イラーク」が有力
ただ、後に「クウワーティハー」という語が出てきておりそれよりも前にイラクという国名が名詞形で出ていないと「イラクの声明の軍撤退をイラクが発表したこと」というちょっとおかしい構文になってしまうので、小池氏の見ていた原稿では定冠詞抜けの「アン・バヤーニ・ル=イラーキー」(イラクの声明、イラク的声明について)ではなく「アン・バヤーニ・ル=イラーク」(イラク(が行った)声明について)という属格(イダーファ、いわゆる所有格構文に相当)構文だった可能性が高いと言えるかもしれません。
リスニングを繰り返した限りでは「ムンキン・ナアラフ・ラァイ・スィヤッタク・アン・バヤーニ・ル=イラーク・リ・インスィハービ・クウワーティハー」と聞こえる感じではあるので、当方としてはこれを候補と考えることにしました。
なおこの場合は上で推察した定冠詞関係の誤用というのはありません。
バヤーニ・ル=
ここはフスハーだと属格(≒所有格)になっているので「バヤーニ」で正解なのですが、口語風の発音だと母音がもっとあいまいになるので「バヤーニ・ル=」が「バヤーナ・ル=」に聞こえる方もおられるかもしれません。
ただこれはフスハーとアーンミーヤのミックス会話に起きがちな発音変化で、フスハーで律儀に行っている格変化を表す母音部分が違う母音に聞こえるという現象に当たります。なので仮に「バヤーナ・ル=」に聞こえたとしても、文語-口語混合体(中間体)ではむしろナチュラルな読み上げなので、もしそれをわかっていてやっているということであればアラビア語として格変化を言い間違えているというのとは違ってきます。
イラーキー ないしは イラーク
リスニングで2通りの可能性があると感じたため併記してありますが、イラーキーであれば「イラクの」という意味の形容詞で、イラークであれば国名「アル=イラーク」としての固有名詞で、直前のバヤーン(会話中ではバヤーニの発音で登場)にかかっています。
文語-口語ミックス会話の時にアラーキーに近く聞こえる発音をされることが多いです。そのため小池氏のトークでもイラーキー/イラークとアラーキー/アラークの中間のように感じられるかもしれません。
リ・インスィハービ・クウワーティハー
前置詞「リ」(~の)以下が、イラクの発表した声明の内容を示しています。
堅い文語発音だと「イ」は読み飛ばしてアラビア語表記を لِانْسِحَابِ とした上で「リ・ンスィハービ」とするのが正しいのですが、アラブ諸国のニュースチャンネルではもはやそれをしておらず「リ・インスィハービ」(لِإِنْسِحِابِ)と読むのが常態化しています。
これは「ハムザトルワスル(ハムザトゥルワスル、ハムザトゥ・ル=ワスル、接続ハムザ)の切断」と呼ばれる行為でニュース原稿の読み上げとしてはすっかり定着してしまっている読み方なので、小池氏についてもアラブ世界での慣行に従っている形となっています。
クウワーティハー(クーワーティハーと表記されることもあり)
「ハー」は指示代名詞(女性・単数)の接続形で軍隊という意味のクウワートに接尾。格変化の関係上クウワーティハーという発音になっており、これについては文語フスハーの文法通りの母音がついて「その軍隊の」という意味を示しています。(その軍隊を→イラクの軍隊を→(イラクが)自軍を、といった感じで解釈して和訳を作る部分です。)
「ハー」はイラクを指している部分なのですが、アラビア語では国の名前の大半は女性で、男性扱いする数少ない例の中にイラクが含まれます。そのためクウワーティヒとするのがフスハー文法通りなのですが、大半のアラブ国名は女性であるためネイティブでもイラクは女性の国名だと思っている人が多く、小池氏だけがやっているようなおかしな間違いとはちょっと違っておりネイティブもしばしばクウワーティハーと言う人がいる点はある程度考慮する必要があるかと思います。
文章としての言い回しが非常に自然でアラビア語慣れした感じなので、もし小池氏が自分で作文されたのではなくネイティブによる監修やチェックを受けた結果「クウワーティハー」になったようであれば、この誤用も「手伝ってくれたアラブ人がイラクを女性だと間違えて女性形のハーで受ける作文をしてしまった」ということになってきます。
アラビア語に特徴的な子音の発音ができていないカタカナ原稿棒読みという評価について
キャスター時代の録画は「慣れてるな」「エジプト人っぽい」と感じさせる音読だった
削除されたショート録画については「アラビア語特有の発音が全くできていない」「下手」「アラビア語じゃない」「アラブ人も聞き取れない」という評価が流布しているようです。
しかし文語と口語の両方を併用していてエジプト方言など各国出身者のアラビア語を継続的に耳にしてきた管理人としては、むしろアラビア語を知らない人のカタカナ発音とは全然違っているとの印象を持ちました。アラブ人の知り合いがいる方がキャスター時代の動画だけを見せて感想を求めれば、十中八九「よく読めている」「上手いね」「エジプトに住んでた人でしょ」「言っていることは理解できる」という返事が来るのではと思います。
仮に事前練習をして臨んだ小池氏にとっては最大瞬間風速的な上出来の原稿読み上げだったとしても、スピードも速くエジプト人の口語エジプト方言混じりフスハー発音の特徴をとらえた音読となっており、アラビア語会話を鍛える機会が少ない中東研究者などだと真似できる人はむしろ少ないかもしれません。現在小池氏のアラビア語検証を行っている方たちであっても同様の音読はできない可能性があり得ます。
これを「アラビア語になっていない」「アラブ人も聞き取れない」「文法も間違えまくり」と評しているものがあるとすれば、アラビア語のフスハーとアーンミーヤや混合体(中間体)会話の特質を熟知していないことに起因するアラビア語学の専門性を欠いた不適切な解説や、受け手の大半がアラビア語を知らないことを悪用した印象操作である可能性が高くなってきてしまいます。
たしかに著書では似た発音をする子音同士が混同されていることからアラビア語に特徴的な文字の発音が昔から完璧でなかったであろうことはうかがえるのですが、後年のスピーチでは若い頃にできていたネイティブ風イントネーションが難しくなったことでカタカナ的発音にだいぶ寄っているのに対して、キャスター時代の録画では読むスピードが速くイントネーションがネイティブ風だったこともあって”日本人発音”的なものは感じにくく「エジプトに住んでいた日本人女性がエジプト人みたいに原稿を音読している」としか言えないようなワンシーンに仕上がっているというのが適正な評価だという気がします。
日本のアラビア語界隈では「あの人発音が下手」という揶揄はあまりされない
英語とかもそうですが、アラビア語は教科書通りのネイティブ発音をしていなくても意味が通って相手が理解してくれることが非常に多いこと、また日本でもアラビア文字の発音学習は昔から手薄で本当に正確な発音をマスターしている人はごくわずかであることから、日本人同士で発音の指摘をしてもあまり意味が無いような気がします…
文語・口語双方のアラビア語の発音について日本国内で厳正な解説をできるのはクルアーン(コーラン)朗誦用の文語正則発音と現代アラブ諸国における子音の発音バリエーションや純フスハー会話がアーンミーヤ寄りにシフトする時の変化の特徴に精通したアラビア語専攻の言語学の研究者ぐらいしかおられないのですが、小池氏アラビア語能力評価にはそうした専門家が関与していません。
普段アラビア語に特徴的な子音の調音部位を間違えたりアラビア語文の文法・母音記号間違い・音読誤りをされている方たちが、似たような発音・誤用をしている小池氏を批判し自身はマスターしている立場の人間として告発する、言語学畑の外の方たちが小池氏の日本人的発音を細かく挙げて不十分な根拠をもって告発するという図式になってしまっており、指摘行為・内容に説得力が確保されていない状況です。
*批判を覚悟で書きましたが、事実だとしか言えないためご容赦願います。小池氏告訴に関連したアラビア語批判は恣意的・杜撰・悲惨なものが多く、ショックのあまり管理人も暴走気味で反省しています。
上でも書いた通り、日本人学習者で初級の段階からアラビア語発音が得意な人がまずいないこともあり「アラビア語学習者=発音や文字を覚える苦労を分かち合う仲間」という意識を持ちやすく、アラビア語学習・教育界隈では「あの人は発音が上手い」と言われることはあっても「発音すらできていないのに留学したとか偽物」という評価は全然されてこなかったように思います。
英語学習界と違って「発音が下手くそ」と他者を痛烈批判している人が極めて稀なので、小池氏のアラビア語発音を学歴詐称の証拠として攻撃材料に含める件については違和感や珍しさを感じたアラビア語経験者さんたちも結構いらっしゃるのではないでしょうか…
アラブ世界の特殊な事情と”ネイティブ発音”という定義
小池氏の”日本人発音”や”発音間違い”ですが、元々カイロ大学があるエジプト首都付近は若い女性が喉を酷使して「アァッ」「カァッ」「コァッ」「ハアッ」みたいに「これぞアラビア語」な苦しげでうめいているような発音はしない地域なので、耳で直接ネイティブの発音を聞いて真似した小池氏については、小池氏本人の学習不足で似た音の発音を区別できなかったのとは違う、周囲のエジプト人たちがフスハーの教科書通りの発音をしていない(例:ث(th)音が س(s)音に置き換わる、ع(‘)が ء(’)に寄る)という事情も考慮に入れる必要があります。
ネイティブのアラブ人たちはアラブ世界が広いために同じ字に対して地域差のせいで複数通りの発音をしており、文語では جَ(ジャ)と読む部分が地域によってガだったりギャだったりヤだったりと多様性があります。同じ身体の構造を共有している人間は同じ音の違う音への置き換わりや発音違いなどの傾向もある程度共通しているせいか「日本人がやりがちなこの発音は◯◯地方のアラビア語話者がしていて、その発音は△△部族の人たちの特徴と同じ」といった具合に一致することも多いです。
そのため純フスハーで話す特殊テストでもない限り「この字のネイティブ発音はこれだけ。この発音をしていなかったら絶対に間違い。アラビア語として失格。アラブ人にそんな発音をしている人なんかいない。ただの日本人発音。」と断定してそれ以外の発音を否定するという行為がそぐわず、「この字をこういう発音でするのはおかしい。アラビア語を話せていないのと一緒。」と強調するとアラブ人の特定方言話者や地方部住民に対する方言いじりや方言いじめと似たような発言をすることにもなりかねません。
また ر(r)に至っては調音部位の先天的障害から舌足らず発音になるアラブ人がおり悩みに感じ手術する人までいます。このように子音の種類によってはただの方言いじりではなくアラブ人・日本人に関係無く吃音(どもり)いじりと同じような生まれつきの発音障害揶揄に結びつく場合もあるので、アラビア語学習者の方は他者の非正則発音をやたらと指摘・批判しないようにした方が無難かもしれません。
ところがアラビア語未習の方たちは小池氏落選運動に関して流された情報を真に受けてしまわれ、その少なくない数が「アラビア語スキルの基本要素が発音であり、発音すらできていないということはアラビア語をろくに読めない・書けない・話せない・通じないことを意味する」という風に誤解をされてしまったようです。
実のところ方言の差のために複数子音の発音が正則(フスハー)とは違うアラブ人たちであっても、日本人やそれ以外の非アラブ人であっても、文法力・語彙力・表現力で十分カバーできており模範的発音が苦手な人も特に困っていないということが多いため「文字の発音が日本語みたいで下手だから話していることの内容も伝わっていない」「ネイティブ発音じゃないから相手は呆れ果てている」という解説があるとしたら、かなり大幅な脚色が入っていると判断された方が良いかもしれません。
「文語アラビア語の教科書に書いてあることと違う」という指摘をやり過ぎると、日本人や日本語既習者に「ら抜き言葉を使っているから日本語がまともに話せていない」「原因をげいいんと読んだからその言葉をちゃんと知らないし意味もわかっていない」と非難するのと同じようなことをするレベルに達してしまうため、手当たり次第に指摘して「フスハーと違う」「教科書と違う」と間違い扱いすることはあまり良くなく、フスハーとアーンミーヤそしてその混合体(中間体)全ての性質を十分に把握した上でその人が話しているアラビア語がどういうものなのかを分類・評価する姿勢が求められるものと思います。
キャスター時代のアラビア語ショート動画の客観的評価と実際に読み取れること
文法・語彙の間違い
上記の通り、小池氏のキャスター時代動画は文語-口語混合体(中間体)としては自然な言い回しで、訂正箇所としては男性である国名のイラクを女性形の指示代名詞で受けている「クウワーティハー」から男性形の指示代名詞で受けている「クウワーティヒ」(エジプト式の口語発音だとクウワート)にするという1点が挙げられる程度です。
アラビア石油の人のファーストネームをハッサンと覚え違いをしているかもしれない件は、字幕では「ハッサン」表記になっているものの動画からは男性の名前がハサンかハッサーンなのか確定できないこと、また小池氏の発音も本来の発音ハサンと言っているように聞こえる範囲内であることから、明らかな誤用として含めるのは保留とするのが妥当かもしれません。
発音やイントネーション
発音については上で詳しく述べた通りです。
アラビア語を学んでいる方で「自分が普段使っているフスハー教材付属音声の発音と全然違う」「こんなイントネーションはフスハーじゃない」と感じられる場合があると思うのですが、これは小池氏のキャスター時代の動画がフスハーとは多少違う混合体(中間体)でエジプト訛りが入っておりフスハーのみ経験した学習者が聞き慣れない話し方をしているのが原因です。
アラブ人はフスハーに極めて堪能な人を除き、通常はフスハー発話に本人の方言の影響が多少なりとも現れるため出身地を当てることも比較的しやすいです。
卒後何十年も経過した小池氏はもうそういう発音はされていないのですが、留学からまだそんなに経っていないキャスター時代の録画についてはエジプト人が実際によくやっているフスハー+エジプト方言ミックス会話でする時の発音にそっくりな読み上げをしていました。
アラブのメディアではこういう語彙や構文はほぼフスハーなはずなのに外国人学習者には訛って聞こえる話し方がごく普通に登場するので、ニュース番組特に色々な国籍のアナウンサーや記者が多数出演する汎アラブ局)のリスニングが得意になりたいということであれば、各国方言の要素が混ざった色々な種類のフスハーに慣れる訓練を行うことになります。
フスハーと方言が混ざる混合体アラビア語の厳正な評価は意外と難しい
キャスター時代の小池氏のアラビア語については、日本の大学や語学学校で教えられているアラビア語のほとんどがフスハーであること、日本では文語-口語ミックスアラビア語が教えられることがまず無いことから、混合体(中間体)の存在を知らない方によって「フスハーのはずなのにエジプト方言を無作為に混ぜ込んで、格変化なども読み間違えていてめちゃくちゃだ、発音も変だから聞き取れない」と判断されてしまいとも言えます。
当ページでもしつこいぐらいに書いていますが、検証記事の独自設定と違いエジプトでは他のアラブ諸国同様に公的な会話でのフスハー使用は徹底されておらず文語と口語のミックスが多用されているので、不自然で語彙力の乏しさを感じさせるものでなければ「アラビア語ができないことがばればれ」という評価は不適切となります。
卒後40~50年経った時の小池氏動画であれば「アラビア語の発音も昔から得意ではなかったのかもしれない」と言えたかもしれませんが、少なくともキャスター時代については「びっくりするほど下手」「アラブ人の発音と全然違う」「日本人発音すぎてアラビア語だとわからない」ではないので酷評は困難です。
若い頃、実際にはどのぐらいアラビア語が話せたのか?
キャスター時代の短い録画において、小池氏は何度か下の原稿を見ながらヨルダンにいる男性に話しかけていました。
「原稿をアラビア語として上手く読める」というのと「相手と言葉をやり取りし、返事を聞いてこちらも臨機応変にコメントすることができる」は別物なので、単なるニュース原稿音読ではないアラビア語会話をできるのかどうかについては切り抜きされた動画の後のシーンつまりはヨルダン側のアラブ人男性が返したフスハーをどの程度理解し質疑応答が続けられていたのかや、下準備無しでアラビア語を話していたシーンを探してきて見たりしないと判断はできないです。
ひとまず、ごく短時間の切り抜き動画を見た時点で言えるのは「手元にある原稿を見ながらネイティブに似たアクセントやイントネーションと速めのスピードで読み上げできていた」「ネイティブが手伝っていたとしても、完全コピー才能が無い限りアラビア語経験が皆無の人が真似できない読み方をしていた」といった感想です。
小池氏については「若い頃アラビア語と英語を混ぜて通訳していた」という話が出回っている一方、ワールドビジネスサテライト(WBS)をリアルタイムで見ていた人たちが「イラク大使を呼んでアラビア語でかなりの分数を話していた様子からはとてもアラビア語ができない人には見えなかった」「フスハーメインで話していた」とネットに投稿していることから、キャスター時代はアラビア語を使う頻度が高めで、時事アラビア語の語彙力や報道番組向けの定型表現については学生時代よりも得意だったのではないかと思われます。
なお、この件についてはワールドビジネスサテライトが別途ネイティブなり日本人なりのアラビア語要員がコーディネート業や翻訳のために雇われていたのかどうか、番組のアラビア語関連業務を小池氏がどこまでこなされていたのかによってもかなり評価が変わってきます。
なので2個ぐらいの文章を言った動画だけでは「自然な言い回しを使っているしイントネーションも本場エジプトっぽい」ぐらいしか言えず、「アラブ人と自在に会話できていた」といった詳しいことまでは判断できないです。
動画をすぐに削除してしまったのはなぜか?
アラビア語がよくわかるスタッフが小池氏アラビア語トーク公式動画制作に関わっていて、もし著作権・放送権の問題が全く無かったとしたら、普通は両方とも残すか、削除するのなら会話スピードが最盛期よりも遅くなり文法的な間違いも増えていた時期に当たるエジプト番組出演部分を削除したものと思います。
ネット上では「噂が広がって慌てて下手な方の動画を消した」と言われているようですがアラビア語がわかる人間からすると削除された部分の方が際立って出来が良く聞こえ、もし片方だけを選ばざるを得ないのだとしたら残すべきだったのはむしろピンクのスーツを着ていたキャスター時代の録画でした。
公式には「キャスター時代の番組は権利関係をクリアしていないため」と説明されていますが、もしそれが建前で仮に噂を気にして編集したとすれば「小池氏のアラビア語音読能力の格好のPRになる部分を消してしまった」ことになります。
もしそのような経緯が多少なりとでもあったとすると
- 過去動画の準備は普段公式アカウントに載せている動画を作成している広告会社・制作会社が行ったもので、アラビア語を運用できる人が関与し小池氏が文法間違いをしていない映像を厳選した訳ではなかった。
- 的確なアドバイスをくれるアラブ人などが立ち会っておらず、ネットで広まった評判が不当評価であるということに誰も思い至らないまま急いで再編集を行ってしまった。
といった事情があった可能性も一応は考えられるとは思います。
小池氏も文法をある程度覚えていれば「この部分は嫌だから別の動画を使って」「このシーンは気に入らないから選ばせて」と指示できたのでは?という気もしますが、元々苦手だった文法項目で当時も今も言い間違えていることに気付いていなかったとかで、複数形や動名詞の箇所が要訂正なエジプトテレビ局出演時のひとコマを残してしまったという勘ぐりができなくもないかと…
アラビア語使用者として下すべき客観的評価と検証記事・コンテンツとのギャップ
上でも考察を書いた通り、ニーズの高い「小池氏は全然アラビア語ができず、話している動画も意味不明のアラビア語しか言っていない」という評価を提供する政治系エンタメ的なアラビア語能力鑑定コンテンツやアラビア語話者という立場を利用した落選活動的解説と違って、ワールドビジネスサテライト時代のトーク映像については意味が通っておりネイティブのアラブ人が容易に理解できる話し方でした。
あの削除された動画を「聞き取れない」「アラビア語を読めない人の話し方」「単語も正しく使えていない」と評価するのは相当に無理があるので、キャスター時代のアラビア語会話録画に極端な低評価なつけている検証コンテンツがあるとすれば、「話せている部分をできていないと評価している」「単語を間違えていない部分を間違えていると評価している」という風に過去の検証記事でされてきたような脚色・演出が加えられていると考えた方が良いです。
また「報道番組では口語(アーンミーヤ)の方言を使ってはいけない」「使ったらみっともない」という規則も無く、ネイティブのアナウンサーたちも一部単語が方言発音・活用になっていたりゲストと方言で話したりということを広く行っているため、「小池氏は報道番組なのにフスハーにエジプト方言を混ぜている」と敢えて指摘したり「アラブ人はそんなことをしない」と事実に反する説明を加えることなども、アラビア語解説としては不適切に当たるかと思います。
小池氏に関する検証ではアラビア語について専門性・信頼性を欠いた言説が多いことから、キャスター時代動画をアラビア語能力の無さの決定的証拠と喧伝する件も、単に書きたくて書いた/言いたくて言っただけだったり、低評価を求めるニーズに応えて提供された読者サービスの一種ないしは売上・閲覧数アップの一環だったりしたのでは、と受け止めざるを得ません。
小池氏の人となりが嫌いで政策・特定業者の優遇・疑惑など許しがたいと感じていらっしゃるアラビア語関係者の方も複数おられるとは思います。また激しい落選運動が起きることも政治家としての小池氏が招いてしまった部分もありある程度は仕方が無いのかもしれません。
それでも小池氏のアラビア語能力の片鱗を全否定するような解説やアラビア語使用者としては本来は下せないような評価をすることがアラビア語学の観点からも許されるかというと、それはまた全く別の話として区別すべきだという気がします…
カイロ大学に通うために必要なアラビア語能力とは?
フスハーとアーンミーヤや大学で用いられるアラビア語についての検証記事解説が事実と異なる件
カイロ大学で使われるアラビア語は特殊な古典アラビア語ではない
日本では検証記事がフスハーとアーンミーヤのことを間違って説明しているせいで種々の都市伝説が生まれてしまった感もありますが、大学の講義に使う文語アラビア語というのは日本の古文や漢文とは全然違っており死語にはなっておらず、それを使って生活している人すら稀にいる現役のアラビア語です。
アラビア語は元々読み書き用や部族・民族間共通言語としての文語(フスハー、正則アラビア語)と部族別方言や大衆の日常会話としての口語(アーンミーヤ)が分かれており、口語部分が時代の経過とともにどんどん変化していった一方、文語は神がイスラーム(イスラム教)を伝えた聖典クルアーン(コーラン)の言語ということで劇的な変化を起こさないように固定されたままずっと使われてきたため、アラビア語には日本語の古文・漢文に相当する「昔使っていたけど今のアラブ人が読み書きにも会話にも使っていない古典アラビア語」というものがありません。
検証記事を読んで「アラブの大学ではラテン語のような現代アラブ人も習得が難しい中世の古典アラビア語が使われていて、それができないと卒業できない。アラブ人でも苦労するので次々に落第する。」もしくは「古典アラビア語は現代文ではないのでカイロ大学社会学科の学生は学ぶ必要が無い。」と誤解される方もいらっしゃるようなのですが、アラブの高等教育に用いられている文語アラビア語というのは日本の国語でいうところの古典文法と現代文法(標準語)の区別をせず兼業している存在で、英語やフランス語の授業と筆記だけで卒業させる大学でない限りフスハー(ただし読む・聞く・書くの三技能中心)は絶対に必要です。
「アラビア語で授業を行うこととする」と文学部内規に書かれているカイロ大学文学部に通う際、アラビア語以外による講義やテストを認めるという留学生向け特別措置が認められない限り、フスハーを覚えないとアラビア語で書かれた大学教科書は読めず試験解答も書けないです。
小池氏が在籍していたカイロ大学の教科書や一部講義で使われている文語アラビア語というのは、わかりやすくたとえると現代日本語の標準語に相当するごく普通のアラビア語のことで、ネイティブが小学校から国語として学ぶアラビア語、公的スピーチ・新聞・ニュース番組・書籍・広告・製品パッケージ・看板といった日常的に使用される現役の各国共通正則アラビア語(現代標準アラビア語)を指しています。
そのためカイロ大学の通学に必要な文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)は、日本や現地の語学学校で日本人学習者が教わるごく普通の学習で身に付けるアラビア語と全く同一で、それなりの年月をかけてやればアラブの大学留学にそのまま応用することができます。
「アラブの大学では文語アラビア語フスハーしか使わない」という脚色が現地渡航する留学生を苦労させる原因になりかねないという問題
小池氏に関連して日本で紹介されているアラビア語のフスハー・アーンミーヤ像は実像とは異なりアラブ諸国の大学におけるアラビア語の状況やアラブ人による文語・口語の使い分けに関する記述なども実際とは全く違うので、ただのアラビア語学習者にとって真に受けて得になることは何も無く、現地に渡航した時にアラブ人に話せばびっくりされてしまいます。
もしそ小池氏告発のために作り出された感の強い一連のアラビア語話を信じてしまうと「アラブの大学で勉強するには文語だけ知っていればいいって言ったじゃないか!先生たちの講義はアーンミーヤ連発で学生たちもみんなアーンミーヤで話してるから、先生や学生のやり取りも理解できない!」というとんでもない目に遭うことになるなど、アラビア語専攻や宗教大学以外の学部・学科に留学予定がある方にとっては苦労の原因にしかならないと思います。
元々日本ではエジプト留学にフスハーとアーンミーヤの両方が必要になることを知らされないまま留学してしまい「通じない…」と呆然とするという失敗談が聞かれるなどしていたのですが、インターネットの普及や日本のアラビア語教育改良によってだいぶ解消された形です。
そこに新規に「アラブの大学では文語アラビア語フスハーしか使わない」「アラブ諸国の大学に留学した人間がフスハーとアーンミーヤを混ぜた下品なアラビア語を使うな」的な情報を投下するのは、正直なところ小池氏告発のためだけに随分とひどいことをされるな…との印象です。
アラビア語専攻などに在籍していれば検証記事に書かれている文語アラビア語と口語アラビア語の相互関係や大学留学に必要なアラビア語の種類に関する話が事実ではないと教えてくれる先生や先輩たちがいるので心配無いと思うのですが、相談相手もおらず地方の大学などで自己努力の研鑽を続け交換留学制度を利用しようと考えている方の中にはひょっとすると勘違いしてしまうこともあるかもしれないため、しつこいようですが一応書かせていただいた次第です。
文語フスハーで話す能力はカイロ大学卒業能力の決定的証拠にできない理由
元々現地の大学を卒業すること自体には通訳並みの流暢な会話能力は必要無く、文語(正則アラビア語、フスハー)や口語の現地方言(エジプトの場合はエジプト方言)そしてそれらを混ぜ合わせたアラビア語で行われる授業を聞いたり、文語で書かれた本を読んだり文語で作文したりする能力があれば乗り越えることが可能だと言えるかと思います。
小池氏問題で追求されている「現時点で文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)でスラスラ話せなければカイロ大学を正規卒業していないと証明できる」といった言説は、文語会話能力を特に要しない社会学科卒業に在籍していた小池氏にとってフスハー会話が弱点なのを承知の上で争点として選んだ可能性も否めず、攻めるポイントとしては合っているとは思うのですが「フスハー会話力=卒業要件」という誤解に依拠しているので、アラビア語の性質や日本人留学生のアラビア語習得に関する正しい理解という点では問題があると言わざるを得ないです。
小池氏は通訳をしていたという経歴になっているので「フスハーも話せないとおかしい」と取り沙汰されているだけで、カイロ大学卒業という部分だけであれば聞く・読む・書くの三技能の検証が重要なので、そこに直接関わらないフスハー会話技能だけを検証内容とするのはむしろ不適切だということにもなってきます。
「エジプトの大学で学べば自動的にフスハー会話も上手になるはずだ」は無理がある件
エジプト人ですら大学を出てもフスハースピーチが上手くならず、アラビア語専攻かエジプト方言習得を捨ててフスハーだけに専念することを選んだ人でない限り日本人留学生もだいたいそうなるというのが定番であるにもかかわらず、エジプト在住経験がありアラビア語のプロとして解説を提供する側の方が「カイロ大学を卒業したのなら、本を読むのと同じぐらいの技量をもってフスハーで不自由せずスピーチできないとおかしい」と主張されているというのは、やはり謎が残ります。
アラブ世界では小・中・高・大のアラビア語教育カリキュラムから日常会話やスピーチの十分な訓練が欠けているせいでフスハー会話に不自由する大卒者が多いことは広く知られており、勉強に必要なフスハー語彙ばかりを増やしてもごくありきたりな会話をするスキルは身に付かないことから各国のアラビア語教育者たちの間で盛んな議論が行われています。
これは日本人学習者も同様でアラビア語のフスハーは日本語の標準語と違い毎日の生活で使うことは基本的に無いため「読む・聞くはできて書く方のもまあまあできるけれども話すのは厳しい」となりがちです。
アラビア語のことを知っている側からすると「カイロ大学を卒業したのなら何学科を学んだとしてもフスハー会話が堪能になっていないとおかしい」と考えはアラビア語やエジプトの現状と合致しておらず逆に「アラビア語やエジプト国立大学のことをご存知ないのでは?」と思えてしまうのですが、検証者側の単なる誤解でないとなると脚色が加わっているという判断になってきてしまう、というのが正直なところです。
エジプトは多くの文学者を生み出してきた文化的にも豊かな国ですが、その一方で多くの人がフスハーを得意としておらず「エジプトに留学してもフスハーがペラペラにならない」として有名です。
これはエジプトにアラビア語留学した方とかなら実感をもって理解できる点ではあるのですが、アラビア語について知らない方が「アラブの大学ではフスハー能力が必須。勉強していれば自ずとフスハーで話せるようになる。」と聞くと真に受けて「エジプトの大学ではみんなフスハーを使っているらしい。カイロ大卒というのはそうしたアラブ人ですら難解だと感じる古典語をマスターしたことの証拠でもある。それなのに小池氏はフスハーが苦手だなんてカイロ大学に通っていなかったことが丸わかりだ。」と誤解してしまわれやすいのかもしれません。
カイロ大学で学ぶには文語・口語のどの技能が欠かせないか?
階段教室での大人数授業がメインとなる学業に直接影響するのは文語を読む・聞く・書く+口語を聞く
エジプトはフスハー会話が苦手な人が多い国で、学科によっては大学の教員や研究者であってもフスハーで話すのが得意ではないということも珍しくありません。
そうしたエジプトで国立大学学生の社会学科学生としてやっていくためには
- 講義を聞く:フスハー、フスハーとエジプト方言の混合体(中間体)、エジプト方言
- 本を読む:フスハー
- 文章を書く:フスハー
- 教官・エジプト人学生・大学職員などと会話する:基本的にエジプト方言、フスハーは向こう側からしてくれた時と自分から頼んで相手が応じてくれた時のみ
- 他国留学生と会話する:主にフスハー、時にはエジプト方言
- フスハーで流暢に会話する能力:フスハーを多用するとたいてのエジプト人は嫌がる・困るので特に必要無し、大学内外で円滑な人間関係を築きなかなか仕事をしない事務員に動いてもらうなどするにはエジプト方言が上手くなった方がずっと得
といった感じで、文語と口語を使う分ける形となります。
日本の基準で考えてよく誤解されがちなのが「小池氏だって大学に通っていたならゼミで散々フスハーのディスカッションをしていたはずだ」という点です。エジプト人も含めアラブ人のほとんどは大学の講義で他の学生とがちがちのフスハーでディスカッションを行うということをしないのですが、それ以前にカイロ大学はマンモス大学なので基本的に大きな階段教室でずらっと並んで先生の話を聞きノートを取って必要な場合には質問をするという形式となっています。
全部の授業がひたすら受け身とまでは言いませんが、アラブ世界でも大学で学生のフスハー会話能力やディスカッション能力が上がらないことが社会問題化しているぐらいなので、「カイロ大学に通えばフスハーでディスカッションする機会ぐらい繰り返しある」とか「カイロ大学に4年通って卒業するとと通訳をこなせるぐらいにはフスハー会話能力が上がる」は誤解に当たります。
上のような環境では意識してフスハーを鍛錬して家庭教師をつけたりして別途学ばないと純度の高い硬度なフスハー会話能力は習得できないです。
アラビア語学科留学生と社会学科留学生の違い
アラビア語学科だと先生もたいていはフスハー会話が堪能で混合体(中間体)を使うとしてもエジプト方言要素が少なめで、エジプト人学生でもフスハー会話が上手い人が集まっているため相手をしてくれやすく、各国から留学生が集まる学科ということでエジプト方言習得を捨ててフスハーだけに専念することも可能です。
しかし社会学科ともなればアラビア語事情はかなり違うので、フスハーとエジプト方言に取り組む分アラビア語学習の進度は落ち効率も悪くなりがちです。そうなるとアラビア語学科卒業生とは違い無くても構わないフスハー会話の部分がまず最初にカットされることになってきます。
元々エジプトはアラビア語を使っていなかった人たちが住んでいた国で、オスマン朝期は国政や社会の上層部においてトルコ語が広く使われ文語アラビア語の権威は低下していました。近代以降にアラビア語が復権しフスハーの重要性も見直されて今に至りますが、現代エジプトでは「フスハーを話せないなんてみっともない」という風潮は強くなく「ج(j)の発音が g でも恥ずべき点は一切無い、これはれっきとしたフスハーだ」だとしてエジプト的アラビア語を堂々と使うお国柄なので、社会学科で口頭試問のテストがあってもエジプト人学生などと同じくフスハーとアーンミーヤが混ざったアラビア語で言うべきことを言えばそれで十分で、フスハーを話せず責められるということは考えられません。
なお、近頃のアラブ世界ではアラビア語学科ですらもアーンミーヤで講義をする教官がいたりフスハーに親しむ時間が少なかったりでフスハー会話が得意でない学生たちもいます。一方で本人が読書・文学好きだとか親が意識して幼少期からたくさんの本を買い与えたといった理由から医学系や理工系などでもフスハー会話がに担当な人もいたりで状況はまちまちです。なのでアラブの大卒者が漏れなく皆揃ってフスハーで話せるというような国もどこを探しても無いです。
通常はどのぐらい勉強するとフスハーとエジプト方言が入り混じったカイロ大学の講義に対応できるか?
日本でアラビア語学習を始めた人の場合の習得年数について
管理人の経験からすると、日本でアラビア語を学習する人の場合は先にフスハーを3~4年、フスハー学習の3~4年目の時に並行してエジプト方言を学ぶという順番にすれば、テレビ番組や大学講義で話されるエジプト方言ないしは文語-口語混合体(中間体)のリスニングもがだいたいできるようになるものと思われます。
幸い大学の講義というのは本格的なエジプト方言知識が必要なテレビドラマと違い語られるテーマは決まっていてフスハー学習で語彙を習得しておいて残りのエジプト方言の基礎表現が理解できていれば対応可能です。フスハーで専門書や教科書を読み内容が理解できないと講義内容も聞き取れないので、やはり一番大事なのは文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)能力の「読む」「聞く」「書く」方だと言えます。
管理人は今では色々な国の大学講義やアラビア語レクチャーの動画を理解できるようになりましたが、フスハーを日本で数年学んで現地方言がほぼできないまま留学した時にはきつかったので、エジプト方言なり留学先地域で話されている口語の知識が欠かせないことは確かです。
なお常識的に言って1年程度ではどんなにアラビア語の才能があってもカイロ大学の授業についていくのは無理で、個人的な経験やごく一般的な情報などを総合すると、アラビア語経験がそれまで無かった人が突然留学してカイロ大学の社会学科で正規学生として単位を取っていくにはエジプトに渡航した後フスハーとアーンミーヤを学んでおかないと厳しく、両方を同時進行でみっちり学び2~3年ぐらいかけてようやくついていけるかどうかの状態に達する感じなのでは…という気がします。
実際にカイロ大学アラビア語学科を卒業された小笠原良治先生はカイロ大学入学前に3年間アラビア語教育を別途受けて準備されたとのこと。社会学科はアラビア語学科ほど高度なアラビア語文法能力は必要ありませんが、やはり最低でも2年はアラビア語に全力投球してから臨むというのが常識的な準備スケジュールだと思われます。
小池氏伝記での述懐
小池氏自身は自著『振り袖、ピラミッドを登る』において、試験問題がエジプト人教官たちの手書き文字がガリ版刷りで判読が難しく判読できても問題の意味が理解できなかったため暗記をした文章を書き込むという形で対処したと書かれているとのこと。
エジプトに渡航し短期間の準備でカイロ大学に入学し、アラビア語専攻学生でも十分準備しないとついていけない現地大学での文語・口語混じりの授業と慣れが必要なアラブ人の手書き文字とに突然直面し、相当苦労された模様です。
パソコンが普及した今では教科書もプリントも非常に読みやすいフォントで文章が書かれているので実感しにくいですが、アラブ人の手書き文字というのは書籍の活字体とは大きく違う上に個人差があるため、アラビア語学習歴が1~2年の段階で色々な科目の先生たちの作った試験問題を読むだけでも大変だったのではないでしょうか。
現在のカイロ大学社会学部の講義で話されるアラビア語の種類
社会学科の授業はエジプト方言使用派が圧倒的に多い
カイロ大学における社会学科の学生が受ける講義で各教員がどのようなアラビア語を話しているかについては、YouTubeにあるカイロ大学の社会学ブレンディッドラーニング(ブレンド型学習)チャンネルで疑似体験できるようになっています。
- محمد صلاح الدين 先生:フスハー(発音や抑揚はややエジプト風、がちがちの文語ではない)
- محمد ربيع 先生:エジプト方言(口語色がやや強く口語学習経験が無いと専門用語しか聞き取れない可能性あり)
- نورا سعيد 先生:スライド読み上げはほぼフスハー(ただし語形など母音位置がエジプト口語のそれになっており口語要素が入っている)、それ以外でエジプト方言が少し登場
- أحمد بدر 先生:フスハーにエジプト方言要素が少量混在
- ليلى البهنساوي 先生:スライド読み上げ時はフスハー度が高いがエジプト方言混入あり、それ以外のトークは多少かしこまった感じはあるがエジプト方言(比較的聞き取りやすい)
- محمود الكردي 先生:フスハー寄りのエジプト方言ミックス
- كمال التابعي 先生:かしこまった感じはあるがエジプト方言
- ابتسام علام 先生:フスハーとエジプト方言ミックス
- سناء بدوي 先生:フスハー寄りのエジプト方言ミックス
- عبد الله أحمد عبد الغني 先生:ほぼ全編スライド読み上げなのでエジプト風発音でのフスハー、普通のトークはかしこまった感じはあるがエジプト方言(データシート入力方法解説などだとスライド読み上げ講義よりも口語色がやや強まったエジプト方言)
- عصام جميل 先生:エジプト方言、スライド読み上げはフスハー寄りになるものの他の教官に比べるとやや口語寄り
- علي المكاوي 先生:フスハー寄りのエジプト方言ミックス(やや早口)
- عبد اللطيف محمد خليفة 先生:フスハー寄りのエジプト方言ミックス
- شريف محمد عوض 先生:最初はフスハー色が強めだったりするが、話しているうちにエジプト方言が濃くなってきたりも、そしてエジプト方言寄りになったかと思うと語尾の格変化という文語要素が顔を見せたりと変化が大きめ
- عبد الحميد نجم 先生:スライド読み上げはフスハー寄りになるものの、トーク部分は専門用語を多用するためかしこまった感じは多少するがエジプト方言
といった具合にフスハーだけで話し続ける先生はほぼいないことがわかります。
エジプトアクセントや口語語彙を多少含むフスハーからほぼエジプト方言まで色々な度合いのアラビア語が用いられており、文語アラビア語と口語アラビア語双方の対応能力、文語・口語がどんな割合で混ざっていても理解する能力が求められることがわかります。
カイロ大学社会学科講師陣が話すアラビア語から推測できる必要なアラビア語レベルとは?
通常の日本人学生の習得スピードからすると、カイロ大学社会学科講師陣のフスハー、フスハー+エジプト方言、エジプト方言の全タイプに対応して漏れなく聞き取ってノートもしっかり取るには、日本の大学にあるアラビア語専攻所属で留学経験のある5~6回生のうち特にアラビア語が得意な方もしくは院生さんぐらいの運用能力が要るのではと思います。
文語と口語が色々な比率で混ざりあったアラビア語の全てを理解するというのはアラビア語専門家らの聞きやすくクリアなフスハーに比べるとかなりリスニングが難しい部類に入り、フスハーの純度が高いアラビア語学科あたりの講義で話されるアラビア語とはかなり違うため、社会学科でやっていくとなるとリスニングに関しては文語・口語二刀流にならないと厳しいのではないでしょうか。
カイロ大学の社会学ブレンディッドラーニング(ブレンド型学習)チャンネルを見る限り、数は多くないのですがかなりエジプト方言色の強い先生もいらっしゃって、そういう講義はフスハーしかやっていない人にはほぼ聞き取れない可能性が高いことから科目落第のリスクも高いように見受けられます。
そうした文語と口語が混ざった環境についていくためには極めなくても困らない部分を後回しにして重要な技能に注力せざるを得ない訳ですが、文語(フスハー/正則アラビア語/現代標準アラビア語)の読む・聞く・書く・話すと口語(アーンミーヤ)エジプト方言の聞く・話すの各技能のうちどれかを切り捨てる選択をする場合、エジプト社会で使う頻度が低く使わなくても落第に直結しない「フスハーでの会話能力」を真っ先に後回しにするというのが通常の対応になるかと思います。
ただ社会学などは日本語や英語で書かれた教科書が昔からあり資金さえあればアラビア語で書かれた同ジャンルの本を読むための参考書として横に置いて勉強することができることから、そのような環境を整えられないアラビア語学科などよりもその点に関しては楽なのかもしれません。
カイロ大学を卒業した日本人はすぐに通訳になれるのか?
特定分野を専攻した非ネイティブのアラビア語は偏っている
アラビア語通訳になるための集中的な訓練を何年も受け続ける外務省員を除けば、日本人でアラビア語にかかわる勉強をしてきた人たちは何らかの特定ジャンルに特化して本や資料を読むということを長年繰り返してきた層がほとんどです。
そのため大学などで初級~中級フスハー文法を学んだらすぐにニュース記事や歴史資料の講読授業に入り、そのジャンルの語彙ばかりがやたらと増えていくことになります。
日本のアラビア語学習界隈では「ニュース記事ばかり読んでいるので爆破とか攻撃とか物騒な単語ばかり知っているとネイティブに笑われた」とか「歴史研究をしているせいで歴史用語はスラスラ出てくるのに日常会話表現を知らないので何年経っても会話が苦手だ」などは学習体験談の定番ネタともなっているほどで、自分が専攻していない分野のアラビア語語彙・表現を身に付けるには日本在住であれ現地留学中であれ自主的な努力する必要があります。
カイロ大学は通訳になれる技能を養える場所ではない
アラビア語の勉強やアラビア語圏の大学に留学しただけだと話す訓練はほとんど受けずアラビア語学科や宗教大学でないと文法なども詳しく教わらないため、本格的な通訳になる時点でカイロ大学の勉強では特に必要が無かったフスハーでの会話を実務レベルに引き上げることになるかと思います。
特に日本人が通訳と聞いて思い浮かべるのは最も難易度が高いタイプの同時通訳(アラビア語を聞きながら同時進行で即時に日本語にしていく)なので、これについては何年もの訓練と実務経験を要するため素人の人がすぐできるようにはならないです。
またカイロ大学はマンモス大学で会談授業に座って先生の講義を聞く作業が多いため、実用的なアラビア語の運用能力は「少人数制の語学学校で4~5年みっちり学び家庭教師もつけて、さらにはエジプト人家庭にホームステイもしてフスハーとアーンミーヤのエジプト方言を鍛えまくった」という人の方が上回る可能性があります。
なのでカイロ大学を卒業したからといってアラビア語能力に一切死角が無いスーパー人材が育ち卒業後すぐに外務省の現役書記官並みの外交通訳ができる、という風には考えない方が良いと思います。
日本におけるアラビア語通訳の内容と必要な技能レベル
日本でアラビア語の同時通訳をしている方たちというと、カイロ大学の日本語学科で学び日本人と結婚して日本に20年、30年と住んでいるネイティブ、アラブ人と日本人のハーフで多くの年数を現地で過ごし現地校を卒業された方、家庭の都合から現地の学校・大学を卒業した日本人といった顔ぶれです。
留学経験がありアラビア語のできる日本人(主にアラビア語専攻やアラブ文学専攻)が行っている通訳の仕事はイベントや放送を聞いて日本語に直す逐次通訳が多く、同時通訳に比べると難易度が低めです。アラビア語をやっている学部生や院生たちに声がかかるのも似た系統の逐次通訳業務である放送局やイベントでの通訳手伝い、来賓のアテンド的なものだったりします。
小池氏は若い頃は要人のアテンドやアラビア語講師などをされていたようですが、業務内容からして同時通訳並みのスキルは元々必要無かったものと思われます。
「本当に通訳できていたのか?」という疑問の声はカイロ大学卒業・アラビア語習得の経緯や一般的な語学学習者が通訳レベルになるまでの期間と照らし合わせた際に整合性が少ないとされたために出てきたのだと思いますが、元々身内の伝手から始まった留学や仕事だったようなので、ごく普通のルートで通訳になる人とは違うなりに持ち前の胆力と工夫で乗り切っていたのかもしれません…
アラビア語の通訳といっても非常に高度な技能が無いと難しい外交や会議での通訳からイベントや来日アラブ人のお世話役まで様々です。「これは自分には無理だ」と判断して断るか、どんどん引き受けて実績を作りチャンスにつなげようとするかは人それぞれなので、通訳経験があるといっても皆が同じようなアラビア語技能を備えているとは限らないように思います。
文章の骨格と語彙さえ合っていれば多少の活用・複数形・性別間違いや発音位置ずれ程度では十分通じるアラビア語
「アラビア語の発音がなっていないと言っていることは相手に通じない」「教科書通りの発音ができていない人はアラビア語がわからない証拠」は小池氏批判のために誇張されている独自設定なので、外国人が話すアラビア語の問題についても詳しく確認してみたいと思います。
ちょっと違っていてもアラブ人が理解してくれる理由
アラブ人は構文や語彙が大きく間違っていると学習者による精一杯のアラビア語会話にも「???」という反応になるのですが、ネイティブ自身もアルファベットの発音を皆完璧にできるわけではなく方言ごとにフスハーの発音と違っている文字が何個もあるため、文章が合ってさえいればフスハーの完璧な正しい発音から外れた程度で理解できなくなることは決してありません。
*ただし語形が似た変な単語(主に卑猥語)と同じ発音になると笑われたり、日本人大使の談話動画に投稿するコメント欄で「話すのは上手いけどアラビア語発音ができていない日本人発音」「サムライ発音」と茶化している人もいます。
そもそもアラビア語は世界各地のイスラーム教徒が学ぶ言語であることから、とにかく意思疎通できることが大事で多少の発音ミスには寛容です。
アラブ世界はネイティブ発音でなくても活躍している人たちであふれている
アラブ世界はアラブ連盟加盟国が多いこともあってアラビア語を話す外務省の大使も大勢おられるのですが、「私は会話は得意ではないのですが」と前置きをしつつも現地テレビに出演し長時間インタビューに対応するなどして情報発信を行い、人柄や活動ぶりがアラブ受けして現地で国民的な人気を得てブームになった事例すらありました。
日本から比較的近い地域である中国の方たち(多くがイスラーム教徒)も大勢アラブ圏に留学していますが、中国語風の発音・イントネーションを残したままでも積極的にアラビア語で会話し中東研究・外交・商業といった各シーンで活躍。アラブ世界における中国の目覚ましい進出を支えています。
アラビア語学習と発音スキル評価の問題
日本のアラビア語教育では昔から文字の書き順以上に正確な発音の教授というものが行われてきませんでした。フスハーの正しいアラブ式発音をほぼ完璧にできるのはイスラーム留学してクルアーン(コーラン)朗誦の免許が皆伝されたような人たちぐらいで、調音部位に関する本や動画を長年見続けて発音矯正をした管理人であってもその道のプロからは程遠くあくまで素人でしかありません。
日本式アラビア語教育カリキュラムの関係から日本人アラビア語既習者でも完璧なネイティブ発音はマスターしていない方が普通なので、日本のアラビア語界隈もネイティブ顔負けの発音を要求するような風潮はありません。
なので小池氏の発音の正確性を過度に指摘し「発音すらできていない=日本人学習者としては極めて低レベル、ろくに話せないことの証拠」と誤認させる解説があるとすればかなりの注意が必要かもしれません。
アラビア語という言語は、文字のつづりや発音でつまづいてしまって挫折する方がとても多いです。相手に通じる程度に覚えればひとまずは十分なので、学習者の皆様も気兼ねせず楽しんで少しでも長く継続するという部分を重視して取り組んでいただければと個人的には考えています。
アラビア語を忘れるということについて
過去に頑張ったとしても使わなければ着実に衰えるアラビア語
管理人は「昔カイロ大学を卒業してアラビア語通訳をしていた人は、通訳業をやめて政治家になったとしても生涯アラビア語ですらすらと討論ができる」とは思わないです。というのも自分自身が「あんなにやり込んで留学までして覚えたアラビア語を放置していたらアルファベット順までとっさに言えなくなった」という体験を実際にしたためです。
自分の場合は使わなくなったアウトプット分野である「話す」と「書く」が特にだめになり、卒後10年以上経った時点で突然壇上に立たされスピーチしろと言われたら、学生時代のアラビア語の成績にはとても見合わないような醜態を晒していたと思います。
語学や現地留学をしたうちの大勢が実感されたことがあると思うのですが、大学以降に習得した言語というものは、帰国子女の幼児が住んでいた地域の言語を忘れ去るのとはまた違った形ではあれ、使わなくなるとあっという間に衰えます。放送通訳やイベント通訳程度を請け負えるぐらいに上達したはずが、離れた途端に語彙数がどんどん減っていきかつてできていたはずの会話も5年後、10年後にはすっかり衰えていた、という方も珍しくないのではないでしょうか。
「語学を一度極めたのなら卒業から50年経過してもアラビア語がすっと出てきて討論会でも流暢に話せで難なくこなせるはずだ。それができなければカイロ大学を卒業していない証拠だし、通訳をしていたのもハッタリで周囲を騙していたと証明できる。」というのも、語学・留学経験が無い受け手に「小池氏は最初から全然アラビア語ができなかった。今も話せないのなら全部嘘だった。」と印象づけるためのトリックとして使われているに過ぎないとの印象です。
「話す」と「書く」は小池氏に限らず外国語をかつて学んで留学や仕事に使ったもののその後数十年ほぼ放置していた人たちをほぼ確実に公開処刑状態にできる手段なので、小池氏を告発している側の方々もある程度承知の上で「50年経ってもフスハーでスピーチできなかったら卒業は詐称」とか「50年経っても作文できなければ卒論を書けなかった証拠だから卒業は嘘」と言っている可能性があるかもしれません。
アラビア語は月数回程度の公務ではとても維持できるようなものではなく、卒後も関心を失わずアラビア語のジャーナルやニュースに目を通す生活をしていたとしてもアウトプット機会が少ないために会話・筆記能力は落ちる一方で、書籍・雑誌のアラビア語文章には発音記号がついていないこともあり定期的に文法復習をしないと格変化や動詞派生形といった実務では使わなくなる文法項目は忘れていきやすいです。
小池氏アラビア語の検証記事・コンテンツを作られている方たちも同様に現役学生ならしないようなアラビア語の文法・聞き取り・音読などの誤用を多数されており、その中にはおそらく学生時代から元々苦手だったであろう文法項目もある点、長年が経過して何らかの衰えがあるという点では程度こそ違うものの小池氏と同じであり、自分たちも忘れてできなくなっていることがあるのに卒後50年の小池氏だけに極めて高度な技能の維持を要求するのはやり過ぎなのでは…という気がします。
*ジョン万次郎も晩年には英語をだいぶ忘れてしまったと言われていますが、アラビア語についてはイラク出身アラブ人であるザハー・ハディード(ズハー・ハディード、慣用カタカナ表記:ザハ・ハディッド)氏などは晩年アラビア語があまり話せなくなってしまっておりイラクメディアにもいつも英語で対応していました。
ネイティブでも大学に入った後は忘れていってしまうフスハー文法
アラビア語の文語(正則アラビア語、フスハー)はネイティブの多くが日常生活でも仕事でも使わないことが多く、エジプトなどもそうした傾向が強い国として知られています。
一般的にアラブ人は大学進学を決めるための統一試験の時がフスハー能力のピークで、日本人が大学受験後に英文法を忘れていくのと同様、アラブ人も大学入学後は高校までに習ったフスハー学習の内容を次第に忘れていってしまいます。
それが大卒・院卒アラブ人でもフスハーの文法間違いをよくする原因の一つでもあるのですが、小池氏のアラビア語を検証するからといってネイティブでも卒後50年では忘れているような細かい文語文法まで指摘しだすとやり過ぎに当たるため、この手の検証や追求は意外と加減が難しかったりします。
小池氏が仮に真面目にカイロ大学に通っていたとしても、社会学科の授業をこなせさえすればいいので、卒後50年の時点で当時の学業にすら必要なかったはずの「高度な内容をフスハーで話しアラビア語で長時間ディベートする」といった技能や「中級~上級フスハー文法を全然間違えない」といった要求は、むしろウィークポイントを知っている人が揚げ足取り目的で意図的に設定した攻撃ポイントであるとアラビア語業界関係者に受け止められる恐れがあるかもしれません。
アラビア語は使わなくなっても得意だった部分と苦手だった部分自体は変わらない
上のような理由から「小池氏が今でもペラペラしゃべれないのはおかしい」という言説には同意できないのですが、「しゃべれなくなったとしても過去にフスハー文法が得意だったかそうでなかったかといった片鱗はたどたどしいなりに会話の中に表れているのではないか?」という推測は間違っていないとも感じます。
管理人は過去に一度長いブランクがありアラビア語から完全に離れていたのですが、普段わざわざ言わないアルファベット順などを言えなくなくなっていました。ただ時々耳にするアラビア語のニュースを聞き取ったりアラビア語の入門書を開いたりすればそれなりに理解でき、ごく簡単な会話は突然アラブ人に話しかけられてもできたので、元々できていたことや繰り返しにより十分定着していたことは年数が経っても断片的ではあれ残りやすいのだと思います。
なのですっかりさびついて話したり書いたりするのが難しくなったとしてもたどたどしくなったアラビア語にはその人のアラビア語技能のかつての姿が見え隠れするものであり、小池氏についてもキャスター時代に出版された著書と後年のアラビア語会話で間違える箇所がだいたい同じだというのも、それが同氏の元々の苦手ポイントだったからなのだと考えられます。
小池氏は元々フスハー文法が得意ではなかったことは公言されておりその痕跡が本や動画からは見て取れるのですが、そもそも若い頃に行っていた業務内容からすると純フスハーで長時間討論会や本格的ディベート(注:エジプト人大卒者の大半が苦手です)するほどの会話能力は要らず、卒後50年時点でフスハーによる時事討論をさせるというのは、50年前にカイロ大学を卒業したとか若い頃に通訳的なアテンドをしたことの証明などととしてはハードルを上げ過ぎな過大要求に当たる気もします。
小池氏告発キャンペーンが何年も続くことで次第に要求されるレベルが上がってきてしまっているだけで、本当は簡単な読み・リスニング・文法などの選択問題をしてもらって過去にどの程度できていたのかの推定をする方がずっと現実的なのかもしれません。
アラビア語はお腹いっぱいになって興味を失う人も多い
小池氏については「元々できたのなら、アラビア語を勉強し直せば都議会でも上手に話せるのでは?」「都議会の質疑のためにどうしてアラビア語をやり直さないのか?」という声もあるようです。
自分自身の経験もあって昔基礎固めをしたことがある人は再勉強すれば回復期間が短くて済むとの実感はありますが、アラブ圏特にエジプトというのは留学経験者が「現地人と長年接していたら疲れてしまった」「アラビア語はもうお腹いっぱいでまたやる気になれない」「興味津々だったかつてのキラキラした意欲はどこかに消えてしまった」「エジプト人と関わりたいとあまり思えなくなってしまった」「本当はもうアラブ人とアラビア語で話したくない」となりやすい土地柄でもあります。
小池氏がアラビア語を勉強し直してある時突然都議会や街頭演説でアラビア語をしゃべりださないのも、卒業問題に触れてほしくないという以外にまた本格的にアラビア語をやろうという気に全くなれないからなのかもしれません…
小池氏はアラビア語に比べると英語の会話はずっと流暢です。アラブ世界はアラブ人が就職機会を得ようと競って我が子に英語を習わせようとする風潮が広まってきていたり、多国籍なビジネスシーンでは英語が使われたりと、外国人がアラブ人相手に外交やビジネスの話をする程度なら英語が使えれば困らない社会になってきています。
それも小池氏がアラブ世界意外との外交にも必要でなにかと便利な英語を使い続け、使えなくても困らないアラビア語能力の維持やブラッシュアップに熱心でないように見受けられる原因の一つかもしれません。
現在のカイロ大学カリキュラムと成績・卒業のシステム
検証記事・コンテンツでは作成者がカイロ大学の卒業関連規則を調べないまま単に日本とのシステムの違いでしかない部分を「おかしい」「小池氏詐称の証拠」としていることもあります。
カイロ大学文学部内規やカイロ大学学内向けの通知そして学生・卒業生たちのSNSポストなどを見ればわかるのですが、エジプトの国立大学の卒業関連システムは日本とはだいぶ違っており小池氏検証記事だけ読むと誤解をしてしまう可能性が高いです。
ここでは、カイロ大学社会学科をメインにアラビア語授業履修から卒業証書の取得までの流れを改めて確認してみたいと思います。
入学
エジプト人の場合
エジプトでは高校を終える生徒たちが受ける高校卒業資格認定試験・統一試験「サーナウィーヤ・アーンマ」(الثانوية العامة [ ’ath-thānawīya(tu)-l-‘āmma(h) ] [ アッ=サーナウィーヤ(トゥ)・ル=アーンマ ])の成績に基づいて進学先が決まります。
アラブ諸国にはだいたい似たような統一試験があり国によってはタウジーヒーと呼ばれたりもしているのですが、社会的名声があり家族から望まれがちで就職の上でも有利な医歯薬系や工学系の学部・学科に進めるかどうかはこの点数で決まるため生徒たちのプレッシャーやストレスは尋常ではなく、予想外の難問が出て試験後に泣き叫んだり、稀に悪い結果が出て悲観して命を絶つ生徒もいるなど、アラブ人の人生で大きな意味を持つ試験ともなっています。
カイロ大学文学部の2023/2024年度新入生向け案内によると、社会学科は文系ないしは理系のサーナウィーヤ・アーンマで最高得点帯(أعلى مجموع)だった人たちから130名を選抜。外国人/留学生(الوافدون)枠は10名と書かれています。
留学生の場合
カイロ大学の留学生向けページでは、外国生活の大変さに理解を示す言葉や大学生活を応援する準備があることを強調したメッセージとともにカイロ大学で学ぶことの魅力や入学条件などが示されています。
エジプト人ではない外国人学生がカイロ大学に入学するには
- サーナウィーヤ・アーンマもしくはそれと同等の資格を有している。
- アラブ諸国や外国の大学から学部生が入学する場合は大学での成績や高卒の証明書を提出する。
などとなっており、日本人については日本の高校卒業資格もしくはカイロ大学に入学するまでに通っていた大学での成績などをチェックされる仕組みになっていることがわかります。
ちなみに上記の留学生受け入れ条件の文書では、アラビア語能力の有無や詳細については特に記載は見当たりません。「外国人留学生はアラビア語でやるカイロ大学の授業にはまずついていけないんだよ」とか大学職員が言ったりしたとしても、制度上はアラビア語能力試験を課すということはやっていないことがうかがえます。
入学祝い
総勢約26万人の学生が在籍(2023年秋時点)しているカイロ大学では毎年9月末~10月初め頃に進学年度がスタート。初日には新入生たちを歓迎する催しが企画されているのだとか。
カイロ大学2023年秋の新入生歓迎フェスティバル
新入生が大学に入学するのに合わせて上級生たちが展示やパフォーマンスをしたり警察の楽隊が演奏をしたり、日本の入学式とはまた違うようですが、サークル勧誘と大学祭が合わさったような楽しそうな様子が写っています。最後の方には各学部の建物前に皆で並んで記念撮影らしきことをしているシーンも。
アラビア語の履修
カイロ大学文学部公式サイトの各種資料によるとアラビア語は1年次と2年次。授業コードが ArtsArab1 と ArtsArab2 となっていますが、Arts を含むことからおそらく文学部共通のアラビア語科目コードなのだと思われます。
2023/2024年の社会学科時間割表によるとアラビア語の授業は階段教室で実施。皆でずらっと並んで先生の話を聞いて、学年末の5~6月に他の科目と一緒に試験を受ける模様です。
アラビア語に割り当てられた時間数は1年次、2年次ともに2時間ずつとのことですが、アラブ世界で「大学学部の時のアラビア語授業の時間数が少ないせいでアラブの若者はフスハーを使える能力を備えないまま社会に出ていく」と言われているだけあって確かに少ない気がします。
そのため、このアラビア語科目を受けるだけでは留学生の文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)の運用能力が劇的に飛躍するというのは難しいものと思われます。自主的に外国人向けのアラビア語教本を読んだりエジプト人家庭教師について文法を学んだりしない限り、フスハー語彙や作文能力が劇的に総合的に向上するということは難しいかもしれません。
留学生の扱いとアラビア語能力への配慮
カイロ大学文学部内規PDFの19ページによると、現在の文学部は外国語学科の外国語授業を除いてアラビア語で授業を実施。
ただ留学生でかつ非アラブ人・非アラビア語話者の学生には優遇策があり、学科と学部が認めれば外国語(ここでは英語などを指しているかと思います)で講義や試験を行うことが可能だとされており、通常1~2年生で受講するアラビア語の試験を卒業前の学年まで延期することも可能だとか。
ただ特定は規定されているものの実質的には皆エジプト人学生と同じ講義に出席することになるかと思います。
総合成績と留年
出席率
カイロ大学の公式文書によると文学部はそれぞれが独立した二期制で、どちらの学期とも15週間。4年間で8学期という合計に。
カイロ大学文学部内規PDFの19ページには、どの科目も75%以上の出席が義務とされており、やむを得ない事情があるのと証拠を提出しない限り警告が出され、3回の警告をもってしても出席してこない場合は科目担当教官の要請によりその科目の講義に出禁となる旨が書かれています。
この記述からは、学外でバイトをしてテスト期間だけ出てくるということは制度上はできないようになっていることが読み取れます。
成績の各段階と対応する評定点
大学の規定(詳細:カイロ大学文学部内規PDF)によれば、アラビア語、外国語、社会学など大学から課された授業のテストを定められた日時に受験しその結果が出ると、それらを元に100点満点の総合成績
- 優秀(ممتاز)ムンターズ:90以上
- 大変良い(جيد جدا)ジャイイド・ジッダン:80以上90未満
- 良い(جيد)ジャイイド:65以上80未満
- 可(مقبول)マクブール:50以上65未満
- 悪い(ضعيف)ダイーフ:35以上50未満
- 大変悪い(ضعيف جدا)ダイーフ・ジッダン:35未満
がつけられ、「可(マクブール)」以上が及第。
*小池氏が公開されたのは卒業証明書と卒業証書(学位記)2種類だけなので在学中どの科目で何点取得したかはわからないのですが、「10月テストの結果学位が認定された」「良い(ジャイイド)」という旨が書かれているので、10月実施の追試を受けることで足りなかった卒業所要単位を獲得し100点中65点以上80点未満の総合評価が与えられたという記録になっていることが読み取れます。
科目落第と留年
その学年で2科目よりも多くつまりは3科目以上落第した場合はその学年に留年(يبقى الطالب فى فرقته الدراسية إذا رسب فى أكثر من مقررين)、2科目以下の落第なら進級できるものの落第した科目が実施された時の学年の学生たちに混じってまたテストを受けて及第する必要があるとのこと。
科目の落第を前学年度から持ち越す形で溜め込んだ場合は次学年度の試験で及第することが求められ、全科目をクリアして落第していた科目で全部及第するか落第を2科目までに抑えないと、1個上の学年には上がるのは認められず。
学年に応じて留年・在学が許される年数も決まっている旨が記載されており、同じ学年を何度も繰り返すことはできず所定の年数分を留年した場合は退学処分になるというのはエジプトの国立大学共通のシステムである模様です。カイロ大学文学部の場合は
- 大学1年生:2年まで(*2回落第留年したら退学という意味かと。カイロ大学文学部内規以外に يُعرض للفصل النهائي من الجامعة(大学から完全に退学となる)との記載あり。)
- 大学2年生:国内で2回まで、海外で1回
- 大学3年生:国内で2回まで、海外で3回
- 大学4年生:国内で2回、海外で3回
という記載が内規にありました。
4年次の試験期間と卒業決定
カイロ大学文学部は卒業所要単位をクリアすることで卒業が決まる
そうやって社会学科の4年生まで進級すると、エジプトの各国立大学で5月テスト(امتحانات دور مايو、May round exams(5月ラウンド試験群))や6月テスト(امتحانات دور يونيو、June round exams(6月ラウンド試験群))などと呼ばれている5月~6月期の試験期間があり、それからしばらく経過し旧学年度が終了した秋に9月テスト(امتحانات دور سبتمبر、September round exams(9月ラウンド試験群))や10月テスト(امتحانات دور أكتوبر)、October round exams(10月ラウンド試験群))などと呼ばれる卒業単位不足者向け試験期間が設けられており、その学年度の大学卒業者決定作業が終わる形になっているとか。
*現在のカイロ大学文学部内規PDFでは追試について「9月の試験」との記載あり。
エジプトのメディアによると大学課程に限らず本試験が「第1回(الدور الأول)」、そこで落第した生徒・学生もしくは理由があって本試験を受けられなかった人が受ける追試験は「第2回(الدور الثاني)」とも呼ばれており、大学については初夏実施分が「第1回(الدور الأول)」、秋実施分が「第2回(الدور الثاني)」に相当。どちらの回で及第したかは卒業証明書類にも明記されるため、学生にとってはかなり重要なポイントとなっているようです。
カイロ大学の色々な学部・学科のテストカレンダーを見てみると学部・学科によってばらつきがあり、9月か10月、遅いと11月にテストが実施されるというスケジュールになっているのがわかります。
カイロ大学文学部内規ではそれで及第して卒業所要単位を満たせば卒業が決まるといったことが書かれているのですが、学生たちの情報交換投稿によると11月にテストが行われる場合結果発表が12月で卒業証明書発行が1月にずれ込むなどするため、卒業を予定はしているもののまだ証書を持っていない4年生ということで就職を1年見送ることになってしまうのだとか。
卒業プロジェクトは学友と共同で取り組むことも多いらしいためよほどのことが無い限り及第点はもらえそうに見受けられるのですが、それ以外の筆記試験は個人で受け点数が足りなければ落単してしまうので、卒業プロジェクトを仕上げパスするのとはまた違った意味で筆記テストの方も大変そうです。
なお、小池氏問題検証記事には「社会学科では昔も今も各自卒論執筆が全員に課されている義務で、書き上げないと卒業できない」とありますが、各個人が卒論を書く義務があるという話は文学部内規・現地ニュースの大学生向け案内記事・カイロ大学学生たちのSNS投稿では一切見当たりませんでした。
検証者の方がエジプト人の説明した「卒業研究」という表現を個人による卒業論文と誤解してしまわれたか、日本の卒論と違う件を承知しつつも小池氏告発の都合上「エジプト人がカイロ大学社会学科では昔も今も卒論を提出しないと卒業できない」「卒論を書かなかったから小池氏をついている」という脚色を入れてしまわれたのかは不明です。
現在のカイロ大学4年生に課されたフィールドワーク的な卒業研究プロジェクトと日本式卒論との違い
カリキュラム改革を経た今の新しい世代のカイロ大学文学部社会学科カリキュラムだと4年次後期(カイロ大学文学部内規PDF69ページ)に卒業プロジェクト(مشروع التخرج)なる社会学の研究・論考(بحوث اجتماعية)を行うフィールドワーク系の授業が用意されているそうで、他の講義と違いその卒業研究のみ口頭試問形式でテストが実施される(يؤدى الطلاب الامتحان فى هذه المادة شفوياً)との注意書きが添えられています。
実際のテスト予定について告知した4年生向け5~6月期筆記テスト予定表には「社会学研究(卒業プロジェクト)」(بحوث اجتماعية (مشروع التخرج))とあり旧カリキュラムでの科目名「実地訓練(フィールドトレーニング)」(التدريب الميداني)が併記されています。
カイロ大学文学部内規の社会学科の項目には卒業プロジェクト(مشروع التخرج)の記載はあるものの卒業論文が義務化されているとか、各自が個別に卒論を作成・提出し及第しないと卒業できないといった詳細は書かれていません。
ただ他の学科に関する部分に「(各自、学生1人につきと受け取れる人称代名詞を使用)テーマを選び研究成果を提出する」「他の学生たちとセミナー(ゼミ)形式で集まり話し合う」「作文、口頭、修士論文提出時のような討論会、学生グループによるパワーポイント使用発表を行い、内容や考えについて質問が行われる」との記載があるので、現行の新カリキュラムの卒業プロジェクトに関しては日本の卒論の制度と似ている部分もあればそうでない部分もあるということなのかもしれません。
管理人は実際に体験・取材しておらず正確な情報を持っている訳ではないのでネットで調べてみたのですが、エジプトの大学では卒業前の5月などに「مناقشة مشروعات التخرج」という発表会・講評会があり教授陣の前でプロジェクトの成果を発表するシステムになっているらしく、エジプト人学生たちのネット上情報交換にこの発表・講評会に出席しないとまずいといったことが書かれているので、これが最終的な及第を左右する日本の卒論代わりになる行事でありテスト表にもあった口頭試験に相当する可能性がありそうです🤔
社会学科卒業プロジェクトの内容についてはカイロ大学文学部内規PDF404ページで説明されており、社会学の研究活動・論文執筆訓練となっています。現地報道によるとカイロ大学の卒業プロジェクトはこれまで学んだ内容を活かしてリサーチを行うだけでなく卒業後の就職に役立つことを目指しているそうで、理系学科ともなると皆で屋外に出て標本を採取したりと自分たちで決めたテーマで活動を続け、最終的には審査の結果優秀研究を行ったグループに表彰が行われたりと、カイロ大学の価値を高めるとともに同級生同士の団結が深まるようなイベントとなっているように見受けられます。
エジプト人学生と一緒に集団でテーマに取り組むなり個人で書き上げるなりして最後に口頭試験をパスするとなると、他の学生や教官の言葉を理解して最低限のことを頑張って話せる能力が必要で、フスハーでもアーンミーヤでも両者が混ざっていても、とにかくある程度の会話や質疑ができないとパスできないように感じます。
最終学年というだいぶアラビア語会話に慣れてきてからのことだとはいえ、もしグループ研究に混ぜてもらうとなると事前にエジプト人友達グループに入れてもらったり他の学生に交渉したりでエジプト人受けする性格やコミュ力まで必要になってくるため、外国人留学生(特に単独行動を好む物静かなタイプ)にしてみれば個人で執筆して提出したら完了という卒論とはまた違って結構大変なのではないかと思います。
エジプトの学生はフスハーを長時間話すのは無理なので、日本人留学生がこの集団プロジェクトを乗り越えるにはアーンミーヤの会話能力が無いと長時間共に活動する学生の輪にいまいち馴染めないのではと感じます。アラビア語に関する高度な知識が要るアラビア語学科も大変ですがフスハーだけで済ませられる確率がずっと高いので、フスハーとエジプト方言の両立ができないとちょっと厳しそうな社会学科もまた別の意味でしんどそうだとの印象です。
なお、小池氏の在学当時はこうした新しいシステムが無かった時代に当たるかと思うのですが、最終学年でこれに代わる研究課題や口頭試問テスト類があったかまでは当方では未確認です。検証記事は脚色が多く証人とされるエジプト人やカイロ大学が「今も昔も卒論は義務」という言い方をしていなかった恐れもあるため、この点については当時の内規を参照するなりして再度確認する必要がありそうです。
カイロ大学なり個人宅なりどこかに1970年代の文学部内規が残されているのならば、当時のシステムを確認できると思うのですが…
卒業
卒業式・卒業祝いと優秀者表彰
卒業に必要な成績合計がたまったことが確認されたら卒業が決定。現在のカイロ大学だと学部ごとの卒業式(例:カイロ大学2013年組社会学科卒業式)、首席やそれに続くトップ級卒業生(أوائل الخريجين)・成績上位卒業者(الخريجون المتفوقون/الخريجين المتفوقين)の表彰(تكريم)などを開催。
昨今のアラブ諸国の多くでは卒業祝いは結構華やかで、学科の卒業生が一同に介し記念写真を撮ったり証書を受け取って同級生や家族に祝ってもらったりする写真・動画が毎年ネットやメディアで流れています。
昔はどのような形式だったのか、卒業祝いが行われていたのかはアラビア語で調べないと確認ができないのですが、1962年にカイロ大学法学部を卒業された男性が卒業時に黒いローブを着ている写真がネットで公開されていたり、書籍で1947年にカイロ大学医学部卒業時に卒業式が開催されたといった記述があったりするので、かなり古くから卒業式ないしは卒業祝いセレモニーがあったことがうかがえます。
また書籍の伝記・回顧録には「1947年にカイロ大学医学部を卒業した際、トップ7の成績を収めたので卒業式でファールーク国王と握手をした」とあり、首席とそれに続く成績優秀な卒業生たちが表彰される場が現在同様に設けられていたことがわかります。
そのため小池氏批判・告発に反論する形で出された記事「昔も今もカイロ大学には卒業式が無い」「カイロ大学には首席らを表彰するシステムが昔から無い」というのは現地情報を十分に確認せずに書かれたもので、告発記事同様に恣意的な脚色・情報改変があると言わざるを得ないかもしれません。
カイロ大学卒業式の様子(経済・政治学部2023年卒業組)
カイロ大学についても「حفل التخرج」(卒業式、卒業パーティー)と呼ばれる卒業行事があり、黒い角帽と黒いローブを身に着けた卒業生たちが喜びを分かち合う様子を収めたビデオや、その年の卒業生たちのテーマソングつきイメージビデオの作成とネット公開、またアラブ各国で物議を醸したりもしている大学構内での音楽ライブ・ダンスパーティー光景を通じて日本よりもむしろ盛大に祝っている様子をうかがい知ることができます。
*男女混ざって密集してダンスミュージックに合わせ踊りまくるという形式の卒業祝いは複数のアラブ国家で広まっている風潮ですが、(イスラム教)諸国の伝統的価値観にそぐわないイベントであるため旧世代には不評で、メディアでも是非を問う議論がなされたりしています。なので今も昔も全く同じように踊りまくって卒業祝いをしていたとは考えない方が良いものと思われます。
各大学での卒業祝いや優秀者表彰に加え、現在のエジプトでは国内大学の優秀卒業者たちをスタジアムに集めて表彰するという豪華なイベント「يوم تفوق جامعات مصر」(Egypt’s Excellence Day Event)も行われているのだとか。
上の動画ではメディア学部首席らが司会役を務め、終盤ではそれぞれの大学の首席たちが背景スクリーンでの顔写真表示とともに「◯◯さん、~大学△学部首席」と呼ばれて壇上に立ち、大統領からトロフィーを渡される様子も写っています。(2023年に大統領が表彰した各大学首席の名前一覧は政府サイトで公開済。)
*ちなみに公的なイベントですがエジプト人だけの祝賀行事ということもあり皆フスハーは使わずエジプト方言(ややかしこまった感じ)で話しています。
卒業証明書(証明写真つき書類)と卒業証書(学位記)の発行申請と取得
卒業前の最終試験結果が出た時点で大学から卒業生課に卒業証明書・卒業証書(学位記)を申請するよう指示が出る
カイロ大学の各学部共通学生サービス細則(ただし詳しいことは書いてありません。)・各学部SNSアカウント内案内によると、卒業決定が大学から告知されると学生が自分で必要書類と料金を揃えて申請し、しばらくしてから発行される仕組みになっているのがわかります。
たとえばカイロ大学商学部が2017年9月25日に出した卒業予定者向けの告知(掲示プリント)では、2017年5月試験期間に所要卒業単位を獲得するための最終テスト本試験を受けた人たちに向けて、9月26日以降に所定の場所に写真や印紙などを持参しアラビア語で書かれた卒業証明書を申請するよう指示しています。(上でも述べた通り、エジプトの大学は卒業試験時期と卒業証明書発行時期とがかなり離れています。)
また同じカイロ大学では違う学部が5月試験卒業組に対して7月22日から卒業証明書申請手続きが開始する旨を告知するなど、色々なソースで確認してみると学内でも発行申請開始期日がまちまちとなっているのがわかります。「事務を円滑に進めるため」といった文言が添えられたりもしているぐらいなので、マンモス大学での業務を上手くさばくため学部ごとに卒業証明書発行時期を設定しているのかもしれません。
近年では電子申請サービスも提供されており、たとえばカイロ大学文学部だと卒業予定者/卒業生向け業務「خدمة التحصيل الإلكتروني لخدمات شئون الخريجين – كلية الآداب」のセクションで薄手の紙の卒業証明書や厚手の紙の卒業証書(学位記)が何枚欲しいかを申請できるようになっています。
卒業する際に初めて証明書類を申請する場合、エジプトの国立大学は薄手の卒業証明書と厚手の卒業証書(学位記)のセット申込みの形で支払金額合計として案内されていることもあるようです。カイロ大学はウェブサイトの案内があまり親切ではなく詳しいことは書かれていないのですが、マンスーラ大学商学部サイトだと、厚紙証書1枚+卒業証明書3枚+4年間の取得単位表(成績表)に経費を含めた440エジプトポンドが記載されています。
ちなみに下でも書いていますがエジプトの国立大学では厚紙証書(卒業証書、学位記)をもらうのに1年どころか2年以上待たされることも多いそうで、いつ手に入るかもわからないような証書の代金を先払いで徴収されることに不満を感じる学生もいるとか。
お役所仕事や大学の事務がささっと仕事をしてくれない上に完成した書類も完璧ではなかったりするエジプトやアラブ世界ならではのエピソードだとも言えますが、日本人留学生としてかつてカイロ大学に入学し博士号を取得した中田考先生は申請した学位記の受け渡しを「ボクラ」(明日にでもまた来れば;まあそのうちできるかもよ)を散々引き伸ばされ未だに受け取っておられないとのこと…
代理人による申請・取得や遠隔での申請と郵送
またカイロ大学も含めエジプトの大学は卒業証明取得の際の代理申請制度に触れていることがあり、本人からの公式な委任状や代理申請時に必要な証明証があれば家族や知人でも発行手続きを行うことができる模様です。
マンスーラ大学のように卒業時の初回は代理人ではなく卒業者本人が来るよう明記しているところもありますがカイロ大学は初回発行時から委任を認めているようなので、それについては大学の卒業生課の方針次第かのかもしれません。
さらにカイロ大学証明書の郵送による受け取りにも対応しており、海外にいても卒業証明書が入手可能という制度には一応なっているとのこと。
証明写真つきの薄い卒業証明書と厚紙の卒業証書(学位記)の違い
小池氏がメディアなどに公開してきた手書きの立派な卒業証書(学位記)はアラブ諸国で通称「الشهادة الكرتونية」(厚紙証書)や「الشهادة الجدارية」(壁掛証書)などと呼ばれている「الشهادة الأصلية」(オリジナル証書、original certificate)に該当します。一方、顔写真が添付された薄い事務用紙の方は一時卒業証明書/期間限定卒業証明書(شهادة التخرج المؤقتة、temporary certificate)と呼ばれているものになります。
卒業証書(学位記)は特別な手続き無しに発行され卒業式に間に合うように全員分が用意され当日のセレモニーで配布される日本と違い、エジプトなどアラブ諸国では所要卒業単位を獲得し科目が及第できたことが判明した時点で卒業決定学生がお金を払って申請する形式になっているため、日本の事情をそのままエジプトに当てはめないよう注意が必要だと思われます。(有名な検証記事では卒業証明書と違い卒業証書の方は全員が持っている訳ではないと正しい説明がされていますが、日本と同じく卒業式で全員に配られると誤解している方もいらっしゃるようです。)
流麗なアラビア書道書体で書かれた卒業証書(学位記)はアラブ諸国の学生が大学からもらえる卒業関連書類の一つですが、活字による印刷ではない場合ディーワーニー書体を書けるアラビア書道家が担当。卒業生が大学に発行を希望すると大学提携の書道家が書いてくれる仕組みになっているとのこと。
厚紙の証書は手書きにせよ手書きでないにせよ手間・時間・別途お金ががかかるためもあって、エジプトの大学生は試験の結果発表で及第の目処が立ち卒業必要単位を満たして卒業するであろうことがわかった学生が入手できる一時卒業証明書/期間限定卒業証明書(شهادة التخرج المؤقتة、temporary certificate)をまず入手。
永続的に効力を持つ厚紙の卒業証明書類(شهادة التخرج الدائمة、permanent certificate、永続卒業証書/終身卒業証書)が出るまでの間隔を埋める存在ともなっているため、従軍や就職などの都合上、卒業決定が出た時点で卒業生たちは取り急ぎ大学の卒業生課に手書きでない方の卒業証明書発行を申請し軍や就職希望先などに提出するといいます。
証明写真つきの専用書式普通紙にプリントされた卒業証明書は卒業生本人が書類や手数料分の印紙を持参の上大学の卒業生課に申請。アラビア語◯枚、英語◯枚、フランス語◯枚のように選んで欲しいだけ出してもらうという、日本の大学における卒業証明書類と似たような手順で比較的短期間で発行されるとのこと。
アラブ世界ではすぐにもらえない厚紙の卒業証書(学位記)~エジプトでは2年待ちの報告も
証明写真つきの卒業証明書は本試験で卒業が決まった人は早めに、追試でやっと卒業が決まった人は遅めに手にする訳ですが、「الشهادة الكرتونية」(厚紙証書、オリジナル証書の別名)に至っては元々エジプトの大学ではこの証書が卒業時ではなく卒後しばらく経ってから発行完了する旨が約束されていて
- 厚紙証書は卒業から1年経過後より申請できる(10月6日大学)
- オリジナル証書は卒業から1年を経過しない期間中に手渡される(ファイユーム大学)
などとなっています。しかしそこはエジプトなので大幅な遅延が発生して予定通りにはいっていないようで、卒業からかなり経過した人が
- 「一時卒業証明書/期間限定卒業証明書(شهادة التخرج المؤقتة)と厚紙証書(الشهادة الكرتونية)は違います。厚紙証書は1年かそれよりもっと経たないともらえません。」【アスユート大学(アシュート大学)法学部向けFacebook投稿】
- 「卒業証書って何?あなた去年卒業したんでしょ?―壁に飾ったりする方の証書のことですって。私が卒業したのはもう2年前ですが、大学は何をやるにも仕事が遅いんですよ。」【エジプト人女性】
- 「卒業してから2年経ったけど、うちらまだ厚紙証書をもらえてないよね。」【エジプト人女性】
- 「厚紙証書って義務なの?もらう代わりにその費用を自分でいただいちゃったらダメ?」「元々くれるのは1年後だって言われてみんな料金を払ってるでしょ」【エジプト人男性のポストとエジプト人女性からの返信】
などとSNSに投稿しています。
小池氏も1976年10月試験期間結果が年末に判明・成績が確定し1月に薄手の紙の卒業証明書が発行されたことになっています。同氏が保有しているアラビア書道ディーワーニー書体手書き厚紙証書(卒業証書、学位記)がずっと後の1978年になっているのはエジプト国立大学の事務仕事が非常に遅くこの証書の発行が恒常的に2年待ちであることと合致しており、時系列的には矛盾が無いと言えそうです。
小池氏の卒業証明書でミスター・ユリコ・コイケになっている件
アラブ人は日本人名の発音や性別をよく間違える
日本では薄紙の書式に印刷された小池氏の卒業証書が男性形のフォーマットになっていることから「偽造書類の何よりの証拠」「アラブ人だって日本人女性の名前を見て性別を間違えるはずなんかない」と考える方が多いようなのですが、アラブ人は本当に日本人名の性別を間違えます。
アラブ人は日本人のフルネームを原音に近く音読するのが苦手で正確に発音できないのですが、これについてはサッカーや競馬のアラビア語中継で実体験したことがある方も結構いらっしゃるかと思います。
また日本人の名前を見ただけでは性別が区別できないというのも事実です。管理人もアラビア語を長年やっていて何度か見かけたことがあるのですが、カタール(カタル)の新聞サイトでは小池百合子氏を「ミスター・ユリコ・コイケ閣下」(سعادة السيد يوريكو كويكي)、国連のアラビア語文書では川口順子氏を「ミスター・ヨリコ・カワグチ」(السيد يوريكـو كاواغوتشي)、他にはアフリカ開発銀行の戸田敦子氏を「ミスター・アツコ・トダ」(السيد أتسوكو تودا)、どう見ても男性名である在レバノン日本大使館一等書記官の氏名が「ミセス・タカシ・ヤマグチ」(السيدة تاكاشي ياماغوتشي)、ジェトロ・カイロ事務所長の常味 高志(つねみ たかし)氏に至っては発音も間違えており「ミセス・タカシ・ツナミ」(السيدة/ تاكاشي تسونامي)になっていたりと、実例を探し出すと「ミスター・ユリコ・コイケ」とそっくりな書き間違いがどんどんと見つかります。
カイロ大学ではエジプト人女性卒業生にも男性形の卒業証明書を渡したことがある
カイロ大学の事務については、アラブ人が苦手な日本人の名前と性別だけではなくエジプト人女性についても卒業証明書の中でミスター(Mr.)という男性形を使っている例が実際にあるらしく、色々と現地ニュースを検索したら「ミスター・アラビア語女性名」になっているカイロ大学卒業証書が複数見つかりました。
事例1:
盲目の二姉妹の苦難を伝えるニュース [ リンク ]
生まれた時から盲目だったシャイマーさん、アビールさん姉妹はその努力が実りカイロ大学を卒業。姉のシャイマーさんは法学部、妹のアビールさんは文学部歴史学科で学んだ後、それぞれ大学院に進学したものの全盲であるために就職先が見つからず農業省で家畜番の仕事をもらっている父親に養われ苦しい日々を送っている、というエジプトのニュース記事です。
どちらもカイロ大学を卒業したのに卒業証明書の体裁が全く違っていることも興味深いのですが、姉のシャイマー(شيماء)さんについては冒頭では敬称がミスター(السيد、アッ=サイイド)だったのに途中に出てくる「~で生まれた(المولودة في)」や「取得した(حصلت)」などは女性形というあべこべな文面になってしまっています。
事例2:
母親の助けを得て学業に復帰し大学に行くという夢を叶えた女性 [ リンク ]
エジプト南部(上エジプト)の農村で生まれ小学校4年生の時に父親の以降で学校通学を止めさせられてしまったラシャー(رشا)さん。母親が父親に内緒で識字教室に通わせてくれたことが転機となり、かつては優秀な小学生女子だった彼女の才能が開花。熱意に負けた父親も娘が学業に戻ることに同意してくれ、結婚後は夫や子どもたちもラシャーさんの頑張りを誇らしく思っているのだとか。
ラシャーさんが通った大学は卒業証明書の写真からカイロ大学で卒業年は2011年(5月試験卒業組)だとわかります。上のシャイマーさんは同じ法学部でも2018年卒(5月試験卒業組)で偽造が難しそうなデザインに変わっていますが、敬称がミスター(السيد、アッ=サイイド)で途中の「~で生まれた(المولودة في)」「取得した(حصلت)」などは女性形だというあべこべな文面なのはシャイマーさんの法学部卒業証明書と全く同じです。
このことからカイロ大学では小池氏が卒業した文学部社会学科以外にも、法学部などの女子卒業生たちに「ミスター・◯◯」(アッ=サイイド・◯◯)という敬称を用いた卒業証明書を一定数出してきたことが推測可能だと思われます。
小池氏の書類についても同じ時期に社会学科を卒業した女性たちには同じ部署の同じ人物が男性形のフォーマットを使った卒業証明書が手渡されていた可能性が考えられ、1976年社会学科卒の女性を一人ずつ探して卒業証明書を見せてもらうのが「カイロ大学文学部としてあり得ることなのか、そうでないのか」を判断する一番確実な検証手段だと言えるかもしれません。
「カイロ大学の卒業証明書なら男性卒業生はアッ=サイイドで、女性卒業生はアッ=サイイダになる」という検証記事の誤りについて
検証記事では
女性卒業の場合は「「サイイダ」(Ms.)ではなくサイイド(Mr.)」(*本当は定冠詞の「アッ=」が必要ですが検証記事では抜去されてしまっています)になる
的なことを説明していますがこれは間違いで、カイロ大学のアラビア語卒業証書に関しては男子卒業生に「السيد」(アッ=サイイド、Mr.)を使っている時だと対応する女子学生向け敬称は「الآنسة」(アル=アーニサ、Miss)になるというのが正しいようです。
エジプトでは欧米で考え出された「Ms.(ミズ)」の概念がアラブ世界では未だに浸透しきっていないこともあり、エジプトの各国立大学卒業者の色々な時期の卒業証書を複数確認した限りでは比較的最近出された証書でも男性に「السيد」(アッ=サイイド、Mr.)という敬称をつけているアラビア語書式では未婚女子学生を「الآنسة」(アル=アーニサ、Miss)にしていました。
小池氏の敬称は卒業証明書がミスター、卒業証書(学位記)がミス
小池氏については、厚紙に手書きされた卒業証書(学位記)では正しく「الآنسة」(アル=アーニサ、Miss)をつけた「ユリコ・コイケ嬢」となっていることから、カイロ大学の記録ではきちんと女性として登録されているものと推察できます。
仮に特別待遇ルートでの卒業認定だったとしても、エジプト政府とカイロ大学が公式サイトや現地メディアで卒業を公認・公言している小池氏のようなケースではカイロ大学側で本物の記録や卒業証書が作成されたと考えるのが自然だと思います。
エジプトはどこも事務の仕事ぶりが雑で遅延や不手際も多いため
- 写真つきの卒業証明書の時は、マンモス大学であるために大量に処理しなければいけないことから乱雑になりがちで、小池氏の時も特に考えず男性形の印刷済み用紙を手に取りそのまま申請書類を見て空欄にフルネームや生年月日などを入力して完成させてしまった。
- 手書きの卒業証書(学位記)は大学職員ではなく書道家が書くため、正しく「Miss(嬢)」にあたる敬称がつけられた。
- カイロ大学では卒業書類などの名前部分に修正箇所がある場合必要書類を揃えた上で料金を払って行ってもらう形式となっており、日本に帰国してしまい訂正の機会が無かった小池氏は「ミスター・ユリコ・コイケ」表記の卒業証明書/一時卒業証明書/期間限定卒業証明書(شهادة التخرج المؤقتة)の再取得はせず、元々1年などと有効期限が決まっているタイプの書類だったことから放置。正しく「ミス・ユリコ・コイケ」と記載され永続的に効力がある厚紙証書の永続卒業証書/終身卒業証書(شهادة التخرج الدائمة)だけで十分だと考えた。
といった事情があった可能性もあり、安易に「いくらカイロ大学でもミスター・ユリコ・コイケなんて書類は出さないだろう」「ミスターだから偽物決定」「さっさとミスに直してもらえば良かったのに、それをしなかったということは偽造なんだ」と断定しないよう注意が必要かもしれません。
女子卒業生にミスター(アッ=サイイド)の敬称がついた証明書を出してきたのは女性学生が少ないから?
日本では「カイロ大学でミスター・◯◯という男子卒業生用のフォーマットしかなかったからミスター・ユリコ・コイケになった。」という説明に、「イスラーム世界では男尊女卑が激しくて女子大学生の存在自体が考慮されていないらしい。エジプトには1976年頃も男子大学生だらけだったのか?」とコメントしている方も複数いらっしゃるようです。
こちらは1973年2月に撮影されたカイロ大学構内の様子で、小池氏がカイロ大学に在学していたとされる時期と重なっています。女子学生が大勢おり、本格的なイスラーム復興運動前ということでヒジャーブで頭を覆うイスラミックな装いをしている人は少なく、流行りのミニスカートで登校している姿に今との時代の違いを感じます。
*最後の方にほぼフスハーなアラビア語で話しているのは政治家としても著名だった رفعت المحجوب 氏(経済学の専門家)で、商品の需要について話していることから彼の専門分野である経済学の講義だったことがわかります。
既に相当数の女子が通学・卒業していたことを考えると、女子卒業生に男性形の敬称をつけた卒業証明書を発行していたのは十中八九事務の都合や事務員たちの横着が理由で、全部きちんと女性形で揃えずに作成することが半ば常態化していたからなのでは、と考える必要もありそうです。
大学卒業資格をめぐるエジプトと日本との違い、アラブ的社会事情
正規学生として全てアラビア語で行われるエジプトの大学講義に食らいついていくにはかなりの年数をかけてアラビア語を学んでおく必要があるのは事実ですが、だからといって小池氏が与えられた卒業認定が虚偽だとは断定できません。
そもそもアラブ世界というのは有力なコネを持つ若者たちが努力しなくても優秀な成績を手に入れ通学実態が見合わなかったとしても卒業証書を得て、勉学に励んだ同級生たちの大勢が就職に苦労してアルバイトに近い仕事で耐えているのに特権持ちの子弟はスイスイと出生街道を進み良い職業に就いてやがては父親同様権力者の世界に入っていく、というような土地柄です。
縁故主義や汚職・政財界腐敗が浸透しているアラブ世界において、恵まれた立場の若者たちは苦労の多いコネ無し庶民の目からはイージーモードな人生を送っていて実力に見合わない学歴や職歴を享受していると見られる傾向が強く、権益にありつけない庶民の不満も非常に大きく暴発の危険性も秘めています。
日本でも昔から賄賂(袖の下)やコネで大学に入学し卒業した人たちはいたようですが、最近の日本人が持っている「皆平等に努力して大学を卒業するのが当たり前」「替え玉や献金によるズルは許しがたい」という感覚とは大きく異なることから、小池氏の卒業問題に関しても「色々な情報を総合すると卒業が認められたというのはおかしいのではないか?」「ちゃんと通ったかテストに及第したわからないのにエジプト側はなぜ大学も政府もメディアも揃って卒業を認めているのか?」と納得いかない方も多いと思います。
同じカイロ大学なのに歴代の卒業証書フォーマットが何種類もあったり、出来上がった証書がいい加減だったり、外国人名がわからないからと日本人女性の名前にミスターをつける人がいたりと日本人には信じがたいことの連続かもしれませんが、エジプトやアラブ世界はそういうものなので「そんなこと日本では考えられないから嘘に違いない」「大学の事務がそんなに仕事が遅いなんておかしい」「卒業してから2年も経って書類が渡されるなんて卒業記録を作って後から偽造したからでしかない」と安易に考えてしまわないよう注意が必要かもしれません。
「なんでそんなことするの?」「ちゃんと勉強していなかったのに卒業できたんだ?」が起きるのがアラブ世界です。
日本人でエジプトに留学した方だと、日本人向けの旅行業界でのバイトや外国人やエジプト人富裕層向けに整備されているレストラン・娯楽場所・リゾート地でたくさん遊んでしまって留学期間が終わる人、勉強に集中してコツコツ取り組む人など様々なパターンに分かれるのですが、そのうちの少なくない数がエジプトの民族性や蔓延する汚職や開き直る性格に晒されているうちに中東研究に抱いていたキラキラした夢も失ってしまうなどし、ひどい場合だと「エジプトのことは思い出したくない」となる人までいます。
小池氏のカイロ大学卒業問題で矛盾していると多くの方が感じている事項、カイロ大学関係者の反応でしっくりこない部分などは、そうした留学生たちが感じてきたもやもやや不信感などと根っこは同じなのだと思います。
「どう考えてもおかしいだろう」ということであっても日本の常識からはかけ離れたエジプト式解決によってアラブ的にはしっかり片付いているため、おそらく今後も真相が完全に明かされることは難しいのではないでしょうか…
検証記事・コンテンツに謎解説やアラビア語誤用が多い理由とは?
これより下は小池氏のアラビア語能力を検証した記事とその性質に関する個人的な考察になります。
語学マウントを取ろうとか知識をひけらかそうとして書いているものではなく、「検証記事・動画ではなぜ極端で一部フィクションと感じることもある独自の謎解説や恣意的判定が多いのか?」「本気なのか?わざとなのか?検証者の方が素で間違えているとしたらその原因は何なのか?」が気になり背景を詳しく知りたいと思って書き始めた部分です。
延々と続く長文に「揚げ足取りではないか?」と不快感を覚える方もいらっしゃるかと思います。管理人が普段サイト記事を書く時に情報確認したりする作業を備忘録としてそのままだらだらと文字化した感じの内容なので、実際細かくてしつこいと思います。重箱の隅つつき的な記事が苦手な方はここで閲覧を終了願います。
政治問題にからんで作られた解説という特殊な事情
政治家ということで小池氏のアラビア語能力を検証する記事や動画はこれまでに複数公開されてきたかと思うのですが、政治問題に関連して出されたものが多いこと、また検証される方がアラビア語諸学や言語学そのものの専門家ではないこともあってか、誤った情報も同時に大量に世間に流通することとなってしまったようです。
元々日本ではアラビア語やアラブ文化に関する解説をアラビア語研究やアラブ文化研究の専門家以外が行う事例が多く、アラブ人の名前のシステムや月と太陽のイメージなど、これまでに様々な事項にまつわる誤った情報が紹介されてきました。
小池氏問題に関してはフスハーとアーンミーヤといった用語が使われアラビア語の解説と称した記事も多数出されてきましたが、小池氏が卒業問題の詳細に触れることを避けるためか反論を一切されてこなかったことで、告発・批判のために内容を盛りまくってあれこれ改変してしまったで言いたい放題系のアラビア語評価も長年野放しとなり、その弊害としてアラビア語に関する誤解が定着する事態を招いてしまったように思います。
正しい用例が誤用と判定されている部分が多いという問題
普段は純粋な語学として扱われているアラビア語ですが、政治の問題がからむと色々な思惑も加わってか「単に誤解してそういう説明になってしまったのか?それとも承知の上で事実とは違う内容の説明が行われ、メディアが望む形と内容の記事が作成された結果なのか?」が判断しづらい誤解説がぐっと増えるという特徴が見られるとの印象です。
その中の一例が
単語の間違いも多い。一番驚くのは「面会は、とっても、とってもよいものでした」と言うのに形容詞の「ラズィーズ」を使っていること。辞書によっては「甘美な」という意味も出ているが、実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語で、「面会は、とっても、とっても美味しいものでした」と話している。 引用元:文春オンライン |
だとして、文語アラビア語(フスハー)に非常に古くからある正規表現を「一番驚かされるアラビア語の言い間違い」と繰り返し紹介している件でした。
これはアラビア語をある程度やっていると実際使われているケースに出会う用例で、そうでなくとも辞書を調べれば「食べ物以外にも使う」ことが確認できるのですが、それにもかかわらずこのような記事が書かれてしまったのはなぜなのか、どうしてアラビア語に関する誤りが複数含まれる解説が作られ公開されたのか…そしてもし原因があるとしたら何なのか…
“美味しい面会”は「良い会談」「歓談」というフスハー表現を間違いだと誤判定してしまったケース
口語スラングではなくむしろ大昔から文語アラビア語に存在する表現で、食べ物以外の形容にも用いられてきた
日本では検証記事の影響から「良い面会を”美味しい面会”と口語アラビア語(アーンミーヤ)表現で言い間違える低劣なレベル」「アラビア語で良い面会を”美味しい面会”という言い回しで表現するなどあり得ない」といった誤解が広がってしまっているようなのですが、実際にはこれは文語アラビア語としての言い間違いでも、アーンミーヤだけのスラング的な表現でもありません。
小池氏が「良い」という意味で「面会、会談」を意味する名詞に修飾させて使った مُقَابَلَة لَذِيذَة [ muqābala ladhīdha ] [ ムカーバラ・ラズィーザ ] の形容詞 لَذِيذ [ ladhīdh ] [ ラズィーズ ] は古典期から多用され中世の辞典にも必ず載っている意味が「(食べ物・飲み物が)おいしい」「味わって快いと感じる、味わって美味だと感じる」となっています。
エジプト方言では女子を「かわいい」と形容したりするのにも使うこと、フスハーの使用シーンではおいしい以外の語義はそこまで多用せず書籍や各国テレビ放送でも時々登場する程度であることから、アーンミーヤ表現だというイメージを抱きやすいのも確かです。
ただ「(面会・会談・会話が)甘美な、楽しい、快い、良い」という意味での使用に関しては حَدِيث لَذِيذ [ ḥadīth(un) ladhīdh ] [ ハディース(ン)・ラズィーズ ](楽しい会話、心地よい談話)といった言い回しを中心として古典期の資料にも残されており、近現代に定着した口語(ここではエジプト方言)のスラングではなく純度の高いフスハー表現として千数百年前には既に存在していたことが確認可能です。
小池氏の使った مُقَابَلَة لَذِيذَة [ muqābala ladhīdha ] [ ムカーバラ・ラズィーザ ] は現代においては多用されているというレベルではないものの一応文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)と口語アラビア語の複数方言で用いられている実在の言い回しで、Googleのウェブ検索では主に複数地域方言でのフレーズとして、Googleブックス検索では書籍のフスハー文の一部として使われているいくつかの実例を確認することが可能です。(ほぼ同じ意味の لِقَاء لَذِيذ [ liqā’(un) ladhīdh ] [ リカー(ウン)・ラズィーズ ] (楽しい会合、愉快な面会、良き会談)といった言い回しなどもあります。)
イスラーム以前の有名な詩にも出てくる「楽しい、快い」「甘美」という方の語義
「(飲食物が)おいしい、美味である」という語義ではない方の لَذِيذ [ ladhīdh ] [ ラズィーズ ] は、イスラーム教以前のジャーヒリーヤ時代にアラビア半島で生まれた古典詩の傑作選『ムアッラカート』の一つである لَبِيد بْنُ رَبِيعَة [ labīd(u) bnu rabī‘a(h) ] [ ラビード・ブヌ・ラビーア ](ラビード・イブン・ラビーア、Labīd ibn Rabī‘ah(/Rabī‘a) ) 作品にも
بَلْ أَنْتِ لَا تَدْرِينَ كَمْ مِنْ لَيْلَةٍ طَلْقٍ لَذِيذٍ لَهْوُهَا وَنِدَامُهَا |
bal ’anti lā tadrīna kam min laylatin/lailatin ṭalqin ladhīdhin lahwuhā wa-nidāmuhā バル・アンティ・ラー・タドリーナ・カム・ミン・ライラティン タルキン・ラズィーズィン・ラフウハー・ワ・ニダームハー |
この箇所の解釈・具体的な意味 [ ソース ] 貴女は知っているだろうか?(私が過ごした)一体どれだけ多くの夜が、(熱くも寒くもない)心地よい陽気(や気持ちの良いそよ風)に恵まれ、愉快な飲み仲間たちと楽しく過ごし共に酒を味わい(い語ら)ったことが甘美だったのかを。 *主語が2つある関係で形容詞ラズィーズ1語に対応する訳(赤字部分)が2箇所に分散しています。 |
【メモ】 *لَذِيذ [ ladhīdh ] [ ラズィーズ ] の後に -in(イン)という音がついて「ラズィーズィン」となっているのは格変化をしているためで、単語が属格であることを示しています。 *ここでは前置詞 مِنْ [ min ] [ ミン ] の後に単数としての意味を持ち一夜、二夜と数える時の語形でもある「(一つの)夜、一夜」が属格の形で لَيْلَةٍ [ laylatin / lailatin ] [ ライラティン ] と続いています。そこに「(夜が)暑くも寒くもなくそよ風が心地よい」という意味の طَلْقٍ [ ṭalqin ] [ タルキン ](この語は修飾する対象の「一夜」が女性名詞でも女性形の طَلْقَةٍ ではなく、ة 無しの男性形語形 طَلْقٍ で使用可能)が第1個目の修飾語、後置されている لَهْوُهَا وَنِدَامُهَا [ lahwuhā wa-nidāmuhā ] [ ラフウハー・ワ・ニダームハー ](人称代名詞接続形 ـها [ hā ] [ ハー ] は形容詞の内容が夜ではなくそれに関連した別の事物に関するものである構文の時に文法上必要なパーツで لَيْلَة を受けている部分)を主語とする لَذِيذ が同じく属格の語形で第2の修飾節として連なっています。 *نِدَام [ nidām ] [ ニダーム ] は نَدِيم [ nadīm ] [ ナディーム ]((飲む際の、宴席での)同伴者、同席者;飲み友達、飲み仲間、呑み友達、呑み仲間;仲間、友達、親友)の複数形、派生形第3形動詞 نَادَمَ [ nādama ] [ ナーダマ ](~と一緒に酒盛りをする、共に宴会をする、共に過ごして酒を飲んだり夜の談話(サマル)を楽しんだりする)の動名詞ダブルミーニングとして理解する部分だとのこと。「飲み仲間/飲み友達/親友・知人たちと共に過ごし酒盛りをしたり語り合ったりしたことが、楽しく心地よいものだった」と「飲み仲間/飲み友達/親友・知人たち自体が楽しく快い気質で話もおもしろい連中だ」という両方として受け止めるのが解釈の定番である模様。 |
のような形で登場。
飲食物が美味しかったと言っているのではなく、
- 過ごしやすい夜に楽しく過ごしたこと
- 仲間・友人らと酒盛りをしながら雑談などに興じたひととき
- 酒を共に味わい談話を楽しんで過ごした仲間・友人ら
のいずれもがラズィーズ、つまりは「味わい深く、楽しく、愉快で、甘美な」状態だったと述懐している内容となっています。
こちらは現代のイラク人詩人たちがクウェートのテレビに出演した時の対談番組です。動画の題名
الحزن في الشعر العراقي “لذيذ“
は『イラク詩において悲しみは甘美』という意味で、それに関する雑談は17:55ぐらいから開始。イラク詩は悲しい内容が多いことで知られているのですが、イラク人ゲストは嬉しい出来事や喜びはそう長続きはせず悲しみの方がずっと心に残ること、だからこそ悲しみは甘美なものとすらなり得る、悲しみは創作意欲を刺激する感情である、詩はそうした悲しみに対する癒やし・薬代わりになる、と語っています。
このように食べ物以外にも「甘美だ」「快い」「楽しい」「素敵だ」といった気持ちにさせる物事を لَذِيذ [ ladhīdh ] [ ラズィーズ ] と形容することは、中世でも現代でもアラブ人が行ってきた伝統的かつ現役の表現となっています。
学習者向け辞書にも載っている基本的な語義・用法
この手の言い回しは今もアラブメディアのフスハー会話でも出てくるため実地で聞いて文語表現だろうということは推測可能なのですが、そうした実体験が無くとも辞書で探せば普通に載っている語義なので「おいしい」以外の使い方があることはまず確認できる形となっています。
文語アラビア語(フスハー)- 英語辞典*にも「pleasant, delightful, nice, comfortable」として載っており、中級~上級学習者向けの辞典であれば用例も収録されているので「おいしい以外の意味は辞書に載っているだけで実際に使わない」「ラズィーズはフスハーでは食べ物がおいしいという意味だけで、楽しいといった意味で使うのはアーンミーヤだけ」という誤解はまず起きないというのが正直なところです。
*19世紀~20世紀にかけ有名辞典が欧米各国で各種出版。現代のアラビア語学習者やアラビア語に関連した中東研究者たちも多用しています。
『Arabic English Dictionary of Modern Written Arabic』
編:Hans Wehr
英訳:J. Milton Cowan
ナチスドイツ下で編纂作業が進められ後に英訳もされた定番のハンス・ヴェール(英語発音でハンズ・ウェアといった発音も)アラビア語-英語辞書です。オンライン辞書の『Alladin(アラジン)』がリリースされるまで日本のアラビア語学習者の大半が使っていたという定番中の定番辞書です。
この辞書は持ち歩けるサイズなので学生にとっても使い勝手が良い一方、新しい用語の追加が無く用例も少ないため適切な語義を見落としやすいという短所があります。
形容詞 لَذِيذ [ ladhīdh ] [ ラズィーズ ] については
delicious, delightful; pleasant; beautiful, wonderful, splendid, magnificent; sweet |
となっており、「面会、会見」を修飾している場合は「おいしい(delicious)面会」ではなく pleasant、wonderful あたりの語義を拾うべきケースだと見当はつくのですが、実際の組み合わせとしてどんなものがあるのかが載っていないので「おいしい」以外の意味の場合フスハーにはどんな表現が実在するのか明示されておらず見落としてしまう方もいるかもしれません。
Arabic-English Lexicon
オンライン版:https://lexicon.quranic-research.net/data/23_l/064_lc.html
著者:Edward William Lane
中級~上級者向けでアラビア語・中東研究者の多くが利用している大型のアラビア語-英語辞典です。この辞典では لَذِيذ [ ladhīdh ] [ ラズィーズ ] と لَذٌّ [ ladhdh ] [ ラッズ ] が同等であると示した上で
用例の抜粋 [You say]لَهُ عَيْشٌ لَذٌّ↓ [He has a pleasant, or delightful, life]: andهُوَ فِى لَذٍّ↓ مِنْ عَيْشٍ [He is in a pleasant, or delightful, state of life]. (A.) رَجُلٌ لَذٌّ↓ A man of pleasant, or delightful, conversation, or discourse. (A.) |
意味 ・彼は快適な生活をしている ・話の楽しい男、(話していて)愉快な男 |
となっており、人間にこの形容詞をつける場合は「その人と過ごしたり話したりすることで楽しい・愉快・良い気分だと感じる」という意味になることを示しています。
オンライン アラビア語-日本語辞書『Alladin(アラジン)』
URL:http://www.linca.info/alladinPlus/dic.php?id=27247&cur=272470011&lg=1&md=1
作成者:アラビア語電子教育普及促進協会(Linca)柴田道広 氏
上のハンス・ヴェール(ハンズ・ウェア)ペーパーバック版を販売していた出版社が倒産して以降、日本のアラビア語学習者にとっては欠かせない存在となっているサイトです。ハンス・ヴェール(ハンズ・ウェア)+その他追加項目が含まれており、形容詞 لَذِيذ [ ladhīdh ] [ ラズィーズ ] の語義も確認しやすいです。
語義 【1】うまい、美味い、おいしい、美味の / delicious 【2】 (比喩的に)甘い、甘美な、快い、楽しい、快適な 【3】 (比喩的に)素晴らしい、壮麗な、華麗な |
用例の抜粋 【1】の意味 ・おいしい食べ物 طَعَامٌ لَذِيذٌ [ ṭā‘ām(un) ladhīdh ] [ タアーム(ン)・ラズィーズ ] 【2】の意味 ・心地よい眠り نَوْمٌ لَذِيذٌ [ nawm/naum(un) ladhīdh ] [ ナウム(ン)・ラズィーズ ] *名詞と形容詞の語末母音記号を主格に修正してあります。 |
一方、口語アラビア語アーンミーヤでどうなっているのかを調べる無料かつお手軽な手段としては、ある程度信頼性の高いオンライン辞書の利用が挙げられます。
The Living Arabic Project
URL:https://www.livingarabic.com/en/search?q=%D9%84%D8%B0%D9%8A%D8%B0
作成チーム:Lughatuna
フスハーとアーンミーヤの各種方言とが同時収録されているサイトで、方言辞書は紙媒体のものを掲載しているためオンライン辞書としてはかなり信頼性が高めだとの印象です。
フスハーとしては
دِفْء لَذيذ [CA] pleasant warmth(心地よい暖かさ、快適な暖かさ) رائِحة لَذيذة [CA] a pleasant aroma(いい香り、良い匂い) |
エジプト方言としては
بِنْت لَذِيذة [E] a sweet girl(愛らしい少女、かわいい少女) |
が載っていますが、エジプト方言の語彙確認をするには載っている用例の数が少ない感じがします。
またレバノン方言としては
زَلَمِة لَذِيْذ، حَكيَاتُو حِلوِيْن [P] a nice guy, the things he said are interesting; {zalame la∂ī∂، ḥakyāto ḥilwīn} |
いいやつ(だ)、彼の話はおもしろい |
という用例が載っていて、Lane(レイン)の大辞典に出てくる古典的な語義「(その人物の話が、人柄が一緒に話していて)楽しい、おもしろい、愉快な」をそのまま継承していることがうかがえます。
Lisaan Masry – Egyptian Arabic Dictionary
URL:https://sea.lisaanmasry.org/online/search.php?language=EG&key=%D9%84%D8%B0%D9%8A%D8%B0&action=s
語義 【1】مـُمتـِع – مـَشا َعر فـَرحـَة enjoyable(楽しい、愉快な) 【2】 مَحبوب – مـَشا َعر تَفضيل likeable(愛すべき、愛らしい、好ましい) 【3】 حِلو – طـَعا َم مـُمـَيـِزا َت delicious, tasty(おいしい) |
こちらはエジプト方言専門のオンライン辞書で単語の発音や動詞活用もチェックで要る便利なサイトです。その単語がフスハー由来・フスハーと共通であれば「MS」、フスハーの単語が語形変化したとかコプト語由来だといった理由からエジプト方言に特有な場合は「EG」というマークが添えられています。
この見出しには「MS」がついており、エジプト方言特有というよりはフスハー由来の語義や用法であることを示唆している形となっています。
アラビア語の辞書はフスハーの辞書とアーンミーヤの辞書は分かれているのでフスハーのアラビア語辞書に収録されているということはその表現が文語アラビア語のものだということになるのですが、口語アラビア語(アーンミーヤ)の辞書にも同じ単語と同じ語義で載っている場合、基本的には口語表現が文語表現に入り込んだのではなく元々文語アラビア語単語として持っていた語義をそのまま各方言が引き継いだケースであることが多いため「フスハーとアーンミーヤとで同じ使い方をする」という判断をすることが可能です。
“実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語”だという説明文と複数用例の実在という齟齬
検証記事では
辞書によっては「甘美な」という意味も出ているが、実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語 |
となっていますが、昨今のアラブメディアでも「おいしい」以外の語義は使われており、管理人自身フスハーによる文章・ウェブ記事やテレビ報道で時々見かけます。
検証者の方がどのような辞書を使われたのかは不明ですが、いずれの場合も「おいしい」以外の意味は載っていてどういう言い回しで使われるかという用例も添えられており、”実際には食べ物にしか使わない”という判断をすることの方が難しいぐらいです。
そのため本件については
- 「実際には食べ物にしか使わない」と断定しているのは検証者の方が単にピックアップしたことが無かっただけで、手持ちの情報量や確認作業の不足による見落としだった。
- 色々と承知の上で、本当の情報を出さず意図的に「実際には食べ物にしか使わない」「語彙力の無い小池氏がアラビア語を間違えた」という話に置き換えた。
のいずれかの判断になるかと思います。
純粋なアラビア語考察・検証としてはあまりに不自然な流れと決着であることから検証者氏自身の信頼性が問われることになるいわば捨て身の方策であるため、小池氏の攻撃材料として使っていなければおそらくこのようなことは書かれなかったのではないでしょうか…
「小池氏は”美味しい面会”と言うぐらいにアラビア語の語彙力が乏しい」というフィクションはこれまで検証記事の見出しにも何度も登場しているのですが、逆に検証者の方が لَذِيذ [ ladhīdh ] [ ラズィーズ ] の基本語義の一つを見落としアーンミーヤ表現どころか文語・口語アラビア語のどちらとしても間違っていると誤解されていることを示してしまっている部分となっています。
アラビア語をやっていない方だといまいちピンとこないかもしれませんが、日本語に置き換えてみると
日本語の辞書には「おいしい」の語義として「自分にとって都合がよい。具合いがよい。好ましい。」が載っているが、実際には「食べ物の味がよい」という意味でしか使わない。自分にとって得になるようなことを「おいしい話」と言った◯◯氏は日本語学習者としては初歩的な間違いをしている。非常にレベルが低い日本語を話しているので日本の大学を卒業したというのは詐称だとわかる。
という記事を書くのと同じことだと言えばわかりやすいでしょうか…
形容詞ラズィーズにおけるフスハー発音とエジプト方言発音の違い
当時衆議院議員だった小池氏がエジプト大統領との会見についてエジプト国営放送から取材を受けた時の動画で使った表現自体は مُقَابَلَة لَذِيذَة [ muqābala ladhīdha ] [ ムカーバラ・ラズィーザ ]* だったのですが、アラブ人の側としては「良い会談、素晴らしい会談、歓談」という意味で理解し、相手とのやり取りが非常に良好で実りあるものだったことを示唆していると受け止めるであろう部分となっています。
*「お会いできて楽しかった、お会いできてとても良かった、歓談を楽しみました」などと言っている部分で、日本語の「うまい話」「おいしい話」にあるような「利益がある、旨味がある、利権にありつけそうなメリットがある」「大統領閣下との面会でおいしい思いをできそうだと感じた」という意味にはならないです。
唇で隠れてよくは見えないのですが、小池氏は「良い面会」の「良い」部分に相当し「おいしい」という意味もあわせ持つ形容詞の女性形 لَذِيذَة [ ladhīdha ] [ ラズィーザ ] の歯で舌をはさんで出す「ذ(dh)」音ではなく歯ではさまない「ز(z)」音にして لَزِيزَة [ lazīza ] [ ラズィーザ ] と発音しているようにも聞こえます。
こうした特定の文字間発音シフトはネイティブが頻繁に行っているもので、エジプト人などもフスハーで話しているつもりがエジプト方言による口語会話と同じように dh の発音が z、th の発音が s になっているまま、ということがしばしば起こります。
小池氏が لَزِيزَة [ lazīza ] [ ラズィーザ ] と発音しているからといって「フスハーを勉強しなかった証拠だ」「アラビア語を知らないのに皆を騙している」などと言うのは早計で、「エジプト人のアラビア語をそのまま学んだために多くのエジプト人がしている通りにフスハーでもエジプト方言発音をするようになってしまった」ないしは「フスハーの授業は受けたが、細かい発音方法は教科書に書いていなかったために目と耳でなんとなく真似した覚えたら違っていた」である可能性も否めません。
日本人学習者の方でも口語アラビア語をメインでやっている方だとこのような現地方言の影響を受けたフスハー会話になりやすいのですが、「アラビア語として絶対に間違っていてアラブ人はそんな発音しないからネイティブ発音と全然違う」かというとそうでもないので、検証とか判定の際には単純な間違いとして処理できない要注意ポイントとしての扱いをしなければいけないなど、結構厄介な部分かもしれません。
アラビア語の発音といっても、アーンミーヤにおける子音の発音というのは
- フスハーとして本来するはずのアラビア語の特徴的な発音が弱まって、喉を引き締める苦しげな音などがはっきり聞こえにくい
- 一部の音は別の子音に置き換わっている
ため、「アラビア語としてそもそも発音が間違っているのか?」それとも「ネイティブもやっている発音だけれどもフスハー発音ではないケースなのか」を厳密に区別するにはそれなりの知識が必要で、正確な検証作業は結構難しかったりします。
文語として正しい用法が”美味しい面会”として誤判定された原因とは?
先に出てきたジャーヒリーヤ詩人ラビード・イブン・ラビーアは今から1450年以上前に生まれた人物で、彼の作品はアラビア語文学史に影響を与え続けた模範的な文語アラビア語(フスハー)を体現しているとも評される詩の一つです。
生粋かつ美麗なフスハーの用例として「味わい深い、楽しい、快い」という意味が元々実在してきたことを挙げる代わりに
- ラズィーズが持つとされる「甘美な」といった意味は単にアラビア語の辞書に載っているだけで、実際には本当は食べ物をおいしいという以外には使わない。食べ物以外にラズィーズを使うのはアラビア語そのものとして間違っている。
- 面会・会見にラズィーズという形容詞を使うのは拙く恥ずかしい言い回しをすることの典型例。
とした点については、正確性・綿密さ・専門性を欠いてしまっている検証内容であり、素で誤解されてしまったのか、全て知っていて読者のほとんどがアラビア語を知らないことを利用して政治的効果を高めるために作り話を書いてしまわれたのか、判断に迷うぐらいに謎が多いと言わざるを得ません。
もし素で間違っておられると仮定するならば、執筆者氏手持ちの辞書が検証作業に使えるだけの情報量を有しておらず十分な検証作業補助役になっていない、ということになってきてしまいます。
また、詳しいアラビア語 – 英語辞書や中級・上級学習者が使うネイティブ向けのアラビア語辞典であれば用例つきで「おいしい」に加えて「楽しい、快い、心地よい」という語義が載っているものなので、検証者の方がそうした分厚い専攻者向けの辞書を使用されずに情報確認を行い記事を書かれたために起こった誤認だった可能性、ないしはフスハー語彙力が少ないネイティブの個人的な記憶に頼ったために「フスハーではそんな言い方はしない」という誤った判定を得てしまった可能性が考えられるように思います。
アラビア語諸学そのものが専門でない方だと、本人が間違いだと気付かないままリリースされる誤解説が多くなりがちという難しさ
作り手の専門性によって大きく差が出るアラビア語解説
アラビア語そのもの以外を専攻分野されている方はアラビア語学専門家並みにカバーすることはできないため、国際関係論や歴史などの研究者がアラビア語の文法や語彙の解説をした場合、アラビア語専門性を要する解説部分が微妙に違っているとか、時には全くの誤解・間違いに基づいて全然違う説明をしてしまっていることが起きやすいです。
普段アラビア語を教えている先生でもアラビア語文法学そのものが専門でないと書かれた文法書に誤りが出やすく、実際に日本で使われている学習書にはアラビア語で書かれた文法書の誤訳や先生ご本院の覚え間違いに起因する誤った記述を含んでいることがあり、アラビア語の解説を完璧に仕上げるというのは一般の方たちが思っている以上に困難なのだと感じることも多いです。
日本のメディアやインターネット投稿・動画ではアラビア語専攻の先生が登場して詳しい解説を提供するといったことはまず無いため、”美味しい面会”のように専門家であれば間違わないタイプの誤情報も出回りやすいという土壌があると言えるかもしれません。
誰もが気軽にネットで発信できる時代になったせいか、近年はアラビア語専攻でないアラビア語経験者の方々が解説を作成し、間違っている発音を正しい発音として実演したり、アラビア語表現やアラブ文化の解説として全然違うことを説明したり、意味解説の中で誤訳や誤読をしたまま公開したりといったことが多発しており、アラビア語に詳しくない方を誤解させるようなコンテンツが流通するといった事態にもなってきています。
コンテンツ作成者の方は意図的にそういう情報を流されているのかアラビア語を間違えていることに本当に気付かれていないのか管理人は知る由もありませんが、正しい解説とそうでない解説を見極めるということが昔以上に難しくなってきているように思います。
小池氏アラビア語能力評価コンテンツと正確性の不在
小池氏のアラビア語に関して特に有名な検証記事群を発表されてきた方については、ご本人の記事によると日本のアジア・アフリカ語学院*で半年、カイロ・アメリカン大学**大学院(1984~1986年、家庭教師を併用)については通常2年かかるアラビア語コースを1年、2年かかる修士課程を1年で終えられているためアラビア語文法と実用向けな資料読解といった専門訓練を受けられた期間は2年半という計算になります。
*アジア・アフリカ語学院には昔アラビア語学科があり、アラビア語を本格的に学びたい社会人の方々が通われていました。
*カイロ・アメリカン大学はエジプト富裕層や外国人留学生向けのアメリカ式教育機関でアラビア語コース以外は英語で授業を実施。アラビア語で全部の授業を行い留学生のアラビア語支援も行われないカイロ大学文学部とは大きく違っています。
人の何倍も努力されたとはいえフスハーとアーンミーヤの専門的知識やアラビア語の高度な四技能を習得し他人に本格的なアラビア語知識教授を行うにはあまりに短い期間で、留学終了後にビジネスの話で使う機会がほぼ無かったまま40年が経過していることとあわせて、検証記事の不正確なアラビア語解説や文法・訳・聴解・語彙全般にわたる多数の誤りの原因にもなっているものと思われます。
同氏以外に評価コンテンツを作成されている方などもアラビア語専攻の方ではないためかアラビア語学・アラビア語文法・アラブ文化などに関する誤りや誤解を多数されている状況で、アラビア語の文語・口語問題も含め小池氏のアラビア語と現地留学の件について正確なことが十分かつ詳細に説明されている検証記事・コンテンツがこれまで流通していなかったと言えます。
検証者が手元に置いているアラビア語辞典の冊数や検証に用いる専門資料の数の問題
詳しいアラビア語辞典というのは単に分厚くなるどころか10巻で1セットになっていることも珍しくなく、持ち歩けないため所有していない方も多いです。またネイティブ向けの大辞典は中級以上のアラビア語読解能力を要するため、中級ぐらいまでのアラビア語学習者が使うのは日本の中高生向け国語辞典サイズぐらいのアラビア語 – 英語辞典であることが一般的です。
しかしそうした辞典は内容が薄く、携帯可能な辞書であるという点ことを優先させ長年主力として使っていると語彙力の伸びの足かせとなりかねず、追加で複数オンライン辞書における串刺し検索なりをしないとその単語が持つ重要語義を見逃しやすいです。
綿密な訳や語彙の検証を行うには本来20冊、30冊とアラブ人向けの辞典や専門書を読んで時代ごとの語義や細かいニュアンスを確認していくのがベストなのですが、実際には置き場所や携帯可能な辞書サイズの限度というものがあり誰もが多数の辞典を取り揃えている訳ではないので、アラビア語関係の記事だと少ない辞書数で内容確認しそのままネット記事・SNS投稿を作成するという風にどうしてもなりがちです。
特にインターネット普及期前の世代は紙媒体以外の電子化された大辞典を使う習慣が無いままだったりということもあって、若い世代に比べると手元にある紙の辞書を補強するために各種オンライン辞書を併用せず、結果として解説記事の精度が落ちるということが起きやすいとの印象です。
非ネイティブと文語アラビア語(フスハー)・口語アラビア語(アーンミーヤ)両立の問題
文語アラビア語と口語アラビア語の両方を中級~上級レベルまで持っていくことは難しいため、多くの場合はどちらか片方だけだったり、フスハー7~9:アーンミーヤ1~3といった偏った比率で習得が行われます。
日本ではアラビア語経験者ということでフスハー中心に学んだ方がついでにアーンミーヤの解説もされることもあるのですが、アーンミーヤ部分は専門外であるために文語アラビア語と口語アラビア語の両方に関する知識を要する事例の説明が間違ってしまいやすく、フスハーだけしか対応していない方特有の誤解を含んだ内容になりやすいように感じます。(自分も色々な方言を学ぶ前がその状態でした。)
文語と口語が混ざっている文・会話についてはフスハー要素とアーンミーヤ要素を厳密に分け同じ単語に対する些細な母音付加の差なども区別する作業が必要になってくるのですが、これにはフスハーとアーンミーヤ両方の習熟度をかなり上げないと厳しく、ただの日常会話としてのアーンミーヤではなく欧米の大学出版刊行でアラビア語専攻学生向けに言語学的な解説を行っているような書籍で色々と細かい情報を仕入れたりして検証の精度を上げないと十分な水準を満たした検証結果を提示することは難しかったりします。
アラビア語の方言というのは地域によって傾向が異なるため、自分が知っている特定の方言だけを基準にしてアラブ世界各地の方言を語ってしまうと「他の地域ではその語彙は使わないのでどこ地域の話なのか明記すべき」といった指摘を受けることになります。ただそうした作業には各国方言の文法書や辞書なども多数参照して横断的に検証を行い情報を精査する必要があり、アラビア語の方言に関する解説を作るちょっとしたコンテンツを作るにもかなりの労力がかかることもしばしばです。
小池氏のアラビア語に関する検証記事・コンテンツはこの部分の要件を満たしていないため、文語-口語アラビア語併用者に「検証者氏はフスハーとアーンミーヤのことをよく知らないのでは?」という印象を与えてしまっている状況です。
ネイティブチェックの落とし穴
アラブ世界でフスハーが苦手だとされている学部・学科とアラブ社会人の文語能力との関係
検証者の方はカイロ・アメリカン大学の上級アラビア語コースを終了され、修士課程の時にはアラビア語文献講読を行ったり家庭教師をつけて学習をされたりしたとのことですが、小池氏動画については万全を期すためにネイティブを動画検証訳に起用しエジプト人ジャーナリストに依頼したと書かれています。
日本ではネイティブだという理由から文語アラビア語フスハーに関わるアラビア語諸学を修めていない方をアラビア語教材の執筆者や検証役として起用することも多いのですが、そうしたネイティブの方が参加した部分に誤字脱字や誤読が集中している例が時々見られます。
これはアラブ世界の大卒者が有するフスハースキルにかなりのばらつきがあること、学習書や専門的記事に許されない細かい誤りも決して犯さない高度なレベルでフスハーに堪能な人物を探すのが決して容易ではないことを加味せずに人選を行った場合に発生してしまう記事・教材精度の低下事例となっています。
アラブ世界では検証や校正をこなせる技能を有するのがアラビア語学科卒業者だと認知されているためそれ以外の学科の人よりも優先的に校正業などに雇われるのですが、日本ではアラビア語学科卒業者は少なくフスハーが専攻外という人の方が圧倒的に多いです。
アラビア語圏ではメディア業界と外国語-アラビア語翻訳業界などにフスハーが苦手な人が数多く従事していることがアラビア語専門家らの間でも問題視されているのですが、ニュースのアナウンサーによるフスハー文の誤読、原稿作成者による文法間違い、メディアのコンテンツにおける誤用はメディア学部や英文科といった特定学部・学科の出身者が原因になっていることが多いと言われています。
ネイティブは聞けば親切に答えてくれるが返事が正しいかどうかはまた別である件
アラブ人は質問すれば答えてくれはするのですが、フスハーやアラビア語の語義に関する知識はフスハーが苦手なアラブ人よりも非ネイティブのアラビア語専攻者の方が詳しいこともあります。
これは日本人が日本語科留学生よりも国語文法や日本文学に明るくないことも少なくない状況と似ているのですが、アラブ人たちとフスハーとの距離感はもっと大きく高等教育をアラビア語で受けていない人の数も年々増えているため、日本人がアラビア語について質問しても「教えてくれたことが間違っていた」という事態になりやすいです。
しかし日本人はそういう事情を知らないので「とにかくネイティブに意見を聞いて確認しないといけない」「大卒・院卒ならフスハーにも詳しいだろう」ということで職種をあまり選ばず文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)の専門知識がいる作業に起用してしまいがちです。
小池氏アラビア語検証記事に含まれるアラビア語関連の誤りとネイティブ起用との関連性
“美味しい面会”検証記事を書かれた方はエジプト出身で英語科卒のジャーナリストさんを文語アラビア語と口語アラビア語の判別や文語アラビア語文法の正解を解説するための検証役として起用された訳ですが、上でも記した通り、アラブ諸国では英語科卒、メディア・ジャーナリスト職、アラビア語-英語通訳職はフスハー文法に明るくない人が多いことで知られており、彼らがニュースや出版物そしてオンラインのコンテンツ作成業務に進出したことで近年誤字脱字類が増加してきていることもされています。
小池氏検証記事の中には単にアラビア語文法が得意でない/忘れてしまった日本人がするのとは違うタイプのネイティブに典型的な誤用・誤読があるため、それらはエジプ人検証役の方に起因するのでは?という風に感じました。
一般向け検証記事・動画をアラビア語学習教材代わりにすることのデメリット
小池氏に限らず中東業界の特定人物のアラビア語能力を検証したり・誤りを指摘したり・称賛したりする記事・動画は、アラビア語学専門家ではない方々が検証をされていることなどから正確性が十分ではなく、政治問題がからんでいることもあって中立的かつ学問としての厳密さだけを追い求めたものが残念ながら流布していないとの印象です。
本当は誤っている解説でも断定調で解説しメディアやSNSで情報を流布してしまうというのは、多くの冊数が売れないアラビア語学習書を通じて広まるのとは規模が桁違いこともあって学習者が思った以上に影響力が大きいです。
学習教材の質や正確さはアラビア語の上達度合いを大きく左右する要因でもあります。先述のような検証記事・コンテンツは「いつもは追求をかわしている小池氏が嘘だらけのアラビア語を暴かれ赤っ恥をかいた」「アラビア語外交すらまともにできていなかった小池氏の真実」を味わえる大衆エンタメや落選運動・リコール運動の手段としてはそれでも構わないのかもしれませんが、単なるアラビア語のテストであれば赤点になってしまうぐらいに様々な誤りを含んでしまっています。
「アラビア語を現地で学んだ方が書いたから」「中東に長年関わる仕事をしている人であればアラビア語そのものも専門家並みの知識を備えているはずだから」と信頼して、アラビア語学習者の方まで内容を精査しないまま真に受けて”本当のアラビア語情報”として学び取ってしまわないようご注意ください。
*アラビア語について事情を全く知らない方からすると、ボロクソに酷評しているだけの陰湿な意地悪記事に感じられるかと思います。偉そうな極めて高慢に受け取れる表現かもしれませんが、有名な小池氏アラビア語評価・検証の記事・コンテンツにはそう表現せざるを得ないぐらいにアラビア語に関する箇所に不可解な記述や誤りが多いのも事実です。不可解なまでにアラビア語のことが誤解され事実関係が改変されているため、これまでにもアラビア語稼業をされている通訳や講師の方々から疑問の声が上がるなどしていました。その点についてはなにとぞご理解いただければと思います。
最後に
管理人は特定の団体・人物を非難もしくは支持する意図はありません。応援をしたい/責任を問いたい/情報発信したいという思い自体は皆様個人の自由だと考えています。
ただ「アラビア語として間違っているものは間違っている、正しいものは正しい」というのが変えようがない事実なのもまた確かです。特定の動機による学術的事実の否定・脚色はアラビア語学習者にとっては悪影響となるだけで益は一切無いように思います。
そうした言説・事物に対しては、中立性を心がけつつも注意喚起を行わせていただいております。本ページも「小池氏のアラビア語を政治家本人の資質とは完全に切り離して見た場合にはどうなるか」という趣旨で書いた記事となっておりますので、ご理解いただければ幸いです。
上で挙げた検証記事・コンテンツは決定的証拠を提供しないどころか告発・告訴の成功を妨げる要因にもなり得るため「本当に落選・リコール・勝訴を望んでいるのだろうか?」と心配にすらなるのですが、巷の情報によると昨今のイメージダウンキャンペーンはこうしたタイプが多いとのこと。「なぜ脚色・間違いばかりの解説がされたのかわからない」という部分については、最初から「学問ではなく違う目的で作られたから」として切り分けて考える必要があったのかもしれません。
そのような中、小池氏のアラビア語についてエジプトで習得した痕跡が動画の中にあることを認めつつもエジプトの法律やカイロ大学の規定を精査する形で問題を追っている方がおられることを知りました。カイロ大学に数年在籍されていたこともあり、他の検証に比べると遥かに信頼性が高く選挙に合わせてのキャンペーンとはまた違う感じでコツコツと調べ上げていらっしゃるとの印象を持った次第です。
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一連の検証記・やコンテンツを作っている方々が本当にアラビア語が堪能で文語と口語の両方に通じているアラビア語学のプロであれば管理人もこんなしつこい反論めいたことはせず、学びの機会として活用させていただき内容に納得もしたと思います。
個人的には「告発したい気持ちまでは否定しないものの、せめてアラビア語に関する部分には脚色は入れず語学的な間違いは排除していただきたかった」「自身の母校のアラビア語教育の評判を貶しアラビア語に詳しい人物という評価も捨てることになる検証を公表するほどの強い動機とは何だったのか?」ともやもやしたままとなりましたが、一通り情報整理はしたのでこれにて更新も一旦終了としたいと思います。
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この件は小池氏の都政や卒業の経緯に疑問を持つ人がもし少なく、同氏が質疑にも早急に応じていればここまで話が大きくなっていなかったのもまた事実です。皆にとって納得する回答が提示され問題が解決していれば、小池氏ならかなりのバッシングをしても構わないという空気の中で正確性よりもパンチ力を重視した記事・コンテンツがここまで量産されなかったのだと思います。
いずれにせよ、記事における間違いというのはよほどの方でないとどうしてもしてしまいがちで、自身のブログ(サイト)記事も数年経過してから読み直すと「昔こんなこと書いてたんだ」「あ、ここは間違ってるから早く直さないと」となることがあります。管理人自身も一層精進してより正確な情報をアップできるよう心がけたいと考えています。
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勢いでガーッと書きまくってしまいましたが、日が経つにつれて後味の悪さを感じるようになってしまいました。しばらくしたら冗長な部分や不快と受け取られ得る表現などを大幅に削除するかもしれません。
過去の検証記事に関するメモ
メモ部分の作成意図
検証記事に関する個人的なメモです。ついでにアラビア語学習者の方向けの読み物にでもなれば、と思いここを置き場代わりにさせていただいています。
小池氏についても検証コンテンツを作成した方についても不当評価とならないよう各情報を確認し考察を書き出しただけの正誤表的なものなので、告発・批判・人格攻撃の意図はありません。
メインジャンルが文語と口語のアラビア語文法&文学系である立場の一個人が検証記事を読んだ場合どう感じるのか、不可解に思える箇所とその理由は何なのかをそのまま文字化してあるため、かなりきつく傲慢な物言いに感じられるかもしれません。名誉毀損・誹謗中傷目的であるといった誤解の無きようよろしくお願い申し上げます。
情報整理用備忘録(正誤チェック的なものと雑感)
上の記事本文を書くために列記した調べ物メモなので読みやすさへの配慮が無い状態です。なにとぞご了承ください。なお引用部分冒頭の数字はこちらで項目の読み飛ばしをしないようにと便宜上書き足した通し番号です。
2018月6月28日記事
https://bunshun.jp/articles/-/7909
1)説明の前提としてアラビア語には2種類あることを憶えておいて頂きたい。一つは正則アラビア語(フスハー)という格調高く美しい万古不変の言葉で、アラビア語圏で普遍的に通じる。コーラン、政治家の演説、テレビのニュース番組などは正則アラビア語である。本、雑誌、手紙、大学の試験の答案など、アラビア語が文字で書かれる場合は、すべて正則アラビア語を用いる。したがってアラビア語圏の大学を卒業するためには、正則アラビア語の会話、読み書きに堪能でなくてはならない。
▶フスハーは万古不変ではなく、時間の経過とともに語彙が変化。近代までに廃れ死語になった語彙も多い。少なくない数の文法事項は取捨選択により現代フスハーではもはや使われなくなり、古風な構文として文語文法書などでしか見かけないものも。特に近代化以降欧米諸語の影響を受けて起こった変容は大規模で、語彙・熟語・慣用句など多岐にわたる。アラビア語学者らは今のフスハーをかつてのフスハーとは別物と化していると評することもあり、ニュースで使われているようなフスハーは一般の人々が理解しやすいように簡易化されたもので古典的フスハーとはかなり違っておりアラビア語学者たちの中には「やむを得ない妥協」と見る者もいる。「万古不変な理想状態のアラビア語はアラビア語を創造した存在でもある唯一神アッラーの元で永遠の時を生きている」「変質し簡略化してしまった現代のフスハーは本当のアラビア語の姿ではない」「アラビア語を変容させてしまったのは地上の人間たちの所業であり本来の理想的なアラビア語は神が住まう天界に変わらぬ姿で存在している」のように現代の”簡略化されかつての姿を失った”フスハーと切り分けて考える人すらいる。
▶政治家の演説はフスハーだけでなく、わざとアーンミーヤを使う場合もあるので全てではない。リビアのカダフィ(アル=ガッダーフィー)大佐はリビア方言での個性的なスピーチで異彩を放った元首の典型例。イラク大統領だったサッダーム・フセイン(サダム・フセイン)などもかなり口語寄りなスピーチの映像が複数残されている。北アフリカのマグリブ諸国だと高等教育がフランス語で行われるため、フスハーが苦手でフスハー原稿作成屋を頼ったりする政治家もおり、あきらめて最初からほぼアーンミーヤで話しているケースがマシュリク諸国よりも多め。
▶手紙はフォーマルなものはフスハーだが、私信やメール・SNS類だとアーンミーヤ率が高い。ニュース番組は特定国の国営放送局で流れる朝などのトークありニュース番組だと出演者たちが全員アーンミーヤで話していることもある。またフスハーで読み上げるニュース放送でも、ちょっとした相槌や本音コメントだけアーンミーヤに切り替えたりゲストはフスハー-アーンミーヤ中間体(混合体)やアーンミーヤで話したりと、文語と口語がある程度混ざっている番組も少なくない。
▶アラブの大学はフランス語か英語で授業をすることも多いため、「アラビア語圏の大学を卒業するためには、正則アラビア語の会話、読み書きに堪能でなくてはならない」とは限らず、大卒者間でのフスハー苦手率の上昇が昨今の課題となっている。「カイロ大学のような国立大学の授業は文語で行われる」といった解説はアラブ世界の大学におけるアラビア語事情を知らない方の言説であり、エジプトの大学の内部事情に通じていない・実際に講義を聴講した経験が無いことの裏付けにもなってしまっている。実際には一部学科を除いてはアーンミーヤが優勢で、新型コロナウイルスが流行しYouTubeでのリモート講義が多数アップされた時期にはカイロ大学の人文系の学科講義はアーンミーヤを聞き取れないと単位が取れないとわかるレベルでエジプト方言による弾丸トークもまた多く、フスハーだけできれば対応できる状態とは程遠いことを改めて認識する結果となった。そのような状況だからこそアラブ諸国で「高等教育を文語アラビア語でやらないせいでアラブの若者たちがフスハーを上手く話せないまま大人になり、大学を卒業してもフスハーでの作文で間違いをしやすい」と問題になっている。また「フスハーの読み書きができる=フスハーを流暢に話せる」ではないため、アラブ人は大学・大学院卒で「フスハーを流暢に話せる」というスキルを欠いていることが多い。特にマグリブ諸国はフランス語で教育を受ける期間が長い生徒・学生が多く、アーンミーヤ以外のフスハー運用能力が非常に少なく「フスハーは書くのも話すのも苦手」というケースがしばしば見られることでも知られる。
▶社会学科などは講義は英語やフランス語で授業をしない限りテキストやスライド・パワーポイント画面を読み上げる時はフスハーで先生のフリートーク部分は先生によりけりでエジプトアクセントあり+口語語彙混入ありのほぼフスハー会話ないしはアーンミーヤになる。本を読んで課題を書く部分についてはフスハーのみができればOKだが、残りの部分はフスハーに加えてアーンミーヤが重要になってくる。アーンミーヤを聞き取ることは必須で、スムーズなコミュニケーションのためにはアーンミーヤで先生と質疑応答し・アーンミーヤで同級生たちと会話することも望ましいと言える。アラビア語学科や宗教大学/イスラーム教専攻系学科のように先生もフスハーで話すことが多く各国留学生がいる関係でフスハー会話でも学生生活を済ませられるケースはフスハーに専念すれば良いため日本人学習者にとっても楽な環境だが、フスハーもアーンミーヤ(現地方言)も欠かせない学科での勉強はアラビア語スキルを磨くという点では倍近い労力を擁するためアラビア語学科などとはまた違った大変さがある。検証記事ではフスハー能力という要件だけが強調されているが、社会学科のように非アラビア語学科・非宗教学科所属の日本留学生に関しては文語・口語双方のアラビア語を使うことになるというアラビア語学科とはまた違った苦労があるという語学事情に触れられていない。
▶カイロ大学における社会学系講義で各教員がどのようなアラビア語を話しているかについては、YouTubeにあるカイロ大学のブレンディッドラーニング(ブレンド型学習)用チャンネルで確認可能。エジプトアクセントや口語語彙を多少含むフスハーからほぼエジプト方言まで、色々な度合いのアラビア語が用いられており外国人学習者としては文語アラビア語と口語アラビア語双方の対応能力がかなり求められることがわかる。日本の大学にあるアラビア語専攻に所属する学生であれば留学経験のある5~6回生のうち特にアラビア語が得意な学生もしくは院生でないと聞き取りとノート書き取りの同時進行は難しいレベルだとの印象。アラビア語専門家らの聞きやすくクリアなフスハー講義に比べるとかなりリスニングが難しい部類に入り、通常の学習者よりも進度が早く学習時間も多いアラビア語専攻学生であっても日本で3~4年ほど学んだ留学前の状態では現行のカイロ大学社会学部で行われているであろう講義に対応できるとは限らず、フスハーとエジプト方言の比率が教員によって異なる上にしゃべるスピードが速いエジプト式早口トークに全部難なくついていける可能性は非常に低いものと思われる。
2)日本リビア友好協会の長であるDr.ムクリビ(?)の招待によるものです
▶ここは誤訳で、小池氏は「日本リビア友好協会の長であるDr.ムクリビ(?)の招待によるものです」とは言っていない。語順的に小池氏は「アル=マグリービー(*この部分は誤読で実際にはアル=ムガイリビー/アル=ムゲイリビー/エルマガイリビー/エルマガイリビ)博士率いるリビア日本協会(*ただし小池氏は日本リビア友好協会と通常は解釈される語順で話している)の招待によるものです」で、招待したのは会長という個人ではなく友好協会という組織に呼ばれたと言っている箇所。検証者氏側が逆順にして訳してしまったもので、主部「今回の訪問は」の述部は「リビア日本友好協会の招きで」という前置詞句。「リビア日本友好協会」という部分にかかっているのが違う前置詞句である「アル=ムガイリビー/アル=ムゲイリビー/エルマガイリビー/エルマガイリビ博士が長たる」という部分。
主部
هذه الزيارة
述部(前置詞+イダーファ構文部分)
بدعوة جمعية الصداقة اليابانية الليبية برئاسة الدكتور المغيربي
└ ب + دعوة
↑ 属格支配
└ 「協会」がメイン部分:جمعية الصداقة اليابانية الليبية / برئاسة الدكتور المغيربي
形式・建前としてはおそらく会長が呼んだことにはなっていたとは思われるが、この会話では会長が自ら招待してきたかどうかには触れていないのでスピーチの直訳としては「日本リビア友好協会の長であるDr.ムクリビ(?)の招待によるものです」は不適かと。
▶アル=ムガイリビー/アル=ムゲイリビー/エルマガイリビー/エルマガイリビ博士博士は”日本リビア”友好協会ではなくリビア日本友好協会(Libyan Japanese Friendship Association、جمعية الصداقة الليبية اليابانية)の方の会長だった人物で、日本リビア友好協会ウェブサイトの『両国のミッション・要人の往来』には彼が当時リビア労働省(وزارة العمل ( والتأهيل ))の一員だったとわかる記載あり。友好協会ウェブサイトの活動報告に出ている同氏のフルネームを確認しなかったために「Dr.ムクリビ(?)」とクエスチョンマークを付したまま記事化されたものと思われる。リビアのニュース記事によると小池氏会見動画撮影当時の前後(少し後?)に وكيل وزارة العمل(労働次官)に就任したことがわかる。また日本リビア友好協会ウェブサイトにある写真とリビア系テレビ局提供の同姓同名男性出演番組録画との比較から、両者は同一人物で、現在は弁護士・人権活動家となっているらしいことが推察可能。2011年の記事でも弁護士・政治活動家という肩書きだったことから、ずっと政府の官僚だった訳ではなかった様子。
▶動画で小池氏は「アル=マグリービー」と言っている。語頭は「ム」には聞こえず「マ」、2文字目も「ク」ではなくはっきり「グ」と発音されているため「ムクリビ」とは聞こえないが、日本人検証者氏による動画検証時に子音mにつく母音aと母音uやクとグの聞き分けがなされずムクリビになってしまったか、検証補助役だというエジプト人ジャーナリスト氏が聞き取ってアル=マグリビーの口語発音バリエーションの一つ「(アル=/エル=)ムグリビ(ー)」だろうと推測し小池氏の発音「アル=マグリービー」から修正した上で日本人検証者氏に「アル=ムグリビ(ー)と言っていると思う」と口頭で伝えたものがカタカナ化の際に子音字取り違えが起こってムクリビになった、といった推察も可能かと。アラビア語をやっている人であれば、モロッコないしはマグリブ(マグレブ)地方のアラビア語名称由来のニスバであるアル=マグリビー関係だと推測できそこから日本語検索・英語検索・アラビア語検索を通じてアラビア語のつづりを探し当てていく起点とすべき箇所となっているが、ここでは実際の表記と発音に関する確認作業は行われず「?」マークを付記した仮のカタカナ表記で終わらせてある模様。またフスハーでの正しい言い回しに訂正するという趣旨の記事なので、日本語カタカナ表記の慣用に従ってラストネーム部分から定冠詞アルを抜去する代わりにアルなりエルなりを付した方が良いのでは、とも思われる。
▶小池氏が言及しているのは撮影当時 Libya Japan Friendship Association(リビア日本友好協会)のチェアマン(会長)をしていたムハンマド・アル=ムガイリビー(ムハンマド・アル=ムゲイリビー)氏のこと。リビアのニュースサイトではアラビア語表記が محمد المغربي となっている場合があり日本リビア友好協会ウェブページでもそれに対応したらしい「Mohammed Elmagrabi」と書かれているが、後半ラストネーム(ニスバ)部分は現地アラビア語記事でも取り違えが見られる紛らわしい語形間違いで、正しくはアル=マグリビー(現地発音:アル=マグラビー、エル=マグラビ)の縮小語形であるアル=ムガイリビーの محمد المغيربي が2パーツタイプフルネームであることが出演番組(司会はフスハーで話しているので、文語発音ムハンマド・アル=ムガイリビーと口語寄りのムハンマド・アル=ムゲイリビーの中間に聞こえるような発音をしている)やリビア関係ニュース記事類で確認可能。十中八九御本人のものであろうFacebookアカウントによると同氏の公式英字表記は「Mohamed Elmaghairibi」。口語発音準拠ということで本人が意図しているであろう日常会話発音は「モハンメド・エル=マガイリビー(ないしは口語的に短母音化してえエル=マガイリビ)あたりに思えるが、フスハーによる本人の選挙活動ビデオでは「ムハンマド・アル=ムゲイリビー」と言っているので口語色を保持しつつもフスハーに寄せるならムハンマド・アル=ムゲイリビーなどもありかと。英字表記に合わせるとするならば、発音だけでなく「・」の場所も本人意向に沿うならば「モハンメド・アルマガイリビー」ないしは「モハンメド・アルマガイリビ」が良いものと思われる。なお小池氏の発音では長母音「ー」の位置などが違っており المغريبي [ ’al-maghrībī ] [ アル=マグリービー ] と読まれている。日本リビア協会の「Mohammed Elmagrabi」表記と同様に、伝言ゲームのように途中で本来の語形が崩れて伝わってしまった結果が「アル=マグリービー博士」という呼び方だった可能性が高いかと。小池氏のスピーチからすると、アラビア語原稿で المغربي(アル=マグリビー)でも المغيربي(アル=ムガイリビー)でもない المغريبي(アル=マグリービー)と書かれていてその通りに「アル=マグリービー」と発音された、とも考えられる。
▶小池氏はリビア側友好協会のアラビア語名を Japanese と Libyan を逆にした جمعية الصداقة اليابانية الليبية と言っているが、実際にはリビアの政府・大使館関係やアラブメディアでは「日本リビア友好協会」アラビア語名が Japanese Libyan の語順に沿った جمعية الصداقة اليابانية الليبية となってい。日本側である日本リビア友好協会(JAPAN-LIBYA FRIENDSHIP ASSOCIATION)サイトバナーのアラビア語表記ではリビア側名称と同じで「リビア・日本友好協会」という語順に相当する جمعية الصداقة الليبية اليابانية が使われているが、語順からするとバナー画像ではアッ=リービーヤ(意味:リビアの)とアル=ヤーバーニーヤ(意味:日本の)が逆になっているのでは、という気も。そのため日本リビア友好協会側がサイト作成時や小池氏に組織名を伝える際ににリビア側と日本側のそれを取り違え、テレビインタビューでもリビア側の友好協会名称が「日本リビア友好協会」という逆順になってしまったとも推測できるかと。
3)「マンパワー」を「アル・クウワティル・バシャリーヤ」
▶クウワとクウワートについては、قُوَّة のラテン文字転写は quwwah ないしは quwwa となっているものの、アラビア語の -uw-(vowel + glide)は長母音 -ū-(long vowel)になるとされていることから qūwah や qūwa という転写になっていたりも。日本語のアラビア語学習書・単語集でも「クーワ」という長母音でカタカナ表記されていることが多いのもそのため。ただ海外の専門書では形態論(語形論)的な観点から قُوَّة のラテン文字転写は quwā / qūwah ではなく敢えて quwwa / quwwah とすると記しているものも。日本語記事でもクウワとなっている記事があるが、敢えてクーワに修正すべき事例ではない模様。
▶اَلْقُوَّات الْبَشَرِيَّة [ ’al-quwwātu/qūwātu-l-basharīya(h)/bashariyya(h) ] [ アル=クーワートゥ・ル=バシャリーヤ ] は軍事用語としての英語表現「Manpower」「Manpower, Personnel」「Staff- Personnel」「Human Troops」などのアラビア語訳で、軍事関係の文脈だと単数形もしくは複数形で「(軍の)人員」「兵員、兵士」「軍人」「軍事要員」といった意味で使用。その国・組織の軍事力(القوة العسكرية)全般のうち、人間の構成要素である軍人・兵士らのことを指すのに用いられており、それ以外の構成要素である軍用犬やロボット類と対比させられる形で文中に出てくることも。
▶軍の「人員、兵員」という意味では普通の意味の「マンパワー」同様単数形のクーワ+バシャリーヤが多用されているが、軍事的な人員・兵員という文脈では「人員」の意味として単数形ではなく複数形を用いたクーワート+バシャリーヤも少しながら用いられていることをネット記事やオンライン辞書などで複数確認可能。そのため「「クウワート」(複数形)だと「軍隊」という意味になる」というくだりに関しては、「必ずしもそうとは限らない」と理解すべきかと。軍関係の文章で اَلْقُوَّات الْبَشَرِيَّة [ ’al-quwwātu/qūwātu-l-basharīya(h)/bashariyya(h) ] [ アル=クーワートゥ・ル=バシャリーヤ ] とある場合は英語の「(military) manpowers」や「(military) personnels」対応表現として「軍人ら」「兵士ら」「軍事要員たち」と解釈する方向がベターで、”「人間の軍隊」としか訳しようが無い実在しない言い回し”とはならないように思われる。クーワート単体だと「軍、軍隊」となるが、これにバシャリーヤを付した場合は兵器類ではない人間部分の軍構成要素たる「軍人、軍の人的要員」といった意味で実際に用いられている事例が複数確認でいるので、「人間の軍隊という訳のわからない言葉なので明らかに間違い」とのみ解説しているものは、解説者の語彙不足ないしは意図的な誘導のどちらかになるため閲覧者は注意が必要かと。
▶小池氏のテレビ会見では各分野での人材育成について話している。تَشْجِيع الْقُوَّاتِ الْبَشَرِيَّةِ そのものだと実際の使用例はネット検索では出てこないがバシャリーヤ抜きの تشجيع القوات は「(軍事的な行為や道徳遵守など)兵士たちに対して何かをするよう促す・何かに励むよう激励する」「(職務を頑張るようにと)兵士たちを激励・支援・応援する」という文脈で使われていることから、「軍人員らの激励」といったイメージを与える言い回しとなり、話の流れとずれが生じる。ただしネイティブ側は通常単数形クーワを使うところを複数形のクーワートにしてしまったのだろうと言い間違いをスルーし、文脈からごく普通の「マンパワー推進」を意図しているものとして理解するのが一般的な反応だと思われる。
▶「”人の軍隊を推進したい”というわけの分からない発言」というのは検証者氏が敢えて意味の通らない不可解な和訳にしているため意味不明・珍妙に感じるようにできているだけで、通常軍事的な文脈では تَشْجِيع الْقُوَّاتِ الْبَشَرِيَّةِ と出されれば「人の軍隊の推進」とは訳さずに「兵員たちの激励」「兵員たちを~するよう促すこと」といった方向性の受け止め方をされ得る部分かと。そのため検証記事としては「マンパワーの推進と言うべき部分で軍事的な文脈で”人員、兵士たち”として多用する複数形の言い回しの方を使っているため、ネイティブは誤用だと理解して流すものの厳密には兵員たちの激励といった意味になりかねない。」と説明するのが良いのでは、との印象。
4)ムムキン(可能である)」をなぜか「ムムキナ」と女性形で言い
▶小池氏に限らず、ネイティブのアラブ人の作文でも時々見られる言い間違い/書き間違いで、そうなるような何らかの要因があると推察される。そのため「ネイティブもしないようなあり得ないミスをしている」と安易に評価しないよう要注意なポイント。記事には”なぜか ― 女性形で言い”とあるが、複数のネイティブがこれを書いてしまうのにはおそらくある程度理由があり日本人が間違える際にも同様の要因が働いていることも考えられるので、本来はここで止めずに検証を続けるべきかと。検証を進めずに「なぜかそう言った」「訳のわからない言い間違い」「意味不明すぎる」「文法的な不整合にぞわぞわする」という抽象的な結論で済ませると、言い間違えた人物が決して起こることが無いような異常なミスをしたと誤解させやすくなったり、誤用をした人物の語学力がただただ拙いだけだと強調されてそれで終わりとなり、アラビア語解説としての詳細度・専門性を欠いてしまうとも言える。
▶本来「できるだけ早い時間に、できるだけ早い時期に(as soon as possible)」という表現は「時間(time)」を意味する名詞 وَقْت [ waqt ] [ ワクト ] が男性名詞なので「可能な」と意味する直後の形容詞も男性形で揃えて مُمْكِن [ mumkin ] [ ムンキン ](*学界標準カタカナ表記はムンキンだが、実際には minkin ではなく mumkin なので敢えてムムキンと書く人も。)とし、فِي أَقْرَبِ وَقْتٍ مُمْكِنٍ [ fī ’aqrabi waqtin mumkin(in) ] [ フィー・アクラビ・ワクティン・ムンキン ](口語寄り日常会話発音:フィー・アクラブ・ワクト・ムンキン)となる。ところが男性形のままで良いはずの مُمْكِن [ mumkin ] [ ムンキン ] を女性形にして فِي أَقْرَبِ وَقْتٍ مُمْكِنَةٍ [ fī ’aqrabi waqtin mumkina(tin) ] [ フィー・アクラビ・ワクティン・ムンキナ ](口語寄り日常会話発音:フィー・アクラブ・ワクト・ムンキナ)と書くアラブ人が一定いる。小池氏は「できるだけ早くに」という熟語を思い出せずにいたところ、横の補助役と思われる随行男性から فِي أَقْرَبِ وَقْتٍ مُمْكِنٍ [ fī ’aqrabi waqtin mumkin(in) ] [ フィー・アクラビ・ワクティン・ムンキン ](口語寄り日常会話発音:フィー・アクラブ・ワクト・ムンキン)を教えられたが、その直後にと فِي أَقْرَبِ وَقْتٍ مُمْكِنَةٍ [ fī ’aqrabi waqtin mumkina(tin) ] [ フィー・アクラビ・ワクティン・ムンキナ ](口語寄り日常会話発音:フィー・アクラブ・ワクト・ムンキナ)と言った流れとなっている。
▶ネイティブのアラブ人がこの言い間違い/書き間違いをする件に関しては、全く同じ「できるだけ早い時間に、できるだけ早い時期に(as soon as possible)」という意味で名詞 وَقْت [ waqt ] [ ワクト ] を複数形の أَوْقَات [ ’awqāt / ’auqāt ] [ アウカート ](*男性名詞でも複数形になると女性扱いに変わるため、最後のムンキンがムンキナに変わる)としかつ定冠詞を添えた فِي أَقْرَبِ الْأَوْقَاتِ الْمُمْكِنَةِ [ fī ’aqrabi-l-’awqāti/’awqāti-l-mumkina(ti) ] [ フィー・アクラビ・ル=アウカーティ・ル=ムンキナ(ティ) ] と上記の同等表現とが混同された結果 فِي أَقْرَبِ وَقْتٍ مُمْكِنَةٍ [ fī ’aqrabi waqtin mumkina(tin) ] [ フィー・アクラビ・ワクティン・ムンキナ ](口語寄り日常会話発音:フィー・アクラブ・ワクト・ムンキナ)になってしまっている可能性、ないしは「最上級+属格名詞+形容詞による後置修飾」という構文のせいで性をどちらとして扱うのかを見誤りムンキンを男性形ではなく女性形のムンキナにした可能性も考えられる。ただ小池氏は不要な語末に ـة(ター・マルブータ)を付加するという事例が他のアラビア語スピーチにもあるため、「最上級+属格名詞+形容詞による後置修飾」という構文とは無関係な癖だとも考え得る。
▶小池氏がムンキンではなくムンキナと言ったのがネイティブの誤用をそのまま覚えていたからなのか、用意されていた原稿では「フィー・アクラビ・ル=アウカーティ・ル=ムンキナ」だったのに横にいる補助役アラブ人が「フィー・アクラブ・ワクト・ムンキン」を教えてしまったために混乱が起こったのか、それとも男性名詞に修飾させる形容詞を男性形で揃えることが元々苦手だった/忘却でとっさに出てこなかったからなのかは不明。ただ、言い淀んだ際に「フィー・アウ…えー」と何かを言いかけたことからフィーの直後のアクラブ(エジプト方言だとアァラブとアッラブを混ぜたような発音)をスキップして「時間」の複数形であるアウカートを定冠詞抜きで口にしようとしながらもその部分を忘れたことに気付いて止めたとも受け止められる流れとなっている。もしそうだとすると原稿では「フィー・アクラビ・ル=アウカーティ・ル=ムンキナ」だったために事前練習の際に口にしていた「ムンキナ」がそのまま記憶の引き出しから登場し、単数形での言い回しに変わった助け舟のせりふそのままに男性形の「ムンキン」と言えなかった、とも推測される。補助役の男性は特にこれといったやり取りも無く小池氏が「フィー・アウ…えー」と口にしただけで言うべき続きを言えていたので、おそらく談話の原稿を全部頭に入れている担当者か何かでスピーチが途切れた時点で該当箇所を伝えたものと思われる。
5)「ヌサーイド・シャフス・ワ・シャアブ」という発言は「人と国民を助ける」という意味で言っているようだが、この「人」というのが誰のことを言っているのか分からない。
▶検証記事では定冠詞抜けあり。ここではフスハーとしての正確な修正候補を出すという趣旨なので、日本語カタカナ表記の慣用に従った定冠詞アル抜去は不適かと。小池氏の実際のスピーチではヌサーイドの後に少し間をおいて、定冠詞ありの「ヌサーイド…アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ(نساعد … الشخص والشعب)」と発言している。
▶実際には「アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ・ッ=リービー(الشخص والشعب الليبي)」という発言部分である「シャフス・ワ・シャアブ」だが、必ず辞書に載っていて誰もが使っているという訳ではないものの、一応アラブの記事や投稿で使われていることもある実在の言い回し。個人と集団という2つの対比的な存在を並べているもので「كرامة الشخص والشعب」「حرية الشخص والشعب」「احترام الشخص والشعب」「فيحجب الشخص والشعب عن المنهج العلمي」「الدفاع عن الشخص والشعب والوطن」「بناء على ما يعيشه الشخص والشعب」「رادع قانوني يحمي الشخص والشعب」「فالمراجعة تشمل الشخص والشعب」といった用例がある。これらから「個人と集団」「個と集団」「個人と人民」「個と人民」を指しており、英語表現の「the individual and the people」ないしは「the individual and the group」がアラビア語化された近現代アラビア語に多い外来表現であることが推測可能。これに「リビアの、リビア人の」(الليبي)という形容詞をつけて الشخص الليبي + الشعب الليبي(リビア人個人+リビア人集団)と解釈して意味が通ると判断することは可能だと思われる。
▶小池氏による言い回し「نساعد الشخص والشعب」が各所で検索してもヒット0件であることを考えると、アラビア語において古くから使われ定着しており、かつネイティブが常用するようなフレーズだとすることは難しいものと考えられる。近現代に英語などから直輸入された熟語類はアラビア語辞典にも未掲載であることが珍しくなく、アラブ人全体がこぞって使うわけではないのでネット検索をしてもヒット件数が少ないということがしばしばある。古典資料検索でも「アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ(الشخص والشعب)」では掲載書籍は表示されないなど、アラビア語固有の表現ではなくかつアラブ世界に移入された時期がかなり最近だということを示唆した結果となっている。アラビア語の記事にヌサーイド(我々は援助する)の部分を動名詞(援助、援助すること)に置き換えた類似表現 مساعدة شخص/شعب [ ムサーアダ(ト)・シャフス・シャアブ ](個人/人民の援助)があり横にフランス語での表現「assistance ; personne/peuple」が添えられているものがあり、やはり人権・人的援助といった文脈で使われている「個、個人」-「集団、人民」対比フレーズがアラビア語化されたのでは、との印象。こうした言い回しの使用は、小池氏インタビューには元になっている原稿がありこの動画の回については英語-アラビア語翻訳者が執筆した可能性なども感じさせるポイントともなっているような気も。
▶ここの回答は取材者がリビア国民らに対する何か特定の支援策群(مساعدات معينة للشعب الليبي)はあるか尋ねた直後の部分で、「ヌサーイド…アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ(نساعد … الشخص والشعب)」は「個人レベルでも集団レベルでも、日本はリビア国民を支援する」という広範にわたる援助の意向があることを示していると解釈し得るものと思われる。「個人と集団」という意味では「個人(単数形)+人民(単数形)」の「الشخص والشعب」ではなく「個人(複数形)+人民(単数形)」の「أشخاص وشعب」「الأشخاص والشعب」、「個人(複数形)+人民(複数形)」の「الأشخاص والشعوب」の方がはるかに多用され、英語の「individuals and peoples」や「persons and peoples」に対応。ただここではリビアという国に限定しており、リビア国民については「الشعوب الليبيون」のような複数形ではなく「الشعب الليبي」という単数形で表現することから、「単数形+単数形」の「アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ(الشخص والشعب)」が敢えて使われていると考えることもできるかと。
▶”この「人」というのが誰のことを言っているのか分からない”というのは、「”人と国民を助ける”という意味で言っているようだ」と見当をつけた検証者氏側がアッ=シャフスを「特定の人一人」、アッ=シャアブを「リビア国民全体」と訳出しようとしたことが原因だと思われる。الشخص を普遍的な「個人」という存在ではなく既知かつ誰か特定の1人としての「人」、الشعب を「(リビア)国民(全体)」と解釈してしまうと「the personというのはリビアの一体誰のことを指しているのか?」となり直後に来る「個人、個」の対照的な存在である「集団、複数人民」と結びつかなくなってしまう。これは検証者側に起因する部分であり、小池氏側の表現がアラブ諸国で決して使われることの無い奇妙なだったものだったがゆえの理解不能ではなかった可能性が高い箇所。検証者側のアラビア語訳出作業中断を小池氏のアラビア語低スキルに置き換えているとも言える結論なので、注意が必要だと思われる。
▶小池氏はこの会見でフスハー会話を行っているが、話の最中に右斜め先を見て定期的に何かを確認されている様子からも、視線の先に何かが置かれていた可能性が考えられる。横にいる補助役男性とのやり取りから、元々はネイティブなりスタッフなりが作成した外交スピーチ用の原稿があったか事前におおまかな内容の確認作業があったのでは、との印象も。そうなると「アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ」自体が小池氏に起因する部分ではなくアラビア語ネイティブなりが作成した文章の一部で、アラブ人が書き起こしたサンプル文の時点でそうなっていたと推測することも必要になってくるかと。ただし、元の原稿では「個人(単数形)+人民(単数形)」の「الشخص والشعب」ではなく「個人(複数形)+人民(単数形)」の「الأشخاص والشعب」となっており小池氏が発話の時点で1語目の「個人」を複数形にしなかった、という可能性も否定できない。
6)アッラジーナ・ヤドルスーナ
▶現在の標準カタカナ表記は「アッラズィーナ・ヤドルスーナ」。アッラズィーナをアッラジーナとするのは、アラビア語本来のzi音やdhi音をji(ジ)音に置き換える日本語カタカナ表記による慣用だが、これをしてしまうと音の響きや長母音の有無で意味が全然違ってくるアラビア語の読みガナとしては△。日本における中東関連学界の標準的カタカナ表記であるアッラズィーナの方が望ましいものと思われる。
▶検証記事で正しい言い回しとして関係代名詞+動詞未完了形の الذين يدرسون が提示されているが、小池氏はリビア人学生たちを「タラバ・リービーイーン」と定冠詞(限定辞)無しの非限定形で話しているようでタラバ*(注:طَلَبَة [ ṭalaba(h) ] [ タラバ ] は طُلَّاب [ ṭullāb ] [ トゥッラーブ ] と並んでしばしば使われている、名詞 طَالِب [ ṭālib ] [ ターリブ ](学生)の不規則複数形)の前とリービーイーンの前に定冠詞が聞こえない。もし聞こえた通りに無冠詞(無限定辞)の場合は関係代名詞のアッラズィーナ除去が必要。「タラバ・リービーイーン(طلبة ليبيين)」のタラバのような非限定名詞に関係代名詞アッラズィーナをつけるのは逆に文法間違い(*アラビア語では形容詞節による名詞の修飾的に扱う文法事項)となることから、「アッラジーナ・ヤドルスーナ」となっている箇所は「ヤドルスーナ」のみにする必要あり。
◯ طلبة ليبيين يدرسون
✕ طلبة ليبيين الذين يدرسون
【定冠詞をつける場合】الطلبة الليبيين الذين يدرسون
7)この種のテレビ・インタビューは正則アラビア語で話すのが当たり前
▶当たり前ではなく、100%フスハー会話以外の中間体(混合体)が多用されているアラブ諸国における現状に反する。政治家インタビューは文語-口語中間体(混合体)であることも多いので、「正則アラビア語で話すのが当たり前」という訳ではない。実際にエジプト大統領や閣僚の記者会見でもアーンミーヤ混じりだったり、舌を歯にはさむ子音の発音がはさまないエジプト式発音だったりする。エジプト政府閣僚の独占インタビュー番組ではエジプト方言全開のこともある。実際に歴代のエジプト大統領たちが壇上でスピーチしている会見映像を複数確認したが、フスハーで話している場合もせりふなどの部分でアーンミーヤを混ぜたり、フスハーをアーンミーヤに寄せた混合体になっていたり、参列席からコメントする時はアーンミーヤだったりと、公式行事でのスピーチといってもそのアラビア語の様相は一定ではないことを改めて確認する結果となった。
▶フスハー会話の得意な国民が多い地域だと、フスハー会話能力が求められている立場の人間が明らかに純フスハーで会話をすべきシーンにおいて正しくフスハーを運用できない場合は、アラブ人として備えておくべき教養を欠いているとか、資質に欠けると言われることもある。コネ社会と汚職蔓延で縁故採用が増加したイラクなどでは、レバノンやイランの大学に行き学位を買って帰国した人物が政府内で職を得るということがしばしばある。ネイティブのアラブ人でもフスハーのフリースピーチが苦手なものは少なくないが、アラビア語による講義の割合が高い大学生活を送った人物であれば原稿を読むだけなら一通りできることが一般的。若手国会議員などが標準よりも原稿の読み間違いを連発するようなケースでは、議長がその都度マイク越しに訂正するといった事例も発生。フスハーによる音読能力(注:自由なテーマでの会話とは別物)の著しい低さは、卒業証書取得の経緯を疑われる場合もある。
▶軍部出身の現エジプト大統領はアーンミーヤ会話を行う人物として知られており、公的行事での演説・記者会見・エジプトメディアでの出演のいずれもエジプト方言で話している割合が非常に大きい。アラブ諸国では軍部出身者は文語アラビア語によるスピーチを重視しない軍人教育を受けてきたことから、フスハー会話が得意でない人が多い。少年期から英国留学生活を送りサンドハーストを卒業したヨルダン国王も軍人色が強い元首だが、即位当時はまだアラビア語の会話に苦労していたものの年数をかけ習得、現在は公的な場でのフスハー文読み上げ以外はアーンミーヤ会話を行っていることが多い。
▶文語の運用能力が低いためにフスハーとアーンミーヤの混成になっている場合でなければ現地でもよくあることとして問題視されない。逆にフスハーで通すと「インテリぶって民の気持ちに寄り添おうとしない」「偉そうにしていて距離感を覚える」などと言われることもあり、政治家のスピーチやインタビューでは一定割合のアーンミーヤ混入を意図的に行うことも珍しくない。フスハー会話が得意でない人が多いチュニジアでフスハー会話をポリシーとしてきたカイス・サイード大統領は文語アラビア語で話し続けるその様子と政治家としての人となりゆえに反対派から「ロボコップ(روبوكوب)」と呼ばれるようになったことでも有名。民衆が皆アーンミーヤを話しているのにフスハーを押し通そうとする政治家が「冷酷」「人間味に欠ける」と受け止められ得ること、そうした支持率に直結する重大な理由があるためにテレビ・インタビューで皆がフスハーだけの会話を押し通そうとせずケースバイケースでアーンミーヤを混ぜている件を示唆しているエピソードともなっている。この検証記事は「政治家が公的な場でフスハーしか話さないとむしろ人心が離れ嫌われかねない」というアラビア語世界特有の事情を考慮に入れておらず、非ネイティブにありがちな「フスハーとアーンミーヤとの対立・分断」「アラビア語の文語と口語は水と油のような関係」といったフスハーについての虚像が補強される形となってしまっている。
▶アーンミーヤ会話によって親近感と信頼を獲得したエジプトの有名人としては、宗教家のムハンマド・アッ=シャアラーウィー師が挙げられる。彼は1960年代以降エジプトの(アル=)アズハル大学の一員として活躍を始め、1970年代以降はエジプト政府ワクフ省のトップとなったり、講話の録音・録画が好んで視聴されるなどした。彼はイスラーム教の専門家としてアラビア語諸学の訓練を受けたため流暢なフスハー、フスハーとアーンミーヤとの混合体、アーンミーヤ各パターンのアラビア語を話すことができ実際に色々なバリエーションの談話録画が残されているが、エジプトの民衆に語りかける時はエジプト方言で説き、問いかけ、語り合うというスタイルを得意としイスラーム復興の中自身の宗教に関心を寄せる大衆層から広い支持を得た。
▶知識人が話すフスハー割合が非常に高い会話は「知識人たちのアーンミーヤ(عامية المثقفين)」― Educated Spoken Arabic(ESA) ないしは Formal Spoken Arabic (FSA)ー と呼ばれ、一般庶民が話す方言オンリーの会話に比べると非常にかしこまった知的階層特有のアラビア語とされているが、インタビュー番組ではそうしたタイプのアラビア語が純フスハー会話の代替として広く用いられている。
▶公的な場で用いる純フスハーでも純アーンミーヤでもないアラビア語についてはアラブ諸国でも世界各国のアラビア語研究業界でもよく知られた存在なので、アラビア語ネイティブである検証参加者のエジプト人ジャーナリスト氏が「この種のテレビ・インタビューは正則アラビア語で話すのが当たり前」と解説するということは考えにくい。そのため、日本人検証者氏側が「アラビア語には純フスハーと純アーンミーヤしかなく互いに分断されている」「それらを混ぜることは間違いとされる」という誤解をアラビア語学徒時代からそのまま保持されている可能性、アラビア語でフスハーとアーンミーヤの混合問題について改めて調べたり英語で書かれた研究論文などを読んだりされずに記事を書かれた可能性、もしくは実像を知ってはいるもののネイティブでも得意ではない人の方が多い100%純フスハー会話ができないことが本来ならあり得ないはずだとの印象を強めるためにフスハーとアーンミーヤとの分断を誇張し事実に反する描写を意図的に行った可能性のいずれかが高いと推測せざるを得ない箇所となってしまっている。しかしこのような解説文は検証者氏側がアラビア語による政治家たちのテレビインタビューをあまり見たことが無い裏付けにもなり、アラビア語に通じた人物だという検証役としての適性を否定する結果となってしまうため、引き換えとなるリスクが高いとも言える。
▶日本では長年こうした不正確な認識がアラビア語教育・学習者界隈で流布。当時学生だった世代が教える側に回った今でも完全には消えていない状態で、過去約20年以内に出版された学習書でも「アーンミーヤは読み書きには使われず、文字は持たず、話す場合にのみ使われる」「アーンミーヤは話し言葉なので原則として文字に書かれない」「アーンミーヤを書き記すということ自体が話し手にとって不思議で理解できない行為」と説明しているものがある。フスハーとアーンミーヤの分断は、伝聞の伝聞という形で複数世代にわたって循環してきた百年超えものの古い情報や未アップデートゆえの現状誤認を再生産しているケースに該当。「この種のテレビ・インタビューは正則アラビア語で話すのが当たり前」は、検証者氏が日本の語学学校でアラビア語を学ばれていた頃に見聞きされたそれらが修正されないまま検証記事執筆時の論拠となってしまったとも考え得る。
8)サナ・リファーテット
▶小池氏は「サナ・リファーテット」ではなく、微妙に違う「サナ・イッリ・ファーテット」と言っている。実際に発音している「イッ」脱落等があることからリスニングの際の聞き漏らしが原因である可能性が高いかと。エジプト方言としては定冠詞つきの「イッ=サナ・イッリ・ファーテト」だが小池氏は語頭の定冠詞は読んでいないようで「…ッ…サナ・イッリ・ファーテット」と会話。最初に微妙に「ッ」と言っているようにも聞こえるが、ヘッドホンを装着し音量を上げて聞き取りした限りでは「サナ・イッリ・ファーテット」。
▶実際の動画では「サナ・リファーテット」ではなくアーンミーヤ版関係代名詞 اللي を本来の重子音部分もそのままで発音しているので「サナ・イッリ・ファーテット」と言っている。最後の動詞完了形については fātet(ファーテト)とか fātit(ファーティト)のような活用が基本的だが、語末の t が重子音化した tt に聞こえることもあり、小池氏は著作の中でもそのような英字表記になるという特徴あり。そのため「サナ・イッリ・ファーテト」ではなく「サナ・イッリ・ファーテット」と発音しているものと思われる。
9)サナ・マーディーヤ
▶定冠詞抜けと語形取り違えによる余剰「ー」表記で正解として提示するには不適切。第3語根弱文字動詞の能動分詞女性形 مَاضِيَة [ māḍiya(h) ] [ マーディヤ ] をニスバ形容詞+女性語尾の語形である مَاضِيَّة [ māḍīya(h) ] [ マーディーヤ ](エジプト方言だとマーディイヤ的な発音)と読んでしまう誤読はネイティブに非常に多く、日常会話の口語アラビア語でマーディーヤという発音に置き換わっている方言もあるためフスハー会話やフスハー文章への発音記号つけの時にそのまま間違ってマーディーヤとしてしまいやすい。また、今の時点から振り返っての「昨年(に)」という時は定冠詞アルをつける。後置による形容詞修飾なので、サナにもマーディヤにも定冠詞をつける修正が別途必要。無冠詞のサナ・マーディヤを使うのは「أربعون سنة ماضية」(過去の40年間)のように年数を数える時など。
▶正しい発音の解説という性質から、検証記事では日本語カタカナ表記の慣用に従った定冠詞抜去は不適切だと思われる。正確な言い換え候補に関してはサナとマーディヤのそれぞれに定冠詞アルを付加。小池氏のスピーチ内では時を表す対格部分に当たるので、堅い文語発音だと「アッ=サナタ・ル=マーディヤ」(簡略化発音:アッ=サナ・ル=マーディヤ)に。男性名詞を使った同等表現としては「アル=アーマ・ル=マーディー」(非常に文語的な堅い発音:アル=アーマ・ル=マーディヤ)。
▶今では同義語として特に気にせず「(1)年」という意味で使っているサナ(سنة)とアーム(عام)。しかしクルアーン解釈をからめての語義解説では元々これらに違いがあったとしており、サナは雨不足による干ばつといった苦難に見舞われた年の時、アームはそうした災難が無く安寧に暮らせた年の時に使うといった区別を古のアラブ人たちはしていたといった記述も見られる。そこまで気にする場合、小池氏スピーチでは前向きな外交の話をしているので「アル=アーマ・ル=マーディー」(非常に文語的な堅い発音:アル=アーマ・ル=マーディヤ)を選ぶのが良いものと思われる。
▶マーディヤをマーディーヤと誤読するのはネイティブのアラブ人にも日本人学習者にも非常に多く、この部分が検証者氏由来なのか、検証に参加したエジプト出身英語科卒のロンドン在住ジャーナリスト氏由来なのかは、判断が難しい。もしアラビア語ネイティブのアラブ人側の誤読である場合、メディア業界に多いタイプの文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)文法・語形に極めて精通しているのではない人物で、誤用や口語表現を全部フスハーとしての正しいそれに置き換えるという趣旨の動画検証作業に関する適性を十分に有していないにもかかわらずフスハーのプロとして起用してしまったということにもなりかねず、本検証記事の信頼性に関する不安要素の一つともなっている。検証記事では「文語と口語が混ざり合うことなど本来あり得ない」と説明されているが、この部分はちょうどそうした「文語表現に口語発音・口語語形への置き換えという要素が混ざって、文語寄りの文語-口語ミックス状態になっている」事例に相当する。
10)クント・アンティ
▶記事の誤字ないしは誤植。小池氏は「クント・アンティ」とは言っておらず「クント・アンディー」と発音している。口語風の短母音化した「クント・アンディ」ではなくここでは「ー」と長めに発音しているため、厳密には「クント・アンディー」とすべきかと。
▶主語が1語目の次の次という少し離れた後方に来る女性名詞であるという構文に反して、直後にある前置詞についている一人称の「私」に引っ張られて、カーナ動詞が一人称単数の語形クントになってしまっている箇所。
11)カーナット・アインディ
▶標準的カタカナ表記は「カーナト・インディー(kānat ‘indī)」。フスハー発音ということであればカーナット(kānatt)の促音部分「ッ」は不要で「カーナト」(kānat)、最後については長母音なのでディではなく「ー」を付加したディーとする必要あり。なお語頭に母音アがつくアンディーは口語系発音で文語発音がインディー。インの部分はアインと聞こえるほどの発音にはならずアを付加するような発音は子音 ع(アイン)の強調のしすぎとなってしまい余剰なので、アインディー(‘ayndī ないしは ‘aindī)等とする必要はおそらく無く学界標準カタカナ表記のインディー(‘indī)が良いものと思われる。またアインディ(→インディ)のように語末の「ー」を除去するのは口語発音における長母音の短母音化に対応しているため、アインディではなくインディーのように「ー」をつけないと「文語に口語要素を混ぜることは語学力不足ゆえ」「言い間違いをした話者の代わりに検証者が正しい純フスハーでの言い換え表現を提示する」という検証記事の方針に反することにもなってしまっている。
▶インディーのように前置詞句といった別パーツで分断される場合はインディーの後が女性名詞でも「カーナト・インディー」ではないカーナが男性形のままの「カーナ・インディー」も可。そのため言い換え候補は2つあることに。
12)アルタキー
▶「リ・アシューフ」と言っている部分の置き換え候補で、堅いフスハー発音ならアルタキー(’altaqī)ではなくアルタキヤ(’altaqiya)とした「リ・アルタキヤ」(li-’altaqiya)を用いる必要あり。口語風のくだけた発音だと未完了形動詞語末を接続形にせず「リ・アルタキー」とする人もいるが、ここは検証として堅い文語の正しい言い回しを提示するという目的なので、ブロークンなアルタキーではなくアルタキヤを第一に表記するのがベターかと。またアシューフと同じく see という語義のあるアラーを使った「リ・アラー」なども同等表現。
13)「ズィヤーラ(訪問)」の後、「(場所)へ」を意味する前置詞の「リ」を使うのもエジプト口語で、正しい前置詞は「イラー」
▶アラビア語文法の誤解部分で、前置詞イラーを使うのは正しいのではなくむしろその逆で間違い。ズィヤーラは他動詞の動名詞なので訪問地を示す名詞には本来前置詞は不要。それにもかかわらず前置詞イラーをつけるというのは「他動詞由来の動名詞に不要なパーツを足す」という種類の誤用でメディア関係者に非常に多い現象として知られ、アラビア語専門家らによって指摘される定番事項の一つともなっている。なおリはエジプト口語的なのではなく動名詞の行為の対象につけるリなのでイラーよりもむしろこちらのリの方が文語的。
▶ズィヤーラ・イラー(زيارة إلى)は誤用であるためアラビア語-英語辞書やアラビア語-アラビア語辞典にも全く出てこないか、誤用が混ざって載っている事例がわずかに見られるのみとなっている。辞書を調べても出てくるのはまず属格構文による他動詞目的語表現方法、次いで لِ [ li- ] [ リ ] の訪問対象語頭付加で、誤用であることから「ズィヤーラの後にイラーを持ってくるのが正しい言い回しでフスハー的」だという説明は載っていない。リの用法も誤解しエジプト方言的だとしていることからこの部分は辞書や用法辞典で調べて書いた可能性が非常に低く、検証者氏が誰かから間違って教わった内容をそのまま書いたか、検証に参加したエジプト人ジャーナリスト氏が正しいと思って教えた内容をそのまま記事化されたかのどちらかであるようにも見受けられる。
14)アラビア語を学んだ人なら分かるはずだが、正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる。
▶この部分に該当するYouTube動画では登場する全員が文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)とアーンミーヤ(口語アラビア語)を混ぜて話しており、検証記事の主張との間に齟齬を生じしている。エジプト方言語彙の多い/少ないだけで見れば エジプト人女性インタビュアー>小池氏>男性通訳者氏の順番にアーンミーヤ色が強い。全員が純度100%フスハーで話していない件が見過ごされているのは、日本人検証者氏が単独でアラビア語ニュース動画の書き起こしや文語と口語の聞き分けをできないのに検証記事を書いてしまったためなのか、全て知りながら「フスハーとアーンミーヤを混ぜて話している要人など小池氏ぐらいだ」と脚色し読者に事実を伏せているかのどちらかぐらいしか考えられないが、いずれのケースも問題があるように思われる。
▶「正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる」はアラビア語を学んだ人ほどわからない部分。アラビア語の文語と口語を学び、アラブ世界にその混合体(中間体)があること、またその混合体(中間体)の役割を知る段階まで学習を続けていれば「文語口語混合体の会話は総じて品が無い」という誤認はむしろ発生しなくなっていく。検証者氏はエジプト留学・在住経験があるとのことだが、エジプトはフスハーが苦手な人が多く政治家や知識人がフスハーとアーンミーヤの混合体(中間体)を使う確率も非常に高い。それにもかかわらず「アラビア語を学んだ人なら分かるはずだが、正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる。」としているのは、
・エジプトのカイロ・アメリカン大学や家庭教師を通じて学んだのはフスハーのみで、エジプト方言の授業は履修していない。元々リスニングをして書き起こすといった放送通訳の訓練ではなく中東研究のために修士課程に通ったためエジプトの放送やイベントのアラビア語を全部聞き取れる訳ではなく、フスハーを中心に何年か学びエジプト方言は日常会話程度だったためテレビ番組や政治家の演説を聞いたことがあってもエジプト方言を混ぜたミックスアラビア語だと聞き分けができず、フスハーを話していると誤解していた。(検証記事で動画の聞き取り間違いがだいぶあるためその可能性が実際に考えられる。)
・フスハーとアーンミーヤの役割や混ざった会話の存在を本当は知っているが、「小池氏がフスハーを話せないのはカイロ大学を卒業しなかった証拠」というアラビア語学習者・エジプト留学経験者の現状に合致しない設定を通し政治的キャンペーンを続けるために設定を変更し読者に対して印象操作をしている。
のどれかが原因だということになってしまう。そのためこの表現はアラビア語学習経験はあるもののアラビア語の四技能を使って業務ができる人物ではないと示唆していることにもなり、検証者氏にとってはかなり不利な内容・主張になってしまっていると言い得る。
▶アラビア語の初級学習書では文語アラビア語と口語アラビア語が断絶しており混ざり合うことが無いかのように誤解させる記述になっているもの、また著者が非常に古い時代の情報を元に書いたために「フスハーとアーンミーヤは混ざらない」「アーンミーヤは文字で表せない」と受け止める学習者が今でも一定数おり、「正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる」という判断は初期に与えられた情報が定着したままアラビア語事情を見てしまっていることに起因するとも考えられる。エジプトに留学したり日本在住でもエジプトのメディアに触れていれば、政治家・宗教家・研究者などがフスハーとアーンミーヤの混合体を多用していること、口語といってもフスハー語彙を多用したアーンミーヤとこてこてな方言全開の会話で全然違うこと、純口語でも街区や地域によって違うことなどを体感できるため、「アラビア語を学んだ人なら分かる」というのはそうした詳細を実体験する前の未習者や初学者に多いアラビア語状況のとらえ方・誤解に依拠しているとのイメージが強めだと言える。
▶このくだりは検証者氏側のアラビア語習熟度やアラビア語の文語と口語に関する各国学界における各種議論に関する知見が不足していることの裏付けになりかねず逆効果になってしまっており、アラビア語習得者からの同意を得るのは難しいと思われる。アラビア語にある程度習熟している人だと、むしろ「どうして”正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる”と書いたのかわからない」「記事を書いた人はアラビア語のことをあまりよく知らないのではないか」と疑問を抱いてしまう可能性がある。記事自体が元々アラビア語関係者の目に触れるという前提で書かれたものではなかったとも考えられるが、単に考察する第三者の立場からはその真意を確かめる術は無いので不明。一連の検証記事は卒業問題に対する熱意・正義感と引き換えにアラビア語にかかわる正確性を多分に犠牲にしてしまっている部分があり、むしろアラビア語関係者からの共感を得られない箇所が多かったりする。しかし「アラビア語を学んだ人なら分かるはずだが」と添えることでアラビア語専門家も含め皆が例外無く同意する事項である・検証内容が高度な専門性によって行われ不正確な部分が一切無いとの誤解を与えやすくなっており、まだアラビア語学習年数が少ない方やアラビア語経験を持たない一般読者層が厳然たる周知の事実だとして受け止めてしまいやすいとも言える。
▶アラビア語には庶民から気取っているとすら言われる「知識人のアーンミーヤ」などがあるが、それとは別にフスハーオンリーの演説でも心理的効果などを狙ってせりふの再現や本音吐露の場所でわざと正則アラビア語会話から突然口語会話に切り替えまた正則アラビア語会話に戻すといったことがしばしば行われている。管理人は過去5年間ほどフスハーとアーンミーヤの問題に関するアラブ人向けの議論・討論・報道、ならびにエジプトやイラクの政治家のスピーチや国会番組、有名宗教家らの宗教講話を日常的に色々と見てきたが、アラビア語運用能力が高い人物がフスハーとアーンミーヤを使い分けながら演説する件に関して「品が無い」「下品」「無教養」「フスハーに混ざるゴミ」と酷評するような傾向は特に無いとの実感あり。アラビア語運用能力が低いがゆえの文語アラビア語と口語アラビア語のちゃんぽんは全くの別物で、それらの違いを前提とせずに混合体は全ておかしい・下品であるという言説を強調することは、色々なタイプのアラビア語会話・演説・スピーチをあまり実際に見聞きしたことがないとの印象を与え検証記事の信頼性を低めることともなってしまうことにつながると思われる。
▶同じ検証者氏の記事ではフスハーとアーンミーヤの乖離・対立が強調され両者の混同を強く忌避する傾向が特徴的だが、検証者氏の単なる誤解もしくは意図的な脚色といった可能性以外に「そうしたフスハー至上主義を教えたエジプト人が実際にいたかもしれない」とも考えられる。アラブ世界には「フスハーとアーンミーヤを混ぜるなどけしからん」という考えの人が一定数おり、アラブ民族主義が盛んだった時代には「フスハーこそがアラブ民族を統一する紐帯」だとしてフスハーを非常に重要視するということも行われていた。そのため検証者氏が極端なフスハー観を持っている人物から長期にわたってアラビア語における文語と口語の関係性について聞かされ、それが検証作業や検証記事の内容の偏りの原因になった可能性も否めない。普通はアラビア語を続けていると直接アラビア語で情報収集できるようになることで「フスハー至上主義者が象牙の塔の住人的な扱いをされることもある」など文語と口語の関係性には色々な課題があることを知りイメージを修正することができるが、数年で学習を切り上げアラブメディアでの議論などに直接触れなければ初期に触れたラディカルなフスハー感が払拭されないままということもあり得るかと。
15)このエジプト人女性キャスターは内心唖然としていたはずだ。
▶「エジプト人取材者が唖然としていたはずだ」というのは検証者側の憶測で、「小池氏のアラビア語はネイティブから常に嘲笑されるような赤面ものの文語-口語ちゃんぽん会話」「小池氏は学生時代から一度もアラビア語をちゃんと話せたことが無い」という前提を強く反映しているものと思われる。アラブ世界における文語と口語の関係やネイティブの文語会話能力の現状をふまえればもう少しソフトで中立的な見方になるかと。エジプト人インタビュアーの إيمان العقاد(イーマーン・アル=アッカード)氏自身はエジプト人視聴者に向かって小池氏を紹介する時にはフスハーとエジプト方言のミックスでしゃべっており、小池氏に話しかけるために切り替えたフスハーのみの会話では普段しない純フスハー会話がやや苦手なのか「アー…」をだいぶ言っているとの印象。その後小池氏が日本語に切り替えた辺りからまたエジプト方言メインでの会話に戻っている。イーマーン・アル=アッカード氏自身もまたフスハー会話がそう得意ではない可能性が高く、小池氏のアラビア語に内心唖然とするようなスタンスにはないとの判断が妥当だと思われる。
▶イーマーン・アル=アッカード氏はエジプト人ジャーナリスト/文学者アッバース・アル=アッカード氏の孫娘で、エジプト国営放送局のフランス語-アラビア語通訳からジャーナリスト/アナウンサーに転身。エジプトのテレビ報道にも度々出演しているが、普通のトーク番組ではエジプト方言、ニュース番組や時事討論でもフスハーとアーンミーヤのミックスを話しており、彼女がフランス語通訳だったことからしてもフスハーに極めて堪能な文語アラビア語至上主義とは程遠いと言える。そのため「内心では唖然としていた」というよりも、小池氏のフスハーエジプト方言ミックス会話はむしろ取材者にとっても楽で親しみやすいものだったと考える必要も出てくる。
▶日本語に切り替わる前までの小池氏のアラビア語は事前に用意された原稿を丸暗記して思い出しながら言っていると受け取ることもできる程度には意味が通っており、小池氏の視線からすると斜め先にカンペが置いてあった可能性も否めない。この上で記した通り検証記事で言い間違い判定されているもののうち複数は検証者氏側の誤判定や誤訳であるため間違いはそこまで多くない。同氏のアラビア語外交スピーチは他者の添削や原稿作成支援があると感じられるような言い回しが含まれ、数分程度のインタビューであれば言うべき内容を気合いで頭に叩き込んでおられるのでは…との印象を与えたりもするが、もし仮にそうしたアラビア語会話部分がもしカンペ無し・ネイティブ作成原稿無しで全部自力で言えていたとしたら「アラビア語を1~2年勉強した日本人大学生よりはフリースピーチができている」と表現することもできるかと。
▶アラブ人、特にフスハーでの会話が得意でない人の割合が多めなエジプトではフスハーを上手く話せないためにフスハーとアーンミーヤを混ぜたアラビア語を話しただけで唖然・呆然とするということは考えにくい。アラブ人でもフスハーが苦手な地域の人はアラビア語で高等教育を受けないため大卒者などでも小池氏よりもっとフスハーが話せず何を言っているのか全然わからないことも。相手はカイロ大卒とはいえアラビア語業は数十年前に辞めた政治家であり「カイロ大学卒業で元通訳だというもののだいぶ忘れてしまっているようだ」「あれ、あまり話せないらしい」と気を使いながら対応することはあっても、この程度の言い淀みや誤用であれば「こんなアラビア語聞いたことがない」「聞くに堪えないひどすぎる言葉」「噴飯もの」と驚くということはまず考えられないとの印象。文語と口語のミックス自体はエジプト人政治家でもやるため、日本人政治家がフスハーとアーンミーヤを混ぜたアラビア語会話をしただけでエジプト人が唖然呆然となるということはまずあり得ない。
▶エジプトでのニュース録画を複数確認したが、小池氏については都内のイベントでスピーチした時の比較的流暢に見える原稿読み上げの動画と「私は100%エジプト人です」という有名コメントが主に使われており、拙いアラビア語で話しているというイメージは特に感じさせないニュース映像になっている。「1976年カイロ大卒の小池氏が東京都知事に就任」「カイロ大から日本の都知事が輩出されるなんてすごい」「日本人だがエジプト人も同然だと胸を張る女性政治家」といった好意的コメントやエジプト各方面との協定締結の様子が放送されており、面会相手や取材者たちからは丁寧に扱われているように見えるのが実情だと思われる。そうした背景事情を鑑みると、外から見て全くうかがい知ることのできない女性キャスターの心情を唖然としていたに違いないと断定することは不適切だとも言い得る。
▶余談だが、リンク先動画のコメント欄にあるように小池氏が日本語に切り替えてからの日本語-アラビア語通訳音声では、外務省の日本人通訳官と思われる方が動詞の活用や複数語尾といった文法を時々間違えたり、文語-口語ミックスになっていたりしており、普段本を読んだり書類を書いたりするだけでは鍛えることのでいない文語アラビア語スピーチの難しさを物語っているとも言える。
16)「面会は、とっても、とってもよいものでした」と言うのに形容詞の「ラズィーズ」を使っていること。辞書によっては「甘美な」という意味も出ているが、実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語で、「面会は、とっても、とっても美味しいものでした」と話している
▶語義に関する誤認。小池氏は「会見は、とても、とても良いものでした」「会見は、とても、とても素晴らしかったです」などと伝えている箇所。文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)としても口語アラビア語(アーンミーヤ、複数地域方言)としても食べ物以外の物事が「良かった」「話を楽しめた」と表現するのに使う単語だが、そうした事実に反して「あり得ない赤面ものの間違い」として繰り返し宣伝されてしまっていることから、アラビア語では全くの誤用だと思っている方も多いかと。
▶上記の通りジャーヒリーヤ時代から現代に至るまで食べ物以外の事物を良かったと思っている時にも使う形容詞で「良い会見」の意味。昨今でも会見・面談・トークが良かった時などの形容に用いられる。さほど多用・乱発はされていないが書籍・メディア等で実際に使用例あり。どちらかというと食べ物がおいしいという意味以外での使用は حلو(sweet、甘い)同様、文語よりも口語での使用が多いとの印象。
▶アラビア語学習者が使う定番の辞書は古くても19世紀、通常は20世紀に刊行されたもので現代標準アラビア語としてのフスハーの語彙を収録したものとなっている。そのため、現代刊行のアラビア語-英語辞書に「甘美な」といった意味が載っているのに実際のアラブ諸国では「甘美な」という意味で過去に使われたことも現役で使われていることも無いといったことは考えられない。廃れた語義ではなく実際に使われている語義だからこそ学習者でも使うような辞書にも載っている訳で、色々な辞書を見れば「おいしい」以外の用例も複数掲載されている現状を考えると、検証者氏側が単純な誤解をしている、検証者氏がアラビア語辞書から最も適切な語彙と用例を探し出すことができなかった、本当は辞書に色々な用例が載っているのを確認済であるにもかかわらず日本人読者のほとんどがアラビア語に詳しくないことを前提として「話者はこんなにあり得ない誤用をしていて、実際には食べ物にしか使わない形容詞を面会という単語に使っている」という話を作ってしまわれたかのどれかの可能性に絞られてきてしまい、どのような経緯で”実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語”という説明文が作成されたのか大きな疑問が残る点となっている。
17)「タルビーヤ」を使っているが、これは「子供を躾ける」という意味
▶タルビーヤは語形取り違えによる余剰「ー」表記。派生形動詞第2形で第3語根が弱文字である場合の動名詞が تَفْعِلَةٌ [ taf‘ila(tun) ] [ タフイラ(トゥン) ] 語形になるにもかかわらず、تَرْبِيَةٌ [ tarbiya(h) ] [ タルビヤ(フ/ハ) ] ではなく تَرْبِيَّةٌ [ tarbīya(h) ] [ タルビーヤ ] と弱文字部分を重子音化して読むという非常に多い誤読。文語ではタルビヤだが口語の方言によっては「タルビーヤ」(エジプト方言だとタルビイヤ的な発音)に置き換わってしまっていることから、フスハーの会話や発音記号つけの際にそのままアーンミーヤ発音を当てはめて間違えるネイティブが非常に多い。検証は文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)での表現に直すという趣旨であるため正しくは「タルビヤ」で、「タルビーヤ」は不適。かつここでは定冠詞があるためタルビヤ部分を会話の中から単体で抜き出す場合は発音省略部分を戻した上で「アッ=タルビヤ」とするか「(ア)ッ=タルビヤ」などが良いかと。
▶タルビヤは「養育」「教育」「飼育」「しつけ、マナー」といった複数の意味があり、教育という意味ではタアリーム(تعليم)と同義語だとアラビア語大辞典にも書いてあったりもするので、誤用とするのはむしろ不適切。動画の文脈からすると定冠詞をつけてアッ=タアリームで「教育」とするのが一般的だとも思われるが、タルビヤは比較的低年齢の園児や小学生の教育や礼儀・生活習慣指導といったイメージが強めで、小学校教育に関する書籍・記事では「小学校における新しい教育手法」といった言い回しの時にこの「タルビヤ」という語が使われるなどしている。日本式小学校の設立事業がエジプトと合同で進められた件などを照らし合わせればアッ=タルビヤでも構わないのでは、との印象。ちなみに日本の文部科学省に相当するエジプト教育・技術教育省の名称は وزارة التربية والتعليم [ wizāratu-t-tarbiya(ti) wa-t-ta‘līm ] [ ウィザーラトゥ・ッ=タルビヤ(ティ)・ワ・ッ=タアリーム ](分かち書き:ウィザーラト・アッ=タルビヤ・ワ・アッ=タアリーム、英語名称:Ministry of Education and Technical Education)で、タルビヤを education という語義として用いており、これらからもタルビヤが「子供のしつけ」という語義しか持っていないという説明が正しくないことがわかる。
▶実際のスピーチでは「教育の分野で」という意味で「フィー・マガーレ・ル=タルビーヤ」と言っており、小池氏はタルビヤのタルビーヤ読みと、定冠詞と t(ت)音を同化させずに読んでいる箇所。なので単語の意味を間違えているというよりは、定冠詞部分の発音間違いや文語語形の口語語形への置き換わりによる余剰長母音挿入に当たる部分。
▶タルビヤをタルビーヤのように誤読するのはネイティブのアラブ人にも日本人学習者にも非常に多く、この部分が検証者氏由来なのか、検証に参加したエジプト出身英語科卒のロンドン在住ジャーナリスト氏由来なのかは、判断が難しい。もしアラビア語ネイティブのアラブ人側の誤読である場合、メディア業界に多いタイプの文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)文法・語形に極めて精通しているのではない人物で、誤用や口語表現を全部フスハーとしての正しいそれに置き換えるという趣旨の動画検証作業に関する適性を十分に有していないにもかかわらずフスハーのプロとして起用してしまったということにもなりかねず、本検証記事の信頼性に関する不安要素の一つともなっている。検証記事では「文語と口語が混ざり合うことなど本来あり得ない」と説明されているが、この部分はちょうどそうした「文語表現に口語発音・口語語形への置き換えという要素が混ざって、文語寄りの文語-口語ミックス状態になっている」事例に相当する。
18)相手から正則アラビア語で慰められる
▶これは検証氏の個人的な見方で、単なるアラビア語会話の解釈としては誤っている可能性がかなりあると言わざるを得ない。動画を見る限り慰められているようにはとても見えず、小池氏がたどたどしいアラビア語を何とか話している最中に「その言い方で正しい(サヒーフ)」とOKサインを出して大丈夫だと励ましているという解釈も不自然だと思われる。この女性大臣はクウェートのメディア取材相手の時も含め「その通り」「そうですね」と相槌を打つ際に「サヒーフ」を使う人物だが(例:クウェート人女性司会にヒンド・アッ=サビーフ女史がクウェート方言で回答している時の動画の7:22頃からサヒーフを2回繰り返している)、小池氏が話している間ずっと頷きながら合いの手を入れるなどしており、「女性大臣という立場上課題も色々と抱えていると思う」というくだりで「そうですね(サヒーフ)」と言っているようにしか見えないのが実情。
▶ヒンド・アッ=サバーフ女史は「鉄の女」と呼ばれる一方で大臣として突き上げや国会での厳しい質疑に晒されかなりの重圧やストレスを感じながら職務に当たっていたことをクウェートメディアでも吐露している。「女性大臣としてお互い何かと苦労があるとは思うけれども」的なことを語った小池氏のコメントに対してしみじみしつつ「そうなんですよね…何かと大変で…実に共感します」という含みを持たせて頷いていたように見える。
▶ヒンド・アッ=サバーフ女史は文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)と口語アラビア語(アーンミーヤ)共通の語彙と言い換え・言い淀み表現である「サヒーフ」を数回言ったのみ。仮にクウェート方言で返事をしても同じく「サヒーフ」になるので、動画だけではフスハーで会話していたかどうかは断定できない。その他の詳細については後述の通り。
19)ヒンド・サビーフ・バラク・アル・サビーフ氏
▶厳密にはアル・サビーフとバラクは誤読。アルは厳密にはアラビア語発音としては誤読に当たるカタカナ表記。日本語記事の慣用表記では発音同化を反映させず定冠詞アルを全て「アル」と表記する例も見られるが、この記事はフスハーとして厳密に検証した正しい表現と発音を提示するという趣旨なので、学界標準カタカナ表記を取り入れつつアッ=サビーフないしは一般記事風にアッ・サビーフなりにする方が良いものと思われる。なおアラブ人名に含まれる定冠詞アル(/アッ/アン)は一般向け記事の慣用表記だけでなく学界の学術的標準カタカナ表記でも除去される慣例があり、日本語の各種記事では誤読と定冠詞除去を合わせた「サビーフ」が広く用いられてきた模様。ただこの検証記事に関してはフスハーでの正しい言い方と発音を示すという目的から、アラビア語では除去することが無い部分の発音をそのまま保持したアッ=サビーフで構わないかと。またバラク部分は بَرَك [ barak ] [ バラク ] ではなく بَرَّاك [ barrāk ] [ バッラーク ] がアラビア語での本来の発音となっているため、一般記事の慣用表記準拠ではなくアラビア語フスハー発音に即したカタカナ表記となると「ヒンド・サビーフ・バッラーク・アッ=サビーフ」に。
▶なお検証記事のリンク先にあるクウェートニュース動画ではアル・サビーフともアッ=サビーフとも発音しておらず、男性アナウンサーはアラビア半島に多い男性名の縮小語形として اَلصُّبَيْح [ ’aṣ-ṣubayḥ/’aṣ-ṣubaiḥ ] [ アッ=スバイフ ](口語発音:アッ=スベイフ、アッ=スベーフ)と読み上げている。ただ「صبيح」というつづりの場合男性名としては صَبِيح [ ṣabīḥ ] [ サビーフ ](意味:顔が朝陽のようにキラキラと光り輝いている者、美貌の男子・男性、美男)と発音する名前が存在するため、スバイフというのは同女史のフルネーム中の父祖ファーストネームの発音としては誤読に当たるものと思われる。実際に他の番組録画では「サビーフ」と発音されている。
20)今日のミーティングは成功で、えー、フルートフル(これは英語)で
▶アラブ諸国では英単語を混ぜる会話がかなりの割合で行われており、テレビのニュース・時事番組における知識人のフスハー優勢会話や解説でも「既に」という部分だけ already を使うといったことがある。エジプトの場合は若い世代を中心に英単語のミックスが特に見られテレビドラマのせりふにも出てきたりする。小池氏が使った「カーナ(كان)fruitful(フルートフル)」もその一つで、実際にネット上の投稿などとして複数事例が確認可能。
▶そのためフスハーでの普通の言い回し كَانَ مُثْمِرًا [ kāna muthmir(an) ] [ 会話発音:カーナ・ムスミル ](意味:実りある)を言うべきところを忘れてしまい fruitful と言ったのか、最初から面白みを出すために fruitful と言うつもりで原稿なりにもそう書かれていたのか、やや判断が難しい。ただ小池氏はアラビア語の語彙を忘れた時に英語を混ぜることをしばしばしており、この辺りで言い淀みのヤアニーを多く言っていることからムスミルが出てこなかった可能性が高い。ただ「fruitful」は同義の「ムスミル」と言うべき箇所で言っているので、少なくともアラビア語のカーナ(كان)動詞構文の補語の位置自体は合っており構文の作りは理解していて形容詞を置く位置も記憶に残っているらしいことはうかがえる。
21)ヤアニイ(「つまりぃ」という意味の、言葉に詰まったときに使う口語)
▶小池氏は「ヤアニイ」とは発音していない。アラビア語では يعني と書くので、声門破裂音+母音イの يَعْنِئِ [ ya‘ni’i ] や咽頭摩擦音+母音イ يَعْنِعِ [ ya‘ni‘i ] を想起させるヤアニイではなく、標準的カタカナ表記のヤアニー [ ya‘nī ] とすべきかと。些細な発音の差で単語を区別するアラビア語では「ニー」と「ニイ」は別物なので、ヤアニーをわざわざヤアニイとカタカナ化する必要は無いものと思われる。口語的な語末長母音の短母音化を反映したヤアニ [ ya‘ni ] もあるが、フスハーでの用法・発音に修正するという趣旨の記事であること、また実際に小池氏も「ヤアニー」と語末を長く伸ばして言っているため「ヤアニー」とカタカナ表記するのがベストかと。
▶ヤアニーは口語限定の表現ではなく言葉自体は純フスハーの文語語彙であるため、「口語表現である」「エジプト方言特有の言い回しでフスハーには無い」といった解説は誤り。言葉に詰まった時の「えーっと」だけではなく元々の意味である「その意味するところは」「つまり」「それはですね」という言い換え的に使うことも。文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)オンリーな標準的アラビア語-英語辞典類や文語アラビア語の辞典にもきちんと載っているフスハー的な表現で、純フスハーのニュースやアラビア語が達者なアラブの知識人たちのフスハー会話にも出てくるため、「文語会話なのに口語である俗語を混ぜた」と指摘すべきではない箇所となっている。この部分については検証者氏が普段フスハーとアーンミーヤそれぞれの会話での言い淀み表現を聞き慣れていない、検証者氏がフスハーの辞書で十分に調べなかった、ネイティブのアラブ人が「アーンミーヤだと思う」とコメントしたのを真に受けて口語表現だと書いてしまった、といった可能性が考え得る。
▶言葉に詰まった時に言い淀む際はフスハーがペラペラな文化人であってもその部分だけは自分の方言で言うことも少なくなく、エジプトよりも東のアラブ諸国ではテレビのフスハー番組でも「シェスマ」「シュスモ」(なんていうんだっけ、えーっと)といった複数ワードをくっつけて詰めて作った口語表現が口にされることが多い。文語由来のヤアニーと違って口語表現の「えーっと」はそれらが該当する。
22)「私たちは、モンケン(可能である)……、ヤアニイ」と言葉に詰まったあと、「えー、私たちは同じ仕事(「ワザー……」と一度言い間違えそうになっている)をしており……」とようやく言って、相手に「サヒーフ、サヒーフ(合ってます、合ってます)」と正則アラビア語で慰められている(相手はきちんと正則アラビア語を用いている)
▶実際には記事ほど終始言い淀んでおらず少しの間を起きつつもその場で考えた、もしくは事前に暗記していたであろうアラビア語の文章を口頭でスピーチしている形となっている。上記は最も言葉に詰まっていた部分を抜き出したものだが、会話全体を忘れて……だらけの状態でポツポツとしか話している訳ではなく、前後の箇所では比較的スムーズにスピーチしており文法的な言い間違いや単数形/複数形の言い間違いを自身で気付いて修正している様子が見られる。
▶「ワザー」は「仕事・職業」を意味する名詞 وَظِيفَة [ waẓīfa(h) ] [ ワズィーファ ] の複数形 وظائف [ waẓā’if ] [ ワザーイフ ] のを言いかけたものと思われる。複数形を言いかけて単数形で言い直しているので、言い間違えではあるものの小池氏がアラビア語名詞の不規則複数をある程度覚えていることを示している部分ともなっている。
▶「「サヒーフ、サヒーフ(合ってます、合ってます)」と正則アラビア語で慰められている」とあるが、動画を見る限りクウェート側の女性大臣は小池氏のアラビア語スピーチの言い回しが正しい部分に対しOKサインとして「サヒーフ」を言っているのではなく、小池氏のコメントの間同意できる内容に対して繰り返し頷きながら「サヒーフ(ええその通りですね)」と相槌を打ち続けているとの印象。小池氏が言葉に詰まる前も詰まっている最中も再開して会話スピードを回復した後もずっと同じようなリアクションをしており、両国関係が良好だというコメントの直後に「ハムドゥリッラー」と思しき言葉も口にしていることから、「アラビア語表現はそれなら間違っていない」という意味で「合ってます」と言っているとは受け取りにくい。言葉に詰まる回数が多いためにサヒーフの回数もやたらと多くなっているということは多少はあるものと思われるが、「同じ役職についているので同じような問題点を抱えていると思う」といったポイントでサヒーフを言っているため見ている側としては「その通りですね」と同意しているようにしか見えないのが実情である。ヒンド・アッ=サビーフ女史は国会答弁でも情緒豊かな話し方をしており、小池氏相手にウンウン頷きながらサヒーフをずっと言っていたのも彼女の元々の性格や話し方もかなり関係していると解釈する方が望ましいのでは、という気も。実際にクウェート人たちとの対談でも相手の会話内容に同意する時に「サヒーフ」を度々使っているので(例:クウェート人女性司会にヒンド・アッ=サビーフ女史がクウェート方言で回答している時の動画の7:22頃からサヒーフを2回繰り返している)、小池氏のアラビア語会話を横で添削しているのではなく、普段の調子・口癖で「そうですね」「私も同感です」という意味の「サヒーフ」を言っていると理解すべきかと。フスハーで慰めているというくだりは小池氏がフスハーを話せないという点を強調しすぎるあまり会話の流れや言葉の意図を誤って解釈してしまっており、小池氏が純フスハーで話さないという点に注意を払いすぎたために正確な把握が阻害され、アラビア語の性質の理解やアラビア語会話の正確な訳出・解説という重要な部分が犠牲にされていると言わざるを得ない。
▶「相手はきちんと正則アラビア語を用いている」とあるが、イコール「相手のクウェート人女性大臣はいつも公的な場でちゃんとしたフスハーしか使っておらず国会でもインタビューでもフスハーで話している」と誤解しないよう注意。これはクウェート方言を理解しない外国の要人に合わせてフスハーをわざわざ使っているという配慮が行われているとの解釈が必要なシーンで、普段から政治家としてフスハーを使っているかどうかとは別問題。小池氏と一緒に写っているヒンド・アッ=サビーフ(هند الصبيح)女史自身は国会でフスハーとアーンミーヤ混合で答弁したりクウェートメディアでのインタビューに口語アラビア語で対応したりしている人物で、色々な録画を見る限りクウェート方言の使用比率が高い政治家に含まれるとの印象。検証記事は「アラブの政治家ならヒンド・アッ=サビーフ女史のようにフスハーで話すはずだ」や「ヒンド・アッ=サビーフ女史はずっとフスハーで政治の仕事をしているのに、同じ政治家である小池氏は公的な場で100%フスハーな会話を上手く話せない」という前提で書かれたと感じさせる言い回しになっているが、もしそうだとすれば確認不足・事実誤認に当たる。
▶「サヒーフ」自体はフスハーとアーンミーヤ共通の同意表現(=フスハー由来の言葉)なので、数回「サヒーフ」と言っただけではフスハーをずっと話していたとの判定は不可能。こうしたシーンではおそらくフスハーを使っていたものと思われるが、クウェート方言で会話していても「そうですね、その通りですね」は同じ「サヒーフ」になってしまったりするので、この動画を見るだけでは区別はできない。動画の中でヒンド・アッ=サビーフ大臣は「サヒーフ」としか話しておらずこの合いの手だけで「相手はきちんと正則アラビア語を用いていた」と断定するのは早計だと思われる。
▶検証記事にも取り上げられた小池氏エジプト訪問時のインタビュー動画では小池氏が日本語に切り替えてからバトンタッチした日本人通訳官男性が言い淀みの際に「ムンキン ヤアニー」を繰り返し使用。しかし検証記事では小池氏の「ムンキン ヤアニー」だけが批判対象となっており、小池氏がテーマの検証記事だとはいえ全く同じフレーズで言い淀みをしている両者の間に扱いに大きな違いがあるとの印象。自力でアラビア語動画の聞き取りと検証をしたということであれば外務省でアラビア語専門の通訳官をされている方が「ムンキン ヤアニー」を多用されている点も気付いていたはずだが、小池氏の拙いアラビア語という部分を強調するために敢えて触れられていないのか、動画全編のリスニング自体はエジプト出身検証補助役に任せて自身では書き起こしなりをされていなかったからなのかどうかは不明。
23)発言は1分ほどだが、ほとんど意味のあることを話していない。
▶検証記事で取り上げられた場所以外はある程度原稿に書かれていたとも思われるメッセージは言えており、「ほとんど意味のあることを話していない」との表現は著しい過小評価かと。1分弱のスピーチで先方に伝わっているだろうことは
●今日の会談は成功裏に終わり実りあるものだった。
●自分は日本クウェート友好協会の会長、同時に防衛大臣・環境大臣でもある。
(*小池氏はクウェート側組織名称であることを思わせる「クウェート・日本」という語順で言っている。この部分は日本クウェイト協会ではなく日本・クウェート友好議員連盟のことを指しているとも思われる。ニュース冒頭では男性アナウンサーによりこの会合がクウェート側の友好組織であるクウェート・日本友好議員連盟主催であり、小池百合子氏が参加していた同会合にヒンド・アッ=サビーフ大臣と随行団が招かれたと説明が行われている。そのため小池氏も同等の立場である日本側の日本クウェート友好議員連盟会長として訪問していたものと思われる。当時小池氏がだったことは本人ブログ記事でも確認可能。小池氏のアラビア語スピーチだと単なる「クウェート・日本友好協会」と受け取れる表現になっているが、実際のアラビア語記事や外交関係投稿だと日本クウェート友好議員連盟のアラビア語名称は「جمعية الصداقة البرلمانية اليابانية الكويتية」となっている。)
●大臣とは同じような役職にあるため、大臣としてはお互い似たような問題を抱えたりもしているかと思う。
●しかしクウェート国と日本との関係は非常に良好で、今回の会合も両国間関係を深める上で重要な役割を果たしたと思う。
で、事前に用意された原稿を練習なり暗記なりしたにせよ全て言いきった形となっている。本当にアラビア語ができない人であればこれだけの分量でも1分弱の間に全部は話せないので、日本人アラビア語学習経験者(で特に中級以上までアラビア語能力を引き上げたにもかかわらず使わなかったせいで話せなくなった経験がある人)の中には「通訳業を長年続けていない卒後約40年の人物としては話せている部類に入る」と感じる人もいる可能性がある。
▶なお小池氏は「会合、会談」を意味する男性形の動名詞 اجتماع(イジュティマーウ、エジプト方言発音:イグティマーァ)を女性形の動詞などで受けており、その部分については文法間違いとなっている。ただ「この会合」というフレーズで「この」という指示代名詞をつけた部分では最初に女性形ハーズィヒを使った後に間違っていると判断しハーザー(直後に定冠詞アルが来ているので実際にはハーザと発音されている)と言い直しているので、男性形と女性形の使い分けが必要なこと自体は一応認識していることがうかがえる。文語文法をやり込んだ人だと年数が経ってもこの程度の基本は覚えていてもおかしくないが、小池氏に関しては『3日でおぼえるアラビア語』の誤記を見る限り元々こうした細々とした部分が苦手だったものと思われる。
24)ムシュ・ケダ
▶小池氏はエジプト方言全開で生活されていたことをセールスポイントにしているため、他のスピーチでもこのムシュ・ケダをわざと使って笑いを取っているなどする。ネイティブの作成者が用意することもあると思われる原稿を読んでいるような壇上でのフスハースピーチでも「ムシュ・ケダ(مش كده؟)」のような特定フレーズだけをアーンミーヤ風にしていたりすることから、小池氏のセールスポイントである「100%エジプト人(مصرية مية في المية)」の演出として意図的に口にする戦略となっておりアラブ人の原稿作成者がいる場合でもそれを前提にしてムシュ・ケダをわざわざ盛り込んでいる可能性が考えられる。
▶アラブの政治家や知識人もフスハー会話の時に「ですよね?」「そうじゃないですか?」といった軽いフレーズや合いの手類はアーンミーヤになっていることが多く、テレビニュースの司会がコメンテーターに対して同意を尋ねる時だけ口語表現を使って「違いませんか?」と言うシーンは日常的に見られる。そのため検証記事で挙げられている「ライサ・カザーリク」(カザーリクは休止形発音で、文語的な非休止形発音はカザーリカ)がフスハーのニュースにおけるコメンテーターとのやり取りや演説で必ず使われるとは限らず、エジプトのメディアや政治家のトークなどでもこの部分だけ「ムシュ・ケダ?」になることがしばしばある。小池氏のこの部分に関しては「完全な誤用やスキル不足との認定はやや難しく、ネイティブもしばしばやっている。なのでわざと言っている可能性も否めない。」判定になるかと。
2018年7月1日報道
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/232415
https://x.com/harukosakaedani/status/1013185511593148416
25)検証結果はアラビア語“中1レベル”
日本の義務教育の英語で言うと、中学1年生レベル
▶小池氏のアラビア語能力については「中学1年生」「2歳児」「3歳児」「幼稚園児」*「This is a pen.(ディス・イズ・ア・ペン)レベル」**やその真逆の「ネイティブ」「極めて堪能」といった判定がされるなどしてきたが、検証者・判定者の個人的な感情(嫌悪・好意)や動機(落選運動・追求・批判・支援)が関わってくることもあってかどちらもアラビア語学的な視点からの正確な考察と適切な形容になっているとは言い難いとの印象。アラビア語やアラブ事情に関する正確な情報を提供するという部分が疎かにされていること、加えて検証者が間違いの自覚を持たないまま誤ったアラビア語解説などを一緒に拡散してしまっているなどするため、残念ながらそうした言説はアラビア語学習者が学び取るべき貴重かつ正確な情報を欠いてしまっており、サービストークとしての役割は果たしている一方、アラビア語学習者が学び取るべき情報源としては信頼性が低いと言わざるを得ない。
▶2歳、3歳、幼稚園というのは大学課程で学ぶ留学生とはできるアラビア語の種類が全く異なっており重なる部分が極めて少なく、実際小池氏の外交シーンアラビア語会話には幼児が口にするような日常フレーズ類はほぼ出てこない。ネット上の小池氏アラビア語スピーチ動画では幼児が話しそうな日常会話の表現が登場しないため、幼児が覚えるエジプト方言の基礎会話ができるかどうかという確認は困難。幼児が話すタイプのエジプト方言会話はエジプト留学する日本人学生の学業とは直接関係が無い部分で習得するものなので、現地に住みエジプト人に多く接した人ほど上達するため大学に通わずホームステイしただけの人の方がむしろ流暢になる確率が高く、カイロ大学を卒業できるのに必要なアラビア語能力があることの直接的な指標とはなり得ない。また幼児の何歳ぐらいに相当するかというのは検証者の主観に拠るところが大きく、また外交スピーチがフスハーであるのに対し通常幼児が話す日常会話は純口語アラビア語(ここではエジプト方言)であることから全く同じタイプのアラビア語会話でスキルの違いを比較していることにはならない点は注意が必要だと思われる。
▶低年齢幼児と比べるというのは話者の拙さを強調する目的には適っているが安易な表現でもあり、20歳前後でアラビア語を学んだ人物は幼児が習得する自然な会話が全く上達しないまま専攻分野の偏った単語ばかり覚えるため比較対照・形容としては不適切かと。「幼児レベルのまま留学生活を終えた」「留学時代から今に至るまで一貫して幼児レベルの This is a pen 的アラビア語を話し続けている」という印象を抱かせる可能性が高いこともあり「アラビア語や外国人による語学習得がどのようなものかをよく理解していない」との評価を受けかねず、話題性等と引き換えのリスクがある発言だと思われる。少なくともアラビア学習者については、正確な表現ではないが読者向けサービスでそうなっている部分も大きいことは考慮に入れる必要があると思われる。
▶アラビア語において英語の This is a pen に相当する表現は هذا قلم [ hādhā qalam ] [ ハーザー・カラム ] で、指示代名詞と名詞をただ並べただけの最も単純な構文。このレベルしか言えないというのは「1~2週間ぐらいしかアラビア語を勉強しなかった」のと同義に近いが、「お肉を1kg下さい」というのはそれよりも文章としてはレベルが上でお使いレベルのアラビア語は話せたという部分と合致しない。小池氏は言い淀みながらも外交の場でそれよりも学習進度が進んでから学ぶ構文を使っているので、エジプト生活を終える時点まで This is a pen 構文だけで過ごしたというのは非常に無理がある設定となっている。「これはペンです」は2歳、3歳といった形容と同様に拙さを強調するためのわかりやすい方法として採用されただけで、留学時代の小池氏のアラビア語会話能力はその通りではなく、安易なたとえながら実態を適切には表していないそれらの表現を介さず直接に「20歳過ぎの留学生が現地で生活し覚えられる程度の日常会話と、課題などを通じて身に付いたその他の語彙だった」などと考えるのが妥当かと。
▶小池氏はアラブ世界に何らかの関わりを持つ立場の受講者たちに混じってカイロ・アメリカン大学のアラビア語コースに参加、初期から使いこなす状態までまだアラビア語文法レベルが引き上げられていないアラビア語-英語辞書を片手に行う文章講読を課され、基礎日常会話ができるようになった時点でカイロ大学に編入したことが伝記(管理人はGoogleブックス等で確認)やメディア報道などの本人談に載っている。そのため、初級文法のゼロ地点から少しずつ学んでいく通常のアラビア語学習者や日本の中学生とはかなり事情が違っており、似た文字の判別や細かい文法ルールなど書籍やフスハー会話に若い頃からあったであろう基礎範囲からの一部不足らしきものが見られるのもそのためだと推察される。これは日本の中学1年生~3年生ぐらいが学ぶ文法の基礎をじっくり習熟するまでやらずに急に高校1年生~3年生の範囲にジャンプしたのに似ており、普通の中学生や高校生のような学校で週に何コマもこつこつと学んでいく方式での習得と比較することが可能な事例とは違っているとの印象。
▶アラビア文字が読めること、ネイティブが執筆したにせよ発音記号つきであるにせよアラビア文字で書かれた何らかのカンペの文章を読み上げたり、ある程度暗記してメディア取材に数分間答えるということは、アラビア語を始めて半年以内の日本人学習者や、英語科目が小学校に導入される前の世代でフォニックスの経験も皆無だという中学1年生が普通できない作業。そのため中1レベルではなくもう少し上の学年相当だと形容するのが適当かと。東京でのアラブ諸国関係者などを招いてのイベントでは度々原稿を見ながらアラビア語のスピーチをしているが、これらはほぼ止まらずに読み進めていることから、「現時点では発音記号なりがつけられたアラビア語文は読める状態は維持されている」「自力で考えて外交関係のフリースピーチをするのは元々苦手だったかもしくは忘れたために事前に用意された内容の通りに読み上げているが、話している途中でその原稿の細かい言い回しを忘れることもある」だと思われる。なお英語はアラビア語よりも普段使いしていることから無理なく会話ができており、長時間のインタビューは日本語か英語で受け、それがアラビア語に通訳され各国で放送されてきた。
▶アラビア語の能力を他の事例にたとえるのは簡単なようで意外と容易ではないと思われる。同じエジプト在住日本人児童生徒・学生という立場でも
・乳幼児
└ 1:アラブ人向け保育園・幼稚園に通い、家の外では常にエジプト方言で生活する
└ 2:英語メインの各国出身エジプト在住者向けの保育園・幼稚園に通い、エジプト人との会話も多少ある
・小・中・高生
└ 3:エジプト人向けでアラビア語で授業が行われる学校で、家の外ではフスハー学習+エジプト方言会話
└ 4:インターナショナルスクールに通っているが、エジプト人との方言での会話が多少ある
└ 5:日本人学校に通っており、フスハーやエジプト方言には多少触れる程度
・大学生・大学院生
*住まいはアパート/学生寮/エジプト人家庭宅でのホームステイなど。アパート住まいだと家の中でアラビア語を話す機会は基本的に無し。学生寮であればエジプト人とエジプト方言、留学生とは時にフスハーで話すといったアラビア語環境あり。ホームステイだと自然なアーンミーヤ表現を学ぶ機会はあるがフスハー会話の練習には基本的にはならない。
└ 6:日本の大学でアラビア語を専攻、語学学校や家庭教師からフスハーかエジプト方言を教わっている
└ 7:日本の大学でアラビア語を専攻、大学のアーンミーヤ中心講義を聴講、フスハー学習は半ば休止中
└ 8:日本の大学でアラビア語以外の分野を専攻、アラビア語は第二外国語として経験、エジプトでは語学学校や家庭教師からフスハーかエジプト方言を教わっている
└ 9:日本の大学でアラビア語以外の分野を専攻、アラビア語は第二外国語として経験、エジプトでは語学学校や家庭教師からフスハーかエジプト方言を教わっている
└ 10:院生として国立大学に在籍、アーンミーヤ中心講義を聴講したり、日本語や英語などで論文を書いたりしている
└ 11:カイロ・アメリカン大学に在籍、アメ大付属のアラビア語コースに通ってフスハーやアーンミーヤを学んでいる
└ 12:カイロ・アメリカン大学に在籍、英語をメインにしつつアラビア語の文献などを使い専攻の学習・研究をしている
└ 13:交換留学生や聴講生としてではなくエジプトの国立大学に在籍しフスハーでの読み書きとアーンミーヤでの日常会話を行いながら、卒業【小池氏のケース】
などと言った具合に多種多様で、アラビア語習得の過程や身に付けるアラビア語の種類が全く異なる「日本でアラビア語を全く学んだことがなく、大学ではフスハーによる読み書きとアーンミーヤによる講義のリスニングや日常会話を行う必要がある20代学生」と比べるべきなのは上記の8・13あたりだと言える。1・2と比べると「幼児にすら劣る」「アラビア語ができる以前の状態」という誤解を誘導すること、また乳幼児が覚えるアラビア語と成人が覚えるアラビア語とでは種類・中身が全く違うので適切な比較になっておらずアラビア語学習や外国語習得という事象を専門的な目で見た場合には不適切となる可能性が大きいものと思われる。
▶アラビア語については日本語と順序が逆になるアラビア語独特な構文でも特に混乱しておらずカンペがあればほぼその通りに読めるらしいこと、口語語形であれ関係代名詞など初級文法の中盤以降で出てくる語の使用があることから、日本の大学でアラビア語を第2外国語として履修し最後にアラビア語で自身の名前を書ければOKというゴールを満たして単位を取得した大学生よりはアラビア語の蓄積があり、卒後50年弱をかけて不使用による忘却が進み現在に至ると考えるのが自然なのでは、との印象。
▶日本のメディアで公開されている検証作業はいずれもインターネット上での動画公開が定着して以降に撮影されたアラブ諸国での外交シーンやインタビュー、日本でのイベント時のスピーチ録画などを見て行われている。外国語というものはある程度習得し仕事を請け負うこともある大学院生や研究者であっても帰国した直後から次第に現地でスラスラできていたはずの会話能力が衰え始めたと実感する人が多く、語学経験者だと「ある程度できても、使わないと忘れる」というのは知られた話かと。「良好な成績で卒業し通訳までしていたなら、そんなに簡単に忘れはしない。何十年経ってもフスハーで流暢に話せるはず。」「卒後40年以上経った時点で流暢に話せなければ、20代の学生時代も同じぐらいできなかったということになる。」「今中1レベルだとしたら、当時も中1レベルだったはずなので、大学など卒業できない」というのは語学学習や留学経験を持たない方、語学経験者でも引き続き日常的な使用環境にあるために使わなくなってすっかりスキルが落ちてしまった会話能力に自らショックを受けたことが無い方が持ちやすい感想だとも言い得る。
▶本人アカウントで公開されたキャスター時代映像(注:その後権利関係に問題があると判明し削除の上、TVキャスター時代の会話抜きのポストに差し替え済)ではヨルダンの石油会社関係者と中継でつなぎアラビア語で話しかけている。この中で小池氏はネイティブのエジプト人に似た話し方とスピードで文語に寄せたフスハー・アーンミーヤ混合体会話をしており、現地報道番組の女性アンカーがよく使うようなアラビア語のタイプに近くアラビア語使用者に過去のアラビア語学習歴を感じさせるものとなっている。アラビア語を全然話せない人が丸暗記するのでは決してできないタイプの、「カタカナ発音で、アラブ人発音とは全然違う」といった形容は脚色でない限りできないようなナチュラル感のある発音で、アラビア語未習者であればアラブ人の指導を受け同じフレーズをひたすら繰り返し練習しない限りそっくりな読み上げをするのは困難だと思われる。なお同動画では its army の its に相当する部分が本来すべき男性形ではなく女性形でイラクという男性の国名を女性形の指示代名詞接続形で受けている形となっていたが、「他の国名と違いイラクは男性形」という豆知識サイトがいくつあるぐらいにネイティブも女性形と間違えやすい点を考慮に入れる必要あり。2006年録画だという環境大臣時代の談話についてはキャスター時代よりも話すスピードが落ちたり、「問題」の複数形がカダーヤーではなくカダーヤートだったり、増加という意味の動名詞イズディヤードを使う箇所で動詞形のイズダードに置き換わっていたり、意味は通るものの文法的な言い間違いが若い頃よりも多くなっている可能性が考えられるトークになっている。そのため若い頃はある程度の時期まではそれなりにアラビア語が言えており、その後使わなくなってから急に忘却が進んだと考えることもできるかと。
▶これまでに小池氏のスピーチシーンを収めた複数動画をネイティブに見てもらいスキルの程度を判定させるという検証が度々行われてきたが、ネイティブに見てもらう際に問題となるのは「ネイティブだと外国人元留学生のアラビア語技能が元々アンバランスになりやすいこと、使わなくなるとどんどん衰えていくということをあまり正確に理解していない」「卒業後もアラビア語の使用を続けており、技能があまり衰えていないという前提で見がち」といった点となっている。日本人卒業生の能力検証はエジプト人やアラブ人、そして帰国後も信仰の場面でアラビア語を使い続けるイスラーム教留学経験者の卒後40年とは全く事情が違うことを理解の上で、第二外国語としてのアラビア語教育などに通じておりエジプトの大学から巣立っていった教え子たちが帰国後どうアラビア語を維持しているか/忘れてしまったかを複数ケース見てきたベテランの人物に依頼するのが最も良いものと思われる。
▶「中学1年生レベル」はアラビアの拙さを読者にわかりやすく伝える一方、具体的な根拠を欠いているとともに「40~50年前も中学1年生レベルだった」とミスリードしやすことから、注意が必要だと思われる。当時どの程度アラビア語が話せたのかは、『3日でおぼえるアラビア語』から推測するか、留学時代終盤や日本帰国直後にアラビア語を実際に話しているのを見たことがある人に聞き取りをして回るしか無いとの印象。現在のアラビア語能力はいわばピーク時の能力のごく一部の欠片であるため、残されたわずかなピースから元の完成状態を復元するには母語以外の言語を学習した者が中級以上にまで達した後どの程度忘却するのかといった実例を複数精査して推定していくことが本来は必要だが、そうした検証自体に限界があり、結局は関係者に聞いて回るしかないのでは、との印象。
▶アラブ諸国の大学はアラビア語ではなく英語で授業が行われ英語力で単位取得が決まる学科も多いため、社会学科の授業や課題を英語で済ませた部分があるということであれば、カイロ大学卒業という言葉が与えるイメージと卒後40~50年時点での文語アラビア語会話能力の印象とが合致しないと言われがちな件の背景になっているとも考えられる。そのため当時英語で単位認定があったかどうかといった細かい部分も確認が必要になってくるかと。
26)正則はコーランが基で、アラブのあらゆる国で通じるが、口語は地域限定。口語は、ちょっと地域を離れると、全く通じないという。
▶フスハーとアーンミーヤに関する誤認あり。「通じないという」という伝聞形式は、検証者氏がアラビア語の口語事情に関する専門的学習をされたことがなく実際には文語と口語がどのように運用されているのかを知らずに記事を作成してしまったことを示唆している部分ともなっている。口語が他の地域でも通じる件については小池氏のトーク『小池百合子 アラビア語を語る』での説明の方が正確で、アラビア語のメジャーな方言はちょっと地域を離れただけならある程度通じ、同じ部族が移住に伴い後半な地域に広めた同じ系統の方言であれば距離が離れていても近さを感じたりする。アラブの部族民は遊牧生活や飢饉といった色々な理由から移動、色々な国にまたがって暮らしていることが多い。そのような血縁関係を持つ部族に関しては、ヨルダンとサウジアラビアといった違う国に住んでいる同士でも話すアラビア語や衣食住・慣習が似通っている。そのため現在のサウジアラビアからスーダンに移住した部族は今のサウジ人が聞いてもすぐに理解できる方言となっている。またアフリカ北部を横断移住したアラブ系部族民が散在しているマグリブ諸国ではマシュリク諸国のアラブ人が聞き取りやすい方言があり、アルジェリアのアラブ系部族が多い地域の生粋の方言を聞いたサウジアラビアなどのアラブ人たちが「言っていることの大半を聞き取れる」とコメントするといった事例もある。ちょっと離れていて今や別々の国になっているが、近しい関係にあるためマルタ島のマルタ方言を聞いたチュニジア人たちが「ほとんど意味がわかる」と驚いたりも。
▶違う系統の方言だとほぼ理解できないというのは仕事・教育・メディアを通じた相互交流が無かった大昔の時代の話で、「口語は地域限定」という話が百何十年~何十年前の段階の一体いつ頃の古い情報に依拠したものなのか推定が難しい。アラブ世界では100年ほど前にラジオ放送が始まって以降他国の歌謡曲を楽しむということが次第に一般化。レコードやテープの普及とあわせて、エジプトの歌手の熱烈なファンが遠くのイラクなどにもいるという状況を生んだ。またエジプトやパレスチナなどアラビア語教育者が多い地域からアラビア半島諸国に大量の教師が派遣や出稼ぎの形で働きに出たこと、特にエジプト人は授業中でもエジプト方言をしばしば使ったことからイエメンといったアラビア半島南端地域でも毎日の授業を通じて違う地域の口語アラビア語に触れ聞き取り能力を養った者たちも現れた。映画上映やテレビ放送が普及してからはアラビア半島のアラブ人がエジプトやレバノンの作品を楽しむといったことが常態化していき、衛星テレビチャンネルや各国メディアによるインターネット上での生放送・動画提供が爆発的に増えたこの20~30年の間にそうした傾向が特に強まり、聞くだけなら遠隔地域の方言(ただし理解しやすいよう現地方言丸出しではなくフスハーに多少寄せてある)数種類の基本会話を理解できるというのが普通になっている。汎アラブニュースチャンネルでは各国出身のアナウンサーが口語に担当。特派員はフスハーや自分の方言を混じえながらリポート、各国でのインタビューもマシュリク地方アラブ人が理解できないモロッコ方言等を除き字幕無しで流れされるなど、視聴者がアラブ世界主要地域の方言をある程度聞き分けできることが前提にコンテンツが提供されている。生身のレバノン人に会ったことが無いイエメン人がレバノン方言による連続ドラマを毎週見ているといった事例も多く、「口語は地域限定。口語は、ちょっと地域を離れると、全く通じない」というのはここ50年ほどのアラブ世界におけるアラビア語事情に関する知見を十分に持ち合わせていないという印象を抱かせるものとなってしまっている。
▶文語アラビア語と口語アラビア語との隔絶ぶりを強調したり、口語アラビア語の通じやすさが物理的な距離でのみ決まると記述したりしている点については、執筆者の事実誤認か事実を知った上での脚色のどちらかが原因として考えられるが、いずれの場合であっても読み手の方で「実際には全く異なる状況である」との情報修正が必要な部分となっている。
27)政治家の演説やニュース、文献には正則が用いられ、口語は一般人が世間話をする際に使われている。
▶政治家の演説は正則アラビア語が多いが、正則アラビア語と口語アラビア語との混合もかなりの割合となっている。場合によっては口語アラビア語のみと様々。政治家の演説がフスハーだけで行われるという解説は、実際に政治演説や国会放送をアラビア語であまり見たことが無いと示唆してしまう部分なので、逆効果だと思われる。
▶「口語は一般人が世間話をする際に使われている」は「ネイティブは公的な場所なら必ずフスハーで話す」という架空設定を強調するあまり口語アラビア語(アーンミーヤ、いわゆる各地の方言)が使われるシーンを極端に狭めて説明しているくだり。口語は部族同士の大規模な会合・調停、宗教行事での追悼詩朗誦、口語詩作品の発表や詩のフェスティバルなど家庭内での会話や世間話という範囲の外にある公の場でも多用されており、アラブ社会においてフスハーとはまた違った形で重要な役割を与えられている。
▶そもそもオスマン朝期には公的な場でのアラビア語使用が制限されたり、イスラーム式寺子屋とは異なるタイプのアラビア語教育を行うアラブ人向け学校の開設が行われていなかったことから、オスマン朝崩壊以前のアラブ諸国ではフスハーの影響力が低下し、アーンミーヤによるコミュニケーションが広く行われている状態だった。口語アラビア語を「一般人が世間話する際に使う」と説明することは、そうした近現代におけるアラビア語の色々な動きをふまえない不正確な説明だとも言える。フスハーがここまで復権したのは近代以降のアラビア語復興運動や近代的公立学校の普及を通じて実現したものであり、フスハーが太古の昔から公的な場で常に覇権を維持してきたと誤解させるような一連検証記事の記述には疑義を呈さざるを得ない。
28)小池氏は正則アラビア語とエジプト口語をゴチャ混ぜにして話している。そんな話し方をすること自体あり得ない
▶先述の通り、エジプトにおいて正則アラビア語とエジプト口語との混合体(中間体)が色々な混ざり具合で実在するという現状に反している解説。そもそも検証対象の動画でエジプト人インタビュー役の女性イーマーン・アル=アッカード氏や小池氏が日本語で話し始めてからバトンタッチした日本人の通訳官男性もまたフスハーとアーンミーヤ(エジプト方言)を混ぜたアラビア語で話しており、「小池氏のアラビア語だけが文語-口語ちゃんぽんで、彼女のアラビア語だけが際立っておかしい」的な設定にある矛盾を示している形となっている。「学生当時もアラビア語がそこまで得意ではなかったようだ」と推論するのは理解できるが、「正則アラビア語とエジプト口語をごちゃ混ぜに話すなどあり得ない」というくだりはアラビア語関連解説記事を書く立場の人物としては非常に重大な誤解だと言わざるを得ない。
▶アラブ諸国に第3のアラビア語とも呼ばれるフスハーとアーンミーヤのミックス会話が流布していることは昨今のアラビア語学習界隈でもかなり知られるようになってきている話で、アラブメディアを日常的に視聴している人であれば知識人らがわざとフスハーとアーンミーヤを混ぜていることは体感的に理解する現象となっている。それを「あり得ない」と完全否定しているとなると、検証者氏に文語アラビア語と口語アラビア語の関係性について最初に教えた人物が高齢者で小説といった印刷物に口語アラビア語が本格的に進出する前(1900年代前半)の世代の人でその人に教わって以降「実際は混ぜて使う」と情報を上書きしてくれる人がいなかったか、日常的にアラビア語を運用せずアラブ諸国でのアラビア語に関するここ数十年の現状を直接見聞きされていないか、知りながら批判記事作成目的から「そんな話し方をすること自体あり得ない」ことに話を変えてしまわれたかのどちらかになってしまうため、アラビア語に長じた専門家として「正則アラビア語とエジプト口語をゴチャ混ぜにして話している。そんな話し方をすること自体あり得ない」といった都市伝説的な解説を長年にわたり色々なメディアで提供されている理由については大いに謎が残る部分となっている。
29)日本で6カ月程度勉強したレベル
▶日本で半年アラビア語を学習した人は、たどたどしくても会話をできないのが普通かと。日本で半年初級文法を勉強して「うー」「あー」混じりであっても一応言っていることがなんとなく通じる会話になるというのは、むしろだいぶできる部類に入るとの印象。東京で開催された複数イベントで原稿を読んでいる時は言い淀みが少ないので、もし原稿が発音記号100%ありのアラビア文字テキストだけということであれば意味は完全に理解できていなくとも半年勉強した人よりは音読がスムーズにできている状態。
▶ネイティブのアラブ人で日本人を多数教えた経験が無い場合、非ネイティブの学習者がどのぐらい勉強するとフスハーで会話をできるようになってくるかといったことは正確には判断できず、アーンミーヤが難しいと訴える日本人学習者の悩みを理解するのも難しいことが多い。「日本で6カ月程度勉強したレベル」は日本人学習者の一般的な習熟度に通じていない人物による個人的感想であり、適切な表現でない恐れがやや強いとの印象。
▶卒後かなりの年数が経過した小池氏のアラビア語については、その忘却分も加味した上で、エジプトにて習得できた文語アラビア語と口語アラビア語がどのようなものだったか、どういう部分を間違っているのか、日本人学習者で留学経験のある人物としてどの程度のスキルだと判断すべきか、などを適正に解説でき、かつ文語と口語の両方の事情に通じたアラビア語の日本人専門家に話を聞くのがベストだと思われる。
2020年1月9日記事
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58847
30)小池氏のアラビア語で聞き取れるのは「ワ、ハーザー、ドクトル・マイリ(?)・・・ムマッシル、ムマッシル(そして、こちらはマイリ博士です。・・・代表、代表)」「ラアバ、ラアバ(ゲーム、ゲーム)」のみで、ほとんど会話になっていない。また「これらはあなた(あなたの友人?)に」というごく簡単な発言も英語で言っている(本を渡しながら「ゲーム」と言っているのは、数独の本でも渡しているのか?)。
▶十中八九「ハーザー」とは言っておらずおそらく検証者氏側による聞き取り間違い・不要な付け足し。小池氏は主語述語の構文ではなく名詞や人名を挙げているだけのシンプルな意思伝達を行っているが、元々アラビア語にはbe動詞が無いため名詞や人名を挙げるだけでも「~は」「~です」がある程度補われた上で相手は理解するので英語や日本語の時よりも単語を連呼しているとの印象は薄いかと。
▶検証記事では実際には言っていないハーザーが足されているほか、慣例表記によるものなのかここでも定冠詞が除去されている。しかしながら小池氏は「ドクトル」ではなく「アッ=ドクトール」と言っている。また、日本語カタカナ表記では外国語のスィ(si)音をシ(shi)に置き換える慣行があることからムマッシルになっているが、小池氏はアラビア語発音通りのムマッスィルと言っている。検証記事は小池氏が話した通りに書き起こされておらず、アラビア語としての正確性をうたった記事としてはムマッスィルが良いかと。「マイリ(?)」となっているナイリー部分も、小池氏は語末をニスバ語尾ということで長母音で伸ばして発音しているらしいこと、また検証記事ではアラビア語発音を聞き取って書き起こした部分については日本語カタカナ慣例表記ではなく小池氏が行っているフスハー会話に寄せた表記が求められるであろうことから、マイリでもナイリでもなくナイリーが良いものと思われる。(ただし日本の通常記事ではナイリで通っている人物。)
▶記事で確定されず「ドクトル・マイリ(?)」となっている人名部分は、マではなくナの「ワ…アッ=ドクトール・ナイリー」と言っているようにも聞こえる。リビア人のラストネームとしてはマイリー(Mairi)ではなくナイリー(Naili)で複数ヒットすること、イヤホンをして大きな音量でリスニングをするとおそらくナイリーと言っているだろうことを起点としてウェブ検索すれば、ある程度絞れる。日本リビア友好協会ウェブサイトの『両国のミッション・要人の往来』では2010年の欄にリビアの大使館書記官として登場するDr.Ahmed Naili氏が、2009年の欄ではリビア外務省ナイリ書記官として登場。この動画の2009年リビア・ビジネス開発ミッションにも同行し日本からリビアに渡航したことが確定でき、画面には出てきていないものの小池氏の付近に立っていた可能性が非常に高い。そのため小池氏は彼とその名前をカダフィ大佐に紹介、リビア人としてのアラビア語ラストネームであるニスバ النايلي [ ’an-nāyilī(y) ] [ アン=ナーイリー ](英字表記例:al-Naili)から定冠詞アル部分を取った英字表記発音で「ナイリー」と発音されたものと推察される。国連大学協力会ニュースレターによると外交官子息として生まれたナイリ氏(アン=ナーイリー氏)はリビア大使館でリビア-日本間要人会談の設定や留学生支援に奔走してきた人物だとか。上記の記事・出来事の後、同氏は駐日リビア臨時代理大使に就任したという。
▶小池氏が話したアラビア語フレーズでBGMにかき消されず聞こえるのは前半部分の会話で、「ワ…アッ=ドクトール・ナイリー」(それと…ナイリー博士)、「ムマッスィル、ムマッスィル」(代表、代表(の))、「ラアバ、ラアバ」(ゲーム、ゲーム(です))という短い3種。後半でアラビア語スピーチをしているがBGMの音が大きすぎて全体の聞き取りは不可能。
▶「ラアバ、ラアバ」と言っているシーンでは小池氏が体を動かす素振りをしており、かなり厚みのある箱のような物をプレゼントしている。数独も لَعْبَة [ la‘ba(h) ] [ ラアバ(実際にはラァバのような発音) ] と呼ばれているが、見た目からしても数独の本を渡したのではないだろことが察せられる。これについては検証者氏が当時の報道等を確認されずに憶測のみでプレゼント内容に関する説明を書いたことが原因だと思われる。贈った物品は当時の小池氏本人ツイートで「ちなみに、リビアのカダフィ指導者へのお土産はWiiにしました!」と語られている通り任天堂Wiiだったことが確認可能で、四国新聞サイトの鮮明な写真からカダフィ(アル=カッザーフィー/アル=ガッダーフィー)氏が『Wii Sports Resort』らしき箱を持っていることがわかる。そのため、小池氏の体を動かすジェスチャーはWiiでバーチャルスポーツをすることを示したものだったと推察できるかと。
▶Wiiを手渡し握手する前に「シュクラン・ジャズィーラン・(以下BGMかぶりにより聞き取り困難)」(~、どうもありがとうございます)とアラビア語で挨拶しているのがわかる。音の響きからしてこれ以降の挨拶はアラビア語で行っていたことがわかり、他の外交シーン動画同様原稿内容を暗記した感じのアラビア語スピーチがなされたものと推察される。そのため小池氏がWiiゲームを手渡した辺りの会話がアドリブで本来のアラビア語会話スキルに近く、動画後半で比較的流暢にアラビア語を話しているであろう部分が外交に必要なメッセージを伝える際の原稿ありの比較的しっかりした文章としての会話という組み合わせになっているものと思われる。検証記事では「アラビア語での大学教育に耐えられるレベルからは程遠かった」とあるが、アドリブ部分は確かにそうだと言えるかもしれない一方、BGMで消えており検証記事で触れられていない後半部分の外交スピーチメイン部分はアラブ人が「結構しゃべれている」と感じるようなアラビア語ネイティブによる監修・支援を受けた上での言葉運びに切り替わっていることを考慮に入れる必要があるかと。
▶この時のリビア訪問は日本リビア友好協会ウェブサイトに「リビア・ビジネス開発ミッション」として記録があり、リビア政財界の重鎮らと次々に面会を行ったことがうかがえる。
2020年6月22日記事
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61009
31)4年間アラビア語で勉強し、教科書を読み、毎年論文式の試験も突破して卒業したのなら、フスハーで話せないことはあり得ない。英語でも同様だが、普段その外国語で話す環境になくても、その言語で文献を読んだり、文章を書いたりしていれば、それとほぼ同じ水準で話すことができる。
▶アラビア語圏の国立大学に聴講生なり正規生なりの形で留学したことがあれば「アラブの国立大学で普段フスハーの本を読みフスハーで作文していればスピーチ練習を一切しなくても自ずとほぼ同じ水準でフスハーを話せるようになることなど、まずあり得ない」とわかる部分で、アラビア語圏における特殊な文語-口語二層状況を熟知していないと判断され得るリスクがある。アラビア語の文語-口語併存状況(ダイグロシア)ならではの特徴、英語学習と事情が大きく違っているため、安易に英語学習にたとえるのは不適切だと思われる。アラビア語学習の実体験がある人、アラビア語を使った研究をしている人なら「アラビア語は本が読めるようになってある程度の作文ができるようになっても、会話ができるかどうかは別物」だと実感したことがある方も多いのでは。アラビア語は文語の口語の教本・辞書は分かれているので、昨今の四技能育成型英語教材とは違いフスハーによる会話でも欠かせないつなぎ言葉(フィラー、filler)などの習得に適した環境とはあまり言えず、文献を読むのは楽になったのに偏ったフスハー語彙で日常会話をしようとすると日本語の「あー」「うー」が出たり比較的初期に覚える口語つなぎ言葉「ヤアニー」を多用してしまうといった形態になりやすい。
▶アラブ人はごく一部を除き「フスハーの文章を書くスキル≠フスハーで話すスキル」である方がむしろ普通。小学校からいわゆる国語教育としてアラビア語のフスハーを学び続けるのに流暢にフスハーでスピーチする能力が向上しないまま社会人となるアラブ人が多いことはアラブ諸国のアラビア語専門家らの間で非常に問題視されており、衛星放送とネットにおけるアーンミーヤの洪水状態に押されてフスハーへの関心が次第に薄まり、高いフスハー運用能力を備えたアラブの若者が減ってきていると警鐘が鳴らされたりもしている。日本人留学生についても同様で、フスハーを多用する環境にある学科を除き、日常会話はアーンミーヤで読み書きがフスハーという具合に「話す」技能だけ口語寄りになりやすい。
▶アラビア語学科やイスラーム宗教家養成系大学・宗教学科などの一部人文系専攻を除きアラブの大学は少々のフスハーによる講義と大半を占めるアーンミーヤによる講義とで構成されている。昨今は高等教育の外国語化が進んでおり、アラビア語ではなくフランス語・英語で授業が行われるため大学入学以降アラビア語スキルが磨かれないまま専門用語ごと外国語で学び取るということも増えてきている。そのためネイティブ学生も留学した日本人学生も「実際に話すのはアーンミーヤで、フスハーは四技能のうち読む・聞くがメイン。フスハーで書くのすらあまり得意ではない人もいて、フスハーで何分もしゃべるとなるともっと無理…」のがよくあるコース。
▶アラブ人は日常生活でフスハーを使わないためフスハーでスピーチする能力を伸ばす意欲を持たない場合が多く、エジプトは特にその傾向が強い地域。エジプトは大卒者でもフスハーでの会話が苦手な人の割合が高めなことで知られ、「フスハーは筆記で点数を取れればそれでおしまい」と割り切っている学生が多い。エジプトは昔から日本人留学生の間で「モロッコとかほどではないものの、みんなアーンミーヤでしゃべるしフスハーで話しかけるのも嫌がられたりするので、住んでもフスハーで話す能力がアップしづらい」ことで有名な国の一つ。エジプトに住んでいながらフスハー能力を最短期間で向上させるために周囲のエジプト人との会話までフスハーで通し3~4年でかなり話せるようにするのは可能だが、アズハル大学あたりに留学しているのでない限り相当な変わり者として扱われてしまうため、アーンミーヤを避け続けるのは難しい。エジプト留学経験者のフスハー会話能力については、そうした現地事情を考慮に入れる必要もあり。
▶日本人でこれまでに留学してフスハーがペラペラになった人は、主にアラビア語学科や宗教大学の卒業者や外交のために専門訓練を受けた外務省員など。アラビア語を専門としている人物でエジプト事情をある程度知っている人であれば「エジプトの大学の社会学科は日本人留学生がフスハーの会話能力を向上させられる環境だ」と考える可能性は低く、「本を読んで課題は書けるかもしれないけど、しゃべる方はばりばりのエジプト方言なのでは。無理してフスハーをしゃべらなくていいと言ったら、エジプト方言オンリーに切り替わってもうちょっとスムーズな会話ができるのでは。」と受け止める方が自然かと。
▶この一文はエジプトはエジプト人の大卒者でフスハー会話を苦手とする割合が高めであること、英語などとダイグロシアのアラビア語とでは事情が大きく違っていることを熟知していない人物の発言であるとの印象を与える箇所。エジプト人は学術的なフォーラムなどでも「フスハーが苦手だから」と断ってエジプト方言まじりで話し続ける人がいるなど、アラブ人とフスハーとの関係や各国における若者世代の深刻なフスハー離れと学校・大学におけるアラビア語教育をめぐる盛んな議論を知っていたら「4年間アラビア語で勉強し、教科書を読み、毎年論文式の試験も突破して卒業したのなら、フスハーで話せないことはあり得ない。」という発言などはできないものと思われる。検証者氏は英語で教育が行われシステム自体がアメリカ式のカイロ・アメリカン大学(AUC、The American University in Cairo)大学院中東研究科修士課程を修了されているとのことなので、エジプトの典型的な国立大学で授業を受けた経験は持っておられないことになる。同氏の検証記事においてフスハーとアーンミーヤの関係性や大学教育における文語アラビア語に関する記述が現状と噛み合っていない部分が多いのは、アラブの一般的な大学において少数の例外を除き講義がアーンミーヤの各国方言で行われていること、大学ではフスハーを話す訓練は実施されないためフスハー会話が苦手なまま毎年多くの若者が巣立っていくという現状を知らずに記事を書かれた可能性が高いためだとも考えられる。
32)「博士号を持っていても、まったくフスハーではしゃべれない、という方は普通にいます」という記述に至っては完全に信用できない。
▶アラブ人で博士号を持っていてもフスハーが苦手なアラブ人は数多く実在する。アラブ世界の東側で特にその割合が高めなのがエジプトで、エジプトは院卒の大学研究者などであってもアラブ人が集まる場で「自分はフスハーで話すのが苦手なので」「フスハーで話すのはここでちょっと失礼して」のような発言をすることもある。そのためエジプト在住経験がありエジプト人との付き合いが今でも続いているという検証者氏が、小池氏ほどではないにせよフスハーで話すのが苦手な高学歴エジプト人が少なくないとか、大学や大学院を出た人(ただし学部・学科による差はあり)でも純フスハーでのスピーチを好まずカイロ大学といった国立大学での講義でもそれ以外の公的な場でも文語-口語混合体(中間体)やエジプト方言を使っているといった件を知らないというのはむしろ不自然でもある。そのためエジプトに住みながら英語で授業を行うカイロ・アメリカン大学大学院を修了されその後も仕事でフスハーとエジプト方言を多用していなかったことから来る検証者氏が単にこの問題を知らないまま新規に調べずに「完全に信用できない」と断言しているのか、実は知っているものの告発記事を書く都合上否定しているだけのどちらなのかは不明。
▶アラブ世界ではフランス語や英語で高等教育を受ける人の数が多くなっていることからフスハーがほぼ全くできず、日常会話の口語アラビア語(親や周囲と話す方言)しか話せずそれさえもアラビア文字ではつづれない博士号持ちのアラブ人も実在。高等教育におけるフランス語使用率が極めて高いマグリブ地方出身者では大学生や大学院生などがフスハーをほぼ話せないことも珍しくない。そうした地域では高学歴の政治家がアラビア語でスピーチする時のためにアラビア語原稿を作成する仕事まであるのが現状。昨今では英語教育熱の高まりと子供時代から外国製アプリでのタブレット育児などによりフスハーもアーンミーヤも苦手だというアラビア語をろくに使えないアラブ人の子供も出現している。アラビア語の文語・口語問題や最新事情を追っていれば知って当然の情報だが、小池氏告発を一貫して続け「アラブの大学や大学院を出た高学歴の人間が純フスハーを話せないなどあり得ない」という架空の設定に依拠して検証記事をリリースしているために、擁護者が提供する意見については正しい情報まで信頼性が低いとしてシャットアウトしてしまわれている状態だとの印象。
2024年3月10日記事
https://mdpr.jp/news/detail/4222556
33)①正確に発音できていない、②文法的に間違えている、③単語レベルで間違っている、④質問にアラビア語で答えられていない、⑤質問にとてつもなく見当違いな回答をしている
▶該当の動画で文法を明確に間違えているのは「マンパワー」のパワーを単数形ではなく複数形で言っている箇所と、「できる限り早急に」を忘れて横の人が教えている箇所、できる限り(possible)を本来の男性形ではなく女性形にするというネイティブでもやる人がいるタイプの間違いぐらいなので、全編にわたって何もかも間違えまくりというほどではない。なお質問にはアラビア語で答えており、とてつもなく見当違いな回答も特にしていないとの印象。小池氏の色々な外交アラビア語スピーチ動画の中では英語も混ぜておらず、初歩的な文法間違いはあるものの全てアラビア語で答えられており比較的無難な内容となっている。ただ、質問される内容が事前に小池氏サイドに通達されており回答自体は準備されていたという可能性も否めないかと。
▶文章としては構文も合っており目立ったおかしさはないが、ごく初歩的な文法間違いがあるということは小池氏がその部分を苦手としているという意味でもあるため、「簡単な文法を誤る」というのも確かではある。ただ簡単な文法を誤る割には構文や語順がちゃんとしているという矛盾とも言える特徴があり、些細なミスがある割には文章自体の意味を損ねることが少ないという点に留意する必要があるものと思われる。和訳結果からすると、検証者氏は同格による言い換えの構文をで熟語が並んでいる部分を文法的におかしいと判定した可能性があり、検証者氏側のアラビア語文法運用能力が小池氏の文法・構文能力評価に置き換わっていることも考え得る。
34)単語については、英語で「student」にあたる言葉すらわかっていない
▶これは検証者氏側が誤聴により別の単語を取り違えたことで発生した誤訳が原因の誤判定で、この箇所で小池氏自身は言い間違いはしていない。小池氏は名詞 طَالِب [ ṭālib ] [ ターリブ ](学生)の複数形の一つである طَلَبَة [ ṭalaba(h) ] [ タラバ ] を用いており正しい語彙と複数形となっている。日本人学習者が習う複数形は طُلَّاب [ ṭullāb ] [ トゥッラーブ ] のみであることがほとんどだが、タラバの方もアラブ諸国では多用されており中級以上のアラビア語使用者であれば日常的に見聞きする単語だと言える。検証者氏が本当にそのタラバに思い至らなかったのか、わかっていて小池氏の誤用部分を水増したのかは不明。
▶検証者氏はこれまでにも語末が「ア」の響きになる ـــَ と ـَة の取り違えや見た目が似ている ـة と ـه の混同の事例があったことから、この誤聴もそれが原因だと思われる。
35)小池氏はインタビュワーに「リビア人への具体的な支援をするつもりか」を聞かれて、「もちろん」と即答した後、「リビアの地におけるリビアの人物及びリビアの人々を助けます。新しいリビアの地で」と回答した
▶「リビアの人物及びリビアの人々」は実際には「個人なり集団なりリビア国民」の意で、英語の「the individual and the people」や「the individual and the group」に対応する「個と集団」「個と人民」という意味の熟語( (الليبي) الشخص والشعب)を使っていると思われる部分なので、「人物」ではなく「個人、一人」と訳する必要あり。
▶インタビュー役女性の質問は「あなた方はリビア国民に特定の(/具体的な/何らかの)支援を提供される(ご予定)でしょうか?」だが、単語の解釈により「もう特定の支援策が決まっているのか?」「具体的な支援はもう提供が予定されているのか?」以外に「何か支援は行ってもらえるのか?」までの幅があるものと思われる。مُسَاعَدَات مُعَيَّنَة [ musā‘adāt mu‘ayyana(h)/mu‘aiyana(h) ] [ ムサーアダート・ムアイヤナ ] は直訳が「特定の支援群」で他には「具体的支援」などと訳されたりもするが、「何らかの援助(some assistances、some help)」と英訳されることもあるため、これに対してはひとまず支援予定の有無を表明すれば十分だと言える。「何かリビアに支援をしてくれるのか?」と聞かれ小池氏が「はい、もちろんしますよ。新生リビアの国民たちに個人レベルや組織レベルでの支援をしていきますので。」と回答した流れとなっており、小池氏はひとまず支援の準備があること、個別案件や組織対象の援助という形で早急に取り決めて実行に移していく意向であることを示唆した形となっている。十分に会話が成立しているにもかかわらず小池氏が頓珍漢な回答と判定されている箇所であり、検証者氏による訳や解釈と実際のやり取りとが合致しなかったことで「とてつもなく見当違いな回答」と個人的に受け取ってしまわれたものと推察される。
▶「リビアの地におけるリビアの人物及びリビアの人々を助けます。新しいリビアの地で」とあるが、こういう言い回しの時は بِلَاد [ bilād ] [ ビラード ] を「(人々が居住する)土地(land)」というよりは「国(country)」という意味で使っているので「リビア国(Libyan country)」と訳す箇所かと。また「リビア国」といったん言った直後にリビアが旧政権崩壊後に再出発したことを強調した「新生リビア国」を同格で並べて置いてあるため、構文上「リビア国における」「リビア人の個人なり集団なりを我々は援助する」「新生リビア国」で分断せずに「リビア国―新生リビア国」と並べる必要あり。
36)回答自体、文法がむちゃくちゃだといい「無理やりどうにか意味を取って」訳した
▶無理をしないと意味が取れなかったのは検証者の個人的な事情によるものだと思われる。文法は男性形/女性形や単数形/複数形という初歩部分の間違いだが意味が取れなくなるタイプのミスではないこと、またフスハーとエジプト方言が混ざっただけの癖の無いトークなので登場する語彙や熟語を知っていれば聞いて容易に理解できる回答となっている。フスハーがほぼできないマグリブ(マグレブ)地方の人が無理をしてマシュリク地域の人と話す時のアラビア語より遥かに構文や語彙が整っており、アラビア語ができない人物だと評される割には文法的が著しくは間違っていないのはネイティブが原稿を作成した可能性もあり、実際には小池氏の外交スピーチは破茶滅茶だと形容できないものも意外と多かったりする。小池氏の歴代のアラビア語スピーチ動画をネット上でできる限り探して全編視聴したが、意味を取るのに苦労するようなものは見当たらなかった。
2024年4月20日記事
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/80465
37)カイロ大学文学部社会学科を訪れて話を聞いた。その回答は「社会学科では1976年当時、卒論が必須で、現在もそれは変わらない」というものだった。
▶カイロ大学文学部の規定・細則や社会学科の科目説明と合致しない部分。カイロ大学文学部社会学科に訪れた事自体は事実だったとすると、現在卒論があるという部分が現状と矛盾。検証者氏が卒業プロジェクトの話を聞いて卒論と誤解したか、社会学科関係者の説明内容自体が脚色だったかのどちらかの可能性が出てきてしまう形となっている。
▶現在のカイロ大学文学部社会学科カリキュラムでは4年次後期(カイロ大学文学部内規PDF69ページ)に卒業プロジェクト(مشروع التخرج)なる社会学の研究・論考(بحوث اجتماعية)を行うフィールドワーク系の授業が用意されている。しかしカイロ大学文学部内規の社会学科の項目には卒業プロジェクト(مشروع التخرج)の記載はあるものの卒業論文が義務化されているとか、各自が個別に卒論を作成・提出し及第しないと卒業できないといった記述は無い。他の情報も総合するとこれは個人ないしはグループで取り組むフィールドワーク形式実地訓練で、作文、口頭、修士論文提出時のような討論会、学生グループによるパワーポイント使用発表を行い内容や考えについて質問が行われるとのことで、日本の卒論の制度と大きく異なっていることがわかる。そのため、「今もカイロ大学社会学科には卒論制度があり、各個人が書かないと卒業できない」と誤解させる解説は事実誤認・不適切だと言える。
2024年4月24日記事
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/80469
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/80469?page=3
38)ムハッタス(specialist)、ムサッジル(registrar)、ムラーキブ(controller)、ムラージウ(checker)
▶全て定冠詞抜け。定冠詞を全部抜いてカタカナ化するのは日本語表記時の慣例だが、ここではアラビア語検証記事なので定冠詞がある方が良いかと。実際の文面通りに記載するならば全て定冠詞「アル=」が必要。書類に書いてある通りにカタカナ化する場合は、アル=ムフタッス、アル=ムサッジル、アル=ムラーキブ、アル=ムラージウ。
39)ムハッタス(specialist)
▶検証者側による文法間違いと誤読。派生形第8形重子音動詞(ダブル動詞)能動分詞/受動分詞共通語形の読み間違いによる誤読と定冠詞抜けで、実際の文面は「アル=ムフタッス」。ムハッタスだと本来の خ ص ص ではない非実在の خ ت ص を語根の組み合わせとみなしたことになり、語形としても派生形第2形動詞の受動分詞になってしまう。第2語根と第3語根が同じ子音字である動詞はアラビア語初級学習者がつまづきやすいポイントで、通常の強動詞とは少し違う語形に変化してしまうことから文法スキルが不足しているとこの「ムハッタス」のような誤読が起きやすい。ただ時事アラビア語なども含め頻出単語であるため第何形の派生形かを意識しなくとも学部1~2年生で触れて覚える基礎的語彙であることから、能動受動共通語形ムフタッスをこのように誤読するということは極めて稀との印象。
▶「al-mukhattas」や「mukhattas」と検索してもGoogle検索ではわずかな結果しか表示されず、المختص の当て字としてこの読み方をしているのは日本のサイトが掲載しているこの検証記事の英訳版のみとなっている。そのためネットに出されている記事で「mukhattas(ムハッタス)」と誤読しているのはこの検証記事だけ、ということになるかと。日本人学習者の大半が使用してきたHans Wehrの辞書にはどのように発音するかを示したラテン文字転写「muktaṣṣ」(ムフタッス)が添えてあること、学習者向けの辞典では母音記号がふられていて誤読が難しいことからすると、検証者氏が検証作業に使ったアラビア語-英語辞書が詳しくないコンパクトなものだったか、辞書見出しには発音記号が書いてあるもののそれを検証者氏側が正確に読めなかった可能性も考えられる。ネイティブでフスハー既習のアラブ人が非ネイティブの初級学者でも比較的早い時期に教わる頻出単語 مختص をムハッタスと誤読することはまず無いため、ムハッタスという誤読とmukhattasという英字表記はおそらく日本人検証者氏によるものだったと思われる。
▶specialistとあるがここでは「専門家」ではなく「担当者、専任担当職員」といったニュアンスの部分。そのためカイロ大学の他の書式の卒業証書や他の大学の卒業証書だと الموظف المختص という表記になっていることも。ネット上の複数画像を見る限り、カイロ大学の他書式アラビア語版証書や英語版卒業証書にはこの担当職員署名欄が無い模様。またベンハー大学の英語証書はこの欄に当たる部分に「Official in Charge」、アレクサンドリア大学は「Officer」や「Prepared by」といった記載を行っている様子。要は担当部署の証書作成係の名前を書く欄らしいので、「スペシャリスト(specialist)」以外の訳が適当だったのでは、との印象。
40)ムディール・アーンム・アッ・シュウーニ・タアリーミーヤ(general director for educational matters)
▶冠詞の位置と名詞-形容詞間での不一致ならびにアラビア語構文としての誤り。この語の並べ方だと「アーンム」はこの位置に置くことはできないが、実際に مدير عام الشؤون التعليمية(ムディール・アーンム・(ア)ッ=シュウーニ・(ア)ッ=タアリーミーヤ)としているネイティブ作成文があり、よくある誤用の類に当たるかと。ネット上にアップされているカイロ大学の卒業証書画像にも مدير عام التعليم といった عام の位置等が不自然な表記があり、正則文法としては問題があるものの慣用的に証書に書き込まれてきた慣用の言い回しである可能性が高い。
▶ただし検証記事では一般的誤用から更に定冠詞が除去された مدير عام الشؤون تعليمية(ムディール・アーンム・(ア)ッ=シュウーニ・タアリーミーヤ) になってしまっている。このように「定冠詞&限定名詞+定冠詞&形容詞」とすべき部分で「定冠詞&限定名詞+形容詞」とするのはメディア学部等卒業生の割合が高く文語アラビア語文法に明るくない人材が比較的多いとされる新聞やテレビ放送でしばしば起こるとされる部類の誤用と言われ、アラビア語誤用に関する専門書他でも挙げられている事項となっている。文法的には المدير العام للشؤون التعليمية(アル=ムディール・(ア)ル=アーンム・リ・(ア)ッ=シュウーニ・(ア)ッ=タアリーミーヤ)とするのが正則的で、実際にアラブ諸国でもこの言い回しが使われている。形容詞による後置修飾と被修飾語である直前の名詞との数・性・定/不定の一致ルールから「アッ・シュウーニ・■■■タアリーミーヤ」の■■■部分には定冠詞の付加が必要で、分かち書きであれば「アッ=シュウーニ・アッ=タアリーミーヤ」ないしは実際の発音に即した「アッ=シュウーニ・ッ=タアリーミーヤ」などとすべき部分。
▶なお、ネット上のカイロ大学の卒業証書画像では上記とは異なる مدير الشؤون التعليمية(ムディール・(ア)ッ=シュウーニ・(ア)ッ=タアリーミーヤ)といった役職名での記載も見られた。
41)敬称に「サイイダ」(Ms.)ではなくサイイド(Mr.)
▶定冠詞抜け。実際の文書では定冠詞がついているので、書くとしたら「アッ=サイイダ」や「アッ=サイイド」。ただし小池氏のもう一つの卒業証書では未婚女性に使う敬称「アル=アーニサ」が使われていることから、”敬称に「アル=アーニサ(Miss)ではなくアッ=サイイド(Mr.)”とすべき部分となっている。
▶正しくは”敬称に「アル=アーニサ(Miss)ではなくアッ=サイイド(Mr.)”かと。既婚者と未婚者とまとめて「Ms.」と呼ぶことは米国の女性権利運動として1960年代に始まり1970年以降に各国で少しずつ広がっていったもの。小池氏が卒業した当時はそうした欧米式の敬称つけに関する認識は今よりもずっと薄かったはずだが、アッ=サイイダを「Mrs.」と「Ms.」両方にあてることは現在に至るまでアラブ世界では浸透しておらず、エジプトの各大学の卒業証書における敬称も未婚女性を既婚女性と同じ「アッ=サイイダ」と呼ぶことでは統一されておらず、女性学生に対して授与される卒業証書の敬称もまちまちである模様。エジプト人女性本人が提供している本人個人アカウントやエジプトメディア取材記事に載っている偽物ではないと思われるエジプトの大学証書画像を実際に複数見た限りでは、
●比較的最近出された証書でも未婚女子学生は「الآنسة」(アル=アーニサ、Miss)になっていることが多い
●男子学生と同じ男性形の敬称「السيد」(アッ=サイイド、Mr.)になっているものがネット上に複数例ある
【小池氏の証書と同じケース】(例1:苦労して優秀な成績でカイロ大学の法学部を卒業した女性のニュース記事では卒業証書の敬称部分が男性形のアッ=サイイドになっている)(例2:父親に女子教育を禁じられた女性が30代でカイロ大学法学部を卒業した時のニュース記事・写真では卒業証書での敬称部分が男性形のアッ=サイイドになっている)
●未婚か既婚かはわからないが「السيدة」(アッ=サイイダ、Mrs.ないしはMs.相当?)のこともある
●2019年にカイロ大学で法学を修めたイエメン人女性に関する報道記事で掲載されていた英語卒業証明書では「Mr / Ms」となっており男子学生・女性学生共通のフォーマット、かつ「Mr / Mrs / Miss」ではなく今どきの「Mr / Ms」という敬称が採用されている。
●敬称ではなく「الخريجة」(アル=ヒッリージャ、エジプト発音:アル=ヒッリーガ、女子卒業生)となっていることも
●卒業仮証明などでは「الطالبة」(アッ=ターリバ、女子学生)となっていることもある
(*エジプトで起きた殺人事件を報じるニュース記事では犠牲者の女性がメディア専攻を卒業した時の証書写真が掲載されており、男性学生という意味の「الطالب」(アッ=ターリブ)という肩書きがついているほか、「取得した」といった動詞も男性形になっており、男子学生と同じフォーマットを使って証書が発行されたことを示している。)
●敬称の類が無く、直接本人のフルネームが書き込まれていることもある
など、実に多種多様。
▶女性卒業生であるにもかかわらず男子学生と同じ「السيد」(アッ=サイイド、Mr.)になっている複数事例については、上記の通り現地報道の画像中やネット上に出回っている本物であろう証書ならびに偽物実例証書それぞれの画像から確認できる。「卒業証書で敬称がアッ=サイイドになっているから絶対に偽物書類だ」という断定は、他の事例でも同様にそうなっていることを確認しなかったからなのか、女性卒業生に男性敬称つきの証書を出す事例が実際にエジプトにはあることを把握しながら公表せず「女性の証書に男性の敬称をつけるなんて怪しいしさすがにエジプトでもあり得ないから偽物なはずだ、きっと詐称に違いない」という疑念を読者に抱かせ詐称の何よりの証拠だと誤認させることを目指したものなのかは不明。
▶小池氏はエジプトで学生結婚をされており卒業時(1976年)はまだ離婚後だった模様。もし既婚だったのなら「アッ=サイイダ(Mrs.)」の敬称が最も適切だったと言えるが、実際には既に独身に戻っていたことから流麗なカリグラフィー書体で書かれた証書の方では未婚女子学生であることを表す敬称「الآنسة」(アル=アーニサ、英語の「Miss」に相当)が使われているのを確認可能。カイロ大学側は入学時同様、独身女子学生として扱いの未婚女性の卒業として敬称をつけ記録していたものと思われる。
▶今でもアラブの大学生や若者世代に対しては女性がアル=アーニサ、男性がアッ=サイイドなりの敬称をつけることは変わらずアラビア語学習者が覚える基本語彙ともなっているが、検証者氏が在籍していたカイロ・アメリカン大学が早い時期から米国式に「Ms.」を導入し1970年代から女性卒業者へ発行する全ての卒業証書を「アッ=サイイダ」で統一していたため本検証記事がこのような記述になったのかどうかは別途確認の必要あり。
▶アラブ人は日本人のフルネームを原音に近く音読するのが苦手で名前を見ただけでは性別が区別できないというのは事実なので、「アラブ人やエジプトの大学事務がすることはあり得ない」という先入観を捨てる必要あり。管理人も過去に何度か目にしたことがあるパターンで、アラビア語ニュース記事でもまれに日本人女性のフルネームに男性の敬称がついていることがある。カタール(カタル)の新聞サイトでは小池百合子氏が「ミスター・ユリコ・コイケ閣下」(سعادة السيد يوريكو كويكي)になっている例、国連のアラビア語文書では川口順子氏が「ミスター・ヨリコ・カワグチ」(السيد يوريكـو كاواغوتشي)、他にはアフリカ開発銀行の戸田敦子氏が「ミスター・アツコ・トダ」(السيد أتسوكو تودا)となっている例を実際に確認可能。そのためカイロ大学の職員が男性形のフォーマットで証書を作ったという点以外にも、「アラブ人は比較的簡単に日本人名を見て敬称を足す際に性別を間違える」というのが嘘ではないという点も否定しない方が無難かと。
42)「マウルーダ(女性形)」ではなく「マウルード(男性形)」
▶定冠詞抜け。実際の画像では「アル=マウルーダ」や「アル=マウルード」。アラビア語検証記事なので、一般記事などにおける慣用表記の定冠詞アル抜去は行わない方が良いものと思われる。
43)「ハサルト(女性形)」
▶動詞完了形の活用間違いによる誤読でハサルトは誤り。母音aが必要な部分が無母音化されている正しい発音「ハサラト」(彼女が取得した)とは違う主語の時の語形になってしまっており、ハサルトは「私が取得した」という一人称単数ハサルトゥか、「男性のあなたが取得した」のハサルタの語末にある人称に関わる子音字についている母音を読み飛ばした口語的発音。ここでは三人称女性単数形「彼女は取得した」なので正しくはハサラト(حَصَلَتْ、ḥaṣalat)。検証者氏が完了形動詞の人称・数・性による変化という基礎文法を忘れたことによる誤読だと思われる。
▶これの口語読みで重子音化して聞こえる発音に即してハサラットと書く人もまれにおり、検証記事シリーズでは同様の三人称女性単数形語末部分は「イッリ・ファーテット」のように「ト」ではなく「ット」の付加となっている。そのため検証師が活用間違いをしていなければ記事では「ハサラット(女性形)」となっていた可能性が高い。
44)「(~の)求め」にも「タラブハー(彼女の求め)」ではなく「タラブフ(彼の求め)」
▶直前に前置詞があるので証書の中に出てくる形の通りに発音するのであれば属格で読む必要があり、タラブハーもタラブフもフスハー音読時の発音を示すカタカナ表記としては厳密には誤りに当たる。タラブハーやタラブフと読むのは格変化部分の誤読か、格変化部分を無視して全部同じ母音と語形で読み上げるアーンミーヤ的な読み方。ここでは前置詞アラーが前にあるので、フスハー度が高い音読をする場合はそれぞれタラビハー(طَلَبِهَا、ṭalabihā)とタラビヒ(طَلَبِهِ、ṭalabihi)*。
*アラビア語本来の古典的発音はタラビヒー(ṭalabihī)。
45)「乱れ」の3点目は、小池氏の卒業証明書には大学の収入印紙が逆さまに貼られていることだ。他の卒業証明書には、そういう例は1つもない。スペースの都合上やむなく、収入印紙を横に貼ったものはあるが、小池氏のものは、スペース確保とは関係なく逆さまに貼ってある。
▶検証者氏が見せてもらった卒業証明書ではたまたま収入印紙が逆さまになったものが無かった可能性がある。エジプト人たちがSNSや就職サイトなどで卒業報告している投稿を見ると、本物だと思われる卒業証明書で収入印紙が上下逆になっているものが含まれている [ 例 ]。検証記事ではカイロ大学事務の作業ぶりを高く見積もりすぎており、実際に起こっているような適当な仕事が排除されてしまっている形となっている。小池氏に関する記事で「エジプトならなんでもありだ」「日本人がエジプトのことをよくわかっていない」といったことを書いている一方、小池氏の卒業証書の不審な点を水増しするためにはその「エジプトの事務なら収入印紙を逆や斜めに貼るぐらい絶対にあるだろう。エジプト人の卒業証明書を多数確認したらきっとそういうテキトーな証明書が出てくるはずだ。」という可能性を排除しており、矛盾する形となっている。
2024年4月25日記事
https://news.yahoo.co.jp/articles/d75f3b226c0ab8e05c68b02e7d4cd24b8c296dad?page=2
46)アラビア語にはコーランにも用いられる文語と文字にできない口語の2種類がある
▶口語アラビア語が文字で表現できないという説明は誤り。昨今の各国アラブ人たちは普段の日常会話で話している方言をそのままアラビア文字でつづるということを普通に行っており、SNS・動画投稿やコメント類もアラビア文字筆記の口語アラビア語があふれ返っている状態。「文字にできない口語」というくだりは「作家・知識人らがフスハーでない要素にアラビア文字をあてがうことを敬遠していた時代は口語アラビア語の文字化が一般的ではなかった」という昔の状況「文字にしようとしない」が誤解され「文字にできない」となり、かつ口語アラビア語を取り巻く環境がすっかり変わった現在の状況として100年ほど前の状態が持ち出されて説明されたものだった可能性が考えられる。
▶口語アラビア語はアラビア文字でつづることが不可能な言語なのではなく、元々口伝文化だったアラブ世界ではアラビア文字で書くことはフスハー専用だという意識が強かった。近代以前でも方言での語彙に関する記録や一部口語表現を混じえた詩などが書かれるなどしたり、アラビア文字表記に当時の方言における子音の置き換わりが反映されたりしていたことから、口語アラビア語をアラビア文字で記録するという行為自体は、元々物理的・システム的に不可能だという訳ではなかったと言える。
▶本格的な口語アラビア語の筆記がムーブメント化したのはアラブ世界の近代化が始まって以降とされる。アラビア語に関してもラテン文字表記や口語を取り入れた小説の発表など新たな試みが多数なされるなど、状況は大きく変化。エジプトでは1857年にエジプト農村の説話や詩歌を口語表現そのままに掲載した『هزّ القحوف في شرح قصيدة أبي شادوف』が出版された [ ソース ]。また非ネイティブ向けの口語アラビア語教材に関してはラテン文字で転写するといったことも行われた。それまでフスハー文を汚すとして敬遠されていた方言会話の大幅導入という動きは1900年代半ば頃に加速し、エジプトのナギーブ・マフフーズやスーダンのアッ=タイイブ・サーレフといったアラブ世界が誇る文豪らが口語会話を特徴とした作品群を発表した。全編エジプト方言のみで書かれた小説第1号『قنطرة الذي كفر』は1940年代に執筆され、1960年代初頭に発刊。そのため検証者氏がエジプトに留学される前には、フスハー小説のせりふ部分のみとしてだけでなく、小説の全体を口語アラビア語で執筆できることが既に実証済だった形となっている。また、1963年にエジプト国営TVで放送されたエジプト人文豪・知識人らの座談会では、フスハーベースの小説に口語会話を混ぜるという行為を出演者らが自らの作品でもそうしていること、書籍における文語と口語の混合が数十年前(つまりは1900年代の早い時期)から続いている議論であること、口語会話を作品に取り入れること自体は西暦800年代に活躍したアル=ジャーヒズも行っており決して新奇ではないことが語られており、口語アラビア語のアラビア文字による表現の歴史自体はかなり長いことがわかる。
▶録音技術や書き残すという習慣が定着していなかった時代の大衆芸能や詩歌はかなりの割合で忘れ去られてしまったが、現代では各地で人気の口語詩がネット上で発表され、文字化されたテキストや本人が朗唱している様子を撮影した動画が拡散され人気を博している。イラクのシーア派追悼詩界隈でも詩の本文、朗誦者による公式ビデオ(音楽のミュージックビデオとほぼ同じ)が有名ポップソング並みの視聴数を獲得するといった、巨大な動きとなっており、口語アラビア語のアラビア文字表記という行為の存在感は非常に大きい。
47)彼女の文語は初歩的で、文語を話す際にも口語が交ざる。カイロ大を卒業できるレベルでないのは明らか
▶小池氏がフスハーオンリーで話さないことを攻撃材料とするために、アラビア語解説としては不適切な説明になっているものと思われる箇所。カイロ大学を卒業した知識人も極端なフスハー信奉者でない限り文豪も文語-口語混合体(中間体)を使うのがエジプトではむしろ普通。単に文語アラビア語と口語アラビア語を混ぜているだけではその人物のアラビア語が初歩的であるとは断定できないので、誤解を招く表現。実際には中間体(混合体)話者は
・文語アラビア語に極めて堪能
・文語アラビア語はまずまず話せる
・文語アラビア語が苦手で語彙力と文法力が不足しておりフスハー会話を試みるも明らかに無理をしている様子がある
といった様々なケースに分かれるため、それらをふまえた上で本件がどのケースに該当するのか説明してないと日本人読者は「フスハーとアーンミーヤを混ぜて話すのはアラビア語が下手だという証拠に必ずなる」と誤解してしまう恐れがある。
2024年6月18日記事
https://bunshun.jp/articles/-/71481?page=2
https://bunshun.jp/articles/-/71481?page=3
48)1970年代のアラビア語に精通した専門家
▶アラビア語の文語は基本的に大きく変化せず特に近代以降はさほど大きな変わりは無いので、「1970年代のアラビア語に詳しいアラビア語研究者」といった肩書きでアラビア語の専門家をしている人は基本的には存在せず、アラビア語界隈では聞かないタイプの表現となっている。実際には「1970年代のアラビア語に詳しい専門家」という条件では探さなかった可能性が考え得る。
▶本件は、中世であれ現代であれフスハーに通じていること、アーンミーヤのエジプト方言をある程度使えること、エジプトの大学の規約や卒業生課の案内を検察・閲覧・翻訳できること、フスハーとアーンミーヤを使ってエジプトの学生や大卒者たちの投稿から証書発行等の情報を得られることなどができる人物を探して検証を依頼するような案件だと思われるが、”7つの重大証拠”に情報確認不足から来る誤解が多数含まれることから、依頼した人物には全体の情報の精査や情報収集による最終的な詰めまでは頼まなかった可能性も考えられる。
▶アラビア語に精通した専門家に依頼したとあるものの、ディーワーニー書体で書かれたヒジュラ暦月名の見落とし・書籍の活字書体と同一であるインド数字(アラビア語数字)7と8の取り違え・構文間違いといったアラビア語の専門家であれば起きないような誤用が複数発生していることから、実際にはアラビア語科などに在籍するアラビア語の専門家を新規に探して依頼したのではなく、アラビア語学習経験があり中東に関連した何らかの立場の知人等に依頼した可能性もあるかと。アラビア語の専門家に実際に依頼していればカイロ大学やエジプト国立大学の卒業システム・卒業証明書・卒業証書発行スケジュールなどもネット検索で確認できるため、記事にある”7つの重大証拠”のうち半分ぐらいは「重大証拠ではなく、単にエジプト側の大学システムや証書書式の都合」等として片付いたのでは、との印象。
49)小池氏はこれまで一貫してカイロ大学を1976年10月に卒業したと主張してきました。2020年に駐日エジプト大使館がフェイスブックに掲載した小池氏のカイロ大学卒業を認める声明文(カイロ大学声明)にも、1976年10月に卒業した旨が記載されています。ところが、卒業証書には1976年12月29日に卒業したとはっきりと記されている。小池氏の『1976年10月卒業』という主張と矛盾するのです
▶証書には「1976年12月29日に卒業した」との記載は無し。大学委員会が学士号授与を1976年12月29日付で授与すると決定したと書かれているが、エジプトでは10月の追試を受けて卒業した学生を「خريجي دور أكتوبر」(10月ラウンド卒業者)*つまりは10月頃に実施される秋口の追試で卒業所要単位を揃えて5月組(5月ラウンド卒業者、خريجي دور مايو)よりも後に卒業を決めた人たち、という意味で呼ぶ名称もあることから小池氏が「10月の卒業生だ」「10月卒業組だ」と自称することはエジプト式名称と一致しており、矛盾とは言い切れない。エジプトの国立大学サイトでオンライン申請するための卒業生向けフォームでも卒業時期の選択欄がテスト実施時期の名称で表示されるようになっているケースもあり、プルダウンメニューの項目が「دور مايو」(5月ラウンド)」や「دور أكتوبر」(10月ラウンド)であること、つまりはいつ卒業したのかが試験期間の月名で表現される慣行の存在が確認可能。
*خريجيはخريجوの属格・対格語形だがエジプト人が多用しているのが口語と同じこちらなのでخريجيとした。
▶当ページでも述べた通り、9月試験や10月試験と呼ばれている追試は実際には9月~11月に実施。遅い日程だと11月にテスト実施→12月に成績発表と大学の委員会・評議会が認定、及第により卒業必要単位を満たしたかどうかが確定→1月に証書が出る、という流れになるとのことなので、カイロ大学のスケジュールとしては合っている形となっている。そのため当時の社会学科の追試日程と小池氏のエジプト滞在時期が合致していたかを確認しない限り、矛盾があると表現することは難しい。
50)いずれも『卒業証書』の発行時期ですが、発行日の日付がないことに疑問を感じます。
▶手書き卒業証書発行時期を記載してあるのは証書下方にあるヒジュラ暦と西暦を並べた行だが、エジプト人男性がネットにアップしている似たような文面のエジプトのアズハル大学の厚紙証書でも全く同じであるため、エジプト国立大学での卒業証書の定型スタイルだと思われる。日本の卒業証書を基準にした場合に感じる差異とそれに基づく憶測「日付まで書いていないとおかしい」を詐称の裏付けに含めているだけで、エジプトの厚紙卒業証書を他にも閲覧すれば「単なるそういう様式」ということで解決し得る部分となっている。
51)イスラム社会で用いられる暦であるヒジュラ暦(太陰暦)の方には月の記載がありません。専門家が調べたところ、西暦1978年11月はヒジュラ暦では1397年ではなく、1398年に該当することも判明したのです。実際に作成されたのが随分後だったことから、1978年11月に該当するヒジュラ暦での年月日が分からなかった可能性があります
▶アラビア語チェックを頼まれた人物の初歩的な間違いが原因で、卒業証書の手書きアラビア文字を判読できていない、いわゆる日本語の楷書体・英語のブロック体と同じような基本的な書体と同一の明瞭な形状で書かれているアラビア語の数字を正しく読めてないことに起因。この2点から、依頼を受けたのが実際にはアラビア語の専門家ではなかったか、アラビア語をある程度読めているにもかかわらず”重要証拠”の数を増やすために間違いが存在しない箇所に矛盾があるかのようなイメージを読者に抱かせることを目的に創作したかのどちらかになってきてしまうので、かなり問題のある箇所だとの印象。なお「本学部は証明する。Mr.コイケ・ユリコ 1952年7月15日、この日付で日本で生まれた」という構文取り違えの訳からすると前者だった可能性が高いとの印象。
▶元々証書には語末 ـي の下に2点を打たないエジプト式つづり(アリフ・マクスーラではなく ـي の旧形の「二点無しヤー」)が前半2箇所に含まれる
القاهرة فى ذى الحجة سنة ١٣٩٨ هجرية ونوفمبر سنة ١٩٧٨ ميلادية
と書かれている。ヒジュラ暦の ١٣٩٨ は「1398」年のことで証書の中に1397年という記載は一切無い。また ذى الحجة がヒジュラ暦12月に相当するズー・アル=ヒッジャ(ذو الحجة、実際の発音はズルヒッジャ)月の名称部分で、前置詞の後なので属格語形「ズィー・アル=ヒッジャ」(非エジプト式表記は ذي الحجة、実際の発音はズィルヒッジャ)となっている。「後年になってから卒業記録を偽造したため整合性が得られず1398年だったはずのヒジュラ暦の年が1397年になっている」「日本の証書のように月名も書いていない証書がエジプトにあるとは考えられない」というのは告発者が依頼した人物の誤読・誤解であり、実際の証書の記載内容自体には特に矛盾や不具合は存在しない。
▶換算表などもあるため「1978年11月に該当するヒジュラ暦での年月日が分からなかった」という可能性は低いものと思われる。そもそも卒業証書では西暦1978年11月に該当するヒジュラ暦12月の名前が正しく書かれており、訳に食い違いが出た時点で検証者が委託した人物が行ったアラビア語からの訳が間違っていた可能性を考え再点検する必要があったものと思われる。それにもかかわらず1398年という記載が一貫して1397年に見えたということは、アラビア語専門家として記事内に登場する人物が現時点では恒常的にアラビア語の数字の7と8を区別できていないことを意味するとも言い得る。インド数字(アラビア語の数字)は日本人アラビア語学習者が通常3ヶ月~1年ぐらいで学ぶ内容でアラビア語を続けていれば間違えることは無いため、同人物が昔から間違えていたということでなければ、かつては区別できていたもののブランクが長引いたことで忘れてしまわれたと考えるのが自然かと。(管理人の経験からすると、アラビア語から遠ざかってから数年~10年で容易に忘れる可能性あり。)
52)最終行左側の〈授与された者〉の欄に小池氏のサインがされておらず、右側の〈学生登録番号〉が空欄になっていることも卒業証書の信憑性を疑わせます
▶小池氏ではないエジプト人がネットに公開しているカイロ大学の卒業証書では一部において学生番号・学籍番号は男性だと「رقم الطالب」女性だと「رقم الطالبة」などとなっている。小池氏の卒業証書では「カイロ大学に番にて登録された(سجلت بجامعة القاهرة برقم)」とのみ書いてあり、過去完了形の受動態動詞が使われていることからも、入学時に登録されずっと使っていた学生番号ではなくこうして作成された卒業証書が卒業記録として何番として登録されたのかということを示す通し番号の方を意図していると感じさせるような語形・時制となっている。そのためこれを学籍番号だと解釈することは誤解・誤訳である可能性がある。
53)本学部は証明する。Mr.コイケ・ユリコ 1952年7月15日、この日付で日本で生まれた
▶形容詞修飾や前置詞句による修飾を見落としている可能性があるいわゆる構文解釈間違いに相当する部分で、アラビア語専門家の訳としては珍しいタイプとの印象。卒業証明書の文意・文脈を間違えて訳していると判断される部類の訳で、卒業証明書にはそのような書き方はされていない。またフルネームもコイケ・ユリコの順番ではないため、日本語式の語順に入れ替えるのは不適切だと思われる。証明書本文の1行目冒頭「本学部は証明する」の直後から2行目の終わりまでは証明する内容の主部で、述部は3行目冒頭以降。「本学部は証明する」「1952年7月15日付で日本にて生まれたユリコ・コイケ氏が」「社会学科*学士号を取得した」「1976年10月ラウンdの」「良の評価にて」と並んでおり、これを組み合わせて「本学部は、1952年7月15日付で日本にて生まれたユリコ・コイケ氏が1976年10月ラウンドに良の評価にて社会学科(の)学士号を取得したと、証明する」という構文になっている。
*前置詞の有無の都合上「社会学科の学士号を取得した」ではなく「社会学科」「学士号を取得した」のように文法的なつながりが無い2つを並べたようになっている箇所。
54)小池氏が男性形のMr.で表記されている点です。一部に『カイロ大学が発行した卒業証明書では、よくあること』との指摘もあるようですが、アラビア語の専門家がいる文学部を持つカイロ大学がそのことを自ら“公式に”認めているのでしょうか
▶カイロ大学事務の職員はアラビア語科出身でない可能性が高く、エジプトの事務仕事がかなり杜撰であることを考慮する必要あり。カイロ大学の事務員はアラビア語の研究とは無関係なので、カイロ大学におけるアラビア語研究の威信が揺らぐことには特にならないかと。
▶アラブ人は日本人のフルネームを原音に近く音読するのが苦手で名前を見ただけでは性別が区別できないというのは事実なので、「アラブ人やエジプトの大学事務がすることはあり得ない」という先入観を捨てる必要あり。管理人も過去に何度か目にしたことがあるパターンで、アラビア語ニュース記事でもまれに日本人女性のフルネームに男性の敬称がついていることがある。カタール(カタル)の新聞サイトでは小池百合子氏が「ミスター・ユリコ・コイケ閣下」(سعادة السيد يوريكو كويكي)になっている例、国連のアラビア語文書では川口順子氏が「ミスター・ヨリコ・カワグチ」(السيد يوريكـو كاواغوتشي)、他にはアフリカ開発銀行の戸田敦子氏が「ミスター・アツコ・トダ」(السيد أتسوكو تودا)となっている例を実際に確認可能。そのためカイロ大学の職員が男性形のフォーマットで証書を作ったという点以外にも、「アラブ人は比較的簡単に日本人名を見て敬称を足す際に性別を間違える」というのが嘘ではないという点も否定しない方が無難かと。
55)この発行年月日が最大の疑問点です。『卒業証明書』は1977年1月12日発行と記されていますが、『卒業証書』は1978年11月発行。1976年12月29日に卒業したという『卒業証書』の記述を踏まえると、『卒業証明書』だけ卒業したとする日から2週間足らずのうちに迅速に発行され、『卒業証書』は2年後に発行されたという不思議な順序になるのです。また、卒業日が1976年12月29日だとすると、同年の12月は残すところ30日と31日だけになります。31日はイスラム教の世界では休日の金曜日だったことに加え、小池氏が正月に日本に帰国していたことを考えるとこの日程の中で小池氏は一体、いつ『卒業証明書』の発行をカイロ大学側に要請し、いつ受け取ったのでしょうか
▶1976年12月29日は卒業日や卒業式があった日時ではなく、10月追試の結果が出た後で卒業必要単位が揃った頃が確認される時期に当たるかと。卒業証書のアラビア語本文に関しては、大学の委員会が成績確認をして学士付与を決めた年月日、つまりは10月追試の成績確認を他の学生分とまとめて実施した時期だったことを表している、という理解を読み手にさせるような記述となっている。現在のカイロ大学も10月ラウンド追試が11月という遅めに実施されると12月に成績発表・卒業決定→1月に卒業証明書発行といったスケジュールだとのことなので、白黒写真がついた書類が1977年1月に発行されたことについては一応筋が通るようにできている。
▶年末年始が休みになり大学も休みになる日本と違いアラブ諸国には元々西暦の年末年始を祝う習慣は無いため、平日とあまり変わらないことに留意する必要あり。エジプト人の一部が信仰しているキリスト教のコプト教会についてはクリスマスは12月25日ではなく1月7日という東方教会系の日程。大学が普通にやっている時期なので本人なり代理人を立てるなり遠隔申請なりで取得すれば発行可能な状況ではあったものと思われる。なお現在のカイロ大学スケジュールだと、12月末ギリギリが最終授業日、1月にキリスト教徒祝祭日があること、前期(第1学期)試験期間であることなどがわかる。そのため検証するとしたら卒業証書を自分自身で申請・取得できたかどうかではなく、10月ラウンドの試験が行われる9~11月のうち社会学科のテスト日程がどのように組まれその時に小池氏がエジプトにいたかどうかを確認するべきでは、との印象。
▶エジプトの国立大学サイトでは証書申請・受け取りを代理人がする件に触れている事例あり。そのため小池氏が知人のエジプト人に頼んでおいて早めに取得した可能性を加味して情報確認する必要もあると思われる。特に小池氏が懇意にしていた人物はエジプトの有力者だったため、エジプトであればそういう大物の一声があると通常とは違う迅速なスピードで事務処理が進み委任状が無くても日本にいる小池氏に代わって書類が用意されるということすら起きる土地柄である点を考慮に入れた方が良いのでは、という気も。
▶カイロ大学も含めエジプトの大学には代理申請制度があるため、本人からの公式な委任状や代理申請時に必要な証明証があれば家族や知人でも発行手続きを行うことができる。そのため「いつ『卒業証明書』の発行をカイロ大学側に要請し、いつ受け取ったのでしょうか」は小池氏が正規に卒業証明書を受け取っていないという印象を抱かせる一方、エジプトでのシステムを確認せず憶測で結論づけている箇所に当たる。
▶現時点ではカイロ大学は証明書の郵送による受け取りにも対応しており、居住地からオンラインもしくは書類で申請し銀行送金等で発行手数料を振り込むことで入手が可能だという。そのため当時こうしたシステムがあったかどうか、本人がエジプトに赴かずに済んだのかの確認が必要かと。ただ仮に当時から同様の申請方法があったとしても、実際に送金が上手くいき希望のタイミングで書類が作成・到着するという保証が無いのもまたエジプト式だと配慮に入れる必要もあり。
▶アラビア書道作品のように見える卒業証書は普通の大学職員ではなくアラビア語書道の素養がありディーワーニー書体で書いてくれる証書書き・書道家(خطاط、ハッタート)に依頼するらしく、卒業証明書が成績発表後にすぐ取得でき、手書きの卒業証書が遅れるというのがアラブ諸国の一般的な順序となっている。小池氏の手書き卒業証書発行までのブランクが長い件についてはエジプト的には大いにあり得るというかむしろ通常運転だとの印象だが、実際にカイロ大学にありがちな大学の事務業遅滞といった事情があったのか、卒業経緯に矛盾があったからなのか、精査しないと確定は難しいと思われる。なお『挑戦 小池百合子伝』には簡易の証明書はすぐに出たが手書きの証書は何年も待たされる状態だったと書かれている。現在のエジプト国立大学卒業生たちも卒業証書(学位記)は卒後2年経ってももらえていないと複数が報告していることから、「『卒業証明書』だけ卒業したとする日から2週間足らずのうちに迅速に発行され、『卒業証書』は2年後に発行されたという不思議な順序」は日本のシステムに当てはめて見た場合の感想で、エジプトの卒業証書事情を調べずに書いた感想だとわかる。
▶エジプトの大学では試験の結果発表で及第の目処が立ち卒業必要単位を満たして卒業するであろうことがわかった学生が入手できる一時卒業証明書/期間限定卒業証明書(شهادة التخرج المؤقتة、temporary certificate)というものもあり、永続的に効力を持つ正式な卒業証明書類(شهادة التخرج الدائمة、permanent certificate、永続卒業証書/終身卒業証書)が出るまでの間隔を埋める存在ともなっているとのこと。従軍や就職などの都合上、卒業決定が出た時点で卒業生たちは取り急ぎ大学の卒業生課に手書きでない方の卒業証明書発行を申請し、軍や就職希望先などに提出するという。
▶日本の卒業式で手渡される紙の卒業証書に相当するものはアラブ世界で通称「الشهادة الكرتونية」(厚紙証書)や「الشهادة الجدارية」(壁掛証書)などと呼ばれている「الشهادة الأصلية」(オリジナル証書、original certificate)でアラブ諸国の学生が大学からもらえる卒業関連書類の一つ。活字による印刷ではないディーワーニー書体等による手書きのタイプについては、卒業生が大学に発行を希望すると大学提携の書道家が書いてくれる仕組みになっているとか。
▶エジプトの各大学の案内では卒業決定が大学から告知されると学生が自分で必要書類を揃えて提出し、料金を払ってから発行される仕組みになっているのがわかる。厚紙の証書は手間がかかるためか普通の大学事務書類にプリントされた卒業証明書(卒業生がアラビア語◯枚、英語◯枚、フランス語◯枚のように選んで申請・取得)よりも高めな金額設定になっている。別途の経費が必要無く卒業式で皆が揃ってもらえる方式になっている日本と違い、初回発行も含め厚紙の卒業証明書類(شهادة التخرج الدائمة、permanent certificate、永続卒業証書/終身卒業証書)、プリントアウトされた卒業証明書ともに自己申請方式かつ有料というシステムになっているらしい点、卒業試験に追試があり証明書受け取り時期は卒業生によって異なる点は一斉に卒業が決まる日本と混同しないよう注意が必要だと思われる。アラブ諸国では卒業からかなり経過した人が「今更になってやっともらえた」「ようやく厚紙証書を受け取った」「やっぱりあるとただの紙の証明書よりも卒業したという実感できる」「お金を出すと作ってもらえる証書」などとSNSに投稿しているので、日本と同じく卒業式に間に合うよう迅速に全員分が作られ特別料金も取らずに卒業式会場で漏れなく配布されるという風に誤解しないよう区別すべき点となっている。
▶ちなみに証明書の氏名を訂正してもらう場合も必要書類を揃えた上で有償で行ってもらう形式だとのこと。厚紙証書(小池氏の場合は手書きの書道書体で書かれた卒業証書の方)の破損・紛失による再発行の場合、外国人卒業生は500米ドルを支払うシステムだという。
2024年6月19日記事
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/81610?page=7
56)小池氏のアラビア語は2歳児レベル
日本で6ヶ月勉強した程度と断じている
▶先述の通り、小池氏のアラビア語は2歳児とは全く別の習得過程を得ており話すアラビア語の種類も全く異なることから適切な比較とは言い難い。また「日本で6ヶ月勉強した程度」も、6ヶ月学習した日本人学習者が平均的にはどの程度のアラビア語をできるのかを全く知らない非アラビア語教育者のコメントであり、実態に合致しない評価であると言わざるを得ない。小池氏のアラビア語は日本でフスハーだけを半年勉強した大学生などとはかなり違う手順で覚えたらしい片鱗があることから、特に同氏のアラビア語については日本で勉強した既習者とタイプが違っている。詳しくはメモ上方の考察を参照されたし。
57)小池氏のアラビア語は「気持ち悪い」
▶これについては個人的な感情がアラビア語評価に加味されている事例であり、通常のアラビア語使用者が持つ印象とは大きくことなる特殊例だと思われる。政治家としての小池氏に対する不信感・嫌悪感と切り分けて考えれば、同氏のアラビア語は単に「昔エジプトでアラビア語を覚えた人が、数十年経って思い出しながら話している」「文法間違いなどはあるが、事前に練習したのかそれなりに意味の通る会話を通じて相手にメッセージを伝えようとしている」「元々アラビア語はそんなに得意ではなかったのかもしれないが、外交では困らないように原稿読み上げや暗記などで乗り切ってきたように見える」だけの光景であり、嫌悪感を催す要素は特に無い。小池氏のアラビア語を気持ち悪いと感じてしまうと、アラビア語が苦手なアラブ人たちの話すフスハーでもアーンミーヤでもなく意味も通らないアラビア語に耐えられない可能性が大きく、色々なアラビア語に慣れているべき「アラビア語に詳しい人物」「アラビア語の専門家」であるという設定と矛盾してしまうものと思われる。
▶管理人は小池氏の書籍と動画に一通り目を通したが、アラビア語に無意識の誤用が複数あることを除けば不自然・悪意ある記述や発言などは特に行っていないように見受けられ、検証記事・コンテンツに多数見られるような改変・脚色・大量のアラビア語誤用なども特にしていないため無難だとの印象。政治家になってからの小池氏はアラビア語そのものに関して無難な発言・解説しか公開しておらず、卒業資格問題や都政が有権者たちに与える不信感などはかなり質が違っており、同氏の話すアラビア語自体はアラビア語を学んでから数十年経っている日本人既習者のそれと似たりよったりで異常性は無いため、小池氏の個人・政治家としての人柄が与える嫌悪感とは明確に区別する必要があるものと思われる。
58)筆者も同感で、年数が経って衰えることを考慮に入れても、「とてもよい面会」を「とても美味しい面会」と言い間違えるなど、アラビア語で大学教育を受け、試験を突破できたとは到底思えない。
▶検証者氏が自分の誤訳・誤解を小池氏の間違いだと信じて「気持ちが悪いという感想に同感だ」と評価している部分。小池氏のアラビア語は際立ってひどい訳ではないが、検証者諸氏がムズムズするような違和感を覚えたのは「フスハーにアーンミーヤを混ぜることなどあり得ない」という先入観をもって文語-口語混合体(中間体)を聞いたことや、実際には自身の誤用・誤解ではあるものの小池氏が大量にアラビア語を間違えているかのように感じられた箇所が多かったことが一因となっている可能性が考えられる。
▶先述の通り”「とてもよい面会」を「とても美味しい面会」と言い間違えている”というのは検証者氏が「辞書に語義は載っているだけで実際には使われないから小池氏が間違いだ」と長年誤解したままメディアで繰り返し報じてきた内容だが、正確には「良い会談、快い会談、楽しい会談」といった意味のフスハー表現で表現としては文語・口語共通。食べ物を「おいしい」と表現する以外に「この人と話していて楽しい・愉快だ」「話し・会談が良い・素晴らしい」という意味があることを小池氏は知っていて検証者氏が知らずに「食べ物が美味であるという意味にしか使わない」と間違えているという、アラビア語語彙力に関して小池氏の経験値の方が高いことを示す事例となっている。「とても美味しい面会」という誤訳を小池氏の間違いとして強調することはむしろ検証者側のアラビア語運用能力を疑問視されることになったり検証記事の専門性・信頼性を低めるという結果になってしまっており小池氏批判としては逆効果だと言わざるを得ない。
▶初級学習者が「とても美味しい面会」と誤訳してしまいやすいムカーバラ・ラズィーザを小池氏が正確に「とてもよい面会」という意味で使えている件は、検証記事の記述とは反対に小池氏が実際にアラビア語を学習していたこと・過去に覚えたフレーズをまだ言えることを感じさせる点ともなっている。この表現を知っているからといってアラビア語による大学の試験を突破できた語学力があるとは断定も否定もできず、文語の聞く・読む・書くと口語の聞く・話す能力が必要なカイロ大学社会学科通学に1年だけのアラビア語下準備でついていくのもまず無理だったのでは…というのもまた事実だが、少なくともムカーバラ・ラズィーザ(良い会談、快い会談、楽しい会談)を小池氏のアラビア語能力の無さの典型例として挙げることは誤りに当たる。
59)小池氏は、タレント時代に手に入れた卒業証書は作りが杜撰だったため、『振り袖、ピラミッドを登る』の扉では、アラブの民族衣装姿の自分の写真とコラージュして隠し、その後、公開した卒業証書を手に入れたのではないか
▶おそらくは書かれた方がアラビア語卒業証書(学位記)の書面を判読できないことから生じた推測。『振り袖、ピラミッドを登る』で使われている証書のアラビア語文面とずっと後になってから日本のメディアに公開された卒業証書は本文部分の筆跡が同じで、アラビア語使用者が2つを並べて見比べた限りでは同一に見える。過去にメディアや自著などで公開済みの証書画像を用意し新旧2つの画像を重ね片方を透過させて比較しても一致している同一卒業証書(学位記)であろうと判断できる重なり具合となっている。この手の厚紙証書は大学提携の書道家がディーワーニー書体で手書きしたオンリーワンであるため、トレース台を使わせ慎重に複製しない限りこれほど似ている筆跡の証書を再発行することは困難かと。そのため民族衣装の写真は証書を誤魔化すために配置されたとか後からもっと見栄えの良い卒業証書を入手し直したといったことは無く、小池氏が同じ卒業証書を保持し続けている可能性の方が高いと思われる。
▶日本では卒業証書の再発行はできないが、エジプトの場合厚紙証書は所定の手続きにより破損・紛失した人向けの対応を用意しているらしく大学公式サイトでも案内されている。小池氏の場合カイロ大学が卒業を公認しているということはカイロ大学内部で作成された書類*ということになるが、カイロ大学も含めエジプトの大学の規則では厚紙証書の再発行は多少面倒で、正規の手順だと破損の場合は破れたりした卒業証書の残骸を持参して提出、紛失の場合は警察に行って卒業証書を紛失したという紛失証明書を作ってもらった上で申請。しかも有償でそれなりのエジプトポンドを支払わないといけないなど、やや面倒。いずれにせよ交換・作り直しなので筆跡などが全部一致する証書が再発行されることは無く、別物が渡されるため透過画像を重ねる作業をしなくても明らかに違う見た目の証書が渡されることになるはずなので、見比べて一致しているようであれば「交換していない」と考える方が自然かと。ネットで卒業生たちが提供している複数画像によるとカイロ大学は過去に色々なフォーマットで卒業証書や卒業証明書を発行しており、デザインが違う書類に入れ替わることが無いまま=小池氏は過去に書類をもらったきり一度も再取得していない、と判断するのが妥当だと思われる。
*エジプトやアラブ諸国の場合、組織的な不正がある場合は内部の職員が本物を使って書類を作るのが一般的。そのため疑義のある証書だとしても経緯からすると大学内部の学事課なりで作られたと考えるのが妥当。
3日でおぼえるアラビア語 著者:小池 百合子 出版社:学生社 |