- 『3日でおぼえるアラビア語』について
- 小池氏のアラビア語能力に関する議論に関して
- 小池氏の著書・動画から推察できるアラビア語能力の実像
- 小池百合子氏のアラビア語動画一覧~スピーチ内容とアラビア語の種類
- 公開後すぐに削除されたキャスター時代のアラビア語動画とその正当な評価とは
- 小池氏カイロ大学卒業証明書・卒業証書の種別説明とアラビア語原文・直訳・和訳・単語解説
- 小池氏卒業証明書・卒業証書・学歴に関する言説とその実際
- よくある感想「写真・印紙がついた薄っぺらい紙が卒業証明書のはずはない」
- よくある話題「小池氏の卒業証明書と卒業証書は大学外の業者から購入した模造品」
- アラブ人鑑定結果とされる「証明書にはカイロ大学卒業を示す言葉が書かれていない」「卒業証明書ではなく聴講生として通っていた時の書類」
- 検証事例「卒業証明書の収入印紙が逆向きに貼ってあるから偽物」
- 検証事例「ミスター(Mr.)・ユリコ・コイケになっているから偽造確定」
- 検証事例「卒業証書には1976年12月29日に卒業したと書かれており小池氏の10月卒業という主張と矛盾する」
- 検証事例「卒業証書に書かれている西暦の年号とヒジュラ暦年号とが合わない。ヒジュラ暦の月名も書かれていない。偽造証書の重大証拠。」
- カイロ大学回答・検証事例「カイロ大学に卒業者名簿掲載の有無を問い合わせたところ、小池百合子氏の名前がデータベースでヒットせず、在学した形跡が見つからなかった」
- カイロ大学回答・検証事例「カイロ大学社会学科は1980年代前は無かったので1976年社会学科卒とされる小池氏経歴は虚偽」
- ネット投稿事例「どこの大手AI翻訳も違う名前の女性の卒業証書だという結果を返してくる」「別人の卒業証明書の盗用だった」「小池氏には隠された本名があった」
- カイロ大学に通うために必要なアラビア語能力とは?
- アラビア語を忘れるということについて
- 現在のカイロ大学カリキュラムと成績・卒業のシステム
- 小池氏関連記事が原因で広まったアラビア語・エジプトに関する誤った情報
- 検証記事・コンテンツに謎解説やアラビア語誤用が多い理由とは?
- 政治問題にからんで作られた解説という特殊な事情
- 正しいアラビア語表現まで間違い判定されている割合が高いという問題
- “美味しい面会”は「良い会談」「歓談」というフスハー表現を間違いだと誤判定してしまったケース
- 形容詞ラズィーズにおけるフスハー発音とエジプト方言発音の違い
- 文語として正しい用法が”美味しい面会”として誤判定された原因とは?
- アラビア語諸学そのものが専門でない方だと、本人が間違いだと気付かないままリリースされる誤解説が多くなりがちという難しさ
- 検証者が手元に置いているアラビア語辞典の冊数や検証に用いる専門資料の数の問題
- 非ネイティブと文語アラビア語(フスハー)・口語アラビア語(アーンミーヤ)両立の問題
- ネイティブチェックを受けたためにむしろ間違いだらけになることもあるアラビア語ならではの事情
- 一般向け検証記事・動画をアラビア語学習教材代わりにすることのデメリット
- 最後に
- 小池氏アラビア語検証・アラビア語解説記事の内容検証
『3日でおぼえるアラビア語』について
★★☆☆☆~★★★☆☆
つづりと連結の習得が大変で挫折の原因になるアラビア文字抜きで
実用会話をなるべく早く覚えたい駐在帯同予定者・渡航者向けのエジプト方言学習書
誤りや文語アラビア語(フスハー)の混ざり込みが多め
著者:小池 百合子
出版社:学生社
著者の方について
国会議員を経て東京都知事に就任された小池百合子氏の経歴はWikipedia等に詳しく書かれているのでそちらをご覧下さい。
小池氏は親御さんがエジプトのカイロで日本料理店(20年ほど営業)店長を務めておりかつてはエジプトに渡航する日本人によく知られた店舗でしたが、開業は小池氏の帰国後とのことで小池氏自身は1970年台前半に単身で留学し1976年末に帰国。アラビア語の通訳・翻訳業以外にも日本アラブ協会アラビア語教室の講師を務められていたそうで『3日でおぼえるアラビア語』にも講師時代のことが書かれています。
なお、現在のプロフィールではカイロ・アメリカン大学付属のアラビア語センターでアラビア語の研修を受けた後、カイロ大学の文学部社会学科へ入学(もしくは編入)・卒業されたことになっている模様です。
*カイロ・アメリカン大学(The American University in Cairo、略称:AUC):
英語で授業が行われるアメリカ式の教育機関で、エジプトの富裕層子女が通う私立大学・大学院として知られています。学費は高いですが、エジプトの国立大学よりも教育の質が高いため日本人大学院生の研究・企業からの派遣・外務省研修などの場として昔から有名でした。
外国人のためのアラビア語教育に力を入れていることでも有名で、フスハーやエジプト方言の教科書・学習書を多数刊行。同大学が開催するアラビア語学習コースにも定評があります。小池氏はアラビア語特訓コースである Center for Arabic Study Abroad(CASA)の1971年度出身者として公式サイトで紹介されています。
本の概要
版ごとの違い
学生社という東京都足立区にある出版社から出ている語学学習書『3日でおぼえる◯◯』シリーズのアラビア語バージョンです。第1版の初刷は1983年で、テレビ局のキャスターになってから書かれた本ということになる模様です。
アラビア語学習書としては2冊目で、1981年に語研から日本語訳+ラテン文字表記(英字表記)+一部アラビア語表記という形式の旅行会話集『ミニ通訳 海外旅行会話 アラビア語』が発売されています。
『3日でおぼえるアラビア語』は初版以降表紙の色・デザイン・プロフィールの掲載位置が複数回リニューアル。また経歴部分も定期的に変更になっているようで、過去の版の画像を見ると大学卒業に関する箇所が修正されたり、議員就任後は現職としてその件が追記されたりと数バージョンがあることがわかります。
ただ本文自体は修正を入れた形跡は特に無いように感じました。私が買ったのは版を重ねてからのものでしたが誤字などがだいぶあり、変更したのは表紙などのデザインやご本人のプロフィール部分だけだった可能性も高そうです。
アラビア文字を使わないエジプト方言の学習書
かつてご自身がアラブ協会でアラビア語講師をされていた時、難しい上に時間もかかるアラビア文字とフスハー文法の学習が原因で脱落者続出だったのに口語会話での簡単なレッスンに変えてから現地生活を控えた受講者達に喜ばれ途中で来なくなる人も減った、という実体験があったのだとか。
また『3日でおぼえるアラビア語』という出版社が設定した無茶な書名に少しでも近付ける必要があったことから、アラビア文字は使わず発音にもあまりこだわらず、気楽に誰もがアラブ世界で通じやすいエジプト方言を学べるように配慮するという趣旨の本にされたようです。
そのためアラビア文字の簡単な説明と文字表が巻末にありますが書き順とかは意図的に省かれています。アラビア文字を使わずラテン文字(≒英字、ローマ字)のみの表記にするというのは昔から世界各国のアラビア語口語(現地方言)学習書で採用されてきた基本形態で、本書もこれを踏襲しています。
この本がアラビア語方言学習書の基本スタイルである英字表記であることから「小池氏はアラビア文字が書けない」と誤解する方がいらっしゃるようなのですが、これはアラビア文字が覚えにくすぎて初学者の障害になるためと、口語アラビア語(アーンミーヤ)である方言には文語アラビア語(フスハー)に無い短母音 e(エ)、o(オ)や長母音 ē(エー)、ō(オー)が現れるせいで英字表記/ローマ字表記にしないと方言特有の発音を忠実に表せないことが最大の理由となっています。
ちなみに、この本に先立って1981年に語研から発売された前著『ミニ通訳 海外旅行会話 アラビア語』は語彙集部分がアラビア語表記併記で、タイプライター打ちしたフスハーでの言い回しが添えられています。そのため小池氏はアラビア語が書かれた本と書かれていない本の両種類を刊行した経験があるということになります。
学習範囲
冒頭でアラビア語とはどのような言語なのかを紹介。その後、アラビア語にてにをはが無い話、名詞の性、定冠詞、挨拶、所有、数、動詞完了形・未完了形、كان(kāna, カーナ)、現地生活で使う会話集、と続きます。
内容的には普通のアラビア語初級学習書と似たようなカバー範囲です。
本当に3日で覚えられるのか?
『3日でおぼえるアラビア語』は小池氏が自分で決めたタイトルだと誤解されている方も結構いらっしゃると思うのですが、これは担当者から指示されたもので事前に決まっていた題名だったとか。
学生社が出したこのシリーズの会話学習書は全部『3日でおぼえる◯◯語』というタイトルで『3日でおぼえるフランス語』、『3日でおぼえるドイツ語』、『3日でおぼえるイタリア語』、『3日でおぼえるスペイン語』、『3日でおぼえるトルコ語』、『3日でおぼえる中国語』などがあり基礎会話を学ぶコースとなっています。

学生社の「3日でおぼえる」語学書シリーズ
画像引用元:Amazon.co.jp(画像使用のためアフィリエイトリンクをつけてあります)
Amazonで口コミを読んでみると他の言語のバージョンに関しても「3日で覚えられるわけではない」といったコメントが書かれていたりするので、無茶すぎる題名については単に出版社の発案の問題だったのでは、と思います。
シリーズのうちアラビア語だけが小池氏問題で有名になったこともあり、政治家としての小池氏の評価や経歴問題に付随して「『3日でおぼえるアラビア語』という嘘っぽいタイトルをつけた本人」といった話が出来上がってしまったものと推察されます。
本の題名については当時の小池氏も疑問を持っていたようで、出版社から『3日でおぼえるアラビア語』というタイトルで売り出すことが決まっている本を書いてくれと頼まれた時にはネーミングに驚かれたとか。本の前書きでは
本書のおそるべきタイトル
と形容。この非現実的な題名を少しでも現実味を帯びたものにできるようアラビア文字は使わないことにした、と説明されています。
『3日でおぼえるアラビア語』自体はエジプト方言既習者なら平日に少しずつ分けて読めば2~3日、週末に集中して読めばひょっとしたら1日で読み終えることができるかも…といった感じなのでアラビア語経験者なら本当に3日以内で読むことができるのですが、全く初めて勉強する場合はさすがに3日では無理で、1ヶ月かそれ以上かかっても不思議ではないです。
語学学習書には大学書林の『ペルシア語四週間』のように「四週間では絶対に終わらない大学書林の語学書シリーズ」などと有名なものもあるので、もしかしたら昔そうした短期間で学べることをイメージさせる題名をつけるのが流行った時期があったのかもしれません。
大学書林の四週間シリーズはその無茶なタイトルが語学学習者たちの間で長年ネタにされるなどしていますが、3日でおぼえるシリーズも案外同様の話題性を狙ったネーミングだったのでは、という気がしました。
エジプト方言教本が希少だった頃のアラビア語学習書として
解説が話し言葉で書かれているのと、「君はもうアラビア語を使っているのダ」といった当時流行っていたであろうカタカナを多用した表現が多いのとで、昭和を感じさせる懐かしい感じの文章になっています。
大学専攻生向けの難しい学習書が多かった時代に「これからちょっとアラビア語でも初めてみようかな」という人のやる気をそがないようにと考慮されたとっつきやすい内容ということもあり、エジプト方言の参考書が十分流通していなかった時代にこの本で勉強された方も少なくないのではないでしょうか。
1980年頃というとエジプト方言の会話学習書は他にもあったのですが、田中四郎先生の『実用アラビア語会話』は初級には難しい既習者向け内容で泰流社の『アラビア語入門』は文法書のような体裁だったことから、『3日でおぼえるアラビア語』は当時珍しい存在だったと言えるかもしれません。
表記や誤字脱字について
発音が似ているものの異なる子音の区別はしていないタイプの表記方法
会話部分は英字でその上にカタカナでの読みガナがついています。学術書や本格的なアラビア語学習書が採用しているようなLC方式のラテン文字転写(≒英字表記)や世界的に通用する発音記号であるIPA記号による表記ではありません。
س と ص は s、ح と ه は h、ز と ظ は z、ت と ط は t という風に似ているようで違う発音をするアラビア文字を同一の英字で書いてしまっているので、元のアラビア文字つづりやローマ字転写での本来の表記を知っていないと間違った音で発音してしまう原因になります。
通常アラビア語教材では発音がまぎらわしい字を区別するために س はただの s、こもったような重たい発音をする ص は下点を足して ṣ としたり大文字で S としたりするといった形で明確に区別するのですが、本書は珍しくそれをしていません。
通常アラビア語を専攻し文語アラビア語(フスハー)も口語アラビア語(アーンミーヤ、方言)も大学出版などの詳しい教本で学んだ方だとこうしたラテン文字転写はより正確になる傾向があるのですが、本書のこうした表記や似た子音同士の混同はアラビア語が専門分野ではない方や現地生活などの手段として耳からの聴き取りによりアラビア語を覚えた方に出やすい特徴でもあり、この点が純粋な語学学習教科書としておすすめしづらい理由の一つとなっています。
耳で聞いた会話メインで覚えたアラビア語によく起こる口語的な子音発音置き換わりや日本人が苦手な l と r の混同などがある
アラビア文字の代わりにラテン文字(≒英字表記)表記が採用されているものの、アラビア語や口語アラビア語エジプト方言における発音を忠実に表現したものではなく、耳で聞いて覚えたことによる実際のつづり・発音との誤差や覚え間違いに起因する不正確な表記が複数含まれていました。
例としては
- クウェートの口語発音として el-kuwēt(エル=クウェート)とすべきところが w の抜けた al-kuēt(表記通りの発音としてはアル=クエート)となっている。
- カイロ方言の特徴でもある子音発音の置き換わりとして声門閉鎖音化(ハムザ化)が起こり実際には「ア」「イ」「ウ」のような発音となる ق(q)の読みガナとして文語アラビア語(フスハー)発音である「カ」「キ」「ク」が当ててあり、エジプト方言学習書としては誤りに近い。
- 声門閉鎖音/声門破裂音である ء(ハムザ)部分が喉を引き締めて出す別の子音 ع(アイン)と混同され、قدّ إيه(アッド・エー, どのくらい)のハムザ化する q 部分がアインとして英字表記されている。
- 母音が入らず子音のみの箇所(アラビア文字表記ならスクーン記号になっている部分)に、エジプト方言としても挿入不要な母音がはさまっている。
- テーブルが talabēza(実際は tarabēza)、「トルコの」が torqī(実際は torkī)、音楽が musīkā(実際は mūsīqā)、仕事が shoghor(実際は shoghl)と表記されるなどしており、r と l、k と q のように似ているものの区別すべき子音のペアが複数箇所で取り違えられている。これに関しては本を読んだり文字を書いたりするのではなく、耳からのリスニングメインで覚える外国人学習者に多い混同。
- 重子音(アラビア文字表記でシャッダ記号がつく)していない部分が重子音として表記されており、魚 سمك が samakk(通常は samak)、نهارك が nahārakk(通常は nahārak)、「サッカー」という複合語の1語目の كرة が kurrat(通常は kurat)といった表記になっている。
- 語形の都合で文語アラビア語では伸ばす音である長母音「ー」で読む部分が口語アラビア語のエジプト方言では発音の都合上つまって「ー」が取れた短い音(短母音)として発音される部分のラテン文字表記(≒英字表記)が長母音のままになっており、口語アラビア語学書に文語アラビア語発音が混ざっている事例に当たる。
など語学学習目的で細かい部分を正確に覚えたい人には気になってしまうような誤りが多いように思います。
*なお سمك を samakk(通常は samak)、نهارك を nahārakk(通常は nahārak)と表記している件ですが、アラビア語は語末を子音で止める場合語形によっては1文字だけの k が重子音化して kk に聞こえやすくなり、文語アラビア語(フスハー)でも خالد [ khālid ] [ ハーリド ] が [ khālidd ] [ ハーリッド ] 寄りになるといった休止形発音が実在するので、全くの間違いとは言い切れないかもしれません。
定冠詞に関する誤読・誤記
太陽文字と月文字の取り違え
定冠詞(文語ではアルですが口語ではエルとかイルになります)2文字目の l と発音同化を起こす定冠詞直後の子音(太陽文字)かどうかの判別が間違っていて、太陽文字が月文字扱いされて本来するはずの発音同化をしていない、またその逆に月文字が太陽文字扱いされて本来しないはずの発音同化をしているという例が複数見られました。
例:
- الحمد لله の2語目がリッラーではなくリルラーになっている
- للإسكندرية がリルイスカンダリイヤやリルイスカンダレイヤではなくリッスカンダリーヤになっている
この発音同化をする/しないの取り違えは小池氏が有名政治家になられてから外交の場面で話されている時にも起こっているので、同氏の昔からのアラビア語の特徴というか、苦手な箇所だったものと思われます。
アラブ人はリッラーの ل(l)を月文字扱いしてリルラーと発音することはしないものの、フスハーとアーンミーヤでは ج(j)のように文語では月文字なのに太陽文字としての発音になっていたり、太陽文字の直前なはずなのに定冠詞をアッではなくアルで読んでいたりということが起こります。
そのため定冠詞直後の子音を同化させる/させないに関する間違いは、その人が常用している方言の影響なのかそれとも単に覚え間違いなのか区別しないといけないので、正確に検証するのは意外と難しかったりします。(誤用の検証者にフスハーとアーンミーヤそれぞれでの子音発音に関する言語学的な情報が必要となるため。)
不要な場所への定冠詞付加
また属格構文(≒所有格構文)の1語目で定冠詞が不要な部分への定冠詞付加もありました。
例:
- アラビア語を読んだり、書いたりすることはむずかしい
エル キラーア ウィ キターバ ル アラビー サアブ
el-qiráa wi kitāba el-‘árabī sá‘ab
*冒頭のel-は文法上削除する必要あり。
*サアブは文法上女性形のサアバにする必要があるかと。
それとは逆に、通常定冠詞がつく単語が無冠詞になっている例も見られました。
なお、この構文で定冠詞がつくかどうかというのは文語と口語で違いは特に無いです。文法書を使って学んだ日本人だと通常この部分は間違えないのですが、ネイティブだと要らない場所に定冠詞を書いてしまうというのはしばしばあることで、アラブメディアで見られる誤字脱字の典型例の一つとなっています。
特殊な語形の動詞活用違い
重子音動詞「حبّ」 [ ḥabb ] [ ハッブ ](愛する)の完了形の活用が間違っていました。
- 「私は愛した」hebbet(ヘッベットゥ)→ 実際は [ ḥabbēt ] [ ハッベート ]
- 「私たちは愛した」hebbnā(ヘッブナー)→ 実際は [ ḥabbēna ] [ ハッベーナ ]
- 「あなた(男)は愛した」hebbet(ヘッベットゥ)→ 実際は [ ḥabbēt ] [ ハッベート ]
- 「あなた(女は愛した)」hebbit(ヘッビットゥ)→ 実際は 実際は [ ḥabbēti ] [ ハッベーティ ]
- 「あなたがたは愛した」hebbū(ヘッブー)→ 実際は [ ḥabbēto ] [ ハッベートォ ]
となっているのですが、同じページの真横にある非重子音タイプの他の動詞については大きな活用間違いが無いことから、特殊な語形の動詞のみどのように活用するかというのを違う風に記憶されていた可能性が高かったものと思われます。
この語形の動詞はフスハーとアーンミーヤとで完了形の活用が異なり、「私は愛した」という場合フスハーでは حَبَبْتُ [ ḥababtu ] [ ハバブトゥ ] になる一方、エジプト方言やその他複数方言共通の現象として ي を足した حَبّيتْ [ ḥabbēt ] [ ハッベート ] になるという風に違いがあります。
これについては、小池氏はこの文語と口語の違いをはっきり把握されていなかったか、エジプト方言の日常会話で頻用されるこの動詞を耳で聞いて文語文法式の活用をあてはめてご自分なりに解釈されていた、といった可能性が考えられるかもしれません。
フスハー語彙とアーンミーヤ語彙の混在
『3日でおぼえるアラビア語 』自体は純エジプト方言の会話本ということになっていますが、定冠詞はアーンミーヤ発音の el- や il- にフスハーの al- が多数混じっています。
また、エジプト方言として文語アラビア語(フスハー)とは違う発音や語形になっている語彙がフスハー語彙と入れ替わってしまっている例もあり、エジプト方言での قراية(イラーヤ, 読むこと)が قراءة (qiraa, キラーア)、私の妻 مراتي(ミラーティ)が文語語形を口語風発音した امراتي(imrātī, イムラーティー)、家族 عيلة(エイラ)が文語語形かつ読み間違いの عائلة(a‘aíla, アアーイラ, *正しくはアーイラ)になっているなど、文語アラビア語と口語アラビア語を十分に区別しきれていないことが原因と思われる箇所も見られました。
小池氏に関する検証記事では「ネイティブのアラブ人たちにとって、文語アラビア語フスハーと口語アラビア語アーンミーヤを混ぜるなどあり得ず、汚いアラビア語だとされる*」といったアラビア語に関する実情とは異なる言説が流布している状況で、実際にはアラブ人はその場に応じてフスハーとアーンミーヤをミックスして使うということが広く行われています。
*フスハーとアーンミーヤを混ぜることなど決してないといった情報も日本人学習者たちの間でかなり昔に流通していた不正確な解説で、文語口語混合体の使用が盛んな現状を反映していない言説となっています。数十年前にアラビア語を学ばれた旧世代に特に多い認識で、当時はフスハーとアーンミーヤを混ぜる混合体(中間体)の存在や意義なども教本や大学講義では教えられていませんでした。
ただフスハーとアーンミーヤとが混ざる現象については「どちらの技能もある程度備わっているが、アラブ人との会話がより自然に行えるためわざと混ぜているケース」と「両方の語彙や文法知識が十分揃っていない、現地のアラブ人が使う通りの文語-口語ミックスアラビア語に接しながら習得したために使い分けができておらず混ざってしまうケース」とに分かれます。
『3日でおぼえるアラビア語 』については上記の特徴からするとおそらく後者のパターンに該当しており、外国人学習者向けのアラビア語教材が少なかった50年前に現地で生活をしながら耳でのリスニングと現地人との会話を通して覚える割合が高かった学習状況を反映しており、フスハーを数年・エジプト方言を数年といった具合に両方とも十分な時間をかけて別々にマスターする時間が取れなかった方のアラビア語に近いのでは、と感じました。
『3日でおぼえるアラビア語』ゴーストライター執筆説について
キャスター時代・政治家時代のアラビア語スピーチと誤用などの特徴が似ている
この本について「小池氏はアラビア語が全くできないはずなので会話本が書けるはずはない」「ゴーストライターが書いたもので本人は一切執筆していない」と推測されている方もいらっしゃるようです。
しかし本に出てくる間違いとキャスター時代のアラビア語会話や政治家になられてからの外交スピーチ・現地TVインタビューでの誤用の特徴が複数の点において一致していること、『3日でおぼえるアラビア語』におけるアラビア語会話へのラテン文字に対する当て字(転写、翻字)方式が日本や欧米の大学でアラビア語教育を受けた人のそれではないことなどからすると、ネイティブのエジプト人や日本のアラビア語関係者ではなく本人が作られた可能性が非常に高いように感じられます。
何かの本を勝手に和訳した丸写しといったことも特に無さそうで、Googleブックス等で会話フレーズを検索しても同じ表記の事例が全くヒットしないことからラテン文字表記(英字表記)も『3日でおぼえるアラビア語』オリジナル的なものなのでは、と思います。
ネイティブのエジプト人やエジプト方言に通じたアラビア語専攻出身者がしないタイプの誤字・誤読があることから第三者のゴーストライターが全て代行して書いたという可能性は低く、むしろ小池氏が全体もしくは他の方の手伝いを受けながら大半を担当しご自身の記憶や教本を参考にしつつ執筆されたと推測させるような箇所が多いとの印象です。
もし仮に手伝ってくれた人がいたとしても、その人が本文を書いたのではなく口頭で内容を伝え小池氏が聞き取ってテキスト化したといった方法が取られたことで文法的な誤りや似た発音の文字同士の混同が起きた可能性を考える必要がある気がします。そのぐらい『3日でおぼえるアラビア語』には書いた人の誤用や癖が出ているので、全くの人任せにしたと断定するのは難しいです。
もう一つのエジプト方言会話本と内容も特徴も共通
小池氏は語研からも似たような本『ミニ通訳 海外旅行会話 アラビア語』を出版されそちらはエジプト人が校閲したことになっているのですが、ラテン文字表記(英字表記)部分に『3日でおぼえるアラビア語』と全く同じような系統の誤用・特徴が散見され文字での筆記ではなく耳で聞いて覚える会話中心で学んだ外国人学習者に起きやすいタイプの誤字*があることから、『ミニ通訳 海外旅行会話 アラビア語』の方もエジプト人による修正は完全には入っておらず、両方とも当時の小池氏のアラビア語表記の癖のようなものが校訂から漏れそのまま刊行されたと考えるのが自然かもしれません。
*アラビア語専攻でアラビア語の文語(正則アラビア語、フスハー)から始めた人というのはアラビア文字でのつづりや発音記号がついた状態で本来の語形を正確に覚えさせられるため、似た音の混同、「s」1文字だけの場所を「ss」と重子音化するといった耳から覚えた時に起こる誤用というのをあまりしません。アラビア語というのは文語と口語に二分されていてどちらを中心にやるかは学習者次第なので、会話中心でやっている方が普段やらない作文をするとなるとその影響が出て過去の学習経験を反映したものになりやすいです。
昔は小池氏が書いた本という認識だった
昔からこの本はアラビア語使用者から間違いが多い本と評されることが多く、ご本人が書かれたという前提でレビューが書き込まれたりもしておりゴーストライター説も特に出回っていなかったように記憶しています。
ところが過去数年間にわたる落選運動を通じ小池氏のアラビア語が「元々あまり得意ではなかった」を通り越して「全然勉強していなかったので字も書けないし話せないまま、他人にカタカナの原稿を作ってもらって通訳をしていた」といった極端な評価に変化したことで、『3日でおぼえるアラビア語』代筆説が広まりだしたのかもしれません。
しかし管理人としては、アラビア語教育で有名なカイロ・アメリカン大学や欧米の大学出版が刊行した専門書でエジプト方言をやり込んだアラビア語専攻出身者やエジプトで方言コースを長期間履修したような人が書くのとは違う『3日でおぼえるアラビア語』に、小池氏の関与が実際にあったという可能性をかなり感じました。
感想
他の読者レビューを色々と読んだ上での個人的感想
小池氏は現地滞在中「120%エジプト人だね」(注:「(話し方や・ふるまい・マインドが)エジプト人以上にエジプト人らしいの意)と言われるほどにアーンミーヤ中心の生活を送っておられたのだとか。アラブメディアの取材でもフスハーではなくアーンミーヤにどっぷり浸かって過ごしたことをネタにされるなどしています。
通常外国人学習者が標準アラビア語(正則アラビア語、フスハー)とエジプト方言(口語、アーンミーヤ)の両方をマスターしたと称することができるレベルまで持っていくのは難しく、出版当時はエジプト方言の教科書も充実していなかったことから耳から覚えられた部分も多かったのではないかと思います。
誤字脱字や文字の取り違えなどが散見された本ですが、ネットで他の方が投稿された「1ページにつき1つずつ間違いがある」「間違いだらけ」といったレビューを書かれていたのを先に読んでいたこと、日本で売られているアラビア語学習書の中には不正確な内容や発音表記の本も少なくないことを実体験していることもあって、実際に目を通してみると巷で酷評されているほどではなかったかも…という感想を持ちました。
この本の初版は1983年とのことなので、留学終了・日本帰国から7年ほど経っている計算になるかと思います。そのため本書に散見される間違いもピーク時に当たる1976年頃に書かれていればある程度は少なかったのかもしれません。
小池氏がエジプト留学に当たってどのような初級アラビア語教育を受けられたかについてはちょうど『挑戦 小池百合子伝』に書かれていたので読んでみたのですが、カイロ・アメリカン大学のアラビア語コースでは参加直後から新聞記事の読解といった課題を与えられ、引く訓練をまだ受けていなかったアラビア語-英語辞典を片手に何とかするというハードなコースを進まれたとのこと。
『3日でおぼえるアラビア語』に子音字の区別や文法といった細かい部分での訂正箇所があるのも、初歩を駆け足でざっと確認してから後の応用段階にスキップするという習得過程だったことが関係している可能性はあるかと思います。
アラビア語学習教材として
配偶者の現地駐在に帯同しなければならない日本人女性たちに合わせて行っていた突貫工事系メソッドだけあって、「アラビア文字の読み書きをやっている暇は無いものの、日常会話は限られた短期間で覚えないといけない」という層には好評だったようです。ネット上でも昔この本で学んだと書かれている方の投稿を複数回見かけました。
総合的に見ると、内容の正確性からして方言をきっちり学びたい人の教科書・文法書としては向いていないとは思います。小池氏のアラビア語会話本に興味のある方が参考程度に開かれるのが良いかもしれません。
今はエジプト方言アラビア語教育・翻訳専門の先生方が書かれた教本が複数あるので、他にも比較対象や選択肢が多数存在する現時点では★2.5(学習教材としての正確性=★★+とっつきやすいエジプト方言学習書が希少だった時代に果たした一定の役割=★半分)相当の評価とさせていただきました。
間違いがあったり、駐在国の方言とは違ったりであまり役に立たないこともあったかもしれませんが、この本と通じる地域の範囲が広いエジプト方言にある程度助けられた方の数は決して少なくなかったと思います。
アラビア語学習経験が全く無い方がどこかからか書き写したり機械翻訳・AI作文したりしてAmazon Kindleとして有料販売している電子書籍とは違って、オリジナル性が確保されておりアラビア語やアラブ文化について大きな嘘が書いてあるわけでもないので、そうした部分は正当に評価されるべきなのでは、と感じました。
小池氏のアラビア語能力に関する議論に関して
ここからは管理人が考察という名を借りて「小池氏にまつわる様々な評価・議論とアラビア語やエジプトに関する実際との違い」に関して語りたいことを延々と書き続けている部分になります。ひたすら長いので必要に応じてページ内検索か目次をご利用ください。
なお検証者の方々や小池氏ご本人を告発・批判しようという意図はありません。名誉毀損・誹謗中傷・アラビア語警察的なマウンティング目的であるといった誤解や非難・晒し目的での拡散の無きようよろしくお願い申し上げます。
書籍レビューに当考察を加えた理由と検証記事の問題点
個人的には書籍レビュー以外の目的で他者の語学力や発音を細かく品定めするような行為は好きではないのですが、本件については誤情報があまりに多くアラビア語学習経験がある方たちですら真に受けてしまっている内容が散見されるため、アラビア語学習界への影響も決して小さくはないと判断。
ネット上での吊し上げやサイト荒らしの恐怖に怯えつつも、色々と書かせていただくことにしました。
検証記事・コンテンツに多数含まれる誤った情報やアラビア語間違いについて
これまで選挙に合わせる形で小池氏のアラビア語能力を検証する記事・動画が度々リリースされてきました。特に2024年夏の都知事選では様々な新情報が登場しこれまで以上にフスハーといった用語がネットで飛び交ったように思います。
ところがそうした記事・コンテンツは専門家による徹底検証という名を借りたゴシップ記事に近いのが実情で、事実と異なる解説・脚色ゆえに多数の誤情報が流布。検証者が自分自身のアラビア語間違いを小池氏の誤用の一つとして喧伝し、それを検証者本人と読者たちが小池氏の恥ずかしいアラビア語レベルの証拠だとして批判するという奇妙な構図も生じてしまっていました。
世間で流布・引用されているメジャーな小池氏アラビア語検証文/動画・告発については
アラビア語に関する説明に事実誤認や脚色が多く事実との乖離が非常に大きい
アラビア語がどういうものなのか、文語アラビア語と口語アラビア語の関係性といった基本情報や単語・熟語に関する意味説明が改変。専門用語を取り入れた二次創作に近く、アラビア語学や非ネイティブによるアラビア語習得という観点から正確なことが語られていない。
検証者自身もフスハーとアーンミーヤを混同しており「フスハーでの正しい言い方」がエジプト方言・ネイティブに多い言い間違いだったりフスハーを「これはアーンミーヤ」と判定したりしている
「文語と口語を混ぜたアラビア語など本来あり得ないので、ネイティブのアラブ人に嘲笑される」という独自設定のもと小池氏のアラビア語を批判していながら、検証者自身もフスハーとアーンミーヤの区別ができておらず両者を混交。フスハー表現をアーンミーヤ判定したり、”正しいフスハーでの言い方”として解説している訂正内容もアーンミーヤ混じりだったりで間違ってしまっている。
専門書で調べた形跡の無いソース不明の解説や個人的主観に基づく主張が多い
専門書・アラビア語ソースで確認した形跡が無く、出所・根拠不明な憶測・断定が大半を占めている。アラビア語・中東専門家らからの妥当な指摘も「信用できない」として排除してしまっており、独自設定や誤った憶測に基づいた記述が訂正されないまま新しい類似記事がリリースされ続けている。
検証者・告発者側に初歩的なアラビア語間違い・リスニング間違い・誤訳が非常に多い
検証者側が初級文法(定冠詞、男性/女性区別、格変化、関係代名詞、動詞活用、類似語形の区別)誤りや語彙・聴解・発音・和訳間違いを多数してしまっており、構文をとれていないことから誤訳発生や「小池氏が何を言っているのかわからない」判定が多発。検証対象となるアラビア語の書類やニュース動画の不正確な解釈の原因にもなっている。専門家による徹底検証という体をなしておらず、「小池氏は本来こう言うべきだった」と示されている表現・文も間違っていたりする。
「でたらめ」「めちゃくちゃ」「気持ちが悪い」「文法どころか単語も言えていない」「何を言っているのか聴き取れない」と下手さが強調されすぎ、実際の印象と違う
小池氏の「アラビア語スピーチはアドリブではなく原稿ライターがいるかも?」と感じる程度に構文や語彙の乱れが少なく、あるのは初級文法の細かい間違いや覚え忘れで会話が詰まる等。発音はさほど悪くなくイントネーションやアクセントが正しいので違和感を覚えにくい。「聴き取れない」「単語が間違っている」という評価は精査すると検証者側の聴解能力不足・語彙力不足・記憶間違いが原因で小池氏有責ではない箇所が大半だったりする。
その文脈や会話からそうだとは読み取れないような状況説明、相手の言葉のニュアンスの改変が多い
「相手が赤面している」「相手が唖然としている」「意味のあることを何も言えていない」といった、「その会話を何度聞いてもそうだとは受け取れない」という主観的な願望が加わったと思われる無理な情景説明が多い。相手が「そうですね。私もそう思います。」と同意しているシーンが「大丈夫、その言い方で正しい」とフスハーで話せない小池氏を慰めていることになっていたり、アラビア語訳をいじっての印象操作のような箇所が複数ある。
小池氏が間違っていない箇所を間違い判定したり、検証者・告発者側のアラビア語間違いまで小池氏の間違いとしている
修正不要の箇所や検証者の誤解・誤用までもが小池氏の間違い例に含められている、動画や資料からはそのように読み取れない状況説明・考察・断定が付け加えられているなど、客観性・正確性・信頼性が確保されていない。
起訴時の告発では手書きアラビア文字・アラビア語数字を読めていないという初歩的誤りがあった
都知事選前の告発・起訴内容では、作成に関わった”アラビア語専門家”が流麗な書道書体による手書き証書の文字や数字を読めていないといった非常に初歩的な誤りや構文の取り間違いがあり、詐称の重大証拠を準備するのに必要なアラビア語能力を備えていないことから告発内容としての正確性・信頼性を損ねてしまっている状態だった。
という共通の問題点があり、検証記事や検証コンテンツを読む・見る側がアラビア語を知らないことを悪用されフィクション同然の脚色を多分に含んだ解説を与えられた形になってしまっているのでは、政治家としての資質を問うこととアラビア語についてあること無いこと書いたり言ったりして広めてしまうのとはまた別なのでは、というのが正直な印象でした。
小池氏の悪評を求めていた層には「聞きたかった言葉を言ってくれた」「本当のことを教えてくれるのは検証者・告発者だけ」と受けるであろう一方、専門家による詳しい解説と客観的評価を知りたい人々の期待と信頼には応えられておらず、フスハーやアーンミーヤのよう専門用語も使っていることから誤った説明であるにもかかわらずアラビア語初学者までもが専門家の解説だと誤認してしまっている様子がSNS他の反応から見て取れました。
当考察作成の動機
こうした記事やコンテンツがあることを初めて知った時には、「アラビア語経験・現地留学経験のある専門家が勇気をもって明かした真情報」として多くの方が信じてしまわれたことに驚くとともに、アラビア語を学ばれた方々が徹底解説という形を取りながらもその学習歴を利用し不正確なアラビア語情報を継続的に発信しておられることにショックも受けました😢
それらがなぜ作られたのか、誤情報・誤用は意図的なのか、それとも素でアラビア語を間違えおられる結果なのか…謎が多いことから経緯と背景が気になってしまい、「本当のところはどうなのか?」を考察してみたのが以下の記事になります。
悪口や告発を書き散らしたいわけではないのですが、アラビア語学専門家が決してしないような解説や間違いが検証記事・コンテンツの大半を占めているのは事実で、今回小池氏著書レビューへの書き足しを機に内容を細かく確認した当方も困惑しています。
普段このブログでは書かないようなきつい言葉や上から目線とも受け取られかねない感想は、その複雑な気持ちを持て余した結果だということで大目に見ていただければ幸いです…
本ページでは「小池氏ができている部分を認める=悪者をかばっている」「小池氏ができていない部分を列挙する=皆が隠していた真実を正義・勇気をもって明かしている」という図式を排除した上で、アラビア語文語・口語の性質と文法そしてネイティブや外国人学習者のアラビア語習得・誤用について学生時代から継続的に関心を持ってきた一個人としての感想や動画や著書などから判断できること/判断できないことの見分け方を書かせていただいたつもりです。
しかしながら長文考察は時として「アラビア語警察」として嫌悪感を与えることもまた事実です。不快な揚げ足取りに感じられるようであればここで閲覧を中止願います。
考察にあたっての確認・調査方法
なお執筆にあたっては小池氏のアラビア語著書2冊やネットにある外交関係の各種アラビア語会話動画を全編数回ずつ視聴。テレビキャスター時代のアラビア語トークについても短い動画ながら2点確認を行いました。アラビア語検証で誤用として取り上げられた単語の語義については文語・口語各種辞書串刺し検索や実際の書籍・記事を閲覧し確認。
カイロ大学の現行単位取得・卒業システムは公式サイト・学部規則や学生同士の情報交換投稿などを複数参照、小池氏留学について触れた書籍等も参照して、当方の誤解や憶測をできる限り排除するように努めたつもりです。
また日本でこれまで記事掲載・ネット発表された小池氏アラビア語検証の誤った解説部分については、検証者の方がアラビア語知識不足や現地情報誤認から無意識に行われている可能性がある誤解・誤用と、小池氏批判のために手を加え誇張してしまっているであろう意図的な改変・脚色と思われる箇所とを区別するため、検証者の方々が過去にリリースされたアラビア語関連記事・コンテンツもあわせて確認。
検証者の方が元々アラビア語について間違えておられる部分や誤訳・誤聴といった普段の癖の確認、小池氏批判のための脚色・演出部分との線引き作業なども行いました。
小池氏のアラビア語に関する評価が「全くできない」「極めて堪能」の両極端に分かれている理由
政治的な論争であるがゆえに不支持・支持意見ともにアラビア語に関してありのままが語られていないという問題
小池氏のアラビア語能力については、落選運動や反対派による政治的意図を含んだ評価が行われてきたことから「カタカナで書いた原稿を丸暗記していて聴き取れないし和訳もできないようなひどいアラビア語しか話せない」「アラブ人には一切聞き取れない」のような都市伝説的な評価が独り歩きしてしまっているように見受けられます。
それらに対し出されたのが「ネイティブ並み」「全く問題無い」「素晴らしい」といった反論ですが、これもありのままの評価とは違うような気がしました。
以前から日本国内では小池氏のアラビア語能力がゼロに近いとして告発記事・動画を発信してきた反対派・辞職運動派とその真逆でネイティブ並みだと太鼓判を押す支持派とでアラブ・エジプト在住経験者の一部が政治的に割れており、多くの方が「どちらが正しい情報なのかわらかない」と戸惑ってしまわれる原因になっているように感じます。
数的には批判・告発記事の方が多いですが、数は少ないながらも応戦している形の小池氏擁護記事も「昔も今もカイロ大学には卒業式が無い」(実際にはあります)といった反論を書いてしまっていることもあり、好意的な内容であるとはいえ事実と違うことを発信しているという点では同様に問題があるように思われます。
これらは政治的な理由のためにありのままのアラビア語評価・カイロ大学事情解説から離れてしまっているために生じている混乱で、実際は支持活動とも落選活動とも無関係な層の率直な声「何を言っているかは普通にわかる」「自分で話せなくても音読補助用の発音記号がついたアラビア語原稿読み上げぐらいはできるのではないか」「エジプトやカイロ大学の事務なんてそんなもんだから日本人感覚のおかしい・怪しいは当てにならない」が比較的中立で妥当な評価だと言えるかもしれません。
「全くできない」「意味が通じない」「発音・文法・語彙も全部めちゃくちゃ」という評価とアラビア語既習者が持つ率直な感想
小池氏が「その場でしゃべってくれ」と言われて応じないのもまた事実ですが、アラビア語能力が極めて乏しく本当は全く一言も話せないし発音記号を全部つけたアラビア語の文章すら一切読めないというのとも違うように思われます。
選挙運動や政治家としての支持とは全く関係の無い立場からすると、
- アラビア語学習経験がゼロではない人の話し方
十分時間をかけてフスハー文法をマスターした形跡は見られず、スキルがカイロ大学生活とそれ以外の日常生活・アルバイトのどちら由来なのか確認することは難しいが、小池氏の話し方は明らかに学習経験者のアラビア語。 - 日本の政治家に時々見られるプロンプター原稿棒読み英語のような宇宙語的聴き取りにくさは無い
英語の基礎ができておらずプロンプターを見て話しているだけで何を言っているのかほぼ聴き取れないタイプとは異なり、小池氏の音読は無難で抑揚・アクセント・単語のつなぎ方はできているため、単に音読が上手いだけだとしてもプロライター作成だと思われる原稿がある時については文法間違いも少ないので話せる・読める人のアラビア語に近い。
(最近、具体的には過去数年のものはアラビア語らしいリズム感がやや少なめで、昔に比べると聴き取りにくさは多少あり。) - エジプト訛りはあまりきつくなく、突飛な発音や極度のカタカナ発音が目立つわけではない
小池氏の発音がおかしいと言われるものの特に突飛なところが無いよくある日本人既習者のしゃべり方で、カタカナ発音に近い点では検証者の方の話し方と共通ながら、訛りは小池氏の方が少ない。エジプトでアラビア語を覚えた人特有のエジプトアクセントをしていないため、エジプト発音はしているものの方言丸出し感が強くない。 - 構文や語順などが正しく文法を知っている人の痕跡がある(プロの支援がある可能性)
ネイティブかプロの日本人通訳・翻訳者の原稿ライターがおそらくおり、小池氏スピーチの骨格部分は外交アラビア語を話せる人のスキルがところどころに反映されており、そこに小池氏の基礎文法の些細な言い間違いが乗っかっているニ層構造なのでは?と思わせるようなアラビア語レベルのギャップがある。そのためアラビア語能力の評価が高めになりやすい可能性がある。 - 小池氏が暗記できる範囲で作文されているためか、日本人アラビア語既習者にも平易に聞き取れるスピーチ
小池氏が音読・暗記できる範囲のレベルで原稿が作られているのか、複雑な構文は少なく平易な内容で、ネイティブが聞いて理解できない箇所は特に無い。 - 小池氏の間違いは文の流れ・趣旨に影響しない基礎文法箇所なので、聞き手が本来の言い方を推定し解釈することができるため「意味不明」にはならない
言い間違えるのは男性形/女性形の区別、名詞・形容詞の複数形、動詞の活用といった意味に大きく影響しない部分なので、「聴き取れない」「意味がわからない」「訳せない」は基本的に受け手のフスハー+エジプト方言アラビア語能力(リスニング・語彙・構文解釈)に不足がある場合に生じる。 - 小池氏批判・告発側に初歩的アラビア語間違いが多く検証作業が必要最低限の質を確保できていないため、小池氏アラビア語能力の実像が伝えられていない
小池氏批判・告発側の検証作業においてアラビア語間違いが非常に多く、小池氏の外交スピーチの聴き取りや単語・熟語解釈を間違えた結果「小池氏のアラビア語はおかしい」「そんな使い方知らない」という解釈に帰結してしてしまっており、専門家レベルのきちんとした議論になっていない。
(素で間違えているのか、誇張で「聞けない・わからない・意味が通じない」箇所を大量に増やしているのかは不明。) - 小池氏と似たような間違いをする方々によってアラビア語鑑定が行われており、受け手に多くの誤解を与えている
小池氏の間違いだけが強調されているが、基礎文法間違い・発音間違い・読み間違いなどは検証者・告発者側と似通っており、小池氏でもしていない間違いを検証者側がしていることもあったりで、いわゆる「どっちもどっち」なケースが少なくない。アラビア語をよく間違える方たちによって小池氏のアラビア語が鑑定・評価・解説され、それが信頼と人気を得てしまっている。
(自力で作文・会話し文章をそれなりに訳出する能力もお持ちの検証者さんもおられますが、初級文法間違い・聴き間違い・類似単語の取り違え・誤訳がかなりあり、それらについては小池氏の言い間違いとかぶっていることが多い、という意味で上のように書きました。)
というのが率直な感想です。
ただアラビア語をご存知ない方にとってはそういう微妙な判定ラインというのは極めてわかりにくいため、同氏のアラビア語能力に関する極めて厳しい判定が流布を続けることで「そういう意見が聞きたかった」「やっぱり全部嘘だったんだ」「This is a pen. の This も pen も言えていなかったらしい」となってしまい、世間の評価が「ごく簡単な日常会話すらできないまま帰国した」「アラビア語の発音すらおかしいらしい」という過小評価で定まってしまいやすいのかもしれません。
小池氏アラビア語能力をめぐる現在の状況と問題点
フスハーとエジプト方言などの東方アラブ世界諸方言を学んできた管理人の個人的意見ではありますが、適正な評価・考察がされている部分が多少はありつつも首をかしげるような解釈・説明が大半を占めており、アラビア語が一人の政治家に対する批判の道具になってしまっていることが原因でかなりの誇張と創作が混じっているとの印象です。
これについては「アラビア語をたくさん勉強し留学もした方たちが小池氏を批判してくれているから、きっと正しいことを言っている」という信頼や、小池氏の対応や政治家としての姿勢に対する疑問から生じる「アラビア語の件も全部嘘なのではないか」「若い頃にちょっとでもアラビア語ができたことすら作り話に違いない」という疑念・不信、「小池氏批判の起爆剤になるならたとえ事実でなくても構わない」といった期待が、過小評価やとんでもアラビア語解説の無批判な受容に結びついてしまっている可能性もあるかと思います。
そもそも「アラビア語を勉強し仕事に使ったことがある人≠アラビア語の専門的解説ができる人」であり小池氏のアラビア語能力検証には相当な専門知識と労力が要るはずなのですが、現状ではアラビア語の文語-口語問題にあまり詳しくなく普段誤訳・誤読・誤聴をしている非アラビア語専攻の方が解説を実施されており、中級以上のアラビア語使用者であれば気付くような嘘松的なものや本来すべき評価とはかけ離れた揶揄・創作が多数盛り込まれたアラビア語能力検証結果が流布してしまっている状況です。
アラビア語経験者という肩書きを利用して事実ではないことを的確な指摘だと誤認させることは禁じ手に当たると思うのですが、小池氏告発においてはそうした禁じ手が多用されてしまっており、実際に過去にリリースされた検証記事・検証動画を精査したところ、誤った解説が正しい指摘の数を大幅に上回っている勢いであると感じました。
こうしたコンテンツが作られ続けまた訴えられず放置されていること自体にもガス抜きや政治的な駆け引きが関係していて仕方が無いのだろうとは思うのですが、これでは「小池氏のアラビア語能力について本当のことを知りたい」という層の期待には応えられていないような気がします。
小池氏アラビア語能力検証記事・コンテンツに専門家らが反論・批判する理由とは?
学術的な正確さを欠いた批判・結論ありきの解説が多数含まれることを自力で判定できるため、暴論だと感じやすい
小池氏のアラビア語を鑑定する記事やコンテンツに対してはこれまでにアラビア語の研究者、アラビア語の通訳、言語学の専門家、留学経験者、アラビア語専攻出身者、アラブ人と日本人を両親に持ちアラビア語を話す方たちから「ひどい」「嘘が書いてある」「どうしてそんな記事を書くのか訳がわからない」「批判・結論ありきの解説」「それなりの留学歴・職歴を持つ方がこのような言説に従事され残念」といったリアクションが寄せられてきました。
具体的な根拠を挙げて投稿した方たちには「小池氏をかばうのか」「大事なのはそんなアラビア語云々よりも卒業を詐称したかどうかだ」「小池陣営からお金をもらったのではないか」「研究費や補助金目当てで言っている」といった意見が向けられたりもしたようですが、管理人が見た限りではアラビア語関係者が投稿した反論・指摘の理由ほとんどが検証記事・コンテンツそのもののアラビア語解説としての妥当性や問題点に対する疑問・憤慨であったように見受けられました。
たしかに「小池氏批判記事・動画の内容は間違っている」と反論をしている中には、小池氏の支持者やカイロ大学の関係者もおり「ちょっと擁護が過ぎるのでは」という意見も混ざっていることも事実です。
そのため研究者・プロ通訳の方々の意見が100%正しいとは言えませんが、過去数年にわたり公開されてきたアラビア語外交動画検証・アラビア語能力鑑定結果発表というのはアラビア語をある程度理解する人物として越えてはならない一線を越えてしまった感が強い記事・コンテンツであることから、リリースされる度に指摘する専門家・同業者たちが現れない方がむしろおかしい…というのが正直なところです🤔
どういう検証記事・動画であればアラビア語関係者も納得するのか?
おそらく「小池氏のアラビア語はカイロ大学を良好な成績で卒業したには明らかに足りなかったのではないか」と疑問を提示しつつも学術的にも十分納得させられる綿密なアラビア語・エジプト事情検証として追求し、雑誌社等も真面目な姿勢で批判記事作りをしていたのであれば、研究者・翻訳家・通訳たちも皆こんな反論はしなかったのではないでしょうか。
一般の読者・視聴者さんたちはアラビア語をご存じないのでアラビア語関係者たちがなぜ揃って怒っているのかはわかりにくく、「検証記事・コンテンツに間違い・不備があると認める=小池氏を擁護し学歴問題・人柄・失政を容認する」になってしまう気がして検証記事・コンテンツや検証者を信頼・支持するという選択肢を選んでしまいやすいのかもしれません…
専門家やアラビア語話者が「こりゃひどい」と驚くような記事・コンテンツがこれまで無事にリリースを続けてこられたのも「アラビア語の知識を活かして正しい情報を詳細に伝えてくれている奇特で勇気ある人がいる」という人々の信頼があったからこそだと思うのですが、そうした信用が悪用されてしまっているようにも感じられ、見ている側としては心を痛めたりもしました😔
この件は多くの人が抱いているであろう「政治家・個人としての小池氏を信じられない」「辞任要求につながる重大証拠をなんとかして手に入れたい」「真実を知りたい」という気持ちが大きく影響しているため、アラビア語を理解する側も人々の中にある不信・嫌悪・期待というものに配慮した上で検証記事・コンテンツの誤りや問題点を指摘することが求められると言えそうです。
小池氏動画を見たアラビア語話者やアラブ人が「結構しゃべれている」「な全部聴き取れる」「普通に上手い」と言う理由
本当は言っていることが普通に聞き取れ意味も理解できる小池氏のアラビア語
有名な検証記事・コンテンツが小池氏のアラビア語間違いを誇張したり間違っていない部分まで間違いだとして若かった頃の最盛期における語学的な能力の低さを極限まで強調してしまっていることから
- 「小池氏のアラビア語が上手だとか、他の人たちにも容易に聞き取れるだとかは絶対にあり得ない」
- 「小池氏のアラビア語検証をした人たちは意味不明・支離滅裂だと言っていたのに、なぜ?」
- 「小池氏のアラビア語は下手で発音すらできていないはずなのに、アラブ人が聞き取れるとか上手だと言うのはおかしい」
- 「お金をもらって高い評価をしているのではないか」
と考える方も多いようなのですが、アラビア語のリスニングが苦手だったりエジプト方言などの口語アラビア語が守備範囲外だったりしない限り、日本人のアラビア語通訳・翻訳家やアラブ研究者などであれば小池氏が何を言っているのか・伝えているのかは普通に理解可能です。
YouTube動画のコメント欄で小池氏とは何の利害関係も無さそうなネイティブが「上手なアラビア語だ」と書き込んだり、SNSで日本人投稿者が「自分はアラビア語がわかるけれども、ちゃんと話せているので、小池氏のアラビア語が極めて下手だという評価を広めた人の意図がわからない」「アラブ人の知り合いに動画を見せたら、よく話せてるし聞き取りやすいと言った」と報告したりするのは、本当にそう感じたからだと解釈された方がいいかもしれません。
小池氏のアラビア語スピーチには構文・語彙スキルが高い人の特徴が反映されている
特に壇上で行われた小池氏の過去スピーチはアラブ人が原稿作成をしているかもしれないこともあってか日本人が話すアラビア語としてはかなりレベルが高く、文法知識・語彙力をある程度有している人でないと言えないようなフレーズも使われています。
小池氏アラビア語検証者の方が過去に公開されたフリースピーチやアラビア語投稿と比べても、スキルの内容・水準が明らかに高いことから、管理人的にはネイティブによる作文を小池氏が音読・暗記するというスタイルが主に取られているのでは、という気がしました。
小池氏の過去著作や外交スピーチでのアラビア語間違いからすると、小池氏のアラビア語運用能力であのこなれたスピーチ原稿を自作されているということは考えにくく、アラブの政治家たちと同様公的な場にふさわしいレベルの文語アラビア語(フスハー)トークを行うための支援を受けている可能性があるように見受けられます。
そのため小池氏が原稿を音読する形で行われるスピーチに関しては、アラビア語を日常的に使っているネイティブやアラビア語を長年学んできた方に「言い回しがこなれている」「自分にはこういうスピーチはできない」と思わせる要素がところどろこに見られます。
また短い動画では相手側のアラブ人の言っていることをどれぐらい聞き取れアドリブでの会話キャッチボールをできているのかは判断が難しいです。
カンペを見ている視線の動きも無く相手の目を見ながら話しているらしい時は事前に丸暗記しておいたかどうかは確認不可能で何も見ずに自分で考えて話しているように見えることから、短いYouTube動画を見せた場合にはネイティブたちから「アラビア語をわかっている人」「上手く話せている」という感想が出やすいのだと思います。
アラブ人が日本人に「アラビア語が上手いね」と言ってくれるのはどんな理由から?
アラブ人はフスハーを話せない・苦手な人が非常に多く、「ネイティブの自分より話せている」と感じやすい
「ネイティブは多少下手でも頑張っている外国人学習者に「上手い」と言ってよくおだててくれる。小池氏アラビア語動画も、本当に上手いわけじゃないのにアラブ人はおべっかでほめているだけ。」と考える方も多くいらっしゃると思います。
ただここで注意しなければいけないのは、アラビア語は英語と違って「ネイティブの大半もフスハー会話が苦手」という点です。フスハーというのは日常生活や学校・大学生活で話す機会はほとんど無いので、大半のアラブ人は読む・書く・聴くだけの能力しか磨かないこともあって、フスハーを上手に話せるようにならないまま一生を過ごします。
小池氏の外交スピーチは純フスハーか方言を混ぜてはいるもののかしこまったややフスハー寄りの文語-口語ミックスアラビア語が話されていますが、フスハーはアラブ人も日常生活で使っていないことから外国人のフスハー会話能力>ネイティブのフスハー会話能力というスキルの逆転現象が起きやすいです。
そのため単に日本人だから単に甘い評価をしてくれているだけというのとは違い、「ネイティブの自分よりも上手くフスハーを話せている」「自分だったら言えないから」と本気で感心しているというリアクションもあり得るのがアラビア語圏ならではの事情となっています。
SNSなどには「アラブ人に見せたら小池氏のアラビア語はすごく上手いと言われた」といった動画投稿もありますが、相手のアラブ人側の国籍・海外在住・教育/社会的背景等からしてフスハーがおそらくほぼ話せないか苦手だろうと思われる人に感想を求めたものと推察されるケースもしばしば見られます。
アラブ諸国ではアラブ人自身がフスハーに関して正確な分析・解説・評価をできない場合も珍しくないため、ネイティブからの好評価は「小池氏はアラビア語を全くできない」の否定にはなるものの「アラブ人もびっくりするぐらいにフスハーがペラペラ、すなわちカイロ大学卒業を疑う余地が無いぐらいに堪能であることが証明された」とはならないので、注意が必要かもしれません。
小池氏のアラビア語は高めの評価を得やすいいくつかの要因がある
さすがに全ての小池氏アラビア語スピーチ動画に対して「ネイティブ並み」「何ら問題は無い」「極めて正確なアラビア語」「全く間違えていない」と評価するのは過度の称賛で援護射撃的コメントと見た方が良いとは思います。
ただ、小池氏については原稿を音読する形で行われるスピーチだと言い間違いが少なく、スピーチライターの支援を受けている可能性もあることから原稿のアラビア語の出来が非常に良くフスハー度合いも高めなので、言い間違えが少ない動画だと学のある人が話すアラビア語の片鱗が見え隠れしていたりもします。
そのため、動画を見たアラブ人から「なかなか上手い」「日本で彼女のアラビア語が下手すぎると評価される理由がわからない」といった好評価をされやすいです。
小池氏のアラビア語動画にはフスハーだけの高度なスピーチを筆頭に色々な種類・レベルのものがあり、どの動画を選んで見せるかによってネイティブの感想が大きく変わり得る
ネイティブから出される感想・評価は彼らに見せる小池氏動画がどれなのかにもよって変わってきます。
ネットから削除されたキャスター時代の録画は小池氏歴代動画の中で際立ってスムーズな音読だったので「上手い」と評価されやすい一方、言い淀みや言い直しが多い原稿無し・暗記した原稿の暗唱に近い談話については「言っていることは意味が十分通じる」「話せていはいるが文法とかが間違っている」だったりと、アラブ人側からの「話せている」認定にも幅が出ることが予想されます。
ここで注意しなければならないのは、アラビア語能力評価コンテンツを作成する日本人側はネイティブからもらいたい評価や日本国内の読者・視聴者・フォロワーに伝えたい情報に合わせてアラブ人に視聴させる動画を選び意図的に言い淀んでいるシーンばかり見せるとか逆にスラスラ原稿を読んでいるシーンばかり見せるとかすることも可能だ、という点です。
検証の際にはスムーズに原稿を読んでいる動画から言い直しが多い動画まで何種類ものビデオをまんべんなく選んでネイティブにそれらをまとめて見てもらうというのも、正確性確保の観点から必要になってくるのかと思います。
小池氏アラビア語検証記事では「ネイティブたちが皆呆れていた」「小池氏のアラビア語は全くのストリートアラビック」と辛口評価になっている理由
検証記事には脚色やネイティブが言いそうにないようなアラビア語解説が多く、ネイティブによる評価が本当にその通りだったのか疑義が生じやすい
これについては検証記事を書く際に小池氏のどんな動画を見せたのか、実際にはアラブ人がどのような返事をしたのかを録音音声ファイルなどで直接確認しないと何とも言えない気がします。
検証記事ではアラビア語に関する説明や正誤判定などが恣意的に操作されているのではと危惧するぐらいに多くの脚色があり、「相手も呆れ果てている」「フスハーを話せない小池氏を慰めている」のような動画からは読み取れず仮にそう解釈したらアラビア語会話を正確に聴き取り文脈をつかむ作業ができていないと判断されるような解説が大半を占めていることから、検証記事に登場するネイティブたちの評価コメントにも同様に改変・誇張が加えられている可能性も否めないためです。
小池氏のアラビア語は道端で覚えるような100%ストリートアラビックとは異なる
そもそも、「ストリートアラビック」というのは市井で人々が話す全くの口語アラビア語(方言)でフスハーの要素が一切混じらないものを指します。
ところが、ネットにアップされている小池氏のアラビア語スピーチ動画にはストリートアラビックそのものなエジプト方言だけでしゃべっているものは一切無く、また小池氏の過去の著作からすると小池氏はおそらく純度の高いエジプト人うり二つなストリートアラビックを話せてはいなかったものと推察されるのですが、検証記事では「ストリートアラビックを話している」という判定になっており、検証者氏のアラビア語理解や意図に関して疑問が残ります。
また、小池氏はエジプト方言特有のアクセントを文語アクセントに矯正してスピーチをしていたり、検証記事が指摘している通り文語と口語を混ぜたりしているため、ネイティブが聞いて「全くの口語アラビア語でエジプト方言丸出し」だと判定するほどの要素がそこまでありません。
小池氏の著書同様、全くのフスハーでもなく、かといってエジプト人の間で飛び交う日常語のアーンミーヤエジプト方言そのままでもない、成長してから語学留学した外国人にありがちなミックス会話というのが小池氏のアラビア語フリートークに近いです。
「フスハーとアーンミーヤを混ぜる会話はアラビア語としてはあり得ず、混ぜれば必ず下品になる」という架空設定に依拠した記事であるために、不可解な主張・評価が多い
小池氏アラビア語に関して「これではとてもカイロ大学の授業にはついていけなかったのではないか」と感想を述べる人が複数現れること自体はおかしくないのですが、検証記事は
- カイロ大学の授業では教科書・資料の音読以外にフスハーはあまり使われず、先生も学生もフスハーとエジプト方言のミックスか、エジプト方言だけかを話している。
- エジプト人はフスハー会話が苦手な国民として有名。
だという有名な事実に触れられておらず、検証作業から結論・評価を導き出すまでの過程に非常に無理があり主観的であるという問題点を抱えています。
「カイロ大学で学び卒業したならフスハーがペラペラで同然」というエジプトの実情に反した主張をしているため、教育機関でアラビア語教育を受けエジプト在住経験もある側としては「どうしてアラビア語についてそんな作り話をするのか?」「実はアラビア語のことをよく理解していないまま先入観と伝聞を元に解説を書いてしまったのではないか?」「本当にエジプト人たちが全員そんな評価をしたのだろうか?」「他の部分同様、エジプト人の感想にも手が加わっていたりしないのだろうか?」という感想を持ちやすいです。
これについては検証記事に意見を提供したとされるエジプト人判定者たちにどの動画を見せたのか、どういう質問の仕方をしたのか、アラブ人たちが言ったコメントが実際はどうだったのか録音などで一字一句正確に確かめない限りは「検証記事で小池氏のアラビア語に低評価を下したネイティブたちの評価が本当の的確な意見で、ネット上で日本人たちが動画を見せてコメントをくれたアラブ人たちの評価がおかしい。」という風には断定しない方が良いような気がしました。
小池氏アラビア語検証記事・コンテンツがアラビア語学習者に与える影響
正しいかどうかとは関係無く人気を得て席巻するという現状
「惨憺たるアラビア語能力」「小池氏のアラビア語は文法も語彙も全ておかしい」という悪い方に話を盛っている記事・動画・ネットコンテンツに疑問を呈するアラビア語関係者の声は過去にネット上で複数投稿されたりもしたようですが、「検証する側がアラビア語の正しい解説を行っていない」という指摘は落選運動という大きなうねりの中で注目されることは無かったように見受けられます。
小池氏酷評記事・コンテンツは表現は悪いのですがアラビア語の用語や知識を流用して作られたバッシング専用叩き棒のようななもので、中身自体はアラビア語専門家・アラビア語学習者が絶対に真似したらいけないタイプの検証・考察だと言わざるを得ません。
アラビア語をある程度やり込んだ人間であれば、検証コンテンツに複数の初歩的アラビア語誤り含まれている、検証側が小池氏の動画を正確にリスニングできていない、誤訳もある、ということはすぐわかるのですが、一般の方やアラビア語学習年数が少ない方だと情報の正誤の判断はできないこともありネット上で信頼を得て次々に引用・転載されている状況です。
そういうこともあって「アラビア語やエジプトに関して書かれている内容は本当にそうなのか」というのが置き去りにされ「記事内容に疑問を呈する=小池氏を支持する、記事内容に同意する=小池氏を支持しない」「その記述が小池氏告発の役に立つかどうか」といった問題に置き換わり、時には「堂々と断言すれば大衆は信じるし、反論があっても押し切って目的が達せられればよしとする」「嘘でも構わないので小池氏辞任要求・落選運動の起爆剤にしよう」といった流れになってしまったりで、アラビア語やエジプトに関する本当の話というのが訂正情報として出回らないまま脚色を盛り込みすぎて都市伝説のようになった小池氏アラビア語検証・評価が広がり続けてきたようにも見受けられます。
実のところ小池氏アラビア語を検証している方々は、文法を学習してから三十年以上経過したためか初級文法の忘却結果である名詞語尾活用・動詞活用・動詞派生形などの基礎部分を間違えてしまわれている状態で、小池氏のアラビア語を鑑定する作業の完成度が非常に低くなってしまっている原因ともなっています。
「参考になる」と真に受けてしまうアラビア語学習者さんも…
アラビア語を学習している方の中には「参考になる」としてアラビア語に関する説明(例:フスハーとアーンミーヤは混ぜない、アラブの大学ではフスハーで授業を行う)を真に受けてSNSで転載・引用されている事例もしばしば見かけます。
しかしながら実際にはアラビア語学専門家ではない方々がによって不正確な考察をされ政治的理由で脚色も多数加えられている記事・動画であることから、アラビア語経験年数が少ないと真偽を見分けて役に立つ事実部分だけを選び出すことはもはや困難です。
「アラビア語に詳しいらしい人たちの言葉なので、アラビア語の勉強にもなる」と語学学習の参考にしてしまわないようくれぐれもご注意願います。
ネット・SNS全盛時代で入手が容易になった中東・アラビア語情報とその問題点
昨今出回っているアラビア語解説的な記事・コンテンツは、政治活動としての動員力重視と思われる内容だったり、「デマでもお金になる」という販売部数や収益システムの関係もあってか正確性よりも注目度・速報性が優先されたりで、作成者の誤認・アラビア語間違いをそのまま乗せて気軽に語ってしまっている誤情報満載系も多いです。
昔に比べて「アラビア語」「フスハー」「アーンミーヤ」といった言葉がメディアに登場する回数が増えたのは確かかもしれませんが、アラビア語学習者の方々に無料もしくは安価な正しい学びの機会を提供しているように見えて、むしろその逆である学びの質を下げる障害になってしまっていることもしばしばです。
特に批判・告発の側にアラビア語・中東研究・現地留学の経験がある方が立つと、攻撃材料にできるポイントを心得ており正しい情報に改変した情報を混ぜることもより巧みに行うことができてしまいます。
そして御本人が無意識に間違えている部分と意識的に改変した部分とが混ざりつつも、「アラブとはそういうものだ」「自分が留学したので詳しい」「これが真実だ」と断定調で語ることによって、アラビア語解説としては正確な情報提供になっていないにもかかわらず外見上は非常に真っ当かつ専門性が高く見える記事・コンテンツなども実際に出回っているように思います。
そうなってくるとアラビア語や中東研究の経験が浅い方たちは見抜くことができません。アラブ世界やアラビア語についてより正確な理解をすることで上達への最短距離を進むことを目指している人にとっては妨げになるものであっても、上達の途上にある段階ではそうだと気付かないまま影響を受けてしまいやすいため、コンテンツ作成者側のモラルが昔よりも問われる時代になってきているのかもしれません。
小池氏の著書・動画から推察できるアラビア語能力の実像
小池氏のアラビア語運用能力が本当はどのようなものなのかについて、都政の内容といった政治的な要素は完全に排除しつつ、アラビア語の実際や非ネイティブによるアラビア語習得・忘却の過程といった観点から一つずつ点検していってみたいと思います。
著書や動画から感じられるアラビア語学習経験の痕跡
過去にアラビア語を多少は学んだことは否定が難しい
有名な検証記事・動画は「小池氏が少しでもアラビア語ができたという要素は認めない」という方針なのか正しい部分も検証者氏自身の間違いも全部小池氏の間違いにしてしまっており、辻褄が合う部分も「怪しい」判定されたりと誇張が激しいだけで、小池氏が外交の場で使っているアラビア語は実際にはそこまでおかしくありません。
正直なところ、何の利害関係も先入観も無い管理人からすれば「昔アラビア語を学んだけれどもフスハー文法はあまり得意ではなかったらしい人物が、留学から40~50年経って忘れたこともあって苦労しながらも短いセンテンスを言ったり用意された原稿を読んだり暗記したりしてアラビア語スピーチをしている。」という風にしか見えないです。
フスハーとアーンミーヤを中級以上のレベルまで習得した方であれば、小池氏がフスハー文法の初歩部分にざっと目を通したことぐらいはあること、エジプトで多少のアラビア語を話しネイティブの会話を耳にしていたことが否定できない要素が一部動画に含まれていると感じるのでは、と管理人は思っています。
アラビア語を知らない人が絶対にやりそうなことを小池氏はしていないのにアラビア語未習者の方々に「小池氏は生涯にわたってアラビア語会話ができたことが一度も無い」「カタカナ原稿をただ読んでいるだけ」と思わせるためには、わざと誤ったアラビア語解説をしたり状況説明を自作して加えたりするしか手立てが無いというのが実情です。
「カイロ大学卒業を詐称をしているに違いないから、アラビア語ができるように見えるのも全部演技と嘘で、実力はゼロだ」と考える方もおられるかもしれませんが、それだと私情が入ってしまい客観的なアラビア語能力評価になっていないような気がします。
アクセントやイントネーションが合っている
アラビア語には専門家たちによって厳格に規定されたアクセントやイントネーションの文法はありませんが、ネイティブたちの間で共有された暗黙のルールというものがあります。
アラビア語では正則アラビア語とかフスハーと呼ばれる文語のアクセントとエジプト方言のアクセントがかなり違うのですが、小池氏は子音 ج を j ではなく g にするエジプト式フスハー発音と、エジプト式アクセントとは違う汎アラブフスハーアクセントという組み合わせを一貫して使っておりアクセントやイントネーションを間違えるということをしないので、自身で理解できているかネイティブとの事前練習で修正して頭に全部叩き込んでいるかのどちらかだと判断できます。
ただ丸暗記するにも限度というものがあり、色々な動画を見た限りでは「アラビア語経験がある」としか言えないです。
また言い間違った時に文法を思い出しながら修正を試みているシーンや間違えやすい語形を確認するため横にいる司会役に「この活用形で大丈夫?」的に聞いてる場面もあり、アラビア語フスハー文法には50年前に触れた事実がありある程度の基礎的誤用は「今変なことを言った気がする」「間違えたかもしれない」と自分で自覚して直そうとする能力も完全には失っていないらしいことがうかがえます。
ネットでは「小池氏のアラビア語が言われているほどにはひどくないというのは資金提供を受けて虚偽発言している雇われ要員なので、本当は小池氏のアラビア語はタモリ密室芸のアラビア語よりもずっと下手」といった投稿も見られるのですが、管理人がタモリ氏のアラビア語芸を見た限りではそういうことはなかったです。
タモリ氏はアラビア語に特有の喉を使った発音を意識してはいるもののアラビア語に聞こえるようなモノマネにまではなっておらず、語感やリズムがアラビア語のそれではないため、他の得意な言語の芸よりは精度が低いです。一方小池氏はある程度実際のアラビア語を知っている人の話し方でアラビア語らしいアクセントや抑揚を間違えていないので、「アラビア語を話せたことが全く無かった」「キャスター時代のアラビア語も含めて全部が偽りだった」という評価の方が正直なところ信憑性が低いです。
仮に台本とか原稿とかを丸暗記していたとしても、アラビア語のリズム感から外さないというのは既習者でないとまずできません。政治家になってからの動画でもアドリブらしい時には完全に黙ってしまうわけではなく単語を言うぐらいはできているので、「アラビア語を勉強したことがある」こと自体は事実で、問題になってくるのは「全盛期にどのぐらい自力でアラビア語を使えていたのか」といった点になってくるかと思います。
語彙や内容の理解
外交スピーチの際にアラビア語で言えない部分を対応する英語で言い換えていることもあるので、話している内容の意味についても元々意味を知っているか事前のリハーサル時に英訳何かを併記した原稿で確認・把握しているのかのどちらかだという判断もできます。
話している様子からするとアラビア語通訳・翻訳者にカタカナで書いた原稿を渡されて意味もわからずに読み上げているだけで自力で考えて言っているシーンがゼロだとは到底見えず、本番前に原稿の意味を英語か日本語で確認して備えている可能性が高いものと思われます。これについてはアラビア語を忘れた時に同じ意味の英単語でその単語に代えて言う部分から推察可能です。
小池氏は壇上における間違いの無いアラビア語スピーチ音読と違い、何も見ずに話している時は複数形を間違えたりされているので、全くの丸暗記・完全コピーや人任せとは多少違っているような気がします。
著書や各種動画を一通り見て感じる印象
ネット動画には用意された原稿を音読したり暗記したりするのではない普通の会話をされている場面がほぼ含まれていないのでなんとも言えませんが、さすがに「全くできない」「アラビア語を勉強したことがない」と判定するのはアラビア語に関する情報を改変して話を作ったりしない限りは厳しいです。
小池氏の誤用や使うアラビア語の感じからすると、文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)文法については中級~上級になるまで長期間続けたということはおそらく無く、初級の基礎をざっとカバーした経験がありその後はすぐに本・記事を読むとか日常会話をするといった実用に移行し、文語文法を繰り返しやり直すということはされていなかったタイプのアラビア語既習者の傾向に近いと感じました。
小池氏はアラビア文字を書けるのか?
『3日でおぼえるアラビア語』はアラブ人との会話においてフスハーよりも親近感を与えやすいアーンミーヤの中でも特に汎用性が高いエジプト方言を学ぶコースですが、アラビア語講師としての経験からわざとアラビア文字学習部分を排除し英字表記(ローマ字表記)が採用されています。
そのため『3日でおぼえるアラビア語』という出版社が選んだ無理のあるタイトルと相まって「小池氏はアラビア文字を書くことすら覚束ない」と誤解されることも少なくないようなのですが、小池百合子氏の自筆アラビア文字は『3日でおぼえるアラビア語』をプレゼントされた舛添要一氏の回顧記事や同じく著書をもらった方のSNS投稿等で確認可能で、管理人も何種類かを目にしました。
舛添氏記事内では忍耐の重要性を説いた格言「الصبر جميل」(アッ=サブル・ジャミール)とプレゼントされた日の年月日が添えられており、SNSで個人の方が投稿されている写真では氏名がアラビア語で書かれているのですが、日本国内で学んだ方の特徴である英語のブロック体的な運筆とは異なり、アラブ人が字をつづる時の手書き書体に似ています。
*リンク先記事では「1983年7月1日」となっていますが、正しくは1983年6月1日です。アラビア語インド数字の6はアラビア数字の7にそっくりなので舛添要一氏の記事が書かれた際に取り違えられた模様です。
また津田塾大学同窓会のアラブ詩イベントでは「平和」を意味する السَّلام(アッ=サラーム、ـسـ の上のみ発音記号あり)と書いた色紙を贈呈。衆議院議員時代には「愛」を意味する الحب(アル=フッブ)を広島県名士書道墨行展に出展。
アラビア語既習者だと感じさせるような書き順・アラビア書道と同様の筆運び・文字の形状であることから、覚え違いをしていない限りはある程度アラビア語の単語を書くことはできるものと推察されます。(アラビア書道の基礎を知っている人特有の書き方なのは、日本帰国後キャスターや政治家になったことでアラビア語フレーズを入れた色紙を書く機会が増えて習ったためだとのこと。)
「繰り返し書く名前ぐらいは丸暗記すれば誰でも書ける」と考える方もいらっしゃるとは思うのですが、アラビア語をある程度学びネイティブの書くアラビア文字を普段から見ている人の目には「現地でアラビア語をやった人の字」「ある程度書き慣れている」と感じさせる筆跡なので「アラビア文字もろくに書けなかった」という判断は正直難しく、「アラビア文字を書くという基本部分はさすがにやったことがある」という判断になると思います。
ただ「文字が書ける、筆跡がかなりきれい=アラビア語の長い文章が書ける」ではないので、その部分は混同しないよう要注意かもしれません。
アラビア語は母音をつづりに含めない言語なのでネイティブでも筆記を苦手視しており、口で話しているアラビア語の文章を正しく表記できるようになるにはかなりのスキルが必要です。非ネイティブでも口語会話は得意なのに筆記になると誤字がかなり出るという方が時々います。
小池氏はアラビア語を読めるのか?~「カタカナ原稿を意味もわからず丸暗記・棒読みしている」説を検証してみる
小池氏動画を見る限り、最も可能性が高いのは発音記号つきアラビア語原稿の使用、次いでローマ字表記によるルビふり
「小池氏は昔も今もアラビア語が全然できない」という話が発展して「カタカナ原稿を意味もわからず読んでいる」「もろにカタカナ発音でアラビア語の発音は一切できていない」という評価に結びついてしまいネットでもその意見が大勢的であるようです。
管理人は今回小池氏がアラビア語原稿を見ながらスピーチしている動画を探し回って全部リスニングしてみたのですが、その結果むしろカタカナ原稿を読んでいる可能性は低いと感じました。
おそらく「カタカナ発音だからアラビア語ができない証拠」「カタカナ原稿を暗記している」などは日本人発音やカタカナ発音が他人の語学力をディスる時の定番なので小池氏にもやっているだけで、実際の小池氏動画で見え隠れするアラビア語表記原稿音読時特有の読み違いを考慮に入れていないものだと言えるように思います。
「小池氏のスピーチ原稿はアラビア語、もしくはローマ字表記(英字表記)である可能性が高い」「カタカナ原稿を意味もわからず棒読みしているだけとは思えない」の根拠ですが
- カタカナでは表せない文字の発音ができていることがある。
- アラビア語が全然できない人がカタカナ原稿をただ棒読みしているのと違い、アクセント位置やイントネーションが合っている。そういう芸当はアラビア語の経験があるか、吹き込んでもらった音声を繰り返し真似して丸暗記したかでないと困難。
- カタカナ原稿やローマ字表記(英字表記)をただ読んでいるだけなら間違えることが無いような、母音が文字に表れないアラビア語原稿を音読する時特有の母音付加間違い・言い間違いがある。
- 一部の壇上原稿音読や事前に暗記して外交の場で暗唱していると思われる場面では、アラビア語が得意な他人が書いたカタカナ原稿や英字表記(ラテン文字表記、ローマ字表記)を丸暗記しているのなら起こらない文法間違いや言い直しがあり、小池氏自身の文語アラビア語文法知識に引っ張られて複数形・語の活用・男性形/女性形区別といった似たような項目で発生。アラビア語を知らない人が決してやらないような読み間違い・言い間違いをしているため、小池氏にはある程度過去のアラビア語学習の記憶が残っている可能性が非常に高い。
が挙げられます。
そのような結論に至った理由ですが、以下のような具体例がその根拠となっています。
アラビア語原稿を音読している時に起きやすい母音違いの発生
「読む際に補う母音が違う」「一部方言でのアーンミーヤ語形に置き換わる」というネイティブがよくやる発音が時々混ざる
こちらは2019年4月16日に開催されアラブ諸国の大使らが勢揃いしたセレモニーでのアラビア語スピーチです。小池氏は原稿を見ながら話しているのですが、その原稿をアラブ人かプロに全部書いてもらったと仮定した場合、カタカナや英字(ラテン文字、ローマ字)ではなくアラビア語の原稿なのではと感じさせる箇所がいくつか含まれていました。
意味:~にもかかわらず
カタカナ表記:(文語発音)ラグマ、(口語風発音)ラグム、ラガム、ラギム、ルグム等
英字表記:(文語発音)raghma、(口語風発音)raghm、ragham等
発音記号無しのアラビア語表記:رغم(r◯gh△m◇)*◯/△/◇には自分で考えて母音a/i/uを補う
発音記号ありのアラビア語表記:(文語発音)رَغْمَ
小池氏の実際の発音:ラガム
小池氏は「ラガム」と発音している部分は、もしアラビア語専門家が書いてくれたカタカナや英字表記原稿だったのならば通常「ラグマ」や「ラグム」で読まれる語です。ラガムという母音違いパターンはネイティブが口語風発音をする時にしばしば聞かれる読み方で、ニュース番組などで耳にすることも多いです。
これは
- 原稿を書いたアラブ人が、ネイティブによくある「フスハーの文を書いたのに発音が一部口語方言語形になっている」をしている箇所で原稿の時点でそういう風に読ませるような表記になっていた。
- 原稿を書いた後発音指導も受けているとすると、その段階でお手本訳のアラブ人がネイティブにしばしば起こる一部の口語発音置き換えをしていて、小池氏がそれをそっくりそのまま暗記した。
- 原稿では正確な発音記号(母音記号)が書き入れてあったか、ローマ字表記(英字表記)でそれに対応するルビがふってあったかしたが、小池氏が過去に覚えたネイティブ発音が純フスハー発音でなかったとか小池氏のアラビア語間違いに引っ張られたとかで、原稿通りではないフスハー発音をした。
のいずれかに当たることを示唆しています。
「全くの誤読でアラビア語もできない人の読み間違い」かというとそうでもなく、本や辞書による学習よりもネイティブの発音を聞く割合が高い人に起きやすい読み方だと言えます。
意味:関係
カタカナ表記:(文語発音)アラーカート(口語風発音)イラーカート
英字表記:(文語発音)‘alāqāt、(口語風発音)‘ilāqāt
発音記号無しのアラビア語表記:علاقات(‘◯lāqāt)*◯には自分で考えて母音a/i/uを補う
発音記号ありのアラビア語表記:(文語発音)عَلَاقَات、(口語風発音)عِلَاقَات
小池氏の実際の発音(1):アラーカート(文語発音)
小池氏の実際の発音(2):イラーカート(口語発音)
「日本とアラブ諸国との関係」といった表現として登場する名詞「関係」の複数形については、原稿の中でフスハー発音で通せばアラーカートになるのですが、小池氏はフスハー発音のアラーカートとエジプト人がフスハー会話をする時に混ぜ込みやすい口語発音のイラーカートの2通りの発音を行っています。
この語 علاقات(関係)については、日本人学習者は教科書の通りアラーカートと読むのですが、ネイティブについてはニュース番組や政治家スピーチなどでもイラーカートと発音する割合がかなり高いです。
フスハーとして会話・音読する時もアラーカートをイラーカートと読むエジプト人などは実際にかなりいて、日本で過去に発売されたアラビア語教本の音声教材でも聞いたことがあったように記憶しています。
イティブだとフスハー発音・正しい発音に含めてしまうことも多く、「完全な誤用」「アラブ人すらやらない」判定は難しい
なのでこの部分に関しても、小池氏がネイティブでもやらないような読み違いをしたというのとは違っていて、良くも悪くもエジプト人やネイティブたちがフスハーでもそういう発音をするものと思って話したり、無意識にフスハーにアーンミーヤ要素を混ぜたりしているアラビア語をそのまま聞いて覚えたケースとして分類すべきだと思われます。
こうした発音の揺れはアラビア文字表記や原稿をあまり見ずに話者が頭の中で考えながら話す時に起きやすく
- アラビア語で原稿を作った人が間違えて、全部 عَلَاقَات(アラーカート)で統一するところを一部自分が普段やっているアーンミーヤ発音の عِلَاقَات(イラーカート)と読める発音記号(母音記号)を書き込んでしまった
- 原稿では عَلَاقَات(アラーカート)なのにエジプト方言発音の عِلَاقَات(イラーカート)に慣れている小池氏が発音記号通りにせずに普段の癖でイラーカートと1箇所読んだ
のどちらかだと推察できます。
もしこうした母音違い発音がスピーチライター由来だとすると、作成したアラブ人がアラビア語科出身以外である可能性を示唆
アラブ人でこういう方言要素を完全に排除して100%フスハーで話し続けることができるのは、アラビア語科卒業生やアラビア語学習総時間数が多い職業の人などフスハーの知識がかなりあるタイプで、数としては少数派です。
アラブ諸国ではネイティブといってもフスハーは皆何かしら間違いをしてしまうので、上記のような人材は出版業界・メディア業界の校正役として働いていることも珍しくありません。
アラビア語を職業にしているネイティブでも、アラビア語学科やイスラーム学科出身でもない限り発音記号を間違えてアラーカートとイラーカートの2通りつけてしまうということをする確率は上がります。逆にこういう方言発音というのは、文法書で何年もかけてフスハーを勉強した日本人には起きにくい現象です。
小池氏のスピーチで聞かれるような母音記号違いの口語発音というのは、アラビア語学科ではなく日本語学科・メディア学科・英文科などを卒業した在日アラブ人が通訳・翻訳家として従事した場合に起きやすいため、スピーチライターを仮に雇っているとすると、どんなタイプのアラブ人が携わっているのかがある程度思い浮かべられるように思います。
なお、小池氏についてはアラブ人名に関してはアラビア語表記そのままなアラビア語発音ではなく英字表記をローマ字したと思われる発音になっていることが複数事例あるので、名前部分は名刺なり事前に読み込んだ資料なりに書かれている該当人物フルネームの英字表記で確認され読み方をメモされているのかもしれません。
発音記号つきアラビア語原稿に見られるネイティブに特徴的な要素
新型コロナウイルスに対する注意喚起ビデオと「アラブ人がよくやる表記・発音」の表れ
2022年3月19日に東京都知事として新型コロナウイルスに注意喚起を行った時のアラビア語動画です。
字幕ではアラブ人向けの発音記号(母音記号)無し表記ではなく、アラビア語を読めない外国人学習者向けの体裁である発音記号(母音記号)つき表記となっていました。この方式のメリットについては
- 全部の文字に発音記号を書き込んであるので、意味がわからなくてもただ音読するだけでOK。
- 文字と記号の読み方さえ知っていれば、読み間違いは起こらない。
- 現地生活から半世紀遠ざかってアラビア語会話が苦手になっていても、対応可能。
などが挙げられ、色々な国のイスラーム教徒が音読する聖典クルアーン(コーラン)も同じ方式を採用しています。
新型コロナウイルス感染症注意喚起アラビア語メッセージの字幕
| عَلَيْنَا إِيقَافُ تَفَشِّي فَيْرُوسْ كُورُونَا وَلَيْسَ اَلْأَنْشِطَةَ الْاِجْتِمَاعِيَّةْ. خُذُوا اَللِّقَاحْ وَ اِرْتَدُوا اَلْكَمَّامَاتْ. أَرْجُوا مِنْكُمْ اَلْاِسْتِمْرَارَ فِي اِتِّخَاذِ إِجْرَاءَاتِ اَلْوِقَايَة وَحِمَايَةِ أَنْفُسِكُمْ وَالْأَشْخَاصْ مِنْ حَوْلِكُمْ مِنَ الْإِصَابَةِ بِالْفَيْرُوسْ. |
管理人はこの文章を見た時に、発音記号(母音記号)の付加方法にネイティブのアラブ人っぽさが出ているように感じました。その根拠としては
- الْأَشْخَاصْ のように格変化を表す語末母音などを省く簡略化日常会話風フスハーの時の語末にスクーン記号(ــْـ)を書くという行為は、フスハーだけを学んだ日本人はやらず、ネイティブのアラブ人が常用するスタイル。
- خُذُوا اَللِّقَاحْ [ フズー・アッ=リカーフ ] のように本来のフスハー文法での発音 خُذُوا اللِّقَاحْ [ フズ・ッ=リカーフ ] にせず、短母音化するはずの長母音をそのまま「フズー」と伸ばし、発音されずに読み飛ばす定冠詞「アッ=」部分の「ア」を読んで「アッ=リカーフ」のままとする、というスタイルは昨今のネイティブのアラブ人がよくやるメディアアラビア語的な読み方で、厳密には元々間違い扱いされていたものだったためフスハー文法を専攻した日本人はあまりやらない。
- كَمَّامَاتْ [ カンマーマート ] は本来文語発音は كِمَامَاتْ [ キマーマート ] で、ネイティブのアラブ人はフスハーのニュースなどでもアーンミーヤ発音のカンマーマートを使う人がかなり多い。
あり、こうしたネイティブがよくやる「本当はフスハー文法違反だけれども、アラビア語の近代化・簡素化に伴い広まり、今ではあらゆるテレビ・ラジオ番組でのアナウンスにも広まっている」的な要素が字幕に多数含まれていることで「これはアラブ人が書いた原稿では?」と強く感じさせるように思いました。
小池氏はカタカナ原稿ならできないような発音区別、カタカナ原稿・ローマ字原稿ならやらないような言い間違い・言い直しをしている
新型コロナ動画ではアラビア語のかすれた音 خ(kh)を出したり、喉のところを狭くして出す擦れた音 ح(ḥ)をカタカナの「フ」や「ハ」のように余計な母音を足さずに子音だけ読んで止めたりということをやっているのが聞き取れます。
これはカタカナ原稿などでは表現できない部分なので、やはり小池氏アラビア語スピーチの原稿自体はアラビア語で書かれておりアラビア語のプロが関わっているとしたら本文を書くのと発音記号(母音記号)をつけるところまでで、小池氏はその原稿をそのまま音読している、という可能性が一番高いのではないかという気がします。
もしプロのアラビア語通訳・翻訳者がカタカナやローマ字(英字、ラテン文字)で読めるように原稿を作っているのであれば、書かれた通りに音読するだけで済むので、小池氏の原稿音読スピーチ各種動画のように何箇所も読み間違えたり文法・活用・語形を自分で修正して言い直したりなどしないものと思われます。
小池氏のアラビア語スピーチ原稿は発音記号ありアラビア語原稿、もしくはローマ字表記への置き換えの可能性が高い
以上から、小池氏のスピーチ原稿は発音記号(母音記号)を全文字に書き込んだアラビア語原稿だというのが第一候補で、次いでローマ字(英字、ラテン文字)表記原稿、カタカナだけの原稿というのは最も考えにくい気がします。
もし仮にふりガナ的なものがあるとすれば、アラビア語のプロがアラビア語原稿を作ってくれた後に小池氏が自分でメモのように書き足している程度で、メインはアラビア文字かローマ字なのでは、と思われます。
小池氏については「アラビア語を全く読めないのでカタカナで書いてもらってただ棒読みしているだけ」という評価が有名になりすぎて信じられないという方も多くいらっしゃると思うのですが、もしそうだとすると些細な母音のつけ違い・文法間違いの後の自力での言い直しの説明がつかないです😥
「発音記号がついたアラビア語原稿を読める=新聞や学術書も理解・音読できる、自由自在にアラビア語を話せる」ではない
アラビア語は表音文字なので発音記号がついていれば音読するのは比較的容易
アラビア語の発音記号(母音記号)というのはイスラーム(イスラム教)の聖典クルアーン(コーラン)を読み間違えないようにと開発されたもので、アラビア語を話さない非アラブ人信徒でもアラビア文字の発音と発音記号(母音記号)さえ覚えれば音読ができる、をつけた時の読み上げ方法を学ぶことにより、アラビア語の文章の意味を理解していなくても自分の宗教の聖典を音読できるようになります。
東京都の新型コロナウイルス警戒呼びかけビデオの字幕のようにほぼ全部の文字に発音記号(母音記号)が書いてあるものは、アラビア語を理解していなくても音読できるので、そうした原稿を読んでいる動画だけでは小池氏の実際のアラビア語会話能力というのは推測ができません。
小池氏スピーチ原稿が仮にアラビア語表記だったとすると、アラビア文字と発音記号(母音記号)という基礎は知っていることの証明になる
とはいえ、発音記号(母音記号)がついたアラビア語の文章であってもアラビア語が全くだめだったりすっかり忘れてしまったりしている人には読み上げることはでいないので、もし小池氏のスピーチ原稿がアラビア語で書かれているとしたら、全くの初心者よりも音読技能はかなり上だと判断することになるかと思います。
発音記号(母音記号)が無い普通の本やニュース記事の音読はネイティブでも苦手で難易度が高く、読解能力を調べるテストの手段としては向いていない
アラビア語に関しては本の音読能力=理解力・翻訳能力ではない
一方普通の本の音読ですが、アラビア語は子音字だけでつづり母音の a(ア)・i(イ)・u(ウ)が文字情報に含まれないので、音読しながら文法知識を駆使しながら猛スピードで処理して正しく発音するという困難な作業を伴います。
アラビア語は文章の全ての単語が ggrks みたいな書き方になっており、音読する時には目で少しその先を追いながら単語の語形・構文・主語述語関係などを判別。欠けている a(ア)・i(イ)・u(ウ)の音を単語のあちこちに配分しながら自分で全部考えながら補って gugurekasu(ググレカス)と音読しなければいけないため、フスハー能力が決して完璧ではない人が多いアラブ諸国のネイティブたちも強い苦手意識を持っていたりします。
そのため日本人の研究者なども専門書などを「音読は正確ではないけれども、意味を取りながら黙読するのはできる」というレベルで読むのが一般的で、ある程度比例はするものの「アラビア語文の読解能力≠アラビア語文の音読能力」というのが普通です。
小池氏についてはよくアラビア語能力検証として「小池氏に新聞記事や本を渡して音読させよう」と考える方がいらっしゃるようなのですが、カイロ大学での卒業能力という点ではフスハー文の音読能力とフスハーによるフリースピーチ能力は直接関係無い技能に当たり、ネイティブや多くの中東・アラブ研究者たちですら得意ではないことなので、アラビア語能力テスト方法としては過大要求に当たると言えるかもしれません。
こうした発音記号(母音記号)ゼロのアラビア語文の読み上げについては小池氏アラビア語検証記事・コンテンツを作られた方とかでもかなり誤読をされていて、実際に拝見したいくつかの動画では記号がふられていない書類や書籍に関しては1ページにつき数ヶ所の読み違いが起きていたりと、文法を勉強していた若い頃から何十年も経ちアラビア語を毎日使っていた最盛期を過ぎてあまり使わなくなってくると特に低下しやすいスキルであるという特徴は、小池氏に限らずアラビア語既習者で学生時代に文法学や語末格変化の徹底的な訓練を受けなかった方々(日本のアラビア語界隈では少数派)に共通の点ともなっているように感じました。
特に語末格変化も含め単語の全ての部分を100%正確に音読することは、専門家でない限りネイティブでもできない
アラブ人たちはニュースのフスハーですら格変化の母音を除去して楽をするという読み方をしてしまっているため、格変化を間違わずに記事を書いたり音読したりといったことはアラビア語を第二外国語などとして勉強した後に資料購読や日常会話をしたりテレビ番組を聞いたりするだけでは身に付かないスキルとなっています。検証記事・コンテンツ作成者の方たちは基礎文法に加えこの部分をよく間違えておられることから、格変化ありの音読などを長い間されていない可能性が高いです。
日本人で補助記号無しのアラビア語文を語末母音を省かずしかも文法的に正しく完璧に音読できる方は数えるぐらいしかおられないと思うのですが、おそらく堅めのフスハーとの付き合いが欠かせない現地宗教大学出身のイスラーム活動家や文語詩など特定ジャンルのアラブ文学専攻で大学でもアラビア語を教えている方などに限られるのではないでしょうか…
「小池氏にアラビア語の本を渡して音読させよう。完璧にフスハーとして全ての母音記号を間違わずに音読できなければカイロ大学を卒業できなかったと証明できる。」といった言説があるとすると、社会学科を卒業したようなネイティブでも間違えることがあるような要求に当たるため、小池氏のアラビア語能力を測る手段の案としては不適切である点に注意が必要かもしれません。
小池氏はアラビア語を話せるのか?
言っていること自体は聞き取れる・理解できる小池氏の外交・公務時アラビア語スピーチ
小池氏のYouTubeとFacebook上にアップされているアラビア語会話シーン入り動画ビデオを一通り見たのですが「何を言っているのかわからない」という動画はありませんでした。
検証記事・コンテンツは小池氏批判を展開するために「意味不明なアラビア語」「言っていることがわからない」を過度に強調したせいで「検証者側がリスニングできていない、文法・語彙間違えているだけなのでは?」と受け取られるいう弊害が逆に出てしまっているぐらいで、実際にはどの動画も言いたいことが理解でき、アラブ人側とのやり取りも形式上ではあれ成立しているような仕上がりになっています。
というのも小池氏の場合外交・公務場面ではその多くがネイティブ作成原稿を元に談話している可能性を感じさせる語彙を多数用いたアラビア語会話をされているので構文・語順といった土台そのものは合っており、カタカナ風発音だったり単数/複数や男性/女性が多少違ったりしていても言いたいことは全部理解できる仕組みになっているためです。
なお単語を言っているだけのシーンはリビアのカダフィ(アル=カッザーフィー/アル=ガッダーフィー)大佐に任天堂ゲーム機Wiiをプレゼントした際のフリートークぐらいでした。(その後にアラビア語スピーチをしている様子が映っているので、単語を連呼して会談が終わったわけではないです。)
各国で撮影された動画では、小池氏が要人ということもあってどの相手も小池氏の外交スピーチが終わるまで聞いて待っているので小池氏も用意されていた原稿の中身は言い切っているように見受けられるため、検証記事における印象操作が原因で「アラビア語で何も言えていない」「中身がほぼゼロ」とされている談話もちゃんと全訳するとそれなりの文字数にはなり、要点は一応伝達されている形となっています。
小池氏は簡単な基礎会話はできるのか?
小池氏に関してはワールドビジネスサテライト(WBS)をリアルタイムで見ていた方たちが「イラク大使を呼んでアラビア語で話していた様子からはとてもアラビア語が全くできない人には見えなかった」「フスハーメインで話していたのを覚えている」といった回顧をしていたり、アラブ関係イベントに参加した人たちが「通訳無しでアラブ人たちとやり取りしていた」といった報告をしたりしていることから、外交で求められるようなフスハー演説は苦手でも、5年近くエジプトに住んでいただけあってある程度の基礎会話自体は元々できていた可能性があるものと思われます。
AP通信がYouTubeで配信しているシリア人難民キャンプ視察動画(撮影は約10年前)では欧米通信社による取材ということもあり主な会話もインタビューも英語で行っているのですが、アラビア語で「あなたたちはシリアのどこ地域出身なんですか?」「あなたはどこ出身?」と聞いているシーンについては言い淀みも無く楽そうに話しているのがわかります。
フスハーを話せない人たちでも理解できるアーンミーヤを使った語りかけで、普段の外交スピーチと違いいわゆる日常会話に分類される内容です。必要なアラビア語表現を随行員に聞いて事前に確認したという可能性もあり得るとはいえ、女の子にエジプト方言風に「あなたはどこ出身なの?(エンティ・ミン・エーン?)」と言ってからシリア方言風の「どこ出身(ミン・ウェーン)?」と言い直すなど、フスハーの時よりもスムーズに余裕をもって言えているように見受けられます。(ものすごく簡単なフレーズだからということもあるとは思いますが…)
*この時男性が「あなたはアラビア語を話せるんですか?彼らのうちの誰かと話してはいかがですか?」と持ちかけていますが、動画にはその後どういうやり取りになったのかまでは収録されていまません。
エジプトの放送局が海外で活躍するエジプト出身者として小池氏のロングインタビューを行った際には主に日本語で対応していたのですが、途中カイロ大学社会学科卒業生としてエジプトについての感想を聞かれアラビア語で答えるシーン(36:18頃~)があります。
ここでは相手のややかしこまったエジプト方言会話に合わせ普段の外交シーンに比べるとエジプト方言の比率が高くなっており、仮に事前に用意されたフレーズで練習済みだったとしても、外遊の時のフスハー寄りの発話よりも話すのが多少楽そうに見えます。
途中で一度斜め先に目線が向いておりその際にカンペを確認した可能性は否定しきれませんが、取材者のエジプト方言に対しエジプト方言で返事をするのは外交アラビア語スピーチよりも小池氏にとってはハードルが低いこと、「自分はナイルの水を飲んだのだから、将来またカイロに戻ることでしょう。」というエジプト人相手に何度か使ったことがあったであろう定番フレーズであることから、多少考えながらであっても締めの決めぜりふとして言えていた、といった感じだったのかもしれません。
これらの情報を総合すると
- 番組や外交では誰かが手伝ってくれている可能性があるものの、全然アラビア語ができない人のしゃべり方ではない
- 自著でも書かれていた通り、昔からフスハーよりも方言の方がだいぶ楽そうに見える
- 日常生活でも使いそうなごく簡単な基礎会話なら卒後だいぶ経っている今でも言うことはできそうに見受けられる
- 「昔も今もアラビア語をしゃべれたことが全く無い」「アラビア語能力はゼロなのにあたかも多少話せるかのように皆を完璧に騙してきた」というのは現地在住歴が長かったこと考えるとさすがに違うのでは(そもそも告発記事も当初はショッピングなどの日常会話はできるという設定で、全く話せたことが無いという極端なものではなかったかと)
といった判断が妥当なのではと思います。
小池氏はフスハー文法は得意なのか?
『3日でおぼえるアラビア語』のレビューのところで書きましたが、文法の言い間違いからするとフスハーの文法をみっちり1~2年やった方とは違っており、口頭での会話メインで覚えた方の特徴がだいぶ出ているとの印象です。
『挑戦 小池百合子伝』には日本にいる時にアラビア語の参考書を買って勉強し始めたもののエジプトに行って勉強せざるを得なくなってから取り組むのがいいと考え直し中断した、と書かれています。
通常日本人学習者は日本語の参考書で基礎文法を一通り学ぶのが最も効率が良く、英語で学ぶ場合は文法用語などを別途覚えないといけないので遠回りになることが多く、アラビア語で学ぶ場合は先生が言っていることの意味がわからない状況に陥りやすいです。
どの言語でもそうですが、アラビア語の上手い文章を作りかつある程度の長さに仕上げて連ねるためには机上の勉強経由であれ実践による自然な習得経由であれ文法力が必要で、それが足りないと短文を並べるだけになってしまいます。
壇上でこなれたアラビア語原稿を読み上げておられる時と、フリースピーチに近い時とで言い淀みや言い間違いの分量に大きな差があるのは、実在する可能性が高いと思われる原稿作成従事アラブ人/日本人アラビア語専門家のフスハー文法力とエジプト方言による会話の比重が大きかった小池氏ご本人のフスハー運用能力との差に起因するのかもしれません。
そもそもフスハー文法というのは外交・商務といった業務や日常会話ではあまり使わない事項も多く、習ってから次第に忘れやすいです。日本人で留学後フスハー文法能力があまり落ちていないのはイスラーム教徒だったりアラビア語を教える立場だったりする方が少なくなく、日本で「◯◯さんはフスハーが堪能」と有名なアラビア語関係者のかなりの割合の方がイスラーム教徒でアラビア語学をかなりやり込んだ経験を持っているという共通点があります。
小池氏の場合はそれと違い一度勉強した後はフスハー文法を繰り返し復習しなくなったきり忘れていくパターンが多いコースを進まれているので、日本帰国後40~50年経って基礎部分がだいぶ抜けてしまっていても不思議ではないかもしれません。実際に小池氏検証記事・コンテンツを作られている方たちや学習書を自費出版されている比較的年配のアラビア語既習者の方たちだと、経年による忘却と思われる文法間違いの割合がやや高めとなっており、小池氏と多少似た傾向を示されているとの印象です。
自分も長いブランクがあった時にはあまり使わない文法事項は記憶の奥底に眠ったりすっかり忘れたりしたので、文語で日常会話をする人がほぼおらずフスハー会話でも多くの文法事項を省略して簡素化させて話すというのが広く行われているアラビア語特有の「文語文法の細かい部分は使わないから忘れる」という特質と関係しているように思います。
小池氏外交スピーチと単語力・語彙力
小池氏がアラビア語を間違えている・語彙がおかしいという指摘は大半が検証者側の間違い
今回管理人が小池氏のアラビア語スピーチ動画を見て回った結果、意味不明レベルでアラビア語には聞こえない何かを言っているシーンは全く無く、聞き手の側で補えば言いたいことは一応わかるものでした。
検証記事・コンテンツで小池氏が語彙を間違えていると指摘されている部分のほぼ全部が検証者側の誤りによるもので、実は小池氏の言い方で正しい・OKだという箇所がかなりの数になります。
検証者側の間違いが小池氏の間違いに置き換わっている部分(一例)
小池氏アラビア語能力検証で「アラビア語に存在しない」「聞き取れない」と判定されているものは、検証者側が動画をリスニングできなかった・実在する表現だと辞書などで調べることができず存在しないと断定してしまった、といった部分に当たります。
「学生」という意味の単語すら使えない。
▶検証者側の聞き間違え・別の単語との取り違え・誤訳による誤判定
小池氏は動画で「学生」という名詞ターリブの複数形の一つタラバ(学生たち)を正しく使っており間違っていないが、検証した側が聞き取りできず似た響きの名詞と誤解し誤用と判定してしまった箇所。
「ヌサーイド・シャフス・ワ・シャアブ」という発言は「人と国民を助ける」という意味で言っているようだが、この「人」というのが誰のことを言っているのか分からない。
▶検証した側が実在する熟語を知らなかった/調べて見つけられなかった
おそらく欧米言語「the individual and the people」や「the individual and the group」からの輸入表現として「個人と集団」「個人と人民」という意味で実際にアラビア語記事や書籍で使用されていることが確認可能。検証者氏が実際にアラブ人たちが使っている表現だと確認せず語義を突き止める作業を完了せず、かつ単語を「個人」ではなく「人」と訳してしまったために「意味がわからない」「そんな表現は実在しない」と断定した箇所。
アッラジーナ・ヤドルスーナ
▶検証した側の文法間違い
小池氏は関係代名詞アッラズィーナ(アッラジーナは日本語慣用表記特有のズィ→ジ置き換えで厳密には発音間違い的当て字)を使わない非限定形で言っているので、関係代名詞を足すべきだと書いている検証者氏の文法間違いに該当。小池氏はリビア人学生たちをアッラズィーナを非限定形で言っているので限定形と組み合わせる関係代名詞を入れるのはむしろ文法違反。
「ズィヤーラ(訪問)」の後、「(場所)へ」を意味する前置詞の「リ」を使うのもエジプト口語で、正しい前置詞は「イラー」
▶検証した側の文法間違い、文語用法と口語用法の混同
前置詞リを使うほうがフスハー的であるにもかかわらず検証者氏が誤用であるイラーの使用を正しいとして解説している箇所。ズィヤーラは他動詞由来の動名詞なので訪問先の場所に前置詞を置かないのが正則用法で、前置詞イラーを使うのがメディア関係者に流布しており文法家らによって問題視されている有名な誤用。検証記事の解説内容はアラビア語辞典や文法書を調べても載っておらず誤用辞典に収録されていることから、検証者氏が専門書で調べずにフスハーの苦手な人が非常に多いことで知られる学科出身・業界所属のエジプト人を動画検証補助役に起用したことが原因となったとも考えられる。
「面会は、とっても、とってもよいものでした」と言うのに形容詞の「ラズィーズ」を使っていること。辞書によっては「甘美な」という意味も出ているが、実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語で、「面会は、とっても、とっても美味しいものでした」と話している
▶小池氏は「良い会談、歓談」という実在の文語口語共通表現を使ったが「辞書にも載っているが実在しないので小池氏が間違っている」と独自解釈し誤用認定した結果「美味しい面会」と誤訳
古典的検証者氏の誤解とアラビア語辞書からの語義の読み取り間違いで、小池氏は間違っていない。ラズィーズを面会や会談に使って「良い会談、楽しい会談」と表現するのはイスラーム以前からある古典的な文語用法で、詳しい辞書には普通に用例として同様の使い方が載っており見落とすことはまず考えられず、アラビア語辞典が実在しない語義を掲載しているということも辻褄が合わないので、色々と承知の上で「食べ物にしか使わない」と話を変えて記事化した可能性も否めず。
「タルビーヤ」を使っているが、これは「子供を躾ける」という意味
▶タルビーヤは口語発音で、フスハーではタルビヤ
「小池氏のアラビア語を正しいフスハーに直す」という趣旨の検証記事にもかかわらず、各所で口語発音を使ってしまっており、検証者側が文語発音と取り違えてずっと「タルビーヤ」としている部分。
▶小池氏の使い方で大丈夫だが辞書にも載っている「教育」という頻出語義を無視した上で誤用認定
検証者氏が動名詞タルビヤをタルビーヤという口語語形ないしはネイティブがよくやる文語語彙の誤読としてカタカナ化した上で「子供のしつけ」しか意味しないと誤解していることによる誤判定。タルビヤは幼児教育・初等教育の「教育」の意味で使いアラビア語辞典にも「教育(タアリーム)」の同義語として掲載あり。日本はエジプトに日本式小学校を作る援助をしていることから談話の内容としては辻褄が合っておりタルビヤの使用でもセーフ。
ヤアニイ(「つまりぃ」という意味の、言葉に詰まったときに使う口語)
▶ヤアニイではなく正しくはヤアニー
厳密にはヤアニイではなくヤアニー。アラビア語では声門閉鎖音/声門破裂音+母音イのヤアニイと語末が長母音īになるヤアニーは別物になってしまうため、検証者氏のカタカナ表記が不正確だとの印象。ヤアニーのアラビア語表記を知らないと受け取れる箇所のため、ヤアニーが良いかと。
▶フスハー表現を検証者の独自判断で口語表現扱いして小池氏の不適切使用と判定
また、言い換えや言い淀みの表現で文語由来の文語・口語共通表現でありフスハー会話をするネイティブのアラブ人がフスハー表現として多用する言葉なので、小池氏が口語エジプト方言を使っている箇所として挙げるのは不適切。
これ以外の記事・コンテンツにおける指摘も同様で、当方が確認した結果アラビア語に実在しない語彙を使っている部分はありませんでした。あるのは単数形を複数形で言ってしまったといった言い間違えで、辞書にも載っておらずアラブ人も使ったことが無いような珍表現を口にしているシーンはありませんでした。
そのため「小池氏がアラビア語に無い語彙を使っており、アラビア語の基本的な知識も持ち合わせていない人が話していることがばればれ」という解説は脚色・創作と判断せざるを得ません。上記のような指摘についてはむしろ検証を行った方たちのアラビア語運用能力に不足があることを露呈してしまっている箇所に当たり、小池氏のアラビア語スピーチの語彙力の方がむしろ上回っていることを示唆しています。
この逆転現象とも言える状態ですが、小池氏のスピーチの原稿をネイティブのアラブ人が作成補助している可能性があり、談話のベースとなったアラビア語のレベル自体が非ネイティブである検証者の人々よりも高かったためだとも考えられます。
文脈から意味は理解できるレベルの部分(一例)
アラブ人であれば文脈から判断して普通に理解できるような事例であるにもかかわらず、「言い間違えたせいで意味不明になっている」「複数形にしたせいで相手のアラブ人は理解できない」と事実誤認とも言える過小評価が行われている部分も見受けられました。
「マンパワー」を「アル・クウワティル・バシャリーヤ」と言うべきところを「アル・クウワーティル・バシャリーヤ」と言っている(日本人には同じように聞こえるかもしれないが、アラビア語では大きな違いがある)。「クウワート」(複数形)だと「軍隊」という意味になるので「人の軍隊を推進したい」というわけの分からない発言になっている
▶アラブ人は文脈から意図を理解できることを示さず「わけの分からない発言」とした事実に基づかない不適切解説・脚色
脚色により小池氏のアラビア語を現実以上につたなくアラブ人に通じないものとして演出している部分に該当。アラブ人は文脈でわかるため「人の軍隊」とは解釈せず、単に単数形にするところを複数形にしてしまったとしか思わず「マンパワー」と理解するのが普通。ちなみに「アル=クウワートゥ・ル=バシャリーヤ」(上記表現の主格語形)自体は実在しない表現ではなく軍隊の兵力のうち機材・ロボットや軍用犬などを除いた人間の兵士を指す「軍人員、兵員、兵士たち」という語義で使われており、小池氏の使った言い回しは軍関係の文脈で使った場合は「軍人らの激励」「軍人らの応援」といった意味になり得る。
▶ただし小池氏がこのように複数形を間違える回数が各動画の中で何度かあり元々苦手だった分野だと推察できるのもまた事実。アラビア語は男性規則複数形、女性規則複数形、非常に多くの種類の不規則複数形がありほとんどは語末にsをつけてあとはfoot-feetやmouse-miceなどを覚えていけば良い英語に比べると非常に煩雑で、小池氏動画で複数形の言い間違いが多めなのはアラビア語学習者にとっての難関の一つでいちいち暗記しないといけない事項だからかと。
こうした箇所を全部除外していくと、小池氏が宇宙語のような意味不明のアラビア語を話している動画・音声はほぼゼロになる感じです。
「動画のアラビア語会話から小池氏の語彙力の無さがわかる」と「小池氏は人に作ってもらった原稿を意味もわからず読んでいるだけ」の矛盾
小池氏アラビア語能力検証記事・コンテンツでは「小池氏は基礎的な語彙力すら無く全然違う単語を使っている」という評価と「実はアラビア語は全然わからず、人に書いてもらったカタカナ書きの原稿を丸暗記して言っているだけ」という評価が同時で示されているのですが、これらはお互いに矛盾する内容となっています。
もし仮に語彙力すら無い人がアラビア語会話を真似ようとしても外交メッセージをかろうじて伝えられるようなスピーチにすらなりません。しかし小池氏の外交スピーチについてはフスハーを知らずフランス語や英語混じりの方言しか話せない人にアラビア語のみでのスピーチを強要した時よりもずっとはっきりしたアラビア語なので、色々な種類のアラビア語に触れたことがある人だと「意外と話せている」と感じやすいです。
一方「人に書いてもらった原稿をただ読んでるだけ」はアラビア語能力が低いとされている人にしては構文・語彙ともに文章ができすぎていて、初歩の初歩しかできない人が知らないはずの単語や文法を使っていることを示しています。
おそらく検証を提供している側の方々が小池氏批判の材料を揃えるために色々と指摘事項を考えて盛り込んでしまい、お互いが同時に成立しない「語彙力が無い」と「プロが書いた原稿を丸暗記している」を一緒に入れてしまったのだと思うのですが、これらを両立させるには「プロが書いた原稿を使っているように見受けられるが、本人のアラビア語スキルとの間にギャップがあるため、丸暗記して言っているシーンではところどころ忘れて言い間違いにつながっている」という風に評価する必要があるように思います。
どちらにせよ、「聞き取れない」「ちんぷんかんぷん」「意味不明」「アラビア語じゃない」は明らかに誇張で、「大学で習うような型にはまったフスハー以外の、色々な種類のアラビア語をリスニングするのに慣れていない」「本当は聞き取れているのに小池氏のアラビア語がダメダメだという脚色の都合上わかっていない演技をしているだけ」といった聞き手側の事情によるものなので真に受けない方が良い気がします。
小池氏は自力で外交スピーチを全部考えて話しているか?~ネイティブ的でアラビア語慣れした人が書く感じの原稿について
実際のところ、小池氏は言い淀んだり文法を間違えたりしていても日本語と大きく違うはずのアラビア語的な語順を守ったトークとなっていて、時事アラビア語に触れていないと言えないような名詞や動詞も使っています。
そのため同氏のアラビア語を聞いた限りでは「小池氏がもしアラビア語が本当に苦手でエジプトに何年も住んだのにほぼ身に付かなかったとしたら、実力では言えないはずのレベルのアラビア語を外交シーンでは話している。特に壇上で原稿を読み上げている時のフスハーは文法を知っている人の書ける文章らしさを備えている。だとしたらアラビア語補助としてネイティブかアラビア語のプロが小池氏個人についているかその都度委託されているのでは。」と推測させる余地があるとの印象です。
もし仮に原稿を読んでいない時の外交スピーチが丸暗記ではなく全部自力で言っているものだということになると「アラビア語通訳の仕事から遠ざかった卒後40~50年の時点であれだけ言えていれば、学生時代はむしろアラビア語の基礎ができていたはず。下手をするとアラビア語が苦手なアラビア語専攻学生よりも上だったかもしれない。」と推測すべきなぐらいです。
しかしながら『3日でおぼえるアラビア語』の中に似た字の混同や基礎文法の間違いなどがあることからするとそうした上手さを感じさせる部分はアラビア語話者由来で、やはり議員・大臣・都知事という公人としてネイティブチェックやアラビア語要員の補助・支援のようなものをちゃんと受けられてきたのでは…という気もします。
小池氏がアラビア語に堪能だとしても本人に任せて他の要員を随行させなければ、周りの日本人が理解できないアラビア語で密談を交わして色々な約束を無断でしてしまう、下手にアラビア語を話して相手の土俵に乗り不利な立場になるというリスクも出てきてしまいます。なのでアラビア語能力に関係無く、アラビア語ができる人物を外交の際につけるというのは必要なことなのではないかと思われます。
小池百合子氏のアラビア語動画一覧~スピーチ内容とアラビア語の種類
小池氏が公務で使ってきたアラビア語の種類は純フスハー、フスハー+エジプト方言など様々
自著によると小池氏はフスハーの影が薄いエジプトでエジプト方言を使って暮らしていたため普段フスハーで会話はされていなかったようなのですが、小池氏のスピーチでエジプト人しかわからないような極めて濃いエジプト方言語彙というものが聞かれることは無いです。
小池氏が文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)と口語アラビア語(アーンミーヤ)を混ぜて話していることは雑誌記事などを通じ日本でも広く知られていますが、実際には文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)のみで話している動画も複数残されています。
ほぼフスハーのみ
壇上などで原稿を読み上げている時はほぼ混じり気が無いフスハーを話しているケースです。
エジプト人だとこのような場合 ج(j)の字を g で読んだり、エジプト式アクセント位置で発音したりとエジプト特有の特徴を反映させたしゃべり方をするのですが、小池氏についてはアクセント位置は非エジプト式なので、それほどエジプト色は濃くないと言えます。
フスハーのみの壇上スピーチでは各種文法事項や熟語などの運用が的確で、アラビア語文語文法を忘れていない人特有のこなれた文章になっており、「小池氏のアラビア語はおかしい」という記事や動画を作成された検証者の方々よりも明らかにレベルが高い運用能力だとわかるクオリティーであることが特徴です。
それらの原稿については文語作文をする時にネイティブがよくやる癖のようなものが加わっていることが時々あり、スクリプトライターとして翻訳・通訳業のアラブ人が監修し原稿作成を後方支援している可能性も考えられるように思いました。
└ キャスター時代にイラクのバグダード(バグダッド)へ行きイラク情報相にインタビューをした時の質問:
数語から成る短文ながら、クウェート侵攻・湾岸危機に関する日本の政策についての印象を質問。「ما هو تقدير سيادتكم عن السياسة اليابانية الحالية؟」(現在の日本の政策に関する貴殿の評価は?)とのインタビュー光景がテレビ東京にて放映。考えながらという感じではあったものの、文章自体は正確に言えており、文法面での間違いなども見られませんでした。
└ 在京アラブ外交団レセプション:
東京で行われたアラブ・ジャパン・デーのアラブ各国関係者向けのイベントで大使らが出席。「ムシュ・ケダ?」(そうではないですか?)のみ小池氏定番の聴衆サービスジョークで意図的にエジプト方言で言っているようでしたが、原稿は完全にフスハーでアラビア語がかなりでき文語文法の基礎や外交スピーチの素養もある人(多分ネイティブ)が書いたと感じさせる文章でした。
カタカナ表記の原稿をただ読んでいるだけの時には決して起こらないような言い直しや一部読み間違いが複数回あったことから、小池氏がアラビア語文法をある程度覚えていて語形違いをつい口にしてしまっている可能性や、発音記号を全部つけて読みやすくしたアラビア語文かそれをラテン文字転写(英字表記。ローマ字表記)だった可能性が高いように感じました。
└ アラブ イスラーム学院卒業式でのスピーチ:
サウジアラビアがかつて運営していたイスラミックなフスハー語学学校での挨拶ということもあり、録画部分については純フスハーが話されています。
定型の尊敬表現を使い出席者らに呼びかけたりと、アラビア語のスピーチ技術がある人物の話し方や構文・語彙力を反映した内容で、ネイティブの原稿作成者による支援を受け作成された原稿だったものと推察されます。
└ エジプトで留学時代の現地生活を回顧:フスハーで書かれた原稿を音読。母音つけ違いなどの様子から発音記号つきアラビア語原稿か何かを読んでいたのではと感じさせる部分も。読むスピードは比較的なめらかで意味も通る文章で、エジプト人たちにも内容が受けている。
└ 日本式教育を取り入れたエジプトの学校を視察:原稿を読んでおらずフスハーでゆっくり話している。文法的に言い間違えたと感じた箇所で何度か言い直しているが、手短ながらアラビア語挨拶は完了。若い頃に比べ話すスピードや単語が口から出てくるスムーズさはだいぶ低下しているように見受けられるが、公務で言うべき所定のアラビア語ショートスピーチ自体はまだ最近でも行っていることがわかる。
└ 新型コロナウイルス流行に際してのアラビア語メッセージ:キャスター時代のような速度やナチュラルさでの音読ではなくなっているが、ネイティブが書いたらしきフスハー原稿の音読を行っている模様。原稿にはアラビア語初級者でも音読できるようにする時の補助記号がついているので、字幕と同じアラビア語文を渡されてそれを見て読んでいる可能性が高いとの印象。フスハーのニュースやスピーチでマスクを文語発音のキマーマではなくカンマーマと言うのはネイティブがよくやる口語発音混入、語末の子音字に休止形発音を表すスクーン記号(ـْ)を打ったり接続ハムザを切断ハムザとして母音記号を書くのもネイティブ作文の典型例なので、字幕に出た全文字発音記号つきスクリプトはアラブ人が作文・監修したのではと感じさせやすい。
フスハーとアーンミーヤ(エジプト方言)の混合
外交の場面でのスピーチはフスハー(文語アラビア語)を中心に、小池氏が現地生活で使っていたであろうアーンミーヤ(口語アラビア語)エジプト方言表現が混ざる。ミックス具合はネイティブの雑談で用いる文語-口語混合体(中間体)でもやるような範囲内なので「アラビア語が全然できなくてごちゃ混ぜになっている」感はさほど強くなく、口語寄りに緩める時にエジプト方言に置き換わる箇所としてはネイティブがそうするのと結構似ている。ただし、こなれた文章の体裁にまではなっておらず「ギッダン(جدا、とても)」を多用してしまっている会話などもある。
└ キャスター時代にヨルダンのアンマンに電話をかけた時のアラビア語トーク:原稿を見ながら話している様子はあるが、スピードが早く現地生活経験があることがわかる話し方をしており、この時点ではまだだいぶアラビア語文を口にしていたであろうことがうかがえる。
└ 2006年エジプトTV出演:本人はエジプト方言会話と説明しているものの、実際には純度の高いエジプト方言ではなくややかしこまった感じの話し方。敢えて分類するとなると口語よりの文語-口語混合体(中間体)との印象。複数形や動名詞語形といった文法的な言い間違いはあるが、現在に比べてこの頃はまだ話すスピードがだいぶ速め。なお相手のエジプト人女性はややエジプト方言要素・発音混じりのほぼフスハーを使用。
3)言い淀んでいる箇所では意味がはっきり通る文章にややなっていないことも時々あるが、元々何らかの原稿があってそれを暗記していたり視線の先にカンペ類が置かれているからなのか、言いたいことは理解できる範囲内。フスハーが苦手かほぼ学習経験が無くアラブ世界東側の方言にも普段触れていない地域のアラブ連盟加盟国出身者が無理にフスハー会話を試みているケースよりは明瞭。文法間違いに気付いて自分で考えて直しているシーンなどもある。
└ リビア訪問:日本リビア友好協会会長としてリビアを訪問し二国間協力についてコメント、日本側がリビア国民を個人であれ集団であれ支援する用意があることを表明。途中忘れた熟語「できるだけ早くに」を補助役に教えてもらいつつも、コメント全体をアラビア語で言い切っている。
└ エジプト訪問と大統領との会談:会談の感想について簡単なコメントをアラビア語で伝達。談話時間が長くなった時点で日本人男性通訳官に交代。なおエジプト人ジャーナリスト、小池氏、通訳官男性全員がフスハーとエジプト方言のミックス会話。
└ クウェート女性閣僚と会談:エジプト方言が多めだったり上手く構文を組めず考えている様子も見られるが、元々原稿はあったのか外交スピーチとして伝えるような内容は一通り言っている。クウェートの女性大臣は女性閣僚として苦労が多いという部分で同意の相槌を打ったりしている。
4)アドリブで話しているシーンでは単語のみもしくはごく簡単な文章のみ言えているように見えるが、全くアラビア語ができない人であればそれを言うことすらできないので、過去にアラビア語学習経験があったらしい痕跡はある。
└ シリア人の難民キャンプを視察:AP通信による取材ということもあり主な会話もインタビューも英語だが、男性たちが集まり飲料水確保や衛生状態の改善を陳情しているであろう場面では「多大なる関心を持っています」などとスピーチ。女性たちに「あなたたちはシリアのどこ地域出身なんですか?」と聞いているシーンでは自然な感じのしゃべり方なので、そうした基本会話は今でもできるとの印象。女の子に「あなたはどこ出身なの?」を最初エジプト方言風に言った後で上手く伝わるようにとシリア方言風に言い直したシーンでは男性が驚いた様子で「あなたアラビア語がしゃべれるんですか!」とコメントするなどアラブ人受けする対応はある程度しているように見受けられる。(なお避難民はフスハーを話せないこともあり女性たち少女にはアーンミーヤで話しかけている。)
└ カダフィ大佐へWiiをプレゼント:前半はアラビア語単語を言うだけ+英語で伝達しているが、土産を渡した後かしこまったアラビア語スピーチをしており、前半が原稿無しの下準備無しの時の状態で、後半が事前練習ありの状態だと思われる。小池氏の場合使用頻度がアラビア語よりも多く現在より得意な方の英語でアラビア語の不足をカバーしているシーンが度々見られる。
5)ロングインタビューや長い対談はアラビア語は少し話すか使わないかで、英語か日本語で話している。
└ 2018年エジプトTV局ロングインタビュー:世界各国で活躍するエジプト人に話を聞くシリーズ。小池氏は途中で少しアラビア語を話している。文法間違いはあるものの外交スピーチに比べると多少楽そうに話しているとの印象。
*『東京都知事小池百合子がアラブニュース日本の立ち上げで講演』という動画では英語のスピーチにアラビア語を混ぜて話していますが、小池氏がアラビア語を話せない証拠として安易に挙げないよう注意が必要です。というのもArab Newsはサウジアラビア系のメディアではあるものの英語にて非アラビア語話者をターゲットに英語ニュースを配信してきたため、アラビア語がわからない臨席者もおそらく非常に多くアラビア語だけで話すことは不適切であったと考えられるためです。小池氏はこれと似たシチュエーションでも、アラブ人ばかりが集まっている場ではアラビア語原稿を読み上げるのが常で、だいぶ事情が違っています。
といった具合に、場合により何パターンかに分かれる感じです。
「小池氏はアラビア語ができない」といった記事で実例として出てくるのは通常3・4・5ですが、1と2はアラブ人が聞いても「十分上手いと思う」「アラビア語を話せている」と言われる可能性が結構高い文章になっています。
小池氏のアラビア語自体が色々なタイプに分かれることからアラビア語能力に関する評価もまちまちとなっており、言い淀んでいる動画に過小評価的な脚色も加えつつ「全くできない」としている評価と「ネイティブは十分聞き取れる」「アラブ人も上手いと言っている」という評価の両極端に二分されてしまっている状態です。
文語-口語ミックスアラビア語の評価に関わる検証記事での重大な情報改変
大学や大学院を卒業してもフスハー能力が完璧にならないことはアラブ世界の社会問題にすらなっている
小池氏アラビア語問題検証記事では
4年間アラビア語で勉強し、教科書を読み、毎年論文式の試験も突破して卒業したのなら、フスハーで話せないことはあり得ない。英語でも同様だが、普段その外国語で話す環境になくても、その言語で文献を読んだり、文章を書いたりしていれば、それとほぼ同じ水準で話すことができる。
という点が強調されていますが、これはアラビア語世界が抱えている文語教育の現状や有名な社会問題が実在することに反し、検証者氏側の重大な事実誤認か脚色・創作のどちらかに当たります。
小池氏がカイロ大学を卒業した割にはアラビア語会話が得意ではない可能性があることは確かですが、それらを告発するために用意されたアラビア語解説が大幅な改変を加えられており、アラビア語に詳しい方が決して書くことのないような内容に変わってしまっている状況です。
現実のアラブ世界では各国アラビア語専門家らによって大卒者たちのフスハー運用能力が乏しいことが取り沙汰され、学部カリキュラムの改革を求める声やアラビア語テストを課してフスハーができない人物の特定業種就職を防止すべきだといった議論まで出るなどしています。
「博士号を持っていても、まったくフスハーではしゃべれない、という方は普通にいます」という記述に至っては完全に信用できない。
も同様で、「博士号を持っていても、フスハーですぴーちできない人がいる」というのはアラブ人の文語アラビア語運用能力問題について学んだり情報を集めたりしたことがある人であれば知っているようなよくある話だったりします。
大学・大学院の教授たちですらフスハーが得意ではない、高等教育の現場がフスハー運用能力を向上する場にならないといった問題もアラブ世界ではしばしば聞かれる課題として有名です。
管理人はアラブ人研究者らが集まるシンポジウムの動画を見るのが好きなのですが、エジプト人研究者は特にフスハーでの会話を苦手とする割合が高めで、フスハーに強い地域の研究者が同席する研究会などで「自分はフスハーが苦手で…アーンミーヤで話させてもらいます」と断わりを入れているシーンを見たことなどもあります。
「フスハーの中に方言が少し交じっただけでも下品になる」という謎設定
アラビア語が専攻分野の人や現地在住で高等教育現場や院卒の政治家たちの話すアラビア語の問題を知っている人の間では比較的有名な
アラビア語を学んだ人なら分かるはずだが、正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる。
に至ってはアラビア語を学んだ人が「それはおかしいだろう」と全く同意できないような言説に当たります。
それにもかかわらず「アラビア語を学んだ人なら分かるはずだが」という前置きを添えることで信憑性を持たせており、「正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる」というネイティブではフスハー原理主義的な人しかしないような主張をアラブ人が皆持っている認識・通説であるかのように誤認させる形で混ぜ込んでいる部分に当たります。
教養のあるアラブ人が話すフスハー割合が非常に高い文語-口語混合体(中間体)会話は「知識人たちのアーンミーヤ(عامية المثقفين)」― Educated Spoken Arabic(ESA) ないしは Formal Spoken Arabic (FSA)ー と呼ばれ、一般庶民が話す方言オンリーの会話に比べると非常にかしこまった知的階層特有の読み書き言葉+話し言葉ミックス形態アラビア語として各国アラビア語研究界でも認知されています。
こちらは1963年にエジプトで放送された対談番組です。著名文学者ターハー・フセイン(文語アラビア語発音:ターハー・フサイン)を囲み当時の知の巨人たちが大集合するという非常に豪華な回となっています。
出演者たちはめいめいが異なるタイプのアラビア語を話しており、フスハーにこだわる人はフスハー、それ以外の人はフスハーとエジプト方言を混ぜた典型的「知識人たちのアーンミーヤ(عامية المثقفين)」である文語-口語混合体(中間体)を使っています。
いずれの人物も知性と教養に富んだ会話をしており、コメント欄は称賛の声とエジプトが真の知性を兼ね備えた逸材を多数抱えていた黄金期を懐かしむ声ばかりで、「ターハー大先生の前で汚いちゃんぽんアラビア語を使うなどけしからん。知識人を名乗る資格が無い。大学でちゃんとアラビア語を勉強しなかったに違いない。大卒かも怪しい。」などという突飛な投稿は見当たりません。
エジプトに住み学のあるネイティブたちのアラビア語を何年も聞いていれば政治家も知識人もニュースのアナウンサーもフスハーとエジプト方言を混ぜて話していることに嫌でも気付くと思うのですが、小池氏アラビア語検証記事では検証者氏の独自主張「文語に口語が混ざったアラビア語はどれも下品」が強調されていることから、意図的な設定改変・脚色の可能性も出てきます。
本来こうした知識人の文語-口語ミックス会話と小池氏のアラビア語とが同じなのか、違うとしたら相違点は何なのかについて触れたうえで批判を展開すべきなのですが、検証記事は色々なパターンがある混合体(中間体)を無差別に「下品」だとして一括りにし、混ざること自体が異常だというストーリーに書き換えてしまっています。
こうした動機不明な謎アラビア語解説の背景ですが、検証記事全体を読んでみても
- アラビア語既習者ではあるもののアラビア語研究者というわけではないため、アラビア語事情には明るくなく、フスハーとアーンミーヤの使い分けや混ぜ方について本当に誤解をしている。
- 教育機関で学んだのがフスハーだけであることから、エジプト方言が混ざった混合体(中間体)にも色々なグレードがあることを知らず、長年そうした活きたエジプト人のアラビア語会話に触れていないため、フスハーとアーンミーヤの混ざったアラビア語を聞き分けたり、混ざり具合の度合い・割合を判定できない。
- 小池氏に有利な情報を排除し有利になりそうな事項は深く調べずに「怪しい」「間違っている」と憶測を元に話を膨らませてストーリーを組み立ててしまっているため、文語-口語混合体(中間体)の位置付けについても無意識の改変が起こっている。
- 本当は全てを知りながら、小池氏告発のために用意された架空設定「フスハーに方言を混ぜることはあり得ない。アラブの大学で学べばみんなフスハーが上手くなる。純フスハーを話せない小池氏がカイロ大学を卒業していない重大証拠。」を貫いて、「こういうのを書いてほしい」「こういう評価を聞きたい」というメディアや受け手の求めに応じてしまっている。
ぐらいしか理由が思いつかなかったりします…😥
フスハーとアーンミーヤ(小池氏の場合はエジプト方言)が混ざったアラビア語とその分類・役割
エジプトで多用されているフスハーとエジプト方言を混ぜたアラビア語
現代アラブ諸国において文語と口語を混ぜたアラビア語自体は知識人から一般人まで広く行っており、検証記事の「文語アラビア語と口語アラビア語を混ぜて話すなどあり得ない」「アラブ人では政治やニュースといった公的な場でフスハーしか使わない」という架空設定と現実とは全く違っています。
エジプトはフスハーが苦手な人が多いこともあり動画サンプルのようにフスハーとエジプト方言のミックスやエジプト方言が公的な場にあふれ返っていて、検証記事が語るような「公的な場所ではフスハーが使われて当然。方言を混ぜるなどあり得ない。」とは大きく乖離しています。
エジプト大統領は軍部出身ということもあり原稿がある壇上での演説などを除いてはエジプト方言でスピーチすることで知られています。動画のように国家行事で閣僚や人々に向かって話しかける時はフスハー寄りでややかしこまっているとはいえエジプト方言を使っています。政治家がフスハーとアーンミーヤを混ぜたアラビア語を使うことは、国民に親しみを感じさせる手段としても知られています。
報道番組もニュース原稿の読み上げでなければ司会もゲスト出演者もエジプト方言を話すことが広く行われています。
フスハー演説が得意なはずの宗教家が民衆に寄り添うために敢えてエジプト方言でわかりやすくイスラーム(イスラム教)について説くというのも、ここ数十年におけるエジプトのトレンドとなっています。
ネイティブが話すミックスアラビア語と留学生だった小池氏が話すミックスアラビア語の共通点・違い
小池氏に関しては文語と口語の双方が極めて堪能で自在に使い分けてどちらも流暢に話せるからそうなっているというよりは、エジプト渡航後にアラビア語をにわか仕込みで基礎文法を学びフスハーとアーンミーヤの両方が必要な大学生活に間に合わせようとしたために、フスハーの専門書とアーンミーヤの専門書で文法を学び両者を区別して覚えるアラビア語専攻学生とは違ってエジプト人が使うアラビア語に直接触れて手当たり次第に取り組んだ結果、文語と口語がまだら模様に入り組んだ状態で定着したタイプのミックス会話である可能性が高いように見受けられます。
日本でアラビア語を学ぶとフスハーの授業とアーンミーヤの授業が分かれているので知らないうちに混同するということはさほど起きないのですが、エジプト人はフスハーとアーンミーヤを混ぜたものを話すので、現地で暮らして現地の大学に通い現地のテレビ放送を見て学んだ人だと小池氏のような混合体(中間体)アラビア語になりやすいです。
なので「フスハーとエジプト方言が混ざるなどあり得ない」という解説の方が不正確で、実際には「フスハーコースとアーンミーヤコースをそれぞれ長期間ずつ履修せず、文語と口語の混合が多いエジプト社会にすぐに入っていって耳で聞いたままに学んだからこうなった」というのが実情を表した言葉であるように思います。
カイロ大学はアラビア語教習所部門を持つカイロ・アメリカン大学と違い入学しても留学生向けにフスハー講座とアーンミーヤ講座を開いてくれるわけでもなく、フスハーとアーンミーヤを組み合わせたミックスアラビア語が飛び交っている環境でフスハーだけに囲まれて過ごすことなど決してかなわないので、小池氏が編入前に何年もかけて語学学校に通っていなかったということであれば混ざったアラビア語にならない方が珍しいとすら言えるかもしれません。
*日本だけでアラビア語を勉強した方は基本的にフスハーしか学習しないので「両方が混ざったアラビア語はフスハーもエジプト方言も勉強した証拠でレベルが高い」「自分にはできないので十分すごい」と感じがちなのですが、これは学習環境の違いによるものです。小池氏のアラビア語はそういう日本で教わった人とは違う現地留学時がアラビア語学習スタート地点だった人に多いパターンなので、区別が必要だと思われます。
小池氏は以前公開し権利問題から削除した動画に収められていたキャスター時代のアラビア語トークを「これはフスハーです」と説明されていましたが、実際にはエジプト方言が混ざった混合体(中間体)でした。
元々エジプト方言漬けで生活していたことを公言している人物なので、フスハーとアーンミーヤの区別を常に意識して混合比率を意識しながら使い分けているということはおそらく無いのでは、という気がします。いずれにせよ、ネイティブが話す文語-口語混合体(中間体)と小池氏のそれとでは共通部分もあればそうでない部分もあるので、全くの同一視はすべきでないように思います。
小池氏のアラビア語はこてこてなエジプト方言全開の純ストリートアラビックではない
「小池氏のアラビア語は全くのストリートアラビック」といった評ですが、これは「文語の要素が一切無い」「フスハーとのちゃんぽんすらしていない」を意味することから同じ検証者の記事に含まれる「小池氏は正則アラビア語とエジプト方言を混ぜている」と矛盾している部分になります。
小池氏アラビア語会話シーン動画を見る限り、アラビア語や大学の勉強のため文語アラビア語を完全に切り捨てエジプト方言だけを選ぶのが無理だったこと、エジプト人と長期間同居・婚姻していたのではないこともあってか、エジプト人しか理解できないようなこてこてのエジプト方言を丸出しで使うことはしておらず、小池氏の文語口語混じりのトークは比較的マイルドでエジプト人女性に多い独特なコロコロっとした話し方も行っていません。
エジプト方言しかできない人たち(集合住宅の門番、タクシー運転手、店員等)との接触のみで習得した「エジプト人の日常会話丸出し」で極めて濃厚な100%ストリートアラビックとはだいぶ違っており、むしろエジプト方言どっぷりだったと自身が回顧している割にはエジプト式のアクセント位置になったりしておらず、エジプトっぽさを感じるのは口語表現・語彙の使用と子音 ج(j)のg発音ぐらいに留まっています。
そのため検証記事で小池氏のアラビア語を全くのストリートアラビック(完全にエジプト方言)だと評したネイティブは一体どの動画を見てそのようなことを言ったのかが気になるところです。
同氏のアラビア語はエジプトの非識字階層が使うような荒っぽさとは違っておりネイティブ丸写しの100%エジプト方言全開やエジプト人女性的な強気な口調で話している動画も無く、エジプト方言だけで話している録画箇所も少なくストリートアラビックとは違う文語のみや文語-口語混合体(中間体)の比率の方が高いです。
そのためネイティブに「完全にストリートアラビック(エジプト人同士でしゃべる時の方言)になっちゃってる」と言わせるためには、小池氏が文語語彙を混ぜていない箇所を選んで切り抜いてから動画を見せたりしないと難しいように思います。
小池氏はエジプト方言学習書であるはずの『3日でおぼえるアラビア語』を書いた時点でもエジプト方言語彙・語形とフスハー語彙・語形の混同などがあり、語学学校にも大学にも一切行かずただエジプト人と交流していては決して身に付かない文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)の要素が混入し文語と口語を区別しきれていない感じのアラビア語を使っていたらしくストリートアラビックで起きないはずの文語語彙の複数使用もあり、悪く言えば「完全なフスハーでもないし、完全なエジプト方言でもない」との形容をされるようなタイプのアラビア語だったりします。
そもそも「フスハーとアーンミーヤを混ぜて話している」と批判している検証記事の中でそれと矛盾する「全くのストリートアラビックだ(=口語エジプト方言しか言えていない、フスハーとアーンミーヤを混ぜることもしていない、文語語彙を全然使っていない)」と評価が出てくること自体がちょっと変な感じがするのですが、そういう微妙な違和感からするとひょっとしたら他の箇所同様にこの部分にも検証者の方の脚色が入っているのでは…と思わないでもないです。
小池氏のアラビア語がアラブ人に通じない・ちゃんぽん会話だから下品でアラブ人が赤面するという評価について
ネイティブが話すフスハー・エジプト方言・両者の混合体(中間体)を聞き取れる人なら小池氏のアラビア語は普通に理解が可能
小池氏がキャスター時代に話していた時の短い動画や外交の時に行ってきたスピーチは、フスハーとエジプト方言の聞き取りができる方なら理解が可能で、最初聞き取れない部分があってもイヤホンをして何度かリスニングすれば文字に起こせるぐらいの比較的平易な内容を言っています。
アラブ人は無理強いしてフスハーで会話をさせても文法を間違える人の方が多いぐらいで、通常はフスハーとアーンミーヤの各国方言が混ざっています。ネイティブで方言要素を一切抜いて長時間話せるのは文学者や宗教家、フスハーを好む学者や彼らに育てられてた子女といった一握りの層だけです。
なので文法が多少間違っているとか方言の文法や語彙が混じっているといっただけで聞き取れなくなると、アル=ジャズィーラ(慣用カタカナ表記:アル・ジャジーラ、アルジャジーラ)のような汎アラブ放送局の生放送を部分的にしか理解できず、各国の放送や政治家・知識人のスピーチともなればもっと難しく感じてしまうことになります。
自分自身の経験からすると、色々なアラブ人の話すアラビア語を理解する鍵はフスハーの十分な理解と各国方言の癖を知ることだと考えています。
「フスハーとアーンミーヤを混ぜたアラビア語などあり得ないし無教養で下品*」といった小池氏批判のためににだけ考え出されたかもしれない作り話を本気で信じてしまったり「方言を混ぜて言い淀んでるせいで何を言っているのか意味が不明」といった姿勢に同調して文語と口語の混合体(中間体)を拒絶したりしてしまうと、様々な種類のアラビア語動画・音声をできる限り最大限に理解するというスキルが伸びなくなってしまいます。
*こういうことを言うアラブ人は「アーンミーヤはフスハーの劣化バージョン」「アラビア語が汚れるからアーンミーヤをフスハーに混ぜるな」「純フスハーを守るためにメディアや広告にアーンミーヤを使えないよう法規制すべき」といった主張をするフスハー至上主義者ぐらいです。美麗で清廉な文語アラビア語が危機に瀕し各国で方言偏重社会に遷移している重大局面だとはいえ、口語多用や誤用を見張って罰しようといった強硬派は一般大衆には嫌われがちでアラブ世界のメジャーな考え方ではありません。
自分もエジプト方言を本格的に学ぶ前の学部2~3年生ぐらいの時はネイティブが多用するフスハーとエジプト方言のミックスアラビア語を聞き取るのはそこまで得意ではなかったので、特に小池氏キャスター時代の早口トークについては第三のアラビア語とも呼ばれているラフジャ・バイダー(اللهجة البيضاء)、ルガ・バイダー(اللغة البيضاء)こと文語-口語混合体(中間体)に慣れているかどうかで「聞き取れる」「聞き取れない」に分かれるのだと思います。
検証記事・コンテンツを作成している方々は解説内容の誤りからするとフスハーとアーンミーヤの専門教育や文語-口語混合体(中間体)聴解の長期訓練を受けておられない可能性が高く、聞き取り間違いなどもそれらに起因していることが考えられます。
その一方で小池氏批判のために大げさに語っているだけ、普段は聞き取れるし理解もできるのに小池氏のアラビア語だけちんぷんかんぷんだと評価しているだけという可能性も高いため、検証記事・コンテンツのみを判断材料として「彼らはアラビア語が苦手なのに解説をしている」「あんなに簡単な小池氏のアラビア語も聞き取れないらしい」と安易に断言しないよう要注意かもしれません。
小池氏は本当に相手のアラブ人が困ってどん引きするような意味不明の宇宙語のようなアラビア語を話してきたのか?
実際には相手のアラブ人たちは要人である小池氏の話をじっと聞いているだけに見える
検証記事・コンテンツが小池氏のアラビア語を基本的な語彙も間違えるちんぷんかんぷんな宇宙語的に酷評している理由ですが
- 検証者の方たちに初級~中級文法の誤りがかなりある
- 基本的な語彙や熟語を間違えることが多く、中級~上級語彙については「そんな表現は存在しない」として処理され「小池氏が意味不明な言葉を使っている」に置き換わっている
- 動画のリスニング間違いがかなりある
などを総合すると、そんなに癖が強くなく中級~上級アラビア語話者であれば容易に意味を理解できる小池氏のスピーチを十分に聞き取れていないこと、そしてそこに「全然聞き取れない」「でたらめ」というディスり芸を加味したことが原因だと思われます。
検証記事では「小池氏はアラビア語の文語と口語を混ぜるという下品な言葉を使っている」「相手が赤面するようなひどいアラビア語」などと状況説明を加えていますが、正直なところそれらはどれも「小池氏は恥を晒しているはずだ」「学歴詐称をしているはずの小池氏がアラビア語を少しでも話せるなんてあり得ない」という先入観から増幅されたものである可能性が残念ながら高いです。
アラビア語使用者が動画を見る限り相手のアラブ人たちは日本の重要人物に敬意を払いじっと聞いたり愛想良く相槌を打ったりしているだけで、小池氏のアラビア語は昔勉強したものの使わなくなって忘れかけている人物が苦心しながらも話しているという光景にしか見えません。
「小池氏のアラビア語はちんぷんかんぷんで聞き取れない」という評価が検証者側に与えるマイナスの弊害
小池氏のアラビア語スピーチが本当に聞き取れないとなると、色々なアラブ人の会話見もリスニングできずフスハーや各国方言の混じったアラビア語が飛び交う研究会や座談会の高度かつ多様性に富んだトークはもっと聞き取れないことになってしまいます。
そうなると「アラビア語に堪能な専門家が小池氏のアラビア語を検証した」という触れ込みとも矛盾することになります。実在する語彙を知らない・間違いだとし小池氏の誤り扱いしてしまっている件は、アラビア語使用者に「本当はフスハーが得意ではないのに検証をやっているのではないか」「文法・語彙力が足りないのではないか」「これすら聞き取れないというのはどういうことか?」という印象を与えかねません。
小池氏が嫌いだとか告発し辞職させたいという意思が強いあまりに客観的に見て取れる実像からあまりに大きく飛躍してしまった評価は「アラビア語の誤解・誤用が多数あるだけでなく、相手の人格・立場に影響されない厳正な検証・考察・解説ができない」という印象を与えてしまうので、検証者の方たちにとってはむしろかなりのマイナス要因になっているのでは…という気もします😥
エジプト方言の威力
小池氏アラビア語検証記事では「アラビア語の方言は地域がちょっとでも離れると理解できない」とありますがこれは近代ぐらいまでの話で、誰から教えられたのかという謎が残る解説となっています。
これはアラビア語を多少やって現地に住んでアラビア語を使っている人ならたいてい知っている「メディアの世界で強い方言は各国の人が理解できる」の真逆に当たるのですが、アラビア語に詳しい人物として記事を書かれているはずの検証者氏がそういう基本事項を知らないというのは考えにくいです。
そのためこうした記述については検証者氏が本当に知らなかったとかそういうことを吹き込んだアラブ人が実在したとかではなく「小池氏のアラビア語がアラブ世界にあり得ない文語-方言ちゃんぽんなので決して通じない」ということを強調するためのフィクションだという風にアラビア語使用者には受け取られやすいように思います。
実際のアラブ世界では映画・ラジオ・テレビ・インターネット動画を通じて日々多種の方言に触れる環境が整っているため、その中でも特に娯楽産業大国として名高くアニメ制作にもいち早く着手したエジプトの方言の通じ具合はすごいです。
イエメンのYouTuber(現在はアナウンサー業にも従事)が「アラブのどこの方言が好き?」と聞いて回る企画です。イエメンはアラビア半島の南端にありますが地上波や衛星放送で各国のテレビ番組や映画に親しんでいるため、インタビュー回答も「レバノン。どの言葉もかわいらしいから。」「イラク方言がいいと思う。イラク人っていい人たちだし。」「シリア方言。テレビドラマで見てるから。」「リビア方言。リビア人って人が良いしね。」「エジプト方言。イエメンでは学校や大学の先生にエジプト人が多かったので身近だしよく理解できるから。」などと様々で、人によってはモロッコ方言やアルジェリア方言を挙げたりとかなり遠くの国の方言にも親しんでおりある程度聞き分けられることがうかがえます。
しかもアラビア半島からアフリカ大陸北部であっても元が同じ部族だった人たちのアラビア語は似通っているなど、単なる距離の遠さとはまた違う方言同士の近縁性が通じやすさの決め手になるため「地域がちょっとでも離れると通じなくなる」などという話は日本のアラビア語教育界でも出回っていません。
「文語フスハーにエジプト方言が混じるアラビア語などあってはならないし、品も全く無い」「通じないから相手も赤面してしまい、ちゃんぽんアラビア語話者の小池氏を慰め励まそうとしている」にに至っては「小池氏がアラブ各国で恥を晒す姿を見たい」というニーズに応える娯楽コンテンツとして脚色が加えられたフィクションに近くなってしまっており、先入観無しに動画をチェックする限りではそういうやり取りをしているようにはとても見えないです…
エジプト方言の知名度が上がったのは白黒映画やラジオ放送が普及した頃からで年数としてはかなり経っており、昨今ではネット動画の浸透によりエジプトの方言はアラブ世界全域で聞き取ってもらえるようにすらなっています。
そのような優位性があることから元々フスハーが得意でない人が多いお国柄であるエジプト人たちの多くは国外でもエジプト方言で話すなどしており、クウェートやリビアで小池氏がエジプト方言表現を多用してフスハーを使っていないから相手に伝わらないとか、エジプト国外で外遊する際にエジプト方言を話しているのは小池氏だけ、ということもあり得ないです。
これは小池氏が留学国がエジプトだったことを大いに活用している部分で、もし留学先がイラクとかだったら事情は大きく違っていた可能性が高いです。
実際「ベドウィン(遊牧民)の調査を行い部族方言を覚えた日本人研究者の方のアラビア語がこてこての方言すぎて他の地域の同国人にあまり通じなかった」というエピソードもあるほどで、習った方言が広い地域で通じるほど意思疎通ができるアラブ人の数が増えるということを物語っているかと思います。そういう点において、エジプト方言は最強レベルの方言の筆頭格となっています。
外交時は意味不明なアラビア語を話さないように配慮されているので動画を見ても「通じない」という評価は困難
小池氏外遊動画のアドリブシーンと思われる部分で単語を並べただけの会話をされている場面もあり「ひょっとしたら現在は短い会話も苦手になられてきているのでは?」とちょっと感じたりもしましたが、普段の公務ではアラブ人の支援も得つつ原稿の音読や短時間のスピーチ披露を行われている可能性がかなり考えられ、相手国側に与える印象がそこまで悪くならないよう配慮されているように見受けられます。
なので「いつも各国要人相手に常に意味が通じない片言のアラビア語で話している」「アラブの要人と本当はアラビア語で意思疎通できていない」などに関しては、誤解・誇張もしくは「外交動画からはそこまではっきりしたことは読み取れない」と言えるように思います。
言い淀みが多い会見では相手も「もうアラビア語会話は忘れてしまったのだろうか」などと考えていることもあるかもしれませんが、アラブ人は立場の上下関係をかなり考えて行動する人たちで重要な国賓に失礼な態度を取るようなことはまずせず丁寧にへりくだるということをするので、小池氏外交動画を見ても困惑しているとかあまりのひどさに赤面しているといったことが読み取れるシーンもありません。なので「相手が唖然としている」といった状況説明は書き手の側の願望の投影という域を出ていないと言わざるを得ません。
小池氏は現時点では各国出身者との会話で使え公務でも多用してきたであろう英語での会話の方を得意とされており、英語のように普段使いはしていないアラビア語は多用していません。アラブ諸国のメディア・要人相手の時も事前リハーサル無しで自分で考えて長時間話さなければいけないケースでは英語を使用。そのためアラビア語ではないにせよ外交において全く通じない会話をして回っているわけではないので、各国で通じないスピーチをして迷惑をかけているといった憶測を加えてしまわないよう注意が必要かもしれません。
公開後すぐに削除されたキャスター時代のアラビア語動画とその正当な評価とは
実は削除されたピンクスーツ姿の前半こそが、歴代アラビア語動画の中で一番音読が流暢なベストビデオだった
ネットに拡散した「アラビア語ができない人のカタカナ発音で文法力も語彙力も皆無」「本当は話せないことの証明」という評価
2024年6月、それまでネット上に出回っていなかった小池氏キャスター時代のアラビア語発話ビデオが小池氏公式アカウントにアップされました。
削除しても拡散されるのがSNS
専門家に即見抜かれた小池百合子のカタカナ偽物のアラビア語
小池百合子のメッキはすぐ剥げる pic.twitter.com/19P8lgtkNv— TAKABO (@MAQ007) June 20, 2024
引用元:x.com
*権利問題があるため公式アカウントでは削除された動画ですが、検証作業の都合上Xより転載させていただきました。
日本ではアラビア語を解さない方も多いため、肩パッド入りピンクスーツを着たキャスター時代のアラビア語に関し作成された検証動画の「カタカナ原稿を棒読み」「アラビア語の発音が全然できていない」「文法が間違っている」「使っている単語もでたらめ」といった評価をほとんどの方が鵜呑みにしてしまった様子。
その後公式アカウントは国内テレビ局映像の転用という権利問題の都合から前半を削除し後半だけ残したとの旨を添えて再編集版をアップロード。
しかし既に「話せない人特有のめちゃくちゃなアラビア語」という情報が広まりきっていたこともあり、という小池氏側の説明の裏には本当の理由があったと受け止められ
- 「カタカナ原稿を意味も分からず棒読みしていたのがばれたから慌てて消した」
- 「実はできる人が見たらすぐにわかるような下手なアラビア語だった」
- 「日本人のほとんどがアラビア語を理解できないと甘く見ていた」
という噂を補強する形となり、アラビア語学習経験の無い方・長くない方たちが「アラビア文字を読めない人のひどい読み方をしていた動画だった」と信じてしまわれる結果となったように見受けられました。
アラビア語使用者たちの中立的な評価は大きく異なっていた件
しかしながら実際にはアラビア語がわかる人たちにとって、実際に受ける印象は全く異なるものでした。
削除されたピンクスーツ姿の動画前半部分はこれまでネットで出回っていなかったキャスター時代のアラビア語トークで、小池氏の歴代アラビア語トーク動画の中では最も古く、アラビア語を使って仕事をしていた時代の発音等を確認できる貴重な映像でした。管理人も政治家時代に撮影されたものは多数視聴済みだったのですが、キャスター時代の録画を見るのは初めてでした。
公開時SNSにはアラビア語・アラブ関係者の日本人の方々が「原稿を音読できているのになぜめちゃくちゃでど下手なアラビア語だという評価コンテンツが作られたのか?」「聴き取れるこなれた言い回しを支離滅裂なアラビア語と表現したのか」といった内容の疑問を呈するポスト(ツイート)をされているように記憶しているのですが、この動画に関しては巷で流通しているよりも間違いが少なく、その脚色部分を除去するとかなり違った評価になるというのが本当のところだと当方にも感じられました。
文語アラビア語(フスハー)と口語アラビア語(アーンミーヤ)エジプト方言の両方を語学として履修しそれぞれの特徴を知っていて聞き取りも行える方たちによってはネットで拡散した解説や評価はむしろ不可解な箇所が多く、検証者の方々が素でアラビア語を間違えたり誤解したりされていたのか、どこまでが本気でどこからが視聴者サービスなのか判断が難しく、戸惑われる方もいらっしゃったようです。
キャスター時代の録画を視聴しての印象
削除されたキャスター時代の録画はアラビア語話者からすると、小池氏にとってはエジプト帰りならではのしゃべり方ができていたとアピールできるような貴重なチャンスだったと思うのですが、削除により「小池氏は全盛期にアラビア語らしい発音とこなれた音読ができていた」としてアラビア語能力に関する評価を高める機会を逃してしまった一件に映りました。
小池氏がご自分で考えてニュース原稿を作文できていたかはともかく、キャスター時代のアラビア語に関してはアラビア語経験者だとわかる発音や言い回しが表れており、学歴はともかくとして小池氏がエジプトで会話アラビア語をある程度していたことがうかがえるものでした。
アラビア語を数年学んだアラビア語専攻学生やアラブ・中東研究者たちのほとんどよりも高スピードで原稿の短い文章を音読しエジプトアクセントを混ぜ込んでいるという一点に関しては、全盛期の小池氏は業務としての慣れもあってか、かなりできていたように見受けられました。
そのためキャスター時代の動画については「アラビア語が全然できない人の話し方」「アラビア語がわかる人には下手さがばればれ」という主張の方にむしろ無理があり、検証した方の方々もアラビア語誤聴・単語取り違え・誤訳を単にされたというのとはまた異なり、小池氏のアラビア語能力がほぼゼロだという結論に持っていくために相当無茶な脚色をされたのでは…というのが正直な感想でした😥
あの削除された動画のような話し方をしているアラビア語は、もし映像も名前も隠して小池氏を告発する側のどなたかのアラビア語トークだと偽って音声のみ公開したら、おそらく評価は真逆となり「さすが留学しただけのことはある」「◯◯さんはペラペラだ」「ネイティブみたいに話せる」といった称賛すら寄せられるのでは、という気もします。
小池氏アラビア語検証・学歴問題告発についてはエジプト留学経験者の方やアラビア語使用者の方々が記事や動画を作成してこられましたが、正直なところアラビア語をそれなりの年月学んできた当方には「どうしてそういう解説に至ったのかわからない」「検証記事・コンテンツや告発文なのに作成者側にアラビア語間違いがどうして多いのか」が気にかかっていました。
このキャスター動画に関する解説でも同様の事象が発生しており、謎は一層深まった形となりました。
短いテレビ録画からわかること/判断できないこと
政治的な利害関係と一切無縁な管理人からすれば、ワールドビジネスサテライトでアラビア語を使う度に何分もこの高速トークをして相手との言葉のキャッチボールまでできていたのだとしたらかなりすごいので追加で色々な録画を見てみたいと感じましたが、その後追加で視聴できたのはイラクのクウェート侵攻時の文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)によるイラク情報相インタビュー録画のみでした。
ネットでは「キャスター時代、アラブ人ゲストが来た際にアドリブと思われる通訳を行う場面があったもののなかなか訳の作業が進まず、結局司会男性とゲストが直接英語で話していた」といった思い出話を書き込んでいる方もいらっしゃるため、ひょっとしたら事前に用意された会話を原稿の通り音読されていただけでアドリブの双方向会話を長時間続けることはできなかったのかもしれません。
とはいえ全盛期の録画に関しては、文法的な間違いや発音に関する誤解は多少あったであろう一方、「間違いだらけ」「発音もおかしい」「聴き取れないぐらいにひどい」「アラビア語ができなかったとすぐにわかる」といった評価は明らかに過小評価・脚色の部類に入るものと考えられた方が良いかと思います。
日本だけでアラビア語を学んだ人とは違うキャスター時代小池氏のアラビア語発音
通常日本人でアラビア語やアラブの仕事をする方たちは日本で最初に文語アラビア語であるフスハーの勉強を始めます。
昔から日本ではアラビア語に関して発音教育にはあまり力を入れていないため、カタカナ的な日本人風発音が定着すると生涯そのままとなり語彙力や文法力だけがアップしていくことが多く、単語間の自然なリンキングやネイティブに似た抑揚で発話できるようにはなりにくいです。そのため中東・アラブ研究者やアラブ文学専門の先生でも、ネイティブそのままな発音・話し方をされる方はまれです。
それに対して小池氏のキャスター時代のアラビア語の話し方は文語アラビア語(フスハー)と口語アラビア語(アーンミーヤ、エジプト方言)の混ぜ方がエジプ人によく似ており、エジプトにに住んだりエジプト人からじかに学び取ったような種類で、机上の勉強と教材のリスニングだけでアラビア語教育を受けてきた層とは違うバックグラウンドを感じさせるものでした。
ピンクスーツ姿のキャスター時代小池氏は、卒後何十年も経過した時点で撮影された他の小池氏アラビア語動画に比べると非常に流暢に聞こえる話し方で、文法的な言い間違いがあるものの言い直しは少なく、格変化部分といった単語間の連結箇所などをネイティブ日常会話の口語風に崩してあることから「アラビア語を知っている人の話し方」「現地でエジプト人が話すのを聞いていた人の読み方」という印象を与えるしゃべりだったように思います。
十数年にわたりアラビア語専門家や文学者たちの純度が高いフスハーからエジプト・シリア・レバノン・ヨルダン・パレスチナ・イラク・サウジアラビア・クウェート・オマーン・イエメンなどの方言話者が話す文語-口語ミックスアラビア語まで、多種多様なアラビア語を学問や趣味として聞いてきた管理人には
- 当時は本当にある程度の基本会話や簡単な文章は話せていた
- 実際には自由自在に何分でもアラビア語を話し続けられていたわけではないものの、原稿作りといった段階でエジプト人スタッフなりの補助を受けたりしてネイティブ的抑揚も込みで丸暗記しており、キャスター時代はその作業を繰り返すことに慣れてニュース原稿の音読という特定の技能が得意になっていて、暗記できる文章の長さ・時間数も今よりずっと長かった
のどちらかだった推測すべき案件だと感じられました。
キャスター時代のアラビア語動画はフスハーのみ、フスハー寄りで公務・報道番組向けのかしこまった文語-エジプト方言ミックスの両方
管理人は小池氏がまだ若かった頃のワールドビジネスサテライト キャスター時代動画はクウェートへのイラク侵攻時とイラク撤退に関する2本のみ録画を視聴したことがあります。
その時に小池氏が使っていたアラビア語は、
- イラクのクウェート侵攻時:
文語アラビア語(フスハー)のみ - イラク撤退に関してヨルダンに電話取材した時:
文語アラビア語-口語アラビア語(エジプト方言)混合体(中間体)
後者の文語(フスハー)-口語アラビア語(エジプト方言)ミックスはエジプト人がよく使うアラビア語で、現地の政治家・知識人・ニュース番組でよく聞かれます。
フスハー色が強いものの言い回しや母音・長母音部分の発音変化などにエジプト方言の要素が複数混ざった混合体(中間体)に当たるのですが、アラブ世界ではかなり堅い部類に入りフォーマルなイメージを与えることから、アラブ人によっては文語と口語の区別がちゃんとできないために「これは完全にフスハー。方言は使っていない。」と評価することもあり得るタイプのアラビア語となっています。
ただ、読み書き言葉の文語アラビア語(フスハー)と話し言葉の口語アラビア語(アーンミーヤ、小池氏に関してはエジプト方言)を意識的に混ぜて調節するというのは容易ではなく、文語も口語も十分にマスターしていないせいで混ざってしまうちゃんぽん会話と違い、報道番組に耐えうる適切な文語-口語ミックスアラビア語を話すというはそれなりの能力が必要となります。
キャスター時代小池氏の短い動画はある程度わかっていて文語と口語を混ぜている人のアラビア語に近かったのですが、それが小池氏自身のアラビア語能力だったのか、補助役にいたかもしれないエジプト人のアラビア語能力だったのかは確認のしようが無いので、アドリブで会話をしているシーンが動画としてネットに残されていない小池氏に関しては、全盛期にどのようなアラビア語をどのぐらい話せたかが推測しづらいです。
通常、アラビア語が全然できない方は削除されたキャスター時代小池氏のような発音をするのはまず不可能です。
文語・口語アラビア語併用者であればわかるこなれた感もあるため、もしアラビア語が大の苦手なのにあのようなニュース原稿読み上げをしていたのだとしたら、日本に二人といないような「自力ではアラビア語をほぼ話せずアラビア語の知識の不十分なのに、アクセントやイントネーションを間違えることなくアラビア語既習者と同じ抑揚で話すことができ、しかも原稿音読スピードも相当早い」「アラビア語技能がほぼ無いのに、自力でエジプト人のそっくりな話し方を再現できたり、お手本役のエジプト人の発音を完全コピーできたりする」という稀有な才能の持ち主だったということになってしまう気がします。
キャスター時代アラビア語電話インタビュー録画に関するアラビア語解説
はじめに

画像引用元:x.om
ピンク色のジャケットを着た若かりし頃の小池氏が、原稿を見ながらヨルダンにいるアラブ人にアラビア語で話しかけていたシーンについてまとめてみました。
この動画に関する有名解説動画には聞き取り間違い・誤訳(意図的なものかどうかは不明です)、アラビア語学的な観点からすると不可解な解説が含まれていたのですが、ネットで拡散したことで誤解が定着している状況です。
中にはおそらく「本当でなかったとしても説得力があるから役に立つ」と利用している方もいらっしゃるとは思うのですが、小池氏のアラビア語について出回っている評価と、アラビア語の四技能を習得済みの人間が抱く印象とがかなりずれているので、「本当はどうなのか?」をアラビア語学や文語・口語問題といった専門的な視点も交えつつ様々な角度から再検証してみることにしました。
*なお管理人はエジプト方言学習歴は約3年で、一般向けのエジプト方言学習書と大学出版から刊行された文法書・会話本を合計20~30冊ほど修了、学習アプリ Mango Lanuguages(エジプト方言版)を1周、現地テレビ・ラジオ放送の聴解練習を1日当たり数時間×約2年間実施する形で学びました。下記説明執筆に際してはエジプト方言辞典を2種利用し再確認を実施しましたが、ネイティブ話者ではないので間違いがあったらすみません。
話されているのはフスハーではなく公人やエジプトメディアが話すかしこまった文語-エジプト方言ミックスに近い
実際には文法・語彙・発音の間違いも少なくフスハーとエジプト方言を知っていれば容易に聴き取れるクリアなスピーチ
この動画については「小池氏のアラビア語が呆然とするレベルでダメダメで、何を言っているのか全くわからない意味不明な宇宙語」「カイロ大学を卒業するだけのアラビア語どころか基礎すらゼロだった」という評価を期待している人々のニーズに応えてか過度のサービスと演出が入ってしまい激辛評価が出回っていますが、実際にはアラビア語のフスハーとエジプト方言の十分な聴解訓練を受けていれば一字一句漏らさずにリスニングできる簡単な文章です。
ただ、日本で文語アラビア語フスハーだけを学んでいたり留学先が違う国でエジプト方言の特徴を口語文法書・語学書・口語辞典で学んだ経験が無かったりすると、聴き漏らしたりしやすいようです。実際にSNSでも「全部は聴き取れなかった」といったポストを見かけました。
管理人の個人的な経験・体感からすると、フスハーとアーンミーヤともに3~4年ぐらい継続しての聴解訓練をすればほぼリスニングできる感じになるのでは、と思います。
フスハーの存在感が薄いエジプトでは報道番組でもエジプト方言の濃度が高め
動画では小池氏自身がフスハー(文語アラビア語、正則アラビア語)を話しているシーンと説明されていますが、実際には純フスハーではなくフスハーをもう少し口語エジプト方言寄りに寄せた文語-口語混合体(中間体)と呼ばれるアラビア語の種類に該当します。
エジプト系TV局報道番組の司会女性が国会議員に電話インタビューしているシーンです。女性司会も男性議員もフスハー寄りのややかしこまったエジプト方言で会話。キャスター時代にヨルダンのアンマンに電話をかけた際の小池氏アラビア語はこれに酷似しており、相手男性につける敬称 سيادة [ siyada(h) ] [ スィヤーダ ](~閣下、~殿、~様)なども共通しています。
エジプトのようにフスハーが苦手な人が多い国ではこうした混合体(中間体)の使用率は極めて高いため報道番組で司会が完全なフスハーを使っていないことも珍しくなく、フスハーとエジプト方言のミックスを小池氏が使っていたこと自体はネイティブがやっているのと同じです。
そのため単に文語と口語が混ざっているだけで「アラビア語として間違っている」「完全なフスハーじゃないからひどいアラビア語で報道番組にふさわしくない」「ネイティブが聞いたら赤面する」「でたらめアラビア語」と判断することは不適切となり、混ざり具合の状態や使用シーンとして適切かどうかなどを吟味した上で最終的な評価を下す必要が出てきます。
電話インタビューの際に方言を出すのはアラブ諸国におけるニュース番組の定番手法
小池氏がフスハー寄りのエジプト方言ミックスを報道番組で使っていたことの是非ですが、文語-口語ミックス会話には少し崩したアラビア語によりアラブ人が萎縮せずほっとした気持ちで返事を言い出せるきっかけを作るという非常に重要な心理的効果があります。
ワールドビジネスサテライトの取材相手によってはフスハーを苦手としているかもしれないため、「ニュース番組なんだからとにかく全部フスハーを使わないとおかしい」というアラブのテレビ番組でも遵守していないことを小池氏に求めるのではなく、番組進行の上でも有用だったというメリットを加味して考えることになるかと思います。
ヨルダンにいたアラビア石油側の男性については電話での返答からするとものすごくフスハーが得意という感じではなかったため、小池氏の使っていたフォーマル風味なミックスアラビア語でちょうど良かったのかもしれません。
ヨルダンのアンマン(アンマーン)につないだ時の挨拶
文の全体
أهلا، السيد حسن سليمان؟
アハラン、アッ=サイイド・ハ(ッ)サン・スレ(ー)マーン?
字幕:こんにちは、ハッサン・スレーマンさん
実際の意味:こんにちは、ハサン・スレーマーンさんでしょうか?
軽く挨拶した後で、つないだ相手が予定通りのハサン氏かどうか確認を取っている部分です。尻上がりに読むことで、疑問詞を伴っていない「こんにちは、ハサン・スレーマーンさん」が質問・確認の意味を帯びるため「こんにちは、ハサン・スレーマーンさんでしょうか?」という意味に。
電話口に出た男性が本人かを確認している箇所となっています。
アハラン
أهلا
文語アラビア語発音:[ ’ahlan ] [ アフランとアハランを混ぜたような発音 ]
意味:【名詞対格】(1)【歓迎の挨拶として】ようこそ(2)こんにちは、どうも、やあ
直訳は「家族を」「家族として」ですが、「家族のように気兼ねせず接することができる存在として招待主・歓迎者と過ごす」というニュアンスから転じて歓迎の挨拶「ようこそ」として使われるようになったと言われています。さらに日常会話では英語の Hello に近い使い方もし「こんにちは」「やあ」「どうも」といった意味でも多用。小池氏トークでは後者で使われています。
イスラーム教徒同士であれば信者同士の合言葉的な存在である「アッ=サラーム・アライクム」(あなた方の上に平安がありますように)を言えばよいのですが、小池氏は信者ではないのでこのアハランを使う方が無難・適切だと言えます。
特にエジプトにはイスラーム教徒もキリスト教コプト教会信徒も住んでいるためエジプト人でも「アッ=サラーム・アライクム」(あなた方の上に平安がありますように)を使うべきではない相手といること、またエジプトは「こんにちは」の意味で مرحبا [ marḥaba ] [ マルハバ ](シリア人やレバノン人がよく使います)を常用する文化圏ではないので、小池氏がエジプトでアハランを使うことを実地で学ばれた可能性が考えられる箇所ともなっています。
アッ=サイイド
السيد
文語アラビア語発音:[ ’as-sayyid / ’as-saiyid ] [ アッ=サイイド ]
意味:【定冠詞&名詞】【敬称】~殿、~氏、~様
-ay- の部分は二重母音 ai(アイ)を表すアラビア語の表記方法に従った当て字なので、実際には sayyid も saiyid も同じ「サイイド」と読みます。この二重母音部分は口語アラビア語(アーンミーヤ)では ei(エイ)や ē(エー)に置き換わりやすく、またサイイド後半の i は e に傾いてサイイェドっぽく聞こえやすいです。
かといって色々な方言で سيد [ sayyid / saiyid ] [ サイイド ] がセイイェドやセーイェドになるかというとそうでもなく、むしろ سيد [ sīd ] [ スィード ] に変化してしまうことが多く、語尾に ـي [ -ī ] [ イー ](私の~)をくっつけた سيدي [ sayyidī / saiyidī ] [ サイイディー ](我が主、主様、長様)は口語アラビア語としては سيدي [ sīdī → sīdi ] [ スィーディ(ー) ] という発音が各地で聞かれます。
名詞 سيد [ sayyid / saiyid ] [ サイイド ] の語頭に英語の the(ザ)に似た定冠詞アルをくっつけたのが السيد [ ’as-sayyid / ’as-saiyid ] [ アッ=サイイド ] ですが、これは近現代になってから英語の敬称 Mr.(ミスター)に対応した表現として広まったものになります。
小池氏は早口で言っているので「アッサイド」に近く聞こえますが、単に高スピードで原稿を音読しているだけでおそらくは「アッ=サイイド」と正しく発音していると判定できる範囲内だと思われます。
小池氏のアラビア語の特徴が各所に表れていた著書『3日でおぼえるアラビア語』では「アッサィエドゥ」というアッ=サイイドのエジプト方言風発音が載っているので、この語の発音について小池氏自身はアッ=サイドとか日本人アラビア語学習者が初級の頃によく混同するアッ=サイードでないと認識していたことがわかります。
そのためこの小池氏動画に関して「小池氏はMr.という意味のアッ=サイイドを正確に発音できず、本当はなんと読む単語なのかも知らないままアッ=サイードと言っている」のような解説・評価があった場合、実際にはそう聞こえないのにアラビア語がわからない方には聞き分けができないことを利用して小池氏が言い間違えたという脚色を入れている可能性が高いと言わざるを得ないため、要注意かもしれません。
ハッサン
حسن
文語アラビア語発音:[ ḥasan ] [ ハサン ]
意味:【人名】美男、佳人、美しい(人)、佳い(人)
حسان
文語アラビア語発音:[ ḥassān ] [ ハッサーン ]
意味:【人名】とても美しい(人)、非常に美男な(人)、たいそうな美男
カタカナ表記がハッサンになるアラブ人名はハサンとハッサーンの二つある
日本語で「ハッサン」とカタカナ表記されるアラブ人の男性名はたいていの場合メジャーな方のハサン(حسن)を指していますが、実はよく似た響きの別の名前ハッサーン(حسان)もあって、「ー」を抜いて当て字をする日本語表記の慣例の都合上そちらも同じくハッサンとカタカナ表記されています。
小池氏は長母音の「ー」を伸ばして発音していないこと、字幕ではカタカナ表記でハッサンとなっていることから、おそらくは HASSAN と当て字をするのに実はアラビア語でハサンと読むというハサン(حسن)のつもりで原稿を読んでいた可能性が高いです。
HASSAN という英字表記(ローマ字表記、ラテン文字表記)自体は、英語圏やフランス語圏の人が HASAN の S を濁点化してハザンと読まないようにするために SS と数を増やして当て字をしただけなので、素直にローマ字読みしたハッサンではなくハサンと読むのが基本的にはアラビア語発音としての正解になります。
そのためアラビア語ができる方でもアラブ人名に詳しくない方だと「ハッサンなんて名前は存在しません」「正しくはハサンなのでハッサンは間違いです」と説明しがちで、その手の投稿はウェブ記事・ネット動画・SNSでもしばしば見かけます。
ところが HASSAN についてはハサンとハッサーン共通の当て字であることから、相手側がわざわざアラビア文字表記でのフルネームを日本人側に教えてこない限りハサンなのかハッサーンなのか区別できないという結構ややこしい人名となっています。
小池氏はニュース番組でおそらくハッサンと発音していた
番組では日本語字幕がハッサンとなっていましたが、ひょっとすると相手男性はハサンではなくハッサーンだったことも考えられるため「小池氏がハサンをハッサンとかハッサーンと聞こえる発音をしていた。アラブ人にハッサンとかハッサーンなんて名前は実在しないから、ハッサンと発音した小池氏はアラブ人名すら知らない素人だ。」は安易な断定に当たります。
テレビの字幕ではハッサン・スレーマンとなっていますが、小池氏の発音自体はハッサンだと思っていそうではありますがおそらくアラブ人であれば「ハサンと言っている」で認識にしてスルーするレベルで、実は「ハッサーン氏なのでむしろハッサンで良かった」ということもあり得るため、「ハッサンと読んだ」と安易に間違い認定するのは保留にすべき部分であるようにも感じます。
確認のため『3日でおぼえるアラビア語』を見てみると、このハサンという男性名がハッサンとカタカナ表記され hássan という当て字が添えられています。このことから、小池氏がハサンという男性名を Hassan という英字表記と関連付けた上でハサンではなくハッサンと覚えていたらしいことが読み取れます。
小池氏は耳でアラビア語を覚えた割合が高めらしく『3日でおぼえるアラビア語』にはその影響だと思われる誤読・誤字が出てくるのですが、この”ハッサン”もその一つで、ワールドビジネスサテライト録画の中でも
- حسن [ ḥasan ] [ ハサン ] を英字表記のローマ字読みであるハッサンで言っていた
- 一部アラブ人名をアラビア語発音ではなく英字表記の当て字の方で覚えていた
という同様の癖のようなものが反映されていた可能性がかなり考えられると言えそうです。
ちなみに画面の日本語字幕では「ハッサン」となっていますが、「テレビの字幕で採用されているカタカナ表記=アラビア石油側が採用しているカタカナ表記でテレビ局は書面なりで受け取った通りに字幕にした≠番組字幕でもアラブ人名カタカナ表記は小池氏が自分で考え指示していた」かもしれないので、字幕でハッサンとなっている件は小池氏一人の間違い・責任だと断定しない方が良いかもしれません。
ハサン氏なのかハッサーン氏なのか確認が取れない以上間違い発音確定はできない
この件についてネット上であれこれ検索してみましたが該当人物を探し当てることができませんでした。アラビア石油なりに問い合わせたりして彼が حسن(ハサン)なのか حسان(ハッサーン)なのか確認しない限り、「ハサンなのに小池氏が間違えハッサンと言った」とは断言できないというのが最終判定になるかと思います。
なお上述の通り、「アラブ人にハッサンとかハッサーンなんて名前は実在しないから、ハサンをハッサンと発音した小池氏の恥ずかしい間違いだ」と断定することはアラビア語・アラブ人名関連知識不足による誤りか、承知の上での脚色・印象操作に当たるので注意が必要かもしれません。
字幕では「スレーマン」
سليمان
文語アラビア語発音:[ sulaymān / sulaimān ] [ スライマーン ]
口語アラビア語発音:スレイマーン、スレーマーン、スリーマーン、スリマーン、スリェマーン他
字幕では「ハッサン・スレーマン」となっているフルネームの後半部分です。
スライマーンには口語発音(方言での発音)バリエーションが多数存在
-ay- の部分は二重母音 ai(アイ)を表すアラビア語の表記方法に従った当て字なので、実際には sulaymān も sulaimān も同じ「スライマーン」と読みます。
この二重母音部分は口語アラビア語(アーンミーヤ)では ei(エイ)や ē(エー)に置き換わりやすいので、話し言葉だとスレイマーン(英字表記例:Suleiman、Sleiman)やスレーマーン(英字表記例:Sleman)と聞こえることが多いです。また地方によっては 語頭部分が slī-(スリー)に置き換わったスリーマーンのような発音になることもあるとか。
さらに伸ばす音である長母音「ー」が複数含まれるこのような語形ではさらに音が詰まってスレマーンやスリマーンと短く聞こえたりもします。イラク方言など、地域によっては二重母音部分が「ie」っぽくなるせいでスリェマーンなどと聞こえやすくなり英字表記もSuliemanが使われるなどします。
そのためこの人名は文語アラビア語発音がスライマーンであるものの、口語アラビア語発音としてはスレイマーン、スレーマーン他、多くのバリエーションを有しており、「スレイマーンが正しくてスレーマーンが間違い」というようなことはありません。
小池氏はかつて著書でスリマーンと書いていたが、動画ではスレーマーンに聞こえる
ニュース番組字幕のハッサン・ハゼル・スレーマン、ハッサン・スレーマンが番組側が決めたカタカナ表記なのか、アラビア石油が渡してきた名詞にそのまま書かれていたのか、小池氏が指示した結果こういうカタカナ表記になったのか、録画だけでは判断がつきません。
確認のため『3日でおぼえるアラビア語』を見てみると、スリマーンというカタカナ表記に slimān(かつāの上に ā に重なる形で á の記号あり)となっていました。
ワールドサテライト字幕ではスレーマンとなっていますが、スレイマンやスレーマンはどちらかというと非アラビア語発音で、アラブ諸国の方言ではスレーマーンから「ー」を取るとすると取る位置が違ってスレーマンではなくスレマーンの方だったりします。
繰り返し録画をリスニングしてみると小池氏自身はスレーマンと発音しているのではなくむしろアラブ人の口語寄り発音によくあるスレーマーンに近い発音をしているように聞こえ、字幕はスレーマンなのに小池氏はスレーマーンと発音しているという食い違いがあるように見受けられました。
これについてはいくつかの可能性があって
- 小池氏は『3日でおぼえるアラビア語』時代同様スリマーンという発音だと思っていたが、実はワールドサテライトの仕事を後方支援してアラビア語原稿の作成や発音指導をしてくれるエジプト人なりのネイティブがいて、ネイティブ発音である「スレーマーン」をそのまま真似て読んだため正確な口語アラビア語発音になった。
- 放送当時小池氏は以前のスリマーンではなくスレーマンという発音だと思っていたが、もしかしたらあったかもしれない発音指導にでスレーマーンという口語としては正しい発音を行った。
- 小池氏は『3日でおぼえるアラビア語』当時はスリマーンと発音していたが、その後仕事をしているうちにスレーマーンないしはスレマーンというネイティブ発音に直した。字幕のスレーマンには関与しておらず、スレーマンはテレビ局スタッフがそう入力しただけだった。
などが考えられるのですが、ニュースの字幕と小池氏の音読から確定することは不可能だと思います。
アラブ諸国ではフスハーのニュースでも人名・地名は現地に合わせて口語(方言)発音をすることが多い
完全な純度100%のフスハーを使うアラビア語テストとか文語詩の朗読などであればスライマーンと読むべきなのですが、それ以外のスレイマーン、スレーマーン、スレマーン、スリィェマーンなどは全部口語発音です。出身地の方言によって違うのでどれが正しいということはなく、「その人が覚えた方言と住んでいた土地でそう発音していたから」と判断する事項となっています。
ワールドビジネスサテライトの小池氏に限らず、アラブ諸国のニュース番組では原稿音読はフスハーなのに人名や地名だけは現地発音に合わせた口語・方言発音になっていることが多いです。それらまで「フスハーじゃないから間違い」と判定するとアラブ世界の大半のニュース番組には何かしらの口語要素が混入しているものなので「名前や地名、動詞、人称代名詞、指示代名詞などをアナウンサーもゲストも口語発音しているから全員間違いだらけ」ということになってしまいきりがありません。
結局のところ、ニュース番組録画の中で小池氏自身はアラブ人が行っているのと同じ口語発音であるスレーマーンまいしは前半が短く詰まったスレマーンと言っている可能性が非常に高く、それについては「アラビア語によるニュース司会としては間違った発音と扱われる範疇には含まれない」という判定になるかと思います。
字幕の「ハッサン・スレーマン」
小池氏は後年の外交動画でも、アラブ人名をアラブ人本人の渡してきた名刺に書かれた英字表記を見てアラビア語会話の中でアラビア語発音をする代わりにそれらのローマ字読みをされているのではと感じさせる場面がいくつかありました。
というのも、その人物の名前のアラビア語表記をアラビア語として読んだ時と小池氏の発音がずれており、小池氏は英字表記をそのままローマ字読みのようにして音読した時に聞かれる発音とほぼ一致しているためです。
アラブ人は自分の名前の英字表記に関して「普段こう発音しているからそのように読んでくれ」的な感じでフスハーではなく現地方言の口語的な読みに依拠した当て字を使うことが多いです。
そのためこの番組内電話中継でもローマ字読みでは「ハサン・スライマーン」とはとても読めないような Hassan Suleman や Hassan Suleiman などと書いてあった名詞なり文書なりに記載された相手男性名英字表記をそのままニュース原稿に組み入れ、人名部分が英語で書かれた原稿を読んだことによってテレビ字幕の「ハッサン・スレーマン」に近い発音をした可能性もゼロではないように見受けられました。
アラブ人はアラブ人名のカタカナ表記を日本人がやらないような当て字の方法で行うことも珍しくなく、「ハッサン・スレーマン」がアラビア石油側が日本語カタカナ表記でテレビ局に通知した通りに字幕にしただけだったことも十分に考えられるため、「小池氏がハッサン・スレーマンと書いたり発音したりした」というのは根拠不十分の憶測の域を出ない、というのが正直なところです。
イラクが軍を撤退させると発表した件についての意見を求める
文の全体
ممكن نعرف رأي سيادتك عن (ال)بيان العراقي لإنسحاب قواتها ؟
ムンキン・ナアラフ・ラァィ・スィヤッタク・アン・バヤーニ・ル=イラーキー・リ・インスィハービ・クウワーティハー(/クーワーティハー)?
にも聞こえますが、繰り返しのリスニングと文法からするとおそらくは
ممكن نعرف رأي سيادتك عن بيان العراق لإنسحاب قواتها ؟
ムンキン・ナアラフ・ラァィ・スィヤッタク・アン・バヤーニ・ル=イラーク・リ・インスィハービ・クウワーティハー(/クーワーティハー)?
字幕:イラク軍の撤退案についてあなたの考えはいかがですか
実際の意味:イラクの自軍撤退声明について貴殿の意見をお教え願えますか?(≒イラクが軍の撤退を表明したことについてどうお考えですか?)
字幕では撤退案という訳になっていますが、実際にはイラクが撤退を発表したこと、自軍撤退の声明を出したことをどう思うか聞いているシーンです。意味としては質問文ですが、フスハーの疑問詞 هَلْ [ hal ] [ ハル ] を使わずに、尻上がり口調と質問に用いる定型表現で疑問文だとわかる形で相手に尋ねています。
人に質問して何かを教えてもらいたい時の口語的な決まり文句+エジプト方言で多用される敬称+基礎的な軍事・時事用語を組み合わせた短文なので、アラビア語経験がある程度ある方なら直訳「イラクがその軍の撤退を発表したことに関する貴殿の意見を我々が知ることは可能ですか?」として聞き取るのは容易だと思います。
この箇所については複数回リスニングしたところ「イラクの声明」という部分が「アン・バヤーニ・ル=イラーキー」にも「アン・バヤーニ・ル=イラーク」にも聞こえたので一応2通り併記しましたが、文法的には下の段に挙げた方がベターかと。
ムンキン・ナアラフ
エジプト方言での会話など口語(アーンミーヤ)的な言い回しで「我々が~を知ることはできます(か)?」という直訳で「~を教えてもらえますか?」と聞いています。英語でいうところの Can we know ~? とか May we know ~? に似た言い回しです。
フスハーだと動詞未完了形の نعرف の前に動名詞と同等にするための أَنْ [ ’an ] [ アン ](英語のto不定詞などに似た感じの構文)を伴うのですが、口語表現ではこれをはさまずムンキンの直後にそのまま動詞未完了形を置きます。
口語的だとはいえ英語の May we know ~? のように少し遠回しにワンクッション置いて丁寧さを出しているフレーズなので、フスハーでの正しい言い方を提示する場合は疑問詞を使ったストレートな聞き方でフスハーによるニュース番組でも多用されている مَا رَأْيُكَ فِي [ mā ra’yuk(a) fī ] [ 文語発音:マー・ラァユカ/ラッユカ、口語寄り発音:マー・ラァユク/ラッユク・フィー ](~についてのあなたの意見は何ですか?)を出すと、後述の尊敬表現スィヤッタク(スィヤーダティカ/スィヤーダタク)まで除去してしまうため、厳密には同等表現への置き換えには該当しないと言えます。
ムンキン
動詞派生形第4形の能動分詞語形で「~できる」「~が可能な」という意味で使われています。ここでは「ナアラフ・ラァイ・スィヤッタク・アン・バヤーニ・ル=イラーキー・リ・インスィハービ・クウワーティハー(/クーワーティハー)」することができるか相手に尋ねています。英語の「Is it possible to know ~」のpossibleがムンキンで、to know以下がナアラフ以降に当たり、toに相当するパーツが抜けている感じです。
ナアラフ
「私たちは~を知る」という意味の動詞で、フスハー的発音かつ語末母音を省くニュース的な読み方では نَعْرِف [ na‘rif ] [ ナアリフ ] となるのですが、小池氏はエジプト人がフスハートークでもよくやる「動詞の活用を口語式で言う」に相当する نَعْرَف [ na‘raf ] [ ナアラフ ] としています。
がちがちの純100%フスハーからエジプト方言寄りに少し崩すミックス会話にする際にネイティブもやっている方法、ないしはフスハーを話しているつもりなのに口語式の発音をついしてしまう人が使う語形がこのナアラフとなっています。
アラビア語は語形(語頭に「私たちは」を意味するn-がつく)と語根(単語に埋め込まれ語彙を生成する際の骨組みとなる3文字の並び順「‘ – r – f」)さえ同じなら途中の母音が少し違っただけでは間違えないようにできており、アラブ人にはナアリフでもナアラフでも「私たちは~を知る」として認識されます。
ラァィ
「意見、考え」という意味の名詞です。ここは普通にフスハー発音です。日本の学界標準カタカナ表記だとラアイになるのですが、実際の発音はラァィとラッィが混ざったような感じなので、ここではひとまず実際の発音に近いラァィとしてあります。
これに「あなたの~」という人称代名詞の接続形をつけて語末母音を省いた会話字発音にすると رَأْيَكْ [ ra’yak ] [ ラァヤクとラッヤクを混ぜたような発音 ] となるのですが、これだけだと電話に出てくれるアラブ人男性に敬意を表することができずへりくだって頼み事をするには少し失礼なので、小池氏はエジプト人がよく使うスィヤッタク(貴殿)という敬称に置き換えています。
スィヤッタク
純フスハー発音だと格変化部分も込みで سِيَادَتِكَ [ siyādatika ] [ スィヤーダティカ ] となりますが、口語寄りにするとまず [ siyādatak ] [ スィヤーダタク ] に変化、さらにエジプト方言では長く伸ばす長母音「ー」部分が詰まったり発音場所の近い d と t が同化してしまったりで [ siyattak ] [ スィヤッタク ] のようになります。
このスィヤッタクはフスハーの時の語形と違うため初めて聞いた方は「?」となるかもしれませんが、エジプト人が男性相手によく使う敬称・呼びかけなのでエジプト方言の学習経験があったりエジプトのメディアの動画・音声を聞いたことがある方なら初期に覚える類の語彙となっています。
小池氏はエジプト人が普段使いしているのと同じスィヤッタクを使用。これは敬語表現で「貴殿」という意味を持ち、ここでは属格(所有格)になっていることから「貴殿の」という風に訳すことになります。
上でも書いた通り、これを رأيك [ ラァヤク ](あなたの意見、あなたの考え)に置き換えてしまうと相手への尊敬を示すパーツが消えることになります。そのためもしこのニュース原稿のアラビア語部分が小池氏自作の文章だったということであれば、小池氏が「スィヤッタク」を使っている件から目上の人物に話しかけるアラブ式の方法をある程度知っていたと判断し得る感じです。
アン・バヤーニ・ル=イラーキー と言っている場合
文法的にはバヤーン(声明、発表*)とイラーキー(イラクの)両方に定冠詞アルがついて عن البيان العراقي [ アニ・ル=バヤーニ・ル=イラーキー ] とすべき箇所なのですが、繰り返し聞いた結果小池氏はバヤーンには定冠詞をつけずて عن بيان العراقي [ アン・バヤーニ・ル=イラーキー ] と言っている可能性があるように感じました。
*字幕では「案」となっていますが、実際には「声明、発表、明かすこと」という意味の名詞です。
『3日でおぼえるアラビア語』でも定冠詞が要る場所に定冠詞が無かったり、定冠詞が要らない場所に定冠詞がついているといった事例が複数あったので、ここは小池氏側の定冠詞つけ忘れだと思われます。
この定冠詞が本来ある場所に定冠詞をつけないというのはアラブ人でもしばしばやることで、アラブ人向けの誤用集にも登場します。特に前置詞の直後に来る定冠詞は口語発音だとはっきり聞き取れないことも多いため、アラブ人が話しているの聞こえた通りに覚えるという会話メインでアラビア語を勉強した方に起きやすい定冠詞脱落だと言えるかもしれません。
文法的に見れば下に挙げた候補「アン・バヤーニ・ル=イラーク」が有力
ただ、後に「クウワーティハー」という語が出てきておりそれよりも前にイラクという国名が名詞形で出ていないと「イラクの声明の軍撤退をイラクが発表したこと」というちょっとおかしい構文になってしまうので、小池氏の見ていた原稿では定冠詞抜けの「アン・バヤーニ・ル=イラーキー」(イラクの声明、イラク的声明について)ではなく「アン・バヤーニ・ル=イラーク」(イラク(が行った)声明について)という属格(イダーファ、いわゆる所有格構文に相当)構文だった可能性が高いと言えるかもしれません。
リスニングを繰り返した限りでは「ムンキン・ナアラフ・ラァイ・スィヤッタク・アン・バヤーニ・ル=イラーク・リ・インスィハービ・クウワーティハー」と聞こえる感じではあるので、当方としてはこれを候補と考えることにしました。
なおこの場合は上で推察した定冠詞関係の誤用というのはありません。
バヤーニ・ル=
ここはフスハーだと属格(≒所有格)になっているので「バヤーニ」で正解なのですが、口語風の発音だと母音がもっとあいまいになるので「バヤーニ・ル=」が「バヤーナ・ル=」に聞こえる方もおられるかもしれません。
ただこれはフスハーとアーンミーヤのミックス会話に起きがちな発音変化で、フスハーで律儀に行っている格変化を表す母音部分が違う母音に聞こえるという現象に当たります。なので仮に「バヤーナ・ル=」に聞こえたとしても、文語-口語混合体(中間体)ではむしろナチュラルな読み上げなので、もしそれをわかっていてやっているということであればアラビア語として格変化を言い間違えているというのとは違ってきます。
イラーキー ないしは イラーク
リスニングで2通りの可能性があると感じたため併記してありますが、イラーキーであれば「イラクの」という意味の形容詞で、イラークであれば国名「アル=イラーク」としての固有名詞で、直前のバヤーン(会話中ではバヤーニの発音で登場)にかかっています。
文語-口語ミックス会話の時にアラーキーに近く聞こえる発音をされることが多いです。そのため小池氏のトークでもイラーキー/イラークとアラーキー/アラークの中間のように感じられるかもしれません。
リ・インスィハービ・クウワーティハー
前置詞「リ」(~の)以下が、イラクの発表した声明の内容を示しています。
堅い文語発音だと「イ」は読み飛ばしてアラビア語表記を لِانْسِحَابِ とした上で「リ・ンスィハービ」とするのが正しいのですが、アラブ諸国のニュースチャンネルではもはやそれをしておらず「リ・インスィハービ」(لِإِنْسِحِابِ)と読むのが常態化しています。
これは「ハムザトルワスル(ハムザトゥルワスル、ハムザトゥ・ル=ワスル、接続ハムザ)の切断」と呼ばれる行為でニュース原稿の読み上げとしてはすっかり定着してしまっている読み方なので、小池氏についてもアラブ世界での慣行に従っている形となっています。
クウワーティハー(クーワーティハーと表記されることもあり)
「ハー」は指示代名詞(女性・単数)の接続形で軍隊という意味のクウワートに接尾。格変化の関係上クウワーティハーという発音になっており、これについては文語フスハーの文法通りの母音がついて「その軍隊の」という意味を示しています。(その軍隊を→イラクの軍隊を→(イラクが)自軍を、といった感じで解釈して和訳を作る部分です。)
「ハー」はイラクを指している部分なのですが、アラビア語では国の名前の大半は女性で、男性扱いする数少ない例の中にイラクが含まれます。そのためクウワーティヒとするのがフスハー文法通りなのですが、大半のアラブ国名は女性であるためネイティブでもイラクは女性の国名だと思っている人が多く、小池氏だけがやっているようなおかしな間違いとはちょっと違っておりネイティブもしばしばクウワーティハーと言う人がいる点はある程度考慮する必要があるかと思います。
文章としての言い回しが非常に自然でアラビア語慣れした感じなので、もし小池氏が自分で作文されたのではなくネイティブによる監修やチェックを受けた結果「クウワーティハー」になったようであれば、この誤用も「手伝ってくれたアラブ人がイラクを女性だと間違えて女性形のハーで受ける作文をしてしまった」ということになってきます。
アラビア語に特徴的な子音の発音ができていないカタカナ原稿棒読みという評価について
キャスター時代の録画は「慣れてるな」「エジプト人っぽい」と感じさせる音読だった
削除されたショート録画については「アラビア語特有の発音が全くできていない」「下手」「アラビア語じゃない」「アラブ人も聞き取れない」という評価が流布しているようです。
しかし文語と口語の両方を併用していてエジプト方言など各国出身者のアラビア語を継続的に耳にしてきた管理人としては、むしろアラビア語を知らない人のカタカナ発音とは全然違っているとの印象を持ちました。アラブ人の知り合いがいる方がキャスター時代の動画だけを見せて感想を求めれば、十中八九「よく読めている」「上手いね」「エジプトに住んでた人でしょ」「言っていることは理解できる」という返事が来るのではと思います。
仮に事前練習をして臨んだ小池氏にとっては最大瞬間風速的な上出来の原稿読み上げだったとしても、スピードも速くエジプト人の口語エジプト方言混じりフスハー発音の特徴をとらえた音読となっており、アラビア語会話を鍛える機会が少ない中東研究者などだと真似できる人はむしろ少ないかもしれません。現在小池氏のアラビア語検証を行っている方たちであっても同様の音読はできない可能性があり得ます。
これを「アラビア語になっていない」「アラブ人も聞き取れない」「文法も間違えまくり」と評しているものがあるとすれば、アラビア語のフスハーとアーンミーヤや混合体(中間体)会話の特質を熟知していないことに起因するアラビア語学の専門性を欠いた不適切な解説や、受け手の大半がアラビア語を知らないことを悪用した印象操作である可能性が高くなってきてしまいます。
たしかに著書では似た発音をする子音同士が混同されていることからアラビア語に特徴的な文字の発音が昔から完璧でなかったであろうことはうかがえるのですが、後年のスピーチでは若い頃にできていたネイティブ風イントネーションが難しくなったことでカタカナ的発音にだいぶ寄っているのに対して、キャスター時代の録画では読むスピードが速くイントネーションがネイティブ風だったこともあって”日本人発音”的なものは感じにくく「エジプトに住んでいた日本人女性がエジプト人みたいに原稿を音読している」としか言えないようなワンシーンに仕上がっているというのが適正な評価だという気がします。
日本のアラビア語界隈では「あの人発音が下手」という揶揄はあまりされない
英語とかもそうですが、アラビア語は教科書通りのネイティブ発音をしていなくても意味が通って相手が理解してくれることが非常に多いこと、また日本でもアラビア文字の発音学習は昔から手薄で本当に正確な発音をマスターしている人はごくわずかであることから、日本人同士で発音の指摘をしてもあまり意味が無いような気がします…
文語・口語双方のアラビア語の発音について日本国内で厳正な解説をできるのはクルアーン(コーラン)朗誦用の文語正則発音と現代アラブ諸国における子音の発音バリエーションや純フスハー会話がアーンミーヤ寄りにシフトする時の変化の特徴に精通したアラビア語専攻の言語学の研究者ぐらいしかおられないのですが、小池氏アラビア語能力評価にはそうした専門家が関与していません。
普段アラビア語に特徴的な子音の調音部位を間違えたりアラビア語文の文法・母音記号間違い・音読誤りをされている方たちが、似たような発音・誤用をしている小池氏を批判し自身はマスターしている立場の人間として告発する、言語学畑の外の方たちが小池氏の日本人的発音を細かく挙げて不十分な根拠をもって告発するという図式になってしまっており、指摘行為・内容に説得力が確保されていない状況です。
*批判を覚悟で書きましたが、事実だとしか言えないためご容赦願います。小池氏告訴に関連したアラビア語批判は恣意的・杜撰・悲惨なものが多く、ショックのあまり管理人も暴走気味で反省しています。
上でも書いた通り、日本人学習者で初級の段階からアラビア語発音が得意な人がまずいないこともあり「アラビア語学習者=発音や文字を覚える苦労を分かち合う仲間」という意識を持ちやすく、アラビア語学習・教育界隈では「あの人は発音が上手い」と言われることはあっても「発音すらできていないのに留学したとか偽物」という評価は全然されてこなかったように思います。
英語学習界と違って「発音が下手くそ」と他者を痛烈批判している人が極めて稀なので、小池氏のアラビア語発音を学歴詐称の証拠として攻撃材料に含める件については違和感や珍しさを感じたアラビア語経験者さんたちも結構いらっしゃるのではないでしょうか…
アラブ世界の特殊な事情と”ネイティブ発音”という定義
小池氏の”日本人発音”や”発音間違い”ですが、元々カイロ大学があるエジプト首都付近は若い女性が喉を酷使して「アァッ」「カァッ」「コァッ」「ハアッ」みたいに「これぞアラビア語」な苦しげでうめいているような発音はしない地域なので、耳で直接ネイティブの発音を聞いて真似した小池氏については、小池氏本人の学習不足で似た音の発音を区別できなかったのとは違う、周囲のエジプト人たちがフスハーの教科書通りの発音をしていない(例:ث(th)音が س(s)音に置き換わる、ع(‘)が ء(’)に寄る)という事情も考慮に入れる必要があります。
ネイティブのアラブ人たちはアラブ世界が広いために同じ字に対して地域差のせいで複数通りの発音をしており、文語では جَ(ジャ)と読む部分が地域によってガだったりギャだったりヤだったりと多様性があります。同じ身体の構造を共有している人間は同じ音の違う音への置き換わりや発音違いなどの傾向もある程度共通しているせいか「日本人がやりがちなこの発音は◯◯地方のアラビア語話者がしていて、その発音は△△部族の人たちの特徴と同じ」といった具合に一致することも多いです。
そのため純フスハーで話す特殊テストでもない限り「この字のネイティブ発音はこれだけ。この発音をしていなかったら絶対に間違い。アラビア語として失格。アラブ人にそんな発音をしている人なんかいない。ただの日本人発音。」と断定してそれ以外の発音を否定するという行為がそぐわず、「この字をこういう発音でするのはおかしい。アラビア語を話せていないのと一緒。」と強調するとアラブ人の特定方言話者や地方部住民に対する方言いじりや方言いじめと似たような発言をすることにもなりかねません。
また ر(r)に至っては調音部位の先天的障害から舌足らず発音になるアラブ人がおり悩みに感じ手術する人までいます。このように子音の種類によってはただの方言いじりではなくアラブ人・日本人に関係無く吃音(どもり)いじりと同じような生まれつきの発音障害揶揄に結びつく場合もあるので、アラビア語学習者の方は他者の非正則発音をやたらと指摘・批判しないようにした方が無難かもしれません。
ところがアラビア語未習の方たちは小池氏落選運動に関して流された情報を真に受けてしまわれ、その少なくない数が「アラビア語スキルの基本要素が発音であり、発音すらできていないということはアラビア語をろくに読めない・書けない・話せない・通じないことを意味する」という風に誤解をされてしまったようです。
実のところ方言の差のために複数子音の発音が正則(フスハー)とは違うアラブ人たちであっても、日本人やそれ以外の非アラブ人であっても、文法力・語彙力・表現力で十分カバーできており模範的発音が苦手な人も特に困っていないということが多いため「文字の発音が日本語みたいで下手だから話していることの内容も伝わっていない」「ネイティブ発音じゃないから相手は呆れ果てている」という解説があるとしたら、かなり大幅な脚色が入っていると判断された方が良いかもしれません。
「文語アラビア語の教科書に書いてあることと違う」という指摘をやり過ぎると、日本人や日本語既習者に「ら抜き言葉を使っているから日本語がまともに話せていない」「原因をげいいんと読んだからその言葉をちゃんと知らないし意味もわかっていない」と非難するのと同じようなことをするレベルに達してしまうため、手当たり次第に指摘して「フスハーと違う」「教科書と違う」と間違い扱いすることはあまり良くなく、フスハーとアーンミーヤそしてその混合体(中間体)全ての性質を十分に把握した上でその人が話しているアラビア語がどういうものなのかを分類・評価する姿勢が求められるものと思います。
キャスター時代のアラビア語ショート動画の客観的評価と実際に読み取れること
文法・語彙の間違い
上記の通り、小池氏のキャスター時代動画は文語-口語混合体(中間体)としては自然な言い回しで、訂正箇所としては男性である国名のイラクを女性形の指示代名詞で受けている「クウワーティハー」から男性形の指示代名詞で受けている「クウワーティヒ」(エジプト式の口語発音だとクウワート)にするという1点が挙げられる程度です。
アラビア石油の人のファーストネームをハッサンと覚え違いをしているかもしれない件は、字幕では「ハッサン」表記になっているものの動画からは男性の名前がハサンかハッサーンなのか確定できないこと、また小池氏の発音も本来の発音ハサンと言っているように聞こえる範囲内であることから、明らかな誤用として含めるのは保留とするのが妥当かもしれません。
発音やイントネーション
発音については上で詳しく述べた通りです。
アラビア語を学んでいる方で「自分が普段使っているフスハー教材付属音声の発音と全然違う」「こんなイントネーションはフスハーじゃない」と感じられる場合があると思うのですが、これは小池氏のキャスター時代の動画がフスハーとは多少違う混合体(中間体)でエジプト訛りが入っておりフスハーのみ経験した学習者が聞き慣れない話し方をしているのが原因です。
アラブ人はフスハーに極めて堪能な人を除き、通常はフスハー発話に本人の方言の影響が多少なりとも現れるため出身地を当てることも比較的しやすいです。
卒後何十年も経過した小池氏はもうそういう発音はされていないのですが、留学からまだそんなに経っていないキャスター時代の録画についてはエジプト人が実際によくやっているフスハー+エジプト方言ミックス会話でする時の発音にそっくりな読み上げをしていました。
アラブのメディアではこういう語彙や構文はほぼフスハーなはずなのに外国人学習者には訛って聞こえる話し方がごく普通に登場するので、ニュース番組特に色々な国籍のアナウンサーや記者が多数出演する汎アラブ局)のリスニングが得意になりたいということであれば、各国方言の要素が混ざった色々な種類のフスハーに慣れる訓練を行うことになります。
フスハーと方言が混ざる混合体アラビア語の厳正な評価は意外と難しい
キャスター時代の小池氏のアラビア語については、日本の大学や語学学校で教えられているアラビア語のほとんどがフスハーであること、日本では文語-口語ミックスアラビア語が教えられることがまず無いことから、混合体(中間体)の存在を知らない方によって「フスハーのはずなのにエジプト方言を無作為に混ぜ込んで、格変化なども読み間違えていてめちゃくちゃだ、発音も変だから聞き取れない」と判断されてしまいとも言えます。
当ページでもしつこいぐらいに書いていますが、検証記事の独自設定と違いエジプトでは他のアラブ諸国同様に公的な会話でのフスハー使用は徹底されておらず文語と口語のミックスが多用されているので、不自然で語彙力の乏しさを感じさせるものでなければ「アラビア語ができないことがばればれ」という評価は不適切となります。
卒後40~50年経った時の小池氏動画であれば「アラビア語の発音も昔から得意ではなかったのかもしれない」と言えたかもしれませんが、少なくともキャスター時代については「びっくりするほど下手」「アラブ人の発音と全然違う」「日本人発音すぎてアラビア語だとわからない」ではないので酷評は困難です。
通訳やキャスターをしていた若い頃、実際にはどのぐらいアラビア語が話せたのか?
「アラビア語ができないことがわかる動画なので後から削除した」と言われているキャスター時代の短い録画(肩パッドありのピンクスーツ姿)において、小池氏は何度か下の原稿を見ながらヨルダンにいる男性に話しかけていました。
「原稿をアラビア語として上手く読める」というのと「相手と言葉をやり取りし、返事を聞いてこちらも臨機応変にコメントすることができる」は別物なので、単なるニュース原稿音読ではないアラビア語会話をできるのかどうかについては切り抜きされた動画の後のシーンつまりはヨルダン側のアラブ人男性が返したフスハーをどの程度理解し質疑応答が続けられていたのかや、下準備無しでアラビア語を話していたシーンを探してきて見たりしないと判断はできないです。
ひとまず、ごく短時間の切り抜き動画を見た時点で言えるのは
- 手元にある原稿を見ながらネイティブに似たアクセントやイントネーションと速めのスピードで音読できていた
- ネイティブが手伝っていたとしても、完全コピー才能が無い限りアラビア語経験が皆無の人が真似できない読み方をしていた
- 「貴殿」といった尊敬表現を使えている
といった感想です。
小池氏については「若い頃アラビア語と英語を混ぜて通訳していた」という話が出回っている一方、ワールドビジネスサテライト(WBS)をリアルタイムで見ていた人たちが「イラク大使を呼んでアラビア語でかなりの分数を話していた様子からはとてもアラビア語ができない人には見えなかった」「フスハーメインで話していた」とネットに投稿していることから、キャスター時代はアラビア語を使う頻度が高めで、時事アラビア語の語彙力や報道番組向けの定型表現については学生時代よりも得意だったのではないかと思われます。
当方はワールドビジネスサテライト(WBS)時代の小池氏がアラビア語を話しているシーンは短い録画を二つ視聴したのみなのですが、イラクがクウェートに侵攻した湾岸危機の際に現地に渡航しイラク情報相にインタビューした時のアラビア語会話についても、文語アラビア語フスハーで普通に質問しており、アラビア語学習・使用経験が数年ある人の発音やしゃべり方をしていることを確認しています。
そのため小池氏については「留学時代からたどたどしいアラビア語しか口にしたことが無い」「カタカナで書かれた原稿を棒読みしているだけ」ではないことはアラビア語使用者の耳にはほぼ明らかで、学生時代には苦手だったとしてもキャスター業を続けているうちにある程度慣れてきて、事前に決められた質問であれば暗記してインタビュー相手に言うぐらいのことはこなせていた可能性が高いように感じました。
ただ、この件についてはワールドビジネスサテライトが別途ネイティブなり日本人なりのアラビア語要員がコーディネート業や翻訳のために雇われて決まった質問に対する回答の細かい和訳は小池氏以外が担当していたのかどうか、番組のアラビア語関連業務を小池氏がどこまでこなされていたのかによってもかなり評価が変わってきます。
結局のところ、2~3個の短い文章を言った動画だけでは「自然な言い回しを使っているしイントネーションも本場エジプトっぽい」「若い頃は現在言われているよりもアラビア語はできていた」ぐらいしか言えず、「アラブ人と自在に会話できていた」「通訳として双方向のコミュニケーションに対応していた」「自分で考えて自力でアラビア語の意思疎通を難なくこなしていた」といった詳しいことまでは判断できないというのが実情だと思います。
キャスター時代のアラビア語動画をすぐに削除してしまったのはなぜか?
アラビア語がよくわかるスタッフが小池氏アラビア語トーク公式動画制作に関わっていて、もし著作権・放送権の問題が全く無かったとしたら、普通は両方とも残すか、削除するのなら会話スピードが最盛期よりも遅くなり文法的な間違いも増えていた時期に当たるエジプト番組出演部分を削除したものと思います。
ネット上では「噂が広がって慌てて下手な方の動画を消した」と言われているようですがアラビア語がわかる人間からすると削除された部分の方が際立って出来が良く聞こえ、もし片方だけを選ばざるを得ないのだとしたら残すべきだったのはむしろピンクのスーツを着ていたキャスター時代の録画でした。
公式には「キャスター時代の番組は権利関係をクリアしていないため」と説明されていますが、もしそれが建前で仮に噂を気にして編集したとすれば「小池氏のアラビア語音読能力の格好のPRになる部分を消してしまった」ことになります。
もしそのような経緯が多少なりとでもあったとすると
- 過去動画の準備は普段公式アカウントに載せている動画を作成している広告会社・制作会社が行ったもので、アラビア語を運用できる人が関与し小池氏が文法間違いをしていない映像を厳選したわけではなかった。
- 的確なアドバイスをくれるアラブ人などが立ち会っておらず、ネットで広まった評判が不当評価であるということに誰も思い至らないまま急いで再編集を行ってしまった。
といった事情があった可能性も一応は考えられるとは思います。
小池氏も文法をある程度覚えていれば「この部分は嫌だから別の動画を使って」「このシーンは気に入らないから選ばせて」と指示できたのでは?という気もしますが、元々苦手だった文法項目で当時も今も言い間違えていることに気付いていなかったとかで、複数形や動名詞の箇所が要訂正なエジプトテレビ局出演時のひとコマを残してしまったという勘ぐりができなくもないかと…
アラビア語使用者として下すべき客観的評価と検証記事・コンテンツとのギャップ
上でも考察を書いた通り、ニーズの高い「小池氏は全然アラビア語ができず、話している動画も意味不明のアラビア語しか言っていない」という評価を提供する政治系エンタメ的なアラビア語能力鑑定コンテンツやアラビア語話者という立場を利用した落選活動的解説と違って、ワールドビジネスサテライト時代のトーク映像については意味が通っておりネイティブのアラブ人が容易に理解できる話し方でした。
あの削除された動画を「聞き取れない」「アラビア語を読めない人の話し方」「単語も正しく使えていない」と評価するのは相当に無理があるので、キャスター時代のアラビア語会話録画に極端な低評価なつけている検証コンテンツがあるとすれば、「話せている部分をできていないと評価している」「単語を間違えていない部分を間違えていると評価している」という風に過去の検証記事でされてきたような脚色・演出が加えられていると考えた方が良いです。
また「報道番組では口語(アーンミーヤ)の方言を使ってはいけない」「使ったらみっともない」という規則も無く、ネイティブのアナウンサーたちも一部単語が方言発音・活用になっていたりゲストと方言で話したりということを広く行っているため、「小池氏は報道番組なのにフスハーにエジプト方言を混ぜている」と敢えて指摘したり「アラブ人はそんなことをしない」と事実に反する説明を加えることなども、アラビア語解説としては不適切に当たるかと思います。
小池氏に関する検証ではアラビア語について専門性・信頼性を欠いた言説が多いことから、キャスター時代動画をアラビア語能力の無さの決定的証拠と喧伝する件も、単に書きたくて書いた/言いたくて言っただけだったり、低評価を求めるニーズに応えて提供された読者サービスの一種ないしは売上・閲覧数アップの一環だったりしたのでは、と受け止めざるを得ません。
小池氏の人となりが嫌いで政策・特定業者の優遇・疑惑など許しがたいと感じていらっしゃるアラビア語関係者の方も複数おられるとは思います。また激しい落選運動が起きることも政治家としての小池氏が招いてしまった部分もありある程度は仕方が無いのかもしれません。
それでも小池氏のアラビア語能力の片鱗を全否定するような解説やアラビア語使用者としては本来は下せないような評価をすることがアラビア語学の観点からも許されるかというと、それはまた全く別の話として区別すべきだという気がします…
小池氏カイロ大学卒業証明書・卒業証書の種別説明とアラビア語原文・直訳・和訳・単語解説
小池氏が公開した卒業証明書、卒業証書の不審な点についてはエジプトの各種現地情報・画像を検索し改めて精査してみると、エジプトで実際に同様の事例が見られるなど、小池氏書類の真贋を判断する決定的材料とは言えない可能性があることがわかりました。
小池氏が公開した2種類の証明書・証書の違い
カイロ大学のシステムと卒業までのスケジュール、卒業証書の発行や再発行方法については、ページ下方の『現在のカイロ大学カリキュラムと成績・卒業のシステム』のうち『卒業』の項目で詳しくまとめています。
エジプトにはすぐに発行される薄いコピー用紙の証明写真つき卒業証明書と、厚紙の立派な卒業証書(学位記)の2種類がある
小池氏がメディアなどに公開してきた手書きの立派な卒業証書(学位記)はアラブ諸国で通称「الشهادة الكرتونية」(厚紙証書)と呼ばれています。一方、顔写真・印紙が添付された薄い事務用紙の方は一時卒業証明書/期間限定卒業証明書(شهادة التخرج المؤقتة、temporary certificate)と呼ばれているものになります。
エジプトを始めアラブ諸国では手書きの卒業証書(学位記)は日本と違った発行手順で手渡され、日本のように卒業式の時に全員が手に入れるというシステムになっていません。書士が手書きで書くこと、エジプトの大学事務局はどこも仕事が遅いことから大卒エジプト人たちの間では「2年経ってもまだもらえない」「いつ手に入るかわからない厚紙証書」とも評されています。
永続的に効力を持つ厚紙の卒業証明書類(شهادة التخرج الدائمة、permanent certificate、永続卒業証書/終身卒業証書)が出るまでの間隔を埋める存在ともなっているため、従軍や就職などの都合上、卒業決定が出た時点で卒業生たちは取り急ぎ大学の卒業生課に手書きでない方の卒業証明書発行を申請し軍や就職希望先などに提出するのが一般的だとか。
アラブ世界ではすぐにもらえない厚紙の卒業証書(学位記)
証明写真・印紙つきの非永久・有効期限あり卒業証明書が比較的早くに発行されるのに対し、エジプトでは大学が最初から「1年後」を発行完了までの期間として設定。しかしながらSNSには「お金も前払いしたのに2年経ってももらえない」という声が多く、小池氏も卒業証書の発行がかなり遅かったと回顧しているのを読んだことがあります。
小池氏については1976年10月試験期間結果が1976年の12月年末に判明、成績が確定し1月に薄手の紙の卒業証明書が発行されたことになっています。エジプトはイスラーム教国でキリスト教も住んでいるため1月7日にクリスマスがあったりはしますが、日本と違い年末年始に長い冬休みに入るわけではないので、カイロ大学のスケジュールを色々なサイトやアカウントで確認してみると、日本人が「冬休みなのでは?」と考えるような日でもエジプトの大学にとっては長期休暇ではなかったりします。
小池氏が保有している書道家が書いた厚紙証書(卒業証書、学位記)の発行時期が卒業したとされる年よりもかなり後の1978年になっているのはエジプト国立大学の事務仕事が非常に遅くこの証書の発行が恒常的に2年待ちであることと合致しており、時系列的には一応矛盾が無い形となっています。
写真・印紙つきの卒業証明書に書いてあること【アラビア語原文・和訳】
アラビア語原文と和訳
写真と印紙が貼られた卒業証明書は、日本の立派な筆書き卒業証書とは異なり、卒業資格を得たことを就職先や入隊先の軍に提出したりするのに使われる簡易的・一時的な証明書類に当たり、エジプトでは「暫定証明書」「一時証明書」といった意味の名称「シャハーダ・ムアッカタ」で呼ばれています。
この暫定卒業証明書(一時卒業証明書)はカイロ大学ほかエジプトの各国立大学で5月期卒業試験とリベンジ回の10月期卒業試験が終わってから成績が出揃い大学から承認が下りると一気に作られるため、予め用意された雛形に卒業生の名前・生誕地・生年月日・卒業時成績・授与学位種別などを書き込む形で作成。
小池氏が公開した古いデザインの暫定卒業証明書については、あらかじめ印刷した部分が下線無しの箇所、後からタイプライターで打ち込んだと思われる文字列が __ の上に書かれている箇所となっています。
【アラビア語原文】
大学ロゴ
جامعة القاهرة
كلية الاداب
شهادة
تشهد الكلية أن السيد يوريكو كويكـى
المولود فى اليابان بتاريخ ۱٥ يوليو ۱۹٥۲
حصل على درجة الليسانس شعبة الاجتماع
فى دور اكتوبر سنة ۱۹۷٦ بتقدير ( جيد )
وقد تحررت هذه الشهادة بناء على طلبه لتقديمها إلى من يهمه الأمر.
توقيع المختص المراقب المراقب العام
عميد الكلية
تحريرا فى ۱۹۷۷/۱/۱۲
( مطبعة جامعة القاهرة ۲۰,۰۰۰/۱۹۷٦/۷۳۳ )
アラビア語原文をエジプト式からアラブ諸国共通表記に置き換え、タイプライター打ちの文字の時に省かれていた小さな識別パーツを所定の位置に戻すと、以下のようになります。現状ではまだ多数の間違いをしてしまっているAI翻訳・機械翻訳にかける時は、画像検索ではなく下のテキスト文字列を流し込む必要があるかと思います。
【アラビア語原文・改】
大学ロゴ
جامعة القاهرة
كلية الآداب
شهادة
تشهد الكلية أن السيد يوريكو كويكي
المولود في اليابان بتاريخ ۱٥ يوليو ۱۹٥۲
حصل على درجة الليسانس شعبة الاجتماع
في دور أكتوبر سنة ۱۹۷٦ بتقدير ( جيد )
وقد تحررت هذه الشهادة بناء على طلبه لتقديمها إلى من يهمه الأمر.
توقيع المختص المراقب المراقب العام
عميد الكلية
تحريرا فى ۱۹۷۷/۱/۱۲
( مطبعة جامعة القاهرة ۲۰,۰۰۰/۱۹۷٦/۷۳۳ )
【行ごとの直訳】
カイロ大学
文学部
証明書
当学部はユリコ・コイケ氏が・・・だということを証明する
1952年7月15の日付で日本にて生まれた
社会学セクションの学士号を取得した
1976年10月期に(良)の成績にて
この証明書は当人の求めに基づき関係者に提出するため発行された
専任担当者サイン 管理者 管理監督者
学部長
1977/1/12発行
(カイロ大学印刷所 20,000/1976/733)
【和訳】
カイロ大学
文学部
証明書
当学部は、1952年7月15の日付で日本にて生まれたユリコ・コイケ氏が1976年10月期に(良)の成績にて社会学セクションの学士号を取得したことを証明する。
この証明書は当人の求めに基づき、関係各位に提出すべく発行された。
専任担当者サイン 管理者 管理監督者
学部長
1977/1/12発行
(カイロ大学印刷所 20,000/1976/733)
卒業証明書に登場する単語・熟語の解説
各社AIが間違った訳や単語解説を行っているようなので、当方で意味解説を作成しました。メディア発表の和訳やAIの誤訳チェックにご利用ください。
なお発音表記はネイティブが実際に証明書を音読する時にするであろうやや日常会話よりの文語アラビア語(フスハー)発音に寄せた上で単語・熟語ごとに切り分けたときの読み方を加味してあるので、文章を通しで読み全ての語末の格変化を省略しない時とは多少異なります。
جامعة القاهرة
[ jāmi‘atu-l-qāhira(h) ] [ ジャーミアトゥ・ル=カーヒラ ]
【名詞+定冠詞つき地名】カイロ大学
كلية الاداب
厳密な表記:كلية الآداب
[ kullīyatu-l-’ādāb ] [ クッリーヤトゥ・ル=アーダーブ ]
【名詞+定冠詞&名詞複数形】文学部
شهادة
[ shahāda(h) ] [ シャハーダ ]
【(動)名詞】証書、証明書
تشهد
[ tashhad(u) ] [ タシュハド(ゥ) ]
【動詞未完了形 – 三人称・女性・単数】彼女は/(女性名詞の)それは証言する、立証する
الكلية
[ ’al-kulliya(h) ] [ アル=クッリーヤ ]
【定冠詞&名詞】その学部、同学部、当学部(は/が)
أن
[ ’anna ] [ アンナ ]
~がーであること、~がーすること
السيد
[ ’as-sayyid ] [ アッ=サイイド ]
【定冠詞&名詞 – 男性形】~氏、~殿、Mr.(ミスター)
*エジプトの大学では暫定卒業証明書を男性・女性共通フォーマットで発行する事例が過去・現在ともにあり、「ミスター・女性名」となっている卒業証書画像がネットにも複数アップ。「小池百合子氏の卒業証明書に男性形」問題の詳細は本項目下の考察・検討コーナーを参照願います。
يوريكو كويكى
エジプト以外のアラブ諸国共通表記:يوريكو كويكي
つづり通りの発音:[ yūrīkū kūykī ] [ ユーリークー・クーイキー ]
意図されている発音:[ yūrīkō kōykē/kōikē ] [ ユーリーコー・コーイケー ]
【人名】ユリコ・コイケ、小池百合子
المولود
[ ’al-mawlūd / ’al-maulūd ] [ アル=マウルード ]
【定冠詞&受動分詞(形容詞) – 男性形】生まれの、生まれな
فى
エジプト以外のアラブ諸国共通表記:في
[ fī ] [ フィー ]
【前置詞】~の中で、~で、~において
اليابان
[ ’al-yābān ] [ アル=ヤーバーン ]
【国名】日本、Japan
بتاريخ
[ bi-tarikh ] [ ビ・ターリーフ ]
【前置詞&名詞】~の日付において、~の日付で
۱٥
基数の時:[ khamsata ‘ashara ] [ ハムサタ・アシャラ ]
序数の時:[ ’al-khāmisa ‘ashara ] [ アル=ハーミサ・アシャラ ]
【アラビア語の数字】15
يوليو
[ yūliyū ] [ ユーリユー ]
【月名】7月、July
۱۹٥۲
主格: [ ’alf wa-tis‘umi’a(h) wa-thnān wa-khamsūn ] [ アルフ・ワ・ティスウミア・ワ・スナーン・ワ・ハムスーン ]
属格・対格: [ ’alf wa-tis‘imi’a(h) wa-thnayn/thnain wa-khamsīn ] [ アルフ・ワ・ティスイミア・ワ・スナイン・ワ・ハムスィーン ]
*「~の日付において、~の日付で」を意味する「~」の部分に相当するので、証明書の文中で読む時には属格の時の発音を行います。
【西暦の年】1952(年)
حصل على
[ ḥaṣala ‘alā ] [ ハサラ・アラー ]
【動詞完了形 – 男性形+前置詞】彼は/(男性名詞の)それは~を手に入れた、~を取得した、~を獲得した
درجة
[ daraja(h) ] [ ダラジャ ]
【名詞】等級、位、学位
الليسانس
[ ’al-līsāns ] [ アッ=リーサーンス ]
【定冠詞&名詞(フランス語由来)】学士号
*エジプトの大学では文系学部の卒業生に贈られる学士号の名称。
شعبة الاجتماع
厳密な文語発音:[ shu‘bati-li-jtimā‘ ] [ シュウバティ・リ=ジュティマーァ ]
日常会話寄り発音:[ shu‘bati-l-’ijtimā‘ ] [ シュウバティ・ル=イジュティマーァ ]
【名詞+定冠詞&名詞】社会学セクション、社会学部門、(学科の下部組織としての)社会学専攻
*شعبة [ shu‘ba(h) ] [ シュウバ ] は قسم [ qism ] [ キスム ](学科)に近い表現ながら微妙に違い、学部や学科といった大きな単位をより細かく分けた集団・セクションという意味で使われることが一般的。たとえば教育学部を専攻分野によって分けた後の一つが شعبة الاجتماع なら社会学科に近く、哲学・社会学科などを分けた後の一つが شعبة الاجتماع なら~学科社会学専攻に近い感じかと。小池氏が在籍していた当時はまだ社会学科として独立していなかった哲学・社会学科だった時期に当たるようで、その下部組織としての社会学セクション/社会学専攻に在籍していたことを示唆するような言い回しとなっています。
دور
[ dawr / daur ] [ ダウル ]
【名詞】ラウンド、回、期間、~期
اكتوبر
厳密な表記:أكتوبر
[ ’uktūbir ] [ ウクトゥービル ]
【月名】10月、October
سنة
[ sana(h) ] [ サナ ]
【名詞】年、~年
۱۹۷٦
主格: [ ’alf wa-tis‘umi’a(h) wa-sitt wa-sab‘ūn ] [ アルフ・ワ・ティスウミア・ワ・スィット・ワ・サブウーン ]
属格・対格: [ ’alf wa-tis‘imi’a(h) wa-sitt wa-sab‘īn ] [ アルフ・ワ・ティスイミア・ワ・スィット・ワ・サブイーン ]
*「~年に/の」を意味する「~」の部分に相当するので、証明書の文中で読む時には属格の時の発音を行います。
*直前に女性名詞である سنة [ sana(h) ] [ サナ ](~年)があるので、数詞「6」の発音は ستة [ sitta(h) ] [ スィッタ ] ではなく ست [ sitt ] [ スィット ] とします。
【西暦の年】1976(年)
بتقدير
[ bi-taqdīr ] [ ビ・タクディール ]
【前置詞&(動)名詞】~の評価で、~の評価にて、~の成績で、~の成績にて
جيد
[ jayyid / jaiyid ] [ ジャイイド ]
*初級の頃「ジャイード」と語形を間違えて読む方が結構いらっしゃるのですが、語形と第2語根 ي(y)との兼ね合いから、ジャイイドという語形を取ります。
【形容詞】良い、良、good
*カイロ大学文学部規定によると、جيد [ jayyid / jaiyid ] [ ジャイイド ]各授業のテスト結果を総合した最終評定については満点である100のうち65以上80未満を獲得した学生に与えられる成績だとのこと。
・優秀(ممتاز)ムンターズ:90以上
・大変良い(جيد جدا)ジャイイド・ジッダン:80以上90未満
・良い(جيد)ジャイイド:65以上80未満
・可(مقبول)マクブール:50以上65未満
・悪い(ضعيف)ダイーフ:35以上50未満
・大変悪い(ضعيف جدا)ダイーフ・ジッダン:35未満
و
[ wa ] [ ワ ]
【接続詞】そして
قد
[ qad ] [ カド ]
【完了形動詞と組み合わせた場合】既に
تحررت
[ taḥarrarat ] [ タハッララト ]
【動詞完了形 – 女性形】(女性形の)それは編集された、作成された、書かれた(≒発行された)
*ここでは直後に来る「この証明書」のこと。
هذه الشهادة
[ hādhihi-sh-shahāda(h) ] [ ハーズィヒ・ッ=シャハーダ ]
【指示代名詞/指示形容詞+定冠詞&(動)名詞】 この証明書は/が、この証書は/が
بناء على
[ binā’an ‘alā ] [ ビナーアン・アラー ]
【名詞対格の副詞的用法+前置詞】~に基づいて、~に応じて
طلبه
[ ṭalabihi ] [ タラビヒ ]
【名詞 – 属格+人称代名詞接続形】彼の求めに、彼の要求に
*エジプト国立大学で使われてきた暫定卒業証明書にしばしば見られる男女共通フォーマットだったためか、「彼女の求めに」ではなく「彼の求めに」となっている部分。「彼」は小池百合子氏のこと。
لتقديمها إلى
[ li-taqdīmihā ’ilā ] [ リ・タクディーミハー・イラー ]
【前置詞+動名詞+動名詞の実質上の目的語に当たる人称代名詞接続形+前置詞】それを~に提出するために
*「それ」は少し前に登場した主語「(この)証明書」のこと。
من يهمه الأمر
[ man yahummuhu-l-‘amr ] [ マン・ヤフンムフ・ル=アムル ]
【関係代名詞の一種+未完了形動詞+人称代名詞接続形+定冠詞&名詞】この事項が関係するところの人物、関係のある者、関係者(≒関係各位)
*具体的には、卒業生が暫定卒業証明書を取り急ぎ提出しなければいけない
توقيع
[ tawqī‘/ tauqī‘ ] [ タウキーゥとタウキーァを混ぜたような発音 ]
【動名詞】署名、サイン
المختص
[ ’al-mukhtaṣṣ ] [ アル=ムフタッス ]
【定冠詞&能動分詞】専門担当者、専任担当職員
*エジプトの英文卒業証明書では「Official in Charge」「Employee in Charge」「Officer」「Clerk」「Prepared by」「Register」などと書かれている部分。卒業証明書作成担当者で実際にデータを打ち込んで印刷した大学事務局の記録入力専任スタッフのこと。
المراقب
[ ’al-murāqib ] [ アル=ムラーキブ ]
【定冠詞&能動分詞】検査官、監査役、管理者、査読者
*エジプトの英文卒業証明書における「Controller」「Manager」「Supervisor」「Reviewer」などに対応している部分。
المراقب العام
[ ’al-murāqibu-l-‘āmm ] [ アル=ムラーキブ・ル=アーンム ]
【定冠詞&能動分詞+定冠詞&(能動分詞形)形容詞】総合管理者、管理監督者
*エジプトの英文卒業証明書における「General Supervisor」「General Manager」などに対応している部分。
عميد الكلية
[ ‘amīdu-l-kullīya(h) ] [ アミードゥ・ル=クッリーヤ ]
【名詞+定冠詞&名詞】学部長
۱۹۷۷/۱/۱۲
【年月日】1977/1/12
مطبعة
[ maṭba‘a(h) ] [ マトバア ]
【名詞】印刷所
厚紙の手書き卒業証書に書いてあること【アラビア語原文・和訳】
アラビア語原文と和訳
エジプトの大学で卒業生たちが卒後1~2年後にもらえる(人によっては永遠にもらえずじまい)のが日本の卒業式で授与されるような厚紙の立派な卒業証書(学位記)です。
日本では字のうまい専業の方が筆と墨で書いてくれますが、アラブ世界では筆の代わりに葦を削って作ったカリグラフィーペンとインク(もしくは墨汁)が使われ、アラビア書道の技能を持つ書士が作成してくれるしくみになっています。
ごく普通のアラビア語フォントとは違い日本の書道の草書体に崩し字であるディーワーニー体という書体で書かれており、アラブ世界における公文書の古い手書きスタイルを踏襲した美麗な書面に仕上げられています。
崩し字なのでAI翻訳が読み取れず誤訳を頻発したり、アラビア語既習者でも読み間違えたりすることが多い書体なのですが、テキスト化すると以下のようなことが書いてあります。
【アラビア語原文】
جمهورية مصر العربية
جامعة القاهرة
بعد الاطلاع على نتيجة الامتحان بكلية الآداب فى أكتوبر سنة ۱۹۷٦
قرر مجلس الجامعة بتاريخ ۲۹ من ديسمبر سنة ۱۹۷٦
منح الآنسة يوريكو كويكى بنت السيد يوجيرو كويكى المولودة فى اليابان ۱۹٥۲
درجة الليسانس فى الآداب من قسم الدراسات الاجتماعية بتقدير جيد
القاهرة فى ذى الحجة سنة ۱۳۹۸ هجرية ونوفمبر سنة ۱۹۷۸ ميلادية
العميد رئيس الجامعة
سجّلت بجامعة القاهرة برقم توقيع صاحب الدرجة
アラビア語原文をエジプト式からアラブ諸国共通表記に置き換えると以下のようになります。AI翻訳・機械翻訳にかける時は、画像検索ではなく下のテキスト文字列を流し込まないと大量の誤訳と創作が出力されてしまうので要注意です。
【アラビア語原文・改】
جمهورية مصر العربية
جامعة القاهرة
بعد الاطلاع على نتيجة الامتحان بكلية الآداب فى أكتوبر سنة ۱۹۷٦
قرر مجلس الجامعة بتاريخ ۲۹ من ديسمبر سنة ۱۹۷٦
منح الآنسة يوريكو كويكي بنت السيد يوجيرو كويكي المولودة في اليابان ۱۹٥۲
درجة الليسانس في الآداب من قسم الدراسات الاجتماعية بتقدير جيد
القاهرة في ذي الحجة سنة ۱۳۹۸ هجرية ونوفمبر سنة ۱۹۷۸ ميلادية
العميد رئيس الجامعة
سجّلت بجامعة القاهرة برقم توقيع صاحب الدرجة
【行ごとの直訳】
エジプト・アラブ共和国
カイロ大学
1976年10月における文学部試験の結果を精査した後に
大学評議会は1976年12月29日の日付で~を決定した
1952年日本生まれであるユウジロウ・コイケ氏の娘ユリコ・コイケ嬢に
良の成績にて社会学科からの文学士号授与を
カイロ ヒジュラ暦1398年ズー・アル=ヒッジャ月そして西暦1978年11月に
学部長 大学長
カイロ大学で 番で登録 学位保有者のサイン
【和訳】
エジプト・アラブ共和国
カイロ大学
1976年10月における文学部試験の結果を精査した後に、大学評議会は1976年12月29日の日付で1952年日本生まれである小池勇二郎氏の娘小池百合子嬢に、良の成績にて社会学科からの文学士号を授与することを決定した。
カイロ ヒジュラ暦1398年ズー・アル=ヒッジャ月 西暦1978年11月
学部長 大学長
カイロ大学おいて 番にて登録 学位保有者サイン
卒業証明書に登場する単語・熟語の解説
各社AIが間違った訳や単語解説を行っているようなので、当方で意味解説を作成しました。メディア発表の和訳やAIの誤訳チェックにご利用ください。
特にこちらの書類は手書きの崩し字なので各社AIがほぼ読み取りできていません。現状では誤訳と創作が大半を占める翻訳を出力しているため、アラビア語翻訳者に確認してもらう作業が欠かせません。
なお発音表記はネイティブが実際に証明書を音読する時にするであろうやや日常会話よりの文語アラビア語(フスハー)発音に寄せた上で単語・熟語ごとに切り分けたときの読み方を加味してあるので、文章を通しで読み全ての語末の格変化を省略しない時とは多少異なります。
جمهورية مصر العربية
[ jumhūriyat(u) miṣra-l-‘arabiyya(h)/‘arabīya(h) ] [ ジュンフーリーヤト(ゥ)・ミスラ・ル=アラビーヤ ]
【国名】エジプト・アラブ共和国
جامعة القاهرة
[ jāmi‘atu-l-qāhira(h) ] [ ジャーミアトゥ・ル=カーヒラ ]
【名詞+定冠詞つき地名】カイロ大学
بعد
[ ba‘da ] [ バアダ ]
【前置詞】~の後に、~の後で
الاطلاع على
厳密な文語発音:[ ’ali-ṭṭilā‘ ‘alā ] [ アリ=ッティラーァ ]
日常会話寄り発音:[ ’al-’iṭṭilā‘ ‘alā ] [ アル=イッティラーァ ]
【定冠詞&動名詞+前置詞】~の精査、~の吟味
نتيجة
[ natīja(h) ] [ ナティージャ ]
【名詞】結果
الامتحان
厳密な文語発音:[ ’ali-mtiḥān ] [ アリ=ムティハーン ]
日常会話寄り発音:[ ’al-’imtiḥān ] [ アル=イムティハーン ]
【定冠詞&動名詞】試験、テスト
بكلية الآداب
[ bi-kullīyati-l-’ādāb ] [ ビ・クッリーヤティ・ル=アーダーブ ]
【前置詞+名詞+定冠詞&名詞複数形】文学部での、文学部における
فى
エジプト以外のアラブ諸国共通表記:في
[ fī ] [ フィー ]
【前置詞】~の中で、~で、~において
أكتوبر
[ ’uktūbir ] [ ウクトゥービル ]
【月名】10月、October
سنة
[ sana(h) ] [ サナ ]
【名詞】年、~年
۱۹۷٦
主格: [ ’alf wa-tis‘umi’a(h) wa-sitt wa-sab‘ūn ] [ アルフ・ワ・ティスウミア・ワ・スィット・ワ・サブウーン ]
属格・対格: [ ’alf wa-tis‘imi’a(h) wa-sitt wa-sab‘īn ] [ アルフ・ワ・ティスイミア・ワ・スィット・ワ・サブイーン ]
*「~年に/の」を意味する「~」の部分に相当するので、証明書の文中で読む時には属格の時の発音を行います。
*直前に女性名詞である سنة [ sana(h) ] [ サナ ](~年)があるので、数詞「6」の発音は ستة [ sitta(h) ] [ スィッタ ] ではなく ست [ sitt ] [ スィット ] とします。
【西暦の年】1976(年)
قرر
[ qarrara ] [ カッララ ]
【動詞完了形 – 男性形】彼は/(男性形の)それは~を決めた、決定した
مجلس
[ majilis ] [ マジュリス ]
【名詞】会議、委員会、評議会、議会
الجامعة
[ ’al-jami‘a(h) ] [ アル=ジャーミア ]
【定冠詞&名詞】その大学、件(くだん)の大学、同大学(≒当大学)
بتاريخ
[ bi-tarikh ] [ ビ・ターリーフ ]
【前置詞&名詞】~の日付において、~の日付で
۲۹
基数の時:[ tis‘a(h) wa-‘ishrīn ] [ ティスア・ワ・イシュリーン ]
序数の時:[ ’at-tāsi‘ wa-l-‘ishrīn ] [ アッ=タースィァ・ワ・ル=イシュリーン ]
【日にち】29(日)
من ديسمبر
[ min dīsanbir ] [ ミン・ディーサンビル ]
*口語発音はディーセンベル、ディーセンバル等
【前置詞+月名】12月の
منح
[ manḥ ] [ マンフ ]
【動名詞】(~にーを)授与すること、授与、与えること
الآنسة
[ ’al-’ānisa(h) ] [ アル=アーニサ ]
【定冠詞&名詞】~嬢、~さん、ミス(Miss)~
*男女共通フォーマットを使用していた可能性が考えられる写真・印紙つき卒業証明書とは違い、小池百合子氏を女性として扱っていることがわかる部分。
يوريكو كويكى
エジプト以外のアラブ諸国共通表記:يوريكو كويكي
表記通りの発音:[ yūrikū kūykī ] [ ユーリークー・クーイキー ]
日本語に寄せた発音:[ ユーリーコー・コーイケー ]
بنت
[ bint ] [ ビント ]
【名詞】(~の)娘(であるところのー、であるー)
*前に娘の名前、後に父親の名前を置くことで、「勇二郎の娘百合子」という姓名・氏名制度が無いアラブ世界特有の伝統的なフルネーム表記方法を表します。
*男女共通フォーマットを使用していた可能性が考えられる写真・印紙つき卒業証明書とは違い、小池百合子氏を女性として扱っていることがわかる部分。
السيد
[ ’as-sayyid ] [ アッ=サイイド ]
【定冠詞&名詞 – 男性形】~氏、~殿、Mr.(ミスター)
يوجيرو كويكى
エジプト以外のアラブ諸国共通表記:يوجيرو كويكي
表記通りの発音:[ yūjīrū kūykī ] [ ユージールー・クーイキー ]
日本語に寄せた発音:[ ユージーロー・コーイケー ]
المولودة
[ ’al-mawlūda(h) / ’al-maulūda(h) ] [ アル=マウルード ]
【定冠詞&受動分詞(形容詞) – 女性形】生まれの、生まれな
*男女共通フォーマットを使用していた可能性が考えられる写真・印紙つき卒業証明書とは違い、小池百合子氏を女性として扱っていることがわかる部分。
اليابان
[ ’al-yābān ] [ アル=ヤーバーン ]
【国名】日本、Japan
۱۹٥۲
主格: [ ’alf wa-tis‘umi’a(h) wa-thnān wa-khamsūn ] [ アルフ・ワ・ティスウミア・ワ・スナーン・ワ・ハムスーン ]
属格・対格: [ ’alf wa-tis‘imi’a(h) wa-thnayn/thnain wa-khamsīn ] [ アルフ・ワ・ティスイミア・ワ・スナイン・ワ・ハムスィーン ]
【西暦の年】1952(年)
درجة
[ daraja(h) ] [ ダラジャ ]
【名詞】等級、位、学位
الليسانس
[ ’al-līsāns ] [ アッ=リーサーンス ]
【定冠詞&名詞(フランス語由来)】学士号
*エジプトの大学では文系学部の卒業生に贈られる学士号の名称。
في الآداب
[ fi-l-’ādāb ] [ フィ・ル=アーダーブ ]
【前置詞+定冠詞&名詞複数形】文学における、文学での
من قسم الدراسات الاجتماعية
厳密な文語発音:[ min qismi-d-dirāsāti-li-jtimā‘iyya(h)/jtimā‘īya(h) ] [ ミン・キスミ・ッ=ディラーサーティ・リ=ジュティマーイーヤ ]
日常会話寄り発音:[ min qismi-d-dirāsāti-l-’ijtimā‘iyya(h)/jtimā‘īya(h) ] [ ミン・キスミ・ッ=ディラーサーティ・ル=イジュティマーイーヤ ]
【前置詞+名詞+定冠詞&名詞複数形+定冠詞&形容詞】社会学学科から(の)、社会学科から(の)
بتقدير
[ bi-taqdīr ] [ ビ・タクディール ]
【前置詞&(動)名詞】~の評価で、~の評価にて、~の成績で、~の成績にて
جيد
[ jayyid / jaiyid ] [ ジャイイド ]
【形容詞】良い、良、good
*本ページ内でまとめてあるカイロ大学文学部規定によると、各授業のテスト結果を総合した最終評定については満点である100のうち65以上80未満を獲得した学生に与えられる成績だとのこと。
・優秀(ممتاز)ムンターズ:90以上
・大変良い(جيد جدا)ジャイイド・ジッダン:80以上90未満
・良い(جيد)ジャイイド:65以上80未満
・可(مقبول)マクブール:50以上65未満
・悪い(ضعيف)ダイーフ:35以上50未満
・大変悪い(ضعيف جدا)ダイーフ・ジッダン:35未満
القاهرة
[ ’al-qāhira(h) ] [ アル=カーヒラ ]
【定冠詞つき地名】カイロ
ذى الحجة
エジプト以外のアラブ諸国共通表記:ذي الحجة
[ dhi-l-ḥijja(h) ] [ ズィ・ル=ヒッジャ ]
【月名 – 前置詞の後の時の属格語形】ズー・アル=ヒッジャ、ズ・ル=ヒッジャ、ズルヒッジャ
*主格の時に ذو الحجة [ dhu-l-ḥijja(h) ] [ ズ・ル=ヒッジャ ] という語形・発音となりますが、格変化して上記のような語形・発音に変わります。
*イスラーム暦(イスラム暦)であるヒジュラ暦
۱۳۹۸
[ ’alf wa-thalāthimi‘a(h) wa-thamānin wa-tis‘īn ]
【ヒジュラ暦(イスラーム暦)の年】1398(年)
*「~年に/の」を意味する「~」の部分に相当するので、証明書の文中で読む時には属格の時の発音を行います。
*直前に女性名詞である سنة [ sana(h) ] [ サナ ](~年)があるので、数詞「8」の発音は ثمانية [ thamāniya(h) ] [ サマーニヤ ] ではなく ثمان [ thamānin ] [ サマーニン ] とします。
هجرية
[ hijriyya(h) / hijrīya(h) ] [ ヒジュリーヤ ]
【形容詞】ヒジュラ暦の、イスラーム暦の
*2語前の女性名詞 سنة [ sana(h) ] [ サナ ](年、~年)と性を合致させる都合上、この語も女性形になっています。
نوفمبر
[ nūfanbar ] [ ヌーファンバル ] / [ nūfanbir ] [ ヌーファンビル ]
*口語発音はノーフェンベル、ノーヴェンベル等
【月名】11月、November
۱۹۷۸
属格・対格: [ ’alf wa-tis‘imi’a(h) wa-sitt wa-sab‘īn ] [ アルフ・ワ・ティスイミア・ワ・サマーニン・ワ・サブイーン ]
*「~年に/の」を意味する「~」の部分に相当するので、証明書の文中で読む時には属格の時の発音を行います。
*直前に女性名詞である سنة [ sana(h) ] [ サナ ](~年)があるので、数詞「8」の発音は ثمانية [ thamāniya(h) ] [ サマーニヤ ] ではなく ثمان [ thamānin ] [ サマーニン ] とします。
【西暦の年】1978(年)
*後述の通り、エジプトではこうした手書き崩し字の厚紙卒業証書(学位記)は卒業と同時・卒業式の場で渡されるのではなく、卒業から1~2年経ってから発行されるのが通例。どこも大学事務局の仕事が遅く怠慢による放置もあることから、(カイロ大学で博士号を取得した中田考氏のように)証書代を前払いしても一切音沙汰が無くもらえずに終わることもあるとか😅
ميلادية
[ mīlādiyya(h) / mīlādīya(h) ] [ ミーラーディーヤ ]
【形容詞】西暦の、(キリスト)誕生暦の
*2語前の女性名詞 سنة [ sana(h) ] [ サナ ](年、~年)と性を合致させる都合上、この語も女性形になっています。
العميد
[ ’al-‘amīd ] [ アル=アミード ]
【定冠詞&名詞】長、学部長
رئيس الجامعة
[ ra’īsu-l-jāmi‘a(h) ] [ ライース・ル=ジャーミア ]
【名詞+定冠詞&名詞】大学長、(その/同/当)大学の学長
سجّلت
[ sujjilat ] [ スッジラト ]
【動詞完了形受動態】彼女は/(女性形の)それは登録された
*女性形動詞なので「小池百合子氏はカイロ大学に~番の学生番号で登録された」と解釈して「学籍番号」と和訳している例もあるようですが、カイロ大学やエジプト諸大学、またアラブ諸国大学の各種フォーマット卒業証書と比較してみると、
・在学時の学籍番号を記載しない形式がほとんど。
・在学時の学籍番号と卒業証明・卒業記録番号と思われる数字がそれぞれ載っていることがあり、小池氏卒業証書の下に小さく書かれている「カイロ大学に~番で登録された」は学籍番号ではなく卒業記録番号である可能性がある。
・「無事卒業できました!」系投稿や求職サイトに掲載されている証書の「◯◯大学に~番で登録された」「~番で登録された」を見ると、数字が書き込まれていないことが割合が高い。
であることから、「学籍番号」と和訳するのは不適切・誤訳である可能性があるものと思われます。
بجامعة القاهرة
[ bi-jāmi‘ati-l-qāhira(h) ] [ ビ・ジャーミアティ・ル=カーヒラ ]
【前置詞+名詞+定冠詞つき地名】カイロ大学で、カイロ大学において、カイロ大学にて
برقم
[ bi-raqm ] [ ビ・ラクム ]
【前置詞+名詞】~番にて、~番で
*この後に何かの数字・番号を記入する欄であることがわかります。
توقيع
[ tawqī‘/ tauqī‘ ] [ タウキーゥとタウキーァを混ぜたような発音 ]
【動名詞】署名、サイン
صاحب
[ ṣāḥib ] [ サーヒブ ]
【名詞】所有者、保有者、持ち主
الدرجة
[ ’ad-daraja(h) ] [ アッ=ダラジャ ]
【定冠詞&名詞】その学位、同学位、件(くだん)の学位、先述の学位
卒業証書なのに父親の名前まで出てくるのはなぜか?
▶日本のような姓・名字が無いアラブ世界における伝統的なフルネームの書き方で、アラブ諸国の手書き卒業証書における卒業者名表記の典型的方法の一つだから
ネットでは「小池氏の卒業証書に父親である小池勇二郎氏の名前まで載っているのはおかしい」という感想も投稿されているようですが、これは日本のような名字・姓の統一スタイルが存在しないアラブの伝統的なフルネームの方式
- 男性:「本人の名前・イブン・父の名前」(~の息子◯◯)
- 女性:「本人の名前・ビント・父の名前」(~の娘◯◯)
でアラビア語文法としては同格用法の一種に当たります。
ネットにアップされている卒業証書画像を見て回っての印象ですが、エジプトの大学でも今では現代風スタイルを採用して古風なイブンやビントを使わずに国民登録や公文書に使う時の非常に長いタイプのフルネーム「本人の名前+父の名前+祖父の名前」もしくは「本人の名前+父の名前+祖父の名前+曽祖父の名前」にしているようです。
しかしながら小池氏と同じスタイルの手書き卒業証書は今でもアラブの複数国で使われており、 女性卒業者に手渡される手書き卒業証書内フルネーム表記が「本人の名前・ビント(بنت)・父の名前」(~の娘◯◯)となっている場合があります。
結局のところ「الآنسة يوريكو كويكى بنت السيد يوجيرو كويكى」(ユウジロウ・コイケ氏の娘ユリコ・コイケ嬢、小池勇二郎氏の娘小池百合子嬢)と書かれているのはアラブ方式であるためで、名字・姓+名前という氏名制度が全国で統一されている日本と全く違う文化圏であるために日本人が違和感を感じやすいだけで、小池氏の卒業証書の真贋を判定する根拠とはならないというのが実情です。
小池氏卒業証明書・卒業証書・学歴に関する言説とその実際
小池氏のカイロ大学問題については
- アラビア語原文と一致しない訳・説明が多数出回っている
- 有名な検証結果・専門家説明を調べてみたら現地情報や確認可能な事実とは違った
- 憶測中心できちんと調べた形跡が無い言説が多数流布している
- 小池氏を告発した側の方たちが、かなりの割合で基礎的なアラビア語を誤訳したり文法を間違えたり崩し字の卒業証書を読み間違えたりしている
というケースが多く、アラビア語やエジプトについてある程度知っていると疑問に感じるものも少なくありません。
いくつかの有名な話題に関して「なぜそんな検証結果・解説が書かれたのか」「誤解が原因だとしたらなぜそのような誤解に至ったのか?」が気になり詳しく調べてみることに…
よくある感想「写真・印紙がついた薄っぺらい紙が卒業証明書のはずはない」
エジプトの有効期限つき暫定卒業証明書は日本人には馴染みが無いため「どうせ聴講証明書なのでは」「在学証明書なのでは」という感想が多いようですが、これはエジプトの大学の標準的な卒業証明書の形式です。
日本でいうと卒業式にもらう筒入りや厚いカバー入りの卒業証書(学位記)ではなく、就職といった何らかの用事で提出を求められた時に学事課に申請して印刷してもらうパソコンフォントで書かれた薄い証明書に相当。ただしエジプトの場合は日本と違いそこに写真や印紙が加わったスタイルが標準的です。
試しに「شهادة جامعة مصر」(証明書 大学 エジプト)や「شهادة جامعة القاهرة」(カイロ大学 証明書)というキーワードでGoogle画像検索すると、白地もしくは模様入りのコピー用紙+写真、もしくはコピー用紙+写真+印紙というスタイルの卒業証明書写真がずらっと出てきます。

写真や印紙を添付するのが基本スタイルのカイロ大学の有効期限あり暫定卒業証明書
画像引用元:Google.com
表示されるのは比較的最近のもので、白いコピー用紙に黒字で書かれただけのデザインだった小池氏の頃とは違いコピー用紙に細かい模様が入っていたりと、時代を追うごとに緻密なデザインに変更されていっているのがわかります。
このうち شهادات للبيع(売られる証明書たち)などと書かれているのが偽造卒業証明書問題を報じたニュース記事の画像で、それらを除いた画像の大半が本物のカイロ大学卒業証明書画像ということになるかと思います。
小池氏が提示した写真・印紙つきの暫定卒業証明書(卒業仮証明書)は、カイロ大学の学部を卒業したことがエジプトでも日本でも事実であると認められている小笠原良治氏、博士号を取得した中田考氏の卒業証明書
カイロ大学の卒業証明書の写真をあげたのは実物を知らないと偽造かどうかの判断もできないから。見ての通り写真はホッチキスで一ヶ所とめただけだし、タイプした文字を白い修正液で消したところ、ボールペンで消した跡もある。本物でもこんなもの。 pic.twitter.com/lKnNKg00FH
— 中田考 (@HASSANKONAKATA) June 10, 2020
も同様の薄いコピー用紙+証明写真+印紙+似たような文面で構成されており、特に本文の文字・文面部分に関しては明らかに不審な点というのは見当たらないというのが正直なところです。
よくある話題「小池氏の卒業証明書と卒業証書は大学外の業者から購入した模造品」
日本で言われている「小池氏の卒業証明書の作りが雑」はエジプトならあり得るため模造品確定の証拠にはなりにくい
現地に留学した経験を持つ立場からすると、小池氏が公開した証明書は日本で一般的に思われているよりも不審な点は少ないというのが正直な感想です。
エジプトの大学卒業証明書・大学証書は丁寧に作られておらず、正規品であっても印紙が上下逆だったり横向きだったりする、署名が全項目に書かれていないなどの完全品でないこともしばしばで、多くの方が思われている「まさかエジプトの大学事務がそんなことするわけがない」というようなことがエジプトでは本当に起こり得るためです。
エジプトのメディアやエジプト人たちが求職サイト・SNSに公開している暫定卒業証明書の写真を見てみると以前はどこの大学も写真のホチキス留めが一般的で、「ピンで留めてあるから偽物」と断定できるだけの判断材料・比較対象が無い状態で「まさか卒業証明書でそんなことがあるはずはない」という日本基準で見てしまうと、逆に正解から外れてしまうということもあり得えます。
「写真のところの割印がずれているから偽物確定」という説も、ホチキスと違いピン留めは写真が動いて数mmずれたりが起こるため、決定的証拠にはならず現在に至るのだと思われます。
エジプトに昔からある卒業証明書・卒業証書販売ビジネス
アラブ諸国では大学関係者にコネがある場合、個人で直接頼むにせよ業者を経由するにせよ、正規品と全く同じ関係者が正規の用紙を使って正規ルートと同じ施設で卒業証明書・卒業証書を作るということが珍しくありません。
まぁ、そういう世界 https://t.co/YNAgNmWYqB
— 中田考 (@HASSANKONAKATA) June 10, 2020
エジプト留学・在住経験があり現地の卒業資格問題に関する知見をある程度有する中東専門家、イスラーム専門家の間には上記のような共通認識があるぐらいで、小池氏問題に関して「学外の業者から買った」「その辺の道端にある証書偽造屋でショッピングした」という言説が示す具体的な内容が日本とエジプトとではずれている状況です。
2015年エジプト放送局の録画より。インターネットが普及した今では卒業証書屋がウェブ上で営業。偽名で借りた物件を点々としながらネットや新聞に「2枚買ったらもう1枚は無料でプレゼント」といった広告を出し複数エジプト有名大学の名前が入った証書を売りさばいているとのこと。
こうしたビジネスは元閣僚、元外交官らの名前を使い、実際の大学教職員らが関与しており。教育機関関係者も巻き込んだ汚職が教育をソフトパワーの一つとして売りにしているエジプトに害をなすものだとして出演者はエジプト社会全体の意識改革を呼びかけるといった内容の番組でした。
番組では、クウェートから外に出たことが無いのにカイロ大学の卒業証明書を持っている男性に関する問い合わせがカイロ大学に寄せられた際、カイロ大学が偽物であると判定したといったエピソードも紹介。(エジプトのことなので重要人物や政治的な力が及ばない普通の案件に関しては、だと思いますが、)模造品追放のための機構がある程度機能しているらしいことがうかがえます。
「~だから偽物に違いない」「きっと業者から買ったに違いない」という日本における言説は現地の実情と噛み合っていない部分が多く、仮に小池氏の通学実態が卒業に足りないものだったとしても卒業証明書と卒業証書は正規品と同じ用紙・手順で作られていて、真贋の見分けが物理的に不可能な、カイロ大学が仮に後から追認したものだとしても差し支えない品だった可能性も考えられるように思います。
小池氏はエジプト軍部の有力者でカイロ大学に強い影響力のあった人物の伝手でカイロ大学に入学(ないしは編入)したことは皆様も認めておられる事項かと思いますが、そうした強力なコネを持っている人はむしろ学外の業者を頼る必要は無く、優先的にカイロ大学から書類を発行してもらえたであろう立場にあります。
現地事情のことを考えると、「得体の知れない業者から買ったのではなく、むしろ本当にカイロ大学の事務局内部や関連業者が作った書類だった」という点を否定しきれなかったりします。
エジプト政府、カイロ大学他が小池氏の卒業は事実だとし卒業記録や証明書の真贋について調べる日本メディアに度々抗議しているのも、小池氏が所持している卒業証明書・卒業証書が本物もしくは本物同等品である可能性が高く、偽造品・模造品だと証明できるだけの要素を備えていないことに依拠しているのかもしれません…🤔
小池氏の卒業証明書と卒業証書や卒業記録は既にカイロ大学により本物であると公認されている
小池氏の卒業記録と卒業証明書・卒業証書については日本のメディアが何度も問い合わせた結果、カイロ大学から正式に卒業記録が真正であり卒業証明書・卒業証書も本物であるとの声明(2020年6月8日付、日本語・英語・アラビア語版)が発表されています。
それに至る経緯についても色々と取り沙汰されたようですが、エジプトでは公的にカイロ大学卒業生と認知・報道されており、小池氏の卒業証明書や卒業証書の真贋判定は既に終わっている形となっています。
カイロ大学の規定集や現地報道などを見るとわかるのですが、カイロ大学には「この卒業証明書・卒業証書は偽物なのではないか?」という問い合わせがあれば、それに応じ鑑定結果を通知するということも行っているとか。
日本では卒業証明書と卒業証書の不備や不審な点に関する議論が未だに続いており「カイロ大学に通報しよう」と提案する方もいらっしゃるようなのですが、カイロ大学は本物であるという声明を発表済みで、その際に「何度も何度も問い合わせがある」「カイロ大学の評判を損ねる」というような抗議もしているので、「カイロ大学に提出させて真贋を判定させよう」といった話は既に意味をなさなくなっていると言えるかもしれません。
アラブ人鑑定結果とされる「証明書にはカイロ大学卒業を示す言葉が書かれていない」「卒業証明書ではなく聴講生として通っていた時の書類」
実際には10月期卒業試験で及第点を取って学士号を授与したと書かれている
ネットでは「アラブ人に小池氏の卒業証明書に何が書いてあるのか聞いてみたら、カイロ大学に在学していたことぐらいしか記載されておらず、卒業したと証明するような文章は書かれていないと教えてもらった」「聴講生の時の在籍証明書を卒業証明書だと詐称している」といった情報も見られます。
こうした「名前と文学部としか書いておらず何の証明書か記載されていない。卒業したことはどこからも読み取れない書類。実際にはカイロ大学卒業生ではなくカイロ大学聴講生で、その時の書類だろう。」という投稿は、アラビア語を逐語訳できる立場の目からすると証明証の実際の記載内容とは大きく異なるように感じられます。
というのも、写真・印紙つき証明書からはわかるのは
- 夏卒業を決めるための5月期試験に失敗してしまった最終学年の大学生がリベンジで受ける10月期卒業試験を受けた。
- 及第した結果、各テストの成績を総合して最終評定が「良(good)」という真ん中の成績が与えられた。
- 社会学の分野の学士号(リサンス)が与えられた。
といった事項で、التخرج [ ’at-takharruj ] [ アッタハッルジュ ](卒業)や تخرج [ takharraja ] [ タハッラジャ ](卒業した)といったダイレクトな言い回しこそ使われていないものの、学士号を取得したという部分から卒業証明書だと断定することが可能です。
一方、「聴講生」「在籍」といった単語は全く書かれておらず、「聴講生の時代の在籍証明書」だという説明はアラビア語を読めていない・訳せていないか、アラビア語ができる人として頼られているにもかかわらずその期待に応えず意図的に正しくない情報を与えてしまっているかのどちらかということになってしまいます。
また、ただの聴講生であれば卒業試験を受けたり学士号をもらったりすることはできないので、聴講生時代の証明書ではなく卒業試験の及第と卒業決定の証明書であることは明らかだと言わざるを得ません。
「小池氏の公開した書類は卒業証書ではない」「単なる聴講生の在籍証明書類」という説が広まった理由
この件に関して「アラブ人に聞いたら、卒業したといったことはどこにも書いていないと教えてもらった」「自分はアラブ人ですが、卒業したとわかるようなことは何も書いてありません」という情報があるとすると、その情報は残念ながら事実に反する誤報として扱わなければいけないことになります。
ネイティブが確認したとしながらも10月卒業試験に及第し学士号授与の形で卒業したという記載が提示されず、「真実を知りたい」と求める人たちに事実とは異なる情報を与えてしまっている理由について考えてみるといくつかの可能性があって
- そのアラブ人が海外生活が長かいせいで読み書きの文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)教育と受けたことがなく、家族とは口語アラビア語の方言で話しているだけなので、公的な書類を読んで正確に訳すことができていない。
- アラブ世界育ちでも、高等教育までの各課程をフランス語や英語などによる授業・学習で修了したために読み書きの文語アラビア語が苦手で、証明書を正確に読めていない。
- アラビア語話者として書いてあることを理解できてはいるが、政治的な動機や個人的な事情から、「10月期卒業試験に及第」「学士号を授与」といった記載があることには意図的に触れず事実とは異なる発言をした。
- 卒業証明書・卒業証書を読んで意味を教えてくれたアラブ人は正しい訳と説明を言っていたが、「卒業した」では期待していた判定内容に合致しないため「アラブ人から聞きました」という報告をした日本人投稿者側で情報の改変があった。
のいずれかになるものと思われます。
政治がからんでいるため色々な情報が飛び交うのはある意味当然だと言えるのですが、「小池氏が公開した書類は聴講生の在籍証明書で、卒業とか学位といった言葉は何も書いていない」と説明する方がいらっしゃったとしたら確実に事実ではないので、その方がアラビア語やエジプトについて行う他の解説に関しても用心して聞かなければいけない、ということになってくるかもしれません。
検証事例「卒業証明書の収入印紙が逆向きに貼ってあるから偽物」
▶実際:探すと本当に逆さま印紙がついているカイロ大学卒他エジプト人の卒業証明書は実在
エジプト人が求職サイトやSNS卒業報告投稿としてネットにアップしているカイロ大学などの卒業証明書の中には収入印紙が逆に貼ってあるものが実在。
学位売買とは無関係だと思われる「無事に卒業できました」系報告・事件報道といったコンテンツにしぼって検索エンジンの画像検索結果を見ていくと、

のように印紙が上下逆だったり90°回転して横向きだったりする暫定卒業証明書を渡された人たちが一定数いることがわかりました。
小池氏検証記事類では、こうしたエジプトによくある「逆に貼ったけどまあいいや」的な大学事務員らの適当な仕事ぶりを「ありえない。だから小池氏の証書は偽物だ。」と断定していますが、これはエジプトのことを知らない読者の方たちが日本人的な観点から「大学職員がまさかそんな雑な仕事をするはずがない」と考えていることから疑問を持たれずにいただけなのでは…という気がします。
というのもアラブ諸国やエジプトは大学や役所の書類が頼んだ通りの形で欲しい期日内に発行してもらえるだけでも十分ラッキーだといったお国柄で、エジプトに何年も住んだりエジプトの大学に留学したりした経験のある方であれば収入印紙が上下逆なだけで偽物判定するのは本当は困難だと実体験から知っていても何ら不思議ではないため、「収入印紙が逆なので偽物判定できる」については脚色が入っている可能性を考慮に入れる必要があるかもしれません。
検証事例「ミスター(Mr.)・ユリコ・コイケになっているから偽造確定」
▶アラブ人やエジプト人は本当に「ミスター・日本人女性名」「ミセス・日本人男性名」をやらかすため、「エジプトの大学がそんなことをするわけがない」とは限らない
▶エジプトの複数大学が女性卒業者に男性形語形を使った証明書をかつて渡していた/現在も渡していることが確認可能
アラブ人は日本人名の発音や性別をよく間違える
日本では薄紙の書式に印刷された小池氏の卒業証書が男性形のフォーマットになっていることから「偽造書類の何よりの証拠」「アラブ人だって日本人女性の名前を見て性別を間違えるはずなんかない」と考える方が多いようなのですが、アラブ人は本当に日本人名の性別を間違えます。
アラブ人は日本人のフルネームを原音に近く音読するのが苦手で正確に発音できないのですが、これについてはサッカーや競馬のアラビア語中継で実体験したことがある方も結構いらっしゃるかと思います。
また日本人の名前を見ただけでは性別が区別できないという問題も存在します。管理人もアラビア語を長年やっていて何度か見かけたことがあるのですが、
- カタール(カタル)の新聞サイト
小池百合子氏:「ミスター・ユリコ・コイケ閣下」(سعادة السيد يوريكو كويكي) - 国連のアラビア語文書
川口順子氏:「ミスター・ヨリコ・カワグチ」(السيد يوريكـو كاواغوتشي) - スーダニーズオンラインネット記事
アフリカ開発銀行の戸田敦子氏:「ミスター・アツコ・トダ」(السيد أتسوكو تودا) - レバノンのニュース社
在レバノン日本大使館一等書記官男性:「ミセス・タカシ・ヤマグチ」(السيدة تاكاشي ياماغوتشي) - エジプト政府系ニュースリリース
ジェトロ・カイロ事務所長の常味 高志(つねみ たかし)氏:発音・当て字も間違えている「ミセス・タカシ・ツナミ」(السيدة/ تاكاشي تسونامي)
になっていたりと、実例を探してみると「ミスター・ユリコ・コイケ」と同様の「ミスター・日本人女性名」「ミス/ミセス・日本人男性名」事例が複数見つかります。
エジプトの事務仕事の精度からすると若かりし頃の小池氏の写真が添付されていても写真を配置する前の記入時点では「ミスター+女性名」とタイプライターで打ち込んだ可能性が考えられ、「ミスター・ユリコ・コイケ」だけでは決定打に欠けるというのが正直な感想です。
カイロ大学他ではエジプト人女性卒業生にも男性形の卒業証明書を渡したことがあり、大学によっては現在も女性に男性形統一フォーマットで証明書を発行している
カイロ大学の事務については、アラブ人が苦手な日本人の名前と性別だけではなくエジプト人女性についても卒業証明書の中でミスター(Mr.)という男性形を使っている例が実際にあったらしく、色々と現地ニュースを検索したところ「ミスター・アラビア語女性名」になっているカイロ大学卒業証明書が複数見つかりました。
カイロ大学が過去に発行した本物証明書での「ミスター・女性名」事例
事例1:カイロ大学法学部
盲目の二姉妹の苦難を伝えるニュース記事 [ リンク ]
生まれた時から盲目だったシャイマーさん、アビールさん姉妹はその努力が実りカイロ大学を卒業。姉のシャイマーさんは法学部、妹のアビールさんは文学部歴史学科で学んだ後、それぞれ大学院に進学したものの全盲であるために就職先が見つからず農業省で家畜番の仕事をもらっている父親に養われ苦しい日々を送っている、というエジプトのニュース記事です。
どちらもカイロ大学を卒業したのに卒業証明書の体裁が全く違っていることも興味深いのですが、姉のシャイマー(شيماء)さんについては

画像引用元:https://alwan.elwatannews.com/news/details/5021618/
冒頭では敬称がミスター(السيد、アッ=サイイド)だったのに途中に出てくる「~で生まれた(المولودة في)」や「取得した(حصلت)」などは女性形というあべこべな文面になってしまっています。また3枚あるうち下の印紙が横に寝ており、上下逆なだけでなく、90°回転して貼られたバージョンがあることがわかります。
こうした男性形と女性形のごちゃ混ぜや「ミスター・女性名」といった現象はカイロ大学を始めエジプトの大学の暫定証明書(شهادة مؤقتة)でしばしば観測されるのですが、厚紙に流麗な書道書体で手書きされた卒業証書とは違い卒業生たちのために短期間で発行されること、IT化してからも事務員らが男性形を基準にしたフォーマットをいじって女子学生向けの証書に変更しているためなのか、中途半端に女性形が混じっている画像、しかも偽造証書とは関係が無いシチュエーションで報道・公開された画像をネット上でも複数点見つけることができました。
ちなみに上の画像では جامعة とすべき部分を جامعه、そして2行下の الجنسية を الجنسيه などとつづるというネイティブによくある誤字(非正則表記)が見られます。大学の事務職員はアラビア語に堪能な人とは限らないので、こうした証明書にも誤字が見られるということなのかもしれません。
事例2:カイロ大学法学部
現地ニュース記事
母親の助けを得て学業に復帰し大学に行くという夢を叶えた女性 [ リンク ]
エジプト南部(上エジプト)の農村で生まれ小学校4年生の時に父親の以降で学校通学を止めさせられてしまったラシャー(رشا)さん。母親が父親に内緒で識字教室に通わせてくれたことが転機となり、かつては優秀な小学生女子だった彼女の才能が開花。熱意に負けた父親も娘が学業に戻ることに同意してくれ、結婚後は夫や子どもたちもラシャーさんの頑張りを誇らしく思っているのだとか。
ラシャーさんが通った大学は卒業証明書の写真からカイロ大学で卒業年は2011年(5月試験卒業組)だとわかります。
上の事例1に登場したシャイマーさんも同じ法学部卒業ですが、彼女は事例2のラシャーさんよりも7年後の2018年卒(5月試験卒業組)ということでで偽造が難しそうな用紙デザインに変わっています。

画像引用元:youm7.com
ラシャーさんの卒業証明書についてはまだ白地の用紙だった模様。カイロ大学は薄紙に印刷した暫定卒業証明書も厚紙に手書きした卒業証書も時期や学部によって随時変更されるようで、事例2のラシャーさんの暫定証明書のデザインは事例1のシャイマーさん時代とは大きく異なっていたらしいことがわかります。
しかしラシャーさんの時と同様 جامعة とすべき部分を جامعه、そして2行下の الجنسية を الجنسيه などとつづるという誤字が全く同じなので、雛形の文章はそのまま流用し、用紙のデザインやフォーマットだけを入れ替えていたものと推察されます。
そしてここでも、敬称がミスター(السيد、アッ=サイイド)で途中の「~で生まれた(المولودة في)」「取得した(حصلت)」などは女性形だというあべこべな文面なのは事例1のシャイマーさんの法学部卒業証明書と全く同じです。用紙が変わっても、法学部向けの証明書定型文は女性名の前の敬称が「Mr.(ミスター)」という意味の السيد(アッ=サイイド)でその他の部分が女性形だという点は同じです。
これについては、
- カイロ大学事務局のパソコンの中に敬称が男性形になってしまっている雛形・見本が入っていた
- 事務員たちが入力するのはそれ以外の人名・誕生地等の情報のみだった
- 元々文法的に修正すべき点があった雛形をコピーしていたため、男性形/女性形に関して矛盾のある文体を含んだ証明書が女性卒業生たちに渡されていた
らしいことが推察されます。
事例3:エジプト他大学での「女性卒業生の証書に男性形」「女性卒業生に男女共用フォーマットを使用」実例
カイロ大学以外の大学でも同様の事例があるのか、今でも男女共用のフォーマットで統一している大学があるのかアラビア語で「شهادات جامعة مصر」(証明書 大学 エジプト)などと検索してみることに。
求職サイトやエジプトのメディアに複数アップ/掲載されている若い世代のエジプト人のうち、جامعة المنوفية(ミヌーフィーヤ/ミヌフィーヤ/モノフィーヤ大学)卒業生に関しては卒業生の複数女性たちが「~生まれ」「取得した」といった部分を男性形のままにしていある男性卒業生たち用の書式を使いまわしていることを確認できました。
現地ニュース記事
成績上位卒業者だったのに自分より出来が悪かった人たちが雇用されたという女性の苦情 [ ソース ]

引用元:youm7.com
エジプトの地方大学 جامعة المنوفية(ミヌーフィーヤ/ミヌフィーヤ/モノフィーヤ大学)にて非常に良好な成績を収め成績上位者として卒業したマルワ(مروة)さん。ところが自分よりも成績の低かった卒業生たちが優先的に仕事に採用され、自分は就職し世間並みの尊厳ある暮らしが叶わなかったとか。
彼女が成績を証明するために編集部に送ったのは同大学の暫定卒業証明書で、ネットにアップされているミヌーフィーヤ(/ミヌフィーヤ/モノフィーヤ)大学の同様書式でも上記画像と同じ雛形が使われいるらしいことが確認できました。
ミヌーフィーヤ(/ミヌフィーヤ/モノフィーヤ)大学の暫定卒業証明書はカイロ大学の原稿書式とは違っており、
- 卒業者名の名前の前にアッ=サイイド(Mr.、~殿)、アル=アーニサ(Miss、~嬢)という敬称をつけず省略している
- 「المولود(~生まれの)」や「حصل(彼は取得した)」のように、主語が男性か女性かによって変形する部分を男性形で統一しており、男女共用フォーマットが使われている
ことが見て取れました。
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このようにエジプトの大学で男性・女性用と分けない暫定卒業証明書が使用される慣例が今でもあるらしいことから、小池氏の「ミスター・ユリコ・コイケ」と書かれた写真・印紙つき暫定卒業証明書については、「事務の都合上男女共用の書式を使っていて、女子学生にも男性形の語形を含む書類を発行していた」という旨のカイロ大学関係者コメントが正しい可能性があると言えそうです。
しかしながらそこまで調べたという記事・動画は日本で発表された形跡が無く、小池氏の卒業証明書に関しては「アッ=サイイド(ミスター)という敬称が使われているので本物ではない」という言説が定着した形となっています。
ところが実はそうした言説の方が検証不十分でエジプトの実情に反していることも考えられ、「実際のエジプト事情を知る」という観点からは情報の質が低い誤った情報であるおそれがある件について考慮に入れる必要があるのかもしれません。
「ミスター(Mr.)・ユリココイケ」はカイロ大学やエジプト大学の暫定卒業証明書として実際に使われていた書式・雛形で、「男性形だから偽造確定」説が誤り&「ミス(Miss)・ユリココイケ」が逆に間違いとなる可能性も…
上記から、カイロ大学を含むエジプトの複数大学では小池氏が卒業したとされる文学部社会学科以外にも、法学部などの女子卒業生たちに「ミスター・女性名」(アッ=サイイド・女性名)という氏名・敬称表記を含んだ卒業証明書を一定数出してきたことがうかがえます。
同じ大学でも証明書の書式がグレードアップした時点でそうした細かい不備が改善されることも多いようで、同じ大学・同じ学部の暫定卒業証明書画像を複数見比べてみると、一般には新しい書式になるほど用紙の作りやデザインが精巧になり、「ミスター・女性名」や「女性卒業者の証明書で男性形を使う」といった傾向が減っていくらしいことが見て取れました。
そのため小池氏の書類についても、カイロ大学関係者が回答した通り女性卒業者にも男性形フォーマットを流用して事務作業の簡素化をはかっていたのかどうかは、違う卒業年ではなく同じ時期に同様の学部・学科を卒業した女性たちに授与された暫定卒業証明書を提示してもらう必要が出てくる、ということになるかと思います。
結局のところ、「男性形が使われミスター・ユリコ・コイケになっているから絶対に偽造だと確定できる」というのはエジプトの事情を考慮に入れていない日本での推論に留まっている状況で、検証・告発した側がエジプト各大学の暫定卒業証明書の男女共通フォーマットのことを調べずに主張してしまっていたか、事実を知りながらも告発・批判のために誤った情報を公表したという「告発やリコール活動の原動力になるのなら嘘でも構わない」系のどちらかになってくるように推察されます🤔
事実確認のためには1970年代社会学科卒の女性OGたちを一人ずつ探して暫定卒業証明書を見せてもらい「カイロ大学文学部としてあり得ることなのか、そうでないのか」を検討するという作業が別途必要になってくる、と言えるかもしれません。
もし小池氏が卒業を決め暫定卒業書が作成されたという1976年1月当時は男女共通フォーマットが使われており女性卒業者に対しても「アッ=サイイド(ミスター)・女性名」「【男性形】生まれの」「【男性形】~を取得した」と書かれているとしたら、小池氏卒業証明書検証者の方たちが正しいと主張されている通りに「アル=アーニサ(ミス)・ユリコ・コイケ」などと書いてあると、むしろ間違いに当たり偽造が疑われるケースに該当し得るのでは、という気がしました。
アラブ諸国では通学実態と合致しない卒業証明書取得には2通りあり、一つは大学事務局スタッフらが関与し本物同然に作るケース、もう一つはその辺の怪しい業者が真似をして作るケースです。アラブ諸国では現地人や他国アラブ人が証書を買うため、後者だとしてもアラブ人にばれない本物に近いフォーマットを使うわけなので、小池氏の証明書で「アッ=サイイド(ミスター)・女性名」「【男性形】生まれの」「【男性形】~を取得した」となっているのも当時の本物を模倣したに過ぎないという可能性を考える必要があるように思いました。
「カイロ大学の卒業証明書なら男性卒業生はアッ=サイイドで、女性卒業生はアッ=サイイダになる」という検証記事の誤りについて
週刊誌に掲載された小池氏アラビア語・卒業証明書・卒業証書検証記事には
女性卒業者の場合は「「サイイダ」(Ms.)ではなくサイイド(Mr.)*」になる
*正確には定冠詞の「アル=」が発音同化を起こした「アッ=」を伴い「アッ=サイイダ」「アッ=サイイド」となるのですが、検証記事からは抜け落ちています。
といったことが書いてあったのですがこれは間違いで、卒業証明書売買ビジネス関連の画像を除外して検索結果を一つずつ見ていったとこと、カイロ大学のアラビア語卒業証書に関しては男子卒業生に「السيد」(アッ=サイイド、Mr.)、女子卒業生には「الآنسة」(アル=アーニサ、Miss)という敬称で渡しているというのが正しいようです。
エジプトも含めアラブ諸国では欧米で考え出された「Ms.(ミズ)」の概念がアラブ世界では未だに浸透しきっていないこともあり、エジプトの各国立大学卒業者の色々な時期の卒業証書を複数確認した限りでは比較的最近出された証書でも男性に「السيد」(アッ=サイイド、Mr.)という敬称をつけているアラビア語書式では未婚女子学生を「الآنسة」(アル=アーニサ、Miss)にしており、「女性卒業者の証明書では敬称がアッ=サイイダ(ミセス、ミズ)になる」という検証記事の記載が正確ではない、ということになるかと思います。
小池氏の敬称は暫定卒業証明書が男性形のミスター(アッ=サイイド)、厚紙卒業証書(学位記)が女性形のミス(アル=アーニサ)で、カイロ大学は小池氏の性別を正確に把握していた可能性が高い
小池氏については、厚紙に手書きされた卒業証書(学位記)では正しく「الآنسة」(アル=アーニサ、Miss)をつけた「ユリコ・コイケ嬢」となっていることから、カイロ大学の記録ではきちんと女性として登録されているものと推察できます。
本ページ後半の項目『現在のカイロ大学カリキュラムと成績・卒業のシステム』のうちの『卒業証明書(証明写真つき書類)と卒業証書(学位記)の発行申請と取得』という欄で実際のカイロ大学規定に基づいた発行手順をまとめてあるのですが、
- カイロ大学には無事に単位を取得してすんなり卒業できる夏卒業と、単位を落として追加の秋試験を受けて冬に遅れて卒業が決まる後発組とがいる
- 試験に及第して卒業が決まると、コピー用紙に印刷された期限ありの暫定卒業証明書(証明写真や印紙がついている方)、流麗な崩し字の書道体で書家・書士が手書きで書いてくれる厚紙卒業証書をセットで申請するように大学から案内がある
- 就職や各所への提示のため、薄いコピー用紙の暫定卒業証明書が先に発行される
- 手書きの厚紙証書はエジプトでは発行までに時間がかかることで有名で、だいたい1年、長いと2年以上遅れて卒業生に手渡され、場合によっては発行されないまま長年放置されているといった報告・苦情もある
ことから、カイロ大学事務局で正規に発行する場合は、同じ卒業者情報を元に2種類の証明書・証書発行を手配しているであろうことが推察されます。
仮に特別待遇ルートでの卒業認定だったとしても、アラブ世界では政府と大学が公式サイトや現地メディアで卒業を公認・公言しているケースでは、卒業証書業者ではなく大学事務局で実際の事務員が関わって正式な用紙等を使い作成されることが多いため、日本で思われているような「学歴に疑いがある場合、エジプトの大学を卒業したとする卒業証明書は必ず学外のあやしい業者が作って、それをお金で買った。エジプトの大学は後から追認しただけ。」が当てはまらないことも多いです。
以上を総合すると、「ミスター・ユリコ・コイケ」問題に関しては
- 写真・印紙つきの暫定卒業証明書は卒業に合わせて早期に発行する必要がある。しかしエジプトの国立大学は超マンモス大学であるために大量に処理しなければならず事務員らへの負担も大きいことから乱雑になりがちで、小池氏の印紙も上下が逆、手間を省くため男子学生にも女子学生にも男性形で表記した男女共通フォーマットによる書類を渡していた。
- 手書きの卒業証書(学位記)は大学職員ではなく書道家が書くため、手間を省くために男性形のフォーマットを使い回す必要が無く、正しく「Miss(嬢)」にあたる敬称「アル=アーニサ」がつけられた。
といったエジプト特有の事情がからんでいる可能性も高く、安易に「いくらカイロ大学でもミスター・ユリコ・コイケなんて書類は出さないだろう」「ミスターだから偽物決定」「さっさとミスに直してもらえば良かったのに、それをしなかったということは偽造なんだ」と断定できるだけの決定打になるとは言い切れない、というのが実情のようです。
「女子卒業生にミスター(アッ=サイイド)の敬称がついた証明書を出してきたのは女性学生が少なかったから」という推測について
日本では「当時カイロ大学にはアッ=サイイド・◯◯(ミスター・◯◯)という男子卒業生用のフォーマットしかなかったからミスター・ユリコ・コイケになった。」というエジプト側の説明に対して、「イスラーム世界では男尊女卑が激しくて女子大学生の存在自体が考慮されていないらしい。エジプトには1976年頃も男子大学生だらけだったのか?」とコメントされている事例を複数見かけました。
こちらは1973年2月に撮影されたカイロ大学構内の様子で、小池氏がカイロ大学に在学していたとされる時期と重なっています。女子学生が大勢おり、本格的なイスラーム復興運動前ということでヒジャーブで頭を覆うイスラミックな装いをしている人は少なく、流行りのミニスカートで登校している姿に今との時代の違いを感じます。
*最後の方でほぼフスハー(文語アラビア語、正則アラビア語)なアラビア語で話しているのは政治家としても著名だった رفعت المحجوب 氏(経済学の専門家)で、商品の需要について話していることから彼の専門分野である経済学の講義だったことがわかります。
1970年代既に相当数の女子が通学・卒業していたことを考えると、女子卒業生に男性形の敬称をつけた卒業証明書を発行していたのが事実だとしても、女子学生がほぼいなかったからではなく十中八九事務の都合や手間の省略が理由で、全部きちんと女性形で揃えずに作成することが半ば常態化していたからなのでは、と考えて十分に調べる必要がありそうで、日本的感覚で「~なのはおかしい」「~なら偽造のはずだ」と推論することで事実からむしろ離れてしまうリスクがある件を考慮に入れた方が良いのかもしれません。
検証事例「卒業証書には1976年12月29日に卒業したと書かれており小池氏の10月卒業という主張と矛盾する」
▶エジプトでは10月前後に行われる秋追試に及第し年末に大学側から及第認定を受け年明けに実質卒業した人たちを「10月卒業者」と呼ぶ慣例があることを念頭に置かず、証書に書かれている学位授与決定の会議の年月日を「◯月卒業」と呼ぶものだと誤解したケース
10月のリベンジ卒業試験を受け12月末に卒業承認が行われた追試組はエジプトで「10月卒業者」と呼ばれる
流麗な書道書体で書かれた手書きの厚紙証書には「大学委員会が学士号授与を1976年12月29日付で授与すると決定した」との旨が書かれていますが、これは「大学の委員会・評議会が12月29日に開かれ、10月追試に及第した後発の卒業候補生たちに単位を認め卒業させることを認定した」という意味の記述となっています。
エジプトではこうした10月の追試を受けて卒業した学生を「خريجي دور أكتوبر」(10月ラウンド卒業者、10月期卒業者)などと呼ばれているとのこと。小池氏の「自分は10月に卒業した」という表現はエジプトの慣例に従った一般的な言い方で、「自分は12月に卒業した」と自称する場合よりも「自分は10月に卒業した」と言う方がエジプトの大学の卒業スケジュール事情を理解している表れとみなすことができる、とも言えます。
本ページ終盤の検証記事考察で記している通り、エジプトのカイロ大学に関しては
- エジプトは欧米と同じで夏に年度が終わり、秋に新学年度がスタート。単位取得に問題が無ければ、初夏の試験を受けて及第することで卒業が認められ、5月組(5月ラウンド卒業者・5月期卒業者、خريجي دور مايو)と呼ばれる卒業生になれる。
- エジプトの国立大学サイトでオンライン申請するための卒業生向けフォームでは卒業時期の選択欄がテスト実施時期の名称で表示されるようになっているケースもあるが、いつ卒業したのかを選択するプルダウンメニューの項目が「دور مايو」(5月ラウンド)」や「دور أكتوبر」(10月ラウンド)となっており、エジプトでは自分がいつ卒業したのかを「5月」「10月」という試験期間の月名で表現する慣行があることが確認可能。
- 5月組に入れなかった学生は、9月試験や10月試験と呼ばれている追試でリベンジ。9月~11月にわたって各学部・学科で卒業をかけた秋試験が実施されるが、その中でも特に遅い日程だと11月にテスト実施→12月に成績発表と大学の委員会・評議会による卒業認定決定が行われ、及第により卒業必要単位を満たしたかどうかが確定→1月以降に証書が出る、という流れになる。
となっており、また小池氏に関しては
- 小池氏の暫定卒業証明書と厚紙卒業証書の記載内容を総合すると、小池氏は10月試験と呼ばれる追試を受け、12月29日に開かれた大学側の会議で「秋追試に及第した学生たちを卒業させ学位を認める」と決定したことを受け卒業が確定したことになっている。
- 小池氏の回顧録にある記述でも、卒業決定後しばらく経ってから暫定卒業証明書が先行して発行されたが、厚紙の手書き卒業証書についてはかなり待たされてずっと後になってから渡された件について触れられている。
など、カイロ大学のスケジュールとしては一応齟齬・矛盾が見られない状況です。
本件に関しては、エジプト人たちと同じ卒業時期表現方法で小池氏が「自分は10月に卒業した」「10月卒業者だ」と自称しているだけで特に不自然な点は無く、検証者側がそうしたエジプトの慣例を調べずに「証書には1976年12月29日に卒業したと書いてあるから10月卒業ではない」と判定してしまった、というのが実情のようです。
小池氏の一時帰国日程と当時の新聞報道における卒業時期
小池氏が一時帰国を経て日本に帰国した当時の様子や日程については新聞記事や伝記本にかかれており、昭和51年(1976年)10月27日の東京新聞報道によると「この九月、日本女性として初めてエジプトのカイロ大学文学部社会学科を卒業し、十月中旬帰国したばかり。」と書かれていた様子。
小池氏が後年提示した卒業証明書・卒業証書から読み取れる内容と照らし合わせてみると
- 5月の卒業試験では落第し夏~初秋の卒業確定はかなわなかったため、証明書・証書の記載通りであれば1976年9月の時点では卒業が決まっておらず卒業試験の追試もまだ受けていなかった。
- 10月期のリベンジ卒業試験を受ける前の9月で卒業済みだったというのは、卒業証明書の記載とは違い5月期卒業試験にて一発合格から卒業を達成したことになる。
といった形でずれがあることがわかります。
当時小池氏が「9月にカイロ大学を卒業した」と自身でマスコミに話されていたとなると、カイロ大学では「5月期試験」などと呼ばれる卒業試験の追試ではない方の本試験で一発合格したことになるのでエジプト流に言うと「5月期卒業者」「5月に卒業した」ということになります。
一方、小池氏が公開された卒業証明書と卒業証書は
- 1976年9月には卒業試験追試未受験か、早ければ追試期間に突入
- 1976年9~11月頃のいずれかの時期に文学部哲学・社会学科社会学専攻学生向けの卒業試験追試(10月期試験)実施
- 1976年冬に入ってから卒業が確定、1977年1月に暫定卒業証明書発行
となっているので、1976年9月の時点では5月の試験に落第してしまったことだけ確定しており、卒業が決まっていなかった時期に当たります。
小池氏についてはその時の報道内容を失念してしまわれて9月時点ではまた卒業していなかったと証明する書類を公開されたことになり得るわけですが、日本のマスコミは本人が言っていないことも記事・放送に含めてしまうということがしばしばある(実際に仕事をしていた時に経験しました😅)ので、これについては当方による断定は避けたいと思います。
検証事例「卒業証書に書かれている西暦の年号とヒジュラ暦年号とが合わない。ヒジュラ暦の月名も書かれていない。偽造証書の重大証拠。」
▶アラビア語の専門家として雇った人物がアラビア書道の崩し字書体とそこに含まれている年月日などの数字を読めなかったことを、証書偽造の重大証拠として発表してしまったケース
小池氏の元側近男性が告発した際、告発者側は”アラビア語専門家”を頼ったとのことですが、告発文に含まれていた小池氏書類の翻訳において構文が取れていないといった誤訳があったほか、崩し字書体の手書きの卒業証書を判読できず、「記載されるべき月名が書かれていない」とし、アラビア語の数字を読み違えたために「年号が食い違っている」と主張してしまったことがありました。
本件については「7つの重大証拠」として挙げられた批判内容のうち、
卒業証書には1976年12月29日に卒業したとはっきりと記されている。小池氏の『1976年10月卒業』という主張と矛盾する
▶真相:
エジプト人は10月試験に受かったことが12月頃に開かれる大学会議で決定・承認され卒業した人たちを「10月卒業者」と呼ぶ。
▶主張内容から推測可能なこと:
エジプトの実情を調べないまま誤解に基づく主張を行ったか、もしくはエジプト国立大学の卒業認定スケジュールを日本人が知らないことを利用した印象操作だったかのどちらかである可能性が高い。
ヒジュラ暦では1398年に該当するのに証書には「1978年11月&ヒジュラ暦1397年」と書いてあったので偽造が疑われる
▶真相:証書には正確に1398年と書かれているにもかかわらず、告発者側を支援したアラビア語既習者がアラビア語の数字の7(٧)と8(٨)を取り違えるという極めて初歩的なミスをし「1397年と書いてある」と主張してしまった。
▶主張内容から推測可能なこと:
アラビア語の数字はアラビア語をしばらく使っていないと忘れやすいことから、告発者側にいたアラビア語関係者が実際にはアラビア語専門家として頻繁にアラビア語文に触れ正確な翻訳内容を顧客に提供しているようなタイプの方ではなかった可能性が高い。
この発行年月日が最大の疑問点です。『卒業証明書』は1977年1月12日発行と記されていますが、『卒業証書』は1978年11月発行。1976年12月29日に卒業したという『卒業証書』の記述を踏まえると、『卒業証明書』だけ卒業したとする日から2週間足らずのうちに迅速に発行され、『卒業証書』は2年後に発行されたという不思議な順序になる
▶真相:
現地の一般的な発行過程に合致。カイロ大学の規約や各学部の公式サイト・SNSアカウントなどからも確認可能な情報で、エジプトの国立大学の最終試験から卒業証明書発行までのスケジュールを把握していれば不思議には感じる可能性は考えられない。
エジプトの大学では卒業決定時にコピー用紙に氏名などを入力し写真・印紙を添付した有効期限ありの暫定卒業証明書と書道家が厚紙に手書きした卒業証書の2種類を申し込み料金を前払いするシステム。コピー用紙の暫定証明書は卒業が決まった学生たちが就職先や入隊予定の軍などに提出するため迅速な発行が求められるため、12月末の大学側会議で及第と卒業が承認されると、比較的早期に卒業生たちに手渡される。
一方書道家が書いてくれる卒業証書は早くて1年後、遅いと2年以上後に完成するのが常態化しており、中田考氏のように「結局もらえなかった」という人も多い。
▶主張内容から推測可能なこと:
カイロ大学のことをよく調べないまま卒業証書の和訳だけを見て日本の事情と照らし合わせて「おかしい」と感じたことを重大証拠として挙げてしまっていたか、事実関係を把握しながらも偽造証拠にできるとして不審・不思議といった表現を行ってしまったかのどちらかである可能性が考えられる。
となっており、現地事情がそうなっているからだとか、告発者側がアラビア語を読み間違えているといった部分を除外していくと、実際には「明らかにおかしいだろう」という事項の数が大幅に減るというのが実情です。
アラビア語を読んでカイロ大学の規約なども確認した状態で告発内容を見てみると、小池氏の卒業証明書と卒業証書の不備が明らかにされたのではなく、むしろ告発者側がエジプトの大学のシステムやアラビア語の基礎語彙・言い回しを正確に理解できていないことが明らかにされてしまうような内容でした。
そのため「重大証拠」を実際にはほぼ挙げられていないだけでなく、告発者側の意図がよくわからない、本当に解決を望んでいるのかはっきり見えてこない、エジプト側に反論されたらむしろ不利になるのではと心配になる、というのが正直な感想でした。
アラビア語やエジプトに関して予備知識が無い状態だと「多数の不審点を指摘しており、心強い」となるかもしれないのですが、小池氏問題を雑誌・動画・起訴といった形で告発した側の多くはいずれも事実を誇張・脚色無しでありのままに伝えておらず、結局のところ都民・国民は本当のことを教えてもらえていない状態なのでは、という気がします。
「7つの重大証拠」を挙げた告発者側を支援したアラビア語使用者については7と8の数字を正確に読むという基礎的事項ができていないことから、実際には「アラビア語のエキスパートレベルではないものの対価を得てアラビア語の用事をすることもある」というタイプの方で証明書類を正確に読み解く能力までは備えておられなかった可能性が考えられ、告発内容の信頼性を損ねてもいたと思うのですが、結局本件については進展せず終わった形となりました。
多くの方にとっては「正当な告発が抑圧された」と映ったかもしれませんが、実際には論拠に欠ける・誤解が大半を占めており、エジプト事情やアラビア語に詳しい第三者の専門家が内容の精査をさせるとエジプトやカイロ大学にとって打撃になるどころかエジプト側からは「アラビア語を正確に読むことも訳すこともできない側の主張」として一蹴されかねず「虚偽に基づいた主張」という形で告発者側の不備・責任が問われかねない不正確な検証だと露呈してしまう、という問題点も影響していたのかもしれません🤔
素で間違えて上下を逆にしただけの違いしか無いアラビア語数字の7と8を区別できなかったのか、「日本人でアラビア語が読める人が少ないので1398年のはずなのに卒業証書には1397年と書いてあると脚色しても大丈夫」と考えて操作してしまったのかは、当事者の方に聞かないとわからないことだと思います。
もし告発者側が正確な和訳と厳密な検証を期待してアラビア語人材を雇ったとなると、対価に見合う求められた水準の仕事を全くしてもらえていないことになるため、事実関係を十分に整理した上でエジプト側を追求することを本当に求めているのであれば、改めて別の専門家に依頼しなければならないのでは、という気がします。
カイロ大学回答・検証事例「カイロ大学に卒業者名簿掲載の有無を問い合わせたところ、小池百合子氏の名前がデータベースでヒットせず、在学した形跡が見つからなかった」
▶カイロ大学事務局の回答文書にはコイケ(كويكي、Koyke/Koike)ではなく誤字のコリケ(كوليكي、Kolike)と書かれており、エジプト人事務員が間違った文字列で検索したためにデータベースでヒットしなかった可能性がある
以前大学に問い合わせた方が、小池氏在籍が確認できなかったとの回答文書をもらったとされる件ですが、「يوريكو كوليكي(ユリコ・コリケ)の卒業証明書は無い」との表記になっており、
- コイケではなくコリケという間違った名字で検索したためにヒットしなかった。
- 検索した時にはコイケで探したが、回答文書に手書きで打ち込んだ際にコリケと書いてしまっただけで、回答文書の調査内容自体は合っている。
のどちらとも受け取れる結果となっています。
本件についてはカイロ大学事務局が別人の名前を記載してしまっているため、決定打に欠けるとの印象です。
ちなみにnetgeek記事『【朗報】小池百合子の学歴詐称疑惑がついに晴れた!カイロ大学が「コイケユリコなんて知らない」と言った理由が判明!』では
| 「小池」の綴りの違い(KoyikeとKoyke)および社会セクション→社会学科への改組が原因となり、大学への照会結果が否定的なものになった可能性があります。 |
との考察が紹介されていますが、「Koyike」と「Koyke」の違いという部分に関しては誤った内容となっています。
小池百合子氏フルネームのアラブ諸国共通アラビア語表記は يوريكو كويكي ですが、エジプトは独特の旧式つづりを行っているため最後の文字(アラビア語は左←右に書くので左端の ـي)の下には点2個を書かない古形とした يوريكو كويكى が小池氏の公式アラビア語氏名表記となっています。
本件に関しては小池という名字部分の真ん中付近にの余分な لـ(l)の字が入り込んでおり、完全一致検索ではデータベースから「そのような名前はありません」という回答が出される原因ともなってしまっています。
本当は書類を受け取った時点で「探している人名が間違っている。もう一度正しい文字列で検索して、書類も作り直してほしい。」とカイロ大学事務局側に要請すべきだったのでは、と思うのですが、そのような機会は無かったようで、小池氏の名前が書かれているようで書かれていない書類になったためにその説得力に疑問が残る形となったように見受けられました。
カイロ大学回答・検証事例「カイロ大学社会学科は1980年代前は無かったので1976年社会学科卒とされる小池氏経歴は虚偽」
回答文書には「小池百合子氏の卒業記録が無い」「1980年代前にカイロ大学で社会学の学士号を取得することは不可能だった」とは書かれていない
ベリーダンス業界の日本人女性がカイロ大学に卒業者名簿掲載の有無を問い合わせた [ ソース ] ところ、「小池百合子氏の名前がデータベースでヒットせず、在学した形跡が見つからなかった」(ただしコリケという誤字あり)という回答がカイロ大学事務局から文書の形で出されたという一件では、カイロ大学事務局のコピー用紙に
【アラビア語原文】
أولاً : لا يوجد شهادة لـ يوريكو كوليكي في بكالوريوس علم
الاجتماع بتاريخ ۱۹۷٦/۱۰
ثانياً : لا يوجد شهادة بكالوريوس علم اجتماع.
الاسم الصحيح للشهادة هو ليسانس آداب قسم علم اجتماع.
ثالثاً : هذه الدراسة بدأت في الثمانينات (علم الاجتماع)
(علم النفس)
【和訳】
一:ユリコ・コリケの1976年10月付社会学バカロレア証明書は存在しない。
ニ:社会学のバカロレア証明書というものは存在しない。
この証明書の正しい名称は社会学科の文学士リサンスである。
三:この研究科は80年代に(社会学)(心理学)として始まった。
と書かれていました。
請求者の方は
| 書類を見ると、小池百合子の名前は、1976年のその学位の中には見当たりません。そして文学部社会学科のBAね、Bachelor of Arts (文系の学士号)学位はその頃は(小池百合子が在籍していた頃は)無かったと そしてこの学位がスタートしたのは80年代だと。 |
と日本の取材者に説明しているのですが、カイロ大学の回答文書を精査してみると請求者の方が文書の内容を誤訳・誤読されており
- 「小池百合子(Yuriko Koike、يوريكو كويكى)」という名前が見つからなかったと書いてある
- 1976年当時社会学の学士号自体が無かった
- 社会学の学士号授与自体が1980年代に開始、その前はカイロ大学で社会学を選考し学位を取るエジプト人も留学生もいなかった
と誤解されているらしいことがわかります。
カイロ大学文書では小池百合子氏の名前を間違えて別人の名前で検索、残りは問い合わせた側が使ったアラビア語表現を正しい言い方に訂正しているだけだった
しかしながら実際には上記のような記載は書かれておらず、読み取れる内容としては以下の通りとなっています。
(1)問い合わせた側かカイロ大学事務員がスペルミスで別人の名前にしてしまい、小池百合子氏の名前で探した形跡が書類だけでは確認できない
小池百合子氏の名前「ユリコ・コイケ」ではなく間違った「ユリコ・コリケ」で調べており、違う人の名前で探した結果「小池百合子氏の卒業記録は無かった」と回答した形になっている。そのため小池氏の卒業問題をきちんと確認できないまま問い合わせ側に回答が返されてしまっている。
この名前違いについては
・問い合わせた日本人の方がエジプト人でも読み間違えない表記ではっきりと يوريكو كويكى(Yuriko Koike)と書かずに申請した。
・日本人側が正しい情報を渡したが、日本人の名前を正確に読み書きするのが苦手なエジプト人側が間違った。
・回答が返ってきた時、コリケという別人に名前が書かれていることに気付かず、訂正を求めなかった。
・コリケという人違いが起きているのには気付いたが、「在籍した形跡が見られない」という求めていた回答が得られたので訂正しなかった。
といった可能性を示唆するものとなっている。
(2)当時から社会学専攻で卒業したエジプト人たちはいたが、間違った理系学士号の名称で問い合わせを行ったためカイロ大学が「学士号の名称が違う」「社会学は文系学士号のリサンスだ」と訂正してきた
小池氏がメディアに公開した卒業証明書と卒業証書の2点はいずれも学士号の名称として ليسانس(リサンス)が記載されていた。
ところが問い合わせた側は理系学部・学科の卒業者に与えられる学士号の بكالوريوس(バカロレア)という間違った名称を使って「社会学バカロレアはあるか?」と問い合わせてしまったようで、カイロ大学が بكالوريوس علم اجتماع(社会学バカロレア)という名称が間違っていると訂正。
「小池氏の取得した学士号が架空の名称である」とは言っている大学回答ではなく、問い合わせた日本人側が間違った学士号の名称を使って質問をしたことを指摘し、「社会学バカロレアではなく社会学リサンスという言い方が正しい」と訂正している部分に当たる。
(3)改組後の「社会学科」という現行名称で問い合わせを行ったため「問い合わせた学科は改組後の名前だ」とカイロ大学から訂正されたが、小池氏在籍当時は「哲学・社会学科の社会学セクション、社会学専攻だった」と教えてもらわなかったため「1980年代以前は社会学専攻すら無かった」と誤解してしまった
カイロ大学では社会学の分野自体は1980年代前から教えられており、カイロ大学社会学関係専攻出身のエジプト人たちは複数存在。経歴にも~1970年代卒であるにもかかわらず قسم [ qism ] [ キスム ](学科)という単語を使って قسم الاجتماع(社会学科)出身と記載するなどしており区別があいまいだったりする。
さらに小池氏の写真・印紙つき卒業証明書には شعبة الاجتماع(社会学セクション、社会学専攻)と記載。شعبة [ shu‘ba(h) ] [ シュウバ ] は قسم [ qism ] [ キスム ](学科)などをさらに小さく分けたセクションを表すのに使うことから、社会学科が独立する前の哲学・社会学科(قسم الدراسات الفلسفية والاجتماعية)時代のことを指しているものと思われる。
小池氏の暫定卒業証明書、手書き卒業証書ではそうなる前の分科・専攻科だったことを示唆する表現が使われている。一方、回答3の表現からすると問い合わせた日本人側は社会学科が小池氏が在籍していた時期ではなく独立した後の名称 قسم الاجتماع(社会学科)を使っていたと思われる。
カイロ大学は「当時は社会学を学べる科が無かったので、小池氏が社会学科や社会学専攻に在籍した事実があり得ない」と言っているのではなく、「お尋ねの قسم الاجتماع(社会学科)は改組・独立後の名称です」として、哲学・社会学科から心理学科(قسم النفس)や社会学科(قسم الاجتماع)が独立した時期ではないので قسم الاجتماع(社会学科)があったわけではない」と問い合わせた側の記載内容を訂正している箇所に相当する。
という点です。
しかしながら実際にはカイロ大学公式サイトの教授陣リストに
حصلت الأستاذة الدكتورة سعاد شعبان على درجة ليسانس الاجتماع من كلية الاداب جامعة القاهرة عام 1961
Dr.スアード・シャアバーン先生は1961年カイロ大学文学より社会学学士号を取得しました
と掲載されているなど、カイロ大学では改組して社会学科が独立する前から社会学専攻学生に学士号(リサンス)を授与し社会学の専門家たちをエジプト学界に継続して送り出してきたことを確認できるため、「小池氏が社会学学士号を取得したとされる1976年、カイロ大学文学部でそのような学位を取ることはできなかった。社会学の学士号を持つカイロ大学卒業生たちが輩出され始めたのは1980年代以降だ。」というのは誤った情報であることがわかります。
この件に関しては問い合わせたものの名前間違いが起こっているため小池百合子氏の卒業記録を調べたと主張することが難しく、残りの回答内容も問い合わせた側が文中で使用したアラビア語表現が間違っている、1970年代当時の社会学専攻名称で質問していないと指摘しただけの内容であることから、決定的証拠になるような重大情報はほぼ含まれていない、というのが実情だった模様です。
本件については質問文に不備があったためにカイロ大学事務局員が正確に「ユリコ・コイケ」「哲学・社会学科の社会学専攻」という在籍情報で探していなかった可能性を指摘されてしまうと具体的な効力を持たないものと推察され、どういう質問の仕方だったのか、カイロ大学との間でどのような行き違いがあったのかを確認できるよう、質問文と回答文をセットで公開する必要があるものと思われます。
もし問い合わせた側が「コイケ」ではなく「コリケ」だと気付いていた、リサンスを敢えてバカロレアと書いた、現行の社会学科アラビア語名称と小池氏在籍時の学科再独立前社会学専攻のアラビア語名称が違うことを把握していたとなると、「小池氏は卒業していなかった、1976年に社会学学士号を取得することは100%不可能だった」と誤解を誘うための意図的な行為だったということになってしまい、それはそれで問題なのでは…という気がします😔
1925年に誕生、改組により学科と専攻とを行き来したカイロ大学文学部社会学科の歴史
なお「三:この研究科は80年代に(社会学)(心理学)として始まった。」ですが、改組して社会学科として独立した学科になった時期を指しているもので、エジプトでも特に古い国立大学であるカイロ大学で1980年代以前に社会学専攻が全く無かった点には要注意かと思われます。
カイロ大学やエジプトにおける社会学教育と博士課程学生らの研究活動について論じた論文
『الإنتاج المعرفي لطلاب الدكتوراه: دراسة حالة لقسم اجتماع، كلية الآداب، جامعة القاهرة』
(博士課程学生らの学問的生産:カイロ大学文学部社会学科の状況研究)より
エジプトで社会学研究分野の萌芽が見られたのは1900年代初頭。社会学に関する初の本格的専門書の刊行は1919年。王政時代だった1925年~1934年にはカイロ大学文学部の一学科として قسم الاجتماع(社会学科)が存在したものの、その後再度廃止され、1934年~1947年の間は文学部の授業として教えられるのみになってしまった。
1934年~1947年の社会学科・社会学専攻科不在期間の後、1947年に社会学・哲学学科(قسم الدراسات الاجتماعية والفلسفية)の一部門・一専攻として復活。1年目は社会学専攻と哲学専攻がくっついた形で稼働していたものの、2年目以降に社会学専攻と哲学専攻に分かれた。
エジプトでは1940年代~1950年代にかけて複数大学で社会学科や社会学専攻科が誕生した。
カイロ大学では文学部の中にある学科の数が増えたり、改組したりと色々な変遷があり、社会学についてもいつ学科として独立したのかがわかりにくいです。
カイロ大学文書『عن كلية الآداب، جامعة القاهرة』(カイロ大学文学部について)によると、哲学科(قسم الفلسفة)→ 哲学・心理学科(قسم الفلسفة وعلم النفس) → 哲学・心理学科から心理学科(قسم النفس)が独立、独立した社会学科(قسم الاجتماع)が復活という順序だったことがわかります。
カイロ大学文学部公式サイトの心理学科誕生概要によると、1974年度に哲学・社会学科(قسم الدراسات الفلسفية والاجتماعية)から独立して心理学科(قسم علم النفس)になり、学科に改組されてからの第1期生たちが1977年度(の1978年)に卒業したとあります。
小池氏が在籍していた可能性が高いのは分離前の哲学・社会学科で、卒業証明書・卒業証書の記載も学科独立以前と思われる言い回しになっている
これらの情報をふまえると、小池氏がカイロ大学で社会学の授業を受けたのは哲学・社会学科(قسم الدراسات الفلسفية والاجتماعية)だった時代で、卒業証明書の記載にあった شعبة الاجتماع(社会学セクション、社会学専攻)というのは、社会学科として独立・改組する前の「哲学・社会学科 社会学専攻」などと呼ぶべきセクションに属していたということになるかと思います。
カイロ大学は
- 入口に警備員がおり入構資格が無いとエジプト人学生たちとの記念写真を撮ることすらできない
- 大学内での目撃証言がある
- 近年になってからカイロ大学学長との会談の場で当時使っていたらしき書き込み入り社会学教科書を手に撮影に応じている
ことなどから、小池氏がカイロ大学で正規学生であれ聴講生であれ在籍して社会学の授業を受けていたのは確かだと言えるようですが、当時どういう学科に属していたかについてはアラビア語名称の細かい区別が必要である様子。
なお、小池氏が公開した証明書・証書のうち
- 写真・印紙つき暫定卒業証明書では شعبة الاجتماع(社会学セクション、社会学専攻)
- 書道書体の手書き卒業証書(学位記)では قسم الاجتماع(社会学科)とは「社会学」部分の言い回しが異なる قسم الدراسات الاجتماعية(社会学学科、社会学科)
という記載になっています。
写真・印紙つき卒業証明書に出てくる شعبة الاجتماع(社会学セクション、社会学専攻)という名称は「学科」という単語を使っていないことから改組前、社会学科として独立する前の学科よりも小さかった部門だった時代の呼び名だったことが推察できる表現です。
また手書き卒業証書に出てくる قسم الدراسات الاجتماعية(社会学学科、社会学科)については、社会学科が独立した学科である現在の一般的呼称 قسم الاجتماع(社会学科)ではなく改組前の哲学と社会学が同じ学科だった頃の哲学・社会学科(قسم الدراسات الفلسفية والاجتماعية)名称とかぶっていることから、哲学・社会学科から社会学の部分だけを抜き出した結果当時はまだ社会学科が分離する前だったにもかかわらず独立した学科であるかのように読み取れる 社会学科(قسم الدراسات الاجتماعية)という記載になった可能性が考えられます。
このことから、小池氏が所有している写真・印紙つき卒業証明書、手書き文字の卒業証書(学位記)の両方とも本文を精査してみると、実は社会学科が独立する前の社会学専攻に在籍していたことと矛盾しない言い回しが使われている、と言うことができるように見受けられました。
そのため小池氏は、1980年代の改組前に哲学・社会学科の社会学専攻を卒業したエジプト人たちがしばしば自分の履歴に「カイロ大学社会学科」と記載しているのと同様、「カイロ大学社会学科卒業」と自ら名乗られているものの厳密には「カイロ大学哲学・社会学科 社会学専攻」出身なのでは、と感じました。
メディアが公開した和訳などでも「社会学科」となっているため小池氏の学歴問題を追求すべく問い合わせた側も改組・独立後の قسم الاجتماع(社会学科)という新名称を使って質問してしまいカイロ大学事務局から「そういう学科は当時は無かった」訂正をされたというのが回答文書3番のような返事の原因となってしまっただけらしいのですが、回答文書に「当時は哲学・社会学科の社会学専攻という名称だった」という補足が書かれていなかったことから、日本では「カイロ大学には1980年代以前には社会学科も社会学専攻も無かった」と誤解されるに至ったようです。
しかしながらカイロ大学社会学科自体は王政時代の1925年に創立。エジプトの大学としていち早く社会学研究に着手した老舗学科に当たります。独立した社会学科ではなかった時代が到来したものの、哲学科とセットになった学科の社会学専攻として社会学の教育自体はずっと続いていたので、「小池氏が在籍していたとされる1970年代にカイロ大学で社会学を学んだこと自体が虚偽」はいわゆる誤解に当たることがわかります。
ネット投稿事例「どこの大手AI翻訳も違う名前の女性の卒業証書だという結果を返してくる」「別人の卒業証明書の盗用だった」「小池氏には隠された本名があった」
「賢いAIが事実を明らかにした」は過大評価で、実際には各社AIで機能不足ゆえの誤訳・誤解釈・創作追加が多数発生した結果の間違い回答
AIの利用が広まって以降
- 「GhatGPT、Google、Grokなどに卒業証書を翻訳させたら、ユリコ コイケ(小池百合子)とは全く別の名前が表示されたので、卒業証書が偽造だと証明できる」
- 「これまで色々なメディアが見つけ出すことのできなかった重大な不備をAIは発見することができた」
- 「ChatGPTが優秀すぎて、人間たちが情報統制により隠していた事実が明らかにされた」
- 「小池氏には隠された本名があった」
- 「カイロ大学を本当に卒業したのは別人、小池氏が持っているのは彼女の卒業証書だった」
- 「AIが途中で小池百合子、ユリコ・コイケと答えだしたのは正しい内容に修正したのではなく、何らかの政治的圧力がかかったため」
- 「小池氏ではない名前が書いてあることこそが真実だから、いくら否定してもネットでどんどん広まる」
- 「デマだと否定しても、卒業証明書と卒業証書にユリコ・コイケと書いていないという真実は変わらない」
といった話が広まり、小池氏リコール運動参加を呼びかけるチラシにも「別人の証明書!?」として盗用の可能性を示唆する画像と文面が掲載されるという出来事がありました。
これについてはAIがすごいとかIT技術のお手柄だとかそういうものではなくむしろその逆で、「ユリコ・コイケ」という正解を出せず証明書・証書のあちこちを誤訳した各社AIのアラビア語→日本語翻訳(特に画像翻訳)の力不足、事実との間にかなりの落差がある内容解説や誤り指摘の的外れぶり、そして不正確さが露呈してしまった一件でした。
AIのOCR読み取り間違いにカタカナ当て字の間違いが加わったため「卒業証書に書かれている本当の名前」としては何通りもあり、森本ミツコ、モリモトミツコ、ミツコモリモト、もりもとみつこ、森本美津子、森本光子、木村ミツコ、キムラミツコ、大谷ミツコ、オオタニミツコ、ミツコオータニ、ユリコクボキ、ユリコクボタ、ユリコケクシ、キムラミサコ、ユミコタカハシ、ユミココウキ、ジミココウキ、セイココウキ、ミエココウケツ、ヨーココケツ、マツココケツ、ヨシコキクモト、キムラミサコ、ケイココウダ、リョウコ・イシカワ、久美子シバヤマ、ボリココクシ、ジェイココウヘイ、金木順子、久家百合子、小木由利子、古稀ゆり子…他が流通。(注:全部AIの間違いです😅)
しかしながら実際にはアラビア文字を読める方なら يوريكو كويكى(Yuriko Koike、ユリコ・コイケを日本語にある o や e の音が無いアラビア語に合わせて当て字をしたもの)と判読可能で、
仮にアラビア語ができる・アラビア語翻訳者・アラビア語通訳だと自称している方が「ユリコ・コイケとは書いていない」と主張されたとすると、実はアラビア語の文章がほとんど読めない(海外生活やインターナショナルスクール通学年数等が長いネイティブに多いです)か、何らかの動機に基づき事実ではないことを意図的に言っているかのどちらかになってしまいます。
「AIが卒業証書に書かれていた本当の名前を教えてくれた」「他の人の卒業証明書だった」といった言説については、AIの回答を信頼してしまったがための誤解か、事実ではないと理解されながらも批判材料として利用されているかのどちらかに当たるように思われます。
「小池氏の証書には全然違う名前が書かれている」騒動は、発展途上の各社AIに和訳・解説させたために起こった間違い、AIのアラビア語-日本語翻訳が翻訳させる文書の種類・ジャンルによってはプロの翻訳者や専門家たちにはまだまだ到底及ばないことに起因します。
また今回は多くの方が同じ証明書・証書を読み込ませたために短時間で大量の学習がなされたようですが、学習量が増えていくにつれておかしな内容の混入や不必要な改変もかなりあった様子。AIはその学習内容によっては間違った知識を大量に注入されてどんどんおかしな方向に進み架空のストーリーを加えていってしまう、という問題点が改めて浮き彫りにされたように感じました。
「小池氏には違う本名がある」「カイロ大学を卒業したのは別の日本女性」は単なるAIの間違いであるにもかかわらず、数日のうちに各社のSNS、ブログ、YouTubeといった動画サービスに次々に拡散。AIの不正確な回答が大衆を動かすという、AI隆盛時代ならではの出来事でもあったように思います。(また、事実でも虚偽でも閲覧数が大量に獲得できると金銭的収入になるというSNS・YouTube他システムの影響も考慮に入れる必要がありそうです。)
「小池氏の卒業証明書と卒業証書にはユリコ・コイケとは書かれていなかった。真実の力は強いのでどんなに否定しても拡散する。」といった投稿も見られるのですが、実際には「AIというお墨付きがあるためにデマを否定する正しい意見がかき消され、誤った情報がどんどん広まった」というのがこの騒動の真相だったりします…
AIの画像翻訳にかけても全然違う名前に翻訳され、しかも回答が一定しない理由
小池氏の卒業証書画像を各社のAI翻訳・機械翻訳に画像翻訳させるとユリコ コイケとは全然違う人名しか出てこないのは
- AI翻訳は発達途上で、めざましい向上が見られる一方、日本人名部分の正確な日本語化といったアラビア語文に通常含まれない要素に関しては学習回数が極めて少ないことから対応が遅れており、全然違う名前や漢字を提示してくることが多い。
- アラビア文字は日本語にある色々な発音を再現するつづりを持っていないため、日本語発音とアラビア語当て字との間の誤差が非常に大きく、AIによる誤読の原因になっている。小池百合子氏の名前 Yuriko Koike のうち、読み書き言葉の文語アラビア語(フスハー)には無い e と o の音を表すために、e の部分には y の字、o の部分には w を当て字したりと無理やりアラビア語化してありアラビア語表記通りだと「ユーリークー クーイキー」になるため、それがユリコ コイケという日本人名の当て字だと推測して正解を導き出すのは大変で、AIが非常に苦手としている分野。
- 小池氏の卒業証書では ___ の上にアラビア語タイプライターで名前が打ち込んであるため、余計な線が入り込むことによりアラビア文字列が改変されたのと同じ効果が発生してしまっており、色々なAIサービスのほとんどで正確な読み取りができていない。
- 名前の部分が間違えているという前提でAIに質問する方が多いためかAIが間違った学習をしてしまっているようで、「証書に書かれている名前は小池百合子ではない」「ユリコ コイケと読むのは強引な発音で、そうい説を唱える人もいるが、本当はそういう表記はされていない」といった誤学習により正解から離れてしまったと思われる回答が提供されている。
といった理由から大手各社のAI翻訳・機械翻訳が軒並み間違えていることが原因です。
小池氏の名前は欧米風に氏名を逆にすると英語で Yuriko Koike、カタカナでユリコ・コイケとなりますが、読み書きに使う文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)には日本語にはある母音の e(エ)と o(オ)、長母音の ē(エー)と ō(オー)が存在せず、それを正確に表すつづりもありません。
アラビア語に無い発音を多数含む日本人名は
- e(エ)をアラビア語にもあり話し言葉の口語アラビア語で e(エ)音に転じることが多い i(イ)に置き換える
- o(オ)をアラビア語にもあり話し言葉の口語アラビア語で o(オ)音に転じることが多い u(ウ)に置き換える
- ē(エー)を ī(イー)などに置き換える
- ō(オー)うぃ ū(ウー)などに置き換える
といった作業、さらにはアラブ人が発音しやすいようにいくつかの母音・長母音・文字を追加するといった微調整を経てからアラビア語化。小池氏については「ユリコ・コイケ(Yuriko Koike)」そのままではなく「ユーリーコー・コーイケー(Yuriko KoykeないしはKoike)」に近いアラビア語発音をするような当て字が使われています。
そのため元の日本人名と当て字のアラビア語表記との間にはかなりのずれがあり、翻訳や伝達の際に非常に間違いが起こりやすいです。
またアラビア語は子音字のみで表記する言語で母音はつづりとして表れない、いわゆる ggrks(ググレカス)系の言語であるため、小池氏の氏名のアラビア語表記は単に「ywrykw kwyky」というアルファベットを並べてあるだけで、アラビア語表記の性質の都合上、小池百合子氏のことを知らないアラブ人が正確に読めるようなヒントになる情報は明示されていません。
このうち yw については外国語人名の yū(ユー)か yō(ヨー)、ry は rī(リー)か rē(レー)、kw は kū(クー)か kō(コー)、ky は kī(キー)か kē(ケー)だろうということがアラビア語表記から推定可能です。(実際には、読もうと思えば yawraykaw kawwaykay、ヤウライカウ・カウワイカイなどと無理にではありますが音読する可能性も一応はあり得ます。)
そうしたアラビア語の表記・発音法則のうち文字から読み取れる情報を加えると「ywrykw kwyky」という文字列が「yūrīkū kūikī」(ユーリークー・クーイキー)、「yōrīkū kōikī」(ヨーリークー・コーイキー)、「yōrīkō kōikē」(ヨーリーコー・コーイケー)、「yūrīkō kōikē」(ユーリーコー・コーイケー)あたりの発音なんだろうと見当をつけることはできます。
これが小池百合子氏の書類だとわかっていれば「ユーリーコー・コーイケー(≒ユリコ・コイケ)」を選べるのですが、そういう背景事情を知らないと正確に読めない可能性が高いです。
しかもAIは判別が難しい解像度や __ の混ざり込みがあるとOCR読み取りミスを起こすため、「ChatGPT、Google、Grokなどがそれぞれ違う人名を提示する」「画像翻訳をするたびに違う人名を提示し、しかもユリコ・コイケとかけ離れている」といった間違いを頻発する理由ともなっています。
証明書・証書には全てيوريكو كويكى(ユリコ・コイケ)と記載~これまで問題視されなかったのはアラビア語翻訳者たちが正確に和訳していたため
アラビア文字を自分で判読できる人にとっては小池氏の氏名のアラビア語表記が書かれているようにしか見えないこの問題。証明写真・印紙が添付された暫定証明書と手書きの厚紙卒業証書の両方に、書体違いではありますが小池氏公式アラビア語表記

著書にサインしてもらった方が投稿された小池氏の自筆アラビア語サイン
画像引用元:x.com
である يوريكو كويكى が正確に書かれています。(アラビア語は日本語の名前を正確に表せないのですが、これで yūrīkō kōikē ユーリーコー・コイケーっぽく読みます。)
なおAIは正確に和訳できてもエジプト以外のつづり方式である يوريكو كويكي として読み取ってしまうのですが、エジプト特有の語末表記があるため実際の証書ではアラビア語タイプライターで يوريكو كويكى と記入。小池氏の著書サインのアラビア語表記とも一致しています。

ユリコ・コイケを表すアラビア語表記と比較してみると…
写真・印紙つき暫定卒業証明書の氏名欄に書かれている名前の上に、同じフォントサイズと文字間隔で入力した小池氏フルネームアラビア語表記のエジプト式つづり يوريكو كويكى(Yuriko Koike、ユリコ・コイケ)を置いて比べてみると、アラビア文字を知らない方でもフォントが多少違う程度で同一の文字列なのがわかるかと思います。
*証明書では يوريكو كويكــى と كويكى 語末の ـى 部分が伸びて長く見えるために「يوريكو كويسكى」(ユリコ・コイスキー、ユリコ・コイスケ)などと誤読する方がおられるようなのですが、アラビア語文によくある間延びなので يوريكو كويكى(Yuriko Koike、ユリコ・コイケ)であることには変わりありません。
これを「全然違う」と判定するとなると、「ユリコ・コイケ」と記載されていることをどうしても認めたくないといった理由からアラビア語としては明らかで疑いようが無い事実を否定している、的な話になってきてしまうので、他の人名が書いてあると判断することは不可能だというのが正直なところです。
これまで「卒業証書に書かれている名前は小池百合子ですらない」といった話が全く取り上げられなかったのは、機械翻訳ではなく人力でアラビア語翻訳者が人力で適切に和訳していて、リアルな人間が和訳する場合には著名人物の氏名部分のアラビア語→日本語化は問題無く処理されAI翻訳のようなミスを犯していなかったためでした。
週刊誌やYouTube動画などで小池氏の学歴問題を指摘する記事・動画を作成した側の中東・アラビア語関係者も含めて皆「ユリコ・コイケ」と読んでいたのは、いずれもアラビア語経験者や現地留学経験者で、__ 線が文字列にかぶってしまっていてもAIとは違い小池百合子氏の氏名のアラビア語表記が書いてあると判読できたこと、「小池氏の名前は書かれていない」といった脚色に手を出さなかったことが原因だったりします。
結局のところ、今回の「別人の証書」騒動は、人間とAIとの力量の差が以前として大きいことが表れた一件だったと言えそうです。
アラビア語に関してChatGPT等ができること/できないこと
失敗な不自然な点を依然として抱えているAI翻訳、機械翻訳
ここ数年AIに聞けばそれなりにちゃんとした訳と解説が返ってくるようになったせいか、アニメ、漫画、ゲーム、ポップソング、キャラネーミングなどにアラビア語の単語・熟語・文章を取り入れたものが増えてきていますが、AIが間違えた部分も含まれており「アラビア語として成立しているように見えて、直訳すぎて違和感があったり、検証してみるとなんだかおかしなアラビア語だったりする」というケースも多いです。
学習を繰り返ししたであろう簡単な文章だと正確に訳出できて「お、すごい」となるのですが、苦手な部分やまだできていない箇所での失敗の仕方との落差が非常に大きく、品質が一定していないとの印象です。
点が潰れたり不鮮明になったりしている部分を除去すると精度が大幅にアップ
ChatGPTについては画像の鮮明度と証書フォームに最初からついている記入欄の ___ がネックになっているようです。
そこで、小池氏証明書類の人名部分にかかってしまっている邪魔な下線 __ を消して、形が似たアルファベット同士(例:بـ と يـ)を区別する重要なポイントである点が2個並んでいるところ(يـ の下の・・)がくっついで潰れてしまっているのを Apple Pencil で修正しくっきりさせ認識性をアップさせたところ、

のようにほぼ正確に判別し、人間の補助や誘導無しで「Yuriko Koike、小池百合子、ユリコ コイケ」と正しい回答を提示することができました。
アラビア語は点の数の違いだけで2種類、3種類の形がそっくりなアルファベットを区別します。小池百合子氏の名前でAIがOCRミスを起こしやすいのは、
1文字目、4文字目、2語目3文字目の يـ(y)の字 → بـ(b)
2文字目の ـو(w / ū )の字 → ـر(r)
で、人によっては左側2語目の名字部分がクボキ(久保木、窪木)などとなってしまたりするのは点がつぶれてしまったせいで、Kūykī(=Kūikī)(クーイキー)というアラビア文字表記で止むを得ず「コイケ」の当て字としている都合から Kūbkī(クーブキー)とOCR読み取りミスを起こし、 AIが「クボキ」を導き出してしまった、ということが推察可能です。
このことから、2点がつぶれてくっつくといった画像の鮮明度の問題や_線の邪魔さえ無ければChatGPTは既にここまで精度を上げてきているという評価すべき部分と、余計な線が文字列にかかっていると正確に読み取って日本語化できないため「小池百合子氏の卒業証書ではない」という設定に合わせるために作り話を始めてしまう、という課題との両方がが確認できたと言えそうです。
色々な方のAI画像翻訳結果を見ると、AIが学習する前は يوريكو كويك(Yuriko Koik、ユリコ・コイク)のように誤読していたケースもあったようです。アラブ諸国の中でエジプトだけが一部独自の表記ルールを適用していて他のアラブ諸国では كويكي と書くコイケをエジプトは كويكى とつづるのですが、語末の ـكى(kī)は字の形や罫線のまぎれ込みによりAIがペルシア語などで k を表す ـک(k)と誤認して Koik と読み、さらにそれをアラビア語式表記の كويك に変換したのでは、と推察されました。
アラビア語なりペルシア語なりを学んだことがありアラビア語を読める方であれば、多少の書体・フォントの違いはあっても小池氏が提示した各種書類には
يوريكو كويكى
証明書に記入されているユリコ・コイケのエジプト式表記
が書いてあること、また
ميتسوكو موريموتو
ミツコ・モリモト
موريموتو ميتسوكو
モリモト・ミツコ
とではつづりも文字数も大きく違っています。k の音を表すカーフという文字(ـكـ や كـ)は背丈が高いのでOCR認識で間違えにくいと思うのですが、__ 線が重なった状態だとChatGPTは目立つはずの k(ـكـ や كـ)の字も複数取りこぼしてしまっています。
ひょっとすると和訳の時と同様、判別が難しい場合にはOCR読み取りをあきらめ過去に学習した違う画像に含まれていた日本人名の情報を流用して勝手に補完したりで、精度が落ちる一因になっているという可能性もありそうです。
「小池氏の証明書と証書には全然違う人名が書いてあり、ユリコ・コイケという名前はどこにも見当たらない」という騒動に関しては、そうした照合作業やアラビア語専門家・ネイティブへの相談と事実確認を経ないまま間違ったAIの回答だけを頼りに投稿・引用が行われたために広まってしまった一種のデマ的情報だったと言えるかもしれません。
もし仮に「小池氏を糾弾できるなら嘘でもデマでも構わない」ということで広まったとすると、それはそれで問題があるような気もしますが、政治活動の問題ということでアラビア語として正確なのかどうかはまた別問題になってくるようなので、色々と難しいようです🤔
AIが苦手とし、現状ではまともな翻訳ができていないのは崩し字の書道書体による証書類
小池氏が公開したいわゆる厚紙証書である卒業証書の方は流麗な書道体で書かれているのでAI翻訳が非常に苦手なアラビア語文字列で正確な和訳を得るのが困難なのですが、こちらも書道書体を解読できるアラビア語使用者なら人力で小池百合子氏の名前を判読できるようになっており、

この部分が小池氏公式アラビア語表記とも同一のエジプト式表記 يوريكو كويكى となっています。
写真がピン留めされていない方の小池氏卒業証書はアラブ世界で正式な証明書に多用されるディーワーニー体と呼ばれる書体で書かれているのですが、
- 文字の書き始めに、日本語の楷書体・教科書体に相当するナスフ体には無い角や爪のような部分がある
- 日本語の楷書体・教科書体に相当するナスフ体では「y」や「ī」の発音を表す يـ の下に点を2個書くが、書道書体や日本語の行書体に相当すルクア体などでは2個の点をまとめて一本線 – としてしまう。
- 「w」や「ū」の発音を表す ـو の中が日本語の楷書体・教科書体に相当するナスフ体では空洞・◯形になるのに対し、書道体では黒く塗りつぶされ小さな●形となるため、形がよく似た ـر(r)という違うアルファベットと誤認しやすい。
といった難点を抱えており、AI翻訳が誤読して違う日本人名を提示したり、人名として認識すらしなかったりする原因になります。
以上を踏まえて、「AIが読み取れるように書き始めの角・爪を消す+一本線になっている2点を・・に戻す+黒く塗りつぶされて小さくなっている ـو を整形する+不鮮明な線をなぞって黒く明瞭にする」という作業を行ってからChatGPTの画像翻訳を行ったところ、

のような結果となりました。前半のユリコは正確に認識できたようですが、後半は間違えており、日本語の楷書体に相当する基本形態から行書体に相当する崩し字になると認識精度・翻訳精度が大幅に低下することがうかがえました。
崩し字書体で書かれた厚紙卒業証書全体をChatGPTで和訳してみたのですが、

大学名が全く違ってエジプトではなくイラクのバグダード大学(バグダッド大学)
جامعة القاهرة
カイロ大学
جامعة بغداد
バグダード大学(バグダッド大学)
*アラビア語ではカイロ大学とバグダード大学(バグダッド大学)とでは「~大学」の「~」に当たる2語目全く見た目が違うため、単にOCR読み取り・テキスト化を間違えたというよりは、読み取れなかったので過去の学習内容から流用してAIが勝手に補充した可能性が高そうです。
になってしまっていたり、かなりの部分を省いてすっ飛ばして和訳に含めていなかったり、「大学における全ての課程を修了し」「その学業において成功を収めた」「アラビア語専攻」「の発行日において正式に付与されたものである」といった原文には含まれていない文章を和訳として勝手に作って加えてしまったりで、楷書体に相当する認識性の高い書類の読み取りに比べると厳密性・信頼性という点ではまだまだ発展途上で政治家の学歴や卒業証明書・卒業証書の真贋を調べる検証作業にはとても使えない水準であることがわかりました。
他の方々がSNSにアップしていた翻訳結果も見ましたが、おそらくChatGPTは崩し字の卒業証書にかかれているアラビア文字の大半を正確には読み取れておらず、過去に学習した他の卒業証書に書かれていた文章を流用して、AIがそれらしい内容の日本語文を勝手に作文して翻訳結果としているようにも見受けられました。
こうした書体の読み取りはアラビア語既習者でも崩し字読解練習の経験が無いと難しく、崩し字の書道体は日本人の全員が書道の行書体や草書体を100%読めるとは限らないのと同様、アラビア語翻訳者を名乗っている方でも苦手な場合があり、実際に過去に大手新聞社やメディア、小池氏告発者らが発表した手書きの小池氏卒業証書日本語訳に関しては、誤読による誤訳や読み落としによる和訳からの要素脱落が高確率で発生している状況です。
アラビア語を知らない方にとっては判読がさらに困難に感じられるかと思うのですが、大手各社のAIも同様に崩し字でしかもアラビア語ではない日本人名への当て字の正確な判読はできていないので、「AIなら代わりに何でもこなしてくれる」と信用されない方が良いのでは、という気がします。
AIによる翻訳や解説はまだまだ未熟で論証の根拠・商品化の手段にするにはまだまだ高リスク
アラビア語では同じ書体の違いによって

と大きく形を変えるので、「アラビア語ができる」という方に頼んでも流麗な書体になると誤訳をするリスクが高くなりがちです。
そうした細かい芸当がまだまだ苦手なAI翻訳はだいたいの意味を知るのには向いていますが、アラビア語→日本語翻訳はアラビア語→英語翻訳よりも誤訳が多いなど、娯楽・おもちゃとして楽しむことはできても間違いが混ざり込むリスクが高いので用途によっては十分な注意が必要です。
「AI翻訳・機械翻訳のアラビア語→日本語訳はまだまだ未熟で安心して使うことは難しい」というのはアラビア語関係者の間でよく知られているのですが、「アラビア語ができないのでAIに任せよう」「AIが進化した今、アラビア語通訳がいなくても正しい得られるようになった」という方はそうしたアラビア語関連のAI技術の未熟さはご存じないため、「大手各社のAIがこんなに揃って間違えるはずが無いので、卒業証書の方がおかしいということになる」「ChatGPTはいつも怖いぐらいに詳しい答えをくれるので、アラビア語からの和訳もきっと同じぐらい正確だ」「有名なAIが教えてくれたから真実だ」といった結論に至りやすいのかもしれません。
AIが作り話を練り上げて珍回答してもアラビア語のできる人に別途聞かない限りは事実かどうか確認する手段が無いために内容を信用してSNS等で流布させてしまう、AIにアラビア語の教材や問題集を作らせてそれをAmazonのキンドル電子書籍として売ってしまう、といったことも昨今では見られるようになってきており、AI翻訳が誕生する前には無かったような不思議なアラビア語や違和感のあるアラビア語がネット上でどんどん増えてきているとの印象です。
アラビア語→日本語AI翻訳では、誤訳以外にもAIによる架空内容の創作や原文に無い内容の補充もまだかなり多い状態
当方もこれまでに何度かAI翻訳やChatGPTでアラビア語関係の質問をしたことがあるのですが、アラビア語→日本語翻訳に関しては学習の機会がそう多くなくネット上に出回っている日本語記事にアラブやアラビア語に関して不正確な情報が元々多いためでしょうか。「AIがデータ不足や偏った学習内容から、足りない部分を自作してあたかも事実であるかのように述べる」というハルシネーション問題がかなり起きやすいようで、全然違う内容や「どうしてそうなった?」というレベルの作り話を返してくることがまだたくさんあり、安心して使うにはまだまだ時期尚早だと感じました。
アラビア語の先生に教わったり通訳にお金を払ったりしなくてもChatGPTがいるから、ということでアラビア語学習、キャラクターネーミング、歌詞作りなど広い範囲でAIの利用が進んでいるようですが、皆様がSNS等にアップされた出力結果を拝見すると、事実と異なる内容、AIが創作してしまった架空の内容もかなり含まれており、特にアラビア語学習の先生役や添削役にしている方については間違った理解が定着してしまうリスクもあり管理人的には使わない方が本当は良いのでは…という気もします。
皆様につきましても、「アラビア語→日本語の機械翻訳・AI翻訳にはまだまだ間違いが多い」「どこのAI画像翻訳も何かしら間違えており、読み込ませる画像によっては間違いだらけ」だと承知の上で利用されることをおすすめします。
専門家を雇う手間・費用が節約でき調べたいことをすぐに調べられるといった利点からAIを日常的に活用している方も増えてきてはいますが、現時点では、アラビア語に関してAIによる翻訳や解説はまだまだ未熟で、実在しない定義や的外れた解説をChatGPT等が創作して提示することも多いです。
AIの回答を元に「卒業証書は別人の名前が書かれている中途半端な偽造書類だった」「他人の卒業証書を盗用した」といった投稿を流布してしまうと逆に誤った情報を広めた責任(特に選挙期間中は公職選挙法関連)を負わされてしまう危険性があるので、リアルな人間であるアラビア語翻訳者なりに確認を取るといった安全策を取られると良いのでは、と思います。
ChatGPT、Google、Grokの画像翻訳は現在どのぐらいの能力があるのか?
小池氏の卒業証明書と卒業証書を大手各社の画像翻訳にかけてみました。
現時点では読み取りがしやすいはずのフォントも含め画像翻訳は各社ともまだ完成形には程遠い水準で、特に小池氏の手書き卒業証書のような崩し字書道書体については、人間のアラビア語翻訳者が正確に和訳できた場合を100点満点に換算すると30点ぐらいの出来栄えだとの印象です。
正しい翻訳結果を得られるようになるまではかなりの長い年数がかかるか、いつまで経っても完成レベルの精度には達しないままかもしれません。
アラビア語に関しては「びっくりするほど正確に事実を教えてくれる」「何でも正確に和訳してくれる」というAIサービスは現時点では存在しないので、「文書の複数箇所で全然違う和訳をする」「他の書類やテキストから流入して混ぜ込む」といった問題を必ず伴っていることを前提の上で利用されるのが良いような気がします。
卒業証明書
ChatGPTの文字読み取り・日本語訳結果

ただのOCR読み取りテキスト化ソフトとは違い、AI側が文法に関わる部分を勝手に修正して男性形の部分を女性形に置き換えてしまっていたり、証明書類に使われるよくある表現に改変したり、他の書類画像翻訳で出てきた表現を流用したり、変更やつぎはぎで出力結果を作っているらしいことがわかります。
アラビア語書類に対応したOCRソフトでは従来起きなかったようなテキスト化の誤りが見られ、AIによる自動修正・改変がなければ和訳結果の精度ももっと改善するのでは、と感じられました。
なお「卒業証明書は小池百合子氏のものではなかった」説が流布しただけあって、日本人名の和訳は相当苦手なようです。特にこの書類では人名部分に __ 線がかかってしまっているため、ミツコ・モリモトよりは元のユリコ・コイケに近いのですが、3文字落としてしまっているため「ユーコ・コーキ」というつづりになり、そこからAI修正によるカタカナ化を経て「ユウコ・コウキ」になっています。
Google翻訳の文字読み取り・日本語訳結果

AI翻訳をうたっているわけではいため、ChatGPTとは違い、読み取れない部分に勝手に違う単語や文章を入れてしまうといったことはしていません。
和訳についてはChatGPTよりも上手くない部分があり、「学部」をカレッジや大学、「社会学セクション、社会学専攻」と会議部門と訳したりと、書類の内容に合わせてその語が持ついくつかの語義から適切なものを選ぶのがやや苦手なようです。
タイプライター書体で判読はしやすいため間違いはそんなに多くないのですが、やはり __ 線は邪魔になっているようです。また数字の読み取りに不備がいくつかあり、ひと続きの数を分断してしまったり、OCR読み取りでは失敗しにくい年月日などを適切に処理できないことがあるように見受けられました。
Google Geminiの文字読み取り・日本語訳結果
ChatGPTのアラビア語-日本語翻訳を使うと小池氏の卒業証明書・卒業証書の和訳がかなりおかしくなるという指摘に際して何度か見かけたのが「Google Geminiを使えばもう少し正確な訳になる」といったコメントでした。

Google翻訳とは同じ会社なので、OCR読み取り・テキスト化のおかしな部分や和訳の間違っている部分はある程度共通しています。しかしながらGoogle画像翻訳では和訳がおおむね所定の位置からずれない形で翻訳できていたのに対し、Geminiだと並び順が入れ替わっていたり、Google画像翻訳だと和訳に含められていた部分がGeminiでは脱落しているといった違いがありました。
また学士号を取得した際の卒業試験評定についてはGeminiの方が間違えてしまっており、Google画像翻訳では「良(good)」と同等の意味の「良好」とできていたのに対し、Geminiでは「優」という上の成績に置き換わっていました。
小池百合子氏の名前も「ヨーコ・コケツ」になっていたりと、短期間で同じ画像について学習しすぎてどんどんおかしくなってしまったChatGPTほどではありませんが、Geminiも「AIを搭載しているからGoogle翻訳よりも賢いアラビア語→日本語訳ができるようになった」「Google翻訳よりもGeminiを使うべき」とは必ずしも言えない結果となりました。
卒業証書
崩し字の手書き書体であることから、誤訳・自動修正による変更・原文に無い内容の補完が非常に多いのがこちらの卒業証書です。
ネットには同じ画像を和訳させた方々の結果画像が多数アップされていますが、それぞれ違う結果であることから、ChatGPTが過去の結果を元にどんどん変更を加えているらしいことがわかります。
ChatGPTの文字読み取り・日本語訳結果

高機能AIとして知られるChatGPTですが、アラビア語→日本語の崩し字証書画像翻訳についてはぼろぼろな結果となりました😥
AI搭載ではない多言語対応OCR読み取りソフトだとうまく認識できなかった部分は意味が通らないおかしな文字列になったり文字化けしたりしていたことから「あ、失敗してるな」「これでは自力で直さないと無理だな」と目で見てすぐわかるような結果を得ることができていました。
しかし今のAI翻訳はそういうことが起きないようにAI側が単語や文を変えてでも体裁を整えようとするので、アラビア語の知識が無いと読み取り・テキスト化がどのぐらい成功しているのか判断することができません。
OCR読み取りができていない上に、他書類翻訳時に遭遇した文面からの流用が非常に多く、書類の中で似たような位置にあった言い回しを取ってきて置いただけに見える部分もかなりありました。
以上の理由から、現時点ではChatGPTによるアラビア語書類の画像翻訳に関しては「これはどういう書類なのか?」という雰囲気をつかむことはできても、アラビア語翻訳者に依頼せずに済ませたり正しい翻訳結果としてネット上で配布してはいけないレベルであると言わざるを得ない状況です。
数日前に同じChatGPTで和訳させた時には不正確な点においては変わらないものの、もっと違う日本語訳でした。ChatGPTは学習速度が早く学習に使う素材から受ける影響が大きいぶん、余計な語の混ぜ込みや日付の書き加えなどが新規に発生するまでの日数も非常に短いようです。
「ChatGPTはとても賢くて他の人に頼らなくてもアラビア語書類の和訳を手に入れられる」「人間が教えてくれなかった事実を明かしてくれる」と信頼して日本語訳させている方がいらっしゃいましたら、くれぐれもご注意ください。
ただほんの少しでも読み取れているらしい箇所はあるので、まだまだ未完成のAI技術としては技術がある程度向上してきていると前向きに考えることもできるかと思います。
Google翻訳の文字読み取り・日本語訳結果

「フィトラの金曜日」「初頭のドル総引き出し」「チュニジア人」「高等教育学部から追放された」など原文と全然違う日本語訳になっている部分もありますが、ChatGPTのように「別の文書に含まれていた単語・熟語・文章を大量に流用して読み取り失敗・翻訳部分に充当する」といったことは目立っていませんでした。
ChatGPTが上手に処理できていない部分をGoogle翻訳ができていたり、また逆にGoogle翻訳が落としてしまった「社会学の学士号を授与」といった部分をChatGPTが訳出できていたり、それぞれに得意・不得意がある様子が見て取れたように思います。
手書きの崩し文字だと画像翻訳でアラビア語→日本語訳するにはまだまだ課題が多い点は同じで、小池氏の卒業証書を検証するツールとしては使い物にならない、というのが正直なところです。
アラビア語がわかる人が手入力で打ち込んでテキスト化し、それをGoogle翻訳にかけるとほぼ正確に和訳できているので、こうした手書きの証書に関してはやはり読み取りとテキスト化の性能の低さ、日本語の草書体や篆書体同様にアラビア語に存在する色々なタイプの崩し字・書体における文字形状の違いが大きな障害になっている模様です。
Google Geminiの文字読み取り・日本語訳結果

Google画像翻訳に登場した「フィトラの金曜日」「初頭のドル総引き出し」「チュニジア人」「高等教育学部から追放された」のような原文とは大きく異なる和訳はありませんでしたが、崩し字の書道書体の全てを読み取れていないため脱落が多く、Google翻訳が訳せていた複数箇所を間違えたりしていました。
ヒジュラ暦の月名もGoogle翻訳では الحجة(アル=ヒッジャ)と文字列が似ている「ハッジ」を提示するという形で部分的に読み取りに成功していましたが、GeminiではAIによる修正をかけてしまったのか全く違う字形の صفر(サファル)と訳出しています。
また学長署名の部分は「ムスタファ・ムハンマド・ラブ」ではなく صوفى ابو طالب(スーフィー・アブー・ターリブ / (口語寄り発音)スーフィー・アブー・ターレブ、アラブ諸国共通標準表記:صوفي أبو طالب)のうち「ス(ṣ)」「フ(f)」「リ(l)」「ブ(b)」だけOCRで読み取れ、後はAIが補填して人名を推測して和訳に反映させたものと思われます。
ChatGPTのように明らかに間違った学習を取り込みすぎ、他の翻訳結果からの流用を多数埋め込んで改変してしまうといった感じは強くありませんが、GeminiについてもAIが旧来のGoogle翻訳よりも逆に精度を落とす原因になっていると推察される点がいくつか見られました。
各社の和訳結果を見る限り特定一社のAIが特に賢いということはなく、リコールや落選運動で根拠に使うような大事な書類はどのAI翻訳も機能が足りず、告発する側の信用を損ねる原因になったり問題の核心から逆に遠ざかってしまうリスクが非常に高いことを承知の上で使うことになるかと思います。
デマ発信を避けたいという方は、費用はかかりますが経験豊富な専門のアラビア語翻訳家に依頼しどういう書類なのかある程度の解説もつけてもらい十分に理解した上で和訳を利用するのが良いのでは、という気がします。
カイロ大学に通うために必要なアラビア語能力とは?
小池氏アラビア語問題に関して「文語アラビア語フスハーと口語アラビア語エジプト方言を混ぜることはあり得ない」「アラブの大学では授業ぶ全てフスハーが使われる」「カイロ大学を卒業するともれなくフスハーで達者な会話ができるようになる」という間違った情報が多数流布している状況です。
雑誌やネット記事で説明されている「アラビア語のフスハーとアーンミーヤとはなにか?」には根本的な間違いが多数含まれているため、当サイトの『フスハーとアーンミーヤとは?』をご一読いただきますようお願い申し上げます。
フスハーとアーンミーヤや大学で用いられるアラビア語についての検証記事解説が事実と異なる件
カイロ大学で使われるアラビア語は特殊な古典アラビア語ではない
日本では検証記事がフスハーとアーンミーヤのことを間違って説明しているせいで種々の都市伝説が生まれてしまった感もありますが、大学の講義に使う文語アラビア語というのは日本の古文や漢文とは全然違っており死語にはなっておらず、それを使って生活している人すら稀にいる現役のアラビア語です。
アラビア語は元々読み書き用や部族・民族間共通言語としての文語(フスハー、正則アラビア語)と部族別方言や大衆の日常会話としての口語(アーンミーヤ)が分かれており、口語部分が時代の経過とともにどんどん変化していった一方、文語は神がイスラーム(イスラム教)を伝えた聖典クルアーン(コーラン)の言語ということで劇的な変化を起こさないようにある程度固定されたままずっと使われてきました。
また近代化の際に使いやすくしたり欧米諸語の影響を受けて変容したりはしたものの大改革は敢えて避けられたことから、アラビア語には日本語の古文・漢文に相当する「昔使っていたけど今のアラブ人が読み書きにも会話にも使っていない、今のフスハーとは違いすぎて理解ができない古典アラビア語」というものがありません。
小池氏アラビア語検証記事を読んで真に受けたり、その真逆が本当だと裏を読んだりで
- 「アラブの大学ではラテン語のような現代アラブ人も習得が難しい中世の古典アラビア語が使われていて、それができないと卒業できない。」
- 「古典語を使って全ての授業が行われているせいで、アラブ人でも次々に落第する。」
- 「古典アラビア語は現代文ではないので、カイロ大学社会学科の学生は学ぶ必要が無い。」
などと誤解される方もいらっしゃるようなのですが、アラブの高等教育に用いられている文語アラビア語というのは日本の国語でいうところの古典文法と現代文法(標準語)の区別をせず兼業している存在で、英語やフランス語で授業を行う大学や学部を除きフスハー(ただし読む・書く中心で、方言で授業をする先生も多いので聴く技能は優先度が低め)は必要です。
「アラビア語で授業を行うこととする」と文学部内規に書かれているカイロ大学文学部に通う際、アラビア語以外による講義やテストを認めるという留学生向け特別措置が認められない限り、フスハーを覚えないとアラビア語で書かれた大学教科書は読めず試験解答も書けないです。
小池氏が在籍していたカイロ大学の教科書や一部講義で使われている文語アラビア語というのは、わかりやすくたとえると現代日本語の標準語に相当するごく普通のアラビア語のことで、ネイティブが小学校から国語として学ぶアラビア語、公的スピーチ・新聞・ニュース番組・書籍・広告・製品パッケージ・看板といった日常的に使用される現役の各国共通正則アラビア語(現代標準アラビア語)を指しています。
そのためカイロ大学の通学に必要な文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)は、日本や現地の語学学校で日本人学習者が教わるごく普通の学習で身に付けるアラビア語と全く同一で、それなりの年月をかけてやればアラブの大学留学にそのまま応用することができます。
「アラブの大学では文語アラビア語フスハーしか使わない」という脚色が現地渡航する留学生を苦労させる原因になりかねないという問題
小池氏に関連して日本で紹介されているアラビア語のフスハー・アーンミーヤ像は実像とは異なりアラブ諸国の大学におけるアラビア語の状況やアラブ人による文語・口語の使い分けに関する記述なども実際とは全く違うので、ただのアラビア語学習者にとって真に受けて得になることは何も無く、現地に渡航した時にアラブ人に話せばびっくりされてしまいます。
もしそ小池氏告発のために作り出された感の強い一連のアラビア語話を信じてしまうと「アラブの大学で勉強するには文語だけ知っていればいいって言ったじゃないか!先生たちの講義はアーンミーヤ連発で学生たちもみんなアーンミーヤで話してるから、先生や学生のやり取りも理解できない!」というとんでもない目に遭うことになるなど、アラビア語専攻や宗教大学以外の学部・学科に留学予定がある方にとっては苦労の原因にしかならないと思います。
元々日本ではエジプト留学にフスハーとアーンミーヤの両方が必要になることを知らされないまま留学してしまい「通じない…」と呆然とするという失敗談が聞かれるなどしていたのですが、インターネットの普及や日本のアラビア語教育改良によってだいぶ解消された形です。
そこに新規に「アラブの大学では文語アラビア語フスハーしか使わない」「アラブ諸国の大学に留学した人間がフスハーとアーンミーヤを混ぜた下品なアラビア語を使うな」的な情報を投下するのは、正直なところ小池氏告発のためだけに随分とひどいことをされるな…との印象です。
アラビア語専攻などに在籍していれば検証記事に書かれている文語アラビア語と口語アラビア語の相互関係や大学留学に必要なアラビア語の種類に関する話が事実ではないと教えてくれる先生や先輩たちがいるので心配無いと思うのですが、相談相手もおらず地方の大学などで自己努力の研鑽を続け交換留学制度を利用しようと考えている方の中にはひょっとすると勘違いしてしまうこともあるかもしれないため、しつこいようですが一応書かせていただいた次第です。
▶関連記事:『日本人アラビア語学習者とフスハー、アーンミーヤの問題』
文語フスハーで話す能力はカイロ大学卒業能力の決定的証拠にできない理由
元々現地の大学を卒業すること自体には通訳並みの流暢な会話能力は必要無く、文語(正則アラビア語、フスハー)や口語の現地方言(エジプトの場合はエジプト方言)そしてそれらを混ぜ合わせたアラビア語で行われる授業を聞いたり、文語で書かれた本を読んだり文語で作文したりする能力があれば乗り越えることが可能だと言えるかと思います。
小池氏問題で追求されている「現時点で文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)でスラスラ話せなければカイロ大学を正規卒業していないと証明できる」といった言説は、文語会話能力を特に要しない社会学科卒業に在籍していた小池氏にとってフスハー会話が弱点なのを承知の上で争点として選んだ可能性も否めず、攻めるポイントとしては合っているとは思うのですが「フスハー会話力=卒業要件」という誤解に依拠しているので、アラビア語の性質や日本人留学生のアラビア語習得に関する正しい理解という点では問題があると言わざるを得ないです。
小池氏は通訳をしていたという経歴になっているので「フスハーも話せないとおかしい」と取り沙汰されているだけで、カイロ大学卒業という部分だけであれば聞く・読む・書くの三技能の検証が重要なので、そこに直接関わらないフスハー会話技能だけを検証内容とするのはむしろ不適切だということにもなってきます。
「エジプトの大学で学べば自動的にフスハー会話も上手になるはずだ」は無理がある件
エジプト人ですら大学を出てもフスハースピーチが上手くならず、アラビア語専攻かエジプト方言習得を捨ててフスハーだけに専念することを選んだ人でない限り日本人留学生もだいたいそうなるというのが定番であるにもかかわらず、エジプト在住経験がありアラビア語のプロとして解説を提供する側の方が「カイロ大学を卒業したのなら、本を読むのと同じぐらいの技量をもってフスハーで不自由せずスピーチできないとおかしい」と主張されているというのは、やはり謎が残ります。
アラブ世界では小・中・高・大のアラビア語教育カリキュラムから日常会話やスピーチの十分な訓練が欠けているせいでフスハー会話に不自由する大卒者が多いことは広く知られており、勉強に必要なフスハー語彙ばかりを増やしてもごくありきたりな会話をするスキルは身に付かないことから各国のアラビア語教育者たちの間で盛んな議論が行われています。
これは日本人学習者も同様でアラビア語のフスハーは日本語の標準語と違い毎日の生活で使うことは基本的に無いため「読む・聞くはできて書く方のもまあまあできるけれども話すのは厳しい」となりがちです。
アラビア語のことを知っている側からすると「カイロ大学を卒業したのなら何学科を学んだとしてもフスハー会話が堪能になっていないとおかしい」と考えはアラビア語やエジプトの現状と合致しておらず逆に「アラビア語やエジプト国立大学のことをご存知ないのでは?」と思えてしまうのですが、検証者側の単なる誤解でないとなると脚色が加わっているという判断になってきてしまう、というのが正直なところです。
エジプトは多くの文学者を生み出してきた文化的にも豊かな国ですが、その一方で多くの人がフスハーを得意としておらず「エジプトに留学してもフスハーがペラペラにならない」として有名です。
これはエジプトにアラビア語留学した方とかなら実感をもって理解できる点ではあるのですが、アラビア語について知らない方が「アラブの大学ではフスハー能力が必須。勉強していれば自ずとフスハーで話せるようになる。」と聞くと真に受けて「エジプトの大学ではみんなフスハーを使っているらしい。カイロ大卒というのはそうしたアラブ人ですら難解だと感じる古典語をマスターしたことの証拠でもある。それなのに小池氏はフスハーが苦手だなんてカイロ大学に通っていなかったことが丸わかりだ。」と誤解してしまわれやすいのかもしれません。
カイロ大学で学ぶには文語・口語のどの技能が欠かせないか?
階段教室での大人数授業がメインとなる学業に直接影響するのはフスハーの読む・聞く・書く+エジプト方言
アラブの大学ではほとんどの学部・学科がフスハー会話と縁遠い
エジプトはフスハー会話が苦手な人が多い国で、学科によっては大学の教員や研究者であってもフスハーで話すのが得意ではないということも珍しくありません。
そうしたエジプトで国立大学学生の社会学科学生としてやっていくためには
- 講義を聞く:フスハー、フスハーとエジプト方言の混合体(中間体)、エジプト方言
- 本を読む:フスハー
- 文章を書く:フスハー
- 教官・エジプト人学生・大学職員などと会話する:基本的にエジプト方言、フスハーは向こう側からしてくれた時と自分から頼んで相手が応じてくれた時のみ
- 他国留学生と会話する:主にフスハー、時にはエジプト方言
- フスハーで流暢に会話する能力:フスハーを多用するとたいてのエジプト人は嫌がる・困るので特に必要無し、大学内外で円滑な人間関係を築きなかなか仕事をしない事務員に動いてもらうなどするにはエジプト方言が上手くなった方がずっと得
といった感じで、文語と口語を使う分ける形となります。
アラブの大学に学生たちがフスハーでディスカッションするような機会はまず無い
日本の基準で考えてよく誤解されがちなのが「小池氏だって大学に通っていたならゼミで散々フスハーのディスカッションをしていたはずだ」という点です。
エジプト人も含めアラブ人のほとんどは大学の講義で他の学生とがちがちのフスハーでディスカッションを行うということをしないのですが、それ以前にカイロ大学はマンモス大学なので基本的に大きな階段教室でずらっと並んで先生の話を聞きノートを取って必要な場合には質問をするという形式となっています。
全部の授業がひたすら受け身とまでは言いませんが、アラブ世界でも大学で学生のフスハー会話能力やディスカッション能力が上がらないことが社会問題化しているぐらいなので、「カイロ大学に通えばフスハーでディスカッションする機会ぐらい繰り返しある」とか「カイロ大学に4年通って卒業するとと通訳をこなせるぐらいにはフスハー会話能力が上がる」は誤解に当たります。
上のような環境では意識してフスハーを鍛錬して家庭教師をつけたりして別途学ばないと純度の高い硬度なフスハー会話能力は習得できないです。
アラビア語学科留学生と社会学科留学生の違い
フスハーの比重が大きくフスハーに専念しやすいのがアラビア語学科、社会学科はエジプト方言の存在感が大きめでフスハー会話は優先度が最後
アラビア語学科だと先生もたいていはフスハー会話が堪能で混合体(中間体)を使うとしてもエジプト方言要素が少なめで、エジプト人学生でもフスハー会話が上手い人が集まっているため相手をしてくれやすく、各国から留学生が集まる学科ということでエジプト方言習得を捨ててフスハーだけに専念することも可能です。
しかし社会学科ともなればアラビア語事情はかなり違うので、フスハーとエジプト方言に取り組む分アラビア語学習の進度は落ち効率も悪くなりがちです。そうなるとアラビア語学科卒業生とは違い無くても構わないフスハー会話の部分がまず最初にカットされることになってきます。
元々エジプトはアラビア語を使っていなかった人たちが住んでいた国で、オスマン朝期は国政や社会の上層部においてトルコ語が広く使われ文語アラビア語の権威は低下していました。
エジプトはフスハーを話せない人が多い国で、社会学科は外国人留学生が流暢なフスハー会話力を求められるような環境ではない
近代以降にアラビア語が復権しフスハーの重要性も見直されて今に至りますが、現代エジプトでは「フスハーを話せないなんてみっともない」という風潮は強くなく「ج(j)の発音が g でも恥ずべき点は一切無い、これはれっきとしたフスハーだ」だとしてエジプト的アラビア語を堂々と使うお国柄です。
社会学科で口頭試問のテストがあってもエジプト人学生などと同じくフスハーとアーンミーヤが混ざったアラビア語で言うべきことを言えばそれで十分で、フスハーを話せず責められるということは考えられません。
なお、近頃のアラブ世界ではアラビア語学科ですらもアーンミーヤで講義をする教官がいたりフスハーに親しむ時間が少なかったりでフスハー会話が得意でない学生たちもいます。一方で本人が読書・文学好きだとか親が意識して幼少期からたくさんの本を買い与えたといった理由から医学系や理工系などでもフスハー会話がに担当な人もいたりで状況はまちまちです。
なのでアラブの大卒者が漏れなく皆揃ってフスハーで話せるというような国もどこを探しても無いです。
通常はどのぐらい勉強するとフスハーとエジプト方言が入り混じったカイロ大学の講義に対応できるか?
日本でアラビア語学習を始めた人の場合の習得年数について
管理人の経験からすると、日本でアラビア語を学習する人の場合は先にフスハーを3~4年、フスハー学習の3~4年目の時に並行してエジプト方言を学ぶという順番にすれば、テレビ番組や大学講義で話されるエジプト方言ないしは文語-口語混合体(中間体)のリスニングもがだいたいできるようになるものと思われます。
幸い大学の講義というのは本格的なエジプト方言知識が必要なテレビドラマと違い語られるテーマは決まっていてフスハー学習で語彙を習得しておいて残りのエジプト方言の基礎表現が理解できていれば対応可能です。フスハーで専門書や教科書を読み内容が理解できないと講義内容も聞き取れないので、やはり一番大事なのは文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)能力の「読む」「聞く」「書く」方だと言えます。
管理人は今では色々な国の大学講義やアラビア語レクチャーの動画を理解できるようになりましたが、フスハーを日本で数年学んで現地方言がほぼできないまま留学した時にはきつかったので、エジプト方言なり留学先地域で話されている口語の知識が欠かせないことは確かです。
なお常識的に言って1年程度ではどんなにアラビア語の才能があってもカイロ大学の授業についていくのは無理だと思います。
個人的な経験やごく一般的な情報などを総合すると、アラビア語経験がそれまで無かった人が突然留学してカイロ大学の社会学科で正規学生として単位を取っていくにはエジプトに渡航した後フスハーとアーンミーヤを学んでおかないと厳しく、両方を同時進行でみっちり学び2~3年ぐらいかけてようやくついていけるかどうかの状態に達する感じなのでは…という気がします。
実際にカイロ大学アラビア語学科を卒業された小笠原良治先生はカイロ大学入学前に3年間アラビア語教育を別途受けて準備されたとのこと。それでも3年というのはカイロ大学で本格的なアラビア語語学の専門書を読んで授業についていくというのは、相当大変だったものと推察されます。
一方社会学科はアラビア語学科ほど高度なアラビア語文法能力は必要ありませんが、やはり最低でも2年はアラビア語に全力投球してから臨むというのが常識的な準備スケジュールだと思われます。
小池氏伝記での述懐
小池氏自身は自著『振り袖、ピラミッドを登る』において、試験問題がエジプト人教官たちの手書き文字がガリ版刷りで判読が難しく判読できても問題の意味が理解できなかったため暗記をした文章を書き込むという形で対処したと書かれているとのこと。
エジプトに渡航し短期間の準備でカイロ大学に入学し、アラビア語専攻学生でも十分準備しないとついていけない現地大学での文語・口語混じりの授業と慣れが必要なアラブ人の手書き文字とに突然直面し、相当苦労された模様です。
パソコンが普及した今では教科書もプリントも非常に読みやすいフォントで文章が書かれているので実感しにくいですが、アラブ人の手書き文字というのは書籍の活字体とは大きく違う上に個人差があるため、アラビア語学習歴が1~2年の段階で色々な科目の先生たちの作った試験問題を読むだけでも大変だったのではないでしょうか。
現在のカイロ大学社会学部の講義で話されるアラビア語の種類
社会学科の授業は大半がエジプト方言メインで資料の音読のみフスハー
カイロ大学における社会学科の学生が受ける講義で各教員がどのようなアラビア語を話しているかについては、YouTubeにあるカイロ大学の社会学ブレンディッドラーニング(ブレンド型学習)チャンネルで疑似体験できるようになっています。
- محمد صلاح الدين 先生:フスハー(発音や抑揚はややエジプト風、がちがちの文語ではない)
- محمد ربيع 先生:エジプト方言(口語色がやや強く口語学習経験が無いと専門用語しか聞き取れない可能性あり)
- نورا سعيد 先生:スライド読み上げはほぼフスハー(ただし語形など母音位置がエジプト口語のそれになっており口語要素が入っている)、それ以外でエジプト方言が少し登場
- أحمد بدر 先生:フスハーにエジプト方言要素が少量混在
- ليلى البهنساوي 先生:スライド読み上げ時はフスハー度が高いがエジプト方言混入あり、それ以外のトークは多少かしこまった感じはあるがエジプト方言(比較的聞き取りやすい)
- محمود الكردي 先生:フスハー寄りのエジプト方言ミックス
- كمال التابعي 先生:かしこまった感じはあるがエジプト方言
- ابتسام علام 先生:フスハーとエジプト方言ミックス
- سناء بدوي 先生:フスハー寄りのエジプト方言ミックス
- عبد الله أحمد عبد الغني 先生:ほぼ全編スライド読み上げなのでエジプト風発音でのフスハー、普通のトークはかしこまった感じはあるがエジプト方言(データシート入力方法解説などだとスライド読み上げ講義よりも口語色がやや強まったエジプト方言)
- عصام جميل 先生:エジプト方言、スライド読み上げはフスハー寄りになるものの他の教官に比べるとやや口語寄り
- علي المكاوي 先生:フスハー寄りのエジプト方言ミックス(やや早口)
- عبد اللطيف محمد خليفة 先生:フスハー寄りのエジプト方言ミックス
- شريف محمد عوض 先生:最初はフスハー色が強めだったりするが、話しているうちにエジプト方言が濃くなってきたりも、そしてエジプト方言寄りになったかと思うと語尾の格変化という文語要素が顔を見せたりと変化が大きめ
- عبد الحميد نجم 先生:スライド読み上げはフスハー寄りになるものの、トーク部分は専門用語を多用するためかしこまった感じは多少するがエジプト方言
といった具合にフスハーだけで話し続ける先生はほぼいないことがわかります。
エジプトアクセントや口語語彙を多少含むフスハーからほぼエジプト方言まで色々な度合いのアラビア語が用いられており、文語アラビア語と口語アラビア語双方の対応能力、文語・口語がどんな割合で混ざっていても理解する能力が求められることがわかります。
カイロ大学社会学科講師陣が話すアラビア語から推測できる必要なアラビア語レベルとは?
通常の日本人学生の習得スピードからすると、カイロ大学社会学科講師陣のフスハー、フスハー+エジプト方言、エジプト方言の全タイプに対応して漏れなく聞き取ってノートもしっかり取るには、日本の大学にあるアラビア語専攻所属で留学経験のある5~6回生のうち特にアラビア語が得意な方もしくは院生さんぐらいの運用能力が要るのではと思います。
文語と口語が色々な比率で混ざりあったアラビア語の全てを理解するというのはアラビア語専門家らの聞きやすくクリアなフスハーに比べるとかなりリスニングが難しい部類に入り、フスハーの純度が高いアラビア語学科あたりの講義で話されるアラビア語とはかなり違うため、社会学科でやっていくとなるとリスニングに関しては文語・口語二刀流にならないと厳しいのではないでしょうか。
カイロ大学の社会学ブレンディッドラーニング(ブレンド型学習)チャンネルを見る限り、数は多くないのですがかなりエジプト方言色の強い先生もいらっしゃって、そういう講義はフスハーしかやっていない人にはほぼ聞き取れない可能性が高いことから科目落第のリスクも高いように見受けられます。
そうした文語と口語が混ざった環境についていくためには極めなくても困らない部分を後回しにして重要な技能に注力せざるを得ない訳ですが、文語(フスハー/正則アラビア語/現代標準アラビア語)の読む・聞く・書く・話すと口語(アーンミーヤ)エジプト方言の聞く・話すの各技能のうちどれかを切り捨てる選択をする場合、エジプト社会で使う頻度が低く使わなくても落第に直結しない「フスハーでの会話能力」を真っ先に後回しにするというのが通常の対応になるかと思います。
ただ社会学などは日本語や英語で書かれた教科書が昔からあり資金さえあればアラビア語で書かれた同ジャンルの本を読むための参考書として横に置いて勉強することができることから、そのような環境を整えられないアラビア語学科などよりもその点に関しては楽なのかもしれません。
カイロ大学を卒業した日本人はすぐに通訳になれるのか?
特定分野を専攻した非ネイティブのアラビア語は偏っている
アラビア語通訳になるための集中的な訓練を何年も受け続ける外務省員を除けば、日本人でアラビア語にかかわる勉強をしてきた人たちは何らかの特定ジャンルに特化して本や資料を読むということを長年繰り返してきた層がほとんどです。
そのため大学などで初級~中級フスハー文法を学んだらすぐにニュース記事や歴史資料の講読授業に入り、そのジャンルの語彙ばかりがやたらと増えていくことになります。
日本のアラビア語学習界隈では「ニュース記事ばかり読んでいるので爆破とか攻撃とか物騒な単語ばかり知っているとネイティブに笑われた」とか「歴史研究をしているせいで歴史用語はスラスラ出てくるのに日常会話表現を知らないので何年経っても会話が苦手だ」などは学習体験談の定番ネタともなっているほどで、自分が専攻していない分野のアラビア語語彙・表現を身に付けるには日本在住であれ現地留学中であれ自主的な努力する必要があります。
カイロ大学は通訳になれる技能を養える場所ではない
アラビア語の勉強やアラビア語圏の大学に留学しただけだと話す訓練はほとんど受けずアラビア語学科や宗教大学でないと文法なども詳しく教わらないため、本格的な通訳になる時点でカイロ大学の勉強では特に必要が無かったフスハーでの会話を実務レベルに引き上げることになるかと思います。
特に日本人が通訳と聞いて思い浮かべるのは最も難易度が高いタイプの同時通訳(アラビア語を聞きながら同時進行で即時に日本語にしていく)なので、これについては何年もの訓練と実務経験を要するため素人の人がすぐできるようにはならないです。
またカイロ大学はマンモス大学で会談授業に座って先生の講義を聞く作業が多いため、実用的なアラビア語の運用能力は「少人数制の語学学校で4~5年みっちり学び家庭教師もつけて、さらにはエジプト人家庭にホームステイもしてフスハーとアーンミーヤのエジプト方言を鍛えまくった」という人の方が上回る可能性があります。
なのでカイロ大学を卒業したからといってアラビア語能力に一切死角が無いスーパー人材が育ち卒業後すぐに外務省の現役書記官並みの外交通訳ができる、という風には考えない方が良いと思います。
日本におけるアラビア語通訳の内容と必要な技能レベル
日本でアラビア語の同時通訳をしている方たちというと、カイロ大学の日本語学科で学び日本人と結婚して日本に20年、30年と住んでいるネイティブ、アラブ人と日本人のハーフで多くの年数を現地で過ごし現地校を卒業された方、家庭の都合から現地の学校・大学を卒業した日本人といった顔ぶれです。
留学経験がありアラビア語のできる日本人(主にアラビア語専攻やアラブ文学専攻)が行っている通訳の仕事はイベントや放送を聞いて日本語に直す逐次通訳が多く、同時通訳に比べると難易度が低めです。アラビア語をやっている学部生や院生たちに声がかかるのも似た系統の逐次通訳業務である放送局やイベントでの通訳手伝い、来賓のアテンド的なものだったりします。
小池氏は若い頃は要人のアテンドやアラビア語講師などをされていたようですが、業務内容からして同時通訳並みのスキルは元々必要無かったものと思われます。
「本当に通訳できていたのか?」という疑問の声はカイロ大学卒業・アラビア語習得の経緯や一般的な語学学習者が通訳レベルになるまでの期間と照らし合わせた際に整合性が少ないとされたために出てきたのだと思いますが、元々身内の伝手から始まった留学や仕事だったようなので、ごく普通のルートで通訳になる人とは違うなりに持ち前の胆力と工夫で乗り切っていたのかもしれません…
アラビア語の通訳といっても非常に高度な技能が無いと難しい外交や会議での通訳からイベントや来日アラブ人のお世話役まで様々です。「これは自分には無理だ」と判断して断るか、どんどん引き受けて実績を作りチャンスにつなげようとするかは人それぞれなので、通訳経験があるといっても皆が同じようなアラビア語技能を備えているとは限らないように思います。
文章の骨格と語彙さえ合っていれば多少の活用・複数形・性別間違いや発音位置ずれ程度では十分通じるアラビア語
「アラビア語の発音がなっていないと言っていることは相手に通じない」「教科書通りの発音ができていない人はアラビア語がわからない証拠」は小池氏批判のために誇張されている独自設定なので、外国人が話すアラビア語の問題についても詳しく確認してみたいと思います。
ちょっと違っていてもアラブ人が理解してくれる理由
アラブ人は構文や語彙が大きく間違っていると学習者による精一杯のアラビア語会話にも「???」という反応になるのですが、ネイティブ自身もアルファベットの発音を皆完璧にできるわけではなく方言ごとにフスハーの発音と違っている文字が何個もあるため、文章が合ってさえいればフスハーの完璧な正しい発音から外れた程度で理解できなくなることは決してありません。
*ただし語形が似た変な単語(主に卑猥語)と同じ発音になると笑われたり、日本人大使の談話動画に投稿するコメント欄で「話すのは上手いけどアラビア語発音ができていない日本人発音」「サムライ発音」と茶化している人もいます。
そもそもアラビア語は世界各地のイスラーム教徒が学ぶ言語であることから、とにかく意思疎通できることが大事で多少の発音ミスには寛容です。
アラブ世界はネイティブ発音でなくても活躍している人たちであふれている
アラブ世界はアラブ連盟加盟国が多いこともあってアラビア語を話す外務省の大使も大勢おられるのですが、「私は会話は得意ではないのですが」と前置きをしつつも現地テレビに出演し長時間インタビューに対応するなどして情報発信を行い、人柄や活動ぶりがアラブ受けして現地で国民的な人気を得てブームになった事例すらありました。
日本から比較的近い地域である中国の方たち(多くがイスラーム教徒)も大勢アラブ圏に留学していますが、中国語風の発音・イントネーションを残したままでも積極的にアラビア語で会話し中東研究・外交・商業といった各シーンで活躍。アラブ世界における中国の目覚ましい進出を支えています。
アラビア語学習と発音スキル評価の問題
日本のアラビア語教育では昔から文字の書き順以上に正確な発音の教授というものが行われてきませんでした。フスハーの正しいアラブ式発音をほぼ完璧にできるのはイスラーム留学してクルアーン(コーラン)朗誦の免許が皆伝されたような人たちぐらいで、調音部位に関する本や動画を長年見続けて発音矯正をした管理人であってもその道のプロからは程遠くあくまで素人でしかありません。
日本式アラビア語教育カリキュラムの関係から日本人アラビア語既習者でも完璧なネイティブ発音はマスターしていない方が普通なので、日本のアラビア語界隈もネイティブ顔負けの発音を要求するような風潮はありません。
なので小池氏の発音の正確性を過度に指摘し「発音すらできていない=日本人学習者としては極めて低レベル、ろくに話せないことの証拠」と誤認させる解説があるとすればかなりの注意が必要かもしれません。
アラビア語という言語は、文字のつづりや発音でつまづいてしまって挫折する方がとても多いです。相手に通じる程度に覚えればひとまずは十分なので、学習者の皆様も気兼ねせず楽しんで少しでも長く継続するという部分を重視して取り組んでいただければと個人的には考えています。
アラビア語を忘れるということについて
過去に頑張ったとしても使わなければ着実に衰えるアラビア語
管理人は「昔カイロ大学を卒業してアラビア語通訳をしていた人は、通訳業をやめて政治家になったとしても生涯アラビア語ですらすらと討論ができる」とは思わないです。というのも自分自身が「あんなにやり込んで留学までして覚えたアラビア語を放置していたらアルファベット順までとっさに言えなくなった」という体験を実際にしたためです。
自分の場合は使わなくなったアウトプット分野である「話す」と「書く」が特にだめになり、卒後10年以上経った時点で突然壇上に立たされスピーチしろと言われたら、学生時代のアラビア語の成績にはとても見合わないような醜態を晒していたと思います。
語学や現地留学をしたうちの大勢が実感されたことがあると思うのですが、大学以降に習得した言語というものは、帰国子女の幼児が住んでいた地域の言語を忘れ去るのとはまた違った形ではあれ、使わなくなるとあっという間に衰えます。放送通訳やイベント通訳程度を請け負えるぐらいに上達したはずが、離れた途端に語彙数がどんどん減っていきかつてできていたはずの会話も5年後、10年後にはすっかり衰えていた、という方も珍しくないのではないでしょうか。
「語学を一度極めたのなら卒業から50年経過してもアラビア語がすっと出てきて討論会でも流暢に話せで難なくこなせるはずだ。それができなければカイロ大学を卒業していない証拠だし、通訳をしていたのもハッタリで周囲を騙していたと証明できる。」というのも、語学・留学経験が無い受け手に「小池氏は最初から全然アラビア語ができなかった。今も話せないのなら全部嘘だった。」と印象づけるためのトリックとして使われているに過ぎないとの印象です。
「話す」と「書く」は小池氏に限らず外国語をかつて学んで留学や仕事に使ったもののその後数十年ほぼ放置していた人たちをほぼ確実に公開処刑状態にできる手段なので、小池氏を告発している側の方々もある程度承知の上で「50年経ってもフスハーでスピーチできなかったら卒業は詐称」とか「50年経っても作文できなければ卒論を書けなかった証拠だから卒業は嘘」と言っている可能性があるかもしれません。
アラビア語は月数回程度の公務ではとても維持できるようなものではなく、卒後も関心を失わずアラビア語のジャーナルやニュースに目を通す生活をしていたとしてもアウトプット機会が少ないために会話・筆記能力は落ちる一方で、書籍・雑誌のアラビア語文章には発音記号がついていないこともあり定期的に文法復習をしないと格変化や動詞派生形といった実務では使わなくなる文法項目は忘れていきやすいです。
小池氏アラビア語の検証記事・コンテンツを作られている方たちも同様に現役学生ならしないようなアラビア語の文法・聞き取り・音読などの誤用を多数されており、その中にはおそらく学生時代から元々苦手だったであろう文法項目もある点、長年が経過して何らかの衰えがあるという点では程度こそ違うものの小池氏と同じであり、自分たちも忘れてできなくなっていることがあるのに卒後50年の小池氏だけに極めて高度な技能の維持を要求するのはやり過ぎなのでは…という気がします。
*ジョン万次郎も晩年には英語をだいぶ忘れてしまったと言われていますが、アラビア語についてはイラク出身アラブ人であるザハー・ハディード(ズハー・ハディード、慣用カタカナ表記:ザハ・ハディッド)氏などは晩年アラビア語があまり話せなくなってしまっておりイラクメディアにもいつも英語で対応していました。
ネイティブでも大学に入った後は忘れていってしまうフスハー文法
アラビア語の文語(正則アラビア語、フスハー)はネイティブの多くが日常生活でも仕事でも使わないことが多く、エジプトなどもそうした傾向が強い国として知られています。
一般的にアラブ人は大学進学を決めるための統一試験の時がフスハー能力のピークで、日本人が大学受験後に英文法を忘れていくのと同様、アラブ人も大学入学後は高校までに習ったフスハー学習の内容を次第に忘れていってしまいます。
それが大卒・院卒アラブ人でもフスハーの文法間違いをよくする原因の一つでもあるのですが、小池氏のアラビア語を検証するからといってネイティブでも卒後50年では忘れているような細かい文語文法まで指摘しだすとやり過ぎに当たるため、この手の検証や追求は意外と加減が難しかったりします。
小池氏が仮に真面目にカイロ大学に通っていたとしても、社会学科の授業をこなせさえすればいいので、卒後50年の時点で当時の学業にすら必要なかったはずの「高度な内容をフスハーで話しアラビア語で長時間ディベートする」といった技能や「中級~上級フスハー文法を全然間違えない」といった要求は、むしろウィークポイントを知っている人が揚げ足取り目的で意図的に設定した攻撃ポイントであるとアラビア語業界関係者に受け止められる恐れがあるかもしれません。
アラビア語は使わなくなっても得意だった部分と苦手だった部分自体は変わらない
上のような理由から「小池氏が今でもペラペラしゃべれないのはおかしい」という言説には同意できないのですが、「しゃべれなくなったとしても過去にフスハー文法が得意だったかそうでなかったかといった片鱗はたどたどしいなりに会話の中に表れているのではないか?」という推測は間違っていないとも感じます。
管理人は過去に一度長いブランクがありアラビア語から完全に離れていたのですが、普段わざわざ言わないアルファベット順などを言えなくなくなっていました。ただ時々耳にするアラビア語のニュースを聞き取ったりアラビア語の入門書を開いたりすればそれなりに理解でき、ごく簡単な会話は突然アラブ人に話しかけられてもできたので、元々できていたことや繰り返しにより十分定着していたことは年数が経っても断片的ではあれ残りやすいのだと思います。
なのですっかりさびついて話したり書いたりするのが難しくなったとしてもたどたどしくなったアラビア語にはその人のアラビア語技能のかつての姿が見え隠れするものであり、小池氏についてもキャスター時代に出版された著書と後年のアラビア語会話で間違える箇所がだいたい同じだというのも、それが同氏の元々の苦手ポイントだったからなのだと考えられます。
小池氏は元々フスハー文法が得意ではなかったことは公言されておりその痕跡が本や動画からは見て取れるのですが、そもそも若い頃に行っていた業務内容からすると純フスハーで長時間討論会や本格的ディベート(注:エジプト人大卒者の大半が苦手です)するほどの会話能力は要らず、卒後50年時点でフスハーによる時事討論をさせるというのは、50年前にカイロ大学を卒業したとか若い頃に通訳的なアテンドをしたことの証明などととしてはハードルを上げ過ぎな過大要求に当たる気もします。
小池氏告発キャンペーンが何年も続くことで次第に要求されるレベルが上がってきてしまっているだけで、本当は簡単な読み・リスニング・文法などの選択問題をしてもらって過去にどの程度できていたのかの推定をする方がずっと現実的なのかもしれません。
アラビア語はお腹いっぱいになって興味を失う人も多い
小池氏については「元々できたのなら、アラビア語を勉強し直せば都議会でも上手に話せるのでは?」「都議会の質疑のためにどうしてアラビア語をやり直さないのか?」という声もあるようです。
自分自身の経験もあって昔基礎固めをしたことがある人は再勉強すれば回復期間が短くて済むとの実感はありますが、アラブ圏特にエジプトというのは留学経験者が「現地人と長年接していたら疲れてしまった」「アラビア語はもうお腹いっぱいでまたやる気になれない」「興味津々だったかつてのキラキラした意欲はどこかに消えてしまった」「エジプト人と関わりたいとあまり思えなくなってしまった」「本当はもうアラブ人とアラビア語で話したくない」となりやすい土地柄でもあります。
小池氏がアラビア語を勉強し直してある時突然都議会や街頭演説でアラビア語をしゃべりださないのも、卒業問題に触れてほしくないという以外にまた本格的にアラビア語をやろうという気に全くなれないからなのかもしれません…
小池氏はアラビア語に比べると英語の会話はずっと流暢です。アラブ世界はアラブ人が就職機会を得ようと競って我が子に英語を習わせようとする風潮が広まってきていたり、多国籍なビジネスシーンでは英語が使われたりと、外国人がアラブ人相手に外交やビジネスの話をする程度なら英語が使えれば困らない社会になってきています。
それも小池氏がアラブ世界意外との外交にも必要でなにかと便利な英語を使い続け、使えなくても困らないアラビア語能力の維持やブラッシュアップに熱心でないように見受けられる原因の一つかもしれません。
現在のカイロ大学カリキュラムと成績・卒業のシステム
検証記事・コンテンツでは作成者がカイロ大学の卒業関連規則を調べないまま単に日本とのシステムの違いでしかない部分を「おかしい」「小池氏詐称の証拠」としていることもあります。
カイロ大学文学部内規やカイロ大学学内向けの通知そして学生・卒業生たちのSNSポストなどを見ればわかるのですが、エジプトの国立大学の卒業関連システムは日本とはだいぶ違っており小池氏検証記事だけ読むと誤解をしてしまう可能性が高いです。
ここでは、カイロ大学社会学科をメインにアラビア語授業履修から卒業証書の取得までの流れを改めて確認してみたいと思います。
入学
エジプト人の場合
エジプトでは高校を終える生徒たちが受ける高校卒業資格認定試験・統一試験「サーナウィーヤ・アーンマ」(الثانوية العامة [ ’ath-thānawīya(tu)-l-‘āmma(h) ] [ アッ=サーナウィーヤ(トゥ)・ル=アーンマ ])の成績に基づいて進学先が決まります。
アラブ諸国にはだいたい似たような統一試験があり国によってはタウジーヒーと呼ばれたりもしているのですが、社会的名声があり家族から望まれがちで就職の上でも有利な医歯薬系や工学系の学部・学科に進めるかどうかはこの点数で決まるため生徒たちのプレッシャーやストレスは尋常ではなく、予想外の難問が出て試験後に号泣してしまったり、時には悪い結果が出て悲観して命を絶つ生徒もいるなど、多くのアラブ人にとって人生で大きな意味を持つ試験ともなっています。
カイロ大学文学部の2023/2024年度新入生向け案内によると、社会学科は文系ないしは理系のサーナウィーヤ・アーンマで最高得点帯(أعلى مجموع)だった人たちから130名を選抜。外国人/留学生(الوافدون)枠は10名と書かれています。
留学生の場合
カイロ大学の留学生向けページでは、外国生活の大変さに理解を示す言葉や大学生活を応援する準備があることを強調したメッセージとともにカイロ大学で学ぶことの魅力や入学条件などが示されています。
エジプト人ではない外国人学生がカイロ大学に入学するには
- サーナウィーヤ・アーンマもしくはそれと同等の資格を有している。
- アラブ諸国や外国の大学から学部生が入学する場合は大学での成績や高卒の証明書を提出する。
などとなっており、日本人については日本の高校卒業資格もしくはカイロ大学に入学するまでに通っていた大学での成績などをチェックされる仕組みになっていることがわかります。
サーナウィーヤ・アーンマは日本のシステムとは違いますが、昔あった大学センター試験や現行の大学入学共通テストに似た試験で、進学できる大学と学部・学科が決まるためエジプト人生徒とその家族にとっては人生の一大イベントともなっています。
ちなみにカイロ大学の留学生受け入れ条件を記載した文書では、アラビア語能力の有無や詳細については特に記載は見当たりません。「外国人留学生はアラビア語でやるカイロ大学に突然入っても授業にはまずついていけないんだよ」とかカイロ大学職員が言ったりしたとしても、制度上はアラビア語能力試験を課すということはやっておらず、日本の高校や大学にいた時の成績で審査されるらしいことが読み取れます。
入学祝い
総勢約26万人の学生が在籍(2023年秋時点)しているカイロ大学では毎年9月末~10月初め頃に進学年度がスタート。初日には新入生たちを歓迎する催しが企画されているのだとか。
カイロ大学2023年秋の新入生歓迎フェスティバル
新入生が大学に入学するのに合わせて上級生たちが展示やパフォーマンスをしたり警察の楽隊が演奏をしたりと、大きな講堂に大集合する日本の入学式とはまた違うようですが、サークル勧誘と大学祭が合わさったような楽しそうな様子が写っています。最後の方には各学部の建物前に皆で並んで記念撮影らしきことをしているシーンも。
アラビア語の履修
カイロ大学文学部のアラビア語授業
カイロ大学文学部公式サイトの各種資料によるとアラビア語は1年次と2年次。授業コードが ArtsArab1 と ArtsArab2 となっていますが、Arts を含むことからおそらく文学部共通のアラビア語科目コードなのだと思われます。
2023/2024年の社会学科時間割表によるとアラビア語の授業は階段教室で実施。皆でずらっと並んで先生の話を聞いて、学年末の5~6月に他の科目と一緒に試験を受ける模様です。
アラビア語に割り当てられた時間数は1年次、2年次ともに2時間ずつとのことですが、アラブ世界で「大学学部の時のアラビア語授業の時間数が少ないせいでアラブの若者はフスハーを使える能力を備えないまま社会に出ていく」と言われているだけあって確かに少ない気がします。
そのため、このアラビア語科目を受けるだけでは留学生の文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)の運用能力が劇的に飛躍するというのは難しいものと思われます。
エジプト人学生とアラビア語を始めて間もない日本人留学生とのフスハー能力格差
エジプト人学生たちは小学校から高校までアラビア語の授業を受け、フスハーの文法や読む・書くの2技能を養います。
エジプトには高卒時に大学入学を決める重要な統一試験サーナウィーヤ・アーンマのために正則アラビア語(フスハー)の能力を引き上げ人生における最大限・ピーク状態まで持っていくのですが、勤勉でアカデミックな家庭に育った生徒は別途趣味の読書・創作・執筆活動を通じてフスハーの高い能力を養っており、サーナウィーヤ・アーンマのアラビア語科目でも高得点を獲得、通常エジプト人生徒たちが得意にはなれないフスハーによる会話も苦労なくできるようになっていることもしばしばです。
エジプトの大学課程のアラビア語授業は小中高の蓄積の延長として学ぶものなので、外国人留学生が1~2年次に受けて試験にも及第するとなると、カイロ大学入学前に数年の文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)学習歴が必要になってきます。
自主的に外国人向けのアラビア語教本を読んだりエジプト人家庭教師について文法を学んだりしない限り、カイロ大学に通いながら様々なジャンルのフスハー語彙力・作文能力・会話能力が劇的に総合的に向上するということは正直なところ難しいものと思われます。
▶カイロ大学通学で必要となる文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)と口語アラビア語(フスハー)については、先に『カイロ大学に通うために必要なアラビア語能力とは?』で述べた通りです。
留学生の扱いとアラビア語能力への配慮
カイロ大学文学部内規PDFの19ページによると、現在の文学部は外国語学科の外国語授業を除いてアラビア語で授業を実施。
ただ留学生でかつ非アラブ人・非アラビア語話者の学生には優遇策があり、学科と学部が認めれば外国語(ここでは英語などを指しているかと思います)で講義や試験を行うことが可能だとされており、通常1~2年生で受講するアラビア語の試験を卒業前の学年まで延期することも可能だとか。
ただ留学生特例はルールとして一応規定されているものの、実質的には留学生たちもエジプト人学生らと同じ講義に出席することになるのでは、と思います。
総合成績と留年
出席率
カイロ大学の公式文書によると文学部はそれぞれが独立した二期制で、どちらの学期とも15週間。4年間で8学期という合計に。
カイロ大学文学部内規PDFの19ページには、どの科目も75%以上の出席が義務とされており、やむを得ない事情があるのと証拠を提出しない限り警告が出され、3回の警告をもってしても出席してこない場合は科目担当教官の要請によりその科目の講義に出禁となる旨が書かれています。
この記述からは、学外でバイトをしてテスト期間だけ出てくるということは制度上はできないようになっていることが読み取れます。
成績の各段階と対応する評定点
大学の規定(詳細:カイロ大学文学部内規PDF)によれば、アラビア語、外国語、社会学など大学から課された授業のテストを定められた日時に受験しその結果が出ると、それらを元に100点満点の総合成績
- 優秀(ممتاز)ムンターズ:90以上
- 大変良い(جيد جدا)ジャイイド・ジッダン:80以上90未満
- 良い(جيد)ジャイイド:65以上80未満
- 可(مقبول)マクブール:50以上65未満
- 悪い(ضعيف)ダイーフ:35以上50未満
- 大変悪い(ضعيف جدا)ダイーフ・ジッダン:35未満
がつけられ、6段階のうち下の2つは落第で、上の4つ「可(マクブール)」~「優秀(ムンターズ)」が及第。
小池氏が公開されたのは卒業証明書と卒業証書(学位記)2種類だけなので在学中どの科目で何点取得したかはわからないのですが、「10月期試験の結果を精査し学位が認定された」「良い(جيد、ジャイイド)」という旨が書かれているので、10月実施の卒業試験追試を受けることで足りなかった卒業所要単位を獲得し100点中65点以上80点未満の総合評価が与えられたという記録になっていることが読み取れます。
日本でいうと上から順番にS、A、B、C、D、Eの6段階評価でDとEを落第に設定している大学の成績に近く、その場合は小池氏の「良い(جيد、ジャイイド)」はBに対応していると言えそうです。
科目落第と留年
その学年で2科目よりも多くつまりは3科目以上落第した場合はその学年に留年(يبقى الطالب فى فرقته الدراسية إذا رسب فى أكثر من مقررين)、2科目以下の落第なら進級できるものの落第した科目が実施された時の学年の学生たちに混じってまたテストを受けて及第する必要があるとのこと。
科目の落第を前学年度から持ち越す形で溜め込んだ場合は次学年度の試験で及第することが求められ、全科目をクリアして落第していた科目で全部及第するか落第を2科目までに抑えないと、1個上の学年には上がるのは認められず。
学年に応じて留年・在学が許される年数も決まっている旨が記載されており、同じ学年を何度も繰り返すことはできず所定の年数分を留年した場合は退学処分になるというのはエジプトの国立大学共通のシステムである模様です。カイロ大学文学部の場合は
- 大学1年生:2年まで(*2回落第留年したら退学という意味かと。カイロ大学文学部内規以外に يُعرض للفصل النهائي من الجامعة(大学から完全に退学となる)との記載あり。)
- 大学2年生:国内で2回まで、海外で1回
- 大学3年生:国内で2回まで、海外で3回
- 大学4年生:国内で2回、海外で3回
という記載が内規にありました。
文語アラビア語(フスハー)の読む・書く・聴くと口語アラビア語(アーンミーヤ、エジプト方言)の聴く技能が十分に育っていない状況で入学・編入し留年が2回までしか許されないというのは、なかなか厳しい条件なのでは、という気がします。
4年次の試験期間と卒業決定
カイロ大学文学部は卒業所要単位をクリアすることで卒業が決まる
そうやって社会学科の4年生まで進級すると、エジプトの各国立大学で5月テスト(امتحانات دور مايو、May round exams(5月ラウンド試験群))や6月テスト(امتحانات دور يونيو、June round exams(6月ラウンド試験群))などと呼ばれている5月~6月期の試験期間があり、それからしばらく経過し旧学年度が終了した秋に9月テスト(امتحانات دور سبتمبر、September round exams(9月ラウンド試験群))や10月テスト(امتحانات دور أكتوبر)、October round exams(10月ラウンド試験群))などと呼ばれる卒業単位不足者向け試験期間が設けられており、その学年度の大学卒業者決定作業が終わる形になっているとか。
*現在のカイロ大学文学部内規PDFでは追試について「9月の試験」との記載あり。
エジプトのメディアによると大学課程に限らず本試験が「第1回(الدور الأول)」、そこで落第した生徒・学生もしくは理由があって本試験を受けられなかった人が受ける追試験は「第2回(الدور الثاني)」とも呼ばれており、大学については初夏実施分が「第1回(الدور الأول)」、秋実施分が「第2回(الدور الثاني)」に相当。どちらの回で及第したかは卒業証明書類にも明記されるため、学生にとってはかなり重要なポイントとなっているようです。
カイロ大学の色々な学部・学科のテストカレンダーを見てみると学部・学科によってばらつきがあり、9月か10月、遅いと11月にテストが実施されるというスケジュールになっているのがわかります。
カイロ大学文学部内規ではそれで及第して卒業所要単位を満たせば卒業が決まるといったことが書かれているのですが、学生たちの情報交換投稿によると11月にテストが行われる場合結果発表が12月で卒業証明書発行が1月にずれ込むなどするため、卒業を予定はしているもののまだ証書を持っていない4年生ということで就職を1年見送ることになってしまうのだとか。
現在のカイロ大学文学部規定や各学科の公式アカウント等には個人による卒論提出が卒業の必須条件だとの記載は無し
小池氏問題検証記事には「社会学科では昔も今も各自卒論執筆が全員に課されている義務で、書き上げないと卒業できない」とありますが、各個人が卒論を書く義務があるという話は文学部内規・現地ニュースの大学生向け案内記事・カイロ大学学生たちのSNS投稿では一切見当たらず…
そのため「大学の卒論を出し忘れた」といった話題がネットを飛び交っている様子も無いようでした。
卒業プロジェクトは学友と共同で取り組むことも多いらしいためよほどのことが無い限り及第点はもらえそうに見受けられるのですが、それ以外の筆記試験は個人で受け点数が足りなければ落単してしまうので、卒業プロジェクトを仕上げパスするのとはまた違った意味で筆記テストの方も大変そうです。
小池氏問題検証者の方は「カイロ大学では昔も今も各学生が卒論を提出しないと卒業できない」と解説しているようですが、エジプト式の「卒業研究」という日本式の「卒業論文」とを混同されているのか、それとも卒論が卒業最終決定要件になる日本とエジプトの違いを理解しながらも小池氏告発に使える材料だということで「卒論を書かなかったから経歴詐称だと断定可能だ」と脚色主張されているのかは当方には確認のしようが無いので不明です。
ただエジプトへの留学を考えている方にとってそうした誤った情報は参考にならずむしろマイナスになりかねないので、小池氏がらみで流通しているカイロ大学システム紹介は鵜呑みにせず、自身で大学規定等を読み込まれることをおすすめします。
現在のカイロ大学4年生に課されたフィールドワーク的な卒業研究プロジェクトと日本式卒論との違い
カリキュラム改革を経た今の新しい世代のカイロ大学文学部社会学科カリキュラムだと4年次後期(カイロ大学文学部内規PDF69ページ)に卒業プロジェクト(مشروع التخرج)なる社会学の研究・論考(بحوث اجتماعية)を行うフィールドワーク系の授業が用意されているそうで、他の講義と違いその卒業研究のみ筆記オンリーの通常試験ではなく口頭試問形式でテストが実施される(يؤدى الطلاب الامتحان فى هذه المادة شفوياً)との注意書きが添えられています。
実際のテスト予定について告知した4年生向け5~6月期筆記テスト予定表には「社会学研究(卒業プロジェクト)」(بحوث اجتماعية (مشروع التخرج))とあり旧カリキュラムでの科目名「実地訓練(フィールドトレーニング)」(التدريب الميداني)が併記されています。
管理人の方でカイロ大学文学部内規の全体をざっと読んだ後に必要な箇所を熟読してみたのですが、社会学科の項目には卒業プロジェクト(مشروع التخرج)の記載はあるものの卒業論文が義務化されているとか、各自が個別に卒論を作成・提出し及第しないと卒業できないといった詳細は書かれていませんでした。
ただ他の学科の規定や講義要項に「(各自、学生1人につきと受け取れる人称代名詞を使用)テーマを選び研究成果を提出する」「他の学生たちとセミナー(ゼミ)形式で集まり話し合う」「作文、口頭、修士論文提出時のような討論会、学生グループによるパワーポイント使用発表を行い、内容や考えについて質問が行われる」との記載があるので、筆記による卒論という形では統一されていないものの、卒業プロジェクトを避けて卒業を決めるというのはできない様子です。
管理人は実際に体験・取材しておらず正確な情報を持っているわけではないのでネットで調べてみたのですが、エジプトの大学では卒業前の5月などに「مناقشة مشروعات التخرج」という発表会・講評会があり教授陣の前でプロジェクトの成果を発表するシステムになっているとのこと。
エジプト人学生たちのネット上情報交換に「この卒業プロジェクトの研究発表と講評会に出席しないとまずい」といったことが書かれているので、これが最終的な及第を左右する日本の卒論代わりになる行事でありテスト表にもあった口頭試験に相当する可能性がありそうです🤔
社会学科卒業プロジェクトの内容についてはカイロ大学文学部内規PDF404ページで説明されており、社会学の研究活動・論文執筆訓練となっています。
現地報道によるとカイロ大学の卒業プロジェクトはこれまで学んだ内容を活かしてリサーチを行うだけでなく卒業後の就職に役立つことを目指しているそうで、理系学科ともなると皆で屋外に出て標本を採取したりと自分たちで決めたテーマで活動を続け、最終的には審査の結果優秀研究を行ったグループに表彰が行われたりと、カイロ大学の価値を高めるとともに同級生同士の団結が深まるようなイベントとなっているように見受けられます。
上の動画はカイロ大学農学部学生による卒業研究発表会の様子です。教授陣が学生の作成したボード・試作品を見たり口頭説明を聞いたりして総合評価するらしいことがわかります。
単に卒論を書くよりも実践的でプレゼン能力も試される課題なのが伝わってきます。なお日本では「カイロ大学ではみんなフスハーを使う」「卒業するまでにフスハーでプレゼンする機会が何度もあるため、カイロ大学に通っていればフスハーが話せるはずだ」と誤解されていますが、これは小池氏問題にからんで流布してしまった都市伝説の一種で、上記動画でも全員エジプト方言で会話しています。(ただしだいぶかしこまったタイプの口語アラビア語で、100%全開のこてこてエジプト方言よりもフスハー寄りな性質を帯びています。)
エジプト人学生と一緒に集団でテーマに取り組むなり個人で書き上げるなりして最後に口頭試験をパスするとなると、他の学生や教官の言葉を理解して最低限のことを頑張って話せる能力が必要で、フスハーでもアーンミーヤでも両者が混ざっていても、とにかくある程度の会話や質疑ができないとパスできないように感じます。
最終学年というだいぶアラビア語会話に慣れてきてからのことだとはいえ、もしグループ研究に混ぜてもらうとなると事前にエジプト人友達グループに入れてもらったり他の学生に交渉したりでエジプト人受けする性格やコミュ力まで必要になってくるため、外国人留学生(特に単独行動を好む物静かなタイプ)にしてみれば個人で執筆して提出したら完了という卒論とはまた違って結構大変なのでは…という気がしました。
エジプトの学生はフスハーを長時間話すのは無理なので、日本人留学生がこの集団プロジェクトを乗り越えるにはアーンミーヤの会話能力が無いと長時間共に活動する学生の輪にいまいち馴染めない可能性が高いです。
アラビア語に関する高度な知識が要るアラビア語学科も大変ですが、アラビア語学科は先生も学生もフスハーを話せる確率が高く、最悪の場合はフスハーだけで押し通せるチャンスもあり得るため、フスハーとエジプト方言の両立ができないとちょっと厳しそうな社会学科もまた別の意味でしんどそうだとの印象です。
なお、小池氏の在学当時はこうした新しいシステムが無かった時代に当たるかと思うのですが、最終学年でこれに代わる研究課題や口頭試問テスト類があったかまでは当方では未確認です。小池氏アラビア語・学歴問題検証記事は脚色が多く、実際には証人とされるエジプト人やカイロ大学が「今も昔も卒論は義務」とは言っていなかった恐れもあるため、この点については当時の内規を参照するなり利害関係も政治的意図も一切無い第三者が聞いて回って事実関係を確認する必要がありそうです🤔
カイロ大学なり個人宅なりどこかに1970年代の文学部規定集が残されているのならば、当時のシステムを確認できると思うのですが…
卒業
卒業式・卒業祝い
卒業に必要な成績合計がたまったことが確認されたら卒業が決定。現在のカイロ大学だと学部ごとの卒業式(例:カイロ大学2013年組社会学科卒業式)、首席やそれに続くトップ級卒業生(أوائل الخريجين)・カイロ大学内部における成績上位卒業者(الخريجون المتفوقون/الخريجين المتفوقين)の表彰(تكريم)などを開催。
昨今のアラブ諸国の多くでは卒業祝いは結構華やかで、学科の卒業生が一同に介し記念写真を撮ったり証書を受け取って同級生や家族に祝ってもらったりする写真・動画が毎年ネットやメディアで流れています。
昔はどのような形式だったのか、卒業祝いが行われていたのかはアラビア語で調べないと確認ができないのですが、1962年にカイロ大学法学部を卒業された男性が卒業時に黒いローブを着ている写真がネットで公開されていたり、書籍で1947年にカイロ大学医学部卒業時に卒業式が開催されたといった記述があったりするので、かなり古くから卒業式ないしは卒業祝いセレモニーがあったことがうかがえます。
また書籍の伝記・回顧録には「1947年にカイロ大学医学部を卒業した際、トップ7の成績を収めたので卒業式でファールーク国王と握手をした」とあり、首席とそれに続く成績優秀な卒業生たちが表彰される場が現在同様に設けられていたことがわかります。
そのため小池氏批判・告発に反論する形で出された記事「昔も今もカイロ大学には卒業式が無い」「カイロ大学には首席らを表彰するシステムが昔から無い」というのは現地情報を十分に確認せずに書かれた、もしくは小池氏援護のために事実と異なる内容が書かれた結果であると言わざるを得ないかもしれません。
エジプトに留学する予定の方は、真に受けて「エジプトの大学には卒業式が無い」と信じてしまわないようご注意ください。
カイロ大学卒業式の様子(経済・政治学部2023年卒業組)
カイロ大学についても「حفل التخرج」(卒業式、卒業パーティー)と呼ばれる卒業行事があり、黒い角帽と黒いローブを身に着けた卒業生たちが喜びを分かち合う様子を収めたビデオや、その年の卒業生たちのテーマソングつきイメージビデオの作成とネット公開、
またアラブ各国で「男女混ざって音楽をガンガンかけてダンスパーティーをするなどけしからん」と物議を醸したりもしている大学構内での音楽ライブ・ダンスパーティー光景を通じて、日本よりもむしろ盛大に祝い、合同記念写真・ビデオにもかなりお金をかけている様子をうかがい知ることができます。
*男女混ざって密集してダンスミュージックに合わせ踊りまくるという形式の卒業祝いは複数のアラブ国家で広まっている風潮ですが、イスラーム(イスラム教)諸国の伝統的価値観にそぐわないイベントであるため旧世代には不評で、メディアでも是非を問う議論がなされたりしています。なので今も昔も全く同じように踊りまくって卒業祝いをしていたとは考えない方が良いものと思われます。
国内諸大学成績優秀者たちの表彰イベント
各大学での卒業祝いや優秀者表彰に加え、現在のエジプトでは国内大学の優秀卒業者たちをスタジアムに集めて表彰するという豪華なイベント「يوم تفوق جامعات مصر」(Egypt’s Excellence Day Event)も行われているのだとか。
上の動画ではメディア学部首席らが司会役を務め、終盤ではそれぞれの大学の首席たちが背景スクリーンでの顔写真表示とともに「◯◯さん、~大学△学部首席」と呼ばれて壇上に立ち、大統領からトロフィーを渡される様子も写っています。(2023年に大統領が表彰した各大学首席の名前一覧は政府サイトで公開済。)
*ちなみに公的なイベントですがエジプト人だけの祝賀行事ということもあり皆フスハーは使わずエジプト方言(ややかしこまった感じ)で話しています。
証明写真・印紙つき暫定卒業証明書と手書き卒業証書(学位記)の発行申請と取得
卒業前の最終試験結果が出た時点で大学から卒業生課に卒業証明書・卒業証書(学位記)を申請するよう指示が出る
カイロ大学の各学部共通学生サービス細則(ただし詳しいことは書いてありません。)・各学部SNSアカウント内案内によると、卒業決定が大学から告知されると学生が自分で必要書類と料金を揃えて申請し、しばらくしてから発行される仕組みになっているのがわかります。
たとえばカイロ大学商学部が2017年9月25日に出した卒業予定者向けの告知(掲示プリント)では、2017年5月試験期間に所要卒業単位を獲得するための最終テスト本試験を受けた人たちに向けて、9月26日以降に所定の場所に写真や印紙などを持参しアラビア語で書かれた卒業証明書を申請するよう指示しています。(上でも述べた通り、エジプトの大学は卒業試験時期と卒業証明書発行時期とがかなり離れています。)
また同じカイロ大学では違う学部が5月試験卒業組に対して7月22日から卒業証明書申請手続きが開始する旨を告知するなど、色々なソースで確認してみると学内でも発行申請開始期日がまちまちとなっているのがわかります。「事務を円滑に進めるため」といった文言が添えられたりもしているぐらいなので、マンモス大学での業務を上手くさばくため学部ごとに卒業証明書発行時期を設定しているのかもしれません。
近年では電子申請サービスも提供されており、たとえばカイロ大学文学部だと卒業予定者/卒業生向け業務「خدمة التحصيل الإلكتروني لخدمات شئون الخريجين – كلية الآداب」のセクションで薄手の紙の卒業証明書や厚手の紙の卒業証書(学位記)が何枚欲しいかを申請できるようになっています。
卒業する際に初めて証明書類を申請する場合、エジプトの国立大学は薄手の卒業証明書と厚手の卒業証書(学位記)のセット申込みの形で支払金額合計として案内されていることもあるようです。カイロ大学はウェブサイトの案内があまり親切ではなく詳しいことは書かれていないのですが、マンスーラ大学商学部サイトだと、厚紙証書1枚+卒業証明書3枚+4年間の取得単位表(成績表)に経費を含めた440エジプトポンドが記載されています。
ちなみに下でも書いていますがエジプトの国立大学では厚紙証書(卒業証書、学位記)をもらうのに1年どころか2年以上待たされることも多いそうで、いつ手に入るかもわからないような証書の代金を先払いで徴収されることに不満を感じる学生もいるとか。
お役所仕事や大学の事務がささっと仕事をしてくれない上に完成した書類も完璧ではなかったりするエジプトやアラブ世界ならではのエピソードだとも言えますが、日本人留学生としてかつてカイロ大学に入学し博士号を取得した中田考先生は申請した学位記の受け渡しを「ボクラ」(明日にでもまた来れば;まあそのうちできるかもよ)を散々引き伸ばされ未だに受け取っておられないとのこと…
代理人による申請・取得や遠隔での申請と郵送
またカイロ大学も含めエジプトの大学は卒業証明取得の際の代理申請制度に触れていることがあり、本人からの公式な委任状や代理申請時に必要な証明証があれば家族や知人でも発行手続きを行うことができる模様です。
マンスーラ大学のように卒業時の初回は代理人ではなく卒業者本人が来るよう明記しているところもありますがカイロ大学は初回発行時から委任を認めているようなので、それについては大学の卒業生課の方針次第かのかもしれません。
さらにカイロ大学証明書の郵送による受け取りにも対応しており、海外にいても卒業証明書が入手可能という制度には一応なっているとのこと。
証明写真つきの薄い卒業証明書と厚紙の卒業証書(学位記)の違い
小池氏がメディアなどに公開してきた手書きの立派な卒業証書(学位記)はアラブ諸国で通称「الشهادة الكرتونية」(厚紙証書)や「الشهادة الجدارية」(壁掛証書)などと呼ばれている「الشهادة الأصلية」(オリジナル証書、original certificate)に該当します。一方、顔写真が添付された薄い事務用紙の方は一時卒業証明書/期間限定卒業証明書(شهادة التخرج المؤقتة、temporary certificate)と呼ばれているものになります。
卒業証書(学位記)は特別な手続き無しに発行され卒業式に間に合うように全員分が用意され当日のセレモニーで配布される日本と違い、エジプトなどアラブ諸国では所要卒業単位を獲得し科目が及第できたことが判明した時点で卒業決定学生がお金を払って申請する形式になっているため、日本の事情をそのままエジプトに当てはめないよう注意が必要だと思われます。
(有名な検証記事では卒業証明書と違い卒業証書の方は全員が持っているわけではないと正しい説明がされていますが、日本と同じく卒業式で全員に配られると誤解している方もいらっしゃるようです。)
流麗なアラビア書道書体で書かれた卒業証書(学位記)はアラブ諸国の学生が大学からもらえる卒業関連書類の一つですが、活字による印刷ではない場合ディーワーニー書体を書けるアラビア書道家が担当。卒業生が大学に発行を希望すると大学提携の書道家が書いてくれる仕組みになっているとのこと。
厚紙の証書は手書きにせよ手書きでないにせよ手間・時間・別途お金ががかかるためもあって、エジプトの大学生は試験の結果発表で及第の目処が立ち卒業必要単位を満たして卒業するであろうことがわかった学生が入手できる一時卒業証明書/期間限定卒業証明書(شهادة التخرج المؤقتة、temporary certificate)をまず入手。
永続的に効力を持つ厚紙の卒業証明書類(شهادة التخرج الدائمة、permanent certificate、永続卒業証書/終身卒業証書)が出るまでの間隔を埋める存在ともなっているため、従軍や就職などの都合上、卒業決定が出た時点で卒業生たちは取り急ぎ大学の卒業生課に手書きでない方の卒業証明書発行を申請し軍や就職希望先などに提出するといいます。
証明写真つきの専用書式普通紙にプリントされた卒業証明書は卒業生本人が書類や手数料分の印紙を持参の上大学の卒業生課に申請。アラビア語◯枚、英語◯枚、フランス語◯枚のように選んで欲しいだけ出してもらうという、日本の大学における卒業証明書類と似たような手順で比較的短期間で発行されるとのこと。
アラブ世界ではすぐにもらえない厚紙の卒業証書(学位記)~エジプトでは2年待ちの報告も
証明写真つきの卒業証明書は本試験で卒業が決まった人は早めに、追試でやっと卒業が決まった人は遅めに手にする訳ですが、「الشهادة الكرتونية」(厚紙証書、オリジナル証書の別名)に至っては元々エジプトの大学ではこの証書が卒業時ではなく卒後しばらく経ってから発行完了する旨が約束されていて
- 厚紙証書は卒業から1年経過後より申請できる(10月6日大学)
- オリジナル証書は卒業から1年を経過しない期間中に手渡される(ファイユーム大学)
などとなっています。しかしそこはエジプトなので大幅な遅延が発生して予定通りにはいっていないようで、卒業からかなり経過した人が
- 「一時卒業証明書/期間限定卒業証明書(شهادة التخرج المؤقتة)と厚紙証書(الشهادة الكرتونية)は違います。厚紙証書は1年かそれよりもっと経たないともらえません。」【アスユート大学(アシュート大学)法学部向けFacebook投稿】
- 「卒業証書って何?あなた去年卒業したんでしょ?―壁に飾ったりする方の証書のことですって。私が卒業したのはもう2年前ですが、大学は何をやるにも仕事が遅いんですよ。」【エジプト人女性】
- 「卒業してから2年経ったけど、うちらまだ厚紙証書をもらえてないよね。」【エジプト人女性】
- 「厚紙証書って義務なの?もらう代わりにその費用を自分でいただいちゃったらダメ?」「元々くれるのは1年後だって言われてみんな料金を払ってるでしょ」【エジプト人男性のポストとエジプト人女性からの返信】
などとSNSに投稿しています。
小池氏も1976年10月試験期間結果が年末に判明・成績が確定し1月に薄手の紙の卒業証明書が発行されたことになっています。同氏が保有しているアラビア書道ディーワーニー書体手書き厚紙証書(卒業証書、学位記)がずっと後の1978年になっているのはエジプト国立大学の事務仕事が非常に遅くこの証書の発行が恒常的に2年待ちであることと合致しており、時系列的には矛盾が無いと言えそうです。
卒業後に卒業証書を破損・紛失したり名前が間違っていたりした時の手続き
卒業証書を破損してしまったり無くしたりした場合、その事実を証明してから再発行が認められる
日本では卒業証書の再発行はできないが、エジプトの場合厚紙証書は所定の手続きにより破損・紛失した人向けの対応を用意しているらしく大学公式サイトでも案内されている。
カイロ大学も含めエジプトの大学の規則では厚紙証書の再発行は多少面倒で、正規の手順だと破損の場合は破れたりした卒業証書の残骸を持参して提出、紛失の場合は警察に行って卒業証書を紛失したという紛失証明書を作ってもらった上で申請。
しかも有償でそれなりのエジプトポンドを支払わないといけないなど、やや面倒だが、卒業証書が手元にあるにもかかわらず何通も発行されることを防ぐ点では有用だと思われる。
いずれにせよ交換・作り直しなので筆跡などが全部一致する証書が再発行されることは無く、別物が渡されるため透過画像を重ねる作業をしなくても明らかに違う見た目の証書が渡されることになるかと。
卒業証明書や卒業証書の名前が間違っている場合、訂正には費用がかかる
カイロ大学の公式サイトによると、証明書の氏名を訂正してもらう場合も必要書類を揃えた上で有償で行ってもらう形式だとのこと。
厚紙証書(小池氏の場合は崩し字の書道書体で書かれた卒業証書の方)の破損・紛失による再発行の場合、外国人卒業生は500米ドルを支払うシステムだという。
ネットにアップされた卒業生たちの厚紙証書を見る限り現在カイロ大学は書士による手書きの書道作品のような卒業証書は発行していないようだが、薄いコピー用紙を使った暫定卒業証明書よりはコストや手間がかかるためか500米ドルというのはなかなかの高額だとの印象。
大学卒業資格をめぐるエジプトと日本との違い、アラブ的社会事情
正規学生として全てアラビア語で行われるエジプトの大学講義に食らいついていくにはかなりの年数をかけてアラビア語を学んでおく必要があるのは事実ですが、だからといって小池氏が与えられた卒業認定が虚偽だとは断定できません。
そもそもアラブ世界というのは有力なコネを持つ若者たちが努力しなくても優秀な成績を手に入れ、通学実態が見合わなかったとしても卒業証書を得て、勉学に励んだ同級生たちの大勢が就職に苦労してアルバイトに近い仕事で耐えているのに特権持ちの子弟はスイスイと出生街道を進み良い職業に就いてやがては父親同様権力者の世界に入っていく、というような土地柄です。
縁故主義や汚職が浸透しているアラブ世界において、恵まれた立場の若者たちは苦労の多いコネ無し庶民の目からはイージーモードな人生を送っていて実力に見合わない学歴や職歴を享受していると見られる傾向が強く、権益にありつけない庶民の不満も非常に大きく暴発の危険性も秘めています。
旧政権崩壊後、そうした風潮が強まったイラクでは
- 有力者の子女が真面目に通学し学校生活を送っていなかったとしても留年せず毎年無事に及第する
- 高卒時の共通試験で得点調整の融通を受けたり、医学部が確実だと言われていたような優秀な庶民の生徒と試験結果を交換してもらったりして大学を入学を果たす
- 大学の正式な卒業資格を得る
- 縁故の力で就職する
といった事例が増えているそうで、「大卒なのにアラビア語の読み書きなどがおぼつかない」という新しいタイプの識字問題が発生しているといった報道を現地テレビ放送で見かけたこともあります。
日本でも昔から賄賂(袖の下)やコネで大学に入学し卒業した人たちはいたようですが、最近の日本人が持っている「皆平等に努力して大学を卒業するのが当たり前」「替え玉や献金によるズルは許しがたい」という風潮が一般的になってきているかと思います。
しかしアラブ諸国ではまだそういった意識はあまり強くなく、「勉強がやばくて単位も危うい」と言うと周囲からさらっと「じゃあ先生にお金を払って単位をもらえば?」といった返事が来ることもまだあり、日本人留学生でそうした会話にびっくりすることもある、といった話もまだまだ聞かれます。
そういうお国柄の違いがあるため、日本ではエジプトの事情や小池氏の卒業問題に関して「色々な情報を総合すると、卒業が認められたというのはおかしいのではないか?」「ちゃんと大学に通っていたかも進級がかかっているテストに及第したはっきりしていないのに、エジプト側はなぜ大学も政府も報道機関も揃って卒業を認め、日本側で疑惑扱いされていることに公式な抗議を行うのか?」と納得いかない方も多いかと思います。
同じカイロ大学なのに歴代の卒業証書フォーマットが何種類もあったり、出来上がった証書の作りがいい加減だったり、女性卒業生に男性形の文面で卒業証明書を出したりと、日本人には信じがたいことの連続かもしれませんが、エジプトやアラブ世界はそういうものなので「そんなこと日本では考えられないから嘘に違いない」「大学の事務がそんなに仕事が遅いなんておかしい」「卒業してから2年も経ってから書類が渡されるなんておかしい」と安易に考えてしまわないよう注意が必要かもしれません。
「なんでそんなことするの?」「ちゃんと勉強していなかったのに卒業できたのはどうして?」が起き得るのがアラブ世界です。
昔から日本人でエジプトに留学した学生たちのうち、少なくない数がエジプトの民族性・蔓延する汚職・アジア人差別・指摘に対して怒ったり開き直ったり性格に次第に疲れ果て、中東研究に抱いていたキラキラした夢も失ってしまうなどし、ひどい場合だと「エジプトのことは思い出したくない」「アラブとかアラビア語とはそういうのはやめることにした」となる人までいます。
もちろんエジプトにも良い部分はあります。しかし日本人にはどうしても合わない部分というのもあり、小池氏のカイロ大学卒業問題に関して多くの日本人が抱いている疑問・不満やカイロ大学関係者の反応でしっくりこない部分などは、そうした留学生たちが感じてきたもやもやした感情や納得いかない気持ちと根っこは同じなのだと思います。
小池氏の卒業証明書・卒業証書やアラビア語に関して日本で「どう考えてもおかしい」「そんなはずは無い」「アラビア語がおかしい」と言われている事項の大半は「エジプトでは普通」「エジプトには同様の事例が他にもある」「アラビア語としてはむしろ正しい」というケースが多く、調べてみると実は批判材料としては有効でない事例がかなり混ざっている状況でした。
エジプト側は以前から「卒業は事実」というスタンスを取り続けており、エジプトの政府・大学他は同じ意見で一致。現地メディアも「都知事としてふさわしい資質を備えた、カイロ大学卒業の鉄の女性」といった紹介を行い、学歴問題を追求する日本の人々に対し苦言を呈するコメントを放送したりもしています。
学歴問題についてがっちりガードが固められている以上卒業証明書や卒業証書に関しては核心に迫るような新情報や書類が出てくることは考えにくいのですが、日本ではエジプトの各方面がそうした立場にあり複数の抗議を既に表明しているといったことはあまり知られていないように思います。
小池氏関連記事が原因で広まったアラビア語・エジプトに関する誤った情報
小池氏アラビア語検証やカイロ大学問題については、ニーズの都合上同氏のアラビア語能力のスキルを過小評価する必要があったらしいこと、また検証者氏側がアラビア語の専門家ではなかったことから、アラビア語やエジプトについて多くの誤解を日本に流布させる原因となってしまっています。
ここでは事実とは異なる脚色・印象操作があったと思われる箇所の一覧とその実像についてまとめてみたいと思います。
検証記事・コンテンツに謎解説やアラビア語誤用が多い理由とは?
これより下は小池氏のアラビア語能力を検証した記事とその性質に関する個人的な考察になります。
語学マウントを取ろうとか知識をひけらかそうとして書いているものではなく、「検証記事・動画ではなぜ極端で一部フィクションと感じることもある独自の謎解説や恣意的判定が多いのか?」「本気なのか?わざとなのか?検証者の方が素で間違えているとしたらその原因は何なのか?」が気になり背景を詳しく知りたいと思って書き始めた部分です。
延々と続く長文に「揚げ足取りではないか?」と不快感を覚える方もいらっしゃるかと思います。管理人が普段サイト記事を書く時に情報確認したりする作業を備忘録としてそのままだらだらと文字化した感じの内容なので、実際細かくてしつこいと思います。重箱の隅つつき的な記事が苦手な方はここで閲覧を終了願います。
政治問題にからんで作られた解説という特殊な事情
政治家ということで小池氏のアラビア語能力を検証する記事や動画はこれまでに複数公開されてきたかと思うのですが、政治問題に関連して出されたものが多いこと、また検証される方がアラビア語諸学や言語学そのものの専門家ではないこともあってか、誤った情報も同時に大量に世間に流通することとなってしまったようです。
元々日本ではアラビア語やアラブ文化に関する解説をアラビア語研究やアラブ文化研究の専門家以外が行う事例が多く、アラブ人の名前のシステムや月と太陽のイメージなど、これまでに様々な事項にまつわる誤った情報が紹介されてきました。
小池氏問題に関してはフスハーとアーンミーヤといった用語が使われアラビア語の解説と称した記事も多数出されてきましたが、小池氏が卒業問題の詳細に触れることを避けるためか反論を一切されてこなかったことで、告発・批判のために内容を盛りまくってあれこれ改変してしまったで言いたい放題系のアラビア語評価も長年野放しとなり、その弊害としてアラビア語に関する誤解が定着する事態を招いてしまったように思います。
正しいアラビア語表現まで間違い判定されている割合が高いという問題
普段は純粋な語学として扱われているアラビア語ですが、政治の問題がからむと色々な思惑も加わってか「単に誤解してそういう説明になってしまったのか?それとも承知の上で事実とは違う内容の説明が行われ、メディアが望む形と内容の記事が作成された結果なのか?」が判断しづらい誤解説がぐっと増えるという特徴が見られるとの印象です。
その中の一例が
| 単語の間違いも多い。一番驚くのは「面会は、とっても、とってもよいものでした」と言うのに形容詞の「ラズィーズ」を使っていること。辞書によっては「甘美な」という意味も出ているが、実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語で、「面会は、とっても、とっても美味しいものでした」と話している。 引用元:文春オンライン |
だとして、文語アラビア語(フスハー)に非常に古くからある正規表現を「一番驚かされるアラビア語の言い間違い」と繰り返し紹介している件でした。
これはアラビア語をある程度やっていると実際使われているケースに出会う用例で、そうでなくとも辞書を調べれば「食べ物以外にも使う」ことが確認できるのですが、それにもかかわらずこのような記事が書かれてしまったのはなぜなのか、どうしてアラビア語に関する誤りが複数含まれる解説が作られ公開されたのか…そしてもし原因があるとしたら何なのか…
“美味しい面会”は「良い会談」「歓談」というフスハー表現を間違いだと誤判定してしまったケース
口語スラングではなくむしろ大昔から文語アラビア語に存在する表現で、食べ物以外の形容にも用いられてきた
日本では検証記事の影響から「良い面会を”美味しい面会”と口語アラビア語(アーンミーヤ)表現で言い間違える低劣なレベル」「アラビア語で良い面会を”美味しい面会”という言い回しで表現するなどあり得ない」といった誤解が広がってしまっているようなのですが、実際にはこれは文語アラビア語としての言い間違いでも、アーンミーヤだけのスラング的な表現でもありません。
小池氏が「良い」という意味で「面会、会談」を意味する名詞に修飾させて使った مُقَابَلَة لَذِيذَة [ muqābala ladhīdha ] [ ムカーバラ・ラズィーザ ] の形容詞 لَذِيذ [ ladhīdh ] [ ラズィーズ ] は古典期から多用され中世の辞典にも必ず載っている意味が「(食べ物・飲み物が)おいしい」「味わって快いと感じる、味わって美味だと感じる」となっています。
エジプト方言では女子を「かわいい」と形容したりするのにも使うこと、フスハーの使用シーンではおいしい以外の語義はそこまで多用せず書籍や各国テレビ放送でも時々登場する程度であることから、アーンミーヤ表現だというイメージを抱きやすいのも確かです。
ただ「(面会・会談・会話が)甘美な、楽しい、快い、良い」という意味での使用に関しては حَدِيث لَذِيذ [ ḥadīth(un) ladhīdh ] [ ハディース(ン)・ラズィーズ ](楽しい会話、心地よい談話)といった言い回しを中心として古典期の資料にも残されており、近現代に定着した口語(ここではエジプト方言)のスラングではなく純度の高いフスハー表現として千数百年前には既に存在していたことが確認可能です。
小池氏の使った مُقَابَلَة لَذِيذَة [ muqābala ladhīdha ] [ ムカーバラ・ラズィーザ ] は現代においては多用されているというレベルではないものの一応文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)と口語アラビア語の複数方言で用いられている実在の言い回しで、Googleのウェブ検索では主に複数地域方言でのフレーズとして、Googleブックス検索では書籍のフスハー文の一部として使われているいくつかの実例を確認することが可能です。(ほぼ同じ意味の لِقَاء لَذِيذ [ liqā’(un) ladhīdh ] [ リカー(ウン)・ラズィーズ ] (楽しい会合、愉快な面会、良き会談)といった言い回しなどもあります。)
イスラーム以前の有名な詩にも出てくる「楽しい、快い」「甘美」という方の語義
「(飲食物が)おいしい、美味である」という語義ではない方の لَذِيذ [ ladhīdh ] [ ラズィーズ ] は、イスラーム教以前のジャーヒリーヤ時代にアラビア半島で生まれた古典詩の傑作選『ムアッラカート』の一つである لَبِيد بْنُ رَبِيعَة [ labīd(u) bnu rabī‘a(h) ] [ ラビード・ブヌ・ラビーア ](ラビード・イブン・ラビーア、Labīd ibn Rabī‘ah(/Rabī‘a) ) 作品にも
بَلْ أَنْتِ لَا تَدْرِينَ كَمْ مِنْ لَيْلَةٍ طَلْقٍ لَذِيذٍ لَهْوُهَا وَنِدَامُهَا
【発音】
bal ’anti lā tadrīna kam min laylatin/lailatin ṭalqin ladhīdhin lahwuhā wa-nidāmuhā
バル・アンティ・ラー・タドリーナ・カム・ミン・ライラティン
タルキン・ラズィーズィン・ラフウハー・ワ・ニダームハー
【この箇所の解釈・具体的な意味】 [ ソース ]
貴女は知っているだろうか?(私が過ごした)一体どれだけ多くの夜が、(熱くも寒くもない)心地よい陽気(や気持ちの良いそよ風)に恵まれ、愉快な飲み仲間たちと楽しく過ごし共に酒を味わい(い語ら)ったことが甘美だったのかを。
*主語が2つある関係で形容詞ラズィーズ1語に対応する訳(赤字部分)が2箇所に分散しています。
【注】
*لَذِيذ [ ladhīdh ] [ ラズィーズ ] の後に -in(イン)という音がついて「ラズィーズィン」となっているのは格変化をしているためで、単語が属格であることを示しています。
*ここでは前置詞 مِنْ [ min ] [ ミン ] の後に単数としての意味を持ち一夜、二夜と数える時の語形でもある「(一つの)夜、一夜」が属格の形で لَيْلَةٍ [ laylatin / lailatin ] [ ライラティン ] と続いています。そこに「(夜が)暑くも寒くもなくそよ風が心地よい」という意味の طَلْقٍ [ ṭalqin ] [ タルキン ](この語は修飾する対象の「一夜」が女性名詞でも女性形の طَلْقَةٍ ではなく、ة 無しの男性形語形 طَلْقٍ で使用可能)が第1個目の修飾語、後置されている لَهْوُهَا وَنِدَامُهَا [ lahwuhā wa-nidāmuhā ] [ ラフウハー・ワ・ニダームハー ](人称代名詞接続形 ـها [ hā ] [ ハー ] は形容詞の内容が夜ではなくそれに関連した別の事物に関するものである構文の時に文法上必要なパーツで لَيْلَة を受けている部分)を主語とする لَذِيذ が同じく属格の語形で第2の修飾節として連なっています。
*نِدَام [ nidām ] [ ニダーム ] は نَدِيم [ nadīm ] [ ナディーム ]((飲む際の、宴席での)同伴者、同席者;飲み友達、飲み仲間、呑み友達、呑み仲間;仲間、友達、親友)の複数形、派生形第3形動詞 نَادَمَ [ nādama ] [ ナーダマ ](~と一緒に酒盛りをする、共に宴会をする、共に過ごして酒を飲んだり夜の談話(サマル)を楽しんだりする)の動名詞ダブルミーニングとして理解する部分だとのこと。「飲み仲間/飲み友達/親友・知人たちと共に過ごし酒盛りをしたり語り合ったりしたことが、楽しく心地よいものだった」と「飲み仲間/飲み友達/親友・知人たち自体が楽しく快い気質で話もおもしろい連中だ」という両方として受け止めるのが解釈の定番である模様。
のような形で登場。
飲食物が美味しかったと言っているのではなく、
- 過ごしやすい夜に楽しく過ごしたこと
- 仲間・友人らと酒盛りをしながら雑談などに興じたひととき
- 酒を共に味わい談話を楽しんで過ごした仲間・友人ら
のいずれもがラズィーズ、つまりは「味わい深く、楽しく、愉快で、甘美な」状態だったと述懐している内容となっています。
こちらは現代のイラク人詩人たちがクウェートのテレビに出演した時の対談番組です。動画の題名
الحزن في الشعر العراقي “لذيذ“
は『イラク詩において悲しみは甘美』という意味で、それに関する雑談は17:55ぐらいから開始。イラク詩は悲しい内容が多いことで知られているのですが、イラク人ゲストは嬉しい出来事や喜びはそう長続きはせず悲しみの方がずっと心に残ること、だからこそ悲しみは甘美なものとすらなり得る、悲しみは創作意欲を刺激する感情である、詩はそうした悲しみに対する癒やし・薬代わりになる、と語っています。
このように食べ物以外にも「甘美だ」「快い」「楽しい」「素敵だ」といった気持ちにさせる物事を لَذِيذ [ ladhīdh ] [ ラズィーズ ] と形容することは、中世でも現代でもアラブ人が行ってきた伝統的かつ現役の表現となっています。
学習者向け辞書にも載っている基本的な語義・用法
この手の言い回しは今もアラブメディアのフスハー会話でも出てくるため実地で聞いて文語表現だろうということは推測可能なのですが、そうした実体験が無くとも辞書で探せば普通に載っている語義なので「おいしい」以外の使い方があることはまず確認できる形となっています。
文語アラビア語(フスハー)- 英語辞典*にも「pleasant, delightful, nice, comfortable」として載っており、中級~上級学習者向けの辞典であれば用例も収録されているので「おいしい以外の意味は辞書に載っているだけで実際に使わない」「ラズィーズはフスハーでは食べ物がおいしいという意味だけで、楽しいといった意味で使うのはアーンミーヤだけ」という誤解はまず起きないというのが正直なところです。
*19世紀~20世紀にかけ有名辞典が欧米各国で各種出版。現代のアラビア語学習者やアラビア語に関連した中東研究者たちも多用しています。
『Arabic English Dictionary of Modern Written Arabic』
編:Hans Wehr
英訳:J. Milton Cowan
ナチスドイツ下で編纂作業が進められ後に英訳もされた定番のハンス・ヴェール(英語発音でハンズ・ウェアといった発音も)アラビア語-英語辞書です。オンライン辞書の『Alladin(アラジン)』がリリースされるまで日本のアラビア語学習者の大半が使っていたという定番中の定番辞書です。
この辞書は持ち歩けるサイズなので学生にとっても使い勝手が良い一方、新しい用語の追加が無く用例も少ないため適切な語義を見落としやすいという短所があります。
形容詞 لَذِيذ [ ladhīdh ] [ ラズィーズ ] については
| delicious, delightful; pleasant; beautiful, wonderful, splendid, magnificent; sweet |
となっており、「面会、会見」を修飾している場合は「おいしい(delicious)面会」ではなく pleasant、wonderful あたりの語義を拾うべきケースだと見当はつくのですが、実際の組み合わせとしてどんなものがあるのかが載っていないので「おいしい」以外の意味の場合フスハーにはどんな表現が実在するのか明示されておらず見落としてしまう方もいるかもしれません。
Arabic-English Lexicon
オンライン版:https://lexicon.quranic-research.net/data/23_l/064_lc.html
著者:Edward William Lane
中級~上級者向けでアラビア語・中東研究者の多くが利用している大型のアラビア語-英語辞典です。この辞典では لَذِيذ [ ladhīdh ] [ ラズィーズ ] と لَذٌّ [ ladhdh ] [ ラッズ ] が同等であると示した上で
| 用例の抜粋 [You say]لَهُ عَيْشٌ لَذٌّ↓ [He has a pleasant, or delightful, life]: andهُوَ فِى لَذٍّ↓ مِنْ عَيْشٍ [He is in a pleasant, or delightful, state of life]. (A.) رَجُلٌ لَذٌّ↓ A man of pleasant, or delightful, conversation, or discourse. (A.) |
| 意味 ・彼は快適な生活をしている ・話の楽しい男、(話していて)愉快な男 |
となっており、人間にこの形容詞をつける場合は「その人と過ごしたり話したりすることで楽しい・愉快・良い気分だと感じる」という意味になることを示しています。
オンライン アラビア語-日本語辞書『Alladin(アラジン)』
URL:http://www.linca.info/alladinPlus/dic.php?id=27247&cur=272470011&lg=1&md=1
作成者:アラビア語電子教育普及促進協会(Linca)柴田道広 氏
上のハンス・ヴェール(ハンズ・ウェア)ペーパーバック版を販売していた出版社が倒産して以降、日本のアラビア語学習者にとっては欠かせない存在となっているサイトです。ハンス・ヴェール(ハンズ・ウェア)+その他追加項目が含まれており、形容詞 لَذِيذ [ ladhīdh ] [ ラズィーズ ] の語義も確認しやすいです。
| 語義 【1】うまい、美味い、おいしい、美味の / delicious 【2】 (比喩的に)甘い、甘美な、快い、楽しい、快適な 【3】 (比喩的に)素晴らしい、壮麗な、華麗な |
| 用例の抜粋 【1】の意味 ・おいしい食べ物 طَعَامٌ لَذِيذٌ [ ṭā‘ām(un) ladhīdh ] [ タアーム(ン)・ラズィーズ ] 【2】の意味 ・心地よい眠り نَوْمٌ لَذِيذٌ [ nawm/naum(un) ladhīdh ] [ ナウム(ン)・ラズィーズ ] *名詞と形容詞の語末母音記号を主格に修正してあります。 |
一方、口語アラビア語アーンミーヤでどうなっているのかを調べる無料かつお手軽な手段としては、ある程度信頼性の高いオンライン辞書の利用が挙げられます。
The Living Arabic Project
URL:https://www.livingarabic.com/en/search?q=%D9%84%D8%B0%D9%8A%D8%B0
作成チーム:Lughatuna
フスハーとアーンミーヤの各種方言とが同時収録されているサイトで、方言辞書は紙媒体のものを掲載しているためオンライン辞書としてはかなり信頼性が高めだとの印象です。
フスハーとしては
| دِفْء لَذيذ [CA] pleasant warmth(心地よい暖かさ、快適な暖かさ) رائِحة لَذيذة [CA] a pleasant aroma(いい香り、良い匂い) |
エジプト方言としては
| بِنْت لَذِيذة [E] a sweet girl(愛らしい少女、かわいい少女) |
が載っていますが、エジプト方言の語彙確認をするには載っている用例の数が少ない感じがします。
またレバノン方言としては
| زَلَمِة لَذِيْذ، حَكيَاتُو حِلوِيْن [P] a nice guy, the things he said are interesting; {zalame la∂ī∂، ḥakyāto ḥilwīn} |
| いいやつ(だ)、彼の話はおもしろい |
という用例が載っていて、Lane(レイン)の大辞典に出てくる古典的な語義「(その人物の話が、人柄が一緒に話していて)楽しい、おもしろい、愉快な」をそのまま継承していることがうかがえます。
Lisaan Masry – Egyptian Arabic Dictionary
URL:https://sea.lisaanmasry.org/online/search.php?language=EG&key=%D9%84%D8%B0%D9%8A%D8%B0&action=s
| 語義 【1】مـُمتـِع – مـَشا َعر فـَرحـَة enjoyable(楽しい、愉快な) 【2】 مَحبوب – مـَشا َعر تَفضيل likeable(愛すべき、愛らしい、好ましい) 【3】 حِلو – طـَعا َم مـُمـَيـِزا َت delicious, tasty(おいしい) |
こちらはエジプト方言専門のオンライン辞書で単語の発音や動詞活用もチェックで要る便利なサイトです。その単語がフスハー由来・フスハーと共通であれば「MS」、フスハーの単語が語形変化したとかコプト語由来だといった理由からエジプト方言に特有な場合は「EG」というマークが添えられています。
この見出しには「MS」がついており、エジプト方言特有というよりはフスハー由来の語義や用法であることを示唆している形となっています。
アラビア語の辞書はフスハーの辞書とアーンミーヤの辞書は分かれているのでフスハーのアラビア語辞書に収録されているということはその表現が文語アラビア語のものだということになるのですが、口語アラビア語(アーンミーヤ)の辞書にも同じ単語と同じ語義で載っている場合、基本的には口語表現が文語表現に入り込んだのではなく元々文語アラビア語単語として持っていた語義をそのまま各方言が引き継いだケースであることが多いため「フスハーとアーンミーヤとで同じ使い方をする」という判断をすることが可能です。
“実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語”だという説明文と複数用例の実在という齟齬
検証記事では
| 辞書によっては「甘美な」という意味も出ているが、実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語 |
となっていますが、昨今のアラブメディアでも「おいしい」以外の語義は使われており、管理人自身フスハーによる文章・ウェブ記事やテレビ報道で時々見かけます。
検証者の方がどのような辞書を使われたのかは不明ですが、いずれの場合も「おいしい」以外の意味は載っていてどういう言い回しで使われるかという用例も添えられており、”実際には食べ物にしか使わない”という判断をすることの方が難しいぐらいです。
そのため本件については
- 「実際には食べ物にしか使わない」と断定しているのは検証者の方が単にピックアップしたことが無かっただけで、手持ちの情報量や確認作業の不足による見落としだった。
- 色々と承知の上で、本当の情報を出さず意図的に「実際には食べ物にしか使わない」「語彙力の無い小池氏がアラビア語を間違えた」という話に置き換えた。
のいずれかの判断になるかと思います。
純粋なアラビア語考察・検証としてはあまりに不自然な流れと決着であることから検証者氏自身の信頼性が問われることになるいわば捨て身の方策であるため、小池氏の攻撃材料として使っていなければおそらくこのようなことは書かれなかったのではないでしょうか…
「小池氏は”美味しい面会”と言うぐらいにアラビア語の語彙力が乏しい」というフィクションはこれまで検証記事の見出しにも何度も登場しているのですが、逆に検証者の方が لَذِيذ [ ladhīdh ] [ ラズィーズ ] の基本語義の一つを見落としアーンミーヤ表現どころか文語・口語アラビア語のどちらとしても間違っていると誤解されていることを示してしまっている部分となっています。
アラビア語をやっていない方だといまいちピンとこないかもしれませんが、日本語に置き換えてみると
日本語の辞書には「おいしい」の語義として「自分にとって都合がよい。具合いがよい。好ましい。」が載っているが、実際には「食べ物の味がよい」という意味でしか使わない。自分にとって得になるようなことを「おいしい話」と言った◯◯氏は日本語学習者としては初歩的な間違いをしている。非常にレベルが低い日本語を話しているので日本の大学を卒業したというのは詐称だとわかる。
という記事を書くのと同じことだと言えばわかりやすいでしょうか…
形容詞ラズィーズにおけるフスハー発音とエジプト方言発音の違い
当時衆議院議員だった小池氏がエジプト大統領との会見についてエジプト国営放送から取材を受けた時の動画で使った表現自体は مُقَابَلَة لَذِيذَة [ muqābala ladhīdha ] [ ムカーバラ・ラズィーザ ]* だったのですが、アラブ人の側としては「良い会談、素晴らしい会談、歓談」という意味で理解し、相手とのやり取りが非常に良好で実りあるものだったことを示唆していると受け止めるであろう部分となっています。
*「お会いできて楽しかった、お会いできてとても良かった、歓談を楽しみました」などと言っている部分で、日本語の「うまい話」「おいしい話」にあるような「利益がある、旨味がある、利権にありつけそうなメリットがある」「大統領閣下との面会でおいしい思いをできそうだと感じた」という意味にはならないです。
唇で隠れてよくは見えないのですが、小池氏は「良い面会」の「良い」部分に相当し「おいしい」という意味もあわせ持つ形容詞の女性形 لَذِيذَة [ ladhīdha ] [ ラズィーザ ] の歯で舌をはさんで出す「ذ(dh)」音ではなく歯ではさまない「ز(z)」音にして لَزِيزَة [ lazīza ] [ ラズィーザ ] と発音しているようにも聞こえます。
こうした特定の文字間発音シフトはネイティブが頻繁に行っているもので、エジプト人などもフスハーで話しているつもりがエジプト方言による口語会話と同じように dh の発音が z、th の発音が s になっているまま、ということがしばしば起こります。
小池氏が لَزِيزَة [ lazīza ] [ ラズィーザ ] と発音しているからといって「フスハーを勉強しなかった証拠だ」「アラビア語を知らないのに皆を騙している」などと言うのは早計で、「エジプト人のアラビア語をそのまま学んだために多くのエジプト人がしている通りにフスハーでもエジプト方言発音をするようになってしまった」ないしは「フスハーの授業は受けたが、細かい発音方法は教科書に書いていなかったために目と耳でなんとなく真似した覚えたら違っていた」である可能性も否めません。
日本人学習者の方でも口語アラビア語をメインでやっている方だとこのような現地方言の影響を受けたフスハー会話になりやすいのですが、「アラビア語として絶対に間違っていてアラブ人はそんな発音しないからネイティブ発音と全然違う」かというとそうでもないので、検証とか判定の際には単純な間違いとして処理できない要注意ポイントとしての扱いをしなければいけないなど、結構厄介な部分かもしれません。
アラビア語の発音といっても、アーンミーヤにおける子音の発音というのは
- フスハーとして本来するはずのアラビア語の特徴的な発音が弱まって、喉を引き締める苦しげな音などがはっきり聞こえにくい
- 一部の音は別の子音に置き換わっている
ため、「アラビア語としてそもそも発音が間違っているのか?」それとも「ネイティブもやっている発音だけれどもフスハー発音ではないケースなのか」を厳密に区別するにはそれなりの知識が必要で、正確な検証作業は結構難しかったりします。
文語として正しい用法が”美味しい面会”として誤判定された原因とは?
先に出てきたジャーヒリーヤ詩人ラビード・イブン・ラビーアは今から1450年以上前に生まれた人物で、彼の作品はアラビア語文学史に影響を与え続けた模範的な文語アラビア語(フスハー)を体現しているとも評される詩の一つです。
生粋かつ美麗なフスハーの用例として「味わい深い、楽しい、快い」という意味が元々実在してきたことを挙げる代わりに
- ラズィーズが持つとされる「甘美な」といった意味は単にアラビア語の辞書に載っているだけで、実際には本当は食べ物をおいしいという以外には使わない。食べ物以外にラズィーズを使うのはアラビア語そのものとして間違っている。
- 面会・会見にラズィーズという形容詞を使うのは拙く恥ずかしい言い回しをすることの典型例。
とした点については、正確性・綿密さ・専門性を欠いてしまっている検証内容であり、素で誤解されてしまったのか、全て知っていて読者のほとんどがアラビア語を知らないことを利用して政治的効果を高めるために作り話を書いてしまわれたのか、判断に迷うぐらいに謎が多いと言わざるを得ません。
もし素で間違っておられると仮定するならば、執筆者氏手持ちの辞書が検証作業に使えるだけの情報量を有しておらず十分な検証作業補助役になっていない、ということになってきてしまいます。
また、詳しいアラビア語 – 英語辞書や中級・上級学習者が使うネイティブ向けのアラビア語辞典であれば用例つきで「おいしい」に加えて「楽しい、快い、心地よい」という語義が載っているものなので、検証者の方がそうした分厚い専攻者向けの辞書を使用されずに情報確認を行い記事を書かれたために起こった誤認だった可能性、ないしはフスハー語彙力が少ないネイティブの個人的な記憶に頼ったために「フスハーではそんな言い方はしない」という誤った判定を得てしまった可能性が考えられるように思います。
アラビア語諸学そのものが専門でない方だと、本人が間違いだと気付かないままリリースされる誤解説が多くなりがちという難しさ
作り手の専門性によって大きく差が出るアラビア語解説
アラビア語そのもの以外を専攻分野されている方はアラビア語学専門家並みにカバーすることはできないため、国際関係論や歴史などの研究者がアラビア語の文法や語彙の解説をした場合、アラビア語専門性を要する解説部分が微妙に違っているとか、時には全くの誤解・間違いに基づいて全然違う説明をしてしまっていることが起きやすいです。
普段アラビア語を教えている先生でもアラビア語文法学そのものが専門でないと書かれた文法書に誤りが出やすく、実際に日本で使われている学習書にはアラビア語で書かれた文法書の誤訳や先生ご本院の覚え間違いに起因する誤った記述を含んでいることがあり、アラビア語の解説を完璧に仕上げるというのは一般の方たちが思っている以上に困難なのだと感じることも多いです。
日本のメディアやインターネット投稿・動画ではアラビア語専攻の先生が登場して詳しい解説を提供するといったことはまず無いため、”美味しい面会”のように専門家であれば間違わないタイプの誤情報も出回りやすいという土壌があると言えるかもしれません。
誰もが気軽にネットで発信できる時代になったせいか、近年はアラビア語専攻でないアラビア語経験者の方々が解説を作成し、間違っている発音を正しい発音として実演したり、アラビア語表現やアラブ文化の解説として全然違うことを説明したり、意味解説の中で誤訳や誤読をしたまま公開したりといったことが多発しており、アラビア語に詳しくない方を誤解させるようなコンテンツが流通するといった事態にもなってきています。
コンテンツ作成者の方は意図的にそういう情報を流されているのかアラビア語を間違えていることに本当に気付かれていないのか管理人は知る由もありませんが、正しい解説とそうでない解説を見極めるということが昔以上に難しくなってきているように思います。
小池氏アラビア語能力評価コンテンツと正確性の不在
小池氏のアラビア語に関して特に有名な検証記事群を発表されてきた方については、ご本人の記事によると日本のアジア・アフリカ語学院*で半年、カイロ・アメリカン大学**大学院(1984~1986年、家庭教師を併用)については通常2年かかるアラビア語コースを1年、2年かかる修士課程を1年で終えられているためアラビア語文法と実用向けな資料読解といった専門訓練を受けられた期間は2年半という計算になります。
*アジア・アフリカ語学院には昔アラビア語学科があり、アラビア語を本格的に学びたい社会人の方々が通われていました。
*カイロ・アメリカン大学はエジプト富裕層や外国人留学生向けのアメリカ式教育機関でアラビア語コース以外は英語で授業を実施。アラビア語で全部の授業を行い留学生のアラビア語支援も行われないカイロ大学文学部とは大きく違っています。
人の何倍も努力されたとはいえフスハーとアーンミーヤの専門的知識やアラビア語の高度な四技能を習得し他人に本格的なアラビア語知識教授を行うにはあまりに短い期間で、留学終了後にビジネスの話で使う機会がほぼ無かったまま40年が経過していることとあわせて、検証記事の不正確なアラビア語解説や文法・訳・聴解・語彙全般にわたる多数の誤りの原因にもなっているものと思われます。
同氏以外に評価コンテンツを作成されている方などもアラビア語専攻の方ではないためかアラビア語学・アラビア語文法・アラブ文化などに関する誤りや誤解を多数されている状況で、アラビア語の文語・口語問題も含め小池氏のアラビア語と現地留学の件について正確なことが十分かつ詳細に説明されている検証記事・コンテンツがこれまで流通していなかったと言えます。
検証者が手元に置いているアラビア語辞典の冊数や検証に用いる専門資料の数の問題
詳しいアラビア語辞典というのは単に分厚くなるどころか10巻で1セットになっていることも珍しくなく、持ち歩けないため所有していない方も多いです。またネイティブ向けの大辞典は中級以上のアラビア語読解能力を要するため、中級ぐらいまでのアラビア語学習者が使うのは日本の中高生向け国語辞典サイズぐらいのアラビア語 – 英語辞典であることが一般的です。
しかしそうした辞典は内容が薄く、携帯可能な辞書であるという点ことを優先させ長年主力として使っていると語彙力の伸びの足かせとなりかねず、追加で複数オンライン辞書における串刺し検索なりをしないとその単語が持つ重要語義を見逃しやすいです。
綿密な訳や語彙の検証を行うには本来20冊、30冊とアラブ人向けの辞典や専門書を読んで時代ごとの語義や細かいニュアンスを確認していくのがベストなのですが、実際には置き場所や携帯可能な辞書サイズの限度というものがあり誰もが多数の辞典を取り揃えているわけではないので、アラビア語関係の記事だと少ない辞書数で内容確認しそのままネット記事・SNS投稿を作成するという風にどうしてもなりがちです。
特にインターネット普及期前の世代は紙媒体以外の電子化された大辞典を使う習慣が無いままだったりということもあって、若い世代に比べると手元にある紙の辞書を補強するために各種オンライン辞書を併用せず、結果として解説記事の精度が落ちるということが起きやすいとの印象です。
非ネイティブと文語アラビア語(フスハー)・口語アラビア語(アーンミーヤ)両立の問題
文語アラビア語と口語アラビア語の両方を中級~上級レベルまで持っていくことは難しいため、多くの場合はどちらか片方だけだったり、フスハー7~9:アーンミーヤ1~3といった偏った比率で習得が行われます。
日本ではアラビア語経験者ということでフスハー中心に学んだ方がついでにアーンミーヤの解説もされることもあるのですが、アーンミーヤ部分は専門外であるために文語アラビア語と口語アラビア語の両方に関する知識を要する事例の説明が間違ってしまいやすく、フスハーだけしか対応していない方特有の誤解を含んだ内容になりやすいように感じます。(自分も色々な方言を学ぶ前がその状態でした。)
文語と口語が混ざっている文・会話についてはフスハー要素とアーンミーヤ要素を厳密に分け同じ単語に対する些細な母音付加の差なども区別する作業が必要になってくるのですが、これにはフスハーとアーンミーヤ両方の習熟度をかなり上げないと厳しく、ただの日常会話としてのアーンミーヤではなく欧米の大学出版刊行でアラビア語専攻学生向けに言語学的な解説を行っているような書籍で色々と細かい情報を仕入れたりして検証の精度を上げないと十分な水準を満たした検証結果を提示することは難しかったりします。
アラビア語の方言というのは地域によって傾向が異なるため、自分が知っている特定の方言だけを基準にしてアラブ世界各地の方言を語ってしまうと「他の地域ではその語彙は使わないのでどこ地域の話なのか明記すべき」といった指摘を受けることになります。ただそうした作業には各国方言の文法書や辞書なども多数参照して横断的に検証を行い情報を精査する必要があり、アラビア語の方言に関する解説を作るちょっとしたコンテンツを作るにもかなりの労力がかかることもしばしばです。
小池氏のアラビア語に関する検証記事・コンテンツはこの部分の要件を満たしていないため、文語-口語アラビア語併用者に「検証者氏はフスハーとアーンミーヤのことをよく知らないのでは?」という印象を与えてしまっている状況です。
ネイティブチェックを受けたためにむしろ間違いだらけになることもあるアラビア語ならではの事情
日本人にしばしば見られる「アラビア語話者だから間違えない」という誤解
有名な小池氏アラビア語検証記事シリーズを作成された日本人検証者の方はカイロ・アメリカン大学の上級アラビア語コースを終了され、修士課程の時にはアラビア語文献講読を行ったり家庭教師をつけて学習をされたりしたとのことですが、小池氏動画については万全を期すためにネイティブを動画検証訳に起用しエジプト人ジャーナリストに依頼したと書かれています。
日本では「ネイティブだから」「アラブ人だから」という理由だけで文語アラビア語フスハーに関わるアラビア語諸学を修めていない方をアラビア語教材の執筆者や一般記事の検証役・翻訳係として起用することも多いのですが、そうしたネイティブの方が参加した部分に誤字脱字や誤読が集中している例が時々見られます。
これはアラブ世界の大卒者が有するフスハースキルにかなりのばらつきがあること、学習書や専門的記事に許されない細かい誤りも決して犯さない高度なレベルでフスハーに堪能な人物を探すのが決して容易ではないことを加味せずに人選を行った場合に発生してしまう記事・教材精度の低下事例となっています。
アラブ世界では検証や校正をこなせる技能を有するのがアラビア語学科卒業者だと認知されているためそれ以外の学科の人よりも優先的に校正業などに雇われるのですが、日本ではアラビア語学科卒業者は少なくフスハーが専攻外という人の方が圧倒的に多いです。
アラビア語圏ではメディア業界と外国語-アラビア語翻訳業界などにフスハーが苦手な人が数多く従事していることがアラビア語専門家らの間でも問題視されているのですが、ニュースのアナウンサーによるフスハー文の誤読、原稿作成者による文法間違い、メディアのコンテンツにおける誤用はメディア学部や英文科といった特定学部・学科の出身者が原因になっていることが多いと言われています。
ネイティブは聞けば親切に答えてくれるものの、返事が正しいかどうかはまた別である件
アラブ人は質問すれば答えてくれはするのですが、フスハーやアラビア語の語義に関する知識はフスハーが苦手なアラブ人よりも非ネイティブのアラビア語専攻者の方が詳しいこともあります。
これは日本人が日本語科留学生よりも国語文法や日本文学に明るくないことも少なくない状況と似ているのですが、アラブ人たちとフスハーとの距離感はもっと大きく高等教育をアラビア語で受けていない人の数も年々増えているため、日本人がアラビア語について質問しても「教えてくれたことが間違っていた」という事態になりやすいです。
ところがアラブ人の民族性もあるのですが、専門的な文語アラビア語(フスハー)知識を持っていないにもかかわらず、日本人よりは詳しいという理由からかアラブ人側も堂々と断言調で説明してくれるため、よくよくその説明を精査してみると「なんか違うのでは?」「文法書に書いていないことも混ぜ込んでしまっているのでは?」ということがしばしばあります。
しかし日本人はそういう事情を知らないので「とにかくネイティブに意見を聞いて確認しないといけない」「大卒・院卒ならフスハーにも詳しいだろう」ということでアラブ人のバックグラウンドをあまり考えずに文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)の高度な専門知識を必要とする作業にまで非専門家を起用してしまいがちです。
起用するネイティブのアラビア語スキルによってはむしろ間違いが多数含まれることになる
小池氏検証記事でアラビア語チェックを行ったのは海外在住のジャーナリスト
「小池氏は”美味しい面会”と言い間違えている」といった検証者側のアラビア語語彙力が問われるような検証記事ですが、記事を執筆した方によるとエジプト出身で英語科卒のジャーナリストを起用されたとのこと。
管理人は過去に色々な教材で見かけた「当人のアラビア語スキルを考慮せずネイティブだからという理由だけで起用したために、本・記事・コンテンツの間違いが多数発生した」という実例に遭遇したことがあるのですが、一連の小池氏問題検証記事に見られるアラビア語間違いや文語アラビア語(フスハー)と口語アラビア語(アーンミーヤ)の混同はそれらとの共通点が複数あることから、ネイティブであるエジプト系ジャーナリスト氏に起因する可能性が非常に高いように感じました。
特に欧米在住のアラブ人は英語など現地の言葉の使用率が高く、仕事に使える程度のフスハーには対応しているものの、文法・細かい語形の判別・フスハーとアーンミーヤの厳密な区別といった作業が得意ではないケースが多めです。
そのため文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)学習コンテンツも欧米在住のマルチリンガルが作成したものは精度が低く誤用を多数含んでいるものばかりだったりするのですが、小池氏検証記事のアラビア語校正精度がそれらによく似ているように見受けられました。
現代アラブ諸国において英文科出身、メディア・ジャーナリスト職は文語アラビア語能力が高くない・誤用が多い業界で知られる
日本人検証者氏は身近におり信頼できるアラビア語話者として起用されたようですが、本ページでも何度か触れている通り、アラブ諸国では英文科を始めとする外国語学科卒は高等教育までの間に文語アラビア語(フスハー)教育を受けた時間数が少ない人の割合が大きく、今回検証作業補助として依頼を受けた方の業種であるメディア・ジャーナリスト職、アラビア語-英語通訳職もフスハー文法に明るくない人が多いこと業界の典型例として知られています。
アラブ諸国ではアラビア語学科卒や作家らが雑誌・新聞制作に関わっていた時代からメディア学部出身者らに置き換わるにつれて、ニュース原稿・出版物・オンラインのコンテンツに文法的誤用や正書法(正字法)違反がどんどん増えていったと指摘されるなどしています [ ソース ]。
小池氏検証記事の中には単にアラビア語文法が得意でない/忘れてしまった日本人がするのとは違うタイプのネイティブに典型的な誤用・誤読があるため、それらはエジプ人検証役の方に起因するのでは?という風に感じた次第です。
一般向け検証記事・動画をアラビア語学習教材代わりにすることのデメリット
ネットで拡散するため広がる範囲と威力が大きい
小池氏に限らず中東業界の特定人物のアラビア語能力を検証したり・誤りを指摘したり・称賛したりする記事・動画は、アラビア語学専門家ではない方々が検証をされていることなどから正確性が十分ではなく、政治問題がからんでいることもあって中立的かつ学問としての厳密さだけを追い求めたものが残念ながら流布していないとの印象です。
本当は誤っている解説でも断定調で解説しメディアやSNSで情報を流布してしまうというのは、多くの冊数が売れないアラビア語学習書を通じて広まるのとは規模が桁違いこともあって学習者が思った以上に影響力が大きいです。
アラビア語学習者まで鵜呑みにしてしまうとアラビア語知識の質に影響も
学習教材の質や正確さはアラビア語の上達度合いを大きく左右する要因でもあります。先述のような検証記事・コンテンツは「いつもは追求をかわしている小池氏が嘘だらけのアラビア語を暴かれ赤っ恥をかいた」「アラビア語外交すらまともにできていなかった小池氏の真実」を味わえる大衆エンタメや落選運動・リコール運動の手段としてはそれでも構わないのかもしれませんが、単なるアラビア語のテストであれば赤点になってしまうぐらいに様々な誤りを含んでしまっています。
「アラビア語を現地で学んだ方が書いたから」「中東に長年関わる仕事をしている人であればアラビア語そのものも専門家並みの知識を備えているはずだから」と信頼して、アラビア語学習者の方まで内容を精査しないまま真に受けて”本当のアラビア語情報”として学び取ってしまわないようご注意ください。
アラビア語について事情を全く知らない方からすると、本ページはボロクソに酷評しているだけの陰湿な意地悪記事に感じられたかもしれません。偉そうな極めて高慢に受け取れる表現かもしれませんが、有名な小池氏アラビア語評価・検証の記事・コンテンツにはそう表現せざるを得ないぐらいにアラビア語に関する箇所に不可解な記述や誤りが多いのも事実です。
不可解なまでにアラビア語のことが誤解され事実関係が改変されているため、これまでにもアラビア語稼業をされている通訳や講師の方々から疑問の声が上がるなどしていました。その点についてはなにとぞご理解いただければと思います。
最後に
管理人は特定の団体・人物を非難もしくは支持する意図はありません。応援をしたい/責任を問いたい/情報発信したいという思い自体は皆様個人の自由だと考えています。
ただ「アラビア語として間違っているものは間違っている、正しいものは正しい」というのが変えようがない事実なのもまた確かです。特定の動機による学術的事実の否定・脚色はアラビア語学習者にとっては悪影響となるだけで益は一切無いように思います。
そうした言説・事物に対しては、中立性を心がけつつも注意喚起を行わせていただいております。本ページも「小池氏のアラビア語を政治家本人の資質とは完全に切り離して見た場合にはどうなるか」という趣旨で書いた記事となっておりますので、ご理解いただければ幸いです。
上で挙げた検証記事・コンテンツは決定的証拠を提供しないどころか告発・告訴の成功を妨げる要因にもなり得るため「本当に落選・リコール・勝訴を望んでいるのだろうか?」と心配にすらなるのですが、巷の情報によると昨今のイメージダウンキャンペーンはこうしたタイプが多いとのこと。「なぜ脚色・間違いばかりの解説がされたのかわからない」という部分については、最初から「学問ではなく違う目的で作られたから」として切り分けて考える必要があったのかもしれません。
そのような中、小池氏のアラビア語についてエジプトで習得した痕跡が動画の中にあることを認めつつもエジプトの法律やカイロ大学の規定を精査する形で問題を追っている方がおられることを知りました。カイロ大学に数年在籍されていたこともあり、他の検証に比べると遥かに信頼性が高く選挙に合わせてのキャンペーンとはまた違う感じでコツコツと調べ上げていらっしゃるとの印象を持った次第です。
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一連の検証記・やコンテンツを作っている方々が本当にアラビア語が堪能で文語と口語の両方に通じているアラビア語学のプロであれば管理人もこんなしつこい反論めいたことはせず、学びの機会として活用させていただき内容に納得もしたと思います。
個人的には「告発したい気持ちまでは否定しないものの、せめてアラビア語に関する部分には脚色は入れず語学的な間違いは排除していただきたかった」「自身の母校のアラビア語教育の評判を貶しアラビア語に詳しい人物という評価も捨てることになる検証を公表するほどの強い動機とは何だったのか?」ともやもやしたままとなりましたが、一通り情報整理はしたのでこれにて更新も一旦終了としたいと思います。
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この件は小池氏の都政や卒業の経緯に疑問を持つ人がもし少なく、同氏が質疑にも早急に応じていればここまで話が大きくなっていなかったのもまた事実です。皆にとって納得する回答が提示され問題が解決していれば、小池氏ならかなりのバッシングをしても構わないという空気の中で正確性よりもパンチ力を重視した記事・コンテンツがここまで量産されなかったのだと思います。
いずれにせよ、記事における間違いというのはよほどの方でないとどうしてもしてしまいがちで、自身のブログ(サイト)記事も数年経過してから読み直すと「昔こんなこと書いてたんだ」「あ、ここは間違ってるから早く直さないと」となることがあります。管理人自身も一層精進してより正確な情報をアップできるよう心がけたいと考えています。
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勢いでガーッと書きまくってしまいましたが、日が経つにつれて後味の悪さを感じるようになってしまいました。しばらくしたら冗長な部分や不快と受け取られ得る表現などを大幅に削除するかもしれません。
小池氏アラビア語検証・アラビア語解説記事の内容検証
メモ部分の作成意図
過去に雑誌やネット記事の形で発表された検証記事に関する個人的なメモです。元々は本ページの各項目を書くために作った備忘録でしたが、ついでにアラビア語学習者の方向けの読み物にでもなれば、と思いここを置き場代わりにさせていただいています。
小池氏についても検証コンテンツを作成した方についても不当評価とならないよう各情報を確認し考察を書き出しただけの正誤表的なものなので、告発・人格攻撃の意図はありません。
メインジャンルが文語アラビア語・口語アラビア語(東方アラブ世界諸方言)・文法・アラブ人のアラビア語使用状況・フスハー問題・アラブ文学における口語使用状況で一個人が小池氏関連検証記事を読んだ場合どう感じるのか、実際に小池氏が言い間違いをしている箇所はどこなのか、等をただ書き連ねただけのコンテンツです。
「なぜ事実に反するそのようなことが書かれているのか?」と不可解に思える箇所とその理由は何なのかという感想をそのまま文字化してあるため、かなりきつく傲慢な物言いに感じられるかもしれません。名誉毀損・誹謗中傷目的であるといった誤解の無きようよろしくお願い申し上げます。
情報整理用備忘録(アラビア語解説の正誤、実際のアラブ・エジプト事情との差異、脚色と思われる箇所、雑感)
上の記事本文を書くために列記した調べ物メモなので読みやすさへの配慮が無い状態です。なにとぞご了承ください。なお引用部分冒頭の数字はこちらで項目の読み飛ばしをしないようにと便宜上書き足した通し番号です。
2018月6月28日記事
https://bunshun.jp/articles/-/7909
1)説明の前提としてアラビア語には2種類あることを憶えておいて頂きたい。一つは正則アラビア語(フスハー)という格調高く美しい万古不変の言葉で、アラビア語圏で普遍的に通じる。コーラン、政治家の演説、テレビのニュース番組などは正則アラビア語である。本、雑誌、手紙、大学の試験の答案など、アラビア語が文字で書かれる場合は、すべて正則アラビア語を用いる。したがってアラビア語圏の大学を卒業するためには、正則アラビア語の会話、読み書きに堪能でなくてはならない。
▶フスハーは万古不変ではなく変化する
フスハーは万古不変ではなく、時間の経過とともに語彙が変化。近代までに廃れ死語になった語彙も多い。少なくない数の文法事項は取捨選択により現代フスハーではもはや使われなくなり、古風な構文として文語文法書などでしか見かけないものも。特に近代化以降欧米諸語の影響を受けて起こった変容は大規模で、語彙・熟語・慣用句など多岐にわたる。
アラビア語学者らは今のフスハーをかつてのフスハーとは別物と化していると評することもあり、ニュースで使われているようなフスハーは一般の人々が理解しやすいように簡易化されたもので古典的フスハーとはかなり違っておりアラビア語学者たちの中には「やむを得ない妥協」と見る者もいる。
「万古不変な理想状態のアラビア語はアラビア語を創造した存在でもある唯一神アッラーの元で永遠の時を生きている」「変質し簡略化してしまった現代のフスハーは本当のアラビア語の姿ではない」「アラビア語を変容させてしまったのは地上の人間たちの所業であり本来の理想的なアラビア語は神が住まう天界に変わらぬ姿で存在している」のように現代の”簡略化されかつての姿を失った”フスハーと切り分けて考える人すらいる。
▶政治家の演説やニュース番組でフスハーのみが用いられていると誤解しているもしくは誤認させている
政治家の演説はフスハーだけでなく、わざとアーンミーヤを使う場合もあるので全てではない。リビアのカダフィ(アル=ガッダーフィー)大佐はリビア方言での個性的なスピーチで異彩を放った元首の典型例。イラク大統領だったサッダーム・フセイン(サダム・フセイン)などもかなり口語寄りなスピーチの映像が複数残されている。
北アフリカのマグリブ諸国だと高等教育がフランス語で行われるため、フスハーが苦手でフスハー原稿作成屋を頼ったりする政治家もおり、あきらめて最初からほぼアーンミーヤで話しているケースがマシュリク諸国よりも多め。
ニュース番組は特定国の国営放送局で流れる朝などのトークありニュース番組だと出演者たちが全員アーンミーヤで話していることもある。またフスハーで読み上げるニュース放送でも、ちょっとした相槌や本音コメントだけアーンミーヤに切り替えたりゲストはフスハー-アーンミーヤ中間体(混合体)やアーンミーヤで話したりと、文語と口語がある程度混ざっている番組も少なくない。
▶手紙・私信でもフスハーでしか書かないと誤解しているもしくは誤認させている
手紙はフォーマルなものはフスハーだが、私信やメール・SNS類だとアーンミーヤ率が高い。最近では語学教材として口語アラビア語アーンミーヤで書いた「アラブ人の日記」といったものも売られているほど。
▶アラブ世界では大学を出てもフスハーの運用能力が不十分である若者が多いことが社会問題になっているにもかかわらず、アラブの大学を出た人は皆フスハーの四技能に堪能になり、フスハー会話もペラペラになると誤解しているもしくは誤認させている
アラブの大学はフランス語か英語で授業をすることも多いため、「アラビア語圏の大学を卒業するためには、正則アラビア語の会話、読み書きに堪能でなくてはならない」とは限らず、大卒者間でのフスハー苦手率の上昇が昨今の課題となっている。「カイロ大学のような国立大学の授業は文語で行われる」といった解説はアラブ世界の大学におけるアラビア語事情を知らない方の言説であり、エジプトの大学の内部事情に通じていない・実際に講義を聴講した経験が無いことの裏付けにもなってしまっている。
実際には一部学科を除いてはアーンミーヤが優勢で、新型コロナウイルスが流行しYouTubeでのリモート講義が多数アップされた時期にはカイロ大学の人文系の学科講義はアーンミーヤを聞き取れないと単位が取れないとわかるレベルでエジプト方言による弾丸トークもまた多く、フスハーだけできれば対応できる状態とは程遠いことを改めて認識する結果となった。
そのような状況だからこそアラブ諸国で「高等教育を文語アラビア語でやらないせいでアラブの若者たちがフスハーを上手く話せないまま大人になり、大学を卒業してもフスハーでの作文で間違いをしやすい」と問題になっている。
また「フスハーの読み書きができる=フスハーを流暢に話せる」ではないため、アラブ人は大学・大学院卒で「フスハーを流暢に話せる」というスキルを欠いていることが多い。特にマグリブ諸国はフランス語で教育を受ける期間が長い生徒・学生が多く、アーンミーヤ以外のフスハー運用能力が非常に少なく「フスハーは書くのも話すのも苦手」というケースがしばしば見られることでも知られる。
▶小池氏が在籍したとされるカイロ大学社会学科では教授陣のフスハー率は低く、検証記事では「エジプト方言にどっぷり浸かるような環境であるため伸びるのは主にフスハーは読み・書きで、次いで多少の聴く技能、スピーチは一番向上しにくい技能」であることが説明されていない
社会学科などは講義は英語やフランス語で授業をしない限りテキストやスライド・パワーポイント画面を読み上げる時はフスハーでそれ以外の先生のフリートーク部分は先生によりけりでエジプトアクセントあり+口語語彙混入ありのほぼフスハー会話ないしはアーンミーヤになる。
本を読んで課題を書く部分についてはフスハーのみができればOKだが、残りの部分はフスハーに加えてアーンミーヤが重要になってくる。アーンミーヤを聞き取ることは必須で、スムーズなコミュニケーションのためにはアーンミーヤで先生と質疑応答し・アーンミーヤで同級生たちと会話することも望ましいと言える。
アラビア語学科や宗教大学/イスラーム教専攻系学科のように先生もフスハーで話すことが多く各国留学生がいる関係でフスハー会話でも学生生活を済ませられるケースはフスハーに専念すれば良いため日本人学習者にとっても楽な環境だが、フスハーもアーンミーヤ(現地方言)も欠かせない学科での勉強はアラビア語スキルを磨くという点では倍近い労力を擁するためアラビア語学科などとはまた違った大変さがある。
検証記事ではフスハー能力という要件だけが強調されているが、社会学科のように非アラビア語学科・非宗教学科所属の日本留学生に関しては文語・口語双方のアラビア語を使うことになるというアラビア語学科とはまた違った苦労があるという語学事情に触れられていない。
▶カイロ大学社会学科の先生たちのアラビア語はYouTubeで確認でき、本当に必要なアラビア語技能の種類や必要具合の割合は検証記事で語られているようなものとはだいぶ違う&フスハーとエジプト方言両方の高度な能力が必要
カイロ大学における社会学系講義で各教員がどのようなアラビア語を話しているかについては、YouTubeにあるカイロ大学のブレンディッドラーニング(ブレンド型学習)用チャンネルで確認可能。
エジプトアクセントや口語語彙を多少含むフスハーからほぼエジプト方言まで、色々な度合いのアラビア語が用いられており外国人学習者としては文語アラビア語と口語アラビア語双方の対応能力がかなり求められることがわかる。日本の大学にあるアラビア語専攻に所属する学生であれば留学経験のある5~6回生のうち特にアラビア語が得意な学生もしくは院生でないと聞き取りとノート書き取りの同時進行は難しいレベルだとの印象。
アラビア語専門家らの聞きやすくクリアなフスハー講義に比べるとかなりリスニングが難しい部類に入り、通常の学習者よりも進度が早く学習時間も多いアラビア語専攻学生であっても日本で3~4年ほど学んだ留学前の状態では現行のカイロ大学社会学部で行われているであろう講義に対応できるとは限らず、フスハーとエジプト方言の比率が教員によって異なる上にしゃべるスピードが速いエジプト式早口トークに全部難なくついていける可能性は非常に低いものと思われる。
2)日本リビア友好協会の長であるDr.ムクリビ(?)の招待によるものです
▶検証者側の誤訳・構文解釈間違い、招待したのはリビア日本協会
ここは誤訳で、小池氏は「日本リビア友好協会の長であるDr.ムクリビ(?)の招待によるものです」とは言っていない。語順的に小池氏は「アル=マグリービー(*この部分は誤読で実際にはアル=ムガイリビー/アル=ムゲイリビー/エルマガイリビー/エルマガイリビ)博士率いるリビア日本協会(*ただし小池氏は日本リビア友好協会と通常は解釈される語順で話している)の招待によるものです」で、招待したのは会長という個人ではなく友好協会という組織に呼ばれたと言っている箇所。
検証者氏側が逆順にして訳してしまったもので、主部「今回の訪問は」の述部は「リビア日本友好協会の招きで」という前置詞句。「リビア日本友好協会」という部分にかかっているのが違う前置詞句である「アル=ムガイリビー/アル=ムゲイリビー/エルマガイリビー/エルマガイリビ博士が長たる」という部分。
主部
هذه الزيارة
述部(前置詞+イダーファ構文部分)
بدعوة جمعية الصداقة اليابانية الليبية برئاسة الدكتور المغيربي
└ ب + دعوة
↑ 属格支配
└ 「協会」がメイン部分:جمعية الصداقة اليابانية الليبية / برئاسة الدكتور المغيربي
形式・建前としてはおそらく会長が呼んだことにはなっていたとは思われるが、この会話では会長が自ら招待してきたかどうかには触れていないのでスピーチの直訳としては「日本リビア友好協会の長であるDr.ムクリビ(?)の招待によるものです」は不適かと。
▶正確な人名を確認しておらず、小池氏の動画での発音とも異なる「Dr.ムクリビ(?)」で記事化
アル=ムガイリビー/アル=ムゲイリビー/エルマガイリビー/エルマガイリビ博士博士は”日本リビア”友好協会ではなくリビア日本友好協会(Libyan Japanese Friendship Association、جمعية الصداقة الليبية اليابانية)の方の会長だった人物で、日本リビア友好協会ウェブサイトの『両国のミッション・要人の往来』には彼が当時リビア労働省(وزارة العمل ( والتأهيل ))の一員だったとわかる記載あり。
友好協会ウェブサイトの活動報告に出ている同氏のフルネームを確認しなかったために「Dr.ムクリビ(?)」とクエスチョンマークを付したまま記事化されたものと思われる。
リビアのニュース記事によると小池氏会見動画撮影当時の前後(少し後?)に وكيل وزارة العمل(労働次官)に就任したことがわかる。また日本リビア友好協会ウェブサイトにある写真とリビア系テレビ局提供の同姓同名男性出演番組録画との比較から、両者は同一人物で、現在は弁護士・人権活動家となっているらしいことが推察可能。2011年の記事でも弁護士・政治活動家という肩書きだったことから、ずっと政府の官僚だったわけではなかった様子。
動画で小池氏は「アル=マグリービー」と言っている。語頭は「ム」には聞こえず「マ」、2文字目も「ク」ではなくはっきり「グ」と発音されているため「ムクリビ」とは聞こえないが、日本人検証者氏による動画検証時に子音mにつく母音aと母音uやクとグの聞き分けがなされずムクリビになってしまったか、検証補助役だというエジプト人ジャーナリスト氏が聞き取ってアル=マグリビーの口語発音バリエーションの一つ「(アル=/エル=)ムグリビ(ー)」だろうと推測し小池氏の発音「アル=マグリービー」から修正した上で日本人検証者氏に「アル=ムグリビ(ー)と言っていると思う」と口頭で伝えたものがカタカナ化の際に子音字取り違えが起こってムクリビになった、といった推察も可能かと。
アラビア語をやっている人であれば、モロッコないしはマグリブ(マグレブ)地方のアラビア語名称由来のニスバであるアル=マグリビー関係だと推測できそこから日本語検索・英語検索・アラビア語検索を通じてアラビア語のつづりを探し当てていく起点とすべき箇所となっているが、ここでは実際の表記と発音に関する確認作業は行われず「?」マークを付記した仮のカタカナ表記で終わらせてある模様。
またフスハーでの正しい言い回しに訂正するという趣旨の記事なので、日本語カタカナ表記の慣用に従ってラストネーム部分から定冠詞アルを抜去する代わりにアルなりエルなりを付した方が良いのでは、とも思われる。
▶小池氏が友好協会トップの名前を覚え違いしていたらしい件
小池氏が言及しているのは撮影当時 Libya Japan Friendship Association(リビア日本友好協会)のチェアマン(会長)をしていたムハンマド・アル=ムガイリビー(ムハンマド・アル=ムゲイリビー)氏のこと。
リビアのニュースサイトではアラビア語表記が محمد المغربي となっている場合があり日本リビア友好協会ウェブページでもそれに対応したらしい「Mohammed Elmagrabi」と書かれているが、後半ラストネーム(ニスバ)部分は現地アラビア語記事でも取り違えが見られる紛らわしい語形間違いで、正しくはアル=マグリビー(現地発音:アル=マグラビー、エル=マグラビ)の縮小語形であるアル=ムガイリビーの محمد المغيربي が2パーツタイプフルネームであることが出演番組(司会はフスハーで話しているので、文語発音ムハンマド・アル=ムガイリビーと口語寄りのムハンマド・アル=ムゲイリビーの中間に聞こえるような発音をしている)やリビア関係ニュース記事類で確認可能。
十中八九御本人のものであろうFacebookアカウントによると同氏の公式英字表記は「Mohamed Elmaghairibi」。口語発音準拠ということで本人が意図しているであろう日常会話発音は「モハンメド・エル=マガイリビー(ないしは口語的に短母音化してえエル=マガイリビ)あたりに思えるが、フスハーによる本人の選挙活動ビデオでは「ムハンマド・アル=ムゲイリビー」と言っているので口語色を保持しつつもフスハーに寄せるならムハンマド・アル=ムゲイリビーなどもありかと。英字表記に合わせるとするならば、発音だけでなく「・」の場所も本人意向に沿うならば「モハンメド・アルマガイリビー」ないしは「モハンメド・アルマガイリビ」が良いものと思われる。
なお小池氏の発音では長母音「ー」の位置などが違っており المغريبي [ ’al-maghrībī ] [ アル=マグリービー ] と読まれている。日本リビア協会の「Mohammed Elmagrabi」表記と同様に、伝言ゲームのように途中で本来の語形が崩れて伝わってしまった結果が「アル=マグリービー博士」という呼び方だった可能性が高いかと。小池氏のスピーチからすると、アラビア語原稿で المغربي(アル=マグリビー)でも المغيربي(アル=ムガイリビー)でもない المغريبي(アル=マグリービー)と書かれていてその通りに「アル=マグリービー」と発音された、とも考えられる。
▶アラビア語名称「リビア日本友好協会」「日本リビア友好協会」の違い
小池氏はリビア側友好協会のアラビア語名を Japanese と Libyan を逆にした جمعية الصداقة اليابانية الليبية と言っているが、実際にはリビアの政府・大使館関係やアラブメディアでは「日本リビア友好協会」アラビア語名が Japanese Libyan の語順に沿った جمعية الصداقة اليابانية الليبية となっている。
日本側である日本リビア友好協会(JAPAN-LIBYA FRIENDSHIP ASSOCIATION)サイトバナーのアラビア語表記ではリビア側名称と同じで「リビア・日本友好協会」という語順に相当する جمعية الصداقة الليبية اليابانية が使われているが、語順からするとバナー画像ではアッ=リービーヤ(意味:リビアの)とアル=ヤーバーニーヤ(意味:日本の)が逆になっているのでは、という気も。
そのため日本リビア友好協会側がサイト作成時や小池氏に組織名を伝える際ににリビア側と日本側のそれを取り違え、テレビインタビューでもリビア側の友好協会名称が「日本リビア友好協会」という逆順になってしまったとも推測できるかと。
3)「マンパワー」を「アル・クウワティル・バシャリーヤ」
▶クウワとクーワについてのメモ
クウワとクウワートについては、قُوَّة のラテン文字転写は quwwah ないしは quwwa となっているものの、アラビア語の -uw-(vowel + glide)は長母音 -ū-(long vowel)になるとされていることから qūwah や qūwa という転写になっていたりも。日本語のアラビア語学習書・単語集でも「クーワ」という長母音でカタカナ表記されていることが多いのもそのため。
ただ海外の専門書では形態論(語形論)的な観点から قُوَّة のラテン文字転写は quwā / qūwah ではなく敢えて quwwa / quwwah とすると記しているものも。日本語記事でもクウワとなっている記事があるが、敢えてクーワに修正すべき事例ではない模様。
▶「人の軍隊を推進したいというわけの分からない発言」とあるが、文脈によっては意味が通り得る言い回し
اَلْقُوَّات الْبَشَرِيَّة [ ’al-quwwātu/qūwātu-l-basharīya(h)/bashariyya(h) ] [ アル=クーワートゥ・ル=バシャリーヤ ] は軍事用語としての英語表現「Manpower」「Manpower, Personnel」「Staff- Personnel」「Human Troops」などのアラビア語訳で、軍事関係の文脈だと単数形もしくは複数形で「(軍の)人員」「兵員、兵士」「軍人」「軍事要員」といった意味で使用。その国・組織の軍事力(القوة العسكرية)全般のうち、人間の構成要素である軍人・兵士らのことを指すのに用いられており、それ以外の構成要素である軍用犬やロボット類と対比させられる形で文中に出てくることも。
軍の「人員、兵員」という意味では普通の意味の「マンパワー」同様単数形のクーワ+バシャリーヤが多用されているが、軍事的な人員・兵員という文脈では「人員」の意味として単数形ではなく複数形を用いたクーワート+バシャリーヤも少しながら用いられていることをネット記事やオンライン辞書などで複数確認可能。そのため「「クウワート」(複数形)だと「軍隊」という意味になる」というくだりに関しては、「必ずしもそうとは限らない」と理解すべきかと。
軍関係の文章で اَلْقُوَّات الْبَشَرِيَّة [ ’al-quwwātu/qūwātu-l-basharīya(h)/bashariyya(h) ] [ アル=クーワートゥ・ル=バシャリーヤ ] とある場合は英語の「(military) manpowers」や「(military) personnels」対応表現として「軍人ら」「兵士ら」「軍事要員たち」と解釈する方向がベターで、”「人間の軍隊」としか訳しようが無い実在しない言い回し”とはならないように思われる。クーワート単体だと「軍、軍隊」となるが、これにバシャリーヤを付した場合は兵器類ではない人間部分の軍構成要素たる「軍人、軍の人的要員」といった意味で実際に用いられている事例が複数確認でいるので、「人間の軍隊という訳のわからない言葉なので明らかに間違い」とのみ解説しているものは、解説者の語彙不足ないしは意図的な誘導のどちらかになるため閲覧者は注意が必要かと。
「”人の軍隊を推進したい”というわけの分からない発言」というのは検証者氏が敢えて意味の通らない不可解な和訳にしているため意味不明・珍妙に感じるようにできているだけで、通常軍事的な文脈では تَشْجِيع الْقُوَّاتِ الْبَشَرِيَّةِ と出されれば「人の軍隊の推進」とは訳さずに「兵員たちの激励」「兵員たちを~するよう促すこと」といった方向性の受け止め方をされ得る部分かと。
そのため検証記事としては「マンパワーの推進と言うべき部分で軍事的な文脈で”人員、兵士たち”として多用する複数形の言い回しの方を使っているため、ネイティブは誤用だと理解して流すものの、軍事関係の文脈で使うと厳密には兵員たちの激励といった意味になりかねない。」と説明するのが良いのでは、との印象。
▶アラブ人は「複数形にしちゃったんだな」と思うだけで「マンパワーのことを指している」と容易に理解する、ということに触れられていない
小池氏のテレビ会見では各分野での人材育成について話している。
تَشْجِيع الْقُوَّاتِ الْبَشَرِيَّةِ そのものだと実際の使用例はネット検索では出てこないがバシャリーヤ抜きの تشجيع القوات は「(軍事的な行為や道徳遵守など)兵士たちに対して何かをするよう促す・何かに励むよう激励する」「(職務を頑張るようにと)兵士たちを激励・支援・応援する」という文脈で使われていることから、「軍人員らの激励」といったイメージを与える言い回しとなり、話の流れとずれが生じる。
ただしネイティブ側は通常単数形クーワを使うところを複数形のクーワートにしてしまったのだろうと言い間違いをスルーし、文脈からごく普通の「マンパワー推進」を意図しているものとして理解するのが一般的な反応だと思われる。
4)ムムキン(可能である)」をなぜか「ムムキナ」と女性形で言い
▶小池氏だけでなくネイティブでも時々間違える人がおり、「なぜか女性形にした」「ネイティブなら絶対にしない」「小池氏だけがそんな間違いをしている」と原因やネイティブも行う誤用なのか調べずに検証者の印象・感想だけで片付けるべきではないかと
小池氏に限らず、ネイティブのアラブ人の作文でも時々見られる言い間違い/書き間違いで、そうなるような何らかの要因があると推察される。そのため「ネイティブもしないようなあり得ないミスをしている」と安易に評価しないよう要注意なポイント。
記事には”なぜか ― 女性形で言い”とあるが、複数のネイティブがこれを書いてしまうのにはおそらくある程度理由があり日本人が間違える際にも同様の要因が働いていることも考えられるので、本来はここで止めずに検証を続けるべきかと。
検証を進めずに「なぜかそう言った」「訳のわからない言い間違い」「意味不明すぎる」「文法的な不整合にぞわぞわする」という抽象的な結論で済ませると、言い間違えた人物が決して起こることが無いような異常なミスをしたと誤解させやすくなったり、誤用をした人物の語学力がただただ拙いだけだと強調されてそれで終わりとなり、アラビア語解説としての詳細度・専門性を欠いてしまうとも言える。
▶「ムンキン」が「ムンキナ」という女性形になるのはこの定型句の構造と形容詞の位置の問題が関係?
本来「できるだけ早い時間に、できるだけ早い時期に(as soon as possible)」という表現は「時間(time)」を意味する名詞 وَقْت [ waqt ] [ ワクト ] が男性名詞なので「可能な」と意味する直後の形容詞も男性形で揃えて مُمْكِن [ mumkin ] [ ムンキン ](*学界標準カタカナ表記はムンキンだが、実際には minkin ではなく mumkin なので敢えてムムキンと書く人も。)とし、فِي أَقْرَبِ وَقْتٍ مُمْكِنٍ [ fī ’aqrabi waqtin mumkin(in) ] [ フィー・アクラビ・ワクティン・ムンキン ](口語寄り日常会話発音:フィー・アクラブ・ワクト・ムンキン)となる。
ところが男性形のままで良いはずの مُمْكِن [ mumkin ] [ ムンキン ] を女性形にして فِي أَقْرَبِ وَقْتٍ مُمْكِنَةٍ [ fī ’aqrabi waqtin mumkina(tin) ] [ フィー・アクラビ・ワクティン・ムンキナ ](口語寄り日常会話発音:フィー・アクラブ・ワクト・ムンキナ)と書くアラブ人が一定いる。小池氏は「できるだけ早くに」という熟語を思い出せずにいたところ、横の補助役と思われる随行男性から فِي أَقْرَبِ وَقْتٍ مُمْكِنٍ [ fī ’aqrabi waqtin mumkin(in) ] [ フィー・アクラビ・ワクティン・ムンキン ](口語寄り日常会話発音:フィー・アクラブ・ワクト・ムンキン)を教えられたが、その直後にと فِي أَقْرَبِ وَقْتٍ مُمْكِنَةٍ [ fī ’aqrabi waqtin mumkina(tin) ] [ フィー・アクラビ・ワクティン・ムンキナ ](口語寄り日常会話発音:フィー・アクラブ・ワクト・ムンキナ)と言った流れとなっている。
ネイティブのアラブ人がこの言い間違い/書き間違いをする件に関しては、全く同じ「できるだけ早い時間に、できるだけ早い時期に(as soon as possible)」という意味で名詞 وَقْت [ waqt ] [ ワクト ] を複数形の أَوْقَات [ ’awqāt / ’auqāt ] [ アウカート ](*男性名詞でも複数形になると女性扱いに変わるため、最後のムンキンがムンキナに変わる)としかつ定冠詞を添えた فِي أَقْرَبِ الْأَوْقَاتِ الْمُمْكِنَةِ [ fī ’aqrabi-l-’awqāti/’awqāti-l-mumkina(ti) ] [ フィー・アクラビ・ル=アウカーティ・ル=ムンキナ(ティ) ] と上記の同等表現とが混同された結果 فِي أَقْرَبِ وَقْتٍ مُمْكِنَةٍ [ fī ’aqrabi waqtin mumkina(tin) ] [ フィー・アクラビ・ワクティン・ムンキナ ](口語寄り日常会話発音:フィー・アクラブ・ワクト・ムンキナ)になってしまっている可能性、ないしは「最上級+属格名詞+形容詞による後置修飾」という構文のせいで性をどちらとして扱うのかを見誤りムンキンを男性形ではなく女性形のムンキナにした可能性も考えられる。
ただ小池氏は不要な語末に ـة(ター・マルブータ)を付加するという事例が他のアラビア語スピーチにもあるため、「最上級+属格名詞+形容詞による後置修飾」という構文とは無関係な、「つけなくても良い部分に不要なター・マブルータをつけ mimkin(ムンキン)の語尾に -a が加わるという女性名詞化・女性形容詞化して話してしまうことがある」という癖だとも考え得る。
▶動画で小池氏は女性形「ムンキナ」を使う同等表現「フィー・アクラビ・ル=アウカーティ・ル=ムンキナ」を言いかけていたと思われる音声が聞き取れる
小池氏がムンキンではなくムンキナと言ったのがネイティブの誤用をそのまま覚えていたからなのか、用意されていた原稿では「フィー・アクラビ・ル=アウカーティ・ル=ムンキナ」だったのに横にいる補助役アラブ人が「フィー・アクラブ・ワクト・ムンキン」を教えてしまったために混乱が起こったのか、それとも男性名詞に修飾させる形容詞を男性形で揃えることが元々苦手だった/忘却でとっさに出てこなかったからなのかは不明。
ただ、言い淀んだ際に「フィー・アウ…えー」と何かを言いかけたことからフィーの直後のアクラブ(エジプト方言だとアァラブとアッラブを混ぜたような発音)をスキップして「時間」の複数形であるアウカートを定冠詞抜きで口にしようとしながらもその部分を忘れたことに気付いて止めたとも受け止められる流れとなっている。
もしそうだとすると原稿では「フィー・アクラビ・ル=アウカーティ・ル=ムンキナ」だったために事前練習の際に口にしていた「ムンキナ」がそのまま記憶の引き出しから登場し、単数形での言い回しに変わった助け舟のせりふそのままに男性形の「ムンキン」と言えなかった、とも推測される。
検証記事では動画の精査が行われなかったのか、小池氏がムンキナと女性形を使った理由のヒントがある程度示されているにもかかわらず「なぜか女性形にした」と原因を調査しないままになっている。
なお、補助役の男性は特にこれといったやり取りも無く小池氏が「フィー・アウ…えー」と口にしただけで言うべき続きを言えていたので、おそらく談話の原稿を全部頭に入れている担当者か何かでスピーチが途切れた時点で該当箇所を伝えたものと思われる。
5)「ヌサーイド・シャフス・ワ・シャアブ」という発言は「人と国民を助ける」という意味で言っているようだが、この「人」というのが誰のことを言っているのか分からない。
▶小池氏のアラビア語スピーチの原文通りにカタカナ表記されておらず定冠詞が抜けている
検証記事では定冠詞抜けあり。ここではフスハーとしての正確な修正候補を出すという趣旨なので、日本語カタカナ表記の慣用に従った定冠詞アル抜去は不適かと。小池氏の実際のスピーチではヌサーイドの後に少し間をおいて、定冠詞ありの「ヌサーイド…アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ(نساعد … الشخص والشعب)」と発言している。
▶「人と国民を助ける」「誰のことを言っているのか分からない」は検証者側がわからなかっただけで実在、「個人と集団」「個人と人民」という対になる2語の対比・セットとしてアラブ世界で使われている
実際には「アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ・ッ=リービー(الشخص والشعب الليبي)」という発言部分である「シャフス・ワ・シャアブ」だが、必ず辞書に載っていて誰もが使っているというわけではないものの、一応アラブの記事や投稿で使われていることもある実在の言い回し。
個人と集団という2つの対比的な存在を並べているもので「كرامة الشخص والشعب」「حرية الشخص والشعب」「احترام الشخص والشعب」「فيحجب الشخص والشعب عن المنهج العلمي」「الدفاع عن الشخص والشعب والوطن」「بناء على ما يعيشه الشخص والشعب」「رادع قانوني يحمي الشخص والشعب」「فالمراجعة تشمل الشخص والشعب」といった用例がある。
これらから「個人と集団」「個と集団」「個人と人民」「個と人民」を指しており、英語表現の「the individual and the people」ないしは「the individual and the group」がアラビア語化された近現代アラビア語に多い外来表現であることが推測可能。
これに「リビアの、リビア人の」(الليبي)という形容詞をつけて الشخص الليبي + الشعب الليبي(リビア人個人+リビア人集団)と解釈して「リビアの個人なり集団なり」として意味が通り得る。
▶対応する表現は人的援助に関する文脈で使用された形跡が確認でき、近現代にアラブ世界に輸入された直訳表現だと思われる
小池氏による言い回し「نساعد الشخص والشعب」が各所で検索してもヒット0件であることを考えると、アラビア語において古くから使われ定着しており、かつネイティブが常用するような古来からある伝統的アラビア語表現だとすることは難しいものと考えられる。
近現代に英語などから直輸入された熟語類はアラビア語辞典にも未掲載であることが珍しくなく、アラブ人全体がこぞって使うわけではないのでネット検索をしてもヒット件数が少ないということがしばしばある。古典資料検索でも「アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ(الشخص والشعب)」では掲載書籍は表示されないなど、アラビア語固有の表現ではなくかつアラブ世界に移入された時期がかなり最近だということを示唆した結果となっている。
アラビア語の記事にヌサーイド(我々は援助する)の部分を動名詞(援助、援助すること)に置き換えた類似表現 مساعدة شخص/شعب [ ムサーアダ(ト)・シャフス・シャアブ ](個人/人民の援助)があり横にフランス語での表現「assistance ; personne/peuple」が添えられているものがあり、やはり人権・人的援助といった文脈で使われている「個、個人」-「集団、人民」対比フレーズがアラビア語化されたのでは、との印象。
こうした言い回しの使用については、小池氏インタビューには元になっている原稿がありこの動画の回については英語-アラビア語翻訳者(外交関係のアラビア語用語を色々と知っている人物)が執筆した可能性なども感じさせるポイントともなっているような気も。
▶小池氏のスピーチ「ヌサーイド…アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ(نساعد … الشخص والشعب)」が具体的に示すもの
ここの回答は取材者がリビア国民らに対する何か特定の支援策群(مساعدات معينة للشعب الليبي)はあるか尋ねた直後の部分で、「ヌサーイド…アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ(نساعد … الشخص والشعب)」は「個人レベルでも集団レベルでも、日本はリビア国民を支援する」という広範にわたる援助の意向があることを示していると解釈し得るものと思われる。
「個人と集団」という意味では「個人(単数形)+人民(単数形)」の「الشخص والشعب」ではなく「個人(複数形)+人民(単数形)」の「أشخاص وشعب」「الأشخاص والشعب」、「個人(複数形)+人民(複数形)」の「الأشخاص والشعوب」の方がはるかに多用され、英語の「individuals and peoples」や「persons and peoples」に対応。ただここではリビアという国に限定しており、リビア国民については「الشعوب الليبيون」のような複数形ではなく「الشعب الليبي」という単数形で表現することから、「単数形+単数形」の「アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ(الشخص والشعب)」が敢えて使われていると考えることもできるかと。
▶検証者が「何を指しているのかわからない」と判断したのは、同じ単語が持ついくつかの語義から適切なものを選ばなかったことが原因
“この「人」というのが誰のことを言っているのか分からない”というのは、「”人と国民を助ける”という意味で言っているようだ」と見当をつけた検証者氏側がアッ=シャフスを「特定の人一人」、アッ=シャアブを「リビア国民全体」と訳出しようとしたことが原因だと思われる。
الشخص を普遍的な「個人」という存在ではなく既知かつ誰か特定の1人としての「人」、الشعب を「(リビア)国民(全体)」と解釈してしまうと「the personというのはリビアの一体誰のことを指しているのか?」となり直後に来る「個人、個」の対照的な存在である「集団、複数人民」と結びつかなくなってしまう。
これは検証者側のアラビア語読解能力や語彙力に起因する部分であり、小池氏側の表現がアラブ諸国で決して使われることの無い奇妙なだったものだったがゆえの理解不能ではなかった可能性が高い箇所。検証者側のアラビア語訳出作業中断を小池氏のアラビア語低スキルに置き換えているとも言える結論なので、注意が必要だと思われる。
▶小池氏の目線と横にいた男性の支援、原稿ライターがいたかどうか
小池氏はこの会見でフスハー会話を行っているが、話の最中に右斜め先を見て定期的に何かを確認されている様子からも、視線の先に何かが置かれていたか、暗記していた文章を思い出そうとするとカメラ目線でなくなる無意識の癖があるといった可能性が考えられる。
横にいる補助役男性が言うべきせりふを知っていた様子を見せていることから、元々はネイティブなりスタッフなりが作成した外交スピーチ用の原稿があったか事前におおまかな内容の確認作業があったのでは、との印象も。
そうなると「アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ」自体が小池氏に起因する部分ではなくアラビア語ネイティブなりが作成した文章の一部で、アラブ人が書き起こしたサンプル文の時点でそうなっていたと推測することも必要になってくるかと。
ただし「個と集団」「個と人民」のよくある言い回しの比率などを見る限り、元の原稿では「個人(単数形)+人民(単数形)」の「الشخص والشعب」ではなく「個人(複数形)+人民(単数形)」の「الأشخاص والشعب」となっており小池氏が発話の時点で1語目の「個人」を複数形にしなかった、という可能性も否定できない。
6)アッラジーナ・ヤドルスーナ
▶厳密にはアッラジーナは原語発音から外れている
現在の標準カタカナ表記は「アッラズィーナ・ヤドルスーナ」。アッラズィーナをアッラジーナとするのは、アラビア語本来の zi(舌を歯の間にはさまないズィ)音や dhi(舌を歯の間にはさむズィ)音を ji(ジ)音に置き換えるという日本語カタカナ表記による慣用だが、これをしてしまうと音の響きや長母音の有無で意味が全然違ってくるアラビア語の読みガナとしては△。日本における中東関連学界の標準的カタカナ表記であるアッラズィーナの方が望ましいものと思われる。
▶アッラズィーナ(アッラジーナ)が不要であるにもかかわらず必要であると訂正しており、検証者側がアラビア語の関係代名詞や形容詞句/形容詞節文法を間違えている
検証記事で正しい言い回しとして関係代名詞+動詞未完了形の الذين يدرسون が提示されているが、小池氏はリビア人学生たちを「タラバ・リービーイーン」と定冠詞(限定辞)無しの非限定形で話しているようでタラバ(طَلَبَة [ ṭalaba(h) ] [ タラバ ] は طُلَّاب [ ṭullāb ] [ トゥッラーブ ] と並んでしばしば使われている、名詞 طَالِب [ ṭālib ] [ ターリブ ](学生)の不規則複数形)の前とリービーイーンの前に定冠詞が聞こえない。
小池氏はおそらく無冠詞(無限定辞)の非限定で話しているため、検証記事が正解として挙げたものはむしろ間違いで、関係代名詞のアッラズィーナ(文中ではアッラジーナ)除去が必要。
「タラバ・リービーイーン(طلبة ليبيين)」のタラバのような非限定名詞に関係代名詞アッラズィーナをつけるのは逆に文法間違い(*アラビア語では形容詞節による名詞の修飾的に扱う文法事項)となることから、「アッラジーナ・ヤドルスーナ」となっている箇所は「ヤドルスーナ」のみにする必要あり。
◯ طلبة ليبيين يدرسون(タラバ・リービーイーン・ヤドルスーナ)
✕ طلبة ليبيين الذين يدرسون(タラバ・リービーイーン・アッラズィーナ・ヤドルスーナ)
【定冠詞をつける場合】الطلبة الليبيين الذين يدرسون(アッ=タラバ・ッ=リービーイーン・アッラズィーナ・ヤドルスーナ)
7)この種のテレビ・インタビューは正則アラビア語で話すのが当たり前
▶検証者側の事実誤認か、事実と異なる脚色かのいずれか
こうしたテレビインタビューでは文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)のみを使うのは当たり前ではなく、100%フスハー会話以外の中間体(混合体)が多用されているアラブ諸国における現状に反する。
政治家インタビューは文語-口語中間体(混合体)であることも多く、現エジプト大統領や閣僚の記者会見でもアーンミーヤ混じりだったり、舌を歯にはさむ子音の発音がはさまないエジプト式発音だったりする。エジプト政府閣僚の独占インタビュー番組ではエジプト方言全開のこともある。
実際に歴代のエジプト大統領たちが壇上でスピーチしている会見映像を複数確認したが、フスハーで話している場合もせりふなどの部分でアーンミーヤを混ぜたり、フスハーをアーンミーヤに寄せた混合体になっていたり、参列席からコメントする時はアーンミーヤだったりと、公式行事でのスピーチといってもそのアラビア語の様相は一定ではないことを改めて確認する結果となった。
▶政治家がインタビューで文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)で話せないと問題になるようなケースとは?
フスハー会話の得意な国民が多い地域だと、フスハー会話能力が求められている立場の人間が明らかに純フスハーで会話をすべきシーンにおいて正しくフスハーを運用できない場合は、アラブ人として備えておくべき教養を欠いているとか、資質に欠けるとか、中学~大学頃の学歴に疑義があるなどと言われることもある。
コネ社会と汚職蔓延で縁故採用が増加したイラクなどでは、レバノンやイランの大学に行き学位を買って帰国した人物が政府内で職を得るということがしばしばある。ネイティブのアラブ人でもフスハーのフリースピーチが苦手なものは少なくないが、アラビア語による講義の割合が高い大学生活を送った人物であれば自力で話せなくても、書かれた原稿を読むだけなら一通りできることが一般的。
若手国会議員などが標準よりも原稿の読み間違いを連発するようなケースでは、議長がその都度マイク越しに訂正するといった事例も発生。フスハーによる音読能力(注:自由なテーマでの会話とは別物)の著しい低さは、卒業証書取得の経緯を疑われる場合もある。
なお小池氏は原稿がアラビア語で書かれているのか英語で読み方が添えてあるのかは不明だが、原稿の音読自体はできており、ネイティブたちには「アラビア語学習経験がある人の話し方」だと認識される話し方をしている。
▶アラブ世界には軍出身だったりフランス語・英語で大学・大学院教育まで済ませたエリートたちが国家元首になると、文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)スピーチが苦手なことで有名になりやすい
軍部出身の現エジプト大統領はアーンミーヤ会話を行う人物として知られており、公的行事での演説・記者会見・エジプトメディアでの出演のいずれもエジプト方言で話している割合が非常に大きい。アラブ諸国では軍部出身者は文語アラビア語によるスピーチを重視しない軍人教育を受けてきたことから、フスハー会話が得意でない人が多い。
少年期から英国留学生活を送りサンドハーストを卒業したヨルダン国王も軍人色が強い元首だが、即位当時はまだアラビア語の会話に苦労していたものの年数をかけ習得、現在も公的な場でのフスハー文読み上げ以外は英語アクセントの入ったアーンミーヤ会話(ヨルダン方言)を行っていることが多い。
▶「政治家インタビューは正則アラビア語で話すのが当たり前」「だからエジプト方言と混ぜて話している小池氏のアラビア語はネイティブとしてはあり得ない」は検証記事特有の主張で、アラビア語の文語・口語に関する知識が不足していることによる誤解か、脚色・創作のどちらか
文語の運用能力が低いためにフスハーとアーンミーヤの混成になっている場合でなければ、現地の政治家・知識人が普通にやっていることなので問題視されない。正則アラビア語と現地方言を混ぜることはその場に見合った効果的な手段となり得ることが認知されており、適度に両者を混ぜることは政治家の大切な資質の一つともなっている。
逆にフスハーで押し通すと「インテリぶって民の気持ちに寄り添おうとしない」「偉そうにしていて距離感を覚える」などと言われることもあり、政治家のスピーチやインタビューでは一定割合のアーンミーヤ混入を意図的に行うことも珍しくない。
フスハー会話が得意でない人が多いチュニジアでフスハー会話をポリシーとしてきたカイス・サイード大統領は文語アラビア語で話し続けるその様子と政治家としての人となりゆえに反対派から「ロボコップ(روبوكوب)」と呼ばれるようになったことでも有名。
民衆が皆アーンミーヤを話しているのにフスハーを押し通そうとする政治家が「冷酷」「人間味に欠ける」と受け止められ得ること、そうした支持率に直結する重大な理由があるためにテレビ・インタビューで皆がフスハーだけの会話を押し通そうとせずケースバイケースでアーンミーヤを混ぜている件を示唆しているエピソードともなっている。
この検証記事は「政治家が公的な場でフスハーしか話さないとむしろ人心が離れ嫌われかねない」というアラビア語世界特有の事情を考慮に入れておらず、非ネイティブにありがちな「フスハーとアーンミーヤとの対立・分断」「アラビア語の文語と口語は水と油のような関係」といったフスハーについての誤解・事実誤認・虚像が補強された形となってしまっている。
▶有名人が口語アラビア語(方言)を使うことで人気を得るという実例は、フスハー会話が苦手な人の多いエジプトに複数のエピソードが存在する
エジプト方言による口語アラビア語(アーンミーヤ)会話を通じて親近感と庶民層からの絶大なる人気・信頼を獲得したエジプトの有名人としては、宗教家のムハンマド・アッ=シャアラーウィー師が挙げられる。
彼は1960年代以降エジプトの(アル=)アズハル大学の一員として活躍を始め、1970年代以降はエジプト政府ワクフ省のトップとなった。彼の講話の録音・録画は未だにアラブ諸国における人気コンテンツで、好んで視聴されている。
彼はイスラーム教の専門家としてアラビア語諸学の訓練を受けたため流暢なフスハー、フスハーとアーンミーヤとの混合体、アーンミーヤ各パターンのアラビア語を話すことができ実際には色々なバリエーションのアラビア語を駆使。フスハー度合いが強めな談話録画も残されているが、エジプトの民衆に語りかける時はエジプト方言で説き・問いかけ・語り合うというスタイルを得意とし、フスハーは得意ではないもののイスラーム復興の中で自身の宗教に関心を寄せるに至った大衆層から支持を得た。
▶検証記事が存在を無視した形となった、ハイレベル層が話す文語-口語アラビア語混合体(中間体)
知識人が話すフスハー割合が非常に高い会話は「知識人たちのアーンミーヤ(عامية المثقفين)」― Educated Spoken Arabic(ESA) ないしは Formal Spoken Arabic (FSA)ー と呼ばれ、一般庶民が話す方言オンリーの会話に比べると非常にかしこまった知的階層特有のアラビア語とされているが、インタビュー番組ではそうしたタイプのアラビア語が純フスハー会話の代替として広く用いられている。
▶検証記事作成に関わった協力者のエジプト人が「この種のテレビ・インタビューは正則アラビア語で話すのが当たり前」と教えたとは考えにくい
公的な場で用いる純フスハーでも純アーンミーヤでもないアラビア語についてはアラブ諸国でも世界各国のアラビア語研究業界でもよく知られた存在なので、アラビア語ネイティブである検証参加者のエジプト人ジャーナリスト氏が「この種のテレビ・インタビューは正則アラビア語で話すのが当たり前」と解説するということは考えにくい。
▶「この種のテレビ・インタビューは正則アラビア語で話すのが当たり前」は日本人検証者氏が自身でアラブ人政治家たちのインタビュー映像を多数視聴したことが無く、フスハーとアーンミーヤの実際の使用状況を知らない可能性を示唆
そのため、日本人検証者氏側が「アラビア語には純フスハーと純アーンミーヤしかなく互いに分断されている」「それらを混ぜることは間違いとされる」という誤解をアラビア語学徒時代からそのまま保持されている可能性、アラビア語でフスハーとアーンミーヤの混合問題について改めて調べたり英語で書かれた研究論文などを読んだりされずに記事を書かれた可能性、もしくは実像を知ってはいるもののネイティブでも得意ではない人の方が多い100%純フスハー会話ができないことが本来ならあり得ないはずだとの印象を強めるためにフスハーとアーンミーヤとの分断を誇張し事実に反する描写を意図的に行った可能性のいずれかが高いと推測せざるを得ない箇所となってしまっている。
このような解説文は検証者氏側がアラビア語による政治家たちのテレビインタビューをあまり見たことが無い裏付けにもなり、アラビア語に通じた人物だという検証役としての適性を否定する結果となってしまうため、引き換えとなるリスクが高いとも言える。
▶「政治家は公的な場でフスハーしか話さない」「ニュース番組はフスハーのみ」は日本のアラビア語教育の場で再生産されてきた古典的・典型的な誤解でもある
日本では長年こうした不正確な認識がアラビア語教育・学習者界隈で流布。当時学生だった世代が教える側に回った今でも完全には消えていない状態で、過去約20年以内に出版された学習書でも「アーンミーヤは読み書きには使われず、文字は持たず、話す場合にのみ使われる」「アーンミーヤは話し言葉なので原則として文字に書かれない」「アーンミーヤを書き記すということ自体が話し手にとって不思議で理解できない行為」と説明しているものがある。
フスハーとアーンミーヤの分断は、伝聞の伝聞という形で複数世代にわたって循環してきた百年超えものの古い情報や未アップデートゆえの現状誤認を再生産しているケースに該当。「この種のテレビ・インタビューは正則アラビア語で話すのが当たり前」は、検証者氏が日本の語学学校でアラビア語を学ばれていた頃に見聞きされたそれらが修正されないまま検証記事執筆時の論拠となってしまったとも考え得る。
8)サナ・リファーテット
▶小池氏は「サナ・リファーテット」とは言っていない
小池氏は「サナ・リファーテット」ではなく、微妙に違う「サナ・イッリ・ファーテット」と言っている。「サナ・リファーテット」は検証し側の聞き逃しである可能性が高いかと。
小池氏スピーチのこの箇所に関しては、エジプト方言としては定冠詞つきの「イッ=サナ・イッリ・ファーテト」だが小池氏は語頭の定冠詞は読んでいないようで「…ッ…サナ・イッリ・ファーテット」と会話。最初に微妙に「ッ」と言っているようにも聞こえるが、ヘッドホンを装着し音量を上げて複数回聞き取りした限りでは「サナ・イッリ・ファーテット」。
実際の動画では「サナ・リファーテット」ではなくアーンミーヤ版関係代名詞 اللي を本来の重子音部分もそのままで発音しているので「サナ・イッリ・ファーテット」と言っている。
最後の動詞完了形については fātet(ファーテト)とか fātit(ファーティト)のような活用が基本的だが、語末の t が重子音化した tt に聞こえることもあり、小池氏は著作の中でもそのような英字表記になるという特徴あり。そのため「サナ・イッリ・ファーテト」ではなく「サナ・イッリ・ファーテット」と発音しているものと思われる。
9)サナ・マーディーヤ
▶「アッ=サナ・アル=マーディヤ(アッ=サナタ・ル=マーディヤ)」とすべきところを、定冠詞を抜き、さらに2語目の発音を間違え口語アラビア語発音にしてしまっており、検証者側のアラビア語間違いならびにフスハーとアーンミーヤの混同に当たる
検証者側のアラビア語間違い、フスハーとアーンミーヤの混同箇所で、「小池氏のちゃんぽんアラビア語を正則アラビア語に訂正する」という趣旨に合っていない。定冠詞抜けと語形取り違えによる余剰「ー」表記で正解として提示するには不適切。
第3語根弱文字動詞の能動分詞女性形 مَاضِيَة [ māḍiya(h) ] [ マーディヤ ] をニスバ形容詞+女性語尾の語形である مَاضِيَّة [ māḍīya(h) ] [ マーディーヤ ](エジプト方言だとマーディイヤ的な発音)と読んでしまう誤読はネイティブに非常に多く、フスハー文法の覚え間違い、フスハー語形とアーンミーヤ語形を混同してしまい正しいマーディヤの代わりにマーディーヤと発音している事例に当たる。
ネイティブは日常会話の口語アラビア語でマーディーヤという発音に置き換わっている方言もあるためフスハー会話やフスハー文章への発音記号つけの時にそのまま間違ってマーディーヤとしてしまいやすく、こうしたアラビア語間違いから、検証者氏がエジプト出身協力者に教えてもらった内容をそのまま訂正せずに間違ったまま記事に掲載した可能性が考えられる。
また、今の時点から振り返っての「昨年(に)」という時は定冠詞アルをつける。後置による形容詞修飾なので、サナにもマーディヤにも定冠詞をつける修正が別途必要。無冠詞のサナ・マーディヤを使うのは「أربعون سنة ماضية」(アルバウーン・サナ・マーディヤ、過去の40年間)のように年数を数える時など。
▶本来掲載すべきだった訂正候補は「アッ=サナタ・ル=マーディヤ」(簡略化発音:アッ=サナ・ル=マーディヤ)ないしは「アル=アーマ・ル=マーディー」(厳密にはアル=アーマ・ル=マーディヤ)
正しい発音の解説という性質から、本件のような検証記事では日本語カタカナ表記の慣用に従い元のアラビア語文に含まれている定冠詞アルを全て抜去してしまった書き方は不適切だと思われる。
正確な言い換え候補に関してはサナとマーディヤのそれぞれに定冠詞アルを付加。小池氏のスピーチ内では時を表す対格部分に当たるので、堅い文語発音だと「アッ=サナタ・ル=マーディヤ」(簡略化発音:アッ=サナ・ル=マーディヤ)に。男性名詞を使った同等表現としては「アル=アーマ・ル=マーディー」(非常に文語的な堅い発音:アル=アーマ・ル=マーディヤ)。
▶同じ「年」でもサナとアームは元々微妙にニュアンスが違ったという説
今では同義語として特に気にせず「(1)年」という意味で使っているサナ(سنة)とアーム(عام)。しかしクルアーン解釈をからめての語義解説では元々これらに違いがあったとしており、古のアラブ世界ではニュアンスに差があったとも。サナは雨不足による干ばつといった苦難に見舞われた年の時、アームはそうした災難が無く安寧に暮らせた年の時に使うといった区別を古のアラブ人たちはしていたといった記述も見られる。
フスハーとしてのアラビア語能力を厳しく問うという検証記事の性質上、そこまの知識や使い分けが求められるとなると、小池氏スピーチでは前向きな外交の話をしているので「アル=アーマ・ル=マーディー」(非常に文語的な堅い発音:アル=アーマ・ル=マーディヤ)を選ぶのが良く、検証記事が正しい言い方としているサナも修正すべきだということにもなってくるかと。
▶マーディヤをマーディーヤと読んでしまったのは、日本人検証者氏と協力者のエジプト人のどちらだったのか?
マーディヤをマーディーヤと誤読するのは文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)文法に明るくないネイティブのアラブ人にも日本人学習者にも非常に多く、この部分が検証者氏由来なのか、検証に参加したエジプト出身英語科卒のロンドン在住ジャーナリスト氏由来なのかは、判断が難しい。
もしアラビア語ネイティブのアラブ人側の誤読である場合、メディア業界に多いタイプの文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)文法・語形に極めて精通しているのではない人物で、誤用や口語表現を全部フスハーとしての正しいそれに置き換えるという趣旨の動画検証作業に関する適性を十分に有していないにもかかわらずフスハーのプロとして起用してしまったということにもなりかねず、本検証記事の信頼性に関する不安要素の一つともなっている。
▶「アラビア語で文語と口語を混ぜるなどあり得ずアラビア語能力が足りない人だけがやる」と批判していながらも、検証記事がそれをしてしまっているという矛盾
検証記事では「文語と口語が混ざり合うことなど本来あり得ない」と説明されているが、この部分はちょうどそうした「文語表現に口語発音・口語語形への置き換えという要素が混ざって、文語寄りの文語-口語ミックス状態になっている」事例に相当する。
アラブ世界でもアラビア語専門家向けの論文やジャーナル記事で「アラビア語の誤用が多くけしからん」「文語と口語の混用を制限しよう」といった批判はよく目にするが、そうした記事の中でも批判の対象となっているような誤字脱字があるなど、フスハーとアーンミーヤの区別というのは小池氏アラビア語検証・批判記事が主張しているほどネイティブにとっては簡単な行為というわけではない。
10)クント・アンティ
▶小池氏は「クント・アンティ」とは言っていない
検証者氏の間違いによる誤字か、出版社側のミスによる誤植。小池氏は「クント・アンティ」とは言っておらず「クント・アンディー」と発音している。口語風の短母音化した「クント・アンディ」ではなくここでは「ー」と長めに発音しているため、ここでは厳密には「クント・アンディー」とすべきかと。
主語が1語目の次の次という少し離れた後方に来る女性名詞であるという構文に反して、直後にある前置詞についている一人称の「私」に引っ張られて、カーナ動詞が一人称単数の語形クントになってしまっている。小池氏が文語・口語共通の文法を間違えている箇所に当たる。
11)カーナット・アインディ
▶厳密には「カーナット・アインディ」という発音ではなく、フスハー発音としては読み間違いや口語発音との混同とも判定し得るカタカナ表記
小池氏のアラビア語を訂正するという趣旨の記事なので、正確に標準的カタカナ表記「カーナト・インディー(kānat ‘indī)」を採用すべきかと。
フスハー発音ということであればカーナット(kānatt)の促音部分「ッ」は不要で「カーナト」(kānat)、最後については長母音なのでディではなく「ー」を付加したディーとする必要あり。
なお語頭に母音アがつくアンディーは口語系発音で文語発音がインディー。インの部分はアインと聞こえるほどの発音にはならずアを付加するような発音は子音 ع(アイン)の強調のしすぎとなってしまい余剰なので、アインディー(‘ayndī ないしは ‘aindī)等とする必要はおそらく無く学界標準カタカナ表記のインディー(‘indī)が良いものと思われる。
またアインディ(インディ)のように語末の「ー」を除去するのは口語発音における長母音の短母音化に対応しているため、アインディではなくインディーのように「ー」をつけないと「文語に口語要素を混ぜることは語学力不足ゆえ」「言い間違いをした話者の代わりに検証者が正しい純フスハーでの言い換え表現を提示する」という検証記事の方針に反することにもなってしまっている。
▶実際には「カーナト・インディー」「カーナ・インディー」の両方が認められている
インディーのように前置詞句といった別パーツで分断される場合はインディーの後が女性名詞でも「カーナト・インディー」ではないカーナが男性形のままの「カーナ・インディー」も可。そのため正しい言い換え候補は2個あることになるが、検証記事では前者のみ掲載されている。
12)アルタキー
▶「アルタキー」はフスハー文法間違いの読み方
「リ・アシューフ」と言っている部分の置き換え候補で、堅いフスハー発音ならアルタキー(’altaqī)ではなくアルタキヤ(’altaqiya)とした「リ・アルタキヤ」(li-’altaqiya)を用いる必要あり。
口語風のくだけた発音だと未完了形動詞語末を接続形にせず「リ・アルタキー」とする人もいるが、ここは検証として堅い文語の正しい言い回しを提示するという目的なので、ブロークンなアルタキーではなくアルタキヤを第一に表記するのがベターかと。またアシューフと同じく see という語義のあるアラーを使った「リ・アラー」なども同等表現。
13)「ズィヤーラ(訪問)」の後、「(場所)へ」を意味する前置詞の「リ」を使うのもエジプト口語で、正しい前置詞は「イラー」
▶検証者側が文法を間違えて誤った修正を行っており、実際には「リ」をつけた小池氏の言い回しの方がむしろ正しい
アラビア語文法の誤解部分で、前置詞イラーを使うのは正しいのではなくむしろその逆で間違い。ズィヤーラは他動詞の動名詞なので訪問地を示す名詞には本来前置詞は不要。
それにもかかわらず前置詞イラーをつけるというのは「他動詞由来の動名詞に不要なパーツを足す」という種類の誤用でメディア関係者に非常に多い現象として知られ、アラビア語専門家らによって指摘される定番事項の一つともなっている。なお「リ」はエジプト口語的なのではなく動名詞の行為の対象につけるリなのでイラーよりもむしろこちらのリの方が文語的。
▶日本人検証者氏が複数の辞書で確認せず、エジプト人協力者の間違いをそのまま掲載した可能性が高い箇所
ズィヤーラ・イラー(زيارة إلى)は誤用であるためアラビア語-英語辞書やアラビア語-アラビア語辞典にも全く出てこないか、誤用が混ざって載っている事例がわずかに見られるのみとなっている。
辞書を調べても出てくるのはまず属格構文による他動詞目的語表現方法、次いで لِ [ li- ] [ リ ] の訪問対象語頭付加で、誤用であることから「ズィヤーラの後にイラーを持ってくるのが正しい言い回しでフスハー的」だという説明は載っていない。
リの用法も誤解しエジプト方言的だとしていることからこの部分は辞書や用法辞典で調べて書いた可能性が非常に低く、検証者氏が誰かから間違って教わった内容をそのまま書いたか、検証に参加したエジプト人ジャーナリスト氏が正しいと思って教えた内容をそのまま記事化されたかのどちらかであるようにも見受けられる。
14)アラビア語を学んだ人なら分かるはずだが、正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる。
▶アラビア語既習者が同意しかねるような内容を「アラビア語を学んだ人なら分かるはずだが」としており、有名な事実であるかのように印象操作・脚色しているおそれがある箇所
この検証部分が指しているYouTube動画では小池氏・インタビュー役エジプト人・日本人男性通訳官という登場人物全員が文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)とアーンミーヤ(口語アラビア語)を混ぜて話しているにもかかわらず、小池氏だけが文語と口語を混ぜているかのように描写されている。
しかしながらエジプト人と日本人通訳官がエジプト方言を混ぜて話している件には触れられておらず、彼らのアラビア語が下品であるという言及も一切無いなど、検証記事の主張との間に齟齬を生じしている。
エジプト方言語彙の混ざり込みの多い/少ないだけで見れば エジプト人女性インタビュアー>小池氏>男性通訳者氏の順番にアーンミーヤ色が強い。検証記事の主張に従うならば、エジプト人女性インタビュー役の話すアラビア語が一番汚いということになりかねない。
全員が純度100%フスハーで話していない件が見過ごされているのは、日本人検証者氏が単独でアラビア語ニュース動画の書き起こしや文語と口語の聞き分けをできないのに検証記事を書いてしまったためなのか、全て知りながら「フスハーとアーンミーヤを混ぜて話している要人など小池氏ぐらいだ」と脚色し読者に事実を伏せているかのいずれかだと考えられるが、いずれのケースであっても検証記事の質に影響するため問題があるように思われる。
▶文語・口語アラビア語の両方がわかる人たちが同意する可能性が少ないにもかかわらず「アラビア語を学んだ人なら分かるはずだが、正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる。」を書かれた理由とは?
「正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる」は、実は長年アラビア語を学びフスハーとアーンミーヤの両方が話せる人ほどわからない部分。
アラビア語の文語と口語を学び、アラブ世界にその混合体(中間体)があること、またその混合体(中間体)の役割を知る段階まで学習を続けていれば「文語口語混合体の会話は総じて品が無い」という誤認はむしろ発生しなくなっていく。
検証者氏はエジプト留学・在住経験があるとのことだが、エジプトはフスハーが苦手な人が多く政治家や知識人がフスハーとアーンミーヤの混合体(中間体)を使う確率も非常に高い。それにもかかわらず「アラビア語を学んだ人なら分かるはずだが、正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる。」としているのは、
(1)エジプトのカイロ・アメリカン大学や家庭教師を通じて学んだのはフスハーのみで、エジプト方言の授業を数年間継続して履修したわけではなかった。元々リスニングをして書き起こすといった放送通訳レベルの訓練を受けたのではなく、中東研究のために修士課程に通ったため、エジプトの放送やイベントのアラビア語を全部聞き取れるわけではなく、フスハーを中心に何年か学びエジプト方言は日常会話程度だったためテレビ番組や政治家の演説を聞いたことがあってもエジプト方言を混ぜたミックスアラビア語だと聞き分けができず、フスハーを話していると誤解していた。(検証記事で動画の聞き取り間違いがだいぶあることから、その可能性が実際に考えられる。)
(2)フスハーとアーンミーヤの役割や混ざった会話の存在を本当は知っているが、「小池氏がフスハーを話せないのはカイロ大学を卒業しなかった証拠」というアラビア語学習者・エジプト留学経験者の現状に合致しない無理のある設定を通し政治的キャンペーンを続けるためには、アラビア語とは何かという設定部分を変更するしか無く、印象操作・脚色をせざるを得なかった。
のどれかが原因だということになってしまう。そのため、こうしたアラビア語の現状に反する説明文は「アラビア語学習経験はあるものの、アラビア語の四技能を使って業務ができる人物ではない」「アラビア語を学んだものの、アラビア語を取り巻く事情については明るくない」と示唆していることにもなり、検証者氏にとってはかなり不利な内容・主張に当たると言い得る。
▶それなりのアラビア語経験者であっても、高齢世代だと「フスハーとアーンミーヤは混ざらない」「アーンミーヤは文字で表せない」という古いイメージ・既に廃れた状況に関する情報をそのまま持ってしまっていることもある
アラビア語の初級学習書では文語アラビア語と口語アラビア語が断絶しており混ざり合うことが無いかのように誤解させる記述になっているもの、また著者が非常に古い時代の情報を元に書いたために「フスハーとアーンミーヤは混ざらない」「アーンミーヤは文字で表せない」と受け止める学習者が今でも一定数存在。
「正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる」という判断は、検証者氏が日本で初めてアラビア語を学んだ際に留学経験者世代から与えられた相当古い情報・誤解が定着したまま、その古い情報をアップデートしないままアラビア語事情を語ってしまったことに起因するとも考えられる。
エジプトに留学したり日本在住でもエジプトのメディアに継続して触れていれば、現在のエジプトの政治家・宗教家・研究者などがフスハーとアーンミーヤの混合体を多用していること、口語といってもフスハー語彙を多用したアーンミーヤとこてこてな方言全開の会話で全然違うこと、純口語でも街区や地域によって違うことなどを体感できるため、「アラビア語を学んだ人なら分かる」というのはそうした詳細を実体験する前の未習者や初学者に多いアラビア語状況のとらえ方・誤解に依拠しているとのイメージが強めだと言える。
▶「アラビア語を学んだ人なら分かるはずだが、正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる。」にアラビア語視聴者たちが持ち得る印象・感想とは
このくだりは検証者氏側のアラビア語習熟度やアラビア語の文語と口語に関する各国学界における各種議論に関する知見が不足していることの裏付けになりかねず逆効果になってしまっており、アラビア語習得者からの同意を得るのは難しいと思われる。
アラビア語にある程度習熟している人だと、むしろ「どうして”正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる”と書いたのかわからない」「記事を書いた人はアラビア語のことをあまりよく知らないのではないか」と疑問を抱いてしまう可能性がある。
記事自体が元々アラビア語関係者の目に触れるという前提で書かれたものではなかったとも考えられるが、単に考察する第三者の立場からはその真意を確かめる術は無いので不明。
一連の検証記事は小池氏学歴問題を告発したいという熱意・正義感と引き換えにアラビア語にかかわる正確性を多分に犠牲にしてしまっている部分があり、話を小池氏批判に結びつくように脚色すればするほどアラビア語関係者からの共感を得られない箇所が増えていくという構造になっている。
しかし「アラビア語を学んだ人なら分かるはずだが」と添えることでアラビア語専門家も含め皆が例外無く同意する事項である・検証内容が高度な専門性によって行われ不正確な部分が一切無いとの誤解を与えやすくなっており、まだアラビア語学習年数が少ない方やアラビア語経験を持たない一般読者層が厳然たる周知の事実だとして受け止めてしまいやすいとも言える。
▶フスハーとアーンミーヤは実際にはどのように混合されているのか?
アラビア語には庶民から気取っているとすら言われる「知識人のアーンミーヤ」などがあるが、それとは別にフスハーオンリーの演説でも心理的効果などを狙ってせりふの再現や本音吐露の場所でわざと正則アラビア語会話から突然口語会話に切り替えまた正則アラビア語会話に戻すといったことがしばしば行われている。
管理人は過去6年間ほどフスハーとアーンミーヤの問題に関するアラブ人向けの議論・討論・報道、ならびにエジプトやイラクの政治家のスピーチや国会番組、有名宗教家らの宗教講話を日常的に色々と見てきたが、アラビア語運用能力が高い人物がフスハーとアーンミーヤを使い分けながら演説する件に関して「品が無い」「下品」「無教養」「フスハーに混ざるゴミ」と酷評するような傾向は特に無いとの実感あり。
アラビア語運用能力が低いがゆえの文語アラビア語と口語アラビア語のちゃんぽんは全くの別物で、それらの違いを前提とせずに混合体は全ておかしい・下品であるという言説を強調することは、色々なタイプのアラビア語会話・演説・スピーチをあまり実際に見聞きしたことがないとの印象を与え検証記事の信頼性を低めることともなってしまうことにつながると思われる。
▶小池氏問題検証記事は日本人検証者氏の個人的判断に基づく脚色の結果なのか、それともフスハー至上主義者のアラブ人に偏った情報を与えられた結果なのか?
同じ検証者氏の記事ではフスハーとアーンミーヤの乖離・対立が強調され両者の混同を強く忌避する傾向が特徴的だが、検証者氏の単なる誤解もしくは意図的な脚色といった可能性以外に「そうしたフスハー至上主義を教えたエジプト人が実際にいたかもしれない」とも考えられる。
アラブ世界には「フスハーとアーンミーヤを混ぜるなどけしからん」という考えの人が一定数おり、アラブ民族主義が盛んだった時代には「フスハーこそがアラブ民族を統一する紐帯」だとしてフスハーを非常に重要視するということも行われていた。そのため検証者氏が極端なフスハー観を持っている人物から長期にわたってアラビア語における文語と口語の関係性について聞かされ、それが検証作業や検証記事の内容の偏りの原因になった可能性も否めない。
普通はアラビア語を続けていると直接アラビア語で情報収集できるようになることで「フスハー至上主義者が象牙の塔の住人的な扱いをされることもある」など文語と口語の関係性には色々な課題があることを知りイメージを修正することができるが、数年で学習を切り上げアラブメディアでの議論などに直接触れなければ初期に触れたラディカルなフスハー感が払拭されないままということもあり得るかと。
15)このエジプト人女性キャスターは内心唖然としていたはずだ。
▶エジプト人女性取材者が唖然としていたと推測できるような要素は特に無い
「エジプト人取材者が唖然としていたはずだ」というのは検証者側の憶測で、小池氏の会話スピードに合わせたり配慮したりしている様子は多少見られるものの、唖然としているという結論を導くことは難しく、そのような推測はむしろ「会話の流れを読めていない」「アラビア語のやり取りの細かいニュアンスをつかめていない」と受け取られかねないが、ここでは
「小池氏のアラビア語はネイティブから常に嘲笑されるような赤面ものの文語-口語ちゃんぽん会話」「小池氏は学生時代から一度もアラビア語をちゃんと話せたことが無い」という検証記事シリーズにおいて一貫している独自設定を前提を強く反映した結果だと思われる。
実際には、アラブ世界における文語と口語の関係やネイティブの文語会話能力の現状をふまえればもう少しソフトで中立的な見方になるかと。
▶女性取材者もフスハー会話があまり得意ではない様子を見せ、フスハーに切り替えた後に言い淀みが増えている
エジプト人インタビュアーの إيمان العقاد(イーマーン・アル=アッカード)氏自身はテレビ番組司会やジャーナリストとして活動しているが、エジプト人視聴者に向かって小池氏を紹介する時にはフスハーとエジプト方言のミックスでしゃべっており、小池氏に話しかけるために切り替えたフスハーのみの会話では普段しない純フスハー会話がやや苦手なのか「アー…」をだいぶ言っているとの印象。その後小池氏が日本語に切り替えた辺りからまたエジプト方言メインでの会話に戻っている。
イーマーン・アル=アッカード氏自身もまたフスハー会話がそう得意ではない可能性が高く、小池氏のアラビア語に内心唖然とするようなスタンスにはないとの判断が妥当だと思われる。
▶女性取材者のプロフィールや普段のアラビア語トークからすると、彼女との会話はフスハーとエジプト方言ミックスの方が適していた可能性も
最もイーマーン・アル=アッカード氏はエジプト人ジャーナリスト/文学者アッバース・アル=アッカード氏の孫娘で、エジプト国営放送局のフランス語-アラビア語通訳からジャーナリスト/アナウンサーに転身。エジプトのテレビ報道にも度々出演している。
普通のトーク番組ではエジプト方言、ニュース番組や時事討論でもフスハーとアーンミーヤのミックスを話しており、彼女がフランス語通訳だったことからしてもフスハーに極めて堪能な文語アラビア語至上主義とは程遠いと言える。そのため「内心では唖然としていた」というよりも、小池氏のフスハーエジプト方言ミックス会話はむしろ取材者にとっても楽で親しみやすいものだったと考える必要も出てくる。
▶日本語に切り替わるまでのアラビア語スピーチはレベル的に高めで意味も通っており、スピーチライターが作成した原稿に基づいていた可能性も
日本語に切り替わる前までの小池氏のアラビア語は事前に用意された原稿を丸暗記して思い出しながら言っていると受け取ることもできる程度には意味が通っており、小池氏の視線からすると斜め先にカンペが置いてあった可能性も否めない。
先に記した通り、小池氏検証記事で言い間違い判定されているもののうち複数は検証者氏側の誤判定や誤訳であるため、小池氏が外交の場で話しているアラビア語については、実は間違いはそこまで多くない。
むしろ同氏のアラビア語外交スピーチは他者の添削や原稿作成支援があると感じられるような言い回しが含まれ、スピーチライターがいてもおかしくない程度には構文間違いも少なく、言葉のチョイスも適切であることが多い。
小池氏に関しては、数分程度のインタビューであれば言うべき内容をスピーチライターから手渡されるとそれを気合いで頭に叩き込んでおられるのでは…との印象を与えたりもするが、もし仮にそうしたアラビア語会話部分がもしカンペ無し・ネイティブ作成原稿無しで全部自力で言えていたとしたら「アラビア語を1~2年勉強した日本人大学生よりもずっとフリースピーチができている」「アラビア語文法も最盛期にはだいぶできていた」と表現することもできるかと。
▶フスハーが苦手なアラブ人がフスハーを無理に話そうとするともっと支離滅裂・意味不明になるため、小池氏のアラビア語程度でネイティブは呆然・驚愕・軽蔑はしない
アラブ人、特にフスハーでの会話が得意でない人の割合が多めなエジプトではフスハーを上手く話せないためにフスハーとアーンミーヤを混ぜたアラビア語を話しただけで唖然・呆然とするということは考えにくい。
アラブ人でもフスハーが苦手な地域の人はアラビア語で高等教育を受けないため大卒者などでも小池氏よりもっとフスハーが話せず何を言っているのか全然わからないことも珍しくなく、小池氏のアラビア語を聞いて呆然とするというのはそうした「フスハーが話せないネイティブが大勢いる」ことを知らない日本人向けの検証者側による脚色だったり、単に検証者氏側の誤解・憶測だったりうる可能性が高い。
▶小池氏がフスハーとエジプト方言を混ぜただけでネイティブが「文語と口語を混ぜるなんてあり得ない」「汚いアラビア語」という感じる可能性は考えにくい
小池氏はカイロ大卒とはいえアラビア語稼業は数十年前に辞めた政治家であり、エジプト人取材者側も「カイロ大学卒業で元通訳だというもののだいぶ忘れてしまっているようだ」「あれ、あまり話せないらしい」と気を使いながら対応することはあっても、この程度の言い淀みや誤用であれば「こんなアラビア語聞いたことがない」「聞くに堪えないひどすぎる言葉」「噴飯もの」と驚くということはまず考えられないものと思われる。
また、文語と口語のミックス自体はエジプト人政治家でも普通に行うため、日本人政治家がフスハーとアーンミーヤを混ぜたアラビア語会話をしただけで「こんな下品なアラビア語を聞いたことが無い」とエジプト人が唖然呆然となるということは基本的に考えられないシチュエーション。
▶エジプトメディアにおける小池氏の扱いは非常に良く、エジプト方言を話すことにも好意的
エジプトでのニュース録画を複数確認したが、小池氏については都内のイベントでスピーチした時の比較的流暢に見える原稿読み上げの動画と「私は100%エジプト人です」という有名コメントが主に使われており、拙いアラビア語で話しているというイメージは特に感じさせず、むしろエジプト方言を話すことを好意的に受け取っているニュース映像になっている。
「1976年カイロ大卒の小池氏が東京都知事に就任」「カイロ大から日本の都知事が輩出されるなんてすごい」「日本人だがエジプト人も同然だと胸を張る女性政治家」「カイロ大学卒業という学歴を否定する連中が日本にいるが彼女はカイロ大卒業者」「彼女こそ政治家としての資質を備えた人物」といった好意的コメントやエジプト各方面との協定締結の様子が放送されており、面会相手や取材者たちからは丁寧に扱われているように見えるのが実情だと思われる。
そうした背景事情を鑑みると、外から見て全くうかがい知ることのできない女性キャスターの心情を独自の視点から判断して「唖然としていたに違いない」と断定することは不適切だとも言い得る。
▶日本語通訳官のエジプト方言混じりのアラビア語訳や文法間違いには一切触れていない
余談だが、リンク先動画のコメント欄にあるように小池氏が日本語に切り替えてからの日本語-アラビア語通訳音声では、外務省の日本人通訳官と思われる方が動詞の活用や複数語尾といった文法を時々間違えたり、文語-口語ミックスになっていたりしており、普段本を読んだり書類を書いたりするだけでは鍛えることのでいない文語アラビア語スピーチの難しさを物語っているとも言える。
検証記事では小池氏のアラビア語については「文語と口語を混ぜており品が無い」と評する一方、通訳官氏のミックス会話については言及しておらず、小池氏と通訳官氏とでは通訳技能・アラビア語技能の違いが明らかだとはいえ、扱いに差がある状況。
16)「面会は、とっても、とってもよいものでした」と言うのに形容詞の「ラズィーズ」を使っていること。辞書によっては「甘美な」という意味も出ているが、実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語で、「面会は、とっても、とっても美味しいものでした」と話している
▶「ラズィーズは(食べ物が)おいしいという意味にしか使われていない」は検証者側が誤解している、アラビア語辞書の使い方が間違っている、意図的な情報改変・脚色のいずれか
語義に関する誤認。小池氏は「会見は、とても、とても良いものでした」「会見は、とても、とても素晴らしかったです」などと伝えている箇所。
文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)としても口語アラビア語(アーンミーヤ、複数地域方言)としても食べ物以外の物事が「良かった」「話を楽しめた」と表現するのに使う単語だが、そうした事実に反して「あり得ない赤面ものの間違い」として繰り返し宣伝されてしまっていることから、アラビア語では全くの誤用だと思っている方も多いかと。
先述の通り、イスラーム以前のジャーヒリーヤ時代から現代に至るまで食べ物以外の事物を良かったと思っている時にも使う形容詞で「良い会見」の意味。昨今でも会見・面談・トークが良かった時などの形容に用いられる。さほど多用・乱発はされていないが書籍・メディア等で実際に使用例あり。どちらかというと食べ物がおいしいという意味以外での使用は حلو(sweet、甘い)同様、文語よりも口語での使用が多いとの印象。
▶アラビア語辞典を調べるだけでも「(食べ物が)おいしい」以外の意味でも使われ続けてきたことは確認できる
アラビア語学習者が使う定番の辞書は古くても19世紀、通常は20世紀に刊行されたもので現代標準アラビア語としてのフスハーの語彙を収録したものとなっている。そのため、現代刊行のアラビア語-英語辞書に「甘美な」といった意味が載っているのに実際のアラブ諸国では「甘美な」という意味で過去に使われたことも現役で使われていることも無いといったことは考えられない。
廃れた語義ではなく実際に使われている語義だからこそ学習者でも使うような辞書にも載っているわけで、色々な辞書を見れば「おいしい」以外の用例も複数掲載されている現状を考えると、
(1)検証者氏側が単純な誤解をしている
(2)検証者氏がアラビア語辞書から最も適切な語彙と用例を探し出すことができなかった
(3)本当は辞書に色々な用例が載っているのを確認済であるにもかかわらず日本人読者のほとんどがアラビア語に詳しくないことを前提として「話者はこんなにあり得ない誤用をしていて、実際には食べ物にしか使わない形容詞を面会という単語に使っている」という話を作ってしまった
のどれかの可能性に絞られてきてしまい、どのような経緯で”実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語”という説明文が作成されたのか大きな疑問が残る点となっている。
17)「タルビーヤ」を使っているが、これは「子供を躾ける」という意味
▶検証者側の誤解で、小池氏は同じ単語の別の語義「教育」として使っているだけ
タルビーヤは語形取り違えによる余剰「ー」表記もしくはアーンミーヤ発音との混同であるため、フスハーでの正しい言い方に直すという記事の趣旨に反する。
派生形動詞第2形で第3語根が弱文字である場合の動名詞が تَفْعِلَةٌ [ taf‘ila(tun) ] [ タフイラ(トゥン) ] 語形になるにもかかわらず、تَرْبِيَةٌ [ tarbiya(h) ] [ タルビヤ(フ/ハ) ] ではなく تَرْبِيَّةٌ [ tarbīya(h) ] [ タルビーヤ ] と弱文字部分を重子音化して読むという非常に多い誤読で、そのようなケースでは文法間違いに相当する。
また、文語ではタルビヤだが口語の方言によっては「タルビーヤ」(エジプト方言だとタルビイヤ的な発音)に置き換わってしまっていることから、フスハーの会話や発音記号つけの際にそのままアーンミーヤ発音を当てはめて間違えるネイティブが非常に多い。そのため検証に協力したエジプト人ジャーナリスト氏がフスハーとアーンミーヤの区別が苦手で、日本人検証者氏に間違った答えを教えたためだとも考えられる。
検証記事は文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)での表現に直すという趣旨であるため正しくは「タルビヤ」で、「タルビーヤ」は不適。かつ、ここでは定冠詞があるためタルビヤ部分を会話の中から単体で抜き出す場合は発音省略部分を戻した上で「アッ=タルビヤ」とするか「(ア)ッ=タルビヤ」が正しい訂正候補ということになるかと。
▶タルビヤを「教育」という意味で使うのは小学校教育頃までのケースが多い
タルビヤは「養育」「教育」「飼育」「しつけ、マナー」といった複数の意味があり、教育という意味ではタアリーム(تعليم)と同義語だとアラビア語大辞典にも書いてあったりもするので、誤用とするのはむしろ不適切。
動画の文脈からすると定冠詞をつけてアッ=タアリームで「教育」とするのが一般的だとも思われるが、タルビヤは比較的低年齢の園児や小学生の教育や礼儀・生活習慣指導といったイメージが強めで、小学校教育に関する書籍・記事では「小学校における新しい教育手法」といった言い回しの時にこの「タルビヤ」という語が使われるなどしている。日本式小学校の設立事業がエジプトと合同で進められた件などを照らし合わせればアッ=タルビヤでも構わないのでは、との印象。
ちなみに日本の文部科学省に相当するエジプト教育・技術教育省の名称は وزارة التربية والتعليم [ wizāratu-t-tarbiya(ti) wa-t-ta‘līm ] [ ウィザーラトゥ・ッ=タルビヤ(ティ)・ワ・ッ=タアリーム ](分かち書き:ウィザーラト・アッ=タルビヤ・ワ・アッ=タアリーム、英語名称:Ministry of Education and Technical Education)で、タルビヤを education という語義として用いており、これらからもタルビヤが「子供のしつけ」という語義しか持っていないという説明が正しくないことがわかる。
▶小池氏も検証記事と同じくフスハー発音「タルビヤ」ではなくエジプト方言発音である「タルビーヤ」と言っている
実際のスピーチでは「教育の分野で」という意味で「フィー・マガーレ・ル=タルビーヤ」と言っており、小池氏はタルビヤのタルビーヤ読みと、定冠詞と t(ت)音を同化させずに読んでいる箇所。なので単語の意味を間違えているというよりは、定冠詞部分の発音間違いや文語語形の口語語形への置き換わりによる余剰長母音挿入に当たる部分。
▶「タルビーヤ」とフスハー文法間違い読み/アーンミーヤ発音したのは日本人検証者氏、エジプト人協力者氏、どちらだったのか?
タルビヤをタルビーヤのように誤読するのはネイティブのアラブ人にも日本人学習者にも非常に多く、この部分が検証者氏由来なのか、検証に参加したエジプト出身英語科卒のロンドン在住ジャーナリスト氏由来なのかは、判断が難しい。
もしアラビア語ネイティブのアラブ人側の誤読である場合、メディア業界に多いタイプの文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)文法・語形に極めて精通しているのではない人物で、誤用や口語表現を全部フスハーとしての正しいそれに置き換えるという趣旨の動画検証作業に関する適性を十分に有していないにもかかわらずフスハーのプロとして起用してしまったということにもなりかねず、本検証記事の信頼性に関する不安要素の一つともなっている。
検証記事では「文語と口語が混ざり合うことなど本来あり得ない」と説明されているが、この部分はちょうどそうした「文語表現に口語発音・口語語形への置き換えという要素が混ざって、文語寄りの文語-口語ミックス状態になっている」事例に相当する。
18)相手から正則アラビア語で慰められる
▶動画を見る限り慰めている様子は無く、相手の発言も正則アラビア語か口語アラビア語か区別がつかない
これは検証氏の個人的な見方で、単なるアラビア語会話の解釈としては誤っている可能性がかなりあると言わざるを得ない。また相手が言った言葉は文語・口語共通表現であるため、正則アラビア語で言ったという確証も無い。
動画を見る限り慰められているようにはとても見えず、小池氏がたどたどしいアラビア語を何とか話している最中に「その言い方で正しい(サヒーフ)」とOKサインを出して大丈夫だと励ましているという解釈も不自然。
ヒンド・アッ=サバーフ女史は文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)と口語アラビア語(アーンミーヤ)共通の語彙と言い換え・言い淀み表現である「サヒーフ」を数回言ったのみ。仮にクウェート方言で返事をしても同じく「サヒーフ」になるので、動画だけではフスハーで会話していたかどうかは断定できない。
19)ヒンド・サビーフ・バラク・アル・サビーフ氏
▶検証者氏側が「ヒンド・サビーフ・バッラーク・アッ=サビーフ」を読み間違えている
バラクは誤読。アル・サビーフも原語発音とは異なる。
アルは厳密にはアラビア語発音としては誤読に当たるカタカナ表記。日本語記事の慣用表記では発音同化を反映させず定冠詞アルを全て「アル」と表記する例も見られるが、この記事はフスハーとして厳密に検証した正しい表現と発音を提示するという趣旨なので、学界標準カタカナ表記を取り入れつつアッ=サビーフないしは一般記事風にアッ・サビーフなりにする方が良いものと思われる。
アラブ人名に含まれる定冠詞アル(/アッ/アン)は一般向け記事の慣用表記だけでなく学界の学術的標準カタカナ表記でも除去される慣例があり、日本語の各種記事では誤読と定冠詞除去を合わせた「サビーフ」が広く用いられてきた模様。ただこの検証記事に関してはフスハーでの正しい言い方と発音を示すという目的から、アラビア語では除去することが無い部分の発音をそのまま保持したアッ=サビーフで構わないかと。
またバラク部分は بَرَك [ barak ] [ バラク ] ではなく بَرَّاك [ barrāk ] [ バッラーク ] がアラビア語での本来の発音だが、英字表記が Hind Sabeeh Barak Al-Sabeeh であることから、アラビア語表記・発音を確認せずに Barrāk、Barrak の rr から r を一つ抜いた Barak をそのままローマ字読みしてしまい「バラク」と掲載した結果であるものと推察される。
以上を総合すると、一般記事の慣用表記準拠ではなく検証記事という趣旨に合わせてアラビア語フスハー発音に最も近くしたカタカナ表記となると「ヒンド・サビーフ・バッラーク・アッ=サビーフ」に。
▶検証記事に掲載している動画ではアナウンサーが「アッ=スバイフ」と発音している
検証記事のリンク先にあるクウェートニュース動画ではアル・サビーフともアッ=サビーフとも発音しておらず、男性アナウンサーはアラビア半島に多い男性名の縮小語形として اَلصُّبَيْح [ ’aṣ-ṣubayḥ/’aṣ-ṣubaiḥ ] [ アッ=スバイフ ](口語発音:アッ=スベイフ、アッ=スベーフ)と読み上げている。
ただ「صبيح」というつづりの場合男性名としては صَبِيح [ ṣabīḥ ] [ サビーフ ](意味:顔が朝陽のようにキラキラと光り輝いている者、美貌の男子・男性、美男)と発音する名前が存在するため、スバイフというのは同女史のフルネーム中の父祖ファーストネームの発音としては誤読に当たるものと思われる。実際に他の番組録画では「サビーフ」と発音されている。
20)今日のミーティングは成功で、えー、フルートフル(これは英語)で
▶ネイティブがよくやるように意図的に英語を混ぜたのか?それともそこだけ忘れてしまい英語で置き換えたのか?
アラブ諸国では英単語を混ぜる会話がかなりの割合で行われており、テレビのニュース・時事番組における知識人のフスハー度合いが高めな会話や解説でも「既に」という部分だけ already を使うといったことがある。エジプトの場合は若い世代を中心に英単語のミックスが特に見られテレビドラマのせりふにも出てきたりする。小池氏が使った「カーナ(كان)fruitful(フルートフル)」もその一つに含まれる言い回しで、実際にネット上の投稿などとして複数事例が確認可能。
そのためフスハーでの普通の言い回し كَانَ مُثْمِرًا [ kāna muthmir(an) ] [ 会話発音:カーナ・ムスミル ](意味:実りある)を言うべきところを忘れてしまい fruitful と言ったのか、最初から面白みを出すために fruitful と言うつもりで原稿なりにもそう書かれていたのか、やや判断が難しい。
ただ小池氏はアラビア語の語彙を忘れた時に英語を混ぜることをしばしばしており、この辺りで言い淀みのヤアニーを多く言っていることからムスミルが出てこなかった可能性が高い。
なお「fruitful」は同義の「ムスミル」と言うべき箇所で言っているので、少なくともアラビア語のカーナ(كان)動詞構文の補語の位置自体は合っており、
・元々この構文の作りは理解し記憶している
・事前に暗記しており、1語だけ英語を置き換える程度なら位置を間違えたりしない
のどちらかだと推察される。
21)ヤアニイ(「つまりぃ」という意味の、言葉に詰まったときに使う口語)
▶ヤアニイではなく正しくはヤアニーで、小池氏は「ヤアニイ」とは発音していない
小池氏は「ヤアニイ」とは発音していない。
アラビア語では يعني と書くので、声門破裂音+母音イの يَعْنِئِ [ ya‘ni’i ] や咽頭摩擦音+母音イ يَعْنِعِ [ ya‘ni‘i ] を想起させるヤアニイではなく、標準的カタカナ表記のヤアニー [ ya‘nī ] とすべきかと。些細な発音の差で単語を区別するアラビア語では「ニー」と「ニイ」は別物なので、ヤアニーをわざわざヤアニイとカタカナ化する必要は無いものと思われる。
口語的な語末長母音の短母音化を反映したヤアニ [ ya‘ni ] もあるが、フスハーでの用法・発音に修正するという趣旨の記事であること、また実際に小池氏も「ヤアニー」と語末を長く伸ばして言っているため「ヤアニー」とカタカナ表記するのがベストかと。
▶ヤアニーは文語・口語共通表現で文語由来であることから、「言葉に詰まったときに使う口語」という説明は不正確
ヤアニーは口語限定の表現ではなく言葉自体は純フスハーの文語語彙であるため、「口語表現である」「エジプト方言特有の言い回しでフスハーには無い」といった解説は誤り。また、言葉に詰まった時の「えーっと」だけではなく元々の意味である「その意味するところは」「つまり」「それはですね」という言い換え的に使うことも少なくない。
文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)オンリーな標準的アラビア語-英語辞典類や文語アラビア語の辞典にもきちんと載っているフスハー的な表現で、純フスハーのニュースやアラビア語が達者なアラブの知識人たちのフスハー会話にも出てくるため、「文語会話なのに口語である俗語を混ぜた」と指摘すべきではない箇所となっている。
この部分については検証者氏が普段フスハーとアーンミーヤそれぞれの会話での言い淀み表現を聞き慣れていない、検証者氏がフスハーの辞書で十分に調べなかった、ネイティブのアラブ人が「アーンミーヤだと思う」とコメントしたのを真に受けて口語表現だと書いてしまった、といった可能性が考え得る。
▶ネイティブが使う言い淀み表現とそうした言い淀み部分でフスハー中に混入しやすいアーンミーヤ
言葉に詰まった時に言い淀む際はフスハーがペラペラな文化人であってもその部分だけは自分の方言で言うことも少なくなく、エジプトよりも東のアラブ諸国ではテレビのフスハー番組でも「シェスマ」「シュスモ」(なんていうんだっけ、えーっと)といった複数ワードをくっつけて詰めて作った口語表現が口にされることが多い。文語由来のヤアニーと違って口語表現の「えーっと」はそれらが該当する。
22)「私たちは、モンケン(可能である)……、ヤアニイ」と言葉に詰まったあと、「えー、私たちは同じ仕事(「ワザー……」と一度言い間違えそうになっている)をしており……」とようやく言って、相手に「サヒーフ、サヒーフ(合ってます、合ってます)」と正則アラビア語で慰められている(相手はきちんと正則アラビア語を用いている)
▶「言葉に詰まった」「ようやく言って」など拙さ・たどたどしさが過度に強調されている
実際には記事ほど終始言い淀んでおらず少しの間を起きつつもその場で考えた、もしくは事前に暗記していたであろうアラビア語の文章を口頭でスピーチしている形となっている。
上記は最も言葉に詰まっていた部分を抜き出したものだが、会話全体を忘れて……だらけの状態でポツポツとしか話しているわけではなく、前後の箇所では比較的スムーズにスピーチしており文法的な言い間違いや単数形/複数形の言い間違いを自身で気付いて修正している様子が見られる。
▶「ワザー」は全くの言い間違えではなく同じ単語の複数形か単数形かの違い
「ワザー」は「仕事・職業」を意味する名詞 وَظِيفَة [ waẓīfa(h) ] [ ワズィーファ ] の複数形 وظائف [ waẓā’if ] [ ワザーイフ ] のを言いかけたものと思われる。複数形を言いかけて単数形で言い直しているので、言い間違えではあるものの小池氏がアラビア語名詞の不規則複数をある程度覚えていることを示している部分ともなっている。
▶クウェート人女性閣僚は「そうですね」という意味の相槌として普段からの口癖「サヒーフ」を言っているにもかかわらず、たどたどしいアラビア語を話す小池氏に対し「合っています」と励ましているという設定に変わっている
「サヒーフ、サヒーフ(合ってます、合ってます)」と正則アラビア語で慰められている」とあるが、動画を見る限りクウェート側の女性大臣は小池氏のアラビア語スピーチの言い回しが正しい部分に対しOKサインとして「サヒーフ」を言っているのではなく、小池氏のコメントの間同意できる内容に対して繰り返し頷きながら「サヒーフ(ええその通りですね)」と相槌を打ち続けているだけだとの印象。
小池氏が言葉に詰まる前も詰まっている最中も再開して会話スピードを回復した後もずっと同じようなリアクションをしており、両国関係が良好だというコメントの直後に「ハムドゥリッラー」と思しき言葉も口にしていることから、「アラビア語表現はそれなら間違っていない」という意味で「合ってます」と言っているとは受け取ることは困難。
この女性大臣はクウェートのメディア取材相手の時も含め「その通り」「そうですね」と相槌を打つ際に「サヒーフ」を使う癖があるらしいことが他の動画で確認できるが(例:クウェート人女性司会にヒンド・アッ=サビーフ女史がクウェート方言で回答している時の動画の7:22頃からサヒーフを2回繰り返している)、小池氏が話している間ずっと頷きながら合いの手を入れるなどしており、「女性大臣という立場上課題も色々と抱えていると思う」というくだりで「そうですね(サヒーフ)」と言っているようにしか見えないのが実情。
ヒンド・アッ=サビーフ女史は「鉄の女」と呼ばれる一方で大臣として突き上げや国会での厳しい質疑に晒されかなりの重圧やストレスを感じながら職務に当たっていたことをクウェートメディアでも吐露している。「女性大臣としてお互い何かと苦労があるとは思うけれども」的なことを語った小池氏のコメントに対してしみじみしつつ「そうなんですよね…何かと大変で…実に共感します」という含みを持たせて頷いていたように見える。
言葉に詰まる回数が多いためにサヒーフの回数もやたらと多くなっているということは多少はあるものと思われるが、「同じ役職についているので同じような問題点を抱えていると思う」といったポイントでサヒーフを言っているため見ている側としては「その通りですね」と同意しているようにしか見えないのが実情である。
ヒンド・アッ=サビーフ女史は国会答弁でも情緒豊かな話し方をしており、小池氏相手にウンウン頷きながらサヒーフをずっと言っていたのも彼女の元々の性格や話し方もかなり関係していると解釈する方が望ましいのでは、という気も。
実際にクウェート人たちとの対談でも相手の会話内容に同意する時に「サヒーフ」を度々使っているので(例:クウェート人女性司会にヒンド・アッ=サビーフ女史がクウェート方言で回答している時の動画の7:22頃からサヒーフを2回繰り返している)、小池氏のアラビア語会話を横で添削しているのではなく、普段の調子・口癖で「そうですね」「私も同感です」という意味の「サヒーフ」を言っていると理解すべきかと。
フスハーで慰めているというくだりは小池氏がフスハーを話せないという点を強調しすぎるあまり会話の流れや言葉の意図を誤って解釈してしまっており、小池氏が純フスハーで話さないという点に注意を払いすぎたために正確な把握が阻害され、アラビア語の性質の理解やアラビア語会話の正確な訳出・解説という重要な部分が犠牲にされていると言わざるを得ない。
▶相手のクウェート人女性大臣が公的な場で常にフスハーで話していると誤認させる記事だが、実際には国会でフスハーとクウェート方言の混合体(中間体)で答弁を行ったり、地元メディアの取材に対しクウェート方言前回で出演したりしている
「相手はきちんと正則アラビア語を用いている」とあるが、イコール「相手のクウェート人女性大臣はいつも公的な場でちゃんとしたフスハーしか使っておらず国会でもインタビューでもフスハーで話している」と誤解しないよう注意。これはクウェート方言を理解しない外国の要人に合わせてフスハーをわざわざ使っているという配慮が行われているとの解釈が必要なシーンで、普段から政治家としてフスハーを使っているかどうかとは別問題。
小池氏と一緒に写っているヒンド・アッ=サビーフ(هند الصبيح)女史自身は国会でフスハーとアーンミーヤ混合で答弁したりクウェートメディアでのインタビューに口語アラビア語で対応したりしている人物で、色々な録画を見る限りクウェート方言の使用比率が高い政治家に含まれるとの印象。
検証記事は「アラブの政治家ならヒンド・アッ=サビーフ女史のようにフスハーで話すはずだ」や「ヒンド・アッ=サビーフ女史はずっとフスハーで政治の仕事をしているのに、同じ政治家である小池氏は公的な場で100%フスハーな会話を上手く話せない」という前提で書かれたと感じさせる言い回しになっているが、もしそうだとすれば確認不足・事実誤認に当たる。
▶サヒーフは文語・口語共通語彙であるためフスハーをちゃんと使っているか断定しきれないにもかかわらず「正則アラビア語で慰められている」「相手はきちんと正則アラビア語を用いている」と断定・強調されている
「サヒーフ」自体はフスハーとアーンミーヤ共通の同意表現(=フスハー由来の言葉)なので、数回「サヒーフ」と言っただけではフスハーをずっと話していたとの判定は不可能。こうしたシーンではおそらくフスハーを使っていたものと思われるが、クウェート方言で会話していても「そうですね、その通りですね」は同じ「サヒーフ」になってしまったりするので、この動画を見るだけでは区別はできない。
動画の中でヒンド・アッ=サビーフ大臣は「サヒーフ」としか話しておらず、この相槌・合いの手だけで「相手はきちんと正則アラビア語を用いていた」と断定するのは早計だと思われる。
▶小池氏のヤアニーに対してだけ厳しい評価が与えられている
検証記事にも取り上げられた小池氏エジプト訪問時のインタビュー動画では小池氏が日本語に切り替えてからバトンタッチした日本人通訳官男性が言い淀みの際に「ムンキン ヤアニー」を繰り返し使用。しかし検証記事では小池氏の「ムンキン ヤアニー」だけが批判対象となっており、小池氏がテーマの検証記事だとはいえ全く同じフレーズで言い淀みをしている両者の間に扱いに大きな違いがあるとの印象。
自力でアラビア語動画の聞き取りと検証をしたということであれば外務省でアラビア語専門の通訳官をされている方が「ムンキン ヤアニー」を多用されている点も気付いていたはずだが、小池氏の拙いアラビア語という部分を強調するために敢えて触れられていないのか、動画全編のリスニング自体はエジプト出身検証補助役に任せて自身では書き起こしなりをされていなかったからなのかどうかは不明。
23)発言は1分ほどだが、ほとんど意味のあることを話していない。
▶ハイスピードなしゃべりではなかったにせよ一通りの内容は伝えており、「ほとんど意味のあることを話していない」は過度な脚色か、検証者氏が自身で小池氏のスピーチを全部聞き取ることができなかったかのどちらかと言わざるを得ない
検証記事で取り上げられた場所以外はある程度原稿に書かれていたとも思われるメッセージは言えており、「ほとんど意味のあることを話していない」との表現は著しい過小評価かと。1分弱のスピーチで小池氏が相手に伝えた内容は以下の通り。
(1)今日の会談は成功裏に終わり実りあるものだった。
(2)自分は日本クウェート友好協会の会長、同時に防衛大臣・環境大臣でもある。
*ただし小池氏はクウェート側組織名称であることを思わせる「クウェート・日本」という語順で言っている。この部分は日本クウェイト協会ではなく日本・クウェート友好議員連盟のことを指しているとも思われる。ニュース冒頭では男性アナウンサーによりこの会合がクウェート側の友好組織であるクウェート・日本友好議員連盟主催であり、小池百合子氏が参加していた同会合にヒンド・アッ=サビーフ大臣と随行団が招かれたと説明が行われている。そのため小池氏も同等の立場である日本側の日本クウェート友好議員連盟会長として訪問していたものと思われる。当時小池氏がだったことは本人ブログ記事でも確認可能。小池氏のアラビア語スピーチだと単なる「クウェート・日本友好協会」と受け取れる表現になっているが、実際のアラビア語記事や外交関係投稿だと日本クウェート友好議員連盟のアラビア語名称は「جمعية الصداقة البرلمانية اليابانية الكويتية」となっている。)
(3)大臣とは同じような役職にあるため、大臣としてはお互い似たような問題を抱えたりもしているかと思う。
(4)しかしクウェート国と日本との関係は非常に良好で、今回の会合も両国間関係を深める上で重要な役割を果たしたと思う。
事前に用意された原稿を練習なり暗記なりしたにせよ、小池氏は言うべきことは全て言いきった形となっている。そのため検証記事は小池氏の外交時スピーチのたどたどしさを強調するあまり、「ネイティブなりの原稿ライターが書いたアラビア語を元にしている可能性があり、語彙が足りないあまりにスピーチが全く進まず何を言っているかもわからなかったということが基本的に無い」という現実との乖離が大きくなり、アラビア語が理解できる人々に違和感・不信感を抱かせやすいものとなってしまっていると言わざるを得ない。
本当にアラビア語ができない人であればこれだけの分量でも1分弱の間に全部は話せないので、日本人アラビア語学習経験者(で特に中級以上までアラビア語能力を引き上げたにもかかわらず使わなかったせいで話せなくなった経験がある人)の中には「通訳業を長年続けていない卒後約40年の人物としては話せている部類に入る」と感じる人もいる可能性がある。
▶スピーチで小池氏が文法を間違えている箇所について
なお小池氏は「会合、会談」を意味する男性形の動名詞 اجتماع(イジュティマーウ、エジプト方言発音:イグティマーァ)を女性形の動詞などで受けており、その部分については文法間違いとなっている。
ただ「この会合」というフレーズで「この」という指示代名詞をつけた部分では最初に女性形ハーズィヒを使った後に間違っていると判断しハーザー(直後に定冠詞アルが来ているので実際にはハーザと発音されている)と言い直しているので、男性形と女性形の使い分けが必要なこと自体は一応認識していることがうかがえる。
文語文法をやり込んだ人だと年数が経ってもこの程度の基本は覚えていてもおかしくないが、小池氏に関しては『3日でおぼえるアラビア語』の誤記を見る限り元々こうした細々とした部分が苦手だったものと思われる。
24)ムシュ・ケダ
▶小池氏はエジプト人やアラブ人へのサービスでわざと「ムシュ・ケダ」(そうじゃないですか?ですよね?違います?)を使うことが多い
小池氏はエジプト方言全開で生活されていたことをセールスポイントにしているため、他のスピーチでもこのムシュ・ケダをわざと使って笑いを取っているなどする。
ネイティブの作成者が用意することもあると思われる原稿を読んでいるような壇上でのフスハースピーチでも「ムシュ・ケダ(مش كده؟)」のような特定フレーズだけをアーンミーヤ風にしていたりすることから、小池氏のセールスポイントである「100%エジプト人(مصرية مية في المية)」の演出として意図的に口にする戦略となっておりアラブ人の原稿作成者がいる場合でもそれを前提にしてムシュ・ケダをわざわざ盛り込んでいる可能性が考えられ、フスハーが言えずに間違えたのではなく、わざと言っている箇所であり得ることも考慮に入れる必要がある。
▶ネイティブによるフスハー会話でも「ですよね?」といったフレーズのみ方言に切り替わることが多い
アラブの政治家や知識人もフスハー会話の時に「ですよね?」「そうじゃないですか?」といった軽いフレーズや合いの手類はアーンミーヤになっていることが多く、テレビニュースの司会がコメンテーターに対して同意を尋ねる時だけ口語表現を使って「違いませんか?」と言うシーンは日常的に見られ、同意を求める言葉まで全部フスハーで通すと堅くなりすぎる場合もある。
そのため検証記事で挙げられている「ライサ・カザーリク」(カザーリクは休止形発音で、文語的な非休止形発音はカザーリカ)がフスハーのニュースにおけるコメンテーターとのやり取りや演説で必ず使われるとは限らず、「この言い回しを言えていないのなら絶対に間違い確定」「ネイティブなら100%ライサ・カザーリクと言うはずだ」となるとむしろ事実誤認・誤解に当たる。
エジプトのメディアや政治家のトークなどでもこの部分だけ「ムシュ・ケダ?」になることがしばしばあるが、小池氏のこの部分に関しては「完全な誤用やスキル不足との認定はやや難しく、ネイティブもしばしばやっている。なのでわざと言っている可能性も否めない。」判定になるかと。
2018年7月1日報道
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/232415
https://x.com/harukosakaedani/status/1013185511593148416
25)検証結果はアラビア語“中1レベル”
日本の義務教育の英語で言うと、中学1年生レベル
▶大学生になってから学んだアラビア語を全くタイプが違う「中学1年生」「2歳児」「3歳児」「幼稚園児」と比べることは適切なのか?
小池氏のアラビア語能力については「中学1年生」「2歳児」「3歳児」「幼稚園児」*「This is a pen.(ディス・イズ・ア・ペン)レベル」**やその真逆の「ネイティブ」「極めて堪能」といった判定がされるなどしてきたが、検証者・判定者の個人的な感情(嫌悪・好意)や動機(落選運動・追求・批判・支援)が関わってくることもあってかどちらもアラビア語学的な視点からの正確な考察と適切な形容になっているとは言い難いとの印象。
アラビア語やアラブ事情に関する正確な情報を提供するという部分が疎かにされていること、加えて検証者が間違いの自覚を持たないまま誤ったアラビア語解説などを一緒に拡散してしまっているなどするため、残念ながらそうした言説はアラビア語学習者が学び取るべき貴重かつ正確な情報を欠いてしまっており、サービストークとしての役割は果たしている一方、アラビア語学習者が学び取るべき情報源としては信頼性が低いと言わざるを得ない。
▶幼児と大学生のアラビア語はどう違うのか?
2歳、3歳、幼稚園というのは大学課程で学ぶ留学生とはできるアラビア語の種類が全く異なっており重なる部分が極めて少なく、実際小池氏の外交シーンアラビア語会話には幼児が口にするような日常フレーズ類はほぼ出てこない。
ネット上の小池氏アラビア語スピーチ動画では幼児が話しそうな日常会話の表現が登場しないため、幼児が覚えるエジプト方言の基礎会話ができるかどうかという確認は困難。
幼児が話すタイプのエジプト方言会話はエジプト留学する日本人学生の学業とは直接関係が無い部分で習得するものなので、現地に住みエジプト人に多く接した人ほど上達するため大学に通わずホームステイしただけの人の方がむしろ流暢になる確率が高く、カイロ大学を卒業できるのに必要なアラビア語能力があることの直接的な指標とはなり得ない。
また幼児の何歳ぐらいに相当するかというのは検証者の主観に拠るところが大きく、また外交スピーチがフスハーであるのに対し通常幼児が話す日常会話は純口語アラビア語(ここではエジプト方言)であることから、全く同じタイプのアラビア語会話でスキルの違いを比較していることにはならない点は注意が必要だと思われる。
▶低年齢を引き合いに出すのは、単に小池氏のアラビア語が拙い・たどたどしいことを強調するためのもので、言語の習得過程についてあまり理解していないと判断される可能性も
低年齢幼児と比べるというのは話者の拙さを強調する目的には適っているが安易な表現でもあり、20歳前後でアラビア語を学んだ人物は幼児が習得する自然な会話が全く上達しないまま専攻分野の偏った単語ばかり覚えるため比較対照・形容としては不適切かと。
「幼児レベルのまま留学生活を終えた」「留学時代から今に至るまで一貫して幼児レベルの This is a pen 的アラビア語を話し続けている」という印象を抱かせる可能性が高いこともあり「アラビア語や外国人による語学習得がどのようなものかをよく理解していない」との評価を受けかねず、話題性等と引き換えのリスクがある発言だと思われる。
少なくともアラビア学習者については、正確な表現ではないが読者向けサービスでそうなっている部分も大きいことは考慮に入れる必要があると思われる。
▶「This is a pen レベルのアラビア語しか言えない」と「おつかい程度のアラビア語」とは矛盾する
アラビア語において英語の This is a pen に相当する表現は هذا قلم [ hādhā qalam ] [ ハーザー・カラム ] で、指示代名詞と名詞をただ並べただけの最も単純な構文。このレベルしか言えないというのは「1~2週間ぐらいしかアラビア語を勉強しなかった」のと同義に近いが、「お肉を1kg下さい」というのはそれよりも文章としてはレベルが上でお使いレベルのアラビア語は話せたという部分と合致しない。
小池氏は言い淀みながらも外交の場でそれよりも学習進度が進んでから学ぶ構文を使っているので、エジプト生活を終える時点まで This is a pen 構文だけで過ごしたというのは非常に無理がある設定となっている。
「これはペンです」は2歳、3歳といった形容と同様に拙さを強調するためのわかりやすい方法として採用されただけで、留学時代の小池氏のアラビア語会話能力はその通りではなく、安易なたとえながら実態を適切には表していないそれらの表現を介さず直接に「20歳過ぎの留学生が現地で生活し覚えられる程度の日常会話と、課題などを通じて身に付いた多少の語彙だけだった」などといった描写の方が妥当かと。
▶小池氏の伝記に書かれている小池氏のアラビア語習得過程とカイロ大学入学(編入)頃の話
小池氏はアラブ世界に何らかの関わりを持つ立場の受講者たちに混じってカイロ・アメリカン大学のアラビア語コースに参加、初期から使いこなす状態までまだアラビア語文法レベルが引き上げられていないアラビア語-英語辞書を片手に行う文章講読を課され、基礎日常会話ができるようになった時点でカイロ大学に編入したことが伝記(管理人はGoogleブックス等で確認)やメディア報道などの本人談に載っている。
そのため、初級文法のゼロ地点から少しずつ学んでいく通常のアラビア語学習者や日本の中学生とはかなり事情が違っており、似た文字の判別や細かい文法ルールなど書籍やフスハー会話に若い頃からあったであろう基礎範囲からの一部不足らしきものが見られるのもそのためだと推察される。
これは日本の中学1年生~3年生ぐらいが学ぶ文法の基礎をじっくり習熟するまでやらずに急に高校1年生~3年生の範囲にジャンプしたのに似ており、普通の中学生や高校生のような学校で週に何コマもこつこつと学んでいく方式での習得と比較することが可能な事例とは違っているとの印象。
▶人が書いた原稿にせよ、小池氏の外交アラビア語スピーチはイントネーション・アクセントがかなり正確であることから、日本でアラビア語を半年学んだだけの人よりも文章暗記・音読技量は高め
アラビア文字が読めること、ネイティブが執筆したにせよ発音記号つきであるにせよアラビア文字で書かれた何らかのカンペの文章を読み上げたり、ある程度暗記してメディア取材に数分間答えるということは、アラビア語を始めて半年以内の日本人学習者や、英語科目が小学校に導入される前の世代でフォニックスの経験も皆無だという中学1年生が普通できない作業。そのため中1レベルではなくもう少し上の学年相当だと形容するのが適当かと。
東京でのアラブ諸国関係者などを招いてのイベントでは度々原稿を見ながらアラビア語のスピーチをしているが、これらはほぼ止まらずに読み進めていることから、「現時点では発音記号なりがつけられたアラビア語文は読める状態は維持されている」「自力で考えて外交関係のフリースピーチをするのは元々苦手だったかもしくは忘れたために事前に用意された内容の通りに読み上げているが、話している途中でその原稿の細かい言い回しを忘れることもある」だと思われる。
なお英語はアラビア語よりも普段使いしていることから無理なく会話ができており、長時間のインタビューは日本語か英語で受け、それがアラビア語に通訳され各国で放送されてきた。
▶小池氏のアラビア語をアラビア語を学んだことのある他の日本人と比べるといっても、実は意外と単純なことではなく、色々と考える必要がある
アラビア語の能力を他の事例にたとえるのは簡単なようで意外と容易ではないと思われる。同じエジプト在住日本人児童生徒・学生という立場でも
・乳幼児
└ 1:アラブ人向け保育園・幼稚園に通い、家の外では常にエジプト方言で生活する
└ 2:英語メインの各国出身エジプト在住者向けの保育園・幼稚園に通い、エジプト人との会話も多少ある
・小・中・高生
└ 3:エジプト人向けでアラビア語で授業が行われる学校で、家の外ではフスハー学習+エジプト方言会話
└ 4:インターナショナルスクールに通っているが、エジプト人との方言での会話が多少ある
└ 5:日本人学校に通っており、フスハーやエジプト方言には多少触れる程度
・大学生・大学院生
*住まいはアパート/学生寮/エジプト人家庭宅でのホームステイなど。アパート住まいだと家の中でアラビア語を話す機会は基本的に無し。学生寮であればエジプト人とエジプト方言、留学生とは時にフスハーで話すといったアラビア語環境あり。ホームステイだと自然なアーンミーヤ表現を学ぶ機会はあるがフスハー会話の練習には基本的にはならない。
└ 6:日本の大学でアラビア語を専攻、語学学校や家庭教師からフスハーかエジプト方言を教わっている
└ 7:日本の大学でアラビア語を専攻、大学のアーンミーヤ中心講義を聴講、フスハー学習は半ば休止中
└ 8:日本の大学でアラビア語以外の分野を専攻、アラビア語は第二外国語として経験、エジプトでは語学学校や家庭教師からフスハーかエジプト方言を教わっている
└ 9:日本の大学でアラビア語以外の分野を専攻、アラビア語は第二外国語として経験、エジプトでは語学学校や家庭教師からフスハーかエジプト方言を教わっている
└ 10:院生として国立大学に在籍、アーンミーヤ中心講義を聴講したり、日本語や英語などで論文を書いたりしている
└ 11:カイロ・アメリカン大学に在籍、アメ大付属のアラビア語コースに通ってフスハーやアーンミーヤを学んでいる
└ 12:カイロ・アメリカン大学に在籍、英語をメインにしつつアラビア語の文献などを使い専攻の学習・研究をしている
└ 13:交換留学生や聴講生としてではなくエジプトの国立大学に在籍しフスハーでの読み書きとアーンミーヤでの日常会話を行いながら、卒業【小池氏のケース】
などと言った具合に多種多様で。
アラビア語習得の過程や身に付けるアラビア語の種類が全く異なる「日本でアラビア語を全く学んだことがなく、大学ではフスハーによる読み書きとアーンミーヤによる講義のリスニングや日常会話を行う必要がある20代学生」と比べるべきなのは上記の8・13あたりだと言える。1・2と比べると「幼児にすら劣る」「アラビア語ができる以前の状態」という誤解を誘導すること、また乳幼児が覚えるアラビア語と成人が覚えるアラビア語とでは種類・中身が全く違うので適切な比較になっておらずアラビア語学習や外国語習得という事象を専門的な目で見た場合には不適切となる可能性が大きいものと思われる。
▶小池氏は構文や語順を間違えたりということが少なくアラビア語文法を今でもある程度理解しているらしいそぶりは見せているがあくまで過去の片鱗といった感じで、「今の小池氏のアラビア語も全盛期のアラビア語も同じ技量」というのは無理がある設定
アラビア語については日本語と順序が逆になるアラビア語独特な構文でも特に混乱しておらずカンペがあればほぼその通りに読めるらしいこと、口語語形であれ関係代名詞など初級文法の中盤以降で出てくる語の使用があることから、日本の大学でアラビア語を第2外国語として履修し最後にアラビア語で自身の名前を書ければOKというゴールを満たして単位を取得した大学生よりはアラビア語の蓄積があり、卒後50年弱をかけて不使用による忘却が進み現在に至ると考えるのが自然なのでは、との印象。
日本のメディアで公開されている小池氏アラビア語スピーチ検証記事・動画はいずれもインターネット上での動画公開が定着して以降に撮影されたアラブ諸国での外交シーンやインタビュー、日本でのイベント時のスピーチ録画などを見て行われている。
外国語というものはある程度習得し仕事を請け負うこともある大学院生や研究者であっても帰国した直後から次第に現地でスラスラできていたはずの会話能力が衰え始めたと実感する人が多く、語学経験者だと「ある程度できても、使わないと忘れる」というのは知られた話かと。
「良好な成績で卒業し通訳までしていたなら、そんなに簡単に忘れはしない。何十年経ってもフスハーで流暢に話せるはず。」「卒後40年以上経った時点で流暢に話せなければ、20代の学生時代も同じぐらいできなかったということになる。」「今中1レベルだとしたら、当時も中1レベルだったはずなので、大学など卒業できない」というのは語学学習や留学経験を持たない方、語学経験者でも引き続き日常的な使用環境にあるために使わなくなってすっかりスキルが落ちてしまった会話能力に自らショックを受けたことが無い方が持ちやすい感想だとも言い得る。
▶ニュースキャスター時代は政治家時代よりも高スピードかつエジプト人に近い発音ができており、政治家に転身してから次第にアラビア語が話せなくなっていったらしいことがうかがえる
本人アカウントで公開されたキャスター時代映像(注:その後権利関係に問題があると判明し削除の上、TVキャスター時代の会話抜きのポストに差し替え済)ではヨルダンの石油会社関係者と中継でつなぎアラビア語で話しかけている。
この中で小池氏はネイティブのエジプト人に似た話し方とスピードで文語に寄せたフスハー・アーンミーヤ混合体会話をしており、現地報道番組の女性アンカーがよく使うようなアラビア語のタイプに近くアラビア語使用者に過去のアラビア語学習歴を感じさせた。アラビア語を全然話せない人が丸暗記するのでは決してできないタイプの、「カタカナ発音で、アラブ人発音とは全然違う」といった形容は脚色でない限りできないようなナチュラル感のある発音で、アラビア語未習者であればアラブ人の指導を受け同じフレーズをひたすら繰り返し練習しない限りそっくりな読み上げをするのは困難だと思われる。
なお同動画では its army の its に相当する部分が本来すべき男性形ではなく女性形でイラクという男性の国名を女性形の指示代名詞接続形で受けている形となっていたが、「他の国名と違いイラクは男性形」という豆知識サイトがいくつあるぐらいにネイティブも女性形と間違えやすい点を考慮に入れる必要あり。
同じ動画の後半であった2006年録画だという環境大臣時代の談話についてはキャスター時代よりも話すスピードが落ちたり、「問題」の複数形がカダーヤーではなくカダーヤートだったり、増加という意味の動名詞イズディヤードを使う箇所で動詞形のイズダードに置き換わっていたり、意味は通るものの文法的な言い間違いが若い頃よりも多くなっている可能性が考えられるトークになっている。そのため若い頃はある程度の時期まではそれなりにアラビア語が言えており、その後使わなくなってから急に忘却が進んだと考えることもできるかと。
▶アラビア語能力検証は非ネイティブの留学生のアラビア語習得やその後の忘却過程についてよく理解している人物に依頼することで、より適性な評価・感想を得られる
これまでに小池氏のスピーチシーンを収めた複数動画をネイティブに見てもらいスキルの程度を判定させるという検証が度々行われてきたが、ネイティブに見てもらう際に問題となるのは「ネイティブだと外国人元留学生のアラビア語技能が元々アンバランスになりやすいこと、使わなくなるとどんどん衰えていくということをあまり正確に理解していない」「卒業後もアラビア語の使用を続けており、技能があまり衰えていないという前提で見がち」といった点となっている。
日本人卒業生の能力検証はエジプト人やアラブ人、そして帰国後も信仰の場面でアラビア語を使い続けるイスラーム教留学経験者の卒後40年とは全く事情が違うことを理解の上で、第二外国語としてのアラビア語教育などに通じておりエジプトの大学から巣立っていった教え子たちが帰国後どうアラビア語を維持しているか/忘れてしまったかを複数ケース見てきたベテランの人物に依頼するのが最も良いものと思われる。
▶小池氏が現在も英語を話せていることと、カイロ大学の留学生優遇措置としての英語使用の可能性について
アラブ諸国の大学はアラビア語ではなく英語で授業が行われ英語力で単位取得が決まる学科も多いため、社会学科の授業や課題を英語で済ませた部分があるということであれば、カイロ大学卒業という言葉が与えるイメージと卒後40~50年時点での文語アラビア語会話能力の印象とが合致しないと言われがちな件の背景になっているとも考えられる。そのため当時英語で単位認定があったかどうかといった細かい部分も確認が必要になってくるかと。
26)正則はコーランが基で、アラブのあらゆる国で通じるが、口語は地域限定。口語は、ちょっと地域を離れると、全く通じないという。
▶正則アラビア語と口語アラビア語に関する事実誤認もしくは脚色がある箇所で、「~という」という伝聞形であることから検証者氏はこの件について詳しくない上に色々と調べ直さずに記事化してしまった可能性が高い
フスハーとアーンミーヤに関する誤認あり。「通じないという」という伝聞形式は、検証者氏がアラビア語の口語事情に関する専門的学習をされたことがなく実際には文語と口語がどのように運用されているのかを知らずに記事を作成してしまったことを示唆している部分ともなっている。
口語が他の地域でも通じる件については小池氏のトーク『小池百合子 アラビア語を語る』での説明の方が正確で、アラビア語のメジャーな方言はちょっと地域を離れただけならある程度通じ、同じ部族が移住に伴い後半な地域に広めた同じ系統の方言であれば距離が離れていても近さを感じたりする。
アラブの部族民は遊牧生活や飢饉といった色々な理由から移動、色々な国にまたがって暮らしていることが多い。そのような血縁関係を持つ部族に関しては、ヨルダンとサウジアラビアといった違う国に住んでいる同士でも話すアラビア語や衣食住・慣習が似通っている。
そのため現在のサウジアラビアからスーダンに移住した部族は今のサウジ人が聞いてもすぐに理解できる方言となっている。またアフリカ北部を横断移住したアラブ系部族民が散在しているマグリブ諸国ではマシュリク諸国のアラブ人が聞き取りやすい方言があり、アルジェリアのアラブ系部族が多い地域の生粋の方言を聞いたサウジアラビアなどのアラブ人たちが「言っていることの大半を聞き取れる」とコメントするといった事例もある。
ちょっと離れていて今や別々の国になっているが、近しい関係にあるためマルタ島のマルタ方言を聞いたチュニジア人たちが「ほとんど意味がわかる」と驚いたりも。
▶「口語は、ちょっと地域を離れると、全く通じない」というのは、「人の移動やテレビ・ネットによる総合交流の進行により、遠く離れた地域の方言を複数理解する」ようになった現代アラブ諸国の現状に合致しない
違う系統の方言だとほぼ理解できないというのは仕事・教育・メディアを通じた相互交流が無かった大昔の時代の話で、「口語は地域限定」という話が百何十年~何十年前の段階の一体いつ頃の古い情報に依拠したものなのか推定が難しい。
アラブ世界では100年ほど前にラジオ放送が始まって以降他国の歌謡曲を楽しむということが次第に一般化。レコードやテープの普及とあわせて、エジプトの歌手の熱烈なファンが遠くのイラクなどにもいるという状況を生んだ。またエジプトやパレスチナなどアラビア語教育者が多い地域からアラビア半島諸国に大量の教師が派遣や出稼ぎの形で働きに出たこと、特にエジプト人は授業中でもエジプト方言をしばしば使ったことからイエメンといったアラビア半島南端地域でも毎日の授業を通じて違う地域の口語アラビア語に触れ聞き取り能力を養った者たちも現れた。
映画上映やテレビ放送が普及してからはアラビア半島のアラブ人がエジプトやレバノンの作品を楽しむといったことが常態化していき、衛星テレビチャンネルや各国メディアによるインターネット上での生放送・動画提供が爆発的に増えたこの20~30年の間にそうした傾向が特に強まり、聞くだけなら遠隔地域の方言(ただし理解しやすいよう現地方言丸出しではなくフスハーに多少寄せてある)数種類の基本会話を理解できるというのが普通になっている。
汎アラブニュースチャンネルでは各国出身のアナウンサーが口語に担当。特派員はフスハーや自分の方言を混じえながらリポート、各国でのインタビューもマシュリク地方アラブ人が理解できないモロッコ方言等を除き字幕無しで流れされるなど、視聴者がアラブ世界主要地域の方言をある程度聞き分けできることが前提にコンテンツが提供されている。
生身のレバノン人に会ったことが無いイエメン人がレバノン方言による連続ドラマを毎週見ているといった事例も多く、「口語は地域限定。口語は、ちょっと地域を離れると、全く通じない」というのはここ50年ほどのアラブ世界におけるアラビア語事情に関する知見を十分に持ち合わせていないという印象を抱かせるものとなってしまっている。
▶この部分は極めて古い情報がアップデートされないままだったのか、脚色・情報改変かのどちらか
文語アラビア語と口語アラビア語との隔絶ぶりを強調したり、口語アラビア語の通じやすさが物理的な距離でのみ決まると記述したりしている点については、執筆者の事実誤認か事実を知った上での脚色のどちらかが原因として考えられるが、いずれの場合であっても読み手の方で「実際には全く異なる状況である」との情報修正が必要な部分となっている。
27)政治家の演説やニュース、文献には正則が用いられ、口語は一般人が世間話をする際に使われている。
▶正則アラビア語と口語アラビア語の実際の使用状況を正確に把握していないと思われる
政治家の演説は正則アラビア語が多いが、正則アラビア語と口語アラビア語との混合もかなりの割合となっている。場合によっては口語アラビア語のみと様々。政治家の演説がフスハーだけで行われるという解説は、実際に政治演説や国会放送をアラビア語であまり見たことが無いと示唆してしまう部分なので、逆効果だと思われる。
「口語は一般人が世間話をする際に使われている」は「ネイティブは公的な場所なら必ずフスハーで話す」という架空設定を強調するあまり口語アラビア語(アーンミーヤ、いわゆる各地の方言)が使われるシーンを極端に狭めて説明しているくだり。口語は部族同士の大規模な会合・調停、宗教行事での追悼詩朗誦、口語詩作品の発表や詩のフェスティバルなど家庭内での会話や世間話という範囲の外にある公の場でも多用されており、アラブ社会においてフスハーとはまた違った形で重要な役割を与えられている。
そもそもオスマン朝期には公的な場でのアラビア語使用が制限されたり、イスラーム式寺子屋とは異なるタイプのアラビア語教育を行うアラブ人向け学校の開設が行われていなかったことから、オスマン朝崩壊以前のアラブ諸国ではフスハーの影響力が低下し、アーンミーヤによるコミュニケーションが広く行われている状態だった。
口語アラビア語を「一般人が世間話する際に使う」と説明することは、そうした近現代におけるアラビア語の色々な動きをふまえない不正確な説明だとも言える。フスハーがここまで復権したのは近代以降のアラビア語復興運動や近代的公立学校の普及を通じて実現したものであり、フスハーが太古の昔から公的な場で常に覇権を維持してきたと誤解させるような一連検証記事の記述には疑義を呈さざるを得ない。
28)小池氏は正則アラビア語とエジプト口語をゴチャ混ぜにして話している。そんな話し方をすること自体あり得ない
▶アラブ諸国で正則アラビア語と口語アラビア語を混ぜることが広く行われており、「そんな話し方をすること自体あり得ない」は根拠が不明
先述の通り、エジプトにおいて正則アラビア語とエジプト口語との混合体(中間体)が色々な混ざり具合で実在するという現状に反している解説。
そもそも検証対象の動画でエジプト人インタビュー役の女性イーマーン・アル=アッカード氏や小池氏が日本語で話し始めてからバトンタッチした日本人の通訳官男性もまたフスハーとアーンミーヤ(エジプト方言)を混ぜたアラビア語で話しており、「小池氏のアラビア語だけが文語-口語ちゃんぽんで、彼女のアラビア語だけが際立っておかしい」的な設定にある矛盾を示している形となっている。
「学生当時もアラビア語がそこまで得意ではなかったようだ」と推論するのは理解できるが、「正則アラビア語とエジプト口語をごちゃ混ぜに話すなどあり得ない」というくだりはアラビア語関連解説記事を書く立場の人物としては非常に重大な誤解もしくは印象操作のための事実関係改変だと言わざるを得ない。
▶文語アラビア語と口語アラビア語を混ぜるスタイルは日本人アラビア語既習者たちの間でも広く知られている
アラブ諸国に第3のアラビア語とも呼ばれるフスハーとアーンミーヤのミックス会話が流布していることは昨今のアラビア語学習界隈でもかなり知られるようになってきている話で、アラブメディアを日常的に視聴している人であれば知識人らがわざとフスハーとアーンミーヤを混ぜていることは体感的に理解する現象となっている。
それを「あり得ない」と完全否定しているとなると、
(1)検証者氏に文語アラビア語と口語アラビア語の関係性について最初に教えた人物が高齢者で、小説といった印刷物に口語アラビア語が本格的に進出する前(1900年代前半)の世代の人だった。その人に教わって以降「実際は混ぜて使う」と情報を上書きしてくれる人がいなかった。
(2)日常的にアラビア語を運用しておらず、アラブ諸国でのアラビア語に関するここ数十年の現状を直接見聞きしていない。
(3)本当はアラブ人たちが文語アラビア語と口語アラビア語を色々な比率で混ぜその場に応じて調節していることを知りながら、小池氏批判記事を作成目的のため「そんな話し方をすること自体あり得ない」ことに話を変えてしまった。
のいずれかということになってしまう。
アラビア語に長じた専門家としての評価を大幅に減じる可能性があるにもかかわらず、「正則アラビア語とエジプト口語をゴチャ混ぜにして話している。そんな話し方をすること自体あり得ない」といった都市伝説的な解説を長年にわたり色々なメディアで提供されている理由については、大いに謎が残る部分となっている。
29)日本で6カ月程度勉強したレベル
▶人が作ってくれた原稿を暗記してスピーチするというのは半年だけの既習者にはまずできないので、実質的なアラビア語暦はもう少し長かったように見受けられる
日本で半年アラビア語を学習した人は、たどたどしくても会話をできないのが普通かと。小池氏の全盛期のアラビア語能力は、フスハーで自在にアラビア語を操ることはできなかったとしても、何年もエジプトに住んでいたなりの基礎会話はできていた可能性が高い。そのためアラビア語を始めてたったの半年という日本人にはできないことができている部分が見られる。
日本で半年初級文法を勉強して「うー」「あー」混じりであっても一応言っていることがなんとなく通じる会話になるというのは、むしろだいぶできる部類に入る。東京で開催された複数イベントで原稿を読んでいる時は言い淀みが少ないので、もし原稿が発音記号100%ありのアラビア文字テキストだけということであれば意味は完全に理解できていなくとも半年勉強した人よりは音読がスムーズにできている状態と言える。
ネイティブのアラブ人で日本人を多数教えた経験が無い場合、非ネイティブの学習者がどのぐらい勉強するとフスハーで会話をできるようになってくるかといったことは正確には判断できず、アーンミーヤが難しいと訴える日本人学習者の悩みを理解するのも難しいことが多い。「日本で6カ月程度勉強したレベル」は日本人学習者の一般的な習熟度に通じていない人物による個人的感想であり、適切な表現でない恐れがやや強いとの印象。また脚色・創作が非常に多い記事シリーズであることから、この部分もまた検証者氏による脚色だった可能性が否めない。
卒後かなりの年数が経過した小池氏のアラビア語については、その忘却分も加味した上で、エジプトにて習得できた文語アラビア語と口語アラビア語がどのようなものだったか、どういう部分を間違っているのか、日本人学習者で留学経験のある人物としてどの程度のスキルだと判断すべきか、などを適正に解説でき、かつ文語と口語の両方の事情に通じたアラビア語の日本人専門家に話を聞くのがベストだと思われる。
2020年1月9日記事
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58847
30)小池氏のアラビア語で聞き取れるのは「ワ、ハーザー、ドクトル・マイリ(?)・・・ムマッシル、ムマッシル(そして、こちらはマイリ博士です。・・・代表、代表)」「ラアバ、ラアバ(ゲーム、ゲーム)」のみで、ほとんど会話になっていない。また「これらはあなた(あなたの友人?)に」というごく簡単な発言も英語で言っている(本を渡しながら「ゲーム」と言っているのは、数独の本でも渡しているのか?)。
▶小池氏は「ハーザー」とは言っていない
十中八九「ハーザー」(This、これ、この人)とは言っておらず、おそらく検証者氏側による聞き取り間違い・不要な付け足しだと思われる。小池氏はナーリイー氏紹介とゲーム贈呈の時には「This is ◯◯.」の◯◯部分に該当する部分のみアラビア語を言っており、それ以外は英語を使用。
▶他の部分同様定冠詞アルが抜かれているが、小池氏は「ドクトル」ではなく「アッ=ドクトール」、「ムマッシル」ではなく「ムマッスィル」、「マイリ」ではなく「ナイリー」と言っている
検証記事では実際には言っていないハーザーが足されているほか、慣例表記によるものなのかここでも定冠詞が除去されている。しかしながら小池氏は「ドクトル」ではなく「アッ=ドクトール」と言っている。
また、日本語カタカナ表記では外国語のスィ(si)音をシ(shi)に置き換える慣行があることからムマッシルになっているが、小池氏はアラビア語発音通りのムマッスィルと言っている。検証記事は小池氏が話した通りに書き起こされておらず、アラビア語としての正確性をうたった記事としてはムマッスィルが良いかと。
「マイリ(?)」となっているナイリー部分も、小池氏は語末をニスバ語尾ということで長母音で伸ばして発音しているらしいこと、また検証記事ではアラビア語発音を聞き取って書き起こした部分については日本語カタカナ慣例表記ではなく小池氏が行っているフスハー会話に寄せた表記が求められるであろうことから、マイリでもナイリでもなくナイリーが良いものと思われる。(ただし日本の通常記事ではナイリで通っている人物。)
▶小池氏は「ドクトル・マイリ」ではなく「アッ=ドクトール・ナイリー」と言っている
記事で確定されず「ドクトル・マイリ(?)」となっている人名部分は、マではなくナの「ワ…アッ=ドクトール・ナイリー」と言っているようにも聞こえる。
リビア人のラストネームとしてはマイリー(Mairi)ではなくナイリー(Naili)で複数ヒットすること、イヤホンをして大きな音量でリスニングをするとおそらくナイリーと言っているだろうことを起点としてウェブ検索すれば、人物の特定は可能。しかし検証者氏はそれをせずに記事を作成した形となっている。
▶同伴者は実際には「マイリ」でも「ナイリー」でもなく「アン=ナーイリー」というラストネームで、小池氏は英語表記の Naili を見て「ナイリー」と覚えていた可能性がある
日本リビア友好協会ウェブサイトの『両国のミッション・要人の往来』では2010年の欄にリビアの大使館書記官として登場するDr.Ahmed Naili氏が、2009年の欄ではリビア外務省ナイリ書記官として登場。
小池氏検証動画の2009年リビア・ビジネス開発ミッションにも同行し日本からリビアに渡航したことが確定でき、画面には出てきていないものの小池氏の付近に立っていた可能性が非常に高い。(この時のリビア訪問は日本リビア友好協会ウェブサイトに「リビア・ビジネス開発ミッション」として記録があり、小池氏がリビア政財界の重鎮らと次々に面会を行ったことがわかる。)
そのため小池氏は彼とその名前をカダフィ大佐に紹介、リビア人としてのアラビア語ラストネームであるニスバ النايلي [ ’an-nāyilī(y) ] [ アン=ナーイリー ](英字表記例:al-Naili)から定冠詞アル部分を取った英字表記発音で「ナイリー」と発音されたものと推察される。
国連大学協力会ニュースレターによると外交官子息として生まれたナイリ氏(アン=ナーイリー氏)はリビア大使館でリビア-日本間要人会談の設定や留学生支援に奔走してきた人物だとか。上記の記事・出来事の後、同氏は駐日リビア臨時代理大使に就任したという。
▶小池氏はゲームを渡す際の英語会話にアラビア語単語を混ぜるのがアドリブに近い本来の話し方だった可能性が高いが、その後にある程度の長さがあるアラビア語スピーチをしていることは検証記事では触れられていない
小池氏が話したアラビア語フレーズでBGMにかき消されず聞こえるのは前半部分の会話で、「ワ…アッ=ドクトール・ナイリー」(それと…ナイリー博士)、「ムマッスィル、ムマッスィル」(代表、代表(の))、「ラアバ、ラアバ」(ゲーム、ゲーム(です))という短い3種。実は後半でアラビア語スピーチをしているがBGMの音が大きすぎて全体の聞き取りは不可能。
Wiiを手渡し握手する前に「シュクラン・ジャズィーラン・(以下BGMかぶりにより聞き取り困難)」(どうもありがとうございます)とアラビア語で挨拶しているのがわかるが、検証記事には掲載されていない。また、音の響きからしてこれ以降の挨拶はアラビア語で行っていたことがわかり、他の外交シーン動画同様原稿内容を暗記した感じのアラビア語スピーチがなされたものと推察される。
そのため小池氏がWiiゲームを手渡した辺りの会話がアドリブで本来のアラビア語会話スキルに近く、動画後半で比較的流暢にアラビア語を話しているであろう部分が外交に必要なメッセージを伝える際の原稿ありの比較的しっかりした文章としての会話という組み合わせになっているものと思われる。
検証記事では「アラビア語での大学教育に耐えられるレベルからは程遠かった」とあるが、アドリブ部分は確かにそうだと言えるかもしれない一方、BGMで消えており検証記事で触れられていない後半部分の外交スピーチメイン部分はアラブ人が「結構しゃべれている」と感じるようなアラビア語ネイティブによる監修・支援を受けた上での言葉運びに切り替わっていることを考慮に入れる必要があるかと。
▶渡したのは数独の本ではなくゲーム機で、検証者はネット検索で今でもヒットする当時の報道記事・小池氏SNS投稿でのプレゼント報告を確認せずに記事を書いたものと見られる
「ラアバ、ラアバ」と言っているシーンでは小池氏が体を動かす素振りをしており、かなり厚みのある箱のような物をプレゼントしている。数独も لَعْبَة [ la‘ba(h) ] [ ラアバ(実際にはラァバのような発音) ] と呼ばれているが、見た目からしても数独の本を渡したのではないだろうことが察せられる。
贈った物品は当時の小池氏本人ツイートで「ちなみに、リビアのカダフィ指導者へのお土産はWiiにしました!」と語られている通り任天堂Wiiだったことが確認可能で、四国新聞サイトの鮮明な写真からカダフィ(アル=カッザーフィー/アル=ガッダーフィー)氏が『Wii Sports Resort』らしき箱を持っていることがわかる。そのため、小池氏の体を動かすジェスチャーはWiiでバーチャルスポーツをすることを示したものだったと推察できるかと。
2020年6月22日記事
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61009
31)4年間アラビア語で勉強し、教科書を読み、毎年論文式の試験も突破して卒業したのなら、フスハーで話せないことはあり得ない。英語でも同様だが、普段その外国語で話す環境になくても、その言語で文献を読んだり、文章を書いたりしていれば、それとほぼ同じ水準で話すことができる。
▶アラビア語既習者・留学経験者で同意する人はまずいないであろう内容で、特にアラビア語は文語アラビア語において読み・書き技能と会話技能との間に大きな落差が生じやすい
アラビア語圏の国立大学に聴講生なり正規生なりの形で留学したことがあれば「アラブの国立大学で普段フスハーの本を読みフスハーで作文していればスピーチ練習を一切しなくても自ずとほぼ同じ水準でフスハーを話せるようになることなど、まずあり得ない」というのがむしろ共通認識。
アラブ人はごく一部を除き「フスハーの文章を書くスキル≠フスハーで話すスキル」である方が普通。小学校からいわゆる国語教育としてアラビア語のフスハーを学び続けるのに流暢にフスハーでスピーチする能力が向上しないまま社会人となるアラブ人が多いことはアラブ諸国のアラビア語専門家らの間で非常に問題視されており、衛星放送とネットにおけるアーンミーヤの洪水状態に押されてフスハーへの関心が次第に薄まり、高いフスハー運用能力を備えたアラブの若者が減ってきていると警鐘が鳴らされたりもしている。
日本人留学生についても同様で、フスハーを多用する環境にある学科を除き、講義も他の学生との会話もほぼアーンミーヤとなるため、日常会話はアーンミーヤで読み書きがフスハーという具合に「話す」技能だけ口語寄りになりやすい。
エジプトを始めとするアラブ諸国でも「アラブの教育システムはフスハーを話せるようにできていない」「大学を卒業してもフスハーで満足に話すことはできない」件は社会問題になるほど有名で、フスハー会話ができるためには繰り返しの訓練が必要であり、読む・書くができるようになったから話すのも同程度にできて当然というのは、無茶な主張に当たる。
「普段その外国語で話す環境になくても、その言語で文献を読んだり、文章を書いたりしていれば、それとほぼ同じ水準で話すことができる」はアラビア語やアラブ圏特有の問題をよく理解していないか、小池氏批判のためにフスハーとアーンミーヤとの関係性を事実とは異なる架空設定にした都合上、現実のアラビア語事情と乖離した内容に脚色されている可能性があるとも推察される。
このような記述は、アラビア語圏における特殊な文語-口語二層状況を熟知していないと判断され得るリスクがある。アラビア語の文語-口語併存状況(ダイグロシア、ただし現在ではそうしたダイグロシア論もかなり古くなってきている)は英語学習と事情が大きく違っているため、安易に英語学習にたとえることもまた不適切だと思われる。
▶大学になってからアラビア語を始めた日本人学習者は、自分の専攻分野に関する語彙ばかり覚えて、フスハーで色々な話題について語ったり言葉のキャッチボールをしたりするのに必要な知識はいつまでも身につかないという共通の悩みがある
アラビア語学習の実体験がある人、アラビア語を使った研究をしている人なら「アラビア語は本が読めるようになってある程度の作文ができるようになっても、会話ができるかどうかは別物」だと痛感したことがある方も多いかと。
アラビア語は文語の口語の教本・辞書が分かれているので、昨今の四技能育成型英語教材が豊富に揃っていないアラビア語では、フスハーによる会話でも欠かせないつなぎ言葉(フィラー、filler)などの習得に適した環境とはあまり言えず、文献を読むのは楽になったのに偏ったフスハー語彙で日常会話をしようとすると日本語の「あー」「うー」が出たり比較的初期に覚える口語つなぎ言葉「ヤアニー」を多用してしまうといった形態になりやすい。
▶アラビア語学科出身ならばフスハー会話が上達する可能性も高いが、社会学科あたりはどちらかというとフスハーが上手くならない学科に当たる
アラビア語学科やイスラーム宗教家養成系大学・宗教学科などの一部人文系専攻を除きアラブの大学は少々のフスハーによる講義と大半を占めるアーンミーヤによる講義とで構成されている。
しかしながら社会学科はアラビア語教育の時間数も少なく、社会学科で学んで磨けるのはフスハーで書かれた文や板書を読み、ノートやテストに書くという読み+書きの能力がメイン。
昨今アラブ諸国では高等教育の外国語化が進んでおり、アラビア語ではなくフランス語・英語で授業が行われるため大学入学以降アラビア語スキルが磨かれないまま専門用語ごと外国語で学び取るということも増えてきている。そのためネイティブ学生も留学した日本人学生も「実際に話すのはアーンミーヤで、フスハーは四技能のうち読む・聞くがメイン。フスハーで書くのすらあまり得意ではない人もいて、フスハーで何分もしゃべるとなるともっと無理…」のがよくあるコース。
▶エジプトは留学してもフスハー会話をする機会が少なく上達には向いていない国として昔から有名
アラブ人は日常生活でフスハーを使わないためフスハーでスピーチする能力を伸ばす意欲を持たない場合が多く、エジプトは特にその傾向が強い地域。エジプトは大卒者でもフスハーでの会話が苦手な人の割合が高めなことで知られ、「フスハーは筆記で点数を取れればそれでおしまい」と割り切っている学生が多い。
エジプトは昔から日本人留学生の間で「モロッコとかほどではないものの、みんなアーンミーヤでしゃべるしフスハーで話しかけるのも嫌がられたりするので、住んでもフスハーで話す能力がアップしづらい」ことで有名な国の一つ。エジプトに住んでいながらフスハー能力を最短期間で向上させるために周囲のエジプト人との会話までフスハーで通し3~4年でかなり話せるようにするのは可能だが、アズハル大学あたりに留学しているのでない限り相当な変わり者として扱われてしまうため、アーンミーヤを避け続けるのは難しい。エジプト留学経験者のフスハー会話能力については、そうした現地事情を考慮に入れる必要もあり。
日本人でこれまでに留学してフスハーがペラペラになった人は、主にアラビア語学科や宗教大学の卒業者や外交のために専門訓練を受けた外務省員など。
▶アラビア語の性質やエジプト国立大学キャンパス内でのアラビア語使用状況を知らない、もしくは知っていながらも敢えて脚色・改変しているとの印象を与える箇所
この一文はエジプトはエジプト人の大卒者でフスハー会話を苦手とする割合が高めであること、英語などとダイグロシアのアラビア語とでは事情が大きく違っていることを熟知していない人物の発言であるとの印象を与える箇所となっている。
エジプト人は学術的なフォーラムなどでも「フスハーが苦手だから」と断ってエジプト方言まじりで話し続ける人がいるなど、アラブ人とフスハーとの関係や各国における若者世代の深刻なフスハー離れと学校・大学におけるアラビア語教育をめぐる盛んな議論を知っていたら「4年間アラビア語で勉強し、教科書を読み、毎年論文式の試験も突破して卒業したのなら、フスハーで話せないことはあり得ない。」という発言はできないものと思われる。
検証者氏は英語で教育が行われシステム自体がアメリカ式のカイロ・アメリカン大学(AUC、The American University in Cairo)大学院中東研究科修士課程を修了されているとのことなので、エジプトの典型的な国立大学で授業を受けた経験は持っておられないことになる。
同氏の検証記事においてフスハーとアーンミーヤの関係性や大学教育における文語アラビア語に関する記述が現状と噛み合っていない部分が多いのは、アラブの一般的な大学において少数の例外を除き講義がアーンミーヤの各国方言で行われていること、大学ではフスハーを話す訓練は実施されないためフスハー会話が苦手なまま毎年多くの若者が巣立っていくという現状を知らずに記事を書かれた可能性が高いためだとも考えられる。
32)「博士号を持っていても、まったくフスハーではしゃべれない、という方は普通にいます」という記述に至っては完全に信用できない。
▶検証者氏がアラブ諸国でも有名な周知の事実を認めることを拒否してしまっている部分で、完全に信用できない件については具体的・学術的根拠が存在しない
アラブ人で博士号を持っていてもフスハーが苦手なアラブ人は数多く実在する。アラブ世界の東側で特にその割合が高めなのがエジプトで、エジプトは院卒の大学研究者などであってもアラブ人が集まる場で「自分はフスハーで話すのが苦手なので」「フスハーで話すのはここでちょっと失礼して」のような発言をすることもある。
そのためエジプト在住経験がありエジプト人との付き合いが今でも続いているという検証者氏が
・小池氏ほどではないにせよフスハーで話すのが苦手な高学歴エジプト人が少なくない
・大学や大学院を出たアラブ人(ただし学部・学科による差はあり)でも純フスハーでのスピーチを得意としない/好まないことはかなり多い
・カイロ大学といった国立大学での講義でもそれ以外の公的な場でも、文語-口語混合体(中間体)やエジプト方言が広く使われている
ことを知らないというのはむしろ不自然でもある。
そのため、英語で授業を行うカイロ・アメリカン大学大学院を修了されその後も仕事でフスハーとエジプト方言を多用していなかったため検証者氏が単にこの問題を知らないまま新規に調べずに「完全に信用できない」と断言しているのか、実は知っているものの告発記事を書く都合上架空設定を崩せないために完全否定しているだけのどちらなのか、判断が難しい一件となっている。
▶高等教育がフランス語で行われるマグリブ諸国では、フスハーができず筆記もスピーチも危うい院卒エリートが大量にいるという事実の認識が抜け落ちている
アラブ世界ではフランス語や英語で高等教育を受ける人の数が多くなっていることからフスハーがほぼ全くできず、日常会話の口語アラビア語(親や周囲と話す方言)しか話せずそれさえもアラビア文字ではつづれない博士号持ちのアラブ人も実在。
高等教育におけるフランス語使用率が極めて高いマグリブ地方出身者では大学生や大学院生などがフスハーをほぼ話せないことも珍しくない。そうした地域では高学歴の政治家がアラビア語でスピーチする時のためにアラビア語原稿を作成する仕事まであるのが現状。
アラビア語の文語・口語問題や最新事情を追っていれば知って当然の情報だが、小池氏告発を一貫して続け「アラブの大学や大学院を出た高学歴の人間が純フスハーを話せないなどあり得ない」という架空の設定に依拠して検証記事をリリースしているために、小池氏に有利になる情報・小池氏擁護者が提供する意見については正しい情報まで信頼性が低いとしてシャットアウトしてしまわれている状態だとの印象。
2024年3月10日記事
https://yutura.net/news/archives/110992
33)①正確に発音できていない、②文法的に間違えている、③単語レベルで間違っている、④質問にアラビア語で答えられていない、⑤質問にとてつもなく見当違いな回答をしている
▶検証記事では文法・単語間違いのカウント数が大幅に水増しされ検証者氏自身のアラビア語間違いも参入されているため中立的・正当な評価とは言い難く、事前打ち合わせや原稿もあるのか小池氏が的はずれな回答をすることは基本的に無く「とてつもなく見当違いな回答」は脚色に当たる
記事内で言及されている該当動画で文法を明確に間違えているのは
(1)「マンパワー」のパワーを単数形ではなく複数形で言っている
(2)「できる限り早急に」を忘れて横の人が教えているが、できる限り(possible)部分を本来の男性形ではなく女性形にした(ネイティブでもやる人がいるタイプの間違い)
の2点ぐらいなので、これを「大量の文法間違い」「全編にわたって何もかも間違えまくり」と評価するのは印象操作や印象操作に当たるものと思われる。
なお質問にはアラビア語で答えているが、とてつもなく見当違いな回答も特にしていないとの印象。
発音もアラビア語経験者の日本人のよくある発音で、ものすごく下手ということはないかと。厳密な発音やネイティブ並みの調音部位の動かし方はマスターされていないようで著書からもいくつかの文字の発音を間違えて覚えておられたらしいことがうかがえる一方、以前小池氏アラビア語検証動画を作成された方が何度か披露されたフスハー会話やフスハー文音読よりはカタカナ発音っぽさが少なく、イントネーションの訛りも少ないため「アラビア語既習者なら誰が聞いても支離滅裂でカタカナ原稿を棒読みしているのばればれ」というのは過度の脚色と印象操作に当たる可能性も。
小池氏が外交活動の際にアラビア語で話したシーンの動画は英語の混入回数も少なく、初歩的な文法間違いはあるものの全てアラビア語で答えられており比較的無難な内容。
やり取りを見る限り質問される内容が事前に小池氏サイドに通達されており回答自体は準備されていたという可能性も否めず、小池氏が話す外交スピーチの骨格部分や構文がアラビア語のできる人のそれに近いケースが多いことから、アラビア語スピーチライター(原稿書き代行者)の支援を受けているようにも見受けられる。
そのため「小池氏は自分で考えてアラビア語を話しているが間違いだらけででたらめ」という設定で一貫している批判記事・検証記事の評価は、アラビア語上級者の支援も受けていると思われる小池氏のアラビア語スピーチの実像と大きくずれており、多くの日本人アラビア語使用者たちから異論が出されてきた部分となっている。
▶スピーチライターの支援と事前に用意された原稿を暗記していると思われる構文・語彙がしっかり組まれている場合でも小池氏がアラビア語文法を間違えることがあるが、それが小池氏本来の苦手な部分だった可能性が高い
小池氏外交スピーチは文章としては構文も合っており目立ったおかしさはないが、ごく初歩的な文法間違いがあるということは小池氏がその部分を苦手としているという意味でもあるため、「簡単な文法を誤る」というのも確か。
ただ簡単な文法を間違える割にはそれよりも複雑なはずの構文や語順がちゃんとしているという矛盾とも言える特徴があり、些細なミスがある割には文章自体の意味を損ねることが少ないというのは、スピーチライターのアラブ人ないしは日本人と小池氏のアラビア語スキルとの間に差異があったためだとも考えられる。
34)単語については、英語で「student」にあたる言葉すらわかっていない
▶検証者氏のアラビア語間違い(基本単語「学生」がいくつか持つ複数形の一つを認識していない)で、小池氏は正しい語彙と複数形を使っているにもかかわらず「小池氏は簡単な単語を間違えた」という評価に置き換えられている箇所
これは検証者氏側がリスニング間違いから別の単語と取り違えたことで発生した誤訳が原因の誤判定で、この箇所で小池氏自身は言い間違いはしていない。
小池氏は名詞 طَالِب [ ṭālib ] [ ターリブ ](学生)の複数形の一つである طَلَبَة [ ṭalaba(h) ] [ タラバ ] を用いており正しい語彙と複数形となっている。日本人学習者が習う複数形は طُلَّاب [ ṭullāb ] [ トゥッラーブ ] のみであることがほとんどだが、タラバの方もアラブ諸国では多用されており中級以上のアラビア語使用者であれば日常的に見聞きする単語だと言える。検証者氏が本当にそのタラバに思い至らなかったのか、わかっていて小池氏の誤用部分を水増したのかは不明。
検証者氏はこれまでにも語末が「ア」の響きになる ـــَ と ـَة の取り違えや見た目が似ている ـة と ـه の混同の事例があったが、この誤聴でも響きがよく似ているものの違う語である「名詞+人称代名詞接続形」と取り違えており、それが「小池氏は student という単語も理解していない」という事実とは異なる解説の原因になったものと思われる。
35)小池氏はインタビュワーに「リビア人への具体的な支援をするつもりか」を聞かれて、「もちろん」と即答した後、「リビアの地におけるリビアの人物及びリビアの人々を助けます。新しいリビアの地で」と回答したー(中略)ー具体的な話を求めている相手に対し、「意味不明な答え」をしていると指摘します。しかもその回答自体、文法がむちゃくちゃ
▶おそらく元になる原稿はスピーチライターが作成したと思われ、文法・語彙・構文がむちゃくちゃだと感じるほどのスピーチは実際にしておらず、検証者氏側が構文や意味を取れていない可能性があると受け取られ得る評価内容
「リビアの人物及びリビアの人々」は実際には「個人なり集団なりリビア国民」の意で、英語の「the individual and the people」や「the individual and the group」に対応する「個と集団」「個と人民」という意味の熟語( (الليبي) الشخص والشعب)を使っていると思われる部分なので、「人物」ではなく「個人、一人」と訳する必要あり。
また「新しいリビアの地で」部分も、「リビア国ー新生リビアで」と理解できる言い回しのため、意味不明な答えをしているとの印象は特に与えない。
「リビアの地におけるリビアの人物及びリビアの人々を助けます。新しいリビアの地で」とあるが、こういう言い回しの時は بِلَاد [ bilād ] [ ビラード ] を「(人々が居住する)土地(land)」というよりは「国(country)」という意味で使っているので「リビア国(Libyan country)」と訳す箇所かと。また「リビア国」といったん言った直後にリビアが旧政権崩壊後に再出発したことを強調した「新生リビア国」を同格で並べて置いてあるため、構文上「リビア国における」「リビア人の個人なり集団なりを我々は援助する」「新生リビア国」で分断せずに「リビア国―新生リビア国」と並べる必要あり。
▶「具体的な話を求めている相手に対し意味不明な答え」とも限らないやり取りで、同じ質問分を「なにか支援をする用意はあるのか?」と解釈する場合は「特定の援助計画が決定していないものの、既に個人レベルから集団・組織レベルまでの幅広い層を対象にリビア支援をすることは決まっている」ことを伝えたということで、一応質問の答えにはなっている
インタビュー役女性の質問は「あなた方はリビア国民に特定の(/具体的な/何らかの)支援を提供される(ご予定)でしょうか?」だが、単語の解釈により「もう特定の支援策が決まっているのか?」「具体的な支援はもう提供が予定されているのか?」以外に「何か支援は行ってもらえるのか?」までの幅があるものと思われる。
質問者が用いた表現 مُسَاعَدَات مُعَيَّنَة [ musā‘adāt mu‘ayyana(h)/mu‘aiyana(h) ] [ ムサーアダート・ムアイヤナ ] は直訳が「特定の支援群」で他には「具体的支援」などと訳されたりもするが、「何らかの援助(some assistances、some help)」と英訳されることもありその場合は、これに対してはひとまず支援予定の有無を表明すれば十分だと言える。
「何かリビアに支援をしてくれるのか?」と聞かれ小池氏が「はい、もちろんしますよ。新生リビアの国民たちに個人レベルや組織レベルでの支援をしていきますので。」と回答した流れとなっており、小池氏はひとまず支援の準備があること、個別案件や組織対象の援助という形で早急に取り決めて実行に移していく意向であることを示唆した形となっている。
十分に会話が成立しているにもかかわらず小池氏が頓珍漢な回答をしたと判定されている箇所であり、検証者氏が会話の流れと細かいニュアンスをつかんでいなかったのか、小池氏の外交アラビア語会話が惨憺たるレベルであることを強調するために実際よりも誇張して「とてつもなく見当違いな回答」と解説されたのかは不明。
36)回答自体、文法がむちゃくちゃだといい「無理やりどうにか意味を取って」訳した
▶小池氏が時々忘れて間違えているらしい感じはあるが外交スピーチはネイティブかプロ日本人の原稿作成者が支援している可能性があるためか構文などの骨格はしっかりしており、色々なタイプのアラブ人が話す文語アラビア語・口語アラビア語の聴解に慣れていれば無理をしなくても言っていることの意味は普通に理解できる
「無理をしないと意味が取れなかった」というのは、リスニングと細かい聞き分け・聴き取りが苦手だといった検証者の個人的な事情によるもの、もしくは「小池氏のアラビア語がめちゃくちゃだという評価を聞きたい」というメディアや視聴者らの期待に応えた結果検証者氏のアラビア語能力を過小評価される内容になってしまったか、のどちらかだと思われる。
指摘されているリビア関係の動画だが、男性形/女性形や単数形/複数形という初歩部分の文法間違いがだいぶあるとはいえ意味が取れなくなるタイプのミスではないこと、またフスハーとエジプト方言が混ざっただけの癖の無いトークなので登場する語彙や熟語を知っていれば聞いて容易に理解できる回答となっている。
フスハーがほぼできない西方アラブ世界マグリブ(マグレブ)地方の人が無理をして東方アラブ世界マシュリク地域の人と話す時のアラビア語よりもはるかに正則アラビア語に近く構文も整っており外交・人的支援に関わるフスハー語彙もある程度知っている人物のアラビア語を小池氏は話している。
アラビア語ができない人物だと評される割には外交スピーチで大きな構文の乱れ等が無いのはネイティブのスピーチライターが原稿を作成したからである可能性もあり、実際には小池氏の外交スピーチは破茶滅茶だと形容できないものも意外と多かったりする。
アラビア語能力が高い人物が土台・骨格・手本を作っているからなのか、小池氏がしている間違いは複数形・単語の性別・定冠詞の有無といった会話の本筋にあまり影響しない些細な事項が多く、それが管理人のような非ネイティブでも聞けば一字一句聞き取れて和訳もできることの原因になっているものと思われる。
結局のところ、小池氏の歴代のアラビア語スピーチ動画をネット上でできる限り探して全て通しで繰り返し視聴したが、意味を取るのに苦労するようなものはほぼ見当たらなかった。
小池氏の色々な動画を見たところ、小池氏はスピーチ原稿を丸暗記してそれを忠実に再現しているというほどでもないらしく、小池氏の中に残っている基礎アラビア語の知識や文法規則の記憶の名残りらしきものが影響していると思われる箇所もところどころにある。原稿が目の前に無いと忘れる部分が多いために言い淀みが増えたり、「間違えた」と気付いた様子を見せた後に正しい言い方に言い直すなど、ある程度小池氏の事情・意思でアラビア語スピーチ内容が多少変化し修正もされているらしいことがうかがえる。
2024年4月20日記事
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/80465
37)カイロ大学文学部社会学科を訪れて話を聞いた。その回答は「社会学科では1976年当時、卒論が必須で、現在もそれは変わらない」というものだった。
▶カイロ大学の現在の文学部規定や社会学科の科目説明・履修要項の記述と一致しない
管理人はカイロ大学文学部の規定・細則や社会学科の科目説明・履修要項を探して色々と読んでみたが、そのような記載は無く、学生たちがウェブフォーラム・知恵袋・SNSで卒論の話題で盛り上がっている様子も見られなかった。
カイロ大学文学部社会学科に訪れた事自体は事実だったとすると、現在卒論があるという部分が現状と矛盾。小池氏問題に関して「卒論は必須ではない」と回答したカイロ大学関係者の証言の方が正しい可能性が非常に高い。
検証者氏が卒論と同等の論文を書いたり試作品を作ってグループ発表したりする卒業プロジェクトの話を聞いて卒論と誤解したか、「社会学科関係者がこう回答した」という部分に脚色があったかのどちらかだという可能性が出てきてしまう形となっている。
▶実際のカイロ大学社会学科原稿カリキュラムを調べてみると、実践的なフィールドワーク系卒業プロジェクトが課されており、各自卒論が必須であるという日本式システムではないことがわかる
現在のカイロ大学文学部社会学科カリキュラムでは4年次後期(カイロ大学文学部内規PDF69ページ)に卒業プロジェクト(مشروع التخرج)なる社会学の研究・論考(بحوث اجتماعية)を行うフィールドワーク系の授業が用意されている。しかしカイロ大学文学部内規の社会学科の項目には卒業プロジェクト(مشروع التخرج)の記載はあるものの卒業論文が義務化されているとか、各自が個別に卒論を作成・提出し及第しないと卒業できないといった記述は無い。
他の情報も総合するとこれは個人ないしはグループで取り組むフィールドワーク形式実地訓練で、作文、口頭、修士論文提出時のような討論会、学生グループによるパワーポイント使用発表を行い内容や考えについて質問が行われるとのことで、日本の卒論の制度と大きく異なっていることがわかる。
そのため、「今もカイロ大学社会学科には卒論制度があり、各個人が書かないと卒業できない」と誤解させる解説は事実誤認や脚色・印象操作に当たる可能性が高く、不適切な解説だと言える。
2024年4月24日記事
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/80469
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/80469?page=3
38)ムハッタス(specialist)、ムサッジル(registrar)、ムラーキブ(controller)、ムラージウ(checker)
▶厳密には全て定冠詞アルが必要
全て定冠詞抜け。定冠詞を全部抜いてカタカナ化するのは日本語表記時の慣例だが、ここではアラビア語検証記事なので定冠詞がある方が良いかと。実際の文面通りに記載するならば全て定冠詞「アル=」が必要。書類に書いてある通りにカタカナ化する場合は、アル=ムフタッス(注:ムハッタスは検証者氏のアラビア語文法・語形間違いによる発音ミス)、アル=ムサッジル、アル=ムラーキブ、アル=ムラージウ。
39)ムハッタス(specialist)
▶「ムハッタス」は検証者氏側の文法・語形判別間違いによる誤読で、正しくは「ムフタッス」
検証者側による文法間違いと誤読。派生形第8形重子音動詞(ダブル動詞)能動分詞/受動分詞共通語形の読み間違いによる誤読と定冠詞抜けで、実際の文面は「アル=ムフタッス」。ムハッタスだと本来の خ ص ص ではない非実在の خ ت ص を語根の組み合わせとみなしたことになり、語形としても派生形第2形動詞の受動分詞になってしまう。
日本の大学1年生が学ぶ基礎事項だが、第2語根と第3語根が同じ子音字である動詞は基本形態からの変形バージョンであることからアラビア語初級学習者がつまづきやすいポイント。通常の強動詞とは少し違う語形に変化してしまうことから、文法スキルが不足しているとこの「ムハッタス」のような誤読が起きやすい。
▶他者のアラビア語能力検証を行うアラビア語既習者としてはまず考えられないタイプの間違いで、ウェブ上でも同様の誤読が見当たらないことから、文法書や辞書で十分に確認しなかった可能性が高い
ただ時事アラビア語なども含め頻出単語であるため第何形の派生形かを意識しなくとも学部1~2年生で触れて覚える基礎的語彙であることから、能動受動共通語形ムフタッスをこのように誤読するということは極めて稀との印象。「al-mukhattas」や「mukhattas」と検索してもGoogle検索ではわずかな結果しか表示されず、المختص の当て字としてこの読み方をしているのは日本のサイトが掲載しているこの検証記事の英訳版のみとなっている。そのためネットに出されている記事で「mukhattas(ムハッタス)」と誤読しているのは実質この検証記事だけ、ということになるかと。
日本人学習者の大半が使用してきたHans Wehrの辞書にはどのように発音するかを示したラテン文字転写「muktaṣṣ」(ムフタッス)が添えてあること、学習者向けの辞典では母音記号がふられていて誤読が難しいことからすると、検証者氏が検証作業に使ったアラビア語-英語辞書が詳しくないコンパクトなものだったか、辞書見出しには発音記号が書いてあるもののそれを検証者氏側が正確に読めなかった可能性も考えられる。
ネイティブでフスハー既習のアラブ人が非ネイティブの初級学者でも比較的早い時期に教わる頻出単語 مختص をムハッタスと誤読することはまず無いため、ムハッタスという誤読とmukhattasという英字表記はおそらく日本人検証者氏によるものだったと思われる。
もしこれが仮に協力者のエジプト人ジャーナリスト氏がつづって発音したそのままの形で掲載された結果だったとすると、協力者氏が正則アラビア語文法を苦手としている人物だった可能性、またそうしたネイティブの誤用を日本人検証者氏がダブルチェックせずにそのまま記事にして出版社に渡してしまった可能性などが出てきてしまうかと。
▶卒業証明書のムフタッスは「スペシャリスト、専門家」という意味ではなく証書作成に当たった「専任担当職員」のこと
specialistとあるがここでは「専門家」ではなく「専任担当職員」といったニュアンスの部分。そのためカイロ大学の他の書式の卒業証書や他の大学の卒業証書だと الموظف المختص という表記になっていることも。(ネット上の複数画像を見る限り、カイロ大学の異なる書式になってからのアラビア語版証書や英語版卒業証書にはこの担当職員署名欄が無い模様。)
またベンハー大学の英語証書はこの欄に当たる部分に「Official in Charge」、アレクサンドリア大学は「Officer」や「Prepared by」といった記載を行っている様子。要は担当部署の証書作成係の名前を書く欄らしいので、「スペシャリスト(specialist)」以外の訳が適当だったのでは、との印象。
40)ムディール・アーンム・アッ・シュウーニ・タアリーミーヤ(general director for educational matters)
▶「ムディール・アーンム・アッ・シュウーニ・タアリーミーヤ」は正則アラビア語文法としては間違い
冠詞の位置と名詞-形容詞間での不一致ならびにアラビア語構文としての誤り。この語の並べ方だと「アーンム」はこの位置に置くことはできないが、実際に مدير عام الشؤون التعليمية(ムディール・アーンム・(ア)ッ=シュウーニ・(ア)ッ=タアリーミーヤ)としているネイティブ作成文があり、よくある誤用の類に当たるかと。ネット上にアップされているカイロ大学の卒業証書画像にも مدير عام التعليم といった عام の位置等が不自然な表記があり、正則文法としては問題があるものの慣用的に証書に書き込まれてきた慣用の言い回しである可能性が高い。
ただし検証記事では一般的誤用から更に定冠詞が除去された مدير عام الشؤون تعليمية(ムディール・アーンム・(ア)ッ=シュウーニ・タアリーミーヤ) になってしまっている。このように「定冠詞&限定名詞+定冠詞&形容詞」とすべき部分で「定冠詞&限定名詞+形容詞」とするのはメディア学部等卒業生の割合が高く文語アラビア語文法に明るくない人材が比較的多いとされる新聞やテレビ放送でしばしば起こるとされる部類の誤用と言われ、アラビア語誤用に関する専門書他でも挙げられている事項となっている。
文法的には المدير العام للشؤون التعليمية(アル=ムディール・(ア)ル=アーンム・リ・(ア)ッ=シュウーニ・(ア)ッ=タアリーミーヤ)とするのが正則的で、実際にアラブ諸国でもこの言い回しが使われている。形容詞による後置修飾と被修飾語である直前の名詞との数・性・定/不定の一致ルールから「アッ・シュウーニ・■■■タアリーミーヤ」の■■■部分には定冠詞の付加が必要で、分かち書きであれば「アッ=シュウーニ・アッ=タアリーミーヤ」ないしは実際の発音に即した「アッ=シュウーニ・ッ=タアリーミーヤ」などとすべき部分。
なお、ネット上のカイロ大学の卒業証書画像では上記とは異なる مدير الشؤون التعليمية(ムディール・(ア)ッ=シュウーニ・(ア)ッ=タアリーミーヤ)といった役職名での記載も見られた。
41)敬称に「サイイダ」(Ms.)ではなくサイイド(Mr.)
▶定冠詞が抜けている
定冠詞抜け。実際の文書では定冠詞がついているので、書くとしたら「アッ=サイイダ」や「アッ=サイイド」。ただし小池氏のもう一つの卒業証書では未婚女性に使う敬称「アル=アーニサ」が使われていることから、2箇所を訂正して「敬称に「アル=アーニサ(Miss)ではなくアッ=サイイド(Mr.)」とすべき部分となっている。
▶カイロ大学の証書で女子学生・女子卒業生に使う敬称を間違えており、特に小池氏の世代についてはアッ=サイイダ(Ms.)ではなくアル=アーニサ(Miss)が正しい
正しくは”敬称に「アル=アーニサ(Miss)ではなくアッ=サイイド(Mr.)”かと。既婚者と未婚者とまとめて「Ms.」と呼ぶことは米国の女性権利運動として1960年代に始まり1970年以降に各国で少しずつ広がっていったもの。
小池氏が卒業した当時はそうした欧米式の敬称つけに関する認識は今よりもずっと薄かったはずだが、アッ=サイイダを「Mrs.」と「Ms.」両方にあてることは現在に至るまでアラブ世界では浸透しておらず、エジプトの各大学の卒業証書における敬称も未婚女性を既婚女性と同じ「アッ=サイイダ」と呼ぶことでは統一されておらず、女性学生に対して授与される卒業証書の敬称もまちまちである模様。
エジプト人女性本人が提供している本人個人アカウントやエジプトメディア取材記事に載っている偽物ではないと思われるエジプトの大学証書画像を実際に複数見た限りでは、
●比較的最近出された証書でも未婚女子学生は「الآنسة」(アル=アーニサ、Miss)になっていることが多い
●女子学生であるにもかかわらず男子学生と同じ男性形の敬称「السيد」(アッ=サイイド、Mr.)になっているものがネット上に複数例ある
【小池氏の証書と同じケース】
(例1:苦労して優秀な成績でカイロ大学の法学部を卒業した女性のニュース記事では卒業証書の敬称部分が男性形のアッ=サイイドになっている)
(例2:父親に女子教育を禁じられた女性が30代でカイロ大学法学部を卒業した時のニュース記事・写真では卒業証書での敬称部分が男性形のアッ=サイイドになっている)
●未婚か既婚かはわからないが「السيدة」(アッ=サイイダ、Mrs.ないしはMs.相当?)のこともある
●未婚か既婚かはわからないが欧米発女性権利運動を取り入れた敬称表記「السيدة」(アッ=サイイダ、Mrs.ないしはMs.相当?)のこともある
●2019年にカイロ大学で法学を修めたイエメン人女性に関する報道記事で掲載されていた英語卒業証明書では「Mr / Ms」となっており男子学生・女性学生共通のフォーマット、かつ「Mr / Mrs / Miss」ではなく今どきの「Mr / Ms」という敬称が採用されている。
●敬称ではなく「الخريجة」(アル=ヒッリージャ、エジプト発音:アル=ヒッリーガ、女子卒業生)となっていることも
●卒業仮証明などでは「الطالبة」(アッ=ターリバ、女子学生)となっていることもある
(*エジプトで起きた殺人事件を報じるニュース記事では犠牲者の女性がメディア専攻を卒業した時の証書写真が掲載されており、女性であるにもかかわらず男性学生という意味の「الطالب」(アッ=ターリブ)という肩書きがついているほか、「取得した」といった動詞も男性形になっており、男子学生と同じフォーマットを使って証書が発行されたことを示している。)
●敬称の類が無く、直接本人のフルネームが書き込まれていることもある
など、実に多種多様。
▶エジプト諸大学の暫定卒業証明書で「アッ=サイイド(Mr.)・女性名」という書き方が複数例見られる
女性卒業生であるにもかかわらず男子学生と同じ「السيد」(アッ=サイイド、Mr.)になっている複数事例については、上記の通り現地報道の画像中やネット上に出回っている本物であろう証書ならびに偽物実例証書それぞれの画像から確認できる。
「卒業証書で敬称がアッ=サイイドになっているから絶対に偽物書類だ」という断定は、他の事例でも同様にそうなっていることを確認しなかったからなのか、女性卒業生に男性敬称つきの証書を出す事例が実際にエジプトにはあることを把握しながら公表せず「女性の証書に男性の敬称をつけるなんて怪しいしさすがにエジプトでもあり得ないから偽物なはずだ、きっと詐称に違いない」という疑念を読者に抱かせ詐称の何よりの証拠だと誤認させることを目指したものなのかは不明。
▶小池氏は学生結婚したもののその後離婚、卒業時の手書き卒業証書は「アル=アーニサ(Miss)」という女性形の敬称だった
小池氏はエジプトで学生結婚をされており卒業時(1976年)はまだ離婚後だった模様。もし既婚だったのなら「アッ=サイイダ(Mrs.)」の敬称が最も適切だったと言えるが、実際には既に独身に戻っていたためなのか流麗なカリグラフィー書体で書かれた証書の方では未婚女子学生であることを表す敬称「الآنسة」(アル=アーニサ、英語の「Miss」に相当)が使われているのを確認可能。
▶検証者氏が留学・修了したカイロ・アメリカン大学は米国スタイルの教育機関だったため、未婚でも既婚でも女性全員に敬称(Ms.)を導入するのが非常に早かった
今でもアラブの大学生や若者世代に対しては女性がアル=アーニサ、男性がアッ=サイイドなりの敬称をつけることは変わらずアラビア語学習者が覚える基本語彙ともなっているが、検証者氏が在籍していたカイロ・アメリカン大学が早い時期から米国式に「Ms.」を導入し1970年代から女性卒業者へ発行する全ての卒業証書を「アッ=サイイダ」で統一していた。
そのためカイロ・アメリカン大学大学院修了の検証者氏がエジプト全体で共通の事象と誤解し「小池氏の証明書では「サイイダ」(Ms.)という敬称が使われていないとおかしい」という誤った検証結果に至った可能性も考えられる。
▶この問題に関しては「男性形で書かれた男女共通フォーマットを女子卒業生に使っていた」「アラブ人は日本人名を見ても性別がわからずアッ=サイイド(Mr.)・日本人女性名という間違いをしばしばする」を考慮に入れる必要あり
アラブ人は日本人のフルネームを原音に近く音読するのが苦手で名前を見ただけでは性別が区別できないというのは事実なので、「アラブ人やエジプトの大学事務がすることはあり得ない」という先入観を捨てる必要あり。管理人も過去に何度か目にしたことがあるパターンで、アラビア語ニュース記事でもまれに日本人女性のフルネームに男性の敬称がついていることがある。
カタール(カタル)の新聞サイトでは小池百合子氏が「ミスター・ユリコ・コイケ閣下」(سعادة السيد يوريكو كويكي)になっている例、国連のアラビア語文書では川口順子氏が「ミスター・ヨリコ・カワグチ」(السيد يوريكـو كاواغوتشي)、他にはアフリカ開発銀行の戸田敦子氏が「ミスター・アツコ・トダ」(السيد أتسوكو تودا)となっている例を実際に確認可能。
そのためカイロ大学の職員が男性形の男女共通フォーマットで証書を作ったという点以外にも、「アラブ人は比較的簡単に日本人名を見て敬称を足す際に性別を間違える」というのが嘘ではないという点も否定しない方が無難かと。
▶この当時カイロ大学は暫定卒業証明書に男性形で統一された男女共通フォーマットを使っていた可能性が高く、その場合は「アッ=サイイド(Mr.)」にしないとむしろ間違い・偽造疑惑浮上ということになりかねない
カイロ大学やエジプト諸大学が過去に発行した暫定卒業証明書の画像を見ると、女性卒業生たちがもらった証明書に「アッ=サイイド(Mr.)・女性名」「【男性形】~生まれの」「彼は取得した」「彼の求めに基づいて」という男性形になっているケースが複数あった。
日本のメディアではカイロ大学関係者コメントとして「卒業関係書類は昔は男性形の1つのフォーマットを使い、手書きやタイプライター。ピンで留め、大学職員が何人かで手作業でスタンプを押していた。今はさすがに男女の違いはある」が報じられたこともあり、小池氏がこの証明書を取得したとされる時期に文学部を卒業した女性たちの暫定卒業証明書がどのようなものだったのか調べる必要があるものと思われる。
42)「マウルーダ(女性形)」ではなく「マウルード(男性形)」
▶定冠詞が抜けている
実際の画像では「アル=マウルーダ」や「アル=マウルード」。アラビア語検証記事なので、一般記事などにおける慣用表記の定冠詞アル抜去は行わない方が良いものと思われる。
▶この当時カイロ大学は暫定卒業証明書に男性形で統一された男女共通フォーマットを使っていた可能性が高く、その場合は「アル=マウルード」にしないとむしろ間違い・偽造疑惑浮上ということになりかねない
カイロ大学やエジプト諸大学が過去に発行した暫定卒業証明書の画像を見ると、女性卒業生たちがもらった証明書に「アッ=サイイド(Mr.)・女性名」「【男性形】~生まれの」「彼は取得した」「彼の求めに基づいて」という男性形になっているケースが複数あった。
日本のメディアではカイロ大学関係者コメントとして「卒業関係書類は昔は男性形の1つのフォーマットを使い、手書きやタイプライター。ピンで留め、大学職員が何人かで手作業でスタンプを押していた。今はさすがに男女の違いはある」が報じられたこともあり、小池氏がこの証明書を取得したとされる時期に文学部を卒業した女性たちの暫定卒業証明書がどのようなものだったのか調べる必要があるものと思われる。
43)「ハサルト(女性形)」
▶検証者側による文法ミス(動詞完了形の活用間違い)による誤読で、正しくは「ハサラト」
動詞完了形の活用間違いによる誤読でハサルトは誤り。母音aが必要な部分が無母音化されている正しい発音「ハサラト」(彼女が取得した)とは違う主語の時の語形になってしまっており、ハサルトは「私が取得した」という一人称単数ハサルトゥか、「男性のあなたが取得した」のハサルタの語末にある人称に関わる子音字についている母音を読み飛ばした口語的発音。
ここでは三人称女性単数形「彼女は取得した」なので正しくはハサラト(حَصَلَتْ、ḥaṣalat)。検証者氏が完了形動詞の人称・数・性による変化という基礎文法を忘れてしまわれたことによる誤読だと思われる。
これの口語読みで重子音化して聞こえる発音に即してハサラットと書く人もまれにおり、検証記事シリーズでは同様の三人称女性単数形語末部分は「イッリ・ファーテット」のように「ト」ではなく「ット」の付加となっている。そのため検証師が活用間違いをしていなければ記事では「ハサラット(女性形)」となっていた可能性が高い。
▶この当時カイロ大学は暫定卒業証明書に男性形で統一された男女共通フォーマットを使っていた可能性が高く、その場合は「ハサラ」にしないとむしろ間違い・偽造疑惑浮上ということになりかねない
カイロ大学やエジプト諸大学が過去に発行した暫定卒業証明書の画像を見ると、女性卒業生たちがもらった証明書に「アッ=サイイド(Mr.)・女性名」「【男性形】~生まれの」「彼は取得した」「彼の求めに基づいて」という男性形になっているケースが複数あった。
日本のメディアではカイロ大学関係者コメントとして「卒業関係書類は昔は男性形の1つのフォーマットを使い、手書きやタイプライター。ピンで留め、大学職員が何人かで手作業でスタンプを押していた。今はさすがに男女の違いはある」が報じられたこともあり、小池氏がこの証明書を取得したとされる時期に文学部を卒業した女性たちの暫定卒業証明書がどのようなものだったのか調べる必要があるものと思われる。
44)「(~の)求め」にも「タラブハー(彼女の求め)」ではなく「タラブフ(彼の求め)」
▶卒業証明書の文脈の中での読み方としてはどちらも文法間違いで、正しくは「タラビハー」「タラビヒ」
直前に前置詞があるので証書の中に出てくる形の通りに発音するのであれば属格で読む必要があり、主格語形であるタラブハーもタラブフもフスハー音読時の発音を示すカタカナ表記としては厳密には誤りに当たる。
タラブハーやタラブフと読むのは格変化部分の誤読か、格変化部分を無視して全部同じ母音と語形で読み上げるアーンミーヤ的な読み方。ここでは前置詞アラーが前にあるので、フスハー度が高い音読をする場合はそれぞれタラビハー(طَلَبِهَا、ṭalabihā)とタラビヒ(طَلَبِهِ、ṭalabihi)*。
*アラビア語本来の古典的発音はタラビヒー(ṭalabihī)。
▶この当時カイロ大学は暫定卒業証明書に男性形で統一された男女共通フォーマットを使っていた可能性が高く、その場合は「タラビヒ」にしないとむしろ間違い・偽造疑惑浮上ということになりかねない
カイロ大学やエジプト諸大学が過去に発行した暫定卒業証明書の画像を見ると、女性卒業生たちがもらった証明書に「アッ=サイイド(Mr.)・女性名」「【男性形】~生まれの」「彼は取得した」「彼の求めに基づいて」という男性形になっているケースが複数あった。
日本のメディアではカイロ大学関係者コメントとして「卒業関係書類は昔は男性形の1つのフォーマットを使い、手書きやタイプライター。ピンで留め、大学職員が何人かで手作業でスタンプを押していた。今はさすがに男女の違いはある」が報じられたこともあり、小池氏がこの証明書を取得したとされる時期に文学部を卒業した女性たちの暫定卒業証明書がどのようなものだったのか調べる必要があるものと思われる。
45)「乱れ」の3点目は、小池氏の卒業証明書には大学の収入印紙が逆さまに貼られていることだ。他の卒業証明書には、そういう例は1つもない。スペースの都合上やむなく、収入印紙を横に貼ったものはあるが、小池氏のものは、スペース確保とは関係なく逆さまに貼ってある。
▶ネットの求職サイト等を回ってみると、本物卒業証明書とある程度わかるような場合でもエジプト複数大学で収入印紙を上下逆にした例が複数あること確認可能
検証者氏が見せてもらった卒業証明書ではたまたま収入印紙が逆さまになったものが無かった可能性がある。エジプト人たちがSNSや就職サイトなどで卒業報告している投稿を見ると、本物だと思われる卒業証明書で収入印紙が上下逆になっているものが含まれている。
検証記事ではカイロ大学事務の作業ぶりを高く見積もりすぎており、実際に起こっているような適当な仕事ですら「エジプトの大学事務だってさすがにそんなことをするわけが無い」と可能性から排除されてしまっている形となっている。ところが一連の小池氏検証シリーズ記事では同じ筆者氏が「エジプトならなんでもありだ」「日本人がエジプトのことをよくわかっていない」といったことも書いており、自身の主張に合わせて実際にはエジプトに実例が複数あるようなことでも「さすがにエジプトでもあり得ない」としたりと、エジプトの実像に近いことが書かれたり実像に見合わないことが書かれたりと一貫していないとの印象。
管理人が探しただけでも上下逆の印紙がついた卒業証書画像が複数見つかったことから「大学の収入印紙が逆さまに貼られていることだ。他の卒業証明書には、そういう例は1つもない」は検証者氏の調査不足か、小池氏の「卒業証書にある不審な点」の総数を増やすために実際には印紙が逆の事例がエジプト複数大学の暫定卒業証明書にあることを知りながら「逆などあり得ない」と脚色しているかのどちらかとうことになるかと。
2024年4月25日記事
https://news.yahoo.co.jp/articles/d75f3b226c0ab8e05c68b02e7d4cd24b8c296dad?page=2
46)アラビア語にはコーランにも用いられる文語と文字にできない口語の2種類がある
▶「口語アラビア語は文字にできない」というのは文語アラビア語だけを学び口語アラビア語の性質や各地での状況を学ばずに終わったアラビア語既習者に昔からよくある誤解で、現在ネット上でのSNS投稿の大半は口語アラビア語をアラビア文字でつづったもの
口語アラビア語が文字で表現できないという説明は誤り。昨今の各国アラブ人たちは普段の日常会話で話している方言をそのままアラビア文字でつづるということを普通に行っており、SNS・動画投稿やコメント類もアラビア文字筆記の口語アラビア語があふれ返っている状態。
「文字にできない口語」というくだりは「作家・知識人らがフスハーでない要素にアラビア文字をあてがうことを敬遠していた時代は口語アラビア語の文字化が一般的ではなかった」という昔の状況「文字にしようとしない」が誤解され「文字にできない」となり、かつ口語アラビア語を取り巻く環境がすっかり変わった現在の状況として100年ほど前の状態が持ち出されて説明されたものだった可能性が考えられる。
口語アラビア語はアラビア文字でつづることが不可能な言語なのではなく、元々口伝文化だったアラブ世界ではアラビア文字で書くことはフスハー専用だという意識が強かった。近代以前でも方言での語彙に関する記録や一部口語表現を混じえた詩などが書かれるなどしたり、アラビア文字表記に当時の方言における子音の置き換わりが反映されたりしていたことから、口語アラビア語をアラビア文字で記録するという行為自体は、元々物理的・システム的に不可能だというわけではなかったと言える。
▶アラブ世界の小説家たちがせりふなどを口語アラビア語で表現しようと試みた口語ムーブメントはエジプトでいち早く始まり、検証者氏がエジプト留学する前には口語アラビア語のアラビア文字表記が既に定着した後だった
本格的な口語アラビア語の筆記がムーブメント化したのはアラブ世界の近代化が始まって以降とされる。アラビア語に関してもラテン文字表記や口語を取り入れた小説の発表など新たな試みが多数なされるなど、状況は大きく変化。エジプトでは1857年にエジプト農村の説話や詩歌を口語表現そのままに掲載した『هزّ القحوف في شرح قصيدة أبي شادوف』が出版された [ ソース ]。また非ネイティブ向けの口語アラビア語教材に関してはラテン文字で転写するといったことも行われた。
それまでフスハー文を汚すとして敬遠されていた方言会話の大幅導入という動きは1900年代半ば頃に加速し、エジプトのナギーブ・マフフーズやスーダンのアッ=タイイブ・サーレフといったアラブ世界が誇る文豪らが口語会話を特徴とした作品群を発表した。全編エジプト方言のみで書かれた小説第1号『قنطرة الذي كفر』は1940年代に執筆され、1960年代初頭に発刊。
そのため検証者氏がエジプトに留学される前には、フスハー小説のせりふ部分のみとしてだけでなく、小説の全体を口語アラビア語で執筆できることが既に実証済だった形となっている。
また、1963年にエジプト国営TVで放送されたエジプト人文豪・知識人らの座談会では、フスハーベースの小説に口語会話を混ぜるという行為を出演者らが自らの作品でもそうしていること、書籍における文語と口語の混合が数十年前(つまりは1900年代の早い時期)から続いている議論であること、口語会話を作品に取り入れること自体は西暦800年代に活躍したアル=ジャーヒズも行っており決して新奇ではないことが語られており、口語アラビア語のアラビア文字による表現の歴史自体はかなり長いことがわかる。
▶小池氏検証記事シリーズでは口語アラビア語の役割やプレゼンスが大きく過小評価されており、実態に見合わない描写が行われている
録音技術や書き残すという習慣が定着していなかった時代の大衆芸能や詩歌はかなりの割合で忘れ去られてしまったが、現代では各地で人気の口語詩がネット上で発表され、文字化されたテキストや本人が朗唱している様子を撮影した動画が拡散され人気を博している。
イラクのシーア派追悼詩界隈でも詩の本文、朗誦者による公式ビデオ(音楽のミュージックビデオとほぼ同じ)が有名ポップソング並みの視聴数を獲得するといった、巨大な動きとなっており、口語アラビア語のアラビア文字表記という行為の存在感は非常に大きい。
しかしながら小池氏検証記事シリーズでは口語アラビア語がニュース番組にも政治家のスピーチにも登場しない地元住民間の私的な会話だけに登場する、庶民的で品の無い言葉という扱いがされており、文語アラビア語と口語アラビア語に関して大きく誤解しているか、小池氏批判のためにそうしたアラビア語の実情が意図的に改変・脚色されたかのどちらかが可能性が考えられる状況。
47)彼女の文語は初歩的で、文語を話す際にも口語が交ざる。カイロ大を卒業できるレベルでないのは明らか
▶政治家になってからのトークとは違いキャスター時代の原稿音読はかなり巧みだったこと、またフスハー会話能力はカイロ大学卒業能力とあまり比例しない技能なので、卒後数十年経過してからの外交スピーチ動画のアラビア語スキルを意図的に過小評価することはできたとしても、アラビア語がわかる人々を納得させることは難しいため学歴詐称の決定的証拠とするのは難しい
小池氏がフスハーオンリーで話さないことを告発の根拠とするために、アラビア語解説としては不適切な説明になっているものと思われる箇所。
カイロ大学を卒業した知識人も極端なフスハー信奉者でない限り文豪も文語-口語混合体(中間体)を使うのがエジプトではむしろ普通。単に文語アラビア語と口語アラビア語を混ぜているだけではその人物のアラビア語が初歩的であるとは断定できないので、誤解を招く表現。実際には中間体(混合体)話者は
・文語アラビア語に極めて堪能
・文語アラビア語はまずまず話せる
・文語アラビア語が苦手で語彙力と文法力が不足しておりフスハー会話を試みるも明らかに無理をしている様子がある
といった様々なケースに分かれるため、それらをふまえた上で本件がどのケースに該当するのか説明してないと日本人読者は「フスハーとアーンミーヤを混ぜて話すのはアラビア語が下手だという証拠に必ずなる」と誤解してしまう恐れがある。
なお検証記事では「小池氏が外交の場で話してきたアラビア語はめちゃくちゃ」という設定になっているが、実際にはスクリプトライターが関わっている可能性を感じさせる程度には構文や専門用語が使われており、小池氏アラビア語検証記事・動画を作成した検証者の方々よりも文法間違い・言い間違いの種類が軽微でむしろ構文的に巧みな部分すらあったりする。
小池氏アラビア語問題検証記事・動画では小池氏が話すアラビア語のベースがスクリプトライターであるネイティブ・プロのアラビア語能力であることを考慮に入れていないが、実際にはアラブ人やアラビア語経験者が動画を見ると「卒業してから50年も経っているのにそれだけの文章と表現を言えているのなら、若い頃はそれなりに簡単な会話を言ったり短文を書いたりぐらいはできていなのではないか?」と感じる可能性が高かったりする。
そのため「小池氏のアラビア語はめちゃくちゃで何を言っているかわからない」という評価は、「検証した側が小池氏のアラビア語すら聞き取れておらず、実はアラビア語があまり得意ではないのではないか?」と思われてしまうというリスクをはらんでおり、実際のところ小池氏検証コンテンツには検証者氏側のアラビア語間違いやアラビア語に関する事実誤認が非常に多いことがアラビア語専門家・アラブ研究者らのSNS雑談でも話題に上るなどしている。
徹底告発の体裁をとった記事・動画は日本の一般大衆には歓迎されやすいが、アラビア語・アラブ関係者やネイティブたちには「なんでそんなことを書くのか?」「どうしてそんな過少評価をわざと言うのか?」「自身もアラビア語を間違えているなど、他人のアラビア語を指摘できる立場にないのではないか」となりやすい模様。
2024年6月18日記事
https://bunshun.jp/articles/-/71481?page=2
https://bunshun.jp/articles/-/71481?page=3
48)1970年代のアラビア語に精通した専門家
▶1970年代のアラビア語も現在のアラビア語も大きく変わらないため、「1970年代のアラビア語に精通した専門家」と名乗って活動する人物は基本的におらず表現に違和感あり
アラビア語の文語は基本的に大きく変化せず特に近代以降はさほど大きな変わりは無いので、「1970年代のアラビア語に詳しいアラビア語研究者」といった肩書きでアラビア語の専門家をしている人は基本的には存在せず、アラビア語界隈では聞かないタイプの表現となっている。
このことから、告発者の側はアラビア語事情に明るくなく、また告発を行う前に依頼相手から「フスハーとアーンミーヤとは何か?」といったアラビア語に関する基本的情報を与えられていなかったことが推察される。
▶「アラビア語の専門家」とあるが、実際にはアラビア語の数字を正確に読めていない、基礎文法レベルの間違いがある、構文を取れていない、正確に和訳できていない、崩し字の書道書体を読めていないなど、アラビア語のプロとしては考えられないミスが多数見られることから、実際にはアラビア語稼業が副業である人物に依頼したものと考えられる
本件は、
・中世であれ現代であれフスハーに通じている
・アーンミーヤであるエジプト方言も使える
・エジプトの大学の規約や卒業生課の案内を検察・人力で通し読み・翻訳できる
・フスハーとアーンミーヤを使ってエジプトの学生や大卒者たちのネット投稿を調べられる
・特殊字体で書かれた証明書・証書も含め正確に読み取れる
ことができる人物を探して検証を依頼するような案件だと思われるが、”7つの重大証拠”に極めて初歩的な誤りが複数含まれるなど、小池氏の卒業問題を綿密に検証する能力を有したアラビア語翻訳者が関わった形跡が見られない。
アラビア語に精通した専門家に依頼したとしているものの、ディーワーニー書体で書かれたヒジュラ暦月名の見落とし・書籍の活字書体と同一であるインド数字(アラビア語数字)7と8の取り違え・構文間違いといったアラビア語の専門家であれば起きないような誤用が複数発生。本件に関しては厳密な意味でのアラビア語専門家には依頼しなかった可能性が非常に高い。
おそらく、アラビア語科などに在籍するアラビア語学の専門家やアラビア語通訳として定評のある人物を新規に探して依頼したのではなく、アラビア語学習経験があり中東に関連した何らかの立場にある小池氏告発界隈から近しかった知人等に依頼したものと推察される。
告発内容である”7つの重大証拠”のうちほとんどが「重大証拠ではなく、単にエジプト側の大学システムがそうだっただけ」「単なる告発者側の勘違いや間違い」に該当するが、依頼を受けた”アラビア語専門家”が素で多数の間違いをしてしまったのか、「日本人の大半がアラビア語やエジプトのことを知らないので、ここは脚色しても大丈夫」と指導した結果このような不備が多い告発が行われたのかは不明で、謎が残る告発文となった。
49)小池氏はこれまで一貫してカイロ大学を1976年10月に卒業したと主張してきました。2020年に駐日エジプト大使館がフェイスブックに掲載した小池氏のカイロ大学卒業を認める声明文(カイロ大学声明)にも、1976年10月に卒業した旨が記載されています。ところが、卒業証書には1976年12月29日に卒業したとはっきりと記されている。小池氏の『1976年10月卒業』という主張と矛盾するのです
▶10月期卒業試験を受験→12月の大学評議会会合で及第・学士号授与・卒業が承認→1月に暫定卒業証明書が出たという卒業生たちをエジプト人が「10月卒業者」と呼ぶことを把握しておらず、小池氏の表現が正しいにもかかわらず矛盾を主張している
証書には「1976年12月29日に卒業した」との表現は無し。大学評議会(委員会/議会)が学士号授与を1976年12月29日付で授与すると決定したと書かれているが、エジプトでは10月の追試を受けて卒業した学生を「خريجي دور أكتوبر」(10月ラウンド卒業者)*つまりは10月頃に実施される秋口の追試で卒業所要単位を揃えて5月組(5月ラウンド卒業者、خريجي دور مايو)よりも後に卒業を決めた人たち、という意味で呼ぶ名称もあることから小池氏が「10月の卒業生だ」「10月卒業組だ」と自称することはエジプト式名称と一致。矛盾とは言えず、むしろ検証者側の調査不足・事実誤認に当たる。
エジプトの国立大学サイトでオンライン申請するための卒業生向けフォームでも卒業時期の選択欄がテスト実施時期の名称で表示されるようになっているケースもあり、プルダウンメニューの項目が「دور مايو」(5月ラウンド)」や「دور أكتوبر」(10月ラウンド)であること、つまりはいつ卒業したのかが試験期間の月名で表現される慣行の存在が確認可能。
*خريجيはخريجوの属格・対格語形だがエジプト人が多用しているのが口語と同じこちらなのでخريجيとした。
当ページでもまとめた通り、9月試験や10月試験と呼ばれている追試は実際には9月~11月に実施。遅い日程だと11月にテスト実施→12月に成績発表と大学の委員会・評議会が認定、及第により卒業必要単位を満たしたかどうかが確定→1月に証書が出る、という流れになるとのことなので、カイロ大学のスケジュールとしては合っている形となっている。
そのため当時の社会学科の追試日程と小池氏のエジプト滞在時期が合致していたかを確認しない限り、矛盾があると表現することは難しい。
50)いずれも『卒業証書』の発行時期ですが、発行日の日付がないことに疑問を感じます。
▶カイロ大学以外の本物卒業証書でも年月だけで年月日は書いていなかったりするため、偽造の証拠にはならず、エジプトの各大学が発行する手書き卒業証書の書式の一つに過ぎないものと思われる
日本の卒業証書と比較して「日本の卒業証書には年月日が全部書いてあるのに、エジプトのものに日付が書いていないのはおかしい」という特に根拠の無い疑問に当たるかと。
手書き卒業証書発行時期を記載してあるのは証書下方にあるヒジュラ暦と西暦を並べた行だが、エジプト人男性がネットにアップしている似たような文面のエジプトのアズハル大学の厚紙証書でも全く同じであるため、エジプト国立大学での卒業証書の定型スタイルだと思われる。
日本の卒業証書を基準にした場合に感じる差異とそれに基づく憶測「日付まで書いていないとおかしい」を詐称の裏付けに含めているだけで、エジプトの厚紙卒業証書を他にも閲覧すれば「単なるそういう様式」ということで解決し得る部分となっている。
51)イスラム社会で用いられる暦であるヒジュラ暦(太陰暦)の方には月の記載がありません。専門家が調べたところ、西暦1978年11月はヒジュラ暦では1397年ではなく、1398年に該当することも判明したのです。実際に作成されたのが随分後だったことから、1978年11月に該当するヒジュラ暦での年月日が分からなかった可能性があります
▶告発者が依頼した”アラビア語専門家”が、ヒジュラ暦の月名を見落とし、アラビア語数字の7と8を読み間違えるという非常に稀なミスをしているだけの箇所
アラビア語チェックを頼まれた人物の初歩的な間違いが原因で、卒業証書の手書きアラビア文字を判読できていない、いわゆる日本語の楷書体・英語のブロック体と同じような基本的な書体と同一の明瞭な形状で書かれているアラビア語の数字を正しく読めてないことに起因。
この2点から、依頼を受けたのが実際にはアラビア語の専門家ではなかったか、アラビア語をある程度読めているにもかかわらず”重要証拠”の数を増やすために間違いが存在しない箇所に矛盾があるかのようなイメージを読者に抱かせることを目的に創作したかのどちらかになってきてしまうので、かなり問題のある箇所だとの印象。
なお「本学部は証明する。Mr.コイケ・ユリコ 1952年7月15日、この日付で日本で生まれた」という構文や熟語のニュアンスを適切に取れていない誤訳もあることから、実際にはアラビア語翻訳のプロではなくアラビア語の数字の7と8も区別できないぐらいにアラビア語の使用から遠ざかっていた人物、もしくはアラビア語の数字ではなく英語や日本語と同じアラビア数字を使うモロッコ他のマグリブ諸国でアラビア語を習得したために東方アラブ世界で多用されるアラビア語数字(インド数字)が元々うろ覚えの人物だった可能性が高いものと思われる。
▶発行年月の記載部分と告発者側の見落とし・誤読について
小池氏卒業証書後半には語末 ـي の下に2点を打たないエジプト式つづり(アリフ・マクスーラではなく ـي の旧形の「二点無しヤー」)が前半2箇所に含まれる
القاهرة فى ذى الحجة سنة ١٣٩٨ هجرية ونوفمبر سنة ١٩٧٨ ميلادية
と書かれている。この部分は比較的崩し字の度合いが大きくないことから読みやすく、アラビア語専門家を名乗る人物が十分な基本スキルを備えていれば正確に読めないということは基本的に考えにくい。
ヒジュラ暦の ١٣٩٨ は「1398」年のことで証書の中に1397年という記載は一切無い。また ذى الحجة がヒジュラ暦12月に相当するズー・アル=ヒッジャ(ذو الحجة、実際の発音はズルヒッジャ)月の名称部分で、前置詞の後なので属格語形「ズィー・アル=ヒッジャ」(非エジプト式表記は ذي الحجة、実際の発音はズィルヒッジャ)となっている。
「後年になってから卒業記録を偽造したため整合性が得られず1398年だったはずのヒジュラ暦の年が1397年になっている」「日本の証書のように月名も書いていない証書がエジプトにあるとは考えられない」というのは告発者が依頼した人物の誤読・誤解であり、実際の証書の記載内容自体には特に矛盾や不具合は存在しない。
▶アラブ・イスラーム諸国には西暦-ヒジュラ暦換算表もあり「実際に作成されたのが随分後だったことから、1978年11月に該当するヒジュラ暦での年月日が分からなかった可能性があります」には無理がある
換算表などもあるため「1978年11月に該当するヒジュラ暦での年月日が分からなかった」という可能性は低いものと思われる。
そもそも卒業証書では西暦1978年11月に該当するヒジュラ暦12月の名前が正しく書かれており、訳に食い違いが出た時点で検証者が委託した人物が行ったアラビア語からの訳が間違っていた可能性を考え再点検する必要があった箇所に当たるかと。「おかしい」「食い違っている」と感じたにもかかわらず解決せず「つまりは小池氏とその卒業証書がおかしいはずだ」という結論に至ってしまっている。
仮に何度か再点検したとして、毎回1398年という記載が一貫して1397年に見えたということは、アラビア語専門家として記事内に登場する人物が現時点では恒常的にアラビア語の数字の7と8を区別できていないことを意味するとも言い得る。インド数字(アラビア語の数字)は日本人アラビア語学習者が通常3ヶ月~1年ぐらいで学ぶ内容でアラビア語を続けていれば間違えることは無いため、同人物が昔から間違えていたということでなければ、かつては区別できていたもののブランクが長引いたことで忘れてしまわれたと考えるのが自然かと。
52)最終行左側の〈授与された者〉の欄に小池氏のサインがされておらず、右側の〈学生登録番号〉が空欄になっていることも卒業証書の信憑性を疑わせます
▶最終行の和訳は「授与された者」「学生登録番号(学籍番号)」ではなく「学位所持者の署名」「カイロ大学にて~で登録された」
小池氏ではないエジプト人がネットに公開しているカイロ大学の卒業証明書・卒業証書を見てみると、在学時の学籍番号が記載されているものは少ない。暫定卒業証明書については学生番号・学籍番号は男性だと「رقم الطالب」女性だと「رقم الطالبة」などと書かれ、それとは別に「شهادة(証明書)」といった語の下に卒業証書管理番号・卒業記録登録番号と思われる。
小池氏の卒業証書では「カイロ大学に番にて登録された(سجلت بجامعة القاهرة برقم)」とのみ書いてあり、過去完了形の受動態動詞が使われていることからも、入学時に登録されずっと使っていた学生番号ではなくこうして作成された卒業証書が卒業記録として何番として登録されたのかということを示す通し番号の方を意図していると感じさせるような語形・時制となっている。そのためこれを学籍番号だと解釈することは誤解・誤訳である可能性がある。
また最終行左側は「授与された者」とは記載されておらず、正確には「学位所持者の署名」。
53)本学部は証明する。Mr.コイケ・ユリコ 1952年7月15日、この日付で日本で生まれた
▶構文や修飾・同格関係を正確に取れておらず、直訳とはまた違う誤訳をしている
構文・主部述部の区別・修飾/同格関係を間違え、直訳とはまた違うタイプの誤訳になっている箇所。「本学部は証明する。Mr.コイケ・ユリコ 1952年7月15日、この日付で日本で生まれた」だと小池氏が1952年7月15日に日本で生まれたことまで証明内容に含まれてしまっているが、実際には「1952年7月15日付で日本にて生まれたユリコ・コイケ氏」「1952年7月15日付日本生まれのユリコ・コイケ氏」というかかり方。
証明書本文の1行目冒頭「本学部は証明する」の直後から2行目の終わりまでは証明する内容の主部で、述部は3行目冒頭以降。「本学部は証明する」「1952年7月15日付で日本にて生まれたユリコ・コイケ氏が」「社会学専攻*学士号を取得した」「1976年10月ラウンドの」「良の評価にて」と並んでおり、これを組み合わせて「本学部は、1952年7月15日付で日本にて生まれたユリコ・コイケ氏が1976年10月期に良の評価にて社会学専攻(の)学士号を取得したと、証明する」という構文になっている。
*前置詞の有無の都合上「社会学専攻の学士号を取得した」ではなく「社会学科」「学士号を取得した」のように文法的なつながりが無い2つを並べたようになっている箇所。
アラビア語専門家による訳としては珍しいタイプで、アラビア語の数字の7と8を区別できていないのと同様、告発者側が十分な資質を備えた人物に依頼せず正確な構文解釈や和訳をできていない人物を「アラビア語の専門家」と称して告発者側に立てたと理解されるリスクも抱えているとの印象。
またフルネームもコイケ・ユリコの順番ではないため、日本語式のフルネーム語順に入れ替えるのは直訳としては不適切だと思われる。
54)小池氏が男性形のMr.で表記されている点です。一部に『カイロ大学が発行した卒業証明書では、よくあること』との指摘もあるようですが、アラビア語の専門家がいる文学部を持つカイロ大学がそのことを自ら“公式に”認めているのでしょうか
▶「アラビア語の専門家を抱える有名大学が男性形と女性形のずれという文法間違いを認めているというのか」はエジプトの暫定卒業証明書が実際にこうした書式を使ってきたことを十分に調べておらず、エジプトの複数大学が事務作業の簡素化のために男女共通フォーマットを使っていたという指摘を受けたにもかかわらず検証者氏が「自分は信じたくないので信じない」的スタンスになってしまっている箇所
当時カイロ大学は暫定卒業証明書に男性形で統一された男女共通フォーマットを使っていた可能性が高く、その場合は小池氏の卒業証明書(注:卒業証書の方はきちんと女性形になっている)も男性形で統一しないとむしろ間違い・偽造疑惑浮上ということになりかねない。
カイロ大学やエジプト諸大学が過去に発行した暫定卒業証明書の画像を見ると、女性卒業生たちがもらった証明書に「アッ=サイイド(Mr.)・女性名」「【男性形】~生まれの」「彼は取得した」「彼の求めに基づいて」という男性形になっているケースが複数あった。
日本のメディアではカイロ大学関係者コメントとして「卒業関係書類は昔は男性形の1つのフォーマットを使い、手書きやタイプライター。ピンで留め、大学職員が何人かで手作業でスタンプを押していた。今はさすがに男女の違いはある」が報じられたこともあり、小池氏がこの証明書を取得したとされる時期に文学部を卒業した女性たちの暫定卒業証明書がどのようなものだったのか調べる必要があるものと思われる。
▶カイロ大学事務員たちのアラビア語能力と証明書のアラビア語間違いは上記とはまた別に暫定証明書の中で見られる
カイロ大学事務の職員はアラビア語科出身でない可能性が高く、エジプトのお役所や教育機関の事務仕事がかなり杜撰であることを考慮する必要あり。
女性卒業者に男性形で統一された男女共通フォーマットを渡していた時期があったらしいことは別として、証明書の名前で女性卒業者を男性形で受けていたり女性形で受けていたり不統一、ـة と書くべき部分を口語的な ـه を入力してしまっていたりと、大量処理の中で些細なアラビア語間違いをしているカイロ大学発行暫定卒業証明書がネット上でも複数例観測された。
▶アラブ人は「アッ=サイイド(Mr.)・日本人女性名」のような書き間違いをしやすい
アラブ人は日本人のフルネームを原音に近く音読するのが苦手で、しかも名前を見ただけでは性別が区別できないというのは事実なので、「アラブ人だってユリコ・コイケが女性だと理解できるはずだ」「アラブ人やエジプトの大学事務がすることはあり得ない」という先入観を捨てる必要あり。
管理人も過去に何度か目にしたことがあるパターンで、アラビア語ニュース記事でもまれに日本人女性のフルネームに男性の敬称がついていることがある。カタール(カタル)の新聞サイトでは小池百合子氏が「ミスター・ユリコ・コイケ閣下」(سعادة السيد يوريكو كويكي)になっている例、国連のアラビア語文書では川口順子氏が「ミスター・ヨリコ・カワグチ」(السيد يوريكـو كاواغوتشي)、他にはアフリカ開発銀行の戸田敦子氏が「ミスター・アツコ・トダ」(السيد أتسوكو تودا)となっている例を実際に確認可能。
そのためカイロ大学の職員が男性形の男女共通フォーマットで証明書を作ったらしいという推測以外にも、「アラブ人は日本人名に敬称を足す際に性別をよく間違える」ということまで「アラブ人だってそんなことはしないはずだ」と否定しない方が無難かと。
55)この発行年月日が最大の疑問点です。『卒業証明書』は1977年1月12日発行と記されていますが、『卒業証書』は1978年11月発行。1976年12月29日に卒業したという『卒業証書』の記述を踏まえると、『卒業証明書』だけ卒業したとする日から2週間足らずのうちに迅速に発行され、『卒業証書』は2年後に発行されたという不思議な順序になるのです。また、卒業日が1976年12月29日だとすると、同年の12月は残すところ30日と31日だけになります。31日はイスラム教の世界では休日の金曜日だったことに加え、小池氏が正月に日本に帰国していたことを考えるとこの日程の中で小池氏は一体、いつ『卒業証明書』の発行をカイロ大学側に要請し、いつ受け取ったのでしょうか
▶エジプトの国立大学では「10月期卒業試験追試→12月末に大学評議会の会合で承認→1月に暫定卒業証明書を先行発行→手書きの卒業証明書は1~2年後もしくは発行してもらえず放置」というのが普通だが、それを調べずに日本の常識で判断し「不思議な順序」と感想を述べているだけなので、卒業証明書・卒業証書の記載内容のみ見た場合はエジプトの大学制度としては矛盾が無い
1976年12月29日は卒業日や卒業式があった日時ではなく、10月追試の結果が出た後で卒業必要単位が揃った頃が確認される時期。各大学の告知等を見ると、エジプトの大学では12月末に冬季試験が実施され、29日頃に大学評議会の会合が開かれていることがわかる。
卒業証書のアラビア語本文に関しては、大学の委員会が成績確認をして学士付与を決めた年月日、つまりは10月追試の成績確認を他の学生分とまとめて実施した時期だったことを表している、という理解を読み手にさせるような記述となっている。現在のカイロ大学も10月ラウンド追試が11月という遅めに実施されると12月に成績発表・卒業決定→1月に卒業証明書発行といったスケジュールだとのことなので、白黒写真がついた書類が1977年1月に発行されたことについては一応筋が通るようにできている。
追試ではない5月期卒業試験も含め、卒業が決定してから就職などのために暫定卒業証明書だけは迅速に発行される。卒業式などはずっとその後で、小池氏の卒業祝い写真が無いとされる一件については、正規卒業していてもそうでなかったとしても、既に日本に帰国してしまっていたからだと思われる。
▶12月末~1月のカイロ大学スケジュール
年末年始が休みになり大学も休みになる日本と違いアラブ諸国には元々西暦の年末年始を祝う習慣は無いため、平日とあまり変わらないことに留意する必要あり。エジプト人の一部が信仰しているキリスト教のコプト教会についてはクリスマスは12月25日ではなく1月7日という東方教会系の日程。現在のカイロ大学スケジュールだと、12月末ギリギリが最終授業日、1月にキリスト教徒祝祭日があること、前期(第1学期)試験期間であることなどがわかる。
大学が普通にやっている時期なので本人なり代理人を立てるなり遠隔申請なりで取得すれば発行可能な状況ではあった可能性があることは一応考慮に入れるべきかと。そのため検証するとしたら卒業証書を自分自身で申請・取得できたかどうかではなく、10月ラウンドの試験が行われる9~11月のうち社会学科のテスト日程がどのように組まれその時に小池氏がエジプトにいたかどうかを確認する必要が出てくる。
昭和51年10月27日の東京新聞報道によると「この九月、日本女性として初めてエジプトのカイロ大学文学部社会学科を卒業し、十月中旬帰国したばかり。」とのことで、小池氏の卒業証明書・卒業証書に記載された内容から読み取れる
・5月の卒業試験では落第し夏~初秋の卒業はかなわなかった
・10月期のリベンジ卒業試験を受ける前の9月だが、既に日本のメディアでカイロ大学を卒業したと報じられている
・10月期卒業試験追試での及第が最終決定し卒業が確定したのは12月
との間にずれがあるのでは…という気も。
▶エジプトの大学には本人以外が卒業証明書の発行申請を行える代理人制度がある
エジプトの国立大学サイトでは証書申請・受け取りを代理人がする件に触れている事例あり。そのため小池氏が知人のエジプト人に頼んでおいて早めに取得した可能性を加味して情報確認する必要もあると思われる。特に小池氏が懇意にしていた人物はエジプトの有力者だったため、エジプトであればそういう大物の一声があると通常とは違う迅速なスピードで事務処理が進み委任状が無くても日本にいる小池氏に代わって書類が用意されるということすら起きる土地柄である点を考慮に入れた方が良いのでは、という気も。
カイロ大学も含めエジプトの大学には代理申請制度があるため、本人からの公式な委任状や代理申請時に必要な証明証があれば家族や知人でも発行手続きを行うことができる。そのため「いつ『卒業証明書』の発行をカイロ大学側に要請し、いつ受け取ったのでしょうか」は小池氏が正規に卒業証明書を受け取っていないという印象を抱かせる一方、エジプトでのシステムを確認せず代理申請制度等がある件を見落としているとも受け取れる箇所となっている。
▶現在は卒業証明書を郵送で受け取るオンライン申請サービスもある
現時点ではカイロ大学は証明書の郵送による受け取りにも対応しており、居住地からオンラインもしくは書類で申請し銀行送金等で発行手数料を振り込むことで入手が可能だという。そのため当時こうしたシステムがあったかどうか、本人がエジプトに赴かずに済んだのかの確認が必要かと。ただ仮に当時から同様の申請方法があったとしても、実際に送金が上手くいき希望のタイミングで書類が作成・到着するという保証が無いのもまたエジプト式だと配慮に入れる必要もあり。
▶アラブ諸国では手書きの卒業証書は発行が非常に遅いため、「卒業証明書迅速に発行され卒業証書は2年後に発行」は普通か下手するとましな方
アラビア書道作品のように見える卒業証書は普通の大学職員ではなくアラビア語書道の素養がありディーワーニー書体で書いてくれる証書書き・書道家(خطاط、ハッタート)に依頼するらしく、卒業証明書が成績発表後にすぐ取得でき、手書きの卒業証書が遅れるというのがアラブ諸国の一般的な順序となっている。
小池氏の手書き卒業証書発行までのブランクが長い件についてはエジプト的には大いにあり得るというかむしろ通常運転だとの印象だが、実際にカイロ大学にありがちな大学の事務業遅滞といった事情があったのか、卒業経緯に矛盾があったからなのか、精査しないと確定は難しいと思われる。なお『挑戦 小池百合子伝』には簡易の証明書はすぐに出たが手書きの証書は何年も待たされる状態だったと書かれている。
現在のエジプト国立大学卒業生たちも卒業証書(学位記)は卒後2年経ってももらえていないと複数が報告していることから、「『卒業証明書』だけ卒業したとする日から2週間足らずのうちに迅速に発行され、『卒業証書』は2年後に発行されたという不思議な順序」は日本のシステムに当てはめて見た場合の感想で、エジプトの卒業証書事情を調べずに書いた感想だとわかる。
▶エジプト大学の暫定卒業証明書(一時卒業証明書)と手書きの卒業証書
エジプトの大学では試験の結果発表で及第の目処が立ち卒業必要単位を満たして卒業するであろうことがわかった学生が入手できる暫定卒業証明書/一時卒業証明書/期間限定卒業証明書(شهادة التخرج المؤقتة、temporary certificate)というものもあり、永続的に効力を持つ正式な卒業証明書類(شهادة التخرج الدائمة、permanent certificate、永続卒業証書/終身卒業証書)が出るまでの間隔を埋める存在ともなっているとのこと。従軍や就職などの都合上、卒業決定が出た時点で卒業生たちは取り急ぎ大学の卒業生課に手書きでない方の卒業証明書発行を申請し、軍や就職希望先などに提出するという。
▶日本の卒業式で手渡される紙の卒業証書に相当するものはアラブ世界で通称「الشهادة الكرتونية」(厚紙証書)や「الشهادة الجدارية」(壁掛証書)などと呼ばれている「الشهادة الأصلية」(オリジナル証書、original certificate)でアラブ諸国の学生が大学からもらえる卒業関連書類の一つ。活字による印刷ではないディーワーニー書体等による手書きのタイプについては、卒業生が大学に発行を希望すると大学提携の書道家が書いてくれる仕組みになっているとか。
エジプトの各大学の案内では卒業決定が大学から告知されると学生が自分で必要書類を揃えて提出し、料金を払ってから発行される仕組みになっているのがわかる。厚紙の証書は手間がかかるためか普通の大学事務書類にプリントされた卒業証明書(卒業生がアラビア語◯枚、英語◯枚、フランス語◯枚のように選んで申請・取得)よりも高めな金額設定になっている。
別途の経費が必要無く卒業式で皆が揃ってもらえる方式になっている日本と違い、初回発行も含め厚紙の卒業証明書類(شهادة التخرج الدائمة、permanent certificate、永続卒業証書/終身卒業証書)、プリントアウトされた卒業証明書ともに自己申請方式かつ有料というシステムになっているらしい点、卒業試験に追試があり証明書受け取り時期は卒業生によって異なる点は一斉に卒業が決まる日本と混同しないよう注意が必要だと思われる。
アラブ諸国では卒業からかなり経過した人が「今更になってやっともらえた」「ようやく厚紙証書を受け取った」「やっぱりあるとただの紙の証明書よりも卒業したという実感できる」「お金を出すと作ってもらえる証書」などとSNSに投稿しているので、日本と同じく卒業式に間に合うよう迅速に全員分が作られ特別料金も取らずに卒業式会場で漏れなく配布されるという風に誤解しないよう区別すべき点となっている。
▶卒業証明書や卒業証書に記載されている氏名が間違っていた場合の修正
ちなみに証明書の氏名を訂正してもらう場合も必要書類を揃えた上で有償で行ってもらう形式だとのこと。厚紙証書(小池氏の場合は手書きの書道書体で書かれた卒業証書の方)の破損・紛失による再発行の場合、外国人卒業生は500米ドルを支払うシステムだという。
2024年6月19日記事
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/81610?page=7
56)小池氏のアラビア語は2歳児レベル
日本で6ヶ月勉強した程度と断じている
▶小池氏のアラビア語は話す内容も習得過程も全く違う2歳児とでは比較にならない
先述の通り、小池氏のアラビア語は2歳児とは全く別の習得過程を得ており話すアラビア語の種類も全く異なることから適切な比較とは言い難い。
▶日本で6ヶ月勉強しただけの人は小池氏のように原稿を暗記して1~2分でもスピーチすることはまず不可能
「日本で6ヶ月勉強した程度」は6ヶ月学習した日本人学習者が平均的にはどの程度のアラビア語をできるのかを全く知らない非アラビア語教育者のコメントないしは小池氏批判のための誇張であり、実態に合致しない評価であると言わざるを得ない。小池氏のアラビア語は日本でフスハーだけを半年勉強した大学生などとはかなり違う手順で覚えたらしい片鱗があることから、特に同氏のアラビア語については日本で勉強した既習者とタイプが違っている。
小池氏はテレビキャスター時代の原稿読みはかなりの廃止スピードで抑揚などがかなり正確だったため、6ヶ月勉強しただけのアラビア語学習者が持ち得ない、「本人の文法力・フスハー会話能力が仮に高くなかったとしても、最盛期に関しては発音などがだいぶ良かった」という特定スキルに関しては昨今小池氏アラビア語批判を行っている検証者諸氏よりも高かったのでは、との印象。
▶小池氏のアラビア語スピーチにはおそらく原稿があり、ネイティブレベルのアラビア語使用者の片鱗が見られるため一貫して低レベルだという評価は不適切
またスクリプトライターが作成した原稿を暗記しているらしいことから、ベースとなるアラビア語のレベルはかなり高く、所々で発生する文法間違いは初歩的であるという二層状況があり、小池氏の外交時アラビア語スピーチのレベルは明らかに幼児や初心者の域を逸脱している。
小池氏検証記事・動画はそうした原稿作成者の高いアラビア語能力の影響が強く反映されていることに言及せず「小池氏のアラビア語はひどい」という設定で通しているため、アラビア語内容の評価としては説得力が低いと言わざるを得ない。
57)小池氏のアラビア語は「気持ち悪い」
▶個人的嫌悪感や小池氏不支持派へのサービス的な側面が強く、小池氏問題検証記事・動画では小池氏個人に対する嫌悪感と混同され、彼女が話す大しておかしくもなく抑揚・アクセントや構文の間違いは少ないアラビア語に対する冷静・適正な評価がなされていない
これについては個人的な感情がアラビア語評価に加味されている事例であり、通常のアラビア語使用者が持つ印象とは大きく異なるものと思われる。実際に小池氏のアラビア語能力に対する痛烈批判に関しては小池氏辞任・落選を望む層からは喜ばれる一方、アラビア語界隈・アラブ研究界隈より「個人的感情を混ぜすぎている」「ただの悪口で不当評価に近い」「現地留学までした人がそういう論評に手を出したのは残念だ」とのコメントが過去に複数件投稿されるなどしている。
政治家としての小池氏に対する不信感・嫌悪感と切り分けて考えれば、同氏のアラビア語は単に「昔エジプトでアラビア語を覚えた人が、数十年経って思い出しながら話している」「文法間違いなどはあるが、事前に原稿を暗記して練習しているのかそれなりに意味の通る会話を通じて相手にメッセージを伝えようとしている」「元々アラビア語はそんなに得意ではなかったのかもしれないが、外交では困らないように原稿読み上げや暗記などで乗り切ってきたように見える」だけの光景であり、嫌悪感を催す要素は特に無い。
小池氏はネイティブと区別ができないレベルの発音ではないもののイントネーションやアクセントは正確で、スクリプトライターの支援があることも考えられるなど、話しているアラビア語の構文や語順の混乱自体は非常に少なく、フスハーが非常に苦手なアラブ人よりはわかりやすい話し方をしている。
小池氏のアラビア語を気持ち悪いと感じてしまうと、アラビア語が苦手なアラブ人たちの話すフスハーでもアーンミーヤでもなく意味も通らないアラビア語に耐えられない可能性が大きく、色々なアラビア語に慣れているべき「アラビア語に詳しい人物」「アラビア語の専門家」であるという設定と矛盾してしまうものと思われる。
▶検証者側が聴解・構文解釈できなかった部分を「小池氏のアラビア語がおかしいせい」とスライドされているケースが多いとの印象で、小池氏アラビア語検証記事・動画を作成した方々も多数の初歩的な文法間違い・発音間違い・誤訳・聴き取りミスをされており「小池氏のアラビア語(だけ)が気持ち悪い」という評価の信頼性は低い
管理人は小池氏の書籍と動画に一通り目を通したが、アラビア語に無意識の誤用が複数あることを除けばアラビア語の基本性質や文語・口語の役割について不自然・悪意ある記述や発言などは特に行っていないように見受けられ、その点に関しては小池氏検証記事・動画よりも良心的だと言える。
小池氏の話すアラビア語自体はアラビア語を学んでから数十年経っている日本人既習者のそれと似たりよったりで異常性は無く、キャスター時代の原稿音読については検証者氏が何度か披露されたアラビア語会話・音読よりもハイスピードでネイティブ風だったりと小池氏優勢とも言える点があるなどする。
加えて小池氏の外交スピーチはネイティブのアラブ人が原稿を作成しているのではと思わせる点が複数あり、小池氏アラビア語会話の骨格部分についてはアラビア語能力が高い人物の痕跡が感じられることから、小池氏検証記事・動画作成者の方々や告発内容作成に携わった”アラビア語専門家”よりもアラビア語レベル的に高い要素が散見される。
小池氏はそうしたプロのアラビア語の土台の上に小池氏本人の苦手な文法関連の言い間違いをされているようだが、そうした間違いは小池氏アラビア語検証記事・動画・告発内容作成に従事したアラビア語使用者とある程度似通っており、批判する側もされる側もアラビア語初級文法の領域で間違えているという点では変わりがないのでは、という気も…
小池氏のアラビア語については文語・口語アラビア語既習者で通訳・翻訳経験もある人物であれば容易にリスニング・訳出できるような会話内容でも「ひどすぎて聴き取れない」「でたらめで相手に通じない」「和訳すらできない」と誇張されているが、検証者諸氏についてはリスニング間違い・構文間違い・文法間違い・和訳間違いが多く見られ自身の間違いを小池氏の責任としてスライドしているケースが複数見られる。
本件に関しては、検証者諸氏に外交シーンでのアラビア語動画の書き起こし・訳起こしや文法解説を行うだけの十分なスキルが備わっていない問題も大きく関わっているが、これまでに提供されたアラビア語解説や和訳・文法・語彙解説の質にかなりの不足がある件は知られておらず、長年の蓄積により都市伝説化してしまっているとの印象も。
小池氏問題を解決する上でそうした過度の脚色や事実とは異なる印象操作はカイロ大学問題の解決を阻む要因にもなりかねず、個人・政治家としての人柄が与える嫌悪感とは明確に区別し、本来であればもっと冷静かつ過大評価も過小評価も無い小池氏アラビア語評価を人々に提供する必要があったものと思われる。
58)筆者も同感で、年数が経って衰えることを考慮に入れても、「とてもよい面会」を「とても美味しい面会」と言い間違えるなど、アラビア語で大学教育を受け、試験を突破できたとは到底思えない。
▶小池氏のアラビア語能力はともかくとして、「とてもよい面会」を「とても美味しい面会」と解釈したのは検証者氏側の語彙力の問題に起因する誤解で、小池氏は言い間違えておらず「非常に良い面会、非常に楽しく有意義な面会」という既存表現を使っただけ
検証者氏が自分の誤訳・誤解を小池氏の間違いだと信じて「気持ちが悪いという感想に同感だ」と評価している部分。
小池氏のアラビア語は際立ってひどいわけではないが、検証者諸氏がムズムズするような違和感を覚えたのは「フスハーにアーンミーヤを混ぜることなどあり得ない」という先入観をもって文語-口語混合体(中間体)を聞いたことや、実際には自身の誤用・誤解ではあるものの小池氏が大量にアラビア語を間違えているかのように感じられた箇所が多かったことが一因となっている可能性が考えられる。
先述の通り”「とてもよい面会」を「とても美味しい面会」と言い間違えている”というのは検証者氏が「辞書に語義は載っているだけで実際には使われないから小池氏が間違いだ」と長年誤解したままメディアで繰り返し報じてきた内容だが、正確には「良い会談、快い会談、楽しい会談」といった意味のフスハー表現で、表現としては文語・口語共通。
▶「とても美味しい面会」という誤訳を強調することは、検証者側のアラビア語能力不備を強調するため、適正な評価を行った場合逆効果となり、むしろ正しい言い方・ネイティブが使う言い方を知っていた小池氏が有利となるケース
食べ物を「おいしい」と表現する以外に「この人と話していて楽しい・愉快だ」「話し・会談が良い・素晴らしい」という意味があることを小池氏は知っていて、検証者氏が知らずに「食べ物が美味であるという意味にしか使わない」と間違えているという、アラビア語語彙力に関して小池氏の経験値の方が高いことを示す事例となっている。
「とても美味しい面会」という誤訳を小池氏の間違いとして強調することはむしろ検証者側のアラビア語運用能力を疑問視されることになったり検証記事の専門性・信頼性を低めるという結果になってしまっており小池氏批判としては逆効果だと言わざるを得ない。
初級学習者が「とても美味しい面会」と誤訳してしまいやすいムカーバラ・ラズィーザを小池氏が正確に「とてもよい面会」という意味で使えている件は、検証記事の記述とは反対に小池氏が実際にアラビア語を学習していたこと・過去に覚えたフレーズをまだ言えることを感じさせる点ともなっている。
この表現を知っているからといってアラビア語による大学の試験を突破できた語学力があるとは断定も否定もできず、文語の聞く・読む・書くと口語の聞く・話す能力が必要なカイロ大学社会学科通学に1年だけのアラビア語下準備でついていくのもまず無理だったのでは…というのもまた事実だが、少なくともムカーバラ・ラズィーザ(良い会談、快い会談、楽しい会談)を小池氏のアラビア語能力の無さの典型例として挙げることは誤りに当たる。
59)小池氏は、タレント時代に手に入れた卒業証書は作りが杜撰だったため、『振り袖、ピラミッドを登る』の扉では、アラブの民族衣装姿の自分の写真とコラージュして隠し、その後、公開した卒業証書を手に入れたのではないか
▶2つの卒業証書の文字部分が透過・比較すると一致する件
『振り袖、ピラミッドを登る』で使われている証書のアラビア語文面とずっと後になってから日本のメディアに公開された卒業証書は本文部分の筆跡が同じで、アラビア語使用者が2つを並べて見比べた限りでは同一に見える。過去にメディアや自著などで公開済みの証書画像を用意し新旧2つの画像を重ね片方を透過させて比較しても一致している同一卒業証書(学位記)であろうと判断できる重なり具合となっている。

下の紺色の文字が『振り袖、ピラミッドを登る』掲載の証書写真
上の黒字が2020年に都庁で公開された証書の写真
これに関して石井妙子氏はネットの検証記事にて「大学ロゴが違うように見えるのに文字列が全く一致するのはなぜか?」と疑問を呈している。
▶実際のカイロ大学における卒業証書の再発行手順
日本では卒業証書の再発行はできないが、エジプトの場合厚紙証書は所定の手続きにより破損・紛失した人向けの対応を用意しているらしく大学公式サイトでも案内されている。
カイロ大学も含めエジプトの大学の規則では厚紙証書の再発行は多少面倒で、正規の手順だと破損の場合は破れたりした卒業証書の残骸を持参して提出、紛失の場合は警察に行って卒業証書を紛失したという紛失証明書を作ってもらった上で申請。しかも有償でそれなりのエジプトポンドを支払わないといけないなど、やや面倒。
いずれにせよ交換・作り直しなので筆跡などが全部一致する証書が再発行されることは無く、別物が渡されるため透過画像を重ねる作業をしなくても明らかに違う見た目の証書が渡されることになるものと思われる。
(2025年9月 AI翻訳の誤訳と人名誤認ミスについて、後半考察の全面改稿)
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3日でおぼえるアラビア語 著者:小池 百合子 出版社:学生社 |


