グレンダイザーのアラビア語版吹き替えを行ったベイルートのUNIARTスタジオ

目次 | 概要 | スタジオ | 主役声優 | OP歌詞&訳 | サウジアラビア | イラク

レバノンにおける日本アニメ吹き替え業界の黄金時代

今ではシリアのVENUS CENTRE(ヴィーナス・センター)が台頭している日本アニメのアラビア語吹き替え業界ですが、初期はレバノンにあるフィールマリー、ユニアート・スタジオ、バールベック・スタジオなどが活躍していました。

アラブ人ファンの情報によると、1970代後半から1980年代末までがレバノンにおける日本アニメ吹き替えの黄金時代だったそうです。

日本アニメのアラビア語化第1号は『 アラビアンナイト シンドバッドの冒険』だったそうで、吹き替えは فِيلْمَلِي [ fīlmalī ] [ フィールマリー ](Filmali)社が担当。Filmaliは نِقُولَا أَبُو سَمَح [ niqūlā ’abū samaḥ ] [ ニークーラー・アブー・サマフ ] (Nicolas Abu Samah、ニコラ・アブー・サマフ)氏が所有していた会社で、『宝島』『みつばちマーヤの冒険』『まんが猿飛佐助』もアラビア語化しています。

Al-Ittihad Al-Fanniスタジオ概要

اَلِاتِّحَادُ الْفَنِّيُّ
[ アリ=ッティハードゥ・ル=ファンニー / アル=イッティハードゥ・ル=ファンニー ]
Al-Ittihad Al-Fanni(日本語で「芸能組合」的な意味)
英語名:UNIART Studios

創立は1963年。ベイルートにあったスタジオで、パレスチナ人・レバノン人・ヨルダン人の混成チームだったそうです。

UNIARTスタジオはアニメの吹き替えに限らず様々なメディア・放送番組を作っていて、BBC番組のアラビア語化も同社が実施するなどしていました。(アラブ世界で初めて吹き替え業務を請け負った会社だったと書いているサイト・書籍もありました。)

Uniart Orchestraという楽団も抱えていてレコード作品の演奏もさせていたようです。昔の色々なアーティストのアルバムリリース情報に名前が載っていました。レバノンが誇る歌姫ファイルーズのリリースしたアルバムの中にもこのUNIARTで収録したと書かれているものがいくつかあります。

ちなみに同社の消息についてはアニメ・漫画フォーラムのKAIZU LANDにファンの方が書き込みをされていました。レバノンのテレビ会社であるAl Jadeed TVに買収されその一部となったようです。また、創設者の3名とも既に故人となっていることをグレンダイザー主人公の声優だったジハード・アル=アトラシュ氏がテレビインタビューで明かしています。

スタジオの創立者とレバノンの放送業界

レバノンに集結したパレスチナ系放送業界人たち

アラブ地域でのラジオ放送史に関する記事によると、UNIARTスタジオの設立者は3人ともBBCのアラビア語ラジオ放送部門(パレスチナ地域に放送局があり、ナクバ以後はキプロスに移転)で働いていたとのこと。

BBCの対アラブ放送局は1956年に閉局。BBCで働いていたアナウンサーやミュージシャンたちはアラブ各国の放送局に分散。一部はレバノン(とくにベイルート)で起業し、次第に他の元同僚らもレバノンで活動するようになり同地での放送業界が躍進するきっかけとなったそうです。

書籍によってはUNIART設立者の3名はBBCの対アラブ放送局が閉局する前の時点で英国の中東政策やスエズ運河問題に抗議して辞表を出したと書かれています。

関連サイト

  • Transmission Tower
    パレスチナにあったラジオ放送施設に関する記録です。BBCのアラビア語放送局(近東地域対象局)で働いていたパレスチナ業界人たちの若かりし頃の写真も。ちなみにパレスチナにあったラジオ電波塔は爆撃で破壊、ラジオ局もブルドーザーで取り壊されてしまったとのこと。

創立者3人組について

書籍によると、1950年代にアラブ世界の放送業界で活躍した3名の著名なパレスチナ人が設立。彼らはスタジオ設立前に長年放送業界で経験を積んでいた人物たちで、自ら作品に出演するかたわらで若手にその極意を引き継ぐこともしていたのだとか。

グレンダイザー主人公役を務めたジハード・アル=アトラシュ氏によると、周囲の関係者には

اَلْفُرْسَانُ الثَّلَاثَةُ
[ ’al-fursānu-th-thalātha(h) ] [ アル=フルサーヌ・ッ=サラーラ ]
(3人の騎士たち)
فُرْسَان [ fursān ] [ フルサーン ] は فَارِس [ fāris ] [ ファーリス ](騎士)の複数形。

と呼ばれていたそうです。

アブドゥルマジード・アブー・ラバン

عَبْدُ الْمَجِيدِ أَبُو لَبَن
[ ‘abdu-l-majīd ’abū laban ] [ アブドゥ・ル=マジード・アブー・ラバン ]
Abdul Majid Abu Laban

Abu Labanは英字表記がAbou Laban等になっていることも多いです。アブー・ラバンはパレスチナのヤーファー(ヤッファ)地区に居住していた有名なファミリーの家名。ラバンはアラビア語でヨーグルトの一種や牛乳を指し、アブー・ラバンで「ラバンの父」「ラバン屋」「ラバンを良く飲む人」といった意味になります。(パレスチナでは「アブー◯◯」の◯◯部分に農産物の名称が入る家名が多いのだとか。)

昔エジプトから移住してきた一族で、繊維関係の品物を扱う大きな商家でした。またかつてはパレスチナで薬局も経営。対英闘争、対シオニスト闘争に一族で身を投じるも、ナクバを機に各地に離散。一部はそれよりも前のフランス委任統治時代にレバノンに移住しベイルートに居住。

アブドゥルマジード氏自身はパレスチナにあったBBCの対アラブ放送局で働いており、閉局後はいったんバグダード放送に転職。イラクでの放送業界発展に寄与しました。

スブヒー・アブー・ルグド

صُبْحِيّ أَبُو لُغْد
[ ṣubḥī(y) ’abū lughd ] [ スブヒー・アブー・ルグド ]
Subhi Abu Lughod

スブヒー氏はパレスチナにあったBBCの対アラブ放送局で働いており、閉局後はアブドゥルマジード氏と同じくバグダード放送に転職。イラクでの放送業界発展に寄与しました。

グレンダイザーではズリル役、ブラッキー役で出演。

ガーニム・アッ=ダジャーニー

غَانِم الدَّجَانِيّ
[ ghānim ad-dajānī(y) ] [ ガーニム・アッ=ダジャーニー ]
Ghanem Al-Dajani

ガーニム氏はパレスチナにあったBBCの対アラブ放送局で働いており、閉局後はサウジアラビアに転職。同国での放送業界発展に寄与しました。

その後パレスチナ人からの出資を受けてレバノンで اَلشَّرِكَةُ اللُّبْنَانِيَّةُ لِلتَّسْجِيلَاتِ الْفَنِّيَّةِ [ ’ash-sharikatu-l-lubnānīya(h) li-t-tasjīlāti-l-fannīya(h) ] [ アッ=シャリカトゥ・ッ=ルブナーニーヤ・リッ=タスジーラーティ・ル=ファンニーヤ ](「レバノン芸能録音社」的な意味になります。)を設立。

グレンダイザーでは宇門源蔵役で出演。

黄金時代の日本アニメ吹き替え作業

UNIARTスタジオはグレンダイザーだけでなくアラブ世界で語り継がれる名作アニメを世に送り出したこともあって、今でも関係者がインタビューを受けることが多いようです。そのため当時の収録の様子を知ることができました。

日本のアニメを吹き替えていた80年代はレバノン内戦下。まだ今のように機材も整っていない時代で、スタジオに出演者一同が並び台に乗せられたマイクの前に立つ形式でした。

1本の作品をシーンごとに細かく分けたものが用意されていて、シーン単位で収録。まず最初に出演者一同が映像を視聴。1~3回ぐらい見て流れを把握した後で本番の収録に臨んでいたそうです。

シーン単位の収録は通しで録音されるため、息継ぎがおかしかったとか、言い間違いをしたとかのミスが出ると最初から全部録音し直しに。出演者たちも必死で演技をしていたとのこと。

翻訳は英語版からアラビア語化していて、スタジオと契約している翻訳者が作業に当たっていたのだとか。

吹き替えアニメは就学前の子供たちに正則アラビア語(標準アラビア語)に親しんでもらう意味もあって全てフスハーでした。既に放送業界で経験を積んだアナウンサーや俳優が多かったとはいえ正確なフスハーでの演技は決して容易ではなく、グレンダイザーの主人公役だったジハード・アル=アトラシュ氏たちは文法の間違いが無いように注意を払ったり、アラビア語特有の強勢音から他の子音へのスムーズなシフトができるように訓練を行ったりと、懸命に努力を続けていたのだそうです。

UNIARTスタジオとグレンダイザーについて

主人公役のジハード・アル=アトラシュ氏がこの動画を公開しているアニメ・漫画ウェブフォーラムのKAIZU LANDに寄せたメッセージです。

これによると、UNIARTスタジオの創立者である عَبْدُ الْمَجِيدِ أَبُو لَبَن [ ‘abdu-l-majīd ’abū laban ] [ アブドゥ・ル=マジード・アブー・ラバン ] 氏が総指揮を取り声優を選んだのだとか。アニメ専門ではなくアラブの放送業界全体でのノウハウを有する人物が持てる技術を注ぎ込んで作り上げたのがグレンダイザーアラビア語版だったということのようです。

ちなみに現地ファンたちの間では祖国を失って別の地に流れ着いたという主人公の境遇がパレスチナと似ていること、スタジオの設立者が全員パレスチナ出身でグレンダイザーのテーマでもある祖国愛や平和を希求する気持ちが彼らによる作品への思い入れを一層強くしているという認識があるようです。上の動画でもパレスチナ問題とグレンダイザーで描かれている祖国愛の話が出てきます。

元々日本語版のグレンダイザーにはそこまでの発展的な意味合いは無かったはずなのですが、アラビア語版を作る際に独自のメッセージ性を加えアラブ人が主人公に同情し感情移入する下地を作った形となった模様。

グレンダイザーの吹き替えをする時にパレスチナ問題やレバノン内戦により生まれた祖国愛や平和を希求する強い気持ちが作品に乗せられアラブ世界に放映された、という話を関係者が語っています。