3日でおぼえるアラビア語 (小池 百合子)

『3日でおぼえるアラビア語』について

3日でおぼえるアラビア語

★★☆☆☆~★★★☆☆
覚えるのが大変なアラビア文字抜きで会話を覚えたい渡航者向けの本
誤りがちょこちょこ混じっていることもあり語学の教科書としては不適

著者:小池 百合子
出版社:学生社

著者の方について

国会議員を経て東京都知事に就任された小池百合子氏の経歴はWikipedia等に詳しく書かれているのでそちらをご覧下さい。

小池氏は親御さんがエジプトのカイロで日本料理店を経営(開業は小池氏の帰国後)されていました。1970年台前半に単身で留学。カイロ・アメリカン大学でアラビア語の研修を受けた後、カイロ大学の文学部社会学科へ入学・卒業されたとのこと。アラビア語の通訳以外にもアラビア語教室の講師を務められていたそうで、本書にも講師時代のことが書かれています。

本の概要

版ごとの違い

学生社という東京都足立区にある出版社から出ている語学学習書『3日でおぼえる○○』シリーズのアラビア語バージョンです。第1版の初刷は1983年。テレビ局のキャスターになってから書かれた本のようです。

第1版と第2版とでは表紙の色・デザイン・プロフィールの掲載位置が異なっています。また第1版の時から何度か経歴紹介部分が変更になっているようで、大学卒業の内容が修正されたり、議員就任後はその件が追記されたり、数バージョンがあるようです。

ただ中身自体は修正を入れた感じはあまりしません。私が買ったのは版を重ねてからのものでしたが、誤字などはそのままでした。

アラビア文字を使わないエジプト方言の学習書

かつて自身がアラビア語講師をされていた時、難しい上に時間もかかるアラビア文字とフスハー文法の学習が原因で脱落者続出だったのが口語会話での簡単なレッスンに変えてから現地生活を控えた受講者達に喜ばれた・・・という実体験があったのだとか。

また『3日でおぼえるアラビア語』という出版社が設定した無茶な書名に少しでも近づける必要があったことから、アラビア文字は使わず発音にもあまりこだわらず気楽にエジプト方言を学ぶ、という趣旨の本にしたようです。アラビア文字の簡単な説明と文字表が巻末にありますが、書き順とかは載っていません。

昔のアラビア語方言教本における一般的なスタイルだったラテン文字(≒英字)のみの表記となっています。

*なお小池百合子氏の自筆アラビア文字は『3日でおぼえるアラビア語』をプレゼントされた舛添要一氏の回顧記事で紹介されています。格言「الصبر جميل」と日付が添えられているのですが、アラブ人が字をつづる時の手書き書体に特有の合字あり形状で書かれており、日本国内で学んだ方の特徴である英語のブロック体的な運筆とは異なる特徴が出ています。(*リンク先記事では「1983年7月1日」となっていますが、正しくは1983年6月1日です。アラビア語インド数字の6はアラビア数字の7にそっくりなので取り違えられた模様です。)

学習範囲

冒頭でアラビア語とはどのような言語なのかを紹介。その後、アラビア語にてにをはが無い話、名詞の性、定冠詞、挨拶、所有、数、動詞完了形・未完了形、كان(kāna, カーナ)、現地生活で使う会話集、と続きます。

本当に3日で覚えられるのか?

『3日でおぼえるアラビア語』は小池氏が自分で決めたタイトルだと誤解されている方も結構いらっしゃると思うのですが、学生社が出したこのシリーズの語学書は全部同様の書名で『3日でおぼえるフランス語』、『3日でおぼえるドイツ語』、『3日でおぼえるイタリア語』、『3日でおぼえるスペイン語』、『3日でおぼえるトルコ語』、『3日でおぼえる中国語』などがあります。

出版社から『3日でおぼえるアラビア語』というタイトルで売り出す予定だと聞かされ驚かれたのだと思いますが、冒頭文ででは

本書のおそるべきタイトル

と形容されており、この非現実的な題名を少しでも現実味を帯びたものにできるようアラビア文字は排除することにした、と説明されています。

実際の内容としては、エジプト方言既習者なら平日に少しずつ分けて読めば2~3日、週末に集中して読めば1日で読み終えることができるかも…といった感じです。全く初めて勉強する場合はさすがに3日では無理で、1ヶ月かそれ以上かかっても不思議ではないです。

エジプト方言教本が希少だった頃のアラビア語学習書として

口語調で書かれているのと、「君はもうアラビア語を使っているのダ」といった当時流行っていたであろうカタカナを多用した表現が多く、少々時代を感じさせる文章になっています。

大学専攻生向けの難しい学習書が多かった時代に「これからちょっとアラビア語でも初めてみようかな」という人のやる気をそがないようにと考慮されたとっつきやすい内容ということもあり、エジプト方言の参考書が十分流通していなかった時代にこの本で勉強された方も少なくないのではないでしょうか。

表記や誤字脱字について

発音が似ているものの異なる子音の区別はしていないタイプの表記方法

会話部分は英字でその上にカタカナでの読みガナがついています。LC方式のローマ字転写やIPA記号による表記ではありません。

سص は s、حه は h、زظ は z、تط は t という風に似ているようで違う発音をするアラビア文字を同一の英字で書いてしまっているので、元のアラビア文字つづりやローマ字転写での本来の表記を知っていないと間違った音で発音してしまう原因になります。

通常アラビア語の教材は発音がまぎらわしい字を区別するために س はただの s として ص は下点を足して ṣ としたり大文字で S と書いたりして分けるのですが、本書はそれを珍しくしていません。

この点が、語学学習教科書としておすすめしづらい理由の一つとなっています。

耳で聞いて覚えたアラビア語によく起こる発音違いや l / r 混同が多い

アラビア文字の代わりにラテン文字(≒英字表記)が採用されているものの、アラビア語や口語アラビア語エジプト方言における発音を忠実に表現したものではなく、覚え間違いに起因する不正確な表記が複数含まれています。

例としては

  • クウェートの口語発音として el-kuwēt(エル=クウェート)とすべきところが w の抜けた al-kuēt となっている
  • カイロ方言で発音の置き換わりとして声門閉鎖音化(ハムザ化)が起こり実際には「ア」「イ」「ウ」のような発音となる ق(q)に文語アラビア語発音である「カ」「キ」「ク」が当ててある
  • 声門閉鎖音/声門破裂音である ء(ハムザ)部分が喉を引き締めて出す別の子音 ع(アイン)と混同され、قدّ إيه(アッド・エー, どのくらい)のハムザ化する q 部分がアインとして英字表記されている
  • 母音が入らず子音のみの箇所(アラビア文字表記ならスクーン記号付きになっている部分)に挿入不要な母音がはさまっている
  • テーブルが talabēza(実際は tarabēza)、「トルコの」が torqī(実際は torkī)、音楽が musīkā(実際は mūsīqā)、仕事が shoghor(実際は shoghl)と表記されるなどしており、r と l、k と q のように似ているものの区別すべき子音のペアが複数箇所で取り違えられている
  • 重子音(アラビア文字表記でシャッダ記号がつく)していない部分が重子音として表記されており、魚 سمك が samakk(通常は samak)、نهارك が nahārakk(通常は nahārak)、「サッカー」という複合語の1語目の كرة が kurrat(通常は kurat)といった表記になっている
  • 語形の都合で文語アラビア語準拠のアラビア文字表記としては長母音で読む部分が実際にはつまって短母音として発音される部分のラテン文字表記(≒英字表記)が長母音のままになっている

など語学学習目的で細かい部分を正確に覚えたい人には気になってしまうような誤りが多いです。

*なお سمك を samakk(通常は samak)、نهارك を nahārakk(通常は nahārak)と発音する件ですが、アラビア語は語末を子音で止める場合語形によっては1文字だけの k が重子音化して kk になるという読み方が実在するので、全くの間違いとは言い切れないかもしれません。

定冠詞に関する誤読・誤記

太陽文字と月文字の取り違え

定冠詞2文字目の l と発音同化を起こす定冠詞直後の子音(太陽文字)かどうかの判別が間違っていて、太陽文字が月文字扱いされて発音同化をしている、またその逆に月文字が太陽文字扱いされて発音同化しているという例が複数見られました。

例:

  • الحمد لله の2語目がリッラーではなくリルラーになっている
  • للإسكندرية がリルイスカンダリイヤやリルイスカンダレイヤではなくリッスカンダリーヤになっている

この発音同化をする/しないの取り違えは小池氏が有名政治家になられてから外交の場面で話されている時にも起こっているので、同氏の昔からのアラビア語の苦手分野だったものと思われます。

アラブ人はリッラーの ل(l)を月文字扱いしてリルラーと発音することはしないものの、フスハーとアーンミーヤでは ج(j)のように文語では月文字なのに太陽文字としての発音になっていたり、太陽文字の直前なはずなのに定冠詞をアッではなくアルで読んでいたりということが起こります。

そのため定冠詞直後の子音を同化させる/させないに関する間違いは、その人が常用している方言の影響なのかそれとも単に覚え間違いなのか区別しないといけないので、正確に検証するのは意外と難しかったりします。(誤用の検証者にフスハーとアーンミーヤそれぞれでの子音発音に関する言語学的な情報が必要となるため。)

不要な場所への定冠詞付加

また属格構文(≒所有格構文)の1語目で定冠詞が不要な部分への定冠詞付加もありました。

例:

  • アラビア語を読んだり、書いたりすることはむずかしい
    エル キラーア ウィ キターバ ル アラビー サアブ
    el-qiráa wi kitāba el-‘árabī sá‘ab
    *冒頭のel-は文法上削除する必要あり。
    *サアブは文法上女性形のサアバにする必要があるかと。

それとは逆に、通常定冠詞がつく単語が無冠詞になっている例も見られました。

なお、この構文で定冠詞がつくかどうかというのは文語と口語で違いは特に無いです。文法書を使って学んだ日本人だと通常この部分は間違えないのですが、ネイティブだと要らない場所に定冠詞を書いてしまうというのはしばしばあることで、アラブメディアで見られる誤字脱字の典型例の一つとなっています。

特殊な語形の動詞活用違い

重子音動詞「حبّ」 [ ḥabb ] [ ハッブ ](愛する)の完了形の活用が間違っていました。

  • 「私は愛した」hebbet(ヘッベットゥ)→ 実際は [ ḥabbēt ] [ ハッベート ]
  • 「私たちは愛した」hebbnā(ヘッブナー)→ 実際は [ ḥabbēna ] [ ハッベーナ ]
  • 「あなた(男)は愛した」hebbet(ヘッベットゥ)→ 実際は [ ḥabbēt ] [ ハッベート ]
  • 「あなた(女は愛した)」hebbit(ヘッビットゥ)→ 実際は 実際は [ ḥabbēti ] [ ハッベーティ ]
  • 「あなたがたは愛した」hebbū(ヘッブー)→ 実際は [ ḥabbēto ] [ ハッベートォ ]

となっているのですが、同じページの真横にある非重子音タイプの他の動詞については大きな活用間違いが無いことから、特殊な語形の動詞のみどのように活用するかというのを違う風に記憶されていた可能性が高かったものと思われます。

この語形の動詞はフスハーとアーンミーヤとで完了形の活用が異なり、「私は愛した」という場合フスハーでは حَبَبْتُ [ ḥababtu ] [ ハバブトゥ ] になる一方、エジプト方言やその他複数方言共通の現象として ي を足した حَبّيتْ [ ḥabbēt ] [ ハッベート ] になるという風に違いがあります。

これについては、小池氏はこの文語と口語の違いをはっきり把握されていなかったか、エジプト方言の日常会話で頻用されるこの動詞を耳で聞いて文語文法式の活用をあてはめてご自分なりに解釈されていた、といった可能性が考えられるかもしれません。

フスハー語彙とアーンミーヤ語彙の混在

『3日でおぼえるアラビア語 』自体は純エジプト方言の会話本ということになっていますが、定冠詞はアーンミーヤ発音の el- や il- にフスハーの al- が多数混じってしまっています。

また、エジプト方言として文語アラビア語(フスハー)とは違う発音や語形になっている語彙がフスハー語彙と入れ替わってしまっている例もあり、エジプト方言での قراية(イラーヤ, 読むこと)が قراءة (qiraa, キラーア)、私の妻 مراتي(ミラーティ)が文語語形を口語風発音した امراتي(imrātī, イムラーティー)、家族 عيلة(エイラ)が文語語形かつ読み間違いの عائلة(a‘aíla, アアーイラ, *正しくはアーイラ)になっているなど、文語アラビア語と口語アラビア語を十分に区別しきれていないことが原因と思われる箇所も見られました。

小池氏に関する検証記事では「文語アラビア語フスハーと口語アラビア語アーンミーヤを混ぜるなどあり得ず、汚いアラビア語だとされる*」といったアラビア語に関する実情とは全く異なる言説が流布している状況で、実際にはアラブ人はその場に応じてフスハーとアーンミーヤをミックスして使うということが広く行われています。

*フスハーとアーンミーヤを混ぜることなど決してないといった情報も日本人学習者たちの間でかなり昔に流通していた不正確な解説で、文語口語混合体の使用が盛んな現状を一切反映していない言説となっています。20、30年前よりも以前にアラビア語を学ばれた方に特に多い認識で、当時はフスハーとアーンミーヤを混ぜる混合体(中間体)の存在や意義なども教本や大学講義では教えられていませんでした。

ただフスハーとアーンミーヤとが混ざる現象については「どちらの技能もある程度あるがわざと混ぜているケース」と「両方の語彙や文法知識が十分揃っていないために混ざってしまうケース」とに分かれます。

『3日でおぼえるアラビア語 』については上記の特徴からするとおそらく後者のパターンに該当しており、外国人学習者向けのアラビア語教材が少なかった50年前に現地で生活をしながら耳でのリスニングと現地人との会話を通して覚える割合が高かった学習状況を反映しているように感じました。

感想

他の読者レビューを色々と読んだ上での個人的感想

小池氏は現地滞在中、「120%エジプト人だね」と言われるほどにアーンミーヤ中心の生活を送っておられたのだとか。アラブメディアの取材でもフスハーではなくアーンミーヤにどっぷり浸かって過ごしたことをネタにされるなどしています。

通常外国人学習者が標準アラビア語(正則アラビア語、フスハー)とエジプト方言(口語、アーンミーヤ)の両方をマスターしたと称することができるレベルまで持っていくのは難しく、出版当時はエジプト方言の教科書も充実していなかったことから耳から覚えられた部分も多かったのではないかと思います。

誤字脱字や文字の取り違えなどが散見された本ですが、ネットで他の方が投稿された「1ページにつき1つずつ間違いがある」「間違いだらけ」といったレビューを書かれていたのを先に読んでいたこともあって、実際に目を通してみると巷で酷評されているほどではなかったかも…という感想を持ちました。

この本の初版は1983年とのことなので、留学終了・日本帰国から5年ほど経っている計算になるかと思います。管理人自身が実際に体験したのでよくわかるのですが、アラビア語も他の言語と同じくある程度仕事に使えるぐらいのレベルまで頑張って引き上げても全く使わず5年、10年と放置しておくと技能がすっかり衰え細かい文法事項なども思い出せなくなっていくものです。

そのため本書に散見される間違いも、ピーク時に当たる1977年~1978年頃に書かれていればある程度は少なかったのかもしれません。

ちょうどGoogleの書籍プレビューに出ていたので読んでみたのですが、『挑戦 小池百合子伝』によるとカイロ・アメリカン大学のアラビア語コースでは参加直後から新聞記事の読解といった課題を与えられ引く訓練をまだ受けていなかったアラビア語-英語辞典を片手に何とかするというハードなコースを進まれたとのこと。

『3日でおぼえるアラビア語』に子音字の区別や文法といった細かい部分での訂正箇所があるのも、カイロ・アメリカン大学でのアラビア語研修が前半にフスハー初級文法+後半に読解練習という通常の習得過程ではなかったことがある程度関係している可能性はあるかと思います。

アラビア語学習教材として

配偶者の現地駐在に帯同しなければならない日本人女性たちに合わせて行っていた突貫工事系メソッドだけあって、「アラビア文字の読み書きをやっている暇は無いものの会話は短期間で覚えないといけない」という層には好評だったようです。ネット上でも昔この本で学んだと書かれている方の投稿を複数回見かけました。

総合的に見ると、内容の正確性からして方言をきっちり学びたい人の教科書・文法書としては向いていないとは思います。小池氏のアラビア語会話本に興味のある方が参考程度に開かれるのが良いかもしれません。

今はエジプト方言アラビア語教育・翻訳専門の先生方が書かれた教本が複数あるので、他にも比較対象や選択肢が多数存在する現時点では★2.5(学習教材としての正確性+とっつきやすいエジプト方言学習書が希少だった時代に果たした一定の役割)相当の評価とさせていただきました。

ゴーストライター執筆説について

この本について「ゴーストライターが書いたもので本人は一切執筆していない」と推測されている方もいらっしゃるようなのですが、本に出てくる間違いと政治家になられてからの現地インタビュー放送録画動画での誤用の特徴が複数の点において共通していること、アラビア語会話へのラテン文字に対する当て字(転写、翻字)方式が日本や欧米の大学でアラビア語教育を受けた人のそれではないことなどからすると、本人が関与されている可能性がかなりあるように感じられます。

ネイティブのエジプト人やエジプト方言に通じたアラビア語専攻出身者がしないタイプの誤字・誤読があることから第三者がまるごとを書いたという可能性は極めて低く、むしろ小池氏が全体もしくは大半を担当しご自身の記憶や教本を参考にしつつ執筆されたと推測させるような箇所も多いとの印象です。

小池氏は語研からも似たような本『ミニ通訳 海外旅行会話 アラビア語』を出版されそちらはエジプト人が校閲したことになっているのですが、『3日でおぼえるアラビア語』と全く同じような似た文字同士の取り違えなどが散見されるなど会話中心で学んだ外国人学習者に起きやすいタイプの誤字があることから、両方とも当時の小池氏のアラビア語表記の癖のようなものが校訂から漏れそのまま刊行されたと考えるのが自然かもしれません。

アラビア語検証や解説の記事・動画等に関する注意事項

検証記事・動画とアラビア語に関する誤解・誤認・誤読・誤訳の問題

政治家ということで小池氏のアラビア語能力を検証する記事や動画はこれまでに複数公開されてきたかと思うのですが、検証される方がアラビア語諸学や言語学そのものの専門家ではないこともあってか、誤った情報も同時に流通しているとの印象です。

元々日本ではアラビア語やアラブ文化に関する解説をアラビア語研究やアラブ文化研究の専門家以外が行う事例が多く、アラビア語の単語・慣用句の意味解説、アラブ人の名前のシステム、月と太陽のイメージなど、様々な事項にまつわる誤った情報が流布している状況でした。

ここ数年は政治の問題がからむようにもなってきた一方、色々な思惑も加わってか「単に誤解してそういう説明になってしまったのか?」それとも「承知の上で事実とは違う内容の説明が行われ、メディアが望む形と内容の記事が作成された結果なのか?」が判断しづらい誤解説も見られるように思います。

その中でも特に気になったのが、

単語の間違いも多い。一番驚くのは「面会は、とっても、とってもよいものでした」と言うのに形容詞の「ラズィーズ」を使っていること。辞書によっては「甘美な」という意味も出ているが、実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語で、「面会は、とっても、とっても美味しいものでした」と話している。
引用元:文春オンライン

だとして、文語アラビア語(フスハー)に非常に古くからある表現を一番驚かされるアラビア語の言い間違いと紹介している件でした。

これはアラビア語をある程度やっていると実際使われているケースに出会う用例で、そうでなくとも辞書を調べれば「食べ物以外にも使う」ことが確認できるのですが、それにもかかわらずこのような記事が書かれてしまったのはなぜなのか、どうしてアラビア語に関する誤りが複数含まれる解説が作られ公開されたのか…そしてもし原因があるとしたら何なのか…

管理人はネイティブと非ネイティブ日本人学習者それぞれによる誤用とその共通点・相違点に以前から関心を持っていたこともあり、一連の検証記事の気になった点について政治は抜きでアラビア語という観点に絞って少し詳しめに考察してみることにした次第です。

“美味しい面会”は「良い会談」「歓談」というフスハー表現を間違いだと誤判定してしまったケース

口語スラングではなくむしろ大昔から文語アラビア語に存在する表現で、食べ物以外の形容にも用いられてきた

日本では検証記事の影響から「良い面会を”美味しい面会”と口語アラビア語(アーンミーヤ)表現で言い間違える低劣なレベル」「アラビア語で良い面会を”美味しい面会”という言い回しで表現するなどあり得ない」といった誤解が広がってしまっているようなのですが、実際にはこれは文語アラビア語としての言い間違いでも、アーンミーヤだけのスラング的な表現でもありません。

小池氏が「良い」という意味で「面会、会談」を意味する名詞に修飾させて使った مُقَابَلَة لَذِيذَة [ muqābala ladhīdha ] [ ムカーバラ・ラズィーザ ] の形容詞 لَذِيذ [ ladhīd ] [ ラズィーズ ] は古典期から多用され中世の辞典にも必ず載っている意味が「(食べ物・飲み物が)おいしい」「味わって快いと感じる、味わって美味だと感じる」となっています。

エジプト方言では女子を「かわいい」と形容したりするのにも使うこと、フスハーの使用シーンではおいしい以外の語義はそこまで多用せず書籍や各国テレビ放送でも時々登場する程度であることから、アーンミーヤ表現だというイメージを抱きやすいのも確かです。

ただ「(面会・会談・会話が)甘美な、楽しい、快い、良い」という意味での使用に関しては حَدِيث لَذِيذ [ ḥadīth(un) ladhīdh ] [ ハディース(ン)・ラズィーズ ](楽しい会話、心地よい談話)といった言い回しを中心として古典期の資料にも残されており、近現代に定着した口語(ここではエジプト方言)のスラングではなく純度の高いフスハー表現として千数百年前には既に存在していたことが確認可能です。

小池氏の使った مُقَابَلَة لَذِيذَة [ muqābala ladhīdha ] [ ムカーバラ・ラズィーザ ] は現代においては多用されているというレベルではないものの一応文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)と口語アラビア語の複数方言で用いられている実在の言い回しで、Googleのウェブ検索では主に複数地域方言でのフレーズとして、Googleブックス検索では書籍のフスハー文の一部として使われているいくつかの実例を確認することが可能です。(ほぼ同じ意味の لِقَاء لَذِيذ [ liqā’(un) ladhīdh ] [ リカー(ウン)・ラズィーズ ] (楽しい会合、愉快な面会、良き会談)といった言い回しなどもあります。)

イスラーム以前の有名な詩にも出てくる「楽しい、快い」「甘美」という方の語義

「(飲食物が)おいしい、美味である」という語義ではない方の لَذِيذ [ ladhīd ] [ ラズィーズ ] は、イスラーム教以前のジャーヒリーヤ時代にアラビア半島で生まれた古典詩の傑作選『ムアッラカート』の一つである لَبِيد بْنُ رَبِيعَة [ labīd(u) bnu rabī‘a(h) ] [ ラビード・ブヌ・ラビーア ](ラビード・イブン・ラビーア、Labīd ibn Rabī‘ah(/Rabī‘a) ) 作品にも

بَلْ أَنْتِ لَا تَدْرِينَ كَمْ مِنْ لَيْلَةٍ     طَلْقٍ لَذِيذٍ لَهْوُهَا وَنِدَامُهَا
bal ’anti lā tadrīna kam min laylatin/lailatin ṭalqin ladhīdhin lahwuhā wa-nidāmuhā
バル・アンティ・ラー・タドリーナ・カム・ミン・ライラティン
タルキン・ラズィーズィン・ラフウハー・ワ・ニダームハー
この箇所の解釈・具体的な意味 [ ソース ]
貴女は知っているだろうか?(私が過ごした)一体どれだけ多くの夜が、(熱くも寒くもない)心地よい陽気(や気持ちの良いそよ風)に恵まれ、愉快な飲み仲間たちと楽しく過ごし共に酒を味わい(い語ら)ったことが甘美だったのかを。
*主語が2つある関係で形容詞ラズィーズ1語に対応する訳(赤字部分)が2箇所に分散しています。
【メモ】
لَذِيذ [ ladhīd ] [ ラズィーズ ] の後に -in(イン)という音がついて「ラズィーズィン」となっているのは格変化をしているためで、単語が属格であることを示しています。
*ここでは前置詞 مِنْ [ min ] [ ミン ] の後に単数としての意味を持ち一夜、二夜と数える時の語形でもある「(一つの)夜、一夜」が属格の形で لَيْلَةٍ [ laylatin / lailatin ] [ ライラティン ] と続いています。そこに「(夜が)暑くも寒くもなくそよ風が心地よい」という意味の طَلْقٍ [ ṭalqin ] [ タルキン ](この語は修飾する対象の「一夜」が女性名詞でも女性形の طَلْقَةٍ ではなく、ة 無しの男性形語形 طَلْقٍ で使用可能)が第1個目の修飾語、後置されている لَهْوُهَا وَنِدَامُهَا [ lahwuhā wa-nidāmuhā ] [ ラフウハー・ワ・ニダームハー ](人称代名詞接続形 ـها [ hā ] [ ハー ] は形容詞の内容が夜ではなくそれに関連した別の事物に関するものである構文の時に文法上必要なパーツで لَيْلَة を受けている部分)を主語とする لَذِيذ が同じく属格の語形で第2の修飾節として連なっています。
نِدَام [ nidām ] [ ニダーム ] は نَدِيم [ nadīm ] [ ナディーム ]((飲む際の、宴席での)同伴者、同席者;飲み友達、飲み仲間、呑み友達、呑み仲間;仲間、友達、親友)の複数形、派生形第3形動詞 نَادَمَ [ nādama ] [ ナーダマ ](~と一緒に酒盛りをする、共に宴会をする、共に過ごして酒を飲んだり夜の談話(サマル)を楽しんだりする)の動名詞ダブルミーニングとして理解する部分だとのこと。「飲み仲間/飲み友達/親友・知人たちと共に過ごし酒盛りをしたり語り合ったりしたことが、楽しく心地よいものだった」と「飲み仲間/飲み友達/親友・知人たち自体が楽しく快い気質で話もおもしろい連中だ」という両方として受け止めるのが解釈の定番である模様。

のような形で登場。

飲食物が美味しかったと言っているのではなく、

  • 過ごしやすい夜に楽しく過ごしたこと
  • 仲間・友人らと酒盛りをしながら雑談などに興じたひととき
  • 酒を共に味わい談話を楽しんで過ごした仲間・友人ら

のいずれもがラズィーズ、つまりは「味わい深く、楽しく、愉快で、甘美な」状態だったと述懐している内容となっています。

こちらは現代のイラク人詩人たちがクウェートのテレビに出演した時の対談番組です。動画の題名

الحزن في الشعر العراقي “لذيذ

は『イラク詩において悲しみは甘美』という意味で、それに関する雑談は17:55ぐらいから開始。イラク詩は悲しい内容が多いことで知られているのですが、イラク人ゲストは嬉しい出来事や喜びはそう長続きはせず悲しみの方がずっと心に残ること、だからこそ悲しみは甘美なものとすらなり得る、悲しみは創作意欲を刺激する感情である、詩はそうした悲しみに対する癒やし・薬代わりになる、と語っています。

このように食べ物以外にも「甘美だ」「快い」「楽しい」「素敵だ」といった気持ちにさせる物事を لَذِيذ [ ladhīd ] [ ラズィーズ ] と形容することは、中世でも現代でもアラブ人が行ってきた伝統的かつ現役の表現となっています。

学習者向け辞書にも載っている基本的な語義・用法

この手の言い回しは今もアラブメディアのフスハー会話でも出てくるため実地で聞いて文語表現だろうということは推測可能なのですが、そうした実体験が無くとも辞書で探せば普通に載っている語義なので「おいしい」以外の使い方があることはまず確認できる形となっています。

文語アラビア語(フスハー)- 英語辞典*にも「pleasant, delightful, nice, comfortable」として載っており、中級~上級学習者向けの辞典であれば用例も収録されているので「おいしい以外の意味は辞書に載っているだけで実際に使わない」「ラズィーズはフスハーでは食べ物がおいしいという意味だけで、楽しいといった意味で使うのはアーンミーヤだけ」という誤解はまず起きないというのが正直なところです。

*19世紀~20世紀にかけ有名辞典が欧米各国で各種出版。現代のアラビア語学習者やアラビア語に関連した中東研究者たちも多用しています。

『Arabic English Dictionary of Modern Written Arabic』
編:Hans Wehr
英訳:J. Milton Cowan

ナチスドイツ下で編纂作業が進められ、後に英訳もされた定番のハンス・ヴェール(英語発音でハンズ・ウェアといった発音も)アラビア語-英語辞書です。オンライン辞書の『Alladin(アラジン)』がリリースされるまで日本のアラビア語学習者の大半が使っていたという定番中の定番辞書です。

この辞書は持ち歩けるサイズなので学生にとっても利便性が高かったのですが、新しい用語の追加が無く用例も少ないため適切な語義を見落としやすいという短所があります。

形容詞 لَذِيذ [ ladhīd ] [ ラズィーズ ] については

delicious, delightful; pleasant; beautiful, wonderful, splendid, magnificent; sweet

となっており、「面会、会見」を修飾している場合は「おいしい(delicious)面会」ではなく pleasant、wonderful あたりを拾うべきケースだと見当はつくのですが、実際の組み合わせとしてどんなものがあるのかが載っていないので「おいしい」以外の意味の場合フスハーにはどんな表現が実在するのか明示されておらず見落としてしまう方もいるかもしれません。

Arabic-English Lexicon
オンライン版:https://lexicon.quranic-research.net/data/23_l/064_lc.html
著者:Edward William Lane

中級~上級者向けでアラビア語・中東研究者の多くが利用している大型のアラビア語-英語辞典です。この辞典では لَذِيذ [ ladhīd ] [ ラズィーズ ] と لَذٌّ [ ladhdh ] [ ラッズ ] が同等であると示した上で

用例の抜粋
[You say]لَهُ عَيْشٌ لَذٌّ↓ [He has a pleasant, or delightful, life]: andهُوَ فِى لَذٍّ↓ مِنْ عَيْشٍ [He is in a pleasant, or delightful, state of life]. (A.)
رَجُلٌ لَذٌّ↓ A man of pleasant, or delightful, conversation, or discourse. (A.)
意味
・彼は快適な生活をしている
・話の楽しい男、(話していて)愉快な男

となっており、人間にこの形容詞をつける場合は「その人と過ごしたり話したりすることで楽しい・愉快・良い気分だと感じる」という意味になることを示しています。

オンライン アラビア語-日本語辞書『Alladin(アラジン)』
URL:http://www.linca.info/alladinPlus/dic.php?id=27247&cur=272470011&lg=1&md=1
作成者:アラビア語電子教育普及促進協会(Linca)柴田道広 氏

上のハンス・ヴェール(ハンズ・ウェア)ペーパーバック版を販売していた出版社が倒産して以降、日本のアラビア語学習者にとっては欠かせない存在となっているサイトです。ハンス・ヴェール(ハンズ・ウェア)+その他追加項目が含まれており、形容詞 لَذِيذ [ ladhīd ] [ ラズィーズ ] の語義も確認しやすいです。

語義
【1】うまい、美味い、おいしい、美味の / delicious
【2】 (比喩的に)甘い、甘美な快い楽しい、快適な
【3】 (比喩的に)素晴らしい、壮麗な、華麗な
用例の抜粋
【1】の意味
・おいしい食べ物 طَعَامٌ لَذِيذٌ [ ṭā‘ām(un) ladhīd ] [ タアーム(ン)・ラズィーズ ]
【2】の意味
・心地よい眠り نَوْمٌ لَذِيذٌ [ nawm/naum(un) ladhīd ] [ ナウム(ン)・ラズィーズ ]
*名詞と形容詞の語末母音記号を主格に修正してあります。

一方、口語アラビア語アーンミーヤでどうなっているのかを調べる無料かつお手軽な手段としては、ある程度信頼性の高いオンライン辞書の利用が挙げられます。

The Living Arabic Project
URL:https://www.livingarabic.com/en/search?q=%D9%84%D8%B0%D9%8A%D8%B0
作成チーム:Lughatuna

フスハーとアーンミーヤの各種方言とが同時収録されているサイトで、方言辞書は紙媒体のものを掲載しているためオンライン辞書としてはかなり信頼性が高めだとの印象です。

フスハーとしては

‏دِفْء لَذيذ ‎[CA] pleasant warmth(心地よい暖かさ、快適な暖かさ)
‏رائِحة لَذيذة ‎[CA] a pleasant aroma(いい香り、良い匂い)

エジプト方言としては

‏بِنْتِ لَذِيذة ‎[E] a sweet girl(愛らしい少女、かわいい少女)

が載っていますが、エジプト方言の語彙確認をするには載っている用例の数が少ない感じがします。

またレバノン方言としては

زَلَمِة لَذِيْذ، حَكيَاتُو حِلوِيْن ‎[P] a nice guy, the things he said are interesting; {zalame la∂ī∂، ḥakyāto ḥilwīn}
いいやつ(だ)、彼の話はおもしろい

という用例が載っていて、Lane(レイン)の大辞典に出てくる古典的な語義「(その人物の話が、人柄が一緒に話していて)楽しい、おもしろい、愉快な」をそのまま継承していることがうかがえます。

Lisaan Masry – Egyptian Arabic Dictionary
URL:https://sea.lisaanmasry.org/online/search.php?language=EG&key=%D9%84%D8%B0%D9%8A%D8%B0&action=s

語義
【1】مـُمتـِع – مـَشا َعر فـَرحـَة enjoyable楽しい愉快な
【2】 مَحبوب – مـَشا َعر تَفضيل likeable愛すべき愛らしい好ましい
【3】 حِلو – طـَعا َم مـُمـَيـِزا َت delicious, tasty(おいしい)

こちらはエジプト方言専門のオンライン辞書で単語の発音や動詞活用もチェックで要る便利なサイトです。その単語がフスハー由来・フスハーと共通であれば「MS」、フスハーの単語が語形変化したとかコプト語由来だといった理由からエジプト方言に特有な場合は「EG」というマークが添えられています。

この見出しには「MS」がついており、エジプト方言特有というよりはフスハー由来の語義や用法であることを示唆している形となっています。

“実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語”だという説明文と複数用例の実在という齟齬

検証記事では

辞書によっては「甘美な」という意味も出ているが、実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語

となっていますが、昨今のアラブメディアでも「おいしい」以外の語義は使われており、管理人自身フスハーによる文章・ウェブ記事やテレビ報道で複数回見たり聞いたりしたことがあります。

現代標準アラビア語対応の辞書にも色々な用例が載っており書籍検索でも見つけることができるため、「実際には食べ物にしか使わない」と断定しているのは検証者の方が単にピックアップしたことが無かっただけで、手持ちの情報量や確認作業の不足による見落としだと言わざるを得ません。

検証者の方がどのような辞書を使われたのかは不明ですが、いずれの場合も「おいしい」以外の意味は載っていて、どういう言い回しで使われるかという用例も添えられており、”実際には食べ物にしか使わない”という判断をすることの方が難しいほどです。

アラビア語の辞書はフスハーの辞書とアーンミーヤの辞書は分かれているのでフスハーのアラビア語辞書に収録されているということはその表現が文語アラビア語のものだということになるのですが、口語アラビア語(アーンミーヤ)の辞書にも同じ単語と同じ語義で載っている場合、基本的には口語表現が文語表現に入り込んだのではなく、元々文語アラビア語単語として持っていた語義をそのまま各方言が引き継いだケースであることが多いため、「フスハーとアーンミーヤとで同じ使い方をする」という判断をすることが可能です。

結局のところ、本件は”美味しい面会”という誤訳だとされた検証箇所がそもそも”おいしい”ではない方の語義”甘美な、楽しい、心地よい、快い”を「会談」「談話、おしゃべり」といった名詞に修飾させて「良い会談、素晴らしい会談、歓談」として表現した事例であり、「”美味しい面会”とエジプト方言で言ってしまっている」という判定の方がむしろ誤りに該当するという状況です。

口語表現を混入させるというアラビア語の拙さを端的に象徴しているとして記事の見出しにも度々登場しているのですが、逆に検証者の方が لَذِيذ [ ladhīd ] [ ラズィーズ ] の基本語義の一つを見落としアーンミーヤ表現どころか文語・口語アラビア語のどちらとしても間違っていると誤解されていることを示してしまっている部分なので、アラビア語を生業にしている方で「なぜ間違いだとされているのだろうか?」と違和感を覚えられたケースもあったのでは…と思います。

形容詞ラズィーズとフスハー発音/アーンミーヤ発音の話

当時衆議院議員だった小池氏がエジプト大統領との会見についてエジプト国営放送から取材を受けた時の動画で使った表現自体は مُقَابَلَة لَذِيذَة [ muqābala ladhīdha ] [ ムカーバラ・ラズィーザ ]* だったのですが、アラブ人の側としては「良い会談、素晴らしい会談、歓談」という意味で理解し、相手とのやり取りが非常に良好で実りあるものだったことを示唆していると受け止めるであろう部分となっています。

*「おいしい」という語義もある単語ですが、アラビア語としては「お会いできて楽しかった、お会いできてとても良かった、歓談を楽しみました」などと言っている部分で、日本語の「うまい話」「おいしい話」にあるような「利益がある、旨味がある、利権にありつけそうなメリットがある」「大統領閣下との面会でおいしい思いをできそうだと感じた」という意味にはならないです。

唇で隠れてよくは見えないのですが、小池氏は「良い面会」の「良い」部分に相当し「おいしい」という意味もあわせ持つ形容詞の女性形 لَذِيذَة [  ladhīdha ] [ ラズィーザ ] の歯で舌をはさんで出す「ذ(dh)」音ではなく歯ではさまない「ز(z)」音にして لَزِيزَة [  lazīza ] [ ラズィーザ ] と発音しているようにも聞こえます。

こうした特定の文字間発音シフトはネイティブが頻繁に行っているもので、エジプト人などもフスハーで話しているつもりが dh の発音が z、th の発音が s になっているまま、ということがしばしば起こります。

実際のところこれらだけでは「フスハーを勉強した時から発音すらできていなかった」かどうかは確定するのは難しく、ネイティブ同様「エジプト方言による日常会話の比重が大きすぎて発音をそのままフスハーでもするようになってしまった」事例ないしは昔の外国人学習者に多かった「フスハーの授業は受けたが細かい発音方法は教科書に書いていなかったために目と耳でなんとなく真似した覚えたら違っていた」である可能性もかなり高いです。

日本人学習者の方でも口語アラビア語をメインでやっている方だとこのような現地方言の影響を受けたフスハー会話になりやすいのですが、「アラビア語として絶対に間違っていてアラブ人はそんな発音しないからネイティブ発音と全然違う」かというとそうでもないので、検証とか判定の際には単純な間違いとして処理できない要注意ポイントとしての扱いをしなければいけないなど、結構厄介な部分かもしれません。

アーンミーヤにおける子音の発音というのは

  • フスハーとして本来するはずのアラビア語の特徴的な発音が弱まって、喉を引き締める苦しげな音とかがはっきり聞こえにくい
  • 一部の音は別の子音に置き換わっている

ため、「アラビア語としてそもそも発音が間違っているのか?」それとも「ネイティブもやっている発音だけれどもフスハー発音ではないケースなのか」を厳密に区別するにはそれなりの知識が必要で、正確な検証作業は結構難しかったりします。

古典期から現代に至るまで使い続けられている語義が無かったことにされてしまった検証記事の理由について

文語として正しい用法が”美味しい面会”として誤判定された原因とは?

先に出てきたジャーヒリーヤ詩人ラビード・イブン・ラビーアは今から1450年以上前に生まれた人物で、彼の作品はアラビア語文学史に影響を与え続けた模範的な文語アラビア語(フスハー)を体現しているとも評される詩の一つです。

生粋かつ美麗なフスハーの用例として「味わい深い、楽しい、快い」という意味が元々実在してきたことを見落としかつ

  • ラズィーズが持つとされる「甘美な」といった意味は単にアラビア語の辞書に載っているだけで、実際には本当は食べ物をおいしいという以外には使わない。食べ物以外にラズィーズを使うのはアラビア語そのものとして間違っている。
  • 面会・会見にラズィーズという形容詞を使うのは拙く恥ずかしい言い回しをすることの典型例。

とした点については、正確性・綿密さ・専門性を欠いてしまっている検証内容であり、素で間違えてしまったのか、全て知っていて読者のほとんどがアラビア語を知らないことを利用して作り話を書いてしまわれたのか判断に迷うぐらいに謎が多いと言わざるを得ません。

もし素で間違っておられると仮定するならば、執筆者手持ちの辞書が検証作業に使えるだけの情報量を有しておらず、単独かつ手ぶらで検証するには不足しているアラビア語スキルを補うだけの補助役になっていない、ということになってきてしまいます。

その場合、詳しいアラビア語 – 英語辞書や中級・上級学習者が使うネイティブ向けのアラビア語辞典には用例つきで「おいしい」に加えて「楽しい、快い、心地よい」という語義が載っているものなので、検証者の方がそうした分厚い専攻者向けの辞書を使用されずに情報確認を行い記事を書かれたために起こった誤認だった可能性、ないしはフスハー語彙力が少ないネイティブの個人的な記憶に頼ったために「フスハーではそんな言い方はしない」という誤った判定を得てしまった可能性が考えられるように思います。

アラビア語諸学そのものが専門でない方だと、本人が間違いだと気付かないままリリースされる誤解説が多くなりがちという難しさ

アラビア語の細かい部分というのはアラビア語そのもの以外を専攻分野されている方がアラビア語学専門家並みにカバーすることはできないため、国際関係論や歴史などの研究者がアラビア語の文法や語彙の解説をした場合、正確な内容でないとか、時には全くの誤解・間違いに基づいて説明していまうということも起きます。

普段アラビア語を教えている先生でも、アラビア語文法学そのものが専門でないと書かれた文法書に誤りが出やすく、実際に日本で使われている学習書にはアラビア語で書かれた文法書の誤訳や覚え間違いに起因する誤った記述を含んでいることがあり、アラビア語の解説記事を間違い無く仕上げるというのは一般の方たちが思っている以上に困難なのだと感じることも多いです。

日本のメディアやインターネット投稿・動画ではアラビア語専攻の先生が登場して詳しい解説を提供するといったことはまず無いため、”美味しい面会”のように専門家であれば間違わないタイプの誤情報も出回りやすいという土壌があると言えるかもしれません。

“美味しい面会”誤用判定は誤用ではないと承知の上で小池氏のアラビア語能力をより低く見せるために誤用箇所のかさ増しとして事実とは異なる解説を行ったと相当うがった見方もできるのかもしれませんが、執筆者の方は熱意・労力をかけて検証作業を進められたようですし、ネットやメディアでもアラビア語に詳しい方の解説として流布しているものなので、「アラビア語に詳しい人が少ない日本でならこのぐらいは許されるだろう」という悪意から盛りに盛って書かれたのではないと考えるのが適切かと思います。

検証記事の中に第3語根弱文字動詞の能動分詞女性形を全てニスバ形容詞として読むといった文法誤りに起因するふりガナが複数ある、アラビア語の文語と口語の位置付けについて誤った認識がある、語彙解説等が事実とは異なるといった点が所々に見られることなどからすると、アラビア語がらみの情報を書き換えることで印象操作するといった意図は全く無く、素で誤解・誤訳されていると考えるのが妥当なのかもしれません…

*大変失礼な物言いで恐縮です。ただ「アラビア語に通じた人物が一般の方のために解説し、アーンミーヤ的な言い回しも正しいフスハーに訂正する」という趣旨の記事としては不可解かつショッキングな内容だったため、思わず勢いで書いてしまいました。気持ちが落ち着いて書きすぎたと感じたら、冗長というか言い回しがきつい部分を削除するかもしれません。

検証者が手元に置いているアラビア語辞典の冊数や検証に用いる専門資料の数の問題

詳しいアラビア語辞典というのは単に分厚くなるどころか10巻で1セットになっていることも珍しくなく、持ち歩けないため所有していない方も多いです。またネイティブ向けの大辞典は中級以上のアラビア語読解能力を要するため、中級ぐらいまでのアラビア語学習者が使うのは日本の中高生向け国語辞典サイズぐらいのアラビア語 – 英語辞典であることが一般的です。

しかしそうした辞典は内容が薄く、携帯可能な辞書であるという点ことを優先させ長年主力として使っていると語彙力の伸びの足かせとなりかねず、追加で複数オンライン辞書における串刺し検索なりをしないとその単語が持つ重要語義を見逃しやすいです。

特にインターネット普及期前の世代は紙媒体以外の電子化された大辞典を使う習慣が無いままだったりということもあって、記事・動画の内容や作成者の方の世代から「この内容からすると普段あの辞書を使われているのでは」といった推測もある程度できることもあります。

アラビア語学習者界隈では昔からあった傾向なのですが、綿密な訳や語彙の検証を行うには本来20冊、30冊とアラブ人向けの辞典や専門書を読んで時代ごとの語義や細かいニュアンスを確認していくのがベストなのですが、実際には置き場所や携帯可能な辞書サイズの限度というものがあり誰もが多数の辞典を取り揃えている訳ではないので、少ない辞書数で内容確認しそのままネット記事・SNS投稿を作成するという風になりがちです。

非ネイティブと文語アラビア語(フスハー)・口語アラビア語(アーンミーヤ)両立の問題

文語アラビア語と口語アラビア語の両方を中級~上級レベルまで持っていくことは難しいため、多くの場合はどちらか片方だけだったり、フスハー7~8:アーンミーヤ2~3といった偏った比率で身につきます。

日本ではアラビア語経験者ということでフスハー中心に学んだ方がついでにアーンミーヤの解説もされることもあるのですが、アーンミーヤ部分は専門から外れているせいで説明が間違っているケースもしばしばあります。

文語と口語が混ざっている文・会話についてはフスハー要素とアーンミーヤ要素を厳密に分け些細な母音記号つけ違いなども区別する作業が必要になってくるのですが、これにはフスハーとアーンミーヤ両方の習熟度をかなり上げないと厳しく、ただの日常会話としてのアーンミーヤではなく欧米の大学出版刊行でアラビア語専攻学生向けに言語学的な解説を行っているような書籍で色々と細かい情報を仕入れたりして検証の精度を上げないと十分な水準を満たした検証結果を提示することは難しかったりします。

エジプトといった狭い地域に限定せず周辺地域も含めた比較を行いつつも正確性を維持するとなると一つの方言ではなく違うタイプの方言を複数学習すること、また各国方言の文法書や辞書なども多数参照して横断的に検証を行い情報を精査するスキルも求められるなどしてくるかと思います。

日本のメディアで報じられた”美味しい面会”誤用説も、そう簡単には解説記事や検証動画を作成できない、スキルと手間暇を全投入して十分下準備をしないと誤りを含むコンテンツをリリースすることになってしまいがちである、という複雑なアラビア語事情を反映したものだったと言えるのかもしれません。

ネイティブチェックの落とし穴

検証者の方はカイロ・アメリカン大学の上級アラビア語コースを終了され、その後もアラビア語文献講読や家庭教師をつけて学習をされたとのことですが、小池氏動画については万全を期すためにネイティブを動画検証訳に起用しエジプト人ジャーナリストに依頼したと書かれています。

日本ではネイティブだという理由から文語アラビア語フスハーに関わるアラビア語諸学を修めていない方をアラビア語教材の執筆者や検証役として起用することも多いのですが、そうしたネイティブの方が参加した部分に誤字脱字や誤読が集中している例が時々見られます。

これはアラブ世界の大卒者が有するフスハースキルにかなりのばらつきがあること、エジプトのようにフスハーのプレゼンスがだいぶ小さい国では学習書に許されない細かい誤りも決して犯さない高度なレベルでフスハーに堪能な人物を探すのが決して容易ではないことなどを加味せずに人選を行った場合に発生してしまう記事・教材精度の低下事例となっています。

“美味しい面会”検証記事を書かれた方はエジプト出身で英語科卒のジャーナリストさんを文語アラビア語と口語アラビア語の判別や文語アラビア語文法の正解を解説するための検証役として起用された訳ですが、アラブ諸国では英語科卒、メディア・ジャーナリスト職、アラビア語-英語通訳職はフスハー文法に明るくない人が多いことで知られており*、検証役エジプト人の方がそうした典型例から除外すべき稀有な事例でなかった場合、検証記事の中に実際に見られるうちの一部の誤記・誤読の理由となってしまっている可能性も考えられるかと思います。

ニュースのアナウンサーによるフスハー文の誤読、原稿作成者による文法間違い、メディアのコンテンツにおける誤用は非常に多いためアラビア語研究者らやアラビア語アカデミーの調査対象ともなっており、アラブ世界で数多く出ている誤用特集のネット記事や専門書などの中でも、そうしたメディアやジャーナリズムの業界や広告・看板といった現場で流通しているフスハー文が問題視されている状況です。

そのためアラブ諸国でアラビア語の正しい用法を解説する記事を書く人・任される人は、アラビア語学の専門家や詩人・小説家といった文語アラビア語能力の高さが求められる文筆家であることが一般的です。また新聞社・出版社に校正役として就職するのはアラビア語科卒業生などで、メディア・出版・ジャーナリズム業界の誤用を直す縁の下の力持ちとして活動しています。

アラブ人は質問すれば答えてくれはするのですが、フスハーやアラビア語の語義に関する詳細は非ネイティブのアラビア語選考者の方が詳しいこともあります。これは日本人が日本語科留学生よりも国語文法や日本文学に明るくないことも少なくない状況と似ているのですが、アラブ世界の場合日本語ネイティブと違ってフスハーとの距離感はもっと大きく、高等教育をアラビア語で受けていない人の数も年々増えているため「教えてくれたことが全然合っていない」「音読してくれたのに間違っている」という事態になりやすいです。

しかし日本人はそういう事情を知らないので、ネイティブだからという理由で大卒・院卒ならフスハーにも詳しいだろうということで職種をあまり選ばず文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)の専門知識がいる作業に起用してしまいがちです。

万全を期すべきアラビア語関連記事がネイティブ起用によって逆に精度が落ちてしまうというのはよくある話なので、同様の記事を作成する予定がある日本の出版・メディア関係者の方は、上記をふまえた起用をされると良いのかもしれません…

一般向け検証記事・動画をアラビア語学習教材代わりにすることのデメリット

小池氏に限らず中東業界の特定人物のアラビア語能力を検証したり・誤りを指摘したり・称賛したりする記事・動画は検証者がアラビア語学専門家ではないことなどから正確性が十分ではなく、検証対象そのものもしくはその人物が属する集団に対する個人的感情ゆえにアラビア語分析とは直接関係の無い感想が強調されていたりもして、中立的かつ学問としての厳密さだけを追い求めたものが残念ながら流布していないとの印象です。

アラビア語やアラブに関する解説が決して正確ではないのに流布しているというのは今に始まった話ではなく、”アラビア語に詳しい人も関わった的確な解説”や”◯◯氏は中東専門家でアラビア語に堪能なので正しいことを言っている”として閲覧されている番組・本・記事であっても実際にはアラビア語学や言語学の専門家ではないために文法や文化的背景の面で事実とは大きく違うことが語られている、発音時の調音部位誤り・文法間違い・誤記・誤読・誤訳・誤認を含んでいる、といったケースも少なくありませんでした。

そうしたコンテンツでは「日本人が知らないアラビア語・アラブ文化の真実を教える」「日本における既存の誤解を訂正する」という趣旨であるにもかかわらず、誤解で上書きし新たな都市伝説を広めてしまっている場合や、その事象の全体像ではなく一面だけを示すことで誤解を招いてしまっていることも…

日本語で書かれたアラビア語学習書のほとんどで各子音の発音説明が不正確、しかも最初の1回~数回程度で文字学習・発音学習終えるというアラビア語教育方式の課題の一つが未だに影響を及ぼしているせいか、「正しい発音を解説する」という動画でも正しい発音をしていない、アラブの文語発音でも口語発音でもない正確な調音部位以外からの発音をしている方に対しても「ネイティブ発音」という評価が与えられやすいといった日本ならではの事情なども見受けられます。

誤っているという自覚を持たないまま自身がアラビア語のエキスパートであるとの自負から断定調で解説しメディアで情報を流布してしまうというのは、学習者が思った以上に影響力が大きいです。

管理人はアラビア語学のプロを自称する気は全く無いのですが、さすがに学習年数が長くなってくるとかつて仕入れた情報が実は間違っていたと知ることも増えてきました。と同時に、それらの思い違いを修正するのにはかなりの手間もかかりました。

学習教材の質や正確さはアラビア語の上達度合いを大きく左右する要因でもあります。フスハーとアーンミーヤの関係性を誤解するというのは、学習が進んで文語+口語の二刀流になった際にフスハーと方言との比率を細かく調整してその場にふさわしいアラビア語を正しく使い分けることができないという問題にも直結してきます。

アラビア語学習者の方は先述のような記事・ネットコンテンツを精査しないまま真に受けて”本当のアラビア語情報”として学び取ってしまわないようご注意ください。

最後に

管理人は特定の団体・人物を非難もしくは支持する意図はありません。応援をしたい/責任を問いたい/情報発信したいという思い自体は皆様個人の自由だと考えています。

ただ、アラビア語として間違っているものは間違っている、正しいものは正しいというのは変えようがない事実なのもまた確かです。特定の動機による学術的事実の否定・脚色はアラビア語学習者にとっては悪影響となるだけで益は一切無いように思います。

そうした言説・事物に対しては、中立性を心がけつつも注意喚起を行わせていただいております。なにとぞご了承ください。

一般向けのコンテンツだと大真面目なアラビア語解説をしても見向きもされないため、「こんなにひどいアラビア語を告発する」「あり得ない言い間違いをバッサリ斬る」のように強調しないと売れないという問題点を抱えていたりもします。学習書と違ってテレビ・雑誌・大衆紙はインパクトというものを求めることから、元となる記事を提供しても出す側が手を加えてしまうということも起きます。

アラビア語に関して本人が自前のアカウントを通じ直接リリースしたものでない限り、アラビア語に関する誤った内容が報じられていてもイコールそれが原作者や監修者の責任ではない場合もあるので、安易に「アラビア語に詳しいという触れ込みなのにあんなことを書くなんて」とは言えないなど注意が必要だとも感じています。

記事における間違いというのはよほどの方でないとどうしてもしてしまいがちで、自身のブログ(サイト)記事も数年経過してから読み直すと「昔こんなこと書いてたんだ」「あ、ここは間違ってるから早く直さないと」となることがあります。管理人自身も一層精進してより正確な情報をアップできるよう心がけたいと思っています。

メモ

検証記事に関する個人的なメモです。ついでにアラビア語学習者の方向けの読み物にでもなれば、と思いここを置き場代わりにしているものになります。

不当評価を行わないようにするために自分の中での情報整理としてチェックポイントを書き出しただけなので、検証者の方を告発する意図はありません。名誉毀損・誹謗中傷目的であるといった誤解の無きよう、よろしくお願い申し上げます。

気になった点

同じ方が作成された一連検証記事の共通点:

  • 文語アラビア語と口語アラビア語の各役割や関係性描写が事実に基づいておらず、過去の伝聞に情報アップデート・新規調査無しで肉付けして書かれてしまったと受け取られ得る。文語と口語との乖離・対立が過度に強調された現実とは大きく異なるアラビア語観が下敷きになっているため、アラビア語に関する解説が全般にわたって間違ってしまっている。
  • 初級~中級文法関連の誤り、誤訳、フスハー語形のアーンミーヤ発音、フスハー文法に反する俗用的な言い回しなどが検証結果に含まれており、非ネイティブ的な誤用にネイティブによく見られるタイプの誤用が加わって要訂正箇所の総数が多くなっている。
  • 口語的な文語アラビア語と口語アラビア語を混ぜる行為自体を否定する記事ながらフスハーとアーンミーヤが混ざったアラビア語になっており、大半の項目において純フスハーの正解・言い換え候補が提示されていない。フスハー表現・発音とアーンミーヤ表現・発音との明確な切り分けができておらず、文語表現を口語表現と判定していたりする。
  • 実在するフレーズが存在しないことになっていたり、対応英訳があり違う文脈なら解釈が決まっている類の熟語を「訳せない」「意味が通らない」としていたりで、十分に調べないまま記事化されたとの印象を与えやすい。
  • 検証実施側の訳出能力問題・誤解・誤訳にゆえに意味が通らない箇所が、小池氏が理解不能なめちゃくちゃなアラビア語を話したという結論に置き換えて片付けられてしまっている。
  • 現地ニュースに掲載されているエジプト女性たちの大学卒業証書写真にも敬称類が男性形のものが複数あり、カイロ大学などから女性卒業生に男性形敬称つき卒業証書発行が実施された履歴があることが確認できるが、検証記事では偽物以外にそのようなことはあり得ないという記述になっており、エジプトにおける現状に合致していない。

アラビア語についてどのような記事を書くかは一応個人の自由で、管理人には重箱の隅をつついて楽しむつもりもありません。ただこの件についてはもし仮にアラビア語教材として出ていれば教育者・学習者界隈に注意喚起が出回る類の内容であったことから敢えて書かせていただいた次第です。

学歴問題以外の部分についてはアラビア語やアラブ世界の事情に関する正確な理解を阻害すると言わざるを得ないため、アラビア語に興味がある方・学習を始めてまだ年数が経っていない方は「フスハーとアーンミーヤの混合はNG」「アラブの大学では講義は全部フスハーで行う」「大卒なら必ずフスハー会話能力が備わっている」「アラブの政治家は必ずフスハーでスピーチする」などをインプットしてしまわないようご注意ください…😢

*偉そうな発言で申し訳無いです。ただ「アラビア語に通じた人物が一般の方のために解説し、アーンミーヤ的な言い回しも正しいフスハーに訂正する」という趣旨の記事としては不可解かつショッキングな内容だったため、思わず勢いで書いてしまいました。気持ちが落ち着いて書きすぎたと感じたら、冗長というか言い回しがきつい部分を削除するかもしれません。

情報整理用メモ

具体的な事例については以下の通りです。管理人用の覚え書きを置いてあるだけなので読みやすさへの配慮が無い状態です。何卒ご了承ください。

*アラビア語を仕事に使う人向けの教育を受けたにもかかわらず長いブランク中にアルファベット順すら忘れてしまい再度やり直して記憶を掘り起こした個人的経験を元に書いているため、同情的な考察が含まれると感じられる方もいらっしゃるかと思います。経験者だから断言できますが、アラビア語は他の言語同様使わないとど忘れします。学生時代にたくさん頑張っておけば再開後の復活も早いですが日常的に連続使用しないとすぐに数多の中の記憶の引き出しの奥に引っ込んでしまいます。それらを考慮に入れて小池氏の元のアラビア語能力が最盛期にはどうだったのか、どういった部分が元々抜けていたのかということを考えて以下のメモを書いてあります。なにとぞご了承ください。

2018/06/28
https://bunshun.jp/articles/-/7909

説明の前提としてアラビア語には2種類あることを憶えておいて頂きたい。一つは正則アラビア語(フスハー)という格調高く美しい万古不変の言葉で、アラビア語圏で普遍的に通じる。コーラン、政治家の演説、テレビのニュース番組などは正則アラビア語である。本、雑誌、手紙、大学の試験の答案など、アラビア語が文字で書かれる場合は、すべて正則アラビア語を用いる。したがってアラビア語圏の大学を卒業するためには、正則アラビア語の会話、読み書きに堪能でなくてはならない。

▶フスハーは万古不変ではなく、時間の経過とともに語彙が変化。近代までに廃れ死語になった語彙も多い。少なくない数の文法事項は取捨選択により現代フスハーではもはや使われなくなり、古風な構文として文語文法書などでしか見かけないものも。特に近代化以降欧米諸語の影響を受けて起こった変容は大規模で、語彙・熟語・慣用句など多岐にわたる。アラビア語学者らは今のフスハーをかつてのフスハーとは別物と化していると評することもあり、万古不変な理想状態のアラビア語はアラビア語を創造した存在でもある唯一神アッラーの元で永遠の時を生きている、変質し簡略化してしまった現代のフスハーは本当のアラビア語の姿ではない、アラビア語を変容させてしまったのは地上の人間たちの所業であり本来の理想的なアラビア語は神が住まう天界に変わらぬ姿で存在している、的に現代の簡略化されたフスハーと切り分けて考える人すらいる。

▶政治家の演説はフスハーだけでなく、わざとアーンミーヤを使う場合もあるので全てではない。リビアのカダフィ(アル=ガッダーフィー)大佐はリビア方言での個性的なスピーチで異彩を放った元首の典型例。イラク大統領だったサッダーム・フセイン(サダム・フセイン)などもかなり口語寄りなスピーチの映像が複数残されている。北アフリカのマグリブ諸国だと高等教育がフランス語で行われるため、フスハーが苦手でフスハー原稿作成屋を頼ったりする政治家もおり、あきらめて最初からほぼアーンミーヤで話しているケースがマシュリク諸国よりも多め。

▶手紙はフォーマルなものはフスハーだが、私信やメール・SNS類だとアーンミーヤ率が高い。ニュース番組は特定国の国営放送局で流れる朝などのトークありニュース番組だと出演者たちが全員アーンミーヤで話していることもある。またフスハーで読み上げるニュース放送でも、ちょっとした相槌や本音コメントだけアーンミーヤに切り替えたりゲストはフスハー-アーンミーヤ中間体(混合体)やアーンミーヤで話したりと、文語と口語がある程度混ざっている番組も少なくない。

▶アラブの大学はフランス語か英語で授業をすることも多いため、「アラビア語圏の大学を卒業するためには、正則アラビア語の会話、読み書きに堪能でなくてはならない」とは限らず、大卒者間でのフスハー苦手率の上昇が昨今の課題となっている。「カイロ大学のような国立大学の授業は文語で行われる」といった解説はアラブ世界の大学におけるアラビア語事情を知らない方の言説であり、エジプトの大学の内部事情に通じていない・実際に講義を聴講した経験が無いことの裏付けにもなってしまっている。実際には一部学科を除いてはアーンミーヤが優勢で、新型コロナウイルスが流行しYouTubeでのリモート講義が多数アップされた時期にはカイロ大学の人文系の学科講義はアーンミーヤを聞き取れないと単位が取れないとわかるレベルでエジプト方言による弾丸トークもまた多く、フスハーだけできれば対応できる状態とは程遠いことを改めて認識する結果となった。そのような状況だからこそアラブ諸国で「高等教育を文語アラビア語でやらないせいでアラブの若者たちがフスハーを上手く話せないまま大人になり、大学を卒業してもフスハーでの作文で間違いをしやすい」と問題になっている。また「フスハーの読み書きができる=フスハーを流暢に話せる」ではないため、アラブ人は大学・大学院卒で「フスハーを流暢に話せる」というスキルを欠いていることが多い。特にマグリブ諸国はフランス語で教育を受ける期間が長い生徒・学生が多く、アーンミーヤ以外のフスハー運用能力が非常に少なく「フスハーは書くのも話すのも苦手」というケースがしばしば見られることでも知られる。

▶社会学科などは講義は英語やフランス語で授業をしない限りテキストやスライド・パワーポイント画面を読み上げる時はフスハーで先生のフリートーク部分はアーンミーヤになるため、本を読んで課題を書く部分だけフスハーができれば、残りの部分はアーンミーヤが重要になってくる。アーンミーヤを聞き・アーンミーヤで先生と質疑応答し・アーンミーヤで同級生たちと会話することは欠かせない要素で、2種類のアラビア語の使い分けという非アラビア語学科・非宗教学科所属の日本人留学生特有の事情に触れていない記事だと言えるかと。

日本リビア友好協会の長であるDr.ムクリビ(?)の招待によるものです

▶ここは誤訳で、小池氏は「日本リビア友好協会の長であるDr.ムクリビ(?)の招待によるものです」とは言っていない。語順的に小池氏は「アル=マグリービー(*この部分は誤読で実際にはアル=ムガイリビー/アル=ムゲイリビー/エルマガイリビー/エルマガイリビ)博士率いるリビア日本協会(*ただし小池氏は日本リビア友好協会と通常は解釈される語順で話している)の招待によるものです」で、招待したのは会長という個人ではなく友好協会という組織に呼ばれたと言っている箇所。検証者氏側が逆順にして訳してしまったもので、主部「今回の訪問は」の述部は「リビア日本友好協会の招きで」という前置詞句。「リビア日本友好協会」という部分にかかっているのが違う前置詞句である「アル=ムガイリビー/アル=ムゲイリビー/エルマガイリビー/エルマガイリビ博士が長たる」という部分。
主部
هذه الزيارة
述部(前置詞+イダーファ構文部分)
بدعوة جمعية الصداقة اليابانية الليبية برئاسة الدكتور المغيربي
ب + دعوة
 ↑ 属格支配
└ 「協会」がメイン部分:جمعية الصداقة اليابانية الليبية / برئاسة الدكتور المغيربي
形式・建前としてはおそらく会長が呼んだことにはなっていたとは思われるが、この会話では会長が自ら招待してきたかどうかには触れていないのでスピーチの直訳としては「日本リビア友好協会の長であるDr.ムクリビ(?)の招待によるものです」は不適かと。

▶アル=ムガイリビー/アル=ムゲイリビー/エルマガイリビー/エルマガイリビ博士博士は”日本リビア”友好協会ではなくリビア日本友好協会(Libyan Japanese Friendship Association、جمعية الصداقة الليبية اليابانية)の方の会長だった人物で、日本リビア友好協会ウェブサイトの『両国のミッション・要人の往来』には彼が当時リビア労働省(وزارة العمل ( والتأهيل ))の一員だったとわかる記載あり。友好協会ウェブサイトの活動報告に出ている同氏のフルネームを確認しなかったために「Dr.ムクリビ(?)」とクエスチョンマークを付したまま記事化されたものと思われる。リビアのニュース記事によると小池氏会見動画撮影当時の前後(少し後?)に وكيل وزارة العمل(労働次官)に就任したことがわかる。また日本リビア友好協会ウェブサイトにある写真とリビア系テレビ局提供の同姓同名男性出演番組録画との比較から、両者は同一人物で、現在は弁護士・人権活動家となっているらしいことが推察可能。2011年の記事でも弁護士・政治活動家という肩書きだったことから、ずっと政府の官僚だった訳ではなかった様子。

▶動画で小池氏は「アル=マグリービー」と言っている。語頭は「ム」には聞こえず「マ」、2文字目も「ク」ではなくはっきり「グ」と発音されているため「ムクリビ」とは聞こえないが、日本人検証者氏による動画検証時に子音mにつく母音aと母音uやクとグの聞き分けがなされずムクリビになってしまったか、検証補助役だというエジプト人ジャーナリスト氏が聞き取ってアル=マグリビーの口語発音バリエーションの一つ「(アル=/エル=)ムグリビ(ー)」だろうと推測し小池氏の発音「アル=マグリービー」から修正した上で日本人検証者氏に「アル=ムグリビ(ー)と言っていると思う」と口頭で伝えたものがカタカナ化の際に子音字取り違えが起こってムクリビになった、といった推察も可能かと。アラビア語をやっている人であれば、モロッコないしはマグリブ(マグレブ)地方のアラビア語名称由来のニスバであるアル=マグリビー関係だと推測できそこから日本語検索・英語検索・アラビア語検索を通じてアラビア語のつづりを探し当てていく起点とすべき箇所となっているが、ここでは実際の表記と発音に関する確認作業は行われず「?」マークを付記した仮のカタカナ表記で終わらせてある模様。またフスハーでの正しい言い回しに訂正するという趣旨の記事なので、日本語カタカナ表記の慣用に従ってラストネーム部分から定冠詞アルを抜去する代わりにアルなりエルなりを付した方が良いのでは、とも思われる。

▶小池氏が言及しているのは撮影当時 Libya Japan Friendship Association(リビア日本友好協会)のチェアマン(会長)をしていたムハンマド・アル=ムガイリビー(ムハンマド・アル=ムゲイリビー)氏のこと。リビアのニュースサイトではアラビア語表記が محمد المغربي となっている場合があり日本リビア友好協会ウェブページでもそれに対応したらしい「Mohammed Elmagrabi」と書かれているが、後半ラストネーム(ニスバ)部分は現地アラビア語記事でも取り違えが見られる紛らわしい語形間違いで、正しくはアル=マグリビー(現地発音:アル=マグラビー、エル=マグラビ)の縮小語形であるアル=ムガイリビーの محمد المغيربي が2パーツタイプフルネームであることが出演番組(司会はフスハーで話しているので、文語発音ムハンマド・アル=ムガイリビーと口語寄りのムハンマド・アル=ムゲイリビーの中間に聞こえるような発音をしている)やリビア関係ニュース記事類で確認可能。十中八九御本人のものであろうFacebookアカウントによると同氏の公式英字表記は「Mohamed Elmaghairibi」。口語発音準拠ということで本人が意図しているであろう日常会話発音は「モハンメド・エル=マガイリビー(ないしは口語的に短母音化してえエル=マガイリビ)あたりに思えるが、フスハーによる本人の選挙活動ビデオでは「ムハンマド・アル=ムゲイリビー」と言っているので口語色を保持しつつもフスハーに寄せるならムハンマド・アル=ムゲイリビーなどもありかと。英字表記に合わせるとするならば、発音だけでなく「・」の場所も本人意向に沿うならば「モハンメド・アルマガイリビー」ないしは「モハンメド・アルマガイリビ」が良いものと思われる。なお小池氏の発音では長母音「ー」の位置などが違っており المغريبي [ ’al-maghrībī ] [ アル=マグリービー ] と読まれている。日本リビア協会の「Mohammed Elmagrabi」表記と同様に、伝言ゲームのように途中で本来の語形が崩れて伝わってしまった結果が「アル=マグリービー博士」という呼び方だった可能性が高いかと。小池氏のスピーチからすると、アラビア語原稿で المغربي(アル=マグリビー)でも المغيربي(アル=ムガイリビー)でもない المغريبي(アル=マグリービー)と書かれていてその通りに「アル=マグリービー」と発音された、とも考えられる。

▶小池氏はリビア側友好協会のアラビア語名を Japanese と Libyan を逆にした جمعية الصداقة اليابانية الليبية と言っているが、実際にはリビアの政府・大使館関係やアラブメディアでは「日本リビア友好協会」アラビア語名が Japanese Libyan の語順に沿った جمعية الصداقة اليابانية الليبية となってい。日本側である日本リビア友好協会(JAPAN-LIBYA FRIENDSHIP ASSOCIATION)サイトバナーのアラビア語表記ではリビア側名称と同じで「リビア・日本友好協会」という語順に相当する جمعية الصداقة الليبية اليابانية が使われているが、語順からするとバナー画像ではアッ=リービーヤ(意味:リビアの)とアル=ヤーバーニーヤ(意味:日本の)が逆になっているのでは、という気も。そのため日本リビア友好協会側がサイト作成時や小池氏に組織名を伝える際ににリビア側と日本側のそれを取り違え、テレビインタビューでもリビア側の友好協会名称が「日本リビア友好協会」という逆順になってしまったとも推測できるかと。

「マンパワー」を「アル・クウワティル・バシャリーヤ」と言うべきところを「アル・クウワーティル・バシャリーヤ」と言っている(日本人には同じように聞こえるかもしれないが、アラビア語では大きな違いがある)。「クウワート」(複数形)だと「軍隊」という意味になるので「人の軍隊を推進したい」というわけの分からない発言になっている

▶クウワとクウワートについては、قُوَّة のラテン文字転写は quwwah ないしは quwwa となっているものの、アラビア語の -uw-(vowel + glide)は実際の発音が長母音 -ū-(long vowel)になるとされていることから qūwah や qūwa という転写になっていたりも。日本語のアラビア語学習書・単語集でも「クーワ」という長母音でカタカナ表記されてるなどしているため、クウワとクウワートではなくクーワとクーワートとするのが良いものと思われる。

اَلْقُوَّات الْبَشَرِيَّة [ ’al-quwwātu/qūwātu-l-basharīya(h)/bashariyya(h) ] [ アル=クーワートゥ・ル=バシャリーヤ ] は軍事用語としての英語表現「Manpower」「Manpower, Personnel」「Staff- Personnel」「Human Troops」などのアラビア語訳で、軍事関係の文脈だと単数形もしくは複数形で「(軍の)人員」「兵員、兵士」「軍人」「軍事要員」といった意味で使用。その国・組織の軍事力(القوة العسكرية)全般のうち、人間の構成要素である軍人・兵士らのことを指すのに用いられており、それ以外の構成要素である軍用犬やロボット類と対比させられる形で文中に出てくることも。

▶軍の「人員、兵員」という意味では普通の意味の「マンパワー」同様単数形のクーワ+バシャリーヤが多用されているが、軍事的な人員・兵員という文脈では「人員」の意味として単数形ではなく複数形を用いたクーワート+バシャリーヤも少しながら用いられていることをネット記事やオンライン辞書などで複数確認可能。そのため「「クウワート」(複数形)だと「軍隊」という意味になる」というくだりに関しては、「必ずしもそうとは限らない」と理解すべきかと。軍関係の文章で اَلْقُوَّات الْبَشَرِيَّة [ ’al-quwwātu/qūwātu-l-basharīya(h)/bashariyya(h) ] [ アル=クーワートゥ・ル=バシャリーヤ ] とある場合は英語の「(military) manpowers」や「(military) personnels」対応表現として「軍人ら」「兵士ら」「軍事要員たち」と解釈する方向がベターで、”「人間の軍隊」としか訳しようが無い実在しない言い回し”とはならないように思われる。

▶小池氏のテレビ会見では各分野での人材育成について話している。تَشْجِيع الْقُوَّاتِ الْبَشَرِيَّةِ そのものだと実際の使用例はネット検索では出てこないがバシャリーヤ抜きの تشجيع القوات は「(軍事的な行為や道徳遵守など)兵士たちに対して何かをするよう促す・何かに励むよう激励する」「(職務を頑張るようにと)兵士たちを激励・支援・応援する」という文脈で使われていることから、「軍人員らの激励」といったイメージを与える言い回しとなり、話の流れとずれが生じる。ただしネイティブ側は通常単数形クーワを使うところを複数形のクーワートにしてしまったのだろうと言い間違いをスルーし、文脈からごく普通の「マンパワー推進」を意図しているものとして理解するのが一般的な反応だと思われる。

▶「”人の軍隊を推進したい”というわけの分からない発言」というのは検証者氏が敢えて意味の通らない不可解な和訳にしているため意味不明・珍妙に感じるようにできているだけで、通常軍事的な文脈では تَشْجِيع الْقُوَّاتِ الْبَشَرِيَّةِ と出されれば「人の軍隊の推進」とは訳さずに「兵員たちの激励」「兵員たちを~するよう促すこと」といった方向性の受け止め方をされ得る部分かと。そのため検証記事としては「マンパワーの推進と言うべき部分で軍事的な文脈で”人員、兵士たち”として多用する複数形の言い回しの方を使っているため、ネイティブは誤用だと理解して流すものの厳密には兵員たちの激励といった意味になりかねない。」と説明するのが良いのでは、との印象。

「ムムキン(可能である)」をなぜか「ムムキナ」と女性形で言い

▶小池氏に限らず、ネイティブのアラブ人の作文でも時々見られる言い間違い/書き間違いで、そうなるような何らかの要因があると推察される。そのため「ネイティブもしないようなあり得ないミスをしている」と安易に評価しないよう要注意なポイント。記事には”なぜか ― 女性形で言い”とあるが、複数のネイティブがこれを書いてしまうのにはおそらくある程度理由があり日本人が間違える際にも同様の要因が働いていることも考えられるので、本来はここで止めずに検証を続けるべきかと。検証を進めずに「なぜかそう言った」「訳のわからない言い間違い」「意味不明すぎる」「文法的な不整合にぞわぞわする」という抽象的な結論で済ませると、言い間違えた人物が決して起こることが無いような異常なミスをしたと誤解させやすくなったり、誤用をした人物の語学力がただただ拙いだけだと強調されてそれで終わりとなり、アラビア語解説としての詳細度・専門性を欠いてしまうとも言える。

▶本来「できるだけ早い時間に、できるだけ早い時期に(as soon as possible)」という表現は「時間(time)」を意味する名詞 وَقْت [ waqt ] [ ワクト ] が男性名詞なので「可能な」と意味する直後の形容詞も男性形で揃えて مُمْكِن [ mumkin ] [ ムンキン ](*学界標準カタカナ表記はムンキンだが、実際には minkin ではなく mumkin なので敢えてムムキンと書く人も。)とし、فِي أَقْرَبِ وَقْتٍ مُمْكِنٍ [ fī ’aqrabi waqtin mumkin(in) ] [ フィー・アクラビ・ワクティン・ムンキン ](口語寄り日常会話発音:フィー・アクラブ・ワクト・ムンキン)となる。ところが男性形のままで良いはずの مُمْكِن [ mumkin ] [ ムンキン ] を女性形にして فِي أَقْرَبِ وَقْتٍ مُمْكِنَةٍ [ fī ’aqrabi waqtin mumkina(tin) ] [ フィー・アクラビ・ワクティン・ムンキナ ](口語寄り日常会話発音:フィー・アクラブ・ワクト・ムンキナ)と書くアラブ人が一定いる。小池氏は「できるだけ早くに」という熟語を思い出せずにいたところ、横のサポート役から فِي أَقْرَبِ وَقْتٍ مُمْكِنٍ [ fī ’aqrabi waqtin mumkin(in) ] [ フィー・アクラビ・ワクティン・ムンキン ](口語寄り日常会話発音:フィー・アクラブ・ワクト・ムンキン)を教えられたが、その直後にと فِي أَقْرَبِ وَقْتٍ مُمْكِنَةٍ [ fī ’aqrabi waqtin mumkina(tin) ] [ フィー・アクラビ・ワクティン・ムンキナ ](口語寄り日常会話発音:フィー・アクラブ・ワクト・ムンキナ)と言った流れとなっている。

▶ネイティブのアラブ人がこの言い間違い/書き間違いをする件に関しては、全く同じ「できるだけ早い時間に、できるだけ早い時期に(as soon as possible)」という意味で名詞 وَقْت [ waqt ] [ ワクト ] を複数形の أَوْقَات [ ’awqāt / ’auqāt ] [ アウカート ](*男性名詞でも複数形になると女性扱いに変わるため、最後のムンキンがムンキナに変わる)としかつ定冠詞を添えた فِي أَقْرَبِ الْأَوْقَاتِ الْمُمْكِنَةِ [ fī ’aqrabi-l-’awqāti/’awqāti-l-mumkina(ti) ] [ フィー・アクラビ・ル=アウカーティ・ル=ムンキナ(ティ) ] と上記の同等表現とが混同された結果 فِي أَقْرَبِ وَقْتٍ مُمْكِنَةٍ [ fī ’aqrabi waqtin mumkina(tin) ] [ フィー・アクラビ・ワクティン・ムンキナ ](口語寄り日常会話発音:フィー・アクラブ・ワクト・ムンキナ)になってしまっている可能性、ないしは「最上級+属格名詞+形容詞による後置修飾」という構文のせいで性をどちらとして扱うのかを見誤りムンキンを男性形ではなく女性形のムンキナにした可能性が考えられる。

▶小池氏がムンキンではなくムンキナと言ったのがネイティブの誤用をそのまま覚えていたからなのか、用意されていた原稿では「フィー・アクラビ・ル=アウカーティ・ル=ムンキナ」だったのに横にいるサポート役が「フィー・アクラブ・ワクト・ムンキン」を教えてしまったために混乱が起こったのか、それとも男性名詞に修飾させる形容詞を男性形で揃えることが元々苦手だった/忘却でとっさに出てこなかったからなのかは不明。ただ、言い淀んだ際に「フィー・アウ…えー」と何かを言いかけたことからフィーの直後のアクラブ(エジプト方言だとアァラブとアッラブを混ぜたような発音)をスキップして「時間」の複数形であるアウカートを定冠詞抜きで口にしようとしながらもその部分を忘れたことに気付いて止めたとも受け止められる流れとなっている。もしそうだとすると原稿では「フィー・アクラビ・ル=アウカーティ・ル=ムンキナ」だったために事前練習の際に口にしていた「ムンキナ」がそのまま記憶の引き出しから登場し、単数形での言い回しに変わった助け舟のせりふそのままに男性形の「ムンキン」と言えなかった、とも推測される。サポート役の男性は特にこれといったやり取りも無く小池氏が「フィー・アウ…えー」と口にしただけで言うべき続きを言えていたので、おそらく談話の原稿を全部頭に入れている担当者か何かでスピーチが途切れた時点で該当箇所を伝えたものと思われる。

「ヌサーイド・シャフス・ワ・シャアブ」という発言は「人と国民を助ける」という意味で言っているようだが、この「人」というのが誰のことを言っているのか分からない。

▶検証記事では定冠詞抜けあり。ここではフスハーとしての正確な修正候補を出すという趣旨なので、日本語カタカナ表記の慣用に従った定冠詞アル抜去は不適かと。小池氏の実際のスピーチではヌサーイドの後に少し間をおいて、定冠詞ありの「ヌサーイド…アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ(نساعد … الشخص والشعب)」と発言している。

▶実際には「アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ(الشخص والشعب)」という発言部分である「シャフス・ワ・シャアブ」だが、必ず辞書に載っていて誰もが使っているという訳ではないものの、一応アラブの記事や投稿で使われていることもある実在の言い回し。個人と集団という2つの対比的な存在を並べているもので「كرامة الشخص والشعب」「حرية الشخص والشعب」「احترام الشخص والشعب」「فيحجب الشخص والشعب عن المنهج العلمي」「الدفاع عن الشخص والشعب والوطن」「بناء على ما يعيشه الشخص والشعب」「رادع قانوني يحمي الشخص والشعب」「فالمراجعة تشمل الشخص والشعب」といった用例がある。これらから「個人と集団」「個と集団」「個人と人民」「個と人民」を指しており、英語表現の「the individual and the people」ないしは「the individual and the group」がアラビア語化された近現代アラビア語に多い外来表現であることが推測可能。

▶小池氏による言い回し「نساعد الشخص والشعب」が各所で検索してもヒット0件であることを考えると、アラビア語において古くから使われ定着しており、かつネイティブが常用するようなフレーズだとすることは難しいものと考えられる。近現代に英語などから直輸入された熟語類はアラビア語辞典にも未掲載であることが珍しくなく、アラブ人全体がこぞって使うわけではないのでネット検索をしてもヒット件数が少ないということがしばしばある。古典資料検索でも「アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ(الشخص والشعب)」では掲載書籍は表示されないなど、アラビア語固有の表現ではなくかつアラブ世界に移入された時期がかなり最近だということを示唆した結果となっている。アラビア語の記事にヌサーイド(我々は援助する)の部分を動名詞(援助、援助すること)に置き換えた類似表現 مساعدة شخص/شعب [ ムサーアダ(ト)・シャフス・シャアブ ](個人/人民の援助)があり横にフランス語での表現「assistance ; personne/peuple」が添えられているものがあり、やはり人権・人的援助といった文脈で使われている「個、個人」-「集団、人民」対比フレーズがアラビア語化されたのでは、との印象。こうした言い回しの使用は、小池氏インタビューには原稿がありこの動画の回については英語-アラビア語翻訳者が執筆したのではと感じさせるポイントともなっているような気も。

▶ここの回答は取材者がリビア国民らに対する何か特定の支援策群(مساعدات معينة للشعب الليبي)はあるか尋ねた直後の部分で、「ヌサーイド…アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ(نساعد … الشخص والشعب)」は「個人レベルでも集団レベルでも、日本はリビア国民を支援する」という広範にわたる援助の意向があることを示していると解釈し得るものと思われる。「個人と集団」という意味では「個人(単数形)+人民(単数形)」の「الشخص والشعب」ではなく「個人(複数形)+人民(単数形)」の「أشخاص وشعب」「الأشخاص والشعب」、「個人(複数形)+人民(複数形)」の「الأشخاص والشعوب」の方がはるかに多用され、英語の「individuals and peoples」や「persons and peoples」に対応。ただここではリビアという国に限定しており、リビア国民については「الشعوب الليبيون」のような複数形ではなく「الشعب الليبي」という単数形で表現することから、「単数形+単数形」の「アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ(الشخص والشعب)」が敢えて使われていると考えることもできるかと。

▶”この「人」というのが誰のことを言っているのか分からない”というのは、「”人と国民を助ける”という意味で言っているようだ」と見当をつけた検証者氏側がアッ=シャフスを「特定の人一人」、アッ=シャアブを「リビア国民全体」と訳出しようとしたことが原因だと思われる。الشخص を普遍的な「個人」という存在ではなく既知かつ誰か特定の1人としての「人」、الشعب を「(リビア)国民(全体)」と解釈してしまうと「the personというのはリビアの一体誰のことを指しているのか?」となり直後に来る「個人、個」の対照的な存在である「集団、複数人民」と結びつかなくなってしまう。これは検証者側に起因する部分であり、小池氏側の表現がアラブ諸国で決して使われることの無い奇妙なだったものだったがゆえの理解不能ではなかった可能性が高い箇所。検証者側のアラビア語訳出作業中断を小池氏のアラビア語低スキルに置き換えているとも言える結論なので、注意が必要だと思われる。

▶小池氏はこの会見でフスハー会話を行っているが、話の最中に右斜め先を見て定期的に何かを確認されている様子からも、視線の先に何かが置かれていた可能性が考えられる。横にいるサポート役男性とのやり取りから、元々はネイティブなりスタッフなりが作成した外交スピーチ用の原稿があったか事前におおまかな内容の確認作業があったのでは、との印象も。そうなると「アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ」自体が小池氏に起因する部分ではなくアラビア語ネイティブなりが作成した文章の一部で、アラブ人が書き起こしたサンプル文の時点でそうなっていたと推測することも必要になってくるかと。ただし、元の原稿では「個人(単数形)+人民(単数形)」の「الشخص والشعب」ではなく「個人(複数形)+人民(単数形)」の「الأشخاص والشعب」となっており小池氏が発話の時点で1語目の「個人」を複数形にしなかった、という可能性も否定できない。

アッラジーナ・ヤドルスーナ

▶現在の標準カタカナ表記は「アッラズィーナ・ヤドルスーナ」。アッラズィーナをアッラジーナとするのは、アラビア語本来のzi音やdhi音をji(ジ)音に置き換える日本語カタカナ表記による慣用だが、これをしてしまうと音の響きや長母音の有無で意味が全然違ってくるアラビア語の読みガナとしては△。日本における中東関連学界の標準的カタカナ表記であるアッラズィーナの方が望ましいものと思われる。

▶検証記事で正しい言い回しとして関係代名詞+動詞未完了形の الذين يدرسون が提示されているが、小池氏はリビア人学生たちを「タラバ・リービーイーン」と定冠詞(限定辞)無しの非限定形で話しているようでタラバの前とリービーイーンの前に定冠詞が聞こえない。もし聞こえた通りに無冠詞(無限定辞)の場合は関係代名詞のアッラズィーナ除去が必要。「タラバ・リービーイーン(طلبة ليبيين)」のタラバのような非限定名詞に関係代名詞アッラズィーナをつけるのは逆に文法間違い(*アラビア語では形容詞節による名詞の修飾的に扱う文法事項)となることから、「アッラジーナ・ヤドルスーナ」となっている箇所は「ヤドルスーナ」のみにする必要あり。
طلبة ليبيين يدرسون
طلبة ليبيين الذين يدرسون
【定冠詞をつける場合】الطلبة الليبيين الذين يدرسون

この種のテレビ・インタビューは正則アラビア語で話すのが当たり前

▶当たり前ではなく、100%フスハー会話以外の中間体(混合体)が多用されているアラブ諸国における現状に反する。政治家インタビューは文語-口語中間体(混合体)であることも多いので、「正則アラビア語で話すのが当たり前」という訳ではない。実際にエジプト大統領や閣僚の記者会見でもアーンミーヤ混じりだったり、舌を歯にはさむ子音の発音がはさまないエジプト式発音だったりする。エジプト政府閣僚の独占インタビュー番組ではエジプト方言全開のこともある。実際に歴代のエジプト大統領たちが壇上でスピーチしている会見映像を複数確認したが、フスハーで話している場合もせりふなどの部分でアーンミーヤを混ぜたり、フスハーをアーンミーヤに寄せた混合体になっていたり、参列席からコメントする時はアーンミーヤだったりと、公式行事でのスピーチといってもそのアラビア語の様相は一定ではないことを改めて確認する結果となった。

▶フスハー会話の得意な国民が多い地域だと、フスハー会話能力が求められている立場の人間が明らかに純フスハーで会話をすべきシーンにおいて正しくフスハーを運用できない場合は、アラブ人として備えておくべき教養を欠いているとか、資質に欠けると言われることもある。コネ社会と汚職蔓延で縁故採用が増加したイラクなどでは、レバノンやイランの大学に行き学位を買って帰国した人物が政府内で職を得るということがしばしばある。ネイティブのアラブ人でもフスハーのフリースピーチが苦手なものは少なくないが、アラビア語による講義の割合が高い大学生活を送った人物であれば原稿を読むだけなら一通りできることが一般的。若手国会議員などが標準よりも原稿の読み間違いを連発するようなケースでは、議長がその都度マイク越しに訂正するといった事例も発生。フスハーによる音読能力(注:自由なテーマでの会話とは別物)の著しい低さは、卒業証書取得の経緯を疑われる場合もある。

▶軍部出身の現エジプト大統領はアーンミーヤ会話を行う人物として知られており、公的行事での演説・記者会見・エジプトメディアでの出演のいずれもエジプト方言で話している割合が非常に大きい。アラブ諸国では軍部出身者は文語アラビア語によるスピーチを重視しない軍人教育を受けてきたことから、フスハー会話が得意でない人が多い。少年期から英国留学生活を送りサンドハーストを卒業したヨルダン国王も軍人色が強い元首だが、即位当時はまだアラビア語の会話に苦労していたものの年数をかけ習得、現在は公的な場でのフスハー文読み上げ以外はアーンミーヤ会話を行っていることが多い。

▶文語の運用能力が低いためにフスハーとアーンミーヤの混成になっている場合でなければ現地でもよくあることとして問題視されない。逆にフスハーで通すと「インテリぶって民の気持ちに寄り添おうとしない」「偉そうにしていて距離感を覚える」などと言われることもあり、政治家のスピーチやインタビューでは一定割合のアーンミーヤ混入を意図的に行うことも珍しくない。フスハー会話が得意でない人が多いチュニジアでフスハー会話をポリシーとしてきたカイス・サイード大統領は文語アラビア語で話し続けるその様子と政治家としての人となりゆえに反対派から「ロボコップ(روبوكوب)」と呼ばれるようになったことでも有名。民衆が皆アーンミーヤを話しているのにフスハーを押し通そうとする政治家が「冷酷」「人間味に欠ける」と受け止められ得ること、そうした支持率に直結する重大な理由があるためにテレビ・インタビューで皆がフスハーだけの会話を押し通そうとせずケースバイケースでアーンミーヤを混ぜている件を示唆しているエピソードともなっている。この検証記事は「政治家が公的な場でフスハーしか話さないとむしろ人心が離れ嫌われかねない」というアラビア語世界特有の事情を考慮に入れておらず、非ネイティブにありがちな「フスハーとアーンミーヤとの対立・分断」「アラビア語の文語と口語は水と油のような関係」といったフスハーについての虚像が補強される形となってしまっている。

▶アーンミーヤ会話によって親近感と信頼を獲得したエジプトの有名人としては、宗教家のムハンマド・アッ=シャアラーウィー師が挙げられる。彼は1960年代以降エジプトの(アル=)アズハル大学の一員として活躍を始め、1970年代以降はエジプト政府ワクフ省のトップとなったり、講話の録音・録画が好んで視聴されるなどした。彼はイスラーム教の専門家としてアラビア語諸学の訓練を受けたため流暢なフスハー、フスハーとアーンミーヤとの混合体、アーンミーヤ各パターンのアラビア語を話すことができ実際に色々なバリエーションの談話録画が残されているが、エジプトの民衆に語りかける時はエジプト方言で説き、問いかけ、語り合うというスタイルを得意としイスラーム復興の中自身の宗教に関心を寄せる大衆層から広い支持を得た。

▶知識人が話すフスハー割合が非常に高い会話は「知識人たちのアーンミーヤ(عامية المثقفين)」― Educated Spoken Arabic(ESA) ないしは Formal Spoken Arabic (FSA)ー と呼ばれ、一般庶民が話す方言オンリーの会話に比べると非常にかしこまった知的階層特有のアラビア語とされているが、インタビュー番組ではそうしたタイプのアラビア語が純フスハー会話の代替として広く用いられている。

▶公的な場で用いる純フスハーでも純アーンミーヤでもないアラビア語についてはアラブ諸国でも世界各国のアラビア語研究業界でもよく知られた存在なので、アラビア語ネイティブである検証参加者のエジプト人ジャーナリスト氏が「この種のテレビ・インタビューは正則アラビア語で話すのが当たり前」と解説するということは考えにくい。そのため、日本人検証者氏側が「アラビア語には純フスハーと純アーンミーヤしかなく互いに分断されている」「それらを混ぜることは間違いとされる」という誤解をアラビア語学徒時代からそのまま保持されている可能性、アラビア語でフスハーとアーンミーヤの混合問題について改めて調べたり英語で書かれた研究論文などを読んだりされずに記事を書かれた可能性、もしくは実像を知ってはいるもののネイティブでも得意ではない人の方が多い100%純フスハー会話ができないことが本来ならあり得ないはずだとの印象を強めるためにフスハーとアーンミーヤとの分断を誇張し事実に反する描写を意図的に行った可能性のいずれかが高いと推測せざるを得ない箇所となってしまっている。しかしこのような解説文は検証者氏側がアラビア語による政治家たちのテレビインタビューをあまり見たことが無い裏付けにもなり、アラビア語に通じた人物だという検証役としての適性を否定する結果となってしまうため、引き換えとなるリスクが高いとも言える。

▶日本では長年こうした不正確な認識がアラビア語教育・学習者界隈で流布。当時学生だった世代が教える側に回った今でも完全には消えていない状態で、過去約20年以内に出版された学習書でも「アーンミーヤは読み書きには使われず、文字は持たず、話す場合にのみ使われる」「アーンミーヤは話し言葉なので原則として文字に書かれない」「アーンミーヤを書き記すということ自体が話し手にとって不思議で理解できない行為」と説明しているものがある。フスハーとアーンミーヤの分断は、伝聞の伝聞という形で複数世代にわたって循環してきた百年超えものの古い情報や未アップデートゆえの現状誤認を再生産しているケースに該当。「この種のテレビ・インタビューは正則アラビア語で話すのが当たり前」は、検証者氏が日本の語学学校でアラビア語を学ばれていた頃に見聞きされたそれらが修正されないまま検証記事執筆時の論拠となってしまったとも考え得る。

サナ・リファーテット

▶小池氏は「サナ・リファーテット」ではなく、微妙に違う「サナ・イッリ・ファーテット」と言っている。実際に発音している「イッ」脱落等があることからリスニングの際の聞き漏らしが原因である可能性が高いかと。エジプト方言としては定冠詞つきの「イッ=サナ・イッリ・ファーテト」だが小池氏は語頭の定冠詞は読んでいないようで「…ッ…サナ・イッリ・ファーテット」と会話。最初に微妙に「ッ」と言っているようにも聞こえるが、ヘッドホンを装着し音量を上げて聞き取りした限りでは「サナ・イッリ・ファーテット」。

▶実際の動画では「サナ・リファーテット」ではなくアーンミーヤ版関係代名詞 اللي を本来の重子音部分もそのままで発音しているので「サナ・イッリ・ファーテット」と言っている。最後の動詞完了形については fātet(ファーテト)とか fātit(ファーティト)のような活用が基本的だが、語末の t が重子音化した tt に聞こえることもあり、小池氏は著作の中でもそのような英字表記になるという特徴あり。そのため「サナ・イッリ・ファーテト」ではなく「サナ・イッリ・ファーテット」と発音しているものと思われる。

サナ・マーディーヤ

▶定冠詞抜けと語形取り違えによる余剰「ー」表記で正解として提示するには不適切。第3語根弱文字動詞の能動分詞女性形 مَاضِيَة [ māḍiya(h) ] [ マーディヤ ] をニスバ形容詞+女性語尾の語形である مَاضِيَّة [ māḍīya(h) ] [ マーディーヤ ](エジプト方言だとマーディイヤ的な発音)と読んでしまう誤読はネイティブに非常に多く、日常会話の口語アラビア語でマーディーヤという発音に置き換わっている方言もあるためフスハー会話やフスハー文章への発音記号つけの時にそのまま間違ってマーディーヤとしてしまいやすい。また、今の時点から振り返っての「昨年(に)」という時は定冠詞アルをつける。後置による形容詞修飾なので、サナにもマーディヤにも定冠詞をつける修正が別途必要。無冠詞のサナ・マーディヤを使うのは「أربعون سنة ماضية」(過去の40年間)のように年数を数える時など。

▶正しい発音の解説という性質から、検証記事では日本語カタカナ表記の慣用に従った定冠詞抜去は不適切だと思われる。正確な言い換え候補に関してはサナとマーディヤのそれぞれに定冠詞アルを付加。小池氏のスピーチ内では時を表す対格部分に当たるので、堅い文語発音だと「アッ=サナタ・ル=マーディヤ」(簡略化発音:アッ=サナ・ル=マーディヤ)に。男性名詞を使った同等表現としては「アル=アーマ・ル=マーディー」(非常に文語的な堅い発音:アル=アーマ・ル=マーディヤ)。

▶今では同義語として特に気にせず「(1)年」という意味で使っているサナ(سنة)とアーム(عام)。しかしクルアーン解釈をからめての語義解説では元々これらに違いがあったとしており、サナは雨不足による干ばつといった苦難に見舞われた年の時、アームはそうした災難が無く安寧に暮らせた年の時に使うといった区別を古のアラブ人たちはしていたといった記述も見られる。そこまで気にする場合、小池氏スピーチでは前向きな外交の話をしているので「アル=アーマ・ル=マーディー」(非常に文語的な堅い発音:アル=アーマ・ル=マーディヤ)を選ぶのが良いものと思われる。

▶マーディヤをマーディーヤと誤読するのはネイティブのアラブ人にも日本人学習者にも非常に多く、この部分が検証者氏由来なのか、検証に参加したエジプト出身英語科卒のロンドン在住ジャーナリスト氏由来なのかは、判断が難しい。もしアラビア語ネイティブのアラブ人側の誤読である場合、メディア業界に多いタイプの文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)文法・語形に極めて精通しているのではない人物で、誤用や口語表現を全部フスハーとしての正しいそれに置き換えるという趣旨の動画検証作業に関する適性を十分に有していないにもかかわらずフスハーのプロとして起用してしまったということにもなりかねず、本検証記事の信頼性に関する不安要素の一つともなっている。検証記事では「文語と口語が混ざり合うことなど本来あり得ない」と説明されているが、この部分はちょうどそうした「文語表現に口語発音・口語語形への置き換えという要素が混ざって、文語寄りの文語-口語ミックス状態になっている」事例に相当する。

クント・アンティ

▶記事の誤字ないしは誤植。小池氏は「クント・アンティ」とは言っておらず「クント・アンディー」と発音している。口語風の短母音化した「クント・アンディ」ではなくここでは「ー」と長めに発音しているため、厳密には「クント・アンディー」とすべきかと。

▶主語が1語目の次の次という少し離れた後方に来る女性名詞であるという構文に反して、直後にある前置詞についている一人称の「私」に引っ張られて、カーナ動詞が一人称単数の語形クントになってしまっている箇所。

カーナット・アインディ

▶標準的カタカナ表記は「カーナト・インディー(kānat ‘indī)」。フスハー発音ということであればカーナット(kānatt)の促音部分「ッ」は不要で「カーナト」(kānat)、最後については長母音なのでディではなく「ー」を付加したディーとする必要あり。なお語頭に母音アがつくアンディーは口語系発音で文語発音がインディー。インの部分はアインと聞こえるほどの発音にはならずアを付加するような発音は子音 ع(アイン)の強調のしすぎとなってしまい余剰なので、アインディー(‘ayndī ないしは ‘aindī)等とする必要はおそらく無く学界標準カタカナ表記のインディー(‘indī)が良いものと思われる。またアインディ(→インディ)のように語末の「ー」を除去するのは口語発音における長母音の短母音化に対応しているため、アインディではなくインディーのように「ー」をつけないと「文語に口語要素を混ぜることは語学力不足ゆえ」「言い間違いをした話者の代わりに検証者が正しい純フスハーでの言い換え表現を提示する」という検証記事の方針に反することにもなってしまっている。

▶インディーのように前置詞句といった別パーツで分断される場合はインディーの後が女性名詞でも「カーナト・インディー」ではないカーナが男性形のままの「カーナ・インディー」も可。そのため言い換え候補は2つあることに。

アルタキー

▶「リ・アシューフ」と言っている部分の置き換え候補で、堅いフスハー発音ならアルタキー(’altaqī)ではなくアルタキヤ(’altaqiya)とした「リ・アルタキヤ」(li-’altaqiya)を用いる必要あり。口語風のくだけた発音だと未完了形動詞語末を接続形にせず「リ・アルタキー」とする人もいるが、ここは検証として堅い文語の正しい言い回しを提示するという目的なので、ブロークンなアルタキーではなくアルタキヤを第一に表記するのがベターかと。またアシューフと同じく see という語義のあるアラーを使った「リ・アラー」なども同等表現。

「ズィヤーラ(訪問)」の後、「(場所)へ」を意味する前置詞の「リ」を使うのもエジプト口語で、正しい前置詞は「イラー」

▶アラビア語文法の誤解部分で、前置詞イラーを使うのは正しいのではなくむしろその逆で間違い。ズィヤーラは他動詞の動名詞なので訪問地を示す名詞には本来前置詞は不要。それにもかかわらず前置詞イラーをつけるというのは「他動詞由来の動名詞に不要なパーツを足す」という種類の誤用でメディア関係者に非常に多い現象として知られ、アラビア語専門家らによって指摘される定番事項の一つともなっている。なおリはエジプト口語的なのではなく動名詞の行為の対象につけるリなのでイラーよりもむしろこちらのリの方が文語的。

▶ズィヤーラ・イラー(زيارة إلى)は誤用であるためアラビア語-英語辞書やアラビア語-アラビア語辞典にも全く出てこないか、誤用が混ざって載っている事例がわずかに見られるのみとなっている。辞書を調べても出てくるのはまず属格構文による他動詞目的語表現方法、次いで لِ [ li- ] [ リ ] の訪問対象語頭付加で、誤用であることから「ズィヤーラの後にイラーを持ってくるのが正しい言い回しでフスハー的」だという説明は載っていない。リの用法も誤解しエジプト方言的だとしていることからこの部分は辞書や用法辞典で調べて書いた可能性が非常に低く、検証者氏が誰かから間違って教わった内容をそのまま書いたか、検証に参加したエジプト人ジャーナリスト氏が正しいと思って教えた内容をそのまま記事化されたかのどちらかであるようにも見受けられる。

アラビア語を学んだ人なら分かるはずだが、正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる。

▶この部分に該当するYouTube動画では登場する全員が文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)とアーンミーヤ(口語アラビア語)を混ぜて話しており、検証記事の主張との間に齟齬を生じしている。エジプト方言語彙の多い/少ないだけで見れば エジプト人女性インタビュアー>小池氏>男性通訳者氏の順番にアーンミーヤ色が強い。全員が純度100%フスハーで話していない件が見過ごされているのは、日本人検証者氏が単独でアラビア語ニュース動画の書き起こしや文語と口語の聞き分けをできないのに検証記事を書いてしまったためなのか、全て知りながら「フスハーとアーンミーヤを混ぜて話している要人など小池氏ぐらいだ」と脚色し読者に事実を伏せているかのどちらかぐらいしか考えられないが、いずれのケースも問題があるように思われる。

▶「正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる」はアラビア語を学んだ人ほどわからない部分。アラビア語の文語と口語を学び、アラブ世界にその混合体(中間体)があること、またその混合体(中間体)の役割を知る段階まで学習を続けていれば「文語口語混合体の会話は総じて品が無い」という誤認はむしろ発生しなくなっていく。アラビア語の初級学習書では文語アラビア語と口語アラビア語が断絶しており混ざり合うことが無いかのように誤解させる記述になっているもの、また著者が非常に古い時代の情報を元に書いたために「フスハーとアーンミーヤは混ざらない」「アーンミーヤは文字で表せない」と受け止める学習者が今でも一定数おり、「正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる」という判断は初期に与えられた情報が定着したままアラビア語事情を見てしまっていることに起因するとも考えられる。エジプトに留学したり日本在住でもエジプトのメディアに触れていれば、政治家・宗教家・研究者などがフスハーとアーンミーヤの混合体を多用していること、口語といってもフスハー語彙を多用したアーンミーヤとこてこてな方言全開の会話で全然違うこと、純口語でも街区や地域によって違うことなどを体感できるため、「アラビア語を学んだ人なら分かる」というのはそうした詳細を実体験する前の未習者や初学者に多いアラビア語状況のとらえ方・誤解に依拠しているとのイメージが強めだと言える。

▶このくだりは検証者氏側のアラビア語習熟度やアラビア語の文語と口語に関する各国学界における各種議論に関する知見が不足していることの裏付けになりかねず逆効果になってしまっており、アラビア語習得者からの同意を得るのは難しいと思われる。アラビア語にある程度習熟している人だと、むしろ「どうして”正則アラビア語の中に突然口語が混じると、途端に会話に品がなくなる”と書いたのかわからない」「記事を書いた人はアラビア語のことをあまりよく知らないのではないか」と疑問を抱いてしまう可能性がある。記事自体が元々アラビア語関係者の目に触れるという前提で書かれたものではなかったとも考えられるが、単に考察する第三者の立場からはその真意を確かめる術は無いので不明。一連の検証記事は卒業問題に対する熱意・正義感と引き換えにアラビア語にかかわる正確性を多分に犠牲にしてしまっている部分があり、むしろアラビア語関係者からの共感を得られない箇所が多かったりする。しかし「アラビア語を学んだ人なら分かるはずだが」と添えることでアラビア語専門家も含め皆が例外無く同意する事項である・検証内容が高度な専門性によって行われ不正確な部分が一切無いとの誤解を与えやすくなっており、まだアラビア語学習年数が少ない方やアラビア語経験を持たない一般読者層が厳然たる周知の事実だとして受け止めてしまいやすいとも言える。

▶アラビア語には庶民から気取っているとすら言われる「知識人のアーンミーヤ」などがあるが、それとは別にフスハーオンリーの演説でも心理的効果などを狙ってせりふの再現や本音吐露の場所でわざと正則アラビア語会話から突然口語会話に切り替えまた正則アラビア語会話に戻すといったことがしばしば行われている。管理人は過去5年間ほどフスハーとアーンミーヤの問題に関するアラブ人向けの議論・討論・報道、ならびにエジプトやイラクの政治家のスピーチや国会番組、有名宗教家らの宗教講話を日常的に色々と見てきたが、アラビア語運用能力が高い人物がフスハーとアーンミーヤを使い分けながら演説する件に関して「品が無い」「下品」「無教養」「フスハーに混ざるゴミ」と酷評するような傾向は特に無いとの実感あり。アラビア語運用能力が低いがゆえの文語アラビア語と口語アラビア語のちゃんぽんは全くの別物で、それらの違いを前提とせずに混合体は全ておかしい・下品であるという言説を強調することは、色々なタイプのアラビア語会話・演説・スピーチをあまり実際に見聞きしたことがないとの印象を与え検証記事の信頼性を低めることともなってしまうことにつながると思われる。

▶同じ検証者氏の記事ではフスハーとアーンミーヤの乖離・対立が強調され両者の混同を強く忌避する傾向が特徴的だが、検証者氏の単なる誤解もしくは意図的な脚色といった可能性以外に「そうしたフスハー至上主義を教えたエジプト人が実際にいたかもしれない」とも考えられる。アラブ世界には「フスハーとアーンミーヤを混ぜるなどけしからん」という考えの人が一定数おり、アラブ民族主義が盛んだった時代には「フスハーこそがアラブ民族を統一する紐帯」だとしてフスハーを非常に重要視するということも行われていた。そのため検証者氏が極端なフスハー観を持っている人物から長期にわたってアラビア語における文語と口語の関係性について聞かされ、それが検証作業や検証記事の内容の偏りの原因になった可能性も否めない。普通はアラビア語を続けていると直接アラビア語で情報収集できるようになることで「フスハー至上主義者が象牙の塔の住人的な扱いをされることもある」など文語と口語の関係性には色々な課題があることを知りイメージを修正することができるが、数年で学習を切り上げアラブメディアでの議論などに直接触れなければ初期に触れたラディカルなフスハー感が払拭されないままということもあり得るかと。

このエジプト人女性キャスターは内心唖然としていたはずだ。

▶「エジプト人取材者が唖然としていたはずだ」というのは検証者側の憶測で、「小池氏のアラビア語はネイティブから常に嘲笑される赤面ものの文語-口語ちゃんぽん会話であるべき」「小池氏は学生時代から一度もアラビア語をちゃんと話せたことが無い」見方を強く反映しているものと思われる。アラブ世界における文語と口語の関係やネイティブの文語会話能力の現状をふまえればもう少しソフトで中立的な見方になるかと。エジプト人インタビュアーの إيمان العقاد(イーマーン・アル=アッカード)氏自身はエジプト人視聴者に向かって小池氏を紹介する時にはフスハーとエジプト方言のミックスでしゃべっており、小池氏に話しかけるために切り替えたフスハーのみの会話では普段しない純フスハー会話がやや苦手なのか「アー…」をだいぶ言っているとの印象。その後小池氏が日本語に切り替えた辺りからまたエジプト方言メインでの会話に戻っている。イーマーン・アル=アッカード氏自身もまたフスハー会話がそう得意ではない可能性が高く、小池氏のアラビア語に内心唖然とするようなスタンスにはないとの判断が妥当だと思われる。

▶イーマーン・アル=アッカード氏はエジプト人ジャーナリスト/文学者アッバース・アル=アッカード氏の孫娘で、エジプト国営放送局のフランス語-アラビア語通訳からジャーナリスト/アナウンサーに転身。エジプトのテレビ報道にも度々出演しているが、普通のトーク番組ではエジプト方言、ニュース番組や時事討論でもフスハーとアーンミーヤのミックスを話しており、彼女がフランス語通訳だったことからしてもフスハーに極めて堪能な文語アラビア語至上主義とは程遠いと言える。そのため「内心では唖然としていた」というよりも、小池氏のフスハーエジプト方言ミックス会話はむしろ取材者にとっても楽で親しみやすいものだったと考える必要も出てくる。

▶日本語に切り替わる前までの小池氏のアラビア語は事前に用意された原稿を丸暗記して思い出しながら言っていると受け取ることもできる程度には意味が通っており、小池氏の視線からすると斜め先にカンペが置いてあった可能性も否めない。この上で記した通り検証記事で言い間違い判定されているもののうち複数は検証者氏側の誤判定や誤訳であるため間違いはそこまで多くない。同氏のアラビア語外交スピーチは他者の添削や原稿作成サポートがあると感じられるような言い回しが含まれ、数分程度のインタビューであれば言うべき内容を気合いで頭に叩き込んでおられるのでは…との印象を与えたりもするが、もし仮にそうしたアラビア語会話部分がもしカンペ無し・ネイティブ作成原稿無しで全部自力で言えていたとしたら「アラビア語を1~2年勉強した日本人大学生よりはフリースピーチができている」と表現することもできるかと。

▶アラブ人、特にフスハーでの会話が得意でない人の割合が多めなエジプトではフスハーを上手く話せないためにフスハーとアーンミーヤを混ぜたアラビア語を話しただけで唖然・呆然とするということは考えにくい。アラブ人でもフスハーが苦手な地域の人はアラビア語で高等教育を受けないため大卒者などでも小池氏よりもっとフスハーが話せず何を言っているのか全然わからないことも。相手はカイロ大卒とはいえアラビア語業は数十年前に辞めた政治家であり「カイロ大学卒業で元通訳だというもののだいぶ忘れてしまっているようだ」「あれ、あまり話せないらしい」と気を使いながら対応することはあっても、この程度の言い淀みや誤用であれば「こんなアラビア語聞いたことがない」「聞くに堪えないひどすぎる言葉」「噴飯もの」と驚くということはまず考えられないとの印象。文語と口語のミックス自体はエジプト人政治家でもやるため、日本人政治家がフスハーとアーンミーヤを混ぜたアラビア語会話をしただけでエジプト人が唖然呆然となるということはまずあり得ない。

▶エジプトでのニュース録画を複数確認したが、小池氏については都内のイベントでスピーチした時の比較的流暢に見える原稿読み上げの動画と「私は100%エジプト人です」という有名コメントが主に使われており、拙いアラビア語で話しているというイメージは特に感じさせないニュース映像になっている。「1976年カイロ大卒の小池氏が東京都知事に就任」「カイロ大から日本の都知事が輩出されるなんてすごい」「日本人だがエジプト人も同然だと胸を張る女性政治家」といった好意的コメントやエジプト各方面との協定締結の様子が放送されており、面会相手や取材者たちからは丁寧に扱われているように見えるのが実情だと思われる。そうした背景事情を鑑みると、外から見て全くうかがい知ることのできない女性キャスターの心情を唖然としていたに違いないと断定することは不適切だとも言い得る。

▶余談だが、リンク先動画のコメント欄にあるように小池氏が日本語に切り替えてからの日本語-アラビア語通訳音声では、外務省の日本人通訳官と思われる方が動詞の活用や複数語尾といった文法を時々間違えたり、文語-口語ミックスになっていたりしており、普段本を読んだり書類を書いたりするだけでは鍛えることのでいない文語アラビア語スピーチの難しさを物語っているとも言える。

「面会は、とっても、とってもよいものでした」と言うのに形容詞の「ラズィーズ」を使っていること。辞書によっては「甘美な」という意味も出ているが、実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語で、「面会は、とっても、とっても美味しいものでした」と話している

▶語義に関する誤認。小池氏は「会見は、とても、とても良いものでした」「会見は、とても、とても素晴らしかったです」などと伝えている箇所。文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)としても口語アラビア語(アーンミーヤ、複数地域方言)としても食べ物以外の物事が「良かった」「話を楽しめた」と表現するのに使う単語だが、そうした事実に反して「あり得ない赤面ものの間違い」として繰り返し宣伝されてしまっていることから、アラビア語では全くの誤用だと思っている方も多いかと。

▶上記の通りジャーヒリーヤ時代から現代に至るまで食べ物以外の事物を良かったと思っている時にも使う形容詞で「良い会見」の意味。昨今でも会見・面談・トークが良かった時などの形容に用いられる。さほど多用・乱発はされていないが書籍・メディア等で実際に使用例あり。どちらかというと食べ物がおいしいという意味以外での使用は حلو(sweet、甘い)同様、文語よりも口語での使用が多いとの印象。

▶アラビア語学習者が使う定番の辞書は古くても19世紀、通常は20世紀に刊行されたもので現代標準アラビア語としてのフスハーの語彙を収録したものとなっている。そのため、現代刊行のアラビア語-英語辞書に「甘美な」といった意味が載っているのに実際のアラブ諸国では「甘美な」という意味で過去に使われたことも現役で使われていることも無いといったことは考えられない。廃れた語義ではなく実際に使われている語義だからこそ学習者でも使うような辞書にも載っている訳で、色々な辞書を見れば「おいしい」以外の用例も複数掲載されている現状を考えると、検証者氏側が単純な誤解をしている、検証者氏がアラビア語辞書から最も適切な語彙と用例を探し出すことができなかった、本当は辞書に色々な用例が載っているのを確認済であるにもかかわらず日本人読者のほとんどがアラビア語に詳しくないことを前提として「話者はこんなにあり得ない誤用をしていて、実際には食べ物にしか使わない形容詞を面会という単語に使っている」という話を作ってしまわれたかのどれかの可能性に絞られてきてしまい、どのような経緯で”実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語”という説明文が作成されたのか大きな疑問が残る点となっている。

「タルビーヤ」を使っているが、これは「子供を躾ける」という意味

▶タルビーヤは語形取り違えによる余剰「ー」表記。派生形動詞第2形で第3語根が弱文字である場合の動名詞が تَفْعِلَةٌ [ taf‘ila(tun) ] [ タフイラ(トゥン) ] 語形になるにもかかわらず、تَرْبِيَةٌ [ tarbiya(h) ] [ タルビヤ(フ/ハ) ] ではなく تَرْبِيَّةٌ [ tarbīya(h) ] [ タルビーヤ ] と弱文字部分を重子音化して読むという非常に多い誤読。文語ではタルビヤだが口語の方言によっては「タルビーヤ」(エジプト方言だとタルビイヤ的な発音)に置き換わってしまっていることから、フスハーの会話や発音記号つけの際にそのままアーンミーヤ発音を当てはめて間違えるネイティブが非常に多い。検証は文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)での表現に直すという趣旨であるため正しくは「タルビヤ」で、「タルビーヤ」は不適。かつここでは定冠詞があるためタルビヤ部分を会話の中から単体で抜き出す場合は発音省略部分を戻した上で「アッ=タルビヤ」とするか「(ア)ッ=タルビヤ」などが良いかと。

▶タルビヤは「養育」「教育」「飼育」「しつけ、マナー」といった複数の意味があり、教育という意味ではタアリーム(تعليم)と同義語だとアラビア語大辞典にも書いてあったりもするので、誤用とするのは不適切である可能性が大きい。動画の文脈からすると定冠詞をつけてアッ=タアリームで「教育」とするのが一般的だとも思われるが、タルビヤは比較的低年齢の園児や小学生の教育や礼儀・生活習慣指導といったイメージが強めで、小学校教育に関する書籍・記事では「小学校における新しい教育手法」といった言い回しの時にこの「タルビヤ」という語が使われるなどしている。日本式小学校の設立事業がエジプトと合同で進められた件などを照らし合わせればアッ=タルビヤでも構わないのでは、との印象。ちなみに日本の文部科学省に相当するエジプト教育・技術教育省の名称は وزارة التربية والتعليم [ wizāratu-t-tarbiya(ti) wa-t-ta‘līm ] [ ウィザーラトゥ・ッ=タルビヤ(ティ)・ワ・ッ=タアリーム ](分かち書き:ウィザーラト・アッ=タルビヤ・ワ・アッ=タアリーム、英語名称:Ministry of Education and Technical Education)で、タルビヤを education という語義として用いており、これらからもタルビヤが「子供のしつけ」という語義しか持っていないという説明が正しくないことがわかる。

▶実際のスピーチでは「教育の分野で」という意味で「フィー・マガーレ・ル=タルビーヤ」と言っており、小池氏はタルビヤのタルビーヤ読みと、定冠詞と t(ت)音を同化させずに読んでいる箇所。なので単語の意味を間違えているというよりは、定冠詞部分の発音間違いや文語語形の口語語形への置き換わりによる余剰長母音挿入に当たる部分。

▶タルビヤをタルビーヤのように誤読するのはネイティブのアラブ人にも日本人学習者にも非常に多く、この部分が検証者氏由来なのか、検証に参加したエジプト出身英語科卒のロンドン在住ジャーナリスト氏由来なのかは、判断が難しい。もしアラビア語ネイティブのアラブ人側の誤読である場合、メディア業界に多いタイプの文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)文法・語形に極めて精通しているのではない人物で、誤用や口語表現を全部フスハーとしての正しいそれに置き換えるという趣旨の動画検証作業に関する適性を十分に有していないにもかかわらずフスハーのプロとして起用してしまったということにもなりかねず、本検証記事の信頼性に関する不安要素の一つともなっている。検証記事では「文語と口語が混ざり合うことなど本来あり得ない」と説明されているが、この部分はちょうどそうした「文語表現に口語発音・口語語形への置き換えという要素が混ざって、文語寄りの文語-口語ミックス状態になっている」事例に相当する。

相手から正則アラビア語で慰められる

▶これは検証氏の個人的な見方で、単なるアラビア語会話の解釈としては誤っている可能性がかなりあると言わざるを得ない。動画を見る限り慰められているようには見えず、小池氏がたどたどしいアラビア語を何とか話している最中に「その言い方で正しい(サヒーフ)」とOKサインを出して大丈夫だと励ましているという解釈も不自然だと思われる。この女性大臣はクウェートのメディア取材相手の時も含め「その通り」「そうですね」と相槌を打つ際に「サヒーフ」を使う人物だが、小池氏が話している間ずっと頷きながら合いの手を入れるなどしており、「女性大臣という立場上課題も色々と抱えていると思う」というくだりで「そうですね(サヒーフ)」と言っているようにしか見えないのが実情。

▶ヒンド・アッ=サバーフ女史は「鉄の女」と呼ばれる一方で大臣として突き上げや国会での厳しい質疑に晒されかなりの重圧やストレスを感じながら職務に当たっていたことをクウェートメディアでも吐露している。「女性大臣としてお互い何かと苦労があるとは思うけれども」的なことを語った小池氏のコメントに対してしみじみしつつ「そうなんですよね…」的に頷いていたように見える。

▶ヒンド・アッ=サバーフ女史は文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)と口語アラビア語(アーンミーヤ)共通の語彙と言い換え・言い淀み表現である「サヒーフ」を数回言ったのみ。仮にクウェート方言で返事をしても同じく「サヒーフ」になるので、動画だけではフスハーで会話していたかどうかは断定できない。その他の詳細については後述の通り。

ヒンド・サビーフ・バラク・アル・サビーフ氏

▶厳密にはアル・サビーフとバラクは誤読。アルは厳密にはアラビア語発音としては誤読に当たるカタカナ表記。日本語記事の慣用表記では発音同化を反映させず定冠詞アルを全て「アル」と表記する例も見られるが、この記事はフスハーとして厳密に検証した正しい表現と発音を提示するという趣旨なので、学界標準カタカナ表記を取り入れつつアッ=サビーフないしは一般記事風にアッ・サビーフなりにする方が良いものと思われる。なおアラブ人名に含まれる定冠詞アル(/アッ/アン)は一般向け記事の慣用表記だけでなく学界の学術的標準カタカナ表記でも除去される慣例があり、日本語の各種記事では誤読と定冠詞除去を合わせた「サビーフ」が広く用いられてきた模様。ただこの検証記事に関してはフスハーでの正しい言い方と発音を示すという目的から、アラビア語では除去することが無い部分の発音をそのまま保持したアッ=サビーフで構わないかと。またバラク部分は بَرَك [ barak ] [ バラク ] ではなく بَرَّاك [ barrāk ] [ バッラーク ] がアラビア語での本来の発音となっているため、一般記事の慣用表記準拠ではなくアラビア語フスハー発音に即したカタカナ表記となると「ヒンド・サビーフ・バッラーク・アッ=サビーフ」に。

▶なお検証記事のリンク先にあるクウェートニュース動画ではアル・サビーフともアッ=サビーフとも発音しておらず、男性アナウンサーはアラビア半島に多い男性名の縮小語形として اَلصُّبَيْح [ ’aṣ-ṣubayḥ/’aṣ-ṣubaiḥ ] [ アッ=スバイフ ](口語発音:アッ=スベイフ、アッ=スベーフ)と読み上げている。ただ「صبيح」というつづりの場合男性名としては صَبِيح [ ṣabīḥ ] [ サビーフ ](意味:顔が朝陽のようにキラキラと光り輝いている者、美貌の男子・男性、美男)と発音する名前が存在するため、スバイフというのは同女史のフルネーム中の父祖ファーストネームの発音としては誤読に当たるものと思われる。実際に他の番組録画では「サビーフ」と発音されている。

今日のミーティングは成功で、えー、フルートフル(これは英語)で

▶アラブ諸国では英単語を混ぜる会話がかなりの割合で行われており、テレビのニュース・時事番組における知識人のフスハー優勢会話や解説でも「既に」という部分だけ already を使うといったことがある。エジプトの場合は若い世代を中心に英単語のミックスが特に見られテレビドラマのせりふにも出てきたりする。小池氏が使った「カーナ(كان)fruitful(フルートフル)」もその一つで、実際にネット上の投稿などとして複数事例が確認可能。

▶そのためフスハーでの普通の言い回し كَانَ مُثْمِرًا [ kāna muthmir(an) ] [ 会話発音:カーナ・ムスミル ](意味:実りある)を言うべきところを忘れてしまい fruitful と言ったのか、最初から面白みを出すために fruitful と言うつもりで原稿なりにもそう書かれていたのか、やや判断が難しい。この辺はヤアニーを多く言っていることからムスミルが出てこなかった可能性もあるが、実際どうだったのかは不明。「fruitful」は同義の「ムスミル」と言うべき箇所で言っているので、このことから少なくともアラビア語のカーナ(كان)動詞構文の作りは理解していて形容詞を置く位置も記憶に残っているらしいことはうかがえる。

ヤアニイ(「つまりぃ」という意味の、言葉に詰まったときに使う口語)

▶小池氏は「ヤアニイ」とは発音していない。アラビア語では يعني と書くので、声門破裂音+母音イの يَعْنِئِ [ ya‘ni’i ] や咽頭摩擦音+母音イ يَعْنِعِ [ ya‘ni‘i ] を想起させるヤアニイよりも、標準的カタカナ表記のヤアニー [ ya‘nī ] が無難かと。些細な発音の差で単語を区別するアラビア語では「ニー」と「ニイ」は別物なので、ヤアニーをわざわざヤアニイとカタカナ化する必要は無いものと思われる。口語的な語末長母音の短母音化を反映したヤアニ [ ya‘ni ] もあるが、フスハーでの用法・発音に修正するという趣旨の記事であること、また実際に小池氏も「ヤアニー」と言っているため「ヤアニー」とカタカナ表記するのがベストかと。

▶ヤアニーは口語限定の表現ではなく、言葉自体は純フスハーの文語語彙。言葉に詰まった時の「えーっと」だけではなく元々の意味である「その意味するところは」「つまり」「それはですね」という言い換え的に使うことも。文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー)オンリーな標準的アラビア語-英語辞典類や文語アラビア語の辞典にもきちんと載っているフスハー的な表現で、純フスハーのニュースやアラビア語が達者なアラブの知識人たちのフスハー会話にも出てくるため、「文語会話なのに口語である俗語を混ぜた」と指摘すべきではない箇所となっている。この部分については検証者氏が普段フスハーとアーンミーヤそれぞれの会話での言い淀み表現を聞き慣れていない、検証者氏がフスハーの辞書で十分に調べなかった、ネイティブのアラブ人が「アーンミーヤだと思う」とコメントしたのを真に受けて口語表現だと書いてしまった、といった可能性が考え得る。

▶言葉に詰まった時に言い淀む際はフスハーがペラペラな文化人であってもその部分だけは自分の方言で言うことも少なくなく、テレビのフスハー番組でも「シェスマ」「シュスモ」(なんていうんだっけ、えーっと)などが口にされることが多い。文語由来のヤアニーと違って口語表現の「えーっと」はそれらが該当する。

「私たちは、モンケン(可能である)……、ヤアニイ」と言葉に詰まったあと、「えー、私たちは同じ仕事(「ワザー……」と一度言い間違えそうになっている)をしており……」とようやく言って、相手に「サヒーフ、サヒーフ(合ってます、合ってます)」と正則アラビア語で慰められている(相手はきちんと正則アラビア語を用いている)

▶実際には記事ほど終始言い淀んでおらず少しの間を起きつつもその場で考えた、もしくは事前に暗記していたであろうアラビア語の文章を口頭でスピーチしている形となっている。上記は最も言葉に詰まっていた部分を抜き出したものだが、会話全体を忘れて……だらけの状態でポツポツとしか話している訳ではなく、前後の箇所では比較的スムーズにスピーチしており文法的な言い間違いや単数形/複数形の言い間違いを自身で気付いて修正している様子が見られる。

▶「ワザー」は「仕事・職業」を意味する名詞 وَظِيفَة [ waẓīfa(h) ] [ ワズィーファ ] の複数形 وظائف [ waẓā’if ] [ ワザーイフ ] のを言いかけたものと思われる。複数形を言いかけて単数形で言い直しているので、言い間違えではあるものの小池氏がアラビア語名詞の不規則複数をある程度覚えていることを示している部分ともなっている。

▶「「サヒーフ、サヒーフ(合ってます、合ってます)」と正則アラビア語で慰められている」とあるが、動画を見る限りクウェート側の女性大臣は小池氏のアラビア語スピーチの言い回しが正しい部分に対しOKサインとして「サヒーフ」を言っているのではなく、小池氏のコメントの間同意できる内容に対して繰り返し頷きながら「サヒーフ(ええその通りですね)」と相槌を打ち続けているとの印象。小池氏が言葉に詰まる前も詰まっている最中も再開して会話スピードを回復した後もずっと同じようなリアクションをしており、両国関係が良好だというコメントの直後に「ハムドゥリッラー」と思しき言葉も口にしていることから、「アラビア語表現はそれなら間違っていない」という意味で「合ってます」と言っているとは受け取りにくい。言葉に詰まる回数が多いためにサヒーフの回数もやたらと多くなっているということは多少はあるものと思われるが、「同じ役職についているので同じような問題点を抱えていると思う」といったポイントでサヒーフを言っているため見ている側としては「その通りですね」と同意しているようにしか見えないのが実情である。ヒンド・アッ=サビーフ女史は国会答弁でも情緒豊かな話し方をしており、小池氏相手にウンウン頷きながらサヒーフをずっと言っていたのも彼女の元々の性格や話し方もかなり関係していると解釈する方が望ましいのでは、という気も。実際にクウェート人たちとの対談でも相手の会話内容に同意する時に「サヒーフ」を度々使っているので(例:クウェート人女性司会にヒンド・アッ=サビーフ女史がクウェート方言で回答している時の動画の7:22頃からサヒーフを2回繰り返している)、小池氏のアラビア語会話を横で添削しているのではなく、普段の調子・口癖で「そうですね」「私も同感です」という意味の「サヒーフ」を言っていると理解すべきかと。フスハーで慰めているというくだりは小池氏がフスハーを話せないという点を強調しすぎるあまり会話の流れや言葉の意図を誤って解釈してしまっており、小池氏が純フスハーで話さないという点に注意を払いすぎたために正確な把握が阻害され、アラビア語の性質の理解やアラビア語会話の正確な訳出・解説という重要な部分が犠牲にされていると言わざるを得ない。

▶「相手はきちんと正則アラビア語を用いている」とあるが、イコール「相手のクウェート人女性大臣はいつも公的な場でちゃんとしたフスハーしか使っておらず国会でもインタビューでもフスハーで話している」と誤解しないよう注意。これはクウェート方言を理解しない外国の要人に合わせてフスハーをわざわざ使っているという配慮が行われているとの解釈が必要なシーンで、普段から政治家としてフスハーを使っているかどうかとは別問題。小池氏と一緒に写っているヒンド・アッ=サビーフ(هند الصبيح)女史自身は国会でフスハーとアーンミーヤ混合で答弁したりクウェートメディアでのインタビューに口語アラビア語で対応したりしている人物で、色々な録画を見る限りクウェート方言の使用比率が高い政治家に含まれるとの印象。検証記事は「アラブの政治家ならヒンド・アッ=サビーフ女史のようにフスハーで話すはずだ」や「ヒンド・アッ=サビーフ女史はずっとフスハーで政治の仕事をしているのに、同じ政治家である小池氏は公的な場で100%フスハーな会話を上手く話せない」という前提で書かれたと感じさせる言い回しになっているが、もしそうだとすれば確認不足・事実誤認に当たる。

▶「サヒーフ」自体はフスハーとアーンミーヤ共通の同意表現(=フスハー由来の言葉)なので、数回「サヒーフ」と言っただけではフスハーをずっと話していたとの判定は不可能。こうしたシーンではおそらくフスハーを使っていたものと思われるが、クウェート方言で会話していても「そうですね、その通りですね」は同じ「サヒーフ」になってしまったりするので、この動画を見るだけでは区別はできない。動画の中でヒンド・アッ=サビーフ大臣は「サヒーフ」としか話しておらずこの合いの手だけで「相手はきちんと正則アラビア語を用いていた」と断定するのは早計だと思われる。

▶検証記事にも取り上げられた小池氏エジプト訪問時のインタビュー動画では小池氏が日本語に切り替えてからバトンタッチした日本人通訳官男性が言い淀みの際に「ムンキン ヤアニー」を複数回言っている。しかし検証記事では小池氏の「ムンキン ヤアニー」だけが批判対象となっており、小池氏がテーマの検証記事だとはいえ扱いに大きな違いがあるとの印象。自力でアラビア語動画の聞き取りと検証をしたということであれば外務省でアラビア語専門の通訳官をされている方が「ムンキン ヤアニー」を多用されている点も気付いていたはずだが、小池氏の拙いアラビア語という部分を強調するために敢えて触れられていないのか、動画全編のリスニング自体はエジプト出身検証補助役に任せてご自身では書き起こしなりをされていなかったからなのかどうかは不明。

発言は1分ほどだが、ほとんど意味のあることを話していない。

▶検証記事で取り上げられた場所以外はある程度原稿に書かれていたとも思われるメッセージは言えており、「ほとんど意味のあることを話していない」との表現は過小評価かと。1分弱のスピーチで先方に伝わっているだろうことは
●今日の会談は成功裏に終わり実りあるものだった。
●自分は日本クウェート友好協会の会長、同時に防衛大臣・環境大臣でもある。
(*小池氏はクウェート側組織名称であることを思わせる「クウェート・日本」という語順で言っている。この部分は日本クウェイト協会ではなく日本・クウェート友好議員連盟のことを指しているとも思われる。ニュース冒頭では男性アナウンサーによりこの会合がクウェート側の友好組織であるクウェート・日本友好議員連盟主催であり、小池百合子氏が参加していた同会合にヒンド・アッ=サビーフ大臣と随行団が招かれたと説明が行われている。そのため小池氏も同等の立場である日本側の日本クウェート友好議員連盟会長として訪問していたものと思われる。当時小池氏がだったことは本人ブログ記事でも確認可能。小池氏のアラビア語スピーチだと単なる「クウェート・日本友好協会」と受け取れる表現になっているが、実際のアラビア語記事や外交関係投稿だと日本クウェート友好議員連盟のアラビア語名称は「جمعية الصداقة البرلمانية اليابانية الكويتية」となっている。)

●大臣とは同じような役職にあるため、大臣としてはお互い似たような問題を抱えたりもしているかと思う。
●しかしクウェート国と日本との関係は非常に良好で、今回の会合も両国間関係を深める上で重要な役割を果たしたと思う。
で、事前に用意された原稿を練習なり暗記なりしたにせよ全て言いきった形となっている。本当にアラビア語ができない人であればこれだけの分量でも話せないので、日本人アラビア語学習経験者(で特に中級以上までアラビア語能力を引き上げたにもかかわらず使わなかったせいで話せなくなった経験がある人)の中には「通訳業を長年続けていない卒後約40年の人物としては話せている部類に入る」と感じる人もいる可能性がある。

▶なお小池氏は「会合、会談」を意味する男性形の動名詞 اجتماع(イジュティマーウ、エジプト方言発音:イグティマーァ)を女性形の動詞などで受けており、その部分については文法間違いとなっている。ただ「この会合」というフレーズで「この」という指示代名詞をつけた部分では最初に女性形ハーズィヒを使った後に間違っていると判断しハーザー(直後に定冠詞アルが来ているので実際にはハーザと発音されている)と言い直しているので、男性形と女性形の使い分けが必要なこと自体は一応認識していることがうかがえる。

ムシュ・ケダ

▶小池氏はエジプト方言全開で生活されていたことをセールスポイントにしているため、他のスピーチでもこのムシュ・ケダをわざと使って笑いを取っているなどする。ネイティブの作成者が用意することもあると思われる原稿を読んでいるような壇上でのフスハースピーチでも「ムシュ・ケダ(مش كده؟)」のような特定フレーズだけをアーンミーヤ風にしていたりすることから、小池氏のセールスポイントである「100%エジプト人(مصرية مية في المية)」の演出として意図的に口にする戦略となっておりアラブ人の原稿作成者がいる場合でもそれを前提にしてムシュ・ケダをわざわざ盛り込んでいる可能性が考えられる。

▶アラブの政治家や知識人もフスハー会話の時に「ですよね?」「そうじゃないですか?」といった軽いフレーズや合いの手類はアーンミーヤになっていることが多く、テレビニュースの司会がコメンテーターに対して同意を尋ねる時だけ口語表現を使って「違いませんか?」と言うシーンは日常的に見られる。小池氏のこの部分に関しては「完全な誤用やスキル不足との認定はやや難しく、ネイティブもしばしばやっている。なのでわざと言っている可能性も否めない。」判定になるかと。

2024.4.24
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/80469

ムハッタス(specialist)、ムサッジル(registrar)、ムラーキブ(controller)、ムラージウ(checker)

▶全て定冠詞抜け。定冠詞を全部抜いてカタカナ化するのは日本語表記時の慣例だが、ここではアラビア語検証記事なので定冠詞がある方が良いかと。実際の文面通りに記載するならば全て定冠詞「アル=」が必要。書類に書いてある通りにカタカナ化する場合は、アル=ムフタッス、アル=ムサッジル、アル=ムラーキブ、アル=ムラージウ。

ムハッタス(specialist)

▶派生形第8形動詞能動分詞の語形間違いによる誤読と定冠詞抜けで、実際の文面は「アル=ムフタッス」。ムハッタスだと本来の خ ص ص ではない非実在の خ ت ص を語根の組み合わせとみなしたことになり、語形としても派生形第2形動詞の受動分詞になってしまう。

▶「al-mukhattas」や「mukhattas」と検索してもGoogle検索ではわずかな結果しか表示されず、المختص の当て字としてこの読み方をしているのは日本のサイトが掲載しているこの検証記事の英訳版のみとなっている。そのためネットに出されている記事で「mukhattas(ムハッタス)」と誤読しているのはこの検証記事だけ、ということになるかと。日本人学習者の大半が使用してきたHans Wehrの辞書にはどのように発音するかを示したラテン文字転写「muktaṣṣ」(ムフタッス)が添えてあること、学習者向けの辞典では母音記号がふられていて誤読が難しいことからすると、検証者氏が検証作業に使ったアラビア語-英語辞書が詳しくないコンパクトなものだったか、辞書見出しには発音記号が書いてあるもののそれを検証者氏側が正確に読めなかった可能性も考えられる。ネイティブでフスハー既習のアラブ人が非ネイティブの初級学者でも比較的早い時期に教わる頻出単語 مختص をムハッタスと誤読することはまず無いため、ムハッタスという誤読とmukhattasという英字表記はおそらく日本人検証者氏によるものだったと思われる。

▶specialistとあるがここでは「専門家」ではなく「担当者、専任担当職員」といったニュアンスの部分。そのためカイロ大学の他の書式の卒業証書や他の大学の卒業証書だと الموظف المختص という表記になっていることも。ネット上の複数画像を見る限り、カイロ大学の他書式アラビア語版証書や英語版卒業証書にはこの担当職員署名欄が無い模様。またベンハー大学の英語証書はこの欄に当たる部分に「Official in Charge」、アレクサンドリア大学は「Officer」や「Prepared by」といった記載を行っている様子。要は担当部署の証書作成係の名前を書く欄らしいので、「スペシャリスト(specialist)」以外の訳が適当だったのでは、との印象。

ムディール・アーンム・アッ・シュウーニ・タアリーミーヤ(general director for educational matters)

▶冠詞の位置と名詞-形容詞間での不一致ならびにアラビア語構文としての誤り。この語の並べ方だと「アーンム」はこの位置に置くことはできないが、実際に مدير عام الشؤون التعليمية(ムディール・アーンム・(ア)ッ=シュウーニ・(ア)ッ=タアリーミーヤ)としているネイティブ作成文があり、よくある誤用の類に当たるかと。ネット上にアップされているカイロ大学の卒業証書画像にも مدير عام التعليم といった عام の位置等が不自然な表記があり、正則文法としては問題があるものの慣用的に証書に書き込まれてきた慣用の言い回しである可能性が高い。

▶ただし検証記事では一般的誤用から更に定冠詞が除去された مدير عام الشؤون تعليمية(ムディール・アーンム・(ア)ッ=シュウーニ・タアリーミーヤ) になってしまっている。このように「定冠詞&限定名詞+定冠詞&形容詞」とすべき部分で「定冠詞&限定名詞+形容詞」とするのはメディア学部等卒業生の割合が高く文語アラビア語文法に明るくない人材が比較的多いとされる新聞やテレビ放送でしばしば起こるとされる部類の誤用と言われ、アラビア語誤用に関する専門書他でも挙げられている事項となっている。文法的には المدير العام للشؤون التعليمية(アル=ムディール・(ア)ル=アーンム・リ・(ア)ッ=シュウーニ・(ア)ッ=タアリーミーヤ)とするのが正則的で、実際にアラブ諸国でもこの言い回しが使われている。形容詞による後置修飾と被修飾語である直前の名詞との数・性・定/不定の一致ルールから「アッ・シュウーニ・■■■タアリーミーヤ」の■■■部分には定冠詞の付加が必要で、分かち書きであれば「アッ=シュウーニ・アッ=タアリーミーヤ」ないしは実際の発音に即した「アッ=シュウーニ・ッ=タアリーミーヤ」などとすべき部分。

▶なお、ネット上のカイロ大学の卒業証書画像では上記とは異なる مدير الشؤون التعليمية(ムディール・(ア)ッ=シュウーニ・(ア)ッ=タアリーミーヤ)といった役職名での記載も見られた。

敬称に「サイイダ」(Ms.)ではなくサイイド(Mr.)

▶定冠詞抜け。実際の文書では定冠詞がついているので、書くとしたら「アッ=サイイダ」や「アッ=サイイド」。ただし小池氏のもう一つの卒業証書では未婚女性に使う敬称「アル=アーニサ」が使われていることから、”敬称に「アル=アーニサ(Miss)ではなくアッ=サイイド(Mr.)”とすべき部分となっている。

▶正しくは”敬称に「アル=アーニサ(Miss)ではなくアッ=サイイド(Mr.)”かと。既婚者と未婚者とまとめて「Ms.」と呼ぶことは米国の女性権利運動として1960年代に始まり1970年以降に各国で少しずつ広がっていったもの。小池氏が卒業した当時はそうした欧米式の敬称つけに関する認識は今よりもずっと薄かったはずだが、アッ=サイイダを「Mrs.」と「Ms.」両方にあてることは現在に至るまでアラブ世界では浸透しておらず、エジプトの各大学の卒業証書における敬称も未婚女性を既婚女性と同じ「アッ=サイイダ」と呼ぶことでは統一されておらず、女性学生に対して授与される卒業証書の敬称もまちまちである模様。エジプト人女性本人が提供している本人個人アカウントやエジプトメディア取材記事に載っている偽物ではないと思われるエジプトの大学証書画像を実際に複数見た限りでは、
●比較的最近出された証書でも未婚女子学生は「الآنسة」(アル=アーニサ、Miss)になっていることが多い
●男子学生と同じ男性形の敬称「السيد」(アッ=サイイド、Mr.)になっているものがネット上に複数例ある
【小池氏の証書と同じケース】(例1:苦労して優秀な成績でカイロ大学の法学部を卒業した女性のニュース記事では卒業証書の敬称部分が男性形のアッ=サイイドになっている)(例2:父親に女子教育を禁じられた女性が30代でカイロ大学法学部を卒業した時のニュース記事・写真では卒業証書での敬称部分が男性形のアッ=サイイドになっている)
●未婚か既婚かはわからないが「السيدة」(アッ=サイイダ、Mrs.ないしはMs.相当?)のこともある
●2019年にカイロ大学で法学を修めたイエメン人女性に関する報道記事で掲載されていた英語卒業証明書では「Mr / Ms」となっており男子学生・女性学生共通のフォーマット、かつ「Mr / Mrs / Miss」ではなく今どきの「Mr / Ms」という敬称が採用されている。
●敬称ではなく「الخريجة」(アル=ヒッリージャ、エジプト発音:アル=ヒッリーガ、女子卒業生)となっていることも
●卒業仮証明などでは「الطالبة」(アッ=ターリバ、女子学生)となっていることもある
(*エジプトで起きた殺人事件を報じるニュース記事では犠牲者の女性がメディア専攻を卒業した時の証書写真が掲載されており、男性学生という意味の「الطالب」(アッ=ターリブ)という肩書きがついているほか、「取得した」といった動詞も男性形になっており、男子学生と同じフォーマットを使って証書が発行されたことを示している。)
●敬称の類が無く、直接本人のフルネームが書き込まれていることもある
など、実に多種多様。

▶女性卒業生であるにもかかわらず男子学生と同じ「السيد」(アッ=サイイド、Mr.)になっている複数事例については、上記の通り現地報道の画像中やネット上に出回っている本物であろう証書ならびに偽物実例証書それぞれの画像から確認できる。「卒業証書で敬称がアッ=サイイドになっているから絶対に偽物書類だ」という断定は、他の事例でも同様にそうなっていることを確認しなかったからなのか、女性卒業生に男性敬称つきの証書を出す事例が実際にエジプトにはあることを把握しながら公表せず「女性の証書に男性の敬称をつけるなんて怪しいしさすがにエジプトでもあり得ないから偽物なはずだ、きっと詐称に違いない」という疑念を読者に抱かせ詐称の何よりの証拠だと誤認させることを目指したものなのかは不明。

▶小池氏はエジプトで学生結婚をされており卒業時(1976年)はまだ既婚者だった模様。もしカイロ大学がそれを把握していたということであれば「アッ=サイイダ(Mrs.)」の敬称が最も適切だったと言えるが、流麗なカリグラフィー書体で書かれた証書の方では未婚女子学生であることを表す敬称「الآنسة」(アル=アーニサ、英語の「Miss」に相当)が使われているのを確認可能。カイロ大学側は入学時同様、独身女子学生として扱いの未婚女性の卒業として敬称をつけ記録していたものと思われる。

▶今でもアラブの大学生や若者世代に対しては女性がアル=アーニサ、男性がアッ=サイイドなりの敬称をつけることは変わらずアラビア語学習者が覚える基本語彙ともなっているが、検証者氏が在籍していたカイロ・アメリカン大学が早い時期から米国式に「Ms.」を導入し1970年代から女性卒業者へ発行する全ての卒業証書を「アッ=サイイダ」で統一していたため本検証記事がこのような記述になったのかどうかは別途確認の必要あり。

「マウルーダ(女性形)」ではなく「マウルード(男性形)」

▶定冠詞抜け。実際の画像では「アル=マウルーダ」や「アル=マウルード」。アラビア語検証記事なので、一般記事などにおける慣用表記の定冠詞アル抜去は行わない方が良いものと思われる。

「ハサルト(女性形)」

▶動詞完了形の語形取り違えによる誤読。母音aが必要な部分が無母音化されているいわゆる活用間違いで「彼女が取得した」とは違う主語を示す発音になってしまっている。ハサルトは「私が取得した」という一人称単数ハサルトゥか、「男性のあなたが取得した」のハサルタの語末にある人称に関わる子音字についている母音を読み飛ばした口語的発音。ここでは三人称女性単数形「彼女は取得した」なので正しくはハサラト(ḥaṣalat)。

▶これの口語読みで重子音化して聞こえる発音に即してハサラットと書く人もまれにおり、検証記事シリーズでは同様の三人称女性単数形語末部分は「イッリ・ファーテット」のように「ト」ではなく「ット」の付加となっている。そのため検証師が活用間違いをしていなければ記事では「ハサラット(女性形)」となっていた可能性が高い。

「(~の)求め」にも「タラブハー(彼女の求め)」ではなく「タラブフ(彼の求め)」

▶直前に前置詞があるので、証書の中に出てくる形の通りに発音するのであれば属格で読む必要あり。タラブハーやタラブフと読むのは格変化部分の誤読か、格変化部分を無視して全部同じ母音と語形で読み上げるアーンミーヤ的な読み方。ここでは前置詞アラーが前にあるので、フスハー度が高い音読をする場合はそれぞれタラビハーとタラビヒ。

2020.6.22
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61009

4年間アラビア語で勉強し、教科書を読み、毎年論文式の試験も突破して卒業したのなら、フスハーで話せないことはあり得ない。英語でも同様だが、普段その外国語で話す環境になくても、その言語で文献を読んだり、文章を書いたりしていれば、それとほぼ同じ水準で話すことができる。

▶アラビア語の文語-口語併存状況(ダイグロシア)ならではの特徴、英語学習と事情が大きく違っているため、安易に英語学習にたとえるのは不適切だと思われる。アラビア語学習の実体験がある人、アラビア語を使った研究をしている人なら「アラビア語は本が読めるようになってある程度の作文ができるようになっても、会話ができるかどうかは別物」だと実感したことがある方も多いのでは。アラビア語は文語の口語の教本・辞書は分かれているので、昨今の四技能育成型英語教材とは違いフスハーによる会話でも欠かせないつなぎ言葉(フィラー、filler)などの習得に適した環境とはあまり言えず、文献を読むのは楽になったのに偏ったフスハー語彙で日常会話をしようとすると日本語の「あー」「うー」が出たり比較的初期に覚える口語つなぎ言葉「ヤアニー」を多用してしまうといった形態になりやすい。

▶アラブ人はごく一部を除き「フスハーの文章を書くスキル≠フスハーで話すスキル」である方がむしろ普通。小学校からいわゆる国語教育としてアラビア語のフスハーを学び続けるのに流暢にフスハーでスピーチする能力が向上しないまま社会人となるアラブ人が多いことはアラブ諸国のアラビア語専門家らの間で非常に問題視されており、衛星放送とネットにおけるアーンミーヤの洪水状態に押されてフスハーへの関心が次第に薄まり、高いフスハー運用能力を備えたアラブの若者が減ってきていると警鐘が鳴らされたりもしている。日本人留学生についても同様で、フスハーを多用する環境にある学科を除き、日常会話はアーンミーヤで読み書きがフスハーという具合に「話す」技能だけ口語寄りになりやすい。

▶アラビア語学科や宗教学科を除きアラブの大学はアーンミーヤかフランス語・英語で授業が行われるため、ネイティブも留学した日本人学生も「実際に話すのはアーンミーヤで、フスハーは四技能のうち読む・聞くがメイン。書くのはあまり得意ではない人もいて、しゃべるとなると無理…となる割合がさらに高くなる」のがよくあるコース。

▶アラブ人は日常生活でフスハーを使わないためフスハーでスピーチする能力を伸ばす意欲を持たない場合が多く、エジプトは特にその傾向が強い地域。エジプトは大卒者でもフスハーでの会話が苦手な人の割合が高めなことで知られ、「フスハーは筆記で点数を取れればそれでおしまい」と割り切っている学生が多い。エジプトは昔から日本人留学生の間で「モロッコとかほどではないものの、みんなアーンミーヤでしゃべるしフスハーで話しかけるのも嫌がられたりするので、住んでもフスハーで話す能力がアップしづらい」ことで有名な国の一つ。エジプトに住んでいながらフスハー能力を最短期間で向上させるために周囲のエジプト人との会話までフスハーで通し3~4年でかなり話せるようにするのは可能だが、アズハル大学あたりに留学しているのでない限り相当な変わり者として扱われてしまうため、アーンミーヤを避け続けるのは難しい。エジプト留学経験者のフスハー会話能力については、そうした現地事情を考慮に入れる必要もあり。

▶日本人でこれまでに留学してフスハーがペラペラになった人は、主にアラビア語学科や宗教大学の卒業者や外交のために専門訓練を受けた外務省員など。アラビア語を専門としている人物でエジプト事情をある程度知っている人であれば「エジプトの大学の社会学科は日本人留学生がフスハーの会話能力を向上させられる環境だ」と考える可能性は低く、「本を読んで課題は書けるかもしれないけど、しゃべる方はばりばりのエジプト方言なのでは。無理してフスハーをしゃべらなくていいと言ったら、エジプト方言オンリーに切り替わってもうちょっとスムーズな会話ができるのでは。」と受け止める方が自然かと。

▶検証者氏は英語で教育が行われシステム自体がアメリカ式のカイロ・アメリカン大学(AUC、The American University in Cairo)大学院中東研究科修士課程を修了されているとのことなので、エジプトの典型的な国立大学で授業を受けた経験は持っておられないことになる。フスハーとアーンミーヤの関係性や大学教育における文語アラビア語に関する記述が現状と噛み合っていない部分が多いのは、アラブの一般的な大学において少数の例外を除き講義がアーンミーヤの各国方言で行われていること、大学ではフスハーを話す訓練は実施されないためフスハー会話が苦手なまま毎年多くの若者が巣立っていくという現状を知らずに記事を書かれた可能性が高いためだとも考えられる。

2018年7月1日
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/232415
https://twitter.com/harukosakaedani/status/1013185511593148416

検証結果はアラビア語“中1レベル”
日本の義務教育の英語で言うと、中学1年生レベル

▶小池氏のアラビア語能力については「中学1年生」「2歳」「3歳」*「This is a pen.」**やその真逆の「ネイティブ」「極めて堪能」といった判定がされるなどしてきたが、検証者・判定者の個人的な感情(嫌悪・好意)や動機(落選運動・追求・批判・支援)が関わってくることもあってかどちらもアラビア語学的な視点からの正確な考察と適切な形容になっているとは言い難いとの印象。アラビア語やアラブ事情に関する正確な情報を提供するという部分が疎かにされていること、加えて検証者が間違いの自覚を持たないまま誤ったアラビア語解説などを一緒に拡散してしまっているなどするため、残念ながらそうした言説はアラビア語学習者が学び取るべき貴重かつ正確な情報を欠いてしまっており、情報源としては信頼性が低いと言わざるを得ない。
*2歳、3歳というのは大学課程で学ぶ留学生とはできるアラビア語の種類が全く異なっており重なる部分が極めて少ない。低年齢幼児と安易に比べるというのは話者の拙さを強調する目的には適っているが、20歳前後でアラビア語を学んだ人物は幼児が習得する自然な会話が全く上達しないまま専攻分野の偏った単語ばかり覚えるため比較対照・形容としてはむしろ不適切かと。安易に「幼児レベルのまま留学生活を終えた」「留学時代から今に至るまで一貫して幼児レベルの This is a pen 的アラビア語を話し続けている」という印象を抱かせることは「アラビア語や外国人による語学習得がどのようなものかをよく理解していない」との評価を受けかねず、アラビア語の専門家を自認する人物としては同業者やアラビア語学習者から共感を得られないという点でも、話題性等と引き換えのリスクがある発言だと思われる。少なくとも、正確な表現ではないが読者向けサービスでそうなっている部分も大きいことは考慮に入れる必要があると思われる。
**アラビア語において英語の This is a pen に相当する表現は هذا قلم [ hādhā qalam ] [ ハーザー・カラム ] で、指示代名詞と名詞をただ並べただけの最も単純な構文。このレベルしか言えないというのは「1~2週間ぐらいしかアラビア語を勉強しなかった」のと同義に近いが、「お肉を1kg下さい」というのはそれよりも文章としてはレベルが上でお使いレベルのアラビア語は話せたという部分と合致しない。小池氏は言い淀みながらも外交の場でそれよりも学習進度が進んでから学ぶ構文を使っているので、エジプト生活を終える時点まで This is a pen 構文だけで過ごしたというのは非常に無理がある設定となっている。「これはペンです」は2歳、3歳といった形容と同様に拙さを強調するためのわかりやすい方法として採用されただけで、留学時代の小池氏のアラビア語会話能力はその通りではなく、安易なたとえながら実態を適切には表していないそれらの表現を介さず直接に「20歳過ぎの留学生が現地で生活し覚えられる程度の日常会話と、課題などを通じて身についたその他の語彙だった」などと考えるのが妥当かと。

▶小池氏はアラブ世界に何らかの関わりを持つ立場の受講者たちに混じってカイロ・アメリカン大学のアラビア語コースに参加、初期から使いこなす状態までまだアラビア語文法レベルが引き上げられていないアラビア語-英語辞書を片手に行う文章講読を課され、基礎日常会話ができるようになった時点でカイロ大学に編入したことが伝記(管理人はGoogleブックス等で確認)やメディア報道などの本人談に載っている。そのため、初級文法のゼロ地点から少しずつ学んでいく通常のアラビア語学習者や日本の中学生とはかなり事情が違っており、似た文字の判別や細かい文法ルールなど書籍やフスハー会話に若い頃からあったであろう基礎範囲からの一部不足らしきものが見られるのもそのためだと推察される。これは日本の中学1年生~3年生ぐらいが学ぶ文法の基礎をじっくり習熟するまでやらずに急に高校1年生~3年生の範囲にジャンプしたのに似ており、普通の中学生や高校生のような学校で週に何コマもこつこつと学んでいく方式での習得と比較することが可能な事例とは違っているとの印象。

▶アラビア文字が読めること、ネイティブが執筆したにせよ発音記号つきであるにせよアラビア文字で書かれた何らかのカンペの文章を読み上げたり、ある程度暗記してメディア取材に数分間答えるということは、アラビア語を始めて半年以内の日本人学習者や、英語科目が小学校に導入される前の世代でフォニックスの経験も皆無だという中学1年生が普通できない作業。そのため中1レベルではなくもう少し上の学年相当だと形容するのが適当かと。東京でのアラブ諸国関係者などを招いてのイベントでは度々原稿を見ながらアラビア語のスピーチをしているが、これらはほぼ止まらずに読み進めていることから、「現時点では発音記号なりがつけられたアラビア語文は読める状態は維持されている」「自力で考えて外交関係のフリースピーチをするのは元々苦手だったかもしくは忘れたために事前に用意された内容の通りに読み上げているが、話している途中でその原稿の細かい言い回しを忘れることもある」だと思われる。なお英語はアラビア語よりも普段使いしていることから無理なく会話ができており、長時間のインタビューは日本語か英語で受け、それがアラビア語に通訳され各国で放送されてきた。

▶アラビア語については日本語と順序が逆になるアラビア語独特な構文でも特に混乱しておらずカンペがあればほぼその通りに読めるらしいこと、口語語形であれ関係代名詞など初級文法の中盤以降で出てくる語の使用があることから、日本の大学でアラビア語を第2外国語として履修し最後にアラビア語で自身の名前を書ければOKというゴールを満たして単位を取得した大学生よりはアラビア語の蓄積があり、卒後50年弱をかけて不使用による忘却が進み現在に至ると考えるのが自然なのでは、との印象。

▶アラビア語の能力を他の事例にたとえるのは簡単なようで意外と容易ではないと思われる。同じエジプト在住日本人児童生徒・学生という立場でも
・乳幼児
└ 1:アラブ人向け保育園・幼稚園に通い、家の外では常にエジプト方言で生活する
└ 2:英語メインの各国出身エジプト在住者向けの保育園・幼稚園に通い、エジプト人との会話も多少ある
・小・中・高生
└ 3:エジプト人向けでアラビア語で授業が行われる学校で、家の外ではフスハー学習+エジプト方言会話
└ 4:インターナショナルスクールに通っているが、エジプト人との方言での会話が多少ある
└ 5:日本人学校に通っており、フスハーやエジプト方言には多少触れる程度
・大学生・大学院生
*住まいはアパート/学生寮/エジプト人家庭宅でのホームステイなど。アパート住まいだと家の中でアラビア語を話す機会は基本的に無し。学生寮であればエジプト人とエジプト方言、留学生とは時にフスハーで話すといったアラビア語環境あり。ホームステイだと自然なアーンミーヤ表現を学ぶ機会はあるがフスハー会話の練習には基本的にはならない。
└ 6:日本の大学でアラビア語を専攻、語学学校や家庭教師からフスハーかエジプト方言を教わっている
└ 7:日本の大学でアラビア語を専攻、大学のアーンミーヤ中心講義を聴講、フスハー学習は半ば休止中
└ 8:日本の大学でアラビア語以外の分野を専攻、アラビア語は第二外国語として経験、エジプトでは語学学校や家庭教師からフスハーかエジプト方言を教わっている
└ 9:日本の大学でアラビア語以外の分野を専攻、アラビア語は第二外国語として経験、エジプトでは語学学校や家庭教師からフスハーかエジプト方言を教わっている
└ 10:院生として国立大学に在籍、アーンミーヤ中心講義を聴講したり、日本語や英語などで論文を書いたりしている
└ 11:カイロ・アメリカン大学に在籍、アメ大付属のアラビア語コースに通ってフスハーやアーンミーヤを学んでいる
└ 12:カイロ・アメリカン大学に在籍、英語をメインにしつつアラビア語の文献などを使い専攻の学習・研究をしている
└ 13:交換留学生や聴講生としてではなくエジプトの国立大学に在籍しフスハーでの読み書きとアーンミーヤでの日常会話を行いながら、卒業【小池氏のケース】
などと言った具合に多種多様で、アラビア語習得の過程や身につけるアラビア語の種類が全く異なる「日本でアラビア語を全く学んだことがなく、大学ではフスハーによる読み書きとアーンミーヤによる講義のリスニングや日常会話を行う必要がある20代学生」と比べるべきなのは上記の8・13あたりだと言える。1・2と比べると「幼児にすら劣る」「アラビア語ができる以前の状態」という誤解を誘導すること、また乳幼児が覚えるアラビア語と成人が覚えるアラビア語とでは種類・中身が全く違うので適切な比較になっておらずアラビア語学習や外国語習得という事象を専門的な目で見た場合には不適切となる可能性が大きいものと思われる。

▶日本のメディアで公開されている検証作業はいずれもインターネット上での動画公開が定着して以降に撮影されたアラブ諸国での外交シーンやインタビュー、日本でのイベント時のスピーチ録画などを見て行われている。外国語というものはある程度習得し仕事を請け負うこともある大学院生や研究者であっても帰国した直後から次第に現地でスラスラできていたはずの会話能力が衰え始めたと実感する人が多く、語学経験者だと「ある程度できても、使わないと忘れる」というのは知られた話かと。「良好な成績で卒業し通訳までしていたなら、そんなに簡単に忘れはしない。何十年経ってもフスハーで流暢に話せるはず。」「卒後40年以上経った時点で流暢に話せなければ、20代の学生時代も同じぐらいできなかったということになる。」「今中1レベルだとしたら、当時も中1レベルだったはずなので、大学など卒業できない」というのは語学学習や留学経験を持たない方、語学経験者でも引き続き日常的な使用環境にあるために使わなくなってすっかりスキルが落ちてしまった会話能力に自らショックを受けたことが無い方が持ちやすい感想だとも言い得る。

▶これまでに小池氏のスピーチシーンを収めた複数動画をネイティブに見てもらいスキルの程度を判定させるという検証が度々行われてきたが、ネイティブに見てもらう際に問題となるのは「ネイティブだと外国人元留学生のアラビア語技能が元々アンバランスになりやすいこと、使わなくなるとどんどん衰えていくということをあまり正確に理解していない」「卒業後もアラビア語の使用を続けており、技能があまり衰えていないという前提で見がち」といった点となっている。日本人卒業生の能力検証はエジプト人やアラブ人、そして帰国後も信仰の場面でアラビア語を使い続けるイスラーム教留学経験者の卒後40年とは全く事情が違うことを理解の上で、第二外国語としてのアラビア語教育などに通じておりエジプトの大学から巣立っていった教え子たちが帰国後どうアラビア語を維持しているか/忘れてしまったかを複数ケース見てきたベテランの人物に依頼するのが最も良いものと思われる。

▶「中学1年生レベル」はアラビアの拙さを読者にわかりやすく伝える一方、具体的な根拠を欠いているとともに「40~50年前も中学1年生レベルだった」とミスリードしやすことから、注意が必要だと思われる。当時どの程度アラビア語が話せたのかは、『3日でおぼえるアラビア語』から推測するか、留学時代終盤や日本帰国直後にアラビア語を実際に話しているのを見たことがある人に聞き取りをして回るしか無いとの印象。現在のアラビア語能力はいわばピーク時の能力のごく一部の欠片であるため、残されたわずかなピースから元の完成状態を復元するには母語以外の言語を学習した者が中級以上にまで達した後どの程度忘却するのかといった実例を複数精査して推定していくことが本来は必要だが、そうした検証自体に限界があり、結局は関係者に聞いて回るしかないのでは、との印象。

正則はコーランが基で、アラブのあらゆる国で通じるが、口語は地域限定。口語は、ちょっと地域を離れると、全く通じないという。

▶フスハーとアーンミーヤに関する誤認あり。口語アラビア語はちょっと地域を離れただけならある程度通じ、同じ系統の方言であれば距離が離れていても通じる。アラブの部族民は遊牧生活や飢饉といった色々な理由から移動、色々な国にまたがって暮らしていることが多い。そのような血縁関係を持つ部族に関しては、ヨルダンとサウジアラビアといった違う国に住んでいる同士でも話すアラビア語や衣食住・慣習が似通っている。そのため現在のサウジアラビアからスーダンに移住した部族は今のサウジ人が聞いてもすぐに理解できる方言となっている。またアフリカ北部を横断移住したアラブ系部族民が散在しているマグリブ諸国ではマシュリク諸国のアラブ人が聞き取りやすい方言があり、アルジェリアのアラブ系部族が多い地域の生粋の方言を聞いたサウジアラビアなどのアラブ人たちが「言っていることの大半を聞き取れる」とコメントするといった事例もある。ちょっと離れていて今や別々の国になっているが、近しい関係にあるためマルタ島のマルタ方言を聞いたチュニジア人たちが「ほとんど意味がわかる」と驚いたりも。

▶違う系統の方言だとほぼ理解できないというのは仕事・教育・メディアを通じた相互交流が無かった大昔の時代の話で、「口語は地域限定」という話が百何十年~何十年前の段階の一体いつ頃の古い情報に依拠したものなのか推定が難しい。アラブ世界では100年ほど前にラジオ放送が始まって以降他国の歌謡曲を楽しむということが次第に一般化。レコードやテープの普及とあわせて、エジプトの歌手の熱烈なファンが遠くのイラクなどにもいるという状況を生んだ。映画上映やテレビ放送が普及してからはアラビア半島のアラブ人がエジプトやレバノンの作品を楽しむといったことが常態化していき、衛星テレビチャンネルや各国メディアによるインターネット上での生放送・動画提供が爆発的に増えたこの20~30年の間にそうした傾向が特に強まり、聞くだけなら遠隔地域の方言(ただし理解しやすいよう現地方言丸出しではなくフスハーに多少寄せてある)数種類の基本会話を理解できるというのが普通になっている。汎アラブニュースチャンネルでは各国出身のアナウンサーが口語に担当。特派員はフスハーや自分の方言を混じえながらリポート、各国でのインタビューもマシュリク地方アラブ人が理解できないモロッコ方言等を除き字幕無しで流れされるなど、視聴者がアラブ世界主要地域の方言をある程度聞き分けできることが前提にコンテンツが提供されている。生身のレバノン人に会ったことが無いイエメン人がレバノン方言による連続ドラマを毎週見ているといった事例も多く、「口語は地域限定。口語は、ちょっと地域を離れると、全く通じない」というのはここ50年ほどのアラブ世界におけるアラビア語事情に関する知見を十分に持ち合わせていないという印象を抱かせるものとなってしまっている。

▶文語アラビア語と口語アラビア語との隔絶ぶりを強調したり、口語アラビア語の通じやすさが物理的な距離でのみ決まると記述したりしている点については、執筆者の事実誤認か事実を知った上での脚色のどちらかが原因として考えられるが、いずれの場合であっても読み手の方で「実際には全く異なる状況である」との情報修正が必要な部分となっている。

政治家の演説やニュース、文献には正則が用いられ、口語は一般人が世間話をする際に使われている。

▶政治家の演説は正則アラビア語が多いが、正則アラビア語と口語アラビア語との混合もかなりの割合となっている。場合によっては口語アラビア語のみと様々。政治家の演説がフスハーだけで行われるという解説は、実際に政治演説や国会放送をアラビア語であまり見たことが無いと示唆してしまう部分なので、逆効果だと思われる。

▶「口語は一般人が世間話をする際に使われている」は「ネイティブは公的な場所なら必ずフスハーで話す」という架空設定を強調するあまり口語アラビア語(アーンミーヤ、いわゆる各地の方言)が使われるシーンを極端に狭めて説明しているくだり。口語は部族同士の大規模な会合・調停、宗教行事での追悼詩朗誦、口語詩作品の発表や詩のフェスティバルなど家庭内での会話や世間話という範囲の外にある公の場でも多用されており、アラブ社会においてフスハーとはまた違った形で重要な役割を与えられている。

▶そもそもオスマン朝期には公的な場でのアラビア語使用が制限されたり、イスラーム式寺子屋とは異なるタイプのアラビア語教育を行うアラブ人向け学校の開設が行われていなかったことから、オスマン朝崩壊以前のアラブ諸国ではフスハーの影響力が低下し、アーンミーヤによるコミュニケーションが広く行われている状態だった。口語アラビア語を「一般人が世間話する際に使う」と説明することは、そうした近現代におけるアラビア語の色々な動きをふまえない不正確な説明だとも言える。フスハーがここまで復権したのは近代以降のアラビア語復興運動や近代的公立学校の普及を通じて実現したものであり、フスハーが太古の昔から公的な場で常に覇権を維持してきたと誤解させるような一連検証記事の記述には疑義を呈さざるを得ない。

小池氏は正則アラビア語とエジプト口語をゴチャ混ぜにして話している。そんな話し方をすること自体あり得ない

▶先述の通り、エジプトにおいて正則アラビア語とエジプト口語との混合体(中間体)が色々な混ざり具合で実在するという現状に反している解説。そもそも検証対象の動画でエジプト人インタビュー役の女性イーマーン・アル=アッカード氏や小池氏が日本語で話し始めてからバトンタッチした日本人の通訳官男性もまたフスハーとアーンミーヤ(エジプト方言)を混ぜたアラビア語で話しており、「小池氏のアラビア語だけが文語-口語ちゃんぽんで、彼女のアラビア語だけが際立っておかしい」的な設定にある矛盾を示している形となっている。「学生当時もアラビア語がそこまで得意ではなかったようだ」と推論するのは理解できるが、「正則アラビア語とエジプト口語をごちゃ混ぜに話すなどあり得ない」というくだりはアラビア語関連解説記事を書く立場の人物としては非常に重大な誤解だと言わざるを得ない。

▶アラブ諸国に第3のアラビア語とも呼ばれるフスハーとアーンミーヤのミックス会話が流布していることは昨今のアラビア語学習界隈でもかなり知られるようになってきている話で、アラブメディアを日常的に視聴している人であれば知識人らがわざとフスハーとアーンミーヤを混ぜていることは体感的に理解する現象となっている。それを「あり得ない」と完全否定しているとなると、検証者氏に文語アラビア語と口語アラビア語の関係性について最初に教えた人物が高齢者で小説といった印刷物に口語アラビア語が本格的に進出する前(1900年代前半)の世代の人でその人に教わって以降「実際は混ぜて使う」と情報を上書きしてくれる人がいなかったか、日常的にアラビア語を運用せずアラブ諸国でのアラビア語に関するここ数十年の現状を直接見聞きされていないか、知りながら批判記事作成目的から「そんな話し方をすること自体あり得ない」ことに話を変えてしまわれたかのどちらかになってしまうため、アラビア語に長じた専門家として「正則アラビア語とエジプト口語をゴチャ混ぜにして話している。そんな話し方をすること自体あり得ない」といった都市伝説的な解説を長年にわたり色々なメディアで提供されている理由については大いに謎が残る部分となっている。

日本で6カ月程度勉強したレベル

▶日本で半年アラビア語を学習した人は、たどたどしくても会話をできないのが普通かと。日本で半年初級文法を勉強して「うー」「あー」混じりであっても一応言っていることがなんとなく通じる会話になるというのは、むしろだいぶできる部類に入るとの印象。東京で開催された複数イベントで原稿を読んでいる時は言い淀みが少ないので、もし原稿が発音記号100%ありのアラビア文字テキストだけということであれば意味は完全に理解できていなくとも半年勉強した人よりは音読がスムーズにできている状態。

▶ネイティブのアラブ人で日本人を多数教えた経験が無い場合、非ネイティブの学習者がどのぐらい勉強するとフスハーで会話をできるようになってくるかといったことは正確には判断できず、アーンミーヤが難しいと訴える日本人学習者の悩みを理解するのも難しいことが多い。「日本で6カ月程度勉強したレベル」は日本人学習者の一般的な習熟度に通じていない人物による個人的感想であり、適切な表現でない恐れがやや強いとの印象。

▶卒後かなりの年数が経過した小池氏のアラビア語については、その忘却分も加味した上で、エジプトにて習得できた文語アラビア語と口語アラビア語がどのようなものだったか、どういう部分を間違っているのか、日本人学習者で留学経験のある人物としてどの程度のスキルだと判断すべきか、などを適正に解説でき、かつ文語と口語の両方の事情に通じたアラビア語の日本人専門家に話を聞くのがベストだと思われる。

2024年4月25日号
https://news.yahoo.co.jp/articles/d75f3b226c0ab8e05c68b02e7d4cd24b8c296dad?page=2

アラビア語にはコーランにも用いられる文語と文字にできない口語の2種類がある

▶口語アラビア語が文字で表現できないという説明は誤り。昨今の各国アラブ人たちは普段の日常会話で話している方言をそのままアラビア文字でつづるということを普通に行っており、SNS・動画投稿やコメント類もアラビア文字筆記の口語アラビア語があふれ返っている状態。「文字にできない口語」というくだりは「作家・知識人らがフスハーでない要素にアラビア文字をあてがうことを敬遠していた時代は口語アラビア語の文字化が一般的ではなかった」という昔の状況「文字にしようとしない」が誤解され「文字にできない」となり、かつ口語アラビア語を取り巻く環境がすっかり変わった現在の状況として100年ほど前の状態が持ち出されて説明されたものだった可能性が考えられる。

▶口語アラビア語はアラビア文字でつづることが不可能な言語なのではなく、元々口伝文化だったアラブ世界ではアラビア文字で書くことはフスハー専用だという意識が強かった。近代以前でも方言での語彙に関する記録や一部口語表現を混じえた詩などが書かれるなどしたり、アラビア文字表記に当時の方言における子音の置き換わりが反映されたりしていたことから、口語アラビア語をアラビア文字で記録するという行為自体は、元々物理的・システム的に不可能だという訳ではなかったと言える。

▶本格的な口語アラビア語の筆記がムーブメント化したのはアラブ世界の近代化が始まって以降とされる。アラビア語に関してもラテン文字表記や口語を取り入れた小説の発表など新たな試みが多数なされるなど、状況は大きく変化。エジプトでは1857年にエジプト農村の説話や詩歌を口語表現そのままに掲載した『هزّ القحوف في شرح قصيدة أبي شادوف』が出版された [ ソース ]。また非ネイティブ向けの口語アラビア語教材に関してはラテン文字で転写するといったことも行われた。それまでフスハー文を汚すとして敬遠されていた方言会話の大幅導入という動きは1900年代半ば頃に加速し、エジプトのナギーブ・マフフーズやスーダンのアッ=タイイブ・サーレフといったアラブ世界が誇る文豪らが口語会話を特徴とした作品群を発表した。全編エジプト方言のみで書かれた小説第1号『قنطرة الذي كفر』は1940年代に執筆され、1960年代初頭に発刊。そのため検証者氏がエジプトに留学される前には、フスハー小説のせりふ部分のみとしてだけでなく、小説の全体を口語アラビア語で執筆できることが既に実証済だった形となっている。また、1963年にエジプト国営TVで放送されたエジプト人文豪らの座談会では、フスハーベースの小説に口語会話を混ぜるという行為を出演者らが自らの作品でもそうしていること、書籍における文語と口語の混合が数十年前(つまりは1900年代の早い時期)から続いている議論であること、口語会話を作品に取り入れること自体は西暦800年代に活躍したアル=ジャーヒズも行っており決して新奇ではないことが語られており、口語アラビア語のアラビア文字による表現の歴史自体はかなり長いことがわかる。

▶録音技術や書き残すという習慣が定着していなかった時代の大衆芸能や詩歌はかなりの割合で忘れ去られてしまったが、現代では各地で人気の口語詩がネット上で発表され、文字化されたテキストや本人が朗唱している様子を撮影した動画が拡散され人気を博している。イラクのシーア派追悼詩界隈でも詩の本文、朗誦者による公式ビデオ(音楽のミュージックビデオとほぼ同じ)が有名ポップソング並みの視聴数を獲得するといった、巨大な動きとなっており、口語アラビア語のアラビア文字表記という行為の存在感は非常に大きい。

彼女の文語は初歩的で、文語を話す際にも口語が交ざる。カイロ大を卒業できるレベルでないのは明らか

▶単に文語アラビア語と口語アラビア語を混ぜているだけでは、その人物のアラビア語が初歩的であるとは断定できないので誤解を招く表現かと。実際には中間体(混合体)話者は
・文語アラビア語に極めて堪能
・文語アラビア語はまずまず話せる
・文語アラビア語が苦手で語彙力と文法力が不足しておりフスハー会話を試みるも明らかに無理をしている様子がある
といった様々なケースに分かれるため、それらをふまえた上で本件がどのケースに該当するのか説明してないと日本人読者は「フスハーとアーンミーヤを混ぜて話すのはアラビア語が下手だという証拠に必ずなる」と誤解してしまう恐れがある。

 

(2024年5月 アラビア語関連記事に関する備忘録)

 

3日でおぼえるアラビア語 3日でおぼえるアラビア語
著者:小池 百合子
出版社:学生社