『翻訳できない世界のことば』で紹介されたGURFA(グルファ)の意味や背景

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日本のSNSでも度々取り上げられている『翻訳できない世界のことば』。アラビア語の素敵な言葉が紹介されているとの評価を受けた人気本のため引用も多いですが、本来の姿と違った姿で紹介され独自解釈が広まっているようだったので自習と調べ物メモも兼ねてこちらの記事を書きました。

  1. 要旨~GURFA(グルファ)の意味と使われ方
    1. 意味
    2. 発音と表記
    3. 実際の使われ方
  2. 『翻訳できない世界のことば』での紹介と実際との違い
    1. 『翻訳できない世界のことば』~グルファ
    2. 「グルファ」はアラビア語で多用される「1回分」語形由来
  3. アラビア語単語 غرفة(グルファ) の語形と本来の意味
    1. グルファという語形と響きが意味すること
    2. どんな液体ひとすくい分なのかは前置詞+名詞で明示する
    3. ひとすくい(グルファ)を一度に数回取る時の言い方
    4. グルファの英字表記は GHURFA や GHURFAH が一般的
    5. ガルファとグルファに両手/片手という違いはあるか?
  4. グルファ(液体ひとすくい)は日本語や英語にも訳語がある
    1. 手は道具無しで水や穀類をすくい取ることができる身体部位
    2. 日本語との共通点と訳語
    3. 英語にも訳語がある「グルファ」
    4. ぴったりな訳語があるグルファは『翻訳できない世界のことば』という本の趣旨には合致していない
  5. 実例から見る「グルファ」の実際の分量~手ですくう場合
    1. 実際に片手で水をすくってみると…
    2. クルアーンにおける「グルファ(ひとすくいの水)」
    3. 礼拝前の洗浄手順解説における記述から
  6. 汁物といったおかずのおたま・ひしゃく類1杯分としてのグルファ
    1. 現代の料理レシピにおける「グルファ」はおたま1杯分
    2. 中世の書物における料理1すくい分としての「グルファ」
    3. 料理用おたまのアラビア語名称はグルファと同じ概念から作られた「すくう道具」が由来
  7. 語義とそれが示す動作からの「グルファ」理解
    1. アラビア語と語根
    2. 動画で見る「グルファ」のイメージ~砂漠での脱水死と井戸の話
  8. 水を片手ですくう/両手ですくう動作あれこれ
    1. 水を片手の手の平だけで水を飲むのに意味はある?
    2. すくう動作に似ているけれど…両方の手の平を上に向けるジェスチャーと雨
  9. 現代では「ひとすくい」の意味としては死語で「部屋」の意味に
    1. 「グルファ」は「部屋」の意味に受け取られるのが普通
    2. 水や汁の分量としての意味は古語・死語に近いマイナー用法
  10. ネット投稿で見られるグルファの世界観解釈について
    1. 「手の平で分量を示すことは水が非常に貴重な砂漠特有の発想」は推測部分
    2. 砂漠地帯の面積が広いアラブの地にも井戸や川、降雨量が増える冬がある件は忘れられがち

要旨~GURFA(グルファ)の意味と使われ方

意味

『翻訳できない世界のことば』を通じ水が貴重なアラブ世界ならではの特別な概念と誤解されがちだが、実際には翻訳可能で日本語における「ひとすくい」、英語の handful、scoop、ladleful などに該当。

手やひしゃくといった道具を川・泉・井戸・水道水などに入れてすくい取った水1回分の分量だけでなく、料理用おたまで取った汁料理の1杯分を表したりもする。

『翻訳できない世界のことば』のイラストのように空から降ってきた雨を広げた手の平に集めてためたものはグルファとは呼ばれない。

GURFA(グルファ)はアラビア語によくある動名詞1回分の行為により得られる数量を示す語形で、アラビア語では同じ語形・響きに文字を当てはめて「一飲み分」「ひとさじ分」「薬一服分」といった概念が表される。そのためグルファも砂漠や貴重な水という概念とは無関係に機械的に作られた単語。

アラビア語は全く同じ語形 ◯u△◇a(h) にあてはめた1回分を示す単語が多数あり、素材の形状に応じて異なる「ひとすくい」「片手の平1杯分」が存在し、「砂ひとすくい」「麦ひとすくい」のように表現。グルファはそうしたシリーズの一つで水や汁物を手や道具ですくい取った時に使う表現であるだけだったはずが、翻訳の難しい単語として「砂漠ならではの発想」「たったひとすくいの水を大事に飲む」という解釈をつけられてしまったものだったりする。

本来GHURFAやGHURFAHと当て字をするものが文語アラビア語に存在しないG音表記に置き換わったもの。何回も繰り返しすくった場合は2グルファ、3グルファと数える。中身が水でないこともあるので別途修飾語を足して「水1グルファ」「だし汁1グルファ」と明記したりできるが、グルファが「部屋」という意味でばかり使われている現代アラブ世界では死語同然となっている。

なお「水が貴重な砂漠ならではの言葉」などは「翻訳できない言葉を扱った本に載っているということはアラビア語にしか存在しない表現だ」という誤解から生まれた推測・想像の結果で、実際には各国語に同等表現があるごく普通の言葉。

発音と表記

より厳密な英字表記は GHURFA(ghurfa)もしくは GHURFAH(ghurfah)。「g」で表すガ・ギ・グの音は文語アラビア語には無くグルファの1文字目はもっとこすれた音が出る子音「gh」( غ [ ghayn/ghain ] [ ガイン ] )であるため。

『翻訳できない世界のことば』では本来の英字表記「GHURFA(ghurfa)」の先頭に含まれるアルファベット「gh」から「h」を抜いて GURFA としてある。

実際の使われ方

「グルファ」自体は千数百年前には既にあった語で、クルアーン(コーラン)では喉が渇いた時に川から手ですくって飲んだ1杯分として登場。当時水は容器で飲むよりも素手で飲んだ方がきれいで良いなどと言われており、河川や砂漠・荒野に点在する井戸・泉などで水を飲む時の動作を表現するのに使われていた。

中世の書物では汁物・おかずをよそう時の1杯分として出てきたりする。イスラームの精神である貧者への施しとして1人がある程度満足できる分量が「1グルファ」として登場するなどする。なお度量衡として定められた計量単位ではないので1グルファ=◯◯mlのような決まりは無い。

今のアラブ世界では「片手ひとすくい」は別の言い回しに置き換わっており、グルファはもっぱら「部屋」「室」「(商工などの)会議所」の意味。「ひとすくい」の意味としては日常生活で使われない死語となっており、礼拝前の洗浄時に口うがい・鼻うがいをするために水道などから右手で受ける1回分として宗教書に載っている程度のマイナー用法。グルファと聞けば100%のアラブ人が「部屋」を思い浮かべると言っても差し支えない。

『翻訳できない世界のことば』での紹介と実際との違い

『翻訳できない世界のことば』~グルファ

ネットの記事やSNSの投稿で定期的に話題になる「ヤーアブルニー」とともに日本で紹介されたグルファ。

翻訳できない世界のことば

著者:エラ・フランシス・サンダース
翻訳:前田 まゆみ
出版社:創元社
『翻訳できない世界のことば』

この本では「GURFA(グルファ)」(文語アラビア語にはG音が無いので正確にはGHURFAです)という言葉が「片方の手の平にのせられるだけの水の量。」「水の測り方としてははっきりしない量です。」として紹介され、広げた手の平にほんの少しだけの雨水がたまっているイラストが描かれています。

本のイラストが原因でグルファを「空から降ってきた雨を広げた手の平で集めることでためられた水分量」だと覚えておられる方が多いようなのですが、手の平にたまった水であればすくい取る動作をしなくてもグルファになると誤解をした作者さんが描かれたイラストが原因で広まった誤解になります。

アラビア語では「すくう動作の一回分」「ひとすくい」という意味の翻訳容易な単純表現で、湖・池・川・泉・水道・汁料理などから手や器具を使って一気にすくって取ったものだけがグルファと呼ばれます。

なお左側ページに「はっきりしない量だけれども海辺で砂の城の周りにお堀を作るとなると意味をなす」といった説明文が書かれていますが、これは作者さんが考えたシチュエーションでありアラビア語のグルファの定義・概念とは無関係です。

「グルファ」はアラビア語で多用される「1回分」語形由来

「手の平にたまった(雨)水の量」ではなく「水やスープがいっぱいあるところに手やおたま・ひしゃく・スプーンを入れて取ったひとすくい」

本には「片方の手の平にのせられるだけの水の量。」とありイラストでも降っている雨を手の平にためている絵柄になっていますが、これは語義に関して誤解を招く説明の仕方で実際のグルファはたくさん集まっている水たまりに手・容器・食器をつっこんですくい取ることを表します。

グルファ自体は特別な語でもなんでもなく日本語にもある「掬う(すくう)」動作を1回行った際に取れる分量を表すもので、特定の語形に動詞の概念を機械的にあてはめて作っただけの単純な名詞です。

海・川・池・泉・井戸など水の集まっている場所やできあがった料理の入っている鍋などに素手、容器(ひしゃく、おたま)、食器(スプーン)等をつっこんですくい取った時の水や煮汁1回分の量を表す「ひとすくい」なので、概念としても英語や日本語と全く同じです。

日数をかけて多数の辞書や文献で確認しましたが「広げた手の平にほんの少したまった貴重な水」といった含みは無く、ごく単純に「ひとすくい」「1杯」という意味合いしか見出せないような使われ方ばかりでした。

「水が貴重な砂漠の国アラビア特有の概念・表現」という背景は無い

日本ではこの『翻訳できない世界のことば』を通じてグルファという語を知り「水がふんだんにある日本ではあり得ない言葉だ」「水が貴重な砂漠の国特有の発想だ」と感動された方も結構いらっしゃるようなのですが、そのような事実は特にありません。

日本語の「ひとすくい」が「水資源にあふれ、いちいち厳密な分量を気にせず使いたい放題な日本特有の表現」という特別なストーリーを秘めていないのと同じく、アラビア語のグルファももっと単純な言葉となっています。

グルファという語の元になっている動詞自体、アラビア語よりも先に使われていた周辺地域の同族言語であるアッカド語・アラム語・シリア語・ヘブライ語といった先に使われていた近縁言語から引き継いだ جَرَفَ [ jarafa ] [ ジャラファ ](押し流す;かき出す)から派生したとされており、”中東でも特に渇水に苦しんできた民族”という先入観を持たれがちなアラブ人独自の概念・動作から誕生した語ではないことが確認可能です。(詳しくは  Johann Buxtorf、Bernh Fischer 著 『Lexicon Chaldaicum, Talmudicum et Rabbinicum』第1巻 p.246を参照のこと。)

翻訳できない外国語表現として紹介されたことにより「アラビア半島砂漠ならではの言葉」というエキゾチックなイメージに基づく想像による解説が生まれ「水が貴重な地域特有」「降雨が少ない土地で片手に乗せることができたごく少量の水」「やっと手に入れたわずかな水を大切そうに飲む砂漠の民」というストーリーが付加されていきましたが、それらは全てアラブ世界では出回っていない解釈で海外で作られた解説となっています。

アラビア語はアラビア語で突然生まれた単語というのは実は多くなく、同じセム系の言語であるアッカド語、アラム語、シリア語、ヘブライ語などから引き継いだか、地域的に近く人の往来があった地域であるギリシア語、ペルシア語由来の外来語が多数含まれサンスクリット語起源の語すらあるなど、「アラビア語=アラビア半島だけのオリジナル」という考察はアラビア語やアラブ世界について詳しくない非ネイティブの人々による固定観念や誤解から生じている部分がかなりあると言わざるを得ないです。

アラビア語の辞典・書籍にも

  • 渇水、水不足の中手で飲み水をかき集める
  • ごくわずかな水を意味する

といった描写はされておらず、むしろ実際のアラビア語の資料・辞典・専門書では

  • 川・井戸・海・容器の中のため水のような大量の水がある場所からすくい取る時に用いられている
  • 飲用にできる真水かどうかは問わないため、海の塩水や鍋のスープを手や道具ですくったものもグルファと呼ばれる
  • きれいな水でも汚い水でも手やひしゃくなどですくえばグルファとなるので、宗教書には「便所の水」をすくい取るといった描写も出てくる
  • [ 典型的な用例:イスラームの聖典クルアーンに登場する川で皆が水を飲むシーン ]
  • 手に取った水以外の水が無い状況で使っている事例が見られない
  • すくい取る動作をして手に取った水でなければグルファとは呼ばない [ ソース ]
  • 渇水や水不足に悩まされていたアラブならではの環境から生まれた特殊な語であることを示す記述・考察は存在せず、むしろアラビア語にある動詞に含まれる文字列を特定の語形に当てはめて作っただけの単純な由来である

ことが示されており、水に乏しい砂漠環境で生まれた言葉だという話は全く出回っていません。

したがって、翻訳できない外国語表現紹介で登場するような「雨水を手で受ける」「一定量の水すら手に入らない状況でなんとか手のひらにかき集めて入れた」といった描写は十中八九欧米で紹介されてから付け加えられた創作ストーリーであることが推察可能です。

海外での紹介記事では「砂漠」=「飲み水が無い、渇水」というイメージが強いせいか、人が飲める真水を必死で手に集めるイメージが強めで、アラビア半島を取り囲む海に行けばグルファと呼べるような量は取りたい放題であったという環境が想定されていないように見受けられるものが多いとの印象です。

しかし上でも挙げたように海水でも汚れた水でもすくい取ればその1回分は「グルファ」と呼べるので、グルファという語の生まれた経緯を「アラビア半島という貴重な真水の飲み水を大切にする環境ゆえ」とするのは、非ネイティブによる余剰ストーリーの付加でしかないと断定して差し支えないように思います。

アラブの文学や古い記録などにもアラブ人たちが水場を求めてさまよったり当てにしていた水場が干上がっていてた困り果てるといった喉の乾きにまつわる描写は多数残されているのですが、グルファという語がアラビア半島における乾燥環境を結晶化したものだと裏付けるような情報があるというわけでもなく、欧米など諸外国で作られたグルファ関連考察・設定・世界観を補強することは難しいというのが現状です。

アラブ圏でのグルファの使われ方は日本での手水と似た動作を示すのに使われている

現代では「部屋」という意味でばかり使われるため「ひとすくい」という意味ではもう死語になっている「グルファ」。それが今でも見られるのが礼拝前の水によるお浄めの指示書の記述なのですが、神社参拝時の手水の際に水を受ける手の仕草とそっくりだったりします。

巫女さんが手本として丸めた手で柄杓の水を受けて口に含んでいますが、この動作で口に入ったりする1回分の分量、それが「グルファ」です。

イスラームの礼拝前にも体を清めるために口や鼻のうがいを行い、上の動画と同じような手段ですくい取って「1グルファ」「2グルファ」…と使用する規定になっています。

アラビア語単語 غرفة(グルファ) の語形と本来の意味

グルファという語形と響きが意味すること

日常生活で多用される「ひと◯◯◯、1回分」

グルファは「ひとすくいの水」という面白い表現なので注目された形ですが、元々アラビア語には動詞に由来する動名詞に ـة(ター・マルブータ。名詞の男性形を女性形にしたり、集合名詞の1個分や動作の1回分を表示するといった複数の機能があります。)を付加して1回分行うことを示すという文法があります。

「たたく」の1回分「一打ち、一たたき」、「飲む」の1回分「一飲み」、「なめる」の1回分「一なめ」など日常表現でも数多く使われており、英語の同族目的語に相当する構文にも利用されています。

アラビア語は

  • 動作1回分を表す語形:◯a△◇a(h)
    *動作1回分で得られる量として使うことも多いです
  • 動作1回分で得られる量を示す語形: ◯u△◇a(h)

にあてはめた1回分を示す単語が多数あるのですが、素材の形状に応じて異なる「ひとすくい」「片手の平1杯分」が存在し、「砂ひとすくい」「麦ひとすくい」のように表現。

「ひとすくい」「片手1杯分」を意味するシリーズは

  • غُرْفَة
    [ ghurfa(h) ] [ グルファ ]
    【名詞・上の動作1回分で得られる量を示す語形・女性扱い】
    غَرَفَ [ gharafa ] [ ガラファ ](水などを手を使ってすくい取る、水などを手やひしゃくを使ってすくい取る;水やスープをすくって口にする)行為1回分から得られた分量
  • حَفْنَةٌ
    [ ḥafna(h) ] [ ハフナ ]
    【名詞・動名詞に1回分であることを意味する ة を足したもの・女性扱い / 名詞・上の動作1回分で得られる量としても使用】
    (麦・ナツメヤシの実・砂・銀貨などを)(片手もしくは両手の平で)すくう行為の1回分(から得られた分量);少数、少人数、小集団
  • حُفْنَةٌ
    [ ḥufna(h) ] [ フフナ ]
    【名詞・上の動作1回分で得られる量を示す語形・女性扱い】
    (麦・ナツメヤシの実・砂・銀貨などを)(片手もしくは両手の平で)すくう行為1回分から得られた分量
    *1すくい量としての意味ではあまり使われない模様。上のハフナの方がメジャーとの印象。
  • كَبْشَةٌ
    [ kabsha(h) ] [ カブシャ ]
    【名詞・動名詞に1回分であることを意味する ة を足したもの・女性扱い / 名詞・上の動作1回分で得られる量としても使用】
    (片手の平で取った)(米や豆などの)ひと握り、ひとつかみ1回分(から得られた分量);鍋から料理をすくい取る金属製ないしは木製の器具
  • كَمْشَة
    [ kamsha(h) ] [ カムシャ ]
    【名詞・動名詞に1回分であることを意味する ة を足したもの・女性扱い / 名詞・上の動作1回分で得られる量としても使用】
    (片手の平で取った)(米やナッツなどの)ひと握り、ひとつかみ1回分(から得られた分量)
  • قَبْضَةٌ
    [ qabḍa(h) ] [ カブダ ]
    【名詞・動名詞に1回分であることを意味する ة を足したもの・女性扱い / 名詞・上の動作1回分で得られる量としても使用】
    (片手で取った)(金・ナツメヤシの実・砂・塩などの)ひと握り、ひとつかみ1回分(から得られた分量)
  • قُبْضَةٌ
    [ qubḍa(h) ] [ クブダ ]
    【名詞・動名詞に1回分であることを意味する ة を足したもの・女性扱い】
    (片手で取った)(金・ナツメヤシの実・砂・塩などの)ひと握り、ひとつかみ1回分から得られた分量

のように何種類もあり、グルファはそうしたシリーズの一つに過ぎず水や汁物を手や道具ですくい取った時に使うシンプルな日常表現であるだけだったはずなのですが、欧米で翻訳の難しい単語として広められているうちに「砂漠ならではの発想」「たったひとすくいの水を大事に飲む」というアラビアンなエキゾチックさを加味した解釈をつけられていきアラビア半島の砂漠気候が生み出した言葉の結晶のような扱いをされるまでに至ったように見受けられました。

グルファという語の成り立ち

غُرْفَة [ ghurfa(h) ] [ グルファ ] も

  • غَرَفَ
    [ gharafa ] [ ガラファ ]
    【動詞・完了形】
    水などを手を使ってすくい取る、水などを手やひしゃくを使ってすくい取る;水やスープをすくって口にする;おたまでおかず・料理をすくい取る
    *飲料水としてこの1回分で足りない場合は、数回繰り返して数グルファ分飲むことになります。
  • غَرْف
    [ gharf  ] [ ガルフ ]
    【動名詞・男性扱い】
    غَرَفَ [ gharafa ] [ ガラファ ](水などを手を使ってすくい取る、水などを手やひしゃくを使ってすくい取る;水やスープをすくって口にする)すること
  • غَرْفَة
    [ gharfa(h) ] [ ガルファ ]
    【名詞・上の動名詞に1回分であることを意味する ة を足したもの・女性扱い】
    غَرَفَ [ gharafa ] [ ガラファ ](水などを手を使ってすくい取る、水などを手やひしゃくを使ってすくい取る;水やスープをすくって口にする)行為の1回分
  • غُرْفَة
    [ ghurfa(h) ] [ グルファ ]
    【名詞・上の動作1回分で得られる量を示す語形・女性扱い】
    غَرَفَ [ gharafa ] [ ガラファ ](水などを手を使ってすくい取る、水などを手やひしゃくを使ってすくい取る;水やスープをすくって口にする)行為1回分から得られた分量
    *文語的な発音は [ ghurfah ] [ グルファフとグルファハの中間に聞こえ、最期の h を聞こえるか聞こえないかぐらいの音でそっと添えます。しかし現代アラビア語では単に [ ghurfa ] [ グルファ ] と読むのが一般的になっています。

と語形を型に当てはめて得られる分量表現語形が由来となっています。

そのためアラビア語のソースを当たっても「グルファは砂漠ならではの環境が生んだ」「水を大切にする思いが生んだ」といった説明文は一切見られません。

日常生活でよく使うこの類の語形としては

  • جَرَعَ
    [ jara‘a ] [ ジャラア ]
    【動詞・完了形】飲み込む
  • جَرْعَة
    [ jar‘a(h) ] [ ジャルア ]
    【名詞・女性扱い】جَرَعَ [ jara‘a ] [ ジャラア ](飲み込む)行為の1回分、一飲み
  • جُرْعَة
    [ jur‘a(h) ] [ ジュルア ]
    【名詞・女性扱い】جَرَعَ [ jara‘a ] [ ジャラア ](飲み込む)行為1回分から得られる分量、(水などの)一飲み分、薬の一服分

が挙げられるのですが、【動詞】ガラファ – 【動作1回分】ガルファ – 【動作1回分の量】グルファと全く同じ文法が適用されているため聞いた時のリズム・響きが似ています。

アラビア語ではこのように動作1回と1回分の分量を示す語形があり普通に日々の生活で使われています。そのためグルファは乾燥した砂漠特有の環境を反映しているというよりはアラビア語にある回数表現文法の一例として扱うべきケースであるように思われます。

どんな液体ひとすくい分なのかは前置詞+名詞で明示する

辞書の定義を見てもわかる通り、水以外の液体ひとすくい分を意味することもあれば道具のひしゃくやおたま・ひしゃくですくった水や汁のこともあるので「貴重な水を表現するためだけに考え出された砂漠の国アラビア語特有の名詞」とは違っています。

そのため何の一すくい分なのかを明示するために前置詞を使って「~の一すくい分」と表すことが行われています。

  • غٌرْفَةٌ مِنْ مَاءٍ
    [ ghurfa(tun/h) min mā’(in) ] [ グルファ(トゥン)・ミン・マー(ッ/イン) ]
    水の1グルファ、水の一すくい分
  • غٌرْفَةٌ مِنَ الْمَاءِ
    [ ghurfa(tun/h) minal-l mā’(i) ] [ グルファ(トゥン)・ミナ・ル=マー(ッ/イ) ]
    水の1グルファ、水の一すくい分
    *「水」を意味する名詞に定冠詞をつけた場合。上と特に区別はされていない。

ひとすくい(グルファ)を一度に数回取る時の言い方

1回分の時は数詞「1」は不要

アラビア語では数が1と2の時は「1個」「2個」のように数詞をわざわざ使って数を表すことは不要です。そのため غُرْفَة [ ghurfa(h) ] [ グルファ ] のみですくい取りによって得られた液体の量が1回分であることを表せます。

2回分の時は総数語形を使う

アラビア語ではこの غُرْفَة [ ghurfa(h) ] [ グルファ ] が2回分であること、つまりは「手の平で水を2回すくっただけの分量;スープなどをすくった2回分の量」を表す言い回しも一応存在するようでイスラーム法学書に載っているのを見つけました。

それが1回分 غُرْفَة [ ghurfa(h) ] [ グルファ ] の倍を表す双数という語形に変えた

  • غُرْفَتَانِ
    [ ghurfatān(i) ] [ グルファターン(語末母音まで全部読む場合はグルファターニ) ]
    【名詞・双数形・主格】2グルファ、2すくい分

    • غُرْفَتَيْنِ
      [ ghurfatayn(i) / ghurfatain(i) ] [ グルファタイン(語末母音まで全部読む場合はグルファタイニ) ]
      【名詞・双数形・属格(≒所有格)+対格(≒目的格)】2グルファ、2すくい分
      *上の語を文中の役割に応じて変形させたもの。

です。

アラビア語では 同様に「二叩き、2回叩くこと」「二飲み、薬の2服分」といった表現がこの双数によって表されます。薬の場合は上に出てきた単語を2倍を示す双数に変え「ジュルアターン(/ジュルアターニ)」(2ジュルア)で薬の2服分を表現します。

双数形を使っているので1の時と同様わざわざ数詞の2を足して「2グルファ」「2ジュルア」のようにせず双数形1語のみで「2◯◯」であることが示されます。

ただ上の غُرْفَتَانِ [ ghurfatān(i) ] [ グルファターン(語末母音まで全部読む場合はグルファターニ) ] はグルファ以上に一般では使わない表現らしく、調べてもイスラーム法学書におけるウドゥー(礼拝前のお清め、洗浄)用水や料理レシピのおたま2杯分といった以外で使用されている例はほぼ見かけませんでした。日常会話とは縁の無い言葉だと言っても差し支え無さそうです。

「3すくい分(3グルファ)」以上の水などはグルファの複数形に回数分の数詞を合わせる

アラビア語では1回分もしくは1回分に相当する分量が単数として表現され、それが2回分あることは双数で示されます。

そして3回分以上は複数形 غُرْفَة [ ghurfa(h) ] [ グルファ ] の複数形 غُرُْفَاتٌ [ ghur(u)fāt ] [ グルファート ] もしくは غِرَافٌ [ ghirāf ] [ ギラーフ ] と数詞(3~)を組み合わせて表現します。複数の法学書で確認したところ以下の2パターンがありました。

  • ثَلَاثُ غِرَافٍ مِنَ الْمَاءِ
    [ thalāth(u) ghirāf(in) minal-l mā’(i) ] [ サラース・ギラーフ(ィン)・ミナ・ル=マー(ッ/イ) ]
    水の3グルファ、水の三すくい分
    *1グルファ分すくい取ることを3回繰り返すという意味合いに理解できる表現です。
  • ثَلَاثُ غُرُْفَاتٍ مِنَ الْمَاءِ
    [ thalāth(u) ghur(u)fāt(in) minal-l mā’(i) ] [ サラース・グルファート(/グルファーティン)・ミナ・ル=マー(ッ/イ) ]
    水の3グルファ、水の三すくい分
    *1グルファ分すくい取ることを3回繰り返すという意味合いに理解できる表現です。

理論上は同様にして4、5、6…の数詞と組み合わせることで4グルファ分、5グルファ分、6グルファ分と増やしていくことができます。

またこのような表現については「探せばあることにはあるけれどもイスラーム法学書に載っているのがやっと見つかった程度で、日常生活で使っている感じがしない」レベルの登場頻度となっています。

今はもう別の言い回しに置き換わっており、

  • 片手1杯分の水
    كَفّ مِنَ الْمَاءِ
    [ kaff mina-l-mā’ ] [ カッフ・ミナ・ル=マー(ッ) ]
    (片手の平の水)
  • 両手1杯分の水
    كَفَّانِ مِنَ الْمَاءِ
    [ kaffān(i) mina-l-mā’ ] [ カッファーン(/カッファーニ)・ミナ・ル=マー(ッ) ]
    (両手の平の水)

の方が一般的になっています。

固形物の「ひとすくい」「片手の平1杯分」

水や汁物といった液体とは別に固形物を手で1すくいした時の表現も別に存在しています。

  • حَفَنَ
    [ ḥafana ] [ ハファナ ]
    【動詞・完了形】(片手もしくは両手の平で)すくう
  • حَفْن
    [ ḥafn ] [ ハフン ]
    【動名詞】(片手もしくは両手の平で)すくうこと
  • حَفْنَةٌ
    [ ḥafna(h) ] [ ハフナ ]
    【名詞・動名詞に1回分であることを意味する ة を足したもの・女性扱い】
    حَفَنَ [ ḥafana ] [ ハファナ ](片手もしくは両手の平で)すくう行為の1回分(から得られた分量);少数、少人数、小集団
  • حُفْنَةٌ
    [ ḥufna(h) ] [ フフナ ]
    【名詞・上の動作1回分で得られる量を示す語形・女性扱い】
    حَفَنَ [ ḥafana ] [ ハファナ ](片手もしくは両手の平で)すくう行為1回分から得られた分量
    *1すくい量としての意味ではあまり使われない模様。上のハフナの方がメジャーとの印象。

グルファ同様古くから使われていた語で、グルファが水や汁物の1すくい分を示すのに対しハフナは小麦粉のような乾燥した物・食べ物の1すくい分を意味。

なおグルファと違ってハフナとフフナの区別ははっきりしていないようで同じ意味として載っているか、1すくい分という意味でハフナのみ載っているとの印象です。液体の1すくいがグルファという語形を多用する一方、麦・粉といった固形物の1すくいはハフナという語形が主に用いられている模様です。

グルファの英字表記は GHURFA や GHURFAH が一般的

アラビア語ではGではなくGh

本では「GURFA」になっていますが、アラビア語アルファベット表には英語の get や go の「g」の音を表す文字がありません。これは古代発音である英語の go や get と同じ g 音が英語の jet や joy と同じ j 音に置き換わってしまい g 音が文語アラビア語文語から消失したためです。

人名については gh 部分を音が似ている g で置き換えて済ませるアラブ人名英字表記もありますが、グルファのように固有名詞ではないただの名詞の場合はより厳密な GHURFA もしくは GHURFAH が一般的に使われておりアラビア語界隈的にも適切だと言えます。

日本語では全く同じ「グ」となってしまいますがアラビア語では gh と g の音は全くの別物です。アラビア語では文語(フスハー)からは「g」の音が消えてしまいましたが口語(アーンミーヤ)では各地に存在し j / k / q 音からの置き換わりとして発音されています。

GURFA だと جُرْفَة [ jurfa(h) ] [ ジュルファ ](ラクダの太もももしくは体につける目印。太ももの皮を剥ぎ取ることによって行う。辞書によってはジュルファ印をつけた後に屠殺すると書いてあるものも。)という文語単語を j の g 化があるエジプト・イエメン・オマーン一部地域の人が音読した時の発音 [ gurfa(h) ] [ グルファ ] と全く同じになります。

このような単語を日常生活で使う人などほぼいないので多少発音が違っても意味を勘違いされる可能性はありませんが、GURFA という英字表記は人によってはジュルファと読む場合があり得ること、アラビア語では gh と g が別物ということで、ネーミングに使う場合は誰が見てもすぐにわかる GHURFA もしくは GHURFAH に修正してからがおすすめかもしれません。

なお -A と -AH はアラビア語単語の語末発音方法にからんだ英字表記の揺れによるものですが、現代アラビア語日常会話では h 部分を音に出さない黙字的な扱いをする読み方が優勢的なので「Ghurfah」でも「Ghurfa」でも [ ghurfa ] [ グルファ ] という同じ発音をするものとして覚えてしまっても構わないと理解して差し支えないです。

『翻訳できない世界のことば』でGHURFAではなくGURFA表記だった理由

英語圏で出版された書籍ではアラビア語単語のグルファがひとすくいの水として紹介されたのはこれが初めてではありません。

『翻訳できない世界のことば』原作出版よりも前の2006年に刊行されたAdam Jacot de Boinod著『The Meaning of Tingo』では「gurfa (Arabic) the amount of water scooped up in one hand」として登場。

さらに前の1989年刊行であるJack Sasson著『Ruth: A New Translation With a Philological Commentary And a Formalist-folklorist Interpretation』では「Arabic gurfa , ” a handful of water , “」として登場、ここでもやはり「gurfa」という英字表記が取られており、『翻訳できない世界のことば』著者さんが参考にされた元ネタ自体がそのような当て字をしていたことが原因だったものと思われます。

ガルファとグルファに両手/片手という違いはあるか?

ネット記事で紹介されている「ガルファは両手、グルファは片手ですくい取った水の量」という解説について

ネット記事では「アラビア語で Gharfa(Gharfah)(ガルファ)は両手ですくい取った水の量で、Ghurfa(Ghurfah、またGurfaやGurfahとつづりをかえてあることも)(グルファ)は片手で水をすくい取った時の量という違いがある」と書かれていることがあります。

*「この登山のあいだ、とても喉が渇いたので川から3ガルファを飲みました。」という例文が添えられていたりもするのですが、この表現の紹介をするために作文されたという印象です。アラビア語では「3グルファ/3ガルファ(=3すくい)の水を飲みました」という言い回しはもうほとんど使われなくなっており、ネットやSNSで検索しても出てきませんしアラブ系メディアで耳にすることもまず無いです。

通常、アラビア語の辞典には単に「手を使って( بِالْيَدِ [ bi-l-yad ] [ ビ・ル=ヤド] )水をすくい取ること;手を使ってすくい取った分」と書いてあるだけで、片手で( بِالْكَفِّ [ bi-l-kaff ] [ ビ・ル=カッフ] )はなく両手を使う( بِالْكَفَّيْنِ [ bi-l-kaffayn(i)/kaffain(i) ] [ ビ・ル=カッファイン(/カッファイニ) ] )ということが示された記述は見当たりません。

「ガルファが両手1杯分でグルファが片手1杯分」というアラビア語単語紹介ネット記事の内容はちょっと不正確な部分があるので、ここで専門的な著作で内容をチェックしてみたいと思います。

専門家らによる解釈は分かれている

「ガルファとグルファに違いはあるのか?」「両手なのか片手なのか?」についてはこの語がクルアーン(コーラン)に出てくることからイスラーム専門家らによって詳しい解釈が行われてきました。

クルアーンの場合は同様の意味に解釈するにもかかわらずガルファと読む流派とグルファと読む流派がありどちらも正解だという扱いになっています。しかし実際に意味に違いがあるのかといった部分に関しては意見が分かれており

  • 通常解釈:
    文法的にはガルファは手(や道具)ですくう行為自体を表す動名詞、グルファは手(や道具)ですくって取られた分量という違いがある。ガルファはすくうという動作そのもの、グルファはすくって口に入れる水の方。
  • 一部意見:
    ガルファが片手で水をすくい取る行為、グルファが両手で水をすくい取る行為という違いがある。
  • 一部意見:
    どちらも全く意味。部族方言の差などによる誤差に過ぎず、読み方が何通りも存在する状況が許容されているだけ。グルファでもガルファでも違いは無い。

ガルファとグルファという発音の違いが両手か片手かの違いを表すというのは全員一致した見解ではなく一部の学者によるクルアーン(コーラン)の解釈の違いであることがうかがえます。

しかしアラビア語資料を見てみるとネット記事とは対応関係が真逆で

  • ネット記事の解説:
    ガルファは両手、グルファは片手
  • アラビア語による一部専門家らの解釈:
    ガルファは片手、グルファは両手

となっていることが判明しました。なので「ガルファは両手ですくった水、グルファは片手ですくった水」は英語圏や日本で紹介されるまでの過程で何らかの手違いがあったものと思われます。

グルファ(液体ひとすくい)は日本語や英語にも訳語がある

『翻訳できない世界のことば』を読んで「水が貴重な砂漠の世界の言葉アラビア語特有の表現で、日本には存在しない」という感想を抱いた方が多いようなのですが、実際には英語にも日本語にも全く同じ発想の訳語があります。

手は道具無しで水や穀類をすくい取ることができる身体部位

「水のひとすくい」という意味のグルファは千数百年前に下されたクルアーンにも出てくる表現です。現代人もそうですが屋外の川・泉・井戸水をいちいちコップを使って飲むとは限らないため、「手ですくった水」というのはごく当然の表現だったはずです。

日本でもハイキングに行った際川や湧き水に手を入れてすくって「冷たくて気持ちいいなあ」とやると思うのですが、動詞のガラファがそれを行うこと・動名詞がガルフ・その1回分がガルファ・その1回分の量がグルファというアラビア語的な言い回しが日本語と違うだけで概念としては全く同じです。

人間が道具を使わず水をすくえるのは手なので「ひとすくい」という表現は世界各地で共通であり、アラブ世界特有の言い回しであるということはあり得ないように思います。

日本語との共通点と訳語

日本で使われてきた「升」は手ですくい取った分量が起源

日本でも昔は人の体の部位が長さの単位になったりしていましたが、アラブ圏でも同様でした。

日本では今でも分量を示す単位として「升」が使われていますが、この升の由来が「両手ですくえるだけの分量」だったのだとか。日本の「升」は当初の10倍ぐらいの量を指すようになってしまっているとのことで、元々は200ml程度だったようです。

ただグルファについては度量衡に取り入れられておらず「1グルファ=◯◯ml」のような規定はありません。『翻訳できない世界のことば』には「水の測り方としてははっきりしない量です。」とありますが計量単位ではないのではっきりしない言い方でも不思議は無いです。これについては日本語の「ひとすくい」や英語の「handful」や「scoop」が何mlと決められていないのと全く同じです。

日本語にも訳語がある「グルファ」

日本語での訳は「1すくい」「1杯」

日本語では「掬う(すくう)」という動詞は「手(片手もしくは両手の手の平)やさじなど凹んだもので水や粉末を取る」ことを指しますが、アラビア語のグルファも「手やひしゃくで水や汁などをすくい取る動作1回分、グルファはその動作1回分から得られる分量」を示しており概念・定義が一致しています。

従ってグルファの日本語訳は簡潔に

  • 片手ですくった水1杯分なら「1すくい」
  • おたまですくった汁1杯分なら「1杯」

で、特にそれ以上の含みはありません。

グルファが「少ない、ごくわずか」の代名詞だという辞書での定義は特に無し

日本語の紹介記事によっては「グルファは感覚的に少ない量であることを意味する」とありますが、辞書には「ひとすくいの水」に「ごく少量であること」という定義までは添えられておらず、実際の使われ方からは「ちょびっとしか」というニュアンスは汲み取れません。

近所にシチューをおすそ分けする時の「1グルファ」などは空腹を十分満たせるだけの1杯分であることが読み取れ、「あ、これ少ない。けっちいなあ。」と思わせるようなちびっとした少量ではなく、生活が苦しい人々がもらって喜ぶぐらいのボリュームであると理解すべき文脈になっているなどします。

「グルファ」は単に1杯分という意味での用いられ方が一般的であり、数詞と組み合わせて1すくい、2すくい…とカウントしていくごく普通の表現だと言うべきかと思われます。

英語にも訳語がある「グルファ」

アラビア語の「グルファ」ですが、日本語の「一すくい」と全く同じことを意味しています。そして著者の方の母語である英語にも対応する訳語が存在します。

  • 片手ですくった水1杯分なら「handful」「scoop」
  • おたまですくった汁1杯分なら「ladleful」
  • スプーンですくったスープ1杯分なら「spoonful」

英語にもこうして「handful of water」「scoop of water」「ladleful of broth」「spoonful of soup」という「グルファ」に相当する handful、scoop、ladleful、spoonful があるのでアラビア語だけの特別な言い回しだとすぐに結論づけるのは避けた方が良いように思います。

ぴったりな訳語があるグルファは『翻訳できない世界のことば』という本の趣旨には合致していない

「片方の手の平にのせられるだけの水の量。」という説明だと何か大切で特別な水であるような感じがしますが、これは本における言い回しがそのようになっているだけでグルファは純粋に「ひとすくい」です。

あなたが私を葬って」と違い外国語に翻訳しづらい語ということはなく、アラビア語-英語辞典でも普通に訳語が簡潔な形で載っています。なので翻訳できない言葉を集めた本の趣旨にはそぐわない非常に単純な名詞だと思います。

著者の方はそうした点を考慮に入れずご自分の母語である英語に対応する訳語があることにも気付かないまま「砂漠の国ならではのとても珍しい表現だ」「きっと翻訳から漏れた素敵なストーリーがあるはずだ」と感じて本に掲載されたように感じられます。

19歳の大学生時代に描かれた作品が元になってできた絵本だとのことなので、そもそもアラビア語情報のソースとして引用したり細かい正確さをあれこれ要求したりする類の本ではなく「こういうのって素敵だなと思って描いてみました」系エッセイとして彼女個人の感性や珍しい外国語表現に触れた時のイマジネーションを楽しむのが良いのかもしれません。

ただし掲載されているアラビア語語句はいずれも作者さん個人のフィルターがかなり強くかかった状態で届けられています。なので掲載されているヤーアブルニー、グルファ、サマルの紹介文はアラビア語専門書・辞書同様の信憑性として扱って引用することはおすすめしないです。

実例から見る「グルファ」の実際の分量~手ですくう場合

日本でお米などを計量する際に使われている合や升などと違ってグルファは度量衡の単位ではないので決まった分量はありませんが、どういう扱いをされているかは文献などで調べることができます。

「ひとすくい」という意味のグルファは日常生活ではまず使わないので主に本などから用例を探していきたいと思います。

実際に片手で水をすくってみると…

試してみるとほんのちょびっとしか取れない水

「グルファ」はどのぐらいの量なのだろうと実際に試してみた方もいらっしゃると思うのですが、ごくごく飲んで満足できるとは決して言えないような分量であるように感じられるのではないでしょうか。

片手で水をすくって眺めているうちに水が漏れ出して減ってしまうこともあって「なんて少ない量なんだろう」「グルファをどういう文脈で使うのだろう」と驚かれるかもしれませんが、ここで考慮に入れなければならないのは水を飲む時はこのすくう動作を何回も繰り返しておかわりをする点、そしてイスラーム教徒はこの動作にとても慣れている人が多い点です。

イスラーム教徒は右手の平だけで水をすくい取るのにとても慣れているので結構たくさん取れる

夫婦でお祈り前のウドゥー(洗浄)手順を説明しているビデオ。できるだけ近づいた湧き水から手際良く取っており、ショベルカーのようにした右手に乗せあっという間に口に入れています。吐き出す水の量からも結構な量が口に入っていたことがわかります。

信心深いイスラーム教徒だと幼少期から毎日5回の礼拝の前に洗浄を行い何回もこのグルファ分を取る動作を繰り返すことから、大人ともなればベテランの域に達しておりとても手際が良い人が多いように見受けられます。今回記事を書くために多数の関連動画をチェックしたのですが、アラブ人の大半が指を握りかけのような形にして水漏れを防ぎながらそこそこの水量を手早く飲み込んでいました。

そのため皆様がご自分で試された時に手の平に残ったわずかな水の量を見て「アラブの人はこれっぽっちの水の量に名前をつけるなんてさすがに砂漠の国」と早合点しない方が良いかもしれません。水源に顔を寄せながら片手でぱっぱとおかわりしていく様子も考慮に入れるべき単語だと思います。

料理用おたまを使う時の1グルファはかなり取れる

「グルファ」はひしゃくや料理のおたま1すくい分という意味も示すことがあるので、その場合は1杯あたり百数十mlぐらいにはなると思います。料理ビデオを見ていると深いおたまにだし汁をたっぷり入れて「1グルファ」と言っていたりするので手の平を使った時とはだいぶ違う感じになります。

ひしゃくを使うとおそらくもっとたくさん取れるのではないでしょうか。

クルアーンにおける「グルファ(ひとすくいの水)」

イスラームの聖典での記述とその意味

クルアーンではこの意味で使われる名詞「グルファ」が第2章の第249節、大昔のイスラエルの民の物語の中で出てきます。

イスラーム(イスラム教)の聖典として神より預言者に下された物語とされていますが、内容自体は旧約聖書に出てくる内容に対応しており、タールートはサウル、ジャールートはゴリアテのアラビア語風名称となっています。

فَلَمَّا فَصَلَ طَالُوتُ بِٱلْجُنُودِ قَالَ إِنَّ ٱللَّهَ مُبْتَلِيكُم بِنَهَرٍۢ فَمَن شَرِبَ مِنْهُ فَلَيْسَ مِنِّى وَمَن لَّمْ يَطْعَمْهُ فَإِنَّهُۥ مِنِّىٓ إِلَّا مَنِ ٱغْتَرَفَ غُرْفَةًۢ بِيَدِهِۦ ۚ فَشَرِبُواْ مِنْهُ إِلَّا قَلِيلًا مِّنْهُمْ ۚ فَلَمَّا جَاوَزَهُۥ هُوَ وَٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ مَعَهُۥ قَالُواْ لَا طَاقَةَ لَنَا ٱلْيَوْمَ بِجَالُوتَ وَجُنُودِهِۦ ۚ قَالَ ٱلَّذِينَ يَظُنُّونَ أَنَّهُم مُّلَٰقُواْ ٱللَّهِ كَم مِّن فِئَةٍۢ قَلِيلَةٍ غَلَبَتْ فِئَةً كَثِيرَةًۢ بِإِذْنِ ٱللَّهِ ۗ وَٱللَّهُ مَعَ ٱلصَّٰبِرِينَ
タールートが軍を率いて出征する時,かれは言った。「本当にアッラーは,川であなたがたを試みられる。誰でも川の水を飲む者は,わが民ではない。だがそれを味わおうとしない者は,きっとわが民である。只手のひらで一すくいするだけは別だ。」だが少数の者の外,かれらはそれを飲んだ。かれ(タールート)およびかれと信仰を共にする者が渡った時,かれらは,「わたしたちは今日ジャールート(ゴリアテ)とその軍勢に敵対する力はない。」と言った。だがアッラーに会うことを自覚する者たちは言った。「アッラーの御許しのもとに,幾度か少い兵力で大軍にうち勝ったではないか。アッラーは耐え忍ぶ者と共にいられる。」
(三田 了一『聖クルアーン : 日亜対訳・注解』日本ムスリム協会 刊より)
引用元:https://quran.com/2?startingVerse=249

唯一神アッラーからイスラエルの民らの王として選ばれたタールート。彼は進軍の際人々に川の水をごくごく飲んではいけないがひとすくい程度飲む程度なら許す…と喉の渇きに耐えるようにと指示をするのですが、その指示に登場する(かろうじて喉を潤す程度の)片手分1杯の水が「グルファ」という分量で示されている形となっています。

文中では

اِغْتَرَفَ غُرْفَةً
[ ’ightarafa ghurfatan(→直後のb音の影響でnのm化が起き実際にはghurfatamと朗誦) ]
[ イグタラファ・グルファタン(→グルファタム) ]
*クルアーン中では語頭部分の読み飛ばしがあるので朗誦の録音を聞くと [ gharafa ghurfatam ] [ グタラファ・グルファタム ] になっているのがわかるかと思います。

  • اِغْتَرَفَ
    [ ’ightarafa ] [ イグタラファ ]
    【動詞完了形・派生形第8形】
    غَرَفَ [ gharafa ] [ ガラファ ](【動詞完了形・基本形/第1形】水などを手を使ってすくい取る、水などを手やひしゃくを使ってすくい取る;水やスープをすくって口にする;おたまでおかず・料理をすくい取る)と意味は同じ。

という形で出てきており、「1すくい分(の水)をすくった」という表現になっています。また上で書いた通りアラビア語の名詞は単数形と双数形を使うだけで1個、2個と表せるので、ここでも「グルファ」の1語だけで1すくい分・1杯分であることが明確に示されています。

グルファとその水量の少なさに関する解釈について

辞書での定義や一般的な用法としては「とても足りないようなたった一杯の水」という意味までは表さないグルファですが、このクルアーン(コーラン)の一節に関しては兵士たちが行軍中に補給するにしてはあまりにも少ない量であることから、注釈書によっては上記のパレスチナの川における場面について

غرفة يعني مغروفة، أي بعض الماء مغروف من النهر، أي مجرد كمية صغيرة من الماء لا تروى الظمأ
グルファとはすくい取られたものを意味、川からすくい取ったいくばくかの水のことで、喉の渇きをいやすことができないぐらいのほんの少量

と説明しており、喉が渇いている時に飲むシーンで登場させた場合には「まず足りないだろう」と感じさせる単語であることが理解可能です。

タールートの率いていた兵士の多くが水を我慢できずに何杯も(何グルファも)飲んでしまったシーンのイメージ例~ヨルダン川

ただ上記はイスラエルとペリシテの間の戦争の話なので、出てくる川もアラビア半島の川ではありません。イスラーム(イスラム教)の聖典に「ひとすくいの水」としてアラビア語で出てきますが、飲んでいる人間はイスラエルの民で、飲んでいるのも現在のヨルダンとパレスチナの間あたりにあったとされる川の水です。

パレスチナ、ヨルダン、シリア、レバノン付近はアラビア半島に比べると冷涼な気候で冬の冷え込みが強めで、雪も降るため山から雪解け水が流れてきたりも。草木が多く川のある辺りは「アラブ=砂漠=渇水」というイメージとは大きく違っているので、何も無い砂漠の中で意志の弱い兵士たちが水をガブガブ飲んでしまった物語だったと誤解しないよう要注意かもしれません。

クルアーン(コーラン)では、何杯でもおかわりできるだけの水量がある川を目の前にしてタールート(サウル)の指示通りに水を我慢できたのはごくわずか。大半が渇きに耐えられず目の前にある川の水という誘惑に負けひとすくい以上を飲んでしまい、指示通りに動けるかどうかという試練に失敗。その信心が確固たるものではなく揺らぎがあることを露呈させてしまった形となっています。

クルアーン(コーラン)では「ひとすくいの水」という意味でグルファが出てくるのはこのエピソードのみですが、片手半分ですくえる水(グルファ)がたった1杯だけだと飲む水としては決して多くない量であること、飲まずに我慢した人と同じ扱いにしてもらえるぐらいに少ない水という認識がクルアーンの下された千四百年前もあったであろうことが推察されます。

以上をふまえると、欧米で出回っているアラビア語の名詞 ghurfa / ghurfah / gurfah / gurfa(グルファ)の記事は内容や説明文からしてクルアーン(コーラン)用語として英語書籍に載っていたものが見出され、「喉がカラカラに渇いている時に飲めるたった一杯の水を表す単語」「グルファというのは非常に少ない量という意味」といった情報とともに流布した結果なのでは…という気がします。

現代ではクルアーン(コーラン)か宗教書の礼拝前洗浄項目でぐらいしか「ひとすくいの水」という意味のグルファを使わないにもかかわらずアラビア語の翻訳困難語としてよく取り上げられるのは、元ネタが宗教用語である件が忘れ去れられアラブ人が今でもよく使うアラブ世界に深く根付いた言葉だと誤解された結果なのかもしれません。

礼拝前の洗浄手順解説における記述から

イスラームでは礼拝の前に体のあちこちを洗って清める

現代アラブ世界の日常生活ではグルファを片方の手の平一すくい分の水という意味で使うことはされておらず、最も利用が多いのは右手ですくった水で礼拝前の洗浄をするよう指示している宗教書や信徒向けレクチャーにおいてだと思います。

「片方の手の平一すくい分の水」という意味のグルファは古い宗教書などの電子版を探せば見つかるのですが、イスラーム法学における礼拝前洗浄(手や足といった身体の各部のお清め)の項目で右手ですくい取る水の量として登場します。

礼拝前の洗浄(ウドゥー、小浄)レクチャー動画。イスラーム教徒は礼拝の度に体のあちこちを水で清めるため、新型コロナウイルスが流行り始めた頃にこのウドゥーが除菌に役立つという話題なども聞かれたほどです。

上の動画では5:00過ぎに口や鼻付近をフーン!ペッ!と洗っているシーンが出てくるのですが、無駄遣いしない程度の流水から右手を使ってすくい取る動作を行っています。

講師役は右手の中から水が漏れ出さないように手の平をほぼ閉じて丸めているように見えますが、ともあれこの時に中に入る量が法学書などで「グルファ」と表現されています。

イスラーム法学書に出てくるグルファの記述から

現代のアラブ諸国において、「部屋」ではなく「ひとすくい」という意味で使われているグルファを目にするのは、千年以上前の先人たちの会話を元に礼拝などの手順に関わる規定・戒律をまとめた宗教書などぐらいと非常にその機会は少ないです。

具体的には宗教書のどういう文脈でグルファが登場するかというのは以下の通りで、

فتح الباري شرح صحيح البخاري
حدثنا محمد بن عبد الرحيم قال أخبرنا أبو سلمة الخزاعي منصور بن سلمة قال أخبرنا ابن بلال يعني سليمان عن زيد بن أسلم عن عطاء بن يسار عن ابن عباس أنه توضأ فغسل وجهه أخذ غرفة من ماء فمضمض بها واستنشق ثم أخذ غرفة من ماء فجعل بها هكذا أضافها إلى يده الأخرى فغسل بهما وجهه ثم أخذ غرفة من ماء فغسل بها يده اليمنى ثم أخذ غرفة من ماء فغسل بها يده اليسرى ثم مسح برأسه ثم أخذ غرفة من ماء فرش على رجله اليمنى حتى غسلها ثم أخذ غرفة أخرى فغسل بها رجله يعني اليسرى ثم قال هكذا رأيت رسول الله صلى الله عليه وسلم يتوضأ
サヒーフ・アル=ブハーリー注釈書のウドゥーに関する項目より
グルファが出てくる部分の抜粋:
・水を1グルファ(片手の平分)取って口をすすいだり鼻に吸い入れて洗ったりする
・水を1グルファ(片手の平分)取って両方の手を使って顔を洗う
・水を1グルファ(片手の平分)取って右手を洗う
・水を1グルファ(片手の平分)取って左手を洗う
・水を1グルファ(片手の平分)取って右足を洗う
・水を1グルファ(片手の平分)取って左足を洗う

アラビア語表記では赤字にした部分が غرفة(グルファ)の登場箇所となっています。具体的に何の1グルファ分をすくって洗浄やうがいに使うのかを明示するために、グルファの後に前置詞(~の)+名詞(水)を続けた غرفة من ماء で「水のひとすくい分」と表現するなどしています。

こうした記述から、体の汚れが落ちないほど少なすぎることもなく、かといって無駄遣いになるほどでもない量、口に入れれば全体が潤ってすすがれ汚れを落とせる量、それがグルファということになるかと思います。

屋外にある井戸水でのウドゥー例

サウジアラビアのマディーナ(メディナ)にある有名な井戸。預言者ムハンマドも愛したというこの井戸で礼拝前の洗浄(小浄、ウドゥー)をしていると思われる男性。撮影者は「水量が豊富ですね。素晴らしい。」と感心した様子で話しています。


井戸水からすくい取る場合の「グルファ」のイメージ
画像引用元:بئر عذق اول بئر شرب منه رسول الله صلى الله عليه وسلم

吹き出す井戸水の前にいる男性が右手を出して受け止めた水の一すくい量、それが「グルファ」ということになります。画像の通り手の平と揃えた指を丸めひしゃく状にして水を受け止めすくい取っています。

汁物といったおかずのおたま・ひしゃく類1杯分としてのグルファ

現代の料理レシピにおける「グルファ」はおたま1杯分

数はそう多くないようですが、ネットで検索してみると水の一すくい以外の意味で登場する غُرْفَة [ ghurfa(h) ] [ グルファ ] を少数ながら見つけることができます。それが

  • غُرْفَةٌ مِنَ الْمَرَقِ
    [ ghurfa(tun/h) minal-l maraq(i) ] [ グルファ(トゥン)・ミナ=ル・マラク(/マラキ) ]
    肉汁・だし汁の1グルファ、肉汁・だし汁の一すくい分、肉汁・だし汁のおたま1杯分

などで、グルファが手かそれ以外のひしゃく類で液体をすくい取ること、すくい取る液体が水以外の汁物だったりもすることから生じた表現となっています。

料理の作り方ビデオです。


画像引用元:https://www.facebook.com/glamourqatarfood/videos/410462517585241

1:13にておたま1杯分のだし汁 غُرْفَةٌ مِنَ الْمَرَقِ [ (口語発音)グルファ・ミナ・ル=マラグ ] を入れるように指示しています。上画像の黒いおたまじゃくしに入っているだし汁1杯分を「グルファ」(おたまによる一すくい分、1杯分)と言っています。

中世の書物における料理1すくい分としての「グルファ」

中世の書物をテキスト検索して調べたところ汁料理や鍋の中にある料理をひしゃく・おたま類ですくって取った1杯分として登場している文をいくつか拾うことができました。
*このセクションのみ古典からの抜粋ということで ة(ター・マルブータ)部分発音の転写を h としカタカナ表記にも本来のワクフ読みを反映させてあります。

「川・泉・井戸などから手ですくった水の1杯分」とは別に「おかず(汁物・煮物)のおたま・ひしゃく類1杯分」という意味が千数百年前から併行して存在していたことがうかがえます。

預言者ムハンマドの好きだったサリードとおすそ分けという善行の奨励

عَبْدُ الرَّحْمنِ الْمُبَارَكفُورِيّ
تُحْفَةُ الأَحْوَذِيِّ بِشَرْحِ جَامِعِ التِّرْمِذِيِّ』より

ハディース部分・預言者の言葉部分抜粋

وَإِذَا اشْتَرَيْتَ لَحْمًا أَوْ طَبَخْتَ قِدْرًا فَأَكْثِرْ مَرَقَتَهُ وَاغْرِفْ مِنْهُ لِجَارِكَ

[ wa ’idha-shtarayta/shtaraita laḥman ’aw/’au ṭabakhta qidran fa-’akthir maraqatahu wa-ghrif min-hu li-jārik(a) ]
[ ワ-イザ・シュタライタ・ラフマン・アウ・タバフタ・キドラン・ファ-アクスィル・マラカタフ、ワ-グリフ・ミンフ・リ-ジャーリカ ]
***
これに関する注釈書での言い換え

أَعْطِ غُرْفَةً مِنْهُ لِجَارِكَ

[ ’a‘ṭi ghurfatan min-hu li-jārik(a) ]
[ アァティ・グルファタン・ミン-フ・リ-ジャーリカ ]

預言者ムハンマドの言葉部分
And if you buy some meat or cook something, then increase the gravy, and serve some of it to your neighbour.
もし肉を買ったり一鍋調理したのならその肉汁を多くして、そこからあなたの隣人にすくってやりなさい
≒肉を買って何か料理を作るようなことがあれば汁部分を多めに作って隣人に分け与えてやりなさい
***
注釈書での言い換え
それの一すくいを隣人に与えなさい
≒それを1杯隣人に分け与えてやりなさい

1900年前後に活動した عَبْدُ الرَّحْمنِ الْمُبَارَكفُورِيّ(アブドゥッラフマーン・アル=ムバーラクフーリー)が書いた اَلتِّرْمِذِيّ [ ’at-tirmidhī ] [ アッ=ティルミズィー ](ティルミズィー)著ハディース本に関する注釈書より。元になったティルミズィーの本自体は西暦800年代(9世紀)とかなり古いもの。

これは預言者ムハンマドの言行録(ハディース)に関する本で、抜粋したのは ثَرِيد [ tharīd ] [ サリード ] という料理に関する項目の一部。サリードはイスラーム以前のジャーヒリーヤ時代から続く非常に歴史の古い料理で預言者ムハンマドの好物だったことでも有名だとか。

上の文では「グルファ」が隣人におすそ分けするおたま・ひしゃく類の汁・煮込みをすくう調理器具で取った1杯分として登場しています。なお「グルファタン」となっているのは書き言葉としての発音と格変化の都合上そう読んでいるもので「グルファ」と全く同じ語です。

サリードはちぎったパンに肉や野菜の煮込みをかけてその煮汁を吸わせて食べるというもの。イラクでは تَشْرِيب [ tashrīb ] [ タシュリーブ ] と呼ばれています。

これのおたまやひしゃく1杯分もらえるとなると小さなボウルちょうどぐらいになるでしょうか。おすそ分け先の家にある平らなアラブパン1枚をちぎったところにかければ小腹が満たせる程度にはなったものと推察されます。

料理をおすそ分けする際の1杯分として

اَلْجَاحِظ
اَلرَّسَائِل』より

إِذَا طَبَخُوا اللَّحْمَ غَرَفُوا لِلْجَارِ وَالْجَارَةِ غُرْفَةً غُرْفَةً

[ ’idhā ṭabakhu-l-laḥma gharafū li-l-jāri wa-l-jārati ghurfatan ghurfah ]
[ イザー・タバフ・ッ=ラフマ・ガラフー・リ・ル=ジャーリ・ワ・ル=ジャーラティ・グルファタン・グルファ ]

彼らは肉を調理すると男性の隣人そして女性の隣人らに一杯一杯すくってやっていたのだった
≒彼らは肉料理を作ると隣人らに一杯ずつおすそ分けしてあげていた

西暦800年代(9世紀)にイラクのバスラで活躍したアラブ史上最大級の文学者の一人 اَلْجَاحِظ [ ’al-jāḥiẓ ] [ アル=ジャーヒズ ](ジャーヒズ)による『اَلرَّسَائِل』[ ’ar-rasā’il ] [ アッ=ラサーイル ](書簡集)から。

グルファを2つ続けて غُرْفَةً غُرْفَةً [ ghurfatan ghurfatan/ghurfatan ghurfah ] [ グルファタン・グルファタン/グルファタン・グルファ ] としているのは英語の one by one に似た表現で「1杯ずつ」「一杯一杯」と訳す部分となっています。

現代の日本でも炊き出しやイベントの時に汁物や煮物を大きなおたまですくってお椀に入れて配布しますが、それと似た感じでご近所さんらへの施し・善行として肉の入った煮物や煮汁を調理器具でくんでは注いで「食べてくださいね」と渡す情景が思い浮かぶ一文となっています。

料理を食べる時の量の目安として

اَلْجَاحِظ
اَلْبُخَلَاءُ』より

فَإِذَا طَبَخْتُمْ فَرُدُّوا شَهْوَتَهَا وَلَوْ بِغُرْفَةٍ أَوْ لُعْقَةٍ

[ fa-’idhā ṭabakhtum fa-ruddū shahwatahā wa-law/lau bi-ghurfatin ’aw/’au lu‘qah ]
[ ファ-イザー・タバフトゥム・ファ-ルッドゥー・シャフワタハー・ワ-ラウ・ビ-グルファティン・アウ・ルウカ ]

(偏食になってしまった妊婦の話のところで)
あなたたちがもし料理をしたならば、ひとすくいでもひとなめでも良いから彼女の食欲を抑えてやりなさい
≒あなたたちがもし料理をすることがあればひとすくいでもひとなめでもいいから(/おたま1杯分でもスプーン1さじ分でもいいので)与えて彼女が食欲と闘う手助けをしてやりなさい

上と同じく اَلْجَاحِظ [ ’al-jāḥiẓ ] [ アル=ジャーヒズ ](ジャーヒズ)著。『اَلْبُخَلَاءُ』[ ’al-bukhalā’ ] [ アル=ブハラー(ゥ/ッ) ](けちんぼども、けちんぼどもの書)の قِصَّةُ الْكِنْدِيِّ [ qiṣṣatu-l-kindī(y) ] [ キッサトゥ・ル=キンディー() ](The Tale of al-Kindi:アル=キンディーの話)部分から。

ここでも「グルファ」が料理のおたま・ひしゃく類1杯分として登場しています。なお「グルファティン」となっているのは書き言葉としての発音と格変化の都合上そう読んでいるもので「グルファ」と全く同じ語です。

あとに来る لُعْقَة [ lu‘qa(h) ] [ ルウカ ] はグルファと全く同じ行為1回分の量を示す語形で「ひとなめ」「スプーン1さじ分」。おたま・ひしゃくでもさじでも量の多い少ないを問わず特定の食べ物しか口にできなくなった妊婦に作った料理を与えて食欲をなんとかしてやれ、という内容のようです。

料理用おたまのアラビア語名称はグルファと同じ概念から作られた「すくう道具」が由来

この用法については料理道具のおたまじゃくしが

  • مِغْرَفَة
    [ mighrafa(h) ] [ ミグラファ ]
    【道具を意味する名詞】غَرَفَ [ gharafa ] [ ガラファ ](水などを手を使ってすくい取る、水などを手やひしゃくを使ってすくい取る;水やスープをすくって口にする)するための道具

と呼ばれていることも関係があります。

グルファは手以外の物を使って液体をすくい取った時の1回分の量を示すことがあるため、このように水の片手一すくい分以外の意味(おたま1杯分のだし汁)として使われる場合には مِغْرَفَة [ mighrafa(h) ] [ ミグラファ ] といった道具を思い浮かべることになります。

語義とそれが示す動作からの「グルファ」理解

アラビア語と語根

アラビア語には語根というシステムがあり「غ رف」の文字群をこの順番で語中に含む単語は同じ概念を共有しています。

動詞ガラファが「水をすくい取る」ならそこから生まれた名詞「グルファ」も「水を一すくいで得られた水・汁の量」に。同じ語根を特定語形に当てはめて作った他の単語もまとまった水・汁から一部をすくい取ることに関連した意味合いを持つことになります。

大昔からアラブ人居住地域にまとまった量の水が全く存在しなかった訳ではないのでアラビア語辞書における「グルファ」項目の例文にも川・泉・井戸が出てきます。

元になった動詞 غَرَفَ [ gharafa ] [ ガラファ ] も川・泉・井戸などの水・汁物といった既にあるまとまった量のかたまりから一部を手やおたま・ひしゃくで取ることを意味しているので、”めったに降らない雨をかき集めるようにして手の平に乗せる”とは全く違っていると考えるのが適切だと思われます。

動画で見る「グルファ」のイメージ~砂漠での脱水死と井戸の話


画像引用元:الحجاج لاقو مي بعد ايام من العطش و الناس ركدت عالبير والدنيا كلا ما ساعت فرحتون

シリアドラマのワンシーン。トルコ帽をかぶった一般人とお偉いさん一行という組み合わせなのでオスマン朝統治下時代が舞台のようです。シリア方面から巡礼隊を組んで聖地マッカ(メッカ)に向かうものの案内役の老人の記憶と合致しないのか井戸がなかなか見つからず、渇きから次第に体調を崩す人が出始めます。喉が渇いた、水が飲みたい、とうなされるように口にする少年。

夜の礼拝の際に「恵みの雨をお降らせください」「水をお与えください」と必死で祈りを捧げる一行。しかし大人からも倒れる人が出始めてしまいます。死者が9人となり8:31頃~の場面では土葬し墓を作っています。

11:55は荷物の中に残っていたわずかな一瓶の水で少年が命を落とさずに済んだ場面。その後も神に祈りを捧げる言葉の唱和がBGMとして流れるなど人々が荒野をさまよい限界に近づいている様子が描かれます。

案内役が空を翔けるあの鳥たちは近くに水場があるサインだと言い出し希望を胸に道を急ぐ一行。無事井戸にたどり着き飛びつくようにして駆け寄ります。

この時手を使って水場(形からして家畜が飲んだりすることを想定した井戸+水場だと思われます)にたまっている井戸水をすくい上げるのですが、これがちょうど「グルファ」の元になった動詞 غَرَفَ [ gharafa ] [ ガラファ ](水などを手を使ってすくい取る、水などを手やひしゃくを使ってすくい取る;水やスープをすくって口にする)のイメージに近いのではないでしょうか。

余談ですがアラブ諸国では砂漠で迷った人が脱水で亡くなる事故が今でも毎年繰り返されており、先日も砂に埋まった自動車の近くで生前最後の動画を撮影したスーダン人男性のニュースが報道されました。

サウジアラビアではこうした痛ましい死を減らすため太陽電池を使ったレーザーライトによる水場・井戸への誘導を開始。動画はネフド砂漠でのレーザービーム装置設置事業紹介のニュース録画です。

水を片手ですくう/両手ですくう動作あれこれ

水を片手の手の平だけで水を飲むのに意味はある?

この「グルファ」について「どうして両手で水をたくさんすくって飲まないのだろう」「片手だけで水をすくうことに素敵な意味があるのではないだろうか」「左手には何か別の物を持っているからなのでは」と考える方もいらっしゃるかと思います。

グルファという単語がクルアーンで使われていたということはイスラームの宗教的ルールが制定される前から既にあった計量の概念だということになるので「グルファ」が使われるに至った本来の理由とは断定できませんが、イスラーム以降に関しては「食べ物も飲み物も右手を使って摂取しなければならない」という規定が関係しているのではないでしょうか。

預言者ムハンマドの言行録であるハディースによると、左手で飲み食いするのはシャイターン(悪魔)なので信徒は右手で飲み食いするようにと明言したのだとか。そのため水も右手の手の平だけですくって飲む人の方がはるかに多いと考えた方が良いことになります。

すくう動作に似ているけれど…両方の手の平を上に向けるジェスチャーと雨

手を掲げるのはイスラームの祈りの動作

グルファに関して「アラブ世界で雨が降ると人々は大喜びで手の平を上に向けて雨水をためようとする。皆めったに降らない雨に歓喜し両手にたまった雨水を愛おしそうに眺めている。」といった光景を思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

しかしイスラーム諸国で雨が降った時に両手を掲げる動作に関しては念頭に入れておくべき事項があります。それが降雨時に行うことが規定されている祈り(ドゥアー)です。

イスラームにおける雨が降った時の祈り。雨乞いの祈りだけでなく雨が降った時の祈りの文言なども決まっており、その言葉を降雨のイメージ映像とともに紹介した動画です。サムネイル画像には宗教家が雨の中天を見つめながら両手を広げている様子が写っています。


画像引用元:دعاء نزول المطر – مشاري راشد العفاسي

動画中で雨の降る屋外に向かって両手を掲げる女性。手の平を広げて貴重な雨水をためようと頑張っているように見えるかもしれませんが、これはイスラームにおける唯一神アッラーに祈りを捧げる時のしぐさです。

アラブ圏で出回っている雨とお祈りがセットの映像で天に向かって両手を広げているのは十中八九ドゥアー(祈願、祈念)で、唯一神アッラーへ称賛や感謝を捧げていると考えるべきシーンとなっています。

大勢が集まった場所でこのドゥアー(祈り)行為をすると一斉に両手の平を天に向けた状態になるのですが、手に雨水を受けることが第一目的でやっているものではありません。

降雨時に地面に向かって顔を近づけている動画や写真は「雨でも定時の礼拝を頑張ってしている」か「神に感謝をする祈りの動作をしている」のどちらか

アラブやイスラームの動画には雨の中地面にひざまずく動作をしている人々を写したものが結構あります。アラブ圏でも聖地マッカ(メッカ)のカアバ神殿前で雨に降られながら両手を天に向けたり、びしょ濡れになりながら地面に額をつけてうずくまったりしている信徒らの姿を写したビデオが複数出回っています。

予備知識が無いと「地面の雨水を飲もうとするぐらいに水不足の土地なんだろうか」と判断してしまうかもしれませんが、手の平を天に向ける祈りのジェスチャー同様イスラームにおける神への跪拝(ひざまずいて拝む・祈る)動作となっています。

聖地マッカ(メッカ)で大雨の中そのような動作をしているビデオの場合はたいていがお祈り時間に降雨があった時のもの。「こんな雨が降り注いでいるのに頑張って義務の礼拝を続けているなんて素晴らしい。感動的光景。」として信徒らに受け止められるタイプの映像です。

また単独なりでそうしている場合は、何か良いことが起こった時にアッラーに感謝を捧げる動作(感謝のサジダ、感謝の跪拝)の方だと判断できます。降雨時の祈りをした後にお礼の跪拝をしている様子だったりするかもしれません。

海外サッカーリーグに所属するアラブ系やアフリカ系などのイスラーム教徒選手がゴール直後芝におでこをすりつけて平伏しているのも同じく感謝の跪拝で、ゴールという業績を授けてくれた唯一神アッラーにお礼をしているものです。

ニュース映像などで偶然見た時に「雨が貴重な国ではみんなが一斉に天に向かって手の平を広げてい雨をためようとするなんてびっくり、手に十分な量がたまらなくて地面を流れる雨水も飲もうとしているらしい。」と間違えて解釈してしまわないよう注意が必要です。

現代では「ひとすくい」の意味としては死語で「部屋」の意味に

「グルファ」は「部屋」の意味に受け取られるのが普通

なお現代でグルファは「room」(部屋。単数形なので具体的には a room=一部屋。)の意味で使うことが圧倒的に多いです。居間、寝室の「間」「室」部分も「グルファ」です。また商工会議所の「会議所」に相当する英語の chamber に対応した訳語としても使われています。

アラビア語辞典には部屋という意味での用法が後代になってからだと書いてあることもあるのですが、今や「ひとすくい」用法を完全に圧倒している状態です。

そのため検索エンジンで غرفة ماء(グルファ 水)と2語を並べて探すだけでは水槽などをあしらった部屋(water room)が表示されるばかりで手で水をすくっている写真は出てきません。

『翻訳できない世界のことば』で感銘を受けられてその想いを込め何かに「GURFA」(冒頭でも書きましたが通常の英字表記は GHURFA、GHURFAHです。)と命名すると、ロゴも何も見ずに言葉を聞いただけでは大半のアラブ人が「部屋」と受け取ることが予想されます。

*かつてアラブ・イスラームの影響下に合ったこともあるイタリア シチリア島のパレルモには「Grotte della Gurfa」という地下遺跡がありますが、名称に含まれる「Gurfa」は「部屋」という意味のアラビア語単語 غُرْفَة(グルファ)が由来だとか。

水や汁の分量としての意味は古語・死語に近いマイナー用法

今はもう「◯グルファの水を飲む」という言い方は使わない

「一すくいの水」として意味のグルファはイスラーム法学書ぐらいでしか見かけることがないせいか、アラビア語-英語辞典には غُرْفَة مِنْ مَاءٍ [ ghurfa(tun/h) min mā’ ] [ グルファ(/グルファトゥン)・ミン・マー(ッ) ](水のグルファぶん、水の片手の平ぶん)が「handful of water [Islamic]」つまりはイスラーム法学用語であるとの記載がなされたりもしています。

英語圏の知恵袋的掲示板サイトでも「ひとすくいの水という意味のグルファは古語用」つまり古くて現代の日常生活では使われなくなっている、という書き込みがアラブ人によってされているのを見かけたこともあります。

実際の日常表現としては、

  • 片手1杯分の水
    كَفّ مِنَ الْمَاءِ
    [ kaff mina-l-mā’ ] [ カッフ・ミナ・ル=マー(ッ) ]
    (片手の平の水)
  • 両手1杯分の水
    كَفَّانِ مِنَ الْمَاءِ
    [ kaffān(i) mina-l-mā’ ] [ カッファーン(/カッファーニ)・ミナ・ル=マー(ッ) ]
    (両手の平の水)

といった表現に置き換わっているので、アラビア語の素敵・不思議な表現系記事に書かれているような「喉が渇いたので3グルファの水を飲みました」「3ガルファの水を飲みました」といった言い回しが普通に使われていると思ってしまわないよう注意が必要かもしれません。

『翻訳できない世界のことば』のイメージでネーミングに使わないよう要注意

レストランに「グルファ」というアラビア語名をつけた場合、アラブ人やアラビア語学習者には「部屋、ルーム(room)」という意味に受け取られます。グルファというネーミングを見て片手に入った水を思い浮かべる人はまずいないと考えて差し支えないです。

「GURFA」という名称を素敵な商品か何かにつけたり手の中にある水の絵をロゴにしたりした場合、それを見たネイティブでイスラーム法学書を読み込んでいるようなタイプだと礼拝前に口や鼻の穴を洗うため右手で取る水を思い浮かべる可能性も少ないながら考えられます。

口や鼻に入れてペーッ!と吐き捨てるための水の分量でもあるのであまりきれいなイメージではないような気もしますが、それ以前に水一すくい分量だということを知らないアラブ人の方がもはや多いのではないでしょうか。

『翻訳できない世界のことば』においてこのマイナー用法であるグルファがどのような経緯で見出され掲載語として選ばれたのか少々気になるところです。

既に特殊な宗教用語や死語と化している感も強いこのグルファの語義を現役であるかのように紹介しているため、現代アラブ人が日常生活でもよく使っている表現だと誤解された方もかなりいらっしゃるのではないでしょうか。

ネット投稿で見られるグルファの世界観解釈について

「手の平で分量を示すことは水が非常に貴重な砂漠特有の発想」は推測部分

グルファが砂漠の国特有の発想、日本には訳語が無いという話は正しいか?

ネット上の投稿ではこのグルファに関して「水を大切にする砂漠の国の素敵なフレーズ」「手の平を分量を測る単位にするなんて水が貴重な砂漠ならでは」「こんな発想の言葉は日本には存在しない」という感想が寄せられるなどしている模様です。

『翻訳できない世界のことば』でGURFA(グルファ)として紹介されたこの単語は他書『世界の不思議な自然のことば』(2024年、かんき出版刊)でもGhurfa(グルファ)として登場するのですが、

アラビア語は、厳しく乾燥した砂漠で暮らしを営む世界観の中で結晶化された言語です。 「手のひらにすくえる量の水」という意味をもつ言葉があるのも、驚くことではないのでしょう。

と、既存書籍において「アラブ=砂漠」という連想から組み立てられたストーリーを継承したものとなっています。

ロマンチックな世界観を壊すようで申し訳ないですが、多くの方が「”片手分の水”だなんて素敵」と感じられたのは「グルファ」の語源や現地事情を調べないまま”年中降雨が無く四季も無い万年灼熱な砂漠の国で手の平にたまったわずかな雨水に歓喜し愛おしむ人々の想いから生まれたとても大切な言葉”という想像により導き出されたストーリーがいかにも本当っぽくそして感動的光景に仕上がったために正解だと感じられただけだったりする部分も大きいように見受けられます。

「こんな発想の言葉は日本には存在しない」も「グルファ」という語の定義を正しく伝えていない絵本と掲載されているアラビア語単語の意味を正確に把握されていない出版社側の紹介文から得た少ない情報のみを元に導き出された結論であり、日本語で書かれた専門書や英語・アラビア語資料なりでその真偽を確認するという過程を全く経由していません。

手で水をすくう行為とストーリー

資料を調べず説明を書こうとするとつい「アラブは砂漠、片手ですくった水はとても貴重、大切にしている気持ちがこもっている」になりがちですが、1400年前ぐらいの人物が言ったとしてアラブ・イスラーム世界に残されている言葉の一つに「水は容器ですくうよりも手ですくった方がきれいで良い」があります。

今ではアラブコーヒーというと金属製のポット、アラブ世界でも飲まれるトルココーヒーというと金属製のカナカを思い浮かべますが、アラブ世界では近代ぐらいまで焼き物でできたぼてっとした水差しのようなコーヒーポットが使われていました。1400年前ともなれば現代の我々が使っているような洗えばすぐにツヤピカになるコップが普及していなかった訳で、手ですくって水を飲む行為がごく普通に行われていたと言えるかと思います。

なので全く違う環境・文化圏から見た「水が貴重な砂漠ならでは」という解釈が実は全然違っていて本当は「手ですくった方が手軽できれいだからアラブ世界では好まれていた」だったというギャップも考える必要がありそうです。

アラブ世界では昔から大切にされてきた自然現象はたいてい人名になっています。そうした雨、(雨)雲、夜露、風、木陰などと違いアラブ人名として「グルファさん」は詳しい人名辞典であっても載っておらず、単なる「部屋」という意味で使われ続けている状態です。

そのためアラビア語の語形に「水や汁をすくい取る」という概念を機械的にあてはめて作られただけのグルファという単語に「日本には無い言葉」「砂漠だからこそ大事にされてきた」というストーリーを付与するのは適切ではないように感じられます。

砂漠=年中暑い=死という連想・憶測を元にアラブ世界において太陽は絶対的な悪だと断定した『日本語と外国語』の例

とても失礼な物言いで申し訳ないのですが、こうしたアラブがらみの推論に関して日本ではとても有名な前例があるため書かせていただきました。

ご存知の方も多いであろう“アラビア語で太陽は最低最悪の比喩表現”なる嘘豆知識。これは『日本語と外国語』の著者の先生が「砂漠は365日太陽に照りつけられているに違いない」→「アラブ人は太陽が大嫌いなはずだ」→「最低最悪の比喩に違いない」「太陽崇拝の宗教や日の出を大切にする気持ちなんかある訳がない」「太陽マークはアラブ世界で食品ロゴとして最悪の絵柄、あり得ない」との連想で書かれたものでした。

現地事情をある程度知っている人間であれば著者の先生が書かれている結論がどれも裏付け無し・十分な情報収集抜きの憶測ではちゃめちゃな内容だとわかるのですが、マイナー言語とマイナー地域の話題だったため疑う人や異議を唱える人がおらずいつの間にか事実であるかのように定着してしまいました。

正直なところ、調べずに想像力を駆使して書かれたアラブ関係の推測・解釈にはこのようなパターンが多いというのが実情です。

「砂漠気候の地に暮らす人々はこういう性格になりがちだ、宗教・文化はこうなりやすい」という風土論的な推測方法が日本でしばしば用いられてきたことも影響していると思うのですが、残念ながら外してしまう部分も少なくなく全くの見当違いな結論が導き出されてしまうこともあるのでかなり注意が必要です。

アラブ世界で「それどこの国のこと?」と言われることも多い海外における架空のアラブ人・アラブ文化像

アラブ圏は日本と全く違うことが多いため色々な資料や辞典での確認作業をスキップして短い説明から自分の想像力だけで理解したり情報を補ったりすると無意識に東洋趣味(オリエンタリズム)的な「素敵でエキゾチックな砂漠の国アラビア」になりがちです。

アラブ世界では海外の映像作品でそうした空想の産物であるなんちゃってアラブや砂漠しか無い光景が出てくる度に「またか」とこぼす人も多く、「アラブはきっとこうに違いない」「砂漠の国だからこういう文化や思想のはずだ」と思い描いたイメージがたいていは間違っていることを示唆しています。

辞書的定義や実際の用例では「ひとすくい」以上の深い意味を見いだせないグルファ

アラビア語で書かれた中世から現代までのアラビア語大辞典などを見る限り「グルファ」から「手の平にためることができた貴重で大切な宝物のような水」というニュアンスは特に読み取れないため、アラブ人が水を大切にしている件と「グルファ」が持つ意味合いとを安易に結びつけるのは避けた方が良いように思います。

砂漠地帯の面積が広いアラブの地にも井戸や川、降雨量が増える冬がある件は忘れられがち

雨がほぼ降らない環境ではさすがに生きられない

日本ではアラビア半島は1年間に降る雨の合計量が1mmぐらいしか無い過酷な環境だと思っている方もいらっしゃるのですが、本当にその通りなら地下水もたまらずアラブ人は生きることなどできなかったはずです。雨不足で少なくない成員を亡くしながらも雨乞いや移住などをしつつ得られる水を利用し世代を重ねてきたのが荒野地帯に暮らすアラブ人たちでした。

*現代の一部アラブ諸国では降雨が顕著に減って段々と日本人がイメージするような過酷な環境に近づきつつあり、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされようとしています。イラクなどでは人々がこうした渇水を死刑宣告と形容するなどしています。

冬にかけてまとまった雨が降り春に砂漠が一面の花畑になるのは大昔から繰り返されてきた光景なのですが、「降雨量が増えたことで新しく見られるようになった異常気象の副産物」と書かれている気象関連記事があるなど、アラブだからこうに違いないという先入観が誤った解釈を生む事例は日本に限らず諸外国によくあることかと思います。

アラブ人と井戸水

「砂漠の王国」の代表例として思い浮かべる方も多いであろうサウジアラビアも含めアラビア半島地域では昔から地下水層とそこにつながる井戸があり、井戸の利用権をめぐって争いになることも珍しくありませんでした。昔から井戸の利用権や水利権は部族紛争の種になることも多く、オアシス農地では灌漑用井戸の利用時間配分が行われるなどしてきました。

サウジアラビアのオアシス地域にある大型井戸。

アラビア半島南部のオマーン。アラビア半島で地下水に恵まれた地域は大昔から農業が盛んで、大量の水を必要とするナツメヤシ(かなり水を食うため十分な水源を確保しないと枯死することで有名。ナツメヤシ名産地だったイラクは戦争と渇水でその地位から転落。)の栽培を続けることが可能なほどでした。オアシスの農業地域では豊富な水を汲み続けるようモーター代わりに牛やロバなどが働いてきました。

管理人はこれまでに似たような動画を複数視聴したのですが、灌漑用井戸は誰が何時から使えるというのが決められており機械化せずに家畜による揚水を続けている農家は「明日は自分が耕作して、水汲みの牛を追うのは◯◯に手伝いを頼もう。」などと算段をつけて毎日の作業を行うのだとか。

「砂漠の舟」とも呼ばれるラクダ。放牧する地帯には井戸や水場があり、ラクダ飼いの仕事として自分たちの滞在拠点から水場へとラクダたちを誘導する作業が含まれます。手動の井戸の場合は連れて行ったラクダを動力代わりに働かせて揚水させその間に群れに給水を行うこともあるそうですが、現代ではモーターを使って汲み上げることもかなり普及してきているとのことです。

また今では給水車も活用されており、水飲み用の容器を設置した地点にトラックがやって来てそれらを満たし喉が渇いたラクダたちが駆け寄ってがぶがぶ飲む光景なども見られます。

乾燥に強いといっても水を飲まなければ死んでしまうので、ラクダがいるいかにも砂漠地帯らしいエリアであっても彼らの生活を考える上では結構な量の水の存在と確保を考慮に入れる必要があります。それがオアシスや土漠などの中にある井戸ということになります。

砂漠での溺死

普段は渇ききった砂漠ですが雷雨などに見舞われると一気に水がたまります。下水設備も無いので砂が飽和状態になると地表面を雨水が覆い尽くし、高いところから低いところへと流れ込み、開いた古井戸めがけて濁流が落ちていくなどします。

深みにはまった羊やラクダが溺死することがしばしば起こり、人間による先導や救出で難を逃れる様子が動画サイトに投稿されることも。上の動画もその一例でタイトルは『雨と洪水の中砂漠にいるラクダたちをご覧ください』となっています。

アラビア半島のアラブ人と河川水

聖地マッカ(メッカ)には有名なザムザム井戸(いにしえの預言者が掘ったという井戸でイスラーム教徒が飲みたがる水。聖地巡礼のお土産としても人気。)がありますが、近隣には川が流れる地域もあり手などですくい取ってごくごく飲める環境は大昔からあった形です。

夏場と違って冬場は降雨シーズンとなるため秋~春にかけて川の水量が安定する時期も存在。雨やひょうが降るとはん濫して濁流になり人や家畜が死亡することも珍しくありません。

動画のワーディー(ワジ、涸れ川;谷、渓谷)はサウジアラビア有数の避暑地 اَلطَّائِف [ ’aṭ-ṭā‘if ] [ アッ=ターイフ ](日本語では定冠詞抜きのターイフ表記)にある谷川・渓谷の一つ وَادِي وَجّ [ wādī wajj ] [ ワーディー・ワッジュ ]。古くから川の流れる谷間として有名だったそうで、預言者ムハンマドの時代の記録にも名前が残っているとか。現代でもその浅瀬を車で通行して楽しむレジャー客などで賑わう名所となっています。

アラビア半島といっても地域によっては河川水を利用できる地域もあるので、水切れすなわち死を意味する砂漠で埋め尽くされていると思わないように注意です。また全域がなだらかで起伏が激しくない砂漠の平地という訳ではなく、かなりの高度を誇る山地もあります。

 

(2024年9月 アラビア語にある様々な「handful」表現)