『翻訳できない世界のことば』で紹介されたYA’ABURNEE(ヤーアブルニー)の意味や背景

YA’ABURNEE(ヤーアブルニー) / 姉妹表現集 | GURFA(グルファ) | SAMAR(サマル)

『翻訳できない世界のことば』掲載のYA’ABURNEE(ヤーアブルニー)はシリアやレバノンのおばちゃんが多用する親愛・称賛の慣用句で現地ではユッブルニ(ー)やヨッボルネと発音。

「あなたに埋葬されたい」を真に受けるのはNGで中身は愛着+長生き・健康祈願、しかも日常会話では軽い「愛してる」「ダーリン」「かわいい、素敵」「すごい」を表すというギャップの激しさゆえ海外で誤解されやすいことでも有名です。

「先に死にたい」部分は思いの深さ・相手の大切さを示したり「そのぐらい素晴らしい」という甘やかし・お世辞として機能したりするにもかかわらず、海外ではしばしば「陰惨」「美しく暗い望み」「ロマンチックで病的な執着心」と紹介。「目の前で死んでしまいたい」という誤訳や出版社独自解釈ゆえ激重・ヤンデレなパラレル設定が日本で生まれた経緯、ネイティブから誤解釈やスペルミスの指摘が出ている件など、定期的にネットで話題になる事項の整理も兼ねて当ページを作成しました。

2年ほどかけて集めた情報をまとめるための慣用句自学メモを兼ねているので超長文です。要旨だけ読むか、目次から必要な部分をピックアップするかしてご利用ください。解説は読まず意味・解釈・使い方の正誤表だけ見たい方はこちらをクリック

*参照したネイティブ記事や解説動画のメモは姉妹ページ『シリアやレバノンの愛情・称賛表現تقبرني(あなたが私を葬って)等と実際の意味』に置いてあります。具体的ソースが必要な方はそちらをご覧願います。

  1. 要旨~YA’ABURNEE(ヤーアブルニー)の実際のつづり・発音や由来・意味・使い方
    1. 慣用句の由来と元々の解釈
    2. 使われる地域・シチュエーション
    3. この慣用句の理解に必要な背景情報
    4. 日常生活における実際の使われ方
    5. 発音と表記
    6. 現地での扱い・イメージ
    7. 日本では『翻訳できない世界のことば』を通じ違うイメージで有名に
  2. 書籍『翻訳できない世界のことば』における”ヤーアブルニー”としての掲載
    1. 本での紹介内容
    2. 本での説明と出版社広報のオリジナル設定から生まれたヤンデレ世界観
    3. ネイティブの間で「理解してもらえない慣用句」「外国語訳が難しい慣用句」として有名
  3. アラビア語表現「◯◯が私を葬ってくれますように」の発音・語形・意味
    1. 現地での主なつづりと発音
    2. このフレーズを言う人・言う相手
    3. 直訳
    4. 直訳のメイン解釈
    5. 直訳の別解釈
    6. 直訳が激しく重いせいで実際の意味とのギャップが大きいアラブの慣用句~由来確認したら日常生活での用法を調べるところまでが必須
    7. 日常生活における実際の意味と具体的な使われ方
    8. シリア近辺には同じ意味のフレーズが何個もある
  4. 「あなたが私を葬ってくれますように」と言われた場合の返事
    1. 「あなたこそ葬る側になって」的な感じで同様の言葉を返す
    2. 言った人が死にたがっている、自分に葬ってほしい・殺してほしいと思っていると理解するのはNG
  5. シリアやレバノンにおける「あなたに私を葬ってほしい」系愛情・称賛表現の実例
    1. ネット記事やSNSより
    2. テレビ番組やミュージックビデオの動画
  6. 『翻訳できない世界のことば』和訳時の誤訳で広がった解釈のずれ
    1. 元になった英語版『Lost in Translation』
    2. どのように死ぬかという解釈を大きく左右する部分の誤訳
  7. 日本語版出版社公式SNSアカウントやブログで紹介されているオリジナル解釈と実際との誤差
    1. 夫・子供・孫など好きなみんなにたくさん言う愛情表現であるはずが「たった1人の相手」を強調した独自解釈に
    2. 実際には愛する相手が自分を殺すこと・希死念慮・死にたい願望は全く意図されていない
    3. 相手に自分の死・命をゆだねる内容の誇張表現と解釈
    4. ヤンデレ・悲恋を体現した言葉ではない
    5. 出版社公式情報がアラビア語慣用句の解釈としてはいずれも不正解であるという問題
  8. “ヤーアブルニー”に関する誤解拡散について
    1. 誤解されやすい翻訳困難語な上に本での説明違い・誤訳・独自解釈が重なった
    2. 日本における狂愛・ヤンデレ・悲恋・心に秘めた激重感情イメージは誤解釈由来
    3. 口語(方言)の慣用句は情報集めをしにくいため余計に間違えやすい
    4. 本や公式アカウントからの情報発信は真実として受け止められやすい
    5. ヤンデレ・悲恋作品を彩る創作向けキーワードとしての日本独自”ヤーアブルニー”
  9. 日本における解釈と現地におけるこの言葉の扱われ方
    1. 日本で本や各種引用を通じて知った方たちの解釈・感想
    2. ネイティブたちの声
  10. 『翻訳できない世界のことば』中の”ヤーアブルニー”に関する人称間違いや表記について
    1. アラビア語といっても一部の国だけで使われている表現
    2. 名詞ではなく主語を含む動詞+人称代名詞の文章
    3. YA’ABURNEE・ヤーアブルニーは会話相手である「あなた」ではなく他の男性「彼」に対する愛の言葉
    4. YA’ABURNEEの英字表記
    5. 日本語版ページ下のアラビア語つづりとカタカナ表記が少し違う
  11. 「あなたが私を葬って」解釈に関わる現地の社会・宗教事情
    1. 愛情表現の方法や重さが違う
    2. 「あなたが私を葬って」が使われてきた社会の人間関係
    3. 恋人や配偶者をパートナー1人が看取って葬ることが普通ではない
    4. 一夫多妻制と複数の妻たち~大勢の家族が「あなたが私を葬って」を言い合う光景
    5. イスラームと自死の禁止~日本とは希死念慮や自死の扱いがかなり異なる
    6. 純愛・悲恋の文学作品が実は唯一神アッラーに対する渇望の投影だったりする
    7. 生まれ変わりもお盆も無い、日本とは全く違う死後の世界
    8. 死と結びついた祈願文に関する法学者の見解~願いごとには言っていいものと悪いものとがある
    9. シリア、レバノンなどはキリスト教徒も多い地域
  12. シリア・レバノン慣用句「◯◯が私を葬ってくれますように」の解釈・意味・使い方正誤表
    1. 日常生活での実際の意味
    2. 現地での利用例
    3. 由来・語源だが通常は日常生活で意識せず使うため意味説明・和訳から外す内容
    4. 誤訳、解釈間違い、二次創作的パラレル設定、ネイティブが「そういう意味じゃない」と否定している内容、作品に取り入れるとアラブ人がおかしい・滑稽だと感じる描写
  13. 最後に

要旨~YA’ABURNEE(ヤーアブルニー)の実際のつづり・発音や由来・意味・使い方

『翻訳できない世界のことば』にアラビア語の言葉として載っているYA’ABURNEE(ヤーアブルニー)ですが、実際には

  • 発音はヤーアブルニーではなくユッブルニ(yu’burni)やヨッボルネ(yo’borne)など
  • 直訳は「あなたが私を葬る」ではなく「彼が私を埋葬してくれますように(May he bury me)」と「それが私を埋葬してくれますように(May it bury me)」で原則としては”あなた”に愛を伝える際の語形ではない
  • 「その人の目の前で死んでしまいたい」は日本語版の誤訳で英語原作には含まれていない概念
  • 死んでしまいたい気持ちや美しく暗い病的な願望・執着を伝えるための言葉ではない
  • アラビア語表記は誤りでネイティブから指摘が出ている

ため、見開きに収録されている情報の殆どが事実と異なっているという状況です。

この慣用句はダークな言い回しですが中身は「相手が自分の葬式に出てくれる」というハッピーエンドと相手の長生きを願う家族愛的なもので、日常会話では身近な人々に愛をふりまいたり気に入った物事をほめちぎったりするという軽い使い方をされています。

アラビア語フレーズとしては特に勘違いされやすいため英語圏でも誤解に基づく解説が出回っている上、日本では誤訳と出版社独自解釈から激重ヤンデレワードとして知られているため、実際の使い方を知らない方がほとんどなのではないかと思います。

背景知識がかなり必要なこの言葉についてまとめた結果すごく長くなってしまったので、冒頭にこちらのまとめを設置しました。この要旨も結構長いので、時短でさっと確認されたい方は最後にある意味・解釈・使い方の正誤表をご利用ください。

慣用句の由来と元々の解釈

直訳

断定文と同じ構文だが祈願文の方

「◯◯が私を葬ってくれますように」

アラビア語では

  1. 断言の平叙文「◯◯が私を葬る」「◯◯が私を葬った」
  2. 願いごとの祈願文「◯◯が私を葬ってくれますように」「◯◯が私を埋葬してくれたらなあ」

が全く同じ構文。見た目が「~がーする」「~がーした」という断定・肯定文になっている慣用句は多くが後者の「~がーしますように」の方で、日本で”ヤーアブルニー”として紹介された慣用句は(2)の願いごとタイプ。

ユッブルニ(ー)/ヨッボルニ(ー)/ヨッボルネという発音の場合は主語が「彼(he)」か「それ、あれ(it)」の時で、意味は「彼/それが私を葬ってくれますように」で『翻訳できない世界のことば』の”YA’ABURNEE(ヤーアブルニー)”はこちらのこと。

目の前にいる「あなた」に向かって「あなたが私を葬ってくれますように」(=あなたを愛している)と言う時に使うのはイレギュラーな慣用用法。

葬るのは「墓穴に土葬する」という意味

通常「葬る」と和訳されるが正確には「埋葬する/墓に土葬する」。「死なせる」「死の瞬間に立ち会う、看取る」ではなく、「私(の遺体)を墓穴に埋める」「私のお葬式に参加して墓穴に埋葬される場面に立ち会う」の意味。

この慣用句を多用するシリア付近では話者の死後の遺体処理・遺体袋に入れて端を結ぶ動作・土葬・年数回の墓参りという色々なフェーズに置き換えた姉妹表現がたくさんあるが、そのうちの墓穴に遺体を収め土葬する葬儀の特定場面に注目した言い回し。

そのためネイティブ間には「愛してる、ダーリンという意味なのに口にしているのは自分の葬式への招待」「シリア人女性と結婚すると毎日葬式に出たり墓にいたりするような気分になってくる」という定番ジョークがある。愛情表現とはいえ遺体処理や死装束に包むといったリアルな言い回しなので、他地域アラブ人におちょくられる・気味悪がられる一因にもなっている。

直訳のメイン解釈~「愛している人たちとは人生最後の瞬間まで一緒にいたい。無事に長生きして私の埋葬に立ち会う側になりますように。」

お母さん・おばあちゃん的な身内愛が原点

「◯◯が私を葬ってくれますように」の◯◯が「あなた」の場合のメイン解釈は

「あなたのことが本当に大好き。あなたがいない生活は寂しくて辛くて1日だって耐えられないから先に逝きたい。あなたが先に亡くなって自分がその葬儀に出る側になるという悲しい思いはしたくない。自分が先に逝けば死ぬまでずっと一緒にいられる。あなたは早死にせず元気に長生きして幸せに暮らして。そして私のお葬式に参加して墓穴に埋葬する側になって。」

で、ネイティブ解説によるとメッセージの中心部分は

  • 「すごく愛してる」
  • 「一生そばにいたい」
  • 「無事に長生きして」

といった家族・パートナー・知人としての優しさ。家族や身近な人々といった最愛の存在達に対する愛情・誠実・善意・思いやり…あらゆる感情で満たされた心からの言葉であるからこそ簡単に一語で外国語訳することが難しいのだという。

息子への愛を表現した現地のポップソングより。「ユッブルニー」と聞こえるのが”ヤーアブルニー”と記載されている語の現地発音。こうした乳幼児を愛でてかわいがるというのが代表的イメージ。

この慣用句が非アラブ圏でダークな愛の言葉だと誤解されているのは、おそらく元ネタだと思われる英語書籍が原因。このフレーズを使う地域の出身ではないアラブ系著者によって不正確な”陰惨”という要素が添えられてしまい、その引用や孫引用が繰り返されているうちに昏くて切ないイメージやストーリーが加わっていった可能性が高い。

なお「愛する人の(目の)前で死んでしまいたい」は『翻訳できない世界のことば』の誤訳で、原作である英語版でも意図されておらず解釈としても実在しない。

「いっそのこと死んでしまいたい」「本当は一緒に死にたい」「共に死ぬほどの仲」とは全く違う発想で、相手が長生きすることにこそ意味がある

日本でこの慣用句の意味として理解されている「愛を失うのが怖いから死んだほうがまし」「目の前で死んでこの愛を永遠にしたい」という願望は解釈違い。相手がこれからもめいっぱい長生きすることを願うもので、「お互い命を落としても後悔しないぐらいの仲」「刎頸の交わり」とも全く違っている。

「本当なら一緒に死にたいのに」と言ったりするフレーズではなく、相手が自分より長生きするという明確な時間差がこの慣用句の肝心な核の部分に当たる。「自分が先に逝って相手が後」となる前提にこそ意味があるため「本当ならあなたと共に逝きたいのに」的な願望に書き換えるのはNG。

自分勝手な願望ではなくむしろ言う側の自己犠牲

年長者が自分より長生きするのが普通である子や孫に言う場合が多いフレーズなので「自分が先立つことで相手を苦しませるという自分勝手な願望」という非難はネイティブらの間からは特に聞かれない。

むしろこの系統の慣用句は自己犠牲的で相手を持ち上げるために自分を落とす卑下の性質を持っており、相手がいかに大切なのかを「先に死ぬのは自分であるべき」で示しおべっか・お世辞・甘やかしとする表現。

夫をおだて喜ばせるために自分が先に死ぬ前提で話すこと、昔は家庭内暴力に耐えながら夫をほめちぎるのに多用していた女性も少なくなかったため夫婦間で口にされる場合に問題視されやすく、妻の側が大事にされない・夫のために女性が自分の命や寿命を軽んじてまで口にする男尊女卑言葉だとして非難されがち。

直訳の別解釈~「死ぬほど好き」

アラブ世界に多い犠牲・献身・死を使った大げさな言い回しの一種としてとらえる「死ぬほど愛してる」としての解釈も。

アラブ世界には「それをやったら死ぬのでは?」「そんな言葉があるなんてアラブ人は一体どういう恋愛をしてるの?」と勘違いされがちな大げさな慣用フレーズが多く、自分の心身や命を捧げる隷属的・犠牲的行為を使って思いの強さが表現される。

日本語の「死ぬほど好き」「好きすぎて死ねる」「尊くて死ねる」が自死の意思抜きで使われているのと同じ。

使われる地域・シチュエーション

この慣用句を使う人々

地中海に面したアラブ世界北側地域である特にシリア方言、そしてレバノン方言におけるイスラーム教徒・キリスト教徒共通慣用句。

お母さん・おばあちゃんが夫をおだてたり子・孫らを抱っこ&キスしながら好き好き言ったりするのに日々使っている愛情・称賛・おべっか言葉の代表格。既婚女性が夫、子供、孫、親族たち相手に言ったり、年上の親類知人が小さな子をかわいがったりする際の定番フレーズなので「うちでこれをいつも言っているのはお母さんかおばあちゃん」「子供の時親戚が集まるたびに年上の身内みんなに言われた」というシリア人・レバノン人が多い。

父親→幼い娘・息子といった具合に男性が使うこともあり、家族愛・親の愛を表す言葉というイメージが強め。

結婚前の超ラブラブ期に❤を飛ばしまくるかのようにいちゃつきながらたくさん言ったりと、現代では恋人・婚約者同士の使用も増えている。

唯一無二同士だけに許された言葉ではないので、数十人単位の集団相手、さらには一方通行の思慕にも用いられる。また恋愛・性愛限定ではない親愛・称賛表現なので同性相手に使うことも多い。

日常生活では気軽な呼びかけ・おべっか・ほめ言葉に変わっているので、これといったつながりが無い人が赤の他人・特に親しくない人の外見やしぐさ・ペット・非生物の物事相手に「かわいい」「いけてる」「すごい」という意味で使うことも多い。

日本で紹介されているような唯一無二の片割れ、共依存、二人で一緒に堕ちていく、生死をかけた愛憎、私を殺せるのはあなただけ、殺傷がらみのケンカップル、無理心中や殺し合いをする仲といった重たい情念・間柄を表す言葉ではないので要注意。

主な使用シーン

家族愛の表現がメインということで、実際の家庭内での会話に加え、テレビドラマでも夫婦間の会話、親や親戚一同が子を抱っこする・話しかける・寝かしつけるシーン他で頻繁に登場。

恋愛期間ゼロかつ父方いとこ同士の結婚が多かった時代に生まれたフレーズであるため、近代舞台のドラマでは「ねえおじさんの息子さん」(=従兄弟である夫への呼びかけで日本でいうところの「ねえあなた」に相当)という呼びかけとセットで登場することが多い。

日常会話では対象範囲が非常に広く、家族・親戚・恋人だけではなく仲の良い友達、ただの知人、面識すら無いネットだけのやり取り相手、かわいいペット、好きな芸能人、応援している政治家、崇敬している宗教指導者、政府、ほめたい物事など幅広い対象を主語にして「◯◯が私を葬ってくれますように」という言い回しをする。

「こんな重たい気持ちなかなか言い出せない」の対極にあるので出し惜しみせずばんばん使われており、1つの会話で10回、20回と言いまくる人も。未婚女性らが大好きな芸能人を「愛してる!」「素敵!」と絶賛したい時にも使用するためSNSでは推しの画像とセットで見かける率が高い。

直訳だけダークなのに中身は明るいこともありコミカルな言い回し扱いされることもしばしばで、ネットでは茶化した会話や笑い話のネタに使われることも多い。

この慣用句の理解に必要な背景情報

アラブ人がよく使う家族愛ワード「先に死ぬのは自分で、愛する人が後に亡くなりますように」の一種

アラブ各国には同じような内容を表す慣用句がいくつもあり、

  • 「◯◯が私を葬って(=埋葬して、土葬して)くれますように」
  • 「◯◯より先に死にたい」
  • 「自分の生涯の後に(も相手が元気に生きて、その後で亡くなってほしい)」
  • 「神様が私の死ぬ日をあなたの死ぬ日よりも先にしてくれますように」
  • 「ああ私を葬る人よ」

等はいずれも「先に死ぬのは自分で、好きな◯◯は後に死ぬ」を願う気持ちを表す。

この手のフレーズは家族愛の象徴として使うのが基本で、ずっとそばにいてほしいという強い愛着や相手の長寿・健康・幸福祈願が由来。そのためダークで過激な解釈・和訳を避ける必要あり。

死期が違うこと、愛する人が自分の土葬に参加してくれることは話者の喜び・幸せ

現地は土葬なので人手がかかり葬儀への参加者も大人数。死装束を着せる・遺体を担いで墓地に運ぶ・墓穴埋葬に立ち会ったりするのは親族や非常に身近な人々であることから、「私を埋葬してほしい」(=私のお葬式に参加してほしい、土葬現場に立ち会ってほしい)と伝えることは自分にとった大切な人々が

  • 自分の現世最後の瞬間まで寄り添ってくれる
  • 自分より先に死んでしまって辛くてたまらないという日々を過ごさずに済む

という願いを意味。そこから

  • その人を亡くす悲しみが計り知れないぐらい愛している
  • その人と生涯ずっとそばにいたい
  • 大切な人(たち)が早逝せず無事に年を重ね、末長く健康・幸せが続きますように

という発想と結びつく。

「自分が先に死にたい」は軽い呼びかけ・甘やかし・おべっか・称賛に置き換わっている

日常生活で口にする言葉としては非常に軽い意味に変化。自分の死や埋葬を願うために使う言葉ではなくなっている。

元の由来に近い「すごく愛してる、(これからずっと身近にいてほしいぐらいに)大好き」に加え、愛着や尊敬を示す文章がただの呼びかけ語のようになった「ダーリン、ハニー」「きみ、あなた」などが派生。

さらには自分と相手との死期の差が卑下・謙遜や相手の価値を高めることにつながり、称賛・ヨイショ・おだて(すごい、素晴らしい、素敵、なんて~なんだ!)、頼まれ事に際して相手の要望には何でも応えるという意思や相手の方が優位に立っていることを示す「おおせのままに、なんなりと」といった意味へと発展した。

日本人が間違いやすいタイプの慣用句~言い回しが怖いのに中身は全くの別物

“ヤーアブルニー”ことユッブルニ(ー)/ヨッボルネはアラビア語圏によくある「自殺志願や奴隷奉仕願望っぽくて激しく粘着質に聞こえるのに、先に死にたい系の言い回しはあふれだす愛情・真心・善意やおべっか・ごますりの類として機能するものであり、伝えたいメッセージ自体はごく普通」な言葉。

命を捧げる・自分の死・墓・埋葬部分は強調語「とても」「すごく」「very much、so much」代わりなので平常運転範囲内の感情として扱い、過ぎるほどの強い執着・狂おしく心身をむしばむような衝動・ドロドロした情念は想定しない。

実際にはヤンデレ要素もダーク要素も抜かれて今相手と一緒にいられることの幸せ・相手への親愛の情といった優しい気持ちのほとばしりを表現するものであり、時として茶化した感じになることも。

このフレーズが切なく悲しい意味を示すのは「この苦境や内乱の中であなたが若くして死にませんように、愛しい我が子よ長生きして」、「”あなたが私を葬ってくれますように(=長生きしてね)”という慣用句で愛を伝えてきたはずの我が子が若くして死んでしまい親の自分が墓に埋葬してやる側になってしまった。」といったシーンなどに限られる。

「自分の葬式への招待」といった評もある変わったおもしろ慣用句枠としての実像と日本でのイメージとの違い

日本では出版社が「同人誌にぴったりのヤンデレ表現」と広報するなどしてダークで激重な特大感情として有名になり、ネット記事が「アラビア語で最も美しく重い愛情表現」と紹介するなどしてきたが、現地にそういう評判は存在しない。

元々恋愛結婚がほぼ無かった時代、そして昔から戦乱が絶えず死が身近だった地域で生まれた表現であり、母親の葬儀で息子が「母さんじゃなく自分が死にたかった!」と号泣し時には悲しみのあまり失神してしまうことすらある家族関係が密接な社会とも結びついたフレーズなので、全く異なる文化圏にいる日本語話者の場合は自文化に合わせた解釈をし性愛・昏い願望・心中・自死といった方向性に引っ張られないよう特に注意が必要。

この言葉を何回も繰り返し交わすことはむしろコミカルですらある長生き祈願合戦に近く「どっちが長生きすべきか?」「葬式に招待されるのはどちらの側か?」「自分こそが先に死ぬ」と押し付けっこをするぼのした微笑ましいやり取りとして扱われたり「うちのママとの面白おかしい会話」ネタとして書き込まれたりもする。

ダーク・病み、特に殺傷・流血とからめた扱いはネイティブらが好まず否定記事が書かれたりも。暗い解釈は非アラブ圏特有だが、特に「愛する人の目の前で死んでしまいたい」という誤訳と出版社オリジナル世界観の長期的流布があった日本で顕著で、本来の姿とは対極的なヤンデレ度の非常に高いものとなっている。

日常生活における実際の使われ方

語源から発展して生まれた慣用句としての実際の意味

日常会話では直訳やその解釈と全然違う意味になるので語源を知らないネイティブも結構いる。実際の意図は死・墓・埋葬と縁遠く、暗い・病んでいるどころか明るい雰囲気で言われることが多い上に

  • すごく愛してる、超愛してる、大好き【愛情を伝える】
    (I love you so much)
    *今一緒にいられるという幸せをかみしめたり、これからもずっと一緒にいたいといった家族としての愛着・思いやりを表したりする。

    • 「”私を葬って”ママ」=ママ愛してる
    • 「”私を葬って”おばあちゃん、病気が早く治りますように」=おばあちゃん愛してる、病気が早く治りますように
  • 愛しい人、ハニー、ダーリン【呼びかけ語】
    (my love、my dear、honey、darling)

    • 「“あなたが私を葬ってね”、寝てちょうだい」= 愛しい子よ寝てちょうだいな、いい子ねねんねしてね
    • 「ねえ”あなたが私を葬って”、私も昨晩はよく眠れなかったの」=ねえあなた、私も昨晩はよく眠れなかったの
    • 「ねえママちゃん、”あなたが私を葬って”、出かけるついでにゴミを捨てていってちょうだい」=ねえ息子ちゃん、出かけるついでにゴミを捨ててってちょうたい
      *アラブ圏は親子間のあべこべ呼び習慣があり、母親が子供に「ママ」、父親が子供に「パパ」と呼びかける。ここではゴミ捨てをしてほしい息子にお母さんが「息子ちゃん」という意味で「ママちゃん」と声をかけているもの。
  • 訳せないぐらいに同じ相手に向かって10回、20回と繰り返す場合は ❤(ハートマーク)をたくさん散りばめた会話に近い。シリアは姉妹慣用句が10種類ぐらいあり、他のほめ言葉や愛情ワードも総動員して会話に詰め込む。
    • 「あら、”あなたが私を葬ってくれますように”おかえりなさい、”あなたが私の骨を埋めてくれますように”、お疲れさま”あなたが私のお墓の上を歩いてくれますように”」=あら、あなた❤おかえりなさい❤おつかれさま❤
  • あなた、君、親愛なる君、親しい友よ【呼びかけ語】ー 親族・親友間やSNS上のやり取りで相手を呼ぶ際に使う例が多い
    (you、Hey pal)

    • 「“あなたが私を葬って”、この件を誤解してますよ。」=あなた、この件を誤解してますよ。
    • 「ありがとう、”私を葬って”」=ありがとうハニー、君ありがとね
  • すばらしい、すごい、すげえ【称賛・感嘆】
    (How ~ ◯◯ is!、What a ~ ◯◯!)(◯◯はなんて~だろう!)
    *赤ちゃんの重量級ほっぺ、ムキムキの筋肉、美尻、つるつるのはげ頭などに対して「私を葬って」と言うことで称賛を示す。

    • 「笑顔が”私を葬ってほしい”」=すばらしい笑顔だね!
    • 「この座り方が”私を葬ってくれますように”」=この座り方ってすごく素敵!、なんてかっこいい座り方なの!
    • 「彼のハゲ頭が”私を葬ってくれますように”」=彼のハゲ頭とっても素敵、彼のハゲ頭ってすごくいい感じ
    • 「お前のケツが”俺を葬りますように”」=お前のケツたまんねえわ、お前ほんといいケツしてんな
  • あなたのおおせのままに【相手を持ち上げる】
    (as you wish)

    • 「君が望む物なら何でも買ってあげよう、ああ”僕を葬って”」=愛しい君のおおせのままに、ほしい物は何でも買ってあげるよ

のように多岐にわたるため、予備知識無しで適切な日本語訳を得るのは非常に困難。

会話中に出てくるこの慣用句を「あなたが私を葬って」「私が死んだらあなたの手で葬られたい」「愛するあなたより先に死んでしまいたい」「私はあなた無しでは生きられない」とすべきケースはまず無く、むしろ誤訳になるので要注意。

返事の仕方

言った側は死を願ったり言われた側に自分を殺してほしいとか埋葬してほしいと思って言っている訳ではないので、文章としては「~してくれますように」という祈願文でも「そうなると良いね」「大丈夫、ちゃんと葬ってあげる」「自分の手でこそ君を葬りたい」などと肯定するような返事はNG。

「あなたこそ自分を葬ってくれますように」のようにどちらが先に死ぬか、相手の方が長生きすべきだ、というのを押し付け合うかのように同じ言い回しを返したりするのがよくあるパターン。

この慣用句の典型的な使い方~孫や子を抱きしめるおばあちゃんの愛

レバノン有名チャンネルより。この番組は親族再会のお膳立てをしており、移民で海外に行ったきり渡航費を工面できず帰国も家族との面会も叶わないままでいる人々が多数出演。上の録画は、娘がドイツに暮らしているため孫娘に直接会うことができずにいた女性が念願の対面を果たすという回。

司会が先に赤ちゃんだけを連れてきて手渡すと「毎日写真で見ていたから孫だってわかるの」と熱く抱擁。ひたすらかわいがりながら تقبريني / تؤبريني [ 動画内ではトォビリーニ(ー)とトッビリーニ(ー)が混ざったような発音 ] やその応用バージョンである姉妹慣用句を合計で15回ぐらい言っており、「愛しい」「大切でたまらない」「かわいい」「離れたくない」といった気持ちを込め孫娘に呼びかけている形となっている。

後から現れた娘さんにも تقبريني / تؤبريني [ トォビリーニ(ー)/トッビリーニ(ー) ] の類を10数回は言っているので、短い数分間の間に「私を葬って」慣用句を合計30回は口にしている計算に。

発音と表記

現地での一般的なアラビア語表記と非アラブ圏で出回っている表記

現地で多用されているつづり

現地では يقبرني か يؤبرني が圧倒的多数なつづり。あとは يئبرنييأبرني など。

本やネットで出回っているつづり

『翻訳できない世界のことば』日本語版では意味以外にも語形・読みガナ・アラビア語表記・品詞が本来とは違った形で紹介されている。本には يا اقبرني とあるが、語形などから現地表記を調べずに英訳・日本語訳を再度アラビア語に直訳して作られた文章である可能性が高いため、使用回避を強く推奨。(日本の商業コミックで利用された事例ではアラブ人たちから「つづりが間違っている。シリアの慣用句のつもりだったと思うが意味が通った文章になっていない。」といった指摘が寄せられた。)

Twitter(X)では يا أبرني も出回っているが、アラビア語翻訳エンジンが未だ開発途上なGoogle翻訳がYA’ABURNEEという英字表記に対して機械的に合成・翻訳してアラビア文字として出力しているものをペーストした可能性が極めて高い。現地では非常に稀用でしかも通常はスペース無しの ياأبرني ياابرني とされるためコピペは非推奨。2024年1月現在、Google翻訳が新たに提示するようになった يابورني も厳密には誤りなので利用を回避する必要あり。

また一部英語サイトに記載されている يعبرني は2文字目の ـعـ が別の文字に置き換わることで「彼は私(のところ)を通過する」「彼が私(のところ)を通過してくれますように」という全然違う意味になってしまっているスペルミスなので使用回避を強く推奨。

アラビア語シリア・レバノン方言としての実際の発音とカタカナ表記

日本で有名な”ヤーアブルニー”という読みガナはおそらく日本語訳の時点でアラビア語表記に対応する部分が存在しない不要な「ー」が入ったもので、原作である『翻訳できない世界のことば』英語版では「ヤアブルニー」を意図して「YA’ABURNEE」を掲載した可能性が非常に高い。

現地では

のようなユッブルニやヨッボルネが多数。レバノン方言など地域によってはイッブルニ、イッボルニ、イッボルネ発音がある。数は多くないが一部の人はヤアブルニーに似た響きのヤッブルニ、ヤッボルニ、ヤッボルネ系で読み、これが本に収録された YA’ABURNEE の元ネタという可能性が高い。

ヤービュルニー、ヤー・アバーニーは読み間違い。アラビア語にはビュルやそり舌の bur(バー)という発音は無いので bur と当て字をしてあったらブル、bar はバル、bir はビルと読む必要あり。

なおこれは「彼が私を葬ってくれますように」の語形で、英語圏のフレーズ紹介本・記事では本来の使い分けができていて「彼女が私を葬ってくれますように」「(男性の)あなたが私を葬ってくれますように」の方はTA’ABURNEEだと書いているものもある。

一般的な英字表記

英字での当て字については、地域差・個人差があるため同じアラビア語表記に対して10数通りの発音、英字表記パターンも数十通りあるが、ポピュラーな英字表記は以下の通り。数字の「2」は一瞬息を止める声門閉鎖音という発音のことで「ッ」部分を表している。

  • 彼が私を葬ってくれますように(彼のことを愛してる;ダーリン;彼ってすてき)
    *この語形を「あなたを愛してる」の意味で使う場合あり。
    yu’burni、yo’borne、yu2burni、yo2borne
  • 貴男/彼女が私を葬ってくれますように(貴男/彼女のことを愛してる;ダーリン;貴男/彼女ってすてき)
    tu’burni、to’borne、tu2burni、to2borne

『翻訳できない世界のことば』に出てくる「YA’ABURNEE」という英字表記やそれに似た発音をするネイティブは少なく「英字表記を見ても例の慣用句のことだと気付かなかった」とコメントしている人も。しかし英語圏では元ネタの引用、孫引用が原因らしくya’aburnee系の表記がメジャー。

なお toqborneh(toq-bor-neh、トクボルネ)は「オックスフォード辞典がシリア・レバノンの慣用句を掲載したけど実際の発音と違う表記。トクボルネとは皆言っていないのにその形で辞書に載ってしまって残念。」という現地評なので回避推奨。

主語+動詞+目的語の文章なので「◯◯が私を埋葬してくれますように」の◯◯部分が彼、彼女、貴男、貴女…と変わるごとに毎回変形させる

本では「名詞」と説明されているが、1語に見えるかたまりに「主語(~が)&動詞(ーを埋葬する)+目的語(私を)」が詰め込まれた文章。”ヤーアブルニー”で紹介された語形は◯◯が「彼」もしくは男性名詞単数(それ、あれ等)の時にしか使えない。

  • 男性のあなた/彼女/女性名詞単数の動物や物事相手:
    تقبرني / تؤبرني / تئبرني / تأبرني
    トゥッブルニ(ー)/トッボルニ(ー)/トッボルネ
    「あなた♂が私を葬ってくれますように」
    「彼女♀が私を葬ってくれますように」
    「それ♀が私を葬ってくれますように」
    *これが『翻訳できない世界のことば』でヤーアブルニー(YA’ABURNEE)の英訳だとされている「You bury me.」に該当
  • 彼/男性名詞単数の動物や物事相手:
    يقبرني / يؤبرني / يئبرني / يأبرني
    ユッブルニ(ー)/ヨッボルニ(ー)/ヨッボルネ
    「彼♂が私を葬ってくれますように」
    「それ♂が私を葬ってくれますように」
    *これが『翻訳できない世界のことば』に出てくるヤーアブルニー(YA’ABURNEE)に該当
    *この語形を「あなたを愛してる」の意味で使う場合があるが少数派で慣用句として定着したことによるイレギュラー用法
  • 女性のあなた相手:
    تقبريني / تؤبريني / تئبريني / تأبريني
    トゥッブリーニ(ー)/トゥッビリーニ(ー)
    「あなた♀が私を葬ってくれますように」
  • 我が子たち・孫たち・園児たち…と愛しい/呼びかけたい/称賛したい存在が大勢いる場合:
    「彼らが私を葬ってくれますように」「あなたたちが私を葬ってくれますように」と複数形を使う。

    • あなたたち相手:
      تقبروني / تؤبروني / تئبروني / تأبروني
      トゥッブルーニ(ー)
      「あなたたちが私を葬ってくれますように」
    • 彼ら相手:
      يقبروني / يؤبروني / يئبروني / يأبروني
      ユッブルーニ(ー)
      「彼らが私を葬ってくれますように」

のように、愛している相手・おだてたい相手・ほめたい相手が誰か、人数は何人か、性別はどちらかによって語形変化させないと「自分が愛しているのは誰か」という肝心な部分が違ってしまう。

現地での扱い・イメージ

これと同じ意味を表すのに姉妹慣用句も含め10種近く使うシリアでは地元方言が持つ豊かな表現力の証だとされている。

一方、家族愛・夫婦愛を伝えるにしては暗く不穏な言い回しなので「愛してるという意味なのに自分の葬式への招待を連呼し合っている」「愛の強さを伝えあっているのに、自分こそが先に死ぬと言い合って自分の墓に招きっこしている」という微笑ましいけれどよくよく考えたら滑稽かも的な自嘲ネタにされる、「もっと明るい表現に置き換えよう」という議論がなされる、似た慣用句を持たない他地域アラブ人から「うちの地域なら本当に埋葬してもらいたがってると受け止められるよ」と驚かれることもしばしば。

また離婚したくても自活の道が無く夫への服従や暴力に耐えるしかなかった旧世代が盲目的な絶賛・徹底的におだてて喜ばせるツールとして多用していたため、意図的に使わないようにしている人がいたり、男尊女卑だから使うのはやめようといった提案が出たりするなど賛否両論あり。

現地では女性の就業率上昇・地位向上により亭主関白からかかあ天下に変わった家庭が多く、自然と夫に言わなくなった若い世代に切り替わってきているという。

日本では『翻訳できない世界のことば』を通じ違うイメージで有名に

「あなたの目の前で死んでしまいたい」は書籍日本語版のみにある誤訳で実在しない解釈

『翻訳できない世界のことば』では英語版時代からの取り違えで「彼が私を葬る」(本での読みガナ:ヤーアブルニー、現地発音:ユッブルニ(ー))(He bury me ≒ I love him)という意味のアラビア語に「あなたが私を葬る」(現地発音:トゥッブルニ(ー))(You bury me ≒ I love you)という訳がつけられているなど訂正が必要が箇所が複数ある上、ごく普通の愛情・称賛・感嘆が「美しく暗い望み」「病的執着心」と説明されていたりで現地での実像とは違う情報や考察が大半を占めている状況。

日本語版では「先に(earlier than)」の意味で使われている前置詞 before を「前で(in front of)」の方と取り違えてしまった誤訳により慣用句本来の語義にも書籍原作(英語版)にも含まれない願望「その人の前で死んでしまいたい」が混じりニュアンスが大きく変容。

翻訳できない単語を紹介するという趣旨の書籍ながら、YA’ABURNEEが持つトリッキーさの罠にはまった結果英語版の時点で実像との誤差が生まれ、日本語版でさらに元の姿と離れるという二重のずれが起こってしまったケースだと言える。

日本で流布している激重解釈は出版社オリジナルで”私を生かせる・殺せる唯一の存在”に関しては唯一神に捧げる称賛の言葉なので要注意

日本語版出版社による作品考察的な推測による独自解釈と「創作に使えるヤンデレ言葉」というプロモーションの結果、病的執着・共依存・悲恋を体現した重く昏く激しい愛を吐露する特大の言葉として有名に。

しかし実際は狂愛・耽美・退廃や「死をもって愛を永遠のものに」「愛しすぎて辛いから死んでしまいたい」「死ぬ時はあなたの手で殺して」とは無関係。

「私を生かせる・殺せる唯一の存在」も出版社側によるオリジナル解釈なのでこの慣用句の説明になっていないが、アラブ世界における唯一神アッラーの全智全能ぶりを表現するための特有の言い回し・イスラームにおける神に捧げる祈りの文言と偶然ながらかぶってしまっている。

神だけに贈ることが許された祈り・称賛なので、アラブものや中東・イスラーム諸国向け商業作品での恋愛・性愛・暴行・殺害シーンに「あなただけが私を生かし・殺すことができる」を転用しないよう要注意。

日本で紹介されたダークな解釈は誤用で現地ではギャグネタ

「死にたいとか埋葬してとかいう意図じゃないから実際に結びつけてみると笑える」という前提で楽しむギャグ要素

愛する人の手で墓に埋葬される行為と結びつけるのは「文字通りのダークな解釈をする人なんていない」「誰もそういうつもりで言ったりしていない」前提のギャグ題材。

パートナー間での傷害・殺傷行為、相手の前での死、息を引き取る前に血だらけで言い残す、望み通り死後に愛する人の手で埋葬してもらう、といった作品内描写と結びつけることは現地お笑い動画と重なりネイティブには滑稽に映ってしまう可能性が大きい。

誤解釈・誤用に関するネイティブ側からの指摘

誤解については過去にはSNS上でシリア人らによる「日本の人たちはこのフレーズの意味を勘違いしている」との指摘も。

日本の漫画で容赦無く強い戦闘狂タイプキャラクターの肌に描かれていたのを見たアラブ人ファンらが「文字通りの意味じゃなく相手を甘やかすための言葉なのになんでこの絵で使わたれんだろう?」「作者のおふざけなのでは?」「つづりが間違っているから作者に知らせよう」という作り手が意図しなかったであろう方向に受け取る事例も起こった。

アラブ人に通じないこと、ネイティブに嫌がられている誤解であること、場合によっては「間違っている」という通報が制作者側に寄せられる可能性もあることから、本来の語義とは全く違うシリアス&ダーク解釈に基づいて海外展開予定の商業作品内で利用する、組織・製品等のネーミングに取り入れる、殺傷・流血に関連した画像・動画類と組み合わせることは回避を推奨。

 

***ここからが本編です***
***長いので目次からの移動・拾い読み推奨です***

書籍『翻訳できない世界のことば』における”ヤーアブルニー”としての掲載

本での紹介内容

ネットの記事やSNSの投稿で定期的に話題になる「ヤーアブルニー」というフレーズ。以下の翻訳本を通じて日本で知られるようになったようです。

翻訳できない世界のことば

著者:エラ・フランシス・サンダース
翻訳:前田 まゆみ
出版社:創元社
『翻訳できない世界のことば』

見開き左側:
この言葉は、ロマンチックと病的との中間にあります。
そして、これは、だれかに、いかにその人を好きで執着しているかを伝える、
もっとも美しくて不穏な方法です。
ARABIC | アラビア語 名詞
見開き右側:
YA’ABURNEE
直訳すると
「あなたが私を葬る」。その人なしでは
生きられないから、その人の前で
死んでしまいたい、という美しく暗い望み。
065 يا اقبرني ヤーアブルニー

これに対しては「ぐっときた」「心打たれた」「滾る」「エモい」「性癖に刺さりまくり」「自分の推しカプにぴったり」「この一言だけで作品が書けそう/描けそうな勢い」「創作意欲が湧いてきた」といったリアクションが寄せられてきたかと思います。

ところがこの見開きの中に収録されている情報は

  • YA’ABURNEEのアラビア語での発音はヤーアブルニーではない
  • アラビア語表記の「يا اقبرني」は誤りでアラブ人たちからも訂正が必要だと指摘が出ている
  • YA’ABURNEEの直訳は「あなたが私を葬る」ではなく主語が違う「彼/それが私を葬ってくれますように」という祈願文
  • 「その人の前で死んでしまいたい」は誤訳で「(大切な人が早死にするという辛いを思いをしたくないから)その人よりも前に死にたい」
  • 実際には「死んでしまいたい」という気持ちを表すために使う慣用句ではない
  • 優しさが詰まったお母さんやばあちゃん的な親子愛・家族愛、相手を甘やかすダーリン呼び、おべっか、好きなものや推しに対する絶賛として使われており、病んだ願望やダークな解釈は非ネイティブがよくする典型的な誤解として有名

と実像との間に多くの誤差があり、それを元に独自考察を作られた出版社の広報により激重ヤンデレ表現というイメージが補強され、日本で本来とは全く違った意味と使い方で周知されてしまったものだったりします。

本での説明と出版社広報のオリジナル設定から生まれたヤンデレ世界観

このアラビア語口語慣用句ですが、著者さんの調査不足・和訳時の誤訳・出版社の独自解釈によるヤンデレ説明のため日本では本来での実際の意味とは全く違う姿で流通しており、何年もの間情報拡散が続いている状況です。

「でも、本に書いてあるぐらいだからそういう解釈や使い方もあるのでは?」、「出版社がエモくて創作に使えるヤンデレ言葉だと紹介していたので間違いじゃないのでは?」と思われる方も多いようなのですが、これらは”ヤーアブルニー”が直訳と実際の意味とが全然違うことで有名な慣用句だという点を見落としてしまっていることに起因する誤解となっています。

「その人の前で死んでしまいたい」という部分は日本語版にする際の誤訳なので実在しない設定・世界観で、同じ本『翻訳できない世界のことば』の原作である英語版にも含まれていない内容となっています。

執着と呼んで一般的な家族愛と区別するような重たく病的ですらある感情ではなく、慣用句としても家族・知人から動物・物に至るまでごく普通の愛着、呼びかけ、称賛、甘やかし・おべっかに使われている軽い言葉です。暗い解釈はネイティブたちによって「よくある誤解」「やめてほしい誤解」として知られているもので、現地では日本で認知されているのとは全然違う使い方がされています。

“ヤーアブルニー”というキーワードが含まれていないこと、『翻訳できない世界のことば』があまりに有名なためネット上にひっそりある状態ではあるものの、まとめサイト記事『「アラビア語での『I LOVE YOU』に相当するフレーズ」海外の反応』の方がこの慣用句の現地像を日本語で紹介しているのですが、ネット上で転載された件数も少ない様子。そのため訂正記事も出ないままヤンデレワードとしてすっかり有名になってしまった感があります。

ネイティブの間で「理解してもらえない慣用句」「外国語訳が難しい慣用句」として有名

「私を埋葬してくれますように」が優しい愛や明るいほめ言葉になるという変わった慣用句

このアラビア語フレーズは実際にはお母さんやおばあちゃんが愛する皆の長生きと健康を祈るという家族愛が原点なので、言い回しは怖いものの中身そのものについては病的要素は無く暗い望みという扱いもされていません。

アラビア語で最も美しくて不穏な方法ではなくアラブ諸国に姉妹表現が複数種類ある定型愛情表現の変化形なのですが、自分の葬式を具体的に持ち出す言い回しなので現地ではむしろ珍慣用句・ギャク枠に入れられたり、夫をおだてるために利用されてきた男尊女卑言葉だとして使用廃止呼びかけが行われたりと日本におけるイメージとはかなり異なっています。

しかし通常は本で読んですぐにSNSなどで引用したり「この言葉すごく使える」と創作に利用したりで、本に書いてある内容が正しいのかどうか、実際にはどういうシチュエーションやニュアンスで使うべきフレーズなのかを調べてみた方は少ないのではないでしょうか…

ダークでホラーチックだという誤解は各国共通の反応

実はこのフレーズ、日常会話でこれを使っているシリアやレバノンの人たちの間では「非ネイティブには正確に理解してもらえず、外国語訳も難しい」「ちゃんと意味は説明したはずなのに、それでもピンとこないらしく暗くて怖いと言われてしまう」といった評判があるのだとか。

『翻訳できない世界のことば』はそのよくある勘違いにはまって除去必須であるはずのダーク系イメージを付与してしまっているもので、海外では昔からよくされている誤解のパターンだったりします。そのため日本の皆様がダークで切ないフレーズだと受け止めてしまわれたのも自然な反応だったと言えるかもしれません。

日本で広まってしまった大いなる誤解。しかしそれこそがこの慣用句の”翻訳できないアラビア語のことば”としての難しさの証拠でもあるので、「私をお墓に埋めて」がなぜ優しく明るい意味になるのか、どういう部分が間違われやすいのかといった検証・背景考察も兼ねて色々と調べてまとめていきたいと思います。

アラビア語表現「◯◯が私を葬ってくれますように」の発音・語形・意味

「◯◯が私を葬ってくれますように」はシリアやレバノンで使われている口語表現(話し言葉限定の慣用句)です。

解釈については色々と現地のバックグラウンドを知る必要がある上、同じ意味の姉妹表現が多数あるので別途まとめページを設けました。詳しくは『シリアやレバノンの愛情・称賛表現تقبرني(あなたが私を葬って)等と実際の意味』をお読みください。

現地での主なつづりと発音

本では彼相手とあなた相手の言い方が混ざっている

『翻訳できない世界のことば』は「彼が私を葬ってくれますように」というアラビア文字部分に「(男性の)あなたが私を葬ってくれますように」という訳を組み合わせてしまっています。

アラビア語の動詞未完了形は1文字目が「y」音だと主語が彼・彼ら、「t」音だと彼女・あなた・あなたたちに切り替わってしまうので、この慣用句でそれらを入れ替えてしまうと愛していると伝える相手が別人になってしまいます。

慣用句として定着しているために本来は主語に合わせて変形させなければいけない動詞が、相手が「彼」でも「あなた」でも、「彼が私を葬ってくれますように(YA’ABURNEE)」の語形で済ませてしまう使い方もあるのですが、マイナーなので基本的には使い分ける感じです。

「あなたが私を葬ってくれますように」という意味で通常使われている語形にするためには少なくとも YA’ABURNEE から TA’ABURNEE に直す必要があるのですが、TA’ABURNEE のネイティブ発音についてもターアブルニーとは違う感じで、タッブルニー(タァブルニーが混ざったような発音)が近いです。

口語(話し言葉)でのつづりと発音

現地でメジャーなつづりと発音

つづりは現地発音に揺れがあること、口語アラビア語のつづりに正式ルールが無いことなどから4種類ほどの表記が混在。うち تقبرنيتؤبرني が特に多いです。

تقبرني / تؤبرني / تئبرني / تأبرني

サンプル音声:Forvo – تقبرني

  • [ tu’burnī ▶︎ tu’burni ] [ トゥッブルニー ▶︎ 語末長母音の短母音化でトゥッブルニ ]
  • [ to’bornī ▶︎ to’borni ] [ トッボルニー ▶︎ 語末長母音の短母音化でトッボルニ ]
  • [ to’borne ] [ トッボルネ ]

下に進むにつれてより方言っぽい発音の度合いが強くなるイメージです。تئبرني についてはトゥッブルニ(ー)以外にも地域によってティッブルニ(ー)やテッブルニ(ー)に近く聞こえる発音がされ得ることとある程度関係があるかもしれません。

なお ق [ q ] 部分が違う音である ء [ ’ ](声門閉鎖音/ʔ/)に置き換わってしまう現象について別ページの解説を参照願います。ちなみにネット上では「エジプト方言での発音」「エジプトの慣用句」という解説書き込みもありますが、エジプトは無関係です。ق [ q ] 部分の発音変化が同じだけでエジプト人はこの「◯◯が私を葬って」という慣用句は使わないです。

文語アラビア語(フスハー)との違い

文語(フスハー)では

  • تَقْبُرُنِي
    [ taqburunī ] [ タクブルニー ]
    (男性の)あなたが私を葬ってくれますように;彼女が私を葬ってくれますように

になりますが、「あなたが私を葬って」系フレーズは各国共通の文語アラビア語(フスハー)にある表現ではなく、シリアやレバノンの口語表現(アーンミーヤ)だけに存在する慣用句なので方言発音で表記するのがベストだと思います。

特定地域の日常生活で用いられるフレーズだということで常に口語活用・発音をするため、こうした純書き言葉語形・発音のタクブルニーが正しいとして直すのは過修正になってしまうためです。

日本で見られるアラビア語表記について
タトゥーとして彫る前に是非確認を

日本ではこのアラビア語フレーズの正確なアラビア語表記が出回っておらず、「あなたが私を葬ってくれますように」という意味だとして「彼が私を葬ってくれますように」という違う語形で紹介されている上に、流布しているもののほとんどが誤字脱字に相当するスペルミスとなっています。

アラビア語の素敵な言葉なので彫ったということでネットにて写真をアップされている日本人の方々のタトゥーが軒並み書き間違いとなっており、本や有名アカウントによる誤った情報の流布が簡単に消せない刺青として肌に残ってしまうという問題を生んでしまっている状況です。

多くの方々がタトゥー原稿として利用されている以下の事例はいずれも誤記だと断定して差し支えないつづりとなっています。消せないタトゥー等への利用をしないようご注意ください。

『翻訳できない世界のことば』における誤表記

本に印刷されている يا اقبرني は英語・日本語直訳をもう一度アラビア語に直訳し直した可能性が高い文章で、商業作品での利用例を見たアラブ人たちから「文章として意味が通っていない」「シリアの慣用句のつもりらしいけど書き間違い」といった指摘が実際に出ています。

ゆる言語学ラジオさんツイートでの誤表記

またゆる言語学ラジオさんツイート経由で広まった يا أبرني ですが、Google翻訳がYA’ABURNEEに対して機械的に変換・翻訳してアラビア文字として出力しているものです。機械翻訳からそのままコピペしツイートされた可能性が高く、現地ではまず使われないつづりなのでコピペはおすすめしません。

慣用句の説明も『翻訳できない世界のことば』から引用されたものですが、アラビア語表記は書籍日本語版の يا اقبرني と違っています。本を見て手打ちしたのではなくGoogle翻訳から貼り付けた文字列だとは思うのですが、残念ながらこちらもほぼ誤記だと言えます。スペース無しの ياأبرني の方であれば一応現地での利用例があるのですが、それでも非常に数は少ないです。

ネットの書き込みによると、Twitterで見たということでこのスペルミスをそのままタトゥーとして彫ってしまった方もいらっしゃるようです。肌に墨を入れてしまうと簡単には修正が聞かないので特に注意が必要かと思います。

Google翻訳の誤った回答提示

Google翻訳はしばらくの間「YA’ABURNEE」と入力すると、機械的にアラビア語へ置き換えた يا أبرني という誤った結果を提示していました。ところが2024年1月現在、新たに違う誤記  يابورني が提示されるようになっています。

Google翻訳はアラビア語翻訳の低く、特に本ページで紹介しているようなシリア方言やレバノン方言に対応していないことから、通常読み書きに使われる文語アラビア語に比べて遥かに精度が落ちてしまいます。

そのため上の2つのようにGoogleが自動で変換して出したような結果は基本的に誤りであることが多いです。提示結果を信用してしまって消せないタトゥーなどとして彫ってしまわないようご注意ください。

ただ、後者の يابورني に関しては「ヤーブールーニー」ないしは「ヤッブールーニー」となってしまうので「ـبور」の「ـو」は要らないはずが يابورني とつづっているアラブ人もしばしば見かけます。なのでこれからイラストやタトゥーに入れる予定の方は避けた方が良いのですが、万が一既に使ってしまっても一応ギリギリセーフと言えるかもしれません。

ネットにおける別単語との取り違え

あと、アラブ人には全く別の音に聞こえるのに非ネイティブには聞き分けが難しい違う語と混同してしまっている يعبرني もまれに見かけることがあります。

これは右から2文字目の ـعـ が違う文字と入れ替わることで、全く異なる意味になってしまっているものです。前半の يعبر [ ya‘bur(u) ] [ ヤアブル ] は「彼は通過した、彼は渡った」という意味の未完了形動詞で、يعبرني [ ya‘burunī ] [ ヤアブルニー ] で「彼は私を通過する、彼は私のところを通り過ぎる」という平叙文や「彼は私を通過しますように、彼は私のところを通り過ぎますように」という祈願文・願望文になってしまうので、くれぐれも利用しないよう要注意です。

日本で見られるカタカナ表記について
ヤーアブルニー

よく知られている”ヤーアブルニー”ですが、現地で広く用いられているアラビア語表記 يقبرنييـ ـقـ ـبـ ـر نـ ـي の合計6文字)等と文字数が合わないカタカナ表記となっており、原語ではヤーアの「ー」に相当する部分がありません。

アラビア語の現地発音を把握されていない訳者さんが余剰の「ー」を足して日本語化された可能性が高く、日本語の例に置き換えると「とっても」という単語が「tōtemō(とーてもー)」になってしまっているケースに相当します。

原作である『翻訳できない世界のことば』英語版も同じ「YA’ABURNEE」が載っていますが、この手の英字(ラテン文字)によるアラビア語への当て字は

  • YA:ヤ( يـ の部分に相当)
  • 対応する文字無し:ー(アラビア語表記に無い部分)
  • ‘A:ア(「’」部分は声門閉鎖音/声門破裂音で勢いを強くして「ア」と発音することを意味、アラビア語の語形の関係上この部分に母音Aがつかないため「’A」のAは本来不要)( ـقـ の部分に相当、方言つづりでは ـأ などに置き換わることも)
  • BU:ブ( ـبـ の部分に相当)
  • R:ル( ـر の部分に相当)
  • NE:ニ( نـ の部分に相当)
  • E:ー( ـي の部分に相当)

と対応させて読むルールとなっています。

「YA’ABURNEE」と書いてある場合はまず第一に「ヤアブルニー」と読むのが基本となっており、日本語版の「ヤーアブルニー」は「’」部分を長母音と誤解した和訳者さんが不要な「ー」を本の原作者さんが意図していたであろう「ヤアブルニー」に追加してしまったものである可能性が高いように思います。

ヤービュルニー

また記事によっては”ヤービュルニー”となっていることもあります。これはアラビア語を未習得の記者さんが bur 部分をブルではなくビュルと取り違えてしまったであろう表記で、アラビア語の英字表記には ur と書いて ュル になるようなつづりは存在しないため現地発音が”ヤービュルニー”や”ヤーアビュルニー”となることはありません。

有名な”ヤーアブルニー”も正確なカタカナ表記ではありませんが、”ヤービュルニー”よりは良いです。創作に本来の発音通りのユッブルニ(ー)、ヨッボルニ(ー)、ヨッボルネでは通じないし響きが好きじゃないからどうしても使いたくない、ということであれば”ヤーアビュルニー”は避けて”ヤーアーブルニー”の方を選ばれることをおすすめします。

ヤー・アバーニー

これ以外にネット記事では”ヤー・アバーニー”もまれに見かけますが、これもカタカナ化間違いです。アラビア語では英語と違って英字表記の ar、ir、ur 部分を舌をそらせた「アー」と読むことはしません。「ar」ならアル、「ir」ならイル、「ur」ならウルと r 部分で舌を歯茎に当ててはじいて「ル」とするのがアラビア語単語のカタカナ化ルールとなっています。

このフレーズを言う人・言う相手

お母さん・おばあちゃんから子・孫といった家族内がメインで恋人同士、親友、身近な人物、ほめたい物事への使用も

元々は夫をほめちぎっていた旧世代の女性が多用していたフレーズで主に身内に使用。妻→夫、母→子、祖母→孫もしくはその逆。広い意味での親愛・称賛として用いられているので恋愛・性愛とは全く無関係な同性相手、動物・物相手にも使われています。

女性の自立促進や配偶者依存・絶対服従が薄れたことで妻→夫シチュエーションなど現代では廃れてきている一方、自由恋愛増加に伴ってか恋人間の利用も見られこのフレーズを使ったラブソングなども。

『翻訳できない世界のことば』では寄り添う男女のイラストが描かれていたので恋人・夫婦といったパートナー関係の非常に重たい気持ちを吐露するための言葉だと間違えてしまわれた方が多いかもしれませんが、実際には家族間の寄り添い合う愛着・相手に不慮の出来事が起きたりせず無事長生きしてほしいと願う優しさがメインだという扱いです。

また慣用句として発展したため親しい友人、ほめたい物事、ペットなど毎日のちょっとした表現に幅広く利用。シリア人やレバノン人の典型的会話の目印の一つにもなっている模様。

「あなたが私を葬って」「あなたが私のお墓に銀梅花の花をお供えして」といったシリア近辺特有の慣用句に関して「私たちは死というものを使って愛情表現をするんです」と説明している動画。

中盤に出てくる子供を抱き上げるお母さんたちのイメージ映像部分は、当該地域の子どもは育っていく過程(初めて歩いた、勉強を頑張った等)の各場面で母親からこれらの言葉を言ってもらうのだというナレーションに合わせたものです。この紹介ビデオからも現地の人によって”ヤーアブルニー”ことトゥッブルニーの類が親族の愛をまず思い出す言葉であることが感じ取れるかと思います。

なおこれはネット記事『Common Problems that Arise when Localizing the Arabic Language』(アラビア語をローカライズする際に生じるよくある問題)でも紹介されている使い方で、子供が何かを成し遂げた時に嬉しくて幸せな親心を表現するという用法に該当。非アラビア語話者が病的・ダークに受け止めがちだけれども実際は途絶えることの無い愛情を表すものであり、くだけた日常会話でも用いることが紹介されています。

ネイティブによる書き込みから

シリア系、レバノン系住民の参加が少なくないネット掲示板や知恵袋サイトなどを回るとどんなシチュエーションで使うのか説明されていることが多いです。

  • 「シリアやレバノンの女性たちが夫や息子に使う言葉。」
  • 「妻から夫、夫から妻の夫婦間で使う。」
  • 「お母さんが子供に言うことが多い。あとはごく親しい友人や自分にとってとても大切な人にも言う。」
  • 「ママ大好き!って子供が言ったりした時にお母さんがこのフレーズで返事をしてくれたりする。」
  • 「女性が子供をほめる時によく使う。」
  • 「うちはおばあちゃんがよく使っている。」
  • 「自分の体験ではおばあちゃんが孫に言うってイメージ。」
  • 「自分はレバノン人だけれども父母、祖父母、おじおばたちからこの言葉を言われながら育った。」【 ソース 】
  • 「お母さんが子供に使うのがメイン。恋人に使うこともある。」
  • 「家族間で言う言葉だけれども恋愛の場面でも使われる。」
  • 「夫婦間や非常に親しい友人同士で使ったりする。」
  • 「女性に限らず男性も使う。」【 ソース 】

直訳

【動詞未完了形+人称代名詞接続形】
英語:You bury me;May you bury me
日本語:(男性の)あなたが私を葬ってくれますように、あなたが私を(お墓に)埋葬してくれますように、あなたが私をお墓に埋めてくれますように、あなたが私を墓穴に土葬してくれますように

平叙文「あなたが葬る」ではなく祈願文「あなたが葬ってくれますように」

見た目上は切れ目がない一語ですが動詞未完了形(あなたが葬る)と人称代名詞接続形(私を)がくっついています。アラビア語は動詞に主語を示すパーツを含むので動詞1個で「あなたが葬る」を表せます。人称代名詞もくっつくタイプなので見た上はたったの1語に見えます。

訳についてはアラビア語だと大半の祈願文が平叙文のままの全く同じ構文なので文意に応じてどちらなのかを判断します。この場合は祈願文となります。

  • 「あなたが私を葬ってくれますように」
  • 「あなたが私を(お墓に)埋葬してくれますように」
  • 「あなたが私をお墓に埋めてくれますように」
  • 「あなたが私を墓穴に土葬してくれますように」

祈願文なので「(してもらえるかどうかは不確定だけれども)あなたには私の埋葬に加わってほしいな」という希望を表します。

断定調の平叙文ではないので「あなたが私を葬る」(ことが決定的だ、それ以外無いと思っている)→ 私を葬るのはあなただ→ あなたこそが私を葬る人だ → あなたこそが私を葬れる唯一の存在 などと解釈しないよう要注意です。

シリア南部には يَا قَبَّارِي [ yā qabbārī ▶ ya qabbāri ] [ ヤー・カッバーリー ▶ 語末長母音が短母音化してヤ・カッバーリ ](ああ私を埋葬する人よ、ああ私を葬ってくれる人よ)というフレーズがありますが、これも「あなたこそが私を葬れる唯一の存在」ではなく「君が愛しい、あなたが健やかに長生きして」が中身です。

いずれにせよこのフレーズは「私を葬って」という直訳段階で解釈・外国語訳してはいけない慣用句の典型例ということで、「葬る」云々については最終段階まで残さずに和訳する時点で切り離して実際のシチュエーションから意味をくみ取る必要が出てきます。

「私を葬って」のストレートな直訳は「(墓穴を掘り)私を埋葬(=土葬)して」

アラブ諸国の土葬行為と直結した慣用句

「葬って」と訳すと少し抽象的な感じになるのでわかりにくく、日本では「私のお葬式に出てください、という意味だ」という解説をされていることもありますが、実際にはもう少し深い思いが込められています。

ネイティブによる色々な解説で確認する限り最もストレートな直訳は「墓(穴を掘ってそこ)に私を埋めてほしい」です。

シリアなどで使われているトゥッブルニ(ー)系愛情・称賛表現は「私に死装束を着せてほしい」「私の死装束(遺体袋)の端を縛って結んでほしい」「私を墓穴に埋めて」「私の墓の上に立って」「私の墓の上を歩いて」「私の(お墓参りをして)花を供えて」という具合に土葬地域における具体的な亡骸処理や埋葬行為(外部リンク:イスラームの葬儀に関するイラストつき解説)を使っています。

シリア近辺の人がネット上で「うちらの愛情表現は死や葬儀を使うので他地域のアラブ人に怖いと言われることがある。そういうのがロマンチックだと共感してもらえない。」と言っているのもそのためです。

愛情表現に遺体処理や土葬を使うのは全部親類縁者が担当するから

1人では土葬できず通常墓穴の周囲に親類縁者が集まるので、「あなたが私を埋葬して」=「埋葬に加わる一団の中にあなたがいてほしい」「自分は先に死んじゃうけどあなたは長生きして土葬に参加して」といった感覚でとらえるのが良いかもしれません。

姉妹表現の「私を死装束に包んで」は通常同性親族が担当。日本と違って葬儀業者ではなく夫、息子や娘たちが総出で最後の見送りをするため、「◯◯が私を葬ってくれますように」は大好きな家族みんなに最後の最後まで一緒にいてほしい気持ちや自分が生み育てた子供や孫たちがいつまでも元気に長生きしてほしいといった願いが原点にあると言えます。

土葬なので墓穴に収めるまで親類縁者が複数立ち会う

この慣用句とその姉妹表現ですが、元々夫や息子などに言ってきたフレーズということで最も身近な男性親族(息子など)が墓穴に下りて自分の亡骸を他の運搬役から受け取って収めることと連動しています。

「土葬する」「埋める」という動詞は相手が埋葬に立ち会う集団の中でも一番最後まで故人の側に寄り添う人であることを指しており、共に墓穴に降りて安置する役割を果たす1~2人のごくわずかな存在であることがイメージ可能です。

死後の別れギリギリまであなたが私の墓穴に入ってくれて土に埋まる直前も真横にいてくれますように、という家族愛としてトゥッブルニ(ー)/トッボルニ(ー)/トッボルネがしばしば使われてきたことも考慮に入れると世界観がわかりやすいのではないでしょうか。

2022年にアラブ首長国連邦のドバイで開催された読書奨励活動としてのアラビア語技能大会決勝。2018年第3回モロッコ代表・優勝者のマルヤム・アマジョ(ー)ン嬢がドバイ首長であるシャイフ・ムハンマド(ムハンマド殿下)自伝から母の思い出を語っている箇所を朗読しているシーンの録画です。

アラブ世界は母子の絆が日本よりも遥かに強い土地柄で、息子はいつまでもお母さんの息子といった傾向が強いです。ムハンマド殿下らは母堂との思い出話を聞いているうちに感極まってしまい、自らが墓穴に降りて母親を見送ったシーンではぽろぽろと涙を流し頭巾で拭っている姿が中継で放映されました。

アラブ世界では老年にさしかかった男性であっても亡くなった母を思い涙するのは自然なこととされており、上記のエピソードも”ヤーアブルニー”という言葉の由来になったような愛する人を抱きかかえて墓穴に降りて永遠の別れを最も近くで告げる側に回った親族の切ない気持ちを体現したものだと言えます。

イスラーム式の埋葬について

*閲覧注意*
布に包まれているので中は見えませんが遺体埋葬手順の説明動画となっています。苦手な方は再生しないようにご注意願います。

イスラームの手順に則った故人の埋葬方法です。イスラーム教では単に棺を土の中に下ろし土をかけるのではなく、亡骸を包んだ布の状態で身近な人物が抱きかかえて安置し聖地に向けてあげる作業が必要になります。

慣用句”◯◯が私を葬ってくれますように”の由来は死後もそばにいて墓穴まで付き添ってくれる一生ものの愛情を願うフレーズで、動画サムネイル写真のように「自分を葬ってほしい」「あなたが私(の亡骸)を(墓穴に下ろして)埋葬してしてほしい」と愛情・称賛を伝えたい相手・事柄に対して希望している形となっています。

これについてはネイティブ情報がネット雑談でも書き込まれており、

  • この言葉を伝える相手に愛していること、身近に感じていることを伝える
  • 埋葬(土葬)に立ち会う権利があるぐらいに自分にとって近しい存在であることを伝える
  • 言いたいのは死にたいとか埋葬してとかじゃなく、相手の長生きを願う気持ち

という意味だという風に説明されたりもしています。

他のソースには「元々は自分を墓穴に下ろして埋めてほしいというお願いだけれども、毎日の慣用句だから特に考えずに愛してると伝えるために使っている。」といった情報も。

*ちなみに共同墓地には墓掘り・墓守りを仕事にしている人がおり、حَفَّار [ ḥaffār ] [ ハッファール ](墓堀人、穴掘り人)や دَفَّان [ daffān ] [ ダッファーン ](埋葬人)と呼ばれる職業の人たちも存在します。なのでアラブ世界の葬儀で必ず遺族が穴掘りから埋葬まで全部やるという訳ではありません。

直訳のメイン解釈

英語:May you live longer than me、May you outlive me 【 ソース 】
日本語:あなたが私よりも長生きしてくれますように

他地域で使われている同様の慣用句「私の死ぬ日があなたの死ぬ日よりも前になりますように」「私が生涯を閉じた後も(生きて)」に対応。

  • 「あなたのことが本当に大好き。あなたがいない生活は寂しくて1日だって耐えられないから先に逝きたい。あなたが先に亡くなって自分がその葬儀に出る側になるという悲しい思いはしたくない。自分が先に逝けば死ぬまでずっと一緒にいられる。あなたは早死にせず元気に長生きして幸せに暮らして。そして私のお葬式に参加して墓穴に埋葬する側になって。」

深い愛情、ずっと身近にいてほしい、生涯一緒にいたい、長生きしてほしい、早死にしないでほしい、無事に過ごしてほしい、といった気持ちの現われ。

家族や身近な人々といった最愛の存在達に対する愛情・誠実・善意・思いやり…あらゆる感情で満たされた心からの言葉で、時には愛情などの気持ちが押し寄せて涙をこぼしてしまうことすらあるからこそ簡単に一語で外国語訳することが難しいのだと言われています。

「普通に愛していると言えばいいのにこんな表現を使うべきでない」派が提示した全く同じ意味の言い換え語は「ずっと一緒にいたい」「無事に過ごしてほしい」など。

英訳候補として May I never mourn your death(私があなたの死を悼むようなことに決してなりませんように)を提唱している人も。あとは I cherish your friendship/love so much, that I’d rather die before you なども。

父母が子供に、祖父母が子や孫たちに先立たれたくない気持ちとの関連性

本来とは違う順番で我が子が先に逝ってしまうという悲しみ

レバノンで俳優男性が35歳という若さで亡くなった時のニュース記事では同地で使われる慣用句 ريتك تقبرني يا ابني(息子よ、お前が私を葬っておくれ)を引き合いに出しており、全ての父親が願うことであり自分が亡くなった時には息子たちや家族たちに囲まれて埋葬されたいと思うものだ、息子に先立たれ父親として葬儀に参加することの悲しみは計り知れない件について言及。

日本における”ヤーアブルニー”のイメージとは違い、(特に既婚者・子持ち男女にとっては)葬ってほしいのはたった一人ではなく愛する家族全員であることがわかるかと思います。

父母、祖父母、おじおばからこの言葉を言われて育った人の回想

ページ自体は国際ブッカー賞を受賞したオランダ人作家の本に関する書評なのですが、アメリカ フロリダ州を拠点とする英語ニュースサイトの中でレバノン系ジャーナリスト Pierre Tristam(元々のアラビア語名はピエール・アル=ハッダード。キリスト教徒ファミリーの生まれでベイルート出身。)氏が「私を葬って」慣用句の想い出について語っています。

要旨:
トッボルニーと発音される慣用句 تقبرني。自分はこの言葉を父母、祖父母、おじおばらから聞かされて育ってきた。英語で直訳すると may you bury me でものすごく病的・陰鬱っぽく聞こえてしまうが、これは自分を取り巻く環境で起こっていた人々の早世と結びついていた言葉でもあった。これはレバノン流の愛情表現で、墓場まで(死ぬまで)愛することを約束するとともに神に対し子供が先に死に年長者が埋葬するというようなことが無いようにと警告するという2つの意味を持ち合わせている。

筆者はキリスト教徒住民が多くそこにイスラーム教徒などが混在する形で各宗派が入り混じったレバノンを疲弊させた内戦をきっかけにアメリカへと移住。上で語っている早世・夭折は彼が経験した内戦や同国でこれまでに起こった色々な抗争で多くの若者・子供らが老年まで長生きすることも許されず命を落とし自分よりも年長の親族らの手で埋葬されるという悲しい出来事が続いていたことと関係しています。

“ヤーアブルニー”ことトゥッブルニ(ー)/トッボルニ(ー)/トッボルネが「ずっと一緒にいたい」「一生涯あなたを愛する」という深い愛と「先立たれたくない」「無事でいて」「元気に長生きして」という相手への思いやりの両方とが込められているのも、こうしたシリアやレバノンの歴史・治安・社会的状況が関係していると言えるかもしれません。

実際、シリア付近は古代より文明や民族が出会い衝突してきた地域だったので死が非常に身近で、愛情表現に死を用いるのもそうした土壌ゆえだと説明している本もあります*。

*例としては『هكذا نقيد الأجيال』(عماد حمودة نورالشرابي حمودة著、2011年دار الفكر刊)など。

相手より先に死にたいと願うのは自分勝手?

このフレーズに関して「悲しみたくないから自分が先に逝きたい、そっちは長生きしろなんて身勝手すぎる」「自分の幸せのために他人を苦しませるなんで自分勝手すぎる」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかしこの慣用句は双方が不慮の出来事が無い限り神が定めた寿命を全うする前提であって、自死により残された人々を困らせるとかそういう類の願望ではありません。若い恋人同士の激しい愛の末に片方が命を落とすといった話とは全然違うので誤解しないよう注意が必要です。

現地では母→子・祖母→孫のように寿命の関係から言う側が先に亡くなるのが当然な親族間で使い、相手が早死に・夭折しないことを願う気持ちを含めて使われることが多いです。その上で我が子や孫たちが思っていたよりも早いタイミングで逝ってしまい嘆き悲しむ毎日を送りたくないという願いが込められているとも少なくありません。

*アラブ世界は戦争・内乱・テロで夫や息子を6~7人亡くしたと語る女性がテレビに出演することもある土地柄です。

そのためネイティブは死・埋葬を持ち出して愛情表現されるのが嫌だと思うことはあっても「普通はばあちゃんや母さんが先に亡くなる訳だし」「なんか母さん、ばあちゃん、おばさんとかみんなに早死せず長生きしてねって言われて育った気分」といった具合に死ぬ順番を指定されることに嫌悪感・違和感・異論を感じにくいようです。

問題にされるのは年齢が近い夫婦間です。夫に言う場合は特に相手をおだて喜ばせるために言う性質が強く、妻の側は自分が先に死ぬ前提で話し、「すばらしいあなたは健康に恵まれ長生きすべき」「あなたは長生きして私のお墓参りをしてくださいね」というニュアンスで「愛してる」この言葉を使っておだて、思い切り持ち上げ気分良くさせるという形で長年使われてきました。

そのため論争の視点としては日本のコメントに書かれているような「そんなこと言うなんて勝手すぎる、先立たれ残された側の辛さを思いやれないのか」ではなくむしろ「言う側の女性がかわいそう」「相手を喜ばせるために自分が先に死ぬとか」の方になります。女性が自分を卑下して先に死んでしまう前提の犠牲になる言い回しなので男尊女卑問題とからめられやすく、実際に亭主関白社会からかかあ天下社会に切り替わってきている現代ではこういうフレーズを使わなくなった女性が増えてきているとされています。

相手の死期が自分と近くあってほしいという願望は含まない~年齢差が大きい親族間の使用が多いため僅差での死は願っていない

日本ではこの慣用句が夫婦や恋人といった比較的年齢が近い同士が交わす言葉だと受け止め「ほんの少しでもいいから私より長生きして」と伝えるためのフレーズだと理解している方もいらっしゃるようです。

しかし実際には母↔子(どもたち)、祖母↔孫(たち)のように数十歳離れた間柄で言い合うことも少なくなく、「自分よりほんのちょっと長生きして」という僅差で後を追うようにして逝去するといったニュアンスは含まれていません。

アラブ人のシリア・レバノン地域出身者と他地域出身者同士の慣用句雑談にも出てくるのですが「私を葬って」は「アッラーがあなたの人生を長くしてくださいますように(=あなたが長生きしてくれますように)」の言い換えで、特に期限を設けず世間一般でご長寿と言われる年齢まで無事に過ごして生涯を閉じることを願う言い回しとなっています。

特に祖母から孫に「あなた(たち)が私を葬って」という場合は「自分より少しでも後でいいから先には死なないで」という意図は含まれていないことは明白です。シリアやレバノンのおばあちゃんたちは何人もいる孫が皆不慮の事故や病に倒れることなく自分が亡くなった後も数十年生き続けることを願って言っており、できれば愛に殉じて同じような時期に死にたいというニュアンスはありません。

ほぼ同時期に死にたいという物語的前提は特に無し

ノベル類の結末にしばしばある「ほぼ同時期にあの世に逝きたい」「愛してるから一緒に死のう」や「恋人の死後自分も悲しみのあまり後を追う」という前提は特にありません。

どちらかというとお互いに長生きの祈りを押しつけ合った上で「自分が死んだ後は土葬や墓参りをしてあなたが死ぬまで私を忘れずにいて」の方が近いです。

直訳の別解釈

いかに相手を愛しているのかを死に関連した語を使って大げさに誇張した愛情表現。アラブ諸国で多用されている派手な愛情表現「あなたは私の命」「あなたのために身も心も捧げます」「あたなは私の人生よりも大切だ」類の一形態として扱う人の解釈。

  • 「あなたに自分の全てを捧げる」
  • 「死ぬほど愛している」

これについてはネイティブ情報がネット雑談でも書き込まれており、相手や美貌といった対象をほめるための大げさな誇張表現だとの説明がされています。

ヤーアブルニーはアラビア語で飛び抜けて激しい最上級の愛情表現という訳ではない

“ヤーアブルニー”を知って「なんて激しくて重たい愛の言葉なんだろう」と驚かれた方、「アラビア語でも最も激しい最上級の愛情表現らしい」「アラブ世界にある究極の愛の言葉」というイメージを持たれた方もいらっしゃると思うのですが、それらは日常生活でどういう使われ方をしているのかを知らない状態で抱かれたイメージであるように思います。

自分の命日が先になるよう願う言い換えに相当する同等表現は他方言エリアにも複数あるので、突出して際立っている至高の愛情表現という訳ではありません。

元々アラビア語の愛情表現はとても激しい言い回しのものが少なくなく、”ヤーアブルニー”ことトゥッブルニ(ー)/トッボルニ(ー)/トッボルネが用いられている地域では今相手と一緒にいられることの幸せ・相手への親愛の情といった優しい気持ちのほとばしりを表現するのに死・墓・埋葬といった言葉が多用される習慣が存在します。

「自分が先に逝って相手が長生きする」という意味合いの愛情表現の言い換えだけでも「死に装束を着せて」「遺体袋の端を縛って」といった言い換えだけで10種近く、主語を入れ替えたバリエーションはさらに多く存在。

シリアやレバノンの「私を葬って」慣用句は愛着を覚えている相手に遺体処理や土葬を担当するよう希望・招待する言い回しなので、そうした類似表現の中では他地域アラブ人によってネタにされる傾向が高めで、アラブ世界全体ではどちらかというと珍慣用句枠に当てはめられることも。

また相手をヨイショするために自分を過度に卑下したり自分の命を軽く扱うような大げさな表現は元々アラビア語を話して暮らしていたアラブ人部族民の言葉にはあまり見られず、イスラーム軍によりアラブ化された被征服地の方言にこの手の派手な言い回しが多いと言われています。

そのためアラビア半島のアラブ人が「だから被征服駐屯都市だった地域のアラビア語は嫌い」「こういう表現をアラビア語の元々の性質だと勘違いされるのが嫌」「アラブ人みんながこんな言い方をする訳じゃない」といったコメントを書いていることもあり、非ネイティブが驚くような慣用句については現地でも色々と意見が分かれているのが現状です。

直訳が激しく重いせいで実際の意味とのギャップが大きいアラブの慣用句~由来確認したら日常生活での用法を調べるところまでが必須

直訳とその解釈・意訳だけでは足りなかったりする

ただこれも元の意味・由来として紹介される範囲内ということで、日常生活で解釈通りの気持ちを伝えたくて言っているとは限りません。普段の会話における大半のケースではこれらの解釈と実際の意図がさらに違う場合が多いです。

海外で女性歌手Halseyが赤ちゃんとパートナーに贈る『Ya’aburnee』をリリースした時も「歌をきっかけに普段何気なく使っているこの言葉について初めて考えたけど、こんなにゴージャスな意味だったなんて。」と書いているネイティブがいたりした件も、上のようなそもそもの解釈を思い出すことも無く慣用句として口にしている人が少なくないことを物語っています。

そのため、実際の会話で使われる場合はたいていここでストップせず文脈から本当の意図を判断して訳を作っていくことになります。

しかし『翻訳できない世界のことば』はこの段階で説明を切り上げてしまっているので実生活における等身大の”ヤーアブルニー”ことトゥッブルニー像が伝えられておらず、実生活でどう使われているかも一切説明されていないため、非常に重たい言葉として読者に伝わる結果となりました。

日本では切なくロマンチックな表現として創作で多用されていますが、シリアやレバノンの日常生活ではすっかり慣用句化してしまいもっと気軽に使われているというのが現状です。

直訳とのギャップが大きい慣用句だと推測だけで正しい意味を導き出すのは困難

アラビア語日常会話の慣用句は字義通りの直訳と実際に伝えたいメッセージとの間に大きなへだたりがあることも少なくありません。

元の意味は「神様がお前の家を破壊なさいますように!」(=お前の家なんかめちゃくちゃになってしまえ、てめぇんちなんてめちゃくちゃになっちまえ;クソっ、この野郎)なのに「なんてこった」ぐらいの意味としても使われるようになり、ラブソングなどで「なんてこと!私あなたを愛してしまったの!」という恋愛フレーズの「なんてこと!」部分として取り入れられるまでに至ったケースも。

直訳の解釈で止めてしまって意訳やさらにその先の変化した意味合いまで進まないと全く違うシチュエーションとしてとらえられてしまうこともあるので外国人学習者の側は結構油断ができません。「あなたが私を葬って」系フレーズもその代表例です。

「あなたより先に逝きたい」はゴールではないので実際にどういう気持ちなのかを日本語化しないと翻訳になりません。字義通りの意味とその解釈を見ただけでは不十分なのですが、ここから先は文字による解説がぐっと減るため自力であちこち回って実例をチェックしていくことになります。

非ネイティブが陥りがちな暗く病んだ世界観での解釈に陥らないよう注意

この慣用句は「非アラブ系の友人らに意味を説明してもホラー映画のように感じるそうで愛情表現だと思えないらしい。アメリカの honey(愛しい人)に相当するのだけれど。」とネイティブがこぼす 【 ソース 】 ほど外国人にとってはダークな願望だと誤解してしまいやすいやっかいな表現です。

字義通りの意味と実際の意味との違いが大きく1語もしくは1文で体現できるぴったりの外国語訳が存在しないため tricky(トリッキー)だと紹介されていることも。

直訳とその解釈のま外国語訳してはいけない慣用句の典型例なので、死去・墓・埋葬要素を大幅に薄めるか全部抜くかしてポジティブな雰囲気に仕立て直した上で日本語にする必要があります。

『翻訳できない世界のことば』では”美しく暗い望み”と紹介されていますが著者の方がこの慣用句の特性を知らずに文面から感じるイメージをそのまま文字化してしまったもので、実際には暗さ・病的執着とは無縁のごく普通の家族愛・恋愛感情・友愛・称賛である「大好き」「愛してる」「ハニー、ダーリン」「すごい」を表すのに使われています。

特に日本では英語版で既にあった誤解の上にさらに訳者さんの誤訳と出版社の中の方の推測に基づく独自解釈が加わってしまい「強すぎる愛のために自らの死すら願う」というヤンデレな昏い願望に書き換えられているため、現地での使われ方との乖離が非常に大きくなっています。

誤訳しやすいアラブの尊敬・愛情表現例

元々アラビア語は愛情・尊敬・懇願の表現が日本のそれよりも重たいのですが、”ヤーアブルニー”が実際に慣用句として使われているシリア、特にその田舎では特にそれが激しいと言われています。

「君は僕の命より大切」「君のために僕は自分を犠牲として捧げる」といった具合に自死に近い表現・文字通りにやったら命を落としてしまうような言い回しが日常的に使われており、和訳する時は軽く見積もった上で変換する必要があります。

我が魂と死を捧げる(=心から愛している、大好き)

大統領や指導者に忠誠を誓う際も相手のファーストネームなりを◯◯部分に入れ「魂を!血を!私はあなたに捧げます!ああ◯◯よ!」と皆で連呼する土地柄です。

もちろんこれは集団自決や宗教指導者のために自爆テロを決意した戦士たちが忠誠を誓うために叫ぶ言葉ではありません。

全身全霊で信奉している、心から愛しているという意味で使うので、愛国デモの他にサッカー国際戦での応援でも聞かれます。◯◯部分に「イラク」といった国名が入れると「イラクのことを心から愛している」「イラクばんざ~い!」的なニュアンスになり、単に国名を連呼するよりも具体的な祖国愛が表現されます。

私は自分を犠牲として捧げます(=大好き、すごく気に入った、いいね!)

またYouTubeといった動画コンテンツでは人気チャンネルコメント欄もにぎわいますが、皆が好きな出演者が出てくる回などでは「私はこの◯◯さんのために自らを犠牲として捧げます」「私はこの◯◯さんの犠牲(生贄)です」という直訳になるような文章をしばしば見かけます。

文字通り解釈すると「自分はこの命を絶って生贄としてその人のために捧げる」といった怖いことになってしまうのですが、もちろんそのようなことは一切無く、彼を絶賛するために皆で刃物を使って体を傷つけ血だらけになった自分の様子をアップしようと誘い合ったりする意図も全くありません。

これは”ヤーアブルニー”ことユッブルニ(ー)、ヨッボルネと同じで、激しくて怖い言い回しなのに「この◯◯さん大好き」「この◯◯さんすごくいいわ~」ほめ言葉となっています。

私はあなたのためのいけにえになろう(=大好き)

これは”ヤーアブルニー”文化圏と隣接しているシリア北部やイラクにかけてのジャズィーラ地方(メソポタミア地方、ティグリス川とユーフラテス川にはさまれた一帯)で使われている表現です。

供物や犠牲として屠られ捧げられる羊などの家畜を自分と重ねて愛情表現として使ったもので「私を墓に葬って」と並んでかなり怖い字面だとの評がネイティブシリア人たちの間にもある様子。たしかにに類似表現の中でも特に死んだ自分を強く愛する相手への贈り物として祭壇の上で待機していそうな雰囲気を醸し出しやすい慣用句だと言えるかもしれません。

アラブ・イスラーム世界では祝祭日の時に羊などの家畜を街区のあちこちの一般人が見えるところで屠殺する光景が珍しくなく、そうした犠牲獣の立場に自分を置いて愛の強さをアピールすることが生々しすぎると感じる人も少なくないようです。

あなたの足元にひざまずきますから / あなたの手にキスしますから / あなたの足にキスしますから(=どうかお願いですから、後生ですから)

これらもシリアなどアラブの複数地域で使われている表現です。

シリア近辺はアラブ人の間でも愛情・思いやりを伝えるのに暗くて陰鬱な言い回しが多いことで知られており、人に物を頼む際も含めて自己を卑下してへりくだる度合いが強いと言われています。

アラブ世界で侮辱の象徴である相手の足をキスしたりなめたり、召使いのようにつきっきりで時間をかけ言いなり奉仕することを約束したりするという言い回しで「どうかお願いします」「後生ですから」「一生の恩に着ますから」という懇願・依頼になるケースも多いです。

なお頼み事をする際は上のような意味になりますが、SNSでは文字通りの意味で使っている例も見かけます。(女性のアカウントに男性がからかい混じりに奴隷志願をして「君の足をなめたい」と書き込むなど。)

あなたの召使いになりますから(=感謝してもしきれません、一生の恩に着ますから)

こちらも自分を強く卑下する大げさなタイプの慣用句です。「あなたのいいなりの奴隷になります」という隷属志願に聞こえますが、これも「どうかお願いします」「後生ですから」という懇願となっています。

トルコ・シリア大震災の際に小さな女の子が「あなたの召使いになりますから外に出して」と言ったことが報じられた際には「あまりにかわいそうだ。シリアの大人たちはなんてひどいことを言わせるんだ。こんなことを子供が言う社会はなんと悲しいことか。」と話題になりましたが、これも実は現地における慣用句でした。

この子のニュースについては当初流れたCNNの報道が誤報で両親は生き残っておらず家族構成も少女の名前も全て間違いだったため後日大幅訂正が入りました。日本語版では姉がマルヤム(マリヤム)ちゃんで助けたのは妹ということになっていましたが、結局5歳のジナーンちゃんと11ヶ月の乳児で弟のアブドゥルファッターフ(通称アブド)くんという組み合わせだったことが判明しています。

このジナーンちゃんですが、取材者から「どうして”あなたの召使いになりますから”と言ったの?」と聞かれ「別に何も思わず言っただけ。とにかく早く出してほしかったから。」「お母さんたちが生き埋めになっていたから。私はみんながいないと生きていけないから助けてもらいたかった。」とインタビューで話していました。

このことから彼女が大人からシリア特有の変わった慣用句を覚えて日常会話フレーズとして使ったことがうかがえるかと思います。

神様が私に熱を送ってくださいますように(=愛してる、愛しい人;まあなんてこと!あらやだ!)

アッラー(神)に向かって自分を発熱させてほしい、自分に発熱を与えてほしいと願うというのが直訳。

熱を出した家族を看病しながらお母さんが「神様、私が身代わりに熱を引き受けますからどうかこの人の熱を下げてやってください」と懇願するための専用フレーズかと思いきや、これで愛しい人への呼びかけや「あらまあ!」「なんてことかしら!」「あらやだ!」といった意味で使われているのだとか。

こちらもシリア近辺用いられている慣用句の一つで同じ地域の表現「◯◯が私を葬ってくれますように」と意味がかぶっている模様。

“ヤーアブルニー”も上のシリア的な慣用句シリーズと同じ系統

これらはいずれも慣用句として元の意味を意識せずに使われていることが多いため、”ヤーアブルニー”類を「あなた無しでは生きていけない」「あなたがいないと息をすることすらままならない」という強度依存の告白をするために存在している言葉だと考えるのは認識違いとなります。

どちらかというと「ねえあなた、いなくなっちゃったら寂しいから元気に長生きしてくださいよ。」「ママ、◯◯ちゃんが大人になった姿を見るのを楽しみにしているしあなたの結婚式にも出たいから無事大人になってね。」「おばあちゃんまだ死んじゃ嫌。もっともっと一緒にいたいから長生きしてね*。」系統の気持ちが込められたフレーズとなっています。

*自分の祖母と手をつなぎあった写真をSNSに投稿し「私を葬って」系フレーズを添えている事例も複数見られます。

もはや「大好き」「すごい」「ねえあなた」「ありがとう」ぐらいの重みしか持たず1つの会話に何回も繰り返し出てくることすらあるので、勘違いしたまま訳すと切羽詰まって執着愛を何度も訴え続ける人、いよいよメンタル面で思い詰めて危険水域に達しつつある人になりかねず盛大な誤解・誤訳となってしまいます。

日常生活における実際の意味と具体的な使われ方

説明するだけではわかりづらいので、実際にシリアやレバノンの実生活での用例を列挙していきたいと思います。(いずれも動画・ネット記事・SNS投稿・ネイティブによる慣用句解説を多数閲覧して集めました。)

愛情・愛着・親愛

  • 相手への強い愛の誇張表現「あなたのことが大好き」「あなたをすごく愛している」「死ぬほど好きだ」「超愛してる」「◯◯、だ~いすき!」
    *今一緒にいられるという幸せをかみしめたり、これからもずっと一緒にいたいといった家族としての愛着・思いやりを表したりする。

    • 英訳は I love you so much と複数ネイティブ投稿で示されている基本パターン。
    • 主に母↔子、祖母↔孫、妻↔夫といった家族内、恋人同士。
      “私を葬って”ママ」(ママ愛してる)「“私を葬って”おばあちゃん、病気が早く治りますように」(おばあちゃん愛してる、病気が早く治りますように)など年下側から言うことも多し。
    • 崇敬する人物に対して。実際に会ったことが無い赤の他人も含む。「ハサン・ナスラッラー様が”私を葬ってくださいますように”」(ハサン・ナスラッラー様をとても敬愛しています)
      *レバノンのシーア派組織ヒズブッラー(ヒズボッラー、ヒズボラ)指導者のこと。
  • 母親が我が子を、祖母が孫を抱きしめたり頬にキスしたりしながら「愛おしくてたまらないわ」的に優しい愛着を込めて言う
    • 渡された孫をぎゅっとして「んー!”私を葬ってちょうだい”!」(んー!なんて愛しいのかしら!)
  • 母親が我が子たち、祖母が孫たちにのことを他人に話す時「(愛おしくてたまらない)◯◯くん/◯◯ちゃん」と添える感じで使う
    • SNSなどに投稿した孫の写真に添えて「この子が孫の◯◯です。”彼が私を葬ってくれますように”。」(愛しい孫の◯◯ちゃんです。)
  • 愛するペットに対する愛情・感嘆としてSNS投稿の文や写真投稿に添えるなどする
    • 日本でいうところの「愛してる!」「◯◯ちゃん大好き!」「うちの子かわいすぎる」「なんてかわいいの!」の類。
  • よその家の赤ちゃんや子供を見せられた時に「まあなんてかわいいのかしら!」とほめる意味で使う

親しげな呼びかけ

  • حبيبي [ ハビービ(ー) ](私の愛しい人;私の愛しい子)とほぼ同義で使う 【 ソース 】
    • 英語の my love、my dear、honeyに相当。英語圏の人が使う「ハニー」「ダーリン」に近い。
    • 夫婦の会話例:「ねえ”あなたが私を葬って”、私も昨晩はよく眠れなかったの」=ねえあなた、私も昨晩はよく眠れなかったの
    • ただしアラブ圏では親しみを込めて友人などにハビービーと呼びかける文化あり。そのため恋人以外の他者に向かって「あなたが私を葬って」フレーズの使用が日常的に行われている。
  • シリア人の伝統的夫婦関係において、妻が夫をひたすら立て言葉でもほめたりおだてたりする時の表現
    • 昔を舞台にしたドラマに出てくる旧世代っぽい会話だと「あなたはこの世で一番すばらしい」「神様があなたのことを私から奪ったりされませんように」的なノリの夫絶賛に混ぜて使用することも多い。純粋な深い愛情からとは限らずおべっかとしてヨイショする目的で多用されたりもしてきた模様。
    • 会話のメイン部分に影響しない余分なパーツなのではっきりと訳しにくい。「ねえあなた」「旦那様はすごいわ!」、❤の多用、日本のメイドカフェの店員さんのようにかわいい声でほめておだててくれる様子などにやや近い感あり。シリアは姉妹慣用句が10種類ぐらいあること、またそれ以外のほめ言葉も多数あるので、それらを総動員して会話に詰め込む。
      「あら、”あなたが私を葬ってくれますように”おかえりなさい、”あなたが私の骨を埋めてくれますように”、おつかれさま”あなたが私のお墓の上を歩いてくれますように”」=あら、あなた❤おかえりなさい❤おつかれさま❤
  • 母親などが子供に話しかける時や指示を出す時など(上のハビービー相当と同じかと)
    • シリアドラマを見たところ「良い子だからあっちに行っていなさい」といった場面も含むとの印象。「ほら」「あなた」に近いシチュエーションも。
    • レバノン人が赤ちゃんを寝かしつける時のサンプル会話として تئبرني نام [ トゥッブルニー・ナーム ](「“あなたが私を葬ってね”、寝てちょうだい」→ 愛しい子よ寝てちょうだいな、いい子ねねんねしてね)を挙げている投稿あり。【 ソース 】
    • レバノン発SNS投稿で複数見かけた定番?ネタ「ねえママちゃん”あなたが私を葬って”、出かけるついでにゴミを捨てていってちょうだい」(=ねえ息子ちゃん、出かけるついでにゴミを捨ててってちょうたい)
      *アラブ圏は親子間のあべこべ呼び習慣があり、母親が子供に「ママ」、父親が子供に「パパ」、おじさん・年配男性が甥姪や小さな子に「おじちゃん」と呼びかけます。ここではゴミ捨てをしてほしい息子にお母さんが「息子ちゃん」という意味で「ママちゃん」と声をかけている形になります
  • 話し相手などに呼びかける時。「あなた」に近い用法。
    • アラブ圏では「愛しい人」という意味の語を親愛さの創出として使うので、直訳は「愛する人よ」でも実際には「親しい君よ」「友よ」に近いことも多い。「あなたが私を葬ってくれますように」が普通の他人に向けた「あなた」の代わりとして使うこともあり、英語の My dear(親愛なる君)や Hey Pal(やあ友よ)に似た感じの立ち位置。
    • サウジアラビアといったアラビア半島地域でも「あなたの生涯が長きものとなりますように」「寿命の長い人」が「あなた様」「あなた」という丁寧語的な呼びかけとして使われており、それと似た用法。
    • SNSのやり取りなどで見かけるのが「“あなたが私を葬って”、この件を誤解してますよ。」(あなた、この件を誤解してますよ。)といった表現。
    • “あなたが私を葬って”、豆が◯◯まで値上がりしたね」=ねえ/あのさあ、豆が◯◯まで値上がりしたね
  • お礼をする時に شُكْرًا [ shukran ] [ シュクラン ](感謝します、ありがとうございます)に添えて言う
    • تؤبرني شكرا [ トゥッブルニ(ー)・シュクラン ]、شكرا تؤبرني [ シュクラン・トゥッブルニ(ー) ] など。「ありがとう、”私を葬って”」→ 英語の「Thank you, honey.」(ありがとう、ハニー)に近いかと。

称賛・感嘆

  • 人や物事に関する何かに対する感嘆や称賛の気持ち
    • 敢えて訳すならば「あら!」「まあ!」「すごいわ!」「すばらしい!」「いい◯◯だね」「素敵な◯◯」かと。英語の感嘆文 How ~ ◯◯ is !、What a ~ ◯◯ !(~部分には beautiful などを入れる)に相当。「あなたの神様が私を葬りますように」と主語が神様になっている場合は「OMG!(Oh my god, Oh my gosh)」に英訳してあったりする。
    • 笑顔が”私を葬ってほしい”」→「素敵な笑顔」「いい笑顔だね」「すばらしい笑顔だなあ」といったSNS投稿も多し。主に写真や動画へのコメントとして。
    • 赤ちゃんのものすごいぷくぷくほっぺたに対するコメント例「このほっぺが”私を葬ってほしい”」→「なんてすごいほっぺなの!」「ものすごいほっぺ!」
    • 男性芸能人が座っている写真にコメントして「座り(方)が”私を葬ってほしい”」→「なんて素敵な座り方なの!」「この座り方超かっこいい!」
    • ぐっすり寝ているペット犬の写真にコメントして「眠り(方)が”私を葬ってくれますように”、愛らしさが”私を葬ってくれますように”」→「寝てる姿がすごくかわいい、なんて愛らしいワンちゃんなの!」「寝顔が超かわいい!すごく愛らしい!」
    • ネット投稿の実例としてはムキムキな筋肉を誇る軍人男性らの写真に「この軍人さんたち”私を葬ってほしい”、並外れた筋肉してる」(≒この軍人さんたちすごい、筋肉ムッキムキ)とのコメントを添えたものなども。もちろん屈強な兵士らに殺されたいという願望を述べているのではなく、鍛え上げた筋肉に感嘆している言葉。
    • つるっとした頭の男性の写真に対するコメントとして「彼のハゲ頭が”私を葬ってくれますように”」(≒彼のハゲ頭とっても素敵、彼のハゲ頭ってすごくいい感じ)
    • “あなたの神様が私を葬ってくれますように”、あなたアラビア語しゃべれるんだね!」→「わあすごい!アラビア語しゃべれるの?!」
  • 何かがすごくいいことを意味するちょっと下品な若者言葉として「すげえ!」「超いいじゃん」「たまんねえ」「悩殺だわ」
    • 日本のおたく用語の「死ねる」にやや類似。たとえば直訳「君のケツが俺を葬りますように」→「君のケツすげえ」「お前のケツたまんねえわ」「超いい尻じゃん」「お前ほんといいケツしてんな」【 ソース 】

相手の要望を尋ねる際、リクエストを聞いてあげる気が強いことを示す

  • 「なんなりと、おおせのままに」に近い意味で、夫から妻に対してなど相手の要望を尋ね「言ってくれたら応えるからね」という気持ちがあることを示す時に添える
    • アラビア語-英語口語辞典には as you wish(おおせのままに、あなたの望み通りに)との訳語掲載あり。「“君が僕を葬っておくれ”、何がお望みかな?」で「欲しいものはなんなりと言ってごらん、何がお望みかな?」の意味に。妻からの食材買い出しリクエストといった頼み事を引き受けてあげる際に夫が妻を持ち上げつつ「お安い御用さ」的に言う。
    • このような意味に発展するのは、「相手のことが何よりも大切」→「だから言うことは何でも聞きます」→「何か用事はある?気軽になんなりと申し付けてね。大切な君のためだから嫌なんて言わずに頼まれた通りにするからね。」という思考パターンであるものと推察。

墓穴を掘って土葬するところからここまで飛躍するらしいので調べないと盛大に誤解し得ること、直訳とその解釈だけを頼りに理解しようとすると翻訳時に排除すべきだとされているダークで病的なイメージを引きずったままになるので大変なことになるのがおわかりいただけるかと思います😅

ちなみに日本では創作で”ヤーアブルニー”を「あなた無しでは生きていけない」という切ない意味で使っている方もいらっしゃると思うのですが、現地では直訳の解釈・慣用句の由来として紹介されることがあっても日常生活における実際の意味としての英訳には登場してくることはまずありません。2ヶ月ほど集中的にネットを巡回しましたが「単に愛してるとかすごいとかいった意味で気軽に使っているから、元々はそんな意味だって考えたことが無かった。」と言っているネイティブも少なくありませんでした。

なお恋愛がらみのスラング的「すごい」「悩殺されちゃう」系用法に関しては英語の「kill me」に近いようです。ネイティブが英語で書いたフレーズ解説でも似たような訳がされていたりします。

シリア近辺には同じ意味のフレーズが何個もある

“ヤーアブルニー”として紹介された「ユッブルニ(ー)(/ヨッボルニ(ー))」はシリア近辺の人々が表現を豊かにしようとあれこれ愛情表現を考えた結果生まれた(*現地論説記事による)もので、その創意工夫から類似表現も多数存在。

そのためシリアなどでは

  • あなたが私をお墓に埋葬してくれますように(*このページで扱っているフレーズ)
  • ああ、私を墓に埋葬する人よ
  • あなたが私に死装束を着せてくれますように
  • あなたが私を死装束で包んでくれますように
  • あなたが私の死装束(遺体袋)の端を結んで(縛って)くれますように
  • あなたが私の骨に死装束を着せてくれますように
  • あなたが私の骨をお墓に埋葬してくれますように
  • あなたが私の心をお墓に葬ってくれますように
  • あなたが私のお墓の上に立ってくれますように
  • あなたが私のお墓の上を歩いてくれますように
  • あなたが(私のお墓参りをして)銀梅花の花をお供えしてくれますように

などが同時利用されており、一つの会話で複数種類を使い分けて情緒豊かに相手への愛情・親愛を表現。(いずれも伝える内容は上で紹介したものと大体同じ。)

アラビア語では「おはようございます(善き朝を)」への返事として「バラの朝を」「ジャスミンの朝を」「アラビアジャスミンの朝を」のように色々なバリエーションがあるのですが、「あなたが私を葬って」の類も似たようなもので様々な言い換えを使うことでワンパターンから脱却し相手をせっせと絶賛する気持ちがより巧みに表せる感じかと思います。

アラビア語はオオカミやライオンといった動物に大量の別名があったりと同じ語の言い換えがやたら豊富なことでも有名です。そうした豊かな語彙・大量の同等表現はアラビア語の特性の一つです。

「あなたが私を葬ってくれますように」と言われた場合の返事

「あなたこそ葬る側になって」的な感じで同様の言葉を返す

アラビア語サイトの知恵袋にサンプルの返事が載っていることもあるのですが、シリアやレバノンのドラマも含め一般的には同様の「あなたが私を葬ってくれますように」と言ったりするのが基本となっている模様です。

例:

女性:تقبرني(トゥッブルニ(ー))
男性:تقبريني(トゥッブリーニ(ー)/トゥッビリーニ(ー))
女性:あなたが私を葬ってくれますように(愛してるわダーリン)
男性:君こそ僕を葬っておくれ(自分だってすごく愛してるよハニー)

意味としては「大好きだよ」「こちらこそ大大大好きだよ」なのに言い回し自体はどっちが先に死ぬかを競い合ったり、相手こそが長生きして自分の葬式に出る側になるべきだと押し付け合ったりする形式となってしまうことから自虐ネタにもされやすく、

_حبيبي، تقبرني انت …
_حياتي انتي ل تقبريني…
الغرام اللبناني دعوة عالمقبرة😂
・愛しい人、あなたに葬られたいわ(愛してる / ダーリン)
・僕の命(大事な愛しい人)、君こそ僕を葬っておくれよ(僕も愛してるよ / ハニー)
レバノン式恋愛っていうのはお墓への招待

といった投稿をネットで見かけることもしばしばです。

言った人が死にたがっている、自分に葬ってほしい・殺してほしいと思っていると理解するのはNG

言った人が言われた自分よりも先に死ぬという内容には同意しないのが基本

日本では誤訳と誤解から死にたい気持ちを表すヤンデレ表現として紹介されてしまいましたが、上で述べた通り本当の意図は「大好き、愛してる」「ずっと一緒にいたい」という優しい愛着は「元気で長生きしてほしい」という願望となっています。

アラビア語では願いごとを言う時の祈願文にはキリスト教における「アーメン」のアラビア語版である آمِين [ ’āmīn ] [ アーミーン ](どうかその通りになりますように)を添えて「◯◯でありますように」といった人の気持ちに同意を示すのですが、「あなたが私を葬ってくれますように」は形式としては同じ祈願文であっても「アーミーン」は言わないようになっています。

「真に受けて”先に死にたい”を肯定するような返事してしまうと怒られる」はギャグや笑い話の定番ネタ

シリアやレバノンとは違いますが、似たような「私の死ぬ日があなたの死ぬ日よりも前になりますように」で「愛してる、元気に長生きして」を意味する慣用句があるイラクのコメディー動画です。

断食月とも呼ばれるラマダーンが終わり次の月であるシャウワール到来とイード(*ラマダーン明けの祝祭)期日決定を伝える母親。

息子たちはイーディーヤ(*イードにもらえるお年玉のようなお小遣い)の話を始めた母をいい気分にさせようとせっせとお祝いの言葉を言いだすのですが、なにか気の利いた表現は他に無いかと思案しているうちに片方が「自分が死ぬ日はあなたの死ぬ日の前になりますように」と伝えたらどうかと提案します。

勧められた側は「俺を死なせる気かよ!」と怒ってしまうのですが、シリアやレバノンで使われる「あなたが私を葬ってくれますように」やその姉妹表現についても同様のギャグネタがあって、

قالت : تقبرني
قلت : آمين
فغضبت 🙊
彼女:あなたが私を葬ってくれますように(愛してるわ / ダーリン)
自分:うんそうだね
そうしたら彼女、怒っちゃったよ

のようなSNS投稿が複数見られたり、実際に失敗したという人の体験談なども。

クウェートの宗教家に参加者が「自分が他者よりも先に死ぬことを願う表現は(イスラーム教的には)許されるのですか?」と質問した時の回答です。

クウェートでは上のイラクのコメディー動画同様「私の死ぬ日があなたの死ぬ日よりも先になりますように」系の表現を使うのですが、意味は似ていても言い回しが違うレバノンの تقبرني [ tu’burnī / tu’burni ] [ トゥッブルニ(ー) ] をレバノン人男性から言われた際、一般の祈願文に添える  آمِين [ ’āmīn ] [ アーミーン ](どうかその通りになりますように)で返事をしたところ相手が怒りだしてしまったのだとか。

これはレバノン人男性が「親愛なる貴方様」的な意味で「あなたが私を葬ってくれますように」と言ったのに、レバノン式の適切かつ上手い返事を知らないために「そうですね」「そうなるといいですね」と答えてしまい、相手が「私がさっさと死ぬばいいと思っているなんて!」と立腹してしまったことを暗に示したエピソードとなっています。

こうした事例からもアラブ諸国では「あなたより先に死ねますように」的な言い回しで愛情を伝えられた際、「自分もそうなればいいと思っている」「愛するあなたの望み通り葬ってあげる」「大丈夫、ちゃんと葬式に参加するから安心して」「臨終の場に居合わせるようにするから心配しないで」のように返すことはしないものだとうかがい知ることができるのですが、日本では誤解とパラレル設定のため

  • 言った側が自傷・自死する
  • 言われた側が言った側を暴行したり殺傷したりする
  • 言った側が亡くなった後、言われた側がお墓に葬る

といったシーンと結びつけた創作が行われる原因となってしまっている形です。

シリアやレバノンにおける「あなたに私を葬ってほしい」系愛情・称賛表現の実例

これ以外のサンプルやこのフレーズに関するトーク番組・論説記事類を見たい方は姉妹フレーズ集『シリアやレバノンの愛情・称賛表現تقبرني(あなたが私を葬って)等と実際の意味』を参照願います。

ネット記事やSNSより

このフレーズを使いまくっていたおばあちゃんぐらいまでの世代が若かった頃にしていたような夫婦間の会話

wata(World Association of Arab Translators & Linguists)ウェブフォーラム投稿
تقبشني… تقبرني… الله يقصف عمرك
(私に死装束を着せて…私をお墓に入れて…アッラーがあなたの寿命を縮めてしまいますように!!!)

記事に載っている昔ながらのシリア人夫婦の会話と今どきのシリア人夫婦の会話の対比より、前半部分のみ抜粋。” “部分が「あなたが私を葬って」系の愛情表現部分になります。

  • 「”あなたに私の骨を埋葬してほしいわ“…私の愛しい人、帰宅したのね…”あなたには私をお墓に埋めてほしいの“、あなたって身のこなしが軽やかで誰一人として嫌な気分にさせられることが無いわ。あなたのために神の祝福がこの地に舞い降りますように、ああ私の魂…」「料理に満足できたかしら?ああ私の人生。」「まあ料理気に入ってくれたのね??!”あなたには私の墓前に立ってほしいわ“。」
    ▶ 意訳:「あらあなたおかえりなさい 」「料理はおいしかった?」「気に入ってくれて良かったわ」

ほめ言葉を抜いた後の会話はほんのわずかしか残らないケースです。これは夫との関係に思い悩んでいる妻ではなく帰宅した彼を元気いっぱいに迎えてもてなす日常の光景を想定したシーンで、シリアなどで「あなたが私を葬ってくれますように」フレーズの昔ながらの典型的なパターンだと見なされているものです。

日本で認識されている”ヤーアブルニー”と使い方から意味合いまで全く違っているのがおわかりいただけるかと思います。

日本でいうとメイドカフェのメイドさんしゃべりというか、声色やちょっとした表現で相手を持ち上げながら夫にサービスする感じだと言えばわかりやすいでしょうか。my love、honey、darlingの意味で使うと解説されているタイプの使い方で、敢えて文字化すると「愛しいあなた」「旦那さま」か ♥ (ハートマーク)などに。

「あなたが私を葬って」は「あなたがいないと生きていけない」「あなたがこの世で一番」といった盲目的とも言える夫への従属や絶賛とDVに耐え忍んだ旧世代の女性像とも結びついてもいるため、このフレーズを嫌う女性が一定数いるなど美しいイメージだけを持っているとは言い切れない部分があります。

ちなみにこういう会話をしていた時代のアラブ人女性は帰宅した夫の靴・靴下を脱がせて足も洗ってあげていたとか。昔を舞台にしたテレビドラマでは今でも出てくるシーンですが、実際の夫婦がやっている様子を撮影して流すとアラブ女性たちからのバッシングが巻き起こるなど状況は大きく変わっています。

アラブの結婚式では親に感謝を捧げるために息子がうずくまって父親や母親の足にキスをすることもあるのですが、それらが今でも感動的なシーンとして受け止められることが多い一方、新郎の足を新婦が洗うセレモニーを実際に行ったとあるエジプト人夫婦のビデオが出回った時には「公衆の面前で女性を侮辱した」「家の中でやるならいいけど人前でやることじゃない」と大量のコメントが飛び交い大論争に発展。

テレビ番組やミュージックビデオの動画

電話で夫におつかいを頼む妻

シリアドラマのひとコマ。妻が夫に外で買ってきてほしい食料品と分量や家に来る時間を電話で指示しているシーンです。

「あなたのために歌ってあげるわ~♪」と鼻歌まじりに「ティシュクル・アースィ(私(のお墓)に銀梅花を置いてね)」、「トッボルニ(あなたが私をお墓に埋めてね)」といったフレーズを甘えたような声や仕草をしながらいくつか並べています。

死がらみの愛情表現を複数言っていますがおつかいに出てくれている夫を「あなたって偉いわ〜」「旦那さん好き好き~」的にねぎらう、とりあえずいつも通りほめているぐらいのノリです。最愛の夫に先立たれる不安に駆られて言っている悲しいシーンではなく、夫婦のコミカルなやり取りを笑って楽しむ部分となっています。

妻の方が強い夫婦ということで一通りほめた後「疲れてるのよ、ほっといてちょうだい!」と怒った感じに変わってきて、「ラー・イラーハ・イッラッラー」(意味は「アッラーの他に神は無し」で電話を切る時の合図や合言葉にも使う文言。)で通話を締めくくっています。

ロマンチックな若者らしいラブソング

レバノン人歌手 رضا زغيب(リダー・ズガイブ。口語発音はレダー・ズゲイブ、公式英字表記はReda Zgheib。)による『 تؤبرني عيونك(To2borne 3younik)』 [ to’borne ‘oyōnik ] [ トッボルネ・オヨーニク ](直訳:君の瞳が僕を葬ってくれますように。)。

主語を人間ではなく愛する相手が持つ性質や体のパーツに置き換えたトゥッブルニ/トッボルニの応用版で、意味は「君の瞳をとても愛している」「君の瞳はとてもすばらしい」「君の瞳はとても美しい」など。

こちらは今どきの若者が好みそうなロマンチックなイラストつきのラブソングMV。向かい合う恋人の目を見つめながらどれだけ彼女に夢中になっているか、 彼女がとても美人であること、離れずにずっと一緒にいたい、といった気持ちを相手をほめる表現などを折り込みながら甘い雰囲気で歌っています。

このフレーズとしては古臭さやコミカルさを感じない真面目な純恋愛の素敵な表現として使われており、コメント欄にも歌詞と歌声の両方がとても素敵だとの称賛が多数寄せられています。

『翻訳できない世界のことば』和訳時の誤訳で広がった解釈のずれ

元になった英語版『Lost in Translation』

(過去紹介記事によるとアイルランド在住の)著者さんが19歳の時に描いた作品が元になって誕生したというこの絵本。件のフレーズは英語版で以下のような表現となっています。

Lost in Translation

著者:Ella Frances Sanders
出版社: Ten Speed Press
『Lost in Translation』

YA’ABURNEE
n. Meaning “you bury me”, a beautifully morbid declaration of one’s hope that they will die before another person, as it would be too difficult living without them.
This probably lies somewhere between romantic and morbid, and is perhaps the most beautiful yet disturbing way of letting someone know that you’d quite like them to stick around for a while.
Arabic | noun

この慣用句はネイティブには「文字にすると怖い・不吉な感じがするだけで中身は愛情」と形容されるフレーズですが、英語圏では morbid(病的な、病的に陰気な、考えなどが不健全な;陰鬱な;気味の悪い、ぞっとするような、身の毛のよだつ)という語で紹介されていることが珍しくなく、本書もその流れをくんだものだと思われます。

どのように死ぬかという解釈を大きく左右する部分の誤訳

英語版の前置詞 before は順番・時間的な先として和訳すべき部分だった

「大切な人より先に死にたい」はアラブ諸国で定番の愛情表現

『翻訳できない世界のことば』は英語版『Lost in Translation』で「die before」となっているのですが、和訳の過程で before が時間的な前後関係である「~の前に」「~よりも先に」ではなく物理的な位置関係である「~の目の前で」と日本語化されています。

アラビア語による他地域アラブ人向けの意味解説を見ればわかるのですが、この前置詞 before は「目の前」ではなく「時期的に先」「順番が先」の before 違いです。『翻訳できない世界のことば』をベースにしていないこの慣用句紹介で「先に死にたい」「先に逝きたい」となっているのは、それらのネット記事の方が本来の正しい直訳を載せているためです。

このフレーズが使われているシリアやレバノン近辺とは違うアラブ他地域には、全く同じ趣旨の表現

يجعل يومي قبل يومك
文語発音:[ ヤジュアル・ヤウミー・カブラ・ヤウミカ ]
口語発音:[ イジュアル・ヨーミ(ー)・カブル・ヨーマク ] など
英訳:I pray that my day is before yours.
和訳:彼が私の(死ぬ)日をあなたの(死ぬ)日よりも前にしてくださいますように(=私の死ぬ日があなたの死ぬ日よりも先になりますように)
*彼はアッラー(神様)のことで、唯一神アッラーが主語の祈願文となっています。平叙文と同じ構造をしていますが祈願文の方なので「彼が私の(死ぬ)日をあなたの(死ぬ)日よりも前にする」ではなく「彼が私の(死ぬ)日をあなたの(死ぬ)日よりも前にしてくださいますように」という直訳になります。

بعد عمري
文語発音:[ バアダ・ウムリー ]
口語発音:[ バアド・オムリ(ー) ] など
英訳:after my life time(≒ I wish I die before you. / I wish you have longer life than mine.)
和訳:わが生涯の後に(≒あなたには私が生涯を閉じた後に亡くなってほしい/あなたは私の死後も生きながらえてね/あなたが私よりも長生きしてくれますように)

などがあり、「とても愛してる」「私の愛しい人」といった気持ちを伝えるための慣用句であることがネイティブたちの書き込みによって示されています。

これらはストレートな言い回しなので、『翻訳できない世界のことば』英語版『Lost in Translation』に出てくる「die before」の before も「愛する人よりも自分の方が先に逝くという順番がいい」と解釈すべき部分であり、「目の前」ではなく「先に」という意味で和訳すべき語であることが確認しやすいです。

中世の資料にも見られる「あなたよりも先に死ぬことができますように」という表現

西暦1300年代(14世紀)のシリアで活躍した宗教学者・歴史家 ابن كثير [ ’ibn(u) kathīr ] [ イブン・カスィール(丁寧な文語発音・主格:イブヌ・カスィール)](イブン・カスィール)の歴史書『 البداية والنهاية 』[ ’al-bidāya(h) wa-n-nihāya(h) ] [ アル=ビダーヤ・ワ・ン=ニハーヤ ](アル=ビダーヤ・ワ・アン=ニハーヤ、「始まりと終わり」の意)には、現在アラブ複数地域で使われている「神が私の命日をあなたの命日よりも先にしてくださいますように」と同じ言い回しが登場します。

ある日のこと、ウマイヤ朝の第9代カリフだったヤズィード2世は弟ヒシャームが自分が早く死んで跡を継ぎ新カリフになる時が来るのを待ち望んでいるらしいと伝え聞いたのだとか。ヒシャームは兄が疑念を抱いていることを知り自らにそのような野心があることを否定すべく送った一文に含まれていたのが「神が私の命日をあなたの命日よりも先にしてくださいますように」だったと『始まりと終わり』の書には記されています。

جَعَلَ اللهُ يَوْمِي قَبْلَ يَوْمَكَ
文語非休止形発音:
ja‘ala-llāhu yawmī/yaumī qabla yawmaka/yaumaka
ジャアラ・ッラーフ・ヤウミー・カブラ・ヤウマカ
意味:
神が我が命日をあなたの命日よりも先にして下さいますように
وَوَلَدِي قَبْلَ وَلَدِكَ
文語非休止形発音:
wa-waladī qabla waladika
ワ・ワラディー・カブラ・ワラディカ
意味:
我が子をあなたの子よりも先に
(=神が我が子の命日をあなたの子の命日よりも先にして下さいますように)
*この ولدي قبل ولدك (我が子をあなたの子よりも先に、私の息子をあなたの息子よりも先に)は繰り返しによる يوم(日、ここでは命日のこと)の省略で يوم ولدي قبل يوم ولدك(我が子の命日をあなたの子の命日よりも先に)と同等。前の文 جعل الله يومي قبل يومك(神が我が命日をあなたの命日よりも先にして下さいますように)を置き換えて جعل الله يوم ولدي قبل يوم ولدك(神が我が子の命日をあなたの子の命日よりも先にして下さいますように)とし、「私の息子の命日を貴方の息子の命日より先にして下さいますように」という解釈をする部分。【 ソース
فَلَا خَيْرَ فِي الْعَيْشِ بَعْدَكَ
文語非休止形発音:
fa-lā khayra/khaira fi-l-‘ayshi/‘aishi ba‘daka
ファ・ラー・ハイラ・フィ・ル=アイシ・バアダカ
意味:
なぜならあなた(亡き)後の生活に良いことなど何もないのだから

上の書簡において弟ヒシャームは兄ヤズィードに「あなたの死を願うなんてとんでもない。むしろめいっぱい長生きしていただきたいと願っている。あなたこそが長寿に恵まれカリフとしてこれからも在位してくださいますように。」的な気持ちが伝わるような言い回しをしており、純粋な長寿祈願というよりは強い敬意・へりくだりも混じっている感じになっています。

現代アラブ世界で「自分が先に死んで相手が長生きする」が親愛の情や称賛・おべっかとして使われているのと同じ構図で用いられているもので、日本で誤解されているような「一緒に死にたい」「あなたの目の前で死にたい」「看取られるならあなたの腕の中で」などとは全く違う発想なのがわかるかと思います。

  • 大事なのは自分がどう死にたいのかという願望ではなく相手が長生きしてほしいとか相手の方が自分よりもずっと大切・かけがえのない存在だと表現すること
  • 自分が先に死ぬというのは親愛・敬愛の強さを強調したり自分を落として相手をヨイショする謙譲・尊敬・称賛(時としておべっか、ごますり)として機能している

というのがアラブ慣用句としての重要ポイントで、メッセージの中身がダーク・ヤンデレ・狂愛・殺傷といった方向性にならないのもそのためとなっています。

「先に死ぬ」のではなく「目の前で死ぬ」に置き換わった日本語版

日本では誤った和訳が原因で「その人に見られながら死ぬこと」「相手の目の前で命が消えること」にスポットが当てられ広まった印象が強く、ヤンデレ度が激増しなゆがんだ愛情表現、激しい熱情、悲恋、といったイメージで浸透してしまっているように見受けられます。

「愛する人に見守られながら死にたいという意味の方が素敵だから before を目の前でと訳したっていいじゃないか」と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、「先に逝きたい、あなたは長生きして」と「あなたの目の前で死にたい」という意味が両方使われているのではなく「あなたの目の前で死にたい」が日本語化の際に誤訳でまぎれ込んだ状態となっています。

現地のアラビア語-英語口語辞典ではこの「葬って」系フレーズの直訳・由来が May you live longer than me で、実際の英訳が I love you so much になる旨が記載されています。

そもそもこの慣用句に使われている動詞は死の瞬間に立ち会う・看取るという意味ではなく掘った墓穴に亡骸を収めて葬るという意味の動詞 قَبَرَ [ qabara ] [ カバラ ] を使っており、「葬る・埋葬する=土葬に参加し私のことをあなたの手で墓穴に下ろすなどして見送ってほしい=現世最後の瞬間まで一緒にいたい、私より長生きしてほしい」という発想になっています。

ネイティブたちがはっきり意味を説明しているにもかかわらず誤訳の「あなたの目の前で死にたい」を敢えて選ぶとしたら、それは自分の解釈を通すための曲解になりかねません。アラビア語慣用句の理解という観点ではやはり実際にこの言葉を使っている当事者が提示している「先に逝きたい」一択で正解として選ぶべきだと思います。

誤訳と本での語形取り違えから生じたテレビドラマ脚本での誤った利用例

日本のドラマ『遺産相続弁護士 柿崎真一』では自殺した女性が夫にあてた遺書として「真一へ (アラビア文字で)ヤーアブルニー まゆみ」が出てきたとのこと。

真一が仕事にのめり込みすぎてまゆみが他の男性に救いを求めるも彼女の心は壊れてしまい自殺。「“あなたが私を葬る”。その人なしでは生きられないから、その人の前で死んでしまいたい」という愛のメッセージを書き残した、”ヤーアブルニー”を通じて真一が思っていた以上にまゆみが夫を愛していたことが判明した、という流れになっているようなのですが、『翻訳できない世界のことば』を参考に書いてしまったシナリオのため誤った使い方となってしまっています。

しかもヤーアブルニーが「あなた」ではなく「(話しかけている相手とは違う)彼」への愛を表明する語形になっているという本での取り違えもそのまま継承してしまっているため、このままだと夫 真一ではなく彼以外の男性(浮気相手)を愛しているという意味になりかねません。

そもそも遺言的な意味で使う慣用句ではなく、元のアラビア語のノリでは「彼が大好き」「彼が元気に長生きしてくれますように」「彼は私のダーリン♥」なので不適切なシーンで”ヤーアブルニー”が登場してしまっているのですが、「夫であるあなたをやはり愛している」という遺書にするはずが「浮気相手の彼を今でも愛していて、彼に自分を埋葬する側となってこれからも元気でいてほしい」と願う内容になってしまっているので、二重の意味で誤った使い方になってしまっています。

日本語版出版社公式SNSアカウントやブログで紹介されているオリジナル解釈と実際との誤差

夫・子供・孫など好きなみんなにたくさん言う愛情表現であるはずが「たった1人の相手」を強調した独自解釈に

「あなただけがたった一人の相手」というオンリーワン同士の言葉という日本におけるイメージ

この本の日本語版出版社公式SNSアカウントやブログでは何度かこの”ヤーアブルニー”に関する投稿がされているのですが、誤訳されたまま

  • 「君の前で死んでしまいたい」
  • 「私を殺せるのはあなただけ」
  • 「自分の命を奪うことができるたった一人の相手」
  • 「唯一の片割れだからこそ、その人なしでは生きられないし、自分を葬れるのはその相手だけという裏表になっているようなことば」
  • 「自分を生かすのも殺すのも、幸せにも不幸にもできるのはひとりだけ」
  • 「かけがえのない片割れだからこそ私を葬れる。生きるのも殺せるのもお互いだけ。」
  • 「たった一人、世界の果てまで、命の終わりまでともにありたいけれどそれが叶わないのであれば、君の前で死んでしまいたい。自分の命を奪うことができるたった一人の相手。」

と2人きりの濃密な世界を表すフレーズとして解釈されていますが、シリアやレバノンでの使われ方やこの言葉の本当の意味を一切確認されないまま独自の推論をされたように見受けられます。

この慣用句は人生で唯一と決めたような相手だけにささやくとっておきの言葉ではなく死ぬことに主眼に置かれている訳でもないので、思い違いをされたまま考察を進めてしまわれた状態だと言わざるを得ません。

こうした本来の使われ方とは無関係なオリジナル解釈とともに数年間にわたり複数回紹介され、日本において本来の姿とはかけ離れた大きな誤差をもって受け止められる原因になってしまったという印象を持ちました。

「私を葬って」は親類縁者知人みんなにふりまく親愛ワード

上の方でもネイティブによる意味説明を紹介しましたが、この慣用句は死にたい自分の気持ちではなく相手への愛情そしてその人の幸せ・健康・無事・相手の長生き祈願がテーマのフレーズです。

それが発展して実際の日常生活では「大好きだよ」「愛しいあなた、ハニー、ダーリン」「すごい!」「おおせのままに」という意味で使われるようになったもので、愛し合う2人の片割れだけ同士だけが交わし合うとっておきの言葉とは違います。

お母さんやおばあちゃんたちが何人もいる子供や孫全員に言って回るような言葉で、愛する家族の皆が自分を囲んでくれてお墓に埋葬してくれることを願う親の気持ちなどを反映したものとなっています。そのため愛を永遠のものとするためなら死を選ぶ・激情から辛くて死ぬと口走るといった意識とは無縁です。

アラビア語での恋人相手へのラブソングや恋文だと「あなたしか見えていない」「あなたしかいらない」「あなたが私の全て」という言葉を多用するので「あなたが私を葬って」も2人きりの世界というイメージと結びつけてしまいやすいのですが、それはまた別の話で、今回の慣用句が「あなた以外の手で埋葬なんてされるものか」と表明するための言葉だという解釈にはなりません。

複数の相手に言ったり、相手の美貌や長所パーツをほめたり、1日に何回も口にするような言葉

このフレーズは葬る主語が複数の人間だったり、物・相手が持つ性質や体のパーツだったり、色々な相手・対象に向けてたくさん使ったりする軽い慣用句です。

たった1人への一途な愛だけを表すとは限らず、愛する娘や息子たちがいれば「あなたたちが葬って」になります。幼稚園の先生が撮影した園児らのビデオでも「あなたたちが私を葬って」と字幕がつけられたりして「園児のみんな、大好きよ」といった意味を示していることも。

またイスラームは一夫多妻を認めているので夫が妻を持ったまま新たな妻候補と恋愛するケースが少なくありません。「君が僕を葬って」「あなたが私を葬ってね」が同時進行で違う女性たちとの間で交わされる・妻に内緒でコソコソと電話で新妻候補の交際相手にささやくというシチュエーションもあるなど、日本とは事情が違っています。

上でも紹介した通り父母・祖父母・おじおばが身内の子供たちをかわいがりながら「愛している」に「早死にしないで無事育って」という気持ちを込めて贈る親愛表現だったりするため、オンリーワン同士のカップルにだけ許されたずっしり重く尊い大人同士の愛の言葉・一対のかたわれ同士が贈り合う特別な言葉だとするのは現地での実像と異なっています。


画像引用元:القويسمة اليوم

ヨルダン首都圏地域のコミュニティーグループに投稿された探し猫のお知らせ。写真には يئبرني جمالو(直訳:彼の美しさが私を葬りますように)とのコメント入り。「あなたが私を葬って」フレーズのバリエーションの一つで意味は「彼、とってもイケメンなんです」「すごい美猫なんです」「なんというイケ猫」。

自分にとって大好きな存在・すばらしいと感じられる事柄であればペットにも、愛している・ほめたい人の一部である物事にも使用可能で、愛着や感嘆を表現する際に欠かせないフレーズの一つとして多用されているという印象です。

失恋など一方的な愛情がテーマの歌にも登場

「あなたが私を葬って」は別離によって会えなくなった息子を思う父の気持ちをテーマにした歌謡曲、愛していた女性が婚約*してしまいそれを人づてに知った男性の失恋と未練を歌ったラブソングなどにも使われています。

*アラブ世界では束の間の自由恋愛を楽しんでいても親が手配した結婚話から逃げられずそれはそれこれはこれで受け入れる男性、女性も少なくありません。

片側通行でも相手を愛していて離れがたい気持ちがあれば言うので、日本オリジナル解釈のように相思相愛の両側通行というイメージで常に見ないよう注意が必要かもしれません。

実際には愛する相手が自分を殺すこと・希死念慮・死にたい願望は全く意図されていない

「私を殺せるのは愛するあなた」といった意図が無く愛の強さ誇張が目的

ネイティブによるフレーズ解説でも明言されている

シリアやレバノンの愛情・称賛表現تقبرني(あなたが私を葬って)等と実際の意味』でも紹介していますが、この表現は死という大げさな言葉を使っているだけで実際に死にたい・殺されたいと伝えているものではありません。

アラビア語ソースでも「あなたに殺してほしい」「私を殺すのはあなた」という意図が無いこと、そういう気持ちを伝えるために使う言葉ではないこと、直訳・解釈と実際の意味とか全然違うノリで不一致が激しいことが紹介されています。

シリアなどには「◯◯が私を葬ってくれますように」「ああ私を葬る人よ」といった慣用句がありますが、これらはいずれも「◯◯こそが私を葬ることのできる唯一の人」「◯◯にこそ殺されたい」といった気持ちを伝えるための言葉ではなく「◯◯は私より長生きするんだ」「◯◯のことをとても愛しく思っている」「一生そばにいたい」が言いたいことの実体です。

上の方でもネイティブによる解説例を挙げましたが、「私を葬って」は土葬の際に立ち会う親類縁者の一団に含まれるぐらいに相手がとても身近で大切な人であることを示唆しているとか。

またネット雑談では他地域出身アラブ人男性がレバノン人女子たちに「その言葉の意味って何?」と聞いたところ複数が「相手のことがものすごく好きで、人生最後の瞬間までずっと一緒にいたいなって気持ちの現われ。そのぐらい愛してるって意味。」だと答えた、との書き込みもありました。そのことからも言いたい要旨が「とても好き」「ずっと一緒にいたい」の部分であることがわかるかと思います。

「愛する人に埋葬されたいという意味で使う慣用句じゃない」ことをネタにしたお笑い動画

シリア系男子たちが女装して繰り広げる爆笑動画チャンネルの حرفيا [ ḥarfīyan ] [ ハルフィーヤン ](慣用句を文字通りやったらこうなる)シリーズです。前半が「あなたが私を葬って(≒あなたをとても愛してる、愛しい人)、あなたが私のお墓の上に立って(≒あなたをとても愛してる、愛しい人)」。後半が「(女性)の手を求める(=結婚の申込みをする)」で文字通り手目当ての手フェチ男性だったというオチとなっています。

パートナーに愛を伝えるつもりで「私を葬って、私のお墓の上に立って」と言った女性。お姫様抱っこをしてもらい「なんてロマンチックなのかしら!」と喜びますが、本当に土葬されて墓の上に乗られてしまいます。

これは「みんな”自分を葬ってほしい”とは言ってるけどそんなつもり全然無いよね?」を前提に作られたもので、「殺されたいなんてこれっぽっちも思わずに愛していると言っただけなのにこんなサスペンス風味になってしまった」という直訳と実際の意味との激しいギャップを楽しむコメディー動画になっています。

こうした典型的ギャグからも”ヤーアブルニー”がヤンデレ要素を込めない愛情表現として使われていることが理解可能です。

ただこのギャグが通じるのはシリア・レバノンの「私を葬って」系慣用句を普段使っているか由来・意味を知っているアラブ人だけなので、「うちの地域だとそれを言ったら本当に墓穴掘って埋められかねない」といった感想を書いている人、爆笑を表す顔文字😂・驚愕&恐怖を表す顔文字😱つきでリアクションされているケースが情報収集期間中もかなり見られました。

直訳が「君が僕を殺して?」になる愛の言葉も見かけるが…

大げさな恋愛表現が多いアラブ地域なので、文字通りだとかなり強い表現である

اقتليني
文語発音:[ ’uqtulīnī ] [ ウクトゥリーニー ]
口語発音:地方により少しずつ異なる
【相手が女性1人の時の動詞命令形】君が僕を殺して

なども見かけます。

この場合の「殺して」も死なせてほしい・殺してほしい・僕が死んだら埋葬できるのは君だけだという病んだ願望ではなく「狂おしいほどに君への愛に夢中にさせて?」「死ぬほど君を愛させて?」といったニュアンスで理解する表現だと思います。

なおこれについては現代アラビア語に多い欧米からの輸入表現である可能性も考えられ、kill me with your love を取り入れたものなのでは?という気がしないでもありません。

相手に自分の死・命をゆだねる内容の誇張表現と解釈

命や死まで相手に任せてしまう的な言い回しはアラブによくある愛情・敬愛・崇拝の誇張技法

“ヤーアブルニー”ことトゥッブルニ(ー)/トッボルニ(ー)/トッボルネは「私は自分の死すらあなたに委ねている」「私が殺される時はあなたの手で」といった本気かつ重すぎるほどの激しい真剣愛を伝えるための言葉ではありません。

「私を葬って」シリーズが使われているシリア付近出身者の投稿でも見かけましたがシリアでは愛情・尊敬・崇拝の表現に自己犠牲・献身を使った言い回しが少なくないとされ、一般的にアラブ諸国では強い愛や崇拝を示すために「この身も・心も・命すらあなたに捧げる」という表現を使います。

だからといって「私の生死を決める権利を相手に引き渡すから殺されても構わない」「あなたの手で私を殺してほしい」が真意なのではなく、自分の心身を捧げることをちらつかせるのが愛がいかに強いのかを激しくアピールするための道具のような役割を果たしています。

これについては日本語の「死ぬほど好き」が「あなたが好きなのであなた自らの手で私を死なせてほしい」「愛するあなたに殺されたい」「相手を愛しすぎて目の前で死にたい気持ち」ではないのと全く同じです。

「私を生かすことも殺すこともできる唯一の存在」は唯一神アッラーという宗教観

自分の命、生も死も何もかもゆだねる先の最終地点は神という考え方

出版社の中の方が”ヤーアブルニー”の意味として提示しているオリジナル解釈ですが、「私にとっての唯一」を強調しすぎてしまったために、人間の恋人ではなくイスラームの唯一神アッラーだけに使われる表現と一緒になってしまっています。

そもそもアラブ・イスラーム世界では人の生死を決め命運を握っているたった一人の存在は至高なる唯一神アッラーです。

ラブソングやラブレターでどんなに持ち上げようと「我が命を捧げる」と誓っていてもそれらは通常絶賛・強調・誇張技法に過ぎず、人を生かすのも殺すのを決めるのはアッラーでありどんな死も彼が定めた天命 ー قَدَر [ qadar ] [ カダル ] ー により訪れるというとらえ方をされます。

イスラームの神が絶対的であるがゆえにNGを出される言い回し

愛・思いの強さを表現する目的で「恋人に命を捧げる」「あなたよりも先に逝きたい」と死をちらつかせた慣用句にからんでは、唯一神の一存で運命として決められるはずの死を自ら願う行為だとして忌避する人もいて厳格な宗教家が「愛情表現として死といった言い回しを使うことは認められない」という見解を発表することもあります。

アラブ・イスラーム世界ではアッラーだけが完璧で無謬の存在なので、外国人学習者が何気無く「完璧を目指します」と書いただけでも「完璧はアッラーだけのものですよ」「人間の立場で完璧になるつもりだと言ってはいけない」というダメ出しが来ることもあります。

「生かす者」「殺す者」は唯一神アッラーの特性・称号

全知全能でこの世の何もかもを司っているアッラーという存在を前提に生きている社会なので、アラブ社会のマジョリティーであるイスラーム教徒が「私を殺せるのはあなただけ」「私の生死を決められるたった1人のあなた」と感じそのような言葉を贈るとしたらそれは「生かす者(المحيي)」「殺す者(المميت)」という生殺与奪の全能力を所有している主であることを示す称号を持っている唯一神になると考えるのが自然です。

アラビア語ではなく大半の方が学習経験をお持ちだと思われる英語に訳されたものを挙げてみると

  • Allah is life-giver and death-causer
  • only Allah gives life and causes death
  • only Allah gives life and death
  • prayer, sacrifice, life and death to be only for Allah
  • my life and my death is only for Allah

などが「自分の命を奪うことができるたった一人の相手」「その人なしでは生きられないし、自分を葬れるのはその相手だけ」「自分を生かすのも殺すのも、幸せにも不幸にもできるのはひとりだけ」「かけがえのない片割れだからこそ私を葬れる。生きるのも殺せるのもお互いだけ。」という出版社さんによる考察・解釈とかぶっています。

上記のような神の称号は全て「その能力・属性を持っている唯一の存在」もしくは「その能力・属性を持っている中で一番強力で至高の存在」であることを意味。人間は誰一人としてそのような称号を得られない・名乗れないことを示しています。

イスラームにおいては唯一神アッラーだけが「思うままに生き物を生かし、死なせることができ、時には死んだ者すら生き返らせることすらできる」とみなされています。

「あなたは私を生かすお方、あなたは私を死なせることのできるお方」という文言は実際にイスラーム教徒たちの間で神に向けた祈りの文句として使われています。唯一神の全智全能ぶりをたたえるための特別な文言なので、出版社の中の方による人間のパートナー間恋愛・激愛的な文脈での”◯◯が私を葬ってくれますように”という慣用句の解釈は誤りだと言わざるを得ません。

イスラームにおける神だけが持つ属性とその神に捧げる祈りの文言とかぶるので、出版社が提供した解釈を転用して「自分を生かすことができるのも殺すことができるのも、あなた一人だけ」といったフレーズを創作(特にアラブもの)に使うことはあまりおすすめできないです。

フレーズ解釈に影響を及ぼすアラブと日本との宗教的背景の大きな違い

全てがアッラーに帰結するところは日本とかなり発想が違い、何もかも神様次第という意識が天災や社会問題に対する解決意欲や必死さの度合いに影響しているとアラブ人自身が指摘することもしばしばです。

日本はこうした超強力な唯一神信仰の土地柄ではないので、非ネイティブ・イスラームについてある程度の知識を持ち合わせていない・セム系一神教の信仰者ではないという条件が揃っているとアラブ人の思考回路や行動パターンの意味合いを正確にくみ取ることが難しいです。

出版社さんにはそのような意図は一切無かったはずですが、中の方が”ヤーアブルニー”を気に入りたぎる思いを昇華させて独自解釈を突き詰めてしまった結果、イスラームの神アッラーに信徒が抱く慕情・渇望の表現と偶然一緒になってしまった形だと言えるのではないでしょうか。

ヤンデレ・悲恋を体現した言葉ではない

愛情や称賛を死を使って誇張しただけなので賛成派の当事者目線では優しさあふれる素敵な言葉だったりする

現地では「あなたが私を葬って」はおばあちゃん世代が多用してきた古臭い言葉だと見る人もいるようですが、肯定派はこれやその一連の類似表現は死という概念を上手く使って愛を表している素敵なものだととらえており、シリアやレバノン近辺の方言が持っている表現豊かさを反映したとてもロマンチックな愛の言葉だと感じて使うなどしているとか。

現地には「字義通りの意味がダークで嫌だから違う表現に置き換えよう」と提唱する人たちもいるのですが、彼らの主張「優しく深い愛情を伝えるためにこんな暗い死だの墓だの持ち出すのは良くない」「ポジティブな感情を示すためにほの暗い言い回しを使うのはやめよう」からもこの「私を葬って」系慣用句の実体が前向きな愛情表現なのだと感じ取れます。

『翻訳できない世界のことば』には「暗い望み」と書いてありますが、ほの暗い願望を示すために使うのではない、病的な執着ではなく家族や恋人として抱く普通の愛情を表現するためのちょっと変わった言い回しに過ぎない、という現地の状況と合致していません。

死やら墓やら出すのは誇張表現のためだと複数のシリア・レバノン人がネットで解説していますし、アラブ諸国の似たような表現も皆同様に大げさな言い回しなだけで「死にたい」「死んでしまいたい」という願望をメインテーマにしたフレーズではないのでヤンデレや悲恋とも無関係です。

ネイティブが英語で書いたこの慣用句の解説にも「字義通りの英訳をしてしまうとだとなんか謎めいた雰囲気になってしまうものの実際には愛情に満ちた前向きな明るい意味で使います」的なことが書かれている 【 ソース 】 のですが、実際に色々な用例を見るとどろっとしたダークさとは縁が無い言葉なのがわかります。

テレビ番組のトークでも「他所の人には文字通りだと怖い表現って言われるけど、ほんと素敵な愛の言葉なのよ?」と女優が紹介しているなど、言い回しが嫌いだと思っている人も含めてこの慣用句の真意が暖かく優しい愛情だととらえて使っているのがこの「私を葬って」系愛情・称賛・おべっか表現となっています。

アラブのお母さん・おばあちゃん像と日本よりずっと密な家族関係は世界観理解に欠かせない要素

現地のお母さんやおばあちゃんは愛する子や孫に会えばほほにあいさつの抱擁やキスをしっかりし、離れていればまめにSNSで連絡をよこし الله لا يحرمني منك(神様が私からあなたを奪ったりなさいませんように=あなたにはずっとそばにいてほしい、ずっと仲良くしていたい、私から離れていかないで)やあらゆる愛・思いやり・心配の言葉を送ったりする人が多いです。

崩壊家庭でない限りは母子間の絆が非常に強く、ちょっとSNSで返事をしないと「どうしたの?寂しい」と確認や催促が来たり、結婚式の際には新郎が大好きなお母さんにたくさんキスやハグをしたりするなど、日本とは家族関係の濃さがかなり違っています。

現地では親子愛・家族愛が日本人の想像を超えた密度です。イスラーム教育として幼少時から親孝行精神が浸透しているので、”ヤーアブルニー”の根底にあるような家族愛「お父さんとお母さんがいなくなってしまう生活なんて考えられない」という言葉を自然と口にする人もしばしばです。

愛する息子の死を知らされた母親が顔を叩いたりかきむしったりして絶叫しながら失神してしまい身内に抱きかかえられるという光景が現地メディアで放送されることは多く、テロで息子を失った母親が倒れしばらくして衰弱死したとか、母親が亡くなった悲しみからその墓に毎日行って横で寝ている男性が紹介されることも。

愛する母に贈る言葉としてネットに投稿【 ソース 】されるものも

يومي قبل يومك إن شاء الله يا يمة
***

إن لم أستيقظ يوما ..
أخبروا أمي أن أمنيتي تحققت
وغادرت الحياة قبلها
***
一部正書法(正字法)規則に則って表記を微修正しました
我が命日があなたの命日よりも先になりますように、ああ母さん
***
いつの日か私が目を覚まさないことがあったなら..
母さんに伝えてほしい 我が願いが叶い
彼女よりも先に生を去ることができたのだと
***

だったりと、「愛する人が死んでいなくなった人生は辛すぎるから、自分が先に死にたい」という発想が一般的であることがわかります。

「自分より先立たないで長生きして」については、日本とは異なるアラブ人的な愛する人々を失った時の激情・心身を壊すほどの悲しみを背景として考える必要があります。

イスラームの教えとして定められていることもあって両親に対する孝行も日本以上に奨励されている文化圏なのですが、特にお母さんへの愛情は「ママ至上主義」と形容しても過言ではないぐらいに浸透しており「母さんはこの世で一番大切」「母さんは自分の命よりも上」「この世に生まれて初めて知った愛は母さんの愛」「自分が初めて口にした言葉は”母さん”というこの世で最も美しい言葉」という称賛を送ることも当たり前かつすばらしいと考えられており、恥ずかしいこと扱いされません。

「神様が私からあなたを奪ったりなさいませんように」も「あなたが私を葬って(=先立たないでね、ずっとそばにいたい、とっても愛してる)」に通じるものがあり、”ヤーアブルニー”が病的な執着ではなく家族愛が強く寂しがり屋な民族性と結びつけるべき言葉だと言える根拠の一つになっていると言えるのではないでしょうか。

日本人的な感覚で「あなたが私を葬って」を聞くと「なんて重く激しい執着なんだろう。こんなどろどろした昏い恋愛感情を表す言葉がアラビア語にあるなんてびっくり。」となってしまいますが、それは異文化間ギャップによるもので、追加情報無しでは”ヤーアブルニー”本来の姿を推測しづらいことから来ている感想だと思われます。

一つの会話で何度も繰り返し言うような頻発慣用句で、とっておきの激重爆弾的な告白とは違う

「あなたが私を葬って」はシリアやレバノンの女性が大切な家族である夫・子・孫に毎日何回も言ってきたような愛情表現で、自分を取り囲んでくれている大好きな人たちへめいっぱい愛や称賛を贈る言葉となっています。

そのため”ヤーアブルニー”をキーワードにした日本の創作物における設定とは違って胸に秘めるタイプの感情や願望ではなく、「こんな重たい言葉、相手に負担になるかもしれない」「相手に言ってしまったら迷惑になるかも」「自分の中だけに秘めておきたいけれど強い愛のせいで相手にそっと伝えてしまいそう」「言うはずじゃなかったのに激しい愛を抑えきれなくなってとうとう言ってしまった」といった心配や遠慮とも無縁です。

“ヤーアブルニー”と言ったせいで精神的にもろい人間だと思われる、思い詰めているのではないかと心配される、縁起でもないことを言うなと叱られる、ふざけるなと怒られるということもありません。

「愛してる」よりもずっと軽い意味で使ったりもするためシリアやレバノンの人の日常会話にはかなりの頻度で「私を葬って」慣用句が登場。

「知り合いのレバノン人は”私を葬って”をたくさん使う」といった他地域アラブ人の書き込みがあったり、現地女性が家族に話しかける時に多用するフレーズとしてあるある会話ネタSNS投稿に使われたり、この慣用句のおもしろおかしさを利用したシリア・レバノン人によるジョーク・自虐ギャグ投稿に使われたりもしたりしています。

出版社公式情報がアラビア語慣用句の解釈としてはいずれも不正解であるという問題

日本語版出版社の公式ページ・アカウントで提供されている”ヤーアブルニー”等アラビア語フレーズ関連投稿を見させていただいたのですが、上で挙げた以外の

  • 創作向けアイデア向けとしておすすめな悲恋、ヤンデレ系のことば紹介として「ヤンデレ選手権堂々の第一位「ヤーアブルニー」(中略)生きるか死ぬか、すぐ極端な決断に走ってしまうこじらせカップル好きのあなたに。」
  • 「明日はいよいよバレンタイン!(中略)アラビア語のヤーアブルニー。直訳すると「あなたが私を葬る」その人なしでは生きられないからその人の前で死んでしまいたい・・・あれ?全然ハッピーバレンタイン!じゃないじゃん!出直します。」

なども残念ながら中の方の個人的な発想・独自見解に基づくもので、現地での慣用句としての用法とは無関係です。実際にはこじらせ系恋愛とは無縁で、ハッピーバレンタインにも使えます。

現地のバレンタイン向け動画です。「私を葬ってほしい」系フレーズがいくつか出てくる「大好き」「愛してる」メッセージビデオとなっています。

「とても愛している」「ずっと一緒にいたい」といったニュアンスが伝えられるこのフレーズは死を想うほどに思い詰めた恋愛感情ではなくいちゃいちゃしているラブラブなカップルが贈り合うタイプの言葉なので、ハッピーかつロマンチックなバレンタインの雰囲気を盛り上げるのに一役買っています。

“ヤーアブルニー”に関する誤解拡散について

誤解されやすい翻訳困難語な上に本での説明違い・誤訳・独自解釈が重なった

『翻訳できない世界のことば』には「この言葉は、ロマンチックと病的との中間にあります。」「いかにその人を好きで執着しているかを伝える、もっとも美しくて不穏な方法です。」とありますが、シリア近辺だけでも全く同じ意味の姉妹慣用句が少なくとも10個はあり、他のアラブ諸国にも似たり寄ったりな同等表現があるなど最も美しくて不穏だと断定するのは難しいように思います。

説明文や he と you の人称取り違えからすると著者の方は現地における等身大の姿に関してアラビア語を使ったダイレクトな調べ方をせずにヤーアブルニーページを書かれた可能性が大きく、暗い願望を伝えるための慣用句ではないことを考慮に入れないまま部外者として感じた印象で「執着」「病的」「不穏」「暗い」というキーワードを織り込んだ解説をつけたように見受けられます。

似たような表現がアラブ世界に複数存在するにもかかわらずそれらを把握しないまま「最も美しくて不穏」という順序付けも行われている状況だと言わざるを得ません。

直訳が与えるイメージはちょっぴりダークで今どきの若い女性に好まれそうな雰囲気を漂わせている慣用句なのでおしゃれな絵本のトピックとしてはしっくりとはまっていはいるのですが、他の項目「SAMAR(サマル)」「GURFA(グルファ)」も含めアラビア語について熟知されていない著者さんがその言葉の意味をあまり調べないまま説明文を書かれてしまった、という印象を持ちました。

日本における狂愛・ヤンデレ・悲恋・心に秘めた激重感情イメージは誤解釈由来

日本では強烈な愛情表現、狂おしい愛(狂愛)、ヤンデレ、悲恋、人に公表できない愛といったイメージで有名ですが、これらは全て間違った紹介のために起こった誤解・憶測から独自に付与されたものです。

  • たった一人に対する病的かつ執拗な執着と依存、ストーカー的愛情
  • 2人だけの閉じられた狭い世界にいるために正常な判断力を失っている中での特殊な愛、共依存
  • 刃傷沙汰、自殺
  • もう生きているのが辛いからあなたの前で死んでしまいたい
  • 相手が一生自分のことを忘れないよう記憶に刻みつけるために目の前で死んで見せつけたい、相手の前で死んで心の傷として残りたい
  • 相手の愛を得られないから自死、相手に見捨てられたり浮気されたりしたために絶望して命を絶つ
  • 相手に先立たれたら後を追って殉死
  • お互いが激しい愛と病んだ執着心を強くしてしまって死を選び無理心中
  • ケンカップルっぽいゆがんだ関係ながら深く愛し合う2人が派手に殺し合って死ぬ
  • 悲恋、バッドエンド、メリーバッドエンド

なども全て日本側で考え出されたオリジナル設定となっています。

歌謡曲『死ぬのがいいわ』の世界観に近いと書いている方もいらっしゃるのですが、これまでの考察を読んでいただければわかる通りこの慣用句の由来とも実際の意味とも無関係です。

これらはオリジナル作品に対する非公式二次創作に相当するもので、誤情報を元に好みに応じた世界観構築がなされたことにより語義の改変がさらに進んでしまった、もしくはインスピレーション・元ネタという形でアラビア語慣用句のベース部分を借りただけで後は各自の趣味に応じて自由に味付けされた別物となっているように感じられます。

口語(方言)の慣用句は情報集めをしにくいため余計に間違えやすい

方言特有の言い回しは各国共通アラビア語と違って情報が少ない

アラビア語は読み書きの文語(フスハー)と日常会話の話し言葉(アーンミーヤ)があります。口語表現も英語の解説ページなら結構ありますがイスラーム教徒からの需要がある文語表現よりは情報量が少なく、アラブ人向けコンテンツでないと細かいニュアンスまでは調べられないこともしばしばです。

局地的な使われ方をする話し言葉限定の表現は世界のイスラーム教徒共通のアラビア語表現「アッ=サラーム・アライクム」に比べると圧倒的に情報不足で、しかもつづりの揺れが大きく検索しづらいです。

他言語部分でも誤解釈や誤字があった『翻訳できない世界のことば』ではアラビア語に関しても著者の方から広報担当さんに至るまでシリア・レバノン方言を理解されている方を介在しないまま情報が発信されたため、伝言ゲームの始点と終点のように通常の著作物よりも色々なずれが生じてしまったように見受けられました。

調べないで意味を推測することが生む大きな誤解

上でも述べた通り、アラビア語の口語慣用句は直訳と言いたいことの中身が全然違うことが少なくありません。書店で売っている普通のアラビア語辞典には載っていないので詳しく調べずに終わってしまうことが多いのですが、そういうフレーズに限って大きな落とし穴があることも珍しくありません。

たとえばイラクには「神様があなたのご両親を哀れんでくださいますように」という慣用句があるのですが、”ヤーアブルニー”ことユッブルニ(ー)・ヨッボルニ(ー)・ヨッボルネのようにネットでネイティブ解説を探さずに直訳だけ見て意味を推測すればおそらく大半の方が「両親を亡くした人を慰める言葉」と答えるのではないでしょうか。

ところがこのフレーズ、こんな文章であるにもかかわらずイラクでは言った相手の両親の生死は全く関係無いただの「ありがとうございます」「どうもありがとう」という感謝表現として使われており、アラビア語の学習書に必ず載っているであろう شُكْرًا [ shukran ] [ シュクラン ](ありがとう)や英語の Thank you と同じ意味で通っています。

“ヤーアブルニー”がヤンデレ・共依存・死や埋葬の願望に置き換わってしまった件も同じで、アラビア語慣用句和訳はよく調べずに「こういう意味だろうな」と推測で終わらせてしまうとこのような盛大な誤解が起きやすいという問題点を抱えており、学習者泣かせの要素となっています。

本や公式アカウントからの情報発信は真実として受け止められやすい

「◯◯が私を葬ってくれますように」慣用句が日本の出版社によってヤンデレ言葉として紹介・宣伝されている件は、おたく界の例に置き換えると

  • とある商業作品を激推しなファンの方が誤った情報に基づいた上で個人の好みに即した考察を行い、それを出版関係者という立場で数年にわたり発表・推奨したため、ほぼ全員が公式設定だと勘違いしてしまった
  • ファンブックの用語解説がただの編集部調べなのに公式解説だと思われ、引用されたり二次創作に取り入れられたりしている

事例に似ています。

外国語の解釈は「この言葉は使える!なんてぴったりなんだ!」と感じてもそれが正解とは限らず盛大に勘違いしている可能性も十分にあり得ます。それがこの”ヤーアブルニー”のケースでした。

これらはこの慣用句が『翻訳できない世界のことば』という題名にふさわしく直訳とその解釈を見た程度では日常生活における使われ方など簡単には想像できないことから起こったと言えますが、問題なのは情報を提供する側である著者の方も日本語版出版社の中の方々もこの慣用句の実像を正確に把握されていなかった点だったかもしれません。

ヤンデレ・悲恋作品を彩る創作向けキーワードとしての日本独自”ヤーアブルニー”

日本での”ヤーアブルニー”像は本当の姿ではなく、ネイティブが嫌がって否定する語義誤解と同じ内容

“ヤーアブルニー”はあくまで外国語の慣用句です。この言葉の紹介記事を読んで「自分はこう解釈した」「こういうシチュエーションで使ってみたい」とわくわくするのは個人の自由なのですが、慣用句ということで正しい解釈も使われ方も決まっており非ネイティブが勝手にそれらをいじって変えることはできません。

この慣用句は家族や・恋人たちの寄り添う温かい愛情表現で、世界各国に共通な親類縁者へのポジティブな親愛を伝えるために多用されています。愛する夫・子・孫らに先立たれることもせず皆に囲まれて墓に埋葬されるという最後の瞬間まで孤独とは縁遠い幸せな一生の象徴でもあります。

それを”ヤンデレ・悲恋・生きるか死ぬかの極端な恋愛関係・全然ハッピーじゃない”言葉として人気を得るのは海外で日本語の”死ぬほど好き”が「あなたになら殺されてもいい、あなたの胸の中で死にたいという究極の愛の言葉」として大反響を得るのと同じようなことなので、そういうズレを気にされる方は回避されるのが良いかもしれません。

ヤンデレ・狂愛としての”ヤーアブルニー”は創作目的の意図的改変はともかく、アラビア語慣用句の解説にはできない

“ヤーアブルニー”については出版社の中の方が解釈が合っていたと感じられている旨も投稿されるなど正しい情報として発信されているようなのですが、皆が意味を知っている英語の慣用句なら誤訳が長年見過ごされたりこのような扱いをされたりすることも無かったのでは…と思わないでもありません。

こうした「アラブにあるヤンデレ恋愛表現」という誤情報の利用ですが、アラビア語の慣用句から得たインスピレーションということでイマジネーションをふくらませて楽しまれること自体は商業作品の二次創作と同じだと管理人的には考えています。齟齬についても承知の上でたぎる思いを具現化する手段として個人的に利用しアレンジするのであれば特に構わないような気もします。

ただ、もはや現地での実際の意味・用法から離れてしまっているので「アラビア語ではこういう慣用句があります」「アラブ人はこの言葉をこういう時に使います」と説明をつけそういうシチュエーションとニュアンスで実際に使われているかのように紹介することは難しいです。

アラブ圏向けのアラブもので使うことは避けた方が良い埋葬・死・苦しみと結びつけた”ヤーアブルニー”

これについては商業作品の公式設定と二次創作におけるオリジナル設定との区別と大体同じですが、”ヤーアブルニー”については「重たい・ヤンデレな解釈を海外でされてしまう」「説明してもわかってもらえない」とネイティブが嫌がったり困ったりしている事案となっています。

以前『超人X』5巻の黙字で女性キャラのうなじ付近に『翻訳できない世界のことば』に印刷された誤ったアラビア語表記 يا اقبرني が白地で描かれていた件がアラブ人の間で議論されたことがあったのですが、「シリアの慣用句のつもりだとは思うがつづりが間違っていて文章として成り立っていない」という指摘以外にも、「人を甘やかすために使うフレーズがこのキャラクターの設定にどう関係してくるのかわからない」「なんか意味は無いのにただのおふざけで描いたんじゃない?」というようなコメントが書かれていました。

これは日本では現地での実像と全く異なるシリアスかつ人を葬り去るという死をにおわせた言葉として誤解されていることから起こった認識のずれで、アラブ人の側は「愛している」「すごい」と相手を喜ばせほめるために使うという全然違う扱いであるために作者さん側の意図が伝わらず「なんか変だね」「遊びで描いたんじゃない?」と解釈されてしまったことがわかります。

それらを踏まえた上でもなお日本オリジナル解釈・架空語義を使ってダークな作品に利用されるかどうかは各自の判断で決めていただくことになる訳ですが、嫌がられたり「使い方がおかしい」「間違っている」とメッセージが寄せられたりする可能性が高いので、アラブ圏に売り出す予定の商業作品でヤンデレ激重フレーズとして使うことは回避した方が良いように思います。

とはいえ、グローバル展開予定でアラブ圏やアラブ系住民に届く可能性がある商業作品や人気アマチュア作家さんの作品でない限り特にツッコミ大会が起きたり問題になったりすることも無いのではないでしょうか…

なお本に載っている発音やアラビア語表記は正しいものではないのでそのままでの転用はおすすめできないです。商業作品にどうしても使いたいということであれば当ページやネイティブ執筆による解説文に載っているようなつづりを使われることをおすすめします。

日本における解釈と現地におけるこの言葉の扱われ方

日本で本や各種引用を通じて知った方たちの解釈・感想

日本語で書かれたネット上のリアクションをいくつかピックアップしてみました。

  • 「この愛を失うぐらいなら今死んでしまいたい。」
  • 「この愛は今が絶頂期。盛りの時に美しい思い出を抱いたまま逝きたい。」
  • 「今は愛してもらえているけれど今後どうなるかわからない。まだ愛されているうちに自分の手で終止符を打ってしまいたい。」
  • 「あなたの心に刻みつけたいからあなたが見ているその目の前で命を絶ってしまいたい。」
  • 「好きな相手の前で死んでその人の心の傷になりたい。」
  • 「ねえ、君の前で死ぬね。見てて?そして忘れないでね?」と相手にトラウマを植えつけるような言葉に思える。
  • 「愛しているからこそ相手が見ているその目の前で死んでしまいたいし、心を傷つけて苦しませてやりたい。」という憎む気持ちを表せる言葉。
  • 悲恋の物語を体現していると思う。
  • 悲しい言葉。
  • 胸に刺さる切なすぎる愛。思わず泣いてしまいそう。
  • まさにヤンデレ。こんなぴったりの表現がアラブにあるなんて。
  • アラブ世界には恋人に「死にたい」と伝えるためのヤンデレ表現があるらしい。
  • 「尊すぎて死ねる」に似ている。
  • 「推しの前で死にたい」とそっくり。
  • 名詞なのに1語でこんな深い意味を表せるなんてすごい。
    *管理人注:名詞というのは著者側の誤りで動詞+人称代名詞の2語が見た目上くっついているものです。
  • 病的、悲劇的で好きになれない。
  • 病みの度合いが激しすぎる。日本語には無いような激しさの度合いがとても強い言葉。
  • 末期的なヤバいおたくの思考回路そのもの。
  • 愛のせいで狂って堕ちきった人を表すのにぴったり。
  • 猟奇的な愛の言葉。
  • ゆがんだ愛の究極表現。
  • 創作にすごく使える言葉。1本新作が書けるぐらいにエモい。

といった解釈・感想ですが、誤訳「いっそのこと目の前で死んでしまいたい」の威力・筆者さんによる”執着心や愛情を伝える不穏な方法”という紹介、そして出版社によるヤンデレ・悲恋ワードプロモーションの影響が非常に大きいように見受けられました。

ネイティブたちの声

肯定派

ダークだとか病んでいるといったとらえ方をせずとっても素敵だと見る派。

  • シリア方言はアラビア語諸方言の中で最も表現豊かでロマンチック。なので死を用いた愛情表現も数多くある。
  • 深い愛を伝えることができる素敵な表現たち。シャーム地方(レヴァント地方。シリア、レバノンなどの地中海東側沿岸諸国。)の女性たちがそのあふれる感情を豊かに表現する言葉を色々と編み出したのが、「私を葬って」の類。
  • シリア方言には相手に愛を伝える色々な言葉があってロマンチックだと思う。

自嘲派・あまり納得していない派

伝えたいこと(大好き、相手はすばらしい)と字義通りの意味(死ぬこと、埋葬してもらうこと)とのギャップが非常に大きく、他地域のアラブ人に理解してもらえない、さすがに死がらみの愛情・称賛表現がたくさんあるのはちょっと…派からおもしろおかしいから遊んじゃえ派まで色々。

  • 愛情表現なのに死や墓を持ち出すから他の地域のアラブ人に不吉でダーク過ぎて全然ロマンチックじゃないと言われる。
  • 私たちシリア人は死を持ち出して相手に愛していると言う。
  • シリア人は結婚前はあなたのために自分を犠牲にするという言い方で、そして結婚後は自分が死ぬ話を持ち出して愛を告げる。すごく極端だと思う。英語の恋愛表現とかなり違う。
  • シリア人女性と結婚したらまるで自分がお墓に暮らしているような気分になるかも?
    (≒そのぐらい愛情表現に埋葬や墓参りといった言葉を多用する。複数パターンある表現を夫に言うので、妻に死装束を着せたり・墓に埋めたり・墓参りに行くといった話を毎日聞くことになる。だんだん自分が墓にずっといるような気分になってきて墓場に住んでいるぐらいの感覚になっちゃうかも、という他地域アラブ人向けジョーク。)
  • シリア人/レバノン人だと夫・彼氏が「تقبريني 君が僕を葬ってね(≒愛してるよ)」、妻・彼女が「لا انت تقبرني いいえ、あなたこそ私を葬ってちょうだい(≒私もあなたのこと愛してるわ)」とお互いを自分の墓に招待し合うのがロマンチック扱いされる。
    *SNSの定番ネタらしく同様の投稿を複数観測。
  • 小さい頃からこの言葉を聞いて育ったし、代々受け継ぐ慣習として言い続けているけど、よくよく考えてみるとこのような(*死とか墓とかが出てくる)言い回しを使わなきゃいけない納得できる理由なんて無いんだと思った。【 ソース 】

「あなたが私を葬って」はシリアやレバノンにしか無い表現かというとそうでもないらしく、「サウジアラビア南部で使う قبرتني [ qibartnī ] [ キバルトニ(ー)、*当発音はネイティブ情報による ] も同じだよ」と書かれているのを何度か見かけました。見た目は動詞完了形を含む平叙文「あなたは私を葬った」ですがこれも全く同じ構文の祈願文「あなたが私を葬ってほしい」として解釈するケースで、「先立つのは私がいい、あなたは長生きして」の意味に。

反対派・否定派

妻が夫のご機嫌取りをせっせとし身の回りの世話に励んでいた時代に多用されていたということで、否定的な意見もあるとのこと。新聞記事などでも取り上げられていました。

  • 男尊女卑的な時代の象徴。アラビア語表現にひそむ女性差別的性質の代表例だから使いたくない。
  • 近代を舞台にしたシリアドラマによく出てくるせりふ。作中で夫による妻へのDVシーンなども含まれるので良い気分がしない。悪しき時代の象徴という感じがする。
  • 相手に愛していると言ったり美貌をほめたりするのに墓とかを持ち出す慣用句は個人的には好きじゃない。
  • シリア方言には非常に多くの愛情表現があってその多くが自らを捧げるとか死といったことを引き合いに出して誇張する言い回し。”私が死んだらお墓に銀梅花を飾って”、”私の経帷子(遺体袋)の端を縛って”、”私をお墓に埋葬して”などが多用されている。いずれも暗いマイナスの表現だから同じ意味でもっと明るく前向きな「無事でいてね」「一緒にいたいな」に言い換える方が良いと思う。【 ソース 】

日本で話題になったことに対するネイティブの反応

ちなみに日本でTwitterを介して”ヤーアブルニー”が大量のリツイートを獲得し拡散した時には

  • 「うちらの使っている言葉が日本にまで知られるようになるなんて嬉しい。」
  • 「海外でロマンチックだと受け止めてもらえていてびっくり。自分たち以外にロマンチックだと思っている人々がいるとは。」
  • 「シリア大河ドラマのバーブ・アル=ハーラでも見てこの言葉を知ったのかな。」
  • 「日本の人たちがユッブルニーの意味について語り合ってる。自分は今まで元の意味について考えたことも無いまま使ってきたなあ。」

といった反応が見られました。

肯定的なコメントを見てみると日本語の細かい違いゆえに「目の前で死にたい」という誤訳が起きていることには気付かず「先に死にたい」と翻訳されているものと皆さん理解しているようでした。

日本でバズったツイート内容をアラビア語訳して紹介している投稿も複数ありましたが、日本語文で「目の前で死んでしまいたい」と誤訳されている件には気付かないままアラビア語本来の「先に死にたい」と正しい方の言い回しとして人気が出ているといった文面になっていました。

そのため「日本の人たち誤解してると思う」という指摘はそれほど出ていない感じです。ただごく一部は誤訳や誤解釈の発生に気がついており

  • 「超笑えた。他の地域のアラブ人にからかわれるようなフレーズなのに日本でこんな風に紹介されて話題になるなんて。自分が日本語できるようになったらシリアの慣用句解説を書こうかな。」
  • 「日本の人たち、これが本当はそんなんじゃない(*=誤報、ガセネタ)って知った時にショック受けるだろうなあ。」

と投稿している人も見られました。

『翻訳できない世界のことば』中の”ヤーアブルニー”に関する人称間違いや表記について

“ヤーアブルニー”についてはSNSで流行る度にアラビア語を学習されている方々が「間違っている」「読みガナがおかしい」といった疑問点をツイートされる事例が複数発生するということで、過去に話題となった点を中心にアラビア語界隈で話題になりやすい項目を1つずつリストアップしておきたいと思います。

アラビア語といっても一部の国だけで使われている表現

「私を葬って」はシリアやレバノンの言葉

本には断り書きが無いのですが、これはシリアやレバノンで流通しているフレーズです。同じ系統の表現を共有しているシャーム地方(レヴァント地方)にはヨルダンやパレスチナも含まれますが、どうやらシリアとレバノンが中心で特に色々なバリエーションを駆使しているのはシリアということになる模様です。

ネット上には「エジプト方言での発音」という書き込みもありますが、エジプトでも似たような ق [ q ] 部分の発音変化があるだけでエジプト人が使うフレーズではありません。

創作物では地域違いな砂漠の王族キャラに言わせないよう要注意

シリアやレバノンのご当地表現ということで、アラビア半島のサウジアラビアなどを舞台にした頭巾をかぶりアラブ風長衣を着た王族キャラが出てくるような創作ストーリーで使う場合は”ヤーアブルニー”を言わせないよう要注意です。

“ヤーアブルニー”が使われているシリア・レバノンとサウジアラビア付近とでは話し言葉、民俗衣装、郷土料理などが大きく違っています。「私を葬って」系フレーズが多用されているシリア首都圏の定住民方言とサウジアラビア方言は似ていないので、発音やイントネーション、日常会話の基本表現から慣用句まであらゆる部分に差が見られます。

シリアやレバノンのTVドラマを見ていて知っている人も少なくない一方、他所の方言における慣用句ということで「تقبرني [ トゥッブルニ(ー)/トッボルニ(ー)/トッボルネ ] ってどういう意味?」とネットで質問している人などもおりアラブ人同士でも方言の系統が違うことが改めて確認できます。

サウジアラビア方言を話しアラブ服を着た純サウジアラビア人の中にシリア方言やレバノン方言を話す人が出てくるというのは現地では滑稽を楽しむお笑いやギャグのシーンとして使われることも多く、シリアスな恋の話の対極にあるので細かい整合性を気にする方は”ヤーアブルニー”使用を避けるのが良いかもしれません。

サウジアラビアの超有名懐かしコメディードラマ طاش ما طاش [ ṭāsh ma ṭāsh ] [ ターシ・マ・ターシ ](*番組題名はガラス瓶に王冠で蓋をしていた時代に開封したら炭酸飲料が吹き出てあふれるかどうかをかけて勝負した遊びが由来。) より『国籍を持たないサウジ人』回。父親がエジプト人、母親がサウジアラビア人の男性は服装も言葉もサウジ人そのものですがサウジ国籍を持たないため数々の不便に見舞われます。

途中長髪で奇抜なファッションをまとった親戚が登場するのですが、彼は父親がサウジアラビア人、母親がレバノン人ということでサウジパスポートを所持。しかし(「私があなたを葬って」フレーズがある地域でもある)レバノン方言丸出しのためサウジ人が集まる席ですっかり浮いてしまいます。

砂漠の王子キャラに『翻訳できない世界のことば』から取ってきたままの”ヤーアブルニー”を言わせると文法間違いで「彼に葬ってほしい」となってしまう上に「サウジ人なのにどうして突然シリアとかレバノンでしか使わない言葉を真似して言い出したの?」「ふざけてからかってるの?」「シリアドラマの物真似?なんのつもり?」「サウジアラビアには同じ意味の慣用句があるのになんでトゥッブルニーなの?」となりかねないぐらい不自然なシチュエーションなので、アラブな砂漠の王国におけるシリアスな愛の告白場面で言わせるには向いていません。

SNS上ではサウジアラビアなどアラビア半島のアラブ人たちがシリア人やレバノン人の方言を真似して遊ぶおふざけでこの「私を葬って」慣用句を書いているのをちょくちょく見かけます。そのことからもサウジ人たちが自分たちの方言の言葉として扱っていないことがうかがえます。

アラブもの作品で設定に使われるアラビア半島地域のイメージ

サウジラアビアの伝統衣装紹介ビデオ。フォーマルウェアとして使われるクローク(現地名称:ビシュトまたはマシュラフ/ミシュラフ)の着用方法を説明しているネイティブ向けの動画です。

日本でアラブものというと、こうした白地に赤模様もしくは真っ白な頭巾、黒い縄状の輪っか、真っ白な長衣、サンダルという出で立ちの地域が多いアラビア半島をイメージしてキャラクター設定をされるのが一般的かと思います。

「あなたが私を葬って」慣用句エリアであるシリアのイメージ

こちらは「私を葬って」系フレーズの多用で知られる超有名シリア大河ドラマ بَاب الحَارَة [ bābu-l-ḥāra(h) ] [ バーブ・ル=ハーラ ](バール・アル=ハーラ)の人気シーン。他の男性と決闘状態になっていた最中に父親が帰還。「短剣を捨てるんだ!」と叱られ手から凶器を落とし戦闘を中断した息子と一緒に自宅に戻った夫を妻が涙ながらに迎える場面となっています。

帰宅した夫を迎えた妻は泣きながら「トッボルニ(あなたが私を葬りますように)」(≒愛してる;愛しい人)も口にしているのですがこの場面的にはいわゆる夫を呼ぶ時の「あなた」に加えて「無事戻ってきてくれて嬉しい」といった気持ちも感じ取ることができ、他のシチュエーション同様和訳したくても一言では表しきれないフレーズとなっています。

反仏抗争が繰り広げられていた時代を舞台にした物語ということで当時の定番だったシリア人男性向け伝統衣装数種類が登場。サウジアラビアと違って頭巾の色が白地に黒模様で巻くターバンスタイル、オスマン朝統治下で普及し近代まで着用者が多かったトルコ帽と洋風スーツの組み合わせ、チョッキ風衣装などを見ることができます。

名詞ではなく主語を含む動詞+人称代名詞の文章

日本語版では「アラビア語 名詞」とありますがこのフレーズは名詞ではありません。なのでヤーアブルニー(注:実際の発音はユッブルニ(ー)、ヨッボルネ等)は「愛する人より先に逝きたいという望み」という願望や気持ちそのものを指す名詞としては使えません。

元々の構造は未完了形の動詞(英語だと he buries や you bury 部分で、動詞の中に主語を示すパーツを含みます)に目的語(英語だと me 部分)に相当する人称代名詞接続形がスペース無しでくっついていて、「彼が私を葬ってくれるといいなあ」「あなたが私を葬ってくれるといいなあ」といった短い文章になっています。

この言葉を言ったり書いたりした人が文章の主語に対して感じている「自分の方が先に逝きたいなあ」「そっちの方が長生きしてね」「愛してるよ」「大好き」「すごい」といった気持ちを表すので、(ユッブルニ(ー)/ヨッボルネ)自体は主語や述語を含んだ願望・愛情・感嘆の文章そのものとなります。

この本では日本語訳される前から「noun」(名詞)と書かれていました。なので著者の方がアラビア語に通じておられなかった、よく調べずに書いてしまったといった理由から起きた説明間違いということが考えられます。

ただ慣用句として英語の honey や my love 相当の呼びかけで使うこともあり、本来の動詞としての性質が薄れ少し名詞的な性質も帯びているため文語(フスハー)文法だけでは判断できない部分があります。

YA’ABURNEE・ヤーアブルニーは会話相手である「あなた」ではなく他の男性「彼」に対する愛の言葉

「彼」と「あなた」の取り違えは原作英語版と日本語版共通

本に載っているYA’ABURNEEは英語版も日本語版もこの英字表記です。

しかしこれは「彼が私を葬ってくれますように」という意味の語形です。先頭の y を t に変え TA’ABURNEE にすることでようやく解説部分で紹介されている「(男性の)あなたが私を葬ってくれますように」もしくは「彼女が私を葬ってくれますように」という意味に変わります。

英語圏では『翻訳できない世界のことば』よりも先に出版されアラビア語の慣用句としてYA’ABURNEEの英字表記で掲載されている本『Babble』(Charles Saatchi著、2012年刊)などがあるのですが、こちらは3人称(彼、彼女)の形で紹介されたものでした。

英語圏ではYA’ABURNEE系の英字表記がネット記事や複数書籍でも引用のまた引用を通じるなどして出回っているのですが、YA’ABURNEEは男性の彼(he)、TA’ABURNEEは女性の彼女(she)の時だという使い分けを掲載しているものもあります。【 ソース 】

それが『翻訳できない世界のことば』英語版執筆時に情報がごちゃ混ぜになってしまい、YA’ABURNEEが「you(あなた)」の時の語形だという説明誤りにつながったものと推察されます。

“ヤーアブルニー”は「彼が私を葬って」なので最愛なはずの相手に「あなたじゃない別の男性を愛している」と告白することになってしまう

アラビア語に関する細かいあれこれを気にする/気にしないは人それぞれですが、話題になった”ヤーアブルニー”はあなたに葬ってほしいという意味だと紹介されているにもかかわらず実は目の前にいるあなたではない別の男性「彼」(その場にいない男性;その場に居合わせているものの最愛のあなた以外の別の男性)を指しているという重大な説明間違いを抱えています。

これは英語の「I love him」「アイ・ラブ・ヒム」に対して「私はあなたを愛しています」という日本語訳がついているのと全く同じなので、自作小説などの重要シーンで「あなたを愛している」というつもりで「ヤーアブルニー(彼を愛している)」と言わせると矛盾が生じてしまいます。

相手への愛を口にするシーンで「ヤーアブルニー(彼を愛してる)」を出すと、「えっ、すごく愛してる”彼”って誰?僕は?君、浮気か二股してたの?いまこの瞬間に何を言い出すの?」となりかねません。

『翻訳できない世界のことば』にはこのフレーズが名詞だと書かれていますが実際には動詞で、しかもアラビア語の動詞は内部に主語を示すパーツを抱え込んだ構造なので葬ってほしい人が誰なのか・性別はどっちなのか・何人いるのかによっていちいち変化させなければいけません。アラビア語の動詞未完了形は先頭が y になるか t になるかで彼とあなたを切り替えるのでたった1つの音が違うだけで意味が変わってしまいます。

“ヤーアブルニー”世界観の解釈や味付けについて管理人が細かく口を出すことではないのでこれ以上の言及は避けますが、せめて目の前にいる恋人キャラには1文字目を「ヤ」ではなく「タ」に書き換えたせりふ”ターアブルニー”(意味は「貴男に私を葬ってほしい」。実際の発音はトゥッブルニーやトッボルニー。)を言わせてあげた方が良い気がします。

この表現を大切な恋愛もの創作物につける題名やキーフレーズとして使っている方が多いと思うのですが、「君を愛してる」のはずが全部「彼を愛している」になってしまっているのが全部同じ本が原因で起こった事態ということで、老婆心ながら注意喚起させていただきました。

あと「タ」に替えた”ターアブルニー”だけでは男性相手「貴男に葬ってほしい」の時かその場にいない別の女性「彼女に葬ってほしい」になってしまうので、女性の恋人相手の時はさらなる語形変化を行って後半部分を”ターアブリーニー”(意味は「貴女に私を葬ってほしい」で本当の発音はトゥッブリーニー、トゥッビリーニー、トッボリーニー、トッビリーニーなど)にします。

YA’ABURNEEの英字表記

「’A」は「A」無しの表記がメジャー

この本では「YA’ABURNEE」となっていますが「’A」は「A」不要で「’」直後の母音「a」を抜いた「YA’BURNEE」の方がより流布しているものに近い英字表記です。「’」と「A」の両方を使うのは余剰文字添加・過剰感があるので、別の部分を抜くとしたら「’」を抜いた「YAABURNEE」が候補として挙げられるかと思います。

YA’ABURNEE(ヤーアブルニー)というカタカナ表記に比較的近いと思われるアラビア語表記バリエーションもあるのですがマイナーで、アラブ人が YA’ABURNEE、Ya’aburnee、ya’aburnee という英字表記を使っている例は非常にまれです。

そのためYA’ABURNEEに類する表記を使ったものは『翻訳できない世界のことば』の各国語版やそれらを引用したネット記事を見て転用した可能性が非常に高く、本の記述をそのまま継承した内容であることから解釈が現地慣用句としての本来のそれとは違っていてダーク寄りになっていることが考えられます。

YA’ABURNEE表記の元ネタは何か?

本が掲載した YA’ABURNEE は文語語形のまま方言発音を取り入れヤッブルニー(彼が私を葬ってほしい)と読んだものだという可能性もありますが、絶対にネイティブが使わない英字表記かというとそうでもないようです。

「YA’ABURNEE」は口語発音で語頭部分が yu- や yo- 以外の別パターンである yi- や ye- そして y につく母音が軽くなったことで ya- に近く聞こえるケースをベースにしたものだとも考えられ、ネイティブが書いたものを実際に見かけて採用した可能性もあり得ます。

ネット上にはシリア系・レバノン系と思われる人が書いた ya2burni(2は ء 音を示すチャットアラビア語表記)、ya2burnii、ya2burne、ya2burneeなどがあることにはあるようなので、『翻訳できない世界のことば』における YA’ABURNEE 表記もその辺が元ネタになっているものと推察されます。

『翻訳できない世界のことば』原作の『Lost in Translation』が出版された2014年よりも前にさかのぼってみると、イラク系英国人であるCharles Saatchiが著書『Babble』(2012年刊)のp.309において「Ya’aburnee」の表記で「The literal translation is, ‘You bury me’ which is simultaneously gruesome and romantic. It conveys the speaker’s hope that he should die before a beloved other – his fear that if the other were the first to die, he could not go on living.」と紹介。

「陰惨かつロマンチック」「愛する人が死んでしまったら生きていけないから自分が先に死にたいという話者の願い」という説明がなされており、日常生活での実際の意味には触れずダークでロマンチックなものとして紹介されています。

おそらく『翻訳できない世界のことば』著者さんもこうした先発の書籍を参考にされたのだと思いますが、Charles Saatchi氏の故郷であるイラクはこの慣用句を使う地域ではないこともあってかアラビア語シリア・レバノン方言ネイティブでない彼自身もこのフレーズについて十分に理解していなかったのかもしれません。

本では日常生活での実際の意味は陰惨でも何でもなく自分が先に死にたいと言うための言葉ですらない点が省かれてしまっており、英語圏でも切なく暗い雰囲気の愛の言葉として小説等で転用されたのもそうした元ネタにおける情報不足や誤報が原因となっているように感じられました。

現地でメジャーな発音はユッブルニー(ユッブルニ)、ヨッボルニー(ヨッボルニ)、ヨッボルネ

現地の一般的表記が YA’ABURNEE ではないのはメジャーな発音が違うことも原因

“ヤーアブルニー”は書き言葉の語形に方言発音を反映されたものがベースになっているようなのですが、現地動画でメジャーな非常に多い発音はこの語形とは違っています。検索する時に口語語形・発音の「yu’burnee」「yo’burnee」「yo’bornee」などに変えるとよりヒット数が増えたるのもそのためです。さらに「ニー」の部分は「ee」よりも「i」表記が多いです。

ポピュラーな英字表記は

  • 彼が私を葬ってくれますように(彼のことを愛してる;ダーリン;彼ってすてき)
    英字表記例:yo’borni、yo’borne、yo2borni、yo2borne
  • 貴男/彼女が私を葬ってくれますように(貴男/彼女のことを愛してる;ダーリン;貴男/彼女ってすてき)
    英字表記例:to’borni、to’borne、to2borni、to2borne

なので、この慣用句について調べたい時はこれらを検索ワードにするとネイティブによる解説記事などを見つけやすいです。

オックスフォード辞典に掲載された toq-bor-neh

「toq-bor-neh」はオックスフォード辞典がシリア・レバノンの慣用句として掲載した時の表記をネット記事が転載したものです。「-」は音節を区切るためにわざと入れた発音表記で、実際のアラビア語表記ではスペースも – もはさまずに toqborneh とつなげ書きすべきフレーズです。

しかし「toq-bor-neh(トク-ボル-ネ)」「toq・bor・neh(トク・ボル・ネ)」「toq bor neh(トク ボル ネ)」「Toq Bor Neh(トク ボル ネ)」とするような単語の区切れ目だと受け止められてしまった方も多かったようで、英語サイト・日本語サイトを問わず分かち書きしてある記事・投稿をしばしば見かけます。

発音もトクボルネと読ませるような表記になっているのですが、現地の方言ではアラビア語表記では ق(q)の音になっているのに実際の発音は喉を流れ出る息の流れを「んぐっ」といったん止めてクの音と置き換えてしまうので、トクボルネではなくトッボルネのような発音になります。

*語末・文末の h はシリア方言やレバノン方言における読まない黙字を表すことが多く、ここの h も読みません。なのでトクボルネフやトクボルネハとは絶対に発音しません。

そのためシリアやレバノンでは「せっかくオックスフォード辞典に掲載されたのに実際の発音と違う toq-bor-neh という表記になっていて残念」「そんな発音しないのに」と評価となっており、テレビ放送でもネット投稿でも指摘されている状況です。

商品名や作品中でのキーワードとしての使用は避けられた方が良いと思います。

シリアやレバノンで見られる多様な発音・表記バリエーション

レバノンなどでは未完了形動詞の先頭部分につく母音が違って ti- / te- になったり、b の後に来る母音が違ったりで

  • トゥッビルニ、トゥッビルニー(英字表記例:tu2birni)
  • トゥッベルニ、トゥッベルニー(tu2bernii、tu2berni、tu2bernee)
  • トゥッベルネ、トゥッベルネー(tu2berne)
  • ティッブルニ、ティッブルニー(ti’burnee、ti2burnii、ti2burni)
  • ティッボルニ、ティッボルニー(ti2bornii、ti2borni、ti2borne)
  • ティッボルネ、ティッボルネー(ti2borne、ti2borneh)
  • テッブルニ、テッブルニー(te2burnii、te2burni、te2burne)
  • テッブルネ、テッブルネー(te2burne)
  • テッボルニ、テッボルニー(te’borni、te2bornii、te2borni、te2bornee)
  • テッボルネ、テッボルネー(te2bornee、te2borne、te2borneh)

といった発音・英字表記になるケースも見られます。

ちなみにネット上に『YA’ABURNEE』とのタイトルがつけられた人気動画があるので見てみたのですが、つづりがネイティブ発音を再現したアラブ人がよく使う英字表記のそれとは違うためいまいち確信が持てなかった人もいたようで

  • 「これって(もしかして)ユッブルニ(のこと)?」
  • 「うちらが使っているユッブルニのことだと今頃になってやっと気が付いた。」

というコメントやSNS投稿がいくつか寄せられていました。

このことからもYA’ABURNEEという英字表記がシリアやレバノン出身のアラブ人が多用するものとは違っており、ぱっと見で認識できない人が一定数存在することが考えられます。

無理やり文語(フスハー)語形・発音・表記に直すのは過修正

口語表現なのに無理にアラビア語表記から文語(フスハー)に合わせようとして يَقْبُرُنِي [ yaqburunī ] [ ヤクブルニー ](彼が私を葬ってくれますように)もしくは人称も訂正した تَقْبُرُنِي [ taqburunī ] [ タクブルニー ](あなたが私を葬ってくれますように;彼女が私を葬ってくれますように)にまで修正してしまうと、日常生活で口にされていない発音になり過修正となるので要注意です。

現地では q 部分を文語(フスハー)と同じ q 音で発音するのは地方の人や特殊な宗派を信奉するマイノリティーなどごく一部です。

ネットで「これが正しいはずです。間違っていませんか?」と書き込まれている投稿を複数見かけますが、方言でのフレーズなので現地で採用されている発音とアラビア語表記を使うのがベストだと思われます。ネイティブの中には「フスハーと違って ق のところを ء で発音するからこそ甘やかしている感じが出せる」と表現する人もいるぐらいなので、「ヤクブルニー」「タクブルニー」にしてしまうと本来の語の響きが持つニュアンスを損ねることにもなりかねません。

この文語(フスハー)語形と発音「ヤクブルニー」については

  • 海外で紹介されたことを現地テレビ番組が「適切でない発音」「実際の発音で紹介されていない」とコメントしている
  • ネイティブ間には「اسمها يؤبرني مو يقبرني اللفظ هيك بيعطي جمال و دلع للكلمة」(ヤクブルニーじゃなくユッブルニ。こういう発音をすることで言葉が素敵になるし甘やかしている感じが出せる。)といった評価がある

ことから、ユッブルニー、ユッブルニ、ヨッボルネのようにシリア・レバノン方言らしい発音で言うことそのものにも意義があると理解するのが適切である模様です。

日本語版ページ下のアラビア語つづりとカタカナ表記が少し違う

謎のアラビア語表記の元ネタは何か?

日本語版ではページ番号とフレーズが「065 يا اقبرني ヤーアブルニー」と書かれていますが、現地でよく使われているアラビア語のつづりとはかなり違います。GoogleやTwitterで ” يا اقبرني ” と検索しても出てこないため「一体誰がどういう経緯でこのような表記をしたのか?」という謎が浮上します。

一応 يا قبرني / ياقبرني もしくは ياأبرييا ابرني のように近いつづりがあって非常にマイナーながら一応は使用例が確認できるので、『翻訳できない世界のことば』も少し文字を減らしてアラビア語表記を修正した方が大半の人が使っている発音やつづりにより近づいたのでは…と思います。

يا اقبرني ” という超マイナー表記で書いてくれたネイティブがどこかにいたのか、アラブ人が書いてくれたものをタイプミスしたのか、(チェック係のアラブ人が仮にいたとして)シリア・レバノン系ではなく方言のアラビア語表記を正確にできなかったのか、アラブ系ながら海外生活が長すぎて英字表記(転写)でしか方言会話をタイピングしたことが無くアラビア文字でつづれない人だったのか、アラブ人を通さず著者か出版社の方が書かれたのか、どこかの機械翻訳か英字表記変換サービスで表示された結果を書き写したものなのか、断定は難しいです。

商業コミックで転用されネイティブから「間違っている」と指摘が入った يا اقبرني

『翻訳できない世界のことば』日本語版に書かれていたアラビア語表記はフレーズが人気を得たことから商業コミックでも利用された模様です。

石田スイ氏著『超人X』第5巻ではキャラクターのうなじにアラビア文字で「يا اقبرني」(実際にはおそらくスペースがいらない非連結文字の箇所に1文字文の間隔を空けた يا اقبر ني )と入っているのですが、アラブ人コミック翻訳者さんやファンたちからは以下のようなコメントが出るなどしました。

  • 「ユビコ(指子)にアラビア語のタトゥーがある。同氏が自分で書いたらしいことは明らかだ。でも意味をなしてない。يا تقربني のつもりだったんだろうな。自分はDMをオープンにしていて彼が送ってきてくれる時は自分もだいたい返信してるから、修正するように伝えようと思う。」
  • 「この文じゃ何の意味にもならないよ。自分には”ああ母さんの墓よ”って読めた。」
  • 「どう書くか知らなかったのかなあ。」
  • 「シリアとかの人たちが言っている言葉を書いたつもりだったんだと思う。」
  • 「石田さんはどういう意図で書いたんだろう?文字通りの意味じゃなくて人を甘やかしたりする言葉なんだけど。」

これらからも本に印刷されていたيا اقبرنييا اقبر ني) がアラブ人には「たぶんシリアの慣用句のことを指してるんだと思うけど、意味も通らないしつづりが間違っている」と受け止められる種類の不自然なつづりであることがわかるかと思います。

この事例では指子という女性登場人物が上半身裸で銃を持っているイラストにおいてうなじにこのフレーズが書き込まれており、嬉々とした表情で殺し合いに身を投じる様子やそのめちゃくちゃ強い能力という作品内描写と「彼を愛してる❤」「ダーリン❤」「すご~い!」という意味で使われている慣用句とが結びつかずアラブ人読者たちが「なぜこのキャラにこの言葉を?」という疑問を抱く結果となってしまった模様です。

作者さんは死・墓・埋葬という日本独自解釈からダークでクールなイラストに合うものとして転用されたのだと思うのですが、実際にはシーンにそぐわないおばちゃんワードだったためにネイティブには通じなかったように見受けられます。

” يا اقبرني ” を普通のアラビア語文として読む場合の発音と訳

يا اقبرني ” を慣用句とは関係無しに母音記号をつけて発音を復元した上で訳した場合、

  • يَا [ yā ] [ ヤー ]
    間投詞の「ああ」
  • اُقْبُرْنِي [ ’uqburnī ] [ ウクブルニー ]
    動詞派生形第1形/基本形の命令形・2人称・男性・単数+人称代名詞接続形・1人称・単数・対格(の ينُونُ الْوِقَايَةِ [ nūnu-l-wiqāya(h) ] [ ヌーヌ・ル=ウィカーヤ ] を足したセット)で、意味は「(男性の)あなたが私を葬れ」「貴男が私を葬って」

この2つを組み合わせて起きる命令形語頭の音の消失と間投詞ヤー語末短母音化により読みは [ ya-qburnī ] [ ヤ・クルブニー ] に。動詞未完了形「彼が私を葬る」という YA’ABURNEE の元になった慣用句 يقبرني の文語発音 [ yaqburuni ] [ ヤクブルニー ] とは母音 u が r の後にあるか/無いかだけの違いとなり、ほぼ同じになります。

そして意味は「ああ、貴男が私を葬って」として理解が可能です。ただこのタイプのアラビア語動詞命令形は3人称相手に作れないので自動的に2人称となるため、発音がそっくりではあるものの  YA’ABURNEE 本来の直訳である「彼が私を葬って」とは同じ意味にはなり得ません。

なお ” يا اقبرني ” は英語の You bury me なりをベースにアラビア語に直訳した時に得られたつづりだという感じも強めで、スペルを直接ネイティブから教えてもらったのではなく慣用句を直訳した英文を再度アラビア語化するという回り道をした可能性を推測する余地がある表記となっています。

というのもアラビア語の慣用句で願望を表す文章はこのような命令形ではなく動詞完了形もしくは動詞未完了形を含む祈願文なのが普通で、”ヤーアブルニー”の元ネタも平叙文「あなたが私を葬る」と見た目上の区別がつかない祈願文「あなたが私を葬って」であるためです。

『翻訳できない世界のことば』ページ下に書かれているのが動詞命令形 اقبرني(あなたが私を葬れ、あなたが私を葬ってくれ)だとすると、「葬ってほしい」も含めて願望・祈り(ドゥアー)が命令文ではなく平叙文になるというアラビア語慣用句のルールを知らない方がこの部分の作業に関わられていた、YA’ABURNEE の元になった動詞未完了形の慣用句と結びつかないまま文字化された、シリア・レバノンの慣用句だと伝えないままアラビア語翻訳者なりに You bury me をアラビア語にしてくれと要請して書いてもらったアラビア語文である可能性が出てくるように感じられます。

なおこれらについては管理人一個人の推測に過ぎません。シリアやレバノンで最も使われているメジャー表記 تقبرني / تؤبرني でもそれに次ぐ頻度で見かける表記 تأبرني / تئبرني でもないつづりを敢えて採用した理由は関係者の方にしかわからないことだと思います。

表記チェックや発音確認のためにGoogle翻訳を使うのはNG

創作時の命名や何かの作品で出会ったキーフレーズの意味・発音にGoogleの翻訳機能を使っている方が非常に多いと思うのですが、個人的にはおすすめできません。その理由は

  • Google翻訳は精度がかなり低く、熟語を正確に返してこないことが多い。全く逆の意味に翻訳する、修飾関係の構文などが語順が逆になって結果出力されることも少なくない。
  • アラビア語は子音しか文字状に現れず全ての単語が日本語でいうところの ktkr(キタコレ)・ggrks(ググレカス)状態。アラビア語の文章は子音部分しか書いていないので読む時は母音記号を1個ずつつける感じで実際の意味を推定していく必要がある。翻訳エンジンが自力で kitakore のように1個ずつ全単語に関していちいち母音を挿入していくことになるが、Google翻訳はその能力が低い。そのため意味の正確な翻訳と正しい発音という2つの点で欠陥を抱えている。
  • Google翻訳の母音挿入と発音復元のエンジンが非力なので、発音表記として表示される英字部分もたいていはめちゃくちゃ状態でアラビア文字部分の正しい発音に対応していない。英字表記については発音記号の代用とできるレベルではなく、開発途中の不完全なプログラムという印象。アラビア語翻訳機能のうちこの英字による発音表記部分はブログやSNSに引用できる品質ではない。
  • 機械音声による読み上げの性能がとても低く正確な発音をしないことの方が多い。amazon や Microsoft の合成音声エンジンに比べると明らかに質が低く、かなりめちゃくちゃな発音が再生される。
  • YA’ABURNEE は翻訳エンジンが対応していないシリア・レバノン方言なので、これを入力してアラビア語に変換させると正しい結果が出てこない。元々アラビア文字の英字表記には決まったルールが無いので YA’ABURNEE のような英字表記を入力されてしまうとGoogle翻訳は対応できず単にアラビア文字の当て字だけをして機械音声に無理やり発音させるので十中八九間違った結果になる。

アラビア語関係者さんならGoogleアラビア語翻訳があまりちゃんとしていないことをご存知だと思うのですが、一般利用者の方だと上のような現状であることはわからず信頼できるサービスだと信じて使われているのではないでしょうか。しかし実際には上で書いた通りなので、珍回答や珍発音を楽しむ以上の用事(例:ブログ・SNS投稿)に使うとなると誤情報提供というリスクをかなりの割合で伴うことになり要注意です。

ちなみにGoogle翻訳に YA’ABURNEE と入力して返ってきたのは يا أبرني でした。これはネイティブが多用しているつづりとだいぶ違うので、個人的にはこれをコピペして使うことはおすすめしません。

2022年春過ぎにヤーアブルニーとカタカナで入力した時の結果は يابروني(yabrwny)でした。yabrwny はGoogle翻訳特有の珍英字表記なので転載回避を強く推奨。アラビア文字の方はネイティブが使う可能性があるつづりですが「彼らが私を葬ってくれますように」(=私は彼らのことをとても愛してる)の方の語形なのであなた相手には使えません。よってこちらもコピペによる転用はやめた方が良いです。

*2022年9月現在、カタカナでヤーアブルニーと入力して出てくる結果は يهربروني(yiharbiruni)に変わり以前よりも表示結果が劣化してしまいました。「あなたを愛している」や「彼を愛している」という意味にはなり得ない段階に達してしまっており聞いても「ルーニーが逃げる」「ルーニーが逃亡する」と受け止められかねない発音案内になっているので、コピペ利用は絶対にしないことをお勧めします。

特にこのフレーズは音声認識や機械翻訳が未対応の方言なので、Google翻訳などのネットサービスが返す結果が普通の文語アラビア語よりもおかしなことになりがちです。”ヤーアブルニー”なり YA’ABURNEE なりを入力しても正しい結果が出ることは100%あり得ないと考えた方が良いと思います。

カタカナ表記”ヤーアブルニー”は和訳時に余計な「ー」が入った可能性大

アラビア語の英字表記でYA’Aはヤーアではなくヤア

「ヤーアブルニー」は「ヤ」と「ブ」の間の音がちょっと多くなってしまっており、「ヤアブルニー」の方がよりアラビア語の方言での発音にちょっと近づく感じです。(ただそれでも現地で広く使われている口語発音とは違います。)

原作である『翻訳できない世界のことば』英語版にも日本語版にも「YA’ABURNEE」という表記は共通ですが、こうした英字(ラテン文字)によるアラビア語への当て字では

  • YA:ヤ
  • ‘A:ア(「’」部分は声門閉鎖音/声門破裂音で勢いよく「ア」と発音することを意味)
  • BUR:ブル
  • NEE:ニー

を意味し、「YA’A」を「ヤーア」と読むことは決してしません。そのため著者さんがアラビア語の英字(ラテン文字)ルールを正確に理解されていた場合は、原作英語版で「ヤアブルニー」と読むことを意図していた可能性が一番高くなる形です。

「YA’ABURNEE」と書いてある場合はまず第一に「ヤアブルニー」と読むのがルールに沿った基本となっており、日本語版の「ヤーアブルニー」は「’」部分を長母音と誤解してしまった和訳者さんが不要な「ー」を追加してしまったものである可能性が高いように思います。

『翻訳できない世界のことば』に関してはbefore の誤訳、アラビア語部分の誤表記、出版社による独自ヤンデレ誤解釈のプロモーション内容からすると、日本語版制作に際してシリアやレバノンでの実際の使われ方や発音を確認された形跡が残念ながら見られません。

そのため足す必要の無い「ー」が入ったのは和訳の過程だったと考えるのが自然ですが、著者の方自体がアラビア語フレーズへの英字当て字の仕組みを十分に理解されておらず「YA’ABURNEE」を「ヤアブルニー」ではなく「ヤーアブルニー」と伸ばした発音でされていて、日本版制作チームがそれを聞き取ってカタカナ化した結果がヤーアブルニーだったという可能性も否定できないです。

その場合は日本の出版社側は原作者さんの意図に忠実にカタカナ化しただけということになり、ヤーアブルニーというカタカナ表記になったこと自体は和訳者さんに起因するものではないと言えるかと思います。

現地ではヤーアブルニーに近い発音はされているのか?

現地ではユッブルニ、ヨッボルニ、ヨッボルネという発音をする人がほとんどですが、 يَأْبُرْنِي [ ya’burnī → 短母音化:ya’burni ] [ ヤッブルニーとヤァブルニーが混ざったような発音 → ヤッブルニ/ヤァブルニ ] と読む人も少ないながらいて、それが『翻訳できない世界のことば』に掲載された「YA’ABRUNEE」の元になったものと思われます。

アラブ人でYA’ABRUNEEという当て字を使っている人はほぼいませんが、ゼロという訳ではないので著者さんもどこかにあったアラブ人によるアラビア語フレーズ紹介の英語記事なりでその英字表記を見て採用されたのかもしれません。

アラビア語ではヤッブルニーとヤーブルニーとヤアブルニーは別物

ヤの後に息を止める「ヤッブルニー」と長母音でーと伸ばす「ヤーブルニー」は似た発音ですが、現地の人たちはyの後に母音uを入れてユッブルニ(ー)、母音iを入れてイッブルニ(ー)とするのではなく母音aをさしはさむ場合「ヤー」と伸ばさずヤの後に声門を閉じて(=息を止めて)ヤッブルニ(ー)、ヤァブルニ(ー)、記号で表現するとヤ・ブルニ(ー)とかヤ!ブルニ(ー)とできるような発音をしています。

アラビア語はこうしたわずかな発音の違いが意味の違いを生むのですが、ヤッブルニーとヤーブルニーとヤアブルニーはただの日本語のカタカナとして読んだ場合は似ているので「全部同じでは?」ちと感じやすいのですが、アラビア語としては全部別の語に当てるカタカナ表記となっています。

  • يقبرني [ ya’burnī ] [ ヤッブルニー / ヤァブルニー ]
    【方言発音】彼が私を葬る;彼が私を葬ってくれますように
  • يابرني [ yāburnī ] [ ヤーブルニー ]
    【方言発音】彼が私を針で刺す;彼が私を針で刺してくれますように
    【方言発音】彼が私を人工授粉する;彼が私を人工授粉してくれますように
  • يعبرني [ ya‘burnī ] [ ヤアブルニー ]
    【方言発音】彼が私を通り過ぎる;彼が私を通り過ぎてくれますように

「ヤーブルニー」と伸ばす発音については、読み書き言葉である文語アラビア語の يَأْبُرُ [ ya’bur(u) ] [ ヤッブルとヤァブルを混ぜたような発音 ](針で刺す、突き刺す;ナツメヤシの木の花を人工授粉する) を少し口語発音に崩した يَابُر [ yābur ] [ ヤーブル ] とかぶる発音になっています。

يَابُر [ yābur ] [ ヤーブル ] 単体だと「彼は針で刺す」「(デーツの実の木であるナツメヤシを)(彼は)人工授粉する」。これにニーをつけた「ヤーブルニー」だと「彼は私を針で刺す」「彼が私を針で刺してくれますように」「彼は私を人工授粉する」「彼が私を人工授粉してくれますように」の意味を想起させる読み方となってしまいます。

ヤーブルと伸ばす発音は文語にある単語を口語発音する際の発音変化・置き換わりの関係上、文語で يَقْبُرُ [ yaqbur(u) ] [ ヤクブル ](彼は埋葬する、彼は葬る)と発音する語ではなく、يَأْبُرُ [ ya’bur(u) ] [ ヤッブルとヤァブルを混ぜたような発音 ](針で刺す、突き刺す;ナツメヤシの木の花を人工授粉する)の方と対応関係を持っています。文語で يَقْبُرُ [ yaqbur(u) ] [ ヤクブル ] だった方は口語でヤッブル、文語で يَأْبُرُ [ ya’bur(u) ] [ ヤッブルとヤァブルを混ぜたような発音 ] だった方は口語でヤーブルに置き換わります。

通常「ヤーブルニー」と言っても「彼が私を針で刺してくれますように」「彼が私を人工授粉してくれますように」と理解するアラブ人はほぼいないはずなので「ヤッブルニー」のつもりだと修正してくれるため誤解されることも決してないとは思うのですが、現地の人たちは「ヤーブルニー」とは伸ばしていないので、シリアやレバノンの愛情・称賛表現「彼が私を葬ってくれますように」をアラビア語として発音する時はネイティブ同様「ヤッブルニ(ー)」のようにya(ヤ)とbur(ブル)の間にいったん息を止めて読むのがより正確で良いかもしれません。

「あなたが私を葬って」解釈に関わる現地の社会・宗教事情

オリジナル解釈により元の意味や使われ方とは違ったイメージが独り歩きしてしまっている感もある「あなたが私を葬って」。これには看取りや葬送に限らず、アラブ世界・イスラーム教と日本とで文化・社会・宗教といった色々な部分の違いが大きいことも関係しているように思います。

バックグラウンドについて調べないまま自分が持っている「アラブやイスラームってこんな感じ」「アラブは砂漠の国だからこうに違いない」というイメージに基づいて「あなたが私を葬って」の世界観を構築すると全くの別物になりかねないため、最後に認識の誤差が出やすいポイントをいくつか挙げておきたいと思います。

愛情表現の方法や重さが違う

アラブ世界というとイスラーム教徒が多いため「恋愛感情を公然と吐露するのはご法度なのでは」「ラブソングも禁止だろう」「私を葬ってと吐露するのはめったにない肝心なシーン限定に違いない」と思う方がいらっしゃるかもしれません。

しかし現実には恋愛詩やラブソングであふれ返っており「君を死ぬ瞬間まで愛する」や現世すら超越した死後までその期間が延長された「最後の審判の日まで愛し続ける」といった歌詞も使われています。

恋愛詩の伝統はイスラーム以前のジャーヒリーヤ時代から続く千数百年かけて蓄積された民族性の一部で、はたから見るとまるでアラブ人の血に刻み込まれているかのようです。

言葉の美しさや出来上がった詩のすばらしさ自体を楽しむ傾向も強いため、愛に酔い、相手女性(恋人だったり妻だったり)のために作った美しい詩や愛の言葉の出来栄えにも酔いしれるアラブ人男性も少なくありません。

日本人からすると熱烈で大げさな恋愛表現が結構あるのですが、創意工夫がこらされた結果その種類もかなり多くラブレターも日本人にはお腹がいっぱいで胸焼けするぐらいの愛がぎっしり詰まったものだったりする件はアラビア語学習者界隈でも有名かと思います。

「あなたが私を葬って」もそうした暑苦しいフレーズに満ちている中で輝くべく死・葬式という日本人からすれば極端ですらある概念を持ち出して愛を表現していると考えるのが適切かもしれません。

「あなたが私を葬って」が使われてきた社会の人間関係

伝統的社会と恋愛の自由

イスラーム世界では未婚の男女が婚約もせずデートをすることに対し厳しい制約がある状況が長い間続いてきました。現代でも単なる恋人同士として結婚無しで付き合うのが難しい地域ではすぐ婚約関係に入ることもしばしばで、サウジアラビアのようなアラビア半島諸国では遊びまくったり海外留学中に恋人を作ったりしてもいつかは親に言われた通りの相手と結婚することが決まっているので時期が来ると別れるという話をまだまだ聞きます。

今も保守的で厳格な地域の厳しい家庭では未婚女性が自分の好きなように恋愛した場合や性犯罪被害に遭った場合など部族社会的な価値観も相まって名誉殺人が行われる慣習が依然として残っており、女性の場合失恋の悲しみではなくアール(恥辱)として扱われることで針のむしろとなり逃げ場が無くなって自害するという事例がニュースで報じられることもあります。

「あなたが私を葬って」と夫をせっせとほめてきた旧世代は女性が10代で(主に父方の)いとこもしくは親や親戚の手配した男性(遠縁男性や知人つながりなど)と結婚し10代半ば~10代後半に初産をすることが広く行われていた時代の育ちで、昔の日本同様式の当日に初めて相手の顔を見たというケースも珍しくなかったとか。

そのため長い間「私を葬って」は自然と夫や実子、孫といった血のつながった近親者相手に言ってきたであろうことが推察でき、アラブ人のネット投稿などで「夫とか家族に言うんだよ」「うちのおばあちゃんが良く言ってる」「若者が恋人にも使うけどね」と書かれていたりするのにもそうした事情が関係していると言えるかと思います。

ちなみに現代のアラブ世界では恋愛・結婚事情も昔よりかなりオープンになってきており、国によって差はありますが大学の同級生同士で告白→交際・婚約して多くの場合がそのままゴールインする、共通の知人を通じて知り合って恋愛結婚する、マッチングサイトで結婚相手を探すといったことも増えています。

地域差はありますが自分の電話番号を相手に伝えたり紙に書いて渡すナンパがあったり、宗教熱心でない層がパーティーでワイワイ遊んだり男女交際していたり、クラブで踊り明かしたり、昔に比べると色々な形が見られるようになったので「アラブ人は全員こうだ」と言えるような感じではなくなっています。

保守的と言われるアラビア半島で女性の晩婚化が進む一方、シリアやイラクといった動乱・貧困化が著しい地域では12~13歳前後での児童婚が増えるなど、アラブ女性を取り巻く環境も常に変化しています。

大河ドラマの物語から~保守的社会に咲いた純愛

“あなたが私を葬って”フレーズを多用することでも有名なシリアの超人気大河ドラマ بَاب الحَارَة [ bābu-l-ḥāra(h) ] [ バーブ・ル=ハーラ ](バール・アル=ハーラ)で描かれたパン屋の青年 بشير [ バシール ] と جميلة [ ジャミーレ ](女性名ジャミーラの方言発音)の恋物語。

男女が自由に外出してデートを楽しみ交際期間を経て結婚するなど許されなかった時代。焼き上がったパンを届けて回っていたバシールは受け取りに出てきた女性の顔をみだりに見たりしないよう顔をそむけながら門戸の外から商品を差し出していました。

アブー・イサーム宅で応対していたのはその家の娘であるジャミーレ。ある日バシールは別の家宛てのパンまで持っており両方の手がふさがっていたためにきちんと手渡せず。落ちかけたパンを拾おうとしたバシールとジャミーレの視線が合ってしまいます。

お互いに一目惚れし、あっという間に育った恋心から仕事や家事にも身が入らなくなり家族からも問い詰められる始末。最初は両者とも「何でもない」とごまかします。しかしパンの受け渡しを繰り返すうちにお互いの顔を盗み見るようになり、ついにはさりげなく束の間の会話を成功させようと試みます。

バシール青年の方は母親に「アブー・イサームさんちのお宅の下の娘さんの名前は?」と何気ない会話を装って聞くのですが、名前を知った時点で舞い上がってしまい「ジャミーレ…名前の通りかわいらしいお嬢さんだよね?」と言ったことで母親に恋心を気付かれます。

今よりもずっと昔の男女交際に厳しかった時代が舞台なので、話はすぐに結婚話に発展。バシールの母が夫に「そろそろ息子を結婚させたらどうかしら。相手はアブー・イサームさんちのジャミーレが良いと思って。」と切り出し話をまとめようとします。

ちなみにこの動画では母親が息子との会話でこんばんはのあいさつをした直後、何か聞きたがっている様子の息子に「質問してごらんなさいよ」と言いつつ「トゥッブルニ」(”あなたが私を葬って”)を添えています。

息子への愛を語っているのではなく呼びかけに近い「トゥッブルニ」ですが、息子への愛情や思いやりが込められているといった理解ができる用法かと思います。日本語に敢えて訳すとしたら「息子ちゃん、聞きたいことって?」などになるでしょうか。

恋人や配偶者をパートナー1人が看取って葬ることが普通ではない

結婚しておらず近親でもない異性は結婚を口約束した相手、こっそり関係を結んだ相手であっても、イスラームの教義上故人の肌がさらされる行為である亡骸の洗浄や、死装束による包み込みは許されません。

イスラーム教徒が亡くなった場合、同性(*夫婦間、親-幼い子供間の例外を除き異性は不可)の親類縁者が故人を洗体しカファン(遺体を覆う白い布。経帷子、死装束。)で全体を巻き、棺に入れて神輿のように担いで運び、皆で集まって葬儀をし、手掘りなりショベルカーで掘るなりした墓に埋葬します。

墓穴に安置する際も複数が協力しあって収め聖地マッカ(メッカ)の方角に向けさせたり石を積んだりしなければいけないので人手が必要です。

葬儀時には故人のために礼拝を行うのですが、絶対に複数人で礼拝するようにとの規定はされていないらしいものの通常は集団礼拝の形になります。

夫婦間でも埋葬までの亡骸処理に制約がある、洗体や白布(死装束、経帷子)での巻き上げに他の人が加わる、火葬と違って小さくなった変わり果てた姿をパートナーが1人で自宅に連れ帰るーということが無い、など日本人がシリア近辺の愛情表現フレーズ「あなたが私を葬って」を聞いた時に想像する2人きりの狭い世界で完結するひっそりとした死や葬儀とはかなり異なっています。

これらからも、「あなたが私を葬って」と言っている人は自分が愛するたった一人の人間ではなくこの言葉をいつも言っている夫、子供、孫といった愛する人たちに囲まれて埋葬される寂しくない死を願っているのだと考えるのが自然なのではないでしょうか。ネイティブのフレーズ解説からも家族みんなに囲まれて埋葬される光景が前提になっていることがわかります。

大河ドラマ『バーブ・アル=ハーラ』より。フランス人女性と夫婦になったアブー・イサーム。しかし彼女は反仏運動の動きを探るために抵抗運動側の指導者層への接近を命じられた工作員でした。

アブー・イサームは元からいた妻に知らせず外に新しいフランス人妻の住まいを用意して関係を結び朝帰りをした時も誤魔化すなどしていましたが、彼女が若くして亡くなった時には1番目の妻にも存在を知られており憔悴しているところを慰め励まされるなどしています。

途中、亡くなった彼の妻の棺が地区の男性陣に運ばれていく様子も写っています。そして後半は地位あるアブー・イサームが皆の知っている妻とは違う女性を新しい妻として囲っていた件が新しいトラブルの種となっていく様子が描かれています。

一夫多妻家族だと妻が亡くなっても他の妻との生活が残っているということで、日本人が思い描くようなパートナーを亡くした時の壮年男性の様子とはまた違っていると言えるかもしれません。

一夫多妻制と複数の妻たち~大勢の家族が「あなたが私を葬って」を言い合う光景

「あなたが私を葬って」と聞くと唯一同士のパートナーが交わし合う重みのある言葉だと受け止められる方も多いと思いますが、シリアで人気の大河ドラマでは昔ながらの一夫多妻家族の姿がしばしば登場します。

夫は何人もいる妻たちからそれぞれ「あなたが私を葬って」フレーズを言われていますし、母親たちも夫や我が子らに「あなたが私を葬って」と言っており、1話の間に何度も口にされている表現となっています。

こちらもシリア大河ドラマ『バーブ・アル=ハーラ』のひとコマ。イサームの3人の妻が同時期に妊娠し同じ日に出産。元々娘たちがいたところにさらに女の赤ちゃんが3人生まれた、というストーリー。(イサームは男児が欲しかったためしょんぼりしているという設定。)

ここでは生まれた赤ちゃんに「トゥッブリーニ」、出産報告をする際に赤ちゃんを差し出しながら妻が夫に「トゥッブルニ」と呼びかけています。こちらも文脈的には「愛しいあなた」的な意味で受け取れる使われ方となっています。

イスラームと自死の禁止~日本とは希死念慮や自死の扱いがかなり異なる

アラブ世界とイスラームにおける自殺敬遠

イスラーム世界において自死・自殺は宗教的禁止の扱いで、現地では海外で一般的に見られる自死は外国から流入した行為だと見なされている部分がまだまだ大きいようです。「自爆テロがあるじゃないか」とおっしゃる方も少なくないと思いますが、一般に浸透した思想ではありません。

現代では内戦や貧困化、近隣国からの麻薬大量流入で自殺率が上がり続けている国もあり、恋愛や結婚生活の失敗に対する腹いせで相手女性や一家を襲撃したというニュースも時折報道されますが「本来はこんなんじゃない。」という市民の声が添えられていることもしばしばです。

元々はアラブ世界では「日本の自殺率は異常。イスラームを信仰する我々の社会とは違っている。」という認識が一般的です。そのためうつ病といったメンタル系の悩み、絶望的な身の上からの自殺未遂などへのケアがなかなか進まずアラブ諸国の課題として議論されることもしばしばでした。

アラブ世界では精神疾患は病院で治療せず部族長に相談したり宗教家に相談したりすることが多く、悪化しきってしまうことも珍しくありませんでした。自殺も一族の恥辱として隠蔽され事故死などとして届け出られるため長い間社会のタブーとして隠されてきた状態でした。

近年になってようやくメンタル系疾患との闘いや精神科通院に対する垣根が低くなり、元々保守的だった地域でも次第にオープンに語る人が出てきている印象でテレビ番組などでも取り上げられているのを見かけます。

自殺についてはイラクのように隠蔽しきれないぐらいに増加している国が出てきており、麻薬中毒の激増とからんでメディアで報じられることも珍しくなくなってきています。

「私を葬って」は愛を失うことが前提ではない~この愛はずっと続く

「私を葬って」は昔からあったフレーズです。自分より長生きするのが当たり前だと思っている相手が先に死なないよう願う長生き祈願であって、死や墓をゴールとして描いている言葉とは全く違っています。

自死への抵抗が多少薄れた時代になってから「この愛を失うぐらいなら目の前で自死する」「相手を失ったら生きていけないから自殺したい」という気持ちを込め育まれてきた表現ではありません。そのためヤンデレやバッドエンドものが好物だという方が結構おられる日本の価値観ををアラブ世界に適用して「あなたが私を葬って」フレーズを理解してしまわないよう注意が必要です。

現地には「最後の審判の日まで愛し続ける」といった愛の言葉がある上、「来生になったら愛する人たちにまた会える」という認識があり、死によって一度離れ離れになるもののまた会えるという期待が存在しています。

シリアやレバノンの慣用句では”ヤーアブルニー”の姉妹フレーズとして「私の遺体処理をして」「私に死装束を着せて」「私を埋葬して」「私のお墓参りに来て」「私のお墓にお花をお供えして」があり、死後も愛する家族が自分を忘れないでいてくれて縁が続くことを希望する気持ちが伝わってきます。

上記の天国における再会も含めると相手を愛する自分の気持ちが永劫に続くことが前提になっており、今ある愛を失う可能性は特に示唆されていないというのが実情です。

純愛・悲恋の文学作品が実は唯一神アッラーに対する渇望の投影だったりする

アラブにも伝統的な恋愛文学、悲恋物語がありますが、基本的には自死は一般的ではありません。ヤンデレ・眼の前で死んでやる的な日本式”ヤーアブルニー”解釈はアラブ・イスラーム世界における発想とは大きく異なっています。

愛するあまり正気を失い相手の死を知ったことで衰弱して墓前で息を引き取るというストーリー(『ライラとマジュヌーン』、アラビア語ではマジュヌーン・ライラー)もありますが、よく知られたペルシア人詩人ニザーミーのバージョンにおけるこの設定は唯一神アッラーへの渇望を投影したイスラーム神秘主義的要素が強いです。

元になったアラブ版ではライラーをテーマにした恋愛詩を作りながら荒野を徘徊しているうちにヒーローのカイスが行き倒れて亡くなるという筋書きになっている上、ライラーの後を追って死んだかどうかもあまりはっきりしていない模様。

こうした狂愛・激愛をテーマにした文学は人間同士の恋愛と見せかけて実は現世を生きる人間が決して近づくことのできない唯一神アッラーへの形容しがたい渇望と一緒になりたくても(合一したくても)簡単にそれが叶わない苦しみを投影しているケースが多いので、「アラブ世界にもこんなに激しくて心が揺さぶられる悲恋物語があるなんて!」「アラブの男女間恋愛もこんなに苦しくて激しいなんてすごい!」と純粋に受け止めない方が良い場合も少なくありません。そしてその作品がどちらなのかは専門家による解説を読まないとわからないこともしばしばです。

アラブの詩や物語から悲恋・熱愛ストーリーを創作アイデアとして引っ張ってくる場合は、それがどういう意図でどういうバックグラウンドの人によって書かれたかを調べられることをおすすめします。

生まれ変わりもお盆も無い、日本とは全く違う死後の世界

イスラーム教では生まれ変わり信仰はありません。「生まれ変わったらまた恋人になりたい」という発想が生まれず、お盆も無いので「あの世から帰って来る」という風にもなりません。

皆最後の審判が行われるまで肉体は土の中にいて、唯一神アッラーの元にいる大天使から招集をかけられたら復活し永遠の楽園に入れてもらうのを心待ちにするという構図です。

故人に対しては「アッラーが彼を広々とした天国に住まわせてくださいますように」と祈り、生前の善行に対するご褒美として先に亡くなった人からこれから亡くなる人まで皆が揃って永遠なる楽園に住めることを願う形となっています。

亡くなった父親や母親を想う歌(ラップソングも含む)に「今は会えなくて寂しいけれど、やがて自分もみんなもアッラーの許に行って愛する人とまた会えるから。」といった歌詞が含まれていることも。

こうした死生観も含め、日本人に馴染みがあるシチュエーションや当たり前だと思っていることも「もしかしてアラブ世界では違うかも?」と考えないとすぐに解釈違いに陥ったままになりやすいので、創作のアイデアとして使うには結構手間がかかる部類に入るのではないでしょうか。

死と結びついた祈願文に関する法学者の見解~願いごとには言っていいものと悪いものとがある

日常会話としてはシリア近辺で気軽に使われている「あなたが私を葬って」ですが、人によっては抵抗感を覚える場合もあるようです。

シャルジャのTVチャンネルの放送録画です。アラブ世界によくある「法学者に電話で質問~日常にまつわるイスラーム規定相談」的な番組になります。

字義通りだと「あなたが私を葬りますように」となるこの手の慣用フレーズ。それなりに信心深い人が「これって宗教的に言っても大丈夫なのかな…」と心配になり相談を寄せたようです。

これについて専門家は

相手が実際に自分を墓に埋葬することを意図した祈願文ではなく「あなたよりも先に逝きたい」という意味で一部地域で使われているが、預言者様は自身のことを祈願しないようお教えになった。だからこうした言葉を言うことは避けるのが良い。

と回答。

この手の愛情表現については他所でもイスラーム法学者が見解を発表するなどしているのですが、死について神に願う行為は不適切だとしてこの動画同様に否定的な結論となっています。

シリア、レバノンなどはキリスト教徒も多い地域

以上アラブ人イスラーム教徒社会の標準的な話を書きましたが、「◯◯が私を葬ってくれますように」フレーズが使われているシリアやレバノンはアラブ諸国の中でもキリスト教徒人口の割合が特に多いエリアです。

そのためイスラーム教徒だけの慣用句ではなくキリスト教徒の人々も同じように「愛してる」「ハニー、ダーリン」「すごい」といった意味で使っています。

アラブのキリスト教徒は典型的なイスラーム教徒のアラブ人とはまた違った暮らしを送っており、白いウェディングドレス(*今どきの結婚式ではイスラーム教徒女性も白いドレスなどを着るので新郎新婦の服装についてはあまり違いが感じられないかもしれません。)を着てキリスト教式の結婚式を挙げるなど、日本でイメージされているアラブ人像とはかなり異なっています。

レバノンの結婚式。正教会の教会でイコン(キリスト教の宗教画)に囲まれて式を挙げる新郎新婦。

なおレバノンは民事婚を選択する人もおり、宗教婚では許されてこなかったキリスト教徒男性とイスラーム教徒女性の夫婦といった異教徒・異宗派同士の結婚例も見られます。

イスラーム教徒、ドゥルーズ教徒、キリスト教徒など宗教や宗派が違っても「あなたが私を葬って」系愛情・称賛表現は共通して使われているということで、「あなたが葬って=アラビア語の言葉=イスラーム教徒が使う言葉」と限定して考えないようにする必要があるかと思います。

シリア・レバノン慣用句「◯◯が私を葬ってくれますように」の解釈・意味・使い方正誤表

長い説明文は読みたくないという方向けのまとめ表です。

この慣用句は直訳が与えるイメージと実際の使われ方とが全く違うために非ネイティブが誤解しやすいこと、込められた気持ちが一つではないせいで訳が難しいことで有名なのですが、『翻訳できない世界のことば』日本語版には「目の前で死にたい」という誤訳があること、出版社が独自設定を公式解釈的に紹介したことなどから日本では現地と異なる意味・発音・アラビア語表記で知られています。

「本も出版社もヤンデレ言葉として説明しているのにこのページに書いてあることが全然違うのはなぜ?」と思われた方は該当箇所の説明文を目次から探してお読みいただければ幸いです。

日常生活での実際の意味

日常会話での使われ方は、直訳「◯◯が私を葬ってくれますように(埋葬してくれますように、土葬してくれますように)」とのギャップが大きいのが特徴で、非アラブ諸国でダークな言葉として誤解される最大の原因となっています。

  • ◯をすごく愛してる、超愛してる、死ぬほど愛してる、大好き
    【愛情を伝える】
    *「一生そばにいたい」「無事に長生きして」という温かで優しい気持ちと連動。
  • 愛しい人、ハニー、ダーリン、愛しい子
    【子や孫といった親族(たち)への呼びかけ・妻から夫への呼びかけ・恋人同士の呼び合い】
  • 親愛なる君(たち)、親しい友(たち)よ、ねえあのさ
    【親族(たち)や親しい知人(ら)へ呼びかけ】
  • あなた(たち)、君(たち)
    【特に親しくないが他人(たち)への呼びかけ語】
  • (人・ペット・容姿・体の部位・仕草・物事について)
    ◯◯は素晴らしい、すごい、すげえ、素敵すぎる、超いけてる、超かわいい、すごく美しい
    【称賛・感嘆】
  • 《”(あなたの)神様が私を葬ってくれますように”の形で》
    「なんてこった!」「わあすごい!」「オー・マイ・ゴッド!」
    【感嘆・驚き】
  • おおせのままに、なんなりと
    【妻からの食材買い出しリクエストといった頼み事を引き受けてあげる際に相手を持ち上げる】

現地での利用例

この慣用句の使用地域であるシリアやレバノンの日常会話では以下のような使われ方をされており、これがいわゆる本来の用法ということになります。

  • 生まれたての赤ちゃんを心から歓迎・祝福し、家族としての強い愛着やこれからの幸せを祈る気持ちを込めて呼びかける
  • お母さんやお父さんが乳幼児の我が子を愛おしそうに抱きしめる時に言う
  • お母さん・おばちゃん・おばあちゃんがこの言葉を言いながら子・孫や親族の子たちをかわいがってハグとほっぺへのチューをしまくる
  • 妻が夫に対する愛情表現やおだて・おべっかとして会話に多数散りばめる
  • 結婚を視野に入れたラブラブカップルが手を握ったりしながら繰り返し贈り合う
  • 相手(たち)と今一緒にいられるという幸せをかみしめたり、これからもずっと一緒にいたいといった家族としての愛着・思いやりを表したりする時に口にする
  • お母さん・おばちゃん・おばあちゃんが子・孫や親族の子たちに話しかける際の呼びかけ語として使う
  • 成人した親族や親しい知人同士で愛着を伝えたり親しみを含む呼びかけに使ったりする
  • 身近な知人やネットでやり取りしている相手に「君(you)」の代わりに呼びかける語として使う
  • 子や孫の写真に添えて愛情を示す
  • 愛らしい子、美人な女子、美男な男子、かわいいペット、愛おしく思う身近な存在などをほめるコメントとして使う
  • 好きな芸能人、政治家、宗教家などへの親愛・尊敬の情を示す時の呼びかけ語として投稿などに添える
  • 他人の写真などをアップし目元といった体のパーツ・容姿・仕草の素晴らしさをたたえる言葉として使う
  • 離婚のため会えなくなった我が子を恋しがる、かつて交際していた彼女と別れて未練があるといった片思いや一方通行の強い思慕である場合でも「愛しく恋しいあの子」「(今も)愛している彼女」といった意味で使う

由来・語源だが通常は日常生活で意識せず使うため意味説明・和訳から外す内容

由来としては正しいのですが、日常会話ではもっと軽い意味に変化しており「そういう意味で使っている訳じゃない」「元々そんな意味だって知らずに使っていた」という扱いがされる部分なので、基本的には和訳に含めない形となります。

  • あなたは私を葬る *本来は祈願文なのでこうした断定文・肯定文自体が△
  • 私を葬ってくれますように
  • 私をお墓に埋葬してくれますように
  • 私が死んだら葬ってもらいたい
  • 私の葬儀・埋葬に参加してほしい
  • 愛する夫・子・孫たちが(病気・事故・戦乱などで)早死にせず、自分のお葬式に出て埋葬する側になってくれますように
  • その人がいない人生は辛すぎて1日でも生きていられないから自分が先に逝きたい
  • あなた無しでは生きていけない
  • あなたより長生きするのは苦しいことだから自分が先にお墓の中に入りたい
  • 愛する人たちより先に死にたい、そうすればその人たちが自分をお墓に埋葬する側になるから、彼らがいない日を1日も過ごさずに済む
  • 愛する人(たち)には生涯そばにいてほしいから、自分が先に逝けますように
  • 大好きな家族・人(たち)とはずっと一緒にいたいし、自分が亡くなった後もずっと元気に長生きしてもらいたい

誤訳、解釈間違い、二次創作的パラレル設定、ネイティブが「そういう意味じゃない」と否定している内容、作品に取り入れるとアラブ人がおかしい・滑稽だと感じる描写

日本で流通している解釈や利用法は残念ながらアラビア語慣用句としては誤用です。日常会話では全然違う意味で使うので、「死にたい」「殺して」「葬って」「お墓に埋めて」「お墓に入りたい」といったキーワードが入るような解釈は基本的に全部誤訳になってしまいます。

しかしアラビア語表記・読みガナ・直訳・慣用句としての概要のいずれもに誤りがある『翻訳できない世界のことば』日本語版と、独自考察を正解の解釈として推奨した出版社広報の影響から日本国内での創作内利用やネーミングに関しては以下のパラレル設定が元になっているのが普通で、アラブ本来の意味を当てはめる解釈するとむしろ間違いになってしまいます。

ところがネイティブの間では「そんな意味で使うことなんて無い」という前提のギャグネタとして楽しまれたりするのに加え、「自分たちが大切に使っている優しい言葉を病的で血塗られた世界観や死・殺傷の衝動に置き換える勘違い」として嫌悪されることもあります。

架空設定・二次創作として日本国内だけで楽しむ分には特に問題が無いであろう一方、海外展開予定の商業作品にはリリース後の撤回・修正作業のリスクを伴うためこうした用途外使用は回避するのが無難だと思われます。本来の家族愛的発想とは全く関係が無い殺傷・流血などをからめた過激度が高い使い方は単なる誤解ではなく悪意ある改変・転用と受け止められかねないので、注意が必要かもしれません。

*実際に『翻訳できない世界のことば』日本語版の影響を受けての商業漫画内誤用例に対して、「使い方がおかしい」「アラビア語表記が間違っている」「作者に連絡して直してもらおう」といった指摘が寄せられるなどした事例がありました。

【誤解例】昏くて激しい愛、心に秘めた激重感情、唯一無二の愛する人だけにささやくとっておきの言葉

  • ロマンチックと病的との中間。いかにその人を好きで執着しているかを伝えるもっとも美しくて不穏な方法。【本の著者の個人的な考察が混ざった説明文】
  • アラビア語の愛情表現で最も重く・激しく・美しい言葉
    *似た慣用句は各国にありアラビア語で最も美しいという評価は特に無い。この慣用句が使われる地域だけでもそっくりな慣用句が10個ぐらいある。
  • アラブ人は「その人無しでは生きていけないから愛する人の前でいっそのこと死んでしまいたい」という病んだ願望を持つほどに激しい恋愛をしている【誤訳と誤解釈】
  • 人前で言うようなものではなく、愛する相手だけにそっとささやく言葉
    *人前で子や孫を抱っこしたりしながら連発するような軽い愛情表現や称賛の慣用句で、特大の愛を捧げる唯一無二の存在にだけ贈る激重フレーズではない。目の前にいる1人の「あなた」以外に大勢いる「あなたたち」、本人が目の前にいない時に使う「彼」「彼女」「彼ら」さらには神様、ペット、非生物の物体まで相手にする言い回し。
  • 「こんな感情相手の負担になってしまう」と本人が遠慮するほどの特大・激重感情
    *1回の会話で数十回言う人もいるぐらいに軽い言葉。
  • 愛する人に先立たれ残された人間の苦しみよりも、悲しい思いはしたくないという自分の幸せを優先させた身勝手なわがまま
    *むしろ「相手の方が長生きすべき」だという自分を落として相手を持ち上げる系の発想なので、どちらかというと自分勝手の正反対。妻が夫に毎日言いまくっていた昔の状況が男尊女卑の象徴と評されたり使うのを嫌がる女性などもいる。

【誤解例】その人の目の前で死んでしまいたい、その人の腕の中で死にたい、あなたに死を看取ってほしい

  • その人なしでは生きられないからその人の前で死んでしまいたい、という美しく暗い望み【誤訳+本での説明文】
    *中身は優しい愛着や陽気な称賛。暗いのは文章の見た目だけ。
  • 君の前で死んでしまいたい【誤訳+日本語版出版社独自解釈】
  • 相手の前で死にたいという意味の言葉だからハッピーバレンタインの意味では全然使えない【日本語版出版社独自解釈・実際にはバレンタインデーにも贈る愛情表現】
  • 愛するあなたに自分の死を看取ってほしい、死ぬ瞬間は愛するあなたの腕の中がいい
    *死ぬ瞬間や看取りの話はしておらず、死後葬儀に参加して墓に土葬される瞬間に立ち会うことを求める言い回し。

【誤解例】「あなたに葬られたい」と文字通り受け取り、「そうだね」と肯定したり実際に”願いを聞き入れて”殺傷したりする

  • 「あなたが葬ってくれますように」を「愛してる。あなたが元気で長生きしますように。」ではなく文字通りに受け取ってしまい、「あなたに殺されたい」「もうあなたより先に死んでしまいたい」と解釈して「そうだね」「そうなるといいな」「自分もそう願ってる」と返事をしたり、願いを聞き入れたつもりで真に受けて相手を殺傷しようとする。
    *現地ではそんなこと絶対にしないと言われている誤解で、「そうなるといいな」的な肯定の返事をすると「なんだって?私がさっさと死ねというのか!」と怒ってしまうこともあるとされる。そのためヤーアブルニーというキーワードとともに恋人の手によって首を絞められたり凶器で殺傷されたりするという創作の設定はネイティブにとっては非常に奇妙に映るので要注意。

【誤解例】私を殺せるのも生かすことができるのもあなたただけ、愛するあなたは唯一無二の片割れ、愛するあなたと身も心も命も全て委ねあう

  • 私を殺せるのはあなただけ【日本語版出版社独自解釈】
    *この慣用句で自分の殺傷を願ったり依頼したりするのは実際には行われておらず、相手が真に受けてしまうと言った側が「なんだって?本気で私がさっさと死ねばいいとか思ってるってこと?」と怒りだすことも。SNS上でのギャグネタにもなっており、こうしたシリアスな直訳通りの解釈は不適切。
  • 唯一の片割れだからこそ、その人なしでは生きられないし、自分を葬れるのはその相手だけ【日本語版出版社独自解釈】
    *唯一の片割れを表す表現ではないので色々な人や物に使う。自分の孫全員、受け持ち園児クラスまるごとのように数十人全員相手に言い、自分の葬式への招待状を配って回ると茶化されるほどなので特に人数制限は無い。離婚で離れ離れになった我が子や別れた彼女への未練など片思いの思慕を表すことも。称賛の意味で使う場合は直接の面識が無い人が対象になる場合も多い。
  • 自分を生かすのも殺すのも、幸せにも不幸にもできるのはひとりだけ【日本語版出版社独自解釈】
    *この慣用句とは無関係な出版社による創作。アラブ・イスラーム世界では「私を生かすことも死なせることもできる唯一の存在」は唯一神アッラーのこと。神に捧げるイスラームの祈りの文言であり恋人や伴侶に贈る表現ではない。海外展開予定のアラブもので人間の伴侶・恋人を「自分を生かすのも殺すのもひとりだけ」と表現しないよう要注意。
  • かけがえのない片割れだからこそ私を葬れる。生きるのも殺せるのもお互いだけ。【日本語版出版社独自解釈】
  • 唯一の片割れだからこそ、その人なしでは生きられないし、自分を葬れるのはその相手だけという裏表になっているようなことば【日本語版出版社独自解釈】
  • たった一人、世界の果てまで、命の終わりまでともにありたいけれどそれが叶わないのであれば、君の前で死んでしまいたい。自分の命を奪うことができるたった一人の相手。【日本語版出版社独自解釈】
    *そのような壮大な概念は無く、親族や親しい知人同士の愛着表現であることを念頭に置かず誇張されてしまった独自解釈。
  • 愛する人自らの手で私を死なせてほしい、私を殺すのはあなた、私を殺して土に埋めて、あなたが私を葬り去る、深く愛するあなただけに私の殺害と埋葬を許す
  • ふたりは唯一無二の存在同士。私を殺せるのはあなた。あなたを殺すのは私。私が愛するあなたを傷つけ命を奪ってあげる。だって私のことを愛しているのでしょう?
  • 自分の命に関する決定権すら相手に委ねてしまって全身全霊で愛している様子、死ねと命じられれば喜んで従い命を差し出し、相手の手にかけられれば何よりの喜びとして死を受け入れる
    *愛の強さを表すveryやso muchのアラブ的な表し方に過ぎないのでそういう意図で言ってはいない。
  • 相手の殺傷・死に関連した願望「死ね」「殺す」「殺してあげる」「葬ってあげる」や自分の殺傷に関連した願望「死にたい」「死なせて」「殺して」「その手で葬って」を表すものとして使う
    *この慣用句の中身は一緒にいられる幸せや愛着のほとばしりや健康・長生き祈願なので死や殺傷はむしろ正反対の心情。
  • 生きるか死ぬか、すぐ極端な決断に走ってしまうこじらせカップル【日本語版出版社独自解釈】
    *こじらせとは無関係。お母さんやおばあちゃんたちが家族を深く思う愛情の象徴。
  • 邪魔者も何も無い、愛し合う二人だけの世界
  • ゆがんだ関係、ゆがんだ愛情ながら深く愛し合う2人が派手に殺し合って死ぬ究極のケンカップル
    *むしろかわいい赤ちゃんや子供に頬ずりしてなで回したり、大好きな人や物に向かって「ダーリン!」と叫んだり「素敵!」とほめたりするイメージ。

【誤解例】愛しているけど死にたい、愛しているからこそ死にたい、愛ゆえに殺されたい、愛を失っての絶望死

  • その人なしでは生きていけないから、今すぐ死にたい
    *これからもずっと、自分が寿命を全うするその日まで一緒にいたいという家族愛。寿命に差があって当然の我が子たちや親族たちが自分の死後も無事長生きするという意味なのでNG解釈。
  • あなたが愛おしすぎて死んでしまいたい、推しの前で死にたい
    *「目の前で死にたい」系は書籍日本語版だけでの誤訳なのでこの慣用句の世界観としては実在せず。
  • 相手を愛しすぎて辛いからいっそのこと死んでしまいたい
  • 相手との愛に疲れ果ててしまってもう生きているのが辛いからあなたの前で死んでしまいたい
    *自分が死ぬまで今ある愛を持ち続ける気満々のフレーズなので辛くてやめたい・逃げたい、壊れる前に永久保存したいといった発想は無関係。
  • 相手が一生自分のことを忘れないよう記憶に刻みつけるために目の前で死にたい、推しの前で死んで推しの心の傷になりたい
  • 自分が死ぬことでこの愛を永遠のものにしたい、今死ねばこの愛を失わずに済む
  • 歌『死ぬのがいいわ』の内容(わたしの最後はあなたがいい、あなたとこのままおサラバするより死ぬのがいいわ)
  • 相手の愛を得られないから自死、相手は振り向いてくれないけれど死んだら自分に気付いてくれるだろうか
  • かつて愛し合った相手に見捨てられたり浮気されたりしたために絶望して命を絶つ

【誤解例】共に死を選ぶほどの仲、本当なら一緒に死にたい

  • 本当ならずっと一緒にいたい、できることなら一緒に死にたいのにそれが叶わない悲しみ【日本語版出版社独自解釈】
    *自分が先に死んで相手が元気に長生きする点にこそ意味がある慣用句。アラブ諸国にある類似慣用句は全部死期の差を設定することによって愛情・崇敬や称賛・おべっかとする「自分が愛するあなたより先に死にたい」「死ぬならあなた様ではなく自分の方であるべき」系。一緒に死んだら意味が無いのがこのフレーズの重要ポイント。
  • 相手に先立たれたら後を追って殉死、先立たれた辛さがあまりにひどくて後を追うように憔悴して死ぬようなお互いが深く結びついた関係性
  • 死を共にするほどの友情・愛情・絆で結ばれた「刎頸の交わり」
  • お互いが激しい愛と病んだ執着心を強くしてしまって死を選び無理心中
    *アラブ・イスラーム世界は日本と違い泥沼の末の心中といった恋人同士による自殺文化が一般的でない。(婚前の男女交際をする社会でなかったこと、また本来自殺は宗教的な罪でもあるため。)

【誤解例】狂愛、ヤンデレ、耽美、退廃といったダークな世界観

  • 仄暗い愛、狂気、狂おしい愛(狂愛)、ヤンデレ、猟奇、グロ(グロテスク)、ホラー、ゴシック、耽美、退廃、ダークといった世界観と組み合わせる【ヤンデレ設定は日本語版出版社独自解釈】
    *「優しい言葉なのにホラーや殺傷の類と勘違いされる」とネイティブが嫌がることが多い系統の誤解釈。
  • 呪い、忌まわしい、汚れている、不吉、不幸といったイメージとの組み合わせ
    *実際には幸せ・愛着・称賛・おべっかといった優しく明るいイメージ。
  • 不安、精神的・感情的な脆さ、焦燥感と結びつける
  • 死にそうな目に遭う、死の淵に立つ、生死をさまよう、生地獄、この世の地獄、地獄の責め苦を生きながらにして味わう
  • 性愛、愛欲、人に公表できないような昏い願望を秘めた愛、どろりとした性的衝動、不謹慎、SM・首絞め・窒息・失神といった負傷や健康にかかわる行為と結びついた特殊性癖
    *家族愛、気軽な呼びかけ、称賛・おべっか・ヨイショに使うので性愛や性癖は無関係。
  • ストーカー的愛情、人格・感情面で普通ではなくどこか壊れているゆがんだ愛
  • 2人だけの閉じられた狭い世界にいるために正常な判断力、世間一般で正気と呼ばれる精神状態を失っている中での歪んだ愛憎、共依存、たった一人に対する過度の執着と依存
    *色々な人・物にふりまく言葉なので、二人きりの世界や共依存といった設定はNG。
  • 2人きりで昏く深い世界へと堕ちていく
  • 悲恋、不倫、婚外交渉、公表できない恋愛、辛くて苦しくてたまらない日々、実ることの無い愛、叶わない想い、秘めた愛、悲しい最期、悲惨な結末、バッドエンド、メリーバッドエンド
    *ただし離婚のため会えなくなった我が子を恋しがる、かつて交際していた彼女と別れて未練があるといった場合は「愛しく恋しいあの子」という意味で「彼が自分を埋葬してくれますように」、「(まだ)愛している彼女」という意味で「彼女が自分を埋葬してくれますように」と表現するケースも。

【誤解例】暴力・流血・死亡・埋葬といった具体的描写とのリンク

  • アラブ人が忌避しこの慣用句と結びつけるようなことはしない悪魔崇拝的儀式、黒魔術、呪術といった禍々しい系の行為と結びつける
  • 暴力、刃傷沙汰、流血、重傷、自殺、殺害、身体部位欠損、臓器取り出し、死体、刃物(特に血がついた刃物)といった凶器などと結びつける
  • 自分に刃物を当てている姿や、自傷により既に傷ついて血を流している姿などと組み合わせる
  • 死の間際に言い残す、血を流しながら必死でこぼす、重病で倒れるといったシーンで口にする、自分が自殺する際の遺言として相手に贈る、血だらけの姿や死者となり横たえられている姿と組み合わせる
  • 作品中で登場人物の死去、その人物が愛する人の手で墓に葬られることと結びつけた死・葬儀・墓・埋葬の象徴的フレーズとして使う
    *現地では「そんなつもりで言う人なんていない」ことが前提のお笑いギャグ動画のネタになる描写。現地では真に受けて「私を葬って」と言った側が遠からず死ぬことを前提に話し出すと「私が死ねばいいとか思ってるんだろう!」と怒りだすこともあるためネイティブ的には非常に滑稽に写ってしまうので要注意。
  • 棺の写真や棺の絵文字と組み合わせる
  • 現地の宗教・習慣として存在しない/一般的でなくこの慣用句と無関係な輪廻転生、生まれ変わり、前世、来世、自殺、無理心中といった概念と組み合わせる
    *この慣用句が使われる地域では生まれ変わり思想を持っていない宗教の信者がほとんど。言った側が実際に作中で死去し、恋人・伴侶に向かって「来世ではまた一緒に」などと言うのはアラビア語慣用句としては想定されていない使用法。

最後に

日本においてアラビア語は欧米諸語に比べるとまだまだ学習者人口が少なくあいさつや慣用句も間違った形で伝わることが多く、「アラブ世界で太陽はけなし言葉」のように都市伝説として広く定着しているケースもあります。

“ヤーアブルニー”については日本で知られるきっかけとなった絵本と日本語化の際の誤訳や出版社による解釈に基づいた広報が長期間行われたことから誤解が浸透することとなってしまいましたが、直訳と実際の意味が違いすぎる手強い慣用句であることから海外でも同じようにダークで病的な願望を表す慣用句だと間違われやすいのだとか。

海外記事・投稿によるとネイティブが自らが説明してもなお相手には正確に理解してもらえないことも珍しくないそうで、日本でヤンデレ表現として受け止められたのもある意味自然な成り行きだったのかもしれません。

***

なおこのページは著者さんの誤解、和訳時の誤訳・アラビア語誤表記、元のアラビア語慣用句とは無関係の複数オリジナル解釈の紹介・利用推奨を行った出版社を糾弾するために作った訳ではありません。

口語アラビア語(方言)の中でも特に変わっている愛情表現とその背景や非ネイティブにとって誤解しやすい部分が何なのかを調べ、日本でヤンデレ言葉として流布するに至った経緯自体が翻訳時の罠だったということで興味深く感じまとめたものになりますので、なにとぞご了承願います。

非常に文字数が多く読みづらかったとは思いますが、当コンテンツが「ヤーアブルニーって本当はどんな表記・発音・意味なんだろう?」と気になって検索された方のお役に立てましたら幸いです。

 

(2024年4月 言われた側の返事)