「アブド◯◯」=「◯◯のしもべ」
男性形
عَبْد ـــ
[ ‘abd — ] [ アブド・– ]
Abd ◯◯、アブド・◯◯
◯◯のしもべ
عَبْدٌ [ ‘abd ] [ アブド ](しもべ、奴隷)という名詞を後に来る◯◯というという名詞が所有格(属格)支配して、「アブド・◯◯」(◯◯のしもべ)という名前を作ります。名前の◯◯には、アッラーのように宗教的に信仰・崇拝される対象を示す名詞が来ます。
「◯◯のしもべ」という男性名はメソポタミアの古代文明時代からあったタイプの人名で、同じ意味を持つ男性名 تَيْمُ اللهِ [ taym(u)/taim(u)-llāh ] [ タイム・ッラー(フ/ハ) ](アッラーのしもべ、神のしもべ)イスラーム教が広まる前のジャーヒリーヤ時代からアラブ人によって使われてきました。
AbdのA部分は、本来 ع(アイン)という喉を締めつけて出す力強い子音の発音を示す「‘」がついて「‘Abd」なのですが、一般的な名前の英字表記では省略されてしまって単に「Abd」となるのが普通です。
「奴隷」というと言いなりになって自分の意思も無く服従するようなイメージ、過度に傷めつけられて言うことを聞かされるイメージを抱きがちですが、イスラームにおけるニュアンスとしては「崇拝対象を強く信仰し、その教えによく従う熱心な信徒」「敬虔な信徒として生きることで神の満悦を得る者」といった感じです。
たとえば◯◯部分に唯一神アッラーが来る場合は、アッラーに対して信心深く、クルアーンを通じて「~しなさい」「~してはいけない」と伝えられたアッラーの言葉を良く信じそれを忠実に実践する者、というような意味合いになります。
女性形
أَمَةُ ـــ
[ ’amat(u) — ] [ アマト(ゥ)・– ]
Amat ◯◯、アマト・◯◯
◯◯のしもべ
女性バージョンは単純に女性化のター・マルブータをつけて عَبْدَة [ ‘abda(h) ] [ アブダ ] とするのではなく、أَمَة [ ’ama(h) ] [ アマ ] になります。
ネット上には「アブドの女性形はアブダ」と書かれていることがありますが適切な解説ではありません。実際に عَبْدَة [ ‘abda(h) ] [ アブダ ] という語も存在するのですが、少なくともアッラーのしもべという文脈やアッラーのしもべという意味の人名に関しては أَمَة [ ’ama(h) ] [ アマ ] を使い、アラビア語的にもそれが正しい用法とされています。
イスラーム教徒の信徒に対する呼びかけも、以下のような男性版・女性版という対応関係になっています。
- 男性に対して
يَا عَبْدَ اللهِ [ yā ‘abda-llāhi ] [ ヤー・アブダッ・ラーヒ ]
「おお、アッラーのしもべよ」 - 女性に対して
يَا أَمَةَ اللهِ [ yā ’amata-llāhi ] [ ヤー・アマタッ・ラーヒ ]
「おお、アッラーのしもべよ」
*注:يَا عَبْدَةَ اللهِ [ yā ‘abdata-llāhi ] [ ヤー・アブダタッ・ラーヒ ] とはしません
つづり上の注意点
「アブド・◯◯」は普通アラビア語で2語から構成されるためつづり上スペースを空けるのが正書法(正字法)での書き方になります。しかしネイティブの中にはアブドとアル=◯◯部分をスペース無しで各人がかなりいて、その場合は見た目上1語のように見えます。
◯ عبد الله
✕ عبدالله
アラビア語を理解されない方はそれを見て1語のファーストネームだと勘違いしないよう注意が必要です。意味を調べる場合、パソコン等でコピー&ペーストしたらスペースを入れて切り離してから1語ずつ調べていくことになります。
「◯◯のしもべ」という名前が多い理由と意義・命名動機
我が子のために幸福・幸運や神の満悦を願う親心
日本におけるこの手の名前に関する誤解
日本では誤解されている方も多いと思うのですが、アブドゥッラー(口語発音:アブドッラー、アブダッラー、アブドッラ、アブダッラ等)という名前は一神教であるイスラーム特有の名前ではなく、アラブ世界で暮らしてアラビア語を話してきたユダヤ教徒やキリスト教徒、さらにはイラクに住むサービア・マンダ教徒とも共有の人名となっています。[ ソース ]
日本の書籍には「アブド・◯◯」がイスラーム教徒自分が神の奴隷であることを認識しそしてそれを自分以外に知らしめるための名前である、神の意思に従って生きているという偶像・イスラーム以外の価値を崇拝しないという否定宣言だと説明しているものがありますが、残念ながら正確な解説とは言えないように思います。
というのもこの手の「◯◯のしもべ」という名前は多神教時代から延々と続いてきた中東の伝統なので一神教の精神・発想から生まれたものではなく、現代でも一部イスラーム教徒(主にシーア派)やキリスト教徒などによって神以外の人名などを入れて命名されており神のしもべ・奴隷であることを表明するためだけの人名とは言えないためです。
人名は親が願いを込めて命名するものなので敬虔であることを他者に知らしめたいという意思は無関係であり、そもそもイスラーム的発想では敬虔さをあからさまに見せつけアピールするといったことは好ましいこととはされておらず、アブドゥッラー等の名前が他者に自分の信仰心を宣言する意味合いが強いといった言説は特に聞かれません。
誤った解説のため「アブド・◯◯は厳格な一神教であるイスラームの専売特許であり狂信的とも言える信仰ぶりの象徴」と受け止められている方もいらっしゃるかもしれませんが、我が子が神や崇敬する人物からの恩恵に少しでも多くあずかったり・とりなしを得たりして幸せに暮らせるように、この手の名前は預言者ムハンマドが勧めた良い名前だからとか、国の王様がこの系統の名前だから愛国心からつけたとか、おじいちゃんがその手の名前だったからもらったとか、案外お手軽な感覚で命名されたりしているものになります。
ちなみに、アラブ・イスラーム世界であっても宗教色が強すぎる名前をつけて将来我が子が悪さをして名前負けしてしまうことを気にする親、地域によっては宗教色の無いニュートラルで古臭くない名前を好む親が多いことから逆に敬遠される傾向が強めであるケースも見られます。
この名前をつけると我が子が幸せになれる~アラブ人名の重要要素とも言える験担ぎ的な発想・動機
アラブ世界で神や預言者ムハンマドにあやかった命名をするのは「そういう名前をつけると子供が幸せになれる」「崇拝対象の名前を入れた人名にするとラッキーだから」といった動機が大きく、そうした命名動機は تَبَرُّك [ tabarruk ] [ タバッルク ](祝福や恩寵を求めること)や تَيَمُّن [ tayammun ] [ タヤンムン ](吉兆を見出すこと)と呼ばれており、アラビア語大辞典や人名辞典などにもしばしば登場する用語となっています。
これについてはネット記事(ソース)にもしばしば載っているアラブ社会としてはそこそこ有名な概念で、イスラーム以前のジャーヒリーヤ時代に تَبَرُّك [ tabarruk ] [ タバッルク ](祝福や恩寵を求めること)や تَيَمُّن [ tayammun ] [ タヤンムン ](吉兆を見出すこと)を理由として色々な神の名前を我が子につけていたといった記述を見出すことができます。
預言者ムハンマドが「神に愛される名前」として信徒らに勧めたから
サイト内の姉妹記事『アラブ人の名前のしくみ~ムハンマド、アフマド、アブドゥッラーが多いのはなぜか?』でも書いた話なのですが、現在のイスラーム諸国にアブドゥッラー、アブドゥッラフマーンといった「アブド・◯◯」さんが大勢いる別の理由が「預言者ムハンマドが良い名前として推奨したから」です。
預言者ムハンマドじきじきのおすすめネーム
預言者ムハンマドが実際に言った言葉・そうでない言葉は後世の学者たちによって吟味され預言者言行録(ハディース)としてまとめられましたが、専門家らによって贋作ではなく真正のハディースとされているものの中に、赤ちゃんの命名に関する話が含まれています。
アブドゥッラーは預言者ムハンマドや彼の息子(幼少期に死去)の名前としても知られており、現代でも強い人気を誇っています。実際には「それ以外の名前でもよろしい」ということらしいのですが、最良の名前として言及されているのが上記の2つです。
تَسَمَّوْا بِأَسْمَاءِ الأَنْبِيَاءِ ، وَأَحَبُّ الأَسْمَاءِ إِلَى اللهِ عَبْدُ اللهِ وَعَبْدُ الرَّحْمٰنِ، وَأَصْدَقُهَا حَارِثٌ وَهَمَّامٌ، وَأَقْبَحُهَا حَرْبٌ وَمُرَّةُ
「預言者たちの名前をつけなさい。アッラーに最も愛される名前はアブドゥッラーやアブドゥッラフマーンです。最も誠実な名前はハーリスやハンマームなど。最も醜悪なのはハルブやムッラです。」といった意味の預言者ムハンマドの言葉です。
- حَارِث [ ḥārith ] [ ハーリス ] ♪発音を聴く♪
Harith
意味は「耕す者、耕作者、農夫、財産を集める者、獅子(ライオン)」。
*口語的な英字表記はHarethなど。 - هَمَّام [ hammām ] [ ハンマーム ]
Hammam
ジャーヒリーヤ時代からあった古い男性名で、意味は「勇敢な、活動的な、強い意志の持ち主、獅子(ライオン)」など。 - حَرْب [ ḥarb ] [ ハルブ ]
Harb
意味は「戦争、戦い、激しい戦いをする勇猛な男」。現代では命名が非常に少なくなっている男性名です。 - مُرَّة [ murra(h) ] [ ムッラ ]
Murra、Murrah
意味は「苦味、苦いこと」。
アブドゥッラーはイスラーム以前からあった「アッラーのしもべ、神のしもべ」という男性名でしたが、イスラーム共同体ができてから急増。イスラーム期に入ってから生まれた「アッ=ラフマーンのしもべ」(アッ=ラフマーンはアッラーの属性名・二つ名で「慈悲あまねきお方のしもべ」の意)という意味の男性名アブドゥッラフマーンがそこに加わり、これらは長い間イスラーム共同体におけるメジャーな名前であり続けてきました。
預言者の言葉だと信じられているが実際はそうでないもの
この言説はアラブ世界でムハンマド、アフマド、マフムード、アブドゥッラー、アブドゥッラフマーン、アブド◯◯さんが多い理由の一つとなっています。しかしながら人々が預言者ムハンマドの語ったと信じているこの言葉が本当に彼の言説だと証明する根拠は無く、イスラーム法学者たちからハディースとしては真正ではないとの判断が示されています。
アラブ世界や各国のイスラーム家庭では厳密にはイスラームの教えではないもののイスラーム的だと信じられているとか預言者ムハンマドが口にした言葉だと信じられて実践されていることがしばしば見られるのですが、上の言葉に関しては実際に預言者が言ったと認定されている内容と似通っており、補強する言説としてアブドゥッラーやアブドゥッラフマーンという人名を増やす原動力の一つになっている形です。
◯◯部分にアッラーとその美名が来る場合
通常は◯◯部分に入るのはイスラームの唯一神アッラーの名前もしくは美名と呼ばれる属性を示す別名です。
+اَلله / Allah [ ’allāh ](アッラーフ/アッラー)
複合名の構成
عَبْد اللهِ
「Abd(アブド)」+「Allāh(アッラーフ)」
→ Abdullah、アブドゥッラー(ヒ)
意味:アッラーのしもべ
アッラー「Allah」(発音は’allāh)という語は、定冠詞「al-」(アル)を神という意味の「’ilāh」(イラーフ)につけて「the God」という意味合いを持たせたものと言われていますが、イスラーム以前から使われていた名称でアラビア語文法的な語源ははっきりしていないのだとか。定冠詞と名詞部分とに分かち書きできるかどうかも確定しきれない固有名詞に近い性質もあるようです。
الله [ ’allāh(u) ] 単体では、主格の母音uもつけて文語的に丁寧なフルの読み方をすると [ ’allāhu ] [ アッラーフ ]になります。イスラーム関連の記事でアッラーの代わりにアッラーフと書かれているのはそのためです。語末の格母音を省略すればもっと軽くふんわり「フ」を発音するだけの [ ’allāh ] [ アッラーフ ]となります。口語的にはhを発音しない [ ’allā ] [ アッラー ] もあり、もっとくだけた話し言葉的な言い回しでは長母音を短くした [ ’alla ] [ アッラ ] も聞かれます。
「アブド◯◯」の複合語ではアッラーという語が後ろから所有格(属格)支配をします。その時、2語目に来る الله [ ’allah ] の語末は主格のuから所有格(属格)のiに変化。[ ’allāhi ] [ アッラーヒ ] となります。
عَبْد [ ‘abd ] + اللهِ [ ’allāhi ] を連ねて「アッラーのしもべ」とする場合は一気読みでつなげて発音するのですが、読みで省略していた1語目 [ ‘abd ] の語末母音uが復活。さらにはアッラーの先頭部分は定冠詞「al-」(アル)の時と同じルールが適用されて「ア」の音の脱落が起こります。
عَبْدُ اللهِ [ ‘abdu-llāhi ] [ アブドゥ・ッラーヒ ] となりようやくこの複合名が完成しますが、日常で語末のiまで読むことは少なくh止まりとするのが普通です。その場合はアブドゥッラーフやアブドゥッラーハに近く聞こえることがあるかもしれません。さらに口語的になると語末のhを発音せずアブドゥッラーと読んだり、アッラーの語頭のアの音と連結したアブダッラーと読んだりします。
女性バージョン
أَمَةُ اللهِ
[ ’amatu-llāh(i) ] [ アマトゥ・ッラー(ヒ) ]
女性バージョンは أَمَةُ اللهِ [ ’amatu-llāh(i) ] [ アマトゥ・ッラー(ヒ) ](アマトゥッラー(ヒ))です。
عَبْدَة اللهِ [ ‘abdatu-llāhi ] [ アブダトゥ・ッラー(ヒ) ] とはしないので要注意です。
+アッラーの99の美名
アッラーの美名とは?
アッラーの99の美名はアラビア語では اَلأَسْمَاء الْحُسْنَى [ ’al-’asmā’u-l-ḥusnā ] [ アル=アスマーウ・ル=フスナー ] と呼ばれています。名前という意味の名詞 اِسْم [ ’ism ] [ イスム ] の複数形に、「より・最も美しい」という意味の比較級・最上級が形容詞修飾して、それぞれの語頭に定冠詞「al-」(アル)がついています。
99の美名というのはアッラーの属性を示す99の語で、一部を除いては形容詞に定冠詞「al-」(アル)をつけて「~なる者アッラー」といった感じの構成になっていることがほとんどです。
たとえば اَلْكَرِيم [ ’al-karīm ] [ アル=カリーム ](Al-Karīm、アル=カリーム)は「寛大なる(者、アッラー)」という意味です。定冠詞無しの كَرِيم [ karīm ] [ カリーム ](Karim、カリーム)という語は人間の寛大さ・気前の良さを表す一般的な形容詞で、普通の男性のファーストネームとしてもよく使われます。
Al-Karīmに関しては、クルアーンにアッラーが寛大であることが示された記述がいくつかあり、それらを根拠に美名として民衆の間で流布している99の美名リストに加えられた形になります。
ちなみにアッラーの美名とは別に、アッラーの別名だと一般的にみなされている属性名もいくつかあるため、アブド某という人名がきっちり99個あるという訳ではありません。
99の美名に含まれないもののアッラーの属性名と信じられている名称
- اَلنَّاصِر [ ’an-nāṣir ] [ アン=ナースィル ]
援助者、助力者- アブドと組み合わせてできる複合名:
عَبْد النَّاصِرِ
[ ‘abdu-n-nāṣir ] [ アブドゥ・ン=ナースィル ]
Abd al-Nasir、アブド・アン=ナースィル(アブドゥンナースィル)
援助者・助力者(たるアッラー)のしもべ
- アブドと組み合わせてできる複合名:
- اَلسَّتَّار [ ’as-sattār ] [ アッ=サッタール ]
覆い隠す者(=悪いことを覆い隠して下さる方)- アブドと組み合わせてできる複合名:
عَبْد اَلسَّتَّارِ
[ ‘abdu-s-sattār ] [ アブドゥ・ッ=サッタール ]
Abd al-Sattar、アブド・アッ=サッタール(アブドゥッサッタール)
覆い隠す者(たるアッラー)のしもべ
- アブドと組み合わせてできる複合名:
女性バージョン
こちらはアブドゥッラーの女性版である أَمَةُ اللهِ [ ’amatu-llāh(i) ] [ アマトゥ・ッラー(ヒ) ](アマトゥッラー(ヒ))の後半部分を別の属性名に差し替えてのバリエーションとなります。
アマト某の名前を持つ女性たちの数はアブド某方式の名前を持つ男性たちに比べれば全然多くありませんが、 أًمَةُ الْـــ [ ’amatu-l-◯◯ ] [ アマトゥ・ル=◯◯ ](アマト・アル=◯◯ → アマトゥル◯◯)の◯◯部分にアッラーの美名が入った女性名も複数存在します。
アマト・◯◯の部分にアッラーの美名が入る女性名の一例
- أَمَةُ الْعَزِيزِ
[ ’amatu-l-‘azīz ] [ アマトゥ・ル=アズィーズ ]
Amat al-Aziz(Amatulaziz)、アマト・アル=アズィーズ(アマトゥルアズィーズ)
比類無き強力者(たるアッラー)のしもべ
*男性名 عَبْدُ الْعَزِيزِ [ ‘abdu-l-‘azīz ] [ アブドゥ・ル=アズィーズ ] の女性版です。 - أَمَةُ الْكَرِيمِ
[ ’amatu-l-karīm ] [ アマトゥ・ル=カリーム ]
Amat al-Karim(Amatulkarim)、アマト・アル=カリーム(アマトゥルカリーム)
寛大者(たるアッラー)のしもべ
*男性名 عَبْدُ الْكَرِيمِ [ ‘abdu-l-karīm ] [ アブドゥ・ル=カリーム ] の女性版です。
複合名に使われるアッラーの美名とその頻度
アッラー99の美名との組み合わせといっても、上記のように使われないセットや多用されないものなどもあるため、各組み合わせにつきまんべんなく同じ数ぐらいの人数がいるといったことはありません。
預言者ムハンマドがアブドゥッラーやアブドゥッラフマーンを特に推奨したことも手伝って、実際には大きな偏りがあります。
当サイトの人名辞典でもイスラーム法学者によって名付けるべきではないとされているアブド某方式の名前や実際にほぼ使用されていないものについては掲載を行っていません。
美名なら何でもアブドと組み合わせて良い訳ではない
アッラーの別称だからといって全てが「アブド」と組み合わせて男児の命名に使える訳ではありません。
内容的にマイナスの意味合いがあるアッラーの属性名がこれに相当し、以下のような美名が「アブド・◯◯」方式の人名に使ってはいけないとされています。これについてはイスラーム法学者らが見解を出しており、具体的にどの組み合わせがだめなのかを知ることができるようになっています。
アブドと組み合わせて人名を作ってはいけないアッラーの美名
- اَلضَّارّ [ ’aḍ-ḍārr ] [ アッ=ダーッル ]
害を与える者 - اَلْمُمِيت [ ’al-mumit ] [ アル=ムミート ]
死を与える者
◯◯部分に預言者、使徒が入る例
◯◯部分に預言者、使徒という意味の名詞がそれぞれ入る人名があります。このタイプの命名が許されるかどうかに関しては見解が分かれるようで、調べた限りでは許されるとしているしている法学者と避けるべきとしている法学者の双方がいるようでした。
サウジアラビアではこれら2つの名前は禁止されていて、官庁が公的に命名禁止リストの中に入れて新聞上でも通告を出しています。エジプトでも官庁が命名不可とのコメントを公表しています。
預言者のしもべ
عَبْد النَّبِيِّ
[ ‘abd-n-nabī(y) ] [ アブドゥ・ン=ナビー(イ) ]
Abd al-Nabi、アブド・アン=ナビー(アブドゥンナビー)
預言者のしもべ
預言者という意味の語は定冠詞をつけると اَلنَّبِي [ an-nabī(y) ] [ アン=ナビー(ユ)] 。語末格母音まで完全に読めば [ an-nabīyu ] [ アン=ナビーユ ] ですが、uを省いてより普通に読むとアン=ナビーィに近い発音に。もしくはもっとくだけた発音 [ an-nabī ] [ アン=ナビー ] と聞こえることもあります。
アブドと組み合わせてできるのが「預言者のしもべ」という意味の عَبْد النَّبِيِّ [ ‘abd-n-nabī(y) ] [ アブドゥ・ン=ナビー(イ) ]。英字表記はAbd al-Nabī、Abd al-Nabi、Abd Al-Nabi、Abdunnabi、Abdulnabiなどがあります。
使徒のしもべ
عَبْد الرَّسُولِ
[ ‘abd-r-rasūl ] [ アブドゥ・ッ=ラスール ]
Abd al-Rasul / Abd al-Rasoul 等、アブド・アッ=ラスール(アブドゥッラスール)
使徒のしもべ
使徒という意味の語は定冠詞をつけると اَلرَّسُول [ ar-rasūl ] [ アッ=ラスール ]。
アブドと組み合わせてできるのが「使徒のしもべ」という意味の عَبْد الرَّسُولِ [ ‘abd-r-rasūl ] [ アブドゥ・ッ=ラスール ]。英字表記はAbd al-Rasul、Abd Al-Rasul、Abd al-Rasoul、Abd Al-Rasoul、Abd al-Rasool、Abd Al-Rasool、Abd Alrasul、Abd Alrasoul、Abd Alrasool、Abdulrasul、Abdurrasul…などがあります。
◯◯部分に個人名などが来る場合
◯◯部分にアッラーではなく個人名が入ることがあります。
このタイプの命名はイスラームの偶像崇拝・個人崇拝禁止に抵触するため忌避すべきだとスンナ派ではされていて、強い信仰心から口にするのに抵抗がありその部分だけを読まずに飛ばす人がいたり、社会的にそうする必要が出てきて後から改名したりといったことも起きているそうです。
アラブ世界ではフルネームを言う時に父親や前の世代の名前を並べる必要があり、自分のファーストネーム以外に「アブド+個人名」が含まれている場合は、既に亡くなった父や祖父の名前を改名した上で名乗りを行うことも許されるという法的見解も出されているようでした。
シーア派イスラーム教徒の名前として
イスラーム教徒の名前でこのアブド某の形式の名前をつけるのは通常シーア派で、◯◯部分にはイマーム等の名前が入ります。
◯◯部分に定冠詞「al-」(アル)を含む場合
イマーム アリーの息子アル=ハサン
عَبْد الْحَسَنِ
[ ‘abdu-l-ḥasan ] [ アブドゥ・ル=ハサン ]
Abd al-Hasan、アブド・アル=ハサン(アブドゥルハサン)
アル=ハサンのしもべ
◯◯部分に第4代正統カリフ アリーの息子・第2代イマーム、Al-Hasan [ ’al-ḥasan ] [ アル=ハサン ] の名前が入ったものになります。
定冠詞部分が大文字のAbd Al-Hasanという表記も。al-Hasanの部分はal-Hassan、Al-Hassanというsを2個連ねたバージョンあり。実際の発音通りに2語をくっつけた英字表記としては、Abdulhasan、Abdulhassanなど。
イマーム アリーの息子アル=フサイン
عَبْد الْحُسَيْنِ
[ ‘abdu-l-ḥusayn / ‘abdu-l-ḥusain ] [ アブドゥ・ル=フサイン ]
Abd al-Husayn / Abd al-Husain、アブド・アル=フサイン(アブドゥルフサイン)
アル=フサインのしもべ
第4代正統カリフアリーの息子・第3代イマーム、Al-Husayn / Al-Husain [ ’al-ḥusayn / ’al-ḥusain ] [ アル=フサイン ] の名前が入ったものになります。
定冠詞部分が大文字のAbd Al-Husaynという表記や二重母音表記の別バージョンであるAbd al-Husain、Abd Al-Husainも。Abd al-Hussain、Abd Al-Hussainのようにsを2個連ねたバージョンあり。二重母音部分を口語的にしたAbd al-Hussein(アブドゥルフセイン)といった英字表記も多いようです。
預言者ムハンマドの娘&イマーム アリーの妻ファーティマ
عَبْد الزَّهْرَاءِ
[ ’abdu-z-z-zahrā’ ] [ アブドゥ・ッ=ザフラー ]
Abd al-Zahra、アブド・アッ=ザフラー(アブドゥッザフラー)
(ファーティマ・)アッ=ザフラーのしもべ
預言者ムハンマドの娘で第4代正統カリフアリーの妻だった فَاطِمَة [ fāṭima(h) ] [ ファーティマ ] の別名الزَّهْرَاءِ [ az-zahrā’ ] [ アッ=ザフラーゥ→口語的に読むとアッ=ザフラー] が入ったものになります。
カタカナ表記はアッ=ザフラーがスタンダードですが、アッ=ザハラーの方が実際の発音に近いです。
◯◯部分が定冠詞を含まない個人名の場合
アリー
عَبْد عَلِيٍّ
[ ‘abd ‘alī(y) ] [ アブド・アリー ]
Abd Ali、アブド・アリー
アリーのしもべ
第4代正統カリフであり預言者ムハンマドの従兄弟でもあるアリーに対する崇敬から。
ジャアファル
عَبْد جَعْفَر
[ ‘abd ja‘far ] [ アブド・ジャアファル ]
Abd Ja’far / Abd Jaafar、アブド・ジャアファル
シャアファルのしもべ
第6代イマームであるジャアファルに対する崇敬から。ジャアファルの英字表記はJaafarやJafarのことも。
ファーティマ
عَبْد فَاطِمَةَ
[ ‘abd faṭima(h) ] [ アブド・ファーティマ ]
Abd Fatima(h)、アブド・ファーティマ
(ファーティマ)のしもべ
預言者ムハンマドの娘・アリーの妻・アル=ハサンとアル=フサインの母であるファーティマに対する崇敬から。
キリスト教徒の名前として
アラブ世界でキリスト教徒が多いのはレバノン・シリア、エジプトなどです。
イエス
عَبْد يَسُوع
[ ‘abd yasū‘ ] [ アブド・ヤスーウ ]
Abd Yas、アブド・ヤスーウ
イエスのしもべ
アラブ世界において、イスラームではイエスを عِيسَى [ ‘īsā ] [ イーサー ] と呼びます。一方でアラブ系キリスト教徒は يَسُوع [ yasū‘ ] [ ヤスーウ ] という名前で呼びます。
彼の名前をどちらで呼ぶかでイスラーム教徒の方なのか、それともキリスト教徒の方なのかわかることが多いです。
キリスト
عَبْد الْمَسِيحِ
[ ‘abdu-l-masīḥ ] [ アブドゥ・ル=マスィーフ ]
Abd al-Masih、アブド・アル=マスィーフ(アブドゥルマスィーフ)
メシアのしもべ
アラビア語では اَلْمَسِيح [ ’al-masīḥ ] [ アル=マスィーフ ] はメシア、救世主を意味します。メシア(救世主)であるイエスに対する崇敬から命名。
殉教者
عَبْد الشَّهِيدِ
[ ‘abdu-sh-shahīd ] [ アブドゥ・ッ=シャヒード ]
Abd al-Shahid、アブド・アッ=シャヒード(アブドゥッシャヒード)
殉教者のしもべ
殉教者イエスに対する崇敬から命名。
「アブド◯◯」と定冠詞を含む◯◯部分の読み方
◯◯の部分に定冠詞「al-」[ ’al ](アル)を含む語が来た場合、◯◯の語頭に来る子音の種類によって「アル◯◯」・「アッ◯◯」・「アン◯◯」のいずれで発音されるかが分かれます。
詳しくは『英字表記されたアラビア語の名前をカタカナで表記するには?』で紹介しています。
アブドゥッラーの発音変化と英字表記のバリエーション
同じ名前のはずなのに色々な読み方と英字表記がうじゃうじゃ、カタカナ表記が何種類もある…という話をしたいと思います。
文語的な読み方
アブドゥッラーヒ
عَبْدُ اللهِ [ ‘abdu-llāh(i) ] [ アブドゥ・ッラーヒ ]
語末の格を示す母音も省略せずにきっちり読むガチガチの文語的発音では [ ‘abdu-llāhi ](アブドゥッラーヒ)となります。
Abdullahiという英字表記はここから来ています。アラブ圏ではまず使われない書き方だと思うのですが、どうやらアフリカのイスラーム地域で使われているようです。日本だとこのつづりはアブドゥラヒなどとカタカナ化されている模様です。
アブドゥッラーフ / アブドゥッラーハ
عَبْدُ اللهِ [ ‘abdu-llāh ] [ アブドゥ・ッラーフ / アブドゥ・ッラーハ ]
2語目、複合名の1番最後に来る所有格(属格)を示す格母音iを省略したワクフという読み方です。[ ‘abdullāh ] となり「フ」の部分を軽くふんわり発音します。耳で聞くと [ アブドゥ・ッラーフ ] と [ アブドゥ・ッラーハ ] のように聞こえます。
英字表記の Abdullah はここから来ています。
くだけた口語的な読み方
アブドゥッラー
عَبْدُ الله [ ‘abdullā ] [ アブドゥ・ッラー ]
Allah [ ’allāh ] のh部分を発音せずただの長母音āで読み、[ ‘allā ](アッラー)という発音になっているパターンです。
この発音でもAbdullahという英字表記を使っている人がアラブ地域では多いように思いますが、実際の読みに即した英字表記としてはAbdullaが挙げられます。
アブドッラー
عَبْدُ الله [ ‘abdollā ](アブド・ッラー)
アブドの語末にある主格を示す母音uは口語だとoの音に変化しやすいです。さらにAllahの語末のhの発音も省略してただの長母音ūになってしまっているので、[ ‘abdollā ](アブドッラー)という風に読まれます。
これを反映した英字表記がAbdollaです。アラブ地域では元のAllahというつづりをある程度保持したAbdollahという英字表記を使いつつも、実際にはhは読まずにアブドッラーと発音している可能性も高いです。
さらにここまでブロークンな読み方になってくると、語末の長母音も短くなりがちです。アブドッラーどころか、アブドッラに聞こえることもあるかもしれません。
日本語のカタカナ表記に「アブドゥッラー」が変わり果てた「アブドラ」があるのは、現地でもあり得るブロークンな発音や、元の読み方を考慮せずAbdollaをそのままアブドラとしたことが理由なのではないかと思われます。ちなみにアブドッラとカタカナ化されている記事もあるようです。
アブダッラー
عَبد الله [ ‘abdallā ](アブダ・ッラー)
日常生活では「アブドゥッラー」よりもブロークンな「アブダッラー」になっていることもしばしばです。主格を示す語末の母音とか関係無しに [ ‘abd ]+ [ (’)allā ] = [ ‘abdallā ] とくっつけただけ、といった感じです。
語末の長母音も短くなってしまってほぼ [ ‘abdalla ](アブダッラ)に聞こえることすらあります。
この発音から生じた英字表記がAbdallaです。アラブ世界ではhは実際には読まないもののつづり上は保持しているということであろうAbdallahという英字表記も多く見られます。
「彼のしもべ」「彼の主のしもべ」
アッラーのことを「彼」もしくは「(その者の)主であるお方」と表現した「アブド◯◯」方式命名もあります。
彼のしもべ
عَبْدُهُ
[ ‘abduh ] [ アブドゥフ ]
Abduh、アブドゥフ
彼のお方(アッラー)のしもべ
Abdに「彼の~」という意味の人称代名詞 ـهُ をくっつけて書いて、「彼のしもべ」、「彼のお方(アッラー)のしもべ」という意味にしたものです。英語だとhis slave、his servantという2語になるものがアラビア語で1語にくっついてまとまっている感じです。
文語においては語末母音まではっきり発音すると [ ‘abduhu ] [ アブドゥフ ] ですが、アラビア語は語末母音のuを省略して発音する方法がありその場合は最後のフはふんわりと聞こえるのみになり、日常的にはアブドゥに近く発音されがちです。さらに口語的な発音ではuがoになりやすく、アブドに近く聞こえます。その場合の英字表記はAbdohもしくはAbdoとなります。
似た響きで عَبْدُو [ ‘abdū(口語風発音は‘abdō、‘abdo)] [ アブドゥー(/アブドー/アブド)] という人名があるのですが、管理人はてっきり عبده の口語発音だとばかり思っていました。しかしアラブ人名辞典によるとによると عَبْد [ ‘abd ][ アブド ](Abd)を変形させた愛称の一種だそうで「かわいい」「愛しい」という気持ちを込めたもの(محرفة من عبد، للتدليل والتحبب)だとか。一応扱いとしては似ているけれども違う人名ということのようです。
彼の主のしもべ
عَبْد رَبِّهِ
[ ‘abd rabbih ] [ アブド・ラッビヒ ]
Abd Rabbih、アブド・ラッビヒ
彼の主であるアッラーのしもべ
- رَبٌّ [ rabb(un) ] [ ラッブ ]
あるじ、主人という名詞の単体です。格を示す語末の母音uと非限定名詞であることを示すnまで省略せずに読むとラッブンになります。 - رَبُّهُ [ rabbuh(u) ] [ ラッブフ ]
رَبّ [ rabb ] [ ラッブ ]「彼の~」という意味の名詞に人称代名詞 ـهُ [ -hu ] をくっつけて書くと、後ろから所有格(属格)支配を受けて、رَبُّهُ [ rabbuh(u) ]「彼のあるじ・主人(は)」となります。
語末まで省略せずにフルで読むとラッブフ。語末を省略するとフの音が軽くふんわりと聞こえてラッブフに近くなります。 - عَبْدُ رَبِّهِ [ ‘abd(u) rabbih(i) ] [ アブド・ラッビヒ ]
しもべという意味の عَبْد [ ‘abd ] [ アブド ] を上の語が後ろから所有格(属格)支配して「彼(=命名された男性)の主であるお方(=アッラー)のしもべ」という名前ができました。
この時、主格ではrabbuhuがrabbihiの音に変わります。格変化は赤字の部分でのみ起きていますが、発音の都合上前にiの音が来ると「彼の」という意味の人称代名詞のhuがhiという発音に変わってしまうので、ここでは便宜上緑色の字にしてみました。
この名前は、格を示す語末の母音を省略せずに完全に読むガチガチの文語であればAbd Rabbihi [ ‘abd rabbihi ] [ アブド・ラッビヒ ] とはっきりわかるような発音をしますが、通常の文語ではiを省略して多少hが軽く聞こえるAbd Rabbih [ ‘abd rabbih ] [ アブド・ラッビヒ ] に近くなります。
また英字表記では本来所有格になるとiに変わるはずの2語目のの語末音格変化とは違う主格の音で表記したAbd Rabbuh [ ‘abd rabbuh ] [ アブド・ラッブフ ] もあるようです。
さらに口語的になると所有格(属格)支配や格変化を省いてuの音が保持され、さらにuがoの音に変身。[ ‘abd rabbo ] [ アブド・ラッボ ] という読み方になります。アラビア語のつづりでは一緒でも、Abd RabbohやAbd Rabboといった英字表記があるのはそのためです。
人名アブド・◯◯にまつわる色々な話題
アラブ人キャラクターに多いアブドゥルは間違い?
映画や創作キャラクターのアラブ人名としてポピュラーなアブドゥル
アブド・アル=◯◯はつなげ読みするとアブドゥ・ル=◯◯になります。◯◯部分にアッラーの属性名などが来る場合、2個ないしそれ以上が組み合わさっている複合名であるにもかかわらず前半部分だけが本人のファーストネームだと勘違いされることも多く、本来はアブド・アル=アズィーズ(アブドゥルアズィーズ)なのにアブドゥルさん・アブデルさんと呼ばれることも珍しくありません。
日本でアブドゥルさんと書かれている場合多くはこのような複合名からの一部切り取りだと言えますが、ハリウッド映画や日本などの小説・漫画・アニメによく出てくるアラブ人キャラクター名アブドゥルやアブドゥールが全くの間違いであるかというとそうでもなかったりします。
アフリカのアブドゥールさん
ちなみに عَبُدُول [ ‘abdūl ] [ アブドゥール ] という男性名ですがアラビア語の記事によるとアフリカの角と呼ばれる地域ではそれほど珍しくないのだとか。英語記事だとフランス統治下にあった西アフリカ諸国にも見られると書いてあったりします。
英字表記にした際後にal-◯◯なりイスラームなどにおける崇拝対象を示す語が続かず単体でAbdulやAbdoulとなっている男性名になっている場合、アラブ連盟加盟国以南のアフリカ諸国出身もしくは同地にルーツを持つ人物である可能性が高いと言えるかもしれません。
アラビア語由来の人名は発生源のアラビア半島とそうでない地域とでは色々と勝手が違うので、こうして調べてからでないと「アブドゥルなんて人は世界のどこを探してもいません」と気軽に断言できないので結構難しいです…
シリアに実在するアブドゥール
ポーラ・アブドゥルのアブドゥルはこの単体アブドゥール
アブドゥルの名前を持つ人物としては世界的に有名な女性歌手のポーラ・アブドゥルは両親ともにユダヤ系で父親の Harry Abdul(هَارِي عَبْدُول [ hārī ‘abdūl ] )氏がシリアのアレッポ出身ファミリーの生まれです(ブラジルに移民)。
シリア系の記事には「アレッポのユダヤ系ファミリーであるアブドゥール家」といった記述があるので、عَبُدُول [ ‘abdūl ] [ アブドゥール ] は元々の一族の家名であり、海外移民後に現地語に合わせて以前の家名を少し変えたということはしていなかった模様。
シリアのアレッポ近辺に関するニュース等に絞って検索を続けてみると、フルネームのいずれかの位置に عَبُدُول [ ‘abdūl ] [ アブドゥール ] が来ている人物が何人かヒットしました。アレッポ付近に住んでいたりシリア難民だったりで皆近いエリアの出身であることが察せられます。
このうち
شهداء حلب خلال الحرب العالمية الأولى
『第一次世界大戦中のアレッポ殉教者たち』
というジャーナル記事のPDFファイルではアレッポの戦死者中に سُلَيْمَان عَبْدُول [ sulaymān/sulaimān ‘abdūl ] [ スライマーン・アブドゥール ] という人物がいたことが明らかにされています。スライマーンは預言者ソロモンのアラビア語名なので名前を見ただけではイスラーム教徒だったのかユダヤ教徒だったのか判断ができません。ひょっとすると彼はユダヤ教徒男性で、同じラストネームを名乗っているポーラ・アブドゥル(アブドゥール)の父親の親戚だったりしたーということがあるかもしれません。
彼女の名前のアラビア語表記を見ればすぐ分かるのですが、この単体で使われているアラビア語(風)ネームのAbdul(もしくはAbdoulなど)は本ページで紹介している「アブド・◯◯」とは違う عَبُدُول [ ‘abdūl ] [ アブドゥール ] という語中に長母音を含む名前となっています。
アラビア語記事を色々と検索してみるとポーラの家名は عَبُدُول [ ‘abdūl ] [ アブドゥール ] と書かれている場合と عَبْد [ ‘abd ] [ アブド ] と書かれている場合があります。移民前はただの عَبْد [ ‘abd ] [ アブド ] だったのかまでは確認できませんでしたが、これについてはアブドゥールというアレッポ付近に見られる家名を執筆者が勘違いしたり勝手に修正してしまったりした可能性があり得ます。
ともあれ、彼女のようにAbdul単体を名前・家名として名乗っているアラビア語圏ルーツがある人に関しては通常 عَبُدُول [ ‘abdūl ] [ アブドゥール ] というつづりがあてられていることがわかりました。
ジョジョのモハメド・アヴドゥル
『ジョジョの奇妙な冒険』にはエジプト出身キャラとしてモハメド・アヴドゥルが登場しますが、後半部分のアヴドゥルはポーラ・アブドゥルのファミリーネームが元ネタだとか。
日本ではモハメド・アヴドゥルのアヴドゥルはアブドゥッラー(口語発音:アブドッラー、アブダッラー等)が由来でアラビア語ではアブドゥルとかアブドゥールとは発音しないと思われがちですが、ポーラ・アブドゥルが由来だと判明していることからシリアのアレッポがルーツである彼女のファミリーネーム عَبُدُول [ ‘abdūl ] [ アブドゥール ] の方が実際の元ネタである可能性が極めて高いです。
モハメドは預言者ムハンマドにちなんでつけられることが多くエジプト人の1/4近くがその名前を持つと言われている男性名 مُحَمَّد [ muḥammad ] [ ムハンマド ] の口語(方言)発音「モハンメド」に対応した英字表記「Mohammed」と日本語風カタカナ表記にしたものだと思われます。アラビア語ではモハメドやモハメッドではなく Mohammed と書いてモハンメドと読むのですが、ジョジョではカタカナ表記がモハメド、英字表記が Mohammed となっています。
また作品では元ネタの Abdul とは違い b を v に置き換え、さらに u ではなく o を当てた Avdol という英字表記と アヴドゥル というカタカナ表記になっています。実はアラビア語ではペルシア語と違い「v(ヴ)」の音は存在しません。そのためジョジョのモハメド・アヴドゥルについては前半はよくある名前なのですが、後半の Avdol(アヴドゥル)に関してはアラブ人名としては存在し得ないオリジナルネームとなっている形です。
イラクのアブドゥール
またイラクの(アッ=)スライマーニーヤ(スレイマニヤ)大学には فَارُوق عَبْدُول [ fārūq ‘abdūl ] [ ファールーク・アブドゥール ] というお名前の先生がいらっしゃるとか。また同地ではこのアブドゥールがラストネームの方が複数検索ヒット。男性名や家長由来のファミリーネーム・ラストネームとしてアブドゥールが使われているらしいことがうかがえます。
スレイマニヤもアレッポもアラブ世界の北端にある多民族混成地域でトルコ語やクルド語のようなアラビア語以外の影響が強い地域です。そのためアブドゥールのようにアラビア語由来ながら純アラブネームとは言いづらい、アラビア半島のアラブ人が違和感を覚えることもある名前が見られるものと思われます。
アラブ首長国連邦のアブドゥール
صاحب السمو حاكم عجمان يحضر افراح آل عبدول
『アジュマーン首長がアブドゥール家の結婚式にご出席』
アブドゥールという人名・家名がアラビア半島のアラブ人部族地域にも存在しているかどうか調べていた時に見かけたニュース記事です。これによるとアラブ首長国連邦には عَبُدُول [ ‘abdūl ] [ アブドゥール ] という名前の氏族(部族分家)があるのだとか。
同国にはAl Abdoul Office Appliances Establishmentという会社がある上、レバノン人歌手 دِيَانَا حَدَّاد [ dīyānā ḥaddād ] [ ディヤーナー(→ディヤナ→ディアナ)・ハッダード ] (Diana Haddad)の元夫がこのアブドゥール一族出身だったようで سهيل العبدول と書いて [ スハイル・アル=アブドゥール ](Suhail al-Abdool)とつづって発音するようなので本当にアブドゥールと読む家名であることがわかります。
こうした部族の分家名は家長男性のファーストネームから取られることが多いので彼らのご先祖様がアブドゥール氏だった可能性は高そうです。
عَبْدُول [ ‘abdūl ] [ アブドゥール ](英字表記はAbdul/Abdoul/Abdoolなど)はアラブ人向けの赤ちゃんお名前サイトで عَبْدُ اللهِ [ ‘abdullāh ] [ アブドゥッラー ] の愛称(=دلع [ ダラア ])候補として紹介されていたりするので、愛称語形が人名として使われたのが男性名アブドゥール(日本風カタカナ表記は長母音のーを抜いたアブドゥル)の始まり・由来なのだろうか?と思い調べてみたところ、この一族については祖先名はそっくりそのままアブドゥールだった訳ではないようです。
部族系譜解説サイトによるとアラブ首長国連邦のアブドゥール家の祖先は عبيد [ ウバイド(口語発音はウベイド、オベイド等)]とからしく、部族名由来の形容詞でラストネーム的に使われるニスバがالعبدولي [ アル=アブドゥーリー ] だったり العبيدلي [ アル=ウバイドリー ] だったりするのもそのためみたいです。ちなみに成員全体を指す複数形は العبادلة [ アル=アバーディラ ]。
アラブ人名辞典にはアブダルという名前も掲載
ちょっと詳しめのアラブ人名辞典には عَبْدَل [ ‘abdal ] [ アブダル ](Abdal)という男性名が載っていたりします。これ単体で一つの人名だそうですが最後の ل [ l ]は付け加えられたおまけの字(واللام زائدة)だとのこと。
「アブダルさんなんてアラブ人に一人もいない。アブドゥッラーの前半部分が切り取られ訛ったもの。それかアブドゥッラーの口語発音アブダッラーの一部が人名と勘違いされたもの。」とも言いそうになってしまう名前ですが、この場合はアブダルで正しいようです。
登場人物にアブドゥルと命名しても大丈夫?
このように元々アラビア語ではアブドゥールと読むものを英語でAbdul・日本語でアブドゥルと表記したために見た目上同じになってしまい、「Abdulやアブドゥルはアブド・アル=◯◯(アブドゥル◯◯)という複合人名の前半部分を切り取ったもので全部間違い」といった注意喚起が流布する原因ともなっています。
ポーラ・アブドゥルの家名アブドゥルのように元々アブドゥールだったものをアブドゥルとカタカナ表記しているということであればネーミング的にはセーフだと言えますが、アブドゥルアズィーズのように後続する語とセットで一つの人名になっている場合はアブドゥル部分だけを抜き出すのは間違いとなります。
結局のところアブドゥル(アブドゥール)自体はアラブ人の名前としてはまず聞かれず十中八九
- 「外国人はいつになったらアブドゥルというアラブ人がいないことを理解してくれるのだろう」
- 「ハリウッド映画にはどうしてアブドゥル(アブドゥール)という名前のキャラクターばかり出てくるの?」
- 「アブドゥル(アブドゥール)なんて名前はアラブ世界に実在しない」
- 「アラブ人名辞典にアブドゥル(アブドゥール)なんて載っていない」
といった扱われ方をしているので、作品でアラブ人の名前として命名するのは避けるのが無難だと思われます。
(2023年12月 「◯◯のしもべ」という名前が多い理由と意義・命名動機を追加)