アラブ世界における月と太陽~イスラーム以前におけるアラブの太陽・月観

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イスラーム以前のアラブ世界における月と太陽

アラブ世界の様々な自然環境と季節変化』に出てきたアラビア半島の色々な自然環境をふまえつつ、今度はそうした自然にある様々な要素を比喩表現に用いたアラブの詩・文学について見ていきたいと思います。

まずはアラブ文学の原点として今でも愛されるジャーヒリーヤ時代(イスラーム前の西暦500年代ぐらい)についてです。アラビア語の文語はクルアーンの言語でもあるため改変が少ないこと、しかも口語とのダブル体制で文語にあまり手が加わっていないことからこれらの古い詩を現代人たちも味わうことができます。(日本人学習者でもアラビア語を何年か勉強すれば辞書と解説書片手ではありますが読むことが可能です。)

現地の新聞記事より

アラブ首長国連邦 アル=イッティハード新聞
يحظى بمكانة كبرى في حضارة العرب.. وهل يُخفى القمر؟
『アラブの文明において最高の地位にある月』

アラブ首長国連邦の新聞サイトの記事で、アラブ文化において月が非常に重要な地位を占めていることに関して書かれています。

古代から人類の文明では太陽と月に対する崇拝はあったもののアラブ世界においては太陽よりも月に重きが置かれてきたこと、その背景には太陽はその熱と火炎で人を苦しめる一方で月の光は静かで優しいという違いがあるだけではなく、太陽は常に同じ形なのに月は日々その形を変えてまた1ヶ月経つと同じ形に戻るという変化があるとしています。

イスラーム以前のアラビア半島では月の神に対する信仰が広く見られたものの、唯一神アッラーはクルアーンを通じて太陽や月を崇拝し礼拝をささげてはならないとはっきり禁止。

アラブ世界では長い間月の満ち欠けに基づいた太陰暦が使われており、太陰暦の一つであるイスラーム暦(ヒジュラ暦)ではラマダーン月の開始・終了も月を見て決めるなどイスラーム教徒たちにとっては今でも身近な存在であり続けています。

アラブ文学ではイスラーム以前のジャーヒリーヤ時代から恋愛詩において恋人の女性を月に例える比喩の手法が一般的でしたが、他者を称賛する称賛詩や自慢をする自賛詩にも用いられていたとのこと。たとえば満月はアラブで美貌の条件とされた丸くふっくらした顔を肌の白さや完璧・至高を象徴。

一方月の光は闇の対義語としてプラスのイメージで語られることもあれば、欠けて小さくなっている月は姿を見せなくなってしまうことからマイナスのイメージで語られることも。

また月をどのようなものとして扱うかに関してはアラブ世界では月が男性名詞・太陽が女性名詞とするだけでなく実際に月は男神・太陽は女神として偶像化し両者が夫婦だと信仰されるなどしたため、「月の女神」文化圏とは違って男神である月の方が地位・役割的に太陽神よりも重要であったとアル=イッティハード紙の記事では説明しています。

このような信仰があったため月の神と太陽の神の対立や正反対の相反する性質ではなく、夫婦としての表裏一体の姿がアラビア半島における太古の時代の価値観だったと言えるようです。

月が男性的なイメージを持つことから「月のようだ」は女性の美しさだけでなくスルターン(スルタン)や国王らの称賛にも使ってきた訳ですが、千数百年経った現代でもアラブ・イスラーム世界で月が最大級の地位を占めていることは全く変わっていない、といった締めくくりで記事は終わっています。

イスラーム以前のアラビア半島と月・太陽信仰

アラブ文学の原点ジャーヒリーヤ詩とアラブの天体崇拝時代

上の新聞記事にも出てきたアラビア半島における月・太陽崇拝ですが、イスラーム以前の大昔は月・太陽・金星などの星々を信仰する偶像崇拝の時代でアラブの各部族に特に信仰する特定の偶像というものもありました。月の神は男、太陽の神は女で彼ら夫婦の間に金星が生まれたといった神話もあったといいます。

アラブ詩の原点として今でも愛されるイスラーム教誕生以前のジャーヒリーヤ時代に作られた詩にはそうした多神教時代の価値観が色々とちりばめられており、太陽が寛大・慈悲・慈愛のイメージを有している点も多神教時代に生み出す母なる存在たる女性の太陽神が豊穣・実り・誕生・新生の象徴とされていたからという説明をされていることがあります。

現代にも受け継がれている比喩表現が当時の信仰とある程度リンクしていることを考慮に入れる必要があるため、ここで少し天体崇拝時代のことを調べてまとめてみたいと思います。

アラビア半島にあった多神教と神の性質

イスラームの聖地マッカ(メッカ)にあるカアバ神殿。イスラーム以前は中に多神教の偶像が360個も並べられていましたが預言者ムハンマドたちが破壊。しかしイスラーム教ではカアバは元々アッラーが預言者に命じて建設させた一神教の信仰の場であったとされ、後から一神教を離れ偶像崇拝するようになった人々が偶像を持ち込み、預言者ムハンマドらが再びあるべき姿に戻したという理解がなされています。

(現在続きを準備中です)