3日でおぼえるアラビア語 (小池 百合子)

『3日でおぼえるアラビア語』について

3日でおぼえるアラビア語

★★☆☆☆~★★★☆☆
覚えるのが大変なアラビア文字抜きで会話を覚えたい渡航者向けの本
誤りがちょこちょこ混じっていることもあり語学の教科書としては不適

著者:小池 百合子
出版社:学生社

著者の方について

国会議員を経て東京都知事に就任された小池百合子氏の経歴はWikipedia等に詳しく書かれているのでそちらをご覧下さい。

小池氏は親御さんがエジプトのカイロで日本料理店を経営されていました。御本人は1970年台前半に留学。カイロ・アメリカン大学でアラビア語の研修を受けた後、カイロ大学の文学部社会学科へ入学・卒業されたとのこと。アラビア語の通訳以外にもアラビア語教室の講師を務められていたそうで、本書にも講師時代のことが書かれています。

本の概要

版ごとの違い

学生社という東京都足立区にある出版社から出ている語学学習書『3日でおぼえる○○』シリーズのアラビア語バージョンです。第1版の初刷は1983年。テレビ局のキャスターになってから書かれた本のようです。

第1版と第2版とでは表紙の色・デザイン・プロフィールの掲載位置が異なっています。また第1版の時から何度か経歴紹介部分が変更になっているようで、大学卒業の内容が修正されたり、議員就任後はその件が追記されたり、数バージョンがあるようです。

ただ中身自体は修正を入れた感じはあまりしません。私が買ったのは版を重ねてからのものでしたが、誤字などはそのままでした。

アラビア文字を使わないエジプト方言の学習書

かつて自身がアラビア語講師をされていた時、難しい上に時間もかかるアラビア文字とフスハー文法の学習が原因で脱落者続出だったのが口語会話での簡単なレッスンに変えてから現地生活を控えた受講者達に喜ばれた・・・という実体験があったのだとか。

また『3日でおぼえるアラビア語』という出版社が設定した無茶な書名に少しでも近づける必要があったことから、アラビア文字は使わず発音にもあまりこだわらず気楽にエジプト方言を学ぶ、という趣旨の本にしたようです。アラビア文字の簡単な説明と文字表が巻末にありますが、書き順とかは載っていません。

昔のアラビア語方言教本における一般的なスタイルだったラテン文字(≒英字)のみの表記となっています。

学習範囲

冒頭でアラビア語とはどのような言語なのかを紹介。その後、アラビア語にてにをはが無い話、名詞の性、定冠詞、挨拶、所有、数、動詞完了形・未完了形、كان(kāna, カーナ)、現地生活で使う会話集、と続きます。

本当に3日で覚えられるのか?

『3日でおぼえるアラビア語』は小池氏が自分で決めたタイトルだと誤解されている方も結構いらっしゃると思うのですが、学生社が出したこのシリーズの語学書は全部同様の書名で『3日でおぼえるフランス語』、『3日でおぼえるドイツ語』、『3日でおぼえるイタリア語』、『3日でおぼえるスペイン語』、『3日でおぼえるトルコ語』、『3日でおぼえる中国語』などがあります。

出版社から『3日でおぼえるアラビア語』というタイトルで売り出す予定だと聞かされ困惑された、というようなことが本の中にも書かれているので、小池氏自身もそんな題名をつけて良いのだろうかと心配はされていた模様です。

実際の内容としては、エジプト方言既習者なら平日に少しずつ分けて読めば2~3日、週末に集中して読めば1日で読み終えることができるかも…といった感じです。全く初めて勉強する場合はさすがに3日では無理で、1ヶ月かそれ以上かかっても不思議ではないです。

エジプト方言教本が希少だった頃のアラビア語学習書として

口語調で書かれているのと、「君はもうアラビア語を使っているのダ」といった当時流行っていたであろうカタカナを多用した表現が多く、少々時代を感じさせる文章になっています。

大学専攻生向けの難しい学習書が多かった時代に「これからちょっとアラビア語でも初めてみようかな」という人のやる気をそがないようにと考慮されたとっつきやすい内容ということもあり、エジプト方言の参考書が十分流通していなかった時代にこの本で勉強された方も少なくないのではないでしょうか。

表記や誤字脱字について

発音が似ているものの異なる子音の区別はしていないタイプの表記方法

会話部分は英字でその上にカタカナでの読みガナがついています。LC方式のローマ字転写やIPA記号による表記ではありません。

سص は s、حه は h、زظ は z、تط は t という風に似ているようで違う発音をするアラビア文字を同一の英字で書いてしまっているので、元のアラビア文字つづりやローマ字転写での本来の表記を知っていないと間違った音で発音してしまう原因になります。

通常アラビア語の教材は発音がまぎらわしい字を区別するために س はただの s として ص は下点を足して ṣ としたり大文字で S と書いたりして分けるのですが、本書はそれを珍しくしていません。

この点が、語学学習教科書としておすすめしづらい理由の一つとなっています。

耳で聞いて覚えたアラビア語によく起こる発音違いや l / r 混同が多い

アラビア文字の代わりにラテン文字(≒英字表記)が採用されているものの、アラビア語や口語アラビア語エジプト方言における発音を忠実に表現したものではなく、覚え間違いに起因する不正確な表記が複数含まれています。

例としては

  • クウェートの口語発音として el-kuwēt(エル=クウェート)とすべきところが w の抜けた al-kuēt となっている
  • カイロ方言で発音の置き換わりとして声門閉鎖音化(ハムザ化)が起こり実際には「ア」「イ」「ウ」のような発音となる ق(q)に文語アラビア語発音である「カ」「キ」「ク」が当ててある
  • 声門閉鎖音/声門破裂音である ء(ハムザ)部分が喉を引き締めて出す別の子音 ع(アイン)と混同され、قدّ إيه(アッド・エー, どのくらい)のハムザ化する q 部分がアインとして英字表記されている
  • 母音が入らず子音のみの箇所(アラビア文字表記ならスクーン記号付きになっている部分)に挿入不要な母音がはさまっている
  • テーブルが talabēza(実際は tarabēza)、「トルコの」が torqī(実際は torkī)、音楽が musīkā(実際は mūsīqā)、仕事が shoghor(実際は shoghl)と表記されるなどしており、r と l、k と q のように似ているものの区別すべき子音のペアが複数箇所で取り違えられている
  • 重子音(アラビア文字表記でシャッダ記号がつく)していない部分が重子音として表記されており、魚 سمك が samakk(通常は samak)、نهارك が nahārakk(通常は nahārak)、「サッカー」という複合語の1語目の كرة が kurrat(通常は kurat)といった表記になっている
  • 語形の都合で文語アラビア語準拠のアラビア文字表記としては長母音で読む部分が実際にはつまって短母音として発音される部分のラテン文字表記(≒英字表記)が長母音のままになっている

など語学学習目的で細かい部分を正確に覚えたい人には気になってしまうような誤りが多いです。

*なお سمك を samakk(通常は samak)、نهارك を nahārakk(通常は nahārak)と発音する件ですが、アラビア語は語末を子音で止める場合語形によっては1文字だけの k が重子音化して kk になるという読み方が実在するので、全くの間違いとは言い切れないかもしれません。

定冠詞に関する誤読・誤記

太陽文字と月文字の取り違え

定冠詞2文字目の l と発音同化を起こす定冠詞直後の子音(太陽文字)かどうかの判別が間違っていて、太陽文字が月文字扱いされて発音同化をしている、またその逆に月文字が太陽文字扱いされて発音同化しているという例が複数見られました。

例:

  • الحمد لله の2語目がリッラーではなくリルラーになっている
  • للإسكندرية がリルイスカンダリイヤやリルイスカンダレイヤではなくリッスカンダリーヤになっている

この発音同化をする/しないの取り違えは小池氏が有名政治家になられてから外交の場面で話されている時にも起こっているので、同氏の昔からのアラビア語の苦手分野だったものと思われます。

アラブ人はリッラーの ل(l)を月文字扱いしてリルラーと発音することはしないものの、フスハーとアーンミーヤでは ج(j)のように文語では月文字なのに太陽文字としての発音になっていたり、太陽文字の直前なはずなのに定冠詞をアッではなくアルで読んでいたりということが起こります。

そのため定冠詞直後の子音を同化させる/させないに関する間違いは、その人が常用している方言の影響なのかそれとも単に覚え間違いなのか区別しないといけないので、正確に検証するのは意外と難しかったりします。(誤用の検証者にフスハーとアーンミーヤそれぞれでの子音発音に関する言語学的な情報が必要となるため。)

不要な場所への定冠詞付加

また属格構文(≒所有格構文)の1語目で定冠詞が不要な部分への定冠詞付加もありました。

例:

  • アラビア語を読んだり、書いたりすることはむずかしい
    エル キラーア ウィ キターバ ル アラビー サアブ
    el-qiráa wi kitāba el-‘árabī sá‘ab
    *冒頭のel-は文法上削除する必要あり。
    *サアブは文法上女性形のサアバにする必要があるかと。

それとは逆に、通常定冠詞がつく単語が無冠詞になっている例も見られました。

なお、この構文で定冠詞がつくかどうかというのは文語と口語で違いは特に無いです。文法書を使って学んだ日本人だと通常この部分は間違えないのですが、ネイティブだと要らない場所に定冠詞を書いてしまうというのはしばしばあることで、アラブメディアで見られる誤字脱字の典型例の一つとなっています。

特殊な語形の動詞活用違い

重子音動詞「حبّ」 [ ḥabb ] [ ハッブ ](愛する)の完了形の活用が間違っていました。

  • 「私は愛した」hebbet(ヘッベットゥ)→ 実際は [ ḥabbēt ] [ ハッベート ]
  • 「私たちは愛した」hebbnā(ヘッブナー)→ 実際は [ ḥabbēna ] [ ハッベーナ ]
  • 「あなた(男)は愛した」hebbet(ヘッベットゥ)→ 実際は [ ḥabbēt ] [ ハッベート ]
  • 「あなた(女は愛した)」hebbit(ヘッビットゥ)→ 実際は 実際は [ ḥabbēti ] [ ハッベーティ ]
  • 「あなたがたは愛した」hebbū(ヘッブー)→ 実際は [ ḥabbēto ] [ ハッベートォ ]

となっているのですが、同じページの真横にある非重子音タイプの他の動詞については大きな活用間違いが無いことから、特殊な語形の動詞のみどのように活用するかというのを違う風に記憶されていた可能性が高かったものと思われます。

この語形の動詞はフスハーとアーンミーヤとで完了形の活用が異なり、「私は愛した」という場合フスハーでは حَبَبْتُ [ ḥababtu ] [ ハバブトゥ ] になる一方、エジプト方言やその他複数方言共通の現象として ي を足した حَبّيتْ [ ḥabbēt ] [ ハッベート ] になるという風に違いがあります。

これについては、小池氏はこの文語と口語の違いをはっきり把握されていなかったか、エジプト方言の日常会話で頻用されるこの動詞を耳で聞いて文語文法式の活用をあてはめてご自分なりに解釈されていた、といった可能性が考えられるかもしれません。

フスハー語彙とアーンミーヤ語彙の混在

『3日でおぼえるアラビア語 』自体は純エジプト方言の会話本ということになっていますが、定冠詞はアーンミーヤ発音の el- や il- にフスハーの al- が多数混じってしまっています。

また、エジプト方言として文語アラビア語(フスハー)とは違う発音や語形になっている語彙がフスハー語彙と入れ替わってしまっている例もあり、エジプト方言での قراية(イラーヤ, 読むこと)が قراءة (qiraa, キラーア)、私の妻 مراتي(ミラーティ)が文語語形を口語風発音した امراتي(imrātī, イムラーティー)、家族 عيلة(エイラ)が文語語形かつ読み間違いの عائلة(a‘aíla, アアーイラ, *正しくはアーイラ)になっているなど、文語アラビア語と口語アラビア語を十分に区別しきれていないことが原因と思われる箇所も見られました。

小池氏に関する検証記事では「文語アラビア語フスハーと口語アラビア語アーンミーヤを混ぜるなどあり得ず、汚いアラビア語だとされる*」といったアラビア語に関する実情とは全く異なる言説が流布している状況で、実際にはアラブ人はその場に応じてフスハーとアーンミーヤをミックスして使うということが広く行われています。

*フスハーとアーンミーヤを混ぜることなど決してないといった情報も日本人学習者たちの間でかなり昔に流通していた不正確な解説で、文語口語混合体の使用が盛んな現状を一切反映していない言説となっています。20、30年前よりも以前にアラビア語を学ばれた方に特に多い認識で、当時はフスハーとアーンミーヤを混ぜる混合体(中間体)の存在や意義なども教本や大学講義では教えられていませんでした。

ただフスハーとアーンミーヤとが混ざる現象については「どちらの技能もある程度あるがわざと混ぜているケース」と「両方の語彙や文法知識が十分揃っていないために混ざってしまうケース」とに分かれます。

『3日でおぼえるアラビア語 』については上記の特徴からするとおそらく後者のパターンに該当しており、外国人学習者向けのアラビア語教材が少なかった50年前に現地で生活をしながら耳でのリスニングと現地人との会話を通して覚える割合が高かった学習状況を反映しているように感じました。

感想

他の読者レビューを色々と読んだ上での個人的感想

小池氏は現地滞在中、「120%エジプト人だね」と言われるほどにアーンミーヤ中心の生活を送っておられたのだとか。アラブメディアの取材でもフスハーではなくアーンミーヤにどっぷり浸かって過ごしたことをネタにされるなどしています。

通常外国人学習者が標準アラビア語(正則アラビア語、フスハー)とエジプト方言(口語、アーンミーヤ)の両方をマスターしたと称することができるレベルまで持っていくのは難しく、出版当時はエジプト方言の教科書も充実していなかったことから耳から覚えられた部分も多かったのではないかと思います。

誤字脱字や文字の取り違えなどが散見された本ですが、ネットで他の方が投稿された「1ページにつき1つずつ間違いがある」「間違いだらけ」といったレビューを書かれていたのを先に読んでいたこともあって、実際に目を通してみると巷で酷評されているほどではなかったかも…という感想を持ちました。

この本の初版は1983年とのことなので、留学終了・日本帰国から5年ほど経っている計算になるかと思います。管理人自身が実際に体験したのでよくわかるのですが、アラビア語も他の言語と同じくある程度仕事に使えるぐらいのレベルまで頑張って引き上げても全く使わず5年、10年と放置しておくと技能がすっかり衰え細かい文法事項なども思い出せなくなっていくものです。

そのため本書に散見される間違いも、ピーク時に当たる1977年~1978年頃に書かれていればある程度は少なかったのかもしれません。

ちょうどGoogleの書籍プレビューに出ていたので読んでみたのですが、『挑戦 小池百合子伝』によるとカイロ・アメリカン大学のアラビア語コースでは参加直後から新聞記事の読解といった課題を与えられ引く訓練をまだ受けていなかったアラビア語-英語辞典を片手に何とかするというハードなコースを進まれたとのこと。

『3日でおぼえるアラビア語』に子音字の区別や文法といった細かい部分での訂正箇所があるのも、カイロ・アメリカン大学でのアラビア語研修が前半にフスハー初級文法+後半に読解練習という通常の習得過程ではなかったことがある程度関係している可能性はあるかと思います。

アラビア語学習教材として

配偶者の現地駐在に帯同しなければならない日本人女性たちに合わせて行っていた突貫工事系メソッドだけあって、「アラビア文字の読み書きをやっている暇は無いものの会話は短期間で覚えないといけない」という層には好評だったようです。ネット上でも昔この本で学んだと書かれている方の投稿を複数回見かけました。

総合的に見ると、内容の正確性からして方言をきっちり学びたい人の教科書・文法書としては向いていないです。小池氏のアラビア語会話本に興味のある方が参考程度に開かれるのが良いものと思います。

今はエジプト方言アラビア語教育・翻訳専門の先生方が書かれた教本が複数あるので、他にも比較対象や選択肢が多数存在する現時点では★2.5(学習教材としての正確性+とっつきやすいエジプト方言学習書が希少だった時代に果たした一定の役割)相当の評価とさせていただきました。

ゴーストライター執筆説について

この本について「ゴーストライターが書いたもので本人は一切執筆していない」と推測されている方もいらっしゃるようなのですが、間違い具合からするとネイティブのエジプト人やエジプト方言に通じたアラビア語専攻出身者がまるごとを書いたという可能性は極めて低く、むしろ小池氏が全体もしくは大半を担当しご自身の記憶やエジプト方言の教本を参考にしつつ執筆されたと推測させるような箇所が多いとの印象です。

小池氏は語研からも似たような本『ミニ通訳 海外旅行会話 アラビア語』を出版されそちらはエジプト人が校閲したことになっているのですが、『3日でおぼえるアラビア語』と全く同じような似た文字同士の取り違えなどが散見されるなど会話中心で学んだ外国人学習者に起きやすいタイプの誤字があることから、両方とも当時の小池氏のアラビア語表記の癖のようなものが校訂から漏れそのまま刊行されたと考えるのが自然かもしれません。

小池氏のアラビア語能力を検証する記事・動画等に関する注意事項

検証記事・動画とアラビア語に関する誤解・誤認・誤読・誤訳の問題

政治家ということで選挙時期になると小池氏のアラビア語能力を検証する記事や動画が新規に公開されてきたかと思うのですが、検証される方がアラビア語を使って何らかの業務・研究をされているもののアラビア語諸学や言語学の専門家ではないこともあってか、誤った情報も同時に流通しているとの印象です。

その中でも特に気になったのが、

単語の間違いも多い。一番驚くのは「面会は、とっても、とってもよいものでした」と言うのに形容詞の「ラズィーズ」を使っていること。辞書によっては「甘美な」という意味も出ているが、実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語で、「面会は、とっても、とっても美味しいものでした」と話している。
引用元:文春オンライン

だとして、文語アラビア語(フスハー)に非常に古くからある表現を一番驚かされるアラビア語の言い間違いと紹介している部分でした。

他者のアラビア語能力を検証するという趣旨で日本において出回っている記事・動画にはアラビア語をやっている側からすると不思議な説明も多く、素でそのように解説されてしまったのか、全て承知の上で脚色されているのか判断に迷うこともしばしばです。

なぜそのような記事が書かれてしまったのか、もし原因があるとしたら何なのか。ネイティブと非ネイティブ日本人学習者による誤用とその違いに元々持っていたこともあり、これらの気になった点についてアラビア語という観点に絞って少し詳しめに調べてみることにしました。

“美味しい面会”は「良い会談」「歓談」というフスハー表現を間違いだと誤判定してしまったケース

口語スラングではなくむしろ大昔から文語アラビア語に存在する表現で、食べ物以外の形容にも用いられてきた

日本では検証記事の影響から「良い面会を”美味しい面会”と口語アラビア語(アーンミーヤ)表現で言い間違える低劣なレベル」「アラビア語で良い面会を”美味しい面会”という言い回しで表現するなどあり得ない」といった誤解が広がってしまっているようなのですが、実際にはこれは文語アラビア語としての言い間違いでも、アーンミーヤだけのスラング的な表現でもありません。

小池氏が「良い」という意味で「面会、会談」を意味する名詞に修飾させて使った形容詞 لَذِيذ [ ladhīd ] [ ラズィーズ ] は古典期から多用され中世の辞典にも必ず載っている意味が「(食べ物・飲み物が)おいしい」「味わって快いと感じる、味わって美味だと感じる」となっています。

エジプト方言では女子を「かわいい」と形容したりするのにも使うこと、フスハーの使用シーンではおいしい以外の語義はそこまで多用せず書籍や各国テレビ放送でも時々登場する程度であることから、アーンミーヤ表現だというイメージを抱きやすいのも確かです。

ただ「(面会・会談・会話が)甘美な、楽しい、快い、良い」という意味での使用に関しては حَدِيث لَذِيذ [ ḥadīth(un) ladhīdh ] [ ハディース(ン)・ラズィーズ ](楽しい会話、心地よい談話)といった言い回しを中心として古典期の資料にも残されており、近現代に定着した口語(ここではエジプト方言)のスラングではなく純度の高いフスハー表現として千数百年前には既に存在していたことが確認可能です。

イスラーム以前の有名な詩にも出てくる「楽しい、快い」という方の語義

「(飲食物が)おいしい、美味である」という語義ではない方の لَذِيذ [ ladhīd ] [ ラズィーズ ] は、イスラーム教以前のジャーヒリーヤ時代にアラビア半島で生まれた古典詩の傑作選『ムアッラカート』の一つである لَبِيد بْنُ رَبِيعَة [ labīd(u) bnu rabī‘a(h) ] [ ラビード・ブヌ・ラビーア ](ラビード・イブン・ラビーア、Labīd ibn Rabī‘ah(/Rabī‘a) ) 作品にも

بَلْ أَنْتِ لَا تَدْرِينَ كَمْ مِنْ لَيْلَةٍ     طَلْقٍ لَذِيذٍ لَهْوُهَا وَنِدَامُهَا
bal ’anti lā tadrīna kam min laylatin/lailatin ṭalqin ladhīdhin lahwuhā wa-nidāmuhā
バル・アンティ・ラー・タドリーナ・カム・ミン・ライラティン
タルキン・ラズィーズィン・ラフウハー・ワ・ニダームハー
この箇所の解釈・具体的な意味 [ ソース ]
貴女は知っているだろうか?(私が過ごした)一体どれだけ多くの夜が、(熱くも寒くもない)心地よい陽気(や気持ちの良いそよ風)に恵まれ、愉快な飲み仲間たちと楽しく過ごし共に酒を味わい(い語ら)ったことが甘美だったのかを。
*主語が2つある関係で形容詞ラズィーズ1語に対応する訳(赤字部分)が2箇所に分散しています。
【メモ】
لَذِيذ [ ladhīd ] [ ラズィーズ ] の後に -in(イン)という音がついて「ラズィーズィン」となっているのは格変化をしているためで、単語が属格であることを示しています。
*ここでは前置詞 مِنْ [ min ] [ ミン ] の後に単数としての意味を持ち一夜、二夜と数える時の語形でもある「(一つの)夜、一夜」が属格の形で لَيْلَةٍ [ laylatin / lailatin ] [ ライラティン ] と続いています。そこに「(夜が)暑くも寒くもなくそよ風が心地よい」という意味の طَلْقٍ [ ṭalqin ] [ タルキン ](この語は修飾する対象の「一夜」が女性名詞でも女性形の طَلْقَةٍ ではなく、ة 無しの男性形語形 طَلْقٍ で使用可能)が第1個目の修飾語、後置されている لَهْوُهَا وَنِدَامُهَا [ lahwuhā wa-nidāmuhā ] [ ラフウハー・ワ・ニダームハー ](人称代名詞接続形 ـها [ hā ] [ ハー ] は形容詞の内容が夜ではなくそれに関連した別の事物に関するものである構文の時に文法上必要なパーツで لَيْلَة を受けている部分)を主語とする لَذِيذ が同じく属格の語形で第2の修飾節として連なっています。
نِدَام [ nidām ] [ ニダーム ] は نَدِيم [ nadīm ] [ ナディーム ]((飲む際の、宴席での)同伴者、同席者;飲み友達、飲み仲間、呑み友達、呑み仲間;仲間、友達、親友)の複数形、派生形第3形動詞 نَادَمَ [ nādama ] [ ナーダマ ](~と一緒に酒盛りをする、共に宴会をする、共に過ごして酒を飲んだり夜の談話(サマル)を楽しんだりする)の動名詞ダブルミーニングとして理解する部分だとのこと。「飲み仲間/飲み友達/親友・知人たちと共に過ごし酒盛りをしたり語り合ったりしたことが、楽しく心地よいものだった」と「飲み仲間/飲み友達/親友・知人たち自体が楽しく快い気質の連中だ」という両方として受け止めるのが解釈の定番である模様。

のような形で登場。

飲食物が美味しかったと言っているのではなく、

  • 過ごしやすい夜に楽しく過ごしたこと
  • 仲間・友人らと酒盛りをしながら雑談などに興じたひととき
  • 酒を共に味わい談話を楽しんで過ごした仲間・友人ら

のいずれもがラズィーズ、つまりは「味わい深く、楽しく、愉快で、甘美な」状態だったと述懐している内容となっています。

学習者向け辞書にも載っている基本的な語義・用法

この手の言い回しは今もアラブメディアのフスハー会話でも出てくるため実地で聞いて文語表現だろうということは習得可能なのですが、そうでなくとも辞書を使えば比較的簡単に出てくる語義となっています。

文語アラビア語(フスハー)- 英語辞典*にも「pleasant, delightful, nice, comfortable」として載っており、中級~上級学習者向けの辞典であれば用例も収録されているので「ラズィーズはフスハーでは食べ物がおいしいという意味だけで、楽しいといった意味で使うのはアーンミーヤだけ」という誤解はまず起きないというのが正直なところです。

*19世紀~20世紀にかけ有名辞典が欧米各国で各種出版。現代のアラビア語学習者やアラビア語に関連した中東研究者たちも多用しています。

『Arabic English Dictionary of Modern Written Arabic』
編:Hans Wehr
英訳:J. Milton Cowan

ナチスドイツ下で編纂作業が進められ、後に英訳もされた定番のハンス・ヴェール(英語発音でハンズ・ウェアといった発音も)アラビア語-英語辞書です。オンライン辞書の『Alladin(アラジン)』がリリースされるまで日本のアラビア語学習者の大半が使っていたという定番中の定番辞書です。

この辞書は持ち歩けるサイズなので学生にとっても利便性が高かったのですが、新しい用語の追加が無く用例も少ないため適切な語義を見落としやすいという短所があります。

形容詞 لَذِيذ [ ladhīd ] [ ラズィーズ ] については

delicious, delightful; pleasant; beautiful, wonderful, splendid, magnificent; sweet

となっており、「面会、会見」を修飾している場合は「おいしい(delicious)面会」ではなく pleasant、wonderful あたりを拾うべきケースだと見当はつくのですが、実際の組み合わせとしてどんなものがあるのかが載っていないので「おいしい」以外の意味の場合フスハーにはどんな表現が実在するのか明示されておらず見落としてしまう方もいるかもしれません。

オンライン アラビア語-日本語辞書『Alladin(アラジン)』
URL:http://www.linca.info/alladinPlus/dic.php?id=27247&cur=272470011&lg=1&md=1
作成者:アラビア語電子教育普及促進協会(Linca)柴田道広 氏

上のハンス・ヴェール(ハンズ・ウェア)ペーパーバック版を販売していた出版社が倒産して以降、日本のアラビア語学習者にとっては欠かせない存在となっているサイトです。ハンス・ヴェール(ハンズ・ウェア)+その他追加項目が含まれており、形容詞 لَذِيذ [ ladhīd ] [ ラズィーズ ] の語義も確認しやすいです。

語義
【1】うまい、美味い、おいしい、美味の / delicious
【2】 (比喩的に)甘い、甘美な快い楽しい、快適な
【3】 (比喩的に)素晴らしい、壮麗な、華麗な
用例の抜粋
【1】の意味
・おいしい食べ物 طَعَامٌ لَذِيذٌ [ ṭā‘ām(un) ladhīd ] [ タアーム(ン)・ラズィーズ ]
【2】の意味
・心地よい眠り نَوْمٌ لَذِيذٌ [ nawm/naum(un) ladhīd ] [ ナウム(ン)・ラズィーズ ]
*名詞と形容詞の語末母音記号を主格に修正してあります。

一方、口語アラビア語アーンミーヤでどうなっているのかを調べる無料かつお手軽な手段としては、ある程度信頼性の高いオンライン辞書の利用が挙げられます。

The Living Arabic Project
URL:https://www.livingarabic.com/en/search?q=%D9%84%D8%B0%D9%8A%D8%B0
作成チーム:Lughatuna

フスハーとアーンミーヤの各種方言とが同時収録されているサイトで、方言辞書は紙媒体のものを掲載しているためオンライン辞書としてはかなり信頼性が高めだとの印象です。

フスハーとしては

‏دِفْء لَذيذ ‎[CA] pleasant warmth(心地よい暖かさ、快適な暖かさ)
‏رائِحة لَذيذة ‎[CA] a pleasant aroma(いい香り、良い匂い)

エジプト方言としては

‏بِنْتِ لَذِيذة ‎[E] a sweet girl(愛らしい少女、かわいい少女)

が載っていますが、エジプト方言の語彙確認をするには載っている用例の数が少ない感じがします。

Lisaan Masry – Egyptian Arabic Dictionary
URL:https://sea.lisaanmasry.org/online/search.php?language=EG&key=%D9%84%D8%B0%D9%8A%D8%B0&action=s

語義
【1】مـُمتـِع – مـَشا َعر فـَرحـَة enjoyable楽しい愉快な
【2】 مَحبوب – مـَشا َعر تَفضيل likeable(愛すべき、愛らしい、好ましい)
【3】 حِلو – طـَعا َم مـُمـَيـِزا َت delicious, tasty(おいしい)

こちらはエジプト方言専門のオンライン辞書で単語の発音や動詞活用もチェックで要る便利なサイトです。その単語がフスハー由来・フスハーと共通であれば「MS」、フスハーの単語が語形変化したとかコプト語由来だといった理由からエジプト方言に特有な場合は「EG」というマークが添えられています。

この見出しには「MS」がついており、エジプト方言特有というよりはフスハー由来の語義や用法であることを示唆している形となっています。

“実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語”だという説明文と複数用例の実在という齟齬

検証記事では

辞書によっては「甘美な」という意味も出ているが、実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語

となっていますが、昨今のアラブメディアでも「おいしい」以外の語義は使われており、管理人自身フスハーによる文章・ウェブ記事やテレビ報道で複数回見たり聞いたりしたことがあります。

現代標準アラビア語対応の辞書にも色々な用例が載っており書籍検索でも見つけることができるため、「実際には食べ物にしか使わない」と断定しているのは検証者の方が単にピックアップしたことが無かっただけで、手持ちの情報量や確認作業の不足による見落としだと言わざるを得ません。

検証者の方がどのような辞書を使われたのかは不明ですが、いずれの場合も「おいしい」以外の意味は載っていて、どういう言い回しで使われるかという用例も添えられており、”実際には食べ物にしか使わない”という判断をすることの方が難しいほどです。

アラビア語の辞書はフスハーの辞書とアーンミーヤの辞書は分かれているのでフスハーのアラビア語辞書に収録されているということはその表現が文語アラビア語のものだということになるのですが、口語アラビア語(アーンミーヤ)の辞書にも同じ単語と同じ語義で載っている場合、基本的には口語表現が文語表現に入り込んだのではなく、元々文語アラビア語単語として持っていた語義をそのまま各方言が引き継いだケースであることが多いため、「フスハーとアーンミーヤとで同じ使い方をする」という判断をすることが可能です。

結局のところ、本件は”美味しい面会”という誤訳だとされた検証箇所がそもそも”おいしい”ではない方の語義”甘美な、楽しい、心地よい、快い”を「会談」「談話、おしゃべり」といった名詞に修飾させて「良い会談、素晴らしい会談、歓談」として表現した事例であり、「”美味しい面会”とエジプト方言で言ってしまっている」という判定の方がむしろ誤りに該当するという状況です。

口語表現を混入させるというアラビア語の拙さを端的に象徴しているとして記事の見出しにも度々登場しているのですが、逆に検証者の方が لَذِيذ [ ladhīd ] [ ラズィーズ ] の基本語義の一つを見落としアーンミーヤ表現どころか文語・口語アラビア語のどちらとしても間違っていると誤解されていることを示してしまっている部分なので、アラビア語を生業にしている方で「なぜ間違いだとされているのだろうか?」と違和感を覚えられたケースもあったのでは…と思います。

形容詞ラズィーズとフスハー発音/アーンミーヤ発音の話

当時衆議院議員だった小池氏がエジプト大統領との会見についてエジプト国営放送から取材を受けた時の動画で使った表現自体は مُقَابَلَة لَذِيذَة [ muqābala ladhīdha ] [ ムカーバラ・ラズィーザ ]* だったのですが、アラブ人の側としては「良い会談、素晴らしい会談、歓談」という意味で理解し、相手とのやり取りが非常に良好で実りあるものだったことを示唆していると受け止めるであろう部分となっています。

*「おいしい」という語義もある単語ですが、アラビア語としては「お会いできて楽しかった、お会いできてとても良かった、歓談を楽しみました」などと言っている部分で、日本語の「うまい話」「おいしい話」にあるような「利益がある、旨味がある、利権にありつけそうなメリットがある」「大統領閣下との面会でおいしい思いをできそうだと感じた」という意味にはならないです。

唇で隠れてよくは見えないのですが、小池氏は「良い面会」の「良い」部分に相当し「おいしい」という意味もあわせ持つ形容詞の女性形 لَذِيذَة [  ladhīdha ] [ ラズィーザ ] の歯で舌をはさんで出す「ذ(dh)」音ではなく歯ではさまない「ز(z)」音にして لَزِيزَة [  lazīza ] [ ラズィーザ ] と発音しているようにも聞こえます。

これはエジプト方言で起こる子音字の置き換わり現象によるもので、小池氏のアラビア語談話動画では同様の理由から歯で舌をはさんで出す「ث(th)」を「س(s)」で発音する مَثَلًا [ mathalan ] [ マサラン ](意味:たとえば)の مَسَلًا [ masalan ] [ マサラン ] 化なども聞かれます。

こうした特定の文字間発音シフトはネイティブが頻繁に行っているもので、エジプト人などもフスハーで話しているつもりが dh の発音が z、th の発音が s になっているまま、ということがしばしば起こります。

実際のところこれらだけでは「フスハーを勉強した時から発音すらできていなかった」かどうかは確定するのは難しく、ネイティブ同様「エジプト方言による日常会話の比重が大きすぎて発音をそのままフスハーでもするようになってしまった」事例ないしは昔の外国人学習者に多かった「フスハーの授業は受けたが細かい発音方法は教科書に書いていなかったために目と耳でなんとなく真似した覚えたら違っていた」である可能性もかなり高いです。

日本人学習者の方でも口語アラビア語をメインでやっている方だとこのような現地方言の影響を受けたフスハー会話になりやすいのですが、「アラビア語として絶対に間違っていてアラブ人はそんな発音しないからネイティブ発音と全然違う」かというとそうでもないので、検証とか判定の際には単純な間違いとして処理できない要注意ポイントとしての扱いをしなければいけないなど、結構厄介な部分かもしれません。

古典期から現代に至るまで使い続けられている語義が無かったことにされてしまった検証記事の理由について

文語として正しい用法が”美味しい面会”として誤判定された原因とは?

先に出てきたジャーヒリーヤ詩人ラビード・イブン・ラビーアは今から1450年以上前に生まれた人物で、彼の作品はアラビア語文学史に影響を与え続けた模範的な文語アラビア語(フスハー)を体現しているとも評される詩の一つです。

生粋かつ美麗なフスハーの用例として「味わい深い、楽しい、快い」という意味が元々実在してきたことを見落としかつ”辞書に載っているだけで本当は食べ物をおいしいという以外には使わないので、アラビア語そのものとして間違っている”、”フスハーにアーンミーヤを混ぜた拙い表現”の代表的用例とした点に関しては、綿密さ・専門性を欠いてしまっている検証内容だと言わざるを得ません。

詳しいアラビア語 – 英語辞書や中級・上級学習者が使うネイティブ向けのアラビア語辞典には用例つきで「おいしい」に加えて「楽しい、快い、心地よい」という語義が載っているものなので、検証者の方がそうした分厚い専攻者向けの辞書を使用されずに情報確認を行い記事を書かれたために起こった誤認だった可能性が考えられるように思います。

アラビア語の細かい部分というのはアラビア語そのもの以外を専攻分野されている方だとそこまでカバーはできないため、国際関係論や歴史などの専門家がアラビア語の文法や語彙の解説をした場合あまり正確な内容でなかったり時には全くの誤解・間違いだったりということも起きます。

日本のメディアやインターネット投稿・動画では東京外国語大学や大阪大学アラビア語専攻の先生が登場して詳しい解説を提供するといったことはまず無いため、”美味しい面会”のようにアラビア語専攻者であればたいてい間違わないタイプの非専門的事項の部分も不正確であるような情報が出回りやすいという土壌もあると言えるかもしれません。

“美味しい面会”誤用判定は誤用ではないと承知の上で小池氏の誤用箇所をかさ増しするために事実とは異なる解説を行ったと相当うがった見方もできるのかもしれませんが、執筆者の方は熱意・労力をかけて検証作業を進められたようですし、ネットやメディアでもアラビア語に詳しい方の解説として流布しているものなので、「アラビア語に詳しい人が少ない日本でならこのぐらいは許されるだろう」という悪意から盛りに盛って書かれたのではないと考えるのが適切かと思います。

検証記事の中に第3語根弱文字動詞の能動分詞女性形を全てニスバ形容詞として読むといった文法誤りに起因するふりガナが複数ある、アラビア語の文語と口語の位置付けについて誤った認識がある、語彙解説等が事実とは異なるといった点が所々に見られることなどからすると、アラビア語がらみの情報を書き換えることで印象操作するといった意図は全く無く、素で誤解・誤訳されていると考えるのが妥当なのかもしれません…

*大変失礼な物言いで恐縮です。ただ、これまでに出された一連の検証記事のアラビア語関連部分がいつも何かしらの形で複数の誤りを含んでいるため、そのような誤認・誤解・誤訳の類が何年にもわたり定期的に有名メディアを通じて拡散している件について念のため言及させていただいた次第です。検証者さん側のアラビア語運用問題が検証記事の精度を下げているのはもったいないのでは―という気もするのですが、当方はこの件には全く関係の無いアラビア語同人活動屋なので、これ以上の言及は避けたいと思います。

検証者が手元に置いているアラビア語辞典の冊数や検証に用いる専門資料の数の問題

詳しいアラビア語辞典というのは単に分厚くなるどころか10巻で1セットになっていることも珍しくなく、持ち歩けないため所有していない方も多いです。またネイティブ向けの大辞典は中級以上のアラビア語読解能力を要するため、中級ぐらいまでのアラビア語学習者が使うのは日本の中高生向け国語辞典サイズぐらいのアラビア語 – 英語辞典であることが一般的です。

しかしそうした辞典は内容が薄く、携帯可能な辞書であるという点ことを優先させ長年主力として使っていると語彙力の伸びの足かせとなりかねず、追加で複数オンライン辞書における串刺し検索なりをしないと重要語義の抜けを見落としやすいです。

特にインターネット普及期前の世代は紙媒体以外の電子化された大辞典を使う習慣が無いままだったりということもあって、記事・動画の内容だけでなく作成者の方の世代からも普段アクセスしているであろう辞書の種類がある程度推測できたりもします。

アラビア語学習者界隈では結構よく起こることなのですが、綿密な訳や語彙の検証を行うには本来20冊、30冊とアラブ人向けの辞典や専門書を読んで時代ごとの語義や細かいニュアンスを確認していくのがベストなのですが、実際には置き場所や携帯可能な辞書サイズの限度というものがあり誰もが多数の辞典を取り揃えている訳ではないので、少ない辞書数で内容確認しそのままネット記事・SNS投稿を作成するという風になりがちです。

非ネイティブと文語アラビア語(フスハー)・口語アラビア語(アーンミーヤ)両立の問題

文語アラビア語と口語アラビア語の両方を中級~上級レベルまで持っていくことは難しいため、多くの場合はどちらか片方だけだったり、フスハー7~8:アーンミーヤ2~3といった偏った比率で身につきます。

文語と口語が混ざっている文・会話についてはフスハー要素とアーンミーヤ要素を厳密に分け些細な母音記号つけ違いなども区別する作業が必要になってくるのですが、これにはフスハーとアーンミーヤ両方の習熟度をかなり上げないと厳しく、ただの日常会話としてのアーンミーヤではなく欧米の大学出版刊行でアラビア語専攻学生向けに言語学的な解説を行っているような書籍で色々と細かい情報を仕入れたりして検証の精度を上げないと十分な水準を満たした検証結果を提示することは難しかったりします。

エジプトといった狭い地域に限定せず周辺地域も含めた比較を行いつつも正確性を維持するとなると、一つの方言ではなく違うタイプの方言を複数学習すること、また各国方言の文法書や辞書なども多数参照して横断的に検証を行い情報を精査するスキルも求められるなどしてくるかと思います。

日本のメディアで報じられた”美味しい面会”誤用説も、そう簡単には解説記事や検証動画を作成できない、スキルと手間暇を全投入して十分下準備をしないと誤りを含むコンテンツをリリースすることになってしまいがちである、という複雑なアラビア語事情を反映したものだったと言えるのかもしれません。

ネイティブチェックの落とし穴

検証者の方はカイロ・アメリカン大学の上級アラビア語コースを終了され、その後もアラビア語文献講読や家庭教師についての学習をされたとのことですが、万全を期すためにネイティブを動画検証訳に起用し小池氏動画をエジプト人ジャーナリストに見てもらったと書かれています。

日本ではネイティブだという理由から文語アラビア語フスハーに関わるアラビア語諸学を修めていない方をアラビア語教材の執筆者や検証役として起用することも多いのですが、そうしたネイティブの方が参加した部分に誤字脱字や誤読が集中している例が時々見られます。

これはアラブ世界の大卒者が有するフスハースキルにかなりのばらつきがあること、エジプトのようにフスハーのプレゼンスがだいぶ小さい国では学習書に許されない細かい誤りも決して犯さない高度なレベルでフスハーに堪能な人物を探すのが決して容易ではないことなどを加味せずに人選を行った場合に発生してしまう記事・教材精度の低下事例となっています。

“美味しい面会”検証記事を書かれた方はエジプト出身で英語科卒のジャーナリストさんを文語アラビア語と口語アラビア語の判別や文語アラビア語文法の正解を解説するための検証役として起用された訳ですが、アラブ諸国では英語科卒、メディア・ジャーナリスト職は文語文法に明るくない人が多いことで知られており*、検証役エジプト人の方がそうした典型例から除外すべき稀有な事例でなかった場合、検証記事の中に実際に見られるうちの一部の誤記・誤読の理由となってしまっている可能性も考えられるかと思います。

*ニュースのアナウンサーによるフスハー文の誤読、原稿作成者による文法間違い、メディアのコンテンツにおける誤用は非常に多いためアラビア語研究者らやアラビア語アカデミーの調査対象ともなっており、アラブ世界で数多く出ている誤用特集のネット記事や専門書などの中でも、そうしたメディアやジャーナリズムの業界や広告・看板といった現場で流通しているフスハー文が問題視されている状況です。そのためアラブ諸国でアラビア語の正しい用法を解説する記事を書く人・任される人は、アラビア語学の専門家や詩人・小説家といった文語アラビア語能力の高さが求められる文筆家であることが一般的です。

万全を期すべきアラビア語関連記事がネイティブ起用によって逆に精度が落ちてしまうというのはよくある話なので、同様の記事を作成する予定がある出版・メディア関係者の方は、上記をふまえた起用をされると良いのでは…という気もします。

一般向け検証記事・動画をアラビア語学習教材としての利用することのデメリット

小池氏に限らず中東業界の特定人物のアラビア語能力を検証したり誤りを指摘したりする記事・動画は検証者のアラビア語学専門性の度合いゆえもしくは政治的意図などから正確性が十分でないものが目立ち、作成者の検証対象に対する個人的感情から来る「ひどさに赤面した」「気持ちが悪い」といったアラビア語分析とは直接関係の無い感想が強調されていたりすることもあって、中立的かつ学問としての厳密さだけを追い求めたものが残念ながら流布していない(もしくはネット上の情報の波に埋もれてしまっている)との印象です。

間違いをスルーしてネイティブ並みで誤謬も見られないと評価するものもあれば、正しい部分が間違い扱いされ酷評されているものもあったりで、その種類は様々です。正直なところ、どちらもアラビア語学とは切り離すべき要素が加わってしまっており、アラビア語解説としては説得力の高いものとは言いづらい…という気がします。

また中東関係の専門家による的確な解説として閲覧されているタイプの動画・記事でも、アラビア語学専門家ではなくアラビア語部分の探究が本業ではない分野の方が制作されたため文法や文化的背景の面で事実とは大きく違うことが語られているといったケースも少なくありません。

アラビア語に精通している人物が提供する正しい情報であると一般視聴者・閲覧者層には受け止められている動画・記事であるにもかかわらず発音時の調音部位誤り・文法間違い・誤記・誤読・誤訳・誤認を含んでいる、といった事例は管理人も実際に何度か見かけました。

管理人はアラビア語学のプロを自称する気は全く無いのですが、文語アラビア語と口語アラビア語を半々で続けてきた自分のような立場の人間が気付くということは、初級~中級範囲の誤りがそうしたコンテンツには含まれているということになるかと思います。

学習教材の質や正確さはアラビア語の上達度合いを大きく左右する要因でもあります。アラビア語学習者の方は先述のような記事・ネットコンテンツを精査しないまま真に受けて”本当のアラビア語情報”として学び取ってしまわないようご注意ください。

最後に

管理人は特定の団体・人物を非難もしくは支持する意図はありません。応援をしたい/責任を問いたい/情報発信したいという思い自体は皆様個人の自由だと考えています。

ただ、アラビア語として間違っているものは間違っている、正しいものは正しいというのは変えようがない事実なのもまた確かです。特定の動機による学術的事実の否定・脚色はアラビア語学習者にとっては悪影響となるだけで益は一切無いように思います。そうした言説・事物に対しては、中立性を心がけつつも注意喚起を行わせていただいております。なにとぞご了承ください。

なお、記事における間違いというのはよほどの方でないとどうしてもしてしまいがちで、自身のブログ(サイト)記事も数年経過してから読み直すと「昔こんなこと書いてたんだ」「あ、ここは間違ってるから早く直さないと」となることがあります。管理人自身も一層精進してより正確な情報をアップできるよう心がけたいと思っています。

メモ

アラビア語検証記事に含まれる要訂正箇所に関する個人的なメモ・備忘録です。ついでにアラビア語学習者の方向けの文法チェックシートにでもなれば、と思いここを置き場代わりにしているものになります。

検証記事の不当評価を行わないようにするために書き出しただけなので、検証者の方を告発・批判する意図は一切ありません。名誉毀損目的での掲載といった誤解の無きよう、よろしくお願い申し上げます。

文春オンライン 2018/06/28
https://bunshun.jp/articles/-/7909

説明の前提としてアラビア語には2種類あることを憶えておいて頂きたい。一つは正則アラビア語(フスハー)という格調高く美しい万古不変の言葉で、アラビア語圏で普遍的に通じる。コーラン、政治家の演説、テレビのニュース番組などは正則アラビア語である。本、雑誌、手紙、大学の試験の答案など、アラビア語が文字で書かれる場合は、すべて正則アラビア語を用いる。したがってアラビア語圏の大学を卒業するためには、正則アラビア語の会話、読み書きに堪能でなくてはならない。

▶フスハーは万古不変ではなく、時間の経過とともに語彙が変化。近代までに廃れ死語になった語彙も多い。少なくない数の文法事項は取捨選択により現代フスハーではもはや使われなくなり、古風な構文として文語文法書などでしか見かけないものも。特に近代化以降欧米諸語の影響を受けて起こった変容は大規模で、語彙・熟語・慣用句など多岐にわたる。アラビア語学者らは今のフスハーをかつてのフスハーとは別物と化していると評することもあり、万古不変な理想状態のアラビア語はアラビア語を創造した存在でもある唯一神アッラーの元で永遠の時を生きている、変質し簡略化してしまった現代のフスハーは本当のアラビア語の姿ではない、アラビア語を変容させてしまったのは地上の人間たちの所業であり本来の理想的なアラビア語は神が住まう天界に変わらぬ姿で存在している、的に現代の簡略化されたフスハーと切り分けて考える人すらいる。

▶政治家の演説はフスハーだけでなく、わざとアーンミーヤを使う場合もあるので全てではない。リビアのカダフィ(アル=ガッダーフィー)大佐はリビア方言での個性的なスピーチで異彩を放った元首の典型例。イラク大統領だったサッダーム・フセイン(サダム・フセイン)などもかなり口語寄りなスピーチの映像が複数残されている。北アフリカのマグリブ諸国だと高等教育がフランス語で行われるため、フスハーが苦手でフスハー原稿作成屋を頼ったりする政治家もおり、あきらめて最初からほぼアーンミーヤで話しているケースがマシュリク諸国よりも多め。

▶手紙はフォーマルなものはフスハーだが、私信やメール・SNS類だとアーンミーヤ率が高い。ニュース番組は特定国の国営放送局の『おはようエジプト』的な番組だと出演者たちが全員アーンミーヤで話していることもある。またフスハーで読み上げるニュース放送でも、ちょっとした相槌や本音コメントだけアーンミーヤに切り替えたりゲストはフスハー-アーンミーヤ中間体(混合体)やアーンミーヤで話したりと、文語と口語がある程度混ざっている番組も少なくない。

▶アラブの大学はフランス語か英語で授業をすることも多いため、「アラビア語圏の大学を卒業するためには、正則アラビア語の会話、読み書きに堪能でなくてはならない」とは限らず、大卒者間でのフスハー苦手率の上昇が昨今の課題となっている。また「フスハーの読み書きができる=フスハーを流暢に話せる」ではないため、アラブ人は大学・大学院卒で「フスハー流暢に話せる」というスキルを欠いていることが多い。特にマグリブ諸国はフランス語で教育を受ける期間が長い生徒・学生が多く、アーンミーヤ以外のフスハー運用能力が非常に少なく「フスハーは書くのも話すのも苦手」というケースがしばしば見られることでも知られる。

▶社会学科などは講義は英語やフランス語で授業をしない限りテキストやスライド・パワーポイント画面を読み上げる時はフスハーで先生のフリートーク部分はアーンミーヤになるため、本を読んで課題を書く部分だけフスハーができれば、残りの部分はアーンミーヤが重要になってくる。アーンミーヤを聞き・アーンミーヤで先生と質疑応答し・アーンミーヤで同級生たちと会話することは欠かせない要素で、2種類のアラビア語の使い分けという非アラビア語学科・非宗教学科所属の日本人留学生特有の事情に触れていない記事だと言えるかと。

ヌサーイド・シャフス・ワ・シャアブ

▶記事では定冠詞抜けあり。小池氏の実際のスピーチでは定冠詞ありの「ヌサーイド…アッ=シャフス・ワ・ッ=シャアブ」と発言。

アッラジーナ・ヤドルスーナ

▶現在の標準カタカナ表記は「アッラズィーナ・ヤドルスーナ」。アッラズィーナをアッラジーナとするのは、アラビア語本来のzi音やdhi音をji(ジ)音に置き換える日本語カタカナ表記による慣用だが、これをしてしまうと音の響きや長母音の有無で意味が全然違ってくるアラビア語の読みガナとしては△。日本における中東関連学界の標準的カタカナ表記であるアッラズィーナの方が望ましいものと思われる。

▶検証記事で正しい言い回しとして関係代名詞+動詞未完了形の الذين يدرسون が提示されているが、小池氏はリビア人学生たちを「タラバ・リービーイーン」と定冠詞無しの非限定形で話しているようなので、その場合は関係代名詞のアッラズィーナ除去が必要。「タラバ・リービーイーン(طلبة ليبيين)」のタラバのような非限定名詞に関係代名詞アッラズィーナをつけるのは文法間違い(*アラビア語では形容詞節による名詞の修飾的に扱う文法事項)なので、「アッラジーナ・ヤドルスーナ」となっている箇所は「ヤドルスーナ」のみにする必要あり。

この種のテレビ・インタビューは正則アラビア語で話すのが当たり前

▶100%フスハー会話以外の中間体(混合体)が多用されているアラブ諸国における現状に反する説明。政治家インタビューは文語-口語中間体(混合体)であることも多いので、「正則アラビア語で話すのが当たり前」という訳ではない。実際にエジプト大統領や閣僚の記者会見でもアーンミーヤ混じりだったり、舌を歯にはさむ子音の発音がはさまないエジプト式発音だったりする。エジプト政府閣僚の独占インタビュー番組ではエジプト方言全開のこともある。

▶軍部出身の現エジプト大統領はアーンミーヤ会話を行う人物として知られており、公的行事での演説・記者会見・エジプトメディアでの出演のいずれもエジプト方言で話している割合が非常に大きい。アラブ諸国では軍部出身者は文語アラビア語によるスピーチを重視しない軍人教育を受けてきたことから、フスハー会話が得意でない人が多い。少年期から英国留学生活を送りサンドハーストを卒業したヨルダン国王も軍人色が強い元首だが、即位当時はまだアラビア語の会話に苦労していたものの年数をかけ習得、現在は公的な場でのフスハー文読み上げ以外はアーンミーヤ会話を行っていることが多い。

▶文語の運用能力が低いためにフスハーとアーンミーヤの混成になっている場合でなければ現地でもよくあることとして問題視されない。逆にフスハーで通すと「インテリぶって民の気持ちに寄り添おうとしない」「偉そうにしていて距離感を覚える」などと言われることもあり、政治家のスピーチやインタビューでは一定割合のアーンミーヤ混入を意図的に行うことも珍しくない。フスハー会話が得意でない人が多いチュニジアでフスハー会話をポリシーとしてきたカイス・サイード大統領は文語アラビア語で話し続けるその様子と政治家としての人となりゆえに反対派から「ロボコップ(روبوكوب)」と呼ばれるようになったことでも有名。民衆が皆アーンミーヤを話しているのにフスハーを押し通そうとする政治家が「冷酷」「人間味に欠ける」と受け止められ得ることを示唆しているエピソードともなっている。

▶アーンミーヤ会話によって親近感と信頼を獲得したエジプトの有名人としては宗教家のムハンマド・アッ=シャアラーウィー師が挙げられる。彼は1960年代以降エジプトの(アル=)アズハル大学の一員として活躍を始め、1970年代以降はエジプト政府ワクフ省のトップとなったり、講話の録音・録画が好んで師視聴されるなどした。彼はイスラーム教の専門家としてアラビア語諸学の訓練を受けたため流暢なフスハーを話すことができたが、エジプトの民衆に語りかける時はエジプト方言で説き、問いかけ、語り合うというスタイルを得意とした。

▶知識人が話すフスハー割合が非常に高い会話は「知識人たちのアーンミーヤ(عامية المثقفين)」― Educated Spoken Arabic(ESA) ないしは Formal Spoken Arabic (FSA)ー と呼ばれ、一般庶民が話す方言オンリーの会話に比べると非常にかしこまった知的階層特有のアラビア語とされているが、インタビュー番組ではそうしたタイプのアラビア語が純フスハー会話の代替として広く用いられている。

▶そうした公的な場で用いる純フスハーでも純アーンミーヤでもないアラビア語についてはアラブ諸国でも世界各国のアラビア語研究業界でもよく知られた存在なので、アラビア語ネイティブである検証参加者のエジプト人ジャーナリスト氏が「この種のテレビ・インタビューは正則アラビア語で話すのが当たり前」と解説するということは考えにくい。そのため、日本人検証者氏側が「アラビア語には純フスハーと純アーンミーヤしかなく互いに分断されている」「それらを混ぜることは間違いとされる」という誤解から書かれた可能性が高いと推測せざるを得ない箇所となっている。

▶日本では長年こうした不正確な認識がアラビア語教育・学習者界隈で流布。当時学生だった世代が教える側に回った今でも完全には消えていない状態で、検証者氏が日本の語学学校でアラビア語を学ばれていた頃に見聞きされたそれらの誤情報がアップデートされないまま検証記事執筆時の論拠となってしまったことも考え得る。

サナ・リファーテット

▶実際に発音している「イッ」脱落等あり。エジプト方言としては定冠詞つきの「イッ=サナ・イッリ・ファーテト」だが小池氏は語頭の定冠詞は読んでいないようで「…ッ…サナ・イッリ・ファーテット」と会話。最初に微妙に「ッ」と言っているようにも聞こえるが、ヘッドホンを装着し音量を上げて聞き取りした限りでは「サナ・イッリ・ファーテット」。

▶実際の動画では「サナ・リファーテット」ではなくアーンミーヤ版関係代名詞 اللي を本来の重子音部分もそのままで発音しているので「サナ・イッリ・ファーテット」と聞こえる箇所で。最後の動詞完了形については fātet(ファーテト)とか fātit(ファーティト)のような活用が基本的だが、語末の t が重子音化した tt に聞こえることもあり、小池氏は著作の中でもそのような英字表記になるという特徴あり。そのため「サナ・イッリ・ファーテト」ではなく「サナ・イッリ・ファーテット」と発音しているものと思われる。

サナ・マーディーヤ

▶定冠詞抜けと語形取り違えによる余剰「ー」表記。今の時点から振り返っての「昨年(に)」という時は定冠詞アルが必要なので、「サナ・マーディヤ」ではなく「アッ=サナ(トゥ)・ル=マーディヤ」とする必要あり。また小池氏のスピーチ内では時を表す対格部分に当たるので、堅い文語発音だと「アッ=サナタ・ル=マーディヤ」(簡略化発音:アッ=サナ・ル=マーディヤ)に。男性名詞を使った同等表現としては「アル=アーマ・ル=マーディー」(非常に文語的な堅い発音:アル=アーマ・ル=マーディヤ)。

▶今では同義語として特に気にせず「(1)年」という意味で使っているサナ(سنة)とアーム(عام)。しかしクルアーン解釈をからめての語義解説では元々これらに違いがあったとしており、サナは雨不足による干ばつといった苦難に見舞われた年の時、アームはそうした災難が無く安寧に暮らせた年の時に使うといった区別を古のアラブ人たちはしていたといった記述も見られる。そこまで気にする場合、小池氏スピーチでは前向きな外交の話をしているので「アル=アーマ・ル=マーディー」(非常に文語的な堅い発音:アル=アーマ・ル=マーディヤ)を選ぶのが良いものと思われる。

▶マーディヤをマーディーヤのように誤読するのはネイティブのアラブ人にも日本人学習者にも非常に多く、この部分が検証者氏由来なのか、検証に参加したエジプト出身英語科卒のロンドン在住ジャーナリスト氏由来なのかは、判断が難しい。

クント・アンティ

▶記事の誤字ないしは誤植。小池氏が言っているのは「クント・アンティ」ではなく「クント・アンディー」。口語風の短母音化した「クント・アンディ」ではなくここでは「ー」と長めに発音しているため「クント・アンディー」と聞こえる。

▶主語が1語目の次の次という少し離れた後方に来る女性名詞であるという構文に反して、直後にある前置詞についている一人称の「私」に引っ張られて、カーナ動詞が一人称単数の語形クントになってしまっている箇所。

カーナット・アインディ

▶標準的カタカナ表記は「カーナト・インディー」。フスハー発音ということであれば最後は長母音なのでディではなく「ー」を付加したディーとする必要あり。なお語頭に母音アがつくアンディーは口語発音で文語発音がインディー。イの部分はアイと聞こえるほどの発音にはならないので、アインディー等とする必要はおそらく無く学界標準カタカナ表記のインディーで構わないとの印象。

▶インディーのように前置詞句といった別パーツで分断される場合はインディーの後が女性名詞でも「カーナト・インディー」ではないカーナが男性形のままの「カーナ・インディー」も可。

アルタキー

▶「リ・アシューフ」と言っている部分の置き換え候補で、堅いフスハー発音ならアルタキーではなくアルタキヤとした「リ・アルタキヤ」を用いる必要あり。口語風のくだけた発音だと未完了形動詞語末を接続形にせず「リ・アルタキー」とする人もいるが、ここは検証として堅い文語の正しい言い回しを提示するという目的なので、ブロークンなアルタキーではなくアルタキヤを第一に表記するのがベターかと。またアシューフと同じく see という語義のあるアラーを使った「リ・アラー」なども同等表現。

「ズィヤーラ(訪問)」の後、「(場所)へ」を意味する前置詞の「リ」を使うのもエジプト口語で、正しい前置詞は「イラー」

▶アラビア語文法の誤解部分で、前置詞イラーを使うのは正しいのではなくむしろその逆で間違い。ズィヤーラは他動詞の動名詞なので訪問地を示す名詞には本来前置詞は不要。それにもかかわらず前置詞イラーをつけるというのは「他動詞由来の動名詞に不要なパーツを足す」という種類の誤用でメディア関係者に非常に多い現象として知られ、アラビア語専門家らによって指摘される定番事項の一つともなっている。なおリはエジプト口語的なのではなく動名詞の行為の対象につけるリなのでイラーよりもむしろこちらのリの方が文語的。

「面会は、とっても、とってもよいものでした」と言うのに形容詞の「ラズィーズ」を使っていること。辞書によっては「甘美な」という意味も出ているが、実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語で、「面会は、とっても、とっても美味しいものでした」と話している

▶語義に関する誤認。小池氏は「会見は、とても、とても良いものでした」「会見は、とても、とても素晴らしかったです」などと伝えている箇所。

▶上記の通りジャーヒリーヤ時代から現代に至るまで食べ物以外の事物を良かったと思っている時にも使う形容詞で「良い会見」の意味。昨今でも会見・面談・トークが良かった時などの形容に用いられる。さほど多用・乱発はされていないが書籍・メディア等で実際に使用例あり。どちらかというと食べ物がおいしいという意味以外での使用は حلو(sweet、甘い)同様、文語よりも口語での使用が多いとの印象。

▶アラビア語学習者が使う定番の辞書は古くても19世紀、通常は20世紀に刊行されたもので現代標準アラビア語としてのフスハーの語彙を収録したものとなっている。そのため、現代刊行のアラビア語-英語辞書に「甘美な」といった意味が載っているのに実際のアラブ諸国では「甘美な」という意味で過去に使われたことも現役で使われていることも無いといったことは考えられない。廃れた語義ではなく実際に使われている語義だからこそ学習者でも使うような辞書にも載っている訳で、色々な辞書を見れば「おいしい」以外の用例も複数掲載されている現状を考えると、検証者氏側の単純な誤解か、本当は辞書に色々な用例が載っているのを確認済であるにもかかわらず日本人読者のほとんどがアラビア語に詳しくないことを前提として「話者はこんなにあり得ない誤用をしていて、実際には食べ物にしか使わない形容詞を面会という単語に使っている」という話を作ってしまわれたかのどちらかの可能性が出てきてしまい、どのような経緯で”実際には食べ物にしか使わない「美味しい」という意味の語”になってしまったのか大きな疑問が残る点となっている。

「タルビーヤ」を使っているが、これは「子供を躾ける」という意味

▶タルビーヤは語形取り違えによる余剰「ー」表記。正しくは「タルビヤ」。かつここでは定冠詞があるので、タルビヤ部分を単体で抜き出す場合は発音省略部分を戻した上で「アッ=タルビヤ」とするか「(ア)ッ=タルビヤ」などが良いかと。

▶タルビヤは「養育」「教育」「飼育」「しつけ、マナー」といった複数の意味があり、教育という意味ではタアリーム(تعليم)と同義語だとアラビア語大辞典などにも書いてあるので、誤用とするのは不適切である可能性が大きい。動画の文脈からすると定冠詞をつけてアッ=タアリームで「教育」とするのが一般的だとも思われるが、タルビヤは比較的低年齢の園児や小学生の教育や礼儀・生活習慣指導といったイメージが強めで、小学校教育に関する書籍・記事では「小学校における新しい教育手法」といった言い回しの時にこの「タルビヤ」という語が使われるなどしている。日本式小学校の設立といった事業がエジプトと合同で進められた件などを照らし合わせればアッ=タルビヤでも構わないのでは、との印象。ちなみに日本の文部科学省に相当するエジプト教育・技術教育省の名称は وزارة التربية والتعليم [ wizāratu-t-tarbiya(ti) wa-t-ta‘līm ] [ ウィザーラトゥ・ッ=タルビヤ(ティ)・ワ・ッ=タアリーム ](分かち書き:ウィザーラト・アッ=タルビヤ・ワ・アッ=タアリーム、英語名称:Ministry of Education and Technical Education)で、タルビヤを education という語義として用いており、これらからもタルビヤが「子供のしつけ」という語義しか持っていないという説明が正しくないことがわかる。

▶実際のスピーチでは「教育の分野で」という意味で「フィー・マガーレ・ル=タルビーヤ」と言っており、小池氏はタルビヤのタルビーヤ読みと、定冠詞と t(ت)音を同化させずに読んでいる箇所。なので単語の意味を間違えているというよりは、子音字の発音間違いや語形違いによる余剰長母音挿入に当たる部分。

▶タルビヤをタルビーヤのように誤読するのはネイティブのアラブ人にも日本人学習者にも非常に多く、この部分が検証者氏由来なのか、検証に参加したエジプト出身英語科卒のロンドン在住ジャーナリスト氏由来なのかは、判断が難しい。

ヤアニイ

▶アラビア語では يعني と書くので、声門破裂音+母音イの يَعْنِئِ を想起させるヤアニイよりも標準的カタカナ表記のヤアニーが無難かと。もしくは口語的な語末長母音の短母音化を反映した「ヤアニ」など。

ムシュ・ケダ

▶小池氏はエジプト方言全開で生活されていたことをセールスポイントにしているため、他のスピーチでもこのムシュ・ケダをわざと使って笑いを取っている実例あり。なおアラブの政治家や知識人もフスハー会話の時にこうした軽いフレーズや合いの手類はアーンミーヤになっていることが多いので、この部分に関しては「完全な誤用やスキル不足との認定はやや難しく、ネイティブもしばしばやることがある。なのでわざと言っている可能性も否めない。」判定になるかと。

JBpress 2024.4.24
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/80469

ムハッタス(specialist)、ムサッジル(registrar)、ムラーキブ(controller)、ムラージウ(checker)

▶全て定冠詞抜け。定冠詞を全部抜いてカタカナ化するのは日本語表記時の慣例だが、ここではアラビア語検証記事なので定冠詞がある方が良いかと。実際の文面通りに記載するならば全て定冠詞「アル=」が必要。書類に書いてある通りにカタカナ化する場合は、アル=ムフタッス、アル=ムサッジル、アル=ムラーキブ、アル=ムラージウ。

ムハッタス(specialist)

▶派生形第8形動詞能動分詞の語形間違いによる誤読と定冠詞抜けで、実際の文面は「アル=ムフタッス」。ムハッタスだと本来の خ ص ص ではない非実在の خ ت ص を語根の組み合わせとみなしたことになり、語形としても派生形第2形動詞の受動分詞になってしまう。

▶「al-mukhattas」や「mukhattas」と検索しても المختص の当て字としてこの読み方をしているのは日本のサイトが掲載しているこの検証記事の英訳版しか出てこない。そのためネットに出されている記事で「mukhattas(ムハッタス)」と誤読しているのはこの検証記事だけ、ということになるかと。日本人学習者の大半が使用してきたHans Wehrの辞書にはどのように発音するかを示したラテン文字転写「muktaṣṣ」が添えてあることからすると、検証者氏が検証作業に使ったアラビア語-英語辞書がHans Wehrでなかった可能性も考えられる。

▶specialistとあるがここでは「専門家」ではなく「担当者、専任担当職員」といったニュアンスの部分。そのためカイロ大学の他の書式の卒業証書や他の大学の卒業証書だと الموظف المختص という表記になっていることも。ネット上の複数画像を見る限り、カイロ大学の他書式アラビア語版証書や英語版卒業証書にはこの担当職員署名欄が無い模様。またベンハー大学の英語証書はこの欄に当たる部分に「Official in Charge」、アレクサンドリア大学は「Officer」や「Prepared by」といった記載を行っている様子。要は担当部署の証書作成係の名前を書く欄らしいので、「スペシャリスト(specialist)」以外の訳が適当だったと思われる。

ムディール・アーンム・アッ・シュウーニ・タアリーミーヤ(general director for educational matters)

▶冠詞の位置と名詞-形容詞間での不一致ならびにアラビア語構文としての誤り。この語の並べ方だと「アーンム」はこの位置に置くことはできないが、実際に مدير عام الشؤون التعليمية(ムディール・アーンム・(ア)ッ=シュウーニ・(ア)ッ=タアリーミーヤ)としているネイティブ作成文があり、よくある誤用の類に当たるかと。ネット上にアップされているカイロ大学の卒業証書画像にも مدير عام التعليم といった عام の位置等が不自然な表記があり、正則文法としては問題があるものの慣用的に証書に書き込まれてきた言い回しである可能性が高い。ただし検証記事では一般的誤用から更に定冠詞が除去された مدير عام الشؤون تعليمية(ムディール・アーンム・(ア)ッ=シュウーニ・タアリーミーヤ) になってしまっている。文法的には المدير العام للشؤون التعليمية(アル=ムディール・(ア)ル=アーンム・リ・(ア)ッ=シュウーニ・(ア)ッ=タアリーミーヤ)とするのが正則的で、実際にアラブ諸国でもこの言い回しが使われている。ネイティブ的誤用を考慮に入れても、「アッ・シュウーニ・タアリーミーヤ」には定冠詞の付加が必要で分かち書きである「アッ=シュウーニ・アッ=タアリーミーヤ」ないしは実際の発音に即した「アッ=シュウーニ・ッ=タアリーミーヤ」とする部分。なお、ネット上のカイロ大学の卒業証書画像では 実際に مدير الشؤون التعليمية(ムディール・(ア)ッ=シュウーニ・(ア)ッ=タアリーミーヤ)といった役職名での記載も見られた。

敬称に「サイイダ」(Ms.)ではなくサイイド(Mr.)

▶定冠詞抜け。実際の文書では定冠詞がついているので、書くとしたら「アッ=サイイダ」や「アッ=サイイド」。

▶正しくは”敬称に「アル=アーニサ(Miss)ではなくアッ=サイイド(Mr.)”かと。既婚者と未婚者とまとめて「Ms.」と呼ぶことは米国の女性権利運動として1960年代に始まり1970年以降に各国で少しずつ広がっていったもの。小池氏が卒業した当時はそうした欧米式の敬称つけに関する認識は今よりもずっと薄かったはずだが、アッ=サイイダを「Mrs.」と「Ms.」両方にあてることは現在に至るまでアラブ世界では浸透しておらず、アラブメディア等でも未婚女性を既婚女性と同じ「アッ=サイイダ」と呼んでいる事例はまず見かけない。エジプトの大学証書画像を実際に複数見た限りでは、現在でも未婚女子学生はアル=アーニサ(Miss)、男性学生はアッ=サイイド(Mr.)。なのでここは”敬称に「サイイダ」(Ms.)ではなくサイイド(Mr.)”が正しいのではなく、”敬称に「アル=アーニサ(Miss)ではなくアッ=サイイド(Mr.)”と書くべき部分となっている。

▶小池氏はエジプトで学生結婚をされていたということなので、卒業時既婚者かつ大学がそれを把握していたということであれば「アッ=サイイダ(Mrs.)」の敬称が最も適切だったと言えるが、流麗なカリグラフィー書体で書かれた証書の方では未婚女子学生であることを表す敬称「الآنسة」(アル=アーニサ、英語の「Miss」に相当)が使われているのを確認可能。カイロ大学側は独身女子学生の卒業として記録していたものと思われる。

▶今でもアラブの大学生や若者世代に対しては女性がアル=アーニサ、男性がアッ=サイイドなりの敬称をつけることは変わらずアラビア語学習者が覚える基本語彙ともなっているが、検証者氏が在籍していたカイロ・アメリカン大学が早い時期から米国式に「Ms.」を導入していたため本検証記事がこのような記述になったのかどうかは別途確認の必要あり。

「マウルーダ(女性形)」ではなく「マウルード(男性形)」

▶定冠詞抜け。実際の画像では「アル=マウルーダ」や「アル=マウルード」。

「ハサルト(女性形)」

▶動詞完了形の誤読で、母音aが必要な部分が無母音化されてしまっているいわゆる活用間違い。ハサルトは「私が取得した」という一人称単数ハサルトゥか、「男性のあなたが取得した」のハサルタの語末にある人称に関わる子音字についている母音を読み飛ばした口語的発音。ここでは三人称女性単数形「彼女は取得した」なので正しくはハサラト(ḥaṣalat)。

▶これの口語読みで重子音化して聞こえる発音に即してハサラットと書く人もまれにおり、検証記事シリーズでは同様の三人称女性単数形語末部分は「イッリ・ファーテット」のように「ト」ではなく「ット」の付加となっている。そのため検証師が活用間違いをしていなければ記事では「ハサラット(女性形)」となっていた可能性が高い。

「(~の)求め」にも「タラブハー(彼女の求め)」ではなく「タラブフ(彼の求め)」

▶直前に前置詞があるので、証書の中に出てくる形の通りに発音するのであれば属格で読む必要あり。タラブハーやタラブフと読むのは格変化部分の誤読か、格変化部分を無視して全部同じ母音と語形で読み上げるアーンミーヤ的な読み方。ここでは前置詞アラーが前にあるので、フスハー度が高い音読をする場合はそれぞれタラビハーとタラビヒ。

JBpress 2020.6.22
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61009

4年間アラビア語で勉強し、教科書を読み、毎年論文式の試験も突破して卒業したのなら、フスハーで話せないことはあり得ない。英語でも同様だが、普段その外国語で話す環境になくても、その言語で文献を読んだり、文章を書いたりしていれば、それとほぼ同じ水準で話すことができる。

▶アラビア語の文語-口語併存状況(ダイグロシア)ならではの特徴、英語と事情が全然違っている点に反した部分。

▶アラブ人はごく一部を除き「フスハーの文章を書くスキル≠フスハーで話すスキル」である方がむしろ普通。小学校からいわゆる国語教育としてアラビア語のフスハーを学び続けるのに流暢にフスハーでスピーチする能力が向上しないまま社会人となるアラブ人が多いことはアラブ諸国のアラビア語専門家らの間で非常に問題視されており、衛星放送とネットにおけるアーンミーヤの洪水状態に押されてフスハーへの関心が次第に薄まり、高いフスハー運用能力を備えたアラブの若者が減ってきていると警鐘が鳴らされたりもしている。日本人留学生についても同様で、フスハーを多用する環境にある学科を除き、日常会話はアーンミーヤで読み書きがフスハーという具合に「話す」技能だけ口語寄りになりやすい。

▶アラビア語学科や宗教学科を除きアラブの大学はアーンミーヤかフランス語・英語で授業が行われるため、ネイティブも留学した日本人学生も「実際に話すのはアーンミーヤで、フスハーは四技能のうち読む・聞くがメイン。書くのはあまり得意ではない人もいて、しゃべるとなると無理…となる割合がさらに高くなる」のがよくあるコース。

▶アラブ人は日常生活でフスハーを使わないためフスハーでスピーチする能力を伸ばす意欲を持たない場合が多く、エジプトは特にその傾向が強い地域。エジプトは大卒者でもフスハーでの会話が苦手な人の割合が高めなことで知られ、「フスハーは筆記で点数を取れればそれでおしまい」と割り切っている学生が多い。エジプトは昔から日本人留学生の間で「モロッコとかほどではないものの、みんなアーンミーヤでしゃべるしフスハーで話しかけるのも嫌がられたりするので、住んでもフスハーで話す能力がアップしづらい」ことで有名な国の一つ。エジプトに住んでいながらフスハー能力を最短期間で向上させるために周囲のエジプト人との会話までフスハーで通し3~4年でかなり話せるようにするのは可能だが、アズハル大学あたりに留学しているのでない限り相当な変わり者として扱われてしまうため、アーンミーヤを避け続けるのは難しい。エジプト留学経験者のフスハー会話能力については、そうした現地事情を考慮に入れる必要もあり。

▶日本人でこれまでに留学してフスハーがペラペラになった人は、主にアラビア語学科や宗教大学の卒業者や外交のために専門訓練を受けた外務省員など。アラビア語を専門としている人物でエジプト事情をある程度知っている人であれば「エジプトの大学の社会学科は日本人留学生がフスハーの会話能力を向上させられる環境だ」と考える可能性は低く、「本を読んで課題は書けるかもしれないけど、しゃべる方はばりばりのエジプト方言なのでは。無理してフスハーをしゃべらなくていいと言ったら、エジプト方言オンリーに切り替わってもうちょっとスムーズな会話ができるのでは。」と受け止める方が自然かと。

2018年7月1日『日刊ゲンダイ』
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/232415
https://twitter.com/harukosakaedani/status/1013185511593148416

正則はコーランが基で、アラブのあらゆる国で通じるが、口語は地域限定。口語は、ちょっと地域を離れると、全く通じないという。政治家の演説やニュース、文献には正則が用いられ、口語は一般人が世間話をする際に使われている。

▶フスハーとアーンミーヤに関する誤認あり。口語アラビア語は同じ系統の方言であれば距離が離れていても通じる。そのため現在のサウジアラビアからスーダンに移住した部族は今のサウジ人が聞いてもすぐに理解できる方言となっている。アラブの部族民は遊牧生活や飢饉といった色々な理由から移動、色々な国にまたがって暮らしていることも多い。そのような血縁関係を持つ部族に関しては、ヨルダンとサウジアラビアといった違う国に住んでいる同士でも話すアラビア語や衣食住・慣習が似通っている。

▶違う系統の方言だとほぼ理解できないというのは仕事・教育・メディアを通じた相互交流が無かった大昔の時代の話で、テレビ放送が普及してからはアラビア半島のアラブ人がエジプトやレバノンのドラマを楽しむといったことが常態化し、聞くだけなら遠隔地域の方言数種類の基本会話を理解できるというのが普通になっている。そのため生身のレバノン人に会ったことが無いイエメン人が、レバノン方言による連続ドラマを毎週見ているといった事例も多い。

▶政治家の演説は正則アラビア語、正則アラビア語と口語アラビア語との混合、口語アラビア語のみと様々。

▶文語アラビア語と口語アラビア語との隔絶ぶりを強調したり、口語アラビア語の通じやすさが物理的な距離でのみ決まると記述したりしている点については、執筆者の事実誤認か事実を知った上での脚色のどちらかが原因として考えられるが、いずれの場合であっても修正が必要な部分だと思われる。

小池氏は正則アラビア語とエジプト口語をゴチャ混ぜにして話している。そんな話し方をすること自体あり得ない

▶先述の通り、エジプトにおいて正則アラビア語とエジプト口語との混合体(中間体)が色々な混ざり具合で実在するという現状に反している解説。アラブ諸国に第3のアラビア語とも呼ばれるフスハーとアーンミーヤのミックス会話が流布していることは昨今のアラビア語学習界隈でもかなり知られるようになってきている話で、アラブメディアを日常的に視聴している人であれば知識人であってもわかっていてフスハーとアーンミーヤを混ぜることは体感的に理解する現象となっている。それを「あり得ない」と完全否定されているとなると、執筆者の方が日常的にアラビア語を運用せずアラブ諸国でのアラビア語に関するここ数十年の現状を直接見聞きされていないか、知りながら小池氏批判記事を作成するという目的から完全否定されているかのどちらかになってしまうため、アラビア語に長じた専門家として同様の解説を長年にわたり色々なメディアで提供されている件については大きな疑問が残る部分となっている。

日本で6カ月程度勉強したレベル

▶日本で半年アラビア語を学習した人は、たどたどしくても会話をできないのが普通かと。日本で半年初級文法を勉強して「うー」「あー」混じりであっても一応言っていることがなんとなく通じる会話になるというのは、むしろだいぶできる部類に入るとの印象。

▶ネイティブのアラブ人で日本人を多数教えた経験が無い場合、非ネイティブの学習者がどのぐらい勉強するとフスハーで会話をできるようになってくるかといったことは正確には判断できず、アーンミーヤが難しいと訴える日本人学習者の悩みを理解するのも難しいことが多い。「日本で6カ月程度勉強したレベル」は日本人学習者の一般的な習熟度に通じていない人物による個人的感想であり、適切な表現でない恐れがやや強いとの印象。卒後かなりの年数が経過した小池氏のアラビア語については、その忘却分も加味した上で、エジプトにて習得できた文語アラビア語と口語アラビア語がどのようなものだったか、どういう部分を間違っているのか、日本人学習者で留学経験のある人物としてどの程度のスキルだと判断すべきか、などを適正に解説でき、かつ文語と口語の両方の事情に通じたアラビア語の日本人専門家に話を聞くのがベストだと思われる。

『週刊新潮』2024年4月25日号
https://news.yahoo.co.jp/articles/d75f3b226c0ab8e05c68b02e7d4cd24b8c296dad?page=2

アラビア語にはコーランにも用いられる文語と文字にできない口語の2種類がある

▶口語アラビア語が文字で表現できないという説明は誤り。現代のアラブ人たちは普段の日常会話で話している方言をそのままアラビア文字でつづるということを普通に行っている。

▶口語アラビア語はアラビア文字でつづることが不可能な言語なのではなく、元々口伝文化だったアラブ世界ではアラビア文字で書くことはフスハー専用だという意識が強かった。近代以前でも方言での語彙に関する記録や一部口語表現を混じえた詩などが書かれるなどしたり、アラビア文字表記に当時の方言における子音の置き換わりが反映されたりしていたことから、口語アラビア語をアラビア文字で記録するという行為自体は、元々物理的・システム的に不可能だという訳ではなかったと言える。

▶本格的な口語アラビア語の筆記がムーブメント化したのはアラブ世界の近代化が始まって以降とされる。アラビア語に関してもラテン文字表記や口語を取り入れた小説の発表など新たな試みが多数なされるなど、状況は大きく変化。エジプトでは1857年にエジプト農村の説話や詩歌を口語表現そのままに掲載した『هزّ القحوف في شرح قصيدة أبي شادوف』が出版された [ ソース ]。また非ネイティブ向けの口語アラビア語教材に関してはラテン文字で転写するといったことも行われた。それまでフスハー文を汚すとして敬遠されていた方言会話の大幅導入という動きは1900年代半ば頃に加速し、エジプトのナギーブ・マフフーズやスーダンのアッ=タイイブ・サーレフといったアラブ世界が誇る文豪らが口語会話を特徴とした作品群を発表した。

▶録音技術や書き残すという習慣が定着していなかった時代の大衆芸能や詩歌はかなりの割合で忘れ去られてしまったが、現代では各地で人気の口語詩がネット上で発表され、文字化されたテキストや本人が朗唱している様子を撮影した動画が拡散され人気を博している。イラクのシーア派追悼詩界隈でも詩の本文、朗誦者による公式ビデオ(音楽のミュージックビデオとほぼ同じ)が有名ポップソング並みの視聴数を獲得するといった、巨大な動きとなっており、口語アラビア語のアラビア文字表記という行為の存在感は非常に大きい。

彼女の文語は初歩的で、文語を話す際にも口語が交ざる。カイロ大を卒業できるレベルでないのは明らか

▶単に文語アラビア語と口語アラビア語を混ぜているだけでは、その人物のアラビア語が初歩的であるとは断定できないので誤解を招く表現かと。実際には中間体(混合体)話者は、文語アラビア語に極めて堪能/文語アラビア語はまずまず話せる/文語アラビア語が苦手で語彙力と文法力が不足しておりフスハー会話を試みるも明らかに無理をしている様子がある、といった様々なケースに分かれるため、それらをふまえた上で本件がどのケースに該当するのか説明してないと日本人読者は「フスハーとアーンミーヤを混ぜて話すのはアラビア語が下手だという証拠に必ずなる」と誤解してしまう恐れがある。

 

(2024年5月 アラビア語関連記事に関する備忘録)

 

3日でおぼえるアラビア語 3日でおぼえるアラビア語
著者:小池 百合子
出版社:学生社