目次 | 概要 | キャラ一覧 | 声優 | 物語背景 | インタビュー | 反応と話題 | 先行配信視聴方法
映画のストーリー
公式サイト・報道より
舞台は古代のアラビア半島。交易都市メッカ(*マッカ。当サイトでは普段アラビア語文語発音に基づいたマッカという表記を使っていますが、このページのみ作品に合わせて以後メッカで通します。)に対して強硬手段をとった侵略者アブラハの軍隊とメッカの住民らとの間に戦いが勃発。
映画におけるアブラハの要求内容は
- カアバ神殿と石(*おそらく今も残されている黒石のことかと思います)を破壊すること
- 信仰を捨てること
- アブラハ側への隷属
主人公アウスはメッカ側の志願兵。過去の罪に対する贖いと家族を守るという目的のために戦闘に参加することを決意。
アウスはトレーラー(トレイラー)動画にもあった通り子供時代に盗賊らに両親を殺されており、孤児となってからは自らも盗賊に。ある時に盗みに入った先の家主だった陶工ジュバイルのお蔭で更生し、養子となったことでイブン・ジュバイルと名乗るように。メインキャラクターのヒンドはジュバイルの娘で、アウスは彼女と結婚し息子ワハブも誕生。
アブラハ軍はアビシニア(エチオピア)の軍象舞台を率いてメッカへ。恐れをなしたメッカ軍の中で活躍したのがアウスと幼馴染の傭兵ズララ。
戦争はメッカ側とアブラハ側の代表戦から開始。メッカ側からアウス、ズララ、ニザールが名乗りを挙げ…
象の年の話から着想を得た歴史ファンタジー
ジャーニーは預言者ムハンマドが生まれる直前の話
舞台は今から約1500年前のアラビア半島、今のサウジアラビア王国がある辺りとなります。一帯がイスラーム教化する前の時代で、西暦で言うとだいたい500年代後半に相当します。
主人公らがメッカ防衛戦を繰り広げること(*実際には戦闘に至っておらずカアバ神殿に向かう前にアブラハ軍が崩壊したとされています)、敵将の名前がアブラハであることから「象の年」と呼ばれるアクスム軍による侵攻に着想を得た歴史ファンタジーであることがわかります。
マンガプロダクションズや東映の公式リリースでは「象の年の物語です」とは明記されていませんが、関係者がインタビューで「أَصْحَابُ الْفِيلِ [ ’aṣḥābu-l-fīl ] [ アスハーブ・ル=フィール ](*クルアーンの象の章で触れられている“象の仲間たち”のこと)」の時代の話だとコメントしています。
あくまで歴史ファンタジー
CEOも「歴史ファンタジーです」と明言している通り、完全な史実ではなくアラビア半島でイスラーム誕生以前のジャーヒリーヤ時代に起きた出来事を元にした冒険活劇となっています。同じ象の年をテーマにしたアニメの中では最もアレンジが入っているという印象です。
マンガプロダクションズのプロデューサー氏インタビューでは少年漫画・アクション傾向が強いと紹介されていますが、実際には主人公アウスが語り部となる預言者らの物語が挿入されており世界むかしばなしや聖書物語のようなパートとの混合です。
当時の文化・社会・宗教的状況や事件に関する伝承とは色々違っているのでサウジアラビアの歴史やアラブ社会について学ぶ教科書にするにはフィクション部分が多いです。パラレルワールドと言えるぐらいの近い差があるので、なのでジャーニーについては過去の出来事からヒントを得た娯楽作品として切り離して見るのが良いかもしれません。
イスラームにおける象の年とは?
象の年と象の章のつながり
象の年とはメッカで起きたと言い伝えられている出来事の伝承、象の章とは象を連れた連中がアッラーの神罰を受け壊滅したという内容の章句を指します。
クルアーン(コーラン)の象の章は象の年の出来事を示していると一般的に考えられています。そのためジャーニーのベースになったアブラハ進軍もサウジラアビアの民間伝承というよりはイスラーム共同体全体にとって非常に重要なクルアーンと神の奇跡の話として広く知られています。
預言者ムハンマドが生まれてイスラームを布教する前の時代なので日本では「イスラームとは全然関係の無い話」と勘違いされがちですが、大変イスラミックなストーリーでアラブ・イスラーム世界にはこれがクルアーンやイスラームと全く無関係の純然たる歴史物語だと思っている人はほぼいないと考えて差し支えないです。
イスラーム教の外から見た場合いわゆる歴史的事実ではなく宗教的事実に分類されるもので、アラブ世界やイスラーム諸国ではクルアーンの話もしくは預言者ムハンマド伝記作品の冒頭部分として映像化されてきました。
象の年の伝承が持つ宗教的意義
イスラームにおいて象の章と象の年の話はアッラーの偉大さと不信仰者への神罰、最後の預言者ムハンマド生誕が重なったという神の意思を伝えるエピソードです。預言者ムハンマドがこの世に遣わされるという超重大イベントが起きたとされる、ムスリム共同体の歴史にとって欠かせない話でもあります。
『ジャーニー』のモデルになったメッカへのアブラハ(関連記事:アブラハのプロフィールと権力奪取のいきさつ)進軍はクルアーンの象(アル=フィール)章と関連があるとされており、預言者ムハンマドはアクスム軍の進軍があった「象の年」(西暦570年頃、具体的には事件から約50日後のムハッラム月=571年2月)に生まれたと言い伝えられています。
象の章が象の年のことを指しているという碑文や書物による裏付けは無くアブラハのことにも触れられていませんが、一般的には象の年のことを語っておりメッカ目指して軍象を従えた軍団が迫ってきた時の話だと信じられています。
「歴史資料での裏付けが無い」「実際にある碑文と内容が合わずアブラハはメッカ目指しての進軍はしなかったのではないか」「象の年とされる570年には既にアブラハは没していた」「鳥の大群が襲ってくるとか嘘っぽい」と疑うことはイスラームの教えそのものに疑義を唱えることにつながるため宗教的には受け入れられていません。宗教界隈からは「新たに発見された遺跡と称し学術的な語り口でクルアーンの神の言葉に反することを真実であるかのように説き、読んだ者を信じさせようとするイスラーム破壊の企て」とされるのが一般的です。
歴史家の記述からメッカを狙って失敗したのはアブラハではなくその後に王位を継いだ息子の方だという説もありますが、イスラームにおいてはあくまでアブラハ王がメッカのカアバ神殿を壊そうとしたことになっています。
クルアーンの内容と預言者ムハンマド人物伝を支える伝承であることから、象の年を扱ったドラマやアニメは歴史作品というよりは宗教作品として扱われているのが現地での状況になります。キリスト教アニメ・ドラマ『聖書物語』のイスラーム版といったところでしょうか。
これまで象の年事件は大幅な改変・脚色を入れずにアニメ化されてきた宗教アニメジャンル向けの題材だったため、宗教機関が監修したというお墨付きを示すテロップが入るケースが多かったというのも日本では見られない特徴の一つです。
イスラームとアビシニア(エチオピア)
当時のエチオピアとアラビア半島情勢
アブラハは現在のエチオピアにあったアクスム王国から紅海を越えて侵攻した軍を率いていた人物で、キリスト教国だったアクスムと折り合いが悪く王がユダヤ教を信仰していたアラビア半島南部のヒムヤル王国と抗争。最終的にはアクスム側が王権を簒奪しヒムヤル王国は滅亡。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)→アクスム王国→ イエメン ←サーサーン朝ペルシア
といった具合にアラビア半島は挟まれており、イエメンにあった王国もこれらの勢力争いやユダヤ教勢力とキリスト教勢力との対立などに翻弄された形となりました。
アブラハはキリスト教の教会をイエメンに建設。多神教徒の巡礼者を集めていたメッカが邪魔になったため狙われ侵攻を受けたとされています。
キャラ紹介ページにも掲載してある図ですが、アラブにおける一般的な伝承(イブン・イスハークの『預言者伝』他)における象の年事件はこんな感じで起きたとされています。一神教であるユダヤ教とキリスト教、そしてアラビア半島の領土争いをめぐる戦争だったことがうかがえます。
イスラーム共同体におけるアビシニア(エチオピア)観
余談ですがイスラーム的視点ではアビシニアが好意的に捉えられているエピソードも存在します。
イスラーム教共同体が生まれた時代を描いた映画では多神教を奉じ巡礼により栄えていた町メッカの主だったクライシュ族に迫害されたムスリムらがアビシニア(エチオピア)に逃れるシーンが出てきます。
唯一なる神を信じないメッカの連中よりもキリスト教徒に近い考えを持っていたムスリム移住団を尊重し受け入れてくれたという美談として扱われており、アビシニア(アクスム)の王も理解ある公平な人物として描写されています。
アビシニア(エチオピア)の王は公正で大変優れた人格者だという噂を聞き、メッカにおけるイスラーム教迫害から逃れ移住を試みた一団。アビシニア王から移住を許されたシーンは大変有名で宗教映画でも詳しく描写されています。
上の動画ではイスラーム教徒らの信仰を正しい一神教と認め、移住団を受け入れないよう要請したメッカ クライシュ族使節からの金品を突き返す王の様子が写っています。ジャーニーでは北斗の拳風のヒャッハーな出で立ちだったアクスム王国人も、こちらの映画ではアフリカのキリスト教国らしいシンプルで落ち着いたデザインの服を身に着けています。
なお同じテーマを扱った作品によってはアビシニア(エチオピア)の王がイスラームの真なる教えに共鳴し秘密裏に改宗したという設定になっていることも。象の年とは年代的にそう離れていないのですが、このエピソードに関しては大変好意的な描写がなされています。
避難した一団のアビシニア(エチオピア)生活は比較的長く続いたため、アラビア語の会話に現地で覚えた単語が混じった状態で彼らは帰国したとか。移住団にいた信徒たちがそうした単語を使っていたことが記録にも残っています。
現代の対エチオピア感情
近年アラブ諸国とエチオピアはナイル川上流の巨大ダム建設をめぐって緊張関係にあります。アラブのメディアでは「エチオピアよ、またかつてのように愚かなことをするのか?」といった感じで南アラビアに侵攻した時代のことを持ち出して非難していることも。
アラブ世界にとってアラビア半島南部を支配し数々の部族を屈服させたキリスト教王国時代のことは今でも印象的なのかもしれません。
クルアーンや預言者伝における描写
クルアーンで語られる象の仲間たちの結末
日本語解説部分は上段が日本ムスリム協会発行『日亜対訳注解聖クルアーン』、下段がファハド国王マディーナ・クルアーン印刷コンプレックス発行『聖クルアーン日亜対訳注解』からの抜粋です。
- أَلَمْ تَرَ كَيْفَ فَعَلَ رَبُّكَ بِأَصْحَابِ الْفِيلِ
●あなたの主が、象の仲間に、どう対処なされたか、知らなかったのか。
●(使徒*よ、)一体あなたは、あなたの主*が、象の仲間たちにどのようになさったのか、知らなかったのか? - أَلَمْ يَجْعَلْ كَيْدَهُمْ فِي تَضْلِيلٍ
●かれは、かれらの計略を壊滅させられたではないか。
●かれは彼らの策略¹を、無に帰させられたのではなかったか? - وَأَرْسَلَ عَلَيْهِمْ طَيْرًا أَبَابِيلَ
●かれらの上に群れなす数多の鳥を遣わされ、
●そして、かれは彼らに、大群をなす鳥たちを遣わされたのだ。 - تَرْمِيهِم بِحِجَارَةٍ مِّن سِجِّيلٍ
●焼き土の礫を投げ付けさせて、
●彼らに、泥土からなる石を落下させる(鳥たちを)。 - فَجَعَلَهُمْ كَعَصْفٍ مَّأْكُولٍ
●食い荒らされた藁屑のようになされた。
●それでかれは、彼らを食い散らかされた枯れ葉のようになさったのだ。
クルアーンの象の章でははっきりと「アブラハたちが来た」と名指しはしていませんが、アブラハ率いるアビシニア(エチオピア)+ヒムヤル王国軍団がカアバ神殿破壊を試みるもアッラーが起こした超常現象によりボロボロの状態となってほぼ壊滅した事件を意図しているものと解釈されています。
なぜアッラーはカアバ神殿を救ったのか?
アブラハ率いるアクスム軍は当時多神教徒の巡礼地として栄えていたメッカのカアバ神殿から彼らが建設したイエメンのキリスト教教会に巡礼者を引き寄せようと考えるも上手くいかず、カアバ神殿の破壊を試みたとされています。
しかしアッラーによる奇跡が起こってアクスム軍の侵攻は失敗に終わったとされており、クルアーンの象の章と結びつけて語られることが一般的に行われています。
当時のカアバ神殿には偶像がたくさん祀られており唯一神アッラーだけを信じる姿とは大きく違っていましたが、イスラーム教では本来カアバ神殿は一神教の施設として預言者により建立されたと考えられており、偶像が持ち込まれ多神教の中心地として人々を集めていた姿は本来あるべき像から逸脱したものとされています。
それでもメッカ近辺には至高なる神・唯一なる神を信じていた人もいるにはいたようで、多神教施設のようになっていたカアバがピンチになった際にアッラーが登場するのもそのような背景があるためかと思います。
クライシュ族の族長であり預言者ムハンマドの祖父でもあったアブドゥルムッタリブは多神教が栄える堕落したメッカにありながら唯一神を信じており、アブラハがカアバ神殿を壊しに進軍してきた際もアッラーに祈ったとされています。
映像作品や学芸会の演目としての象の年
子供向けアニメ
閲覧注意
集合体恐怖症の方はご注意ください。空を黒っぽい鳥がびっしりと埋めて飛んでいるブツブツ系映像が2:35以降に出てきます。
象の章とアブラハ軍の進軍を結びつけたストーリーの動画は複数作られています。こちらはエジプトのスタジオが制作した3Dアニメーションですが、英語字幕がついているのでわかりやすくなっています。
動画は当時クライシュ族の長であったアブドゥルムッタリブ(預言者ムハンマドの祖父)がアブラハにより派遣された اَلْأَسْوَد بْنُ مَقْصُودٍ [ ’al-’aswad bnu maqṣūd ] [ アル=アスワド・ブヌ・マクスード ](アル=アスワド・イブン・マクスード)一行に略奪された200頭のラクダを返却するよう求めているシーンで始まっています。
*当時は ـقـ と ـفـ を区別する点が無かったためなのか、اَلْأَسْوَد بْنُ مَفْصُودٍ [ ’al-’aswad bnu mafṣūd ] [ アル=アスワド・ブヌ・マフスード ](アル=アスワド・イブン・マフスード)という表記になっていることも。
言い伝えでは、アブラハ一行に奪われたラクダを取り返した際アブラハとの会話で「ラクダたちについては自分がそれらの所有者だ。カアバの方についてはそれをお守りになっている主がおられる。」(=だからラクダを取り返しに来た持ち主の自分とは別に、カアバ神殿のことはその主である神がきっと対処してくださるだろう)と語ったのだとか。
こちらも子供向けアニメです。カアバ神殿に対抗して教会を建設したものの汚物をまかれたために「アラブ人め、よくもやりやがったな!」とアブラハが激怒したとされるエピソードが1:00頃に出てきます。
Taha Kids TVが放送した「象の仲間たち」に関するアニメ。クライシュの長であったアブドゥルムッタリブ一家だけが預言者イブラーヒーム(アブラハム)の子孫として正しい信仰を持っておりメッカの多神教徒の間で唯一アッラーを信心していたという設定になっています。
冒頭ではシーア派系チャンネルなので数多くいたアブドゥルムッタリブの子供たちの間でも、特にアブー・ターリブ(イマーム アリーの父)にもスポットライトが当たっている感じです。
このアニメではアブラハ(魔王風の外見で描かれている人物)が建てた教会に放火される、メッカ民に害を及ぶ可能性が相手方から示唆されたなど一般的な伝承とは違う展開の部分があるようです。
なおアブラハが建てた大聖堂がこのアニメの中で黄金色に描かれているのは、実際のクライス(クッライス)が金銀貴石をふんだんにちりばめた豪華絢爛な内外装だったとされていることに基づいたデザインだからかと思います。
宗教講話
こちらは宗教家が預言者ムハンマドの人物伝に関連して象の年の出来事を詳しく語っている説法系ドキュメンタリー風番組です。アブラハが大聖堂を建てたことに反発したアラブ諸部族連合とアブラハ軍が戦うもののアラブ側が敗北し捕虜となったこと等、子供向けアニメよりも内容が詳しいです。
上のアニメでは昼間に教会を汚したように描かれていますが、この動画では大聖堂の建立に反感を抱いたアラブ人の中に夜中忍び込んだ者がいて、大聖堂のところで不浄(具体的にいうと大小便の排泄行為)をしたためにアブラハが激怒しカアバ神殿破壊計画につながったと具体的なシチュエーションが語られています。
アブラハ軍侵攻を聞きつけて軍営まで駆けつけたアブドゥルムッタリブが実際に面会できたのは戦闘で負け捕虜になっていた知人経由で軍象の世話係に取り次ぎを頼み、アブラハに面会希望の話が伝えられたからだったといったエピソードも。
学芸会の劇
学芸会の演目にもなっており、YouTubeには色々な学校で撮影された動画がアップされています。クルアーンの朗誦を流しているシーンも。
ちなみに上の動画は預言者ムハンマド生誕祭の祝賀イベントとして演じられた象の年の演劇だそうです。
伝承における象の年~イブン・イスハーク『預言者伝』より
クルアーン注釈書や預言者ムハンマド伝といったアラブ・イスラーム的な言い伝えにおけるアブラハ軍のカアバ破壊計画についてまとめてみました。ここではまずポピュラーなイブン・イスハーク著『預言者伝』をベースに紹介したいと思います。
関連記事
『サウジ・日本合作アニメ映画『ジャーニー』について~(2)キャラ一覧&名前考察』
アブラハらアクスム王国の軍がアラビア半島南端にあったヒムヤル王国に侵攻してきた経緯やアブラハが王位に就いた時代の話は上記ページで紹介しています。
カアバの主である神を信じる心が奇跡を起こす
当時多神教信仰の巡礼地になっていたことを考えれば(イスラーム誕生期には360体の偶像が並べられていたとされている)カアバ神殿における最高神という意味でのアッラーを意味していたのかもしれませんが、イスラームという文脈においてアブドゥルムッタリブは一神教的傾向が強かった信心深い人物(ハニーフ)だったとみなされており偶像崇拝とは別次元に存在する唯一かつ強大者たるアッラーのことを言った的な理解がされています。
メッカ民が「もうだめかもしれない。カアバはアブラハに壊されるに違いない。」という思いで山から事態を見守っていたのとは違い、カアバの主が自ら神殿をお守りになるだろうと信じていたアブドゥルムッタリブ。(管理人が視聴した宗教講話では、アッラーのことを信じていたアブドゥルムッタリブはアブラハ軍に対する神罰に巻き込まれないよう山に逃げることを決めたような説明がなされていました。)
この象の章や象の年における重要ポイントは「アッラーが単独でアブラハ軍を壊滅状態にまで追い込んだ」という強大なる唯一神による勝利です。メッカの民は武装・迎撃せず山に逃げただけなのに、祈りが通じてアッラーのために預言者が作った館カアバを壊そうという不信仰者に自ら徹底的な罰を与えたという劇的な事件が象の年事件最大のテーマとなっています。
そしてその前代未聞の出来事が起きた象の年に預言者ムハンマドが生誕。誰もが忘れられない事件と奇跡と同じ時期にこの世に最後の預言者を授けたという神の叡智・取り計らいがあった、というのがイスラームにおける理解です。
ジャーニーはイスラーム教国サウジアラビアの作品なので唯一神を信じていた主人公らの敬虔かつ真摯な思いが報われ奇跡が起こった的なオチになっているのではないでしょうか。
日本語版公開にあたってのニュースリリースでは自分や仲間を信じる気持ちや希望を持つことの大切さがテーマになっていると書かれていましたが、アラブ・イスラーム的な文脈において信じることで奇跡が起こるというのは日本アニメにあるような「仲間がお互いに信じ合うと実力以上の戦果がもたらされる」というものではなく「神を信じる心の強さがミラクルを呼ぶ」という意味になることが多い気がします。もしかしたらアラビア語版ではそういうことになっているかもしれません。
仮にそうでなくとも、イスラーム教徒の視聴者はそういう見方をするものと思われます。
戦闘抜きでカアバ神殿の破壊のみを希望したアブラハ軍
現地で史実的な扱いをされていることも多い言い伝えによると、アビシニア側は一滴の血も流さずに済ませたいから戦争もせずひとまずカアバだけを壊したい、対するメッカ側は戦争に持ち込みたくないのはアブラハたちと同じながらカアバ神殿を壊されるのはお断りだ、といった感じの対立だったとか。
アニメ設定のようにメッカ防衛軍と対決した事実は無く、アブラハも戦争を起こしメッカ民を奴隷にする気満々といった感じではなかったようです。
アブラハらに対してアラブ人らが挙兵した時は普通に戦闘を行って戦利品を取ったり捕虜にしたりしているのですが、メッカに関する言い伝えではメッカ民の血を流す気は無いとしてカアバ神殿破壊以外の要求はしていないかったという内容となっています。
アブラハに対するアラブ人連合の蜂起
教会を建て「カアバ」という名前をつけメッカのカアバ神殿を狙うようになったアブラハに対して武装蜂起とカアバ神殿・聖地メッカ防衛の呼びかけをしたのはイエメン人のヒムヤル王族 ذُو نَفْر [ dhū nafr ] [ ズー・ナフル ](*[ nafar ] [ ナファル ] という表記もあるようです) で、それに呼応する形で臣民や周辺のアラブ部族民らが参加。しかし敗北を喫します。
アブラハは当初ズー・ナフルを殺害しようとしたのですがズー・ナフルが自分を殺すよりも生かして捕虜にした方が得策だと説得。アブラハ軍に同行することになったとされています。
交渉決裂とメッカへの進軍
アブドゥルムッタリブら一行は軍象を複数抱えたアブラハの軍営を訪れました。クライシュ側とアビシニア軍(ヒムヤル王国の王を名乗っていたアブラハ一行)との交渉が行われたのはターイフとメッカの間にあった اَلْمُغَمَّسُ [ ’al-mughammas ] [ アル=ムガンマス ](アル=)ムガンマス(*違う母音を補ってアル=マグマスと読まれていることも)。メッカ進軍に向けてアブラハらが宿営した場所だったとか。
伝承では捕虜となってアブラハ王の側に置かれていたズー・ナフル(/ナファル)がアブドゥルムッタリブと友人で、アブドゥルムッタリブはまずズー・ナフルにとりなしを頼んだのだとか。しかし捕虜となっていつ殺されるかもわからない身の上となった自分にはどうにもできないので、アブラハの象を世話している أَنِيس [ ’anīs ] [ アニース ] という男に取り次ごうと提案。
アブラハは預言者イブラーヒーム(アブラハム)の子孫であり威厳あるクライシュの族長であるアブドゥルムッタリブに特別なオーラを感じ取り比較的丁重に対応したとされていますが、カアバ神殿があると自分たちのキリスト教大聖堂への参詣者が増えないので壊したいという思惑があったアブラハとの交渉は決裂しメッカへの進軍を防ぐことはできませんでした。
アラブ史上最大の裏切り者アブー・リガールの死
イエメンのサナアからやって来たアブラハ軍は先にターイフを通ったとされています。そこで見た女神アッラート崇拝のための神殿をカアバ神殿と早合点し壊そうとするもターイフ民は勘違いだと訴えて阻止、恭順の意を示すとともにアブラハ軍をメッカまで案内してあげることを提案。
アッラート神殿の破壊を免れようとして聖地メッカへアブラハ軍を差し向けた彼らにはアッラーの罰が下されたとされており、メッカへのガイド役となりアブラハ一行に同行したターイフ民男性は道中で死亡。
この男性の通称は أَبُو رِغَال [ ’abū righāl ] [ アブー・リガール ](*口語寄りの読みだと思いますがルガールと発音されていることも多いようです)。アブラハ進軍時にカアバ神殿へと敵を誘ったことからアラブにおける裏切り者の代名詞になったのだとか。「アラブ史上最大の裏切り者」などと形容されていることも。
アブー・リガールは(アル=)ムガンマスで死んだとされており、メッカ巡礼後に(アル=)ムガンマスにあった彼の墓に投石するという行事までできたのだとか。イスラームのメッカ巡礼における石投げの儀式に似たような感じだったらしいのですが、象の年以後~イスラーム誕生までの期間において人々によって墓所への石打ちが行われていたとのこと。
山に避難したメッカ民が見たアブラハ軍の聖地侵入企て
映画ストーリー紹介では、アブラハ軍の進軍を受けて平和的解決を望んでいたメッカの民がアルファダという山に避難した、となっています。
アラビア語による象の年の出来事紹介ではメッカのカアバ神殿を取り囲むようにして並ぶ山々に移動してそこからアブラハ軍の動向を見守っていたと書かれていたりするので、言い伝えでは複数の山に分散して逃げたということだった模様です。
山への避難を指示したのはクライシュ族の族長だったアブドゥルムッタリブ。女性や子供といった住民らは山道や山頂へと先に逃げました。メッカの町に残った一団がカアバ神殿へ。アブドゥルムッタリブが扉の輪を握りしめ一行は神の助力を祈願。この後彼らも山に移動しメッカは誰もいない空っぽの状態に。
メッカはアビシニアと違い組織的な軍隊など持ち合わせていなかったので住民らは恐怖に駆られつつ避難。遠目にアブラハ軍と巨大な象たちを見てびっくり仰天したとされています。
ちなみにアルファダの山という名称は初めて聞いたのでアラビア語サイトでメッカのある山のリストを改めて確認してみたのですが、音的に似ている عَرَفَة [ ‘arafa(h) ] [ アラファ ] はあるもののアルファダ山という名称はアラビア語サイトでも英語サイトでも見当たりませんでした。
アブラハやサウジアラビアに関連したアルファダという語については بَنُو أَرْفَِدَة [ banu ’arfidah/’arfadah ] [ バヌー・アルフィダ/バヌー・アルファダ ] という名称があるのですが意味は「アルフィダ/アルファダの息子たち(/子孫たち/一族)」となります。この複合語でアビシニア人らを指すのだとか。
カタカナでアルファダと書くとそちらを連想できてしまいますが、ジャーニーのアラビア語版を見た現地観客のツイートによると作中では اَلْهَدَا [ ’al-hadā ] [ アル=ハダー ] 山(Al-Hada/Al Hada Mountain。メッカとターイフの間にある急峻な山。)として登場するとのこと。どうやら日本語版にする過程でハダーのhがf音に置き換わったファダというカタカナ表記になったようです。
アブラハ軍にいた象について
象の頭数
アブラハ軍の先頭をきって進軍してきた軍象の数については複数の説があるようで、14頭いた、12頭だった、8頭だけだった、いやたったの1頭だ、13頭連れていた、9頭連れていた、など様々なようです。
ただ一致しているのはある1頭の象の名前が مَحْمُودٌ [ mahmūd ] [ マフムード/マハムード ] だった点。クルアーンの注釈書(タフスィール)にもアブラハの象がマフムードだったこと、軍の先陣をきってメッカに迫ってきたことが記されています。(確固たる証拠は残っていないそうですが伝承としてマフムードという象の名前を書き残した資料が複数あるとのこと。)
巨象マフムード
アラブの歴史家らが記したところによると、マフムードというアブラハの象は見たこともないような大きくて強い象だったとか。ジャーニーに出てくるアブラハの象マフムードがやたら巨大に描かれているという評があるのも、アラブの歴史家らが伝えてきたこれらの伝承が原因だと思われます。
アブラハはメッカへと向かう前に本国のアクスム国王に象を派遣するよう要請。送られてきたのが国王の所有していたマフムードという名の巨象で、見たこともないサイズだったとか山のようだったといった形容をされています。
アラブの伝承ではこのマフムードがアブラハ軍の先頭に立っていたとされています。
カアバを壊そうとした不信心者に対する徹底的な神罰
アブラハ軍はメッカ侵入に備えて宿営していた(アル=)ムガンマス方面からやって来てメッカに入ろうとするのですが、アラブ人とアブラハとの抗争で敗れアビシニア側の捕虜になっていた نُفَيْل [ nufayl/nufail ] [ ヌファイル ] という男がアブラハの象マフムードの耳に
اُبْرُكْ مَحْمُودُ وَٱرْجِعْ رَاشِدًا مِنْ حَيْثُ جِئْتَ فَإِنَّكَ فِي بَلَدِ اللهِ الْحَرَامِ |
マフムードよ跪け。そして来た道をきちんと戻れ。お前はアッラーの聖なる地にいるのだぞ。 |
と囁きます。
聖地メッカとカアバ神殿に害をなしてはいけないことを悟った軍象が進めという命令を聞かなくなり全然違う方向に進んでしまい右往左往し、挙句跪くなどして立ち往生。イエメン、シャーム、東…とにかくカアバ神殿以外の方角を向いては跪いてしまい言うことを聞こうとしなかったため、メッカ手前ムズダリファとミナーの中間地点ワーディー・ムハッサル(ムハッサル谷)で足止めされてしまいました。
なんとかカアバの方角に象を進めようと必死になっているうちに空が真っ暗になるほどの鳥の大群が石を携えて襲撃してきた、といった流れだったようです。鳥たちはくちばしと両足にそれぞれ1個ずつ、合計3個の石を携えて海の方から押し寄せたのだとか。
アッラーが鳥の大群を遣わし、生き残ったアビシニア兵も死に、イエメンに戻ったアブラハも発病して死亡。アッラーのための一神教施設として作られたカアバ神殿を破壊しようとした者たちに徹底的な神からの報復があったというのがイスラーム的な解釈となっています。
なのでメッカ防衛軍から3人が選ばれ代表戦を行ったエピソードなどは映画ジャーニーのオリジナルということになります。なお一対一の対戦はアラブの歴史物語や伝記にもしばしば出てくるので、一騎打ち形式自体はアニメオリジナルではなくアラブスタイルを取り入れたと言えるかと思います。
現地でもアニメウォッチャーが「実際には戦闘はしていなかったのだが」と記しているのですが、エンターテインメント性重視で付け加えた創作が楽しまれるのか、それとも史実の改変だと評価されるのかは気になるところです。
映画と伝承との違い
アラブ人やイスラーム教徒であればジャーニーのストーリーと実際にアラブ・イスラームに残されている伝承との違いを知っている人が多いのですが、日本だとほぼ史実だと判断してしまう方も少なくないかと思います。なのでここではまとめもかねてジャーニーとアラブの伝承の違いについてまとめておくことにします。
主人公たちはイスラーム教徒だった?
史実ではキリスト教徒を信仰するアクスム王国側と当時多神教崇拝の中心地だったカアバ神殿を擁するメッカとの対峙という図式でしたが、作品ではキャラクターが全員唯一神アッラーの名前を口にしまたその名の元に祈願・宣誓をしているなどイスラーム教徒的な雰囲気が強くなっています。
実際のメッカや周辺では偶像崇拝が盛んに行われており、部族ごとに祀る神が異なっていました。石や木の像、神が宿っていると信じられていた色々な自然の産物に対し祈りが捧げられ、御神体的な物を携帯することもありました。鳥が飛ぶ方向で吉凶が占われ、旅路に出る際には多神教の神に安全を祈願するといった信仰生活でした。
そのため当時のメッカについて学んで知っているアラブ人たちは「当時も唯一神を信じていた人たちは少数ながらいたので、多神教色を廃してイスラミックな方向で脚色されているのだろう」と推測するなどしています。
エジプトの映画におけるイスラーム教誕生以前のカアバ神殿巡礼光景です。人々が唱えているのはアックという現イエメン付近に住む部族が皆で巡礼に訪れた際に実際用いられていたフレーズで、黒人奴隷2人を先頭に立てた行列が集団で祈りを捧げる様子を詩歌・朗誦にしたものです。
映画自体は女優のサービスシーンがあったり巡礼時に唱える文言の使われ方が間違っている(黒人奴隷に言わせていた一文をアラブ人の集団が自ら唱えている)など正確性に欠けますが、現代のアラブ・イスラーム世界における多神教時代のメッカはだいたいこんな感じのイメージです。
一方そのような時代にありながら唯一なる神を信仰していたイスラーム的な人物もいました。そうした人のことをイスラーム世界では حَنِيف [ ḥanīf ] [ ハニーフ ] と呼びます。要は、アラブ人アニメファンたちはジャーニーの脚色がメッカ民全体を多神教徒からそうしたハニーフに変える形で行われたと見ている訳です。
宗教的事実と娯楽映画における差異
現地での声
日本語の記事では「サウジアラビア人なら誰でも知っている昔起こった戦争の話」と紹介されていることがありますが正確な情報ではありません。というのもイスラーム世界の人々は「アッラーが人間の力も借りず単独で鳥の大群を使ってアブラハらがメッカに踏み入れる前に滅ぼしてしまった」と学んでおり、メッカ民が防衛軍を組織したとは誰も教えられていないためです。
クルアーンにまつわる伝承ではメッカの人々は山に避難し武器をとって戦うことはしなかったため、なぜアニメがそういうストーリーになったのか不思議がる声(詳しくは(6)視聴者の反応・ネット上の話題を参照願います)が多いというのが実情です。
宗教的史実の改変と見るか、それともクリエイティブな行為として許容すべきか戸惑っている人々の書き込みを公開前にSNS上でしばしば見かけました。イスラームの信仰に忠実な層からは抗議も出ており公開後どのように事態が動くのか気にかかってはいたのですが、どちらかというと試験的なマイナー作品で大きな話題にならなかったためか結局騒ぎになることも無く現地公開が終了したように感じました。
管理人自身も見ましたが、アブラハ侵攻にまつわる流れが伝承と大きく違っていたり、宗教・思想面での当時の様子とは異なる姿に書き換えていたり、当時漢らしく強い無頼として人気だった盗賊(サアーリーク)が非常に罪の重い人生の汚点となる稼業だとされていたりで、史実・伝承に近いイスラーム・歴史映画が好きなタイプの当方としては残念ながら好みとは違いました。
アラブやイスラームについて予備知識が無い方は楽しめると思うのですが、そうでない方に関しては評価がかなり分かれる作品かもしれません。
個人的にはサウジアラビアのエンターテインメント産業が取り組んだ軌跡を追ったり、才能ある地元のクリエイターたちの活躍や喜びを垣間見たりする機会として楽しませていただいた感じです。成し遂げるやる気、着々と前進する自信が作品に込められていて、若いサウジ人・アラブ人たちの旧世代とはまた違ったパワーが伝わってくるように思いました。
宗教的題材のエンターテインメント化と映画産業
イスラームの宗教的な史実を題材としていても映画というエンターテインメント作品に仕立てるため大幅に脚色を加えた例はジャーニーが初めてではありません。ドバイにあるサウジアラビア系スタジオが製作した『ビラール』も、ワクワク感を添えた娯楽作品になっているのと引き換えに皆が知っている史実とはかなり違っており議論の的となりました。
そうした改変は、アラブ製アニメ映画業界が拡大し観客数獲得や面白さを追求した作品作りをするケースが増えていく以上どうしても避けられない道なのかもしれません。
ともあれ、映画ジャーニーはムハンマド王太子(皇太子)個人の財団による若手育成事業の成功例としてクローズアップされ、応援・称賛の声が多数寄せられています。サウジアラビアのメディアは王族との結び付きが強いため、テレビ・ラジオ・雑誌が総出で応援し宣伝キャンペーンを行うといった感じで封切りを迎えました。
サウジアラビアはあらゆる業界に自国民が参入することを目指しており、労働力のサウジアラビア化(サウダイゼーション)推進も相まってマンガプロダクションズの事例は同国の理想的なモデルとして今後模範になっていくものと思われます。
伝承とジャーニー設定の違いリスト
映画:アブラハは商業価値の高いメッカを支配するために海を渡ってきた
アブラハは南アラビアで繰り広げられていたユダヤ教徒とキリスト教徒の宗教戦争が原因で進軍してきたとされています。ヒムヤル王国のユダヤ教勢力にナジュラーンのキリスト教徒らが虐殺される事件が起き、生き残りが東ローマ帝国に援助を要請。皇帝がアラビア半島から近いキリスト教国のアクスム王国に軍勢の派遣を指示したためでした。
要するに、アラビア半島に住んでいたアラブ系の人々が自ら招き入れた勢力だった、ということになります。
メッカは多神教崇拝の中心地だったために狙われたとも、商業の重要地点だったからだったとも言われていますが、アブラハ自らが書き残したとされるムライガーン碑文では言及自体が無く歴史学的な見地からはまだまだ謎に包まれている部分が大きいようです。
なお歴史書によってはイエメンが降雨に恵まれた豊かな過ごしやすい風土だったため、権力をつけ過ぎたアブラハを矯正するためにアクスム王国が派遣した兵士らが居座ってしまいアブラハ政権に合流。本国の王の目論見が外れたといった記述もなされているのだとか。
映画:アブラハは無慈悲な侵略者で強硬手段をとった
伝承では、メッカ手前の地点でメッカのクライシュ族族長アブドゥルムッタリブとアブラハが会談しています。
アブラハは預言者の末裔であり威厳あふれるアブドゥルムッタリブに敬意をもって接したとされています。両者とも戦闘を望まずアブラハも「抵抗さえしなければメッカの人間を一切攻撃しないし血も流さない」と約束したことになっていますが、カアバ神殿を壊す・壊さないという部分での交渉が決裂しアブラハはそのまま進軍。
アブラハはアニメのように次々と冷酷非情な要求を繰り出しておらず、アブドゥルムッタリブ(日本語版ではムッタリブ)も神を冒涜するならば必ず神罰が下るだろう的な厳しい言葉は口にしていません。
「奪われたラクダは飼い主の自分が責任をもって対処するが、カアバ神殿はその主である神が自分でお守りになられるだろう」という趣旨のアブドゥルムッタリブの言葉はアラブ・イスラーム世界でも有名ですが、アニメではもう少し両者の対立が追加されておりアブラハは「神の御業とやらがどのようなものなのか試してみようじゃないか」的な挑発をしたストーリーに変わっています。
蜂起して戦闘をしかけたヒムヤル王族ズー・ナフル(/ナファル)が命乞いをした際には殺さずに生かしておいたといった温情を示している一面も伝えられており、メッカ進軍に関しては無慈悲な侵略者というよりはカアバ神殿を邪魔扱いして壊そうとした不信心者・不届きな王という扱いが強いように感じます。
だからといってアブラハが常に温厚だったという訳ではなく、ムライガーン碑文にはイエメン王族やアラビア半島南部の部族民らを殺害したことが書き残されていますし、政敵だった祖国王族の血を引く人物をを一騎打ちの末に殺害したり、ヒムヤル王から王妃を奪って子供を産ませたりもしたとされています。奴隷からの叩き上げ軍人だったようなので戦争・政争に関しては非常にリアリストだったのかもしれません。
映画では突き抜けた悪人として描かれていますが実際の伝承ではかなり違った感じなので、興味のある方は本などを読まれることをおすすめします。
映画:カアバ神殿の石の破壊を要求した
伝承では特にそこまでの細かい言及は無く、カアバ神殿自体を石ころになるぐらいにバラバラに破壊しようとしていたというストーリーどまりとなっています。
当時のカアバ神殿は偶像崇拝隆盛時代で黒石と並んで数百体の偶像が並べられていたといいます。今のような黒石以外に目立つ物がない状態とは大きく違い、キスワという黒いカバーも違う色をしていたとされています。後世になって改築されたのですが象の年があった頃はもっと低い建物だったとのこと。
当時ユダヤ教徒・キリスト教徒や一神教的傾向を持っていたイスラームに近い思想を持っていたメッカ住民は少なかったのですが、ジャーニーを見ただけだとイスラーム教徒の戦いだと勘違いされる方がいるかもしれません。
ちなみに現在もあるカアバ神殿の黒石はジャーヒリーヤ時代からあった物が壁に取り付けられている形で、巡礼者が口づけをすることで知られています。アニメでアブラハが壊そうとしている黒い石はこの石を指しています。
映画:メッカの民に信仰を捨てるよう要求した
伝承では、当時多神教崇拝の巡礼地だったメッカが人気すぎてアブラハ自身が作ったキリスト教大聖堂になかなか礼拝者が来なかったのでカアバ神殿を邪魔に思い始め、アラブ人が起こした教会内汚物事件を機に激怒して破壊を決めたといった描写がなされています。
キリスト教の大聖堂に巡礼者が多く集まるようになる=アラブ人のキリスト教徒が増えることを暗に示しているのですが、メッカ民に対し信仰を捨てるようにとの直接的な要求は言い伝えられていません。
ちなみにアラブ人のキリスト教改宗に対して熱意がより強かったのは一騎打ちでアブラハによって王位を奪われ殺されたアルヤートの方で、アブラハはどちらかというと現実的な考えを持った人物だったという話も伝わっています。
アクスム王国のカレブ王はヒムヤル王国のユダヤ教徒王によるナジュラーン在住キリスト教徒大虐殺を受け討伐部隊とその指揮官として身内のアルヤートを派遣したのですが、アブラハはそのアルヤートを殺してしまい王は激怒。アブラハは絢爛豪華な大聖堂を建てた後、カレブ王に対してあなた様のために建てた教会にアラブ人たちが(キリスト教徒に改宗して)大勢が巡礼するように尽力します、と約束しており王の歓心を買う意味も少なからずあったようです。
映画:アブラハは無神論者的傾向が強かった
キャラクター紹介・考察におけるアブラハのプロフィールでも書きましたが、彼はキリスト教国出身の指揮官でアラビア半島南部(現在のイエメン)にいたユダヤ教徒勢力との戦争のために海を渡ってきました。
キリスト教の教会を建立した他、彼が書かせたとされるムライガーンの碑文も「慈悲深きお方(*神のこと)とそのキリストの御力によって」という一文で始まっており、彼がキリスト教・唯一神・キリストを信心していたことが確認できます。
映画を通じてイスラーム教的な一神教と神を信じない無神論者との戦いであるようなイメージを抱く方も少なくないと思われますが、実際の伝承ではセム系一神教同士の戦争に多神教時代のメッカが関わったという構図になっています。
映画:メッカ側に隷属するよう脅した
イエメンではユダヤ教側についたヒムヤルとキリスト教勢力の先鋒となったアクスム王国から来たアビシニア(エチオピア)人との戦争が続いていましたが、多神教徒が大半だったメッカに対して一神教同士で繰り広げていた宗教戦争の延長としての隷属脅迫をしたという伝承は特に無いようです。
メッカそのものの明け渡すようにとの要求もアニメオリジナルかと思います。
ただ大聖堂を建ててキリスト教の影響力を広げようとした上にカアバ神殿まで壊そうと計画したアブラハに対してイエメンのヒムヤル王国王族が呼びかけ臣民やアラブ人らが蜂起した時には戦争状態となり、捕虜にして戦利品を取るなどしています。そしてメッカに進軍した時にはアブラハ軍に捕虜となったヒムヤル系ほかアラブ人が同行させられ道案内をしていたとされており隷属状態にあったことがうかがえます。
映画:アブラハ軍とメッカ住民が戦った
アブラハ一行とメッカ住民の間に戦闘は起きていません。
メッカ住民は戦闘を望んでおらず皆山へ避難したためメッカは空っぽの状態にされたことになっています。志願兵を募ったり代表戦を行ったりした記録は無く、メッカ住民は逃げる・神に祈る以外の具体的な抵抗活動はしなかったことになっています。
預言者ムハンマド伝によれば、最初の頃メッカ地域に住むクライシュ族(キナーナ族の支族)、キナーナ族(クライシュ族の元になった部族)、フザイル族(キナーナの近縁部族)がアブラハ軍に対して武器をとって戦おうと計画は立てたそうですが、アクスム王国から送られてきた本国人やイエメンで集めた地元民らを抱えた大規模なアブラハ軍に抵抗できるだけの力は有していないことを悟り実行に移さずに終わったとのこと。
ただ象の年関連のアニメ・ドラマ動画でもここまでの細かい経緯を紹介しているものは少なく、メッカの住民が山に逃げた話のみ触れられているのが一般的なように思います。
クライシュ族長だったアブドゥルムッタリブ一家だけが唯一なる神を信じていたのでカアバに残って真摯にアッラーに祈ってから山に移動した一方多神教の信徒だった他の住民は普段享楽的な生活ばかりしていて抵抗できるだけの戦力も備えておらずさっさと逃げた、といった皮肉めいた描かれ方をしていることも。
映画:メッカが志願兵を募り防衛軍を編成した
伝承において、アブラハに対して武装蜂起の呼びかけをし実際に戦闘までしたのは(現代で言うところのイエメン人である)ヒムヤル王族ズー・ナフル(/ナファル)らで、それに呼応する形でヒムヤル臣民と周辺の部族民らが参加。敗北してズー・ナフル(/ナファル)は捕虜となってしまいます。
映画では主人公らがアブラハ軍に捕らえられ首をつかまれているシーンが出てきますが、実際にそのような目に遭ったのは主にイエメン地域の住民らでした。現在のサウジアラビア南部にもアクスム王国側の影響が及んだ地域がありましたが、そちら(ナジュラーン)は虐殺の被害者となり東ローマ帝国やアクスム王国の支援を受けたキリスト教徒らの地でした。
この戦いはメッカに伝わる象の年のエピソードとつながりがあるのですが、起こった地域も関わったアラブ人の顔ぶれも違うので別枠といった感じになるかと思います。
アブラハの象マフムード(/マハムード)の耳に「ここは神の聖地だぞ」と囁きかけたアラブ人男性ヌファイルもメッカ住民ではなく、蜂起が失敗して捕虜となりアブラハ軍に連れて来られていた خَثْعَم [ khath‘am ] [ ハスアム ](当時のイエメン古代王国地域にいた部族)民だったとされています。
彼は象に囁きかけた後、これから起こる混乱を避けるべく山へと逃げ先に避難していたメッカの人々に合流したのだとか。ヌファイルはイエメンの民でカアバ神殿に対する信仰のことをよく理解していたので破壊を試みる輩が無理やり聖域メッカに入ろうとすればどんなことが起きるのか予想できておりアブラハ軍から離れたほうが安全だと判断したのだ、とイスラームの宗教講話などでは語られたりもしています。
映画では緊迫した戦闘シーンにおいて象も色々と動きを見せていますが、伝承では聖地メッカに入ることは叶わず、メッカ近くの地点で使い物にならなくなり言うことを聞かなくなったとされています。
映画:メッカ民が象に踏み潰され殺害された
メッカ民が処刑として象に踏まれるシーンは映画のオリジナルです。
伝承によると象はメッカに近づけず何の悪さもできず、メッカ側に被害が及ぶ前にアッラーが人智を超えた力で妨害し無力化してしまいました。またメッカ民は皆山に逃げてしまったので象による圧死は語られていません。
他の地域ではアブラハ軍に打ち負かされアラブ人が殺害される敗戦が起きているので、映画に出てくるような死者が並んでいる光景が見られたものと思われます。
3つのサイドストーリー
挿話はクルアーンに出てくる預言者たちの物語
キリスト教やユダヤ教ではなくイスラームからとられた題材
『ジャーニー』には象の年以外にも主人公が語るサイドストーリーが複数登場する入れ子状・劇中劇方式になっており、日本語版予告編動画の後半に画像が出てきます。
現代のアラブ・イスラーム世界においてはいずれもクルアーンに出てくるアッラーの奇跡や神罰に関係のある物語で、偶像崇拝をやめ唯一神信仰という正しい道に戻るようにと警告する預言者の言葉を無視し危害すら加えようとした人々がその身を滅ぼすという結末になっています。(ジャーニー本編と同系統のいわゆる「信じる者は救われる」系の話です。)
ヌーフやムーサーは旧約聖書と共通の物語であるため日本の観客の中には「キリスト教の話が挿入されている」「イスラーム以前ということで主人公らがユダヤ教を信奉していたから、サイドストーリーが旧約聖書ベースになっている」と勘違いされた方が結構いらっしゃったようです。
入れ子状の構成
日本の視聴者からすると本編にいくつもの挿話が入れられると気が散ってしまい冗長に感じられるかもしれませんが、アラブ・イスラーム世界の宗教アニメでは後の時代を生きている主人公もしくは周囲にいる親しい人物がクルアーンに出てくる神様の物語を語って聞かせるという入れ子状の劇中劇スタイルがポピュラーです。
現地の観客には馴染みのあるストーリー運びだと言えますが、一つの作品にサイドストーリーがここまでたくさん入れられているのは珍しいです。
レビューを見ると子供時代から何度も何度も読み聞かされてきたストーリーが改めて登場人物によって語られている上に分数も長いため、アラブ諸国では「シナリオ構成に問題がある」「アラブ人には退屈」という辛口評価の一因となりました。アラブのアニメファンはONE PIECEのような純東映アニメ・少年アニメを求めてチケットを買った人が多く、日本で言うならば元寇テーマのアニメに何故か皆が子供時代に絵本やテレビで見て既に知っているような日本の神話が複数挿入されている状態に近かったため、そのような評価になったのは仕方が無かったのかもしれません。
預言者ヌーフ
イスラーム版ノアの方舟と聖書との関係
大きな船と色々な種類の動物たちが描かれているシーンが預言者ヌーフ(聖書におけるノアに相当)の物語部分です。クルアーンの第71章『ヌーフ』や第11章『フード』等に登場するイスラームの教え(唯一神アッラーから預言として直接授けられた過去の預言者らの物語)になります。
日本では旧約聖書の物語として有名ですがイスラーム圏ではクルアーンの物語という扱いです。アッラーの教えはどのセム系一神教でも基本的に一緒とされますが正しく理解し道を逸れること無く実践しているのが完成形であるイスラームだとされています。聖書と共通ではあってもストーリーや解釈がところどころで異なっていたりします。
そのためイスラーム教徒たちはノアの方舟の物語に関して旧約聖書を参照するのではなく上位互換扱いされているクルアーンとその注釈書、預言者伝の類を通じて学びます。
預言者ヌーフの警告と大洪水
最初の人間として神により創造された預言者アーダムの死後、地上では次第に偶像崇拝が広がり唯一神アッラーへの信仰から離れていきました。弱者は蹂躙され権力者らは思うがままに振る舞うような社会に神は預言者ヌーフを遣わします。
神は唯一であり彼だけを信じなければいけないこと、不信仰者に下される厳しい神罰を心配し偶像崇拝を捨てるよう勧めに来たというヌーフに対して有力者らは耳を貸さず嘲笑。虐げられていた弱者らの一団がヌーフを信じるのみでした。
ヌーフは大変な長命で950年間警告・伝道を続けたもしくは生きたとされています。しかしその伝道活動は権力者らの心を変えることはできず、最終的にはアッラーからやがて神罰が下されることを知らされ逃げるための船を作るよう命じられます。
いよいよ大洪水が迫ってきた時、ヌーフは各動物のつがいを乗せ、そして家族の一部や信者らが同乗。ヌーフと共に方舟で逃げたのは3人の息子 سَام [ sām ] [ サーム ](セムに相当)、حَام [ ḥām ] [ ハーム ](ハムに相当)、يَافِث [ yāfith ] [ ヤーフィス ](ヤペテに相当)で、後に各民族の祖先となりました。
ヌーフの家族の中にはアッラーからの警告・啓示を信じず船に乗らなかった者もいました。息子のうち كَنْعَان [ kan‘ān ] [ カンアーン/カヌアーン ](カナン。イスラームでのみ登場するヌーフの4番目の息子。)は山に登れば助かるから船には乗らないと言いましたがアッラーの警告を信じなかった不信仰者として溺死。子孫を残すことはかないませんでした。
アラブ世界で映像化された預言者ヌーフの物語
子供向けのアニメシリーズなどが象の年・象の章同様に制作されています。イスラームの物語、預言者物語としての映像化であるためエンターテインメント色は薄めです。対象年齢が上がるほどクルアーン朗誦等の入る割合が高めになります。
エジプトのATA Animation Studioというアニメ制作スタジオによる2020年ラマダーン向け連続アニメです。ラマダーン作品ということで30日連続で毎日放送。最終回である第30話にて大洪水が起きます。
「気違いがこんな砂漠地帯で船なんか作ってるぞ。」と馬鹿にする人々の目前でも黙々と大工仕事に励んでいる光が預言者ヌーフを表しています。20:38頃に出てくる青年が溺死してしまうヌーフの四男になります。彼は一緒に乗るよう心配する父の呼びかけに従わなかったために命を落とします。
エジプトの国営テレビ局が昔制作した『預言者たちの物語から』というクレイアニメの預言者ヌーフ回です。オープニングにエジプトの宗教機関であるアズハルが監修したことを示すテロップが入っています。
Cedars Art Productionというレバノン系プロダクション(連絡先住所はマーシャル諸島になっています)が制作した『クルアーンの女性たちの物語』。動画は預言者ヌーフの悪妻回の第3話目で方舟に乗らなかったため溺死したシーンが出てきます。
彼女は夫が布教している唯一神アッラーへの信仰と偶像崇拝からの脱却を受け入れなかっただけでなく、迫害者らと共にヌーフを嘲笑したといいます。クルアーン第66章の中では、預言者ルート(ロトに相当)の妻と並んで信仰において夫を裏切った者としてアッラーが火獄送りにしたことが語られています。
預言者フード
円柱都市イラムの伝説
巨人族らしき面々や円柱に支えられた建築物が写っているシーンですが、進撃の巨人からインスピレーションを得たものではなくアラブ・イスラーム世界に伝わっている巨人族(アード族)と預言者フードの描写であるものと思われます。
アード族は預言者ヌーフ(ノア)と方舟で逃れた息子サーム(セム)の息子イラムの子孫たちで、非常に力が強く背がとても高い民族だったとされています。
彼らが住んでいたのはイエメンからオマーンにまたがるハドラマウトの付近(アル=アフカーフ)だとされており、高い柱に支えられた天幕や宮殿があったといいます。
イラムという名前はサーム(セム)の息子の名前だったと言われていますが一方で円柱が立ち並ぶイラムという地名としても残っており、「円柱のイラム」は砂漠のアトランティスとして紹介されていたりします。
アード族にふりかかった神の怒り
巨人族だったアード族は自分たちの力を誇っており権勢をふるい弱者を蹂躙。最初の人間であり預言者でもあったアーダムの頃からずっと続いていたアッラーだけを信じる一神教はここで再び損なわれ、3体の偶像が神として崇められていたとのこと。
同族の中からアッラーによって選ばれたフード(*旧約聖書のエベルに相当すると言われています)。預言者として警鐘を鳴らし、祖先ヌーフを信じなかったせいで不信仰者らがどのような神罰を受けたかを思い出すよう人々に説いて回りました。
しかしアード族の人々はフードを気違い扱いし改心することはなく、神は日照りという報いを人々に与えます。この旱魃がアッラーからの罰であり信心すれば止むというフードからの警告を聞き入れなかったため、大地はますます干上がっていきました。
木々も作物も枯れ果てた頃、突然真っ黒な雲が空に立ちこめました。アード族は恵みの雨をもたらす雲が来たと大喜びしますが、じきにそれが大災害をもたらす異様な雲であることに気付きます。非常に強い風が吹きすさび、震えるような寒さが襲ってきたためです。
アード族は逃げ惑い強風から逃れようと宮殿、住宅、そして天幕へと隠れましたが風は追いかけるようにして中へと入り込み、人々は空高く吹き飛ばされ体と頭部は切り離され、その身は裂かれ命を落としました。
風は7晩(8日)街を襲い続け、大きな体と強い力を誇って驕り高ぶりアッラーを信じようとしなかったアード族は滅びました。預言者フードと彼を信じて付き従った信徒たちだけが暴風から逃れ生き延びることができたといいます。
*そびえ立つ建物を作った民が神の怒りを買うストーリーということでバベルの塔の物語に似ていますが、一応別の話になります。
関連記事
- 『亡びたアラブ・アード族伝承』
堀内勝先生によるアード族やアラビア半島南部にある巨人伝説に関する詳細な論文です。
アラブ世界で映像化された預言者フードの物語
ちょっと古いですが預言者フード伝のアニメです。孫がおじいちゃんからイスラームのお話を教えてもらうという今でも続く宗教アニメの劇中劇・入れ子方式になっています。
紙芝居風のお話動画です。アード族が巨人族で力が強かった一方で賢さは欠いていたという伝承などにも触れています。クルアーンの該当箇所を朗誦した音声がところどころに入ります。
青い字でどーんと入る字幕は الله [ アッラー(フ) ] という1語になります。
エジプトの国営テレビ局が昔制作したクレイアニメ『預言者たちの物語から』の預言者フード回です。
預言者ムーサー
イスラーム版モーセの物語
エジプトで暮らしていたイスラーイール(イスラエル)の民の一団。横暴な権力者であったフィルアウン(ファラオ)の時代にとある予言がもたらされます。エジプトの神官が伝えるところによると、イスラーイールの民に生を受ける男児がやがてエジプトの王を滅ぼすであるとのこと。
ファラオはイスラーイールの民の赤ん坊らを殺すよう命令。息子の行く末を案じていたムーサーの母にアッラーから指示が下されます。神の声の通りに川へと流されたムーサー。
彼は王の妻に拾われ息子同然に育てられることになります。赤ん坊はどの乳母候補も受け付けず途方に暮れていたところ、話を聞きつけたムーサーの上の姉が血縁関係を隠した上で自分の母を推薦。ムーサーは実の家族の元で離乳までの期間を過ごすことに。
成長したムーサーはアッラーから言葉を授けられ神の預言者となります。しかし傲慢なエジプト王はムーサーからの警告に耳を傾けることは無く、アッラーによる奇跡を目にしてもなおムーサーを脅迫。
ムーサーらがイスラーイールの民を連れ紅海を渡ることとなった時、フィルアウン(ファラオ)らが追撃。すると突然海が二つに割れ、ムーサー一行は無事に向こう岸に行くことができました。一方ファラオとその軍隊は海の中に出現した道に侵入するも途中で水が戻り溺死。
神からの警告、使徒からの忠告、目の前で起こった奇跡を受け入れなかった不信仰者にアッラーが神罰を下した形となりました。
アラブ世界で映像化された預言者ムーサーの物語
預言者ムーサーの物語はとてもポピュラーで、預言者ヌーフや預言者フードよりも作品化された数が多いものと思われます。色々なアニメの動画がYouTubeでも公開されています。
ラマダーン向け連続アニメシリーズ『كَلِيمُ اللهِ』[ kalīmu-llāh ] [ カリームッラー(フ/ヒ) ](Kaleem Allah、カリーム・アッラー)。エジプトのスタジオが作った恒例のラマダーン宗教アニメシリーズの一つです。
最終回第30話の終わりに海の中に飲み込まれ命を落とすファラオたちの様子が出てきます。
紙芝居風のお話動画です。30話も作らなければいけないラマダーンドラマと違い、必要なエピソードだけを並べた簡潔な作りになっています。
エジプトの国営テレビ局が昔制作したクレイアニメ『預言者たちの物語から』の預言者ムーサー回です。海の波に揉まれるファラオとその軍勢が工夫して撮影されています。
神話というよりは聖典・経典の中の説話
日本語で書かれた『ジャーニー』作品レビューではこれらエピソードがアラビア半島の古い神話と書かれたりしていますが、聖書やクルアーンの物語だと言った方が正確であるものと思われます。
当時のメッカにはまだ預言者ムハンマドも生まれておらずイスラームも確立していませんでしたが、既にユダヤ教徒やキリスト教徒がいました。そのためノアの方舟やモーセ一行の出エジプトは彼らが信仰していた聖典に出てくる宗教的な史実という位置づけだったと言えます。
アブラハたちアクスム王国や現サウジアラビア南部のナジュラーンはキリスト教徒・現イエメンはユダヤ教徒の土地であり、多神教が盛んだったメッカの民よりもノアやモーセの物語は強く信仰されていたものと思われます。映画は主人公らがセム系一神教的傾向が強く逆にアブラハらが蛮族であったようなイメージを与えますが、実際には逆なのでは…という気もします。
その辺りについてはフィクションとして現代サウジアラビアに寄せた内容で描写が行われているものと思われます。
هذا التقرير عن فيلم الرحلة، أول فيلم أنمي سعودي – ياباني لشركة مانجا للإنتاج