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題名からはアラビア語初学者のための文法書を想像するが
実質的には古典アラビア語を学びたい人向けの特殊な入門書
欧米諸語で書かれた専門書を読み始める前の1冊に最適
著者:池田 修
題字・巻末文字表:吉田左源二
出版社:岩波書店
著者の先生について
1933年兵庫県生まれ。1956年大阪外国語大学アラビア語科卒業、1966-1967年イラク バグダード大学留学、1977-1979年カイロ大学で日本語教師として勤務。1980年大阪外国語大学教授就任、1993-1999年同大学学長、1999年名誉教授。その後四天王寺国際仏教大学(アラビア語アラビア文化専攻があったため。なお後に四天王寺大学に改称。)、四天王寺大学教授。
アラビア語教育関連では本書ならびに『現代アラビア語小辞典』(共著/第三書館)。
前嶋信次先生の後を引き継いで『アラビアン・ナイト』翻訳を完成。1992年第28回日本翻訳出版文化賞(日本翻訳家協会)受賞。 その他アラブ文学の日本語訳多数。
本の概要
●1976年に岩波書店から発売。全312ページでアラビア文字表の付録ページつき。カセットテープは別売りではなく付属品で最初から同じケースに入っています。自分が購入した古書はあまり読み込んだ形跡が無く、カセットテープも新品同様でした。
●絶版なので古本市場で探す必要があります。自分が購入した数年前はまだ複数出回っていたのですが、2022年3月時点ではすっかり流通数が減少。入手困難になる日もそう遠くなさそうです。図書館に置いてある大学も少なくないようなので、必要な方はまず借りてみることをおすすめします。
●内容は以下の通りです。概要なので各課の名称とは一致していません。
- 1~12:アラビア語の概要、アルファベット、発音記号、句読点、数字など
- 13~15:冠詞、名詞文、人称代名詞(独立形)
- 16:性
- 17:数
- 18~20:格、属格による限定、前置詞の属格支配
- 21~22:人称代名詞(接尾形)、’innaとその姉妹語
- 23~25:形容詞、比較級・最上級、合成形容詞
- 26~29:動詞、強動詞・完了形・能動態と受動態、動詞文
- 30~31:強動詞・未完了形・直説法、動詞kānaの用法
- 32~36:指示代名詞、関係代名詞、疑問詞
- 37~38:接続法、呼びかけ
- 39~41:要求法、命令形、強調形
- 42:動詞派生形の意味傾向
- 43~44:重子音動詞、ハムザ動詞
- 45:弱動詞
- 46~50:ハムザや複数の弱文字を含む動詞、その他の動詞
- 51~55:動名詞、分詞、分詞類似形容詞、場所と時を示す名詞、器具名詞
- 56~61:個体表示名詞、多数表示名詞、容器表示名詞、関係形容詞、抽象概念表示名詞、縮小名詞
- 62:格の用法
- 63~67:例外表示文、否定文、疑問文、条件文、願望文
- 68~71:基数、序数、分数、日時
- 72:辞詞
- 73:韻文(定型詩韻律論の紹介)
- 練習問題解答
- 動詞変化表
- 索引
- アラビア文字書き順一覧表(スルス書体)
●練習問題は中世の書物からの抜粋が多いです。終盤はほぼ1ページまるごとがアラビア語文(母音記号と単語説明つき)で全文和訳するようになっています。古典のアラビア語文を扱っている点では同じですが、井筒俊彦先生の文法書『アラビア語入門』(井筒俊彦全集 第十二巻/慶應義塾大学出版会)よりももう少しアラビア語ができる方を対象にしている感じです。
●まえがきに「入門書にふさわしい事項を、古典・現代のいずれにもわたるよう欲張って、網羅的にとりまとめることに努めた」とありますが、先生の好みもあってか古典部分にかなりの文字数が割かれており現代文のニュースや新聞に対応する能力向上に直接役立つ情報は少ないです。実質的には古典アラビア語メインでやっていく予定の学生さんが欧米諸語で書かれた分厚い文法書に入る前に読むダイジェストといった感じに仕上がっています。
●アラビア語での品詞分類が名詞、動詞、不変化詞の3つだけであることを前提とした文法解説なので、分詞や形容詞の性質・関係性もとらえやすいです。指示代名詞の遠称も لِ が無いものとあるものとで表が分けてある、二段変化と三段変化の解説が詳しい点なども好印象です。
●一方、アリフの発音、アラブ式ではpolarity(極性、対性)の考えをする数詞の文法で ثَلَاثَةٌ を男性として扱い数えられる対象との性一致を行うと説明している点など、欧米式文法書的な記述もところどころで見られました。これらの点については内記良一先生の『基礎アラビヤ語』の方がよりアラブ式文法を意識した解説になっていると思います。
●古典文法を扱った海外の文法書同様弱文字の性質をかなり詳しく説明しているので、他書で弱動詞を勉強している時にその部分だけでも参照すると理解が深まると思います。弱文字の性質を覚えることで不規則動詞の活用をいちいち丸暗記しなくても強動詞の活用表にあてはめながら自力で語形を推測できることができるようになり、後がすごく楽になると個人的には感じました。
●古典アラビア語における分数の表現、millionが導入される前の1,000,000が紹介されていたり(ライト文法書と同じ)と、かなり細かいです。日本語で書かれた他の文法書には書いていないようなことを知りたい方にはおすすめです。
表記・誤字脱字について
●1976年に出版された本ですがアラビア文字は母音記号まで全部活字でとても読みやすいです。ただアラビア文字のフォントサイズは日本語部分とあまり変わらないので小さいです。発音記号つきのアラビア語部分が縦の長さを取るので、日本語文の行間を広めに取ってあります。
●語末 ـي はエジプト方式で弁別点が無くアリフ・マクスーラと区別がつきづらい点無しヤー(ـى)です。定冠詞も ال ではなくハムザありの أل です。日本で出回っている新しい文法書はもうこの表記を採用していないので、アラビア語にまだ慣れていない時期に読むと混乱される方が多いかもしれません。
●巻末の書き順表は標準的なナスフ書体ではなくスルス書体なので普段のノート書きに使う字形とだいぶ違っています。書き順と各文字の形は他書や当サイトの『アラビア文字の書き方を覚えよう』で紹介しているようなフォントを覚えるのが良いと思います。
●表紙や巻末文字表を担当した吉田左源二氏は皇室の御紋・御印のデザインを担当されたことでも有名な方だとか。イスラーム文様を研究、『アラビア文字の美』という本も出されています。
付属カセットテープについて
カセットテープ外観とパソコンへの取り込み
購入後、まずカセットテープ音源のMP3化を行いパソコンやタブレットに入れました。取り込みやファイル編集作業の詳細は『アラビア語学習書のカセットテープをデジタル化』で紹介している通りです。
カセットテープは全部で2個。厚紙のケースに貼られたクッション材にはめこまれた状態で入っており、本とセットで外側のケースに収納されています。
自分のところに届いた付属カセットは未使用だったのか非常にきれいでした。古いカセットテープは保存状態が悪いとカビが生えますがこちらは無事でした。テープ切れもせずに無事にパソコンへの取り込みとMP3作業を完了させることができました。
概要
●カセットテープは2個。MP3化し分割したファイルの合計はだいたい1時間43分ぐらいになりました。
●初めに女性の声でページ数や項目名のアナウンスが入ります。その後エジプト人の先生による音読がずっと続きます。
●まえがきにはアズハル大学のアブデル・ラヒーム博士が吹き込みをされたと書かれています。ゆっくりはっきり発音されていますが、クッターブ(寺子屋)の授業のような感じで抑揚が少なくいわゆる棒読み系かもしれません。聞き流してのリスニングではあまり耳に入ってこない部類のナレーションだと感じました。なおエジプト的なアクセントはあまり無く癖が少ない発音です。シャッダがついた時の رّ はかなり力強くクルアーン朗誦ではNGな過度のふるえ音系です。
感想
●題名が『アラビア語入門』なので勘違いしそうになりますがレベル的に初級文法書とは言い難いです。カバー範囲はそう広くありませんが内容的には完全に中級文法書(しかも古典文法色が強い)だと思います。エジプト式表記で ـي も ـى になっていたりするので弁別点無しのヤーとアリフ・マクスーラをまだ見分けられない時点の方は避けた方が良いかもしれません。
●大学のアラビア語教科書に少し項目を足した程度の構成ですが、アラビア語の詩の韻律論が載っていたり、通常の入門書とは全く違うアラビア語学的にレベルが高い内容になっていたりするので、最初の1冊に選んでしまうと書いてあることの意味がほぼわからずギブアップされる可能性が非常に高いです。中世に書かれた文章に興味が出てきた/専攻の都合上必要が生じた頃に読むのに向いていると思います。語学・文法学方面の関心が強いアラビア語専攻学生さんにもおすすめです。
●気になる記述もあったため100点満点大絶賛というのとは違うかもしれませんが、個人的にこうした系統の文法書が好きなこと、海外の有名文法書を池田修大先生が的確にまとめダイジェスト化されていて絶版になった今でも高い評価を得るべき存在であること等から★5個としました。
アラビア語入門 著者:池田 修 出版社:岩波書店 |