目次 | 日本でのイメージ | 比喩表現 | 製品デザイン | イスラーム | 多神教時代
イスラームにおける太陽と月
クルアーンにおける太陽と月の姿
クルアーン(コーラン)に出てくる太陽の創造や運行に関する描写をピックアップしてみました。(内容解説の逐語訳ではありません。)
- 神は太陽・月・昼・夜を創り、太陽と月が定められた軌道を運行するように命じられた。太陽と月の運行は全知全能の神が定めた摂理である。
- 太陽・月・星々・山々・草木・動物・人間、あらゆる存在が神にひざまずき従う存在である。
- 太陽・月は神の徴であってひざまずき仕えるべき崇拝対象ではない。太陽・月に関しては創造主であるアッラーに対してそうするべきである。
- アッラーが太陽を灯明とし、月を光とし、人々が年数と計算を知るために星宿を割り当てられた。
- アッラーは太陽・月、昼・夜を人々に従わせ役に立つようなものとして創造された。
日本語で書かれたアラブ・イスラーム文化に関する解説を読んで「神は人間に試練を与えるために太陽を創造した」と覚えている方もおられるようなのですが、クルアーンで語られる太陽像とは異なっています。(太陽・月が人間等の役に立つように作られたというくだりがあります。)
預言者言行録(ハディース)における太陽と月
預言者ムハンマドがどのようなことを語り行ったかということを周囲の人々が伝えその真贋や信憑性の吟味とともにまとめたのがハディース(預言者言行録)ですが、そこにも太陽や月の話が登場します。
- 最後の審判が迫りいよいよ終末の刻が到来すると、神は太陽に対し東ではなく西から昇るように命じる。人々は皆それを見て唯一神アッラーを信じざるを得ない状態になる。
- 太陽と月はヤウム・アル=キヤーマ(復活の日)にたたまれてしまいその光を失う。
- 日食・月食は(人々が信じているような)人の死・誕生に合わせて起こるものではない。アッラーがその信徒を畏怖させるためにもたらされる神の徴である。
イスラームにおいて被造物である太陽・月は神の徴
基本的にイスラーム的な価値観では自然界に存在するものは全て唯一神アッラーの創造物であり、太陽や月の人智を超えた神秘的な有り様や星の運行などは神の御業という扱いをされます。
良いことも悪いことも含めてこの世にあるものはアッラーの意思によるものと見るため、その大きさや光の強さなどにおいて差はあれど太陽神vs月神の熾烈な争いといった対立ストーリーは存在しません。
時々「イスラーム圏では太陽よりも月の方が神聖視される」と書いている方がいらっしゃるのですが、特にそのような差はありません。
神による被造物としての太陽について解説しているイスラーム系ドキュメンタリーチャンネルの番組です。預言者ムハンマドが「太陽と月はアッラーの御徴です」と語ったとされること、太陽はアッラーの命を受け光と熱を発しこの世を照らしていることなどが科学的な図説とともに説明されています。
被造物であるあまたの星々・惑星の中でも際立った光を放つ大きな太陽は神の偉大さを人々に伝え畏怖させるものであっても殺意を抱くほどに呪わしいアラブ人の敵となるべき存在とは違う、というのが現代アラブ文化における姿だと言えるかもしれません。
アッラーの偉大さを想起させる神秘的な被造物であるにもかかわらず「◯◯は太陽のせいだ」「太陽があること自体が忌々しくて憎くてたまらない」と恨むのは創造主である神の意思に対する不満や恨みともなるわけですが、そういう思考回路はイスラーム的なメンタリティにはあまり合致せず、どちらかというとアッラーへの畏怖と賛美に話が持っていかれます。
「神の御業に恐れおののき、神への畏怖と賛美の気持ちが湧く→神への信心が強まりさらにたくさんの祈りをささげ真面目な信徒として信仰に励む」というのがイスラーム教徒が取るべきとされる心のあり方、テンプレかと思います。日照り続きで雨が降らない場合のための雨乞いの祈りもありアッラーにお願いをする慣行になっています。
太陰暦準拠のイスラームと新月目視による新たな月の到来の確認
イスラームのヒジュラ暦は太陰暦で、アラブ諸国ではラマダーンに突入する時期は昔ながらの目視による新月ー هِلَال [ hilāl ] [ ヒラール ](新月;三日月) ー観測で見えてから発表されます。
*トルコなどは実際に見えたか見えないかに関係なく天文学的な計算から算出した上でラマダーン1日目を決定しています。
月が終わって断食月明けの祝祭がいつになるか・翌月がいつ始まるのかどうかも次回の新月観測で決定するなど、月を見ることと強い結びつきがある1ヶ月となっています。
ラマダーン月の開始日を予測すべく集結している新月観測団を取材したニュース動画です。新月が観測できた時点で宗教省に相当する官庁から告知が行われ、テレビなどで放送されます。
イスラームでは預言者ムハンマドの言行録(ハディース)に基づいて目で見て確認するため、現代でも多くの信徒らが現代科学的な天文観測・運行予測ではなく目視・望遠鏡越しに新しい月の探索を行っています。上の動画のように観測団が望遠鏡をセットするなどして待ち構える形になります。
新月観測によりラマダーンが始まる日付を知らせるテレビ速報です。「新月が観測できたので西暦の◯◯日からラマダーン月を開始とします」とラマダーン初日がいつになるのかを知らせます。(天気により見える・見えないが分かれるので、イスラーム世界でも国によってラマダーンの開始時期がずれたりします。)
太陰暦なので月の最後(晦日)が真っ暗で月が見えなくなる状態に。そして三日月よりももっと細い月が見えた時点が太陰暦の新しい月1日目となります。
天国(楽園)と太陽・月
イスラームの天国に太陽と月があるかというと、実は無いのだそうです。これに関してはクルアーンと預言者ムハンマドの言行録(ハディース)からうかがい知ることができます。
イスラームの天国では少年がお酌をして酔わない酒を注いでくれたり永遠の処女が相手をしてくれたりするといった話は日本でも知られていますが、実際には楽園の穏やかな気候についても語られています。
それによると天国にはきれいな川が流れており、休める木陰があり気候も穏やか。照りつける太陽の酷暑も無ければ震えるような冬の寒さも無し。影はできるのですが太陽と月は無く、代わりにアッラーが放つ光が届き、光の強弱で朝と夕のような区別がつけられるとのこと。
太陽と月はヤウム・アル=キヤーマ(復活の日)に片付けられてしまいその光を失うのだとか。両者は現世・この世を照らす光なので天国には無いのだそうです。
忌避される灼熱は地獄の火炎
アラブ・イスラーム世界で忌避されている火炎や熱と聞いて普通連想するのは、容赦無く身を焼き尽くす地獄・煉獄(ジャハンナム)の火(ナール)だと思います。
*閲覧注意*
地獄・火獄の様子なので見たくない方は回避をお願いします。
イスラーム教徒のアラブ人で「熱くて苦しくて嫌だ」と誰もが嫌がる地獄(ジャハンナム)における火(ナール)の想像図をクルアーンにおける関連章句とあわせて紹介しているイメージ動画です。
「あなたは太陽のようだ」と違い「ジャハンナムのナールに焼かれてしまえ」は日本における「地獄に落ちろ」と同じで本当にひどい呪いの言葉なので注意が必要です。
砂漠の国では神が人間を苦しめるために太陽を創った説はイスラームの話?
『読むクスリ PART6』では、アラブの遊牧民の間に「神が人間に自らの罪を思い知らせるため太陽を創ったという神話がある」と書かれていました。そしてネット上では「クルアーンにもアッラーが人間に試練を与えるために創ったという記述がある」という記事も見られます。
イスラームで太陽もしくは昼間と罪を悔いる行為との関連性について軽く調べたところ見つかったのが以下の記述でした。
إِنَّ اللَّهَ عَزَّ وَجَلَّ يَبْسُطُ يَدَهُ بِاللَّيْلِ لِيَتُوبَ مُسِيءُ النَّهَارِ وَيَبْسُطُ يَدَهُ بِالنَّهَارِ لِيَتُوبَ مُسِيءُ اللَّيْلِ حَتَّى تَطْلُعَ الشَّمْسُ مِنْ مَغْرِبِهَا |
英訳(1): Verily, Allah Almighty stretches out his hand by night to accept the repentance of those who sin by day, and he stretches out his hand by day to accept the repentance of those who sin by night, until the sun rises from the west. 英訳(2): Allah, the Exalted and Glorious, Stretches out His Hand during the night so that the people repent for the fault committed from dawn till dusk and He stretches out His Hand daring the day so that the people may reprint for the fault committed from dusk to dawn. (He would accept repentance) before the sun rises in the west (before the Day of Resurrection). |
解釈: Allah, the Almighty, accepts repentance even if it is shown late. When man commits a sin in the day, Allah, the Almighty, will accept their repentance even if they repent at night. Similarly, when man commits a sin by night, Allah, the Almighty, will accept their repentance even if they repent during the day. Allah, the Almighty, accepts the repentance as long as the sun does not rise from the west, which is one of the major signs of the Last Hour. |
こちらは預言者ムハンマドの言葉を伝える言行録ハディースの一節で、アッラーは信徒たちが自分が夜に犯した罪を昼間に悔悟し昼間に犯した罪は夜に悔悟するのを受け入れるべくその手を広げていて、それは最後の審判に伴う復活の日までずっと続くとあります。
ただこれは単に、自分が犯した罪は後からきっちり悔いるべきだという意味の話だとか。専門家の解釈によると、夜に犯した罪はさっさと夜のうちに懺悔しても構わないものの、夜の後に昼が来るので「(すぐではなく)後から」という意味のたとえとして「昼に悔悟する」と表現しているだけのようです。
イスラームおいては悔悟(タウバ)しアッラーがお喜びになられるような信徒になるのが大切だという感じなので、アッラーが人間に罪を思い出させるために太陽を創って昼間の明るい時間帯ずっと試練を与えて苦しめている的なストーリーはイスラームではないどこか別の宗教での話ということになるかと思います。
アラブの児童書では「太陽は光と暖かさを与えてくれる恵み深い存在。創造主である神様が造った天体で、分け隔てなくその恩恵を世界中に届ける。」という描写になっていることが多いです。
上の動画はアラブ首長国連邦(UAE)eラーニングサイトにある絵本の読み聞かせビデオなのですが、
太陽が無かったら闇の王国が広がってしまう。水が蒸発しなくなれば雨は降らなくなってしまう。植物だって育たないから草木が全く無い世界で暮らさないといけない。ばい菌を殺す太陽の光は無くなるし、体には太陽の光が当たらなくなるから病気がちで弱くなってしまう。太陽の光があるからこそ光っていた月も輝かなくなるし、悪いことだらけ。太陽を与えて下さり、その太陽を恵み多き存在とされた神様に称賛ありますように。
といった内容になっており、「神は人々を罰し苦しめるために太陽を創造した」とは全く異なる構図になっているのがうかがえます。
これ以外の童話でもアラブ世界におけるイスラーム的太陽観を反映した同様の話が複数あり、
- 太陽が無いと困ることだらけ、太陽はたくさんの恩恵をもたらす有用な天体
- 太陽の光は差別などせずこの世をあまねく照らし温めてくれる
- 太陽はお母さんにそっくりで分け隔て無く愛情深い
- そうした慈悲・恩恵に満ちた太陽を造ったのは神様
- 神様はどの被造物も意図をもって設計されいて、役に立つ数々の機能を備えた太陽もそうした神の徴
といったメッセージを伝えるなどしています。
「イスラームの太陽」という表現について
日本では近年の異常な酷暑について「日本も中東のように熱くなってきた。太陽を死の象徴と悪魔として嫌う中東の人たちの気持ちがよくわかる。」「熱いだけでひたすら嫌われるイスラーム世界の太陽。」「国旗やイスラーム関係のモチーフに月と星がたくさんついているのは涼しげで優しいからで、太陽は冷酷非情だとされているから。その理由に納得。」とSNSで投稿される方も増えているようです。
一部の方はそうした太陽を”イスラムの太陽(イスラームの太陽)”と表現されているようですが、アラブ諸国やイスラーム教徒の間にそういう認識はありません。
元々「中東では365日熱いので死をもたらす太陽は嫌われ、優しい月が愛された。だからイスラームは自らの宗教のシンボルとして発祥の地アラビアで愛されてきた月と星を選んだ。」という事実は無いため、「イスラームの太陽、イスラーム教的な太陽の扱い」というのは都市伝説に依拠して想像された実在しない架空のアラブ文化・イスラーム的価値観となります。
実際にアラビア語で「イスラームの太陽」と言う場合、唯一神アッラーが授けたイスラームという教えが信徒たちを導き無知蒙昧から救う様子を太陽にたとえるのに使うのが一般的です。悪い意味で使うことは無いです。
イスラームにおける昼と夜
昼と夜もアッラーの創造物
「この世にあるもの全て、もちろん天空にあるものも全て神の創造物」ということでアラブ・イスラーム文化では明るい昼と暗い夜も創造主たる唯一神アッラーの徴とみなされます。
昼と夜の神秘的な入れ替わりも昼と夜にまつわる色々なことも、アッラーを想起するきっかけでありアッラーの強大なる力に対し畏怖・感動・信仰といった感情を抱かせる被造物という扱いです。
月・星はイスラームのシンボル?
月はイスラームの公式なシンボルではない
月(特に三日月)は現代においてイスラームのシンボルもしくはイスラーム教の教義や行事に関連性が強い天体として好まれています。
世界には三日月と星をあしらった国旗がたくさんあります。イスラーム教徒がマジョリティの国の国旗に月が描かれている件については
- イスラーム教国は砂漠などがある暑い国ばかりで、涼しげな月は皆が大好きだから。イスラームは月を称賛している宗教。
- イスラームの象徴だから信心していることを示すためにつけている
と言われることが多く、「中東は砂漠だらけで年中暑い四季の無い地域。太陽は悪者で月だけが癒やし・救い」という都市伝説を引き合いに出して説明されていることが一般化しているように見受けられます。
しかしこの三日月や三日月+星のシンボル、元々はイスラーム共同体全体のシンボルとして作られたものではなく、預言者ムハンマドの言行録ハディースや彼と行動を共にした初期信徒ら(教友、サハーバ)の言葉の中にも「三日月をイスラームの印としよう」といった一切言葉は残っていないのだとか。
イスラーム共同体とその周辺に関連した旗のデザインとしては、クライシュ族が鷲(わし)マーク。預言者ムハンマドの一団が黒色、ウマイヤ朝が白色、アッバース朝が黒、ファーティマ朝が緑でいずれも三日月などの図柄は無し。
現地ではオスマン朝時代に定着した新しいシンボルとされている
こちらはオスマン朝の旗です。今のトルコの旗とほぼ同じデザインです。
オスマン朝の旗の星が八芒星だった時代もあるとか。五芒星の前が八芒星デザインだったそうです。この月と八芒星のデザイン自体はトルコやイスラームの独自シンボルという訳ではなく、もっと昔の古代から色々な文化圏見られ星部分はたいてい金星を示していたということのようです。
アラビア語圏において、イスラームのシンボルがいつの間にか三日月と星になった経緯は通常「元々はオスマン朝の旗の模様であり長かったその統治期間のうちに中東でキリスト教の十字架マークとの対比に用いられるようになり、イスラームのイメージと結びつけることがアラブ世界にも定着したから。」と説明されていたりします。
実際に調べてみるとたいていそのようなことが書いてあり、アラブ・イスラーム世界で三日月シンボルの起源を知っている人たちもそのような認識でいる模様。「北アフリカのアラブ諸国の国旗に月と星があるのも元々オスマン朝の統治下にあったから。」という意見なども見かけたことがあります。
月星信仰の名残り説
月と星のモチーフは世界各地に古くから存在
オスマン朝そして同様のデザインを踏襲したトルコ共和国の三日月+星(月星章旗)印のルーツについてはいくつかの説があるそうで、皇帝にまつわるエピソードから生まれたとかイスラーム国家の象徴として考案されたものではなくもっと昔の天体信仰(太陽・月・惑星・星の神格化)と結びついてたものとも言われているようです。
北アフリカのアラブ諸国が採用している月星旗に関するネット議論をいくつか読んでみたのですが、対オスマン朝感情とイスラーム的な偶像・天体崇拝拒否から月と星を図柄に取り入れた国旗に嫌悪感を示している人も実際にいる様子。
アラブ諸国・イスラーム諸国の国旗にあるあのモチーフは多神教時代に行われていた月と星(具体的には金星)の信仰が後続で改宗したトルコ人らを経由してアラブ・イスラーム世界に移入され定着したものだ、偶像崇拝であり非イスラーム的だというのがその主張となっています。
日本にもあった日・月・星信仰と月星家紋
現代日本の日常生活では意識されることがありませんが、日本でも過去には日・月・星の天体信仰である三光信仰、北極星(北辰)を神格化し軍神として崇めるなどした妙見信仰が行われたり、我々が思っているよりも月や星のモチーフと縁があったりしたようです。
三光信仰・妙見信仰は中東や地中海一帯にあった日月星信仰と同じルーツを持つ天体崇拝が長い距離を経て日本に伝わったものだそうで、かの三種の神器も日・月・星の象徴で鏡が太陽(日)、勾玉が月、剣が星を表していると考えられてきたなど、単なる異国の風習だと呼ぶのが難しいぐらいには日本の宗教観に取り入れられた形だと言えるのではないでしょうか。
Wikimedia Commons
日本の家紋にある「月と星」(月星紋)です。軍神とされた北極星(北辰)は武将らの信仰を集めたとのことですが、家紋として以外にも今でもこの妙見信仰の神社である千葉神社などがこの月星紋を掲げています。
トルコの国旗など中東地域では星の部分は北極星ではなく金星を表したものなので信仰の内容としては多少違うものの、デザインとしては非常に似通っています。
このことからも「月や星を尊び国旗にまでするのは暑い砂漠の国ならではの発想で日本とは違う」と結論づけるのは適切ではないと言えるのではないでしょうか。
三日月はイスラームの公式シンボルじゃないと拒否する人々の存在
元々イスラーム共同体は天体や具体的な物をシンボルとして含めないシンプルな旗しか使っていなかったということで、三日月(新月)や星のマークを自分たちのシンボルとみなすことを拒否するイスラーム教徒の人達も少なからずいるとのこと。
原理主義傾向が強いイスラーム教徒は基本的に預言者時代に存在せず後代に作り出された新しい信仰・慣習(ビドア)を嫌うため、三日月+星のマークも元々のイスラームではないとして受け入れがたく感じるということのようです。
「三日月マークはイスラーム教徒全員のシンボルやユニフォームじゃない」という方針の人だと、スマホの絵文字でもイスラームを意味する文字列の脇に三日月マーク(🌒)を置くのではなく敢えてカアバ神殿(🕋)やモスク(🕌)の絵文字を選んだりすることもあるとか…
赤十字の代わりに使われる赤新月マーク
こちらは赤十字のかわりに赤い三日月マークを掲げた赤新月社(Red Crescent Society)のシンボルで、アラビア語では
اَلْهِلَالُ الْأَحْمَرُ
[ ’al-hilālu-l-’aḥmar ] [ アル=ヒラール・ル=アフマル/アハマル ]
標準的分かち書きカタカナ表記:アル=ヒラール・アル=アフマル
*日本語のフはアラビア語の f の音なので、実際にはアハマルに近い発音となります。そのためアラビア語の「赤い」という語はアフマルとアハマル両方のカタカナ表記が混在しています。
と呼ばれています。
各国の国旗に加え赤新月の存在もあることから日本でも「三日月イスラームの公式シンボル」という認知が広まっており、人によっては「中東は砂漠地域で1年中暑いので太陽は悪・死・非情の象徴。イスラームの象徴である月は優しさ・慈悲の象徴だから命を救うという医療組織のシンボルとして最適。」と誤解されたりもしている模様。
ただそれらは都市伝説に基づいた誤解から導き出された推測であり、現地では
- スイス国旗との関連ではなくキリスト教の象徴として受け止められやすい十字に代わるマークとして、オスマン朝期に定着した月のシンボルをイスラームのシンボルとして採用しただけ。トルコ人がイスラームの伝統ではない月と星を持ち込んだから本当はイスラームの目印ではなかった。
- 十字と区別するのに便利で、キリスト教は十字、ユダヤ教はダビデの星、イスラーム教は月(と星)だとわかりやすいから。
- 本当は月はイスラームの象徴でも何でもないのにトルコ人たちが持ち込んだオスマン朝のシンボルを経由してまるでイスラームのシンボルのような扱いをされ始めただけ。
などと言われているものになります。
月や星とイスラームとの関係性に関する専門家による見解
三日月をシンボルとして採用することについて
イスラームサイトのQ&A
اتخّاذ الهلال شعارا
質問の概要
オスマン朝のシンボルだったという以外に三日月(新月)と星がイスラームの象徴だという根拠を見つけることができませんでした。先生の見解をお聞かせください。
専門家の回答の前半部分要旨
イスラーム法的な根拠は一切ありません。預言者ムハンマド様の時代も正統カリフの時代もウマイヤ朝の時代にも使われていませんでした。
ペルシア人たちが使っていたとかギリシア人が使っていたなどとされ、それが何らかの出来事を通じてアラブ人に取り入れられたとも言われています。イスラーム教徒らがキリスト教国を征服した時に教会の上に十字架がかかっているのを見て自分たちのモスクに三日月を載せるようになったとも言います。
しかしいずれにせよ三日月と星がイスラームのシンボルであるとするには法的根拠が必要ですがそれが無いのです。
三日月をシンボルとしてミナレットやイスラーム関連施設に掲げることについて
イスラームサイトのQ&A
وضع الهلال كرمز على المنارات ومؤسسات المسلمين
質問概要
キリスト教徒の研究者がイスラームで三日月をシンボルにしているのは実はイスラームが月神崇拝の多神教をベースにしているという批判を展開しておりネットで見た多くの人たちがそれを信じてしまっているようです。イスラーム法では月のシンボルのことをどう扱っていますでしょうか?
専門家の回答要旨
そのような言説には注意しましょう。イスラームは唯一神アッラー以外を崇拝することを禁じており、クルアーンでも太陽崇拝や月崇拝ははっきりと否定されています。
日の出や日没の時に礼拝をしてはいけないのも、多神教徒らと同じになってしまうためです。
月に関してイスラームと結びつきがあるのは暦に関してのみです。ミナレットやモスクに三日月を置くと言ったことに関しては全く法的根拠が存在しません。
かといってしてはいけないという訳でもありません。オスマン朝のトルコ人たちがキリスト教施設と区別するために三日月を掲げており、それはイスラーム教徒のためという目的でした。
(イスラームは太陰暦に基づくため宗教行為と月との関連性が強く、また三日月をシンボルとして使っても信仰上害を及ぼす訳でもないからまあ差し支えないでしょうし止めなくても大丈夫です、といったニュアンスになっています。)
学校教育での一例
カタール(カタル)政府のeラーニング用動画の小学校5年生向けアラビア語授業です。この回のテーマは月の運行に基づく太陰暦(ヒジュラ暦、イスラーム暦)や国内の暦を管理するQatar Calender Houseの沿革と業務。
1:00頃でイラスト内におけるモスクと月の関連性について質問が行われています。日本で広まっている情報を元に答えると「月はイスラームのシンボルだから」になってしまうのですが、ここでの正答は「月を通じて礼拝時間や断食のタイミングを知ることができるから」です。
「苛烈で冷酷非情な太陽 ↔ 優しく好ましい月」という対立関係の出所について
他の地域との混同の可能性も
アラブ世界では「太陽=至高の地位、不可知な貴い存在、尽きることがない恩恵、常に寄り添ってくれる親」といったプラスイメージと「暑いのは嫌だ=水・氷・雪・雹は喜び・快さの象徴」といったマイナスイメージがありますが、「太陽のようだ」という比喩表現はもっぱら称賛で太陽を悪魔的存在として忌み嫌う習慣はありません。
それにもかかわらず「灼熱のアラビア半島では太陽が憎まれるだけの存在で月とは大違いだ」という言説が絶えないのですが、これに関してはインドのような全く違う民族・宗教・文化からなる地域における太陽像と混同されているのが一因となっているように見受けられます。
中東や南アジアは全部「アラブ」と誤解されやすいので、トルコ、イラン(ペルシア)、パキスタン、インドといった近隣と間違われることが多く、それらの国の神話・民話をアラブの話として扱っているらしい記事・書き込みもあるようです。
これに関してはそれぞれの地域における太陽像、月像を調べて区別する必要があるのですが、そうすることはなかなか難しくついつい安易に「暑い国は考えることが一緒」という推測になりやすいのかもしれません。
(2023年8月 イスラームの太陽という表現について、赤新月について追記)