アラブ世界に2種類併存している読み書き言葉(文語)としてのアラビア語と日常生活に使う話し言葉(口語)としての方言の話を未習者・初学者の方向けにまとめた記事です。
長文なので必要に応じて目次からの項目ジャンプをお願いします。
フスハーとアーンミーヤとは?
アラブ世界には文語であるフスハーと口語であるアーンミーヤとに大別されます。
実際にはすぱっと2つに分けるのは難しく純フスハー的なアラビア語から純アーンミーヤ的なアラビア語までグラデーションのように入り混じっており、現地でもフスハーとアーンミーヤには中間体があるという認識なのですが、ここではその両極端に位置する文語と口語という大まかな区別についてまず紹介したいと思います。
文語はフスハー
اَلْفُصْحَى
[ ’al-fuṣḥā ] [ アル=フスハー ]
フスハー
اَللُّغَة الْعَرَبِيَّة الْفُصْحَى [ ’al-lughatu-l-‘arabīyatu-l-fuṣḥā ] [ アッ=ルガトゥ・ル=アラビーヤトゥ・ル=フスハー ] の略です。日本語に直訳すると「最も清純なアラビア語」とか「最も雄弁なアラビア語」とかそんな感じです。英語ではthe most eloquent Arabicなどと訳されているのを見かけます。
فُصْحَى [ fuṣḥā ] [ フスハー ] は比較級・最上級 أَفْصَحُ [ ’afṣaḥ(u) ] [ アフサフ ] が修飾する لُغَةٌ [ lugha(h) ] [ ルガ ](言語)に合わせて女性形になっているもので「より/最も雄弁な」「(言語が)より/最も清純な」もしくは「(話している言葉が)より/最も明瞭な」という意味になります。
以前見たレクチャーによるとフスハーと同じ語根の形容詞 فَصِيحٌ [ faṣīḥ ] [ ファスィーフ ] にはその言語が雄弁である・清純であるという質の高さを意味する場合と話している言葉がはっきりしているという意味を示す場合とがあり、アラビア語の種類としてのフスハーは前者に該当するのだとか。
フスハーは日本語だと「正則アラビア語」などと訳されています。また現代に入って近代化に対応した再整備が行われたことから現代のフスハーについては古典アラビア語文語とは区別して「現代標準アラビア語」などと呼ばれています。英語ではModern Standard Arabicで略称のMSAも多用されています。
このフスハー、時代は違えど書き言葉や共通語として使われてきた文語アラビア語としての位置づけは今も同じです。
口語・大衆語・通俗語はアーンミーヤ
اَلْعَامِّيَّة
[ ’al-‘āmmīya(h) ] [ アル=アーンミーヤ ]
アーンミーヤ
اَللُّغَة الْعَامِّيَّة [ ’al-lughatu-l-‘āmmīya(h) ] [ アッ=ルガトゥ・ル=アーンミーヤ ](大衆の・民衆の言語) もしくは اَللُّغَة الْعَرَبِيَّة الْعَامِّيَّة [ ’al-lughatu-l-‘arabīyatu-l-‘āmmīya(h) ] [ アッ=ルガトゥ・ル=アラビーヤトゥ・ル=アーンミーヤ ](大衆の・民衆のアラビア語)の略です。
عَامِّيَّة [ ‘āmmīya(h) ] [ アーンミーヤ ] というのは عَامِّيّ [ ‘āmmī(y) ] [ アーンミー(*厳密な発音はアーンミーュとかアーンミーィでアーンミーは日常会話的)](大衆の、民衆の)という形容詞が修飾する لُغَة [ lugha(h) ] [ ルガ ](言語)に合わせて女性形になっているものです。
アーンミーヤのmm部分はnmではなくmの位置で口を閉じたままでnの位置には口を動かさない発音です。そのためアラビア語の先生によっては敢えてアームミーヤというカタカナ表記を採用していることがあります。また口語の発音に即したアーンミイヤ、アンミイヤ、アーンメイヤ、アンメイヤ、アーンミーエ、アンミイエといったカタカナ表記のバリエーションも見られます。それらは文語と違う日常生活での発音に即したつづりなので「アーンミーヤ」と少し違っても間違いという訳ではありません。
アッミヤーと書いてあるネット記事もありますがそこまでいってしまうと二重母音mmのカタカナ化間違いの部類に入るので、日本語で表記する場合はとりあえずアーンミーヤと書いておくのが無難かもしれません。
なおマグリブ地方に関しては الدارجة ダリジャ(モロッコ口語)、ダルジャ(アルジェリア口語)のように呼ぶのが一般的かと思います。
個別の方言はラフジャ
اَللَّهْجَة
[ ’al-lahja(h) ] [ アッ=ラフジャ もしくは アッ=ラハジャ ]
方言
アーンミーヤが話し言葉の口語を指すのに対し、こちらは個別の方言を意味します。
アラビア語は各地共通の文語(フスハー)と日常生活で用いられる口語、大衆語(アーンミーヤ)に分かれていますが、日常生活に用いられる口語には地域・部族・社会集団によって異なる多数の方言があります。それをラフジャといいます。
現代アラブ世界にある顕著な方言差は基本的にイスラーム軍によって各地に広がったアラビア語がそこでの環境に合わせて変化していったことから生まれたため、お互いに通じないぐらいの方言であっても全て「アラビア語」という大きな枠に含められます。
なのでアラブ諸国のそれぞれに国名を冠した「サウジアラビア語」「オマーン語」「スーダン語」等ではなく「サウジアラビア方言」「オマーン方言」「スーダン語」と呼びます。さらに各地域・各部族の方言に分かれるため、細かい分類について触れる場合は「サウジアラビア ヒジャーズ方言」「サウジアラビア ナジュド方言」「サウジアラビア シャンマル族方言」のように地方名や部族名を添えて呼びます。
なお「シリア語」はアラビア語ではなく、キリスト教儀礼で今でも使われているアラビア語とは別のセム語系言語です。また「エジプト語」と書くと古代エジプトの言語やコプト語を連想するのが普通かと思います。
文語フスハーとはどんなアラビア語か
フスハーとイスラーム以前のアラブ部族方言
フスハーはクライシュ族の方言がベースだという話は有名ですが、彼らの当時の話し言葉そのままという訳ではないと言われています。
元々イスラーム誕生直前のマッカ(メッカ)は偶像崇拝の巡礼地で、交易・抗争・部族合同文学市といったイベントでやり取りするための共通言語・詩の言語のようなものがありました。
それに加え、クルアーンにはクライシュ以外の部族の発音や、神がかりで授かる託宣特有の語調のような性質も混ざっており、預言者ムハンマドたちが日常会話で使っていクライシュ方言・口語とは異なる要素が少なからずあったとされています。
イスラーム以前のアラビア語には元々アラビア語以外の中東言語やギリシア語からの外来語もあり、その地理的な状況や部族民・遊牧民の移住に応じた性質を備えていました。
イスラームの初期共同体も色々な部族民が入り混じっており、部族による違いがクルアーンの朗唱にもバリエーションを生じさせる原因となりました。当時の部族方言の違いは今のアラビア語アーンミーヤにおける方言の差ほど顕著ではなかったようなのですが、彼らは共通語である詩の言語を学んで習得したとはいえ日常的には自分たちのアラビア語を話しており一部子音の発音・人称代名詞の接続形・語彙の類に違いがあった話がアラブ圏ではよく知られています。
そうした差異が吟味された上で標準となるクルアーンの言語としての発音や読み方が制定され、その後固定された形となり今に至ります。
これまでに色々な学者がフスハーの元になった言葉が何だったのか研究してきたものの、クルアーンやジャーヒリーヤ時代の詩以外に頼りとなる資料がまず無く、「これがフスハーの原型だ!フスハーそっくりな部族方言はこれだ!」的な物にたどり着くことはできていないとのこと。
イスラーム誕生によって整備されていったフスハー
元々詩などに用いられていた各部族共通のアラビア語は、イスラームの伝播と周辺諸国のアラブ化に伴いもっと大きなスケールでの標準語という扱いに発展していくこととなります。
イスラーム初期は各部族方言の影響でクルアーンの読み方に何種類ものバリエーションが出ており、まずは正式版選定という形で他を排除。
しかしクルアーン自体はイスラームという特定分野に限定したものだったため、生活や科学といったあらゆる分野に対応できるアラビア語の標準語が完成するまでにはもっと時間がかかっています。
アラブ圏では「イスラームが誕生してからの1400年間フスハーは全く変わっていない」とよく言われるのですが、現代人が慣れ親しんでいるフスハーの土台がすっかりできあがったのはもう少し後だったというのが欧米研究者の見解だと言えるかと思います。
フスハーが整備される過程では、非アラブ人でもクルアーンを正確に読めるようにするための文字弁別点をアルファベットの上下に書き足され、イスラーム以外の各分野から取り入れられ新しい語や表現が翻訳されアラビア語化ルールが定まり、多くの文法研究家により細かい文法が書き記されていきました。
長い時の中で変わった部分もありますが、神が天啓を下すのに選ばれた言語ということで文法に関係した根幹部分には大きな変更を加えられないままずっと使われてきたのが文語アラビア語のフスハーです。良くも悪くも変えられない、大幅に変えようとしたら大騒ぎ・大論争になる可能性をはらんでいるため口語の各方言が比較的早いペースで変化したのに比べフスハー文法の変化スピードはゆっくりです。
非アラブ政権の支配と公用語としての地位喪失
アラブ諸国の多くがオスマン朝による支配の影響を強く受けており、かなりの期間アラビア語は公用語としての地位を追われた状態にありました。この時期行政用語としてオスマン語(オスマン・トルコ語)が使われ、トルコ語由来の単語が数多くアラブ世界に取り込まれました。
近代におけるアラビア語復活
オスマン朝による支配からの脱却に伴い、アラブ世界ではアラビア語(文語フスハー)への注目が再び集まり、アラブ人の言語として再び見直されるに至ります。
一方で西洋文化との接触も進み、英国やフランスによる強い影響を通じて新しい概念や用語も流入。中世では使われていなかったような新語・造語が一気に増え、西欧諸語の言い回しを直訳したような熟語や構文が数多く使われるようになっていきました。
野放しにすると各国でばらばらの用語が作られ意思疎通・情報共有を阻害することから、こうした新語を管理したり民衆が文語を操れるよう簡易化を促すといった目的のために活動するアラビア語アカデミーが開設。中世はアラビア語学者らが徹底的に研究して文法体系を作り上げ、近現代においては現代標準アラビア語の用法をルールづける組織が見解を発表するという形でその時代に応じた形での維持が続けられています。
しかし欧米諸語の単語・熟語が入り込むスピードが早く、元々アラビア語には無かったような英熟語を直訳した感じのフレーズも多数見受けられるなど、専門家による吟味が追いつかないままアラビア語の変容が続いている状態です。
現代のフスハー
現代においてはクルアーン、礼拝、文学、学問、メディアの分野でこのフスハーが使われています。フスハーは新聞、ニュース、議会の堅い場面でのみ言葉ということで日本でも知られていますが、テレビではニュース以外にも文芸・宗教関係のトーク番組でゲストが普通に話していたりして日本で認識されているよりは広い範囲で利用されています。
食品・日用品などのパッケージもフスハー。交通案内板や看板もフスハー。スマホやパソコンのメニュー画面もフスハーです。
アラビア語アカデミーの管理下で新語のアラビア語訳をいちいち決めていたら間に合わず、色々な外来語が当て字をした状態で日常生活に多数入り込んでいて、それらはフスハーによる会話や作文にも影響を与えています。
中世のアラブ人が維持していたという語末格変化(イウラーブ)の母音は読まれなくなり、難しい構文は使われなくなり、古い語彙は一部死語となって廃れたため、アラビア語学者にとって「こんなの本当のフスハーじゃない」と邪道的存在に感じられることもあるようです。
文法については古典アラビア語で使っていたものが廃れるといった形で取捨選択が行われる程度でしたが、語彙や構文に関しては諸外国語から輸入された表現が大量に入り込み近代以前とは明らかに異質なアラビア語文語に生まれ変わったことも事実です。
よく「フスハーは数世紀全く変わらないまま」と言われることがありますが、大きな刷新を経たため近代以降の新しいアラビア語は「現代標準アラビア語」(Modern Standard Arabic、略称はMSA)として区別されており、我々外国人学習者が通常学ぶのもこちらとなっています。
とはいえ人称代名詞といった人称代名詞や副詞といった基本的な単語や文法ルール自体は大きく変わっていないので古典アラビア語文法をゼロから学ぶ必要は無く、現代では使わなくなった構文を新規に学習して辞書を片手に読めば理解できるレベルなので日本語の現代文と古文のような差異はありません。
文語だからフスハーは会話に使えない?
フスハーは文語ですが、ニュースや公的な内容に限らず日常生活や自分の意見を伝える手段としても使えます。
クルアーンの言語として整備されたフスハーですが全分野に対応できるアラビア語として完成されたので自分の気持ちや日常生活を表現するための語彙自体はだいたいフスハーに揃っています。
フスハーの運用能力を伸ばすために敢えて自宅での会話をフスハーで行うという実践を長期間続ける家庭も非常に珍しいですが存在します。このような家庭で育った子は書籍をたくさん買い与えてもらえることも多く、幼い時期からフスハーとアーンミーヤを自在に使いこなす大人になることもしばしばです。
ただ現代アラブ社会で日常会話に使うフスハーは中世の生粋な文語アラビア語とは異なり簡易化されたもので、上で紹介したフスハーとアーンミーヤの中間体であることも少なくありません。
簡易化されたとはいえ元々文語と口語とに分かれて使い分けられてきたアラビア語なので、現実としてはフスハーで生活しているアラブ人はまずいません。必要に応じてフスハーが求められるシーンで話す程度です。近代までフスハーで暮らしている人々が残っておりアラビア語学者らが強い興味を寄せる地域でもあったのですが、今は維持されていません。
教育現場とフスハー
2014年にサウジアラビアが教師に対し教育現場でアーンミーヤを使うことを禁ずるというフスハー規定を発表した際に放送された女性向け番組の録画です。アーンミーヤ禁止に関しては「先生が生徒と違う方言で話すと生徒にうつってしまい子供が本来身に付けるべき方言を習得するのを妨げるから」という理由が背景にあります。
ここで義務化されたフスハーはフスハーといっても時代劇せりふのような古典的文語ではなく平易化した現代会話フスハーの方なのですが、敬遠する人が多いのが現状です。普段使っているのがアーンミーヤの方なのでアラブ世界では小学校から大学に至るまでフスハーで授業をしない先生が多い土地柄です。
そのため後半は番組によるアンケートでフスハーに対する質問・回答になっています。
- 「私たちがアーンミーヤを話すようになった理由は何だと思いますか?」
・フスハーが凄く難しいから(37%)
・教育界が関心を寄せないから(36%)
・フスハーはもう廃れてしまったから(27%) - 「いつかあなた自身がフスハーで会話することはあると思いますか?」
・はい(72%)
・いいえ(28%)
文法を知っていないとちゃんと話せないし、学校でもそこまでフスハー会話に力を入れていないから卒業するとフスハーで話す機会もあまり無くなってしまう。でも必要な時はあるからひょっとすると将来フスハーで話す場面に遭遇することがあるかも?といった感覚の人が多い現状を反映した内容となっています。
なぜアラブ人はフスハーを手放さず大事にするのか?
アラブ世界では本来の形を保ったフスハーが危機に瀕しており、一般人があきらめの境地にいる一方で少なくない数の知識人らが警鐘を鳴らし苦闘しています。
イスラームでは突然の語りかけにびっくり仰天した預言者ムハンマドにアッラーの預言を携えたジブリールが
اِقْرَأْ
[ ’iqra’ ] [ イクラァ ](読みなさい)
と促したとされており、信徒たちもその読むという行為を非常に重視しています。アラビア語を学び知ることはイスラーム教徒の義務であるとされておりフスハーを積極的に我が子に学ばせる親の一定割合がそうした敬虔な信徒であるように見受けられます。
そうした層は、フスハー離れが起きている中今もなお熱心な層が幼い我が子にフスハーやクルアーンを教えながら育てています。フスハー話者が少ないアルジェリア出身ながらアラブ読書チャレンジ大会で優勝した男児も、敬虔な両親に育てられた子供でした。
アラブ圏にはフスハーを極端に嫌う層とアーンミーヤを極端に嫌う層が一定数いるのですが、フスハー至上主義的な人々以外にもフスハーは特別で大切にすべきアラビア語だという認識が今でも存在しています。
ただそれを日常生活で使うとなるとまた別の話で、フスハーはアラブ・イスラーム文化の大切な資産ではあるけれども自分は普段はフスハーは使わないという人がどんどん増えてきており、しばしば「アラビア語は死んだ」( مَاتَتِ اللُّغَةُ الْعَرَبِيَّةُ / مَاتَتِ الْعَرَبِيَّةُ )と形容されることも…
現代のフスハーと文語-口語中間体「第三のアラビア語」の拡大
昨今のアラブ世界では異なる地域出身のアラブ人同士が意思疎通を行う際、純然たるフスハーではなくフスハーとアーンミーヤを混ぜた文語-口語中間体が多用されています。
日本では昔の古い情報がまだ残っているせいか「フスハーとアーンミーヤを混ぜた会話は無教養の徴でおかしい」「アラブ人ならそんなことはしない」と説明されることもあるのですが誤りで、実際にはアラブ世界で欠かせないツールとなっいます。
フスハー会話の大きな障壁である語末格変化の母音読み上げ
アラビア語の文語には語末の格を示す母音や非限定であることを示すnの音(タンウィーン)があります。
クルアーン読誦法が整備された古い時期から、文末の息継ぎをする部分ではそれらを省略して止めるというワクフという読み方が存在していましたが、現代においては息継ぎをしない文末以外の部分でも省略される傾向が強くニュースの司会などは皆そちらの読み飛ばし系のスピーチをしています。
一方、国語の授業やフスハー教育の重要なツールとして放送されているアニメ(日本アニメの吹き替えも含みますが)は息継ぎ部分以外での語末の発音省略はしない傾向が強く、ニュースにはほとんど出てこない-un、-in、-an、-tun、-tin、-tanの発音が多数登場します。
そうした丁寧な本来の文語の発音は文法が分かっていないと正確に言えないため、アラブ人ネイティブでも苦手な人が多く文語を話す時に間違えやすい要因となっています。
平易化されたフスハー(simplified Fusha)/高尚な口語の拡大
フスハーは元々普段の話し言葉とは違う存在として生まれました。現代では各地に色々な方言があり、大半の人にとってインプット(聞く・読む)とアウトプット(話す・書く)の両方をできるのは口語アーンミーヤで、文語フスハーはインプット中心となっています。
製品パッケージや看板といった身近な場所のあちこちにある割には学校で勉強したきりでペラペラ話せないがとても多い、というのがフスハーです。
幼少期からフスハーに触れた子や文語アラビア語運用訓練が十分だった人以外には文法的誤謬を一切犯さず正確に話すことが難しい言語であるとネイティブからは認識されていますし、通常のフスハー会話では語末の格変化部分を省略した楽ちんフスハーの方が会話で使われています。(それでも本人が気付かないうちに動詞の活用などが方言のそれになっていることが少なくないのですが…)
フスハーをどんどん使わなくなっているアラブ人が使いやすいように
- 古典アラビア語の難解な構文を使わない
- 古典的な辞書で調べないといけない難しく古風な語彙を排除
- 全体的に平易化
- 語末の格変化(イウラーブ)部分を発音せず無母音で終えるワフクで通す
といった具合にフスハーをアーンミーヤ側に寄せた/アーンミーヤをフスハー側に寄せた中間体が次第に幅をきかせてきています。
こうした現代的な楽ちんフスハー/フスハー混じりのアーンミーヤは英語圏だとsimplified Fushaなどと書かれていたりするのですが、アラビア語では
- اَللُّغَة الْبَيْضَاء
[ ’al-lughatu-l-bayḍā’/baiḍā’ ] [ アッ=ルガトゥ・ル=バイダー(ゥ/ッ) ]
直訳すると「白い言語」 - اَللَّهْجَة الْبَيْضَاء
[ ’al-lahjatu-l-bayḍā’/baiḍā’ ] [ アッ=ラフジャトゥ/ラハジャトゥ・ル=バイダー(ゥ/ッ) ]
直訳すると「白い方言」
*フスハーに寄せたアーンミーヤを指す場合と、アーンミーヤに寄せたフスハーを指す場合とがある模様。 - اَلْفُصْحَى الْمُبَسَّطَة
[ ’al-fuṣḥa-l-mubassaṭa(h) ] [ アル=フスハ・ル=ムバッサタ ]
簡素化されたフスハー、平易化されたフスハー、シンプル化されたフスハー - اَللُّغَة الثَّالِثَة
[ ’al-lughatu-th-thālitha(h) ] [ アッ=ルガ(トゥ)・ッ=サーリサ ]
直訳すると「第三の言語」 - لُغَةُ الْمُثَقَّفِينَ
[ lughatu-l-muthaqqafīn ] [ ルガトゥ・ル=ムサッカフィーン ]
知識人たちの言語
*通常のアーンミーヤよりもフスハーに寄せた高尚な口語という意味合いでの呼称
と呼ばれるなどしていて、外国語の流入が激しい現代アラブ社会におけるアラビア語生き残り問題、文語アラビア語劣化問題との関連でしばしば取り上げられています。
大衆語アーンミーヤとはどんなアラビア語か
フスハーとの違い
アーンミーヤは通常「口語アラビア語」と和訳され各地の方言と同義に解釈されていることが多いかと思います。
しかし動画のアラブ人アラビア語研究者はアラビア語を4層に分類。
- 古来のフスハー(クルアーンの言語)
- (*近現代化による変容が入る前の)昔ながらの各地・各部族方言(=ラフジャ)
- 平易化されたフスハーとアーンミーヤとの中間体(=ルガ・バイダー)
- 大衆語・通俗語として皆が日常生活で使っているアラビア語(=アーンミーヤ)
に分けれられるとしています。
アーンミーヤはイスラーム化によって伝えられたフスハーに各地の元々の言語が混ざったり、時代とともに用法が変わったり、トルコ・ペルシアや西欧からの外来語が入ったりしてできあがったものです。長い歴史の中で人々がフスハー離れしていってしまった間に次第に距離が開いたりしていったためフスハーとは多かれ少なかれ異なっていて、フスハーと全く同じ口語も現存していません。
まれに「フスハーは古典アラビア語でアーンミーヤは現代アラビア語」と紹介されていることがあるようなのですが、大昔であってもフスハーとは違う部族や地域の方言があればそれもやはり口語なのでアーンミーヤと分類されます。なので古代か現代かという区別ではなく、どの時代に関しても文語か口語かどうかという違いで見ることになります。
発音についてはいくつかの子音の発音がフスハーとは違っています。フスハーで [ j ] の文字が [ g ] [ y ] [ ch ] [ d ] に分かれたりするのが口語の特徴の一つです。ただこれらの多くはイスラーム初期に既に部族方言で見られた発音であることがほとんどで現代のアラビア語口語だけの特徴ではありません。
文語と口語の違いであと起きるのは語頭の母音の脱落、同じつづりと意味の語でも補われる母音が違う=つく母音記号が違うといった現象です。
あとは文語で厳格に行われていた語末の格変化がほぼ簡略化・省略され、人称代名詞の単数・双数・複数のうち双数の使用頻度が減り女性複数も田舎の方言以外ではあまり使わなくなったりと、文語が簡略化された側面を持っています。
それ以上に大きいのが語彙の違いでしょうか。
「とても」「~したい」「良い」「~でない」といった基本表現が違ったりするため、覚えなければいけない外国人学習者も大変です。元をたどればフスハーに起源があるので「あー、元はそれか」と理解はできるのですが、「~したい」ひとつとってもその語源がバラバラ。語源が同じでも方言によって読みが違ってくるのでとにかくバリエーションが豊富です。
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- フスハーに近い方言は?フスハーを今も話している人たちはいる?
アラブ人の目から見たフスハーの色彩を色濃く残しているという方言や、フスハーを使った日常生活を守るために外部からの来客を長期間滞在させなかったイエメンの古都など。
アーンミーヤ、各地方言は全部フスハーが崩れていってできた?
アラビア語のフスハーとアーンミーヤの関係性については「元々は皆がフスハーを使っていたのに、イスラーム征服によってアラブ人が非アラブ人と接触したことでそれぞれの土地でフスハーがブロークンなアラビア語になっていった。なのでアーンミーヤは全部フスハーから派生した。」というものです。
しかしこれについては非アラブ諸国の言語学的研究と色々な説によってそうとは断定できないことが示唆されています。
元々イスラーム以前のジャーヒリーヤ時代から二層状況に近いものがあったのではないか、各地の方言ではイスラーム軍が建設した軍営都市で流通していた共通の簡易アラビア語が元になっているのではないか、といった複数の学説があるようです。
当時のアラビア語の変化について確定的な資料が揃っておらず、現代からさかのぼってつきとめるのは困難である模様です。
どんどん変化していくアーンミーヤ
一般的に日用品や食料といった物の名前は変化のスピードが早く、曽祖父・祖父世代と孫世代でも呼び名が違うということもあるのだとか。
アラビア半島・湾岸地方の産油国だとインド系言語やペルシア語・トルコ語といった周辺諸外国語からの輸入語が多かった状態が石油産業とアメリカ企業の参入により一気に英語に塗り替わっていったようです。
若い世代はもう使わないのでクウェートではそれらが忘れ去られないよう本という形で記録に残す活動家もいるとか。文字に残しておかないと世代交代で話せる人がいつの間にかいなくなっていくためです。
アーンミーヤの文字表記と口語文学
現代に入り、自国文化の見直しといった観点からアーンミーヤで小説・絵本を書いたりアニメを制作しようという試みも行われています。(フスハーで一括りにすることに抵抗し自国の独自性を強調する運動の中で反フスハーの立場をとってきた活動家らもいます。アラビア語は汎イスラーム主義や民族主義と結びつけて考えられることもしばしばです。)
アーンミーヤはアラビア語で表記する方法と、英数字で代用して表記するSNS向けのチャット入力方法とで書かれています。「アーンミーヤは文字で書かれない」と紹介されていることもありますが決してそういうことはなく、家族同士のメッセージ送信・SNS書き込みなども口語そのままをアラビア文字で書いたりが日常的に行われています。
アラビア語の口語には正書法(正字法)が無い?
フスハーには正書法(正字法)がしっかりとありそれ専門の文法書も売られています。
口語にはそうした正書法(正字法)はありませんが、日常生活やネット上でのやり取りを通してその地域の方言をどのようにアラビア文字で書きつづるかはほぼ統一されており大きなブレは見られません。文法として誰かが制定した訳ではないのですが、慣習的にアーンミーヤ文のスペリングが定まっている状況です。
SNS全盛期の現在はコメントやツイートのやり取りがアラビア文字表記の口語(方言)会話でなされていることが非常に多いです。そのため文語であるフスハーを学んだだけでは彼らのおしゃべりのうち大部分の意味を取れません。機械翻訳も対応しきれないので「アラビア語→日本語に翻訳」ボタンを押しても意味をなす日本語文が得られないこともしばしばです。
以前は口語でしゃべることに重点を置いた学習書はラテン文字転写(英字で発音を示したもの)であることが一般的でしたが、このような口語のアラビア文字表記が盛んになった時代ではそれとは別に口語の正書法(正字法)とも呼べるような現地でのスタンダードを覚える必要が出てきたと言えるかもしれません。
アーンミーヤと文法書
アーンミーヤは口語ですが、だからといってフスハーと違って文法も何も無く自習しようにも教材が見つからない、という訳ではありません。各地域の方言ごとに外国人学習者向けに色々な会話本・文法書・辞書が販売されており、エジプト方言やシリア方言のように有名どころ関しては語形や動詞の活用に関する情報の大半をカバーしているものも。
たとえばエジプト方言の場合はカイロ・アメリカン大学の出版部門が有名で、会話・文法・語彙・歌謡曲の歌詞を学べる本が多数出版されています。アメリカなどの大学出版からも色々な教材が出ており言語学的な観点から本格的に学べる専門書もあります。
ITとアーンミーヤへの対応
方言には数え切れないバリエーションがあるため、Android TVのようなスマートTV、各種音声認識システム、機械翻訳、予測変換がアーンミーヤに完全対応するのには非常に困難を極めます。
しかしメジャーな方言についてはある程度対応しており、スマホでアーンミーヤの文章を入力しているとある程度それに合わせた入力候補が出ることも。「機械翻訳や音声認識はフスハー以外は対応していない」と思われがちですが、重点的に対応が進んでいる方言ではネイティブが驚いたり時には気味悪がることもあるレベルまで実用性が高まって来ています。
アラブ世界東部地域だとサウジアラビア方言やエジプト方言での開発関連ニュースを耳にすることが多い印象ですが、西部地域方言に対する関心も寄せられており移民が多くヨーロッパにおける話者数が大きいモロッコやアルジェリアなどのマグリブ諸方言機械翻訳・AI認識の研究や実用化も進められている模様です。(検索すると論文なども複数ヒットします。)
Google Homeに入っているGoogleアシスタント機能に話しかけている様子です。ほぼエジプト方言なアラビア語で質問してもおおむね適切に応答しているのがわかります。Googleのアーンミーヤ対応に関しては、エジプト方言とサウジアラビア方言が先行して行われたようです。(動画を見る限りGoogleアシスタント自体はフスハーで返事をしています。レビュアーの男性によると、時々変なアラビア語を話すとのこと。)
他にもSiriとGoogleアシスタントの対決動画などもあるのですが、Siriに比べるとGoogleのアラビア語認識と応答の能力は遥かに良いのだとか。
テレビに話しかけると動画を検索してくれるという機能を強調したTVコマーシャルも流れるようになっています。
上はエジプトの家電販売会社が流している宣伝です。新婚夫婦の新居にはた迷惑な隣人が押しかけ、東芝製Android TVを勝手に操作しながらその性能をアピールするという内容になっています。色々な方言や言語を認識して検索してくれると言いながら、エジプト方言でおもしろビデオを表示させているシーンが写っています。
それぞれのアラビア語方言ラフジャ
フスハーと方言はどのぐらい違う?
フスハーとアーンミーヤがどのぐらい違うかは地域によって違います。
現代アラブ諸国のメディアで使われているのはフスハーに寄せたアーンミーヤなのでなまりが少なく、フスハーだけを学習した人でもアラビア半島~エジプトぐらいまでの方言ならところどころ理解できることも少なくありません。アラビア語由来の語彙についてはフスハーにある語と語根を共有しているのでフスハーの語彙力があればある程度意味を推測することが可能です。
しかしフスハーにそっくりな方言はどこにも無く、会話の全体像をつかむためにはその方言の知識が必要になります。
我々がテレビやネットで触れている方言による会話が行われている動画ですが、大半はその国のスタンダードである首都方言であったり、色々な地域の視聴者を意識して方言丸出しにしていない聞き取りやすいものになっています。一方ご当地動画で他国の人の視聴を想定していない方言バリバリ会話になると一気に理解度が落ち、アラビア語の方言の多様性を感じさせられます。
本来のアラビア語の文語と口語の落差は我々外国人学習者が想像しているよりも大きく、アラブ人は「方言はよそのアラブ人に理解できない閉鎖的な存在」と評することもしばしばです。そしてその閉鎖性・独自性がラフジャ・バイダーというフスハー-アーンミーヤ中間体を生み出した要因となりました。
なお北アフリカのモロッコなどの方言はフスハーとの違いが特に大きいため東側の地域に住んでいるアラビア半島~エジプト近辺のアラブ人でも理解できないことで知られています。管理人もフスハーといくつかの方言をやりましたが未だにチュニジア、アルジェリア、モロッコの動画を見ても何を言っているのかほとんど理解できないです。
国が違うと方言が全然違う?
日本では「アラビア語は方言がたくさんあって国が違うと意思疎通が難しい」とありますが、あまり正確な説明ではないと思います。
というのも、
- 日本同様同じ国の中でも方言が色々ありバリバリの方言を使うと別の地域の同国人と意思疎通できないケースが多い。
- 同じ地域でも遊牧民と定住民という違いによって方言が違う。
- 現代の国の枠組みはあまり区切り線としては参考にならず、物理的もしくは社会的な距離感が方言の差を決めている部分が大きい。日本のように隣国である中国や韓国と海で隔てられている訳ではないので「国が違う=方言が全く通じない」とはならない。
- 首都から遠い国境寄りの地域では隣国の方言に近かったりする。
- ペルシア語、トルコ語、クルド語との接触が多かった地域では語彙の流入が多く、同じ国でも接触が少なかった地域の住民が会話を理解できないほどの特殊な方言を話しているケースがある。
- 国は違っても元々が同じ部族だった場合は方言が似ている。近代になってから移住したケースでは、移住元がサウジアラビアで移住先がスーダンといった具合に距離的には非常に遠いのに似ているアラビア語方言を未だに話しているケースもある。
- アラビア半島からはるか昔に北アフリカ等へとはるばる移住した遊牧民の末裔は、元いた場所の方言の名残を留めていてアラビア半島の人が「なんかうちらの方言に似てるかも」とコメントするレベルの方言を使っていることがしばしばあり、周囲にいる異なるルーツの人々とちょっと違ったアラビア語だったりする。遊牧民などで孤立した生活を送っていた集団にその傾向が強い。
といった具合に、同じ国でも方言がかなり違ったり、同じ街なのに地区が違うだけで違う方言を話していたり、逆に遠く離れているのに似ていたり、色々であるためです。
今はアラブ諸国扱いされていないマルタについてはアラビア語がだいぶ残っていて、方言としての類縁性があるチュニジアあたりの人だとマルタ語を聞いて言っていることがわかる人が多いのだとか。YouTubeのマルタ語動画にアラブ人のコメントがついていて「チュニジア人だけどチュニジア方言にすごく似てる」「マルタ人じゃないけど、会話の内容をほとんど理解できちゃった」といった感想が書き込まれているのをしばしば目にします。
方言の違いと意思疎通
アラビア語自体、アラビア半島の中だけでも方言差が色々ありクルアーンが下されたイスラーム初期においても部族ごとで違う発音をしたり人称代名詞が違ったりしたことが伝わっています。
現代においてはメディアや教育の影響でコテコテの方言を話せる人が高齢者だけになったりと方言が次第に薄まってきていますが、それでも同じ国に色々な種類の方言がありその差も決して小さくありません。
日本の方言同様、他の地域の人は理解することができず語彙が違いすぎて聞いても推測することすら難しいレベルであることもしばしば。そのためYouTubeでも方言対決とか同国人同士の方言クイズといった動画が多数公開されています。(例えばシリアだとダマスカス出身の人がアレッポ方言特有の語彙を聞いて全く意味を言い当てられない、など。)
そのためメディアではラフジャ・バイダーという各方言を話す人々を統合する公用方言が多用されています。なまりを減らした公用のアーンミーヤと衛星テレビ放送のおかげで他の地域の方言を聞いて理解できる人も増えました。アラブ世界ではシリア・レバノン地域、エジプトで制作されたテレビドラマが昔から多く、イエメンのように地理的に離れている地域であってもレバノンのドラマを好んで見ている視聴者が大勢います。
テレビ・ネット動画時代の日本人が大阪に言ったことはないのに関西弁もしくは関西弁風のトークを話せないながらも見て理解し楽しめるのと同様、現代のアラブ諸国でもシリア人やサウジアラビア人がエジプトの番組を理解できるといった具合に国境や部族の差を超えて会話内容を聞き取れるケースは多く、テレビでよく耳にする方言の話者同士であればそれぞれが自分の国の公用方言(地元方言全開ではない標準語ミックスの話し言葉)で話していてもある程度意味は通じます。
もし通じない場合は純フスハーもしくはフスハー色を一層強めたアラビア語で意思疎通をすることになります。とはいえフスハーがしゃべれない人も少なくないため、そのような場合には英語やフランス語といった外国語に頼らざるを得ないことも。
ちなみに他の地域のアラブ人視聴者を想定したYouTube動画だと、方言はしゃべっていてもフスハー寄りで言っていることがわかりやすいトークになっていることが多いです。そのような動画は日本人学習者にも聞き取りやすいので、複数のアーンミーヤを話せるようになっていなくてもシリア、レバノン 、エジプト、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、イラク、イエメンなど各国の映像を楽しめて便利です。
同じ国の違う方言話者同士とつなぐのは首都方言ベースの公用方言
アラブ世界の違う国同士は上記の通りですが、シリアとかエジプトといった具合に同一国家内における違う方言同士だとまた事情が違ってきます。
どの国もメディアで採用されている標準の方言というのがあり首都で話されている方言が持つこてこての地域色(なまり、語彙)を薄くしてもう少しフスハーに寄せたアラビア語となっています。
たとえばシリアだとダマスカス方言がスタンダードになるのですが、アレッポなどかなり違う方言だと地元方言全開でしゃべった場合ダマスカス辺りの人は理解できなくなってしまいます。そこで出てくるのが標準となる首都方言ベースの公用方言で、彼らは出身地のシリア方言とは別にメディアで流通している癖の少ない首都方言風標準語を別途話したりして他地域出身のシリア人とコミュニケーションをとったりします。
上でも触れましたが、このようなメディア採用の公用方言を اَللَّهْجَة الْبَيْضَاء [ ’al-lahjatu-l-bayḍā’/baiḍā’ ] [ アッ=ラフジャトゥ/ラハジャトゥ・ル=バイダー(ゥ/ッ) ](直訳すると「白い方言」)などと呼ぶのですが、意思疎通が難しいことも少なくない国内各方言話者同士をつなぐ役割を果たしたり、他国のアラブ人がアラブ各国の文学作品やドラマを楽しむ一助になっている一方、その国における標準語のようにふるまい支配的な存在となっていることから国内各地の固有の方言を破壊した続けていると糾弾されることもしばしばです。
日本では出身地の方言と標準語という切り替えになりますが、アラブの場合は日常会話レベルだと地元方言↔公用方言(≒首都方言)の使い分けになり、シーンに応じて文語フスハーも話すとなると3種類のアラビア語(口語×2+文語×1)の間を行ったり来たりするといった形になります。
アラブ世界ではフスハーとアーンミーヤの二層状況(ダイグロシア)であることは有名ですが、実際にはアーンミーヤとフスハーの間に公用方言がはさまっているような形になっています。
またイラクのクルド人のようにクルド語+イラク方言+フスハーといった具合にアラビア語以外の言語とアラビア語とを複数使い分け、さらに学校で学ぶ英語のような欧米言語も加わるという状況がアラブ各地でしばしば見られます。
変化する方言、廃れていく方言
クライシュ族が住んでいたマッカ(メッカ)のあるヒジャーズ地方はフスハーにつながりのある方言の故郷でもありますが、遊牧民の移動や現代に入っての外部住民流入により生粋のヒジャーズ方言が薄れてきているのだとか。
留学やインターナショナルスクール普及によりフスハー教育が足りず上手く話せない若者も増えてきていると言われています。外来語も常に入ってきているため方言自体も古いものが廃れ、話者がいなくなってしまった例もあるとのこと。
情報化社会、移住や就職による移動、教育による均質なアラビア語の教育が盛んになればなるほど消えてゆく方言は増えており、忘れ去られる前に記録に残しておこうと方言辞典を編纂する運動も起こっています。
イスラーム発祥の地サウジアラビアならフスハーに近い?
サウジ方言はフスハーそっくりではなく近隣地域の方言同様だいぶ違います。元々アラビア語を話していて部族ごとに発音や語彙が違っていた地域なので後からイスラーム化・アラブ化した地域よりも方言差が激しいのでは?と感じることもあります。
趣味でサウジアラビア北部に住む部族の伝統芸能ビデオをよく見るのですが、語り部が話している生粋の部族方言はフスハーと全然違っていて管理人はほぼ理解できません。サウジアラビア人や他国のアラブ人にも聞き取れない可能性があるということでアラビア語での字幕がついていることもあります。
各地域のフスハー・アーンミーヤ事情
国によってフスハーの占めるウエイトは異なっていて、アーンミーヤの立ち位置も様々です。
アラビア半島
アラビア半島はイスラーム発祥の地を擁するサウジアラビアやその周辺諸国、メソポタミア地方のイラク、山岳部があり古代王国の末裔たちも暮らすイエメンなど、いくつかのセクションに分けられます。
アラビア半島は一般的にシリアやレバノンの都市部に比べると力強く喉を使う発声が特徴的です。湾岸地方の多くで [ q ] の音が [ g ] に、[ j ] の音が [ y ] に変わるといった発音の変化が見られますが、分布としては全域に一様という訳ではなく入り組んだ状態となっています。
漁民が多かった沿岸部では海の男たちが対岸や周辺諸国の女性と結婚する形で遊牧民よりも通婚が進んでいた、商業が盛んだった地域ではインドからの外来語が非常に多い、といった具合にアラビア語以外の要素がたくさん含まれている方言も。
同じ国であっても定住民と遊牧民の方言が違うのは他のアラブ諸国でも同じですが、クウェートのような狭い国であっても方言が複数あり定住民方言と遊牧民方言がそれぞれ分岐。定住民方言は地区による差があり、同じ単語でもつける母音が違うといった感じで聞くと出身地域が分かるといったことがあるのだとか。
イエメンは現在は [ j ] の音で発音されている古い [ g ] の発音があり、エジプト首都方言の [ g ] 発音の発祥地と言われています。イエメンにはヒムヤル王国の末裔であることを誇る人々が今も暮らしておりヒムヤル語を使った歌などもリリースし続けています。
さらに古都ザビードにはフスハーでの生活を堅持している住民らがいるなど大変興味深いエピソードを抱えている土地ではあるのですが、フスハー生活に関しては既にその伝統は途絶えてしまいました。
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イラク
アラビア半島の上のメソポタミア地方にあるイラクは国内や隣接地域に色々な民族が住んでいることもあり日用品の名前や文章の色々なパーツにアラビア語以外の痕跡が見られます。
「ある」「ない」という語に古いバビロニア時代の名残りがあったり、食器・家具の名前がトルコ語・ペルシア語由来で他のアラブ諸国と違ったり、「~もまた」という意味の副詞がペルシア語のものをそのまま使っていたりします。
発音はアラビア半島の湾岸地方とシリア・レバノン・ヨルダン付近とペルシア語を混ぜたような感じで、比較的柔らかに聞こえます。地続きなこともあって色々な単語をそれらの地域と共有するなどしているようです。方言辞書で調べるとヨルダンと同じだったり、湾岸地方と同じだったりということも。
日本語の方言にたとえると何でしょうか…ペルシア語とトルコ語の外来語は多いもののアラビア語のベース部分はそんなにぶっ飛んだ個性は無いので、発音とか抑揚という面から名古屋弁とか栃木弁とかかな?という印象です。
昔はもっとペルシア語・トルコ語由来の単語が多く若いイラク人が意味を知らない古い名称がたくさんあったとか。現在我々がメディアで触れているバグダード方言ベースのイラク標準方言は昔に比べると得意性がかなり薄まっている模様です。
なおイラク方言の文字表記は他地域との共通点がありながらも結構独特で、慣れないと何が書いてあるのか判読するのに時間がかかります。そのため同じ東方アラブ地域マシュリク出身のアラブ人が「イラク方言だから読んでもよくわからない」と書き込んでいるのをしばしば見かけます。
シリア・レバノン・ヨルダン・パレスチナ
シリア・レバノン・ヨルダン・パレスチナ周辺はフスハーを理解しかつ自分でもしゃべれる人が多いというのがアラブ人ネイティブの中での認識だと言われています。
シリアなどで話されているレバント方言(レヴァント方言、シャーム方言)は癖の少ないアクセントと話し方、京都弁っぽさがある、として多くの日本人学習者に比較的長年好まれてきました。
*シャームという言葉には広義・狭義の2種類がありシリアでシャーム方言というと首都ダマスカス方言を指します。
ただ発音がきれいだというのは同地域が好きな方の評価である部分もちょっとあって、ベイルート辺りはチュニジア同様に長母音のāが完全にēになるという強いクセがあることで有名です。
農村部やベドウィンの方言も首都とはだいぶ違いますし、トルコ語の影響が強かったアレッポ方言は特殊で同国人にも理解できないぐらい難しいことで有名だったり、シリア北部はイラク方言の方に近かったりで、やはりこの地域も多様性があります。
シリア・レバノンの方言はフスハーに近いと言われることが多いですが、言葉遊びや言葉の応酬を楽しむ地元民向けのテレビドラマになるとフスハーを勉強しただけではほとんどついていけないことからすると、おそらく生粋の地元方言はフスハーそっくりという訳ではなくこの地域の人がフスハーに寄せた公用方言を話すのが上手い可能性がかなり高いのではないかという印象です。
ちなみにレバノンもフスハーを理解できる人は少なくないですが、同じレヴァント地域の他の国に比べてフランス語や英語が混じっている人が多めだと言われています。レバノン方言はテレビドラマや歌謡曲を通じて馴染んでいる人が多く、アラブの街頭インタビューでも「やわらかい雰囲気で愛らしいから好き」という回答が多い方言でもあります。
シリアは国外で人気の口語テレビドラマもありますがとても得意なのが大河ドラマの制作で、フスハーを使った中世舞台の作品を数多くリリースしています。シリアはフスハー以外のアラビア半島舞台のベドウィン大河ドラマ撮影を請け負うこともあり、同地の俳優やらは湾岸地方のベドウィン方言ベースで書かれた台本で演技するなど色々な挑戦をしているのだとか。
エジプト
エジプトはフスハーを話せる人が少なめで、フスハーで道を尋ねたり買い物をしようとしたりすると返事が返ってこないこともあるので留学する時には方言を覚えておいた方が良いと言われている地域です。
陽気で威勢が良い方言なので特定ジャンルの映画吹き替え用として向いているのですが、一方でアラブ人ネイティブの中にはエジプト方言が好きじゃない、変だと感じるという人も少なからずいて、評価が分かれるようです。
エジプトは中東・アフリカ地域で一番最初にオリジナルアニメを作った国で、テレビ番組や映画の制作が非常に盛んです。エジプト人の弾丸トークも相まってコメディ・娯楽に強いというアラブ世界でも独自の地位を有しているように思います。
出稼ぎでアラブ諸国に行く人が多いこと、学校の先生として他国で教鞭を執る人が多いこともあって、エジプト方言に触れたことがあるアラブ人は各地にいて聞けば理解できる人の数がアラブ世界の中でも突出していると言えるかもしれません。
日本では「アラブ人でエジプト方言を理解できる人が多いのはテレビ番組などのおかげ」と紹介されることが一般的ですが、学校の先生を通して学び取った人が多いことは無視し難い要因となっています。アラブ諸国が近代的な学校制度を整備し始めた頃、人材が足りずエジプトから各国に多数の教員が派遣。全てフスハーで授業するとは限らなかったので子供たちは毎日エジプト方言を聞いて過ごし、大人になってからもかなりの理解能力を保持している人が少なくありません。
メディアに出てくるエジプト方言は首都カイロの方言がベースですが、テレビドラマにはナイルデルタやナイル川上流(上エジプト)の農村を舞台としたものも結構あり衛星放送の電波を通じて国外にも届けられています。
なお、エジプト方言は日本で大阪弁に例えられることがしばしばあります。小説などの和訳でエジプト人のせりふが大阪弁になっていることがあるのもそのためです。
日本人学習者の間ではエジプト好きとエジプト嫌いに分かれる傾向が強めで、エジプト首都方言の ج [ g ] 発音が好きになれない方も結構いたりします。
このエジプト方言敬遠はかつてシリア留学者が非常に多かったことも一因である気がするのですが、子音 ج の発音だけでな多くの語でアクセント位置が違う、疑問詞の位置が他の方言と違って文の後方に移動する、他地域では弁別点の有無で区別する ـي と ـى を中世同様区別せず ـى(点無しヤー)で統一する、ء(ハムザ)正書法(正字法)がエジプト式で異なるなど、独特な点を多数有していることも関係しています。
スーダン
スーダン方言はエジプト方言にだいぶ似ているのですが発音などが上エジプトのようにもう少しベドウィン方言寄りで、スーダン独特のイントネーションもあっていわゆるエジプト方言として知られる首都カイロ方言とはだいぶ違っています。
北アフリカにあるアラブ連盟加盟国ですがモロッコやアルジェリアなどのマグリブ方言とは大きく異なります。
マグリブ
北アフリカのリビア・チュニジア・アルジェリア・モロッコ近辺は、中世にアラビア半島からはるばる移住してきた部族がアラビア語らしさをかなり残した方言を話している地域もあるそうですが一般的にはフスハーの使用率が低く、方言も独自性が強いことから東寄りのアラブ人ネイティブから「聞いてもほとんど理解できない」「難しすぎる」と言われることが多いです。
フランス統治時にアラビア語使用が大きく制限されていた、フランス語の外来語が多い、アマズィグ(ベルベル)の文化・言語が入り混じっている、母音の脱落が多めで語彙も全然違う、といった要因が重なっているためフスハーを勉強しただけではほぼ理解ができず別途勉強し直す必要があります。
フスハーやアラブ世界東部のアーンミーヤを複数勉強し学習歴が10年を越えていてもマグリブ方言は理解不能、という方が多いぐらいこの地域の口語は違っています。
フランス語・英語重視度が強いことも手伝ってフスハーをやってもフスハーで返せる人が少なく、方言で返事をされた場合に自分が勉強したフスハーと違いすぎて理解できない、ということで「日本人が旅行に行く時はフスハーよりもフランス語を話せた方が便利かも。」と感じる人が少なくないようです。
ちなみにマグリブ地域については元々その地域のフスハー自体がアラブ地域東部のフスハーとは違う独自性を持っていました。アルファベットを区別するための弁別点の位置が違うものが開発されたり、アブジャディーヤと呼ばれる古いアルファベット順が違ったり、数字の形状も異なったり(グバールという西欧のアラビア数字の原型)という状況が中世に既に存在していました。
フスハーができる人、わかる人、そうでない人
フスハーで生活している人なんていない?
日本では「フスハーで生活している人はゼロ。誰もそんなことしていない。」と言われますが、実際には存在します。
非常にまれなケースとはなりますが、親の教育方針や本人の好み・意向でフスハーで通している人がいます。周囲から浮いていても街中で相手が固まってしまっておかしなリアクションが返ってきたとしてもフスハーが好きだから家でも外でも話すんだという意気込みで貫いている人たちです。(子供でこれを実践する場合小学校でからかわれることも多いのだとか…)
近年増えているのはフスハーによる吹き替えアニメを毎日見すぎてフスハー漬けになる子供です。とはいえ普通は家族と方言で会話するのでフスハーで全生活を通そうとする子供はめったに出現しません。
いずれのケースも非常に珍しいということでテレビが取材して紹介していることもしばしばです。そのぐらい特異で珍しい存在です。
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アラブ人の観点からフスハーを長年保持していた、フスハーの色彩が濃い言葉を話しているとされている方言について。
フスハーを学んだことが無い人たちの存在
識字率が高いとはいえない国・地域、階層もあり、義務教育ですら最後まで受けない子供たちもいます。それゆえアラブ人がフスハーを話せるという技能を、日本の子供から大人までが揃って標準語を話せることと同じ意識で捉えることはできません。
幼い頃から仕事に出てふだんニュースや新聞も読まない場合、フスハーとは縁遠い生活を送る形になります。
フスハーをあまり学ばない人たちの存在
アラブ世界は平均読書時間が数分と非常に少ない地域で、学校時代にテストのためだけにフスハーを勉強したら卒業後はそれっきり、という人も多いです。
またお金をかけてインターナショナルスクールに通わせたり留学させたりする家庭も少なくなく、学歴の高さとアラビア語能力の高さが比例しない若者も増えてきています。そうした若者たちは家族や友人とは方言で話せるものの、フスハーを使っての授業を受けたりレポートを提出したりするのに難があることも珍しくありません。
北アフリカのマグリブ地域であるチュニジア、アルジェリア、モロッコは植民地時代のアラビア語制限・フランス語教育や移民による本国との往来の多さからフランス語の影響(モロッコだと地域によってはスペイン語)が非常に大きく、教育の場でもフスハーの影が非常に薄いことで知られています。
そのような地域ではアラビア語と名前のつくもので話せるのは口語だけで、フスハーにあまり触れないまま大人になる人の割合が高めです。
フスハーの訓練を受ける時間が少なければ少ないほど、理解はできるもののフスハーで話せない・作文できない度合いが強まっていくことになります。アラビア語は子音しか文字に書かず母音は自分が補いながら読まなければならないので、フスハーに触れる時間が少なく語彙数が少ないと文章を渡されても正確に音読することができません。
正書法・正字法通りに文字をつづれない人も少なくなく、つづりや母音記号の位置が違うといった誤用も非常に多いです。
口語的な誤記の例
× الإمتحان
○ الامتحان
ء をつけてはいけない場所に書く例。
× اول
○ أول
本来 ء を一緒に書かなければならない語でも口語では書かないことが多いが、それを文語の作文でしてしまう例。
× جامعه
○ جامعة
語末の ة を口語つづりの ه で書く例。
× ماشالله
○ ما شاء الله
口語での声門閉鎖音 ء の脱落「マー・シャーアッラー」→「マーシャッラ(ー)」に即した書き言葉的なづづりをフスハーの文章でも使ってしまう例。
× إنشاء الله
○ إن شاء الله
「イン・シャーア・アッラー」と区切るべきところを「インシャー・ッラー」と2語に分けてしまい、「インシャー」の部分が「設立」という語と同じつづりになってしまう例。
× أنتي
○ أنت
女性二人称女性の「アンティ」を口語にひっぱられたつづりを文語の作文でもしてしまう例。
フスハーのアウトプットまでできる人は決して多くない
ニュースでは毎日流れているし本も新聞もフスハーで書かれていますが、理解できるからといって話せるとは限りません。そのような現状が、アラブ諸国に存在する知識人の集まりやアラビア語委員会のような組織がフスハーの運用能力が高い人が少ないことを心配し、口語が幅をきかせることを規制すべきだという声明を出すことにもつながっています。
フスハーが苦手な大人もいれば、フスハー三昧でペラペラの小学生もいます。ペラペラな子供たちのインタビューを見てみると、いずれも親が大量の本を買い与えている、本人が多読である、創作活動を志していて意欲的にフスハーに触れている、などの共通点を見出すことができます。そういう色々な例を見ていると、意識して習得しないとアラブ人ネイティブでもフスハー運用能力は向上しないままだということを痛感させられます。
アラブ世界ではフスハーが危機に瀕しているという声も聞かれ、実際に統計をとったところ年間の読書量がわずか6分だという結果が出たのだとか。
「私は今日学校に行きました。」的な基本文以外のフスハーが出てこずアーンミーヤしかしゃべれない人が非常に多い、そんな現状が別ページにて紹介している「あなたはフスハーしゃべれますか?」という番組がお笑いバラエティ的な扱いを受けている背景にあります。
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文語であるフスハーを街中の人に話してもらうという定番のお笑い動画を紹介。フスハーを流暢に話せる人が少ない現状、能力はあっても日常生活で使うのはおかしくて笑ってしまう人が多いという標準アラビア語の位置付けについて。
フスハーを話せるのはどんな人?
フスハーは外国ではないものの日常会話の口語とは違う部分も大きいので、話せるようになるには語彙を増やす日頃の積み重ねとフスハーで話したり思考したりする時間の確保が必要になってきます。
つっかえることなくフスハーを話せるのは、意識して日々フスハーに触れている人、宗教系の大学で徹底的に訓練を受けた人が多いです。アラビア語科出身者もアラビア語の知識は豊富なのでフスハー運用能力は高めだと言えますが、フスハーを使ってのスピーチを訓練する訳ではないので全員がフスハー会話に堪能だとは言えない模様。(実際、アラビア語学科学生が参加するフスハーチャレンジ動画でも方言を出してしまうシーンが度々出てきます。)
アナウンサーもスラスラとフスハーで原稿を読むことができますが、その技能に関しては個人差が見られます。(アナウンサーに関しては、「チャンネルはそのままで」の意味の ابقوا معنا をフスハーのイブカウ・マアナーを口語版の動詞活用であるイブクー・マアナーで読む人がとても多いです。)
日常の出来事を言い表したりニュース・学問に関連した事柄を表現したりすることができる通常のアウトプット能力の上には、演説を行う雄弁さを身につけるというフスハーを仕事で使う専門家レベルの領域が存在します。
そのような専門家、フスハーでの説法をしなければならない宗教家の卵などは、اَلْبَلَاغَة [ ’al-balāgha(h) ] [ アル=バラーガ ](=修辞学、雄弁術)を習得していることが一般的だと言えるかと思います。
彼らの演説を聞いてみると、文末のリズムを合わせるといった技法に加え、フスハーとアーンミーヤをわざと混ぜて使っていると思われる場面にたびたび出くわします。一般的な知識人が興奮してきてどんどんアーンミーヤを出していってしまうのとは違い、明確な話術のようなものを感じさせられることも。
高学歴なアラブ人は絶対にフスハーができる?
高学歴でも欧米に留学したりしてアラビア語につぎ込む時間が少なければフスハーの運用能力はそのぶん落ちてしまう確率も高くなります。アラブ地域では外国語で大学の教育までを受けた層がフスハーをほとんどしゃべれないという現象も見られます。
フランスによる統治の影響が今も強く残っている北アフリカ諸国も、そのような事情でフスハーよりもフランス語の方がずっと得意で楽だという人が大勢います。
アラブの学校や大学ではフスハーで流暢に話せる能力を大人になるまでに育て続けるシステムが整っておらず、アラブ世界の西側はフランス語・東側は英語で授業をする大学や学科が多いため「大学でもフスハーそのものやフスハーを使った勉強をするだろうから、卒業時にはフスハースキルもよりアップして上手に会話できるようになっているはずだ」「大卒ならフスハーができる」とはなりにくいのが現状のようです。
読書や授業を通じてインプット側のフスハーはできても、学んだこととは違う分野も含めた広範囲な事柄に関して表現を行うアウトプットまで持っていくのはまたさらにその先のレベルの技能となります。しかし現状では大学に進んでも色々な筆記試験に合格しても、実用的なフスハー会話の訓練を長年受けたということにはなりません。アラブ世界にフスハー会話がが苦手な人たちが多いのもそのような事情によります。
『アラブ街頭インタビュー「あなたはフスハーしゃべれますか?」』で紹介している動画にも色々な国の学生たちが映っていますが、朝起きて大学に来るまでをフスハーで説明するのも大変だという人が結構多いのがわかるかと思います。
フスハーは子供だとまだ話せない?
フスハーが高学歴の大人だけが話せるということも決してなく、親の教育次第では語彙がまだ少ないにせよ小学生の段階でペラペラになることも可能です。(環境次第では3歳ぐらいでもフスハーだけの会話ができるようになるという実例が複数あります。)
乳幼児時代からフスハーとアーンミーヤのバイリンガルに育てるメソッドを実践している親や幼稚園もあり、そういう環境では文法を教えるのではなくフスハー会話を浴びながら母語として自然に習得するという方法がとられています。
フスハーの子供番組やアニメが氾濫していて、まれにフスハーしかしゃべれない子供が出ていてテレビで報道されることも。アニメによるフスハーの影響力は非常に大きく、アニメ世代はそれ以前の大人よりもフスハーが得意だと言われています。
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アニメ・子供番組の影響からフスハーだけで生活している子供たちの話。UAEのご当地アニメ、日本アニメやディズニー作品の吹き替えの話題も。 - フスハーに打ち込む子供たちの晴れ舞台、アラブ読書チャレンジ
フスハーをペラペラ話す子供たちが世界各地から集結するアラブ読書チャレンジとその決勝戦や優勝者についてまとめました。子供のフスハー習得過程に関してとても参考になります。
└ アラブ読書チャレンジ~第1回優勝者はアルジェリアの7歳男児
フスハーにも何段階かの難易度がある
フスハートークも1通りではなく、語末の母音を省略する楽ちんなタイプ、母音を読んで格変化を正確に読み上げるというハードルが非常に高いタイプとがあります。詩については語末の発音などが独特で、散文とはまた違った文法を学ぶ必要があります。
語彙力があればフスハーで自分の意見や思考を存分に表現することができますが、語末の母音を1個も間違わずに延々と会話できるかどうかということになると文法知識や日々の訓練が別途必要になってきます。
社会学部や工学部を出た人と、宗教系大学やアラビア語学科を出た人とではそこの部分に大きな差が出やすく、同じ基準で一律にフスハーの力を比べるのはあまり容易とは言えないように感じます。
アラブ人が特に苦手なのは、イウラーブという格変化や構文解釈のような作業をさせられながら「あなたはフスハーわかる?」と試されることらしいです。伝統的なアラビア語教育は実用性に欠ける部分があり、フスハー衰退の事態解決には新しいタイプの実践的な教授法が必要だという声が上がってきています。
アラビア語に対する人々の取り組み
低下する若者たちのフスハーアウトプット能力
フランスによる委任統治の影響から近隣地域に比べてフランス語の流入が多めだったレバノン。こちらの動画では、比較的高い年齢層もフランス語まじりの挨拶をする風潮が元々あったことを市民たち本人が語っています。
そしてそのような土壌に英字表記によるアラビア語メッセージ入力が加わり、欧米の言葉を混ぜるのがクールだという認識が強まった話が続きます。
途中で出てくるイエローテープと地面に落ちているアラビア文字 م は瀕死の状態のアラビア語をイメージしたアート作品?らしく、テープにلا تقتل لغتك(あなたの言語を殺してはいけない)と書かれています。
若者世代のフスハー能力を高める現代的な新しい学習方法
カイロやロンドンから放送しているニュースチャンネルの動画です。
アラビィーズィーやフランコと呼ばれている英数字によるアラビア語チャットメッセージ入力が台頭したこと、人々のフスハーを使いこなす能力が低下してきていると言われる中で若者たちのアラビア語作文力が落ちてきていることなどがテーマになっています。
メガネをかけている男性はエジプト人ジャーナリストで、اكتب صح(エジプト方言で「正しく書こう」の意)という作文指南のウェブサイトを運営しています。
若者らとつながるにはソーシャルメディアを使うのが最適だと感じ、わかりやすいのに効果絶大な方法を伝授する動画などを提供しているそうです。問題の解決には座らせて紙とペンを使わせる伝統的な教え方ではどうにもならず、アプリやゲームを活用しながらスマホで気軽に取り組めるレッスンを重視しているのだとか。
ちなみに司会2人はレバノン方言、ゲストはエジプト方言メインでメディア用に多少かしこまった感じにはなっていますがどちらも口語で話しています。
こちらはサウジアラビア系のニュースチャンネルに出演した時の動画です。巷にあふれる誤字看板の写真を見ながらつづり間違いがどこなのか、どう直すべきなのかを点検しているコーナーも。
ちなみにそうした正しいつづりを学ぶアラビア語の国語科目は اَلْإِمْلَاء [ ’al-’imlā’ ] [ アル=イムラー(ゥ) ](=正書法、正字法の意)と呼ばれます。
フスハーとアーンミーヤに関するよくある話題・質問
アラビア語の習得について日本でよく話題になる疑問をピックアップしてみました。
フスハーとアーンミーヤは乖離してきっちり二分されている?
実際にははっきりと二分されているという訳ではなく、フスハーに触れることなくアーンミーヤだけで生活している人以外に関しては、公的な場で使うアラビア語といっても色々な濃度でフスハーとアーンミーヤが混ざり合っています。同一人物が場に応じてアーンミーヤの度合いを調節して使い分けたりもします。
アラブ世界ではほぼ全員が日常生活をアーンミーヤで送っているのですが、かしこまった場は型通りのフスハーだけが使われているという訳ではなく、ほぼ100%フスハーというものからアーンミーヤ率が高いものまで様々なバリエーションのアラビア語が口にされています。
大学の講義も、イスラーム系教育機関やアラビア語学科のようなところでは基本的にフスハーですが、それ以外の学部ではアーンミーヤ率が高かったりして画一的ではありません。
「フスハーはニュースの言語」と紹介されることも多いですがそうとは限らず、フスハーとアーンミーヤの混合や切り替えが広く行われています。ドキュメンタリー番組も愛国・自国文化・歴史回顧系のコンテンツだったりするとわざと地元方言のアーンミーヤでナレーターがしゃべっているということがあります。
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教育現場におけるフスハーとアーンミーヤの使用状況について。アラビア語学科のフスハー重視タイプやそれ以外の学部のアーンミーヤによる講義など。
フスハーは現代における古文・漢文やラテン語的存在?
フスハーは日本でいう古文・漢文に相当するので難解だという説明をされることがあります。また欧州にとってのラテン語に相当するので知識人しか使えないと言われることも多いように思います。
しかしフスハーは時代によって人々のフスハー離れが起きたりしたものの、毎日のお祈りやモスクでの金曜集団礼拝時の宗教説法といった民衆が関わる宗教関連の場では途切れること無く使い続けられてきて、学問書や文学作品もフスハーで書かれて続けてきました。
現代では幼稚園から大学までアラビア語教育を通じて伝授され、ニュースとして動画や音声の形で流れ、本や新聞の形で手元に入手することも可能な現役の言語です。昔使われていたちんぷんかんぷんな言語というよりは、大昔から使い続けられているけれどもアーンミーヤと両立して勉強するのが大変だから自由自在なアウトプット段階までマスターしている人が少ない言語、というのが適切な表現かもしれません。
その点で日本語の古文・漢文とは大きく違います。現代におけるラテン語の立場とも違って、もっと幅広く現役で使用されています。ラテン語にたとえるとしたら古典期のまだまだ現役時代だった頃にむしろ近いかと思います。
アラビア語はフスハーもアーンミーヤも現役で両方ともが社会の中に流通しているので、覚えなければいけないアラブ人は大変なようです。
フスハーは日本でいうところの平安時代の言葉みたいだから変?
平安時代の日本語と現代の日本語との関係とは異なるフスハー事情
日本では「アラビア語のフスハーは平安時代や中世の日本語みたいだから現代アラブ人にとっては古風すぎておかしくてたまらない」といった紹介をされることがしばしばありますが、日本にはアラブ世界の文語事情に相当するものが存在しないのである程度あてはまるものの妥当な説明だとは言えない気がします。
日本の場合、平安時代に使われていた日本語は現代の標準語と大きく違い、有名な文学作品も古文の勉強をしないと理解できません。アラビア語のフスハーのように現役で新聞・ニュース・本・お菓子のパッケージに使われていることもありません。
しかしアラビア語のフスハーはそこまで激しい変化を経験していないので、日本人の感覚で「現代の日本語で暮らしている我々が平安時代や江戸時代の日本語を読んだり聞いたりした時と同じ」と理解することは適切ではないと言えるのではないでしょうか。
元々二層状況だったアラビア語とずっと続いているフスハー
アラブ世界ではもともと文語と口語の同時使用という日本とは違った環境なので、「フスハー=死語の塊でしかない呪文みたいな古臭くて難解な古代の言語」とはかなり違います。かしこまった席や公的な場所では同国人同士でもフスハーで会話したりするので現代日本における平安時代の日本語とは立場に格段の差があります。
どちらかというと現代日本の標準語と九州・沖縄や東北の方言との関係性に近いのですが、アラブ諸国語では日本ほど標準語で会話する割合は高くありません。強いて日本での事例にたとえるなら、津軽弁の集いに参加しているのに1人だけバリバリの標準語で話し続けているような場違いさ・違和感に近いかもしれません。
アラブ人がフスハーを聞いて違和感を覚えるのは、普段の口語と違う上にそれを使って生活することはほぼ皆無で、テレビで聞くし新聞・ネット記事も本もフスハーなので日常的に触れてはいる割には話すのは学校で勉強したきりという人が多いので
- 「テストのために勉強しただけだから元々話せないフスハーなんて今さら無理」
- 「フスハーなんかすっかり忘れてしゃべれない」
- 「久々にフスハーでしゃべったから変な感じがする」
- 「フスハーで普段話すような場面ではないから違和感がすごい」
- 「学校の国語の授業で教科書を読み上げているような気分になってくる」
- 「フスハーで話すのが一般的な知識人や宗教家のトークみたいでおかしい」
- 「全編フスハーせりふの時代劇みたいでコントをやっているみたい」
となってしまうことが大きく関係していると言えます。
現代人が特に珍妙だと感じるフスハーの種類
現代標準アラビア語(フスハー)は近現代化に伴い死語や難解複雑な構文を取り去ったなので、イスラーム初期~中世に話されていたがちがちの文語文とそれによる会話とは違っています。
しかしアラブ世界の時代劇などは当時のフスハーを意識して現代では行われなくなっているイウラーブをわざとやって語末格変化の母音をせりふに取り入れており、これらはアラブ人にとってかなり違和感を感じる非日常色の強い古風なフスハーという風にとらえられるのが一般的です。
近現代のフスハーではもう言わなくなってしまった語末格変化をいちち言うので、コメディーのネタに使われることもしばしばです。
フスハーはクルアーンの言葉?イスラームの典礼言語?
アラブ人にとってアラビア語のフスハーはアッラーが預言者ムハンマドに啓示を与えた言語であり、一般が信じているところによれば天国の楽園で人々が話すのはアラビア語だともされています。
そのためフスハーを保持しようという意志とイスラームやクルアーンを大切にすることとは大いに関係してくるのですが、それ以前からアラブ人全体が共有する文語としての役割を果たしていたため「フスハーを学ぶ=イスラームやクルアーンを必ず学ばなければいけない」ということはありません。
フスハー自体はイスラームの布教が始まる前から部族共通語的に使われており、当時作られたとされるジャーヒリーヤ詩は現代でもアラブ文学の最高峰的存在として愛好されています。フスハーはイスラームの典礼言語としてのみ生き残っている訳ではなく現在も色々な分野において現役で使われいるので、自信を無神論者やマルクス主義者と自認しているような文学者であってもフスハーを愛好し運用しています。
宗教儀礼でのみ用いる典礼言語ではないですしイスラームという宗教に特化した宗教言語でもないので、学習者は自分の好みに応じて小説や歴史メインでフスハーを勉強することもできます。
外国人学習者向けに宗教色が薄く代わりにアラブの現代政治・社会・習俗を学べるように編纂したテキストも色々と出ています。ただし古典的なアラビア語学者らがクルアーンを徹底的に研究したこともあって文法書で引用される頻度が多く、中級~上級レベルになると宗教関係の古典文書や歴史書などに触れる機会も増えていく傾向があります。
アラブ世界では全部のニュースがフスハー?
政治・社会関連のニュースはフスハーで読み上げるのが普通ですが、ニュースの間にキャスターが雑談する時にはアーンミーヤに切り替わることが結構あります。
汎アラブニュース局ではない特定地域向けのチャンネルだと『おはよう◯◯』のような番組があると思うのですが、そういう中で流される天気予報・芸能情報・美容レクチャーといったセクションやスタジオでのトークはアーンミーヤで行っていることが多いです。
ニュース番組で流す街角インタビューも一部の人以外は方言なのでアナウンサーがフスハーで伝えていてもはさみこまれる動画はアーンミーヤになったりします。
なので外国人学習者はフスハーだけしかやっていないと街の人が怒って叫んでいる場面に切り替わると言っている内容が突然理解できなくなります。管理人自身もかつてはそうでした。今はエジプト以東ならなまりの少ない方言会話ならある程度対応できるようになりましたが、それら地域の方言と大きく違うマグリブ諸国のニュースになるとインタビュー場面で何をしゃべっているのか相変わらずほとんど聞き取れないです。
アラブ人が他地域の方言を理解できるのはお互いが似ているから?
共通性も数多いですがそれほど似ていないです。近現代化を経ていない全開状態の方言だと同じ国の人ですら理解できないことが多いと言われています。
違う国のアラブ人同士が方言でも意思疎通できるのはメディアがなまりを減らした公用方言ばかりを使っていることと、テレビドラマや映画を繰り返し見ることで語彙を学んで視聴者の側が「聞けば理解できる」レベルにまで到達しているためです。
そういった予備知識が無ければ相手に「それってどういう意味?」と何回も尋ねる羽目になるものと思われます。
アーンミーヤの学習書を見たら意外とフスハーと似ている気がする。実はアーンミーヤって簡単?
入門書はその方言の特徴が全開になっておらず親しみやすいように易しい文章になっているためエジプト以東のマシュリク諸方言のテキストに関してはフスハーとの差異を感じにくいです。
日本でその土地固有の方言を話せるのが年配世代だけとなり若者はなまりが少ないバージョンしかできなくなってきているのと同様、アラブ世界でも教育・徴兵・就職・移住・メディアの影響で各方言間の差異が薄まり昔ながらのしゃべり方で古い語彙を自在に操れる人が減ってきています。
これが上で紹介した公用方言もしくは平易化されたフスハー اَللُّغَة الْبَيْضَاء [ ’al-lughatu-l-bayḍā’/baiḍā’ ] [ アッ=ルガトゥ・ル=バイダー(ゥ/ッ) ](直訳すると「白い言語」)もしくは اَللَّهْجَة الْبَيْضَاء [ ’al-lahjatu-l-bayḍā’/baiḍā’ ] [ アッ=ラフジャトゥ/ラハジャトゥ・ル=バイダー(ゥ/ッ) ](直訳すると「白い方言」)で、フスハーとアーンミーヤとの間に位置する存在だと言われることが多いです。
我々が耳で聞いて「意外と簡単」「結構フスハーに近い」と思っているのは実はそうしたなまりが少なくなった公用方言であることが多く、同じ国の遊牧民や農村の住民が身内同士でしゃべる方言になると急に理解できなくなったりということが起きます。
仮にスタンダードな首都方言ベースの標準語的な方言であっても、アラビア語の方言にはその土地特有の言い回しやことわざもたくさんあり、違う国のアーンミーヤに切り替える度に新しく覚えることもわんさか出てくるので深く学べばきりがありません。
学習と進めていくとフスハーとの関連性や他国方言とのリンクを見つけて「なるほど」と感じる機会も多いですが、その一方で新たに学ぶべきことが山盛りであることにも気付かされるのではないでしょうか…
フスハーは外国人学習者にとっては難解?
母音記号通りなので楽と言えば楽な文語フスハー
フスハーは文法ルール通りで母音記号で書かれた通りにはっきり発音して読み上げるため、聞いた時に元のつづりを推測しやすく、外国人学習者にとってはアーンミーヤよりも楽に感じるかもしれません。
英語圏などでは一生かかっても読みきれないぐらいの教材がたくさん出ていますし、単語帳も色々と売られています。熟語を集めた本やらニュース用語の学習書やらあれこれ揃っているので独学でも色々な情報を仕入れることが容易です。
一般的な読解や単語帳の学習をすればどんどんリスニングができるようになっていくので、留学していない日本人学習者であっても2年ぐらい集中して勉強すればAl Jazeeraのニュースやドキュメンタリーなどを聴き取れるようになってきます。
勉強すれば現代の新聞から古典的名作まで楽しめるようになる
現代標準アラビア語(MSA)自体は古典的なアラビア語の文語(フスハー)における表記や難解な文法を近代向けに整備したものの、根幹自体は中世のそれと大きく違っているというほどではありません。クルアーン朗誦という重大な宗教的行為と直結しているためイスラーム共同体初期の子音の発音も研究しつくされ保持されている状況です。
基本的にアラビア語において変化が見られてきたのは名詞、物の名称です。動詞や副詞といった文を形作る根幹は名詞ほど劇的に変わらず、フスハー文の主要パーツや構文自体はあまりいじられていない感じです。
そのため日本人学習者も現代標準アラビア語を学んだ後に古典を読むのに必要なレベルの文法事項を学習すれば辞書を片手に 1000年ぐらい前の文献もそのまま読むことができるようになります。
アーンミーヤの前にフスハーを勉強すると楽で良い?
個人的な感想としては、フスハーと関連付けてアーンミーヤの単語を覚えられたりもするので、フスハーのベース(学習歴3~4年ぐらい?)がしっかりしているとその応用としてアーンミーヤを覚える時の手間が省ける部分があるように思います。
フスハーで活用や発音面の特徴をしっかり学んでおくと、口語で起きやすい変化を把握しやすくなりそれぞれの方言における違いを意識するのが楽になり理解の助けとなってくれます。
アーンミーヤは特に意識せず学べば容易かもしれませんが、細かくつきつめて学ぶと長母音の短母音化、母音の脱落、フスハーにある語の単語内アルファベット順入れ替えなどが起きるため意外と厄介です。
ただ今すぐ現地で会話できるようにならなければいけない切羽詰まった必要のある人については、フスハーを先にやると1~2年のロスになり遠回りになってしまうためおすすめできません。また人によってはフスハーとの相性がとても悪くやる気がどうしても出なくて、アーンミーヤ学習にたどり着く前に停滞してしまって進まなくなるなど逆効果になるケースもあります。
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昔からの定番である、フスハーとアーンミーヤのどちらを優先させるべきかという話題について、個人的な見解・感想を述べたページです。
フスハーができればアラブ世界どこに行っても困らない?
残念ながらそのようなことはありません。国によってフスハーのインプットとアウトプットができる人の数は異なり、フスハーの存在感が薄い国ではフランス語や英語の方がよほど意思疎通に使えることが一般的です。
どこの国でもフスハーを聞く方と話す方の両方が達者な人はいますが、そこらへんの通行人に話しかけてその人がフスハーができるとは限りません。フスハーがわかってもフスハーで日常会話・旅行会話のアウトプットが上手でないことも多いので、こちら側が口語を知らないと双方向の会話が成り立たず難儀することになります。
フスハーを嫌がられたり、何言ってるんだ?的なリアクションでポカーンとされることも…
アウトプットの経験が少なく慣れないフスハーを一生懸命ひねり出して会話してくれる人もいますが、普段の会話とは明らかに違いすごく苦労しているのが伝わってくることもあります。次第にフスハーを要求したこちらまで申し訳ない気持ちになり、しかも言いたいことを伝え合うことがいまいちできなかったりで結局他の言語に切り替えるとほっとした表情をされるというケースもあります。
アラブの大学を卒業していればフスハーで話せて当然?
日本で勘違いされがちですが、そんなことはありません。
アウトプットまでできてフスハーで流暢に会話できるのは、母語としてアーンミーヤとのバイリンガルに育ててもらった人、フスハーの勉強をコツコツ怠らず論説・小説といった色々なフスハー文に触れて鍛えた人、普段から会話やスピーチをして経験値を積んできた人たちです。
学部や学科にもよりますが大学はアーンミーヤで授業が行われることが多く、日常会話や教科書以外のジャンルについては自発的に学ばないとフスハーであれこれ話す能力は向上しません。
アラブ人でもアーンミーヤとフスハーを同じぐらい流暢に話せるレベルまで到達するのが大変なので、外国人がその境地に達するには尋常でない努力と才能、そして長期間の並行学習が必要になってきます。
日本人で留学経験のある方だと「フスハーは得意だけれどもアーンミーヤは全然」「フスハー中心だけれどもアーンミーヤの基本的会話も覚えた」「アーンミーヤはペラペラだけれどもフスハーは読む・聞くだけ」「アーンミーヤのみでフスハーはできない」というパターンが普通だと思います。
両親のどちらかがアラブ人だったり長年現地に住んでいたりしない外国人がアラブ人並みにフスハーもアーンミーヤも堪能だったとしたら、TVが取材に来てもおかしくないぐらいのレア人材な気がします。