アラブの知識人とフスハー、アーンミーヤの様々な形

学のあるアラブ人はフスハーを話す時に絶対に方言を混ぜない?

大卒なら必ずフスハーを話せる、両方を混ぜるのはアラビア語ができない証拠という誤解

アラビア語は文語のフスハーと口語のアーンミーヤに大きく分けられます。日本では

  • フスハーは学校で勉強しないと身につかない
  • フスハーを話せるのは高学歴の大人
  • 知識人や有名政治家は必ず完全なフスハーで演説している
  • フスハー(文語)とアーンミーヤ(口語)は完全に乖離しているから、2つを混ぜてスピーチするのは能力が低い証拠

と説明されたり語られたりしているのをしばしば見かけます。

しかし実際のところ両者は完全に分け隔てられたものではなく、

  • 方言の要素が全く混じらず、大半の人がフスハー会話で省いている語末の格変化まで全部言うこだわりタイプ
  • 難しい格変化部分を省いた簡略化したフスハー
  • 少しアーンミーヤが混じっていて親近感を与えるフスハー
  • だいぶアーンミーヤ色が強いものの読書量が多く学がある人だとわかるフスハー語彙をふんだんに織り交ぜたもの
  • フスハーを寺子屋や学校で学んだことが無い人が話す、ほぼ生粋の方言

など、グラデーションのようにして様々なレベルのものが存在しています。

色水に例えるなら、フスハーが赤い水、アーンミーヤが青い水だとして、話者の社会的背景・学歴・知識の中身や場面・話す相手に応じてその混ざり具合が違い、ほぼ赤い水もあれば、赤みが強い紫もあれば、真っ青なものもある、といった感じです。

フスハーに混ざりやすいアーンミーヤ要素

テレビや講演会の動画を見ればわかるのですが、フスハーの会話をしていても意識的もしくは無意識に混ざりやすいアーンミーヤ的な要素というものがあり、それらはだいたいアラブ各国で似通っています。

アラビア語に関して「ニュースはフスハーで放送されている」と説明されることが多いのですが、アラビア語の専門家ではないキャスターたちが伝える放送というのは意外とアーンミーヤに引っ張られた発音になってしまっていることが少なくなく、雑談シーンではわざと方言で話すことも行われています。

いわゆる知識人などの出演者がニュース番組内でコメントする場合はキャスターが読み上げる原稿とは違って方言の割合が格段に増します。

これらの混合アラビア語ではその国に特徴的な子音の発音を通しているといったアルファベットに関する部分以外にも、数字・関係代名詞・疑問詞・指示代名詞といった基本表現の部分だけアーンミーヤになるといった現象が見られます。

そのためバリバリのフスハーで話しているのに、年号や数値のところだけ口語調になるということが頻繁に起きます。色水でいうと、赤に数滴青を混ぜたものに相当します。

わざとフスハーとアーンミーヤを混ぜる意図的な混合

本人がアラビア語学科やイスラーム法学者養成課程を出ていてフスハーでの会話が非常に堪能であっても、その場の性質や聴衆のタイプによってはフスハーとアーンミーヤの混合率をわざと調整することもあります。

場を和ませる、フスハーが苦手な人と気さくに会話する、相手の心に響く言葉を紡ぐ、自分の正直な気持ちであることを示唆する…など何らかの効果を狙って行っているものです。

フスハーを自在に操れる人は相手に応じて色々な割合でアーンミーヤを出したり引っ込めたりすることができ、同じ人物のスピーチであるにもかかわらずその人の気さくさや性格などに関して全く違った印象を与えることも少なくないです。

現地ではフスハーとアーンミーヤの中間体の存在と利用頻度の増加は周知の事実で、職場や学校での利用に関する異議や是非について議論されるなどしています。

興奮してきて無意識にアーンミーヤがどんどん出てくることも

フスハーの語彙をほぼ無意識に操れる人はそう多くなく、ある程度考えながら話している場合は話しているうちにどんどんフスハーが崩れてきて方言が混ざりだすということがしばしば起きます。

最初は格式高い文語色の強いフスハーを話そうとして語末の格変化まで言っている先生が時間の経過と共に語末の母音を省いた普通の簡略化された現代会話調フスハーになっていったり、討論番組で大喧嘩になってフスハーで話すことも忘れて方言で叫び合ったり、様々です。

このように、日本で思われているほどフスハーとアーンミーヤは分かれておらず常に混ざり合ったり行ったり来たりする関係にあると言えるかと思います。

出身地の推測すら難しいフスハー猛者

通常はフスハーで話していても上記のような方言的要素からその人の出身地を当てることができるのですが、中にはフスハー技術の能力が極めて高くアクセント位置や抑揚を完璧に使い分けられる人もいます。

エジプトのように他地域とはアクセント位置がずれる国に住んでいても全部矯正して方言の癖を抜く技術は訓練と継続によって身につけることが可能です。アラブ諸国共通フスハー弁論大会で上位に食い込むような生徒・学生にこのタイプが結構いて、数分間にわたるスピーチ程度では一切ぶれないその話しぶりに驚嘆させられることも。

大人のアナウンサーでもフスハーのアクセント位置と方言のアクセント位置を切り替えられるというのはセールスポイントとなっています。

動画で見る色々なフスハーの形

ここでは知識人・文学者・専門家と言われる大人たちが話す、様々なレベルのフスハー/アーンミーヤ混成具合を見ていきたいと思います。

アラビア語教育の専門家

イスラーム系団体がシャルジャで開催した、アラビア語教育に関する講演会です。

عبد الله الدنان [ ‘abdullāh ‘ad-dannān ] [ アブドゥッラー・アッ=ダンナーン ](Abdullah Al Danan、アブドゥッラー・アッ=ダンナーン) 先生はパレスチナ生まれの言語学者・小説家・詩人で、パレスチナ民族解放運動(ファタハ)創設メンバー。

1931年にパレスチナで誕生。イスラエル建国宣言に伴い起こったナクバにより故郷を失いシリアに移住し、同地で学業を修めダマスカス大学を卒業、ロンドン大学大学院に留学。教師としての活動以外にも、イフタフ・ヤー・スィムスィムというアラブ版セサミストリート(アーニーとバートが出る方の古いやつです)の制作に参加し歌詞を提供するなど子供の教育に長年関与してきた人物です。

元々の専攻分野は英語だったとのことですが語フスハーとアーンミーヤの問題にずっと関心を持たれていたそうで、この講演会もアラビア語が抱える問題点とその解決策について語るという内容になっています。先生はほぼフスハーでしゃべり通しているのですが、数字部分で方言が出るという典型的なパターンです。

動画の中に出てくる古いビデオは先生の若かりし頃で、下の息子さんにフスハーで話しかけて育てるという実験を行った時の記録なんだそうです。上にもお子さんが複数おられたようですが、ご本人曰く子育てに関わったのはビデオに出てくる息子さんだけだったとか。

フスハーで話しかけて育てたところアーンミーヤとのバイリンガルになり、1歳半でフスハーを話し始め、3歳時には語末の母音ですら一切間違わずに格変化を発音しながら会話できる能力を身に着けていたそうです。

先生は動画の中で、アラブの大学で学生のフスハー運用能力向上に努めているところは皆無だと苦言を呈しています。とあるアラブ人のアラビア語学科は先生に対し自分の大学のアラビア語学科教師がフスハーで講義をしない、4年間ずっとアーンミーヤで教えているという悩みを漏らしたことがあったそうです。

しかし古典文法の規則でいっぱいの解説、イウラーブ(格変化)について問うばかりの授業で改善する訳が無い。自然と文法規則に気付いて身に付けられるように例文をたくさん聞かせる教育が子供のフスハー会話能力を伸ばすのだと力説していました。

先生のカリキュラムはとても効果的だったそうで、それに則って訓練した先生たちは勤務先であるダマスカスの幼稚園でとても大きな成果を挙げたとか。それを知ったあちこちの学校から来てほしいと頼まれるほどになったとのこと。

シリア出身・フランス在住の詩人

詩人 أدونيس はシリア ラタキアにある農村の出身。ダマスカス大学で哲学を専攻。レバノンでの文学活動を経て、フランスに移住。ノーベル文学賞候補にたびたび上がってきた人物です。

型にとらわれない近代的な詩作で知られ、アラブ社会やイスラームに関する批評では物議を醸したことも。

彼のインタビューはほぼフスハーですが、数字やター・マルブータを含む語の発音がシリア方言のそれで、「~したいと思う」「とても」「これは」「そのような」「~という」といった基本表現のみ口語というスタイルになっています。

口語の詩を得意とするイラクの詩人

イラク人の詩人、 كريم العراقي 氏のテレビ出演動画です。インタビュアーの女性は疑問詞部分などが口語に置き換わっていて副詞と形容詞の位置もフスハーと逆で口語同様になっています。

カリーム氏もフスハーがメインでが、「言う」「見る」といった動詞が口語になっています。口語による詩作を行っている方なので、詩の朗読時は完全にイラク方言メインに切り替わっています。

歌手

フスハーの歌を多数生み出してきた大御所歌手 كاظم الساهر 。本名のニスバ(出身地由来の家名のようなもの)からすると元はサーマッラー出身の家系のようですが、本人はモースル生まれだとのこと。

別名のひとつが「アラブ歌唱の皇帝」。私が学生だった時には既に超人気大物歌手でした。「フスハーで歌っているから言っていることがよくわかるよ」と勧められたこともあってCDを購入。ちょっと大げさな感じのビデオクリップが特徴のアーティストです。

サウジアラビア系ニュース専門局が彼の自宅で撮影したインタビューです。ほぼフスハーで話しています。

クウェートメディアの取材を受けた時の動画です。出身国イラクの隣で方言が近い同士ということで、途中フスハーからイラク方言に切り替えて話をしています。

討論番組

Al Jazeeraで昔から続いている有名な討論番組 الاتجاه المعاكس です。正反対の意見を持つ出演者同士をぶつけるので、毎回のように激論に発展します。

司会は語末の格変化部分を大幅に省略したタイプのニュース番組向けのフスハーを話しています。

出演者は医師で新型コロナウイルスについて話しているのですが、非常に早いスピードでフスハートークをしています。青いネクタイの先生は最初のうちは数字などを丁寧に文語発音していたのですが、段々とター・マルブータの前がaからeになったり、二重母音の発音が口語風になったりが出てきていました。

赤系ネクタイをしている先生も数字部分が口語読み、ター・マルブータの前がaではなくeの音で、高学歴な人物がフスハーで長時間話す時の典型的なタイプとなっています。

ヨルダンのモダンなイスラーム宗教家・政治家

محمد نوح القضاة 師はヨルダンの宗教家で、ヨルダンの大ムフティーだった نوح القضاة 師の息子さんだそうです。政界入りしていてワクフ庁のトップを務めた人物でもあるとのこと。

人称代名詞や疑問詞の部分にヨルダン方言が混ざったトークで、スーツを着たモダンなタイプの宗教家らしい雰囲気を醸し出しています。サングラスをかけてお洒落なファッションに身を包んでいる写真なども本人によって公開されています。

英国ニュースチャンネルアラビア局に出演した時の動画です。ほとんどフスハーなのですが、qをgで読む、疑問詞が口語になるといった感じで、フスハーながら視聴者が親近感を抱くようなトークになっています。

モスクにおける金曜(=ジュムア)礼拝時の宗教説法(=フトバ)です。いつものスーツ姿とは違い、オーソドックスな宗教家スタイルを着用。

アラビア語や弁論術を一通り学んだ宗教家らしいスピーチをしています。

議会での演説風景です。内容はパレスチナ問題とヨルダンについて。

非常に雄弁かつ流暢なフスハーで、イスラームの宗教説法ができるようにと習得した学問・技能が政治活動に活かされている形となっています。途中他人のセリフを言う部分でのみ意図的にアーンミーヤに切り替えています。

アラブ人好みの演説ということもあってか、動画のコメントも称賛するものが多いように見受けられました。

ヨルダンの大ムフティーとフスハー、アーンミーヤの使い分け

こちらは大ムフティーだったお父さん、نوح القضاة 師の宗教談話です。預言者ムハンマドの誕生日を祝うことがハラームかどうか、という問いに対する回答を述べています。

お父さんの方も口語を交えた親しみやすいトークが特徴だったのか、アルファベットの発音がqではなくgになっていたり、人称代名詞・疑問詞といった基本表現が口語になっていたり、ター・マルブータの前がaではなくeになるレバント方言の特徴が出ていたりします。

こちらは大ムフティー退任前の最後の宗教説法(フトバ)の動画だそうです。こちらはモスクの中でのフトバなので、アーンミーヤを出さずにバリバリのフスハーで話しています。

エジプトのシャアラーウィー師

エジプトの大人気宗教家だった محمد متولي الشعراوي( シャアラーウィー)師。子供時代からずっとアズハルで勉強し、最終的にはワフク省大臣も務めた人物です。

アーンミーヤでの説法を行うシャイフとしても有名でそのイメージが強いのですが、実際にはフスハーとアーンミーヤを切り替えて使い分けしていたことが動画の記録からもわかります。

クルアーン ファーティハ章の解説ビデオです。

冒頭はエジプトアクセントながらバリバリのフスハーでスピーチしています。アズハルでアラビア語の科目を一通りマスターされているだけあって非常に流暢かつ雄弁です。しかし途中聴衆に説明したり問いかけたりしたりするシーンなどでたびたびアーンミーヤに切り替わります。フスハーとアーンミーヤを巧みに切り替えるのも話術の一種なのかもしれません。

エジプト出身の現代風宗教家

カイロ大学商学部出身の元会計士عمرو خالد 氏。従来のターバンとカフターンを着用していないスタイリッシュな服装と新しい説法スタイルが一時期エジプトの富裕層を中心に絶大な人気を博していました。

色々な議論やバッシングもあって今はファンもだいぶ離れてしまったようです。今は移住先のイギリスでぼちぼち活動を続けているとのこと。

彼の場合は初期から敢えてアーンミーヤ全開(=上品な感じではありますがいわゆる方言丸出し系)で、その親しみやすさと自己啓発セミナーのようなトークが特徴でした。

トークの目的や対象となる層によってはガチガチの100%フスハーよりもアーンミーヤが絶大な効果を生むという例としてここでは動画をはっておきたいと思います。