定冠詞اَلْ[’al][アル]のアリフにハムザを書いてある本があるのはなぜか?

定冠詞اَلْ[ ’al ][ アル ]のハムザ表記と現状

日本の学習書で2通りある定冠詞アルのハムザ表記有無

通常はハムザト・アル=ワスル(ハムザトゥルワスル、ハムザト・アル=ワスル、ハムザトルワスル)ということでハムザ無しで書くようにと説明されている定冠詞 اَلْ [ ’al- ] [ アル= ]。

しかし日本でこれまでに発売されたアラビア語学習書には定冠詞 اَلْ [ ’al- ] [ アル= ] 1文字目のアリフにハムザがついていて
أَلْ
となっている本が複数あります。

管理人が持っている本やこれまでに見た講義動画から挙げてみると(敬称略)

  • 池田 修『アラビア語入門』岩波書店
  • 森髙 久美子、坂上 裕規『アラビア語基本単語2000』語研
  • 駒場祭公開講座2017『アラビア語の世界へようこそ!』UTokyo TV(東大TV)

通常の文法書ではハムザ無しで書くよう教えている定冠詞 اَلْ [ ’al- ] [ アル= ] が敢えて أَلْ になっている理由が特に述べられないままだったりするため謎のままになりやすいこの表記。

そのような中、依田 純和先生著『大阪大学外国語学部 世界の言語シリーズ17 アラビア語別冊〔文字編・文法表・語彙集〕』のp.21では言及があり

実際の印刷物ではハムザトゥルワスルのアリフにハムザ記号が付いているなど両者の区別が厳密でないことも多い。

と書かれています。しかしこれはおそらくネイティブに多い正書法(正字法)のうろ覚えから来る動詞派生形完了形や動名詞語頭などのハムザトゥルワスル部分におけるハムザ表記のことを指しており、定冠詞の件とはまた別の話題だと思われます。

アラブ世界における正書法教育

アラブ世界では、前に他の語が来てつなげ読みをした時に発音が省略される هَمْزَةُ الْوَصْلِ [ hamzatu-l-waṣl ] [ ハムザトゥ・ル=ワスル ](ハムザト・アル=ワスル、ハムザトゥルワスル、ハムザトルワスル)の上下には ء(ハムザ)は書かないと教えられているのが普通です。

そのためハムザトゥルワスル部分にハムザを書くのは正書法(正字法)上のルール違反と見なされ、定冠詞 اَلْ [ ’al- ] [ アル= ] の上にハムザを書いて أَلْ とすることを間違いだと指摘する人も少なくありません。

実際にはハムザトゥルワスルの表記は「絶対にハムザ無しでアリフだけの姿でなくてはいけない。そしてアリフの上下に母音記号を書くだけ。」という訳ではないのですが、普通のアラブ人は学校で正書法(正字法)を習っておしまいなので、一般的な認識は生徒向け授業で教えられる「定冠詞を أَل は書くのは間違いで ال が正しい。」となりがちです。

実際のところ書籍、ニュース記事、テレビのテロップどれをとってもハムザ無しの定冠詞が一般的なので、ハムザありの定冠詞を見かけたことが無い方も少なくないのではないでしょうか。

文中で定冠詞アルの「ア」を落とさずに読む人がいる件

アラブ圏には、文中にあって本来読み飛ばすはずの定冠詞中ハムザト・アル=ワスル(ハムザトゥルワスル)をわざわざ読み直す音読をする人がいます。

これは本来のルールから外れたものですが、国語授業の課題文の朗読をする時などに先生が فِي النَّصِّ を [ fi-n-naṣṣi ] [ フィ・ン=ナッスィ ] や [ fi-n-naṣṣ ] [ フィ・ン=ナッス ] ではなく [ fī ’an-naṣṣi ] [ フィー・アン=ナッスィ ] と読んでいる授業動画もしばしば見られ、教育現場を通じて一定数の子供たちが学び取っている可能性がうかがえます。

アラブ人の方が日本人向けに公開しているYouTube動画でも、文中にある定冠詞アルの「ア」部分を敢えて読んでいるケースが見られます。

定冠詞の発音を教わっている外国人学習者からすると違和感があるのですが、現地では結構行われておりアラビア語レクチャーだからという理由でわざわざ息継ぎをして定冠詞アルを読み上げている可能性が高いと言えます。

学習者はそうした言い直し発音は覚えず、文法書通りに読み飛ばす方を維持されることをおすすめします。

アラビア語文法の面から見た定冠詞アルのハムザ表記

アラビア語書籍における記述

المعجم المفصل في الإملاء

ناصيف يمين
『المعجم المفصل في الإملاء』
دار الكتب العلمية 刊
pp.123-126

ハムザト・アル=ワスル(ハムザトゥルワスル)の性質を一通り説明。その表記については

  • 書き方は2通りある。そしてこれらに母音記号を書き足す。
    1. アリフに ع の頭部分を切り取った形 ء を添える(=ハムザありで書く)
      أَلرَّجُلُ
    2. アリフの形で書く(=ハムザ無しで書く)
      اَلرَّجُلُ

また、この本では月曜日(يوم الإثنين)に関して

曜日を示す呼称になったことで定冠詞アルの後に来る اِثْنَيْنِ [ ’ithnayn(i)/’ithnain(i) ] [ イスナイン/(イスナイニ) ] 語頭が هَمْزَةُ الْقَطْعِ [ hamzatu-l-qaṭ‘ ] [ ハムザトゥ・ル=カトウ(*カトァ、カタァに近く聞こえる) ](ハムザト・アル=カトウ、ハムザトゥルカトウ、ハムザトルカトウ、ハムザトルカタア、ハムザトルカトイ等カタカナ表記はまちまち)に変わり الاثنين ではなく الإثنين と表記する。

といった情報も載っています。月曜日を الاثنين と書かずハムザを加えるべきというのは現代のアラブ正書法(正字法)学者で一般的になっている意見だそうで、ただの名詞が固有名詞化したら本来ハムザトゥルワスルだった語頭がハムザトゥルカトウ表記になるという認識が流布しているとのこと。

なお中世のアラビア語学者の意見は「動詞の命令形などが人名なりになって名詞になるといった場合はハムザトゥルカトウ化するが、元々名詞だったものが地名なり人名なりになってもハムザトゥルワスルとしての性質は失わない」という系統のものだったとか。

موسوعة الإملاء

عبد المجيد الحر
『موسوعة الإملاء』
دار الفكر العربي للطباعة والنشر 刊
pp.91-93

正書法(正字法)事典という題名のこの本では、語頭ハムザのうち定冠詞などに含まれるハムザがハムザト・アル=ワスル(ハムザトゥルワスル)の性質を説明した後

  • 発音される時はアリフの上下に母音記号を書き足すことが行われている。
  • 付加する母音が a・u の時はハムザをアリフの上に、i の時はハムザをアリフの下に書く学派がありそのような表記をしている人もいる。

ことを紹介。

著者本人は同じハムザト・アル=ワスル(ハムザトゥルワスル)でも文頭にあって発音する時もあれば発音が省略される時もあるので、違いをはっきり示すためにも ء を書き加えるのが個人的には良いように思うと記しています。(その後に自分はそういう主義だけれども各用法を集めて載せる本なのでそれと相容れない表記も紹介しないといけない、的なことも書いています😅)

その他書かれていることは

  • ニュースキャスターで本来読み飛ばさなければいけない定冠詞 اَلْ [ ’al- ] [ アル= ] のハムザト・アル=ワスル(ハムザトゥルワスル)ルールを守らず「アル」と読んでいる人が少なくない。
  • 定冠詞 اَلْ [ ’al- ] [ アル= ] そのものについて言及し名称・呼称として使う場合は文中でも「アル」と読む。

المورد في الإملاء

ياسين محمد سبيناتي
『المورد في الإملاء』
مكتبة العبيكان 刊
pp.55-61

ハムザト・アル=ワスル(ハムザトゥルワスル)の表記や文中における例外的な登場についての説明あり。

  • 発音上はハムザで、表記上はアリフとして書かれる。語頭においてのみハムザとしての発音が保たれる。
  • 子音衝突を回避するために置かれた余剰の字で、本来なら هَمْزَةُ إِيصَالٍ [ hamzat ’īṣāl ] [ ハムザト・イーサール ](接続(させる)ハムザ)と称すべきハムザ。
  • ハムザを書く必要な無い اُكْتُبْ / اِسْمٌ / اِبْنٌ などにハムザを書いてしまう学習者が多い。
  • アラビア語文法学者のアル=ハリール・イブン・アフマド(・アル=ファラーヒーディー)は定冠詞アルは当初 هَمْزَةُ الْقَطْعِ [ hamzatu-l-qaṭ‘ ] [ ハムザトゥ・ル=カトウ(*カトァ、カタァに近く聞こえる) ](ハムザト・アル=カトウ、ハムザトゥルカトウ)だったが使われているうちにハムザト・アル=ワスル(ハムザトゥルワスル)になったと論じている。
  • 定冠詞アルそのものについて語る場合は هَمْزَةُ الْقَطْعِ [ hamzatu-l-qaṭ‘ ] [ ハムザトゥ・ル=カトウ(*カトァ、カタァに近く聞こえる) ] とする。