アラビア文字の本向け書体ナスフと手書き書体ルクア

印刷の活字と手書き文字が大きく違うアラビア文字

アラビア文字の最初の学習では、まず基本線に沿って文字をつなげていく書き方を学びます。文字のつながりのしくみを理解しやすく親切な活字体ですが、昔からアラブ地域にあった手書きのつづりルールとは違うため、これを覚えただけでは現地の人のメモや手紙を上手く読めないというデメリットがあります。

一般的な活字書体と手書き書体の比較

手書きにおいて基本線から遠く離れた右上から斜めに書いていく一文を選んでみました。特に محمد [ muḥammad ] [ ムハンマド ](ムハンマド)という人名は高低差が大きいこともあり色々なところで例として取り上げられることが多いです。

書籍の活字は合字無しと合字ありが共存

現在出回っているアラビア語の学習書や現地の教科書の書体は1番上の行のサンプルと同じ活字スタイルを採用しています。学ぶ人が見やすく、語頭・語中・語末の形を思い出しながら読んだり書いたりしているのに向いています。

しかしある程度学習してアラビア語-アラビア語辞書や一部のウェブサイトを利用するようになると、習った文字の形とは違うものがたびたび登場するのに気付かれるかと思います。それらが合字ありの活字を使っているケースになります。

ルクア書体の出てくる場所は?

手書き文字はこのルクア書体の通りもしくはそれに似た形をしていることが多いです。手紙・メモ・値札を読むにはこの書体の学習が必要になってきます。

お店の看板や映画の大事として使われることもしばしば。覚えておいて損は無いと思います。

書籍向けの活字書体ナスフと手書きの書体ルクア

ナスフ書体

アラブ世界では見やすくすっきりしたナスフ書体ー خَطّ النَّسْخِ [ khaṭṭu-n-naskh ] [ ハットゥ・ン=ナスフ ](ハット・アン=ナスフ、Naskh script)ーが写本や印刷物の活字のベースになっています。

非常に長い年月にわたって写本の書写時に用いられてきた自体で、学習者が手書き文字の基礎として覚えるのに適したフォントだと言えます。

ナスフ書体は日本における小学生向け教科書や漢字練習帳の教科書体フォントに近い位置付けかもしれません。アラブ世界の国語のテキストの中にはナスフ体のパソコンフォントを使わず書道家が教科書の単語一つ一つを手書きしたものもあるとか。先日子供番組で国語教科書の文字の書き手であるアラビア書道の大家が紹介されていました。

線や点の位置関係等が他のファッショナブルだったりシンプルですっきりした見た目の良かったりするフォントと違って正確なため、日本で子供向け国語教科書をゴシック体や明朝体にしないのと同じような理由で教育者がこのナスフ体を選ぶことが広く行われており、日本でもアラビア語教材に採用されている率が非常に高いです。

このナスフ書体は活字としては2種類あり、

  • 現代に多い全てのアルファベットを基本線に沿って横に広げて連結していくバージョン
  • 一部の文字をくっつけてしまって基本線に沿わない位置関係を取る合字スタイルにするバージョン

とに分かれます。

文字同士をつなげるルール自体は変わらないので英語のブロック体-筆記体の関係性とはちょっと違うのですが、上のどちらのバージョンもいわゆる英語教科書のブロック体のような位置付けです。見やすいかわりに点を1個ずつぽちぽち打っていくのでルクア書体に比べると書くのに時間がかかります。

ルクア書体

基本線に沿って書くことをせず、右上から斜め下・右下から斜め上に移動していったり、点をまとめてつなげ書きしたりするのがルクア書体ー خَطّ الرُّقْعَةِ [ khaṭṭu-r-ruq‘a(h) ] [ ハットゥ・ッ=ルクア ](ハット・アッ=ルクア、Ruq’ah script)ーです。

現地の看板などにも使われている他、現地の人達の手書き文字のベースにもなっているので学習を続ける人であればいつかは覚えないといけない字体だと言えるかもしれません。

ナスフ書体と文字動詞の連結の基本的なルールなので英語とはちょっと違うのですが、いわゆる筆記体のような存在です。手の上げ下げの回数が教科書で習うような字体と違って少なく、点も棒や線でまとめてしまったりするので早く書くことができます。

日本語でこの手書き書体の書き方・書き順を紹介している学習書としては以下のものがあります。

ルクア書体の概要


上が本の活字向けの書体。下が手書き向けのルクア書体です。

青字はその手書き書体の別バージョンです。سش の山を全く書かず1本線にしたり、弁別点を打つ部分をただのひげかしっぽのように簡略化したり、هة を斜め左下に書く棒にしたりといったさらなる簡略化をほどこした早書きバージョンになります。

アラブ人の手書き文字はこれがベースで、もっと早く書くために基本形を崩してアレンジしたものもよく見かけます。授業の板書もこの手書き文字なので、ルクア書体を覚えておかないとアラビア語によるアラビア語の授業を理解するのが難しくなります。

合字(リガチャー)

合字とは?

文字の連結する位置関係が大きく変わる一文を選んでみました。

このページ内で薄い青色をつけている部分は、書籍向けのナスフ書体において、2つの文字がただ接続するだけではなく違う形に変形していることを示します。

これはアラビア語に多数存在する合字(リガチャー)というもので、2つの字が合わさって新しい形をした1つのセットにまとめて変身するという性質を持っています。手書きの書体であるルクアもこの合字のシステムを使っているので基本線に沿って書きません。

文字を学び始める人にこの合字まで教えてしまうとこんがらがってしまうので日本語で書かれた入門書にこれが出てくる活字体は採用されていません。しかし元々はアラビア語のナスフ書体ではこの合字が普通だったため、今でも書籍や一部のウェブページで比較的よく見かけます。

歴史を学んで原書を読まなければならない学生さんたちが昔から勉強されています。またアラビア語を長く続ける方は自習なりされて習得された方が多いのではないでしょうか。アラビア書道を習われていて色々な書体をマスターされた方も少なからずいらしゃるのでは。

なお、合字については種類が多いので別のページにまとめました。詳しくは『アラビア文字の合字(リガチャー)と手書き時の位置関係』をご覧ください。

基本線上に並んだ今の活字書体になるまで

最近のアラビア語の文法書では言及が無いのですが、1800年代に出版された Wright(ライト)の文法書には正書法(正字法)近代化過渡期の変化、西洋で出版されたアラビア語文語書で本来逆の性を組み合わせる数詞文法をわかりやすくするために ة(ター・マルブータ)のついた数詞を女性形ではなく男性形と説明している便宜上の改変が加えられている、といった興味深い話が時々出てきます。

その一つが合字と ج ح خ の連ね方に関する話題となっています。

Wikimedia Commonsより
こちらが ح ج ج の昔からあったつづり方です。今でもルクア書体をベースにしたアラブ人の手書きではこういう連ね方をするのですが、Z 状にして続けていくうちにどんどん基準線から下に降りていってしまうこの形状は、写本の時代は差し支えなかったであろうとはいえ活字を使った新時代の印刷物を作るには問題があるものでした。

Wikimedia Commonsより
同じライン上に並べようと試行錯誤した結果、西暦1900年前後の時期にまずこんな感じになったとか。

Wikimedia Commonsより

英国の研究者である Lane(レイン)がアラビア語-英語辞典『Arabic-English Lexicon』で採用したという活字体です。今のアラビア語学習者が見慣れているのはこの形となっています。

Wright(ライト)の文法書(英語版第3版第1巻p.3の子音字解説の部分)に導入時の経緯が書かれているのですが、レインの辞書で採用したこの形はシンプルかつ便利だったことから西洋だけでなく東洋にも広まり、アラブ世界にも逆輸入されその後の世界的なスタンダードになったという経緯があるとか。

そうした事情もあり、現代において日本やアラブの子供たちが最初に勉強するアラビア語のアルファベットもこの活字体となっています。以前アラブ人のアラビア語教師同士の雑談投稿を見た際、この活字体だと文字の連結を覚えやすいので子供に初めて文字を覚えさせる時には便利だというやり取りがなされており「なるほど」と感じました。

ただ手書きしていた時の合字(リガチャー)を廃したことで手書きをするには煩雑さが増した感もあり、ペンを何度か紙から離す動作を伴い一筆でささっと書きづらいも「書くことよりも印刷のために開発された書体だから」ということが大いに関係している模様です。

なお、アラブ人は普段手書きをする時にこうした書籍の活字のような書き方はせず合字ありのルクア書体系となるので、アラビア語学習者の方も文章を早く書くために中級以降になった時点で合字(リガチャー)ありのルクア書体を覚える必要が出てくるものと思います。

(2024年7月 最後の部分を修正・加筆)