*ここではアラビア語未習者の方にわかりやすいよう「ラテン文字転写」ではなく「英字表記」という名称で説明しています。
アラビア語のアルファベットや語形の基本的特徴
文字上に母音が現れないアラビア語
アラビア文字は単独でアルファベット1文字だけをポンと書く場合、単語の中(単語の先頭・単語の途中・単語の最後)のどこに来るかで形が決まっています。
文章が続く限りずっと文字をつなげ書きするということはせず、1つの単語の中では文字をつなぎ、違う単語をつづる時にはスペースを空けます。(ただし一部のアルファベットは同じ単語の中でも後続のアルファベットと接続しない場合があります。)
基本的にアラビア文字はすべて子音のみを示し、母音(読み書き言葉の文語では a・i・u、話し言葉の口語ではこれに e・o がプラス)は通常の文章や筆記では書かれません。
そのため実際に音読する時はアラビア文字でのつづりに現れている子音部分に母音記号という物を書き足して短母音 a・i・u などを補っていくことになります。
詳細
▶『アラビア語アルファベットの書き方と読み方のしくみ』
アラビア文字の特徴とa・i・uの母音の話など。文章を読まなくても済むようビデオも作りました。
語根システム
アラビア語には語根というシステムがあります。通常この語根は3個の子音(=ブとかクとか詰まった音の部分だけ)で出来ていて、アー・イー・ウーと伸ばす音を長母音(ā、ī、ū)を補ったり、文字として現れない間にア・イ・ウの音である短母音(a、i、u)が何なのか推測しながら足していったり、基本パーツに加える追加部品となる文字を付け足したりして単語が構成されます。
子音の組み合わせと並び順が意味を決める
語根のセットには共通の意味があり、ك ت ب ( b ← t ← k )の順に語根が登場する語では「書くこと」「書状、書物」に関連した意味合いが与えられます。アラビア語ではこうした決まった音の並び順セットが単語の意味を決める最大のポイントとなります。
英字表記内で信号機の色をつけてあるのが基本パーツ(語根)で、黒字の部分が「~する人」「~されたもの」といった意味を与える語形を作る母音などの余分な部品になります。
- كَتَبَ
kataba(カタバ)
【語形】□a□a□a
【動詞完了形】彼は書いた - كَاتِب
kātib(カーティブ)
【語形】□ā□i□
【能動分詞】書いている(人)、書く(人);作家 - مَكْتُوب
maktūb(マクトゥーブ)
【語形】ma□□ū□
【受動分詞】書かれた(もの);手紙
大事なのは色がついている部分で、ここに何らかのアルファベットをはめ込んでいきます。
語根というピース以外の母音は方言で多少違うぐらいなら同じ単語扱い
アラビア語には読み書きの文語フスハーと話し言葉(口語、方言)のアーンミーヤがあり、同じ単語でも文語と口語で違い、さらに口語は方言によって何通りかの発音に分かれます。
元々語根という単語の概念の骨格になるピースが合っていて元の語形がちゃんと推測可能であれば意味が通ってしまうので、
- كِتَاب
kitāb
【語形】□i□ā□
【名詞】本、書籍
が各国共通の文語(フスハー、標準アラビア語)では kitāb(キターブ)と発音されていて、各地で話されている方言で ktāb(クターブ)、ketāb(ケターブ)と聞こえる、ぐらいの違いなら全く同じ「本」としてアラブ人には認識されます。
しかも「アラビア語のこの単語はこういう英字表記にしないといけない」というルールも存在しないので、「本」という意味の同じ単語に Kitaab、Kitab、Ketaab、Ketab、Ktab、Kutab など何通りものバリエーションが発生する原因となっています。
発音は似ていても語根のセットをちょっと入れ替えただけで別の意味になるそっくりさん同士に要注意
創作やゲームでカタカナでアラビア語の意味を見ながらネーミングを決める場合は、似たつづりや発音なのに全然違う意味になってしまうそっくりさんセットに注意が必要です。
男性名ザキーの場合
ذَكِيّ
[ dhakī(y) ] [ ザキー(ュ/ィ) ]
主な英字表記:Dhaki
日本でよく見られるカタカナ表記:ザキー、ザキ
意味:頭の良い、賢い、利発な
زَكِيّ
[ zakī(y) ] [ ザキー(ュ/ィ) ]
主な英字表記:Zaki
日本でよく見られるカタカナ表記:ザキー、ザキ
意味:清純な、純真な、芳しい香りの
日本語のカタカナ表記ではどちらもザキーもしくは長母音「ー」を抜いたザキになってしまいますが、アラビア語で書くと1文字目が違う別々の男性名です。そのためカタカナでザキーやザキと書いてあるだけでは元のアラビア語表記や意味をつきとめることはできません。
アラビア語のつづりに忠実でないアルファベット表記への置き換え
意味が違ってしまうそっくりさん同士の取り違え
ややこしいのは通常 Dhaki などと英字表記される ذَكِيّ [ dhakī(y) ] [ ザキー(ュ/ィ) ] の方に Zaki というつづりをあてて名乗っている人が結構いる点です。この場合英字表記と元のアラビア語表記とが直接結びつかないので「どっちの意味のザキーさんか?」で迷うことになります。
「◯◯出身の Zaki さんです。アラビア語で清純という意味だそうです。」とネットで意味を調べて勝手に紹介文を書いたら実は Dhaki と元々は発音する「賢い」の方だった、となりがちなのがこうした紛らわしいケースです。
舌をはさむ「dh」を「z」に置き換えたり、違った英字表記になる理由
アラビア語での発音と違う英字にわざと置き換えるつづりの原因は
- アラビア語の方言で特定のアルファベットが別の発音になってしまう現象があり、英字表記は日常会話での方言発音に即しているから。
- そのアラビア文字が英語圏の人にとって発音しづらいから読みやすいようにアラブ人の側がわざとつづりをいじった。
- フランス語圏など、特定の文字を読まない・濁音がついてしまうといった現地語読みをするとアラブ人名としては変になってしまうので、それを回避するためにアラビア語での発音により近くなるようつづりををいじった。
などが考えられます。
方言の多様性や英字表記統一ルール不在がアラブ人名表記事情を複雑に
方言の違いと当て字ルールが無いことが何通りもの英字表記を生む
アラビア語のアルファベット各文字の発音は各国共通の文語(標準アラビア語)では統一されていますが、口語(方言)ではいくつかの文字で置き換わりが起こるので方言によって英字表記での当て字が違ってきます。
書き言葉・読み言葉(文語)では جَدِيد [ jadīd ] [ ジャディード ](新しい)が口語(方言)によってジディード、ジェディード、ガディード、ギディードとまちまちで、「ī(イー)」と伸ばす長母音部分への当て字も何通りかが流通しているので「新しい」という意味の全く同じ単語の英字表記も Jadiid、Jadid、Jadeed、Jaded、Gadiid、Gadid、Gadeed、Gaded …と何通りにもなってしまいます。
英字表記におけるルールは決まっていない
固有名詞の英字表記についてはアラブ諸国統一基準を遵守するといった規定は特に無く、同じ地名ですら色々な英字表記のパターンがある原因となっています。
上で紹介した方言による違うという多様性も加わって、全く同一のアラブ人名・地名に対して時として20、30といった実に多くのつづりバリエーションが生じることも珍しくないです。
人名・地名の英字表記は複数の方式がありますが、日本のアラビア語・イスラーム・中東史関係の学術的な書物についてはLCという方式もしくはそれに準じた方式でほぼ統一されています。そのため日本語で書かれた学術書に関してはラテン文字転写のばらつきは少ないです。
しかしながらアラブ人が自分の名前をラテン文字表記する場合は本人の自由なので、英語風だったりフランス語風だったり、rr の部分を r にしたり、q を発音が近い k に置き換えたり色々するので同じ名前に20近いバリエーションが存在することも珍しくなく、非常に混沌としています。
アラビア語のアルファベットと英字表記や日本語カタカナ表記への置き換え
アラブ人の名前やアラブ圏の地名などの英字表記はアラビア語アルファベットの性質と発音の基礎を知らないと正確にカタカナ化できません。ここでは日本語の読みガナをつける際に必要な情報を文字ごとにリストアップしていきたいと思います。
子音(アルファベット各文字)と人名の英字表記との対応関係
ا
アリフ [ ’alif ]
- アリフを母音と説明している文法書もありますが、長母音表記に用いる場合は特定の音価を持たず無母音部分として扱われます。
- ピッと喉を閉じる声門閉鎖音であるハムザ「’」とセットで أ と書いてある場合は「’a・’u(ア・ウ)」、إ と書いてある場合は「’i(イ)」と読みます。
- 他の文字の後にくっつけて書いて長母音「◯ā」を作ったり、ハムザつきアリフと長母音表示のアリフをまとめた「آ」(’ā=アー)を作ったりします。
- 本来ハーリドと発音する人名が Khalid と書かれたり、長母音 ā なのに英字表記ではただの a になっているのが一般的。そのため人名ハーリドも日本語のカタカナ表記ではハリドやカリドとなっていることが多いです。
ء
ハムザ [ hamzah もしくは hamza ]
- 上のアリフと分離しきっておらずアルファベット順の1番目に半ば居座る形でアリフと密接に関わっている子音です。
- 声門閉鎖音といい喉をピッと閉めることを表します。何らかの音を出すというより、喉の息の通り道をふさいで止めることを示します。
- 学術的表記をやや意識した人名英字表記では「’」を使いますが、日常的には書かず省略される・他の母音に置き換わる・長母音化するなどして隠れてしまい、原語に近い読みが分かりづらくなる一因となっています。
- 英数字による当て字でアラビア語文・口語(方言)会話を表記するチャットアラビア語(名称:Arabizi、عَرَبِيزِي)では「2」に置き換えられます。
- 男性名 عَلَاء [ ‘alā’ ] [ アラー(ゥ/ッ) ] だと Alaa’、Ala’ のようにつづるのは一般的ではなく Alaa、Ala となりますが Ala と書いてあっても「アラ」と読む人名ではないので要注意です。
- 男性名 مَأْمُون [ ma’mūn ] [ マァムーンとマッムーンの中間のような発音 ] については Ma’muun、Ma’mun 以外にも Maamuun、Maamun、Mamun、Maamoun、Mamoun、Maamoon、Mamoon といった表記があります。これはハムザの部分が長母音に置換されてマームーンのような英字表記になっているものです。長母音 ā 部分はさらに a になってしまたりするのですが、Mamun とあっても a 部分は ā のことなのでマムンではなくマームーンという発音を意図。さらに原語発音に近づけるなら元々はマァムーン/マッムーン的な発音だったこと部分にまでさかのぼる必要があります。
ب
バー [ bā’ ]
- 英語の b と同じです。
- アラビア語には p の音が無いので、p の代わりにこの b を使ってパ・ピ・プではなくバ・ビ・ブとします。アラブ人は一般的に p の発音が苦手で英語を読む時も p を b で読む人が多いです。過度に修正しすぎてバスをパスと読んでしまう事例も少なくなく、英字表記で b と p を取り違える人も。
ت
ター [ tā’ ]
- 英語の t と同じ音です。
- アラビア語には違うター ط( ṭ )も存在しますが非学術的なアラブ人名表記では下点などつけずどちらも t になってしまうのでアラビア語表記を知らないと元がどちらなのか区別がつきません。
ث
サー [ thā’ ]
- 英語の thank you と同じ、舌を歯の間にはさんで出す th の音です。
- 口語では ث [ th ] が ت [ t ]に置き換わったり(3=サラーサ→タラータ)や、س [ s ] に置き換わったりすることがあります。人名の英字表記でも本来 Thabit(サービト)という男性名だったものがイスラーム圏などで th を s に置き換えた Sabit つづりになるといった実例が見られます。
- 日本語の書籍ではこれをサ・スィ・スではなタ・ティ・トゥのようにカタカナ表記しているものがあります。
- アラブ人名・地名に含まれる th は基本的に英語の the(ザ)や that(ザット)のように濁点がつくことはありません。なので Haitham をアラビア語発音に即したカタカナ表記にする場合はハイザムではなくハイサムとします。
- 「th」の2文字で1つのアルファベットへの当て字とするので、別々の「t」「h」が並んだ「th」との区別が必要になります。
ج
ジーム [ jīm ]
- 英語の j と同じです。
- エジプト首都近辺やイエメン、オマーンなどの一部では g で発音しジャ・ジ・ジュの代わりにガ・ギ・グとなり文語の書き言葉を音読していても g のままということが多いです。またこの文字部分が ch、y で読まれる方言もあります。
- g 発音になる地域では ja ではなく ga、フランス語の影響が強い北アフリカ諸国では ja ではなく dja に英字表記が置き換わっていることが多いです。男性名ジャアファル(英字表記はJafar等)が地域によってガアファル(Gafar)になったりDjafar(ジャアファルと読ませるための表記でドジャファル、ドジャーファル、ドジャアファルとはしません)とつづられたりすることがあるのもそのため。
- イラクの場合はペルシア語やトルコ語からの外来語の関係でアラビア文字上は j で書かれているのに実際には ch と読む人名・地名が多いです。جلبي もジャラビー(Jalabi)は現地発音だと چلبي のチャラビー(Chalabi)になるのですが、Jalabi 表記だったり Chalabi 表記だったりまちまちです。さらには口語だと語末母音が短母音化してジャラビ、チャラビと読まれるので日本語のカタカナ表記もチャラビー、ジャラビー、チャラビ、ジャラビが混在することに。
ح
ハー [ ḥā’ ]
- 喉の入り口付近に力を入れ空気が通る道を狭くして上でハ・ヒ・フを発音します。
- 学術的な英字表記ではもう1個の h と区別するために下点をつけるなどしますが、通常の人名表記ではどちらもただの h なので見ただけでは区別できません。
- 人名などの英字表記では全部 h になるので、この ح(ḥ)と違う ه(h)は英字表記を見ただけでは区別がつかなくなります。
- 英数字による当て字でアラビア語文・口語(方言)会話を表記するチャットアラビア語(名称:Arabizi、عَرَبِيزِي)では「7」に置き換えられます。
خ
ハー [ khā’ ]
- 舌の奥で空気の通り道をほぼふさいで出すハのかすれた音です。猫が大口を開けて威嚇する時のハーッという音や、痰を吐く時のカーッという音をイメージすると良いです。
- 日本語ではカ行でカタカナ表記する人もいますが、アラビア語屋的にはハ・ヒ・フでカタカナ表記するのが普通です。
- 海外では非アラビア語圏のイスラーム諸国や英語圏などこの kh を「カ」で発音する地域も少なくありません。そのため日本でも英語圏などにおける発音の影響から Khalid(ハーリド)をカリド、カリードのようにカタカナ化する人が多いです。
- 英数字による当て字でアラビア語文・口語(方言)会話を表記するチャットアラビア語(名称:Arabizi、عَرَبِيزِي)では「7’」「5」に置き換えられることがあります。
د
ダール [ dāl ]
- 英語の d と同じ音です。
- 口語では文語アラビア語(フスハー)の ذ (dh)がしばしばこの d に置き換わります。
- 英字表記では ض(ḍ)も含め同じ d になってしまうので区別ができなくなります。
ذ
ザール [ dhāl ]
- 英語の the や that の th と同じ音で、舌を歯の間にはさんで出します。
- 口語ではしばしば د [ d ]、ز [ z ]の音に置き換わります。元々舌をはさむ「dh」の音が英字表記で「d」や「z」になっている例が多いです。
- 英語の this のように舌をはさむ発音をこの ذ(dh)に当て字して th と英字表記をしていることがあります。この当て字方法だと ث(th)との混同が起きやすいです。
- 「dh」の2文字で1つのアルファベットへの当て字とするので、別々の「d」「h」が並んだ「dh」との区別が必要になります。たとえば男性名 Adham の場合は Ad/ham と区切りアドハムと発音。アザムとはしません。
ر
ラー [ rā’ ]
- 通常英語の r を表記にあてます。単に弾くだけの日本語風「ラ」音と少し巻き舌調にした「ルラ」音の2種類が存在。
- 本来は重子音化した Barr(バッル)なのに Bar のように r を1個しか書かないような人名の英字表記がとても多いです。Abdulbar とある場合は実は Abdulbarr(アブドゥルバッル)という男性名のことなので、アブドゥルバルとしない方が原語の一般的発音に近いカタカナ表記となります。
ز
ザーイ [ zāy ]
- 英語の z と同じ音です。
- 本来は ذ [ dhāl ] [ ザール ] の字でつづる dh 部分が z に置き換わっているアラブ人名の英字表記が少なくありません。
س
スィーン [ sīn ]
- 英語の sports、stock における s と同じ音です。
- 日本では sa・si・su(サ・スィ・ス)でカタカナ化するのが標準的です。si をスィではなくシとカタカナ化すると下にある別の別の子音 shi を想起させる読みになってしまうので注意が必要です。
- アラビア文字を英字表記している場合、英語の was や his のように濁点がつく音として読まれることは基本的にありません。
- ただフランス語圏では s が1文字だけだと濁点つきに読まれてしまうということで、本来 Hasan(ハサン)と書く人名をわざと ss と連ねて Hassan のようにする表記が広く行われています。日本でこのハサンという男性名がハッサンというカタカナ表記になっている最大の理由となっています。
- 口語(方言)では元々の文語(フスハー)では ث(th)の発音だった部分がこの س(s) 発音に置き換わることがあるため、英字表記で th ではなく s になっていることが多いです。
- 人名表記などに使う普通の英字表記ではどちらも s になってしまうため、アラビア語を知っていて「その語形と響きならこっち」とすぐに正解が得られる場合を除いて ص(ṣ)との区別はアラビア文字表記で確認する必要が出てきます。
ش
シーン [ shīn ]
- 英語の she、shop における sh と同じ音です。
- この文字が2文字連続する場合、英字表記では shsh とせず、ssh のようになっていることが多いです。アラビア文字表記では شّ なのに سْش と同じになってしまう当て字がしてあるケースなので、英字表記からアラビア文字表記を復元する場合は変換作業が必要になります。
- 「sh」の2文字で1つのアルファベットへの当て字とするので、別々の「s」「h」が並んだ「sh」との区別が必要になります。たとえば「Ashal となっている場合、アラビア語としてはアシャルではなくアスハルと読むのが正解である」など。
ص
サード [ ṣād ]
- 普通の س(s)よりも舌を奥に引っ込め、喉に力を入れて重々しく発音します。
- 学術的な英字表記ではもう1個の س(s)と区別するために下点をつけるなどしますが、通常の人名表記ではどちらもただの s なので見ただけでは区別できません。
- 英数字による当て字でアラビア語文・口語(方言)会話を表記するチャットアラビア語(名称:Arabizi、عَرَبِيزِي)では「9」に置き換えられることがあります。
ض
ダード [ ḍād ]
- アラビア語はこの文字名をとって別名「ダードの言語」と呼ばれます。普通の d よりも舌を奥に引っ込め、喉に力を入れて重々しく発音します。クルアーン朗誦では舌の脇を奥歯に当てる動作が伴い現代アラブ人の発音方法とは異なっています。
- 学術的な英字表記ではもう1個の د(d) と区別するために下点をつけるなどしますが、通常の人名表記ではどちらもただの d なので見ただけでは区別できません。
- ض(ḍ)の字が英字での当て字としては d やら dh やら z やらでバリエーションが多いこと、口語(方言)発音では ذ(dh)が د(d)に置き換わることが多いことなどが重なって英字表記と元のアラビア文字表記とを対応させるのが特に難しいケースだと言えます。
- 口語ではしばしば ظ [ ẓ ]の音に置き換わります。アラブ諸国では文語で ض [ ḍ ] 音になる場所が重たくこもった ز [ z ] の音(舌は歯ではさまない)か同じく重たくこもった ذ [ dh ] の音(舌を歯ではさむ)に置き換わることが非常に多いです。また非アラビア語圏ではこもらせないただの [ z ] の音で代用されてしまうなどします。断食を行うことで有名なラマダーン月の名前が文語アラビア語の رَمَضَان [ ramaḍān ] [ ラマダーン ] がラマザーンと発音され、Ramazan、Ramadhanといった英字表記が使われているのもそのためです。
- 英数字による当て字でアラビア語文・口語(方言)会話を表記するチャットアラビア語(名称:Arabizi、عَرَبِيزِي)では「9’」に置き換えられることがあります。
ط
ター [ ṭā’ ]
- 普通の t よりも舌を奥に引っ込め、喉に力を入れて重々しく発音します。母音 a・i・uと組み合わせると、タ・ティ・トゥよりもトァ・トィ・トゥに近く聞こえることがあります。
- 学術的な英字表記ではもう1個の t と区別するために下点をつけるなどしますが、通常の人名表記ではどちらもただの t なので見ただけでは区別できません。
- 英数字による当て字でアラビア語文・口語(方言)会話を表記するチャットアラビア語(名称:Arabizi、عَرَبِيزِي)では「6」に置き換えられることがあります。
ظ
ザー [ ẓā’ ]
- 普通の dh よりも舌を奥に引っ込め、喉に力を入れて重々しく発音します。文語アラビア語フスハーでは舌を歯にはさむ ذ [ dh ] を重くした音ですが、シリア・レバノンといった一部地域の口語では重たくこもった ز [ z ] の音(舌は歯ではさまない)に置き換わるため文語会話でも舌をはさまない発音をしている人が多いです。
- 地域による発音の違いから、同じ ظ [ ẓā’ ] [ ザー ] を含む人名でも z で英字表記している場合と dh の場合とに分かれます。
- 学術的な英字表記では dh ではなく便宜上 z の下に下点をつけたものが使われますが、通常の人名表記ではどちらもただの z なのでアラビア語表記で ز [ zāy ] [ ザーイ ] を使っている方のつづりなのかそれとも ظ [ ẓā’ ] [ ザー ] の方なのかは見ただけでは区別できません。
- アラビア語の口語では ض [ ḍād ] [ ダード ] との入れ替わりが起きる地域がとても多く、正確に区別できない人も少なくありません。そのため人名 كَاظِم [ kāẓim(*文語でẓ部分は重いdh音) ] [ カーズィム ] に対応した英字表記も Kazim、Kadhim 以外に Kadim が多用されているのもそのためです。前者の読み方だとカーズィム(口語風発音はカーゼム)、後者の読み方だとカーディム(口語風発音はカーデム)となりますが、このような混在状況から日本語のカタカナ表記もカーズィム、カーゼム、カゼム、カーディム、カーデム、カデムなどが入り混じっています。
- 英数字による当て字でアラビア語文・口語(方言)会話を表記するチャットアラビア語(名称:Arabizi、عَرَبِيزِي)では「6’」に置き換えられることがあります。
ع
アイン [ ‘ayn / ‘ain ]
- 喉に力を入れて締めつけながらえずくようにして出す子音です。母音のa・i・uを後につける場合はア・イ・ウ(ェア・ェイ・ェウに近づける感じで)と苦しげにうなるように発音します。
- 学術書ではハムザ用の記号を左右反転させた「‘」や「ʿ」が宛てられていますが、通常の人名表記では使わず a や e に置き換えたりで、元のアラビア文字表記にさかのぼりにくい英字表記になっていることが多いです。
- 英数字による当て字でアラビア語文・口語(方言)会話を表記するチャットアラビア語(名称:Arabizi、عَرَبِيزِي)では「3」に置き換えられます。
غ
ガイン [ghayn / ghain ]
- 英語の g(アラビア語文語にはこの子音はありません)とは違い、口の奥をこすり合わせながら出します。うがいでガラガラする時にくっつきそうでくっつかない感じの距離感を出している口の奥の辺りでガ・ギ・グと発音します。
- 英語の night、high のように読み飛ばす gh はありません。アラビア語では全ての gh が発音され gha・ghi・ghu・gh(ガ・ギ・グ・グ)と発音に表れます。英文中であっても学術的な記事などでアラブ人名として読み上げる場合は「gh」を省略しません。そのため Tighnari はティナリー、ティナリではなくティグナリー(口語風に語末を短母音化した発音はティグナリ)になります。
- 読み飛ばした場合はアラビア語における発音を知らない非ネイティブの方が欧米諸語といった外国語地域における現地発音の影響を受けた読み上げをした場合、もしくは外来語として現地で定着し非アラビア語読みが一般的になっているケースということになります。
- アラビア語には方言にしか「g」の音が無いので、文語(書き言葉)に準拠した発音を採用していることが多いアラビア語人名英字表記における「gh」は「g」と「h」に分かれないのが基本です。「gh」の2文字で1つのアルファベットへの当て字とするので、別々の「g(主に方言発音か外来語への当て字)」「h」が並んだ「gh」との区別が必要になります。たとえば Ghazi はグハーズィー、グハズィ、グハージー、グハジ等とはせず a が長母音「ā(アー)」音への当て字であることも加味しつつガーズィー(口語風に語末を短母音化した発音はガーズィ)とします。
- 英数字による当て字でアラビア語文・口語(方言)会話を表記するチャットアラビア語(名称:Arabizi、عَرَبِيزِي)では「3’」に置き換えられることがあります。
ف
ファー [ fā’ ]
- 英語の f と同じ音です。
- アラビア語は歯を唇に当てて出す v の発音がありません。外来語の v に当て字をする文字が無いので通常この ف(f)の字が代わりに宛てられます。場合によっては他言語から借用した ڤ を使うこともあります。発音については v で読む場合もありますが、f 音で読んだりと一定していません。
ق
カーフ [ qāf ]
- 英語の q とは違う発音で、英語の k やアラビア語の ك(k)よりも後方の口の奥(口蓋垂、のどち◯こが垂れている柔らかい壁の部分)でこもるように発音します。
- 母音をつけて qa・qi・qu とした場合は、普通にカ・キ・ク と日本語カタカナ表記します。
- 口語では方言により声門閉鎖音ハムザ ء(’)、文語アラビア語には無い g 、ج(j)といった発音でそれぞれ置き換えられます。元は同じアラビア語表記なのに方言によって発音が違ってくることから、人名や固有名詞の英字表記でもつづりの置き換わりが起こりやすいです。
- q を含む人名の英字表記は 発音が近い k に置き換わることが非常に多く、Tareq(ターレク)がTarek(ターレク)と書かれたりします。本来語根のセット ṭ – r – qと ṭ – r – k は全くの別物で文字を置き換えてしまうと異なる意味になってしまうのですが、英字表記ではそういうことに構わず現地の人が読みやすいつづりに置き換えられがちです。発音する時は大して気にしなくて良いのですが、意味を調べる時には k → q に戻した上で辞書で調べる必要があります。
- 英数字による当て字でアラビア語文・口語(方言)会話を表記するチャットアラビア語(名称:Arabizi、عَرَبِيزِي)では「8」に置き換えられることがあります。
ك
カーフ [ kāf ]
- 英語や日本語の k と特に変わりがありません。上の ق(q)より手前で発音するのでアラビア語で聞けば音の違いがわかるのですが、カタカナ表記にしてしまうと同じカ・キ・クになるので違いを感じづらいです。
- アラビア語の方言によっては文語アラビア語に無い ch や g の音に置き換わることがあります。ch 音に置き換わる場合は他言語から借用した چ や発音場所と文字の形が似ている ج で、g 音に置き換わる場合は借用した گ でアラビア語表記されることがあります。
- アラビア語の発音紹介で「アラビア語の ka はキャの音に近い」と書かれていることが結構あるのですが、そんなことは無いです。文語アラビア語では ka・ki・ku はカ・キ・クにしか聞こえません。キャに聞こえるのはイマーラといって母音「a」が「e」音に寄ってしまう方言地域で、ka が ケァ~ケに近く聞こえるケースです。しかしはっきりキャと読まれるようなことは皆無に近いのでアラブ人名などの英字表記で ka・ki・ku となっていたら普通にカ・キ・クとします。
ل
ラーム [ lām ]
- 単語の中で実際に行われる発音は英語の l とは結構違いますが、舌の先を当てる位置自体は英語の l とだいたい同じ音なので、単に「英語の l の音」と説明されていることが多いです。
- カタカナ表記にすると全く同じ「ラ・リ・ル」になりますが、アラビア語の当て字としての英字表記では l と r が入れ替わることはまずありません。なので Karim(カリーム)と Kalim(カリーム)は全く別の人名ということになります。
- なおイスラームの唯一神 الله [ ’allāh ] [ アッラー(フ/ハ) ] については直前の母音が a と u の時は重々しい発音になるためアッロァーのように聞こえたりします。そのため一般的な英字表記 Allah に加えて Alloh と書かれていることがあり、アッロー、アッローフとカタカナ表記するような当て字が並存している形となっています。
م
ミーム [ mīm ]
- 英語の m と同じ音です。
ن
ヌーン [ nūn ]
- 英語の n と同じ音です。
ه
ハー [ hā’ ]
- 日本語の「ハ」に含まれる h 音と同じ音です。ha・hi・hu は基本的にハ・ヒ・フでカタカナ化しますが、ヒは日本語の(hi)と違い口の中ではなく喉の奥の声帯がある場所(声門)から出す音で、フも日本語のフ(fu)と違い唇に歯が近づかない hu でこちらも喉の奥の声門から音を出します。
- 例えば ah を英語のようにアーと読むようなことはしません。たとえばアラビア語由来のイスラーム教徒人名 Ahmad だとアラブ式発音ではアフマドやアハマドとカタカナ化しますが、英語圏発音などに基づくならアーマドとなります。
- 語末にこの ه(h)音が書いてある場合、日常会話の口語発音では読み上げない黙字になっていることが結構あります。Fatimah(×ファーティマフ、ファーティマハ / ○ ファーティマ)のように語の最後が「-ah」となっているのはアラビア文字表記で ـة(t もしくは h の音で読む)となっている部分を ـه(h)音で読む文語発音の反映ですが、日常会話ではもう読み飛ばすので最後の「フ」もしくは「ハ」に聞こえる「h」はカタカナ表記から外します。ただし Farah のようにアラビア語表記が فرح で最後の文字が ـة になっていない場合、アラビア語発音に即したカタカナ表記はファラーでもファラでもなくファラフもしくは実際の発音に近いファラハなどになります。
و
ワーウ [ wāw ]
- 英語の w と同じ音です。日本語のワ行とは違って、唇を前につき出してすぼめる動きが加わります。
- wa・wi・wu はワ・ウィ・ウとカタカナ化します。
- 二重母音アウはこの w の文字を使って表現するのでつづり上 أَوْ [ アウ ](対応英字表記:aw)となっている部分は au と同じ発音になります。そのため كَوْثَر [ kawthar / kauthar ] [ カウサル ] のような人名に対して、Kawthar と Kauthar という2つの系統の英字表記が並存しています。
- アラビア語では長母音の ū(ウー)音を表す時にこの文字を使います。特に学術関係の記事ではアラビア文字のつづりに忠実な uw となっていることが時々ありますが、基本的には ū と同一だと考えて大丈夫です。例えば唯一神アッラーの属性名として使われる形容詞・名詞語形 عَفُوٌّ [ アフーウ ](罪をよく赦す、罪を大いに赦す(者))のような語だと ‘afuww = ‘afūw となります。
ي
ヤー [ yā’ ]
- 日本語のヤ行のヤ・ユや英語の y と同じ音です。
- 二重母音アイはこの y の文字を使って表現するのでつづり上 أَيْ [ アイ ](対応英字表記:ay)となっている部分は ai と同じ発音になります。そのため أَيْهَم [ ’ayham / ’aiham ] [ アイハム ] のような人名に対して、Ayham と Aiham という2つの系統の英字表記が並存しています。
- アラビア語では長母音の ī(イー)音を表す時にこの文字を使います。特に学術関係の記事ではアラビア文字のつづりに忠実な iy となっていることが時々ありますが、基本的には ī と同一だと考えて大丈夫です。アラブ人名として頻出する出自表示のニスバでは語末付近に長母音 ī(イー)音が来るのですが、al-◯◯◯iyy → al-◯◯◯īy → al-◯◯◯ī のように書き換わっていって、日常生活でアラブ人が用いる普通のアラブ人名に対する当て字になると al-◯◯◯i、al-◯◯◯y、al-◯◯◯ee…などになります。
- 英字表記では男性名 رَامِي [ rāmī ] [ ラーミー ](投げる者、射る者、射撃手)のように一番最後にこの ي(y)の字が来て長母音 ī(イー)の音になっている場合、Rami のような当て字ではなくRamy とするバリエーションがあります。このような場合は英語の I – my – me の my のようにマイとはせずラーミーなどとカタカナ化します。
アラブ人名・地名におけるカタカナ化に際した注意点
似た音同士を混同しない
上に出てきたローマ字表記では似ている音同士を点の有無で区別しています。しかし通常の人名英字表記ではそうした点は書かれません。ḥもhも同じh、sもṣも同じsといった具合にです。
この場合はカタカナ表記自体には特に影響を与えませんが、元がどちらのアラビア文字だったかによって違う人名となり、意味も変わってきてしまいます。人名辞典等でカタカナや英語から元の名前を探す時には注意が必要です。
創作物と実在のアラブ名ニスバネームとの関係
『原神』ティナリの例~アラビア語的にはティグナリーが正解、ティグナリは口語発音
ゲーム、アニメなどでは実在するアラブ人名をモデルにしたキャラクターであっても独自の読みに変えてある場合があります。
『原神』というゲームではアンダルスで活躍した農学者・植物学者のニスバ(ラストネーム、現代の姓に相当)から取られたと思われる Tighnari
関連記事:
『アラブ人の名前のしくみ~ニスバ(ゆかりのある出身地・部族・職業を示す)』
ティグナルという出身地の村の名前を変形して形容詞化してファーストネームなどの後に置いたニスバ(日本の姓、名字に相当)である(アッ=)ティグナリーになるまでの過程、ティグナリーの様々な発音バリエーションについて紹介。
という植物に縁のあるキャラクターが出てきますが、日本語版は「ティナリ」で外国語版だとタイナリー、タイナリ系の発音になっていたりもするとのこと。
現実のアラビア語ではアルファベットの غ [ ghayn / ghain ] [ ガイン ](詳細はこちらをクリック)が示す子音 [ gh ] は口の奥がこすれるような強い「ガ・ギ・グ」の音で、英語の high [ ハイ ]、night [ ナイト ] のように黙字化して読み飛ばすことは一切しません。
アラブ風世界出身の商業作品キャラクター名が gh を黙字的に読み飛ばしてティナリとしていてもアラビア語に即した発音ではないので「これはティグナリは間違いでティナリが正解。「ティグナリはリーク勢の印だから絶対に使ってはいけない。」「英語のように gh を読み飛ばすティナリが正しいのにティグナリは盛大な勘違い。」と混同してしまわないよう注意が必要です。
学校・大学の授業では gh を含むアラブ人名・地名はアラビア語式に「ガ・ギ・グ」にすることが必須です。ティナリ方式で読み飛ばしてしまわないようご注意ください。
アラブ風キャラは必ずアラビア語発音に即していないといけないか?
実在する農学者アッ=ティグナリー(もしくは定冠詞を省略してティグナリー)のWeb百科項目がゲームキャラ名由来のアル=ティナリで立項された、アラビア語の発音を無視した発音表記に書き換えられたという案件が重なったため今回このような説明文を書かせていただきました。
海外ではティグナリー、ティグナリのティナリ、タイナリ発音やティナリ氏本人の色白さをめぐってショックを受けたアラブ系利用者もかなりいるようですが、キャラ名に関してははアラブ系ネームが元ネタだといっても架空世界の登場人物に変わっている以上は会社がある程度自由に決められるものなので純粋なアラビア語発音に直さなければいけないという義務は特に無いものと管理人本人は考えています。
ただどう見ても日本人な見た目のキャラクターに Taro と命名してわざわざタロウ、タローではなく「テイロー」「テイロ」と読ませるのと同じような案件なので、モデルになった人物が所属する言語を話すネイティブである視聴者・ユーザーらによる作品評価を不必要に下げないという意味では独特の改変は入れない方が無難であるものと思われます。
アラブ圏以外におけるアラブ人名の発音
歴史上の人物に関しては現地語に外来語として定着していない限りはアラビア語発音
アラビア語の人名はアラビア語圏の中ではもちろんアラビア語発音に依拠しますが、歴史的人物については英語圏であっても発音表記などが添えられる形で通常アラビア語式の発音が行われます。
農学者 al-Tighnari / Al-Tighnari(アッ=ティグナリー)のような場合は「アルハゼン」「アルハーゼン」といったラテン語名化した名前で通っていたイブン・アル=ハイサムのように外来語として取り入れられ現地語発音ですっかり定着したとは言えないのでティグナリーと発音するのが自然だと思われます。
ティナリー、タイナリーと読むのは英語圏の人がアラビア語発音を知らない場合にアクシデント的事例として起こりうるもので、英語圏において標準・基準となる al-Tighnari / Al-Tighnari とはなりません。
ただし英語風に二重母音「アイ」を「i 」1文字で表記している人も結構いて、アイハム(Ayham、Aiham)を Iham とするスペリングも存在するなど結構ややこしいことになっていて、アラビア語での元のつづりや発音を知らないと本人がどういう読み方をさせたくて自分の名前をそういう英字表記にしているのかわからないこともしばしばです。
英字でのつづりを見ただけではわからないので違う発音をされていることは多い
普通の記事ではアラビア語での発音をわかりやすいようにした補助点や補助横棒など使わないので、どの部分がアクセントなのか・英単語と違う読み方をするのかといったことは非アラブ系には推測が難しく、アラビア語特有の発音を一発で真似ることもまずできません。
そのため口の奥にこもったような「カ・キ・ク」を表す ق [ q ] を「kw」などと読まないよう「k」に置き換えるといった具合に、現地の人が発音しにくい文字や間違えられやすいつづり部分をアラブ人側が意図的に変更することがしばしば行われています。
ティグナリーの Tighnari に含まれるような「gh」というアルファベット غ [ ghayn / ghain ] [ ガイン ] はアラビア語文語に無い「g」に似ていること、「gh」を読み飛ばすことが不自然だと考えている人が多いこともあってか「h」を「g」に書き換えことが一般的です。そのため「gh」を黙字化し「ティナリ」「タイナリ」と読み飛ばすような発音に置き換わって通るようになることにはまずなりません。
そのため英語圏だからといって複合人名に含まれる唯一神アッラーの別名・属性名部分 al-Mughni(アル=ムグニー)を「アル=ムニー」のように発音するのではなく、そのような読み飛ばし・黙字化が起こらないよう「al-Mugni」とつづりを少しいじる方式がとられます。
英語圏に帰化したアラブ系住民の名前の発音
ただアラビア語由来の名前であっても、移民して現地に帰化した場合は現地語発音で自分を名前を名乗るようになっていき、周囲の現地語風発音がその人の名前の通常の発音に置き換わっていく傾向が強まります。
一族がレバノンに住んでいた頃はナーデルと発音していた Nader を米国移民後ネイダー、ネーダー読みに変えた、といったケースがその代表例です。
アラビア語単語やアラブ系の名前であっても、Nader をナーデル、ナデルではなくネイダー、ネーダーそしてNasserをナーセル、ナセルではなくナッサーと現地発音にした方が普通・メジャーな読み方だということも少なくないので加減が結構難しいです。
基本的には「歴史上の人物は現地に外来語として定着している別の発音が無い限りアラビア語発音ベースにする。」「現代アラブの一般人については各国での多数派発音に従う。外国語読みをされたくない人は自分の英語圏だと現地の人が間違えにくいよう英字表記を少しいじったりして対策していることもある。」と覚えておけば十分だと思います。
フランス語圏におけるアラビア語系ネームの子音読み飛ばし現象
フランス語圏はアルジェリアやモロッコなどからのアラブ移民を大勢抱えていますが、フランス語で起こるアラブ人名の発音変化を極力おさえるよう -s- を濁点化しないよう -ss- にする、-sh 部分を -ch とつづるといったラテン文字表記の工夫が行われています。
そのる一方で語頭の「h」音読み飛ばしが広く観測されており、北アフリカ方言でフセーム、フセムと発音する男性名がウセーム、ウセムとなるといった黙字化現象が多発していることでも有名です。
移民コミュニティーのあまりの大きさからアラビア語由来の単語が外来語として日常生活に溶け込みアラビア語発音が遵守されなくなってきているためだと言えますが、英語圏とはだいぶ様相が異なっているという印象です。
(2023年6月 全面改稿完了)