新国立競技場の設計を担当したイラク出身女性建築家、Zaha Hadidの名前について調べてみました。
フルネームと本名は?
Zaha Hadid
建築家として活動していた時の名前:
زَهَا حَدِيد
[ zahā hadīd ] [ ザハー・ハディード ]
Zaha Hadid、日本でのカタカナ表記はザハ・ハディド
本人のファーストネームと何らかの由来があるラストネームの2つだけで名乗る、現代風のフルネームです。
アラブ式フルネーム
本名のフルネーム:
زُهَاء مُحَمَّد حُسَيْن حَدِيد اللُّهَيْبِيّ
[ zuhā’ muḥammad ḥusayn ḥadīd al-luhaybī(y) ]
[ ズハー・ムハンマド・フサイン・ハディード・アッ=ルハイビー ]
ファーストネームの本名は زُهَاء [ zuhā’ ] [ ズハー(ッ/ゥ) ] 。その意味は「輝き、壮麗さ;誇り、矜持」など。この名前には語末の ء(ハムザ)を取ったやや口語的な発音・つづりである زُهَا [ zuhā ] [ ズハー ] というバージョンもあり、現地メディアでも表記や読みが統一されています。
海外ではこれを Zaha と読むファーストネームとして名乗っていた模様です。ネットでは「花」という意味の Zahra(ザフラ、ザハラ)由来だと書かれている投稿も見かけますが、誤情報です。
ザハ氏自身はバグダード生まれ。裕福な由緒ある家庭出身でインターナショナルな教育を受けて育ったということで、もしかするとその頃からのニックネームだったのかもしれません。
al-luhaybī(y)(アッ=ルハイビー)は「لُهَيْب [ luhayb ] [ ルハイブ ] 族出身の」という意味のニスバです。ザハ氏がルハイブ族の家系であることが示されている名前表記のパーツになります。ルハイブはイラクのスンナ派部族でシャルカート地域がルーツだとか。
ともかく、このフルネームから「ズハー」がZaha氏のファーストネーム、「ムハンマド」が父の名前、フサインが祖父の名前、ハディードが曽祖父の名前だと予想できます。
bintとibnを使ったナサブ(系譜)
bintとibnを使ったナサブ(系譜):
زُهُاء بِنْتُ مُحَمَّدِ بْنِ حُسَيْنِ بْنِ حَدِيد اللُّهَيْبِيّ
[ zuhā’ bint muḥammad bni ḥusayn bni ḥadīd al-luhaybī(y) ]
[ ズハー・ビント・ムハンマド・イブン・フサイン・イブン・ハディード・アッ=ルハイビー ]
ムハンマド・イブン・フサイン・イブン・ハディード・アッ=ルハイビーの娘ズハー
「イブン◯◯」(◯◯の息子)、「ビント◯◯」(◯◯の娘)という語をそれぞれのファーストネームの間にはさんだ、親子関係がはっきりするナサブ(系譜)の方もネットには出ていました。
やはりハディードが曽祖父の名前で、彼女の父ムハンマド氏は自身の祖父の名前であるハディードをラストネームのように使っていたようです。それをザハ氏、そしてその兄弟がファミリーネームのように引き継いでラストネームとして使っていた模様。
このことから、アラブ式にファーストネームで呼ぶならザハ氏。海外で活躍する彼女を欧米式に呼ぶならハディード(ハディド)氏、ということでどちらも正解だったと言えそうです。
ハディードは曽祖父の名前なのでファミリーネームとして定着しきっているほどではないようですが、ザハ氏の世代はラストネームとして使っていた、という感じのようです。元々大きな有力部族の出身なので、曽祖父のハディード氏本人は分家の名前かルハイブの部族名かのどちらかを名乗りに使っていたのかもしれません。
家族
父の名前
مُحَمَّد حُسَيْن حَدِيد
[ muḥammad ḥusayn ḥadīd ]
[ ムハンマド・フサイン・ハディード ]
ザハ氏の父親の名前です。フルネームの種類のうちのいわゆる اِسْم ثُلَاثِيّ [ ’ism thulāthī(y) ] [ イスム・スラースィー ] = three-word namesというもので、本人・父・祖父の名前を3つ並べで系譜を示すibnを省略した現代アラブの典型的な名前表記の仕方になります。
父ムハンマド氏は元政党指導者・元財相だとのこと。モースル生まれ。
母の名前
وَجِيهَة مُصْطَفى الصَّابُونجِيّ
[ wajīha(h) muṣtafā ’aṣ-ṣābūnjī(y) ]
[ ワジーハ・ムスタファー・アッ=サーブーンジー ]
*上記はフスハー発音に基づいているもので、実際のイラク方言では一般的に الصابونجي 部分の発音は الصابونچی [ アッ=サーブーンチー ] になるかと思います。
お母さんはモースル(モスル)生まれ。とてもリベラルな女性で娘の教育やキャリア形成に大きく影響を及ぼしたそうです。絵画を得意とするアーティストで、ザハ氏はその母の手ほどきを受けたのだとか。
こちらも3つ連ねたフルネームですが、お父さんのフルネームとは違いサーブンジーという以前から引き継がれている家名があるので、ムスタファーという父の名前の後には祖父の名前は書かず代わりに家名が書かれています。
モースルのサーブンジー家について
Al Sabunji [ ’aṣ-ṣābūnjī(y)、口語では’iṣ-ṣābūnchīもしくは語中の長母音をフスハーよりも短く発音しサーブンチに近い発音 ] はいわゆる職業名由来のニスバで紹介したオスマン朝時代のトルコ語の影響を受けた名称です。
صَابُون [ ṣābūn ] は石鹸。それにジー(~屋、~業の人)をつけてサーブーンジー=石鹸屋という意味になります。イラクでは職業名を示すジーはチーと発音するのが一般的なのでサーブーンチーに。
ワジーハ氏の父ムスタファー・アッ=サーブーンジーは、モースルの名士として知られた建築家。サーブーンジー家は大きな商家で、ムスタファー氏の父はムハンマド・パシャと呼ばれた人物。オスマン朝支配下で高官に与えられていたパシャの称号をモースルで唯一賜った存在だったそうです。
サーブンジー家はイラク最大部族のひとつである اَلْخَوَالِد [ al-khawālid ] [ アル=ハワーリド ] 族の系統らしいのですが、元々この部族は現在のサウジアラビアにいた بَنُو خَالِد [ banū khālid ] [ バヌー・ハーリド ] から枝分かれし、近代に入ってからイラクに移住した支族だったのだとか。そこで石鹸販売業を営むようになりサーブーンジーという家名を得たとのこと。
ムスタファー氏の業績は以下の通りだそうです。
- 国内での対英闘争に参加
- パレスチナ支援も行い、解放闘士達の武器購入費用として多額の支援
- モースルに初めて電気を導入し街灯を設置
- 地元に多くの工場(繊維・縫製・香水・タバコ・ビスケット・製粉・食用油等)を多数作り、輸入に頼っていた分野での国産化・自給率アップを推進
- 病院・施設・学校を建設
- 複数のモスクを建築(モースルには家名を冠したサーブーンジー・モスクも残存)
- 私費を投じてイスラーム留学生団をエジプトのアズハルに派遣
ザハ氏の兄
ザハ氏のお兄さんは2人。2人とも妹と同様、父から引き継いでハディードをファミリーネームとして名乗っていたようです。
- هَيْثَم [ haytham / haitham ] [ ハイサム ]
Haithem Hadid、銀行勤務・植物油工場社長業を経てレバノン移住 - فُولَاذ [ fūlādh ] [ フーラーズ ]
Foulath Hadid、作家・中東専門家
ちなみに فُولَاذ [ fūlādh ] [ フーラーズ ] は「鋼鉄」という意味の名詞で、アラブ人の名前としては珍しいように思います。曽祖父の名前 حَدِيد [ ḥadīd ] [ ハディード ] が「鉄」という意味なので関連のある名前をつけたということかもしれません。アラビア語のウェブページでも面白い命名だと感想が書かれているのを見かけました。
هَيْثَم [ haytham ] [ ハイサム ] の方は「タカ、タカの幼鳥」といった意味で、鉄とは関係がありません。