ニューエクスプレス アラビア語 (竹田 敏之/白水社)

ニューエクスプレス アラビア語

★★★☆☆〜★★★★☆
挫折の要因になる難しい項目を回避する配慮が加えられた文法説明
会話重視のためフスハー文法を一部口語寄りに変えてあるので要注意

著者:竹田 敏之
出版社:白水社

著者の先生について

1976年生まれ。大阪外国語大学アラビア語科を卒業後、同大学ならびに京都大学の大学院を修了。クウェート大学やカイロ大学への留学経験も。2022年現在、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科特任准教授。アラブ世界のアラビア語文法学・教育事情や出版物の調査等をされている模様です。

京都イスラーム文化センターアラビア語講座主任、京都ハラール評議会専門家委員会 イスラーム法専門員。センターのオンラインアラビア語講座で直接竹田先生から教わることも可能。

主な著書は『ニューエクスプレス アラビア語』(白水社)とその改訂版である『ニューエクスプレスプラス アラビア語 』(白水社)、『アラビア語表現とことんトレーニング』(白水社)、『例文で学ぶ アラビア語単語集』(共著/大修館)『現代アラビア語の発展とアラブ文化の新時代: 湾岸諸国・エジプトからモーリタニアまで』(ナカニシヤ出版)、『京大式アラビア語実践マニュアル』(共著/京都大学)。

本の概要

●『ニューエクスプレスプラス アラビア語 』としてリニューアルされる前の本ですが追加されたコンテンツ以外のメイン部分はだいたい同じ内容です。古本でこちらの版を買っても特に支障は無いです。

●冒頭の文字学習における似た文字同士の区別方法とかは結構詳しいです。

●会話スキットは大学時代にアラビア語を勉強した公務員のお兄さんと一緒にモロッコ旅行に行ったこともある知美さんが主人公。エジプト人男子学生のハサンさんが空港に迎えに来るところからスタートし、彼の家に行ってお母さんに挨拶したり、あちこち観光して回ったりします。最後の課は空港で出国手続きを取るシーンで、エジプトは素敵な国で皆親切だったから近々再訪したいと空港職員に伝えて帰国の途につきます。エジプトへの個人旅行、ホームステイ、観光、電話、落とし物、買い物など、アラビア語を使って旅行したい方が遭遇するであろう一通りのシーンが出てきます。

●少ないページ数ということもあり初級文法の一部をかいつまんであります。能動分詞、受動分詞、受動態、動名詞などの細々とした部分は全部カットされ、派生形動詞も第何形といった教え方はしていません。動詞の学習では全部の人称は取り上げず、会話に頻繁に出てくる私・あなた・彼・彼女とかでなるべく説明を終えるような形になっています。

●巻末に簡単な活用表と単語リストがあります。練習問題は練習問題ごとに最後の部分に解答が置かれています。

●細かい文法規則が次々に出てきて挫折してしまうのを回避する点ではとてもバランス良く文法が組み込まれているのではないでしょうか。ただ説明が簡略化され過ぎていたり口語での会話を考慮に入れたデフォルメがされたりしているので、文法を一通り学びたい方は別の本も買われた方が良いです。双数はほぼ存在感を消されており、三人称と二人称の女性複数も男性複数と同じ形を使うよう文法説明でも表の中でも統合されているなど、フスハー文法既習者だとかえって混乱する可能性がある箇所も見受けられます。既習者の場合は文法説明部分を飛ばして、会話学習の副読本として短期間で通し読みするのであれば全く問題が無く大いに活用できると思います。

表記や誤字脱字について

●文字はとても読みやすいです。読みはカタカナで各単語の下に1語分ずつ()でくくってあります。

●本の最初の方から語末に母音記号がふってありません。会話中心の学習であること、かつ日常では息継ぎをする箇所でタンウィーンをいちいち読まないことから省かれているそうですが、文法を学ぶにつれて母音記号をふってある箇所が増えていっています。日本では最初は全文字に母音記号をふった例文を読んでいく学習が一般的だと思うので、CDで読まなくても記号だけは全部つけて欲しかったと感じられる方がいるかもしれません。

●語末の母音記号が省かれるのみでなくタンウィーン記号の代わりにワクフ読み(息継ぎをする文末などでの休止発音)を示すスクーンまで書き足してあるので、初級学習者の人のことを考えるとスクーンが無い方が親切だったのでは?と感じました。(日本語で書かれた入門書でこのようなスクーンを見かけることはまず無く、アラブ式語形変化論を取り入れている四戸先生の本で語末スクーンが多数登場している程度だと思います。)

●母音記号の間違いや誤字脱字はほぼ無いようなので安心して単語や表現を学べると思います。ただ文法説明であれ?と感じた箇所はいくつかありました。初学者のために文法を簡素化して教えている部分がそれらに該当しており、誤りというよりも意図的にそうしてある部分だと思われます。

付属CD

ナレーターの方について

吹き込みをされているのは

  • アマーニ・ハサン 先生 (エジプト出身)
    サイトによってはアマニ・ハサンという別表記になっています。カイロ大学で日本語を専攻した後、大阪外国語大学大学院に留学。通訳、日本語講師、アラビア語講師として長年活躍されている方のようです。以前は京都にある複数の大学でアラビア語を教えていらっしゃったようで、竹田アマニもしくは竹田 亜麻仁さんのお名前で色々な講座の情報が残っていました。東京のアラブイスラーム学院での講師職を経て、現在語学スクールICLA代表。
  • アルフセイン・ハマーダ先生 (エジプト出身)
    どうやらエジプトにあるアシュート大学で農学部助教授をされているAlhosein Hamada Abd-El-Azeem Hassan先生のことである模様。先生は京都大学大学院に農学を学ぶため留学されていたようで、著者の竹田先生やアマーニ先生の京都大学つながりでナレーターに選ばれたものと思われます。現在はエジプトの一大産業である農業に寄与する色々な論文を発表されています。

付属CD教材の特徴

●CDには文法説明に出てくる一部のアラビア語文、会話スキット、慣用表現、会話スキットの単語、練習問題の一部、表現力アップコーナーのアラビア語音声が入っています。日本語訳はついていないのでテキストを見ながらリスニングする必要があります。単語力アップという単語集になっているページの音声は残念ながらついていません。

●会話重視のテキストということで文末や息継ぎをする箇所での母音記号を省くワクフ読み(最近のアラビア語入門書の主流スタイル)が基本になっています。本のスタートから語末のウン、イン、アンとかトゥン、ティン、タンとかを声に出していないので、全部読み上げる方式で習っている方にとっては戸惑う点となるかもしれません。

●語末を完全に省くワクフ読みを徹底するのではなく、人称や格変化などの文法学習上強調したい部分は語末母音までしっかり読んでいます。現代標準アラビア語会話風発音と語末母音まで読み上げるアラブ風語学学習モードの2種類の読み方が混ざっていて、日常的に耳にするフスハーによる会話とはまた違ったどっちつかずの少々不自然な感じになっていることは否めません。

●ナレーターは両者ともエジプト出身の方なので語形から自動的に決まるフスハーのアクセントと位置とは違った場所(フスハーや他地域のアクセントよりも後ろにずれる)にアクセントを置いて読まれています。
・例:طَالِبَةٌ [ ターリバ ](ター部分ではなくリ部分にアクセントが来るエジプト式)
・例:تَفَضَّلِي [ タファッダリー ] (ファではなくダにアクセント)
といったアクセントになってはいますが、聴く限りこてこてのエジプト風発音はされておらずフスハーに寄せたあっさりとしたナレーションという印象でした。日本では師岡カリーマ・エルサムニー先生を始めエジプト人による吹込みが大半でこちらと同じアクセントの教材が多いので、違和感を感じられる方も比較的少ないのではないでしょうか。アラブ各地の政情不安もありエジプトを留学・旅行先として選ぶ方もますます増えていると思うので、エジプト以外に滞在する予定のある方以外はこのアクセントで覚えれば大丈夫な気もします。

感想

会話、単語、文法説明にはものすごく難しい語彙は出てこないので読み終えやすかったです。

既習数年の人であればCDを1時間通しで聴いて本を2日前後で読了できる内容なので、文法中心の本を終えた人が短期間で会話を学ぶのに適していると感じました。大学でアラビア語を専攻している1年生さんであれば、入学後の夏前に読めるようになるであろう内容だと思います。

ただ初めてこの本でアラビア語に触れるということであれば、数ヶ月ぐらいかかることがあるかもしれません。課が細かく分かれているので自分のペースに合わせてぼちぼち進めていけば良いのではないでしょうか。

文法説明で気になった部分・思い出した文法項目について

読んでいて気にかかった箇所のメモです。重箱の隅つつきみたいだ、と気分を悪くされたらすみません。それでも構わない方はそのままお読みください。

ターマルブータ=女性名詞のしるし

31ページに「ここがポイント! ターマルブータ=女性名詞のしるし!」とありますが、この本では省略されているだけで、ついていても男性を示す名詞・ついていなくても女性を示す名詞といった例外もあり、初級文法書でもそれらに触れている場合があります。気になる方は中級向けの文法学習書を参照されると良いです。

أَنَا を専らアナと読む発音の説明

30ページに一人称「私」を示す أَنَا はアナーと読まずアナと発音する、と書かれています。しかし実際には辞書を引けばアナーと長母音になっていることも多いかと思います。أَنَا の読み方について触れている日本語でのアラビア語教本は少なく、特に説明も無いまま「アナー」もしくは「アナ」のいずれかで読み方が添えられているのが大半です。

内記先生の『基礎アラビヤ語』17ページには「語末は短く発音する」とあります。ライト文法書の日本語訳である『アラビア語文典』上巻81ページだと「古い詩人たちは أَنَا の第2音節を、休止以外の場合においては、短音と見なしている。なお休止の場合には長音で扱い」と書かれています。アラビア語において、大昔 أَنَا のアリフは أَنْأَنَّ といった母音記号無しだと同形になってしまう語と区別するため語末に添えられた書くだけで読まない文字だったようで、古い詩でもアナーではなくアナと読んだりしていたことが伝わっているとか。

クルアーンのタジュウィード(読誦法)で伝わっている أَنَا も、読まずに落とす「7つのアリフ」として説明されているらしいのですが、息継ぎせずに続けて読む際にはアナーではなくアナになるものの、単独で読むとか息継ぎをするとかになるとアナーとアリフの読みを残して長母音にする、という場合分けがあるようでかなりややこしい問題である様子。

普通の単語学習や会話ではアナーと読んでも特に問題が無いと書いてあるサイトもあったりしたので、また時間がある時にでももう少し調べてみようかと思っています。

أُحِبُّ كِلَاهُمَا

119ページに両方好きですという文「أُحِبُّ كِلَاهُمَا」が載っていますが、好きという意味の動詞の目的語なのでフスハーの文法に従えば名詞の後にくっつく双数の人称代名詞が接続した場合の語形に変えて「أُحِبُّ كِلَيْهِمَا」とするのが本来の文法であるように思います。

一方、كلا の後に普通の名詞が離れて後ろから属格支配する時は変化せず「كِلَا الطَّالِبَيْنِ」みたいな目的語になります。(『アラビア語文法ハンドブック』にも載っています。)

ニューエクスプレスではフスハー文法に口語っぽい要素を少し混ぜたりしてあるようなので、ここでもこういう語形になっているのかもしれません。双数の学習を省いてあることから كِلَيْ という双数の属格形・対格形を敢えて出さなかった可能性が考えられます。

このように簡単に学べるように加えられた配慮のために正しいフスハー文法から敢えて外してあり、誤植なのか判断に迷う記述が見られます。会話だけ楽しむのなら良いのですが、アラビア語を大学や語学学校で学んでいる方はテストで أُحِبُّ كِلَاهُمَا と書いてしまわないように注意が必要かもしれません。

人称代名詞や動詞活用の女性複数を省いて男性複数と同じにしてある点

人称代名詞の彼女たち هُنَّ が省かれ彼ら هُمْ、貴女たち أَنْتُنَّ が省かれ貴男たち أَنْتُمْ に統合されています。動詞の完了形 دَرَسْنَ・未完了形 يَدْرُسْنَ となる女性複数も同様に男性複数に統合され دَرَسُوا ならびに يَدْرُسُونَ としてあります。

これは多くの口語にある文法の簡略化を取り入れたもので、普通のフスハー文法書でこのような活用表を見かけることはありません。姉妹書のとことんトレーニングでは全部の人称を学ぶようになっていますが、あまり使わない双数や女性複数よりも他の人称から覚えるようにと書いてあります。ニューエクスプレスはとことんトレーニングよりもさらに簡単な入門者向けの本であること、暗記の苦労を減らすためにネイティブに十分通じる口語と同じ方式を取り入れた、ということでこうなったのかもしれません。

この先フスハー文法を続ける予定の人はこの活用表通りに覚えない方が良いのですが、こういった部分があることを踏まえて後から別の本で修正すれば特に問題は無いかと思います。

(2022年1月修正)

ニューエクスプレス アラビア語 ニューエクスプレス アラビア語
著者:竹田 敏之
出版社:白水社