ゲーム作品アラブ風キャラ名考察『原神』アルハイゼン編

ゲーム『原神』アラビア語由来ネーミング考察記事です。

Alhaitham、アルハイゼンの由来と思われる男性名に含まれるアラビア語の冠詞Al(アル)は son of(の息子)という意味を持たないだけでなく、英語の定冠詞the(その、あの;~なる者、~たる者)とも違った特殊用法で誤解されやすいということで、アラビア語既習者さんの閲覧を前提にキャラ名に関する文法ネタを思いつく限り列挙してみました。

長いので冒頭に置いてある要旨や目次からの拾い読みをお願いします。

  1. このページの趣旨
  2. アルハイゼン(要旨・まとめ)
    1. アルハイゼンのモデルとされる学者の名前との関連性
    2. イブン・アル=ハイサム
    3. イブン
    4. アル=(al-)
    5. アル=ハイサム
    6. アルハイゼン(アルハーゼン、アルハゼンが由来?)
  3. 『原神』スメール編キャラクター Alhaitham(アルハイゼン)概要
  4. 由来とされるアラブ人学者イブン・アル=ハイサム
    1. アッバース朝/ファーティマ朝時代に活躍した大科学者イブン・アル=ハイサムとその生涯
    2. 実在した学者の名前「イブン・アル=ハイサム」の意味
    3. 名前のパーツ:イブン
    4. 名前のパーツ:アル=ハイサム
    5. 「イブン・アル=ハイサム」が名字に当たるなら学者イブン・アル=ハイサムのファーストネームは何か?
    6. 名前のパーツ:ハイサム
    7. 名前のパーツ:アル
  5. 日本語版のキャラクター名「アルハイゼン」の出所
    1. おそらくは本人のファーストネームとされてきたアル=ハサンのラテン語風発音
    2. 『原神』中国語版でのキャラ名と日本語版カタカナ表記アルハイゼンとの関連性
    3. 「ハイサム」とは別の男性名「ハサン」
    4. 英字表記は家名の一部である先祖のファーストネーム由来で、カタカナ表記は学者本人のファーストネーム由来という日本語版での組み合わせ
  6. アラブ式ニックネーム、あだ名の作り方
    1. 純粋なアラブ人名として扱う場合、اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)は接頭辞の定冠詞なので「アルさん」とは呼ばない
    2. アラブ人名としてのニックネーム例
  7. 脚を組む座り方とアラブの慣習
    1. アラブ世界において足裏や靴は侮辱・軽視・攻撃意思のサイン
    2. 膝にもう片足の足を乗せ足裏が真横に向く組み方はアラブ世界でトラブルの元
    3. アラブのおっさん座り
    4. 足への口づけは最大限の尊敬・服従の証
  8. 利き手の話
    1. 右から左に文字をつづるのでアラビア語などの本は右開き
    2. イスラームにおける不浄の左手と左利きの関係性
    3. アラブ世界の双剣使い

このページの趣旨

ゲーム『原神』キャラクター名考察に関して2022年後半から当サイトを利用される方が多い状況が続いていたことからページを新設しました。ゲーム作品の名前考察向け情報提供記事としては『ゲーム作品アラブ風キャラ名考察『ツイステッドワンダーランド』編』に続く2本目ということになります。

管理人はゲームをやらない系おたくなので、Googleサーチコンソールの検索履歴にあったキーワードについてアラビア語・アラブ人名いう観点から雑談している記事となっています。作品から大きく外れた推察の防止目的から、HoYoLABや公式Twitterアカウント、ユーザーさんの感想・雑談ツイートを参照させていただきました。

「アルハイゼンは”アル”がつくから家名」「”アル”は~さんちの息子」「ティナリのように中東人名のghは読み飛ばす黙字」といったアラビア語がらみの誤解釈訂正やネーミング元ネタ予想に限定したコンテンツ+雑談となっています。

制作会社により作られた原神オリジナル世界観に関する考察は含みません。実ゲームを利用されている皆様の側で実際の中東情報と作品独自設定との区別や解釈補足をお願い致します。

アルハイゼン(要旨・まとめ)

アルハイゼン編は非常に長いので最初に要旨を置いておきたいと思います。

アルハイゼンのモデルとされる学者の名前との関連性

ページの内容を凝縮すると以下のようになります。

  • イブン・アル=ハイサム(Ibn al-Haitham)
    モデルと思われる学者の家名呼び。直訳は「アル=ハイサムの息子」だが実際の意味は「アル=ハイサム家の者、アル=ハイサム家の子息」的な意味。
    日本の名字に近く「鷹家 佳男」的な意味だったフルネームのうち「鷹家」だけで呼ぶことに相当。日本ではアルを取ってしまって「イブン・ハイサム」と書かれていることが多い。
  • アル=ハイサム(Al-Haitham)
    学者の何代か前の先祖の名前。近代以前に多かったアラビア語の(定)冠詞「アル」がついている男性名で、「アル=ハイサム」全部がファーストネーム。ざっくばらんにいうと「鷹」さん。日本ではアルを取ってしまって「ハイサム」と書かれることが多い。
  • アル=◯◯(al-◯◯/Al-◯◯)
    アラビア語の(定)冠詞。おまけ的なパーツで人名としては◯◯が本体。中世のアラブ人に多かったファーストネーム「アル=◯◯」で、このアルには英語の the 的な意味は無く、◯◯部分の意味を強調する程度の役割のみ。
    なお元々アル=(al-/Al-)には「~家」「~家の息子」という意味は無く、光学の父と呼ばれたモデル学者の名前が由来の場合アルハイゼンでもアルハイサムでも「アルが名字でハイゼン/ハイサムが本人のファーストネーム」「アルハイゼン/アルハイサムはハイゼン/ハイサム家の息子という名字」とはならない。
  • Alhaitham
    『原神』における英字表記。実在したアラブ人科学者の名字のような部分「イブン・アル=ハイサム」から先祖(ひいひいひいじいさんぐらい?)のファーストネーム部分を抜き出したもの。
    アラビア語の英字表記によくあるAl-Haithamのハイフンを抜きHを小文字にしてAlhaithamとつなげ書きしたもの。Al-HaithamもAlhaithamも単なる英字表記バリエーションの違い元のアラビア語でのつづりは全く同じなので、アラブ人としては全く同じ名前という扱い。
  • アルハイゼン
    『原神』日本語版でのキャラ名。同じ学者の名字のような部分「イブン・アル=ハイサム」ではなくファーストネーム「アル=ハサン」がラテン語なまりになった「アルハゼン」「アルハーゼン」の中国語つづり・発音を経由したものと思われる。
    ゲームでも使われている「海森」という中国語表記は実在したアラブ人学者のファーストネームラテン語なまり発音「アルハ(ー)ゼン」に当てた漢字表記と同じで、先祖の名前Al-Haitham(アル=ハイサム)、Alhaitham(アルハイサム)に原神独特の読みガナをつけた可能性は低い。
    ちなみにアルハイゼンの元になったらしいアルハゼン、アルハーゼンというのは「アル=ハイサム(鷹(の雛・幼鳥)・鷲(の雛・幼鳥)・赤い砂)」とは全然違う名前「アル=ハサン」(=佳人、美男、イケメン)のこと。

イブン・アル=ハイサム

直訳は「アル=ハイサムの息子」だが学者の名前としては家名・名字的な用法。日本語にすると「鷹家 佳男」とか「鷹家 誉」風の意味になるフルネームな実在学者の「鷹家」のみで呼んでいる感じ。

歴史に残る学者などアラブ人の名前で「イブン・◯◯」となっているのは

  • アル=ハイサムという先祖男性がもうけた長男(ほか男子)が「アル=ハイサムの息子」と周囲から呼ばれていて、その通称がそのまま家名として定着したもの。
  • アル=ハイサムという先祖男性がいて、彼の子孫として生まれた男子らが次世代以降も「アル=ハイサムのところの(息子、子息、人間、成員)」と呼ばれるラストネーム(名字・家名)呼びの際に使われ続けたもの。意訳すると「アル=ハイサム家」になる。

といったパターンで、特に後者が多い。アルハイゼンのモデルとなった学者「イブン・アル=ハイサム」本人のファーストネームの代わりに人名録に載っているいわゆる家名的なもの。

日本語表記ではアラビア語では省略しないにもかかわらず一律で定冠詞「アル」を抜いてしまうため「イブン・ハイサム」というカタカナ表記が多い。

イブン

名詞「~の息子」。アラブ人は「イブン・◯◯」(◯◯の息子)を本名の代わりの通称に使う文化圏。元々の語義に「~家」は無いので「イブン・◯◯」を全部「◯◯家」と訳してしまわないよう注意。

欧米の家名Mac◯◯、Mc◯◯、◯◯sonに似た用法で使われることがある。「イブン・アル=ハイサム」でMacalhaithamのような感じなので、「イブン・アル=ハイサム」さんと「アル=ハイサム」さんと省略しないよう要注意。(ファーストフード店名「マクドナルド」にもなっているMcDonald(英語発音:マクダナズ)のMcを取ってしまって「ドナルド」と呼ぶぐらいに不自然なため。)

アル=(al-)

アラビア語の(定)冠詞。英語のtheに近い。ハイフンあり・後に来る本体とスペース無しでつなげる表記が標準なことが海外における『原神』関連書き込みでal-Haitham、Al-Haitham表記の多い理由。スペース無しでつなげる書き方をする人もいて、ゲームに出てくるAlhaithamはそちら。表記の揺れなのでアラブ人的には全く同じ扱い。

これを「~家の息子」と訳すのはゲーム『ツイステッドワンダーランド』オリジナル設定なので実際のアラブ人名としてはそのような意味は無し。名家の次期当主の証で継承するとアルが取れる、子供が生まれて親になるとアルが取れるというのもおそらく同作品考察由来の独自解釈。

以前ジェトロのアラブ人名解説『アラブ人名の由来と正しい呼び方』にあった「al-は~家」というのも誤りでハイフン抜き・スペースありで使う「家、一族」という意味の別の名詞Al(アール)と混同したもの。アラビア語辞書に(定)冠詞の「al-」(アル=、アル・)として「~家」という語義は載っていない。

ファミリーネームに(定)冠詞の「al-」(アル=、アル・)がつくのは王族・豪族・名家の証、というのも誤情報。

学者の名前「イブン・アル=ハイサム」においては非限定のものを「その」「あの」限定扱いする定冠詞(theに相当)のよくある使い方ではなく、昔のアラブ人名に多いファーストネームにくっついている部品的な使われ方なので異なる。ファーストネームの人名の由来になった語の元々の意味を強調・思い出させるための特殊用法とされる。

アル=ハイサム

この1セットで男性のファーストネーム。イブン・アル=ハイサムと呼ばれた学者本人の名前ではなく、何代も前の先祖男性の名前。日本では意味があってわざわざ付け足したアル=も含め一律で省いてしまうため「イブン・ハイサム」と書かれていることが多い。

こうしたアル=とハイサムをくっつけたようなファーストネームは中世に多かった。『原神』で現代式の単なるハイサムではなくアル=ハイサムになっているのは、おそらく中世の人名(家名)から抽出した男性名だったことが原因。

ゲーム作品オリジナル設定やネット記事の誤情報を適用して「アル=ハイサム」を「ハイサム家」と解釈しないよう注意。この(定)冠詞の「al-」(アル=、アル・)は特に訳には表れない役割で、「鷲雄」「鷹雄」のような名前の由来を強調し「鷲の赤ちゃん太郎」「鷹の赤ちゃん太郎」的なニュアンスを強める役割がある。

なおハイサムは通常「赤い砂、赤い砂丘」ではなく「幼鷲、若鷲」「幼鷹、若鷲」という意味でつける男性名。ゲーム内に出てくる「赤砂」という重要ワードに合わせるために「アルハイゼンの由来は赤い砂「アラブ人名のハイサムは赤い砂という意味」とすると推測違いになる可能性あり。

アルハイゼン(アルハーゼン、アルハゼンが由来?)

イブン・アル=ハイサムのファーストネームとされるアル=ハサンがラテン語なまりになったアルハゼン、アルハーゼンが中国語表記・中国語発音を経由しアルハイゼンになったと思われるキャラクター名。日本語にすると「鷹家 佳男」風の意味になるフルネームな実在学者の「佳男」のみで呼んでいる感じ。

元になったアル=ハサンは学者本人のファーストネームだとされてきたが、ムハンマドが本当のファーストネームでアル=ハサンは父の名前なのでは、といった説もあり本当のフルネームは確定していない。

このアル=ハサンもアル=ハイサム同様に冠詞アル=(al-)がついた中世アラブ人に多いファーストネーム形態で、アル=部分は特に意味は無いので訳出不要。固有名詞として使い古された「佳男」を「イケメンな男性、美男くん」というニュアンスに変える役割がある。

日本語版は英字表記に先祖の名前Alhaitham(アル=ハイサム)、カタカナ発音にその子孫のアル=ハサンの読みが組み合わせてある可能性高し。

「幼鷲、若鷲」「幼鷹、若鷲」という意味の人名Alhaitham(アルハイサム)にモデルとなった学者のファーストネームとされた「美男、佳人」という意味のアル=ハサンのラテン語なまりに中国語発音の混じった感のあるアルハイゼンが読みガナとして設定されているとの印象が強め。

『原神』スメール編キャラクター Alhaitham(アルハイゼン)概要

日本語版:アルハイゼン
中国語版:艾尔海森
英語版他:Alhaitham
スペイン語版:Alhacén

アルハイゼン氏はゲーム『原神』スメール編で新規に実装された男性キャラクターで、文系なはずが筋肉量が多めの体型などが話題になっている模様。

由来とされるアラブ人学者イブン・アル=ハイサム

同じスメール編で登場したティナリ(Tighnari)氏が実在した農学者 Al-Tighnari(アッ=ティグナリー、意味は「ティグナル村出身者」という日本でいうところの名字に相当)に着想を得たと言われているのと同様、このアルハイゼン氏もイラク出身科学者イブン・アル=ハイサム(イブン・ハイサム、イブン=アル=ハイサム)がモデルになっているのではと推測されているとのこと。

アッバース朝/ファーティマ朝時代に活躍した大科学者イブン・アル=ハイサムとその生涯

アルハイゼン氏の名前の由来と思われるのが、アッバース朝時代にイラクのバスラで生まれシリア近辺での研究者生活を経てエジプトのカイロに移住した科学者「イブン・アル=ハイサム(イブン・ハイサム、イブン=アル=ハイサム)」です。

彼は光学研究の父的な存在で、眼鏡の生みの親としても有名です。「ダムを作ればナイル川の治水ができる」と話している場に居合わせた側近から伝え聞いたファーティマ朝第6代カリフ アル=ハーキム・ビ・アムリッラー*から是非にと乞われてエジプトに行きますが、実際に見聞したナイル川の流れは激しく、堰を作れば良いと思っていた上流地点付近には大きな滝もあったりで実現不可能だった、自分の見立ては甘すぎたと悟ります。

*直訳は「アッラーの命により支配者たる者」で、アラブ圏ではアル=ハーキムの部分だけを残してカリフの名としていることが多いです。日本ではメイン部分のみを残し定冠詞アルも取った”ハーキム”という表記が一般的です。

カリフはイブン・アル=ハイサムから報告を聞き、約束していたナイル川流量調節プランは無理だったことを知らされます。気まぐれのように処刑を繰り返していた彼ですが、すぐにイブン・アル=ハイサムを殺したりはしなかったといいます。

「自分ならナイル川に堰を作ってうまくコントロールできる」と公言したために招いてしまった苦境。過去に裁判官の経験があったとはいえ学者の身でカリフの元で官吏として働き出したイブン・アル=ハイサムは望まない仕事をしなければいけなくなり、加えて「やはり許せぬ、とカリフに殺されるのでは?」という不安の中で過ごさねばならず、発狂したふりをして難を逃れようとしたと言い伝えられています。

その結果地位・持ち物・財産を没収され、自宅に軟禁。しかもカリフ側から送られた使用人がいたことから人目のある場所では狂人のふりをしたまま過ごさねばならず、カリフが謎の死を遂げるまでの10年間世間に対して気が狂ったように装い続けたとされています。

一方で家に引きこもったままの生活はイブン・アル=ハイサムに十分な思索の時間を与え、後代に数多くの功績を残すきっかけになったと言われています。(ただしオリジナルは失われており翻訳を通じて伝わっている状況。)

自宅軟禁時の様子は再現動画によってまちまちながら、部屋が明るくないのは共通で、そこで研究や執筆をしていたりします。あとは使用人が身の回りの世話をしていたり門番の兵士がいたりするのですが、財産や本を没収されたのに紙やインクをどうやって手に入れたかまでは伝わっていないのか説明がありません。

彼を自宅軟禁したカリフのアル=ハーキム没後は閉じ込められていた家も引き払い、アズハル大モスクの近くで学者としての余生(約20年)を送り、同地に埋葬されたとか。近所にあるアズハル学院では教師も務めていたといいます。

有名放送局 Al Jazeera [ アル=ジャズィーラ ](アルジャジーラ)が制作したイブン・アル=ハイサム伝記。ナイル川に堰を建設すれば流れや水量を管理できると主張した自身の理論に不備があったことをカリフの前で認めた後で狂人のふりをし始めた理由、軟禁された家で穴から差し込む一筋の光を見て光学理論を思いついたことなどが一通り紹介されています。

『原神』ではアルハイゼン氏が鏡と光を組み合わせたような戦い方をする描写があるとのことですが、これはイブン・アル=ハイサムが薄暗い自室で光の原理に関するインスピレーションを得た件に関してアラブ世界で出回っている再現ビデオや想像イラストと合致したシーンだと言えそうです。

こちらは子供向けアニメです。孫娘に語り聞かせをするおじいちゃん役として『アラビアのロレンス』などに出演した名優、故・オマー・シャリフ(عمر الشريف、文語発音:ウマル・アッ=シャリーフ、エジプト発音:オマル・エッ=シャリーフ)が出演。

子供向けにアレンジしてあるので史実から多少離れた描写もあるような気もしますが、UNESCOが関わって作ったムスリム学者たちの特集事業だったためかなりしっかり作られており、現地では動画と連動した冊子(http://www.1001inventions.com/files/ibnh-arabic-01.pdf)も配布されました。

『原神』公式ツイートより。名前や光学をイメージした攻撃技の由来であろうイブン・アル=ハイサム(イブン・ハイサム、イブン=アル=ハイサム)についてはカリフの(アル=)ハーキムに殺されることを恐れて狂ったふりをしたのではなく役人の仕事から逃げたかったのではと考えている人もおり、教令院にまめに通勤せず好きなことに自分の時間を振り分けている様子もそうしたエピソードをヒントにしているのかもしれないーという印象も。

イブン・アル=ハイサムはエジプトに行くずっと前に故郷のバスラで裁判官をしていたのですが、そちらも自分から辞職しています。そのためアラブ世界では公的な立場のせいで生じる面倒が苦手だったのではという見方をする人も。

イブン・アル=ハイサム(イブン・ハイサム、イブン=アル=ハイサム)は他国にも名を知られた名学者でしたが敢えて狂気を装ったために公職から追放され自宅軟禁の刑を受けました。

彼がエジプトで押し込められ住んでいた軟禁場所は薄暗い部屋だったとも言われており、外から入ってくる光と景色が光学やレンズの原理を突き止めるきっかけになったという描写がアラブ世界ではなされています。

実在した学者の名前「イブン・アル=ハイサム」の意味

「イブン・アル=ハイサム」の表記・発音

アルハイゼン氏のモデルになったと考察されているのが、中世の数学・光学研究等複数分野で活躍したバスラ(現イラク南部の大型港湾都市)生まれアラブ人(ペルシア系説あり)学者:

اِبْن الْهَيْثَمِ
[ ’ibnu-l-haytham / ’ibnu-l-haitham ] [ イブヌ・ル=ハイサム ]

一般的な英字表記:Ibn al-Haytham
標準的な日本語表記:イブン・アル=ハイサム(イブン・ハイサムのことが多いです)
中国語:伊本·海瑟姆、伊本·海塞姆、伊本·艾尔·海什木

アラビア語ではこうした2語1セットの複合語は息継ぎせず一気読みするので実際には [ ’ibnu-l-haytham/haitham ] [ イブヌ・ル=ハイサム ] と発音しますが、英語や日本語の人名表記では息継ぎをして1語ずつ区切って読んだ際の発音に準拠した書き方になっています。

日本ではアラブ人名の定冠詞「アル=」を全部取ってしまう表記が広く行われているのでWikipediaの項目名も「イブン・ハイサム」になっていますが、アラビア語ではそのように「アル=」を省くことはしません。アラビア語ではイブンとアル=ハイサムの間にスペースを入れるのですが、全部セットで複合語になるため日本語では「イブン=アル=ハイサム」と書いてあることも少なくありません。

なお、モデルになった学者の名前「イブン・アル=ハイサム」に含まれる「アル=ハイサム」は「ハイサム」ではなくわざわざ「アル=」がついている「アル=ハイサム」で、アラビア語では機能があってわざとつけられているものなので人名表記で本来ついている「アル=」を日本におけるカタカナ表記のように気軽に外すということは行われません。

日常会話の中やニックネームとは違う人名のフルネーム表記に関してはついている「アル=ハイサム」とついていない「ハイサム」は日本で思われているよりも意外ときっちり区別されているというのが実情です。

「イブン・アル=ハイサム」は日本の名字呼びに相当

「イブン・アル=ハイサム」の直訳は「アル=ハイサムの息子」です。

ただしここでは父子関係を示す「アル=ハイサムの息子◯◯」という系譜・出自(ナサブ)表示ではなく、何代も前の父祖の名前にちなんだ家名「イブン・◯◯家(◯◯の息子)家」もしくは「◯◯家(出身の者)」相当の使われ方をしているクンヤ形式の家名呼び用法・名字呼び用法なので、実際には「イブン・アル=ハイサム家の者」や「アル=ハイサム家の者」というニュアンスに近くなります。

日本人名だと鈴木太郎の「鈴木」で呼び捨てている感じで、太郎に相当する部分は登場していません。ファーストネームとファミリーネームで構成される欧米の人名風に書き換えると、Alhasan Macalhaitham(アルハサン・マックアルハイサム)やMuhammad Macalhaitham(ムハンマド・マックアルハイサム)のような名+姓の人を家名のMacalhaitham(マックアルハイサム)だけで呼ぶことに当たります。

イブン・アル=ハイサムのイブンは省略不可能で、イブンを取ってアル=ハイサムと呼ぶのは誤りで別人に

「イブン・◯◯」と「◯◯」は別の人

光学研究などで有名になった学者「イブン・アル=ハイサム」を単に「アル=ハイサム」と呼んでいる方が結構多くいらっしゃるようなのですが、全部揃えて使わないといけないパーツを切り取ってしまったものなのでアラブ人の名前・アラビア語としては誤りです。

  • イブン・アル=ハイサム:有名な光学者・科学者の家名・名字呼び相当パーツ
  • アル=ハイサム:著名科学者から数えて数代前の先祖の名前
  • アル=ハサン(ムハンマド説あり):科学者本人のファーストネーム
  • アブー・(アル=)アリー:科学者本人を息子の名前を使って呼ぶ時の通称「(アル=)アリーの父」

実在した科学者の名「イブン・アル=ハイサム」と「アル=ハイサム」は全く別の人間なので、省略を一切せずに「イブン・アル=ハイサム」と読んだり書いたりする必要があります。

ファーストフード店名「マクドナルド」にもなっているMcDonald(英語発音:マクダナルズ)のMcを取ってしまって「ドナルド」と呼ぶぐらいに不自然なので、安易に「イブン・アル=ハイサム」さんを「アル=ハイサム」さん、「イブン・アル=ハイサム」家を「アル=ハイサム」家のように抜き出さないよう要注意です。

似た名前のイブン・バットゥータはバットゥータが母親の名前

同じく有名な旅行家イブン・バットゥータを単に「バットゥータ氏」と呼ぶのもアラビア語としては誤りです。

  • イブン・バットゥータ:イベリア半島アラブ人が使っていた家名・名字相当パーツ
  • バットゥータ:著名旅行家の母親の通称
  • ムハンマド:旅行家本人のファーストネーム
  • アブー・アブドゥッラー:旅行家本人を息子の名前を使って呼ぶ時の通称「アブドゥッラーの父」
    *アラビア語文法的にはアブー・アブディッラーが正確な語形です。

彼を題材にしたマンガでイブン・バットゥータを「バットゥータ先生」と呼んでいるものがありますが、バットゥータは旅行家本人の母親の名前 فَطُّومَة [ faṭṭūma(h) ] [ ファットゥーマ ](有名な女性名ファーティマの愛称語形)が元になっているという説がメジャーなので、本人に向かって彼のお母さんの名前で呼んでいるという食い違いが起きてしまっている状態です。

日本では「バットゥータ先生」と書いてもイブン・バットゥータのことだと伝わるので大して問題は無いかもしれませんが、アブドゥルカリームさんという複合男性名を途中で切ってしまってアブドゥルさんと呼ぶのと同様正確とは言えない誤用に含まれます。

原神のように架空世界が舞台でキャラ名に原語とかなり違う読みを当てることで知られたゲームでそうするならば「まあ仕方が無い」で済ませられるのですが、実在したアラブ人を登場させる歴史物になった場合中東地域に売る時点でこれらに修正をかける必要が出てきてしまいます。商業作品の作者さん・制作会社さんは最初から避けられる方が良いかもしれません。

アル=ハイサムはイブン・アル=ハイサム本人から数えて数代前の先祖のファーストネーム

「イブン・アル=ハイサム」の名前で知られる学者の呼び名に含まれる「アル=ハイサム」は学者本人のファーストネームでも彼の父親の名前でもありません。父、祖父…とさかのぼった先にいる一家のファミリーネームの元になった辺りの世代である数代前の先祖の名前です。

「アルがつくのは家名なのでは?」「アル=ハイサムだけでハイサム家という意味なのでは?」と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、アルがついてもこの場合はファーストネームです。

「アル=ハイサム」のようにただの人名「ハイサム」に「アル=」が接頭しているファーストネームケースは英語の the とは違った用法で、一般的な定冠詞のように「その」「あの」「例の」「かの有名な」と限定するため付加されたものではなく普通の定冠詞とは異なる項目で扱われている文法事項となっています。

そのため「アル=ハイサム」だけではひいひい…じいさんの名前を読んでいる形となります。「ハイサム家の者」という意味にならず、光学研究で欧州にまで知られるに至った大学者を指すこともできません。

ご先祖様の名前だった1つのファーストネーム(アラビア語でイスム)が「アル=ハイサム」で、そこにイブンをつけた上で子孫の著名学者を家名・名字呼びしているのが「イブン・アル=ハイサム」です。

2人の間には数世代という開きがあるため、同時期に生きておらず学者「イブン・アル=ハイサム」が「アル=ハイサム」氏を見たこともなかった可能性の方がはるかに高いです。このように血縁以外の関係が存在しない別の人間の名前を使った「アルハイゼンのモデルは学者のアル=ハイサム」と紹介する記述は回避されることを個人的にはお勧めします。

世界史に出てくる「イブン・◯◯」がこの家名呼び用法で、ファーストネームが出てこない上に◯◯部分が父の名前でないことがほとんど

イベリア半島で活躍したイスラーム教徒学者ら(イブン・ハルドゥーン、イブン・ルシュドほか)も全てこのパターンで、彼らの父親はハルドゥーンやルシュドとは全く違う名前です。イブン・ハルドゥーンの父親はムハンマド、イブン・ルシュドの父親はアフマドといった具合に、よく知られた「イブン・◯◯」(◯◯の息子)型呼称からは本人の名前も父親の名前も推測不可能となっています。

数代前の祖先の名前や通称などとイブンとを組み合わせた現代でいうところの家名(ファミリーネーム、ラストネーム)相当扱いする部分なので、世界史に出てくる学者の名前「イブン・◯◯」は「◯◯部分は学者本人の実父の本名」と解釈してはいけない例がほとんどです。

創作物、特に商業作品として中東地域に売る予定のある場合は実在した歴史上著名アラブ人キャラクターの父親の名前をハルドゥーン、ルシュドなどと設定してしまわないよう要注意です。彼らの父親の名前は本人のファーストネームや親子関係にからむパーツを全て揃えた人名録方式のフルネームが載っている本なりサイトなりで調べる必要があります。

名前のパーツ:イブン

元は「(~)の息子」だが人名としては色々な使い方があるイブン

اِبْن ــ
[ ’ibn(u)・◯◯ ] [ イブン・◯◯ ]
Ibn ◯◯(◯◯の息子)

普通の名詞としては اِبْن [ ’ibn ] [ イブン ](息子)という意味なのですが、人を呼ぶ時に使うのに多用されており、その用法も多岐にわたります。

  • ファーストネーム代わりの通称(クンヤ
    訳:◯◯の息子、◯◯のせがれ、◯◯さんちの子、◯◯さんのところの子
    人をファーストネームで呼ぶことを避けるアラブ文化を反映。ファーストネームは別にあるのに「◯◯の息子」「◯◯のせがれ」「◯◯さんちの子」と呼ぶ、いわゆる通称やニックネームに相当するもの。
  • 通称(クンヤ)形式の家名(1)
    訳:イブン・◯◯家、◯◯の息子家、◯◯のせがれ家、◯◯さんちの子一家、◯◯さんのところの子一家
    「イブン・◯◯」(◯◯の息子、◯◯のせがれ、◯◯さんちの子)と呼ばれていた男性がスタート地点・始祖となる形で通称がそのまま家名になったもの。「イブン・◯◯家」「◯◯の息子家」といった具合に息子という意味合いがファミリーネームに含まれるもの。
  • 通称(クンヤ)形式の家名(2)
    意訳:◯◯家、◯◯のところの一族
    イベリア半島のアラブ人・イスラーム教徒支配地域(アル=)アンダルス出身の学者の名前などとして世界史の教科書に出てくるタイプ。イブン自体に「~家」という意味は無いものの、◯◯という名前(もしくは通称)で呼ばれた人物の子孫を家名で表記するいわゆる名字呼びの際に表現。有名人だらけの一族だと祖父もイブン・ルシュドで孫もイブン・ルシュドと呼ばれたといった事例も。

アルハイゼン氏のモデルとなった学者「イブン・アル=ハイサム」に関しては「アル=ハイサム」は実父ではなくもっと前の先祖の名前なので、アラブ人名の「クンヤ」と呼ばれる通称の形式に分類される家名・出自表示になります。

著名学者「イブン・アル=ハイサム」の父親はアル=ハイサムでもハイサムでもなかった

「イブン・◯◯は◯◯の息子という意味」という説明が有名になりすぎて間違える方も多いのですが、اِبْن الْهَيْثَمِ [ ’ibnu-l-haytham/haitham ] [ イブヌ・ル=ハイサム ](イブン・アル=ハイサム)で知られる学者の父親の名前はアル=ハイサムでもハイサムでもありません。

「アル=ハイサムの息子」という直訳になるパーツが家名のようになって子孫まで引き継がれているものなので、アル=ハイサムは学者本人の何代も前の先祖となります。

ファーストネームの後に父や祖父の名前をすっ飛ばして家名パーツを持ってきてこの学者の短いフルネームを Al-Hasan ibn al-Haitham(アル=ハサン・イブン・アル=ハイサム)と書いている記事も結構あるのですが、「アル=ハイサムの息子家のアル=ハサン」とか「アル=ハイサム家のアル=ハサン」と解釈することになります。これを「アル=ハイサムの息子アル=ハサン」という実際の父子関係を反映したケースと間違えないよう要注意です。

「イブン・アル=ハイサム」全部セットで家名、この中に「~家」という意味の語は含まない

「イブン」や「アル=」そのものには「~家」という意味はありません。「イブン」に関してのみ直後に先祖名などを置いて「◯◯(家)の子息、息子」というニュアンスが表現できるようになります。

人名構成を確認の上でラストネーム、ファミリーネームとして使われていると判断できた時点で意訳を行い「イブン・アル=ハイサム家」「アル=ハイサムの息子家」(アンダルス風だと「アル=ハイサム家」)といった具合にして「~家」という意味を補い理解する必要があります。

日本に置き換えると鈴木や山田などと呼んでいるのとほぼ同じなので、アラビア語記事では彼の生まれた実家を「イブン・アル=ハイサム家」と表現するなどしています。

名前のパーツ:アル=ハイサム

実在した科学者「イブン・アル=ハイサム」の数代前の先祖男性のファーストネームです。

ウェブ上に「アルハイゼンのモデルはアル=ハイサム(Alhaitham)という学者だ」という考察・解説が多数出回っているようですが、アラビア語としては誤りで「イブン・アル=ハイサム」から「イブン」を取ると別人になってしまいます。

発音と表記

اَلْهَيْثَم
[ ’al-haytham / ’al-haitham ] [ アル=ハイサム ]

一般的な英字表記:Al-Haytham、Al-Haitham
標準的な日本語表記:アル=ハイサム
意味:鷹、幼鷹;幼鷲

*表記は「=」を使わないアル・ハイサム、アルハイサムなどもあります。

男性名「ハイサム」に英語の定冠詞 the に似たアラビア語の(定)冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)がついた語形です。

この「アル=」はいわゆる接頭辞です。英語では the と次の後にはスペースが入って「the apple」となりますが、アラビア語では ال هيثم とはせずスペース抜きで الهيثم とくっつけてつづるのでアラビア文字上だとスペース無しの1単語に見えます。

実際には接頭辞である定冠詞と本体部分から構成されているのですが、アラビア語としては2語とはカウントせずこれで1語と数えます。それが英字表記の時に al と後続の◯◯を al-◯◯ のようにハイフンで結ぶ理由となっています。

英字表記におけるハイフン(-)の意味

アラビア語では接頭してくっつく後続語とスペース無しでつづるため、英字表記ではハイフンを使って「al-」もしくは「Al-」(アラビア語に大文字・小文字の区別はありませんが英語圏のルールに合わせAlになっていることが多いです)とすることが一般的に行われています。

しかし学術目的でない普通のアラブ系人名としてはそのルールに従う必要は無いため

  • 小文字+ハイフンあり:al-Haytham、al-Haitham
  • 大文字+ハイフンあり:Al-Haytham、Al-Haitham
  • 大文字+ハイフンあり+本体部分語頭小文字:Al-haytham、Al-haitham
  • 小文字+ハイフン無し・スペースあり:al Haytham、al Haitham
  • 大文字+ハイフン無し・スペースあり:Al Haytham、Al Haitham
  • 大文字+ハイフン無し・スペース無し:Alhaytham、Alhaitham などなど…

といったラテン文字表記(≒英字表記)が乱立。

同じアラビア語つづりに対して何種類もの英字表記バリエーションが併存する結果となっていますが、(定)冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)についてはハイフンありの書き方が一番多いように思います。

ちなみに「al-Haitham」となっている場合、「al-」(アル=)がファーストネームで「Haitham」(ハイサム)がミドルネームだということはありません。なので「前半がメインとなるファーストネームなのでアルハイゼンのアルが本人の名前でハイゼンがおまけ。アルさんと呼ぶべき。」としないよう要注意です。

ゲームの日本語版ではAlhaithamのようにハイフン抜きになっているので普通の(定)冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)としてのみ扱っている可能性が高いです。アルが「~家」という意味の違う名詞「Al(アール)」の「ー」を抜いたカタカナ表記だとか、アルが本体でハイサムがミドルネーム的なことは考えづらいです。

海外勢がアル抜きのハイサムと呼んでいる理由

Alhaitham は英語版などでは「アルハイサム」という発音だとか。それはアラブ人名としての本来の発音なので不思議は無いのですが、「海外勢が Alhaitham をアルハイサムではなく単にハイサムと呼んでいる」と書いている方がネット上に何人かいらっしゃるのを見かけました。

この「アル=」部分は(定)冠詞という接頭辞という余分なパーツなので、ざっくばらんな話し言葉の会話時だと省略されやすいです。

これはおそらくアラビア語の(定)冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)が繰り返しの言及や日常会話で落とされやすいこと、現代ではファーストネームにアル=をつけることはまずしない、といった事情が関係しているものと思われます。

アラブ人やアラブ系・イスラーム系ネームに慣れている人だとAl(アル)部分は(定)冠詞に過ぎず名前の意味を持っている本体はハイサムやハイゼン部分だと当然のように解釈するのですが、日本だと「~家」「~家の息子」という誤情報も手伝って海外勢がアルを抜いてしまう理由がつかみにくくなっているような気もします。

「イブン・アル=ハイサム」が名字に当たるなら学者イブン・アル=ハイサムのファーストネームは何か?

学者本人の名前についてはアル=ハサン説が昔から広く流布してきましたが、アラブ諸国では色々な資料を根拠に「ファーストネームはアル=ハサン」「本当のファーストネームはムハンマド」「本人と父の名前がアル=ハサン」「本人はアル=ハサンで父はアル=フサイン」「父方おじがムハンマドで祖父がアル=フサイン」…などと言われたりもしているようです。

そのため彼のフルネーム表記もファーストネーム部分が「アル=ハサン」になっている場合と「ムハンマド」になっている場合があり、一番多いのがアル=ハサンだとはいえムハンマド準拠バージョンもあり統一されていません。

ちなみにアラブ系ネット百科サイトだと

  • 本人がアル=ハサン、父がアル=ハサン、終盤にある家名にも使われる部分が(イ)ブン・アル=ハイサム
  • 本人がムハンマド、父がアル=ハサン、終盤にある家名にも使われる部分が(イ)ブン・アル=ハイサム

のようになっていたりします。

名前のパーツ:ハイサム

現代アラブ人は定冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)つきファーストネームは少ないので、通常は単なる「ハイサム」と命名されるのが一般的です。

『原神』で Haitham ではなく古風な冠詞つきの Alhaitham となっているのは、中世に活躍した科学者の家名「イブン・アル=ハイサム」の一部として使われている彼の数代前の先祖の名前「アル=ハイサム」を抜き出したためだと思われます。

イブン・アル=ハイサム自身が今から千年以上前の西暦1000年前後に活躍したアラブ人だったので、その数代前のアル=ハイサムという男性はそれよりももっと前の時代の人間だということになります。

当時は現代のアラブ人とは人名のルールや傾向もだいぶ異なっていたため、『原神』ネーミングに使われたアルハイサムやアルハイゼンもファーストネーム由来にもかかわらず「アル」がつくという古風な形式になっています。

ハイサム単独の意味や表記については以下のとおりです。

発音・英字表記・カタカナ表記

هَيْثَم
[ haytham / haitham ] [ ハイサム ]

一般的な英字表記:Haytham、Haitham
標準的な日本語表記:ハイサム

「-ay-」部分は二重母音「ai」になるので Haytham、Haitham という2系統のつづりがありますがどちらも同じ人名でハイサムと読みます。

hyper(ハイパー)や hiking(ハイキング)のような英語的なつづりと発音の対応関係を取り入れた Hytham、Hitham も見られ、これでヒサムではなくハイサムと読ませる形となっています。

二重母音「アイ」となる「-ay-(-ai-)」部分が口語的発音であるエイやエーに転じた発音ヘイサム、ヘーサムを反映した英字表記は Heytham、Heitham、Heetham、Hetham など。th を似た音である s (口語では th が s に置き換わる発音もあります)に置き換えた Haysam、Haisam、Heysam、Heisam、Heesam、Hesam、Hysam といったバリエーションもあります。

ハイサム後半の「-am」部分は口語風発音では「-em」に転じることもあり、ハイセム寄り発音に対応したHaythem、Haithem、Hythem、Hithemといった英字表記も存在。

北アフリカのモロッコなど方言によっては「th」部分が「t」発音になる地域があり、アラビア文字上はハイサムと読めるつづりなのに実際の読み方はハイタムやヘイタムだという場合もあります。英字表記Haitam、Heitamなどが使われているのはそのためです。

なお、th部分は英語の the、that のように濁点はつかないのでアラビア語としての発音ではハイザム、ヘイザムのようになりません。ただし移民だったり非アラブ系イスラーム教徒の名前として使われていたりで現地発音に即した違う読み方をする場合はまた別扱いとなります。

ゲーム『Assassin’s Creed(アサシン クリード)』に出てくるイングランド出身キャラクター Haytham Kenway(ヘイザム・ケンウェイ)氏がアラブ式に読むのならばハイサムなのにヘイザムと発音するファーストネームになっているのもアラビア語由来でありながら英国人に命名されたということで英語圏発音になっているケースの代表例かと思います。

意味

あまり詳しくない人名辞典にも必ず載っている主な意味

  • タカ(鷹)(の成鳥)
  • タカの雛(幼鳥)
  • ワシ(鷲)の雛(幼鳥)

詳しい人名辞典や各種アラビア語大辞典に載っているその他の意味

  • 赤い砂丘、赤い砂
  • なだらかな砂丘、柔らかな砂丘
  • レモンに似た柑橘類の名称

ハイサムは昔からあるアラブ男性名で、主な意味は「鷹の成鳥」「鷹の雛鳥・幼鳥」「鷲の雛鳥・幼鳥」です。人名としては通常「タカ;タカの雛(幼鳥)、ワシの雛(幼鳥)*」の意味が由来となります。

*生後約1ヶ月ぐらいまでで、巣立ち前のまだふわふわして幼い感じが残っている赤ちゃん鳥。

しかし、アラブの国語大辞典やネイティブ向け人名辞典には「赤い砂丘」「赤い砂」など鳥以外の語義も載っています。

『原神』では赤砂が世界観にからむ重要な語ということでハイサムという語に「赤い砂」という意味がある件に驚かれた方もいらっしゃるようなのですが、通常はタカとかワシの方の意味で命名します。

アラビア語以外で書かれた人名辞典には鳥の意味までしか載っていないことが多いため、制作会社側が意図的に赤砂との関連性をからめて男性名ハイサムを選んだという可能性はあまり高くないような気がします。「赤い砂」という語義を名前考察に入れてしまうことで逆に正解から遠ざかってしまう可能性があるかもしれません。

モデルとなった学者の呼び名「イブン・アル=ハイサム」に含まれる「ハイサム」も赤い砂ではなく鷹(タカ)や鷲(ワシ)の意味でつけられたものと思われます。アラブ人の男性名には鷹(タカ)や鷲(ワシ)を意味するものが複数あり好まれているモチーフなので、十中八九学者の先祖男性も鳥の名前から取られていると考えるのが自然です。

そもそも『原神』アルハイゼン氏のネーミング自体が、実在した科学者の名字呼び「Ibn al-Haitham(イブン・アル=ハイサム)」から単に取っただけで「(幼)鷹」「幼鷲」という意味すら意図されていないことも考えられます。

アルハイゼン氏のデザインには鳥を思わせる要素が含まれているとのことですが、ゲーム内の設定によると隼(はやぶさ)が想定されているとか。

外国語版では鷹(たか)や鷲(わし)を意味する名前の設定になっているとの情報も見かけましたが、少なくとも日本語版についてはアル=ハイサムが意味する鷹や鷲との関係性やモデルとなった学者といったアラブ・イスラーム的な要素よりも、古代エジプト神話の神々のような要素(例えばトト神モチーフ説、ホルス神モチーフ説など)の方がメインとなっているように見受けられます。

*ちなみにイスラームはセム系一神教かつ偶像崇拝禁止なので鷹や鷲の神は存在せず、鳥が神の化身になることもありません。全部唯一神アッラーなので神々の世界も神の子も無い世界観です。イスラーム以前のアラビア半島には نَسْر [ nasr ] [ ナスル  という鷲(ワシ)の神がいたのですが、現代アラブ世界ではその信仰は途絶えた形になっています。

そのためアラブ人名としてハイサムという語が持っているアラビア語的な意味合いではなく、モデルとなった科学者の業績内容やゲーム内における実際のキャラクターの言動や外見といったもっとゲームそのものに関係した部分を主な考察ポイントとされた方が良いかもしれません。ハイサムという語が持つ「赤い砂」という意味を重視しすぎると盛大な考察違いになるリスクが結構あり得る気がします。

名前のパーツ:アル

ここで、アラブ人名に含まれる(定)冠詞「al-(アル=)」に関する誤情報と間違いやすい解釈について紹介したいと思います。

AlhaithamのAlやアルハイゼンのアルはアラビア語の定冠詞

日本ではアルハイゼン(有る配膳)、ナイハイゼン(無い配膳)という名前ネタにされやすいキャラ名ですが、元ネタになった光学者の名前に含まれるAl(アル)部分は英語の the に相当する(定)冠詞となっています。

アルタイルといった星座の名前の最初についているアルや、スペインにある宮殿アルハンブラのアルと同じだと言えば覚えやすいでしょうか…

(定)冠詞「al-(アル=)」がついたファーストネームの本体は後半部分

アル=ハイサムのように(定)冠詞「al-(アル=)」がついた(古風な)ファーストネームといったアラブの固有名詞は「ハイサム」のような後半部分が本体となっています。

「海外の人たちがアル抜きでハイサムと呼んでいる」という情報をネット上で見かけましたが、アラブ人ユーザーなどがアルを抜くのはそのような事情によるものと思われます。アルはおまけなので、アラブ式のニックネームを作る時も「アル」さんなどとはせず、メインである「ハイサム」部分を使って愛称語形に仕立てます。

アルに「~家の息子」「~の息子」「~家の男子」という意味は無し

「アラブ人の名前のアルは”(~家の)息子”の意味」と覚えていらっしゃる方が多いと思うのですが、これはアラブ人名をモチーフにしたモバイルゲーム『ツイステッドワンダーランド』に出てくるカリム・アルアジーム(Kalim Al-Asim)君の名前向け独自設定のため、このイブン・アル=ハイサムのアルに「息子」という意味はありません。

「~の息子(であるところの)」「~家出身の男性」的なという意味があるのは اِبْن [ ’ibn ] [ イブン ](Ibn、イブン)の方になります。

「アラビア語のアルは~家の息子」というのは『ツイステッドワンダーランド』熱砂の国言語独自設定なので、実在する他のアラブ人名に適用しないよう要注意です。

当主になったり子供が生まれて親になったりしたらアルが取れるという仕組みは無し

カリム・アルアジーム君の名前に関連してアラブ人名の実在するルールだと誤解されているのが、その人の人生の途中で家名についているアルが取れることがあるという件です。

後継者候補だった子息が当主になった時点でアルが取れる、子供が生まれ親になったらアルが取れる、といったその一族・一家の子供であることを示す役割はアラブ人名としてはありません。

アラブ人名のカタカナ表記でアルがついたり取れたりするのは、「接頭辞というおまけ的なパーツなのでカタカナ表記の時には省略してしまおう」という書く側の都合によるものです。アラビア語ではついたままなのに日本語カタカナ表記だけで便宜的にアルを省略しているため、アラブ人名に関するアル本来のルールがわかりにくくなってしまっています。

アラブ人の名前についている(定)冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)は日常生活では取れやすいため本名ではなく通称だと省かれがちだったりもするのですが、国民としての住民登録・戸籍としてはもっと厳密な扱いがされています。

(定)冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)ありの名前で戸籍を作ったのに銀行手続きなどでアル抜きのフルネームを書いてしまったせいで別人扱いされ送金受け取りを拒否された、という話を管理人もニュース記事で読んだことがあります。

アル=(al-、Al-)に「~家」「~一族」という意味は無し

誤解の多いアラブ人名の「al-」「Al-」(アル=)

昔アラブ人名解説で多用されていたジェトロの記事『アラブ人名の由来と正しい呼び方』が

  • (定)冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)
    一般的な英字表記:al-、Al-(後に来る本体部分とスペース無しでつなぐ)
    標準的な日本語表記:アル=、アル=
    ▶ 英語の定冠詞「the」に似た使い方の接頭辞で本体部分にくっつけて使う独立性の低い語です。英語でハイフン、日本語で=でつなぐのはそのため。
  • 普通の名詞 آل [ ’āl ] [ アール ]
    一般的な英字表記:Al(後に来る名詞との間にスペースを入れる)
    標準的な日本語表記:アール・
    ▶ 「家族」「一族」「~家」という独立した1個の名詞で、後に固有名詞を置くと「◯◯家」という家名の表示に使えます。

を混同していたために広まった誤情報です。

実在する学者「イブン・アル=ハイサム」の名前の中にも、その一部である「アル=ハイサム」にも「~家」という意味を元々持っている名詞は含まれていません。Macalhaitham、Alhaithamsonのような感じで「アル=ハイサムの息子」をそのまま家名や名字呼びに使っているものなので、「~家」という意味を語義として元々持っている語を含んでいません。

「イブン・アル=ハイサム」はこの一揃いが全ピース揃ってようやく著名科学者の家名呼び・名字呼びとなります。現代アラブに多い家名だと訳は「アルハイサムの息子」でヨーロッパ風に言い換えるとMacalhaitham、Alhaithamson。アンダルスに多かった家名表現だと意訳により「アルハイサム家」との解釈も。

「al-」「Al-」(アル=)がアラブの家名・名字っぽい部分に多い理由

それはアラビア語の文法が原因で、固有名詞の部分は限定名詞扱いであるため形容詞修飾や同格表現の時に定冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)を伴った上でファーストネームなどに連ねる必要があるためです。

  • 肩書き、敬称、称号、あだ名
    「◯◯なる者」「◯◯たる者」
  • 出身の部族、一族の名前を示す出自表示(ラストネーム、ファミリーネーム相当)
    由来した名称を変形して作った形容詞で修飾して
    「◯◯部族出身の」「◯◯家出身の」
  • 出身地を示す出自表示(ラストネーム相当)
    「◯◯出身の」「◯◯生まれの」
  • 自分が属する学派などを示す帰属先表示(その人のプロフィール表示パーツ)
    「◯◯学派の」「◯◯所属の」

このようなパーツの◯◯部分に定冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)をつけるため、「アラブ人名で اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)ついたらそこは家名・名字」というイメージが定着した部分も大きいかと思います。

しかし家名や名字とは関係の無いあだ名、二つ名、称号そしてファーストネームにつく(定)冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)も少なくありません。

アルハイゼン氏の場合モデルとなった学者の家名呼び「イブン・アル=ハイサム」やファーストネームのラテン語なまりである「アルハゼン」「アルハーゼン」はいずれも上の例とは異なるファーストネームにつけるという違う用法です。

アル=(al-)がついた家名イコール王族・貴族・豪商の証というわけではない

昔アラブ人名解説で多用されていたジェトロの記事『アラブ人名の由来と正しい呼び方』が定冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)と普通の名詞 آل [ ’āl ] [ アール ](Al、意味は「家族」「~家」)を混同、その上で英字表記にて「al-」(アル=、アル・、アル)がついた家名が王族など有力者の一族である証だといった説明をしていたことから日本で広まった誤解です。

残念ながら『アラブ人名の由来と正しい呼び方』を書かれた方は普段英語で石油関連業務に当っていたものと推察され、記事の中にあったアラブ人名の説明の多くがアラビア語ソースを調べなかったことから来ると思われる誤りを多数含んでいる状態でした。

普通の名詞 آل [ ’āl ] [ アール ](英字表記はハイフン無しのAl、意味は「家族」「~家」)がアラビア半島の複数統治者一族を呼ぶのに使われているのに対し、ハイフンありの表記が一般的な定冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)は英語の the と同じかそれ以下の軽い意味で使われています。そのためそれ自体が家格を表す機能はありません。

アルハイゼン氏のモデルになったと思われる中世の学者イブン・アル=ハイサム、そして彼のファーストネームだとされていたアル=ハサン(アルハゼン、アルハーゼン)に含まれる「アル=」は特に訳に表れないぐらいの些細なニュアンスを伝える機能しかもっておらず、その人の身分や家のグレードを表示する役割も持っていません。

Alhaitham(アルハイゼン)は家名なので彼が人間ではない人外の証拠…という可能性はアラブ人名としては特に無し

『原神』アラブ風キャラ名で実在した学者がモデルの場合は基本的にラストネーム(家名・名字)由来

名前考察で「アル=ハイサムはハイサム家という意味だからファーストネームが見当たらない。」「アルのついた名字しか無いから人間ではない可能性がある。彼が人外であることを示唆しているのでは。」「イブン・アル=ハイサムだとハイサム家家みたいに家名を意味する語が2連続しておかしい。」となってしまうのは考察に使ったソースが不正確だったためだと思われます。

『原神』に出てくるアラブ風ネームの主要キャラクターや一部のNPCは実在するアラブ・イスラーム科学者がモデルになっていると思われる名前をしているのですが、彼らの多くが歴史上人物のファーストネームではなく名字/家名・ファミリーネーム/出自表示部分/ラストネームをキャラ名としてつけられています。

本来名字・姓と同等のパーツを下の名前っぽく命名されているのですが、アラビア語として直訳してしまうと「~出身の人」「~家の人」「~村の住人」といった意味になります。

たとえばTighnari(ティナリ)ですが、これは実在するアラブ人名としては「ティグナル村出身の」「ティグナル村出身者」「ティグナル村人」という意味のニスバ(いわゆる名字、姓、ラストネーム的なもの)である طِغْنَرِيّ [ ṭighnarī(y) ] [ ティグナリー(ュ/ィ) ](ティグナリー)に対応。本来読み飛ばさない「gh」という子音1個を英語の「night」「hight」における「gh」のように黙字化するというオリジナル発音に置き換えたものとなっています。

この他『原神』に出てくるジャザリー、ホッセイニなどもラストネーム(欧米や日本のフルネームのうちファミリーネーム、名字、家名に相当するパーツ)由来です。

モデルが実在した学者イブン・アル=ハイサムでファーストネーム→家名への設定変更が行われていないならAlhaitham(アルハイゼン)部分はむしろファーストネーム

アルハイゼン氏だけ家名呼びされていて浮いているということはなく、実在した有名学者らのアラブ人名の家名・名字部分から取られた『原神』キャラネーミングの中では珍しくファーストネームがつけられているケースに該当します。

制作会社がネーミングの過程で解釈を変えて「Alhaithamは家名」というオリジナル設定にしていない限り、イブン・アル=ハイサムから抜き出しただけの「アル=ハイサム(Al-Haitham、Alhaitham)」部分はファーストネームのままということになります。

モデルとなった学者のフルネームに含まれるアル=ハイサムもアルハゼン、アルハーゼンもアラブ人のファーストネームです。ファンの方のTweet群からすると作中でも家族が呼びかけるのに使っていたファーストネーム(下の名前)として出てくるようなので、「(アル)ハイゼン家」という意味ではない可能性の方が高いのではないでしょうか。

中世には多かった(定)冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)つきファーストネーム

アル=ハイサム、アル=ハサン、アル=フサイン、アル=アッバースのように大昔のアラブ人はファーストネームに(定)冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)がついている人が多く、それ単体で1つの男性名として普通に扱われてきました。

「アラブ人名のアルがついている部分は名字・家名」というイメージが強すぎると見落としやすいのですが、歴史上の人物に関してはファーストネームがこのパターンであることがかなり多いです。

「アラブ人には姓は無いから父の名前、祖父の名前、曽祖父の名前と続けるだけのフルネームだけが存在する」と誤解したまま考察してしまうと間違えてしまうのですが、実際にはアラブ世界にはその人の出身部族・出身ファミリー・出身地・先祖の名前・先祖のあだ名・先祖の職業などが由来のラストネームが多く、欧米や日本における姓・名字・家名とほぼ同じ機能を果たしています。

「アラブ人はお互いをラストネームで呼ぶことは無い」というのも誤解で、有名な学者などはファーストネーム抜きで出自を表すラストネーム部分のみで呼ぶことが多いです。そのため世界史の本や人名録を参照してネーミングを行ったと思われる『原神』のアラブ風ネームキャラクターたちも、当方でひとつずつ見ていったところモデルとなった歴史上の有名人の名字に相当するパーツが命名されている割合が高いように感じました。

実在した学者イブン・アル=ハイサムの名前表記と「アル」の有無

カタカナ表記は記事によってイブン・アル=ハイサム、イブン・アル・ハイサム、イブン・アルハイサム、イブン=アル=ハイサムなどまちまちです。「=」(半角。もしくは全角の=。)は複合語だったり定冠詞だったりで前後のパーツに結びつきがあることを示すのに使われています。

日本ではその機能の違いに関係無く一律で本来含まれている定冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)部分を省くカタカナ化が広く行われているためイブン・ハイサム表記のことが多いです。

しかしながらアラビア語のファーストネームや家名では「アル=」のある・無しは日本で思われている以上に大きな違いがあり、戸籍登録では「アル=ハイサム」と「ハイサム」は別扱いされます。フルネーム中の「アル=」有無を間違えたために海外送金の受け取りを拒否されたといった報道もあること、ファーストネームでは「アル=」の有無で名前の意味のニュアンスが変わってしまうことなどから、当サイトでは日本語のカタカナ表記で全部定冠詞を落とすことはしていません。

このページで「イブン・ハイサム」ではなく「イブン・アル=ハイサム」となっているのはそのためです。しっくりこないという方もいらっしゃるとは思うのですが、名前の解釈をする際には本来ある「アル=」をきちんと文字化する必要があるためこうさせていただいています。なにとぞご了承ください。

単体で呼び名として用いる「アル=ハイサム」に他の解釈はある?

実在した学者「イブン・アル=ハイサム」をモデルとしていない場合、単体で出された「アル=ハイサム」は冠詞がついたファーストネーム以外に

  • 【家名】
    「鷹」「鷹の幼鳥」「鷲の幼鳥」と呼ばれた先祖のあだ名(ラカブ)がそのままファミリーネームになったもの。
  • 【本人の二つ名】
    「アル=ハイサム」と呼ばれている人のファーストネームではなく通称というパターン。「鷹」「鷹の幼鳥」「鷲の幼鳥」を思わせるような性格・特質があるためにそのような二つ名・通称・ニックネームで呼ばれている。

と解釈することも一応可能です。

しかしながら『原神』アルハイゼン氏の場合は実在する学者イブン・アル=ハイサムがモデルである可能性が濃厚らしいので、由来となった人物の名前が持つ実際の意味に従うならば

  • Alhaithamは先祖である「アル=ハイサム」氏のファーストネームのこと。なので原神キャラのAlhaithamという名前もファーストネーム。

という考察がモデルとなった学者の人名と一致する解釈となります。

日本語版のキャラクター名「アルハイゼン」の出所

おそらくは本人のファーストネームとされてきたアル=ハサンのラテン語風発音

ファーストネーム「アル=ハサン」のラテン語風発音が「アルハゼン」「アルハーゼン」

イブン・アル=ハイサムについては、西洋にその名が伝わった時点でファミリーネーム呼びの「イブン・アル=ハイサム」部分とは別のパーツであるファーストネーム(もしくは父の名前とされている)اَلْحَسَن [ ’al-ḥasan ] [ アル=ハサン ] の発音・つづりが変化したAlhazen等として知られるに至ったため、日本語の記事でもそちら経由でカタカナ化したアル=ハゼン、アル・ハゼン、アルハゼン、アルハーゼンなどと書かれている場合があります。

アルハゼン、アルハーゼンの元になった男性名は通称「イブン・アル=ハイサム」の本名だと長い間言われてきた男性名 اَلْحَسَن [ ’al-ḥasan ] [ アル=ハサン ] で、ご先祖の名前であるアル=ハイサム同様に冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)が先頭にくっついたファーストネームとなっています。

預言者ムハンマドの大切な孫かつシーア派イマームの名前でもあるのでポピュラーな割には重みがある男性名

ハサンという名前とイスラーム的な意味

(定)冠詞がついた「アル=ハサン」という名前のアラブ人男性は歴史上の有名人物にもいます。シーア派第3代イマームで第4代正統カリフ/シーア派初代イマームのアリーと預言者ムハンマドの娘ファーティマとの間に生まれたアル=ハサンがその代表例です。

元々アラブ人にあった男性名ということもありますが預言者ムハンマドがとてもかわいがった外孫でシーア派第2代イマームとなったアル=ハサンにあやかって命名される男児が増えたこともあって、現代ではすっかりポピュラーなイスラーム教徒の名前となっています。

シーア派(十二イマーム派)では第11代イマームのアル=ハサン・アル=アスカリー(ハサン・アスカリー)もこの名前で、イラクに霊廟(聖廟)がある重要人物です。

どこにでもいるような男性名となったハサン(そのままでない外国語なまりとなったハゼン、ハーゼンそして原神バージョンのハイゼン)ですが、ただのハサンにアルをつけたアル=ハサンはイスラームの宗教的に超重要な人物たちを思い浮かべやすいのでアルつきのアル=ハサン(アル・ハサン、アルハサン)を使って名前ネタとして笑いを取るにはかなりセンシティブで扱いに注意が必要な部類に入ると言えるかもしれません。

原神の場合はアル=ハサンが形がだいぶ違うアルハイゼンにまで変わっているので、そのような心配がだいぶ薄くなっています。

ちなみにシーア派の一種イスマーイール派から生じたニザール派の開祖とされる حَسَن صّبَّاح [ ḥasan ṣabbāḥ ] [ ハサン・サッバーフ(実際にはサッバーハに近く聞こえることも多し) ](ハサン・サッバーフ)は、後にアサシン ー 暗殺教団となる同派の生みの親ということで創作物(例:Fateシリーズ)にも取り入れられています。

*ちなみにサッバーフ(サッバーハ)というのは صَبَاح [ ṣabāḥ ] [ サバーフ ](朝、午前) という意味ではなく صَبَّاح [ ṣabbāḥ ] [ サッバーフ ](大いに輝いている、とても輝いている(もの);朝に来る(者);朝の飲み物を注ぐ(人);朝に飲食される(物))という響きがよく似た姉妹語由来の違う男性名です。

イスラーム色が強いキャラクター名

原神にはイスラームの信仰に関連した色彩が濃いめのキャラクター名がいくつか含まれています。

  • ラフマン(=ラフマーン)
    イスラームの唯一神アッラーの別名でアラブ圏では人間につけることが容認されていない形容詞・称号「慈悲あまねきお方」が由来。特に定冠詞(英語の the に相当)のアル=をつけた語形はNGですが、アラブではないイスラーム地域ではRahmanさんが結構多く「本当はよくないけれども大勢いる」という扱いです。
  • ホッセイニ(=フサイニー、フセイニー、ホセイニー)
    預言者ムハンマド、預言者ムハンマドの娘ファーティマ、シーア派信徒に絶大な人気を誇るイマームのアリー(第4代正統カリフ、ファーティマの妻)とその息子アル=フサイン(アル=フセイン)の子孫が名乗る家名的な形容詞。

といった取り扱い注意なキャラクター名がいくつかあり、ラフマンあたりはBLなどの創作に使うにはかなりNG度が高めです、というかアラブ人は男児にラフマーン君とはまず命名しないのでアラブもののキャラ名としては不適です。

それらに比べればアル=ハサンが元だと判別が難しいアルハイゼンはそんなに問題にはならないと思われます。

アラブ人にハサンさんは大勢いますしそれ以外のイスラーム諸国にはラフマンさんもいるのですが、この手の名前はアルをつけてしまうと特定の人(歴史・宗教上の重要人物)や神様を指すようになったりするので、創作でアラブ人キャラを出す場合はアルをつけないネーミングがおすすめです。

『原神』中国語版でのキャラ名と日本語版カタカナ表記アルハイゼンとの関連性

『原神』のアルハイゼンは学者の家名「イブン・アル=ハイサム」ではなく本人のファーストネーム(と言われてきた男性名)「アルハゼン」「アルハーゼン」をベースにした中国語版の発音に合わせたものとなっている模様です。

検索したところ元々中国では実在した学者のラテン語名 Al Hazen を「阿尔·海森」と表記することがあるようで、『原神』中国語版における名前「艾尔海森」(艾尔:ài’ěr、海森:hǎisēn)も同じ学者の家名呼びであるイブン・アル=ハイサム(伊本·海塞姆)ではなくファーストネームのラテン語訛りアルハゼン、アルハーゼンの方がネーミングの由来だった可能性が非常に高そうです。

スペイン語版が Alhacén という「アル=ハサン」に対応する呼び名の方を採用しているようなので、制作会社は Alhaitham の「アル(=)ハイサム」というアラブ式発音を大幅に変えてアルハイゼンとしたのではなく、ヨーロッパでのイブン・アル=ハイサムの伝統的呼び名を把握した上で日本語版でのネーミングを決めたものと推察されます。

同学者のヨーロッパ名アルハゼンやアルハーゼンが直接日本語カタカナ表記になっていないのは、学者名アルハゼン、アルハーゼンの中国語での当て字や『原神』中国語版キャラ名でハイサムやハゼンではなく海森(ハーイセーン)のような発音だったことが関係しているのではないでしょうか。

海と森が名前に入っているのはアルハイゼン氏と自然の結びつきを反映した制作会社による発案ではなく、モデルとなったアラブ人学者のファーストネームに当て字をした中国名「阿尔·海森」をそのまま継承したものだと思われます。

「ハイサム」とは別の男性名「ハサン」

人名ハサン自体は

حَسَن
[ ḥasan ] [ ハサン ]

一般的な英字表記:Hasan
標準的な日本語表記:ハサン

で意味は「美しい、美貌の、佳人の、佳い、良い」といった具合に、「イブン・アル=ハイサム」のハイサムとは全く違うつづり・発音・意味になります。

話し言葉(口語、方言)によっては「ハセン」という発音になることも。イラク方言でもハセンと読まれるのですが、これが先日アナウンサー業引退を発表した国山ハセン氏(お父さんがイラク人)の名前の由来となっています。

またフランス語圏を中心にハザン、ハゼンと濁点がついてしまうのを防ぐといった目的でHassan、Hassenというラテン文字表記(英字表記)になっていることが多いため、日本ではハッサン、ハッセンとカタカナ化されていることもしばしばです。おそらく元の発音のハサンよりもハッサンとして覚えている方も多いのではないでしょうか。

英字表記は家名の一部である先祖のファーストネーム由来で、カタカナ表記は学者本人のファーストネーム由来という日本語版での組み合わせ

ファーストネームのラテン語なまりがアルハイゼンに近く、別言語版はイブン・アル=ハイサムのファーストネーム由来であるアルハゼン、アルハーゼン準拠ネーミング

mihoyo.com内や公式ツイート等によるとアルハイゼン氏の名前には2通りあり、同じゲーム『原神』内において次のような分かれ方をしているとのこと。

  • 英語版など:Alhaitham
    モデルとなった学者のファミリーネームの一部に含まれる数代前の先祖の名前を切り取ったもの。学者本人ではなくご先祖様のファーストネーム「アル=ハイサム」に対応。
  • 日本語版:アルハイゼン
    学者本人のファーストネームだと長い間と言われてきた男性名「アル=ハサン」のラテン語なまりが加わったヨーロッパ地域での呼び名「アルハゼン」「アルハーゼン」に対応。日本語版と違いスペイン語版などは彼のヨーロッパ名 Alhacén そのものを採用しており、改変無しのネーミングとなっています。

アル=ハゼン、アル・ハゼン、アルハゼン、アルハーゼンは اِبْن الْهَيْثَمِ [ ’ibnu-l-haytham / haitham ] [ イブヌ・ル=ハイサム ](Ibn al-Haytham、イブン・アル=ハイサム)に含まれる「アル=ハイサム」部分がラテン語風の発音になったものではなく、「イブン・アル=ハイサム」の中には出て来ないファーストネーム「アル=ハサン」のラテン語風発音になります。

ゲーム『原神』日本語版では Alhaitham という英字表記に違う人名が由来の アルハイゼンを読みガナとして組み合わせてあるように思われます。イブン・アル=ハイサムという学者を指す別々の呼び名がベースになっているのですが、アラブ人名 Alhaitham の色々な発音バリエーションの一種がアルハイゼンだというわけではないので通常のアラブ人の名前を読む時にもこの対応関係を適用させることはできません。

実在するアラブ人名 Al-Haytham、Al-Haitham をアル=ハイゼンと発音することは誤読となるため、英語版等の「アル=ハイサム」という発音がアラビア語的にはより正確な対応関係だと言えます。世界史や英文翻訳のテストではゲームの設定とは分けて「アル=ハイサム」などとするのが推奨です。

Alhaithamにアルハイゼンとの読みガナをつけることについて

Haithamの口語発音であるHaithem(ハイセム)の「th」部分を英語風に「ハイゼム」と読めばハイゼンに近くなりますが、その場合はアラビア語を知らない方のアラブ人名の誤読パターンの一種となります。

「スメールの言葉ではAlhaithamと書いてアルハイゼンと読む文法だ」と言えばそれで解決ですが、英語版などでアルハイサムになっていることを考慮に入れるとそのような事情ではないと推測した方が自然かもしれません。

色々な情報をふまえた場合、「Alhaithamの読み方を制作会社が何の根拠も無くアルハイゼンと大幅に変更したのではなく、モデルとなった学者のヨーロッパ名であるアルハゼン、アルハーゼンから日本語名を取ってきたのだろう。」と考える方がしっくり来るように思われます。

海外では『原神』内アラブ系キャラクターの名前改変やオリジナル発音、特にアラブ圏であっても英語圏であっても通常はティグナリーやティグナリと読まれるべき Tighnari をティナリとした件に関してかなり議論になっていてアラブ人ファンからは受け入れ難いという声も出ているようです。

しかしこの部分はあくまでアラビア語風ネームということで制作会社の判断に任されている部分だと当方は考えています。

アラブ人名・アラビア語由来固有名詞の読みガナとしてはオリジナリティーにあふれたものというか原語発音を考慮に入れていないと感じられるカタカナ表記に改変されているケースが見られるとの印象はあるものの「アラビア語として間違っているから直すべき」と要求する類のことでもないため、当方としては名前考察に必要な情報を提供させていただくに留めたいと思います。

アルハイゼンの由来がアルハゼン、アルハーゼンだとすると元はアル=ハサンという男性名なので、Alhaitham(アル=ハイサム)とは全く別の人名で意味まで違ってくる

アルハイゼンという日本語版のカタカナ表記の元ネタがアルハーゼン、アルハゼンだと仮定するとハーゼン、ハゼン部分の元になった男性名はアル=ハイサムとは全く別の男性名アル=ハサンの方で意味は「佳人、美男」(いわゆる美少年、美青年、美男子、美男、イケメン、イケおじなどのこと)となります。

アルハーゼン、アルハゼンというラテン語なまり呼称の元となったイブン・アル=ハイサムのファーストネーム「アル=ハサン」は日本人の名前でいうところの佳男、良男(よしお)さん的な意味合いなので鷹・鷲・赤砂とは無関係です。

  • Al-Hasan
    アル=ハサン(ラテン語なまり:アルハゼン、アルハーゼン)

    相当する日本語名:佳男、良男、美雄(よしお)
    *単なるハサンと違いアルをつけることで由来を強調した「美形の男性、イケメン君」的な意味に。
  • Al-Haytham、Al-Haitham
    アル=ハイサム

    相当する日本語名:鷹雄(たかお)、鷲雄(わしお)
    *単なるハイサムと違いアルをつけることで由来を強調した「鷹の赤ちゃんくん、鷲の赤ちゃんくん」というほわほわしな雛のイメージが強まる効果あり。

これは「太郎(Tarou)」という日本人名に「虎雄(Torao)」といった似て非なる別の男性名の読みを当てている事態に相当します。

日本のSNSなどで「Alhaithamをアルハイゼンと発音する理由がわからない」「アルハイサムと読める人名英字表記をアルハイゼンと発音するのがしっくりこない」的なことを書いている方々がいらっしゃるのはそのためかと思います。

一応同じモデル人物を意図しているということで「Alhaitham、アルハイサム」と「アルハイゼン」は間接的には結びつきがある形となっていますが、一般的なアラブ人名として見た場合は全く別々の男性名です。

元になった学者の ファーストネーム(本名、下の名前)
Al-Hasan
アル=ハサン
家名に出てくる先祖の名前
Al-Haitham / Al-Haytham
アル=ハイサム
アラビア語での意味 美男、佳人、イケメン 鷹(の幼鳥)
鷲の幼い鳥
その他に「赤い砂、赤い砂丘」「なだらかな砂丘」など
原神でのキャラ名 日本語:
アルハイゼン
中国語簡体字:
艾尔海森
英語他:
Alhaitham

*参照:mihoyo.com

プラスな解釈をするのであれば、日本語版で「Alhaitham」と「アルハイゼン」のセットになっているのは「1人のキャラクターが意味が異なる2つのアラビア語名を持っていて、1粒で2度美味しい的なネーミングになっている。」とも言えるかもしれません。

ただし日本語版の担当者さんがアルハイサムとアルハゼン、アルハーゼンが別々の人名だと把握されていたかどうかは不明です。

キャラクター名と実在するアラブ人名との区別

Alhaitham という英字表記だけを見て直接アルハイザムのように発音するのはアラビア語発音を知らない外国語圏の方の誤読に近く、アルハイゼンまで行ってしまうとアクロバティックというかかなり無理な読みとなります。

ただ元々『原神』は各言語における元々の発音をかなり変えてキャラクター名の日本語表記にしているとのことなので、Alhaitham をアルハイゼンと読むのはゲーム日本語版の登場人物の発音としては特に間違っているということはなく、制作会社がそのように決めたのでそれはそれで正解だと言えます。

アルハイサムの方がリーク情報で出回っていた発音ということで Alhaitham と書いてアルハイサムと読む記事をまとめてブロックされている方も少なくないようなのですが、『原神』英語版ではアルハイサムと発音するようですし、実在するアラブ人名としてはアラビア語圏であっても英語圏であってもアルハイサムもしくはそれに近く発音するのが正解もしくはベスト/ベターとなります。

世界史の勉強やテストでは Tighnari をティナリではなくティグナリーとすべき(アラブ人名に読み飛ばす「gh」音は無いため)なのと同様、アルハイゼンでは間違い扱いされてしまうのでゲームの方とは区別して使い分ける必要があるかと思います。

ゲームキャラとしては正しくても、実在するアラブ人の名前に適用しないようご注意ください。歴史上の人物としてのアラブ人の名前や専門書での表記は基本的に実際のアラビア語文語の発音に即したカタカナ表記になっているためです。

アラブ式ニックネーム、あだ名の作り方

純粋なアラブ人名として扱う場合、اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)は接頭辞の定冠詞なので「アルさん」とは呼ばない

アラビア語では英語の定冠詞 the に似たアラビア語の冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)はいわゆる接頭辞なので、名前や地名としての本体はそのアルの直後に来る部分となります。

現代では冠詞 اَلْـ [ ’al- ] [ アル= ](al-)のついたファーストネームをつけることは非常に珍しくなっていますが、たとえば中世の科学者イブン・アル=ハイサムの家名の一部になっている祖先男性のファーストネーム「アル=ハイサム」の本体は「ハイサム」。

アルハイゼンの元になったであろうアルハゼン、アルハーゼンの由来である学者本人のファーストネームとされてきた「アル=ハサン」の本体は「ハサン」部分になります。

アラブ世界では定冠詞部分だけ切り取って「アルさん」とは呼びません。また途中で単にブチッと切って

  • アル=ハイサム(アルハイサム、アル・ハイサム)
    →「アル」「アルハ」「アルハイ」「ハイサ」「イサ」「サム」
  • アル=ハイゼン(≒アル=ハサン、アルハゼン、アルハーゼン)
    →「アル」「アルハ」「ハイゼ」「イゼン」「ゼン」

のようなニックネームの作り方も(まず)しません。

ただしこれはあくまでも現実のアラブ人として扱った場合です。中東やアラブ世界を一部に取り入れているとはいえ架空のゲームキャラクターの名前なので、ファンが「これが一番呼びやすい」ということで合意しているのであれば「アルさん」でも「アルハさん」でも特に問題は無いかと思います。

「既に他にアルで始まるキャラがいて略すると全く同じになってしまう、なるべく2文字が都合が良い」という掛け算的な事情から「ハイ」と呼ぶのも、アラブ系ファンに理解されづらい可能性はあるかもしれませんが日本の中のファン同士の合意であれば別に現実世界のアラブ人の名前ではないので気にする必要は無い気がします。

ただしその場合は「実際のアラブ人はアルさんのように定冠詞部分をニックネームに使わない」という区別が必要になってきます。「ゲームでもみんなアルさんと呼んでいたからこのアラブ人のアル=フサイン氏もアルさんと呼ぼう」となると間違いになります。

アラブ人名としてのニックネーム例

たいていは語根という単語の意味を保持するパズルのピースに似た主要部品とその並び順を崩さない語形の変換をする、本名の先頭付近の文字を使ってニックネーム語形に当てはめる、語根の並び順も変えた上で本名を思わせる文字を含んだかわいい響きのあだ名を作る、といった方法であだ名が作られます。

親や家族、友達から呼ばれる時に以下のような愛称語形を使うことが多いです。こうしたニックネーム語形に変えることで「ハイサムちゃん」「愛しいハイサム」「かわいいハイサム」「ハイサムたん」「ハイサムっち」のような親愛の情を込めることができます。

実際のアラブ人名 هَيْثَم [ haytham / haitham ] [ ハイサム ] のニックネーム実例:

  • هَيْثُوم
    [ haythūm / haithūm ] [ ハイスーム ]
  • هَيْثُومِي
    [ haythūmī / haithūmī ] [ ハイスーミー ]
  • هَيْثُومَة
    [ haythūma / haithūma ] [ ハイスーマ ] などなど…

実際のアラブ人名 حَسَن [ ḥasan ] [ ハサン ] のニックネーム実例:

アルハイゼンというカタカナ表記の元ネタと思われる「アル=ハサン」の本体部分をあだ名にした場合の実例です。

  • حَسُّون
    [ ḥassūn ] [ ハッスーン ]
  • حَسُّونَتِي
    [ ḥassūnatī ] [ ハッスーナティー ]
  • حَسُّونَة
    [ ḥassūna ] [ ハッスーナ ]
  • حُسْحُس
    [ ḥosḥos ] [ ホスホス ] などなど…
    *母音記号通りの文語発音だと [ ḥusḥus ] [ フスフス ] と読めますが日常生活は口語(方言)なので母音uをoに寄せてホスホスに。

脚を組む座り方とアラブの慣習

ネットにおける Alhaitham(アルハイゼン)氏の話題でしばしば見かけるのがどかっと座って足を上げて組んでから本を読んだりする仕草です。

「楽な姿勢だからそうしてるんだと思う」「態度が大きい」的な感想を書いている方が結構いらしゃるようなのですが、仏教世界ではこのポーズが半跏思惟像として意味を持ってくるのに対し、アラブ世界では相手への侮辱になってしまうという違ったサインになったりするので最後に軽く触れておきたいと思います。

アラブ世界において足裏や靴は侮辱・軽視・攻撃意思のサイン

アラブ諸国では靴やサンダルも相手に対する侮辱・軽視の象徴なので、自分の靴を脱いで手に持ち相手に向かって揺すったり振りかぶったりするジェスチャーは攻撃の意思・脅しのサインとなります。

かつてイラクを訪問した米国のジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)に向かってイラク人記者が両足に身に着けていた黒っぽい靴を投げつけたことがありましたが、現地では侮辱・敵意・悪意・憎しみを示す攻撃であることから起きた一件でした。

ニュースでは国会・議会での乱闘シーンが報道されることもありますが、その際に相手めがけて靴・サンダルが宙を舞ったり、手に握った履き物で直接ひっぱたいたりする光景が写し出されることも少なくありません。(国によっては頭巾を押さえている黒縄イカール(イガール)を投げつけたり鞭代わりにして殴ったりする光景も見られます。)

膝にもう片足の足を乗せ足裏が真横に向く組み方はアラブ世界でトラブルの元

原神はインド・中東・エジプトの要素を数多く取り入れているものの、作品内での描写イコール現実の中東ではないので実際のアラブとは全然違っている部分を含んでいることもあります。ゲーム作品なのでどう楽しむか・どう解釈するかはファンの方々の自由ですが、アラブの慣習として語ったりアラブもの作品での描写に転用したりを避けた方が良い設定もあります。

その一例がアルハイゼン氏の座り方なのですが、アラブ世界では相手に足の裏・靴の裏は侮辱の象徴で、座る時に足裏・足先が見えるような角度で誰かに向けてしまうと怒りを買うことが多いです。

アラブ人との会合ではNGの脚組み、足の裏向けポーズ

現地の部族集会・冠婚葬祭マナー説明動画でも並んで座っている人達に失礼なNG姿勢として注意が促されているほか、外国人向けアラブマナー紹介のウェブページや動画でも紹介されていることが多いです。

イラクの部族族長が指南する部族サロン・部族の寄り合いマナーです。4:10頃にアルハイゼン氏の座り方をしていますが、他の客に対して失礼になるので人前でやってはいけない脚の組み方として実演しているものです。

族長は動画内で عيب [ エイブ / エーブ ] と言っていますが、これは文語の名詞 عَيْب [ ‘ayb / ‘aib ] [ アイブ ](恥)の方言発音で、「恥ずかしいこと」「みっともないこと」という意味で使っています。

アラブ人はこの「アイブ(エイブ、エーブ)」を「そんなみっともないこと恥ずかしいからやめろ」とたしなめる時によく言うのですが、悪いことを叱責する以外の用法もあって相手が恐縮・遠慮している時に「そんなのだめですよ」「遠慮なんかけしからんですよ、もっとくつろいでこちらの好意を受け取って」といったシチュエーションでも口にされるフレーズとなっています。

イラクにおける部族の集まり。アラブ世界ではテレビ番組や文化人が集まる座談会などでは足を組んでいる人も多いのですが、マナー遵守が求められる伝統的部族社会の席では皆足を組まず同じような姿勢で着席しているのがわかるかと思います。

片膝を立ててクッションや肘掛けにだらっともたれる”俺様王子系”ポーズは床もしくはローソファに座る時の姿勢

一方ローソファタイプのアラブ式サロン家具や地べたに座るパターンではあぐらや片膝立てスタイルに。アラブものに出てくる俺様王子のトレードマーク的な「クッションに肘を置き、あぐらを崩したり体を傾けたりした体勢で片膝立てをしている」ポーズはこの系統かと。

外交の場ではマイナスの憶測を呼ぶ事態に発展することも

足を組む姿自体はTVなどでも女性アナウンサーがしているのを結構見かけるのですが、許容範囲とされているのは両脚が沿うような方法で、片足をほぼ真横にするアルハイゼン氏式の組み方はアラブ世界ではNGで喧嘩が勃発する可能性もはらんでいる部類に入ります。

ハイゼン氏座りほどの水平角度でなくとも要人の会談で相手が足を組んだ姿勢で臨んだ場合は非難のコメントが世間から出ることが多く、特に片方のつま先がアラブ側に向く形の組み方が問題視される傾向が強いです。

طريقة جلوس رئيس وزراء إثيوبيا بلقاء السيسي وسط أزمة “سد النهضة” تُشغل مغردين
『ルネサンスダム危機の最中、スィースィー大統領との会談におけるエチオピア首相の座り方がTwitter民たちの関心の的に』
(CNNアラビア語版)

ナイル川の新しい大型ダムと水の取り分をめぐり関係悪化が進むエジプトとエチオピア両国の首脳が会談した際もエチオピア首相が右脚を左脚にかけ、右脚のつま先がエジプト大統領の足元を刺すような構図になり「敵対的意志の現れでは?」と憶測を呼び「エジプトに対する最大の侮辱」といった怒りの声が上がるなどしました。

エチオピア首相の座り方は癖らしく他国の首脳相手にも同じポーズで会談に臨んでいることが判明済みですが、エジプト政府の反体制派TVチャンネルが「シオニストの手先がエジプトに対する侮辱を甘んじて受けている。これもイスラエルが描いたシナリオの通りだ。」「(画面を通して)足先が我々の顔に向いている。アラブ人視聴者らに向けた屈辱だ。こんな侮辱を見逃している政府はけしからん。」といった批判を展開するなど、アラブ世界における足組み座りの扱いが如実に表れた事件となりました。

エジプト新聞社編集長のツイートより。多くの人が怒りや驚きを覚えたであろうエチオピア首相の座り方が検証の結果いつもやっていることだった、と示した写真つきコメントを公開。

ちなみにこの首相は本人はキリスト教徒ながら父親がイスラーム教徒ということで預言者ムハンマドの別名でもあったアフマド(アハマド、アハメド)をフルネームの中に持っており、彼をイスラーム教徒だと勘違いしたネット民から「イスラーム教徒ならそんな座り方をしたらだめだ」というコメントが寄せられるなどしたようです。

現地でのコスプレをする場合は…

ゲーム『原神』は現実とは違う架空の世界が舞台なので直接関係無い話なのですが、実際に現地に行って Alhaitham(アルハイゼン)氏のコスプレをする予定がある方は注意された方が良いかもしれません。

街の中やコスプレイベントなど、人の往来が多い場所で彼が本を読む時の姿そっくりに足を組んで座った際に足裏・靴裏がもろに他の人に向かないよう念のため周囲を確認してから行われるとトラブル防止になるかと思います。

実際に現地に住んでいて知らずに脚を組んでしまい「侮辱された!」と相手が怒り出すトラブルに遭った方の話を聞いたことがあります。

アラブのおっさん座り

失礼・侮辱・だめな座り方という側面が紹介されがちなこの姿勢ですが、アラブ系原神ファンの中には「アラブのおじさん座り」「私のお父さんが家の中でこの座り方してるよ」といった情報を書き込んでいるのも見かけます。

家族に対しても失礼だから絶対にしないというかとそうでもなく、おじさんなどはついやってしまうけれども外に呼ばれて部族や職場の集まりに出た際にやると相手のメンツを汚して怒りを買うのでやらない、という類の姿勢だと考えておけば良いかもしれません。

足への口づけは最大限の尊敬・服従の証

感謝や尊敬の意味としての脚へのキス

相手に向けると失礼になる足ですが親などへの強い尊敬を示す時に使われるのも足で、結婚式や卒業式といった重要イベントでは息子がひれ伏すようにしゃがみこんで父親や母親の足にキスをし育て上げてもらったことに対する感謝の念を表現する光景がしばしば見られます。

こちらは父親の退職祝いの席で頭と足にキスをして慰労・感謝の気持ちを表現しているサウジアラビア男性の様子です。アラブ世界ではイスラームの教えが生涯の親孝行を推奨しており、「卒業式で親の足にキスをするのを心待ちにしている」と語る人も少なくありません。

ここではお父さんの側は照れ臭さが入り混じった表情をしていますが、子供から受け取る最大級の愛情表現ということで嬉しそうに見えます。ただ侮辱のサインにもなる足へのキスなので「そんなことしちゃいけない」とふりだけでも我が子を制止しようとする親もいます。

侮辱・いびりとしての足へのキス強要

一方ドラマの嫁いびりシーンなど相手を隷属させ屈辱を味わわせるために足へのキスを強要することもあるのですが、これについては別にアラブ世界に限った行為ではないと思います。

とはいえ日本のドラマではまず見かけないであろういびり光景。上のエジプトドラマでは息子に会う権利を得るために相手の言いなりになり要求された通りに足元に接吻している健気な母親を描いたシーンとなっています。

「息子にまた会えるようにしてあげる。まあどうするかはあなたの自由だけどね。言うことを聞いたら叶えてあげる。息子を抱きしめたいでしょ?さあ言う通りに足にキスしなさい。」と母親側に選択権を与えながらも強要に近い態度で接する女性。

動画のタイトルには「悪魔は女性の教え子だとよく言ったものだ」との言葉も。アラブ世界では色々な企みを仕掛け引っ掻き回すこうした根っからの悪女は عَقْرَبَة [ ‘aqraba(h) ] [ アクラバ ](女サソリ、雌サソリ)などと呼ばれます。

利き手の話

アルハイゼン氏がどちら利きなのかという話題があるとのことなので追記しました。

右から左に文字をつづるのでアラビア語などの本は右開き

アラビア語も含め中東の言語は右から左につづるため、英語とは真逆の文字方向になります。そのため日本の縦書き書籍と同じく右開きの本になります。

英語などとは逆の方向に文字を書いていくアラビア語ですが、その分アラブ人に左利きが多いということはないとされています。

右利きだと右手で左に向かってアラビア文字を書いていくと見づらいのですが、自分が書いている文字を確認するために紙を傾ける人が少なくありません。90°まで傾けなくとも30°ぐらい紙を斜めにすれば十分美文字が書けるようになると言われるため、文字を楽に書くために不浄の手をメインの利き手に変えてしまう左利きにわざわざ矯正するほどの必要は無いのが実情です。

イスラームにおける不浄の左手と左利きの関係性

イスラームの教えでは左手は不浄の手と考えられており、食事などは右手で食べる必要があります。現代にも伝わるアラブ部族共通のコーヒーマナーでもホスト側はコーヒーカップを右で持たないといけないですし、招かれた客も右手で受け取るべきだと決められています。

左利きに生まれた場合はマナー上右手を使えるようにして飲食をすることになります。右手で字が書けなくても、右手で食事をできるぐらいの両利きになる人が少なくないと考えて差し支えないと思います。

スメールの文化・社会がどういう設定になっているのかはわかりませんが、実際のアラブ社会の場合はこのような感じです。

アラブ世界の双剣使い

アラブ世界では戦士は騎士として馬やラクダに乗って戦うことが多かったため、同時に武器を持つ双剣使い・双刀使いは一般的ではありませんでした。

実戦で縦横無尽に戦場を駆け回りながら右手と左手で剣を持つには手綱に頼らず両脚の圧迫やキックだけで馬に指示を出さねばならず、猛者揃いだった預言者ムハンマドの勢力でも2人いる程度だったと言われています。

イスラーム初期のアラブ刀剣はよくあるアラブものの映像作品・コミックに出てくるような湾刀、新月刀・半月刀ではなく直線状だったと伝えられています。

日本の武術・柔術とアラブの武器とを融合させた護身術を創始・実践しているクウェート人武道家 Sensei Ahmad Alhouli こと أحمد الهولي(アフマド・アル=ホウリー)ミニレクチャー動画です。

彼が描いているのはアラブ人専門家が解説していたというイスラーム初期刀剣の再現イラストで、先端部分が相手に致命傷を与えられる打撃エリアで先端が突き刺すための役割を担っていたことが紹介されています。

こうした刀剣と刃部分の形状もアラビア半島から中東一帯に進軍していったイスラーム征服軍と二刀流戦法とが結びつきにくい一因となっているものと思われます。

アラブ世界では近代に入ってから銃が主流となり生粋の伝統的剣術は失伝していきました。

北アフリカのマグリブ諸国は植民地主義との闘争で騎馬戦士が活躍し日本の流鏑馬のような形で伝統芸能として残されているのですが、銃器のあった時代の技を保持しているため体中に武器をまとい複数のライフルや剣を使うスタイルとなっています。