ゲーム作品アラブ風キャラ名考察『原神』アッバス編

検索件数増加を受けて新設したゲーム『原神』アラビア語由来ネーミング考察+雑談記事です。長いので冒頭に置いてある要旨や目次からの拾い読みをお願いします。

検索履歴からの逆検索でいくつかのワードについてまとめたものですが直近履歴ということで情報を出す時期が適切でない可能性があります。ページ内検索で見たくない情報があった場合は自己判断で回避していただければ幸いです。

このページの趣旨

ゲーム『原神』キャラクター名考察に関して2022年後半から当サイトを利用される方が多い状況が続いていたことからページを新設しました。ゲーム作品の名前考察向け情報提供記事としては『ゲーム作品アラブ風キャラ名考察『ツイステッドワンダーランド』編』に続く2本目ということになります。

管理人はゲームをやらない系おたくなので、Googleサーチコンソールの検索履歴にあったキーワードについてアラビア語・アラブ人名いう観点から雑談している記事となっています。作品から大きく外れた推察の防止目的から、HoYoLABや公式Twitterアカウント、ユーザーさんの感想・雑談ツイートを参照させていただきました。

アッバス編はアルハイゼン編と違ってイブンや定冠詞アルといったややこしいパーツは出てこないので、キャラクター名の元になったアラブ人名アッバースに関するよもやま話となっています。

制作会社により作られた原神オリジナル世界観に関する考察は含みませんので、ゲームを利用されている皆様の側で実際の中東情報と作品独自設定との区別や解釈補足をお願い致します。

伝統的なアラブ人名アッバース(アッバス)

ゲームなどにしばしば使われるアッバース(アッバス)という名前が現地では誰にちなんで命名されることが多いか、といった話題です。

アッバース朝の名前と始祖となったアル=アッバース

アルハイゼンのネーミング由来となったと思われるイブン・アル=ハイサム(イブン・ハイサム、イブン=アル=ハイサム)が生まれた時代であるアッバース朝の名称は、預言者ムハンマドの親族男性の名前「アル=アッバース」(定冠詞つきのファーストネーム)が由来です。

عَبَّاس [ ‘abbās ] [ アッバース ] は「眉をひそめることが多い、しかめ面をやたらとする、苦い表情をやたらとする(男);(他の獅子たちが逃げ出すほどに威厳があり恐ろしい)獅子、ライオン;厳しい(一)日」という意味で、勇猛なイメージを与える男性名としてイスラーム以前から使われてきました。

アッバース朝を興したアッバース家一門の始祖 اَلْعَبَّاسُ بْنُ عَبْدِ الْمُطَّلِبِ [ アル=アッバース・ブヌ・アブディ・ル=ムッタリブ ](アル=アッバース・イブン・アブドゥルムッタリブ)は預言者ムハンマドの父方叔父に当たる人物でしたが、預言者の父アブドゥッラーの年の離れた弟だったため預言者ムハンマドとは3歳しか違わなかったとか。

預言者の死後初期改宗信徒やクライシュ族メンバーなどを巻き込んだ争いが起きウマイヤ朝が興ったりしていくわけですが、後代になってアッバース家の子孫が指導者(カリフ)となったのがアッバース朝でした。

アッバース朝の名称は初代カリフの呼び名が由来ではない

アッバース朝の初代カリフは

أَبُو اَلْعَبَّاسِ عَبْدُ اللهِ السَّفَّاحُ
母音記号を全部読む文語発音:アブ・ル=アッバースィ・アブドゥッラーヒ・ッ=サッファーフ
語末格母音を一部省く文語発音:アブ・ル=アッバース・アブドゥッラー(ヒ)・ッ=サッファーフ

日本におけるカタカナ表記はアブー・アル=アッバース、アブー=アル=アッバース、アブー・アルアッバース、アブー・アッバースなど…

これは歴史上の人物のいわゆる人名録方式フルネームで、「アブー・アル=アッバース」部分は「アル=アッバースの父」という通称、「アッ=サッファーフ」は二つ名、真ん中のアブドゥッラー(アブド+アッラーからなる複合名)が本人のファーストネームです。

アッバース朝という命名の由来について「アブー・アル=アッバースの名前から取られた」と書いてある方が結構いらっしゃるのですが、実際には上で書いた通りもっと前の祖先の名前にちなんだものです。

ちなみに彼の通称(クンヤ)「アブー・アル=アッバース」は直訳すると「アル=アッバースの父」となるため彼の息子の名前がアル=アッバースだったと早合点しがちですが、彼の場合父親と息子のファーストネームはどちらもムハンマドだったとか。

シーア派の重要人物アル=アッバース

カルバラーの戦いにおける悲劇の英雄アル=アッバース

またシーア派ではカルバラーで殉教した指導者(イマーム)の(アル=)フサイン一行の中にいた彼の異母弟(アル=)アッバースの名前として大切にされています。

*日本では原語に含まれる定冠詞を抜いた「アッバース」表記が多いですが、彼の場合アラビア語では「アル=アッバース」と呼ばれています。

アル=アッバースはアル=フサイン同様に第4代正統カリフ・シーア派初代イマーム アリーの息子で、カルバラーの戦いで貢献した後に皆同様にウマイヤ朝側に殺害され死去。イラクには彼の墓廟(聖廟)もあり、シーア派共同体の中では強く尊敬されている人物です。

アッバース朝を興したアッバース家の祖であるアル=アッバース同様、彼らは皆預言者ムハンマドと同じ一族であるクライシュ族の出身であるため、通常の信徒よりも崇敬される傾向が強いです。

シーア派でも群を抜いて強い尊敬を受けているアル=フサイン一行を必死に支えた親族・戦士だったアル=アッバースにちなんでつける大切な名前ですが、アルハイゼンのように十二シーア派イマームのうちの2人が持つアル=ハサンと元々は同じ名前だとわからないぐらいに変形しているケースと違いそのままの形アッバスを使っています。

そのためBLカップルの片方にするとか、悪事をさせる、極度に病んだ言動をトレードマークにする、といったあれこれを二次創作などでさせるにはかなり気を使う部類の男性名かもしれません。

【残酷シーン注意(手の切断・流血あり)】

シーア派キッズ向けのアル=アッバース伝アニメです。

喉の乾きに苦しむアル=フサイン一行を助けるべく陣営から抜け出し敵を蹴散らしながらユーフラテス川までたどり着き水を汲むことに成功するのですが、帰り道に敵に手を切り落とされ、皆に届けるはずだった水袋も破られ絶命してしまいます。

彼はその後に殺された異母兄アル=フサインと共にイラク カルバラーの地に葬られており、兄弟2人の墓は世界各地のシーア派信徒が参詣する重要な墓廟・霊廟となっています。

詳細:アラブ人名辞典項目「アッバース

シーア派男性名として多用されるアッバース

イスラーム教徒のうち特にシーア派信徒の家庭がこのアッバースという名前を男児に好んで命名することが知られており、アラブ人だとこの名前を持つ人はシーア派が多くその人の宗派を示すサインのひとつとして認識される傾向が強いです。

この名前を持っている男性はアラビア半島でもシーア派が大勢暮らしている湾岸地方、イラク、レバノン、イランなどに多いと言えます。

そのため創作ではスンナ派揃いであるアラビア半島の王室の王子などの名前として使うには向いていません。

シーア派の指導者・英雄らとライオンとの関係性

アッバースの意味はライオン(獅子)

原神の中で妙論派の象徴という設定になっているというライオン。

アラブ人の名前にはライオンを意味する男性名がいくつもあります。元々は我が子が力強く猛々しい獅子のようになるようにと願ってつけられていた名前ですが、イスラームの特にシーア派指導者一族の多くが本名もしくは二つ名として「獅子、ライオン」と呼ばれてきたため特定のアラブ男性名と組み合わせると他の普通の名前よりも宗教的なほのめかしがかなり強くなる可能性が出てきます。

アリー(アリ)、フサイン(フセイン)、アッバース(アッバス)といった名前とライオンを組み合わせた絵がその典型例です。

上で挙げた悲劇の名騎士アル=アッバースも「男たちの中の獅子(أسد الرجال)」「数々の攻撃を仕掛ける勇猛なる獅子(الأسد الهجّام)」のような二つ名を添えて名前を呼ばれることもあり、中東・イスラーム界隈的にはライオンのイメージを伴う典型的人物となっています。

ライオンは王制時代のイランの国旗にも描かれていたシンボル


イスラーム革命前 パフラヴィー朝時代のイラン国旗

獅子は王制時代のイラン国旗にも取り入れられており、中東一体では太陽などと並んで古くから象徴的な存在としてモチーフにされてきました。

そのため原神でもイスラームのシーア派的なシンボルではなく中東に古代からあった獅子モチーフの方をベースにしていると考えた方が自然かもしれません。

原神のアッバスとダールアルシファ

魔鱗病(元)患者施設は中世にあったアラブ・イスラーム式病院の名前

ゲームでは魔鱗病に冒された元農民男性の名前として「アッバス」がカルテに記されているとのこと。

彼が入所していた施設の名前「ダールアルシファ」はアラビア語で دَار الشِّفَاءِ と書き、[ ダール・ッ=シファーッ ] と [ ダール・ッ=シファーァ ] を混ぜたような読み方をします。これを敢えて分かち書きすると「ダール・アッ=シファー」などになるのですが、原神では本来発音変化する定冠詞のアルをアッに変えないままにし、かつ長母音で伸ばすシファーを短くしたつづりが採用されています。

アラビア語ではダールは「館、家」、シファー(ゥ/ッ)は「治癒、快復;癒やし;治療薬」で、これらを組み合わせた熟語「ダール・アッ=シファー」は「治療院、療養所」のような意味になります。(ペルシア語由来のマーリースターンに対応。ネットで紹介されている”健康の家”という訳はアラビア語としてはニュアンスが違います。)

現代のアラブ諸国では診療所・クリニックよりも大きな規模の病院も含めて、医療施設の名前として使われるなどしていますが、中世において دَار الشِّفَاءِ [ ダール・ッ=シファー(ッ) ] と呼ばれる施設の中に精神疾患を持つ人々を収容する療養所が複数含まれていた関係からか、精神科・神経科・薬物中毒治療を専門とする医療施設にこの名前がつけられていることが多いようです。

イスラーム世界の総合病院と精神科における音楽療法

アラブの放送局Al Jazeera(アル=ジャズィーラ、アルジャジーラ)によるオスマン朝時代の総合病院ダール・アッ=シファー跡地展示リポート。トルコにあった施設だとのことでトルコ語インタビューをアラビア語に吹き替えてあります。

後半は精神疾患病棟の再現光景で、居心地の良い住まい・芳しい香り・快い音楽などにより入所者らをリラックスさせる療法が実践されていたことが紹介されています。完治こそは見込めないものの、できる限りのサービスを提供して気分良くなってもらおうという工夫が凝らされていたようです。

*イスラーム世界における音楽療法は、西暦800年代にイスラーム哲学の基礎を築いた(アル=)キンディーが発案したと言われています。

アッバースとアルつきのアル=アッバース

アラビア語では区別されるアッバースとアル=アッバース

アラビア語の人名とアラビア語由来の中東・イスラーム系人名に含まれる اَلْ [ ’al- ] [ アル= ] は英語の the と似たような機能を持つアラビア語の(定)冠詞です。

中世のアラブ人にはファーストネームなのに通常定冠詞として使われる اَلْ [ ’al- ] [ アル= ] を含んだものがかなりあり、アルハイゼンのモデルとなったであろう学者の氏名に相当する「アル=ハサン・イブン・アル=ハイサム」などにおいても本人名「アル=ハサン」や家名に含まれる先祖名「アル=ハイサム」も「アル=」つき人名となっています。

英語表記や日本語のカタカナ表記は一定しておらず、同じ اَلْعَبَّاس [ ’al-‘abbās ] [ アル=アッバース ] でも al-Abbas、Al-Abbas、al Abbas、Al Abbas、Alabbas、アル=アッバース、アル・アッバース、アルアッバース、アル=アッバス、アル・アッバス、アルアッバスなどとまちまちです。

ハイフンがあっても無くても同じ人名で、「Al Abbas」と書いてあるからといって「Alが名前、Abbasが家名、Al Abbasがフルネーム」ということはありません。上に挙げた表記バリエーションは些細な違いで、全部同じ(定)冠詞がついたファーストネームです。

英語の定冠詞 the とは違うアル=アッバースのアル

このアルは英語の the と違う用法で、「そのアッバース、あのアッバース、かのアッバース」と特定・限定する意味合いとは異なるとされています。

何となくつけたアッバースと違い「しかめ面をしたいかめしく猛々しい獅子のような男子」という名前が本来持っている意味合いを強調するためのアルと言われているものです。

このアルがついたファーストネームは中世のアラブ人に多くアッバースのようにイスラーム的に重要な人物の下の名前とかぶることがあるので、ネーミングに使う場合はアル=アッバースやアルアッバスではなくただのアッバース、アッバスとするのがおすすめです。

アルをファーストネームから取ると現代人風になりかつ宗教色が薄まりまってNGゾーンに足を突っ込んでしまうことを回避できます。実在した人間の名前ならまだ良いのですが、カリーム(カリム、意味は「寛大な、気前が良い;高貴な」)といった形容詞由来の男性名だと定冠詞のアルをつけてしまうことで唯一神アッラーにしか許されない称号とかぶってしまうので要注意です。

元々はアル=アッバースでもアッバースと書く日本での慣行

日本では便宜上本来つけるべき اَلْ [ ’al- ] [ アル= ] を省略してカタカナ化する慣行があるため、定冠詞無しの「アッバース」と定冠詞ありの「アル=アッバース」の区別がつかなくなっています。

アラビア語ではしっかり両者を使い分けるのですが、イスラーム史上有名な人物のカタカナ表記は原語アラビア語の表記とずれている部分が多く、特に定冠詞については英字表記や元のアラビア語表記を見ないと確認できないのでやっかいです。

アッバース朝を興したアッバース家の始祖やシーア派が崇敬する人物も本来は「アル=アッバース」ですが、Wikipediaなどの人名録を見ても単に「アッバース」としか書いていないのはそのためです。

イスラーム世界と「神の声」

『原神』にはイスラーム教徒特有の名前を持ったキャラクターがおりアッバースなどもシーア派信徒が好んでつける男性名として知られています。

ホッセイニも預言者ムハンマドや正統カリフ・シーア派初代イマームのアリーの血を引きかつシーア派第3代イマームの直系子孫であることを意味する家名のようなものだったりと、特定宗派のカラーがかなり強い名前を持ったキャラです。

しかしゲーム設定を見ているとイスラームのような強力な唯一神が全てを支配する世界観とは全く違っており、イスラーム教には存在しない複数の神や魔神なども出てくるなど宗教面でヒントにしたと思われる部分は特に無いように見受けられます。

アッバス氏は洞窟に書き残した文字などから神の声らしきものを受け取ったという描写になっているとのことですが、イスラームで神の声を受けるのは預言者だけで、その中でも対話までできた人は特別な存在だったとされています。