『翻訳できない世界のことば』で紹介されたSAMAR(サマル)の意味や背景

YA’ABURNEE(ヤーアブルニー) / 姉妹表現集 | GURFA(グルファ) | SAMAR(サマル) | 掲載語句考察

SNSでも度々取り上げられている『翻訳できない世界のことば』。素敵な言葉が紹介されているとの評価を受けた人気本のため引用も多いですが、アラビア語部分についてはどの語も説明が間違っていることから誤解が広まってしまったため、自習と調べ物メモも兼ねて当記事を書くことにしました。

要旨~SAMAR(サマル)の意味と使われ方

辞書通りの意味は「夜の会話」。夫婦・親族・友人・顔見知り・地域住民・宗教共同体メンバー・客など相手は問わず、楽しい話題からイスラーム共同体運営に関する真面目な相談まで「一緒に晩・夜に会話をすること」が広くサマルと呼ばれてきた。

大昔は冬の長い夜を退屈せずに過ごすために焚き火の前で月明かりを浴びながら屋外や天幕の下で行うことが多かったことから「月光」「夜の闇」といった意味もある。

現代では夕方以降に始まるトークイベント・座談会・勉強会などががサマルと呼ばれるだけでなく、「SAHAR(サハル)」(夜更かし、夜に眠れないこと、遅くまで勉学に励むこと、夜に開催されるパーティー・音楽・踊りの集まり)の「夜に開催されるパーティー・音楽・踊りの集まり」と似たような語義も加わり、夜間に行われる詩歌・民謡・音楽演奏ありの集まりやちびっこたちがキャンプで楽しむ夜の活動がサマルと呼ばれることもしばしば。

『翻訳できない世界のことば』ではサハルの意味が混じったサマルが元になっているが、著者の誤解もあり友達相手限定の夜遊び「日が暮れたあと遅くまで夜更かしして、友達と楽しく過ごすこと」として紹介。「夕方がいつのまにか夜にかわり、暖炉の火が残り火になったとき。とくにたいした話もしていないけれど、人生の意味について考えたり、ちょっと飲みすぎて、翌朝何をするつもりだったか忘れたりするときのこと。」という語義とは無関係な説明がつけられたことで、徹夜やオールの意味だと誤解される原因に。

アラビア語におけるサマルの意味と実際の使われ方

サマルの辞書的な定義

元々の意味はシンプルで「夜にする会話」

アラビア語の元の意味では

  • سَمَر
    [ samar ] [ サマル ]

    • 晩・夜にする会話、談話、おしゃべり ◀ 主な意味
    • 晩・夜の会話・談話・おしゃべりの場(サマルの席、サマルの集い、サマル会のこと)
    • 月の光、月光(その光の下でサマルをしていたことから)
    • 夜の闇

辞書に載っている基本の意味は非常にシンプルで「晩・夜の語らい、晩・夜の会話、晩・夜に話をすること(اَلْحَدِيث بِاللَّيْلِ)(evening chat、night chat)」。 この定義は千年前のアラビア語辞典も現代のアラビア語辞典も全く変わっておらず一緒です。

「晩に話をすること、夜のおしゃべり」という意味は現地の国語の教科書で紹介されていることも。たとえば上の動画はカタール(カタル)の小学校6年生用映像授業なのですが、シリア詩人 سليمان العيسى(スライマーン・アル=イーサー)の作品を学ぶ回では「おばあちゃんがサマルの焚き火のそばでお話をしてくれました」という出だしでスタート。

冬の寒い日に天幕前で焚き火をしながら孫たちに語り聞かせ(サマル)をしてくれるという設定で、狼に狙われ命にさらされた羊を蜂の大群が攻撃して救うという友情物語が詩の形で語られています。

そこで貼り付けられているイメージ画像も、ぱちぱちと燃え盛る薪火の前で長い夜の暇つぶしと会話をまったり楽しむというアラブ人が想像する古典的サマルの典型像となっています。

晩・夜の会話から派生していったサマルの色々な意味

そしてそこから夜の談話の席、夜の談話をする時に皆を照らす月の光、屋外での夜の談話の時に周囲を包む闇、という風に色々な意味が派生していった模様。

現代のアラビア語辞書・英語-アラビア語辞書・アラブ人名辞典には「月明かりの下で夜更かしして談話に興じる」「話・歌・音楽で夜の無聊を慰め相手を楽しませる」といったニュアンスが加わっていることもあり、千数百年の間に語が示す内容が広がったとも考えられそうです。

「夜遅くまで」という定義は書いていない辞書の方が圧倒的に多い

「夜更けまで友達と遊ぶ」「友人グループで集まって深夜もしくは早朝まで踊り明かす」「お酒を飲みすぎて翌朝やるはずだったことを忘れるぐらいに楽しむ」といった概念は語としての辞書的な定義には含まれていません。

現代の辞書には「夜の遅い時間まで(إلى ساعة متأخِّرة من الليل)」「寝ずに、夜更かしして」と意味説明に書いてあるものもまれにあるのですが古くからの各時代のアラビア語辞典では単に「夜に」としかなっておらず、日没が早い冬などに早めに会話を始めて日付が変わる前に就寝してもサマルを呼ばれてきたことがうかがえます。

今のアラブ世界では夜更かしして皆で会話・音楽・飲食をワイワイ楽しむ活動が「サマル」と呼ばれていることも少なくないのですが、「寝ずに過ごす」といういつもより就寝時間が遅くなることを示唆した語義解説まで含んでいる辞書は数としてはむしろ少なく、「夜に話をすること」「夜の談話」とのみ書かれていることが一般的となっています。

そのためアラビア語辞書・大辞典の例文では「彼は同席者らと夜遅くまでサマルをした」「彼は話し相手と真夜中までサマルをした」「彼は同席者らと夜に話をしていて眠らなかった」といった具合に、別途サマルを遅くまで行ったことを明示する副詞句相当分を足して表現しているものが少なくありません。

サマルの相手は「同席者」なので友達限定ではなく家族・共同体メンバーなど様々

サマルにおける話し相手の辞書的定義は「同席者、その話の場に居合わせた人、談話の参加者」となっています。

友達限定ではないので家族と晩や夜に話してもサマル、真面目な相談事のために晩や夜に共同体メンバーと話し合いをしてもサマルという語が使われます。自分たちの天幕近くを通行したのを見かけて泊まっていくよう誘った客人であっても晩・夜に話をすればサマルと表現可能です。

そのため辞書には「地区の住民らが月夜にサマルをした(=話し合いを行った、談話をした)」といった例文が載っています。

また預言者ムハンマドの言行録であるハディースにも「預言者ムハンマド様が奥様と晩にサマルをされた(=晩に会話をされた)」「預言者ムハンマド様がアブー・バクル様と信徒共同体のことについて晩にサマルを行われた(=晩に話し合いを持たれた)」といった記述が残っています。

元々は相手も談話の内容も限定されていないということで預言者ムハンマドがイスラーム教徒の指導者層と夜に相談を行えばそれもサマルと呼ばれていた訳ですが、やや極端な例を出すと「明日の異教徒との戦いをどうするか」といった歓談・楽しいおしゃべりとは程遠いような話し合いもサマルとして含まれ得ることは頭の片隅にでもいいので入れておくと良いかもしれません。

なお政治つながりでは現代において大統領がジャーナリストらを呼んで開催する談話会・質問会が「サマル会」(晩・夜に開催される談話会)との名称で報道されることもあります。

『アラビアンナイト(千夜一夜物語、千一夜物語)』の語り部であるシャハラザード(日本語で多いカタカナ表記はシェヘラザードなど)が王であるシャフラヤール(/シャハラヤール。日本語で多いカタカナ表記はシャフリヤール)に毎晩語って聞かせた寝物語(ピロートーク)もこのサマルで表現され、男女関係を結んだ後に毎晩繰り返ししていたことからサマルの複数形を使って أَسْمَار [ ’asmār ] [ アスマール ] と表現されることが多いです。

『翻訳できない世界のことば』に掲載されたサマル

本での解説

ネットの記事やSNSの投稿で定期的に話題になる「ヤーアブルニー」とともに日本で紹介されたサマル。

翻訳できない世界のことば

著者:エラ・フランシス・サンダース
翻訳:前田 まゆみ
出版社:創元社
『翻訳できない世界のことば』

本ではSAMAR(サマル)

  • 「日が暮れたあと遅くまで夜更かしして、友達と楽しく過ごすこと」
  • 「夕方がいつのまにか夜にかわり、暖炉の火が残り火になったとき。とくにたいした話もしていないけれど、人生の意味について考えたり、ちょっと飲みすぎて、翌朝何をするつもりだったか忘れたりするときのこと。」

とあり、満ち欠けする月や音楽に合わせて踊っている人たちの絵が描かれています。

本来の定義と本におけるサマルの描写との誤差

サマルを「とくにたいした話もしていない」「飲みすぎて、翌朝何をするつもりだったか忘れたりするときのこと」としている件

本の解説に関しては著者の方が自分の好みで設定して書かれたシチュエーションを盛り込んである感があります。

特に「飲みすぎて、翌朝何をするつもりだったか忘れたりするときのこと」あたりはアラブにおける伝統的サマルとは直接関係が無い、イスラームの戒律を特に守らず過ごしている非保守層男女や今どきのクラブ好きな若者たちが楽しんでいるようなよくある夜更かしや飲酒・ダンスありなパーティーナイトのイメージだと言わざるを得ません。

「とくにたいした話もしていない」も会話・しゃべることという行為が主体となる概念であるサマルの説明としては不適だと思われます。

ちなみに本のイラストを見て飲食を必ず伴う集まりだと誤解された方もいらっしゃるのですが、サマル自体は夜にしゃべったり焚き火を囲んでまったり談話したりすることを指すので、焚き火とコーヒーやお茶というイメージが強めなものの、ただひたすら話すだけでもサマルと呼ぶことが可能です。

元々のサマル像と後代のサマル語義~夜遊び・飲酒のニュアンス有無

月明かりの下での素朴な談話

アラブ的なサマルの原点としては晩以降にコーヒーやお茶を飲みながら無駄話をするイメージで、辞書の例文に「月明かりの中サマルをした」、人名辞典に「サマル=夜、月明かりの下で談話をすること」と書かれていることもあります。

本来のイメージとしては日本でも行われているような飲み会+遊びありの集まりではなく、砂漠の焚き火を囲んで会話や民謡を共にしたり、屋内のフロアソファーに座って身の回りのことや近況を語り合ったり詩・民謡を楽しんだりしながら退屈な夜の無聊を慰め合う素朴な集まりを想像した方が良いように思います。

アッバース朝時代宮廷における歓談と飲酒の宴

しかしながら、ペルシア的色彩が強めだったアッバース朝時代は宮廷内での飲酒が行われカリフの話し相手・飲み仲間・詩作披露係として نََدِيم [ nadīm ] [ ナディーム ] と呼ばれる立場の人物が複数いました。(彼らの一人が『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』にも登場する詩人アブー・ヌワース。)

彼らのように酒を飲みながら芸能を楽しみ歓談する行為もアラブの文献では سَمَر [ samar ] [ サマル ] と描写していることが少なくなく、

  • نَدِيم [ nadīm ] [ ナディーム ]
    (飲む際の、宴席での)同伴者、同席者;飲み友達、飲み仲間、呑み友達、呑み仲間;仲間、友達、親友
  • سَمِير [ samīr ] [ サミール ]
    (晩・夜になされる会話・会談・談話で)話をしている(人)、話者、話し手;(晩・夜になされる会話・会談・談話における)話し相手、同席者;(話・歌・音楽などで無聊を慰め)楽しませる人、エンターテイナー

が似たような意味で使われたりもしています。

現代における夜遊び、わいわいパーティーのアラビア語名称はサハル

現代アラブ人の大半はイスラーム教徒ということで「飲みすぎて次の日に何をするのか忘れるほど酔うこと」をサマルの定義として紹介するのが適切だとは言いづらいですが、実際には飲酒好きなイスラーム教徒のアラブ人男女も結構いて、いわゆるナイトパーティーという意味でのサマルで色々な種類の種類が提供されたり、女性による接待ありのいわゆるナイトクラブ(いわゆる水商売系のお店)で一緒に飲酒したりする夜遊びもサマルと呼ばれているという実態があるようです。

とはいえ今でも「話すこと」を主眼に置いた真面目な座談会・勉強会もサマルと呼ばれており、元来のシンプルな使われ方をしているケースも多数見かけます。

元々サマルは会話をすることを指しているので『翻訳できない世界のことば』で説明されているような「大した話もしないまま酒を飲みつつ友達と楽しくワイワイ騒ぐこと」は概念としてずれているのですが、実際にはそういう行為をサマルと呼ぶこともあるので全くの間違いだとは言い切れないかもしれません。

アラブの遊牧生活とサマルの意義

遊牧民の砂漠生活とサマル

砂漠の遊牧民などは親族・部族単位で移動する生活を送ってきましたが、ラジオもテレビも無い時代は娯楽が会話・歌・楽器ぐらい。「お隣さんのおうち」なるものが存在しない荒野で自分たちだけがぽつーんと野営していた生活なので、焚き火を囲んで夜にサマルを楽しむのが血縁者だったことも多かったはずです。

*先日管理人が見たイラクの現役遊牧民一家インタビューでは、一家だけで移動する生活を続けている、ご近所さんもいないしテレビも無いから今の大統領が誰だかわからない、と女性陣が話していました。

そうした昔の砂漠生活は部族社会なのですぐ近くにいるのは兄弟・いとこ、少し離れた場所にいる家名が違う集団も同じ部族の分家同士で遠い親戚ということも珍しくなく、対立部族の成員とは反目し合う間柄なので非血縁者の客といっても偶然通りかかった人を泊めてあげる以外は友好部族の人だったろう、サマルの伴は大昔はそうした身近な範囲で得られていただろうと考えるのが妥当だと思われます。

伝統的な昔ながらのサマルは暗くて暇な夜(特に肌寒く長い冬の夜)に月の光を浴びながら素朴な雑談などで楽しく過ごすことがメインで、何も無い砂漠の中で得られる唯一の娯楽 ー おしゃべり・歌・楽器演奏・踊り ー を活用して退屈をしのいでいた形です。

遊牧民ではない定住民のサマルも当時は電気も娯楽の手段も少なかったということで、現代の若者の徹夜騒ぎとは全く違い大変シンプルだったろう、と考えて世界観を思い描くべき名詞なのかもしれません。

冬の長くて寒い夜~遊牧生活において辛く退屈だった時間とサマル

イスラーム前からあるアラブ人の伝統的女性名として有名な لَيْلَى [ laylā/lailā ] [ ライラー ]。この語の意味の一つは「太陰暦月末の晦日付近で月も出ておらず長くてしんどい闇夜」なのですが、このことからも大昔のアラブ人が長くて肌寒い夜を辛いと感じていたことがわかります。

特に冬は気温が下がり薄着では暮らせないぐらいに。ただでさえ日が短くなる季節の真っ暗な夜などは非常にこたえたようです。現代でも冬の寒い日になると暑いコートを着て手をさする人の姿が見られるぐらいにはアラビア半島も気温が下がります。

アラビア半島の冬は寒くなかなか厳しいので昔は寒さと飢えで死ぬ人もいたといいます。こうして暖かい火を囲んで会話・詩・民謡を楽しむこと(サマル)は辛さを忘れる大切なひとときだったに違いありません。

砂漠生活をしていた時代のサマルの雰囲気を伝えるミュージッククリップです。口語詩にメロディーをつけたもので、焚き火を囲んでサマルを楽しみ長い冬の夜を乗り越えようとしている様子を歌っています。(焚き火の前にあるのはコーヒーセットで男性は豆を煎ったり完成したコーヒーをカップに注いだりしています。)

なお『翻訳できない世界のことば』には「暖炉の火が残り火になったとき」とありますがこれは著者の方が暮らす欧米の光景に基づいたもので、アラビア半島などにおける伝統的なサマルについては上の動画のように屋外や天幕下の砂に薪を直接置いて燃やしたり天幕内に設置された囲炉裏のような場所でコーヒーを入れたりする光景を別途思い浮かべる必要があるかと思います。

*ただし、屋内でサマルを楽しむための客間・サロンに西洋の暖炉に似た設備を備えている寒冷地域も少なくありません。

サウジアラビアのニュース番組。冬シーズンの訪れとともにサマルの集いやアウトドア活動が盛んになる昔ながらの習慣について報じています。

撮影地は標高1000mを超える山々を擁する نجران [ najrān ] [ ナジュラーン ](ナジュラーン)。サマルで集まるのは親族、有人、地区の人々など。天幕の下で囲炉裏のような場所にセットしたポットからぽかぽかのコーヒーを注いで皆に配っている様子が写っています。

丸いパンのような食べ物はサウジ南西部ナジュラーンの名物料理だそうで、炭火の上で焼き上げて皆で切り分けるのだとか。

ちなみにアラビア語ではサウジアラビアに限らずこうした冬季の焚き火は فَاكِهَة الشِّتَاءِ [ fākihatu-sh-shitā’ ] [ ファーキハトゥ・ッ=シター(ッ) ](冬の果物、winter’s fruit)と呼ばれています。寒い冬に暖かく明るい焚き火がどれだけ大切に思われていたかを感じ取れる表現なのではないでしょうか。

夜更かしSahar(サハル)と夜の談話Samar(サマル)

色々な夜更かしを指すのに使われる「Sahar(サハル)」

日本では夜のおしゃべり会サマルと夜更かししてのお楽しみ会サハルが混同されている状況


イラクにおけるサハルの様子

ちなみに日本でサマルとして紹介されている「夜更かししてワイワイ楽しく過ごす」「夜遅くまで飲食や遊びに興じる」というのはアラブ世界ではサハルと呼ばれているもので、おしゃべり会とは違い夜になってから家族や友達で集まり食事や音楽ライブ、ボードゲームを楽しんだりすることなどを指します。

ナイトパーティーで祝祭日の夜を楽しむパレスチナ人たち

座談会・歓談パーティー的な要素が無いダンスパーティーの類もサハルと呼ばれます。夜遅くまで飲食して踊り明かすというのもサマルと呼ぶと誤解されている日本語記事・投稿を時々見かけるのですが、そういうのは سَهَر [ sahar ] [ サハル ] もしくは単数形の سَهْرَة [ sahra(h) ] [ サフラ/サハラ ] に当たります。

単に眠るのが遅くなっただけの事例、寝ずに音楽・パーティー・ダンスに興じること、恋煩い・悩みで眠れない夜、猛勉強のための夜更かしまで広くカバー

普段寝る時間に就寝せず夜遅くまで起きて何かをするというのはまた別の語 سَهَر [ sahar ] [ サハル ] があります。

サハルは日本で「夜更かしして友達と楽しく過ごすこと」「サハルは楽しむために就寝が遅くなること」と紹介されることが多いですが、楽しい夜更かしも辛い夜更かしも全部ひっくるめて سَهَر [ sahar ] [ サハル ] と表現します。

سَهَر [ sahar ] [ サハル ] には不眠という意味もあるのですが、寝たいのに眠れない、病気としての不眠は أَرَق [ ’araq ] [ アラク ] と呼んでサハルと区別することも多いです。(ただし辞書にはサハルの語義の一つとして不眠であるアラクを同義語に挙げており全く違うという訳ではありません。)

夜になってから大勢が参加してコンサート・パーティー・ダンスをするサハルは日本で知られているサマルのイメージに一番近いのですが、恋煩いで悶々として眠れないのもサハル、人生などの悩みで寝ずに思いをめぐらせるのもサハルなので切ないラブソングの定番ワードとなっています。

また良い成績を取り高い目標を達成するために毎晩遅くまで勉学に励むこともサハルと呼びます。アラブ世界には詩人としても知られたイスラーム法学者 اَلشَّافِعِيّ [ ’ash-shāfi‘ī(y) ] [ アッ=シャーフィイー(ュ/ィ) ](アッ=シャーフィイー)が残した詩から取られた金言

مَنْ طَلَبَ الْعُلَا سَهِرَ اللَّيَالِي
[ man ṭalaba-l-‘ulā sahira-l-layālī ]
[ マン・タラバ・ル=ウラー・サヒラ・ッ=ラヤーリー ]
高みを求める者は毎晩夜更けまで寝ずに過ごすものだ

*文法通りであれば مَنْ طَلَبَ الْعُلَا سَهِرَ اللَّيَالِيَ [ man ṭalaba-l-‘ulā sahira-l-layāliya ] [ マン・タラバ・ル=ウラー・サヒラ・ッ=ラヤーリヤ ] となるのですが詩の朗読ビデオなどでは上のラヤーリーという発音になっているのが普通です。
*見た目は「高みを求めた者は毎晩夜更けまで寝ずに過ごした」という完了形(過去形)の文章ですが、「~ならばーだ」という条件文なので示す内容は現在形「高みを求める者ならば毎晩夜更けまで寝ずに過ごす」になります。

があり、سَهِرَ [ sahira ] [ サヒラ ] が夜更かしをすること、つまりサハルをするという意味の動詞になっています。

アッ=シャーフィイーはイスラームの四大法学派シャーフィイー派の祖になった法学の大家で、彼の詩は多くの教訓を含むことから後代のアラブ人らによって愛されてきました。この一節も毎晩夜遅くまで勉強を頑張り大学進学前の統一試験に立ち向かおうとする生徒たちを励ます応援ワードとして昔から使われてきたうちの一つです。

ラブソングに出てくるサハルは恋に苦しむ辛い夜々のこと

歌詞で「夜々のサハル」となっている場合は友達と毎晩楽しく過ごしたパーティーライフを指していることはまずありません。相手に恋い焦がれて悶々と思い悩んだ晩を繰り返していたことを表現するケースが普通です。

「サハルは夜更かしして友達と楽しく過ごすこと」「サハルは楽しむために就寝が遅くなること」といったネット記事の説明だけを覚えてしまってラブソングに出てくるサハルまで「恋人と毎晩過ごした楽しかった思い出」と解釈すると間違いになってしまいます。

むしろ恋人と会っている幸せな時間の正反対で会えずに悶々と苦しむ切ない夜の象徴なので、ここでのサハルは「相手が恋しくて辛かった夜々」「恋い焦がれ会えない寂しさに必死で耐えた夜を繰り返した」といった意味になります。

サハルの1回分語形は「サフラ(サハラ)」

その1回分を示すのが姉妹ページ『『翻訳できない世界のことば』で紹介されたGURFA(グルファ)の意味や背景』でも紹介した動詞1回分語形 سَهْرَة [ sahra(h) ] [ サフラ/サハラ ] で、夜以降に開かれるパーティー、演奏会、ダンス会などを指します。

現地におけるサハルのイメージ例

イラクで撮影された動画。砂漠に設置した天幕(テント)の下で夜更かしをして伝統芸能などを楽しもうという趣旨のサハルイベント سَهْرَة [ sahra(h) ] [ サフラ/サハラ ]。皆座っているので動きは少なく座談会のサマルに似た感じですが「夜遅くまで皆で楽しむ」ということでサハルとして扱われている模様。

サフラト(/サハラト)・アル=イードと名付けられたリビアの特番。イスラームの祝祭日イードに合わせた特番で民謡スターを迎え色々な歌を撮影。夜中に娯楽を楽しんでくださいね、という趣旨のテレビ放送となっています。

夜に開催/放送されるミュージックライブということでサハル行為の1回あたりを意味する سَهْرَة [ sahra(h) ] [ サフラ/サハラ ] を含んだタイトルとなっています。

『翻訳できない世界のことば』にSAMAR(サマル)として載っているのはまさにこの「サハル」の内容に近く、音楽に合わせて踊っているイラストもサマルではなくサハルという行為、そして夜に開かれるサフラ(/サハラ)のイメージに合致しています。

サマル(samar)とサハル(sahar)の違い

時代の経過とともに混同が進みサマルとサハルの境界線があいまいになってきている

混同して使われていることが多いサマルとサハル。

本来の定義では夜に行われる談話という意味のサマルですがこうしたボーイスカウト的キャンプの夜の活動を指したりするなど、「夜に皆と歌や踊りありの活動をワイワイ楽しむ」というイメージで記憶と結びついているアラブ人も少なくないようです。

アラブ諸国のスカウトキャンプの映像を複数確認したところ、キャンプファイヤーなどを含む夜間の催しをサマルと呼ぶのが定番となっているようでした。座って会話をするのがメインでなくてもこの手のキャンプは夜の活動全体をサマルと呼んでいる模様。

昔ながらの砂漠の素朴なサマルが大半の国民にとって縁遠い存在となっている地域では、こうしたキャンプ活動で行うようなにぎやかなサマルとして認識されている可能性も高くなることが予想され、サマルが何を指すかは地域差・個人差があることも念頭に入れておく必要がありそうです。

『サマルパーティー』と題されたサウジアラビア南部(どうやらアスィール(アシール)地方のようです)の動画。サウジアラビアの部族民が行う伝統芸能的な吟詠やドラム缶や一斗缶を楽器に見立てての踊りなど、夜間に行われる集いや催し物を広くサマルと呼んでいることがうかがえるビデオとなっています。

サマルと称されたイベントでもおしゃべり以外の民謡などが入ったりすること、アラブ圏でもサマルとサハルが混同されはっきり区別されずに使われていることが少なくないということで、『翻訳できない世界のことば』の記述「夜更かしして、友達と楽しく過ごすこと」に対して「それはサマルじゃなくてサハルだ」と安易に訂正を入れるべきではない状況となっています。

サハルは1人ということもあるがサマルは必ず2人以上

アラビア語記事によると、サマルとサハルのわかりやすい相違点として

  • サハルは眠らず夜更かしすることを指すのでたった1人でもサハルと呼べる
  • サマルは夜の談話なので話し相手が必要となり2人以上の参加者が常に必要

が挙げられるとか。

サマルの参加者を意味する名詞としては主に

  • سَامِر
    [ sāmir ] [ サーミル ] ♪発音を聴く♪
    【名詞(能動分詞)】(晩・夜になされる会話・会談・談話で)話をしている(人)、話者、話し手;(話・歌・音楽などで無聊を慰め)楽しませる人、エンターテイナー
    *動詞 سَمَرَ [ samara ] [ サマラ ](夜に会話をする)の能動分詞。よくある英字表記はSamir。口語的な発音だと i が e 寄りになるのでサーメルと聞こえるようになります。対応する主な英字表記はSamerです。
  • سَمِير
    【名詞】[ samīr ] [ サミール ] ♪発音を聴く♪
    (晩・夜になされる会話・会談・談話で)話をしている(人)、話者、話し手;(晩・夜になされる会話・会談・談話における)話し相手、同席者;;(話・歌・音楽などで無聊を慰め)楽しませる人、エンターテイナー
    *サーミルと同じ意味で載っていることもありますが、他動詞の対象になる受動分詞に似た意味合いを持つことがある語形。そのためサーミルと一緒に晩・夜に行う談話の場に居合わせて話を聞いたり返事をしてくれたりする人という意味でも使用。

があり、どちらもポピュラーな男性名となっています。

アラビア語辞典には大きな辞書でも「(話・歌・音楽などで無聊を慰め)楽しませる人、エンターテイナー」という意味までは載っていなかったりするのですが、現代アラビア語-英語辞典だと出てくることが多いです。

アラビア語辞典で夜の会話をする者という意味から利用が広がった的な説明を書いているものがあったので、時代の経過とともにサマルが持つ楽しい部分が意味として入っていったということなのかもしれません。

イスラームにおける夜更かしサマルの忌避と現代における夜更かし組増加に対する問題視

朝の礼拝を怠らないよう夜はしっかり寝て休むようにとの預言者ムハンマドの指導

イスラーム教の規定では夜の礼拝の後もずっとサマルをして夜更かしすることが例外を除いて忌避すべき行為とされているのだとか。

信仰行為に励む以外の無益な話や享楽にふけって礼拝を怠るようなこととならないよう夜はしっかり寝て体を休めるべき、寝過ごさずに明け方の礼拝をきちんとできるように、というのが預言者ムハンマドが推奨した良きイスラーム教徒の夜の過ごし方、ということのようです。

これについては預言者言行録(ハディース)や法学書などからもうかがい知ることができます。

イスラーム質問箱
السمر بعد العشاء بين الكراهة و الاستحباب
(イシャー礼拝後のサマル マクルーフとムスタハッブの間で)

預言者ムハンマドがサマルについてどのような方針だったかに関する具体的な質問に法学者が答えているページです。

  • 預言者が夜の礼拝(イシャー礼拝)を怠らないよう礼拝時間までは寝ずに起きていて礼拝後はサマルをせず寝ていた。
  • 初期信徒らの中にはイシャー礼拝後も談話をしていた人たちがいたことが伝えられているが、وِتْر [ witr ] [ ウィトル ](義務である夜のイシャー礼拝後に行う)礼拝後は誰もしゃべることが無かった。
  • 預言者時代の信徒らはウィトル礼拝を行ったらそれ以後は夜更かしせず就寝していた。
  • 夜の礼拝(イシャー礼拝)以降に益の無い無駄話・行為に興じることは مَكْرُوه [ makrūh ] [ マクルーフ ](嫌悪・忌避すべき行為)。イスラームに関する勉強会やイスラーム教徒たちの事柄について討議し合うといった善き行為であれば神への信仰につながるので مُسْتَحَبّ [ mustaḥabb ] [ ムスタハッブ ](推奨行為)。

イシャー礼拝と翌朝早朝の夜明け前礼拝(ファジュル礼拝)ですが、預言者ムハンマドたちが住んでいた現サウジアラビアのマディーナ(メディナ)だと

  • 2022年1月1日
    05:43 早朝(ファジュル)礼拝時間
    19:15 夜(イシャー)礼拝時間
  • 3月1日
    05:26 早朝(ファジュル)
    19:54 夜(イシャー)
  • 6月1日
    04:04 早朝(ファジュル)
    20:36 夜(イシャー)
  • 9月1日
    04:44 早朝(ファジュル)
    20:11 夜(イシャー)

といったスケジュールになっています。明け方近くの礼拝がとても早い時間だということもあり、夜の礼拝の後に話し合いのサマルをしたり1日の最後のウィトル礼拝を行ったりしてから寝るといっても現代日本人の感覚からすればかなり早めに寝ていたであろうことが想像できます。

現代における夜更かし組増加に対する危惧

おしゃべりやテレビ・ゲームといった娯楽で夜更かしをし早朝の礼拝(ファジュル礼拝)を行わずに寝てしまう信徒が増えている件を敬虔層が問題視している状況です。そうした見解や危機感の詳細は法学者による見解(ファトワー)からネットのレクチャー動画まで色々な媒体で確認することが可能です。

サウジアラビア系衛星チャンネル(非宗教チャンネル)におけるお話会録画。預言者ムハンマドが夫婦間の会話といった例外を除き夜更かししてまでのサマルをしていけないと話されたにもかかわらず、現代では夜更かしをし明け方のファジュル礼拝を寝過ごしてやらない人が増えてしまっているという憂慮すべき問題についてのトークです。

これは『翻訳できない世界のことば』でサマルの内容として書かれている「翌朝何をするつもりだったか忘れたりするときのこと」に該当する行為です。

本の記述はアラブ・イスラーム的サマルの辞書的定義やあるべき姿として定められているものとの間にずれがあるので、アラビア語を学んでいる方は語の正確な定義やこうした戒律の類そして現地における実情なども覚えておくと後々役に立つことがあるかもしれません。

現代アラブ社会における色々なサマル

屋外や天幕における昔ながらのおしゃべり会

こちらは焚き火の前で静かに語り合う昔ながらのシンプルなサマルの様子。

レンタル用サマルテントの宣伝ビデオ。サウジアラビアなどの広告動画類によると、現地ではサマルのためのテントを自分で設営する以外にも1日、1週間、1ヶ月単位でレンタルできる商売もあるのだとか。

客人を収容できるスペースを備えたテント、談話用テント、夜天で談話を楽しめるフロアソファー、トイレ、入浴施設、キッチン、宿泊対応テント、キッズ用遊具など盛りだくさん。便利さを享受しつつ遊牧民時代の砂漠の生活を体験・満喫できる充実のラインナップ。

屋内サロンでの雑談

長時間の会話や喫茶を楽しめるよう用意されたサロン ー مَجْلِس [ majlis ] [ マジュリス/マジリス ](座席、集いの場)ー でのんびり過ごす静かな雰囲気のサマルの一例です。

文学座談会

こちらもサマル・ラマダーニー(ラマダーンのサマル)なるイベント。夜更かしする人が多いラマダーン月の夜に知識人らが集まりサロン風の会場で文学について語り合うという趣旨の催しだった模様です。

アラブ史上最も偉大な詩人と称される أبو الطيب المتنبي(アブー・アッ=タイイブ・アル=ムタナッビー)について語り合うサマル。冒頭でこの文学座談会が晩・夜に行われている件に触れられており、サマル(夜の談話)であることが確認できます。

皆で雑談を楽しむというよりは、詩人ムタナッビーがどうして現代でもこれほどに注目されるのかを各人が交互に意見を語る形式に近いです。

勉強会・セミナー風サマル

モーリタニア発の動画。サマル・ラマダーニー(ラマダーンのサマル)と題した座談会でイスラーム・ヒジュラ暦のラマダーン月の慣習と民俗がテーマ。

現代ではサマルが結構にぎやかな催しを表現するのに使われている例もあるのですが、サマルというと晩以降に開かれる講話会、座談会(そこに民謡や詩の朗唱といったお楽しみがつくことも)のような集まりを指すこともやはり多いようです。

宗教説法系サマル。日が暮れてから集まって談話をしているので、楽しいパーティーとはかけ離れたお勉強座談会もサマルと呼ばれます。

仲間たちとワイワイ楽しむ系サマル

サウジアラビア系テレビ局の放送録画。屋外セットで若い出演者らがワイワイ楽しんでいるサマル会で、焚き火を囲んでおしゃべりや歌などに興じています。サマルというと月を思い浮かべる人も多いのか、しっかり月をアップで写しているシーンも。

(2024年9月 サハルの具体例と参考動画)