英字表記されたアラビア語の名前とカタカナ化~(口語編)フランス語文化圏特有のローマ字表記

モロッコ、アルジェリア、チュニジアのようにフランス語文化圏、もしくはそれらの国からフランスへ移民したアラブ人達の名前には特有のローマ字表記ルールが存在します。

アラブ人のラテン文字表記(≒英字表記、ローマ字表記)には英語圏などで流通しているタイプと、このフランス語系当て字が混在しており、日本人が誤読しやすい原因の一つとなっています。

jの音をdj

ج(j)をdjと書くのがフランス語圏の表記における特徴の一つとなっています。

日本語カタカナ表記ではドジャ、ドジェとしてしまっている例も見られるのですが、djaはジャ、djeはジェとカタカナ化します。

shの代わりのch

フランス語圏では ش(sh)の子音がフランス語風にchで表記されることが多いです。

  • أَشْرَف(アシュラフ)Ashraf → フランス語風に Achraf
  • شَرِيف(シャリーフ)Sharīf → Sharif (まず長母音の横棒を除去)→ フランス語風に Charif → 口語発音風にaがeに転じて Cherif(シェリーフ、シェリフ)

これらをアチュラフ、チャリーフ、チャリフ、チェリーフ、チェリフと誤読・カタカナ表記しないよう要注意です。

sに濁点がついてしまうフランス語ゆえの回避方法

sの2個重ねss

フランス語では母音にサンドイッチされたsには濁点がついてしまいzと同じ発音になってしまいます。それを避け、本来のsa・si・su(サ・スィ・ス)で読ませるためにsを2個連ねたssという表記が使われています。

حَسَن(ハサン) Hasan → Hassan

フランス語圏の「hassan」つづりはハッサンと読ませるための表記ではなく、ハザン(Hazan)読みにならないようにするためのものだとされています。

要はハサンというアラビア語読みを忠実に再現するためにsを2個連ねてある事例なので、日本におけるローマ字表記のように書いてある通りに発音するものとして扱うと、アラブ人が意図していないはずの「ハッサン」というカタカナ表記になります。本来ハサンとするのが無難な人名がハッサンで広く知られているのはそのためです。

なお、アラビア語には حَسَّان(Hassān もしくは長母音記号を使わずに Hassan)と書いてハッサーンと読ませる人名も存在します。長母音記号を使わないとハサンもハッサーンも Hassanになってしまうので、一体どちらを指しているのかは元のアラビア語表記を見ないとわからないこともあります。

*よくHassanと当て字をする人名について「ハサンはいるけどハッサンという名前などアラビア語に存在しない」と解説する方がいるのですが、口語発音ではハッサンに近く聞こえることもあるハッサーンという男性名が別途あるので要注意です。なお、「ハッサン」そのもので発音する語としては、派生形第2形動詞完了形の口語発音 حَسَّنْ [ ḥassan ] [ ハッサン ](良くする、改良する;美化する)があります。

あと、方言によってHasanの後半のaがeに転じてHasen(ハセン)と発音が置き換わることもあります。s部分を2個連ねたバージョンはHassenとなり、これでハッセンではなくハセンと読むのですが、人名としてはHasan、Hassanと当て字をしてハサンと読む男性名と同一で発音・表記揺れに相当します。

يَاسِر(ヤーセル)Yāsir → Yaser → Yasser

アラブ圏では、元々文語でヤースィルだった名前が口語ではヤーセルという読みになるのが一般的です。ここではさらにフランス語圏に多いsの2個重ねでYasserとなっています。

アラビア語ではヤーセルと読むのを意図しているので、本人が外国語発音をしてヤッサーなどと名乗っていない限りは、ヤーセルとカタカナ化するのが良いです。

cの使用

sの2個重ねとは異なる濁点回避の表記です。

  • يَاسِين(ヤースィーン)Yāsīn → Yasin → Yacine(ヤースィーン)
  • يُوسُف(ユースフ)Yūsuf → Yousef → Youcef(ユーセフ)

語末nの代わりのne

アルジェリアの人名リストを見て知ったのですが、語末がnで終わる人名ではeをつけてneにしたりするようです。これもフランス語文化圏的な当て字で、フランス語の影響が今でも強いマグリブ地方以外のマシュリク地方の中ではかつてフランス語の影響が強かったレバノンなどで見られます。

  • حَسَن(ハサン) Hasan → Hassan もしくは Hassane
  • يَاسِين(ヤースィーン)Yāsīn → Yasin → Yacine(ヤースィーン)
  • サッカー界の大御所ジダン氏はカビール系アマズィグ(いわゆるベルベル人)で国籍もフランスなのでジネジーヌ・ジダンというカタカナ表記で通っていますが、元をたどれば زين الدين زيدان(ザイヌッディーン・ザイダーン)の読みがアルジェリア方言風に変化し、Zinédine Zidaneというフランス語表記になったものです。どちらも語末がdin、anではなくneになっています。

これらについてな「ne」をネと読まないので、ハッサネ、ヤースィーネとしないよう注意が必要です。

ウと読ませるou

英語ベースのアラブ人名表記ではouは長母音ウーに対応することが多いのですが、フランス語圏だとただの短母音「ウ」に対応しているケースが非常に多いです。

日本語のカタカナ表記ではフセム・アウアー、フセム・アワールなどと書かれているアルジェリア系サッカー選手の場合、アラビア語文語で書くと حُسَام عَوَّار [ ḥusām ‘awwār ] [ フサーム・アウワール ] になります。

口語的な発音となった「フセーム・アウワール」[ ḥusēm ‘awwār ] をフランス語風に表記したものがHoussem Aouarらしいのですが、2箇所の「ou」を「ウ」と読むことを意図している模様です。英語ベースの人名表記だとHusem Auarのようになる感じだと思います。

日本語のカタカナ表記ではこのouをオウと読んでしまいArouriをフスハー発音のアール―リーないしは口語発音のアルーリではなくアロウリなどと当て字をする例が多数見られますが、アラブ人名・地名英字表記に含まれるouの部分はウかウーにするのが基本です。

発音しないh

フランスの委任統治を経験しているレバノンはフランス語の影響が今でも強めです。そのレバノンのキリスト教マロン派総大司教

اَلْبَطْرِيَرْكُ مَار بِشَارَة بُطْرُسُ الرَّاعِي
[ ’al-baṭriyark mār bishāra(h) buṭrus ’ar-rā‘ī ] [ アル=バトリヤルク・マール・ビシャーラ・ブトルス・アッ=ラーイー ]
総大司教 聖ビシャーラ・ブトルス・アッ=ラーイー

の名前表記もフランス語ベースで、Patriarch Cardinal Mar Bechara Boutros al-Rahiとなっています。

通常の英語ベースな表記ではal-Raiなどになるのですがネットの記事でこのつづりはあまり多くなく、al-Rahiが公式のようでした。フランス語ベースの表記なのでhを読まないフランス語に従って「Rahi」はラーヒーではなくラーイーと読む、ということのようです。

母音の脱落

フランス語の影響が強い北アフリカのマグリブ諸国では母音が脱落する傾向が強いです。そうした方言での発音に基づいたアラブ人名表記では他の地域で用いられている英字表記から語頭の母音を抜いたパターンが見られます。

  • إِبْرَاهِيمُ [ ’ibrāhīm ] [ イブラーヒーム → ブラヒーム、ブラヒム ]
    Ibrahim → Brahim
  • إِدْرِيسُ [ ’idrīs ] [ イドリース → ドリース、ドリス ]
    Idris / Idriss → Dris / Driss

なお、イブラーヒームから語頭のイが取れるといった現象はアラビア半島などでも見られます。口語発音に準拠した部族的な人名・家名の「ブラヒーム」に不要な修正を加えて「イブラーヒーム」に直さないよう要注意です。

(2024年6月 表記の修正と追記)