アラブ人の名前のしくみ~呼びかけ:「お父さん」「お母さん」

アラブの子供が親に「お父さん」「お母さん」と呼びかける時の方法、親が子供に対して「お父さん」「お母さん」と呼ぶ逆転現象などに関する自習用メモを兼ねたまとめ記事です。

アラビア語で父親や母親を呼ぶ時はどうする?

父親を呼ぶ時は英語の my father、dad に相当する語、母親は my mother、mom に相当する語を用い両親の本名を言うことはまずしません。父親や母親の本名を直に「なあアフマド」や「ねえハディージャ」のように呼ぶことは失礼だとか親に対する反抗的態度などと一般的には考えられる傾向が強めなので、昔からそれぞれ「父さん」「母さん」に相当する呼びかけの言葉が使われています。

これについてはイスラーム法学的な見解でも述べられていることで、「父親や先生はファーストネームで呼ばないのがスンナ(預言者時代の慣行に基づいた行為)」だとか。母親についても「罪というわけではないが礼儀としてはファーストネームではなく「ウンム・◯◯(◯◯のママ、◯◯の母さん)」や「母さん」と呼ぶのが望ましいだろう」といった法学者の見解などが出されています。

日本でも親や教師・教授を本名で呼ぶことはまずしないのでそこは似たりよったりだと思いますが、アラビア語には文語(フスハー)と口語(アーンミーヤ)とで「父さん」「母さん」の呼びかけが異なるほか、各地の方言ごとにに違いが生じる、驚いた時の声や歌のはやし言葉として使われるようになった例もあるといった事象も見られるため、標準語会話が浸透した現代日本よりもバリエーションは豊富だと思います。

アラビア語で「お父さん」

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アラビア語文語における名詞「父」「母」や「◯◯のお父さん」「◯◯のお母さん」といった呼び名のシステムについて。名詞としての詳しい文法はこちらにて紹介しています。

文語「ああわが父よ」「おお父さん」

読み書きの文語(フスハー)での呼びかけ「父さん」です。このタイプが使われるのは

  • 本・新聞・ニュースといった文語が標準となっているメディア
  • 中世などを舞台にした大河ドラマ
  • 幼児教育目的のためわざわざ日常会話とは違う文語を採用するのが普通となっている子供番組やアニメ
  • 文語で行うことが一般的な宗教説法・講話
  • 書籍、学校の教科書

などです。これについては「母さん」も同様です。

「私のお父さん」単体の時

أَبِي
[ ’abī ] [ アビー ]
【主格】私の父は
【属格】私の父の
【対格】私の父を
【呼びかけ】父さん

  • أَب
    [ ’ab ] [ アブ ]
    【名詞】父、父親

    • ٌأَب
      [ ’abun ] [ アブン ]
      【名詞】父、父親
      語末の格変化部分まで完全に読む場合。
    • ْأَب
      [ ’ab ] [ アブ ]
      【名詞】父、父親
      語末の格変化部分を省略した休止形(ワクフ)という読み方です。
      *このように語末にあった母音の u を落として発音した場合、人によっては [ ’abb ] [ アッブ ] に近く聞こえることがありネイティブによる英語での書き込みでも「father=abb」のように書いている人が一定数存在。アラビア語の休止形発音ではこうして語末の子音が重子音化することがあり、人名 خَالِد [ khālid(un) ] [ ハーリド(ゥン) ] が [ khālidd ] [ ハーリッド ] に聞こえる現象も同じ理由から。
  • ـِي
    [ -ī ] [ -イー ]
    【人称代名詞接続形・1人称・単数・属格】私の~
    くっつく名詞の語末の母音を i に変えます。そしてその短母音 i とセットで長母音 ī を表します。
    *アラブ式文法的にはこの人称代名詞部分は無母音でスクーン記号がついた ـِيْ と同等の扱いをされます。そのため時々この部分にスクーンが書かれていることがあります。アラブ定型詩の韻律でも無母音として型にはめていきます。

直訳すると my father です。名詞 أَب [ ’ab ] [ アブ ] を後続の人称代名詞接続形・属格「私の~」が属格(≒所有格)支配して「私の父」「私のお父さん」となっています。

1人称・単数の人称代名詞接続形がつくと ーī で固定されるため、文中で主格・属格・対格のどれになっても أَبِي [ ’abī ] [ アビー ] のまま見た目が変わりません。

なお日本語と違って敬語の体系がばっちりある言語ではないので、「お父様」のような尊敬表現は特にありません。

*閲覧注意*
主人公の両親が追い剥ぎに遭う流血シーンあり。

幼児が覚えるようにと意図的に全せりふが文語(フスハー)になっていることが多いアニメでも、キャラクターたちは父親を呼ぶ際に「アビー」を使います。

サウジアラビアの王太子(皇太子)所有財団傘下のマンガプロダクションズと日本の東映アニメーションの共同制作映画『ジャーニー 太古アラビア半島での奇跡と戦いの物語』プロモーション動画でも襲われた父親らに向かって「アビー!」(父さん!)と叫んでいるシーンが見どころの一つとして収められていました。

よびかけの言葉(間投詞)が前に来る場合

間投詞がついた形と間投詞の文法

يَا أَبِي
[ yā ’abī ] [ ヤー・アビー ]
おお我が父よ、おお父さん、ねえお父さん

  • يَا
    [ yā ] [ ヤー ]
    【間投詞】やあ、おお、ああ
    直後に人名や定冠詞を伴わない名詞などが来ます。
    *後に来る名詞は「呼ぶ」(省略された動詞として想定)という行為の対象であることから本来対格となるべき位置にある(فِي مَحَلِّ نَصْبٍ)とみなされるものの、
    (1)人名(固有名詞)・特定の相手(少年よ etc.)を呼ぶ場合は呼ばれる対象の語末にダンマをつける。
    (2)非特定の相手((誰でもいいから周囲にいるいずれかの)少年よ etc.)を呼ぶ場合は呼ばれる対象の語末にファトハ+タンウィーンをつける。
    (3)2語目が1語目を属格支配しているイダーファ構文では1語目末にファトハをつける。
    (4)属格支配はしていないものの構造や意味が近いイダーファ構文もどき(اَلشَّبِيه بِالْمُضَافِ)が後続する時は1語目末にファトハ+タンウィーンをつける。
ヤー・アビーはとてもポピュラーな「父さん」の言い方

昔からある父親への呼びかけです。文語アラビア語(フスハー)における最も基本的な「父さん」なので外国人学習者向けのアラビア語教科書に必ず出てくるといっても過言ではありません。

チュニジア人歌手 صَابِر الرّبَاعِيّ [ サービル・アッ=ルバーイー/(口)サーベル・アッ=リバーイー ](Saber Rebai)による父へ捧げる歌。ここでは文語の「ヤー・アビー」(ああ父さん)が登場。

古典・文語的な言い回し~通常の呼びかけ

ソースは日本語・英語・アラビア語で書かれた文法書やクルアーンの注釈書などです。

クルアーンや(古い)詩以外にも、大昔のアラブ世界を舞台にした現代アニメやドラマの「父さ~ん!」といったせりふとして出てくることがあります。

ヤー・アバティ

يَا أَبَتِ
[ yā ‘abati ] [ ヤー・アバティ ]
おお我が父よ、おお父よ、ああ父さま
*間投詞の يَا [ yā ] [ ヤー ] に後続するので語末の母音 i に関係なく対格相当の位置にある(فِي مَحَلِّ نَصْبٍ)とみなす。

  • أَبَتِ
    [ ’abati ] [ アバティ ]
    我が父、私の父
    أَبِي [ ’abī ] [ アビー ](私の父)のこと。呼びかけの時に使う語形。
    *アバティ単体でも間投詞の يَا [ yā ] [ ヤー ] に後続する時と同じ・ヤーが省略されたものと見て語末の母音 i に関係なく対格相当の位置にある(فِي مَحَلِّ نَصْبٍ)とみなす。
    *人称代名詞接続形 ـِي 部分が取れて تِ に置き換わったものとの学説が有名。
    تْ と無母音(الجَزْم)だったものに母音 i が付加されたものだという学説あり。
    *これを أَبَتِي [ ’abatī ] [ アバティー ] つづりにするネイティブ多し。2人称・単数・女性の أَنْتِأنتي と書く人が非常に多いのと同じ。

「ヤー・アバティ」はクルアーン(コーラン)にも出てくる呼びかけです。クルアーンでは複数箇所で使われていますがその中で一番有名なのは第12章第4節でユースフがヤアクーブに語った夢の話だと思います。(さほど詳しくない管理人でもアラブ系メディアで繰り返し見たことがある・聞いたことがあるレベルの知名度です。)

يَٰٓأَبَتِ إِنِّى رَأَيْتُ أَحَدَ عَشَرَ كَوْكَبًا وَٱلشَّمْسَ وَٱلْقَمَرَ رَأَيْتُهُمْ لِى سَٰجِدِينَ
父よ,わたしは(夢で)11の星と太陽と月を見ました。わたしは,それらが(皆)わたしに,サジダしているのを見ました。
(三田 了一『聖クルアーン : 日亜対訳・注解』日本ムスリム協会 刊より)
引用元:https://quran.com/12?startingVerse=4

كَوْكَبًا وَٱلشَّمْسَ 部分ではタンウィーンの n 音と後続する接続詞 و の w との同化が起こるため [ kawkaban/kaukaban wa-sh-shamsa ] [ カウカバ・ッ=シャムサ ] ではなく [ kawkabaw/kaukabaw wa-sh-shamsa ] [ カウカバ・ッ=シャムサ ] に。
*通常複数ある天体は女性・単数で受けますがここでは跪拝(サジダ)するという人間が行う動作をとっていることから ـهُمْ という3人称・男性・複数の人称代名詞で受けています。
*クルアーン注釈書によると太陽と月はユースフの両親、11個の星は彼の兄弟のことだとか。

ユースフが夢で星・太陽・月を見たというのは予知夢の一種で、彼が将来到達することとなる地位の高さと人類にとっての重要性の大きさを示唆。

なお上のテキストを見てもわかる通り、クルアーンのつづりは現代における正書法(正字法)とは違って長母音部分が文字上に現れないなど相違点があります。印刷されている紙のクルアーンにおいて يَا أَبَتِ ではなく يَٰٓأَبَتِ のようになっていたりするのもそのためです。

クルアーン第12章『ユースフ章』に含まれる有名なくだりのクルアーン朗誦+アラビア語表記+英訳+伝記映画シーン抜粋を組み合わせて作った動画。ユースフが子供の時に見た夢が正夢になった瞬間を映像化した部分がチョイスされています。

このビデオでは現代同様のつづり يَا أَبَتِ [ yā ‘abati ] [ ヤー・アバティ ] という字幕になっています。

ヤー・アバティのバリエーションと休止形

「ヤー・アバティ」には母音違いや休止形といったバリエーションが存在。

يَا أَبَتَ
[ yā ‘abata ] [ ヤー・アバタ ]
おお我が父よ、おお父よ、ああ父さま
語末母音違いバージョン。
*母音 i を補うアバティの方が数としては多いメジャー(الأكثر)発音ながら a を補うアバタもフスハーとして認められている。語形的にはむしろこのアバタの方が正則的(الأقيس)だとのこと。
يَا أَبَتَا [ yā ‘abatā ] [ ヤー・アバター ] のアリフが脱落したものだとの学説あり。

يَا أَبَتُ
[ yā ‘abatu ] [ ヤー・アバトゥ ]
おお我が父よ、おお父よ、ああ父さま
語末母音違いバージョンだが最も用例が少ないパターン。これを掲載していない文法書も多い。
*母音 i を補うアバティの方が最もメジャー、a を補うアバタも多数だが、u を補うアバトゥは数が少なくマイナー。そういう発音をしている部族が実在すると今から千年以上前の時点で確認されていたが、イラクで文法学が花開いた時代の文法学者らの複数がカスラ(i)とファトハ(a)をつけるのは認めるもののダンマ(u)は不可との見解を示したという。

يَا أَبَهْ
[ yā ‘abah ] [ ヤー・アバフ/ハ ]
おお我が父よ、おお父よ、ああ父さま
休止形(ワクフ)バージョン。
أبت と開いたターで書くのではなく結ばれたターで أبة と書く例がありそれの一般的休止形をとって ه [ h ] になっているケースだ、との学説あり。
أبتت は女性化(التأنيث)のターであり、開かれたターで表記されるものの女性化のターなので休止形発音も ه [ h ] となる、との学説あり。

يَا أَبَاتِ
[ yā ‘abāti ] [ ヤー・アバーティ ]
おお我が父よ、おお父よ、ああ父さま
語末母音 i パターンに余計なアリフが入っているバージョン。マイナー。

يَا أَبَاتَ
[ yā ‘abāta ] [ ヤー・アバータ ]
おお我が父よ、おお父よ、ああ父さま
語末母音 a パターンに余計なアリフが入っているバージョン。マイナー。

يَا أَبَتَا
[ yā ‘abatā ] [ ヤー・アバター ]
おお我が父よ、おお父よ、ああ父さま
語末に余計なアリフがついているバージョン。
*語末のアリフは余剰文字で文法上の格を持たないとの学説あり。
*語末のアリフは ـِي [ -ī ] [ -イー ](【人称代名詞接続形・1人称・単数・属格】私の~)の置き換わりとする学説あり。

يَا أَبَتَاهْ
[ yā ‘abatāh ] [ ヤー・アバターフ/ハ ]
おお我が父よ、おお父よ、ああ父さま
語末に هَاء السَّكْتِ がついたバージョン。ـَاهْ [ -āh ] [ アーフ/ハ ] で終わる語形であることから اَلنُّدْبَة [ nudba(h) ] [ ヌド(ゥ)バ ](嘆き、哀悼)タイプの呼びかけだと見なされる、という解説あり。

古典・文語的な言い回し~悲しみをこめた嘆き・追悼の呼びかけ

وَا أَبَتَاهْ
[ wā ’abatāh ] [ ワー・アバターフ/ハ ]
ああ我が父よ、ああ父よ、ああ父さま
亡くなった父を悼む時など、嘆きや悲しみの気持ちを込めて呼びかける時の言い回し。
*間投詞 وَا [ wā ] [ ワー ] と語末に هَاء السَّكْتِ が来る ـَاهْ [ -āh ] [ アーフ/ハ ]  で終わる اَلنُّدْبَة [ nudba(h) ] [ ヌド(ゥ)バ ](嘆き、哀悼)語形である أَبَتَاهْ [ ‘abatāh ] [ アバターフ/ハ ] の組み合わせ。

  • وَا
    [ wā ] [ ワー ]
    【間投詞】ああ、おお
    嘆き・悲しみ・哀悼といった اَلنُّدْبَة [ nudba(h) ] [ ヌド(ゥ)バ ](嘆き、哀悼)語形と組み合わせて使う間投詞。
    يَا [ yā ] [ ヤー ] 同様後続する語は「呼ぶ」という行為の目的語としての立場となるため対格に相当する(فِي مَحَلِّ نَصْبٍ)ものとして扱われる。
    *後に実際の人名(固有名詞)や「悲しみ」といった名詞が来たりもする。「ああっ!ウマルっ!」「ああっ!なんという悲しみ!」とする場合は人名ウマルや名詞「悲しみ」の語末に ـَاهْ [ -āh ] [ アーフ/ハ ] を付け足す。

口語「パパ」「父さん」

洋風な言い方(1)

バーバ(ー)

بَابَا
[ bābā ▶ bāba ] [ バーバー ▶ 口語的に語末長母音が短くなってバーバ ]
(洋風に)パパ
*話し言葉では語末の長母音(伸びる音)が短くなるのでつづり上はバーバーですが実際にはバーバと聞こえます。

アラビア語には p の音が無いので両唇で出す子音である ب [ b ] で当て字をし「パーパ(ー)」ではなく「バーバ(ー)」と発音することが広く行われています。

昔エジプトで大流行したポップソング『بابا فين』[ bābā fēn ▶ bāba fēn ] [ バーバ(ー)・フェーン ](お父さんはどこにいるの?)

男性が電話をかけると部屋にぎっしりいる子供たちが受話器を取って返事をします。「もしもしお父さんはどこにいるのかな?」「パパはいるよ。あなただれ?」「おじちゃんだよ」「だれおじちゃん?」「だから僕おじちゃんだって」と堂々巡りをしているうちにちびっこらが入れ替わり立ち替わりに「あのねぼくね…」「あのねわたしね…」と好き勝手におしゃべりを始めてしまう、というコミカルな歌となっています。

パーパ(ー)

بَابَا
[ pāpā ▶ pāpa ] [ パーパー ▶ 口語的に語末長母音が短くなってパーパ ]
(洋風に)パパ

レバノン近辺や北アフリカなどフランス語の影響がある地域を中心に使われている発音である模様。p 音が苦手で b に置き換えることが一般的なアラブ式のバーバ(ー)と違って濁点をつけない純洋風な読み方。

教皇(法王)やサンタクロースなどと「パパ」発音

キリスト教の教皇(法王)の pope やサンタクロースのアラビア語名 بابا نويل [ バーバー・ノーエル ](フランス語のPapa Noel(パパ・ノエル)に当て字をしたもの)でもこの「お父さん」と同じ بَابَا [ bābā ▶ 口語的に語末長母音が短くなってbāba ] [ バーバー ▶ バーバ ] についてはレバノンあたりだと پاپا [ pāpā ] [ パーパー ] の発音をしていることも少なくないように思います。

レバノン系YouTubeチャンネルのサンタクロース動画。ババ・ノエルではなくパパ・ノエルと発音しています。

洋風な言い方(2)

بَابِي
[ pāpī ▶ pāpi ] [ パーピー ▶ 口語的に語末長母音が短くなってパーピ ]

ب [ b ] の字を当ててありますが バービ(ー) ではなく p 音でパーピ(ー)と発音。

エジプトTVドラマなどでよく出てきます。今どき世代のちょっとおしゃれな・気取った「お父さん」として出てくることも少なくない印象。早口で言っているシーンでは「パピパピパピ」と聞こえたりも。

日常会話(口語・方言)での呼び名

地域によって色々な種類がある「お父さん」

アラブ人はごくわずかな例外を除き口語(アーンミーヤ)で生活しているため「父さん」といった呼びかけも全て方言で行います。アラブ世界は広く色々な方言があるためそのバリエーションも豊富です。

「アブーヤ」「ブーヤ」「ヤ・ブーヤ」「アブーイ」「ブーイ」「ユバ」「ヤーバ(ー)」「ヤービ(ー)」「ヤーブ」「ヨーブ」「バイイ」「バイイェ」「スィーディ」など地域により様々で、これらを紹介する記事や動画もネット上に複数投稿されています。

口語(方言)によくある文語版「お父さん」との違い

文語では呼びかけの間投詞は يَا [ yā ] [ ヤー ] ですが口語ではこれが短くなるため、間投詞を付け足すタイプの「お父さん」だと「ヤー」のうち يَ [ ya ] [ ヤ ] の音しか残らない、加えて y につく母音まで文語とは違う a 以外に置き換わったりで yi / yu などに変化したりしがちです。

また أَبِي [ ’abī ] [ アビー ] の語頭にある(アリフを台にした)声門閉鎖音/声門破裂音ハムザは元々脱落しやすい字・音であること、「父さん」の語末に弱文字の و(ワーウ、wの音(ないしはūの音の一部))や ي(ヤー、yの音(ないしはīの音の一部))が関わってくるため語末でも変形・音の脱落・文語語形からの短縮などが起きやすいです。

一方、一部口語で「私のお父さん、父さん」を意味する أبوي(発音:アブーヤ、アブーィなど)は逆に文語 أَبِي [ ’abī ] [ アビー ](私の父、我が父、父さん) のよりも長くなるパターンで、人称代名詞・1人称・単数の ي がついても直前の弱文字 و が取れずに残っているケースとなっています。

文語アラビア語(正則アラビア語、フスハー、現代標準アラビア語)では

  • 【主格:◯◯の父は/が】أَبُو [ ’abū ◯◯ ] [ アブー・◯◯ ]
  • 【属格:◯◯の父の】أَبِي [ ’abī ◯◯ ] [ アビー・◯◯ ]
  • 【対格:◯◯の父を】أَبَا [ ’abā ◯◯ ] [ アバー・◯◯ ]

と格変化する「◯◯の父」ですが、通称や家名の口語語形になる過程で「ア」が取れてしまい残り部分だけを使った「ブー・◯◯」や「バー・◯◯」になっていることが珍しくありません。そしてその語末に「私のお父さん」の一部となる「私の~」を意味する ـي(ヤー、yの音(ないしはīの音の一部)がついたりつかなかったりするので文語(フスハー)語形との違いがさらに拡大。

口語で文語の「ヤー・アビー」と全然違ってしまう件ですが、全てが文語の يَا أَبِي [ yā ’abī ] [ ヤー・アビー ](おお我が父よ、おお父さん、ねえお父さん)からの変形とは限らず、少し違う形の「ヤー・アバ」などに由来することもあるようです。

父親を呼ぶ以外の目的での「父さん」の用法

アラブ人が「父さん!」と言っている場合、父親を呼んでいるのではなく「なんてこった」とか「嗚呼(ああ)」みたいな意味で使ったりしているケースが少なくなくありません。

これらの使い方は日常生活で実際に父親本人に向かって呼びかける時の言い回しと違うことが多いので、「ヤ(ー)・バーイ」が歌で多用されるなどしていてもその地域の人たちが「ねえお父さん」と呼ぶ時にも揃って「ヤ(ー)・バーイ」と言っていると早々に結論づけてしまわないよう分けて考える必要があります。

日常生活で驚きなどを表す

日常生活では実父を呼ぶ「父さん」以外にも「なんじゃこりゃあ」「おいあんた」といった使い方をされることがあります。これについてはアラビア語-英語方言辞典などでも確認が可能です。

アラビア語の方言辞典だとたとえばエジプト方言のフレーズとして يَا بَايْ [ yā bāy/bāi ▶ ya bāy/bāi ] [ ヤー・バーイ ▶ 口語的に語末長母音が短くなってヤ・バーイ ](「嗚呼(ああ)!」「なんてこった!」)が載っていたりします。

この用法は英語における Oh Dad(ああ父さん)ではなく驚いたり困惑したりした時に口にする Oh boy の方に対応しています。

「ああ」「おお」に近い意味での歌でのはやし言葉

「父さん」を連呼している訳ではない

歌に出てくる「父さん」「母さん」は歌の調子を取るはやし言葉のようなもので、これといったはっきりとした意味は無いけれども挿入される掛け声的な使い方をされています。

英訳の際は Oh(ああ、おお)になっていることが多いです。

ヨルダン付近のポップソングに出てくる「ヤ(ー)・バーイ」

ヨルダンをベースに活動するアーティスト عَزِيز مَرَقَة [ アズィーズ・マラカ ](チュニジア生まれ、父親がパレスチナ人で母親がレバノン人のパレスチナ系アラブ人。)による『 يا باي 』[ yā bāy/bāi ▶ ya bāy/bāi ] [ ヤー・バーイ ▶ 口語的に語末長母音が短くなってヤ・バーイ ]( ياباي とつなげて書いてある表記も多いです)。

歌の途中ずっと「ヤバイ、ヤバイ」と叫んでいますが「父さ~ん、なあ父さん」と繰り返し父親を呼んでいる訳ではありません。歌詞の英訳を見ればわかる通りロマンチックなラブソングで、「ヤバイ」の部分は Oh と訳されていて日本語の「ああ」に対応していることがわかるかと思います。

ヨルダンのロックバンド هَيَجَان [ hayajān ] [ ハヤジャーン ](Hayajan。リードボーカルAlaa Wardi(アラー・ワルディー)はサウジアラビア生まれでヨルダン大学を卒業したイラン系青年。トルコ人女性と結婚し現在トルコ在住。)が2013年にリリースしたアルバム『Ya Bay』より『Ween El Kalam(وين الكلام)』。

この歌でも「ああ~」に近い使い方をされる يَا بَايْ [ yā bāy/bāi ▶ ya bāy/bāi ] [ ヤー・バーイ ▶ 口語的に語末長母音が短くなってヤ・バーイ ] が複数回出てきます。

シリア民謡とヤバ(ー)・ヤ・バーイ

この掛け声的な「ヤ・バーイ」についてはシリア民謡について扱った論文الموال الشرقاوي “السبعاوي” كأحد أشكال الارتجال في التراث الموسيقي السوريやUNESCO提供の『الموسيقى التقليدية في سوريا(Traditional Syrian music)』(シリアの伝統音楽)でも取り上げられており、

  • يَبا يَبَاي
    [ yabā yabāy/yabāi ▶ yaba yabāy/yabāi ] [ ヤバー・ヤ・バーイ ▶ 口語的に語末長母音が短くなってヤバ・ヤバーイ ]
  • يَبا
    [ yabā ▶ yaba ] [ ヤバー ▶ 口語的に語末長母音が短くなってヤバ ]

という言葉が民謡の一部であるかのように含まれている件が紹介されています。

「ああ夜よ」「ああ目よ」も伝統歌謡の定番はやし言葉

民謡・伝統的歌謡のはやし言葉としてこれ以外にも有名なものがあり

يَا لَيْل
文語発音:[ yā layl/lail ] [ ヤー・ライル ]
口語発音:[ ヤ(ー)・レイル ]、[ ヤ(ー)・レール ]
*文字通りだと「ああ夜よ」ながら歌で使う時は特に意味は無し。
يَا عَيْن
文語発音:[ yā ‘ayn/‘ain] [ ヤー・アイン ]
口語発音:[ ヤ(ー)・エイン ]、[ ヤ(ー)・エーン ]
*文字通りだと「ああ目よ」ながら歌で使う時は特に意味は無し。

が大変メジャーです。歌に出てくる「ヤー・ライル・ヤー・アイン」の起源については諸説あるようですが、ともあれアラブ伝統歌唱の定番となっています。

これも「ああ夜~」「ああ瞳~」という意味ではなく、「ああ~」「おお~」「え~」同様の歌のはやし言葉的な位置づけ。

アラビア語でお父さんは「ヤバイ」?~日本のテレビで有名に

日本ですっかり有名になった「アラビア語でお父さんはヤバイ」。ネットでは繰り返し情報が拡散し知っている方も多いであろうこの情報ですが、日本語がわかるアラビア語ネイティブのアラブ人たちが投稿を見かけて「例文がおかしい」「どこの方言のことを指しているのかわからない」といったリアクションを返すことも。

「ヤバイ」自体は「ねえお父さん」と実際に父親に向かって呼びかける際に「ヤバーイ」「ヤバイ」「ヤバイイ」のように聞こえるのは主にレバノン、ヨルダン、パレスチナ近辺の方言において「ねえ父さん」と呼びかける際の言葉で、「ヤ(ー)」が「ねえ」(Oh)、「バ(ー)イ」「バイイ」が「(私の)お父さん」(Father(=my father))の部分に当たるので一応事実なのですが、実際のアラビア語会話としては不自然な部分も多いのでここで詳しく確認しておきたいと思います。

トリビアの泉~”アラビア語でお父さんは「ヤバイ」”

動画の概要

「アラビア語でお父さんはヤバイ」という情報が流布する原因となった動画の一つです。

要旨:

No.762 山口県 たけ子さん(24)からのトリビアとして投稿されたこの情報。「お父さん」と書かれた習字作品が張り出された小学校5年1組教室を背景に

アラビア語で「お父さん」を呼ぶ時に使う言葉は「ヤバイ」

と字幕が出ます。

亜細亜大学まで行き新妻仁一教授からも話を聞いており、ヤバイが話し言葉であること、ヤの部分が呼びかけ語で、バイが口語の「私のお父さん」であるという説明が流れます。

その後パキスタン風衣装を着たタレントの演技シーンが入り「ヤバイ」を使ったフレーズを紹介するのですが、

  • 「お父さん それやった(ヤバイ アンタ)」
    *「やった」は did(した、行った)ではなく hie gave(彼はあげた)を意味する口語(レヴァント等方言)語彙 أَنْطَى [ ’anṭā → 口語的短母音化で ’anṭa ] [ アンター → アンタ ] だと思われます。語形的には「私はあげた、私は人にやった」ではなく「彼はそれをあげた、彼はそれを人にやった」なので、「ヤバイ アンタ」だと「あのさ父さん、彼あげたんだよ」→「え、誰が?何を?」となり会話的に内容が完結していないです。
  • 「お父さん 終わりました(ヤバイ タンマ)」
    تَمَّ [ tamma ] [ タンマ ] は「それは終わりました」の意味なので、「私は終えました、ぼくやったよ、それやっといたからね」の意味にはならないです。
  • 「お父さん 運河(ヤバイ カナー)」
    *ネットでは「英語の canal に似ているので英語からの外来語なのでは」といった投稿も見かけるのですが、カナー(いわゆるカナートのこと)が管や水路を意味するのはかなり古い時代のアラビア語からとなっています。ラテン語で「葦」を意味する語が「管」「水路」という語義を有するようになったのが英語の canal の語源だとのことですが、アラビア語については同じセム系言語で古代のメソポタミア地方で話されていたアッカド語の時点で qanûm だったものを語源としているのだとか。元々英語 canal の語源もずっとたどっていくとメソポタミアのアッカド語→ギリシア語→ラテン語→英語といった順番らしく、近現代に英語の canal からアラビア語のカナー(運河)が生まれたのではなく、何千年も昔にあった語源が同じで枝分かれしたそれぞれの先がアラビア語のカナーと英語の canal だということのようです。
  • 「お父さん 僕は行きません(マジ ヤバイ)」
    *「僕は行きません」とありますが、I don’t go を意味する語ではなく「私は来ません(i don’t come、I’m not coming)」を意味する否定語+動詞未完了形が語形の都合上短くなったものが元ネタだと思われます。お父さんが目の前にいる状態で言う言葉ではないので、仮に実在している言い回しだとしても離れた位置に自分がいる時とか電話で
  • 「お父さん 缶(ヤバイ タナカ)」
    *タナカは通常一斗缶みたいなものを指します。
  • 「お父さん もしかしたら(ヤバイ ヤクザ)」
    *ヤクザは文語アラビア語と複数地域の方言をやってきた自分も「?」な単語で、元ネタを探し当てられませんでした。

といったアラビア語雑学としてはだいぶ無茶な?内容となっていました😅

実在するという設定で雑学扱いされていますがいずれも実際のアラビア語日常会話で決して使わないような言い回しだったり、「お父さん それやった(ヤバイ アンタ)」のアンタはアラブ各国では「(男性の)あなた」を思い浮かべるのが普通で「あげた、やった」(アンタと発音する口語動詞では gave(あげた、与えた)という意味の方の”やった”で did(した、行った)ではないです)という意味では使う地域は少なかったり*、日本語と同じ響きの語を集めて無理に文章化したところにさらに嘘雑学(ガセビア)も混じっている状況だという印象を持ちました。

*「ねえ父さん」がヤバイに近く発音されるパレスチナなどには「彼(*語形からお父さんではない別の男性だとわかります)はそれをやった、彼はそれをあげた」という意味で「(男性の)あなた」とは違うつづりの”アンタ”(أنطى, つづり通りの文語発音だと ʾanṭā(アンター)になるものの口語なので短母音化して ʾanṭa(アンタ))があるのですが、アンターではなくアンタという短い発音だとアンター(أنطى, ʾanṭā)のうち最後の「それを」や「彼に」を意味する「ー」が抜けてアンタにしたものは「彼はやった、彼はあげた」にしかならないので、ヤバイ・アンタで「お父さん それやった」は無理があるのでは、という気がします。

また、ヤクザというとアラビア語の文語や口語をやっている人は通常「覚醒、目が覚めること」という名詞 يَقْظَة [ yaqẓa(h) ] [ ヤクザ(フ/ハ) ](*現代日常会話では最後のhは黙字っぽくなっているのでヤクザと発音することが一般的です)を思い浮かべます。

“ヤクザ”に関しては「もしかしたら、たぶん、ひょっとしたら」という意味になるような方言は当方としては思い当たらず複数方言をまとめて検索できるオンライン辞書類でも見つけられなかったことから嘘雑学(ガセビア)である可能性も高く、情報の元ネタが何だったのか知りたいところです…

動画について

トリビアの泉では亜細亜大学で新妻仁一先生に取材していますが、会話をかなりカットしているためか「ヤバイ」はいわゆる方言でアラブ世界の一部地域でのみ使われている呼び方であることなどには触れられていません。

途中で辞書のページを写し出したシーンが出てくるのですが、口語表現(方言の言葉)であるにもかかわらず文語専門の Hans Wehr アラビア語辞典から「父さん」とは全く関係の無い باى * bāy(オスマン朝時代のチュニジアにおけるチュニス太守の称号ベイ)の項目が選ばれており「バ(ー)イ」がお父さんだという意味の証拠映像になっていませんでした。

باي のこと。この辞書では語末 ي がエジプト方式なので点無し ى になっています。チュニジア方言では長母音ā(アー)はē(エー)として発音されるという特徴が非常に有名なので、「チュニジア方言でお父さんはヤー・バーイ/ヤ・バーイ/ヤバイ」という情報自体は辞書における取り違えや誤解が混ざった部分で、この箇所については一種の嘘雑学(ガセビア)部分に相当するものと思われます。

最後に「ヤバイ」は特にレバノンやチュニジアで使われている、国によっては「ヤベー」「ヤボー」になるとの追加情報がありますが、その直前に出されたパネルでは2語の前後がひっくり返ってしまっていて باى يا [ バーイ・ヤー ] と読めるアラビア語つづりになってしまっています。

なおこの動画では後半で出てくる各種バリエーションも不正確で、出演者の服装もアラブ人ではなく南アジア地域の非アラブ衣装になっているなど、相当テキトーな動画なためアラブ人によるコメントも「アラブ人じゃない」「これではインド人だよ」といったものが見られました。

月曜から夜ふかし~アラビア語でお父さんは「ヤバイ」

動画の概要

こちらも「アラビア語でお父さんはヤバイ、缶はタナカ」で有名になった放送です。

内容は一部トリビアの泉の再利用となっていますが、こちらではレバノン出身のメクダシ・カリル(カリル・メクダシ)さんがアラブ服を着て出演しており見た目的なアラブっぽさに関してはアラブ人の服を着ていない再現映像が流れた『トリビアの泉』に比べると一応増している感じです。

また偶然ながら起用されているメクダシ氏は「ねえ父さん」を「ヤバイ」という方言エリアであるレバノン出身であり、再現動画での配役としてはかなりちゃんとしていたと言えるかもしれません。

動画に出てくるアラビア語フレーズは

  • お父さん → ヤバイ
  • どこにいる? → ウエノ
  • 来ない → マジ
  • お父さんどこにいる? → ヤバい上野
  • お父さん行かないよ → マジヤバい
  • 缶 → タナカ
  • お父さん缶! → ヤバい田中!

で、『トリビアの泉』アラビア語ネタに含まれていた嘘雑学(ガセビア)と思しき要素は除外された形となっています。

ただこちらも『トリビアの泉』と同様に日本語と同じ響きに聞こえる単語を組み合わせて文章を無理に作ってあるためアラビア語としては不自然でなこと、また日本語っぽく聞こえるようにするためかメクダシ氏はほぼカタカナ発音でレバノン方言らしく読み上げていないので、実際に「ヤバイ(イ)」が「ねえ父さん」の意味で使われているレバノン、ヨルダン、パレスチナ付近の人々がこういう会話をしていると思わない方が良いかと思います😅

なおテレビ放送ではアラビア語例文の横にアラビア文字表記もつけてあったのですが、アラビア語に対応していない字幕システムにアラビア語文を流し込んでいるので、残念ながら文字は左右逆順になっている上にバラバラに分解してしまっています。

これはアラビア語文の出力不具合・誤字の一種なのでアラビア語の文章としてはつづりが全て間違っており、実際のアラビア語としての表記とは全く違っているので要注意かもしれません。

“お父さんは「ヤバイ」”

トリビアの泉で有名になった「アラビア語でお父さんはヤバイ」の焼き直しかもしれませんが、実際には「お父さん」を呼ぶ言葉としてアラブ諸国で広く使われているわけではない「ヤバイ」がアラビア語の標準的な「お父さん」として改めて認識されるに至った原因となったように思います。

テレビ番組『月曜から夜ふかし』には実際に「ヤ・バイ(イ)」(お父さん)呼びかけを使っている地域であるレバノン出身のメクダシ氏が出演しており、一応ネイティブが登場しているという点も含め『トリビアの泉』よりはだいぶまともな内容となっている印象です。

なお字幕は文語(読み書き言葉)のお父さん「ヤー・アビー」に対応したアラビア文字が入力されており、レバノン方言のヤバイに当てる時の表記になっていませんでした。ヤバイとは決して発音しない表記が字幕になっているので、手違いというか字幕を作る時にアラビア語部分を担当した方が元ネタになった方言を知らなかったといった理由から起きたミスの一種に当たるのでは、と思います。

“どこにいるは「ウエノ」”

他に登場する「どこにいる」もレヴァント地域方言である وينه / وينو [ wēno ] [ ウェーノ ](彼はどこにいる?)が使われておりメクダシ氏出身地の方言とほぼ一致したラインナップとなっています。

ただメクダシ氏は番組に合わせてヤバイやウエノを日本語発音しており、実際のアラビア語方言における  وينه / وينو [ wēno ] [ ウェーノ ](彼はどこにいる?)は尻上がりな日本語のような「ウエノ↗」ではなく尻下がりな感じの「ウェーノ↘」になるのでだいぶ違った風に聞こえます。

レバノンの歌手 زِيَاد بُرْجِيّ [ ziyād burjī(y) ] [ ズィヤード・ブルジー/(口)ズィヤード・ボルジ(ー) ](Ziad Bourji)によるラブソング『 حبيبي وينو 』[ ハビービー・ウェーノ ](愛しい人よいずこに?)。題名と同じフレーズ(0:50、1:26、3:27付近)が歌の中に含まれています。歌の中でも発音は「ウェーノ↘」です。

“缶は「タナカ」”

ちなみに تَنَكَة [ tanaka(h) ] [ タナカ ](缶)は油などを入れる一斗缶ほかを指します。これは集合名詞としての تَنَك [ tanak ] [ タナク ](缶)に集合名詞の単数化機能を持つ ة(ター・マルブータ)を付して「1個の缶」という意味にした単数語形なのですが、タナカ自体は辞書などにトルコ語のteneke(ブリキ;ブリキ缶、缶)由来と書かれている外来語で、比較的後代になって伝わったため中世のアラビア語大辞典には載っていません。

日本のテレビ動画では小さなジュースの缶が出てきますが、実際にはタナカと聞いて思い浮かべるのは日本で一斗缶を呼ばれているような大きなオイル缶類などとなっています。

一斗缶(タナカ)

アラビア半島といった一部方言ではタナカは「アホ」「バカ」「頭が悪い」の代名詞なので يَا تَنكة [ yā tanaka ▶ ya tanaka ] [ ヤー・タナカ ▶ ヤ・タナカ ](おいタナカ、このアホが、おい馬鹿野郎)といった悪い使われ方をされることも。

田中さんを呼びかける時の言い回し「ヤ(ー)・タナカ」は「おい馬鹿野郎」と全く同じになりかねないので、そういう使い方をする方言の地域に行く田中さんにとってはとんだとばっちりかもしれません。

「父さん」という意味で使われる「ヤバイ」の元ネタは?

ヤバイといっても「ねえ父さん」という意味と「ああ」「なんてこった」という意味の両方がある

Oh(ああ)や Oh boy(なんてこった)の意味で使われたり歌のはやし言葉として使われる「ヤ(ー)・バーイ」についてはシリア~エジプトあたりにかけて観測可能なようです。

これとは別に実際に父親本人に向かって「(ねえ)父さん」という意味で「ヤバイ」に近いものを日常生活で使っているものを探してみると、レバノンを中心にヨルダン~パレスチナ付近で聞かれることがあるという「ヤ(ー)・バイイ」が近いのではないかと思われます。

*『トリビアの泉』ではレバノンやチュニジアで「ヤバイ」が使われるとの補足情報が司会からアナウンスされていました。その部分についてはTV取材対象だった亜細亜大学 新妻仁一先生からの情報提供だったのかもしれません。

*ネットでは「アラビア語でねえお父さんはヤー・アビーなのにヤバイだなんておかしい」と書いてある記事や知恵袋回答が数多く見られますが、口語表現を知らない方による書き込みで正確な情報ではありません。実際に「ヤバイ」に聞こえる方言「お父さん」は存在します。

レバノン付近の「お父さん」~バイイ、バイイェ

日本ではテレビ番組で「アラビア語でお父さんはヤバイ」と紹介され有名になりましたが、元ネタはおそらくレバノン近辺で使われているという

بَيِّ / بَيِِّي
発音1:[ bayyi ] [ バイイ ]
発音2:[ bayye ] [ バイイェ ]
【名詞+人称代名詞接続形・1人称・単数・属格】私の父
【単体で呼びかけとして】父さん

    • بَيّ
      [ bayy ] [ バイイ ]
      【名詞】父、父親

に呼びかけの間投詞 يَا [ yā ▶ ya ] [ ヤー ▶ 口語的に語末長母音が短くなってヤ ] がついた

يَا بَيِّ / يَا بَيِّي
発音1:[ yā bayyi ▶ ya bayyi ] [ ヤー・バイイ ▶ 口語的に語末長母音が短くなってヤ・バイイ ]
発音2:[ yā bayye ▶ ya bayye ] [ ヤー・バイイェ ▶ 口語的に語末長母音が短くなってヤ・バイイェ ]
ああ父さん、ねえ父さん

あたりなのではないかと思われます。

「お父さん」という呼びかけが「ヤ(ー)・バイイ」になる地域であるレバノンの歌手 عَمَّار بَاشَا [ ‘ammār bāshā ] [ アンマール・バーシャー ](3AMMAR BASHA)による亡き父を想うラップ調ソング。歌の中で父さんのためにこの歌を書いたよと言っている通りアンマール・バーシャー氏が作詞者。

たった2文字の بيّ(父さん)だけどもっと意味が詰まってる、恋しくてたまらない、毎晩夢に出てきてほしい、といった心の叫びを歌詞に込めた一曲となっています。

パレスチナ近辺でも使用例があるという「お父さん」バイイ

お父さんの呼びかけが「ヤ・バイイ」「ヤ・バイイェ」になる地域に含まれるというパレスチナ(YouTubeチャンネル所在地はイスラエル)発『 عم بشكي يا بيي 』。父が亡くなった悲しみが深すぎてまるで魂が抜けたようになってしまった自分の状況や苦しみを吐露した一曲。「ヤー・バイイ」が出てくるのは2:36、4:16、4:27頃。

日本語の「ヤバイ」をアラブ圏で言うのはNG?

「アラビア語でお父さんはヤバイ」がネット上で定期的に話題になると「日本語のやばいをアラブ圏で言ったらお父さんとなるしまずいのでは?」といった感想が書き込まれたりすることが多いようです。

実際のところアラビア語の「ヤバイ」は父親を呼ぶ以外にも「ああっ!」「なんてこった!」といった意味でも使うので、なにかびっくりした時とかに叫ぶ日本語の「やばい!」は口語アラビア語の慣用表現としての「ヤバイ!」に結構似ていて、意外と違和感が無かったりします。

当ページでも紹介している通り、「ねえ父さん」「あのな親父」という呼びかけで使っていないケースが多く、歌で「ヤバイ・ヤバイ・ヤバ~イ」や「ヤバヤバヤバ~」と連呼している場合は基本的に日本語の歌の「嗚呼、アアアア~」に対応するものとなっています。

なので「やばいやばいやばいよ~!」のように連続で叫ぶようなケースでは、アラブ人が「お父さん、お父さん、お父さん~っ!」と受け取ってしまう可能性は少なく、「ああ~っ!」と言っているように感じられると考えた方がよいかもしれません。

そもそも「ねえお父さん」がヤバイになる地域・方言は狭いこと、「アラビア語でお父さんはヤバイ」トリビア自体がかなり無理をして作られたものなので、日本語の「やばいやばいやばい~!」が大半のアラブ人にお父さんが連呼しているものとして通じる空耳ネタだと思わない方が無難だという気がします。

「アラビア語でお父さんはヤバイ」はアラビア語に詳しくない日本人が作った怪しい雑学なのか?

全くの嘘雑学でもない「アラビア語でお父さんはヤバイ」ネタ

『トリビアの泉』と『月曜から夜ふかし』で紹介されているヤバイ(お父さん、ねえ父さん)を使った例文は不自然で一見非ネイティブによる創作に近いようにも思えますが、語彙自体はレバノン、ヨルダン、パレスチナ付近の方言のものが主に選ばれており、日本人のアラビア語学習者が通常教わらないタイプのアラビア語である口語アラビア語(アーンミーヤ、≒方言)をある程度知らないと作れない雑学ネタであるように感じました。

アラビア語を全く知らない人が挙げられるような言葉のチョイスではないので一応情報提供者というのはいて、日本在住のアラブ人もしくは上記地域在住経験者の日本人といった投稿者か日本のテレビ局に出入りしているアラビア語関係者のいずれかが考えた例文が元ネタになって、それをアラビア語に詳しくないテレビ局スタッフ側が面白くなるよう味付け・改変して多少の不自然さや間違いが混ざったのがあの有名な雑学動画だったのでは、と思います。

『月曜から夜ふかし』については字幕としてアラビア文字の入力が行われたりやレバノン出身のメクダシさんが出演したりとアラビア語関係者が関与した形跡も確認できます。

「アラビア語でお父さんはヤバイ」は不正確というか不自然な例文が並んでいるもののアラビア語として全くの虚構・創作ではないことから、嘘雑学(ガセビア)判定で確定、ということは難しいとの印象です。

多くのアラブ人やアラビア語学習者に通じない・嘘判定される理由

ただ「お父さんはヤバイ」などは狭い地域の方言から取ってきたため聞いても「アラビア語でお父さんはそんな風に呼ばない。」というネイティブが多かったり、「アラビア語としておかしい。一体どこの方言なのか?」「お父さんをヤバイなんて呼ぶ方言なんか知らない。」とアラビア語学習経験のある日本人から言われやすく、「アラブ人やアラビア語がわかる日本人に使ってもあまり通じない」情報なのも確かだと思います。

読み書き言葉の文語アラビア語(フスハー)と複数地域の方言である口語アラビア語(アーンミーヤ)を両方知っていれば全くのガセネタではないとわかるのですが、多くの日本人学習者は文語アラビア語だけ学ぶとか特定地方の方言一つだけ話せるといった形でアラビア語を習得するため、「聞いたことが無いからガセだ」と判定しがちです。

しかしながら「アラビア語でお父さんはヤバイ」についてはちゃんと元ネタがあるので、「アラブ世界にお父さんをヤバイと呼ぶ地域など実在しない」もまた誤報・誤判定に当たるので転載・引用の際は要注意かもしれません。

「Google翻訳で確かめたら全然違う結果が出たから嘘雑学だ」判定について

なお「Google機械翻訳などを使ったら全く違う結果が出てきた。なのでこの雑学も全くの嘘だ。」と判断される方もいらっしゃるようなのですが、これは機械翻訳が方言ではない各国共通の文語アラビア語で結果を出力してくることが原因となっています。

アラビア語には色々な種類の方言があって、本件はそうした方言の言い回しを流用したネタなので機械翻訳では正確な確認作業はできない点に注意が必要かもしれません。

アラビア語で「お母さん」

文語「ああわが母よ」「おお母さん」

「私のお母さん」単体の時

أُمِّي
[ ’ummī ] [ ウンミー ]
【主格】私の母は
【属格】私の母の
【対格】私の母を
【呼びかけ】母さん

  • أُمّ
    [ ’umm ] [ ウンム ]
    【名詞】母、母親

    • أُمٌّ
      [ ’ummun ] [ ウンムン ]
      【名詞】母、母親
      語末の格変化部分まで完全に読む場合。
    • ْأُمّ
      [ ’umm ] [ ウンム ]
      【名詞】母、母親
      語末の格変化部分を省略した休止形(ワクフ)発音。
      *口語では u が o 寄りになった [ ’omm ](オンム)という発音に近くなることが多し。オンム寄り発音に即した英字表記としてはOm、Ommo、Ommなど。
  • ـِي
    [ -ī ] [ -イー ]
    【人称代名詞接続形・1人称・単数・属格】私の~
    くっつく名詞の語末の母音を i に変えます。そしてその短母音 i とセットで長母音 ī を表します。
    *アラブ式文法的にはこの人称代名詞部分は無母音でスクーン記号がついた ـِيْ と同等の扱いをされます。そのため時々この部分にスクーンが書かれていることがあります。アラブ定型詩の韻律でも無母音として型にはめていきます。

直訳すると my mother です。名詞 أُمّ [ ’umm ] [ ウンム ] を後続の人称代名詞接続形・属格「私の~」が属格(≒所有格)支配して「私の母」「私のお母さん」となっています。

1人称・単数の人称代名詞接続形がつくと ーī で固定されるため、文中で主格・属格・対格のどれになっても أُمِّي [ ’ummī ] [ ウンミー ] のまま見た目が変わりません。

なお日本語と違って敬語の体系がばっちりある言語ではないので、「お母様」のような尊敬表現は特にありません。

よびかけの言葉(間投詞)が前に来る場合

يَا أُمِّي
[ yā ’ummī ] [ ヤー・ウンミー ]
おお我が母よ、おお母さん、ねえお母さん

  • يَا
    [ yā ] [ ヤー ]
    【間投詞】やあ、おお、ああ

昔からある基本的な母親への呼びかけです。يَا أَبِي [ yā ’abī ] [ ヤー・アビー ](おお我が父よ、おお父さん、ねえお父さん)と対になっているのがこちらです。

レバノン出身スウェーデン在住歌手 مَاهِر زَيْن(Maher Zain、マーヘル・ザイン)によるフスハーソング『 أمي(Ummi) 』[ ウンミー ]。リリースは Sami Yusuf のファーストアルバム『Al-Muʽallim』も手掛けたイスラミックなレーベル。

「ウンミー」(母さん)、「ヤー・ウンミー」(ああ母さん)という言葉とともに「どんなに大きくなってもあなたのところへと帰るよ。僕はあなたの元ではまだ大人になっていない幼い少年のよう。あなたは僕にとって安らぎそして幸せ。母さん、愛しい僕の母さん…」と母親が自分にとってかけがえのない存在であることを歌い上げた家族愛あふれる一曲となっています。

古典的な言い回し

يَا أُمَّتِ
[ yā ‘ummati ] [ ヤー・ウンマティ ]
おお我が母よ、おお母よ、ああ母さま
يَا أَبَتِ [ yā ‘abati ] [ ヤー・アバティ ](おお我が父よ、おお父よ、ああ父さま)のお母さんバージョン。

يَا أُمَّتَ
[ yā ‘ummata ] [ ヤー・ウンマタ ]
おお我が母よ、おお母よ、ああ母さま
يَا أَبَتَ [ yā ‘abata ] [ ヤー・アバタ ](おお我が父よ、おお父よ、ああ父さま)のお母さんバージョン。

يَا أُمَّهْ
[ yā ’ummah ] [ ヤー・ウンマフ/ハ ]
おお我が母よ、おお母よ、ああ母さま
يَا أَبَهْ [ yā ‘abah ] [ ヤー・アバフ/ハ ](おお我が父よ、おお父よ、ああ父さま)のお母さんバージョン。休止形。

يَا أُمَّتَا
[ yā ’ummatā ] [ ヤー・ウンマター ]
おお我が母よ、おお母よ、ああ母さま
يَا أَبَتَا [ yā ‘abatā ] [ ヤー・アバター ](おお我が父よ、おお父よ、ああ父さま)のお母さんバージョン。

يَا أُمَّتَاهْ
[ yā ’ummatāh ] [ ヤー・ウンマターフ/ハ ]
おお我が母よ、おお母よ、ああ母さま
يَا أَبَتَاهْ [ yā ‘abatāh ] [ ヤー・アバターフ/ハ ](おお我が父よ、おお父よ、ああ父さま)のお母さんバージョン。
*語末に هَاء السَّكْتِ がついたもの。ـَاهْ [ -āh ] [ アーフ/ハ ] で終わる اَلنُّدْبَة [ nudba(h) ] [ ヌド(ゥ)バ ](嘆き、哀悼)語形との解説あり。

古典・文語的な言い回し~悲しみをこめた嘆き・追悼の呼びかけ

وَا أُمَّتَاهْ
[ wā ’ummatāh ] [ ワー・ウンマターフ/ハ ]
おお我が母よ、ああ母よ、ああ母さま
亡くなった母を悼む時など、嘆きや悲しみの気持ちを込めて呼びかける時の言い回し。وَا أَبَتَاهْ [ wā ’abatāh ] [ ワー・アバターフ/ハ ](ああ我が父よ、ああ父よ、ああ父さま)のお母さんバージョン。

口語「ママ」「母さん」

洋風な言い方(1)

マーマ(ー)

مَامَا
[ māmā ▶ māma ] [ マーマー ▶ 口語的に語末長母音が短くなってマーマ ]
(洋風に)ママ
*話し言葉では語末の長母音(伸びる音)が短くなるのでつづり上はマーマーですが実際にはマーマと聞こえます。

بَابَا [ bābā ▶ bāba ] [ バーバー ▶ 口語的に語末長母音が短くなってバーバ ](パパ)に対応しているお母さんバージョン。

洋風な言い方(2)

مَامي
[ māmī ▶ māmi ] [ マーミー ▶ 口語的に語末長母音が短くなってマーミ ]

بَابِي [ pāpī ▶ pāpi ] [ パーピー ▶ 口語的に語末長母音が短くなってパーピ ] に対応しているお母さんバージョン。

ヨルダン系YouTubeチャンネルのキッズソング『 مامي 』[ māmī ▶ māmi ] [ マーミ(ー) ](意味は「ママ」)。ママ愛してる、「ママ」は一番すてきな言葉、などと母親への愛や孝行の大切さをテーマにした歌。

日常会話(口語・方言)での呼び名

地域によって色々な種類がある「お母さん」

アラブ人はごくわずかな例外を除き口語(アーンミーヤ)で生活しているため「父さん」同様「母さん」といった呼びかけも全て方言で行います。アラブ世界は広く色々な方言があるためそのバリエーションも豊富です。

「ユンマ」「ヤンマ」「イェンマ」「ヤーンマ(ー)」「ヤーモ(ー)」「ヨーム」「インミ(ー)」など地域により様々で、これらを紹介する記事や動画もネット上に複数投稿されています。

イラク人人気歌手 نُور الزَّيْن [ ヌール・アッ=ザイン/(口)アッ=ゼイン ] による يمه [ yumma ] [ ユンマ ](母さん)。亡くなった母親を恋い慕う歌で「母さんどこへ行ってしまったんだ。あなたがいないこの世は闇のようだよ。」「あなたのことが恋しくてずっと泣いてる。」といった辛く悲しい気持ちを込めた一曲となっています。

口語(方言)によくある文語版「お母さん」との違い

文語では呼びかけの間投詞は يَا [ yā ] [ ヤー ] ですが口語ではこれが短くなるため、間投詞を付け足すタイプの「お母さん」だと「ヤー」のうち「ヤ」の音しか残らないことも珍しくありません。

また أُمِّي [ ’ummī ] [ ウンミー ] の語頭にあるハムザは文語の時から取れやすい傾向があります。口語において「ア」が取れてしまい残りの「-mm-」付近部分が残った母親の呼びかけ語が見られるのもそのためです。

「ねえ母さん」という呼びかけでも前に来る間投詞 يَا [ yā ] [ ヤー ] の短縮化 ي(長母音のアリフが無くなった上で y につく母音も変わって ya / yi / yu などに変化)と合わさって、文語「ヤー・ウンミー」よりもかなり短くなってしまいます。

それ以外の文語表現による「ああお母さん」由来とされるものもあるようですが、ともあれ口語でヤンマやらユンマやらになるのは話し言葉特有の短くなる現象が関係しています。

母親を呼ぶ以外の目的での「母さん」の用法

元は「父さん」だったものが「なんてこった」や「嗚呼(ああ)」もしくは歌のはやし言葉として使われることがあるのと同様、「母さん」も似たような事例が見られます。

シリア人歌手 عَلَاء عَبْدُ المَجِيدِ [ ‘alā’ ‘abdu-l-majīd ] [ アラー(ゥ/ッ)・アブドゥ・ル=マジード ] による『 وين النشامى يما 』[ ウェーニ・ッ=ナシャーマ(ー)・ヤ(ー)・ユンマ(ー) ](母さん、漢連中はどこにいるんだい?)。歌の中で漢連中が馬に乗っているという歌詞があるせいか、ビデオクリップは純血アラブ馬映像集のようになっています。

*コメント欄によると字幕で على الخد とあるのは誤字で、正しくは على الخيل(馬上の、馬に乗っていて)だろうとのこと。

シリア南部 حَوْرَان [ ḥawrān/ḥaurān /(口)ḥōrān ] [ ハウラーン/(口)ホーラーン ] からヨルダン北部一帯の民謡がベースだというこの歌では一応実際に「ねえ母さん」と呼んでいるようなのですが、かなりの回数を繰り返しており民謡における「アアア~ァ」に近いものを感じます。

親が子供を「お父さん」「お母さん」と呼ぶアラブの慣習

アラブ諸国で広く行われている逆さまの呼びかけ

アラビア語圏は日本と違い、親が子供を呼ぶ時も「お父さん」「パパ」や「お母さん」「ママ」もしくは人称代名詞接続形・1人称・単数「私の~」を加えた「私のお父さん」「私のパパ」・「私のお母さん」「私のママ」のように呼ぶ習慣があります。

これは英語で reversed kinship、bi-polar kinship terms、bi-polar kin term、bi-polarity、address inversion 等との呼称で言及されているもので、世界の複数地域にある現象だとか。

この逆さま現象は父・母以外に祖父母やおじおばなどとの間でも起きるため、アラブ人の日常会話では子供・孫・甥姪に向かってそれぞれ「パパ」「ママ」「じいちゃん」「ばあちゃん」「おじちゃん」「おばちゃん」と呼びかけることが普通に行われています。

WordReference.com Language Forums の『reversing family relationship in addressing children』という掲示板には世界地図を色分けした分布図が載っているのですが、アラブ諸国がこの逆さま呼びを行っている一方で日本はその対極にあり日本人にとって子供を「お父さん」「お母さん」と呼ぶことに全く馴染みが無いことが改めて示された形となっています。

逆さま呼びかけの実例

学習書などにも出てくるごく普通の日常会話

親が子供を「パパ」「ママ」呼びするのは珍しくなく、テレビドラマなどでも聞くことができます。

方言会話の中級学習書だと、お父さんに「ねえパパつまらないよー。アイス食べたいからお出かけしよう?」とねだる娘たちに「パパちゃんたち(*娘たちのこと)、こんな時間にでかけてる人はいないからね?」と諭す会話が掲載されていたりもします。

おばあちゃんが孫に向かって「ばあちゃん!かわいい◯◯ちゃん!」と言っているのも同様で、日本人からすると慣れるまではちょっと不思議なやり取りに思えるかもしれません。

我が子を亡くし「お母さん!」と大泣きする母親の痛ましい姿

アラブ系のテレビではよく遺族(殉教者)の女性が「おかあさーん!」(たとえば方言だと「ユンマーッ!」)と言いながら自らの顔や頭を叩いて号泣、時には悲しみのあまり気を失ってその場に崩れるシーンが流れるのですが、これは彼女の実母を想って呼んでいるのではなく、息子を亡くした苦しみを彼への呼びかけとともに吐露しているものになります。

このようなお母さんの様子はたいてい兵士なりをしていた男性が殉死した際に祖国防衛や対テロ作戦に貢献した本人や遺族を称賛するためにテレビ局が放映するのですが、この手の番組で聞かれる「お母さん!」は本来ならば親よりも後に亡くなるべきだった息子が20~30代という若さでこの世を去ったことに対する絶望感などが込められた悲痛な叫びとなっています。

テレビのまちかどインタビューと取材役

管理人はイラクのテレビ放送を毎日見ているのですが、イラクでは取材者が中年女性に「お母さん」「おばちゃん」と呼びかけていることが結構あります。(日本でも昔はよく子持ち世代に見える女性を「お母さん」と呼んでいましたが…)

このような実際の親族でないケースでも女性側は取材者に「お母さん」「おばちゃん」と逆さま呼びかけをしてインタビューに答えていることが珍しくありません。

エジプト方言をやった後にイラク方言に移った際には「イラクの呼びかけはエジプトよりもだいぶ昔風だなあ」と感じましたが、そういう部分も含めアラビア語口語の多様性を改めて実感する機会となったように思います。

(2025年4月 「アラビア語でお父さんはヤバイ」の嘘雑学判定について)