フスハーに一番近い方言は?
学習者からの評判
フスハーに一番近い方言は何か?という問いはアラビア語学習者の間で良く語られる話題です。通常は「シリアやレバノン辺りのシャーム方言(レヴァント方言)が一番近いから勉強すると良いよ。」的な結論に至ることが多いように思います。
これは一部の地域を除いて非常に特殊で同じ国なのに全然理解できないといった方言が少ないエリアであること、フスハーが得意な人が多く外国人に対して文語寄りのわかりやすいアラビア語で話してくれることが少なくないことも関係しているように思います。
いわゆるフスハー中心に勉強した人にも比較的優しい地域、だとも言えます。
ネイティブの中での評判
しかしアラブ人ネイティブが書いた「フスハーを話していた人たち」「フスハーに非常に近い方言はどこか」に関する記事を読んでみると、上記とは違った内容が語られていることもしばしばです。
実際に我々外国人学習者が聞くとフスハーからはかなり離れていて「え、それって普通に方言では?」となったりするのですが、アラブ人にとっては「訛りが少ない部族はあそこ」「地元の方言に混ざってアラビア半島時代のよりアラビア語らしい言語を話しているのは彼ら」は良く取り沙汰されてきた話題で、文語との類似性・語彙・経年変化の少なさ等色々な観点から吟味され評価が下されているようです。
アラブ人たちの間で「きれいなアラビア語を話す」と言われている部族は海外で必ずしも有名とは限らないため、日本の学習者の話題に上ることもまず無いかと思います。そのため「どの方言がフスハーに近いのか?」というテーマでも日本での評判とは全然違う地名が挙がったりも。
このページでは、そうした近・現代においてもアラビア語がフスハー的だったとネイティブ側が評価してきた地域や部族について紹介しています。
ちなみに下で紹介した地域の方言を聞いてみたのですが、フスハーに近いというよりは昔ながらのアラビア半島的なもしくはクルアーンのアラビア語と関係が強かった部族方言的な色彩が濃く保たれている点が重視されているのでは、という印象を持ちました。そういう意味で混じり気が少なくきれいなアラビア語ということなのかもしれません。
日常生活でもフスハーを堅持し続けた古都ザビード
アラビア語学者たちの間で有名だったイエメンの山間部
古都ザビードの光景です。世界遺産ですが都市化や内乱状態のため危機遺産に指定されています。
イエメン西部、紅海に近い古都ザビード(زبيد)近辺には200年ほど前までフスハーでの生活を守り続けていた地域があるそうです。今は外部のイエメン方言が入り込んでいるものの、大昔のアラビア語の痕跡がある語彙がまだ残っているのだとか。
تاج العروس من جواهر القاموس(タージュ・アル=アルース・ミン・ジャワーヒリ・ル=カームース、略称:タージュ・アル=アルース)という大辞典を編纂した مرتضى الزبيدي(ムルタダー・アッ=ザビーディー)が育ったのがこのザビードでした。
ザビード近くのجَبَل عَكَاد [ jabal ‘akād ] [ ジャバル アカード ]、جَبَل عُكْتَوَيْن [ jabal ‘uktawayn / ‘uktawain ] [ ジャバル ウクタワイン ](*ジャバル=山)地域には文法的誤りを犯すこと無くフスハーを話せる人たちが住んでいて、アラビア語学者らが書物にそのことを書き残しています。
大辞典の著者であるザビーディー(西暦1700年代後半に活動)もジャバル・アカードの民がフスハーでの生活を堅持している件について語っていて、客人の言葉を長時間耳にして自分たちのアラビア語が損なわれることが起きないよう彼らが外部の人間を3泊以上は滞在させないという慣習があることを書き記しています。
近現代のジャバル・アカード
シリア出身でエジプトで活動したイスラーム国際主義者カワーキビーもジャバル・アカードを訪れたそうで、住民たちがフスハーで生活していること、しかしながら語末の格変化の母音は読まずに子音化してしゃべっていたことを伝えています。
ジャバル・アカードの民がそこまでフスハーを保持できていたかどうかについては後世に否定する研究者も出たそうです。ともあれ、現代になって同地にも普通の方言の影響が入り込んでしまっているものの、古語とも言える古い語彙を今でも使っているのは確かなのだそうです。
実際にザビード地域の動画を探して複数見てみたのですが、今はもうフスハーの痕跡は薄いようで他の地域とは少し言い回しをするといった一風変わった方言、ぐらいの扱いになっているようでした。
北アフリカの部族方言とフスハー
フスハーを話す人が少ないと言われるアルジェリア。しかし部族の方言を調べてみるとフスハーに非常に近い特徴を残している部族方言が見られるそうです。
たとえば تامانارت(Tamanart)という地域の遊牧民はウマイヤ朝時代に移住してきたアラブ人の末裔で、1900年代に入ってもフスハーに非常に近い言葉を使っていたのだとか。محمد مختار السنوسي によると、彼が実際に現地住民と会話し彼らが今の時代もなおフスハーを話していると感じたそうです。
ジェルファ
アルジェリアの اَلْجَلْفَة [ ’al-jalfa(h) → 方言で Djelfa ](ジェルファ)はエジプト方面から移動してきた بَنُو هِلَال [ banū hilāl ] [ バヌー ヒラール ](=ヒラール族)の末裔が住んでいる地域だとか。
ヒラール族はアラビア半島から北アフリカまではるばる移住してきた遊牧民で、カタールのニュースチャンネルAl Jazeeraも以前ジェルファの方言が古いアラブ人の言葉に近いという報道をしたことがあったようです。
ジェルファの遊牧生活を取材した番組です。
動画のコメントにアラビア半島の人たちから「イエメンのアラビア語に似ている」「UAEのアラビア語に似ている」「サウジアラビアのベドウィンの方言にそっくりだ」「アラビア半島を去って何世紀も経っているのにまだ元の方言をこんなに残しているなんて驚きだ」「混じりけがないフスハーに近いアラビア語だ」という声が数多く寄せられていました。
アラビア語ネイティブが聞くと、彼らの祖先であるバヌー・ヒラール(ヒラール族)がいたアラビア半島の方言に非常に似ているとすぐにわかるらしいです。
バヌー・ヒラールから枝分かれした彼らは أَوْلَاد نَايِل [ ’awlād nāyil ] [ アウラード ナーイル ](ナーイルの息子たち、ナーイルの子ら)と呼ばれていて、部族名としては後者の方で知られているようです。
サウジアラビアの部族方言
フザイル族
アラブの部族の中で最もフスハー的な言語を話すとしばしば形容されるのが هُذَيْل [ hudhayl / hudhail ] [ フザイル ] 族なのだとか。フザイルのアラビア語にについては ِأَفْصَح قَبَائِل الْعَرَب(アラブの部族で最も清純なアラビア語を話す)という形容をされていることも多いです。
フザイル族はヒジャーズ地方の部族でマッカ(メッカ)のクライシュ族と近い場所に拠点があったためクルアーンのアラビア語に近く、近代化する前までのそうした古いフザイル方言がアラブ人にとって好ましく感じられたことが高評価の理由だったのではと思われます。
ファフム族
サウジアラビアに居住する فَهْم [ fahm ] [ ファフム ] 族は盗賊詩人・無頼詩人の代表的存在であるタアッバタ・シャッランの出身部族としても知られる古い一族で、フスハー的なアラビア語をずっと使ってきたことで知られるとか。
ファフムもヒジャーズ近辺に居住してきた部族で、上のフザイル族とも地理的に近かった模様。
レバノン系サウジアラビア人 فؤاد حمزة(フアード・ハムザ)は、1900年代にファフム族の成員と実際に会話し、フスハーに最も近い方言だと感じたことを著作の中で記しているとのこと。
クライシュ族の近所に住んでいたこと、有名詩人を輩出するなどイスラーム以前から共通言語的なアラビア語が得意な人物を育む環境だったことが重なり、近代化や現代における方言の薄れ・均質化を経験するまではクルアーンのアラビア語のベースになったイスラーム初期クライシュ方言によく似たアラビア語を使い続けてきたということらしいです。
サウジアラビアも生粋の古い方言はもう高齢者しか話せなくなっているそうなので、機会があればそうした世代のフザイル方言やファフム方言も色々と聞いてみたいところです。