大学のアラビア語 発音教室 (ハナン・ラフィーク・ムハンマド・エル・カウィーシュ,吉田 昌平/東京外国語大学出版会)

大学のアラビア語 発音教室

★★★☆☆~★★★★☆
穴埋め問題がずっと続くので多少しんどいが、これだけ詳しい本は日本で唯一
ただし音価や調音部位に関する説明に不正確さあり
DVD教材なのでMP3化やモバイル端末での使用が難しいのが残念

著者:ハナン・ラフィーク・ムハンマド・エル・カウィーシュ、吉田 昌平
出版社:東京外国語大学出版会

著者の先生方について

ハナン・ラフィーク(ハナーン・ラフィーク) 先生

カイロ大学で日本語を専攻。筑波大学大学院にて修士号、博士号は母校のカイロ大学で取得されたとのこと。言語学が専門で、日本語とアラビア語との対比やアラブ人による日本語の学習/日本人によるアラビア語の学習における問題点などについて様々な論文を発表。

カイロ大学で教員として勤務されていた他、東京外国語大学に招聘され2011年まで教鞭をとられていました(最終的には客員准教授)。本書刊行当時はカイロ大学文学部日本語日本文学科准教授を務められていたようです。カイロ大学のサイトによるとその後教授になられた模様です。

吉田 昌平 先生

横浜国立大学国際戦略推進機構教授で専門は生成音韻論とのこと。エジプトのカイロ大学やアインシャムス大学で客員教授を務められたこともあるそうで、中東における日本語教育やアラビア語言語学も研究されているとか。ハナン先生の元同僚といった形での執筆参加であったものと思われます。

本の概要

●本書は(1)基礎知識、(2)基礎トレーニング、(3)上級トレーニングの3部から構成されています。練習問題の解答や例文の訳は巻末にまとめてあります。

●(1)基礎知識では調音音声学の基礎知識として調音部位や調音法の概要を学んでからアラビア文字の発音・咽頭化(重たい音)・母音記号・ハムザ・定冠詞・タンウィーンについて学習。各アルファベットの発音方法の説明が日本語・英語との共通性の有無と共に表に示されています。他のアラビア語学習書に比べてこの部分の情報量が多いです。

●(2)基礎トレーニングではよく似た発音の文字の対比を中心に声帯の状態・調音部位・調音法・咽頭化の有無を確認しながら学習。発音方法を示したイラストが必ずついており、発音方法に関する非常に詳しい説明や日本人が陥りがちな誤った発音の例を読みながら発音矯正していくことができます。

●練習問題はDVDで流れるサンプルを聴きながら声に出す練習→指示された文字が含まれる単語の番号を選ぶ→リスニングして穴埋め、という形式です。これが延々と続くので、初学者でないと飽きてしまうかもしれません。アラビア語既習者であればリスニングだけして練習問題をある程度飛ばすという進め方もあるかと思います。

●(3)上級トレーニングではカイロ方言・ことわざ・クルアーンの3つを学習。カイロ方言の特徴に関してはフスハーにおけるどの子音文字がどの他の子音の発音に置き換わるのか/置き換わらない例外は何かを学んだり、フスハーバージョンとアーンミーヤバージョンを並べた会話文を聴いて声に出したりする練習を行います。ことわざは30個学習。朗読を聴いたり穴埋め練習をしたりします。最後のしめくくりが聖コーラン(クルアーン)セクションで、通常のフスハーとは異なる朗誦学特有の発音に関する紹介が載っています。クルアーンは短い章が20ほど掲載。じっくり聴いたり穴埋めしたりするのが課題内容となっており、いずれの章もゆっくりの朗誦→通常のスピードの2回ずつ読み上げられます。

付属DVDについて

●巻末によると吹き込みは、男性:عبد الله يسين 氏、女性:نيڤين محمود الباز 氏、クルアーン朗誦:الشيخ عادل محمد سيد となっています。ナレーターのお二人はエジプトの方らしく、エジプト方言が出てくる課でも吹き込みをされています。

●上級トレーニング・エジプト方言の課においてはエジプト方言の文章とフスハーの文章が対比のため交互に読まれ、フスハーの文章では ج [ jīm ] [ ジーム ] を [ gīm ] [ ギーム ] ではなく [ jīm ] [ ジーム ] で統一しています。しかし男性ナレーターの方はフスハー文を読んでいる最中に時折 [ gīm ] [ ギーム ] 発音になっており、フスハー部分で一貫して [ jīm ] [ ジーム ] と読んでいる女性のナレーションと違っている箇所がいくつかありました。

●DVDはテキストに載っている単語が画面に表示され男性の声と女性の声で交互に読み上げるための「男性」「女性」ボタンが横に添えられているのみで、調音部位を学ぶために誰がが発音しているところを撮影したビデオの類は全く収録されていませんでした。アラブ人ネイティブ向けの発音教室はアニメで発音の様子を学べるので似たような動画が入っていると嬉しかったです。

●DVDだとPCに取り込んだりスマホ、ポータブルプレーヤーに移すことが難しいので、アラビア語アルファベットの発音図解な動画が入っていないのであればCDの方が良かったような気がしました。もしくは他の大学のアラビア語シリーズ教科書同様、東京外国語大学のウェブサイトに音声ファイルが置いてある形式の方が便利だったと思います。

付属DVDをMP3やCDにする方法

amazonのレビューにこのDVDを音声ファイルに変える方法が知りたいと書かれている方がいらっしゃったのですが、このDVDに関してはコピープロテクトがかかっており音声ファイルへの変換をすることが法律的に不可能となっています。

技術的にはコピープロテクトを外す→リッピングソフトで音声部分だけ抽出するor動画データを変換してMP3にする→スマホに入れたりCDに焼いたりする、という手順で可能です。音声ファイルは短い時間数のものを中心に548ファイルが格納されているので、抽出すればMP3の形でモバイル端末に転送してCDのように視聴することができます。

しかしこのコピープロテクトを回避しデータをパソコンで取り出す行為は個人での語学学習という目的であっても禁止されており、遵守するならばDVDプレーヤーやパソコンの前に座って勉強するしか無いのが現状です。タブレットやスマホで視聴したい場合は無線接続できるDVDプレーヤーを用意すれば一応可能です。

気になった点

アリフを唯一母音を表す文字としている

本書ではアリフ(ا)に音価 a があてられていて「29文字の中で、唯一母音のみを表す文字です。前にある短母音/a/に連結して長母音/aː/を表します。また、この文字は、ハムザ(ء)の土台として、上か下にハムザを伴う場合がありますが、その場合はアリフの発音は無視され、ハムザとして発音されます。」と書いてあるのですが、アリフの性質を誤って認識されての記述であるように思われます。

アラブのアラビア語文法学では長母音を形成するアリフは特定の音を表さないと定義されています。またアリフの形をしている文字に母音がついた場合、ハムザが表記として現れていてもそうでなくても両方が声門閉鎖音/声門破裂音のハムザの発音を指すとされます。なのでアリフの発音が無視される云々という認識はありません。

短母音の記号ファトハが短母音 a と親和性のある ا [ ’alif ] [ アリフ ] を元に作られたのは事実ですが、元々アラビア語のアルファベットの元になっったセム系アブジャディーヤは全て子音を表すもので名称のトップに来る子音がその文字の音価に対応。アリフも [ ’alif ] の先頭にある [ ’ ](声門閉鎖音/声門破裂音)と結びついていたアルファベットの一文字でした。

おそらくどこかに元ネタがあって「アリフは母音を表す」という記述になったはずなのですが、今までのところ見つけられていません。

日本語で書かれた学習書の場合、言語学等を専門とされている日本の先生方が書かれたアラビア語学習書のほとんどが「アリフには特定の音価は無し」と教えているかと思います。管理人が読んだ借り着ではアリフが唯一母音のみを表す文字だという説明をしているのは『大学のアラビア語 発音教室』ぐらいでした。

同じ東京大国語大学のアラビア語教科書シリーズである詳解文法でも特定の音価無しとしており、同じ語科が作った教科書でも説明が一致していません。SNS等の書き込みを見る限りこちらの発音教室は必須教科書になっていないようなのですが、実際に授業を受けている1年生さんが講義中でアリフの音価についてどちらを教えられているのかちょっと気になりました。

ラーをふるえ音とのみ記載している

ラー(ر)については舌端を歯茎付近で複数回ブルブルさせるふるえ音とのみ説明してありますが、正確にはトンと1回だけ舌をタップするはじき音だと思います。

同じ東京外国語大学のWeb学習教材であるアラビア語モジュールでは1回だけ [ r ] と鳴らすはじき音でシャッダがつき重子音化し [ rr ] となった時にふるえ音になるというを説明しています。アラビア語フスハーのネイティブ向け発音矯正講座でもはじき音にすべきだと指導されているこの子音。アリフ同様アラビア語科の教材間で内容が一致していないのが気にかかりました。

ダードの発音について

ダード(ض)の発音は現代標準アラビア語会話における調音方法がメインでネイティブが学習するフスハー本来とされる独特な発音はコラムで触れるのみで紹介は載っていません。厚めの本なので2通り流通しているダードの発音についてもう少し文字数が割かれていると良いように感じました。

サードの発音

サード(ص)の調音方法図解ですが、クルアーン朗誦学タジュウィードの大家であるアイマン・スワイド師によるネイティブ向けの発音矯正講座で「舌の先がこうなっている教本が流通していますが間違いです」と指摘していたのと同じ構図のイラストが載っています。

アイマン・スワイド師が「これで勉強してしまった人は覚え直してください」と注意を促していたのは舌の先の位置が下前歯の裏ではなく上前歯の裏についている絵と同じ、欧米で出されたアラビア語発音解説のイラストもこうなっていることがあるので齟齬が単なる誤りなのかそれとも何か事情があってのことなのかは改めて確認する必要がありそうです。

月文字の一覧に重複がある

月文字一覧に أء が別々に書かれていますが、両方ともハムザなので二重になっています。

この本でアリフに母音がついたものがハムザに母音がついたものと別物として扱っているために起きた重複だと思われます。

タンウィーンという語そのものを補助記号のこととして説明している

43ページでタンウィーンを補助記号と説明していますが、正確には 文字に書かないのに発音上追加される余分なn音を語末に添加する行為のことであって記号の種類ではないように思います。

すごく細かいのですが、アラビア語でアラビア語文法をやるとそういう微妙な差異を感じやすくなる気がします。n音の添加がタンウィーンですが、「ファトハ、カスラ、ダンマを二重に連ねた母音記号全部がタンウィーン記号ではなく二重に書いた2個の片方だけがタンウィーンの n を示しているという解釈をするのが適切だ」という講義を聞いたこともあります。

感想

●昔はこのような詳しいテキストは無く発音についての詳細を知らないまま中級に進んでしまう人がほとんどだったかと思います。そのことを考えればこの本の発売は画期的だったと言えるかもしれません。

●音声学をベースにした発音解説を読みたい方、ただの耳コピではなく詳細な解説と正確な知識を取り入れつつ効率的に発音矯正をしたい方がこのテキストに関心を持たれるのではないでしょうか。

●アラビア語の各子音の正確な発音をマスターするには修正&補足が必要なので、アラビア語ができる方はアラブ人向けの発音練習テキストか当サイトの発音方法紹介コンテンツにも登場するようなネイティブ・ムスリム向けレッスンビデオを視聴されることをおすすめします。ただアラブのネイティブが学ぶフスハー発音教室と外国人学習者が学ぶ現代標準アラビア語テキストでは一部子音の発音解説が微妙に異なっています。アラブ向けだけでなくできれば欧米で出ている文法書もチェックされると良いかもしれません。

●解説文などについて少し気になる部分があったこと、付属DVDが使いづらく発音解説ビデオが無かったことから少し★を減らしました。

(2022年1月加筆)

大学のアラビア語 発音教室 大学のアラビア語 発音教室
著者:ハナン・ラフィーク・ムハンマド・エル・カウィーシュ、吉田 昌平
出版社:東京外国語大学出版会