イラク方言の学習について
イラク方言を始めたきっかけ
アラブ馬の飼育やイガール、ビシュトのような伝統衣装に関連した動画を見ているうちにイラク方言に興味を持ち勉強を始めることにしました。
イラク方言は管理人が過去に軽く学んだことのあるシリア・レバノン方言と湾岸方言を混ぜ込んだ感じの比較的柔らかなアラビア語なのですが、文法面ではそんなに癖がありません。サウジアラビアの隣国であるイラクとイエメンを比べるなら、イラク方言の方が断然聞き取りやすい気がします。
元々アラブのメディアはたいてい現代アラビア語界隈で普及している文語と口語の混合体や公用方言を使っているので、各地固有の方言を丸出し・全開にした放送というのはあまり聞かれません。そのため文語経験のある外国人学習者には取り組みやすい映像教材が多くなっています。
トルコ語やペルシア語由来の語彙が多いことを除けばごく普通のマシュリク方言でマグリブ諸方言ほどの違いは無いため、フスハーや他方言の既習者であれば1年ほどでかなり理解力を上げることが可能だと感じました。
とはいえフスハーと他の方言をいくつか学んだだけでは理解できない部分が多く、一度しっかり取り組まなければいけないと思い立ち教材を探すことに。
学習手段
管理人はすき間時間に細切れにアラビア語をやるタイプなので、オンラインレッスンは受けずに書籍・アプリ・テレビ視聴にて学習を進めています。イラク人と直接会話をする目的ではないのでリスニング能力の向上が主な目的です。
学習書
日本語で出ている指さし会話帳はイラク方言の教科書としては使えないため、英語で書かれた本をアメリカのAmazonから購入。古本で買えるものの日本には発送していない書籍については転送代行業者を使って入手しました。
いきなり難しい本から始めると失敗してしまうので、まずはMango Languagesのアプリで入門的な内容に触れ、その後アメリカの大学でアラビア語専攻学生向けに書かれた本へと移行。
大学出版系をもう何冊か終えたら他地域の方言に移行する予定でいたのですが、イラクは昔から文化活動が盛んな土地柄で面白い話題が非常に多く当初予想していたよりも学習期間が長引いており、現在はシリア・レバノン・ヨルダン・パレスチナ方言の初級教材と並行しつつ続けています。
リスニング
リスニングについては耳に慣れる目的で空き時間は教材の付属CDをひたすら繰り返して聴いたり、イラク系テレビチャンネルの録画ビデオやストリーミング放送を毎日見たりするというのを今回も実施。
エジプト方言の時と同様学習期間中はイラク系放送局のテレビ番組や動画を毎日視聴。「ながら学習」でちびちびと経験値を稼ごうという方式を続けています。3年間にわたってイラクのニュース録画を毎日欠かさず見たおかげで、地名・現地事情もだいぶ覚え、イラク方言によるインタビューの理解度もだいぶ上がってきたように感じています。
元々トーク番組やドキュメンタリー番組が好きなのでYouTubeにあるテレビ番組録画には大変お世話になっています。
イラク方言をやってみての感想
アラビア文字上のつづりと実際の発音のずれが他方言より多め
イラク方言は文字につづる際の揺れやバリエーションが他の地域よりも大きく、ك [ k ] を [ ch ] の音で発音する場合には چ [ ch ] もしくは点が1個だけで元々アラビア語にある ج [ j ] で書くのに実際には [ ch ] と読んでいるとか、ق [ q ] を [ g ] の音で発音する場合には گ [ g ] もしくは棒が無いアラビア語の ك [ k ] で書くのに実際には [ g ] で読んでいるといった現象が顕著です。
学習書や辞書によってこの表記はバラバラで、この対応関係が分かっていないと語根別単語を調べる時に少々難儀するように思いました。しかも湾岸やサウジの方言と違い q のまま発音する ق に g で発音する ق や j で発音する少数の ق が混在しているのである程度暗記しなければならず、いささか面倒だと感じました。
そうした点は他の方言より煩雑ですが慣れれば大丈夫なレベルなのでそんなに心配は要らないのではないでしょうか…
あとイラク方言の特徴としては [ p ] の音が多いことが挙げられます。他のアラビア語方言だと ب [ b ] と書いて [ b ] で読むのが正解でも、イラク方言ではきちんと [ p ] で発音するので پ ではなく ب の字で書いてあっても現地での発音に即してきちんと [ p ] と読むべき部分を覚えるのも欠かせないように感じました。
教材によってアラビア文字や英字での表記が違う
上で述べたような事情から教科書や辞書のアラビア文字表記が統一されていません。とある本では ق の文字を使っている単語が辞書では ك の文字で載っているということが頻繁に起きます。
またイラク方言ではaの音がeに寄る傾向が強いのですがテレビ等を見ている限り人によってその度合いは違うようで、教材でもその幅の広さが反映されています。例えば هسة / هسه(今)が hassa(ハッサ)で書いてある本と hesse(ヘッセ)で書いてある本とに分かれ教材により hissa になっていたりとまちまち、接続形の人称代名詞 ـه(彼の~)はーaもしくはーe、 ـها(彼女の~)はーha(hā)(*実際には語末は長母音āよりもずっと短くなるのでーhaと書いてあることが多いです)もしくはーhe(ーhē)、ـة の手前はーaもしくはレヴァント方言と同じーeといった具合にバラバラです。
フスハーでは二重母音になっている بَيْت [ bayt / bait ] [ バイト ] は各国方言で [ ベート ] に近く発音されるのが一般的だと思いますが、イラク方言の場合 [ bēt ] ではなく [ biet ] [ ビィエト/ビェート ] になる人が多くやはりこれも教科書によって転写が beet だったり biet だったりとばらつきが出る原因となっています。
教科書付属の音声教材も同じCDの中でナレーターによってそれらの発音が異なるので、「あれ?テキストと発音が合っていない?」となる方が出やすいかもしれません。
ネイティブによるアラビア文字のつづりが何通りもある
きちんと定められた正書法(正字法)が無いアーンミーヤですが、それぞれの方言でスタンダードとなる表記はある程度決まっていることが多いアラビア語。しかしイラク方言はそのような中でもつづりのバリエーションがかなりあるようです。
ネイティブが文を書く時も同じ単語に数通りのつづりがあり、語末が-aになるからという理由から本来フスハーでは置かないような場所にも ة を書いてあるケースもしばしばあるため、アラビア文字で書かれたイラク方言の文を読む時はそれをふまえた上で行う必要があります。
たとえば「私は冗談を言っています(I’m joking)」という意味の [ ダタシャーカ(ー)/ダッチャーカ(ー) ] だけでも
- داتشاقا
- داتشاقى
- داتشاقه
- داتشاقة
- دتشاقا
- دتشاقى
- دتشاقه
- دتشاقة …
いったパターンを見かけました。動詞なのに語末の発音が「ーa」になるという理由から名詞・形容詞にしかつかないはずの ة(ター・マルブータ)を使っている人も少なくないようで、イラク方言のアラビア文字表記に関しては「ター・マルブータがついていたら動詞ではない、とは限らない」ことを念頭に置いておく必要があると感じました。
イラク方言の教材
イラク方言の教材は首都バグダードの方言をベースとしています。シリア方言に近いモースルなどの北部方言や湾岸方言などに近いバスラなどの南部方言についての言及がある教材もありますが、入門書はバグダード方言をフスハー寄りにしたイラク国内の公用方言のみ扱っています。
学習書はクウェート方言に比べれば充実していますが、シリア・レバノン方言やエジプト方言に比べるとだいぶ少ないです。発売されたものの既に絶版になっている本もあったためアメリカのAmazon.comで古本を買ったりして数を揃えました。
日本にいても入手できたイラク方言の教材は以下の通りです。(*表紙画像を正規利用するためにアフィリエイトを使っています。)
アプリ
サービス名
Mango Languages(マンゴー ランゲージ)
公式サイト
https://mangolanguages.com/
対応OS
Windows、iOS、Android
おすすめ度:★★★☆☆
管理人はこれまでにこちらのフスハーとエジプト方言のコースを修了したのでイラク方言版もやることに。こちらのサービスはレヴァント方言あたりは非常に力を入れているのですがイラク方言は
- レッスンが少ない
- 単語の発音がフスハー発音になっている部分がある
- フスハーの文法説明を流用していてイラク方言の人称代名詞や疑問詞などの解説になっていない
といった感じで、充実度は低めでした。
結局最後までやったのですが、イラク方言に触れてみるには良かったもののこれ単体では足りずジョージタウン大学の教科書に取り掛かることとなりました。
教科書
Modern Iraqi Arabic With Mp3 Files
公式ページ:http://press.georgetown.edu/book/languages/modern-iraqi-arabic-mp3-files
おすすめ度:★★★★☆ 取り組みやすいのでおすすめ
米国ジョージタウン大学の出版部であるGeorgetown University Pressが2006年に刊行。会話スキットと文法学習がセットになっています。
難易度は白水社のニューエクスプレスをもう少し詳しくした程度で比較的学習しやすいです。名物のマスグーフを食べに行ったり遺跡を訪れたりと一通りの観光アクティビティーをカバー。定番フレーズ・慣用句も掲載されておりバランスは良いと思います。
表記についてはアラビア文字と英字による転写がセットになっています。アラビア文字表記は1文字だけの前置詞でも分かち書きする、シャッダでまとめる الله のような語が أللاه のように分解されているなどフスハーや既習の他地域アーンミーヤ文とは違っていたため最初戸惑いましたがそれらはイラクで実際に見られるつづりのようです。
それとは別に転写といった部分での誤字脱字類が多めなのが少々残念でした。
大学の授業向けに作られていることもあって練習問題の解答はついていませんが、本文部分だけでも十分活用可能です。ジョージタウンの他のアラビア語文法書は内容が古く読みづらいので、まず買うならこの一冊が良いと思います。
A Short Reference Grammar of Iraqi Arabic
公式ページ:http://press.georgetown.edu/book/languages/short-reference-grammar-iraqi-arabic
おすすめ度:★★★★☆(アラビア語専攻学生さんや言語学既習者の方)/★☆☆☆☆(会話力・実用性重視の方)
米国ジョージタウン大学の出版部であるGeorgetown University Pressが2004年に刊行。Georgetown Classics in Arabic Languages and Linguisticsということで1963年出版の古い書籍を復刊したものとなっています。
文字はタイプライター打ちした感じの小さなサイズでやや読みづらいです。アラビア語部分は転写のみでアラビア文字は出てきません。
題名だけを見ると手短にまとめた一般的な文法書と勘違いしそうになりますが、中身は音韻論・形態論・統語論といった言語学的な観点からイラク方言の特徴を紹介した大学の専攻学生向けな内容です。
フスハーの بَيْت [ bayt/bait ] がイラク方言で [ bēt ] [ ベート ] ではなく [ biet ] [ ビィエト/ビェート ] に近く聞こえる件も含め学習を通じてたまっていた些細な疑問が解決してスッキリするようなことが延々と書かれているので、そういう細かい部分が気になってきた時期に読むのが良いように思いました。
英語の言語学関連用語が頻発するので大学で英語のテキストを使って学んだ方でないと厳しいと思います。管理人もそうした講義は取ったことが無かったのでこの本は軽く通し読みして終わりにしました。
内容がしっかりしているので★を4つつけましたが、通常の学習者は購入する必要が無い本だと思います。会話能力が直接向上する実用的な類の教科書ではないです。
A Basic Course in Iraqi Arabic with MP3 Audio Files
公式ページ:http://press.georgetown.edu/book/languages/basic-course-iraqi-arabic-mp3-audio-files
おすすめ度:読了後評価予定
米国ジョージタウン大学の出版部であるGeorgetown University Pressが2004年に刊行。Georgetown Classics in Arabic Languages and Linguisticsということで1969年出版の古い書籍を復刊したものとなっています。
文字はタイプライター打ちした感じの小さなサイズでやや読みづらいです。アラビア語部分は転写のみでアラビア文字は出てきません。
全部で40ユニットあり、同じ著者による『A Short Reference Grammar of Iraqi Arabic』に丁寧な解説をつけて会話スキットや単語リストを足した構成。先生の研究内容を大きく反映しているせいか子音・短母音・長母音・二重母音の発音や子音連結といったカテゴリーにかなりのページ数が割かれています。
大学でアラビア語を専攻している/していた方や言語学や諸外国語を学んだことがある方なら読み進められると思うのですが、気軽にイラク方言を覚えて手っ取り早く会話能力を向上させたい独習者には全然向いていない内容になっています。
ネイティブのイラク人が書いた教科書と違い「どの母音を入れるか」「アラビア文字で長母音があるようにつづられていても実際には短くなる」といった細かいポイントの正確さを徹底している系統の本なので、適当さが見られる転写に不安を感じている方におすすめです。
音声教材はカセットテープ時代に収録されていた内容をMP3化したファイルを格納したCD-ROMが付属。全491ファイル、合計約24時間6分ほどとアラビア語学習書としては非常に長い分数となっています。
Beginner’s Iraqi Arabic with 2 Audio CDs
おすすめ度:★★★☆☆~★★★★☆
米国の出版社Hippocrene Booksが2006年に発売した入門書ですが既に絶版らしく古本を買いました。
アラビア文字は全く出てこず英字による転写のみで学習するスタイルです。イラク方言でポピュラーなaにe音が混ざる現象を反映させた表記なのでhassaがhesseになっていたりとジョージタウン教科書とは違う部分が多いため使いづらく感じる方がいるかもしれません。
長母音のō部分がただのoになっていたりと実際の発音に即していない表記も多く、フスハーでのアラビア文字表記をすぐに思い浮かべられる方以外は付属の音声教材で本当の読みをチェックしながら学習を進める必要があります。
シーン別会話はあるもののイラク人同士の会話が多めで、学校の先生の任命業務といった日本人滞在者には直接関係の無いシチュエーションがある一方、イラクの観光名所を巡るといったエクスプレスシリーズっぽい話は意外と出てきません。
全部で384ページありますが後半はミニ辞書になっているので本編は186ページ目で終わります。
練習問題の数はかなり多いです。独学用なので巻末に解答がついています。
アラビア語初心者用とありますが動詞活用・派生形や人称代名詞を結構しっかり教えておりフスハーも含めアラビア語を全く学習したことが無い人がいきなりこの本をやって完走するのは意外としんどいのでは、と感じました。米国Amazonには挫折したというレビューもありましたが、فد ・挨拶・日付の言い方等ジョージタウンの『Modern Iraqi Arabic With Mp3 Files』では触れられていない部分の説明があったりしたので他の本で既に学習した人が知識補充用に使うには丁度良いかもしれません。
オーディオCDの方は2枚付属しています。ナレーターは数名で ر が舌をしっかりはじく [ r ] の人といわゆるルスガ(舌足らず)発音と呼ばれる [ y ] 混じりな人の両タイプが混在しています。アラビア語未経験者向け教材の割には会話のスピードは早めな気がします。
Iraqi Dialect Through Dialogue
公式ページ:http://www.montezumapublishing.com/larc/arabic
おすすめ度:★★★★☆
サンディエゴ州立大学Montezuma Publishing刊のイラク方言学習書で、現在売られているのはSecond Editionになります。Amazon.comにはIranian Languages Editionと書かれていますが中身は普通にバグダード方言の教科書でした。対話方式になっていますが日常会話学習書の色彩は薄いです。
各地域・政治・宗教・社会に関するレッスン55課。長さ・内容的にフスハー等下地がある人が方言教科書数冊を終えた後にやる本という印象です。長いスキットだとテキストの3ページ分ぐらいになりますが、普段から長時間のテレビ番組視聴に慣れている方なら苦になるほどの分量ではないので大丈夫だと思います。
イラクから他国に逃れたものの生活が成り立たずアメリカに移住したイラク人スタッフらの複雑な心情がこもった課が多いように感じました。かなり政治色が強めでバアス党時代の暴虐・店舗がテロで爆破され燃えてしまう話・負傷して手足を失う事件なども出てくるため、学習者さんによっては生々しすぎてあまり好きになれないかもしれません。
音声教材はダウンロードフリーでhttp://altd.sdsu.edu/IraqiDialect2010/index.htmlから個別もしくは一括でMP3ファイルを入手できます。スタジオではなくどこかの部屋にレコーダーを置いて収録したのか音質はあまりクリアではありません。ページをめくる音がガサゴソしたり小声でしゃべったりしているのが聞こえたりも。言い間違えて読み直している箇所もありますが、トーク自体は比較的ナチュラルです。
イラク人同士の雑談という形式をとっていて地名の勉強にもなること、また歩きながら聴くのに手頃だったころもあってこちらの音声教材は数百周はしたような気がします。こんなに繰り返し聞いたアラビア語学習音声教材は初めてです。テキストの自習が終わった後でも未だに利用しています。
口語のアラビア語表記が少々読みづらかったりはしたのですが、総合的には一番お世話になった教材となりました。
Iraqi Dialect Versus Standard Arabic
公式ページ:https://mattikhoshaba.wixsite.com/
おすすめ度:★★★★☆
個人の方の論文を製本化したような感じの書籍です。アメリカのAmazonだとMatti Books Publicationという自ら立ち上げられたらしい出版所が直接販売しています。
著者はニネヴェ地域出身のMatti Phillips Khoshaba氏。モースル大学卒業でイラク・中東の諸言語に通じておりクルド語等の辞書も執筆。
本書はイラク方言特有の表現を英語でどのように言うかをまとめたネイティブ向けの解説書として作られたようなのですが、国内の方言差と子音の発音、フスハーとイラク方言との比較に加え基本挨拶集、「お前は靴野郎だ」といった罵倒語も含めた分野別決まり文句集が充実。フレーズブックの代用としてもおすすめです。
ただ転写が少々アバウトなので正確な発音を知りたい非ネイティブには不親切かもしれません。
辞書
The Georgetown Dictionary of Iraqi Arabic: Arabic-English, English-Arabic
公式ページ:http://press.georgetown.edu/book/languages/georgetown-dictionary-iraqi-arabic
おすすめ度:★★★★☆~★★★★★ ネット辞書を使わない場合は必須
アラビア語学習書を多数出版している米国ジョージタウン大学の出版部であるGeorgetown University Pressが2013年に発売した辞書で、前半がアラビア語-英語辞書、後半が英語-アラビア語になっています。
いわゆる語根方式の辞書で、アラビア語の語形や動詞派生形について既習であることが前提の作りです。例文の数もそれなりに豊富です。
調べたい単語が載っていないことがある、イラクでは ك や گ の表記になっている部分が ق になっているなど気になる点はありますが十分役に立ってくれており購入して良かったと感じています。
The Living Arabic Project というオンライン辞書サイトが充実したイラク方言辞書を追加してからはすっかり利用回数が減ってしまいましたが、イラク方言学習初期にはまだ無かったため『The Georgetown Dictionary of Iraqi Arabic』抜きでの学習はさすがに厳しかったと思います。
1960年代に出版された『A Dictionary of Iraqi Arabic: English-Arabic/Arabic-English (Georgetown Classics in Arabic Language and Linguistics)』を発展させた内容だとのことで、実際に見比べてみると例文や意味の解説部分がかぶっています。ほとんど同じな上に見やすさもかなり違うのでイラク方言の辞書を買う場合はこちらの1冊だけで十分だと思います。
A Dictionary of Iraqi Arabic: English-Arabic/Arabic-English (Georgetown Classics in Arabic Language and Linguistics)
おすすめ度:★★★☆☆
米国ジョージタウン大学の出版部であるGeorgetown University Pressが2003年に刊行。Georgetown Classics in Arabic Languages and Linguisticsということで上で紹介した文法書同様1960年代出版の古い書籍を復刊したものとなっています。
こちらの辞書は最初に英語-アラビア語辞書、次にアラビア語-英語辞書という順番ですが英-アラ部分はページ数が少なくメインはアラ-英パートとなっています。
全て転写のみでアラビア文字による検索や例文は基本的にありません。アラ-英パートの文字の大きさはアラビア語の辞書としては普通です。一方英-アラ部分のフォントはかなり小さいので読みづらいと思います。英-アラ部分は見出しが太字ですが、アラ-英部分は全部同じ太さなので項目を見つけにくいです。
近年はアーンミーヤをアラビア文字表記することが多いこともあって個人的には『The Georgetown Dictionary of Iraqi Arabic: Arabic-English, English-Arabic』の方が使いやすさ・内容の両観点からおすすめです。こちらの辞書をアップデートした内容だとのことで例文などもかぶっています。
こちらの古い辞書についてはあれこれ買い揃えたい方以外はわざわざ購入する必要は無いかもしれません。自分がイラク方言を頑張るつもりでこちらも買ってしまいましたが、全く使っていません…
المعجم للكلمات والمصطلحات العراقية
URL:http://www.iraker.dk/maqalat24/Iraqi%20words%20Dic.pdf など
おすすめ度:★★★★★
『المعجم للكلمات والمصطلحات العراقية』(イラクの言葉・用語辞典)という題名がつけられた辞書で、PDFファイル形式にてネット上で配布されているのを見つけてダウンロードしました。
そもそもはデンマークのイラク系移民たちが故郷の方言について学べるようにと作ったものだとか。写真が多数ついており語源の解説も詳しいです。普通のアラ-英辞書に載っていない情報が満載なのでタブレットのPDFリーダー内でテキストのタブ→イラク方言-英語辞書のタブ→こちらの辞書のタブという順番で並べて頻繁に使用しています。
発音を示す目的以外での母音記号がついていないネイティブ向けのアラビア語文で書かれているので、フスハー既習者の方におすすめです。
自分はイラクの民謡の歌詞を調べたり魚の名前を覚えたりするのにこちらを多用しました。古い職業名や英語由来の外来語なども載っているので本当に重宝します。
会話本
Iraqi Phrasebook : The Essential Language Guide for Contemporary Iraq (Teach Yourself)
おすすめ度:★★★★☆
ジョージタウン大学出版部から出ている『Modern Iraqi Arabic With Mp3 Files』著者の先生による会話本です。
イラクへの旅行・滞在・居住に必要だと思われる様々なシーンでの会話が収録されています。巻末は英語-アラビア語語彙集になっています。
アラビア文字は使われておらず英字による転写となっています。ジョージタウン大学の『Modern Iraqi Arabic With Mp3 Files』と著者が同じなのですが、そちらと同じく転写と実際の発音にずれがある例がしばしば見られrrやllのように重子音になっている部分もrやl一文字だけの表記になっています。これらは全て訂正した上で覚える必要があるので既習単語でない場合はこまめに辞書で調べて訂正を入れると良いかもしれません、
非常に使い勝手が良い本とは言えないかもしれませんが、この手のフレーズブックはこの本ぐらいしか無いので★4つとしました。
残念ながら音声教材はありません。
現地旅行をしたい方はこちらの購入がおすすめです。
旅の指さし会話帳46 イラク イラク(アラビア)語
おすすめ度:★★☆☆☆~★★★☆☆
指さし会話帳シリーズ共通の特徴ですが全て手描き/手書きなので見やすさはあまりありません。イラク編はかなり急いで欄を埋めていった感じでアラビア文字部分が読みづらいです。他の言語バージョンのサンプルも見てみましたが書き手によって丁寧さにかなり差があるようです。
フスハー混入率が高く数詞の形と読みは全部非イラク方言、物の名称もイラク方言ではなくフスハーでの名前が載っていたり、アラビア語に訳せるワインや温泉といった語もただの当て字「ワーイン」「オーンセン」になっていたりします。
ネイティブの方と組んだ日本人アラビア語学習者の方がイラク方言に通じていらっしゃらなかったためか、アラビア文字部分とカタカナの読みガナが一致していない場所が多い、読み間違え・聞き間違えたと思われる読みガナの誤字が多い、ラマダーン明けのイードの挨拶に「新年おめでとう」という訳がついている、يومين [ ヨーメーン ] のようにアーンミーヤ発音すべき部分に文語での発音 [ ヤウマイニ ] を書いてある、باجر と書いて [ バーチル ] と読まなければならない語につづり通りの [ バージル ] という読みをつけてしまっている等気になる点が複数ありました。
旅の指さし会話帳イラク編についてはAmazonレビューで「アラビア語部分の誤字が多い」と書かれています。確かに誤字脱字もあるのですが本来 إِ なのを全部 أ で書く、ه が標準の語末を ة にする、ى の上に短剣アリフを書き添えるのはネイティブの方に見られるややイレギュラーなアラビア語表記として実在しています。
ض が ظ(ただしレヴァントやエジプトと違い舌を歯ではさむ方)に置き換わるのもイラク人も含めたアラブ人ネイティブにありがちな子音の置き換えから来るつづりですが、語学学習書としては標準的ではないのでアラビア語学習者により分かりやすいスタンダードなアラビア語表記だと混乱が少なくて良かったのではないかと思います。
旅の指さし会話帳イラク編は自衛隊が大量発注して現地に持参されたそうですが、軍人向け方言教材が豊富なアメリカのように教材を特注で作って用意された方が良かったのではという気もします。ささっと描いた感じの強めな指さしシリーズのイラストだと何を描いてあるのか分からないこともありますし、識字率が100%ではないことを考えれば誰が見ても見間違えない写真+活字の方が伝わりやすいように思います。
結局のところ、一応全部アラビア語で書かれてはいますが残念ながらイラク方言の学習書としてはおすすめできません。個人的にはアビール・アル・サマライ先生のような日本語・フスハー・イラク方言に通じた方に依頼すればもっときちんとした物が出来上がったのでは…と感じました。
*ちなみにイラクは2003年以降急速に識字率が低下しています。指で示しても文字を読めない人が増えているので『Iraqi Phrasebook : The Essential Language Guide for Contemporary Iraq (Teach Yourself)』のような会話本を買って自分で読み上げた方が良いかもしれません。
(2024年4月 Iraqi Dialect Through Dialogueレビュー一部修正)